漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年03月

209-#3 《巻15-13 送楊少府赴選 -#3》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#3> Ⅰ李白詩1445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5773

李白 巻15-13 送楊少府赴選  ―♯3  我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである。そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-45-#4奉節-36-#4 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4》 杜甫index-15 杜甫<908-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5775 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》三巻15-〈115〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5777 
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209-#3 《巻15-13 送楊少府赴選  -#3Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#3> Ⅰ李白詩1445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5773

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七五               李太白集巻十五 13  文體:   五言古詩

詩題:    送楊少府赴選

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

交遊人物/地點:楊少府      當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

大國置衡鏡,準平天地心。

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

時泰多美士,京國會纓簪。【時泰多英士、京國富纓簪】

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。

 

山苗落澗底,幽松出高岑。

もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。

夫子有盛才,主司得球琳。

楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

流水非鄭曲,前行遇知音。

かの伯牙の琴を鼓いた「流水の曲」は鄭衛の曲」が動けば心は淫するではいけないもので、鍾子期にあらざれば、これを賞する人も少なくないが、君は幸いにも知音と呼べる人がと出遭って、今次、選に赴くので、まことにめでたいことである。

衣工剪綺繡,一誤傷千金。

かの着物の仕立屋が、錦繍綺羅を裁断するときに一度誤って裁断すると、千金を台無しにするというものだ。

 

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

刀尺の餘りの裁断ミスの残り屑では、いくら物が良くても寒女の衾に裁縫する事さえできない。こうして、人才を選赴するのに推薦されるというのも容易なことではなく、選赴で上京する以上、頑張ってもらいたいものである。

我非彈冠者,感別但開襟。

我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

大道安棄物,時來或招尋。

世間に棄てられた不遇の者も、大道に安んじて、やがて、時が来れば招尋されるということである。

爾見山吏部,當應無陸沈。

君を選赴した主司は、昔の山濤の様な人で、こういう人がおれば、水なくして沈むように、無理に隠遁する者もいないはずであり、今後にも期待が持てるということである。

 

(楊少府の赴選さるを送る)

大國 衡鏡を置き,天地の心を準平す。

群賢 邪人無く,朗鑒【ろうかん】 情深を窮む。

吾が君 南風を詠じ,袞冕【こんべん】鳴琴を彈ず。

時 泰にして 美士多く,京國 纓簪【えいしん】を會す。

 

山苗 澗底に落ち,幽松 高岑に出づ。

夫子 盛才有り,主司 球琳を得る。

流水 鄭曲に非ず,前行 知音に遇う。

衣工 綺繡を剪り,一誤 千金を傷む。

 

何ぞ惜まん 刀尺の餘,寒女の衾を裁せず。

我 彈冠の者に非ず,別に感じて 但だ襟を開く。

空谷に 白駒無し,賢人 豈に悲吟せんや。

大道 棄物を安じて,時來って或は招尋せる。

爾見よ 山吏部,當に應に陸沈無かるべし。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『送楊少府赴選』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

我非彈冠者,感別但開襟。

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

大道安棄物,時來或招尋。

爾見山吏部,當應無陸沈。


(下し文)
何ぞ惜まん 刀尺の餘,寒女の衾を裁せず。

我 彈冠の者に非ず,別に感じて 但だ襟を開く。

空谷に 白駒無し,賢人 豈に悲吟せんや。

大道 棄物を安じて,時來って或は招尋せる。

爾見よ 山吏部,當に應に陸沈無かるべし。

(現代語訳)
刀尺の餘りの裁断ミスの残り屑では、いくら物が良くても寒女の衾に裁縫する事さえできない。こうして、人才を選赴するのに推薦されるというのも容易なことではなく、選赴で上京する以上、頑張ってもらいたいものである。

我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである

そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

世間に棄てられた不遇の者も、大道に安んじて、やがて、時が来れば招尋されるということである。



(訳注)

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

楊少府 縣尉であった楊某。地方職官名。與縣丞同為古時縣令(或縣)的首要佐官吏

赴選 縣尉の職によく任えて、政績彰、顕著であることで、これを選んで、都に上らせ、他の職に栄遷させることをいう。・撰/選:人を選んで役職に就ける。

 

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

刀尺の餘りの裁断ミスの残り屑では、いくら物が良くても寒女の衾に裁縫する事さえできない。こうして、人才を選赴するのに推薦されるというのも容易なことではなく、選赴で上京する以上、頑張ってもらいたいものである。

 

我非彈冠者,感別但開襟。

我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである

彈冠 「貢禹彈冠」のことで冠を弾じて相い慶すること、《漢書·王吉傳》:“吉與貢禹為友,世稱'王陽在位,貢公彈冠'。言其取捨同也。”にもとづくもの。

 

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

白駒 “賢を用うる能わず、賢人 白駒に乗じて去者有り。”に基づく。《毛萇、詩傳》「白駒、大夫、刺宣王也。宣王之末、不能用賢、賢人有乗白駒而去者。」其末章云「皎皎白駒在彼空谷生芻楚俱切一束其人如玉毋音無金玉爾音而有遐心。」

 

大道安棄物,時來或招尋。

世間に棄てられた不遇の者も、大道に安んじて、やがて、時が来れば招尋されるということである。

 

爾見山吏部,當應無陸沈。

君を選赴した主司は、昔の山濤の様な人で、こういう人がおれば、水なくして沈むように、無理に隠遁する者もいないはずであり、今後にも期待が持てるということである。

山吏部 山濤 吏部尚書のこと。晉書 「其以濤爲吏部尚書。”濤辭以喪病,章表懇切。會元皇后崩,遂扶興還洛。逼迫詔命,自力就職。前後選擧,周遍内外,而並得其才。濤所奏甄拔人物,各爲題目,時稱《山公事》。」とある。

陸沈 “大隠は市に隠る”の意である成語。 俗人と共に暮らし、表面は俗人と同様の生活を営みながら隠者として暮らすあり方を形容した言葉である。けだし妙であるという言葉であり、荘子・雑篇の則陽に、『陸沈者』として出てくる。
李白の足跡0000 

209-#2 《巻15-13 送楊少府赴選 -#2》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#2> Ⅰ李白詩1444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5768

李白 巻15-13 送楊少府赴選 -♯2  もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

 

 
 2015年3月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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209-#2 《巻15-13 送楊少府赴選 -#2》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#2> Ⅰ李白詩1444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5768 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-45-#3奉節-36-#3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》 杜甫index-15 杜甫<908-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-〈114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772 
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209-#2 《巻15-13 送楊少府赴選  -#2Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#2> Ⅰ李白詩1444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5768

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七五               李太白集巻十五 13  文體:   五言古詩

詩題:    送楊少府赴選

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

交遊人物/地點:楊少府      當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

大國置衡鏡,準平天地心。

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

時泰多美士,京國會纓簪。【時泰多英士、京國富纓簪】

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。

 

山苗落澗底,幽松出高岑。

もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。

夫子有盛才,主司得球琳。

楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

流水非鄭曲,前行遇知音。

かの伯牙の琴を鼓いた「流水の曲」は鄭衛の曲」が動けば心は淫するではいけないもので、鍾子期にあらざれば、これを賞する人も少なくないが、君は幸いにも知音と呼べる人がと出遭って、今次、選に赴くので、まことにめでたいことである。

衣工剪綺繡,一誤傷千金。

かの着物の仕立屋が、錦繍綺羅を裁断するときに一度誤って裁断すると、千金を台無しにするというものだ。

 

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

我非彈冠者,感別但開襟。

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

大道安棄物,時來或招尋。

爾見山吏部,當應無陸沈。

 

(楊少府の赴選さるを送る)

大國 衡鏡を置き,天地の心を準平す。

群賢 邪人無く,朗鑒【ろうかん】 情深を窮む。

吾が君 南風を詠じ,袞冕【こんべん】鳴琴を彈ず。

時 泰にして 美士多く,京國 纓簪【えいしん】を會す。

 

山苗 澗底に落ち,幽松 高岑に出づ。

夫子 盛才有り,主司 球琳を得る。

流水 鄭曲に非ず,前行 知音に遇う。

衣工 綺繡を剪り,一誤 千金を傷む。

 

何ぞ惜まん 刀尺の餘,寒女の衾を裁せず。

我 彈冠の者に非ず,別に感じて 但だ襟を開く。

空谷に 白駒無し,賢人 豈に悲吟せんや。

大道 棄物を安じて,時來って或は招尋せる。

爾見よ 山吏部,當に應に陸沈無かるべし。

 

 

『送楊少府赴選』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻15-13 送楊少府赴選  -#2
山苗落澗底,幽松出高岑。

夫子有盛才,主司得球琳。

流水非鄭曲,前行遇知音。

衣工剪綺繡,一誤傷千金。


(下し文)
山苗 澗底に落ち,幽松 高岑に出づ。

夫子 盛才有り,主司 球琳を得る。

流水 鄭曲に非ず,前行 知音に遇う。

衣工 綺繡を剪り,一誤 千金を傷む。

(現代語訳)
もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。

楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

かの伯牙の琴を鼓いた「流水の曲」は鄭衛の曲」が動けば心は淫するではいけないもので、鍾子期にあらざれば、これを賞する人も少なくないが、君は幸いにも知音と呼べる人がと出遭って、今次、選に赴くので、まことにめでたいことである。

かの着物の仕立屋が、錦繍綺羅を裁断するときに一度誤って裁断すると、千金を台無しにするというものだ。


(訳注) 《巻15-13 送楊少府赴選  -#2

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

楊少府 縣尉であった楊某。地方職官名。與縣丞同為古時縣令(或縣)的首要佐官吏

赴選 縣尉の職によく任えて、政績彰、顕著であることで、これを選んで、都に上らせ、他の職に栄遷させることをいう。・撰/選:人を選んで役職に就ける。

 

山苗落澗底,幽松出高岑。

もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。

山苗落澗底 左思〈詠史〉詩「鬱鬱澗底松,離離山上苗。」(鬱鬱たり 澗底の松、離離たり 山上の苗。)谷底に松が鬱蒼と繁っている。山上では苗木がのびのびと枝を伸ばしている。

 

夫子有盛才,主司得球琳。

楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

球琳 球琳琅玕の美玉。 《淮南子·形訓》:「西北方之美者,有昆崙之球琳琅玕焉。」 高誘注:「球琳琅玕,皆美玉也。とある。

 

流水非鄭曲,前行遇知音。

かの伯牙の琴を鼓いた「流水の曲」は鄭衛の曲」が動けば心は淫するではいけないもので、鍾子期にあらざれば、これを賞する人も少なくないが、君は幸いにも知音と呼べる人がと出遭って、今次、選に赴くので、まことにめでたいことである。

流水 呂氏春秋「伯牙鼓琴。鍾子期聽之。方鼓琴而志在太山。鍾子期曰。善哉乎鼓琴。巍巍乎若太山。少選之間。而志在流水。鍾子期又曰。善哉乎鼓琴。湯湯乎若流水。」

鄭曲 史記「鄭衛之曲動而心淫。」(鄭衛の曲が動けば心は淫するもの。)とみえる。

知音 知音は、『列子(湯問)』などの故事に由来する。 中国春秋時代、伯牙(はくが)という琴の名手がいた。 友人の鐘子期(しょうしき)が死に、伯牙は自分の琴の音をよく理解してくれる者がいなくなったと嘆き、琴の弦を切って二度と弾かなかった。 そこから、自分を知ってくれる人や親友を「知音」というようになった。

 

衣工剪綺繡,一誤傷千金。

かの着物の仕立屋が、錦繍綺羅を裁断するときに一度誤って裁断すると、千金を台無しにするというものだ。

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李白 巻15―13 送楊少府赴選 ―#1 楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる。大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

 

 
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年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七五               李太白集巻十五 13  文體:   五言古詩

詩題:    送楊少府赴選

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

交遊人物/地點:楊少府      當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

大國置衡鏡,準平天地心。

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

時泰多美士,京國會纓簪。【時泰多英士、京國富纓簪】

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。

 

山苗落澗底,幽松出高岑。

夫子有盛才,主司得球琳。

流水非鄭曲,前行遇知音。

衣工剪綺繡,一誤傷千金。

 

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

我非彈冠者,感別但開襟。

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

大道安棄物,時來或招尋。

爾見山吏部,當應無陸沈。

 

(楊少府の赴選さるを送る)

大國 衡鏡を置き,天地の心を準平す。

群賢 邪人無く,朗鑒【ろうかん】 情深を窮む。

吾が君 南風を詠じ,袞冕【こんべん】鳴琴を彈ず。

時 泰にして 美士多く,京國 纓簪【えいしん】を會す。

 

山苗 澗底に落ち,幽松 高岑に出づ。

夫子 盛才有り,主司 球琳を得る。

流水 鄭曲に非ず,前行 知音に遇う。

衣工 綺繡を剪り,一誤 千金を傷む。

 

何ぞ惜まん 刀尺の餘,寒女の衾を裁せず。

我 彈冠の者に非ず,別に感じて 但だ襟を開く。

空谷に 白駒無し,賢人 豈に悲吟せんや。

大道 棄物を安じて,時來って或は招尋せる。

爾見よ 山吏部,當に應に陸沈無かるべし。

洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『送楊少府赴選』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送楊少府赴選

大國置衡鏡,準平天地心。

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

時泰多美士,京國會纓簪。

(下し文)
(
楊少府の選に赴くを送る)

大國 衡鏡を置き,天地の心を準平す。

群賢 邪人無く,朗鑒【ろうかん】 情深を窮む。

吾が君 南風を詠じ,袞冕【こんべん】鳴琴を彈ず。

時 泰にして 美士多く,京國 纓簪【えいしん】を會す。

(現代語訳)
(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。


(訳注)

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

楊少府 縣尉であった楊某。地方職官名。與縣丞同為古時縣令(或縣)的首要佐官吏

赴選 縣尉の職によく任えて、政績彰、顕著であることで、これを選んで、都に上らせ、他の職に栄遷させることをいう。・撰/選:人を選んで役職に就ける。

李白の足跡0000 

大國置衡鏡,準平天地心。

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

衡鏡 詮衡の職によって、その官に適うものはどしどし登庸する。北周庾信《代人乞致仕表》「出擁干旄, 入參衡鏡。」とある。鏡は「準平天地心」のことをいう。

 

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

朗鑒 明鏡。朗は明朗、鑒は鏡。晉の陸機《君子行》「朗鑒豈遠假, 取之在傾冠。」とあり、 晉の葛洪に《抱樸子嘉遯》「使夫承蘭風以傾柯, 擢清波以遣穢者, 若沈景之應朗鑒, 方圓之赴規矩。」

 

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

詠南風 《禮記,樂記》:「昔者舜作五弦之琴,以歌《南風》。」鄭玄注:「〈南風〉,長養之風。」孔穎達疏:「舜有孝行,故以此五弦之琴歌〈南風〉之詩而敎天下之孝也。」(昔者、舜五弦の琴を作し、以て《南風》を歌う。)鄭玄の注に(〈南風〉,“長養の風”。)孔穎達疏に(舜に孝行有り,故に以て此れ五弦の琴歌〈南風〉之の詩で天下の孝を敎う也。)

袞冕 袞衣(こんえ) 斧依と冕冠(べんかん)とからなる天子の礼服。天子の衣冠。袞冕十二章:古代から中国の皇帝(天子)が着用していた12種類の刺繍が記された礼服。

 

時泰多美士,京國會纓簪。

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。

纓簪 公卿に同じ。

208-#3 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#3》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#3> Ⅰ李白詩1442 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5758

李白《巻12-21 北山獨酌寄韋六   -#3これほどのことをどうして世の中の人は知ろうとしないのであろうか、名誉と利益を求めようとする気持ちばかり先に立ち、秩序なく動きまわるだけではないか、そんなことより君も、衣の塵を払って、ここに来て、一緒に、凊修を事としてはいかがだろうか。

 
 2015年3月28日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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208-#3 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#3》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#3> Ⅰ李白詩1442 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5758 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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50-§3-3 《上張僕射書-#8》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1355> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#10奉節-35-#10 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -10》 杜甫index-15 杜甫<907-10> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5755 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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208-#3 《巻12-21 北山獨酌寄韋六   -#3Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#3> Ⅰ李白詩1442 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5758

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七二                李太白集 巻12 21首目  文體:五言古詩

詩題:    北山獨酌寄韋六

作地點:              白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:              白兆山 (淮南道 安州 白兆山) 別名:北山      

交遊人物:韋六    書信往來 (京畿道 京兆府 長安)

 

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

道存跡自高,何憚去人近。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。

#2

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

谷間を入る崖は門とは、群岫に対して横に向って開いており、水は、山中の衆泉を遠くから集め引いて来て滝となって落ちて流れを穿っている。

屏高而在雲,竇深莫能準。

それから四面の靑嶂は屏風のように屹立して、その頂は、兀として雲を抜け、洞窟の深いものはとてもその奥を測ることはできないくらいである。

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

川の色は昼だというのに暗くて、太陽が動いても暗さは変わらない、森の木々の嵐気は夕べのような冷気がすごくて身に浸みる。

於焉摘朱果,兼得養玄牝。

ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。

#3

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

そして、名月の秋には、坐して仙書を讀み、霜を払って、琴柱を引き締めやがて糸を掻き鳴らす。

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

酒壺を傾けて、一人心静かに、また、酌み、そして月影を顧みて、またその尽きるに任せる。

念君風塵游,傲爾令自哂。

北山山中の幽居の趣きはおおよそこんなところで、君が今風塵にさまよい歩くのを思い、吾は既にその処を得ているので、傲然として、君がいまだに浮世に執着しているのを自然と笑ってしまうのである。

安知世上人,名利空蠢蠢。【案:一本此下有以下二句:安知世上人,名利空蠢蠢。】

これほどのことをどうして世の中の人は知ろうとしないのであろうか、名誉と利益を求めようとする気持ちばかり先に立ち、秩序なく動きまわるだけではないか、そんなことより君も、衣の塵を払って、ここに来て、一緒に、凊修を事としてはいかがだろうか。

 

(北山に獨酌し韋六に寄す)

巢父 將許由と,未だ聞かず 山を買うて隱るるを。

道 存すれば 跡 自ら高し,何ぞ憚らん 人を去ろこと 近きを。

紛として 吾 茲の嶺を下る,地閒にして 喧の亦た 泯【ほろ】ぶ。

 

門は群岫に橫って開き,水は眾泉を鑿って引く。

屏 高くして 雲に在り,竇 深くして能く準ずる莫し。

川光 晝 昏凝【こんぎょう】,林氣 夕べに淒緊【せいきん】。

於焉【ここ】に朱果を摘み,兼ねて 玄牝を養うを得たり。

 

月に坐して寶書を觀,拂霜をうて瑤軫【ようしん】を弄す。

壺を傾けて 幽酌を事とし,影を顧りみて還た獨り盡く。

君が風塵の游ぶを念えば,傲爾【ごうじ】として自ら哂わ令む。

安ぞ知らん 世の上人,名利 空しく蠢蠢【しゅんしゅん】。

 

 

『北山獨酌寄韋六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》
#3

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

念君風塵游,傲爾令自哂。

安知世上人,名利空蠢蠢。

(下し文)
月に坐して寶書を觀,拂霜をうて瑤軫【ようしん】を弄す。

壺を傾けて 幽酌を事とし,影を顧りみて還た獨り盡く。

君が風塵の游ぶを念えば,傲爾【ごうじ】として自ら哂わ令む。

安ぞ知らん 世の上人,名利 空しく蠢蠢【しゅんしゅん】。


(現代語訳)
そして、名月の秋には、坐して仙書を讀み、霜を払って、琴柱を引き締めやがて糸を掻き鳴らす。

酒壺を傾けて、一人心静かに、また、酌み、そして月影を顧みて、またその尽きるに任せる。

北山山中の幽居の趣きはおおよそこんなところで、君が今風塵にさまよい歩くのを思い、吾は既にその処を得ているので、傲然として、君がいまだに浮世に執着しているのを自然と笑ってしまうのである。

これほどのことをどうして世の中の人は知ろうとしないのであろうか、名誉と利益を求めようとする気持ちばかり先に立ち、秩序なく動きまわるだけではないか、そんなことより君も、衣の塵を払って、ここに来て、一緒に、凊修を事としてはいかがだろうか。


(訳注) #3

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

 

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

そして、名月の秋には、坐して仙書を讀み、霜を払って、琴柱を引き締めやがて糸を掻き鳴らす。

寶書 歴史書。寶は保の意で、世々、傳えていくべき戒めと為すべきものである貴重な書籍。天子が収集された書籍。道学傳「夏禹撰眞靈之玄要,集天官之寶書。」(夏禹は眞靈の玄要を撰し、天官の寶書を集む。)とあり、寶書は眞經であるとされる。ここでは道教に関する書籍、仙書。

瑤軫 軫は琴柱に弦の枕を言い、絃を張り調音することをいう。《魏書、樂志》「以軫調聲」に基づく。

 

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

酒壺を傾けて、一人心静かに、また、酌み、そして月影を顧みて、またその尽きるに任せる。

幽酌 杯を傾けるが風流を愛で、静かに、また酌むというほどの意。

 

念君風塵游,傲爾令自哂。

北山山中の幽居の趣きはおおよそこんなところで、君が今風塵にさまよい歩くのを思い、吾は既にその処を得ているので、傲然として、君がいまだに浮世に執着しているのを自然と笑ってしまうのである。

 

安知世上人,名利空蠢蠢。

これほどのことをどうして世の中の人は知ろうとしないのであろうか、名誉と利益を求めようとする気持ちばかり先に立ち、秩序なく動きまわるだけではないか、そんなことより君も、衣の塵を払って、ここに来て、一緒に、凊修を事としてはいかがだろうか。

世上  世の中。世間。 -の風聞」 -取りざたされているうわさ」 まわりの世界。あたり。近辺。

名利【みょうり】名誉と利益。また、それを求めようとする気持ち。

蠢蠢【しゅんしゅん】とは。意味や解説、類語。[ト・タル][文][形動タリ]1 虫などがうごめくさま。「―として御玉杓子(おたまじゃくし)の如く動いて居たものは」〈漱石・趣味の遺伝〉2 おろかで無知なさま。また、そうした人が秩序なく動きまわるさま。

208-#2 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#2》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#2> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753

李白《巻12-21 北山獨酌寄韋六   -#2ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。

 

 

 
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208-#2 《巻12-21 北山獨酌寄韋六   -#2Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#2> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七二                李太白集 巻12 21首目  文體:五言古詩

詩題:    北山獨酌寄韋六

作地點:              白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:              白兆山 (淮南道 安州 白兆山) 別名:北山      

交遊人物:韋六    書信往來 (京畿道 京兆府 長安)

 

 

