漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年04月

232 《(改訂版)巻21-6 太原早秋 (歲落眾芳歇)》Index-15 Ⅱ― 10- 735年開元二十三年35歳 <232> Ⅰ李白詩1475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5923

太原早秋

芳歇,時當大火流。

霜威出塞早,雲色渡河秋。

夢繞邊城月,心飛故國樓。

思歸若汾水,無日不悠悠。

 

洛陽で知り合った元演が帰省するのに誘われて太原までの長途の旅をし、その地で客中の情を詠った詩)今年もすでに、半ばを過ぎて下り坂であり、いろんな花が散り去って無くなってしまい、時今しも大火が西流して、秋景色に変わっていく。
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232 《(改訂版)巻21-6 太原早秋 (落眾芳歇)》Index-15 Ⅱ― 10- 735年開元二十三年35歳 <232> Ⅰ李白詩1475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5923

 
 2015年4月30日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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年:734年開元二十二年35

卷別:    卷一八一              文體:    五言律詩

詩題:    太原早秋

作地點:              太原府(河東道 / 太原府 / 太原府)

及地點:              太原府 (河東道 太原府 太原府) 別名:太原、并州      

 

 

太原早秋

洛陽で知り合った元演が帰省するのに誘われて太原までの長途の旅をし、その地で客中の情を詠った詩

芳歇,時當大火流。

今年もすでに、半ばを過ぎて下り坂であり、いろんな花が散り去って無くなってしまい、時今しも大火が西流して、秋景色に変わっていく。
霜威出塞早,雲色渡河秋。

霜が降りる寒さは、塞の城壁の外では一段と猛威を振るい、雲の色は汾水をわたって黄河色の秋がひろがっている。
夢繞邊城月,心飛故國樓。

ここに滞留すれば、我が夢はこの辺城地の月を巡り、こころは故郷の高殿のほうへと飛んでいく。
思歸若汾水,無日不悠悠。

こうして、帰えりたいと思う気持ちは、汾水の流れの先に向かうのと同じように、悠々として、一日として憂いが尽きる日などない
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(太原の早秋)
歳落ちて衆芳歇【や】み、時は大火の流るるに當る。
霜威 塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり。
夢は繞る 邊城の月、心は飛ぶ 故國の樓。
歸らんと思うて 汾水の若し、日として悠悠たらざるは無し。
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『太原早秋』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

太原早秋

芳歇,時當大火流。

霜威出塞早,雲色渡河秋。

夢繞邊城月,心飛故國樓。

思歸若汾水,無日不悠悠。

(下し文)
(太原の早秋)

歳落ちて衆芳歇【や】み、時は大火の流るるに當る。

霜威 塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり。

夢は繞る 邊城の月、心は飛ぶ 故國の樓。

歸らんと思うて 汾水の若し、日として悠悠たらざるは無し。


(現代語訳)
洛陽で知り合った元演が帰省するのに誘われて太原までの長途の旅をし、その地で客中の情を詠った詩

今年もすでに、半ばを過ぎて下り坂であり、いろんな花が散り去って無くなってしまい、時今しも大火が西流して、秋景色に変わっていく。
霜が降りる寒さは、塞の城壁の外では一段と猛威を振るい、雲の色は汾水をわたって黄河色の秋がひろがっている。
ここに滞留すれば、我が夢はこの辺城地の月を巡り、こころは故郷の高殿のほうへと飛んでいく。
こうして、帰えりたいと思う気持ちは、汾水の流れの先に向かうのと同じように、悠々として、一日として憂いが尽きる日などない


(訳注)

太原早秋 

洛陽で知り合った元演が帰省するのに誘われて太原までの長途の旅をし、その地で客中の情を詠った詩

この年の盛りも過ぎて多くの花が散り去った、時はまさに火星が西に流れる秋だ。城壁の外では霜が猛威を振るい、雲の色が黄河に反映するさまは秋の気配を感じさせる
我が夢はこの辺地の城を巡っている月のようにさまよい、心は故郷の高殿のほうへと飛んでいく。帰ろうと思えばその思いは汾水の流れのように、一日としてはるかな憂いにとらわれぬ日はない

735年李白は35歳のとき、安陸を離れて洛陽に旅し、続けて太原を訪れた。洛陽で知り合った帰省する元演に誘われて太原までの長途の旅をした。この詩はその太源に滞在中かかれた詩で、唯一残っているものである。


落眾芳歇、時當大火流。 
今年もすでに、半ばを過ぎて下り坂であり、いろんな花が散り去って無くなってしまい、時今しも大火が西流して、秋景色に変わっていく。
落 年の盛りも過ぎて下り坂になる。