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

道存跡自高,何憚去人近。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。

#2

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

谷間を入る崖は門とは、群岫に対して横に向って開いており、水は、山中の衆泉を遠くから集め引いて来て滝となって落ちて流れを穿っている。

屏高而在雲,竇深莫能準。

それから四面の靑嶂は屏風のように屹立して、その頂は、兀として雲を抜け、洞窟の深いものはとてもその奥を測ることはできないくらいである。

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

川の色は昼だというのに暗くて、太陽が動いても暗さは変わらない、森の木々の嵐気は夕べのような冷気がすごくて身に浸みる。

於焉摘朱果,兼得養玄牝。

ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。

#3

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

念君風塵游,傲爾令自哂。

安知世上人,名利空蠢蠢。【案:一本此下有以下二句:安知世上人,名利空蠢蠢。】

 

(北山に獨酌し韋六に寄す)

巢父 將許由と,未だ聞かず 山を買うて隱るるを。

道 存すれば 跡 自ら高し,何ぞ憚らん 人を去ろこと 近きを。

紛として 吾 茲の嶺を下る,地閒にして 喧の亦た 泯【ほろ】ぶ。

 

門は群岫に橫って開き,水は眾泉を鑿って引く。

屏 高くして 雲に在り,竇 深くして能く準ずる莫し。

川光 晝 昏凝【こんぎょう】,林氣 夕べに淒緊【せいきん】。

於焉【ここ】に朱果を摘み,兼ねて 玄牝を養うを得たり。

 

月に坐して寶書を觀,拂霜をうて瑤軫【ようしん】を弄す。

壺を傾けて 幽酌を事とし,影を顧りみて還た獨り盡く。

君が風塵の游ぶを念えば,傲爾【ごうじ】として自ら哂わ令む。

安ぞ知らん 世の上人,名利 空しく蠢蠢【しゅんしゅん】。

 

李白の足跡0000 

『北山獨酌寄韋六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#2

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

屏高而在雲,竇深莫能準。

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

於焉摘朱果,兼得養玄牝。


(下し文)
門は群岫に橫って開き,水は泉を鑿って引く。

屏 高くして 雲に在り,竇 深くして能く準ずる莫し。

川光 晝 昏凝【こんぎょう】,林氣 夕べに淒緊【せいきん】。

於焉【ここ】に朱果を摘み,兼ねて 玄牝を養うを得たり。

(現代語訳)
谷間を入る崖は門とは、群岫に対して横に向って開いており、水は、山中の衆泉を遠くから集め引いて来て滝となって落ちて流れを穿っている。

それから四面の靑嶂は屏風のように屹立して、その頂は、兀として雲を抜け、洞窟の深いものはとてもその奥を測ることはできないくらいである。

川の色は昼だというのに暗くて、太陽が動いても暗さは変わらない、森の木々の嵐気は夕べのような冷気がすごくて身に浸みる。

ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。



(訳注)  #2

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

 

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

谷間を入る崖は門とは、群岫に対して横に向って開いており、水は、山中の衆泉を遠くから集め引いて来て滝となって落ちて流れを穿っている。

群岫 岫は山穴で、山に洞窟がたくさんある。

 

屏高而在雲,竇深莫能準。

それから四面の靑嶂は屏風のように屹立して、その頂は、兀として雲を抜け、洞窟の深いものはとてもその奥を測ることはできないくらいである。

 

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

川の色は昼だというのに暗くて、太陽が動いても暗さは変わらない、森の木々の嵐気は夕べのような冷気がすごくて身に浸みる。

 

於焉摘朱果,兼得養玄牝。

ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。

朱果 果物の中で朱色のもの、熟したもの。

玄牝 老子はこれを玄牝:“神秘なる母性”と呼んでいる。老子の『道徳経』第6章。「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。」(谷神は死せず。これを玄牝と謂う。玄牝の門、これを天地の根と謂う。緜緜として存する若く、これを用いて勤【つ】きず。)万物を生み出す谷間の神は、とめどなく生み出して死ぬ事は無い。これを私は「玄牝(げんぴん) 神秘なる母性」と呼ぶ。この玄牝は天地万物を生み出す門である。その存在はぼんやりとはっきりとしないようでありながら、その働きは尽きる事は無い。(大河の源流にある谷神は、とめどなく生命を生み出しながらも絶えることはない。谷神同様、女性(器)もまた、万物を生み出す源であり、その働きは尽きることがない。)
洛陽 函谷関 嵩山005 

208-#1 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#1》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#1> Ⅰ李白詩1440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5748

李白《巻12-21 北山獨酌寄韋六》(嵩山の北山において独酌しつつ、道士の韋六というものに寄せた詩)巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。


 
 2015年3月26日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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208-#1 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#1》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#1> Ⅰ李白詩1440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5748 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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50-§3-1 《上張僕射書》-#6韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1353> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#9奉節-35-#9 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -9》 杜甫index-15 杜甫<907-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5750 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》三巻10-〈110〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5752 
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208-#1 《巻12-21 北山獨酌寄韋六   -#1Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#1> Ⅰ李白詩1440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5748

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七二                李太白集 巻12 21首目  文體:五言古詩

詩題:    北山獨酌寄韋六

作地點:              白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:              白兆山 (淮南道 安州 白兆山) 別名:北山      

交遊人物:韋六    書信往來 (京畿道 京兆府 長安)

 

 

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

道存跡自高,何憚去人近。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。

#2

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

屏高而在雲,竇深莫能準。

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

於焉摘朱果,兼得養玄牝。

#3

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

念君風塵游,傲爾令自哂。

安知世上人,名利空蠢蠢。【案:一本此下有以下二句:安知世上人,名利空蠢蠢。】

 

(北山に獨酌し韋六に寄す)

巢父 將許由と,未だ聞かず 山を買うて隱るるを。

道 存すれば 跡 自ら高し,何ぞ憚らん 人を去ろこと 近きを。

紛として 吾 茲の嶺を下る,地閒にして 喧の亦た 泯【ほろ】ぶ。

 

門は群岫に橫って開き,水は眾泉を鑿って引く。

屏 高くして 雲に在り,竇 深くして能く準ずる莫し。

川光 晝 昏凝【こんぎょう】,林氣 夕べに淒緊【せいきん】。

於焉【ここ】に朱果を摘み,兼ねて 玄牝を養うを得たり。

月に坐して寶書を觀,拂霜をうて瑤軫【ようしん】を弄す。

壺を傾けて 幽酌を事とし,影を顧りみて還た獨り盡く。

君が風塵の游ぶを念えば,傲爾【ごうじ】として自ら哂わ令む。

李白の足跡0000 

『北山獨酌寄韋六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

巢父將許由,未聞買山隱。

道存跡自高,何憚去人近。

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。



(下し文)
北山に獨酌し韋六に寄す
巢父 將許由と,未だ聞かず 山を買うて隱るるを。

道 存すれば 跡 自ら高し,何ぞ憚らん 人を去ろこと 近きを。

紛として 吾 茲の嶺を下る,地閒にして 喧の亦た 泯【ほろ】ぶ。


(現代語訳)
(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。



(訳注)

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

 

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

巢父・許由 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

買山 もっぱら山を使い、自分の為だけのために支配するために購入する。《世新語/排調》「支道林因人就深公買印山,深公答曰:「未聞巢、由買山而隱。」(支道林 因て人 深公に就いて印山を買う,深公 答えて曰く:「未だ巢、由の山を買うて而隱るるを聞かず。」)

 

道存跡自高,何憚去人近。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

去人近 人間を去ること近くとは、大隠は市中に棲むということをいう。

 

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。

喧亦泯 世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。
洛陽 函谷関 嵩山005 

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年:733年開元二十一年33

卷別:  卷一七二          李太白集巻12 文體:        五言古詩

詩題:  安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰【春歸桃花巖貽許侍御】

作地點:        白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:        白兆山 (淮南道 安州白兆山) 別名:北山   

桃花巖 (淮南道 安州 安陸)       

羅浮山 (嶺南道東部 無第二級行政層級羅浮山)     

交遊人物:劉綰  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 #1

(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

雲臥三十年,好閒復愛仙。

われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。
蓬壺雖冥鸞鶴心悠然。

蓬萊山は杳冥の際にありと雖も、悠悠として鸞鶴に驂せんとする志は依然として残っている。

のような心はゆったりとしています。
【幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

歸來桃花巖,得憩雲窗眠。

こうして、今回、再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖下に帰ってきて棲み、雲窓のもとに休息することとなった。
對嶺人共語,飲潭猿相連。

山中には屋舎もとより稀であるため、山嶺をへだてて人とともに語り合い、猿は、潭水を飲むために、手を取り合って下って来るのである。
時昇翠微上,邈若羅浮

それから、時には、翠微の上に登れば、邈として、羅浮山の絶巓のような気がする。
#2

兩岑抱東壑,一嶂橫西天。

その山を形成している、二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような一嶂は西の空に横たわっている。

樹雜日易隱,崖傾月難圓。【崖傾月難延】

もとより、樹々紛雜に茂り合って日陰になりやすく、崖壁は急傾斜で危険そのもの、ここに登る 満月もその形が丸くなり難く見えにくい。

芳草換野色,飛蘿搖春煙。

そして、芳草は、ほのかにかおりをはなちつつ、野色を変化させてゆく、なびく飛蘿は木々にはびこり、まるで春霞のようはゆらめいている。

入遠構石室,選幽開上田。

遠く山中に石室をかまえ、分け入って、幽遂の場所を選んで高いところに山田をひらいた。

獨此林下意,杳無區中緣。

こうして、ひとり山中桃花巖の奥深くわけいって林下に、読書室で楽しむ気持ちであり、世間との縁は杳然として絶無というということになってしまったということだ。

永辭霜臺客,千載方來旋。

私は、霜臺にときめく劉綰侍御史の客分となり、そして一時辞しておりましたが、千載の一時として、今ようやくこの地に帰って来たのでご報告します。

 

(安陸の白兆山桃花巌にて劉侍御綰に寄す)
雲臥すること三十年、閑を好み復()た仙を愛す。
蓬壷【ほうこ】  冥絶すと雖も、鸞鳳  心 悠然。
帰り来る桃花巌【とうかがん】 、雲窻【うんそう】に憩うて眠るを得たり。
嶺に対して人は共に語り、潭に飲んで猿 相い連なる。
時に翠微【すいび】の上に昇れば、邈【ばく】として羅浮【ふら】の巓【いただき】の若し。
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両岑 東壑【とうがく】を抱き、一嶂 西天を横たう。
樹 雑にして 日 隠れ易く、崖 傾いて 月 円【まどか】なり難し。
芳草 野色を換え、飛蘿【ひら】 春煙を揺るがす。
遠きに入りて石室を構え、 幽きを選んで 山田【さんでん】を開く。
獨 此の林下の意、杳【よう】として区中【くちゅう】の縁無し。
永く霜台の客を辞し、千載【せんざい】 方【まさ】に来り 旋【かえ】らん。

 

華山道教

『安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

兩岑抱東壑,一嶂橫西天。

樹雜日易隱,崖傾月難圓。【崖傾月難延】

芳草換野色,飛蘿搖春煙。

入遠構石室,選幽開上田。

獨此林下意,杳無區中緣。

永辭霜臺客,千載方來旋。


(下し文)
両岑 東壑【とうがく】を抱き、一嶂 西天を横たう。

樹 雑にして 日 隠れ易く、崖 傾いて 月 円【まどか】なり難し。

芳草 野色を換え、飛蘿【ひら】 春煙を揺るがす。

遠きに入りて石室を構え、 幽きを選んで 山田【さんでん】を開く。

獨 此の林下の意、杳【よう】として区中【くちゅう】の縁無し。

永く霜台の客を辞し、千載【せんざい】 方【まさ】に来り 旋【かえ】らん。

(現代語訳)
その山を形成している、二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような一嶂は西の空に横たわっている。

もとより、樹々紛雜に茂り合って日陰になりやすく、崖壁は急傾斜で危険そのもの、ここに登る 満月もその形が丸くなり難く見えにくい。

そして、芳草は、ほのかにかおりをはなちつつ、野色を変化させてゆく、なびく飛蘿は木々にはびこり、まるで春霞のようはゆらめいている。

遠く山中に石室をかまえ、分け入って、幽遂の場所を選んで高いところに山田をひらいた。

こうして、ひとり山中桃花巖の奥深くわけいって林下に、読書室で楽しむ気持ちであり、世間との縁は杳然として絶無というということになってしまったということだ。

私は、霜臺にときめく劉綰侍御史の客分となり、そして一時辞しておりましたが、千載の一時として、今ようやくこの地に帰って来たのでご報告します。


安陸・南陽・嚢陽 李白00
(訳注) #2

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 

(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

白兆山 淮南道 安州 白兆山) 別名:北山 安陸縣西30里に在る。一統志「伯兆山は徳安府城の西30里に在り、下に桃花巖、及び李白の読書室あり。」とある。別のテクストには733年開元二十一年春、桃花巖に帰って許侍御に貽るとある。

【起六句:幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

 

兩岑抱東壑,一嶂橫西天。

その山を形成している、二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような一嶂は西の空に横たわっている。

○兩岑 二つの先のとがった山。 爾雅. 釋山第十一「河南華,河西嶽,河東岱,河北恒,江南衡。」「山小而高,岑。」

○壑 がく 谷間。あな。いわや。抱く東と横わる西が対句になる。

○一嶂 高く嶮しい山。屏風、障子のようにそばだった峰。

 

樹雜日易隱,崖傾月難圓。【崖傾月難延】

もとより、樹々紛雜に茂り合って日陰になりやすく、崖壁は急傾斜で危険そのもの、ここに登る 満月もその形が丸くなり難く見えにくい。

 

芳草換野色,飛蘿搖春煙。

そして、芳草は、ほのかにかおりをはなちつつ、野色を変化させてゆく、なびく飛蘿は木々にはびこり、まるで春霞のようはゆらめいている。

○飛蘿 サネカズラ(実葛、学名: Kadsura japonica)はマツブサ科サネカズラ属の常緑つる性木本。ふつう雌雄異株で、8月頃開く花は径1cmほど、10枚前後の白い花被に包まれ、中央におしべ、めしべがそれぞれ多数らせん状に集まる。雌花の花床は結実とともにふくらみ、キイチゴを大きくしたような真っ赤な丸い集合果をつくる。花は葉の陰に咲くが、果実の柄は伸びて7cmになることもあり、より目につくようになる。単果は径1cmほどで、全体では5cmほどになる。果実は個々に落ちて、あとにはやはり真っ赤なふくらんだ花床が残り、冬までよく目立つ。

 

入遠構石室,選幽開上田。

遠く山中に石室をかまえ、分け入って、幽遂の場所を選んで高いところに山田をひらいた。

 

獨此林下意,杳無區中緣。

こうして、ひとり山中桃花巖の奥深くわけいって林下に、読書室で楽しむ気持ちであり、世間との縁は杳然として絶無というということになってしまったということだ。

○杳 杳然。 くらい。はるかな。はっきりしない。 ここは悦楽を示唆する。

 

永辭霜臺客,千載方來旋。

私は、霜臺にときめく劉綰侍御史の客分となり、そして一時辞しておりましたが、千載の一時として、今ようやくこの地に帰って来たのでご報告します。
李白の足跡0000 

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207-#1 《(改訂版) 巻12-1 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰  -#1》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <207-#1> Ⅰ李白詩1438 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5738

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:  卷一七二          李太白集巻12 文體:        五言古詩

詩題:  安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰【春歸桃花巖貽許侍御】

作地點:        白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:        白兆山 (淮南道 安州白兆山) 別名:北山   

桃花巖 (淮南道 安州 安陸)       

羅浮山 (嶺南道東部 無第二級行政層級羅浮山)     

交遊人物:劉綰  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 #1

(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

雲臥三十年,好閒復愛仙。

われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。
蓬壺雖冥鸞鶴心悠然。

蓬萊山は杳冥の際にありと雖も、悠悠として鸞鶴に驂せんとする志は依然として残っている。

のような心はゆったりとしています。
【幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

歸來桃花巖,得憩雲窗眠。

こうして、今回、再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖下に帰ってきて棲み、雲窓のもとに休息することとなった。
對嶺人共語,飲潭猿相連。

山中には屋舎もとより稀であるため、山嶺をへだてて人とともに語り合い、猿は、潭水を飲むために、手を取り合って下って来るのである。
時昇翠微上,邈若羅浮

それから、時には、翠微の上に登れば、邈として、羅浮山の絶巓のような気がする。
#2

兩岑抱東壑,一嶂橫西天。

樹雜日易隱,崖傾月難圓。【崖傾月難延】

芳草換野色,飛蘿搖春煙。

入遠構石室,選幽開上田。

獨此林下意,杳無區中緣。

永辭霜臺客,千載方來旋。

 

(安陸の白兆山桃花巌にて劉侍御綰に寄す)
雲臥すること三十年、閑を好み復()た仙を愛す。
蓬壷【ほうこ】  冥絶すと雖も、鸞鳳  心 悠然。
帰り来る桃花巌【とうかがん】 、雲窻【うんそう】に憩うて眠るを得たり。
嶺に対して人は共に語り、潭に飲んで猿 相い連なる。
時に翠微【すいび】の上に昇れば、邈【ばく】として羅浮【ふら】の巓【いただき】の若し。
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両岑 東壑【とうがく】を抱き、一嶂 西天を横たう。
樹 雑にして 日 隠れ易く、崖 傾いて 月 円【まどか】なり難し。
芳草 野色を換え、飛蘿【ひら】 春煙を揺るがす。
遠きに入りて石室を構え、 幽きを選んで 山田【さんでん】を開く。
獨 此の林下の意、杳【よう】として区中【くちゅう】の縁無し。
永く霜台の客を辞し、千載【せんざい】 方【まさ】に来り 旋【かえ】らん。

李白の足跡0000 

 

『安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 #1

雲臥三十年,好閒復愛仙。

蓬壺雖冥鸞鶴心悠然。

【幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

歸來桃花巖,得憩雲窗眠。

對嶺人共語,飲潭猿相連。

時昇翠微上,邈若羅浮


(下し文)

(安陸の白兆山桃花巌にて劉侍御綰に寄す)

雲臥すること三十年、閑を好み復()た仙を愛す。

蓬壷【ほうこ】  冥絶すと雖も、鸞鳳  心 悠然。

帰り来る桃花巌【とうかがん】 、雲窻【うんそう】に憩うて眠るを得たり。

嶺に対して人は共に語り、潭に飲んで猿 相い連なる。

時に翠微【すいび】の上に昇れば、邈【ばく】として羅浮【ふら】の巓【いただき】の若し。


(現代語訳)
(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。
蓬萊山は杳冥の際にありと雖も、悠悠として鸞鶴に驂せんとする志は依然として残っている。

のような心はゆったりとしています。
こうして、今回、再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖下に帰ってきて棲み、雲窓のもとに休息することとなった。
山中には屋舎もとより稀であるため、山嶺をへだてて人とともに語り合い、猿は、潭水を飲むために、手を取り合って下って来るのである。
それから、時には、翠微の上に登れば、邈として、羅浮山の絶巓のような気がする。

安陸・南陽・嚢陽 李白00
(訳注)

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 #1

(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

白兆山 淮南道 安州 白兆山) 別名:北山 安陸縣西30里に在る。一統志「伯兆山は徳安府城の西30里に在り、下に桃花巖、及び李白の読書室あり。」とある。別のテクストには733年開元二十一年春、桃花巖に帰って許侍御に貽るとある。

【起六句:幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

 

雲臥三十年,好閒復愛仙。

われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。
○雲臥 道家が山中に入って隠遁する。自然に同化し、白雲に臥す。

○愛仙 道教の神仙の道

 

蓬壺雖冥鸞鶴心悠然。

蓬萊山は杳冥の際にありと雖も、悠悠として鸞鶴に驂せんとする志は依然として残っている。

のような心はゆったりとしています。
○蓬壺 蓬莱山とおなじ。中国東方の海中にあって、不老不死の仙人が住むところ。 

古風,五十九首之四十八

秦皇按寶劍,赫怒震威神。

逐日巡海右,驅石駕滄津。

徵卒空九宇,作橋傷萬人。

但求蓬島藥,豈思農雇春。

力盡功不贍,千載為悲辛。

48 《古風五十九首之四十八》Index-26-1 747年天寶六年47467古風,五十九首之四十八秦皇按寶劍, <48> Ⅰ李白詩1211 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4603

○冥 果てしなく遠いさま。手の届かない存在。 

○鸞鶴 想像上の鳥。天子の乗る御車。 

○悠然 ゆったりとしたさま。

 

歸來桃花巖,得憩雲窗眠。

こうして、今回、再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖下に帰ってきて棲み、雲窓のもとに休息することとなった。
桃花巖 (淮南道安州 安陸)山巖名。 現在の湖北省安陸縣, 李白が讀書をした處。

 

對嶺人共語,飲潭猿相連。

山中には屋舎もとより稀であるため、山嶺をへだてて人とともに語り合い、猿は、潭水を飲むために、手を取り合って下って来るのである。
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時昇翠微上,邈若羅浮

それから、時には、翠微の上に登れば、邈として、羅浮山の絶巓のような気がする。
○昇 のぼる。成熟する。

○翠微 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。

○邈 ばく はるか、はなれる。もだえる。 

羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。
李白『江西送友人之羅浮
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
中閥道萬里、霞月逼相思。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
李白『金陵江上遇蓬池隱者』
心愛名山游、身隨名山遠。 
羅浮麻姑台、此去或未返。
初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155
初發石首城

「游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。」游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。

 てん 山頂。ものの上側。おちる。

206 《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733

李白《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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206 (改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    春夜洛城聞笛

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:             

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

 

 

春夜洛城聞笛

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。

誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

 

(春夜 洛城に 笛を聞く) 
誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に 入って 洛城に 滿つ。
此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん

touRAKUYOjou1000 

 

『春夜洛城聞笛』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。

此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。


(下し文)
(春夜 洛城に 笛を聞く) 

誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に入って 洛城に 滿つ。

此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん。

(現代語訳)

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。


(訳注)

七言絶句 春夜洛城聞笛

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
同様のモチーフのものに、王翰の『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」や、王昌齢 『出塞』「秦時明月漢時關、萬里長征人未還。但使龍城飛將在、不敎胡馬渡陰山。」がある。漢文委員会総合サイト漢文委員会 漢詩総合サイト 辺塞/塞下/塞上/涼州にある。

洛陽 函谷関 嵩山005漢魏隋唐の洛陽城 

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
・誰家:どこ。だれ。 *かならずしも「だれの家」と、住処を尋ねていない。 

・玉笛:宝玉でできた笛。立派な笛。 ・暗:暗闇に。宵闇に。或いは、密やかに。 

・飛聲:笛の音を飛ばす。笛の音を流す。 ・聲:ひびき。おと。ふし。

・散入:散らばって(春風に)乗って。 

・洛城:洛陽城。東都洛陽の都。洛陽の街。 

・城:都市。城市。都会。街。

 

此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

・曲中:玉笛の聲裏ということ。 

・折柳:折楊柳のこと。横吹曲の一。別れの情をうたった曲名。別離の折り、水の畔まで見送り、柳の枝を折って贈った故事に基づくもの。前出、『涼州詞』「夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」の影響を受けていよう。

・何人不起:誰が起こさないだろうか。いや、起こす。(反語反問の気勢の語形。) ・何人:〔なんびと〕誰。 ・不起:起こさない。 

・故園情:故郷を思う気持ち。郷愁。・故園:故郷。 ・情:想い。
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春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

(春夜 洛城に 笛を聞く) 
誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に 入って 洛城に 滿つ。
此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん

 

 

李白 32歳 

 

杜甫 《秋笛》

清商欲盡奏,奏苦血沾衣。

他日傷心極,徵人白骨歸。

相逢恐恨過,故作發聲微。

不見秋雲動,悲風稍稍飛。

(秋笛)

清商 奏を盡さんと欲す,奏苦して血 衣を沾す。

他日 傷心 極り,徵人 白骨 歸る。

相逢いて恨過を恐れ,故に聲微を發するを作す。

秋雲の動きを見えず,悲風 稍稍として飛ぶ。

秦州抒情詩(19) 秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

 

 

杜甫 《1712 吹笛》

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

 

(吹笛)

笛を吹く秋山の風月の清きに,誰が家か 巧に斷腸の聲を作す。

風は律呂を飄して相い和すること切に,月は關山に傍うて幾處か 明なる。

胡騎 中宵に北走するに堪へたり,武陵 一曲 南征を想う。

故園の楊柳は 今 搖落す,何ぞ 愁中に 曲 盡く生ずることを得んや。

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李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。

 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」

 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。
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李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:  卷一八四  李太白集 巻24 1首目     文體:  五言古詩

詩題:  題隨州紫陽先生壁

作地點:        隨州(山南東道 / 隨州 / 隨州)

及地點:隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物:胡紫陽 →當地交遊(山南東道隨州 隨州)

 

 

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

松雪窗外曉,池水階下明。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

終願惠金液,提攜凌太清。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

 

(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

 

樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。

 

李白の足跡0000 

『題隨州紫陽先生壁』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

松雪窗外曉,池水階下明。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

終願惠金液,提攜凌太清。


(下し文)
樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。


(現代語訳)
先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

 


(訳注)

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

蓬海 滄海の蓬莱山。神仙三山の一つ。

玉京 天上の仙郷、白玉京のこと。一統志「玉京洞在赤城山、道書十大洞天之第六、晉許邁嘗居此、與王羲之書雲、自山陰至臨海、多有金庭玉堂仙人芝草。謂此、庾信詩玉京傳相鶴、太乙授飛龜.(玉京洞は赤城山に在り、道書十大洞天の第六、晉の許邁 嘗て此に居る、王羲に與うるの書に雲う、山陰より臨海に至り、多く金庭玉堂仙人芝草有り。此を謂う、庾信の詩「玉京 相鶴を傳え、太乙 飛龜を授く.