眾芳 眾は衆。たくさんの花。

大火流 火星。さそり座の首星アンタレスの中国名。真夏の星の代名詞。


霜威出塞早、云色渡河秋。 
霜が降りる寒さは、塞の城壁の外では一段と猛威を振るい、雲の色は汾水をわたって黄河色の秋がひろがっている。
出塞 異民族から守る塞を示すが、ここでは太原のまちの城壁を示す。南から来た李白にとって、北の果ての街の早霜に驚いたのだろう。

云色 雲の色 

河秋 秋模様の黄河。このあたりの黄河は文字通り、黄色に濁った大河であり、秋の枯葉の黄色とあわせたもので河まで秋になった。


夢繞邊城月、心飛故國樓。 
ここに滞留すれば、我が夢はこの辺城地の月を巡り、こころは故郷の高殿のほうへと飛んでいく。
故國樓 故国とあるが故郷とする。故郷の高殿。この時、李白は故郷とはどこか、どこの高殿を指すのか。生活様式の違いに驚いたのだろう。蜀と江南の違いとは全く違ったものだったのだろう。


思歸若汾水、無日不悠悠。 
こうして、帰えりたいと思う気持ちは、汾水の流れの先に向かうのと同じように、悠々として、一日として憂いが尽きる日などない
汾水 汾水は黄河から太原に別れた支流であり、見るものすべて故郷につながったのか。


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李白 (太原の早秋)
歳落ちて衆芳歇【や】み、時は大火の流るるに當る。
霜威 塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり。
夢は繞る 邊城の月、心は飛ぶ 故國の樓。
歸らんと思うて 汾水の若し、日として悠悠たらざるは無し。

231 《巻8-33 贈郭季鷹 (河東郭有道,)》Index-15 Ⅱ―10- 735年開元二十三年35歳 <231> Ⅰ李白詩1474 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5918

贈郭季鷹  李白

河東郭有道,於世若浮雲。

盛德無我位,清光獨映君。

恥將雞並食,長與鳳為群。

一擊九千仞,相期凌紫氛。

(郭季鷹にこの詩を贈る。)河東に生れた君は、いにしえの漢の儒者の同姓、郭有道のごとき人物であって、浮世の功名富貴を浮雲と同一視している。

 

 

231 《巻8-33 贈郭季鷹 (河東郭有道,)》Index-15 Ⅱ―10- 735年開元二十三年35歳 <231> Ⅰ李白詩1474 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5918

 
 2015年4月29日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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231 《巻8-33 贈郭季鷹 (河東郭有道,)》Index-15 Ⅱ―10- 735年開元二十三年35歳 <231> Ⅰ李白詩1474 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5918 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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65-#4-§ 《讀巻02-07 禘祫議》- §2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1387> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5919 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -4》 杜甫index-15 杜甫<912-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5920 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》巻三4344-〈144〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5922 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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年:734年開元二十二年35

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    贈郭季鷹

作地點:              太原府(河東道 / 太原府 / 太原府)

及地點:              河東節度使 (河東道 太原府 河東節度使) 別名:河東  

交遊人物:郭季鷹              當地交遊(河東道 太原府 太原府)

 

 

贈郭季鷹

(郭季鷹にこの詩を贈る。)

河東郭有道,於世若浮雲。

河東に生れた君は、いにしえの漢の儒者の同姓、郭有道のごとき人物であって、浮世の功名富貴を浮雲と同一視している。

盛德無我位,清光獨映君。

元来、盛徳にかなうような位地もないけれど、その清光は、ひとり君に映じているのである。

恥將雞並食,長與鳳為群。

されば、君は鳳凰と共に群れを為すべきであり、鶏や家鴨と餌を争うなどと言うことは、羞じるところである。

一擊九千仞,相期凌紫氛。

そもそも鳳凰は一たび羽ばたけば九千仞の高さまで飛びあがり、天上の紫氛を凌ぐというが、君が世界に超出せんとするその高志もまた、このとおりのことである。

 

(郭季鷹に贈る)

河東の郭有道,世に於いては浮雲の若し。

盛德 我が位無く,清光 獨り君に映ず。

將て雞と並びに食するを恥じ,長く鳳と群を為す。

一擊 九千仞,相い期して紫氛を凌がん。

 

 

『贈郭季鷹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈郭季鷹

河東郭有道,於世若浮雲。

盛德無我位,清光獨映君。

恥將雞並食,長與鳳為群。

一擊九千仞,相期凌紫氛。

(下し文)
(
郭季鷹に贈る)

河東の郭有道,世に於いては浮雲の若し。

盛德 我が位無く,清光 獨り君に映ず。

將【はた】雞と並びに食するを恥じるをてす,長く鳳と群を為す。

一擊 九千仞,相い期して紫氛を凌がん。

(現代語訳)
(郭季鷹にこの詩を贈る。)