 

松雪窗外曉,池水階下明。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

 

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

笙歌樂 天上の音楽。鶴に乗って昇天する。笙に合わせて歌うこと。また、その歌。周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。

軒冕 1 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。2 高位高官。また、その人。

 

終願惠金液,提攜凌太清。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

金液 中国古代の神仙思想より発展した道教の長生術の一部をなす。広義の煉丹術は外丹と内丹に分かれるが、学術的文脈においては煉丹術といえば一般に「外丹」のほうを指す。外丹においては丹砂(硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などと称される丹薬や、金を液状にした「金液」が服用された。このようなものは実際のところ人体に有害であり[1][2]、唐の皇帝が何人も丹薬の害によって命を落としたことが『旧唐書』『新唐書』に記されている[3]。事実として実際に煉丹に成功したことがあったか否かは定かではないが、外丹術は不老不死の薬を作るという本来の目的では完全な失敗に終わった。このため、不老長生のために外的な物質を求める外丹術の代わりに、不老不死の素となるものを体内に求める思想が興り、これが内丹の考えにつながっていく[4]。その一方で外丹術は中国の医薬学・本草学の発展に寄与し、間接的には中国の化学技術の発展にも貢献した(たとえば火薬の発明は煉丹術の副産物とされる)[5]

太清 道教における天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

 

 

 

 

漢東紫陽先生碑銘

 

  嗚呼紫陽,竟夭其志以默化,不昭然白日而升九天乎!或將潛賓皇王,非世所測,□□□□□□□□□□□挺列仙明拔之英姿,明堂平白,長耳廣顙,揮手振骨,百關有聲,殊毛秀采,居然逸異,□□□□□□□□□□而直達。何龜鶴早世,蟪蛄延秋,元命乎,遭命乎!予長息三日,懵于變化之理。

 

  先生姓胡氏□□□□□□族也。代業黃老,門清儒素,皆龍世網,鴻冥高云。但貴天爵,何征閥始八經仙城山,□□□□□□□□□□□有清都紫微之遐想。出家,十二休糧,二十游衡山,云游洞府,水涉冥壑。神王□□□□□□□□如為威儀及天下采經使,因遇諸真人受赤丹陽精,石景水母,故常吸飛根,吞日魂,密而修之,□□□□□□所居苦竹院,置餐霞之樓,手植雙桂,棲遲其下。聞金陵之墟,道始盛于三茅,波乎四許,華陽□□□□□□□陶隱居傳升元子,升元子傳體元,體元傳貞一先生,貞一先生傳天師李含光,李含光合契乎紫陽。□□□□□于神家之里,南抵朱陵,北越白水,稟訓門下者三千余人。鄰近牧守,移風門道,忽遇先生之宴坐,□□□□□隱機雁行而前。為時見重,多此類也。

 

  天寶初,威儀元丹丘道門龍鳳,厚禮致屈,傳于嵩山。東京大唐□□宮,三請固辭偃臥未幾而詔書下現,不得已而行。入宮一革軌儀,大變都邑,然海鳥愁臧文之享,猿狙裂周公之衣,志往跡留,稱疾辭帝。克期離闕,臨別自祭。其文曰:神將厭予,予非厭世。乃顧命侄道士胡齊物具平輿,歸骨舊土。王公卿士,送及龍門,入葉縣,次王喬之祠,目若有睹,泊然而化,天香引道,尸輕空衣。及本郡太守裴公以幡花郊迎,舉郭雷動,□□□□開顏如生,觀者日萬,群議駭俗。至其年十月二十三日,葬于郭東之新松山,春秋六十有二。

 

  先生含弘光大,不修小節,書不盡妙。郁有崩云之勢;文非夙工,時動雕龍之作。存也宇宙而無光,歿也浪化而蟬蛻,豈□□□□□□□□乎!有僧貞倩雅仗才氣,請予為銘。予與紫陽神交,餐素論,十得其九。弟子元丹丘等咸思鸞鳳之羽儀,想珠玉之云氣。灑掃松月,載揚仙風。篆石頌德,與茲山不朽。其詞曰:

 

  賢哉仙士,六十而化。光光紫陽,善與時而為龍蛇,固亦以生死為晝夜。有力者挈之而趨。劫運落,終歸于無。惟元神不滅,湛然清都。延陵既沒,仲尼嗚呼。青青松柏,離離山隅。篆石頌德,名揚八區。

李白 32歳 

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205 -#1 《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#1 (神農好長生)Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <205 -#1> Ⅰ李白詩1435 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5723

 

 

李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。

 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」

 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。
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李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:  卷一八四  李太白集 巻24 1首目     文體:  五言古詩

詩題:  題隨州紫陽先生壁

作地點:        隨州(山南東道 / 隨州 / 隨州)

及地點:隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物:胡紫陽 →當地交遊(山南東道隨州 隨州)

 

 

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

松雪窗外曉,池水階下明。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

終願惠金液,提攜凌太清。

 

(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

 

樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。

巫山十二峰002 

 

『題隨州紫陽先生壁』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

題隨州紫陽先生壁

神農好長生,風俗久已成。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

道與古仙合,心將元化并。



(下し文)
(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

(現代語訳)
(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

李白の足跡0000
(訳注)

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

 

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

神農 古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。諸人に医療と農耕の術を教えたという。中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。

 

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

紫陽客・丹臺 《藝文類聚》卷七十八《真人周君傳》:紫陽真人周義山,字委通,汝陰人也。聞有欒先生,得道在蒙山,能讀龍嶠經,乃追尋之。入蒙山,遇羨門子,乘白鹿,執羽蓋,佩青毛之節,侍從十餘玉女。君乃再拜叩頭,乞長生要訣。羨門子曰:「子名在丹臺玉室之中,何憂不仙?遠越江河來,登此何索?」とある。

 

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

喘息 粗気は喘息、息喘。その気息。「喘息之閒」喘息の短い一回の呼吸をする間位の短い間。わずかの間。須臾。瞬間。《詩経、小雅、四牡、嘽嘽駱馬、傳》「嘽嘽、喘息之貌、馬勞則喘息。」

妙氣 霊妙なる気。

步虛吟真聲 虚空を歩しては真聲を以て吟詠する。

 

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

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年:732年開元二十年32

卷別:卷一七九   李太白集 巻19 2首目  文體:      五言古詩

詩題:遊南陽清泠泉

作地點:        豐山(山南東道 / 鄧州 / 豐山)

及地點:清冷泉 (山南東道 鄧州 豐山)      

 

 

遊南陽白水登石激作

朝涉白水源,暫與人俗疏。

島嶼佳境色,江天涵清虛。

目送去海雲,心閒遊川魚。

長歌盡落日,乘月歸田廬。

(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)

その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

川中の島嶼は景色が特別に良いのである、そして、そこには、水天一色、廣く澄みわたっているのである

その海上に向かって飛んでゆく雲を目で追って行くと、その時の心は、川水中の遊魚のような感じで、清閒である。

こうして、長歌して、その日の夕日が沈み尽くすまでそこに留まり、やがて月に乗じて、田間の庵に帰ってきた。

 (遊南陽の白水にび 石激に登って作る)

朝に白水の源を涉り,暫く人俗と疏なり。

島嶼 境色佳なり,江天 清虛を涵【ひた】す。

目は送る 海に去る雲を,心は閒なる 川に遊ぶ魚に。

長歌 落日まで盡くし,月に乘じて 田廬に歸る。

 

(改訂版) 巻19-2遊南陽清泠泉 (惜彼落日暮)

遊南陽清泠泉
(南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉で遊んだ時に作った詩)

惜彼落日暮、愛此寒泉清。
あの故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でて、去りがたいままでいる。
西耀逐流水、蕩漾遊子情。
西の空だけが耀いて、その日陰は水流れをおいかけて輝かせる、旅人の心というものは、蕩漾してかがやいているそのみずとおなじように定まらない気持ちである。
空歌望雲月、曲尽長松声。

こうして、空しく歌いあげて、雲間の月を眺めていたのであるが、やがて一曲が終わろうとする頃、夜の気配がしんしんとひろがって高い松を抜ける風の音が颯然として響き渡る。


(南陽の清泠泉に遊ぶ)
彼の落日の暮るるを惜しみ、 此の寒泉の清きを愛す。
西耀【せいよう】は流水を逐【お】い、蕩漾【とうよう】す  遊子の情。
空しく歌って 雲月を望む、曲尽く 長松の声。

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

 

(改訂版) 巻19-2遊南陽清泠泉 (惜彼落日暮)
『遊南陽清泠泉』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊南陽清泠泉

惜彼落日暮、愛此寒泉清。

西耀逐流水、蕩漾遊子情。

空歌望雲月、曲尽長松声。

(下し文)
(南陽の清泠泉に遊ぶ)

彼の落日の暮るるを惜しみ、此の寒泉の清きを愛す。

西耀【せいよう】は流水を逐【お】い、蕩漾【とうよう】す 遊子の情。

空しく歌って 雲月を望む、曲尽く 長松の声。

(現代語訳)
(南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉で遊んだ時に作った詩)

あの故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でて、去りがたいままでいる。
西の空だけが耀いて、その日陰は水流れをおいかけて輝かせる、旅人の心というものは、蕩漾してかがやいているそのみずとおなじように定まらない気持ちである。
こうして、空しく歌いあげて、雲間の月を眺めていたのであるが、やがて一曲が終わろうとする頃、夜の気配がしんしんとひろがって高い松を抜ける風の音が颯然として響き渡る。

李白の足跡0000
(訳注)

遊南陽清泠泉
(南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉で遊んだ時に作った詩)

732年開元二十年32 洛陽・長安・太原・南陽・安陸に遊ぶ

南陽 山南東道鄧州南陽

南陽 河南、南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉というものであった。この詩はその清泠泉に遊んで作ったもので、前作「遊南陽白水登石激作」と同じ時期のものである。 

 

惜彼落日暮、愛此寒泉清。
あの故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でて、去りがたいままでいる。
 地中から湧き出る水。源。
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西耀逐流水、蕩漾遊子情。
西の空だけが耀いて、その日陰は水流れをおいかけて輝かせる、旅人の心というものは、蕩漾してかがやいているそのみずとおなじように定まらない気持ちである。
○蕩漾 とうよう ・蕩 ふわふわと揺れる。水が流れる。心惑わす。・漾 水が漂う。水が揺れる。

遊子 よその国にいる旅人。

 

空歌望雲月、曲尽長松声。

こうして、空しく歌いあげて、雲間の月を眺めていたのであるが、やがて一曲が終わろうとする頃、夜の気配がしんしんとひろがって高い松を抜ける風の音が颯然として響き渡る。

長松 高くそびえる松。高い志を持った壮士の比喩。
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203 《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <203> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708

《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》李白(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

 

 
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203 《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <203> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708

 

 

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七九               李太白集巻19 1首目 文體:五言古詩

詩題:    遊南陽白水登石激作

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:              白水 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:淯水、白河             

石激 (山南東道 鄧州 南陽)             

 

 

遊南陽白水登石激作

(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)

朝涉白水源,暫與人俗疏。

その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

島嶼佳境色,江天涵清虛。

川中の島嶼は景色が特別に良いのである、そして、そこには、水天一色、廣く澄みわたっているのである

目送去海雲,心閒遊川魚。

その海上に向かって飛んでゆく雲を目で追って行くと、その時の心は、川水中の遊魚のような感じで、清閒である。

長歌盡落日,乘月歸田廬。

こうして、長歌して、その日の夕日が沈み尽くすまでそこに留まり、やがて月に乗じて、田間の庵に帰ってきた。

 

(遊南陽の白水にび 石激に登って作る)

朝に白水の源を涉り,暫く人俗と疏なり。

島嶼 境色佳なり,江天 清虛を涵【ひた】す。

目は送る 海に去る雲を,心は閒なる 川に遊ぶ魚に。

長歌 落日まで盡くし,月に乘じて 田廬に歸る。

李白の足跡003 

 

『遊南陽白水登石激作』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊南陽白水登石激作

朝涉白水源,暫與人俗疏。

島嶼佳境色,江天涵清虛。

目送去海雲,心閒遊川魚。

長歌盡落日,乘月歸田廬。

(下し文)
(遊南陽の白水にび 石激に登って作る)

朝に白水の源を涉り,暫く人俗と疏なり。

島嶼 境色佳なり,江天 清虛を涵【ひた】す。

目は送る 海に去る雲を,心は閒なる 川に遊ぶ魚に。

長歌 落日まで盡くし,月に乘じて 田廬に歸る。

(現代語訳)
(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)

その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

川中の島嶼は景色が特別に良いのである、そして、そこには、水天一色、廣く澄みわたっているのである

その海上に向かって飛んでゆく雲を目で追って行くと、その時の心は、川水中の遊魚のような感じで、清閒である。

こうして、長歌して、その日の夕日が沈み尽くすまでそこに留まり、やがて月に乗じて、田間の庵に帰ってきた。


安陸・南陽・嚢陽 李白00
(訳注)

遊南陽白水登石激作

(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)

732年開元二十年32 洛陽・長安・太原・南陽・安陸に遊ぶ

南陽 山南東道鄧州南陽

白水 山南東道 鄧州 南陽を流れる川のことで、別名を淯水、白河という。

石激 山南東道 鄧州 南陽城の東3里にある清水還流があり、そこの巌山。

 

朝涉白水源,暫與人俗疏。

その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

人俗 浮世を離れたような心地の所。

 

島嶼佳境色,江天涵清虛。

川中の島嶼は景色が特別に良いのである、そして、そこには、水天一色、廣く澄みわたっているのである

清虛 天水の澄みわたっているのを形容する。この句が次の「川魚」につながる。

 

目送去海雲,心閒遊川魚。

その海上に向かって飛んでゆく雲を目で追って行くと、その時の心は、川水中の遊魚のような感じで、清閒である。

 

長歌盡落日,乘月歸田廬。

こうして、長歌して、その日の夕日が沈み尽くすまでそこに留まり、やがて月に乗じて、田間の庵に帰ってきた。

盡落日 夕日が沈み尽くすまでそこに留まるようすをいう。

田廬 田間の庵。

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李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#4かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

 
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202 -#4 《巻18-10 酬崔五郎中 -#4Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <202 -#4> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

 

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

#3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

從此凌倒景,一去無時還。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

但得長把袂,何必嵩丘山。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

 

 

#4

又 汗漫の期を結び,九垓 遠く相い待つ。

身を舉げて蓬壺に憩い,足を濯い 滄海を弄す。

此より 倒景を凌ぎ,一去 時として還る無し。

朝には明光宮に遊び,暮には閶闔の關に入る。

但だ 長く袂を把るを得れば,何ぞ必ずしも 嵩丘の山のみならんや。

漢宮 作成002 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

從此凌倒景,一去無時還。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

但得長把袂,何必嵩丘山。


(下し文)#4

又 汗漫の期を結び,九垓 遠く相い待つ。

身を舉げて蓬壺に憩い,足を濯い 滄海を弄す。

此より 倒景を凌ぎ,一去 時として還る無し。

朝には明光宮に遊び,暮には閶闔の關に入る。

但だ 長く袂を把るを得れば,何ぞ必ずしも 嵩丘の山のみならんや。
 

(現代語訳)
また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。


長安城漢唐
(訳注) #4

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

又結汗漫期,九垓遠相待。

また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

九垓 ①天の果て。 ②地の果て。大地。「先期汗漫九垓上=先づ期す汗漫九垓の上」〔李白・廬山謡〕 ③「九州②」と同じ

 

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

蓬壺 《形が壺(つぼ)に似ているところから》蓬莱山(ほうらいさん)の異称。内裏や上皇の御所のたとえ。

滄海 東海三山に至る広大な海原。あおあおとした広い海。あおうなばら。滄海変じて桑田となる《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

 

從此凌倒景,一去無時還。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

倒景 逆さに映った影。

 

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

明光宮 丹邱の称ある明光宮であるが、ここは仙郷をいう。漢の武帝の時代に未央宮を造営し(BC200)、その十年後に、はじめて長安城の城壁を築いた。城壁は版築で築き、北宮や明光宮、建章宮が営され、さらに西部の上林苑を拡張し、昆明池を開削した。

 

閶闔關 天門をいう。紫微宮の門のこと。《楚辭離騷》: 「吾令帝閽開關兮, 倚閶闔而望予。」(吾 帝閽をして關を開らかしめんとすれば,閶闔に倚りて予を望む。) 王逸の注に「閶闔, 天門也。」

 

但得長把袂,何必嵩丘山。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

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《巻18-10 酬崔五郎中 -#3》李白  加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。


 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-43-#6奉節-34-#6 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -6》 杜甫index-15 杜甫<906-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5705 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-23韋荘101《巻3-01 謁金門二首 其一》三巻1-〈101〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5707 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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202 -#3 《巻18-10 酬崔五郎中 -#3Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <202 -#3> Ⅰ李白詩1431 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5703

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

 

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

#3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

因得窮歡情,贈我以新詩。


(下し文) #3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

(現代語訳)
加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。



(訳注) #3

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

 

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

華池 西王母の住む崑崙山上にある池の名。(瑤地)

 

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

 

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

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李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#2折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-22韋荘100《巻2-50 望遠行一首》二巻50-〈100〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5702 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

李白の足跡0000 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

杖策尋英豪,立談乃知我。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

制作參造化,託諷含神祇。


(下し文) #2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

(現代語訳)
折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

大明宮-座標02
(訳注) #2

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

愁坐 何もできず愁うこと。738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)

 

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

杖策 馬の鞭を杖とする。鞭を手にして立つ。《後漢書、鄧禹傳》「禹杖策軍門、説上延攪英雄。」杜甫《別常徵君》詩「兒扶猶杖策, 臥病一秋強。」

765年永泰元年54-39 《別常徵君》 杜甫index-15 杜甫<839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4930 杜甫詩1500-839-1157/2500

立談 立ったままで話すこと。

知我 吾人物を鍳識してくれた人である。

 

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

生民秀 生民の中で、特に秀でた者である。

緬邈 はるかに遠いこと。挺然群をぬいていること。

青雲姿 その高遠の姿。高い志を持った士のすがた。

 

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

造化 1 天地万物を創造し育てること。また、それをなす者。造物主。「―の神」2 造物主によってつくられたもの。

託諷 事にかこつけて己の意を寄せる。

李白 32歳 

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李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#1崔五郎中の詩に答えて作った詩)北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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202 -#1 《巻18-10 酬崔五郎中 -#1(朔雲橫高天,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#1> Ⅰ李白詩1428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5688 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-43-#4奉節-34-#4 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -4》 杜甫index-15 杜甫<906-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5695 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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202 -#1 《巻18-10 酬崔五郎中 -#1(朔雲橫高天,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <202 -#1> Ⅰ李白詩1428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5688

 

 

年:       開元二十年

寫作時間:           732

寫作年紀:           32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

杖策尋英豪,立談乃知我。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

制作參造化,託諷含神祇。

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

因得窮歡情,贈我以新詩。

#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

從此凌倒景,一去無時還。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

但得長把袂,何必嵩丘山。

 

 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #1

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

壯士心飛揚,落日空歎息。

長嘯出原野,凜然寒風生。

幸遭聖明時,功業猶未成。


(下し文)

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。


(現代語訳)
崔五郎中の詩に答えて作った詩)

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。


(訳注)

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

崔宗之 贈李十二

涼風八九月,白露滿空庭。耿耿意不暢,捎捎風葉聲。

思見雄俊士,共話今古情。李侯忽來儀,把袂苦不早。

清論既抵掌,玄談又倒。分明楚漢事,歷歷王霸道。

擔囊無俗物,訪古千里餘。袖有匕首劒,懷中茂陵書。

雙眸光照人,詞賦凌子虛。酌酒弦素秦,霜氣正凝潔。

平生心中事,今日爲君。我家有別業,寄在嵩之陽。

明月出高岑,清谿澄素光。雲散窗靜,風吹松桂香。

子若同斯遊,千載不相忘。

 

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

朔雲 北方の朔地の寒雲。

萬里 万里杳渺の間。

 

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

 

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

原野 平原広野の地。

 

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

 

201 《巻16-22送梁公昌從信安北征(入幕推英選)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <201> Ⅰ李白詩1427 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5683

《巻16-22送梁公昌從信安北征》(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

 

 
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201 《巻16-22送梁公昌從信安北征(入幕推英選)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <201> Ⅰ李白詩1427 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5683 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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201 《巻16-22送梁公昌從信安北征(入幕推英選)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <201> Ⅰ李白詩1427 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5683

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送梁公昌從信安北征

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:              麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

交遊人物:梁昌    當地交遊  (都畿道 河南府 洛陽)

 

 

送梁公昌從信安北征

(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)

入幕推英選,捐書事遠戎。

今回君は、信安郡王の幕府軍に入り、まことによく選ばれたものという評判となっている。ということで、書を擲って遠戎の契丹を征伐することとした。

高談百戰術,鬱作萬夫雄。

百戦百勝の錬磨術を高談していたし、鬱としているものの萬夫の雄と称されているのである。

起舞蓮花劍,行歌明月弓。

そのことに及んで、起って蓮花の名劍をもって舞い、明月の名弓をひいて「明月弓」をことで演奏し、歌ってゆくことになる。

將飛天地陣,兵出塞垣通。

まさに、今この時であり、将軍にしたがって、「天地の陣」「地の陣」「人の陣」をしき、兵を出して塞垣の道を通ぜしめ、終始その雋邁の気概をしめしている。

祖席留丹景,征麾拂彩虹。

この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

旋應獻凱入,麟閣佇深功。

天子は諸侯が大功をたてるのをまって、麒麟閣にこれを図画して飾ろうと思し召しであるから、凱歌を奏して、早く帰京されるようにされたいものである。

 

(梁公昌の信安に從って北征するを送る)

幕に入って英選を推し,書を捐てて 遠戎を事とす。

高く百戰の術を談じ,鬱として 萬夫の雄と作る。

起って舞わす 蓮花の劍,行【ゆくゆ】く歌う 明月の弓。

將 飛んで 天地の陣,兵出でて 塞垣 通ず。

祖席 丹景を留め,征麾【せいき】彩虹を拂う。

旋【かえ】って 應に凱を獻じて入るべし,麟閣 深功を佇つ。

 

 

『送梁公昌從信安北征』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送梁公昌從信安北征

入幕推英選,捐書事遠戎。

高談百戰術,鬱作萬夫雄。

起舞蓮花劍,行歌明月弓。

將飛天地陣,兵出塞垣通。

祖席留丹景,征麾拂彩虹。

旋應獻凱入,麟閣佇深功。


(下し文)
(梁公昌の信安に從って北征するを送る)

幕に入って英選を推し,書を捐てて 遠戎を事とす。

高く百戰の術を談じ,鬱として 萬夫の雄と作る。

起って舞わす 蓮花の劍,行【ゆくゆ】く歌う 明月の弓。

將 飛んで 天地の陣,兵出でて 塞垣 通ず。

祖席 丹景を留め,征麾【せいき】彩虹を拂う。

旋【かえ】って 應に凱を獻じて入るべし,麟閣 深功を佇つ。

(現代語訳)
(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)

今回君は、信安郡王の幕府軍に入り、まことによく選ばれたものという評判となっている。ということで、書を擲って遠戎の契丹を征伐することとした。

そのことに及んで、起って蓮花の名劍をもって舞い、明月の名弓をひいて「明月弓」をことで演奏し、歌ってゆくことになる。

百戦百勝の錬磨術を高談していたし、鬱としているものの萬夫の雄と称されているのである。

まさに、今この時であり、将軍にしたがって、「天地の陣」「地の陣」「人の陣」をしき、兵を出して塞垣の道を通ぜしめ、終始その雋邁の気概をしめしている。

この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

天子は諸侯が大功をたてるのをまって、麒麟閣にこれを図画して飾ろうと思し召しであるから、凱歌を奏して、早く帰京されるようにされたいものである。

安史期のアジアssH

(訳注)

送梁公昌從信安北征

(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)

梁公昌 安陸で交遊したもので、信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。

信安 朔方節度使、副大使禮部信安郡王褘のこと。

北征 732年、開元20年正月、契丹征伐にむかったこと。

 

入幕推英選,捐書事遠戎。

今回君は、信安郡王の幕府軍に入り、まことによく選ばれたものという評判となっている。ということで、書を擲って遠戎の契丹を征伐することとした。

遠戎 契丹征伐のこと。

 

高談百戰術,鬱作萬夫雄。

百戦百勝の錬磨術を高談していたし、鬱としているものの萬夫の雄と称されているのである。

百戰術 百戦百勝の錬磨術。

 

起舞蓮花劍,行歌明月弓。

そのことに及んで、起って蓮花の名劍をもって舞い、明月の名弓をひいて「明月弓」をことで演奏し、歌ってゆくことになる。

蓮花劍 南朝梁均《古意》詩之三: 「玉鞭蓮花劍, 金苣流星勒。」とある。

明月弓 古代琴曲、楽府の名

 

將飛天地陣,兵出塞垣通。

まさに、今この時であり、将軍にしたがって、「天地の陣」「地の陣」「人の陣」をしき、兵を出して塞垣の道を通ぜしめ、終始その雋邁の気概をしめしている。

天地陣 《六韜虎韜三陣》「武王問太公曰:『凡用兵為天陣、地陣、人陣,奈何?』太公曰:『日月星辰斗杓,一左一右,一迎一背,此謂天陣;丘陵水泉,亦有左右前後之利,此謂地陣;用馬用人,用文用武,此謂人陣。』

 

祖席留丹景,征麾拂彩虹。

この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

丹景 夕日の日陰。太陽が昇り、夕日が赤く染まり、暗くなってゆくころまでにも及ぶということ。

祖席 この日の餞別の筵をいう。

征麾 麾は旌幡、指揮するため麾を揮うこと。

拂彩虹 虹を渡って行進するというほどの意。

 

旋應獻凱入,麟閣佇深功。

天子は諸侯が大功をたてるのをまって、麒麟閣にこれを図画して飾ろうと思し召しであるから、凱歌を奏して、早く帰京されるようにされたいものである。

麟閣 漢代、長安の未央宮中にあった高殿。武帝が麒麟を献上されたとき築いたといわれる。宣帝のとき、11人の功臣の肖像などが飾られた。「未央宮麒麟閣十一功臣」
安史の乱当時の勢力図長安と西域 地図01李白 32歳 

200 《巻5-8 君馬黃 (君馬黃,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <200> Ⅰ李白詩1426 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5678

李白《巻5-8 君馬黃 (君馬黃,)》(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子とはちがって、誠に頼もしく、気持ちの良いものだと詠うその時己の心をよく知っているものがあれば、そういう時に厄運から救ってくれるので、一人でできると奢って他の者を眼中に置かなければ、人生もうまくゆかない。今この少年が相提携して、洛陽の市中を練り歩くのは何でもないことではあるがこういう点からいうと、君という存在は誠に頼もしく、気持ちの良いものである。

 
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45 《0308 雉帶箭》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1340> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5684 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-19韋荘97《巻2-47 淸平樂其四其二》二巻47-〈97〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5687 
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200 《巻5-8 君馬黃 (君馬黃,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <200> Ⅰ李白詩1426 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5678

 

 

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《巻3-25 結客少年場行 -#1(紫燕黃金瞳,)》

結客少年場行

(貴公子が任侠の士を気取って、遊侠の場に出入りするものの、そこには呉越、春秋の劇孟、燕丹と荊軻の志さえもなく、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している)

紫燕黃金瞳,啾啾搖綠鬉。【稜稜搖綠鬉】

遊侠の少年のまたがる紫燕の名馬は、黄金のひとみ、きらきらしく耀き、鈴の音のリンリンたるにつれて、緑の鬣を振るい動かすさまは、まことに勇ましい。

平明相馳逐,結客洛門東。

こうして、少年は朝早くから、この馬に乗って出かけ、洛門の東に出てその客と遊び戯れる。

少年學劍術,凌轢白猿公。

それから少年は、撃剣の術を学びその技の妙なることは、白猿公を圧倒すべき程である。

珠袍曳錦帶,匕首插鴻。

それから、珠にて飾れる美しい衣裳を着下ろして、錦帯を引きずり、むかし鉤師が其子の呉鴻等を殺し、その血を塗って鍛え上げたという、天晴なわざものヒ首を懐にしのばしている。

由來萬夫勇,挾此生雄風。

この少年はただでさえ萬夫の勇あるに、まして、このヒ首を持っているから、身辺に雄風を生ずるばかりである。

  

(結客少年場行)

紫燕 黃金の瞳,啾啾として 綠鬉を搖らす。

平明 相い馳逐し,客に結んで 洛門の東。

少年 劍術を學び,凌轢す 白猿公。

珠袍 錦帶を曳き,匕首 鴻を插む

由來は萬夫の勇なり,此を挾んで雄風を生ず。

 

交を託して劇孟に從い,醉いを買うて 新豐に入る。

笑って一杯の酒を盡し,人を殺す 都市の中。

易水の寒を道【い】うを羞づ,徒【いたずら】に日をして虹を貫ぬか令む。

燕丹 事 立たず,虛しく秦帝の宮に沒す。

舞陽は 死灰の人,安んぞ與に功を成す可けんや。
 

 《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》I 

洛陽陌

(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)

白玉誰家郎,回車渡天津。

誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

看花東陌上,驚動洛陽人。

洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。

 

(洛陽陌)

白玉 誰家の郎,車を回らして天津を渡る。

花を東陌の上に看て,洛陽の人を驚動する。

**********************************************

 

《巻5-8 君馬黃 (君馬黃,)》

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    君馬黃

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

 

 

君馬黃

洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子とはちがって、誠に頼もしく、気持ちの良いものだと詠う

君馬黃,我馬白。

君の馬は黄色であるが、我が馬は、白い。

馬色雖不同,人心本無隔。

馬の毛並みは違っているが、君との意気には、少しの相違もないが、こうして、二人の意気が投合したから、隔たることはない。

共作遊冶盤,雙行洛陽陌。

だから君と二人で繁華街をのんびりと行ったり来たり酒色にふけ、二人並んで洛陽の市中を乗り回し、目抜き大路の上を並び行くのである。

長劍既照曜,高冠何赩赫。

その古詩に佩びている長剣は、白日にキラキラ輝き、高く頭に戴いているかんむりは、なんと紅く鮮やかに見る事が出来るのだろう。

各有千金裘,俱為五侯客。

それはお互いに、千金の裘を身にまとい、ともに五侯の賓客となって、今しも得意の時代である。

猛虎落陷阱,壯夫時屈厄。

英雄豪傑もただ一人で事業を成し遂げてはいなくて、提携ということを必要としている、それと幸運が続くということも無くて、不運な時もあるのであって、例えば、猛虎は、百獣の王と称せられ、一たび嘯けば狐兎の種属は、皆慴伏するくらいであるが、ときとしては、陷阱におちることもあるので、いかなる壮士と雖も、時を得なければ屈厄の悲境に沈淪していることを免れぬ。

相知在急難,獨好亦何益。【獨好知何益】

その時己の心をよく知っているものがあれば、そういう時に厄運から救ってくれるので、一人でできると奢って他の者を眼中に置かなければ、人生もうまくゆかない。今この少年が相提携して、洛陽の市中を練り歩くのは何でもないことではあるがこういう点からいうと、君という存在は誠に頼もしく、気持ちの良いものである。

 

 (君馬黃)

君が馬は黃,我が馬は白し。

馬色 同じからずと雖も,人心 本と隔つる無し。

共に遊冶の盤を作し,雙行す洛陽の陌。

長劍 既に照曜,高冠 何ぞ赩赫たる。

各の 千金の裘有り,俱に五侯の客と為る。

猛虎 陷阱に落ち,壯夫 時に屈厄。

相知 急難に在り,獨好 亦た何の益かあらん。

 

 

『君馬黃』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

君馬黃

君馬黃,我馬白。

馬色雖不同,人心本無隔。

共作遊冶盤,雙行洛陽陌。

長劍既照曜,高冠何赩赫。

各有千金裘,俱為五侯客。

猛虎落陷阱,壯夫時屈厄。

相知在急難,獨好亦何益。【獨好知何益】


(下し文)
(君馬黃)

君が馬は黃,我が馬は白し。

馬色 同じからずと雖も,人心 本と隔つる無し。

共に遊冶の盤を作し,雙行す洛陽の陌。

長劍 既に照曜,高冠 何ぞ赫たる。

各の 千金の裘有り,俱に五侯の客と為る。

猛虎 陷に落ち,壯夫 時に屈厄。

相知 急難に在り,獨好 亦た何の益かあらん。


(現代語訳)
洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子とはちがって、誠に頼もしく、気持ちの良いものだと詠う

君の馬は黄色であるが、我が馬は、白い。

馬の毛並みは違っているが、君との意気には、少しの相違もないが、こうして、二人の意気が投合したから、隔たることはない。

だから君と二人で繁華街をのんびりと行ったり来たり酒色にふけ、二人並んで洛陽の市中を乗り回し、目抜き大路の上を並び行くのである。

その古詩に佩びている長剣は、白日にキラキラ輝き、高く頭に戴いているかんむりは、なんと紅く鮮やかに見る事が出来るのだろう。

それはお互いに、千金の裘を身にまとい、ともに五侯の賓客となって、今しも得意の時代である。

英雄豪傑もただ一人で事業を成し遂げてはいなくて、提携ということを必要としている、それと幸運が続くということも無くて、不運な時もあるのであって、例えば、猛虎は、百獣の王と称せられ、一たび嘯けば狐兎の種属は、皆慴伏するくらいであるが、ときとしては、陷阱におちることもあるので、いかなる壮士と雖も、時を得なければ屈厄の悲境に沈淪していることを免れぬ。

その時己の心をよく知っているものがあれば、そういう時に厄運から救ってくれるので、一人でできると奢って他の者を眼中に置かなければ、人生もうまくゆかない。今この少年が相提携して、洛陽の市中を練り歩くのは何でもないことではあるがこういう点からいうと、君という存在は誠に頼もしく、気持ちの良いものである。


(訳注)

君馬黃

洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子とはちがって、誠に頼もしく、気持ちの良いものだと詠う

漢の鼓吹鐃歌という軍楽の曲でその古詞は「君馬黃,臣馬蒼,二馬同逐臣馬良。易之有蔡有赭,美人歸以南,駕車馳馬,美人傷我心;佳人歸以北,駕車馳馬,佳人安終極。」というものである。

 

君馬黃,我馬白。

君の馬は黄色であるが、我が馬は、白い。

 

馬色雖不同,人心本無隔。

馬の毛並みは違っているが、君との意気には、少しの相違もないが、こうして、二人の意気が投合したから、隔たることはない。

 

共作遊冶盤,雙行洛陽陌。

だから君と二人で繁華街をのんびりと行ったり来たり酒色にふけ、二人並んで洛陽の市中を乗り回し、目抜き大路の上を並び行くのである。

遊冶 遊びにふけって,容姿を飾ること。酒色にふけること。

 

長劍既照曜,高冠何赩赫。

その古詩に佩びている長剣は、白日にキラキラ輝き、高く頭に戴いているかんむりは、なんと紅く鮮やかに見る事が出来るのだろう。

 

各有千金裘,俱為五侯客。

それはお互いに、千金の裘を身にまとい、ともに五侯の賓客となって、今しも得意の時代である。

五侯 禮記王制に云う 「五國以為屬, 屬有長; 二百一十國以為州, 州有伯。」  師古曰 五侯, 五等諸侯也。 九伯, 九州之伯也。 伯, 長也。

後漢延熹2(159)、桓帝は、中常侍の単超ら宦官5人と謀り、梁冀誅滅を成し遂げた。この時の5人を五侯という。《漢書·游俠傳》: 是時王氏方盛,賓客滿門,五侯兄弟爭名,其客各有所厚,不得左右,唯護盡入其門,咸得其驩心。結士大夫,無所不傾,其交長者,尤見親而敬,眾以是服。為人短小精辯,論議常依名節,聽之者皆竦。與谷永俱為五侯上客。

 

猛虎落陷阱,壯夫時屈厄。

英雄豪傑もただ一人で事業を成し遂げてはいなくて、提携ということを必要としている、それと幸運が続くということも無くて、不運な時もあるのであって、例えば、猛虎は、百獣の王と称せられ、一たび嘯けば狐兎の種属は、皆慴伏するくらいであるが、ときとしては、陷阱におちることもあるので、いかなる壮士と雖も、時を得なければ屈厄の悲境に沈淪していることを免れぬ。

 

相知在急難,獨好亦何益。【獨好知何益】

その時己の心をよく知っているものがあれば、そういう時に厄運から救ってくれるので、一人でできると奢って他の者を眼中に置かなければ、人生もうまくゆかない。今この少年が相提携して、洛陽の市中を練り歩くのは何でもないことではあるがこういう点からいうと、君という存在は誠に頼もしく、気持ちの良いものである。

199 《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <199> Ⅰ李白詩1426 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5678

李白《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

 
 2015年3月12日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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44-#2 《0306 鳴雁 -#2》韓愈(韓退之)ID 雉帶箭【案:此愈佐張僕射於徐,獵而作也。】<1339> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5679 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-43-#1奉節-34-#1 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -1》 杜甫index-15 杜甫<906-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5680 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-18韋荘96《巻2-46 淸平樂其四其一》二巻46-〈96〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5682 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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199 《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <199> Ⅰ李白詩1426 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5678

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一六四               李太白集巻四 34首目 文體:  樂府

詩題:    洛陽陌

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:              洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋    

 

 

洛陽陌

(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)

白玉誰家郎,回車渡天津。

誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

看花東陌上,驚動洛陽人。

洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。

 

(洛陽陌)

白玉 誰家の郎,車を回らして天津を渡る。

花を東陌の上に看て,洛陽の人を驚動する。

 

touRAKUYOjou600 

『洛陽陌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

洛陽陌

白玉誰家郎,回車渡天津。

看花東陌上,驚動洛陽人。


(下し文)
(洛陽陌)

白玉 誰家の郎,車を回らして天津を渡る。

花を東陌の上に看て,洛陽の人を驚動する。

(現代語訳)
(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)

誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。



(訳注)

洛陽陌

(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)

 

白玉誰家郎,回車渡天津。

誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

・白玉 杜甫《少年行》「馬上誰家白面郎」馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。

屈原《楚辞・九歌「湘夫人」》「白玉兮為鎮、疏石蘭兮為芳。止葺兮荷屋、繚之兮杜衡。(白玉を鎮と為し、石蘭を疏【し】いて芳と為し。止【し】もて荷屋に葺き之に杜衡を繚【めぐ】らす。)

・天津橋 洛陽の都の南にあった橋。隋・煬帝が洛陽に都を遷した時、架した橋で、洛水を天の川に比して「天津」(天の川の渡し場)と名づけた。旧洛陽は洛水を挟んでおり、宮城の南に皇城があり、その正門が「端門」で、更にその真南にあるのが「天津橋」になる。この橋の道というのが、街路中央に御道(天子行幸路)が備えられた御成道であるという洛陽の代表的な道であり、この天津橋は、洛陽を代表的する橋になる。劉禹錫『公子行』「天津橋下陽春水,天津橋上繁華子。」洛陽の都の天津橋の下を流れる、暖かな季節春の水が流れている。洛陽の都の天津橋の上を行き交う、世間知らずな若さで青春を謳歌している貴公子たちがいる。

公子行  劉希夷(劉廷芝) (1) 初唐

 

看花東陌上,驚動洛陽人。

洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。

 

漢魏隋唐の洛陽城 

 

 

 

 

少 年 行
貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は詩言絶句である。


馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。それから大ざっぱな様子でどこのだれとも名のらず、「あれをくれ」というて銀のさかがめを指ざしして酒をもとめてのんでいる。

○少年行 少年のことをよんだうた。  ○白面郎 かおのしろいわかもの。  ○階 さかやのきざはし。  〇人牀 他人の家のいす。○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。  ○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな大ざっぱなふるまい。  ○指点 あれと指ざしする。○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。


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<!--[endif]-->

(少年行)
馬上誰が家の白面郎ぞ
階に臨み馬より下りて人の牀に坐す
姓氏を通ぜず麤豪そごう甚し
銀瓶ぎんべいを指点して酒を索もとめて嘗なむ

 

杜甫『年行』を一首と二首の三首,作っている
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

 

 

杜甫 少年行

王維 少年行

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年:732年開元二十年32

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    秦女休行

【案:魏協律都尉左延年所作,今擬之。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

 

 

秦女休行

(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

西門秦氏女,秀色如瓊花。

西門秦氏の女は絶世の美女で、その麗しきことは、天下稀に見るあの瓊花に比すほどのものである。

手揮白楊刀,清晝殺讎家。【手揮白楊刃】

これほどの繊弱である女がか細い手に細みの太刀、白楊刀を振るって、真昼時に讎なる者を討ち取り殺した。

羅袖灑赤血,英氣凌紫霞。【英聲凌紫霞】

その際の鮮血は紅く蘿袖を染めたが、天晴な名誉は、紫霞を凌いで天に届くほどに広がった。

直上西山去,關吏相邀遮。

それから女はその場から逃げ延びて、西山に登って隠れようと山頂4、5里までのところで、関所の役人が迎えてこれを遮り、捕縛され、囚われの身となった。

 

婿為燕國王,身被詔獄加。

彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

金雞忽放赦,大辟得寬

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

何慚聶政姊,萬古共驚嗟。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

(秦女休行)

西門の秦氏の女,秀色 瓊花の如し。

手に白楊の刀を揮い,清晝に讎家を殺す。

羅袖に赤血を灑ぎ,英氣は紫霞を凌ぐ。

直ちに西山に上って去れば,關吏 相い邀って遮る。

 

婿は燕國の王為り,身は詔獄に加え被る。

刑を犯して虎を履むが若く,爪牙に落つるを畏れず。

素頸 未だ斷つに及ばず,眉を摧いて 泥沙に伏す。

金雞 忽ち放赦,大辟 寬【かんしゃ】を得たり

何ぞ 聶政の姊に慚じ,萬古 共に驚嗟す。

 Ta唐 長安近郊圖  新02

 