河東に生れた君は、いにしえの漢の儒者の同姓、郭有道のごとき人物であって、浮世の功名富貴を浮雲と同一視している。

元来、盛徳にかなうような位地もないけれど、その清光は、ひとり君に映じているのである。

されば、君は鳳凰と共に群れを為すべきであり、鶏や家鴨と餌を争うなどと言うことは、羞じるところである。

そもそも鳳凰は一たび羽ばたけば九千仞の高さまで飛びあがり、天上の紫氛を凌ぐというが、君が世界に超出せんとするその高志もまた、このとおりのことである。


(訳注)

贈郭季鷹

(郭季鷹にこの詩を贈る。)

郭季鷹 この人物の来歴は不明であるけれど、詩の内容から相当の人物であったようだ。

 

河東郭有道,於世若浮雲。

河東に生れた君は、いにしえの漢の儒者の同姓、郭有道のごとき人物であって、浮世の功名富貴を浮雲と同一視している。

郭有道 郭泰(128 - 169年)のことで、中国後漢代の儒者。字は林宗。太原郡界休県の人。当時の名儒を数え上げた八顧の一人。後漢書では、編者の范曄が父の諱を避けて「郭太」「郭林宗」「郭有道」と表記される。司徒の黄瓊が招聘し、太常の趙典が有道[2]に推挙したが、応じなかった。郭泰はただ人品の長所だけを褒め、欠点を論じることをしなかった。当時、宦官が政権を握って非難する事が出来なかったためであり、清談の始めとされる。党錮の禍によって名士達が多く被害を受けたが、郭泰と袁閎だけが禍を免れた。交際を絶って教授に専念し、弟子は1000人を数えた。

建寧元年(168年)、陳蕃、竇武が宦官との抗争に敗れて害されると、郭泰は、「人が亡びて国が衰亡する、臣民はいずこに帰するのか[3]。」と嘆いた。明くる建寧2(169)春、家で死去した。享年42。四方の士人、1000人以上が会葬に集った。同志者達が共に石碑を立て、蔡邕が筆を取った。その後、蔡邕は盧植に言った。「私は多くの碑銘を書いたが、(その文章は装飾が多く)みな徳に恥じるものだった。ただ郭有道(郭泰)のものだけが恥じるところがない」。《後漢書·郭符許列傳》: 同志者乃共刻石立碑,蔡邕為其文,既而謂涿郡盧植曰:「吾為碑銘多矣,皆有慚德,唯郭有道無愧色耳。」

 

盛德無我位,清光獨映君。

元来、盛徳にかなうような位地もないけれど、その清光は、ひとり君に映じているのである。

 

恥將雞並食,長與鳳為群。

されば、君は鳳凰と共に群れを為すべきであり、鶏や家鴨と餌を争うなどと言うことは、羞じるところである。

恥將雞並食 楚辞《卜居》「寧與黄鵠比翼乎。將與雞鶩爭食乎。」(むしろ黄鵠と翼を比べんか。はた雞鶩【けいぼく】と食を争わんか。)いっそ黄色の大雁と翼を並べて高く飛ぼうか、それとも鶏や家鴨と餌を争うてくらそうか。

 

一擊九千仞,相期凌紫氛。

そもそも鳳凰は一たび羽ばたけば九千仞の高さまで飛びあがり、天上の紫氛を凌ぐというが、君が世界に超出せんとするその高志もまた、このとおりのことである。

九千仞 鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さに飛びあがって行くという。

李白《古風五十九首其四》「鳳飛 九千仞,五章 備綵珍。」(鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。)鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。

○鳳飛九千仞 “衆鳥を見下ろしている”という意味で『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるがこれに基づいている。千仞之山:円石を千仞の山に転ず。《「孫子」兵勢から》勢いが盛んで抑えようがないことのたとえ。

○五章 五色の燦然として輝く(めずらしい彩色)。

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紫氛 

劉楨《贈從弟詩三首之一》「鳳凰集南嶽,徘徊孤竹根。於心有不厭,奮翅凌紫氛。」(鳳凰南嶽に集り,孤り竹根に徘徊す。心に於て厭かず有り,翅を奮って紫氛を凌ぐ。)

 

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送二季之江東 李白

初發強中作,題詩與惠連。多慚一日長,不及二龍賢。

西塞當中路,南風欲進船。雲峰出遠海,帆影掛清川。

禹穴藏書地,匡山種杏田。此行俱有適,遲爾早歸旋。

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

 

 

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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言古詩

詩題:    送二季之江東

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:禹穴 (江南東道 越州 會稽)              

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

西塞 (江南西道 鄂州 鄂州)             

 

 