『秦女休行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

婿為燕國王,身被詔獄加。

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

金雞忽放赦,大辟得寬

何慚聶政姊,萬古共驚嗟。


(下し文)
婿は燕國の王為り,身は詔獄に加え被る。

刑を犯して虎を履むが若く,爪牙に落つるを畏れず。

素頸 未だ斷つに及ばず,眉を摧いて 泥沙に伏す。

金雞 忽ち放赦,大辟 寬【かんしゃ】を得たり。

何ぞ 聶政のに慚じ,萬古 共に驚嗟す

(現代語訳)
彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

00長安城の図
(訳注)

秦女休行

(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

秦氏の女として生まれ、美しい容色に恵まれながら,白刃を振るい、白昼仇討ちを決行する。燕國王の夫人から,身を落とし、山中に逃げ込んだが、やがて獄に繋がれた。頸を斷られる前に,天子は、その義烈に感じたまいて恩赦をうけた。 聶政姊に恥ずることはない。共に万古驚くべき壮烈な女である。十七句「何慚聶政姊」と対比される聶政姊も列女として有名で、史記刺客列伝によると、聶政は、暗殺を成し遂げると、自分が何者かを隠すため顔の皮を剥ぎ取って自殺した。市場に晒された死体を見て、弟の聶政だと明かして、自分も死んでしまったという女性でる。

李白の前にも、魏の左延年、西晋の傅玄が秦女休行の詩を作っている。男兄弟たちは、仇を討とうとしなかった。都市に潜み、美しい衣から短いぼろを身につけ、仇を狙った。獄につながれたなどの内容が解るが、こちらでは仇討を試みるが、民が豊かに暮らしているのを見てやめたと取れる内容も書かれている。

 

婿為燕國王,身被詔獄加。

彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

詔獄 長安の大獄。

 

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

 

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

 

金雞忽放赦,大辟得寬

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

金雞 天皇が公務で行った意思表示をいう。広義には憲法や法律などの法規を含むが、狭義には詔書・勅書・勅語など特段の形式を定めていないものをいう。

放赦 天子から恩赦となり、斬首を許されること。

 

何慚聶政姊姉,萬古共驚嗟。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

聶政姉 聶政は韓の生まれだったが、喧嘩を起こし、その相手を殺してしまった為、年老いた母と未婚の姉と共に斉に身を隠し、それ以来は、食肉の解体で生計を立てていた。

ある日、聶政の噂を耳にした韓の大臣である厳仲子[1]という人物が家を訪れ、「貴方のような義士と友好を持ちたいと思っておりました」と言い、それから1ヶ月に1度は聶政を訪ねた。

数ヵ月後、聶政の母親の長寿を祝って宴席を開いた厳仲子は、その祝いと称して2千両もの大金を贈った。聶政がこれは受け取れないというと、厳仲子は、「実は、私には恨みを晴らさねば死んでも死にきれない思いをしている人物がおります。私は手助けを頼める人物を探し求め、やっと貴方を見つけたのです。このお金は貴方の母上の生活費として私にお力をお貸し下さい」と言った。しかし聶政が「老いた母を残して他国には行けません」というと、厳仲子は「私は衛の濮陽に住んでいるので、気が変わったらお訪ね下さい」と言い残して去っていった。

それから数年後。聶政の母はこの世を去り、姉も嫁いでいった。一人身となった聶政は自分を見込んでくれた厳仲子の為に尽くすことを決め、衛の濮陽に向かった。

厳仲子は喜んで聶政を迎え入れ、聶政が手伝ってくれるというと「自身を失脚させた韓の宰相、侠累を討ちたいのです」と告げた。聶政は快諾し、厳仲子の身元を洩らさないように、自分一人で向かうといい、単身、韓に乗り込んだ。

宰相邸に向かった聶政は「宰相に訴えたいことがあります」と言ったが、門番に止められたため、剣を奪ってたちどころに斬りかかった。そして、侠累を一太刀に斬り殺し、更に13人を殺したが、もう逃げられぬと諦めると、「男の死に様をよく見ておけ」というやいなや、手に持っていた剣で顔を削り、そして目をくりぬいた。さらに腹をかき切り、はらわたをつかみ出して息絶えた。

韓はただちに身元を洗ったが、兵士のなかで知るものはなく、聶政の死体を街中にさらし、「下手人の姓名を知るものには、千金を与える」と布告した。

この話を聞いた聶政の姉は胸騒ぎを感じて、韓の都へと急いだ。

その死体にある、聶政と同じほくろを見た姉は、周りの見物人に向かって、「皆さん、この男は、聶政といって、私の弟です」と言った。すると見物人たちは「そんなことをいったら、あなたも同罪になりますよ」と諫めたが、彼女は、「私が明かさなければ、弟の名は埋もれてしまい、それでは弟がかわいそうすぎる。私が名乗ったのは覚悟の上です」といい、その場で自決した。  

この話はたちまち全国に広まり、人々は「恩義に応えた聶政も立派だが、姉さんもなんという烈女だ」と言い、涙した。

 

 

左延年《秦女休行》

始出上西,遥望秦氏廬。

秦氏有好女,自名女休。

休年十四五,爲宗行報仇。

左執白楊刃,右据宛矛。

仇家便南,仆僵秦女休。

女休西上山,上山四五里。

関吏呵問女休,女休前置辞:

燕王爲詔獄囚。

平生衣参差,当今無襦。

明知殺人当死,兄言怏怏,弟言無道憂。

女休堅詞爲仇,死不疑。”

人都市中,徼我都巷西。

丞卿向坐,女休凄凄曳梏前。

两徒我持刀,刀五尺余。

刀未下,朧撃鼓赦下。

 

 

傅玄秦女休行

氏有烈雍凉①。

父母家有重怨,仇人暴且

有男兄弟,志弱不能当。

烈女念此痛,丹心

外若无意者,内潜思无方。

白日入都市,怨家如平常。

藏白刃,一奋寻身僵。

身首之异,伏尸列肆旁。

肉与土合成泥,洒血溅飞梁。

猛气上干云霓,仇党失守披攘②。

一市称烈者收泪并慨慷:

“百男何当益,不如一女良!”

烈女直造县门,云“父不幸遭殃。

今仇身以分裂,死情益

人当伏法,不苟活隳旧章。”

令解印:“令我心不忍听!”

刑部垂塞耳:“令我吏③不能成!”

烈著希代之立无之名。

夫家同受其祚,子子孙孙咸享其荣。

今我作歌咏高,激悲且清。[1]

①雍凉:指雍州(治所在今西西安西北)、凉州(治所在今甘肃张家川)一

②披攘:震伏的子。

③吏:官


李白 32歳 

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198 -#1 《巻4-29秦女休行 -#1 (西門秦氏女,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <198 -#1> Ⅰ李白詩1424 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5668

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    秦女休行

【案:魏協律都尉左延年所作,今擬之。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

 

 

秦女休行

(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

西門秦氏女,秀色如瓊花。

西門秦氏の女は絶世の美女で、その麗しきことは、天下稀に見るあの瓊花に比すほどのものである。

手揮白楊刀,清晝殺讎家。【手揮白楊刃】

これほどの繊弱である女がか細い手に細みの太刀、白楊刀を振るって、真昼時に讎なる者を討ち取り殺した。

羅袖灑赤血,英氣凌紫霞。【英聲凌紫霞】

その際の鮮血は紅く蘿袖を染めたが、天晴な名誉は、紫霞を凌いで天に届くほどに広がった。

直上西山去,關吏相邀遮。

それから女はその場から逃げ延びて、西山に登って隠れようと山頂4、5里までのところで、関所の役人が迎えてこれを遮り、捕縛され、囚われの身となった。

 

婿為燕國王,身被詔獄加。

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

金雞忽放赦,大辟得寬

何慚聶政姊,萬古共驚嗟。

 

(秦女休行)

西門の秦氏の女,秀色 瓊花の如し。

手に白楊の刀を揮い,清晝に讎家を殺す。

羅袖に赤血を灑ぎ,英氣は紫霞を凌ぐ。

直ちに西山に上って去れば,關吏 相い邀って遮る。

 

婿は燕國の王為り,身は詔獄に加え被る。

刑を犯して虎を履むが若く,爪牙に落つるを畏れず。

素頸 未だ斷つに及ばず,眉を摧いて 泥沙に伏す。

金雞 忽ち放赦,大辟 寬【かんしゃ】を得たり

何ぞ 聶政の姊に慚じ,萬古 共に驚嗟す。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『秦女休行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秦女休行

西門秦氏女,秀色如瓊花。

手揮白楊刀,清晝殺讎家。【手揮白楊刃】

羅袖灑赤血,英氣凌紫霞。【英聲凌紫霞】

直上西山去,關吏相邀遮。

(下し文)
(秦女休行)

西門の秦氏の女,秀色 瓊花の如し。

手に白楊の刀を揮い,清晝に讎家を殺す。

羅袖に赤血を灑ぎ,英氣は紫霞を凌ぐ。

直ちに西山に上って去れば,關吏 相い邀って遮る。


(現代語訳)
(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

西門秦氏の女は絶世の美女で、その麗しきことは、天下稀に見るあの瓊花に比すほどのものである。

これほどの繊弱である女がか細い手に細みの太刀、白楊刀を振るって、真昼時に讎なる者を討ち取り殺した。

その際の鮮血は紅く蘿袖を染めたが、天晴な名誉は、紫霞を凌いで天に届くほどに広がった。

それから女はその場から逃げ延びて、西山に登って隠れようと山頂4、5里までのところで、関所の役人が迎えてこれを遮り、捕縛され、囚われの身となった。



(訳注)

秦女休行

(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

秦氏の女として生まれ、美しい容色に恵まれながら,白刃を振るい、白昼仇討ちを決行する。燕國王の夫人から,身を落とし、山中に逃げ込んだが、やがて獄に繋がれた。頸を斷られる前に,天子は、その義烈に感じたまいて恩赦をうけた。 聶政姊に恥ずることはない。共に万古驚くべき壮烈な女である。十七句「何慚聶政姊」と対比される聶政姊も列女として有名で、史記刺客列伝によると、聶政は、暗殺を成し遂げると、自分が何者かを隠すため顔の皮を剥ぎ取って自殺した。市場に晒された死体を見て、弟の聶政だと明かして、自分も死んでしまったという女性でる。

李白の前にも、魏の左延年、西晋の傅玄が秦女休行の詩を作っている。男兄弟たちは、仇を討とうとしなかった。都市に潜み、美しい衣から短いぼろを身につけ、仇を狙った。獄につながれたなどの内容が解るが、こちらでは仇討を試みるが、民が豊かに暮らしているのを見てやめたと取れる内容も書かれている。

 

西門秦氏女,秀色如瓊花。

西門秦氏の女は絶世の美女で、その麗しきことは、天下稀に見るあの瓊花に比すほどのものである。

西門 宗族のひとつの貴族集団をいう。宗族:父系の同族集団。同祖,同姓であり,祭祀を共通にし,同姓不婚の氏族外婚制をたてまえとするもの。同じく血縁でも母系は入らず,女系は排除される。

秀色 その麗しきこと。

瓊花 隋から唐の時代、「瓊花(チウンホア)」は「玉蘂」とも呼ばれ、その芳香のある黄白色の花が愛でられたという。ただ不稔であったために、「聚八仙」という台木に接ぎ木して増やしていたが、やがて元軍の進入とともに絶え、その後は残った台木の「聚八仙」が「瓊花」と呼ばれるようになったという。「ムーシュウチュウ(木綉球)」の近縁種で、高さは4メートルほどになり、葉は卵形から楕円形の革質で、縁には細かい鋸歯がある。4月から5月ごろ、白色の両性花とまわりに8個の真っ白な装飾花を咲かせる。

 

手揮白楊刀,清晝殺讎家。【手揮白楊刃】

これほどの繊弱である女がか細い手に細みの太刀、白楊刀を振るって、真昼時に讎なる者を討ち取り殺した。

楊刀 細みの太刀。

清晝 晴れ渡った正午に近い午前中。

 

羅袖灑赤血,英氣凌紫霞。【英聲凌紫霞】

その際の鮮血は紅く蘿袖を染めたが、天晴な名誉は、紫霞を凌いで天に届くほどに広がった。

英氣 天晴な名誉は、~に気がいっぱいになる。。

紫霞 仙界の空、天界、おおぞら。

 

直上西山去,關吏相邀遮。

それから女はその場から逃げ延びて、西山に登って隠れようと山頂4、5里までのところで、関所の役人が迎えてこれを遮り、捕縛され、囚われの身となった。

長安城漢唐 

左延年《秦女休行》

始出上西,遥望秦氏廬。

秦氏有好女,自名女休。

休年十四五,爲宗行報仇。

左執白楊刃,右据宛矛。

仇家便南,仆僵秦女休。

女休西上山,上山四五里。

関吏呵問女休,女休前置辞:

燕王爲詔獄囚。

平生衣参差,当今無襦。

明知殺人当死,兄言怏怏,弟言無道憂。

女休堅詞爲仇,死不疑。”

人都市中,徼我都巷西。

丞卿向坐,女休凄凄曳梏前。

两徒我持刀,刀五尺余。

刀未下,朧撃鼓赦下。

 

 

傅玄秦女休行

氏有烈雍凉①。

父母家有重怨,仇人暴且

有男兄弟,志弱不能当。

烈女念此痛,丹心

外若无意者,内潜思无方。

白日入都市,怨家如平常。

藏白刃,一奋寻身僵。

身首之异,伏尸列肆旁。

肉与土合成泥,洒血溅飞梁。

猛气上干云霓,仇党失守披攘②。

一市称烈者收泪并慨慷:

“百男何当益,不如一女良!”

烈女直造县门,云“父不幸遭殃。

今仇身以分裂,死情益

人当伏法,不苟活隳旧章。”

令解印:“令我心不忍听!”

刑部垂塞耳:“令我吏③不能成!”

烈著希代之立无之名。

夫家同受其祚,子子孙孙咸享其荣。

今我作歌咏高,激悲且清。[1]

①雍凉:指雍州(治所在今西西安西北)、凉州(治所在今甘肃张家川)一

②披攘:震伏的子。

③吏:官

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李白《巻3-25 結客少年場行 -#2要するに、荊軻はつまらぬ男であり、一緒に行った秦舞陽は顔の色が、時に当たって死灰のような色に変わったから、その目的がばれてしまったのであり、こんなものを相棒にして、どうして成功することがあろうか、これと同じように、ここにいる少年は、この昔の資格ほどの志もないというものである。

 

 
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197-#2 《巻3-25 結客少年場行 -#2Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <197-#2> Ⅰ李白詩1422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5658

 

 

年:32年開元二十年32

卷別:    卷一六三               李太白集巻三 文體:    樂府

詩題:    結客少年場行

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:              新豐 (京畿道 京兆府 新豐)              

 

 

結客少年場行

(貴公子が任侠の士を気取って、遊侠の場に出入りするものの、そこには呉越、春秋の劇孟、燕丹と荊軻の志さえもなく、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している)

紫燕黃金瞳,啾啾搖綠鬉。【稜稜搖綠鬉】

遊侠の少年のまたがる紫燕の名馬は、黄金のひとみ、きらきらしく耀き、鈴の音のリンリンたるにつれて、緑の鬣を振るい動かすさまは、まことに勇ましい。

平明相馳逐,結客洛門東。

こうして、少年は朝早くから、この馬に乗って出かけ、洛門の東に出てその客と遊び戯れる。

少年學劍術,凌轢白猿公。

それから少年は、撃剣の術を学びその技の妙なることは、白猿公を圧倒すべき程である。

珠袍曳錦帶,匕首插鴻。

それから、珠にて飾れる美しい衣裳を着下ろして、錦帯を引きずり、むかし鉤師が其子の呉鴻等を殺し、その血を塗って鍛え上げたという、天晴なわざものヒ首を懐にしのばしている。

由來萬夫勇,挾此生雄風。

この少年はただでさえ萬夫の勇あるに、まして、このヒ首を持っているから、身辺に雄風を生ずるばかりである。

 

託交從劇孟,買醉入新豐。

それから、激孟などいう著名な侠客と交際を為し、新豊の市に入って酔いを買う。

笑盡一杯酒,殺人都市中。

笑って一杯の酒を飲みつくすや否や、直ちに去って行き、都市の真ん中で人を殺すという。

羞道易水寒,令日貫虹。令日貫虹】

むかし、荊軻は、秦に入るに際し、風が蕭蕭と吹き込んで、「易水が寒」いと詠い、やがて「白虹日を貫抜く」変事があってから秦に入った。

燕丹事不立,虛沒秦帝宮。

荊軻は始皇帝に謁見しながら、これを刺し殺すことなどできず、折角の燕丹の志を遂げることが出来ず秦の宮殿で空しく死んでしまった。

舞陽死灰人,安可與成功。

要するに、荊軻はつまらぬ男であり、一緒に行った秦舞陽は顔の色が、時に当たって死灰のような色に変わったから、その目的がばれてしまったのであり、こんなものを相棒にして、どうして成功することがあろうか、これと同じように、ここにいる少年は、この昔の資格ほどの志もないというものである。

 

(結客少年場行)

紫燕 黃金の瞳,啾啾として 綠鬉を搖らす。

平明 相い馳逐し,客に結んで 洛門の東。

少年 劍術を學び,凌轢す 白猿公。

珠袍 錦帶を曳き,匕首 鴻を插む

由來は萬夫の勇なり,此を挾んで雄風を生ず。

 

交を託して劇孟に從い,醉いを買うて 新豐に入る。

笑って一杯の酒を盡し,人を殺す 都市の中。

易水の寒を道【い】うを羞づ,徒【いたずら】に日をして虹を貫ぬか令む。

燕丹 事 立たず,虛しく秦帝の宮に沒す。

舞陽は 死灰の人,安んぞ與に功を成す可けんや。

 

戦国七雄001 

 

『結客少年場行』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

託交從劇孟,買醉入新豐。

笑盡一杯酒,殺人都市中。

羞道易水寒,令日貫虹。令日貫虹】

燕丹事不立,虛沒秦帝宮。

舞陽死灰人,安可與成功。


(下し文)
交を託して劇孟に從い,醉いを買うて 新豐に入る。

笑って一杯の酒を盡し,人を殺す 都市の中。

易水の寒を道【い】うを羞づ,徒【いたずら】に日をして虹を貫ぬか令む。

燕丹 事 立たず,虛しく秦帝の宮に沒す。

舞陽は 死灰の人,安んぞ與に功を成す可けんや。

(現代語訳)
それから、激孟などいう著名な侠客と交際を為し、新豊の市に入って酔いを買う。

笑って一杯の酒を飲みつくすや否や、直ちに去って行き、都市の真ん中で人を殺すという。

むかし、荊軻は、秦に入るに際し、風が蕭蕭と吹き込んで、「易水が寒」いと詠い、やがて「白虹日を貫抜く」変事があってから秦に入った。

荊軻は始皇帝に謁見しながら、これを刺し殺すことなどできず、折角の燕丹の志を遂げることが出来ず秦の宮殿で空しく死んでしまった。

要するに、荊軻はつまらぬ男であり、一緒に行った秦舞陽は顔の色が、時に当たって死灰のような色に変わったから、その目的がばれてしまったのであり、こんなものを相棒にして、どうして成功することがあろうか、これと同じように、ここにいる少年は、この昔の資格ほどの志もないというものである。


(訳注)

結客少年場行

(貴公子が任侠の士を気取って、遊侠の場に出入りするものの、そこには呉越、春秋の劇孟、燕丹と荊軻の志さえもなく、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している)

曹植詩 《結客篇》曰:“結客少年場,報怨洛北邙。”「結客少年場行、報怨洛北邙」を宋·鮑照が雜曲歌辭六 【結客少年場行】《後漢書》曰:“祭遵嘗為部吏所侵,結客殺人。” つづいて郭茂倩《樂府解題》曰:“《結客少年場行》,言輕生重義,慷慨以立功名也。”結客少年場,報怨洛北荒,利劍鳴手中,一擊兩尸僵」とあり、やはり先行するものは無く曹植のものに代したと考えられる。

樂府解題によると,

《結客少年場行》とは言輕く生重く義薄く,慷慨を以て功名を立てる也。

『廣題』に曰く“漢の長安少年が殺吏,財を受け報仇(する際)彈丸を探(くじのように引き),赤丸なら武吏を斫*(はつ)り,黑丸は文吏を殺すときめた。

また(三國時),尹賞が長安令のとき,之を捕しまった。長安中でその爲之歌に曰く、“どこに子の死を求める(者がいよう),桓東少年場,生むときには想わない,枯骨のほかに何を葬ろうか”

結客少年場とは少年時の遊樂の場のため,任俠客を氣取り,終に無と成る,故の此の曲なり。と,ある。

李白図102函谷関002 

託交從劇孟,買醉入新豐。

それから、激孟などいう著名な侠客と交際を為し、新豊の市に入って酔いを買う。

劇孟 漢の景帝三年(紀元前154年)、呉楚等七国が反乱を起したとき、景帝は大将軍の竇嬰、太尉の周亞夫を派遣して鎮圧させた。周亞夫は東方にむかい河南に至ろうとしたとき、当時の有名な侠客であった劇孟を味方に得た。東天は喜んで言った。「呉や楚は天下を争うような大事を企てながら、劇孟を求めない。わたしは、かれらが何もできないことを知るだけだ。」「漢書」に見える話であるが、強大であった呉楚の分断作戦と補給路を断つことで戦意を失わせ、内部分解させた。

梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

新豐 ・新豐:陝西省驪山華清宮近くにある酒の名産地。長安東北郊20kmの地名。 215 王維 少年行四首 に新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。

 

笑盡一杯酒,殺人都市中。

笑って一杯の酒を飲みつくすや否や、直ちに去って行き、都市の真ん中で人を殺すという。

 

羞道易水寒,令日貫虹。令日貫虹】

むかし、荊軻は、秦に入るに際し、風が蕭蕭と吹き込んで、「易水が寒」いと詠い、やがて「白虹日を貫抜く」変事があってから秦に入った。

易水寒 『史記・刺客列傳』易水のほとりでの歌。『易水歌』「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」易水は北京の南西を流れる川で、白河に合流する。

日貫虹 【貫白虹日】白虹(はっこう)()を貫(つらぬ)・く。《「戦国策」魏策から》白い虹が太陽を貫いてかかる。白い虹を兵の、太陽を君主の象徴と解釈することによって、兵乱が起こり、君主に危害を加える予兆とされた。

 

燕丹事不立,虛沒秦帝宮。

荊軻は始皇帝に謁見しながら、これを刺し殺すことなどできず、折角の燕丹の志を遂げることが出来ず秦の宮殿で空しく死んでしまった。

燕丹事不立,虛沒秦帝宮 の二句

 

舞陽死灰人,安可與成功。

要するに、荊軻はつまらぬ男であり、一緒に行った秦舞陽は顔の色が、時に当たって死灰のような色に変わったから、その目的がばれてしまったのであり、こんなものを相棒にして、どうして成功することがあろうか、これと同じように、ここにいる少年は、この昔の資格ほどの志もないというものである。

舞陽死灰人 前の二句とこの句と四句は『史記』「刺客列伝」にみえる。

 

史記 「刺客列伝」

 

春秋戦国の時代には、敵国の王侯を刺殺するために、一本の匕首(合口)に全てをかけて敵地に入り込む刺客が、ことに多かった。その最も著名なのが荊軻である。

 

 荊軻は衞の生まれだったが、祖国に用いられず、国々を遍歴して燕に行き、そこで巷に人望の高かった任侠の士・田光の知遇を得ていた。彼はまた筑(琴に似た竹製の楽器)の名手の高漸離と意気投合し、いつも二人で酒を飲み歩き、酔うと高漸離は筑を鳴らし、荊軻はそれに和して歌い、傍若無人に振る舞っていたが、巷に酔いしれているかと思えば独居して書を読み、また剣を磨くことも怠らなかった。

 

 秦が着々と天下統一の歩みを進めている頃であった。韓を滅ぼし、趙を滅ぼした秦は、趙と燕との国境を流れる易水に臨んで、将に燕に攻め入る態勢を整えていた。その時燕の太子の丹が秦王・政を刺すべき刺客として選んだのは、田光であった。だが田光は自分の老齢を考えて、荊軻を薦めると、その決意を励ますために、自らは首をはねて死んだ。大事を命じられながら果たし得ない老骨の身の、それが太子のためになし得る唯一の道だと思ったのである。

 

 そのころ、秦から樊於期という将軍が燕に逃れてきて太子丹の元に身を隠していた。荊軻は秦王が莫大な賞金をかけて樊於期の首を求めているのを知ると、その首と、燕の督亢の地図を持って行けば秦王は心を許して引見するに違いないと考え、そのことを太子丹に申し出た。太子丹は荊軻を一刻も早く秦へやりたいと焦慮しながらも、樊於期を斬るには忍びない様子である。荊軻はそれを知ると、自ら樊於期に会って死を求めた。それが秦王に対する樊於期の恨みを晴らし、太子丹に対する恩にも報い、かる燕の憂いを除く道であると説いたのである。――樊於期は田光がしたのと同じように、荊軻の前で自ら首をはねて死んだ。

 

 樊於期の首と、督亢の地図とのほかに、荊軻はともに秦へ行くべき友人を待っていた。太子丹は秦舞陽と言う若者を副使として荊軻につけたが、荊軻には秦舞陽が頼みとするに足りる男とは思えなかったのである。友は遠方に居てなかなか来なかった。太子丹は、既に出発の準備を整えながら荊軻が立たないのを見ると、いよいよ焦慮して、秦舞陽一人を先に行かせようとした。荊軻は心ならずも友を待たずに行くことに決めた。秦舞陽を一人やることは危ないと思ったからである。それに時期も切迫している。太子の焦慮も解らぬではなかった。

 

 太子丹をはじめ、事を知っている少数の者は、服を喪服に替えて荊軻達を易水のほとりまで送っていった。いよいよ別れの時である。高漸離は筑を奏で、荊軻はそれに和して歌った。易水の風は冷たく人々の肌を刺し、高漸離の筑と荊軻の歌声とは悲壮に人々の心をふるわせた。秦へ行けばおそらく生きては帰れないであろう。これが荊軻を見る最後かと思うと高漸離は暗然と涙ぐみ、密かに涙を拭いかつ筑をかき鳴らして友を送った。荊軻は進みながら歌った。

 

 風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。(風蕭蕭として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた還らず。)

 

 その声は人々の肺腑をえぐった。人々は皆、眼を怒らして秦の方を睨み、髪逆立って冠を突くばかりであった。――すでにして荊軻は去り、ついに振り向くこともなくその姿は遠くなっていった。

 

 秦へ行った荊軻は、樊於期の首と督亢の地図とを伴って、秦王政に近づくことを得たが、匕首一閃、秦王は身を引いて、荊軻の手にはただ王の袖だけが残った。後ろから王を抱きとめるはずの秦舞陽は、もろくも人々にねじ伏せられていたのである。荊軻はついに志を遂げることが出来ず、みずから自分の胸を開き、指さして秦王に刺させた。

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《巻3-25 結客少年場行 -#1)》(貴公子が任侠の士を気取って、遊侠の場に出入りするものの、そこには呉越、春秋の劇孟、燕丹と荊軻の志さえもなく、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している)遊侠の少年のまたがる紫燕の名馬は、黄金のひとみ、きらきらしく耀き、鈴の音のリンリンたるにつれて、緑の鬣を振るい動かすさまは、まことに勇ましい。

 

 
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年:32年開元二十年32

卷別:    卷一六三               李太白集巻三 文體:    樂府

詩題:    結客少年場行

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:              新豐 (京畿道 京兆府 新豐)              

 

 

結客少年場行

(貴公子が任侠の士を気取って、遊侠の場に出入りするものの、そこには呉越、春秋の劇孟、燕丹と荊軻の志さえもなく、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している)

紫燕黃金瞳,啾啾搖綠鬉。【稜稜搖綠鬉】

遊侠の少年のまたがる紫燕の名馬は、黄金のひとみ、きらきらしく耀き、鈴の音のリンリンたるにつれて、緑の鬣を振るい動かすさまは、まことに勇ましい。

平明相馳逐,結客洛門東。

こうして、少年は朝早くから、この馬に乗って出かけ、洛門の東に出てその客と遊び戯れる。

少年學劍術,凌轢白猿公。

それから少年は、撃剣の術を学びその技の妙なることは、白猿公を圧倒すべき程である。

珠袍曳錦帶,匕首插鴻。

それから、珠にて飾れる美しい衣裳を着下ろして、錦帯を引きずり、むかし鉤師が其子の呉鴻等を殺し、その血を塗って鍛え上げたという、天晴なわざものヒ首を懐にしのばしている。

由來萬夫勇,挾此生雄風。

この少年はただでさえ萬夫の勇あるに、まして、このヒ首を持っているから、身辺に雄風を生ずるばかりである。

 

託交從劇孟,買醉入新豐。

笑盡一杯酒,殺人都市中。

羞道易水寒,令日貫虹。令日貫虹】

燕丹事不立,虛沒秦帝宮。

舞陽死灰人,安可與成功。

 

(結客少年場行)

紫燕 黃金の瞳,啾啾として 綠鬉を搖らす。

平明 相い馳逐し,客に結んで 洛門の東。

少年 劍術を學び,凌轢す 白猿公。

珠袍 錦帶を曳き,匕首 鴻を插む

由來は萬夫の勇なり,此を挾んで雄風を生ず。

 

交を託して劇孟に從い,醉いを買うて 新豐に入る。

笑って一杯の酒を盡し,人を殺す 都市の中。

易水の寒を道【い】うを羞づ,徒【いたずら】に日をして虹を貫ぬか令む。

燕丹 事 立たず,虛しく秦帝の宮に沒す。

舞陽は 死灰の人,安んぞ與に功を成す可けんや。

touRAKUYOjou600 

 

『結客少年場行』 現代語訳と訳註解説
 (本文)
結客少年場行

紫燕黃金瞳,啾啾搖綠鬉。【稜稜搖綠鬉】

平明相馳逐,結客洛門東。

少年學劍術,凌轢白猿公。

珠袍曳錦帶,匕首插鴻。

由來萬夫勇,挾此生雄風。

 

(下し文)
(
結客少年場行)

紫燕 黃金の瞳,啾啾として 綠を搖らす。

平明 相い馳逐し,客に結んで 洛門の東。

少年 劍術を學び,凌轢す 白猿公。

珠袍 錦帶を曳き,匕首 鴻を插む。

由來は萬夫の勇なり,此を挾んで雄風を生ず。

(現代語訳)
(貴公子が任侠の士を気取って、遊侠の場に出入りするものの、そこには呉越、春秋の劇孟、燕丹と荊軻の志さえもなく、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している)

遊侠の少年のまたがる紫燕の名馬は、黄金のひとみ、きらきらしく耀き、鈴の音のリンリンたるにつれて、緑の鬣を振るい動かすさまは、まことに勇ましい。

こうして、少年は朝早くから、この馬に乗って出かけ、洛門の東に出てその客と遊び戯れる。

それから少年は、撃剣の術を学びその技の妙なることは、白猿公を圧倒すべき程である。

それから、珠にて飾れる美しい衣裳を着下ろして、錦帯を引きずり、むかし鉤師が其子の呉鴻等を殺し、その血を塗って鍛え上げたという、天晴なわざものヒ首を懐にしのばしている。

この少年はただでさえ萬夫の勇あるに、まして、このヒ首を持っているから、身辺に雄風を生ずるばかりである。

漢魏隋唐の洛陽城

(訳注)

結客少年場行

(貴公子が任侠の士を気取って、遊侠の場に出入りするものの、そこには呉越、春秋の劇孟、燕丹と荊軻の志さえもなく、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している)

曹植詩 《結客篇》曰:“結客少年場,報怨洛北邙。”「結客少年場行、報怨洛北邙」を宋·鮑照が雜曲歌辭六 【結客少年場行】《後漢書》曰:“祭遵嘗為部吏所侵,結客殺人。” つづいて郭茂倩《樂府解題》曰:“《結客少年場行》,言輕生重義,慷慨以立功名也。”結客少年場,報怨洛北荒,利劍鳴手中,一擊兩尸僵」とあり、やはり先行するものは無く曹植のものに代したと考えられる。

樂府解題によると,

《結客少年場行》とは言輕く生重く義薄く,慷慨を以て功名を立てる也。

『廣題』に曰く“漢の長安少年が殺吏,財を受け報仇(する際)彈丸を探(くじのように引き),赤丸なら武吏を斫*(はつ)り,黑丸は文吏を殺すときめた。

また(三國時),尹賞が長安令のとき,之を捕しまった。長安中でその爲之歌に曰く、“どこに子の死を求める(者がいよう),桓東少年場,生むときには想わない,枯骨のほかに何を葬ろうか”

結客少年場とは少年時の遊樂の場のため,任俠客を氣取り,終に無と成る,故の此の曲なり。と,ある。

 

紫燕黃金瞳,啾啾搖綠鬉。【稜稜搖綠鬉】

遊侠の少年のまたがる紫燕の名馬は、黄金のひとみ、きらきらしく耀き、鈴の音のリンリンたるにつれて、緑の鬣を振るい動かすさまは、まことに勇ましい。

杜甫《夜聽許十一誦詩愛而有作》「紫燕自超詣,翠駁誰翦剔?」(紫燕自ら超詣 翠駁誰か勇別せん)紫燕の名馬はおのずから凡馬から超越していることである。翠駁の馬の毛並みはいったいだれがきったりしたのであるかというように、人しれず苦心している結果に成るものであるのだ。 
紫燕 漢の文帝の良馬九匹、其の一つを紫燕騮という、許生の詩能を比較する。九逸《西京雜記》:漢文帝自代還,有良馬九匹,皆天下駿足也。名曰浮雲、赤電、群、逸群、紫燕騮、祿螭驄、龍子、嶙駒、塵,號九逸。有來宣能禦超詣 遠くにこえていく。超とは高くこえること、詣とは遠くにまでいたること。○翠駁 翠は馬については紫色をいう。駁は色の不純なことをいう。紫色でぶちであるのが翠駁であり、そのような馬をいう。○翦剔 翦はたてがみの毛をきること、剔は毛を刷くことをいう。翦剔とは毛なみをうるわしく整えることをいう。

夜聽許十一誦詩愛而有作 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 101

啾啾 馬に付けている鈴の鳴る音。

綠鬉 たてがみ。

 

平明相馳逐,結客洛門東。

こうして、少年は朝早くから、この馬に乗って出かけ、洛門の東に出てその客と遊び戯れる。

漢の無名氏《東門行》《西門行》にあるように、門を出てゆくことは強い信念、志をもって出るものとしているが、洛門の東で遊んでいるということ。

出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。

盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。

順東門行 謝霊運(康楽) 詩<79>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

西門行 漢の無名氏 詩<81>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

東門行 漢の無名氏 詩<82>Ⅱ李白に影響を与えた詩512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1353

門有萬里客 曹植 Ⅰ魏詩<67> 735 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2223

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少年學劍術,凌轢白猿公。

それから少年は、撃剣の術を学びその技の妙なることは、白猿公を圧倒すべき程である。

凌轢 圧倒すること。

白猿公 《越春秋》卷九〈勾踐陰謀外傳‧勾踐十三年〉~226, 越王又問相國范蠡曰:「孤有報復之謀,水戰則乘舟,陸行則乘輿,輿舟之利,頓於兵弩。今子為寡人謀事,莫不謬者乎?」范蠡對曰:「臣聞古之聖君,莫不習戰用兵,然行陣隊伍軍鼓之事,吉凶決在其工 .

 

珠袍曳錦帶,匕首插鴻。

それから、珠にて飾れる美しい衣裳を着下ろして、錦帯を引きずり、むかし鉤師が其子の呉鴻等を殺し、その血を塗って鍛え上げたという、天晴なわざものヒ首を懐にしのばしている。

匕首 びしゅ- (「匕首」とも書く)つばのない短刀。匕首(ひしゆ)。九寸五分(くすんごぶ)。 刀剣で,つばをつけず,柄口(つかぐち)と鞘口(さやぐち)が合うようなこしらえ。

 中国古代の二名剣のことをいう。呉の刀工干将は呉王の嘱により剣を作る時、妻莫耶の髪を炉に入れて初めて作り得た名剣二口に、陽を「干将」、陰を「莫耶」と名づけたことから、転じて、広く名剣の意となった。「呉越春秋」に書かれている<干将莫耶・干将莫邪>の二剣について

呉王・闔閭は名工・干将に2振りの剣を作るよう命じた。干将は最高の材料をそろえ、最高の製作条件を整えてこれに挑んだが、なかなか鉄が溶けず、3ヶ月の時がすぎた。妻の莫耶は干将の師であった欧冶子がかつて自身の身を犠牲にして剣を作ったことを思い出し、自分の髪と爪を炉に入れてみたところ、ようやく鉄が溶けた。干将はこの鉄を使って2振りの剣を作り上げたが、陽剣「干将」は手元において隠し、陰剣「莫耶」のみを王に献上した。王は献上された「莫耶」を大変気に入り、この剣を珍重した。

干将の妻は髪を切り爪を切って爐の中に投じ、童女童男三百人にふいごで火をおして炭をしかけさせると、金鉄はうるおい、ついに剣をつくることができ、陽を干将といい、陰を莫耶といった。陽は亀甲の文様、陰はちらばったすじ模様があった。干将はその陽をかくし、陰を出してこれを献じた。闔閭は甚だ重んじた。すでに宝剣を得て、たまたま魯の使者の季孫が呉に招かれており、闔閭は掌剣大夫に莫邪を献じさせた。季孫は剣を抜くと、刃に欠けているところがあり大きさは黍粒ぐらいであった。感嘆して言った「美しい剣だ。中国の軍といえどもこれ以上の物があるだろうか。剣ができたということは、呉の覇業をあらわしている。欠けているところがあれば、滅びる。私はこれを好みはするが、受け取るべきであろうか」受けずに去った。

闔閭はすでに莫邪を宝とし、また国中に金鈎を作るように命じて言った 「よい鈎を作ることができた物には、百金を褒美として与える」 呉で鈎を作る物は甚だ多かった。そして、ある人は王の手厚い褒美をむさぼり、二子を殺してその血を金に塗り、ついに二つの鉤を作り闔閭に献じ、宮門に至って褒美を求めた。王は言った 「鈎を作る者は多いが、おまえはひとり恩賞を求めてきた、おまえの鈎は他のものとどう異なるのか」 鈎を作る者は言った 「私の作る鈎は、恩賞をむさぼってふたりの子を殺し、血を塗って二つの鈎を作ったのです。」王はそこでたくさんの鈎を挙げてその者に示し「どれがそうなのか」王の鈎は甚だ多く、形態は似ていて、どこにあるか分からなかった。ここにおいて鈎師は鈎に向かって二人の子の名を呼び、「呉鴻、扈稽、私はここにいる、王はおまえたちの霊妙を知らない」声が口から絶えると、二つの鈎はともに飛んできて父の胸に付いた。呉王は大いに驚いて言った 「ああ、私はまことにあなたに償おう」 そこで百金を恩賞として与えた。ついに身につけて離さなかった。

 

由來萬夫勇,挾此生雄風。

この少年はただでさえ萬夫の勇あるに、まして、このヒ首を持っているから、身辺に雄風を生ずるばかりである。

 

 李白図102

 

 

李白 任侠の詩

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160 《巻03-10 幽澗泉》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <160> Ⅰ李白詩1356 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5328

160-#2 《巻03-10 幽澗泉 #2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <160-#2> Ⅰ李白詩1368 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5388

161 《巻03-16 相逢行》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <161> Ⅰ李白詩1357 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5333

162 《巻03-24 結襪子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <162> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

163-#1 《巻04-05 白馬篇》-#1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <163> Ⅰ李白詩1359 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5343

163-#2 《巻04-05 白馬篇 #2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <163-#2> Ⅰ李白詩1372 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5408

164 《巻05-11 少年子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <164> Ⅰ李白詩1373 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5413

165 《巻05-13 少年行,二首之一》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <165> Ⅰ李白詩1361 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5353

166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423

167 巻05-15 白鼻騧》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <167> Ⅰ李白詩1363 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5363

 

196(改訂版) 《巻2-20前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之二(琴奏龍門之綠桐)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <196> Ⅰ李白詩1421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5653

(改訂版) 《巻2-20前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之二(琴奏龍門之綠桐)》龍門の緑桐の樹で作った良い琴瑟を用意し、輝くきれいな壺に美味しい清酒を入れて用意すると澄み切った良いお酒はまるで空っぽのようにみえる。やがて、琴絃を引き締めて、琴柱をを払って掻き立て、その琴の音を聞きつつ、君と一緒に酒を飲めば、紅い色が緑に見えるほど酩酊してしまって、互いの顔は初めて赤くなって酔いが回ったのだ。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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196(改訂版) 《巻2-20前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之二(琴奏龍門之綠桐)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <196> Ⅰ李白詩1421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5653 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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41-#3 《0229 齪齪 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1334> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5654韓愈詩-41-#3 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-42-#4奉節-33-#4 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#4》 杜甫index-15 杜甫<905-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5655 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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196(改訂版) 《巻2-20前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之二(琴奏龍門之綠桐)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <196> Ⅰ李白詩1421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5653

 

年:-732年開元二十年32

卷別:    卷一六二               李太白集巻二 20首目  文體:             樂府

詩題:    前有一樽酒行,二首之二【前有樽酒行】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

 

 前有一樽酒行,二首之一【前有樽酒行】

(古楽府の同題詩は賓主の長寿を祝うものであるが、李白はこの詩では、時に及んでまさに行楽すべしということを詠っている。)

春風東來忽相過,金樽淥酒生微波。

春風は東から吹いて來るとたちまち春が過ぎてしまうので、金の大盃にそそがれた春に搾った澄み切った新酒に春風が吹き波だっている。

落花紛紛稍覺多,美人欲醉朱顏酡。

そこに落ちかかる花びらが紛々として次第に多きを加えた、この時芸妓の美人はほろ酔いで顔を赤くしている。

青軒桃李能幾何,流光欺人忽蹉跎。

青い色を塗った軒端に咲く桃李の花は、いつまでどれほど匂っているだろうか、日月は人を圧倒してどんどん行き過ぎてしまう。

君起舞,日西夕。

だから今を面白く楽しく過ごしたいと思っていると日は西に傾き夕方になろうとする、君よ、さあ起ちあがって踊舞りたまえ。

當年意氣不肯平,白髮如絲歎何益。

君は昔日の意気、依然としてあるから不平が恒常的に絶えず渋い顔をする、しかし、そうしているうちに白髪頭の老人になってしまって、後悔しても遅いのではなかろうか。

 

(前有 一樽酒行,二首之一)

春風 東來して忽ち相い過ぐ,金の樽 淥酒 微波を生ず。

落花 紛紛として稍や多きを覺ゆ,美人醉わんと欲して 朱顏酡す。

青軒の桃李 能く幾何ぞ,流光 人を欺いて 忽ち蹉跎たり。

君 起って舞え,日 西に 夕なり。

當年の意氣 肯えて平らかならず,白髮 絲の如し 歎ずるも 何の益かあらん。


前有一樽酒行,二首之二
【前有樽酒行】

(古楽府の同題詩は賓主の長寿を祝うものであるが、李白はこの詩では、時に及んでまさに行楽すべしということを詠っている。)その二

琴奏龍門之綠桐,玉壺美酒清若空。

龍門の緑桐の樹で作った良い琴瑟を用意し、輝くきれいな壺に美味しい清酒を入れて用意すると澄み切った良いお酒はまるで空っぽのようにみえる。

催弦拂柱與君飲,看朱成碧顏始紅。

やがて、琴絃を引き締めて、琴柱をを払って掻き立て、その琴の音を聞きつつ、君と一緒に酒を飲めば、紅い色が緑に見えるほど酩酊してしまって、互いの顔は初めて赤くなって酔いが回ったのだ。

貌如花,當壚笑春風。

ペルシャ人の女は、眼鼻顔立ちがはっきりして艶にして花のようだ。酒瓶を並べているところに座っていて、春風に色香を載せて微笑みながら酒を売っている。

笑春風,舞羅衣,君今不醉將安歸。【君今不醉欲安歸】

春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣でさあ踊舞りたまえ。さあ君、いまこそ酔わなければ何処で酔おうというのか、ここに来た以上、十分酒を飲んで愉快に楽しく過ごそうというものだ。

 

(前有一樽酒行,二首之二)

琴 龍門の綠桐【ろくどう】を奏し,玉壺 美酒 清くして空【から】の若し。

弦を催し 柱を拂って 君と飲み,朱の碧を成すを看て 顏 始めて紅なり。

 貌 花の如し,壚【ろ】に當って 春風に笑う。

春風に笑い,羅衣を舞い,君 今 醉わず 將に安【いず】くにか歸らんとする。

 

巫山十二峰003 

(改訂版) 《巻2-20前有一樽酒行,二首之二》

『前有一樽酒行,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

前有一樽酒行,二首之二【前有樽酒行】

琴奏龍門之綠桐,玉壺美酒清若空。

催弦拂柱與君飲,看朱成碧顏始紅。

貌如花,當壚笑春風。

笑春風,舞羅衣,君今不醉將安歸。【君今不醉欲安歸】


(下し文)
(前有一樽酒行,二首の二)

琴 龍門の綠桐【ろくどう】を奏し,玉壺 美酒 清くして空【から】の若し。

弦を催し 柱を拂って 君と飲み,朱の碧を成すを看て 顏 始めて紅なり。

 貌 花の如し,壚【ろ】に當って 春風に笑う。

春風に笑い,羅衣を舞い,君 今 醉わず 將に安【いず】くにか歸らんとする。


(現代語訳)
(古楽府の同題詩は賓主の長寿を祝うものであるが、李白はこの詩では、時に及んでまさに行楽すべしということを詠っている。)その二

龍門の緑桐の樹で作った良い琴瑟を用意し、輝くきれいな壺に美味しい清酒を入れて用意すると澄み切った良いお酒はまるで空っぽのようにみえる。

やがて、琴絃を引き締めて、琴柱をを払って掻き立て、その琴の音を聞きつつ、君と一緒に酒を飲めば、紅い色が緑に見えるほど酩酊してしまって、互いの顔は初めて赤くなって酔いが回ったのだ。

ペルシャ人の女は、眼鼻顔立ちがはっきりして艶にして花のようだ。酒瓶を並べているところに座っていて、春風に色香を載せて微笑みながら酒を売っている。

春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣でさあ踊舞りたまえ。さあ君、いまこそ酔わなければ何処で酔おうというのか、ここに来た以上、十分酒を飲んで愉快に楽しく過ごそうというものだ。

李白の足跡0000
(訳注)

前有一樽酒行,二首之二【前有樽酒行】

(古楽府の同題詩は賓主の長寿を祝うものであるが、李白はこの詩では、時に及んでまさに行楽すべしということを詠っている。)その二

 

琴奏龍門之綠桐,玉壺美酒清若空。

龍門の緑桐の樹で作った良い琴瑟を用意し、輝くきれいな壺に美味しい清酒を入れて用意すると澄み切った良いお酒はまるで空っぽのようにみえる。

龍門之綠桐 龍門の琴瑟。周禮に「龍門山の桐の樹は高さ百尺にして枝なし。琴をとって斫斬して、以て琴とならしむ。』とあり、琴瑟のブランド名。

清若空 清酒が澄みきっていて、まるで壺の中が酒が入ってなくて、空の様だということ。

 

催弦拂柱與君飲,看朱成碧顏始紅。

やがて、琴絃を引き締めて、琴柱をを払って掻き立て、その琴の音を聞きつつ、君と一緒に酒を飲めば、紅い色が緑に見えるほど酩酊してしまって、互いの顔は初めて赤くなって酔いが回ったのだ。

催絃 絃舷をせきたてる。せわしく絃をかきならす。

払柱 琴柱をはらう。「払」は琴そのものを女性とするので、性行為の比喩である。自由奔放に琴をひくことと表現する。

看朱成碧 赤い色が青く見える。ここでは、酔って物の見分けがつかなくなること、悪酔いをしたもの。

 

貌如花,當壚笑春風。

ペルシャ人の女は、眼鼻顔立ちがはっきりして艶にして花のようだ。酒瓶を並べているところに座っていて、春風に色香を載せて微笑みながら酒を売っている。

胡姫  唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。この当時、長安は世界最大の都市であり、西門の金光門は異民族への玄関口である。この門から東の春明門は目抜き通り、都登路であり、その真ん中に朱雀門があり、国際通りであった。

貌如花 目鼻立ちが大きくはっきりしている。

當壚 酒の大甕を炉のように土で固めて四辺隆起に盛っている。酒販売の店のせつび。漢の文人司馬相加が、美しい女房の卓文君を壚のそばに坐らせ、酒を売らせた話は有名である。「史記」や「漢書」に見える。当壚は、酒を売ること。(おカンの番をすると解することが多いが意味が薄い。)

 

笑春風,舞羅衣,君今不醉將安歸。【君今不醉欲安歸】

春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣でさあ踊舞りたまえ。さあ君、いまこそ酔わなければ何処で酔おうというのか、ここに来た以上、十分酒を飲んで愉快に楽しく過ごそうというものだ。

笑春風 色香を振りまいて誘うこと。酒場女は娼婦でもあったので売春も常識的に存在した。

蘿衣 うすぎぬの衣。
李白 32歳 

195(改訂版) 《巻2-19前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之一春風東來忽相過,》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <195> Ⅰ李白詩1420 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5648

李白《巻2-19前有一樽酒行,二首之一春風東來忽相過,》古楽府の同題詩は賓主の長寿を祝うものであるが、李白はこの詩では、時に及んでまさに行楽すべしということを詠っている。)春風は東から吹いて來るとたちまち春が過ぎてしまうので、金の大盃にそそがれた春に搾った澄み切った新酒に春風が吹き波だっている。

 
 2015年3月6日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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195(改訂版) 《巻2-19前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之一春風東來忽相過,》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <195> Ⅰ李白詩1420 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5648 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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41-#2 《0229 齪齪 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1333> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5649韓愈詩-41-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-42-#3奉節-33-#3 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#3》 杜甫index-15 杜甫<905-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5650 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-12韋荘90《巻2-40 歸國遙三首 其二》二巻40-〈90〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5652 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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195(改訂版) 《巻2-19前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之一春風東來忽相過,》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <195> Ⅰ李白詩1420 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5648

 

 

年:-732年開元二十年32

卷別:    卷一六二               李太白集巻二 19首目  文體:             樂府

詩題:    前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之一

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

 

 

前有一樽酒行,二首之一【前有樽酒行】

(古楽府の同題詩は賓主の長寿を祝うものであるが、李白はこの詩では、時に及んでまさに行楽すべしということを詠っている。)

春風東來忽相過,金樽淥酒生微波。

春風は東から吹いて來るとたちまち春が過ぎてしまうので、金の大盃にそそがれた春に搾った澄み切った新酒に春風が吹き波だっている。

落花紛紛稍覺多,美人欲醉朱顏酡。

そこに落ちかかる花びらが紛々として次第に多きを加えた、この時芸妓の美人はほろ酔いで顔を赤くしている。

青軒桃李能幾何,流光欺人忽蹉跎。

青い色を塗った軒端に咲く桃李の花は、いつまでどれほど匂っているだろうか、日月は人を圧倒してどんどん行き過ぎてしまう。

君起舞,日西夕。

だから今を面白く楽しく過ごしたいと思っていると日は西に傾き夕方になろうとする、君よ、さあ起ちあがって踊舞りたまえ。

當年意氣不肯平,白髮如絲歎何益。

君は昔日の意気、依然としてあるから不平が恒常的に絶えず渋い顔をする、しかし、そうしているうちに白髪頭の老人になってしまって、後悔しても遅いのではなかろうか。

 

(前有 一樽酒行,二首之一)

春風 東來して忽ち相い過ぐ,金の樽 淥酒 微波を生ず。

落花 紛紛として稍や多きを覺ゆ,美人醉わんと欲して 朱顏酡す。

青軒の桃李 能く幾何ぞ,流光 人を欺いて 忽ち蹉跎たり。

君 起って舞え,日 西に 夕なり。

當年の意氣 肯えて平らかならず,白髮 絲の如し 歎ずるも 何の益かあらん。

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『前有一樽酒行,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之一
春風東來忽相過,金樽淥酒生微波。

落花紛紛稍覺多,美人欲醉朱顏酡。

青軒桃李能幾何,流光欺人忽蹉跎。

君起舞,日西夕。

當年意氣不肯平,白髮如絲歎何益。


(下し文)
(前有 一樽酒行,二首之一)

春風 東來して忽ち相い過ぐ,金の樽 酒 微波を生ず。

落花 紛紛として稍や多きを覺ゆ,美人醉わんと欲して 朱顏酡す。

青軒の桃李 能く幾何ぞ,流光 人を欺いて 忽ち蹉跎たり。

君 起って舞え,日 西に 夕なり。

當年の意氣 肯えて平らかならず,白髮 絲の如し 歎ずるも 何の益かあらん。

(現代語訳)
(古楽府の同題詩は賓主の長寿を祝うものであるが、李白はこの詩では、時に及んでまさに行楽すべしということを詠っている。)

春風は東から吹いて來るとたちまち春が過ぎてしまうので、金の大盃にそそがれた春に搾った澄み切った新酒に春風が吹き波だっている。

そこに落ちかかる花びらが紛々として次第に多きを加えた、この時芸妓の美人はほろ酔いで顔を赤くしている。

青い色を塗った軒端に咲く桃李の花は、いつまでどれほど匂っているだろうか、日月は人を圧倒してどんどん行き過ぎてしまう。

だから今を面白く楽しく過ごしたいと思っていると日は西に傾き夕方になろうとする、君よ、さあ起ちあがって踊舞りたまえ。

君は昔日の意気、依然としてあるから不平が恒常的に絶えず渋い顔をする、しかし、そうしているうちに白髪頭の老人になってしまって、後悔しても遅いのではなかろうか。

幻日環01
(訳注)

前有一樽酒行【前有樽酒行】,二首之一

(古楽府の同題詩は賓主の長寿を祝うものであるが、李白はこの詩では、時に及んでまさに行楽すべしということを詠っている。)

 

春風東來忽相過,金樽淥酒生微波。

春風は東から吹いて來るとたちまち春が過ぎてしまうので、金の大盃にそそがれた春に搾った澄み切った新酒に春風が吹き波だっている。

金樽 樽は大盃の事で金の飾りのもの。

淥酒 春に搾った新酒の清酒

杜甫《1413 宴戎州楊使君東樓》「重碧拈春酒,輕紅擘荔枝。」(重碧の春酒を拈【ひね】り,輕紅の荔枝を擘【やぶ】る。新酒で濃い緑の竹筒に入った「春酒」をつまむようにして口元に持って行って飲むと、南国の紅色の荔枝をつよく裂き破ってつまみにする。

・重碧:濃い青竹に入れている酒で、春に搾りたての新酒。長安新豊の新酒は口広の甕で油紙で、黄色いひもで縛っている。高温で焼いた瓶でこい茶色。緑色の酒という解釈をしている書物もあるが、間違い。

・拈:酒を絞り出すこと、つくり出すこと。【拈る】ひねる. 物を指先などでねじる。 体の一部をねじり回す。「足を拈った」; 簡単に負かす。ここでは、盃はワイングラスのような形の銀製で作られるので右手でつまむようにして口元に持って行くと左手で隠しながら飲むので、盃をひねるようにして飲むことをいう。

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落花紛紛稍覺多,美人欲醉朱顏酡。

そこに落ちかかる花びらが紛々として次第に多きを加えた、この時芸妓の美人はほろ酔いで顔を赤くしている。

顏酡 酒に寄って顔を赤くしている。

 

青軒桃李能幾何,流光欺人忽蹉跎。

青い色を塗った軒端に咲く桃李の花は、いつまでどれほど匂っているだろうか、日月は人を圧倒してどんどん行き過ぎてしまう。

青軒 青い色を塗った軒、五行思想で春、東、上品なものという。

 

君起舞,日西夕。

だから今を面白く楽しく過ごしたいと思っていると日は西に傾き夕方になろうとする、君よ、さあ起ちあがって踊舞りたまえ。

 

當年意氣不肯平,白髮如絲歎何益。

君は昔日の意気、依然としてあるから不平が恒常的に絶えず渋い顔をする、しかし、そうしているうちに白髪頭の老人になってしまって、後悔しても遅いのではなかろうか。
李白 32歳 

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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    雜言古詩

詩題:    寄遠,十一首之十一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

寄遠,十一首之十一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

愛君芙蓉嬋娟之豔色,色可餐兮難再得。

君が目の際のほんのりとした芙蓉の如く、あでやかなる艶色を愛し、さながら、餐し得べきが如く、再び他には得られぬものと信じて居る。

憐君冰玉清迥之明心,情不極兮意已深。

君の氷玉の如く清く迥けき明心を憐れむので、その情は、極まるなく、意の深きは、言うにも及ばないのである。

朝共琅玕之綺食,夜同鴛鴦之錦衾。

朝には、琅玕に此すべき綺食をわかって食し、夜は鴛鴦の繍ある錦の衾を同じゅうして寝るのである。

恩情婉孌忽為別,使人莫錯亂愁心。

かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。

#2

亂愁心,涕如雪。

このように、愁心を錯亂させたことに因って、涙は雪がふるが如く降りそそぐのである。

寒燈厭夢魂欲覺來相思生白髮。

寒々とした旅館の燈は夢を圧して、魂も絶えるのではなかろうかとおもうばかりであり、やがて夢が醒めてくると、相思の極みであり、あたまに白髪が生えてきた。

盈盈漢水若可越,可惜凌波步羅襪。

みずみずしくうつくしい漢水の流は、越えて行けるようであるが、波を凌いで、羅襪のまま、水の上を歩ませるは、萬一の事があってはというので、いかにも可惜しき心地がする。

美人美人兮歸去來,莫作朝雲暮雨兮飛陽臺。

美しい人、美しい人よ、私は「かえりなんいざ」と桃源郷に隠遁して立ち去るも善かろうと思うところで、朝雲となり、暮雨となり、巫山の陽臺の下に飛んで、楚王と、あらぬ浮名を流すようなことがあつては成らないのだ。

 

(寄遠,十一首の十一)

君芙蓉嬋娟の豔色を愛す,色 餐すべく、再び得難し。

君が冰玉 清迥の明心を憐む,情 極らず  意 已に深し。

朝には 琅玕の綺食を共にし,夜には 鴛鴦の錦衾を同じゅうす。

恩情 婉孌【えんらん】忽ち別を為す,人をして錯って愁心を亂すを莫らしめよ。

#2

愁心を亂し,涕 雪の如し。

寒燈 夢を厭して魂 んと欲し覺め來って 相思 白髮を生ず。

盈盈 漢水 越ゆ可くが若し,惜しむ可し 凌波 羅襪を步するを。

美人 美人よ 歸り去らん來【いざ】,「朝雲暮雨」さ作して陽臺に飛ぶこと莫れ。

 

 巫山十二峰002

『寄遠,十一首之十一)』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

亂愁心,涕如雪。

寒燈厭夢魂欲覺來相思生白髮。

盈盈漢水若可越,可惜凌波步羅襪。

美人美人兮歸去來,莫作朝雲暮雨兮飛陽臺。


(下し文) #2

愁心を亂し,涕 雪の如し。

寒燈 夢を厭して魂 んと欲し,覺め來って 相思 白髮を生ず。

盈盈 漢水 越ゆ可くが若し,惜しむ可し 凌波 羅襪を步するを。

美人 美人よ 歸り去らん來【いざ】,「朝雲暮雨」さ作して陽臺に飛ぶこと莫れ。

(現代語訳)
このように、愁心を錯亂させたことに因って、涙は雪がふるが如く降りそそぐのである。

寒々とした旅館の燈は夢を圧して、魂も絶えるのではなかろうかとおもうばかりであり、やがて夢が醒めてくると、相思の極みであり、あたまに白髪が生えてきた。

みずみずしくうつくしい漢水の流は、越えて行けるようであるが、波を凌いで、羅襪のまま、水の上を歩ませるは、萬一の事があってはというので、いかにも可惜しき心地がする。

美しい人、美しい人よ、私は「かえりなんいざ」と桃源郷に隠遁して立ち去るも善かろうと思うところで、朝雲となり、暮雨となり、巫山の陽臺の下に飛んで、楚王と、あらぬ浮名を流すようなことがあつては成らないのだ。


(訳注)

寄遠,十一首之十一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

李白の足跡0000 

亂愁心,涕如雪。

このように、愁心を錯亂させたことに因って、涙は雪がふるが如く降りそそぐのである。

 

寒燈厭夢魂欲覺來相思生白髮。

寒々とした旅館の燈は夢を圧して、魂も絶えるのではなかろうかとおもうばかりであり、やがて夢が醒めてくると、相思の極みであり、あたまに白髪が生えてきた。

寒燈 寒々とした旅館のともしびのもと。李白、杜甫、高適の三詩人が共に旅をしている。

高適 『除夜作』

旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。

故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。

 

盈盈漢水若可越,可惜凌波步羅襪。

みずみずしくうつくしい漢水の流は、越えて行けるようであるが、波を凌いで、羅襪のまま、水の上を歩ませるは、萬一の事があってはというので、いかにも可惜しき心地がする。

盈盈 みずみずしくうつくしいさま。古詩十九首の第二首に「盈盈たり楼上の女」という句がある。

羅襪 うすぎぬのくつした。

 

美人美人兮歸去來,莫作朝雲暮雨兮飛陽臺。

美しい人、美しい人よ、私は「かえりなんいざ」と桃源郷に隠遁して立ち去るも善かろうと思うところで、朝雲となり、暮雨となり、巫山の陽臺の下に飛んで、楚王と、あらぬ浮名を流すようなことがあつては成らないのだ。

歸去來 陶淵明のように「歸去來」を唱えて、隠遁して桃源郷に帰ろう。〔陶淵明(とうえんめい)「帰去来辞」に基づく。「来」は助辞〕故郷に帰るために,官職をやめてその地を去ること。「かえりなんいざ」と訓読されてきた。

朝雲暮雨 襄王雲雨 むかし楚の嚢王が詩人の宋玉をつれて、雲夢の丘に遊び、高唐という物見台から景色を眺めた。すると、その上に雲気が立ちこめ、高くまっすぐ上ったかと思うと、たちまち形をかえた。しばらくの間に、千変万化する。襄王がたずねた、「これは何か」。宋玉がこたえた、「いわゆる朝雲です」。「朝雲とは何か」。宋玉が説明した。

「昔先代の王さまがやはりこの高唐に遊びにきて、昼寝をされた。夢の中に一人の女が現われて言った。『わたしは巫山の女です。高唐へ遊びにきましたが、殿様もまた高唐に遊びに来られたことを聞きました。どうか、おそばに侍らせて下さいませ。』 王はお可愛がりになった。去るとき女が言った。「わたしは巫山の南の高い山の峰に住んでいますが、朝には雲となり、碁には雨となり、毎朝毎晩、南の丘の下へ行きます」。翌朝、行ってみると、果して女の言うとおりだったので、そこに社を建てて朝雲と呼んだ。興味をおぼえた嚢王は、朝雲についてその様子をききただす。宋玉は委細をつくして朝雲暮雨を歌いあげる。その話は、宋玉の「高唐の賦」にくわしい。ただし、ふつうの伝説では、夢のなかで巫山の女神と交わったのは、嚢王その人となっている。 

陽臺 巫山・陽臺 宋玉《高唐賦》「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣,兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問玉曰:“此何氣也?”玉對曰:“所謂朝雲者也。”王曰:“何謂朝雲?”玉曰:“昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:'妾,巫山之女也。為高唐之客。閘君遊 4 。回唐,願荐枕席。」王因幸之。去而辭曰:「妾在巫山之陽,高丘之阻。曰一為行雲,暮為行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」旦朝視之,如言。故為立廟,號曰朝雲。」王日:「朝雲始出,狀若何也?

昔、楚の襄王と宋玉 雲夢之台に遊び,高の觀に望む,其の上、獨り雲氣有り,兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問うて玉曰く:“此れ何の氣ぞや?”玉 對えて曰く:“所謂 朝雲なる者なり。”王曰く:“何謂朝雲?”玉曰く:“昔、先王 嘗て高唐に遊び,怠って晝寢し,夢に一婦人を見る 曰く:'妾,巫山の女也。高唐の客と為り。君が遊 ぶを閘く。回唐,願わくば枕席を荐めん。」王 因って之を幸す。去って辭して曰く:「妾は巫山の陽,高丘の阻に在り。曰く一たび行雲と為り,暮には行雨と為る。朝朝暮暮,陽臺之下。」と。旦朝、之を視て,言の如し。故に為に廟を立てて,號して朝雲と曰う。」王日く:「朝雲 始めて出づ,狀 若何也?

楚雲 雲が男で女が雨で絡み合うというほどの意味だが、宋玉の「高唐の賦」宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの(か))があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りといった感じのものではなく、もっと、気楽な契りをいう。

杜甫『水檻遣心二首』其の「蜀天常夜雨,江檻已朝晴。葉潤林塘密,衣幹枕席清。不堪支老病,何得尚浮名?淺把涓涓酒,深憑送此生。」楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させるが蜀では夜雨が降る。

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

 李商隠『細 雨』「帷飄白玉堂、簟巻碧牙牀。楚女昔時意、蕭蕭髪彩涼。」(やわらかに風に翻るとばりは、白い玉の輝く堂を包んでいる。あるいは竹の敷物は、冷やかに碧く光る象牙の牀に拡げられている。巫山の神女はその身をささげたあの時の気持ちを秘めて今もいる、粛々と黒髪を一層色濃くし涼やかにしている。 

李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)

細雨(帷飄白玉堂)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-76

細雨(瀟洒傍廻汀)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-78

 

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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    雜言古詩

詩題:    寄遠,十一首之十一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

寄遠,十一首之十一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

愛君芙蓉嬋娟之豔色,色可餐兮難再得。

君が目の際のほんのりとした芙蓉の如く、あでやかなる艶色を愛し、さながら、餐し得べきが如く、再び他には得られぬものと信じて居る。

憐君冰玉清迥之明心,情不極兮意已深。

君の氷玉の如く清く迥けき明心を憐れむので、その情は、極まるなく、意の深きは、言うにも及ばないのである。

朝共琅玕之綺食,夜同鴛鴦之錦衾。

朝には、琅玕に此すべき綺食をわかって食し、夜は鴛鴦の繍ある錦の衾を同じゅうして寝るのである。

恩情婉孌忽為別,使人莫錯亂愁心。

かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。

#2

亂愁心,涕如雪。

寒燈厭夢魂欲覺來相思生白髮。

盈盈漢水若可越,可惜凌波步羅襪。

美人美人兮歸去來,莫作朝雲暮雨兮飛陽臺。

 

(寄遠,十一首の十一)

君芙蓉嬋娟の豔色を愛す,色 餐すべく、再び得難し。

君が冰玉 清迥の明心を憐む,情 極らず  意 已に深し。

朝には 琅玕の綺食を共にし,夜には 鴛鴦の錦衾を同じゅうす。

恩情 婉孌【えんらん】忽ち別を為す,人をして錯って愁心を亂すを莫らしめよ。

#2

愁心を亂し,涕 雪の如し。

寒燈 夢を厭して魂 んと欲し覺め來って 相思 白髮を生ず。

盈盈 漢水 越ゆ可くが若し,惜しむ可し 凌波 羅襪を步するを。

美人 美人よ 歸り去らん來【いざ】,「朝雲暮雨」さ作して陽臺に飛ぶこと莫れ。

 

 

『寄遠,十一首之十一)』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之十一

愛君芙蓉嬋娟之豔色,色可餐兮難再得。

憐君冰玉清迥之明心,情不極兮意已深。

朝共琅玕之綺食,夜同鴛鴦之錦衾。

恩情婉孌忽為別,使人莫錯亂愁心。


(下し文)
(寄遠,十一首の十一)

君芙蓉嬋娟の豔色を愛す,色 餐すべく、再び得難し。

君が冰玉 清迥の明心を憐む,情 極らず  意 已に深し。

朝には 琅玕の綺食を共にし,夜には 鴛鴦の錦衾を同じゅうす。

恩情 婉孌【えんらん】忽ち別を為す,人をして錯って愁心を亂すを莫らしめよ。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

君が目の際のほんのりとした芙蓉の如く、あでやかなる艶色を愛し、さながら、餐し得べきが如く、再び他には得られぬものと信じて居る。

君の氷玉の如く清く迥けき明心を憐れむので、その情は、極まるなく、意の深きは、言うにも及ばないのである。

朝には、琅玕に此すべき綺食をわかって食し、夜は鴛鴦の繍ある錦の衾を同じゅうして寝るのである。

かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。



(訳注)

寄遠,十一首之十一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

 

 

愛君芙蓉嬋娟之豔色,色可餐兮難再得。

君が目の際のほんのりとした芙蓉の如く、あでやかなる艶色を愛し、さながら、餐し得べきが如く、再び他には得られぬものと信じて居る。

芙蓉 芙蓉は美人。・芙蓉(蓮)を詠った「古詩十九首」第六首「涉江采芙蓉,蘭澤多芳草。采之欲遺誰,所思在遠道。還顧望舊,長路漫浩浩。同心而離居,憂傷以終老。」 (江を捗【わた】りて芙蓉【ふよう】を采る、蘭澤【らんたく】芳草【ほうそう】多し。之を采りて誰にか遺【おく】らんと欲する、思ふ所は遠道【えんどう】に在り。還【めぐ】り顧【かえりみ】て 旧郷を望めば、長路漫として浩浩たらん。同心にして離屈【りきょ】せば、憂傷【ゆうしょう】して以て終に老いなん。)

嬋娟 容姿のあでやかで美しいさま。

豔色 姿色美麗,冠當代。

可餐 餐し得べきが如くということ。

 

憐君冰玉清迥之明心,情不極兮意已深。

君の氷玉の如く清く迥けき明心を憐れむので、その情は、極まるなく、意の深きは、言うにも及ばないのである。

清迥 清く遙かなものであること。

 

朝共琅玕之綺食,夜同鴛鴦之錦衾。

朝には、琅玕に此すべき綺食をわかって食し、夜は鴛鴦の繍ある錦の衾を同じゅうして寝るのである。

琅玕 1 暗緑色または青碧(せいへき)色の半透明の硬玉。また、美しいもののたとえ。2 《色が1に似るところから》青々とした美しい竹。

綺食 美盛された食品。

鴛鴦之錦衾 趙飛燕に贈られた寝具。

 

恩情婉孌忽為別,使人莫錯亂愁心。

かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。

婉孌 ①年若く美しいさま。②親しみ愛する。《詩経、斉風、甫田》「婉兮孌、總角丱兮。」

193 《巻24-38 寄遠,十一首之十》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <193> Ⅰ李白詩1417 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5633

李白《巻24-38 寄遠,十一首之十》(この詩は漢の張騫の妻の気持ちで、西域の天末にいる張騫に寄せる意をつづる十一の十)魯国で産した繒は、その色、純白にして、玉を欺く霜の如くである。その白繒に「月氏書」と題して墨で書いた。

 
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年:-731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之十

 

 

寄遠,十一首之十

(この詩は漢の張騫の妻の気持ちで、西域の天末にいる張騫に寄せる意をつづる十一の十)

魯縞如玉霜,筆題月氏書。

魯国で産した繒は、その色、純白にして、玉を欺く霜の如くである。その白繒に「月氏書」と題して墨で書いた。

寄書白鸚鵡,西海慰離居。

その繒に、「月氏書」と寄せる書を物し、白鸚鵡に託して、西海の涯に贈って、離居の淋しさを慰めようと思ったのだ。

行數雖不多,字字有委曲。

その手紙は、行数としては多くはないけれど、字字委曲をつくし、随分考へ抜いて書いたのであるから、語簡にして意深い積りである。

天末如見之,開緘淚相續。

西の果て、天末に在って、もし之を見たならば、封を開くや否や、涙相い続いて之を讀むであらう。

淚盡恨轉深,千里同此心。

やがて、涙が尽きて、恨みは愈々深いに相違なく、それは千里の遠きを隔つとも、この心が同じであるからと思っているからである。

相思千萬里,一書千金。

千万里の遠きに在っても相いに思う心を表すには、一片の手紙も、千金を値すというもので、天涯の彼方にいるとしても、決して、おろそかにはしないであらう。

 

(寄遠,十一首の十)

魯縞は玉霜の如く,筆題す 月氏の書。

書を寄す 白鸚鵡,西海 離居を慰む。

行數 多からずと雖も,字字 委曲有り。

天末 如し之を見れば,緘を開いて淚 相い續かん。

淚 盡きて 恨み 轉た深く,千里 此の心を同じゅうす。

相思 千 萬里,一書  千金。

 

安史の乱当時の勢力図 

『寄遠,十一首之十』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之十

魯縞如玉霜,筆題月氏書。

寄書白鸚鵡,西海慰離居。

行數雖不多,字字有委曲。

天末如見之,開緘淚相續。

淚盡恨轉深,千里同此心。

相思千萬里,一書千金。


詩文(含異文)

魯縞如玉霜,筆題月氏書【剪題月氏書】。

寄書白鸚鵡,西海慰離居。

行數雖不多,字字有委曲。

天末如見之,開緘淚相續。

淚盡恨轉深,千里同此心【千里若在眼】【萬里若在心】。

相思千萬里,一書千金。


(下し文)
(寄遠,十一首の十)

魯縞は玉霜の如く,筆題す 月氏の書。

書を寄す 白鸚鵡,西海 離居を慰む。

行數 多からずと雖も,字字 委曲有り。

天末 如し之を見れば,緘を開いて淚 相い續かん。

淚 盡きて 恨み 轉た深く,千里 此の心を同じゅうす。

相思 千 萬里,一書  千金

(現代語訳)
(この詩は漢の張騫の妻の気持ちで、西域の天末にいる張騫に寄せる意をつづる十一の十)

魯国で産した繒は、その色、純白にして、玉を欺く霜の如くである。その白繒に「月氏書」と題して墨で書いた。

その繒に、「月氏書」と寄せる書を物し、白鸚鵡に託して、西海の涯に贈って、離居の淋しさを慰めようと思ったのだ。

その手紙は、行数としては多くはないけれど、字字委曲をつくし、随分考へ抜いて書いたのであるから、語簡にして意深い積りである。

西の果て、天末に在って、もし之を見たならば、封を開くや否や、涙相い続いて之を讀むであらう。

やがて、涙が尽きて、恨みは愈々深いに相違なく、それは千里の遠きを隔つとも、この心が同じであるからと思っているからである。

千万里の遠きに在っても相いに思う心を表すには、一片の手紙も、千金を値すというもので、天涯の彼方にいるとしても、決して、おろそかにはしないであらう。


長安と西域 地図01
(訳注)

寄遠,十一首之十

(この詩は漢の張騫の妻の気持ちで、西域の天末にいる張騫に寄せる意をつづる十一の十)

起首四句は、手書を草すること。「行數雖不多,字字有委曲。天末如見之,開緘淚相續。」の四句は、彼方に於で手紙を見たときの感情を憶想し、「淚盡恨轉深,千里同此心。相思千萬里,一書千金。」の四句は、これに因って、手紙の価値を論断したのである。

 

魯縞如玉霜,筆題月氏書。

魯国で産した繒は、その色、純白にして、玉を欺く霜の如くである。その白繒に「月氏書」と題して墨で書いた。

魯縞 《漢書》卷五十二《韓安國傳》 「力不能入魯縞。」唐·顏師古注:「縞,素也,曲阜之地,俗善作之,尤為輕細,故以取也。」漢書の顔師古注「縞は繒の精白なるものなり」とある。魯縞に、魯地において作るところの繒である。李白《1601 送魯郡劉長史遷弘農長史》「魯縞如白煙、五縑不成束。」その魯地産の絹は白煙のごとく白く、わずか五匹では一束にはなりはしないのだ。

送魯郡劉長史遷弘農長史  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白187

魯(ろ)は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称(雅名)としても用いられる。

王朝としての魯(紀元前1055 - 紀元前249年)は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公(魯の君主)の爵位は侯爵であり、姓は姫(き)である。首府は曲阜。

月氏 漢時西域の国名。月氏は、紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。大月氏時代は東西交易で栄えた。

 

寄書白鸚鵡,西海慰離居。

その繒に、「月氏書」と寄せる書を物し、白鸚鵡に託して、西海の涯に贈って、離居の淋しさを慰めようと思ったのだ。

白鸚鵡 《初學記、三十》「南方異物志に日く、鸚鵡に三種あり、青さものは大鳥の如し。一種白、鵝鷔の如し。-種五色、青なる者より大なり、交州巴南皆之あり」とあり、白鸚鵡を用いて、大事な書を寄せるということ。張騫の故事に基づいている。張騫は13年ぶりに漢に帰国すると、太中大夫にとりたてられ、西域のことを武帝に伝えた。そこで張騫は大月氏ではなく、烏孫という遊牧国家と同盟を組んで匈奴を挟撃すべきと上奏した。

 

行數雖不多,字字有委曲。

その手紙は、行数としては多くはないけれど、字字委曲をつくし、随分考へ抜いて書いたのであるから、語簡にして意深い積りである。

委曲 ① くわしいさま。詳細なさま。② ものごとの事情や形状がいりくんでいるさま。

 

天末如見之,開緘淚相續。

西の果て、天末に在って、もし之を見たならば、封を開くや否や、涙相い続いて之を讀むであらう。

天末 天のはて天涯。

杜甫《天末懷李白》

涼風起天末,君子意如何?

鴻雁幾時到,江湖秋水多。

文章憎命達,魑魅喜人過。

應共冤魂語,投詩贈汨羅。

天末懷李白 杜甫 <233> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1142 杜甫特集700- 345

 

淚盡恨轉深,千里同此心。

やがて、涙が尽きて、恨みは愈々深いに相違なく、それは千里の遠きを隔つとも、この心が同じであるからと思っているからである。

 

相思千萬里,一書千金。

千万里の遠きに在っても相いに思う心を表すには、一片の手紙も、千金を値すというもので、天涯の彼方にいるとしても、決して、おろそかにはしないであらう。
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192 《巻24-37 寄遠,十一首之九》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <192> Ⅰ李白詩1416 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5628

李白《巻24-37 寄遠,十一首之九》その草の中には、冬を越してきた卷施草のように、その心、極めて苦く、それから、一たび心を抜くと、死に掛るとみせても、また、再び生きてくるという節操を持ったものもある。此のものを見れば、妾の心がお分かりになろうかと思い、どうかあなたの庭の片隅に植えていただきたいのだ。

 

 
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192 《巻24-37 寄遠,十一首之九》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <192> Ⅰ李白詩1416 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5628

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之九

 

 

寄遠,十一首之九

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の九)

長短春草綠,緣階如有情。

春の草は、長短参差有り、緑色濃やかにきざはしに沿って萌え出て、とりどりの情思あるように見えるというものだ。

卷施心獨苦,抽卻死還生。

その草の中には、冬を越してきた卷施草のように、その心、極めて苦く、それから、一たび心を抜くと、死に掛るとみせても、また、再び生きてくるという節操を持ったものもある。

睹物知妾意,希君種後庭。

此のものを見れば、妾の心がお分かりになろうかと思い、どうかあなたの庭の片隅に植えていただきたいのだ。

閒時當採掇,念此莫相輕。

かくして、暇を持て余したら、その草を摘み取って、心を抜いたとしてても、死にはしないとその草の意地というものを思い出して、決して軽んじる事の無いように取り扱ってもらい地のである。

 

(寄遠,十一首之九)

長短 春草の綠,階に緣って 情有るが如し。

卷施 心 獨り苦しみ,抽卻するも 死して 還た生く。

物を睹て 妾の意を知り,君に希【こいねが】う 後庭に種ることを。

閒時 當に採掇すべし,此を念う 「相い輕んずること莫れ」 と。

 太白山001

 

『寄遠,十一首之九』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之九

長短春草綠,緣階如有情。

卷施心獨苦,抽卻死還生。

睹物知妾意,希君種後庭。

閒時當採掇,念此莫相輕。



(下し文)
(寄遠,十一首之九)

長短 春草の綠,階に緣って 情有るが如し。

卷施 心 獨り苦しみ,抽卻するも 死して 還た生く。

物を睹て 妾の意を知り,君に希【こいねが】う 後庭に種ることを。

閒時 當に採すべし,此を念う 「相い輕んずること莫れ」 と

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の九)

春の草は、長短参差有り、緑色濃やかにきざはしに沿って萌え出て、とりどりの情思あるように見えるというものだ。

その草の中には、冬を越してきた卷施草のように、その心、極めて苦く、それから、一たび心を抜くと、死に掛るとみせても、また、再び生きてくるという節操を持ったものもある。

此のものを見れば、妾の心がお分かりになろうかと思い、どうかあなたの庭の片隅に植えていただきたいのだ。

かくして、暇を持て余したら、その草を摘み取って、心を抜いたとしてても、死にはしないとその草の意地というものを思い出して、決して軽んじる事の無いように取り扱ってもらい地のである。

終南山06

(訳注)

寄遠,十一首之九

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の九)

この詩は卷施を以て、自分の節操ある思いを相手に訴えたものである。三、四句に屈原の思いをいうことで、ただ越冬することだけをいうことではない。李白は節操をあらわすのに、青松をもちいているが、卷施、宿奔は珍しい。

 

長短春草綠,緣階如有情。

春の草は、長短参差有り、緑色濃やかにきざはしに沿って萌え出て、とりどりの情思あるように見えるというものだ。

 

卷施心獨苦,抽卻死還生。

その草の中には、冬を越してきた卷施草のように、その心、極めて苦く、それから、一たび心を抜くと、死に掛るとみせても、また、再び生きてくるという節操を持ったものもある。

卷施 冬でも枯れないヨモギの一種の草の名。藥香草の名、卷施。 爾雅に曰く「卷施草。拔心死なず。」別名、宿莽草という也。屈原 《離騷》「夕攬華洲之宿莽。」(夕べには、華洲の宿莽を攬る。)《九章》「攬大薄之芳茞兮,搴長洲之宿莽。」冬越しの奔草。香草、紫蘇のこと。木蘭や宿奔、卷施を執るとは、身を清く修めることをいう。木蘭は皮を去っても枯れず、宿奔は冬でも枯れないことから、節操の変わらないことをいう。

 

睹物知妾意,希君種後庭。

此のものを見れば、妾の心がお分かりになろうかと思い、どうかあなたの庭の片隅に植えていただきたいのだ。

 

閒時當採掇,念此莫相輕。

かくして、暇を持て余したら、その草を摘み取って、心を抜いたとしてても、死にはしないとその草の意地というものを思い出して、決して軽んじる事の無いように取り扱ってもらい地のである。

191 《巻24-36 寄遠,十一首之八》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <191> Ⅰ李白詩1415 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5623

李白《巻24-36 寄遠,十一首之八》おもへば、昨日、東園の桃李は、葉綠に、花紅に、見事に吹き出るかのように咲き誇っていたが、この春、君と初めで別れたのである。しかし、金瓶が一たび井戸に落ちし後は、打絶えて、消息なきが如く、君も出て行きし後は、何の音沙汰もなく、人をして行いては嘆じ、坐しては思わしめ、断えず惆悵の想いに堪へざらしめる。

 


191 《巻24-36 寄遠,十一首之八》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <191> Ⅰ李白詩1415 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5623

 

 

年:-731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    雜言古詩

詩題:    寄遠,十一首之八

 

 

寄遠,十一首之八

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の八)

憶昨東園桃李紅碧枝,與君此時初別離。

おもへば、昨日、東園の桃李は、葉綠に、花紅に、見事に吹き出るかのように咲き誇っていたが、この春、君と初めで別れたのである。

金瓶落井無消息,令人行歎復坐思。

しかし、金瓶が一たび井戸に落ちし後は、打絶えて、消息なきが如く、君も出て行きし後は、何の音沙汰もなく、人をして行いては嘆じ、坐しては思わしめ、断えず惆悵の想いに堪へざらしめる。

坐思行歎成楚越,春風玉顏畏銷歇。

そこで、坐しては思い、行いでは歎じ、しかも楚越の絶えて相い関せざる如くなれば、春風のどかなる玉顔も、いつしか綃歇してしまうおそれがある。

碧窗紛紛下落花,青樓寂寂空明月。

今しも、碧窓の前には、落花紛々としてくだり、靑楼の上には、名月寂々として照らし、花も、月も、翻って思いの種となって仕舞った。

兩不見,但相思。

花も、月も、見たくないから見ず、独り垂れこめて、物思いに沈んで居る。

空留錦字表心素,至今緘愁不忍窺。

折角、錦字を留めて、心の誠を書きあらわしたのが、今に至るまで、愁を併せて封緘したまま、それを覗い見る気にも成らず、なお残されてある。

 

(寄遠,十一首の八

憶ふ昨、東園の桃李紅碧の枝、君と此時、初めて別離。

金瓶落井にちて消息無く,令人をして行いて歎じ復た坐して思わしむ。

坐して思い 行いて歎じ 楚越を成す,春風 玉顏 銷歇を畏る。

碧窗【へきそう】紛紛として落花を下し,青樓 寂寂として空しく明月。

兩つながら見ず,但だ 相い思う。

空しく錦字を留めて心素を表す,今に至って愁いを緘して窺うに忍びず。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02

 

『寄遠,十一首之八』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

憶昨東園桃李紅碧枝,與君此時初別離。

金瓶落井無消息,令人行歎復坐思。

坐思行歎成楚越,春風玉顏畏銷歇。

碧窗紛紛下落花,青樓寂寂空明月。

兩不見,但相思。

空留錦字表心素,至今緘愁不忍窺。


(下し文)
(寄遠,十一首の八)

憶ふ昨、東園の桃李紅碧の枝、君と此時、初めて別離。

金瓶落井にちて消息無く,令人をして行いて歎じ復た坐して思わしむ。

坐して思い 行いて歎じ 楚越を成す,春風 玉顏 銷歇を畏る。

碧窗【へきそう】紛紛として落花を下し,青樓 寂寂として空しく明月。

兩つながら見ず,但だ 相い思う。

空しく錦字を留めて心素を表す,今に至って愁いを緘して窺うに忍びず。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の八)

おもへば、昨日、東園の桃李は、葉綠に、花紅に、見事に吹き出るかのように咲き誇っていたが、この春、君と初めで別れたのである。

しかし、金瓶が一たび井戸に落ちし後は、打絶えて、消息なきが如く、君も出て行きし後は、何の音沙汰もなく、人をして行いては嘆じ、坐しては思わしめ、断えず惆悵の想いに堪へざらしめる。

そこで、坐しては思い、行いでは歎じ、しかも楚越の絶えて相い関せざる如くなれば、春風のどかなる玉顔も、いつしか綃歇してしまうおそれがある。

今しも、碧窓の前には、落花紛々としてくだり、靑楼の上には、名月寂々として照らし、花も、月も、翻って思いの種となって仕舞った。

花も、月も、見たくないから見ず、独り垂れこめて、物思いに沈んで居る。

折角、錦字を留めて、心の誠を書きあらわしたのが、今に至るまで、愁を併せて封緘したまま、それを覗い見る気にも成らず、なお残されてある。


00長安城の図
(訳注)

寄遠,十一首之八

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の八)

この詩は、男から女妓に寄せた詩というスタンスで、その内容は、詩経風に、六朝からの詩風のものであり、隠語を含んだものであって、誰が読んでも、わかり易いから、決して、陳套と思われないものである。憂愁幽思、筆端に繚繞し、惰致とこしえに尽きない。後世高靑邱は、この種の格調を尊び、明媚にして人に近き旨としている。

 

憶昨東園桃李紅碧枝,與君此時初別離。

おもへば、昨日、東園の桃李は、葉綠に、花紅に、見事に吹き出るかのように咲き誇っていたが、この春、君と初めで別れたのである。

東園桃李 東園の桃李。

《古風,五十九首之四十七》

桃花開東園,含笑誇白日。桃花は東園に開き,含笑をんで白日に誇る。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。偶ま東風の榮を蒙って,此の豔陽の質を生ず。

豈無佳人色,但恐花不實。豈に佳人の色無からんや,但だ恐る 花の實らざるを。

宛轉龍火飛,零落早相失。宛轉として 龍火飛び,零落すれば 早に相い失う。

詎知南山松,獨立自蕭飋。詎んぞ知らん 南山の松,獨立 自ら蕭飋たるを。

47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> Ⅰ李白詩1210 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4598

 

金瓶落井無消息,令人行歎復坐思。

しかし、金瓶が一たび井戸に落ちし後は、打絶えて、消息なきが如く、君も出て行きし後は、何の音沙汰もなく、人をして行いては嘆じ、坐してはまた思わしめ、断えず惆悵の想いに堪へざらしめる。

金瓶 《先秦漢魏晉南北朝詩·齊詩》卷六〈釋寶月·估客樂〉~480~「有信數寄書,無信心相憶。莫作瓶落井,一去無消息。」(信 數寄書に有り,無信くば心 相い憶う。瓶井に落す作す莫れ,一たび去れば消息無し。)

復坐思 坐してはまた思うこと。

 

坐思行歎成楚越,春風玉顏畏銷歇。

そこで、坐しては思い、行いでは歎じ、しかも楚越の絶えて相い関せざる如くなれば、春風のどかなる玉顔も、いつしか綃歇してしまうおそれがある。

楚越 戦国時代の楚国と越国。敵国どうしであったことから、仲の悪いもののたとえにいう。そえつどうしゅう【楚越同舟】仲の悪い者どうしが同じ場所・境遇にあること。呉越同舟。

銷歇 散らし、溶かすし消し去る。

 

碧窗紛紛下落花,青樓寂寂空明月。

今しも、碧窓の前には、落花紛々としてくだり、靑楼の上には、名月寂々として照らし、花も、月も、翻って思いの種となって仕舞った。

青樓 ① 〔曹植「美女編」〕 高貴な美人のいる楼。 あげや。女郎屋。妓楼。

 

兩不見,但相思。

花も、月も、見たくないから見ず、独り垂れこめて、物思いに沈んで居る。

 

空留錦字表心素,至今緘愁不忍窺。

折角、錦字を留めて、心の誠を書きあらわしたのが、今に至るまで、愁を併せて封緘したまま、それを覗い見る気にも成らず、なお残されてある。

緘愁 愁を併せて封緘してしまうこと。
李白31歳 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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