送二季之江東

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

初發強中作,題詩與惠連。

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

多慚一日長,不及二龍賢。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

西塞當中路,南風欲進船。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

雲峰出遠海,帆影掛清川。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

禹穴藏書地,匡山種杏田。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

此行俱有適,遲爾早歸旋。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

 

(二季の江東に之くを送る)

初めて強中を發して作り,詩を題して惠連に與う。

多く慚づ 一日の長,二龍の賢に及ばざる。

西塞 中路に當り,南風 船を進んと欲す。

 

雲峰 遠海を出で,帆影 清川に掛る。

禹穴 藏書の地,匡山 種杏の田。

此の行 俱に適有り,遲つ 爾じが早く歸旋するを。

 

李白の足跡0000 

『送二季之江東』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送二季之江東

初發強中作,題詩與惠連。

多慚一日長,不及二龍賢。

西塞當中路,南風欲進船。

雲峰出遠海,帆影掛清川。

禹穴藏書地,匡山種杏田。

此行俱有適,遲爾早歸旋。

(下し文)
(
二季の江東に之くを送る)

初めて強中を發して作り,詩を題して惠連に與う。

多く慚づ 一日の長,二龍の賢に及ばざる。

西塞 中路に當り,南風 船を進んと欲す。

 

雲峰 遠海を出で,帆影 清川に掛る。

禹穴 藏書の地,匡山 種杏の田。

此の行 俱に適有り,遲つ 爾じが早く歸旋するを。


(現代語訳)
(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

武漢005

(訳注)

送二季之江東

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

同時期の江東に送るシリーズ。

(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201

15-2 送張舍人之江東

17-23 江夏送友人【江夏祖友人】

17-25 江夏送張丞

 

初發強中作,題詩與惠連。

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

初發強中作 強中は地名。謝靈運《登臨海嶠、發疆中作、與從弟惠連、可見羊何共和之。》臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。

登臨海嶠發疆中作,與從惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242

謝靈運 東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。 六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。

惠連 謝惠連397年もしくは407 - 433年)は、南朝宋の文学者。本貫は陳郡陽夏県。詩人としては、族兄の謝霊運の「大謝」に対し、「小謝」と併称され、後世では南斉の謝朓とあわせて「三謝」とも呼ばれる。

 

多慚一日長,不及二龍賢。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

二龍 世説新語』「謝子徹と許子將の兄弟を見て、平衡淵に二龍あり。」とあるのに基づく。

 

西塞當中路,南風欲進船。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

西塞 西塞山のことで、湖北省武昌の東にあり長江に臨むところだが、航行の難所といわれていた。

 

雲峰出遠海,帆影掛清川。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

雲峰 入道雲が湧き出で、天工が変わりやすいことをいう。

 

禹穴藏書地,匡山種杏田。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

禹穴 禹は中国の第一王朝の創建者であり、古代中国の歴史上の1世代の“聖王”である。4000年程前、中国大陸での洪水が多く、大禹は命令を受けて治水に取り組む。:“八年外にあって、家門の前を三度過ぎても門をくぐらず。”庶民の辛い経験などもあり、ついに治平工事を行なった。それから、このことを《史書》に記載し、大禹は“不安な大越(紹興)市民を水害から救った。この計画は、爵へ恩恵であり、彼の功績である”会議の場所が茅山だったため、“会稽山”(“稽“が“計”と発音が同じ為使われた)と改名する。禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。

匡山 匡山は盧山の事で、長江中流域の要衝である九江,湖口を山下にひかえ,軍事上の拠点としてもしばしば歴史に登場する。周代に匡(きよう)氏の7兄弟がここに廬を結んで隠棲して登仙したという伝説により,匡山・匡廬とも呼ばれる。その後も陶潜(淵明)が隠棲するなど,隠士・道士のすみかともなった。

種杏田 は神仙伝にある董奉の隠遁の地で地域の住民の病気を治すために、重病は杏5株、軽病は1株を続けて数年で、鬱蒼とした森になったという故事に基づくもの。

《神仙傳》卷六〈董奉〉~

董奉者,字君異,候官人也。……奉居山不種田,日為人治病,亦不取錢,重病愈者,使栽杏五株,輕者一株,如此數年計得十萬餘株。郁然成林,……後杏子大熟,於林中作一草倉,示時人曰:「欲買杏者,不須報奉,但將穀一器置倉中,即自往取一器杏去。」常有人置穀來少,而取杏去多者,林中群虎出吼逐之,……奉每年貨杏得穀,旋以賑救貧乏,供給行旅不逮者,二萬餘斛。……奉在人間三百餘年乃去,顏狀如三十時人也。

 

此行俱有適,遲爾早歸旋。

そこで、君たちの遠行、定めて適意の事であるのであるが、自分は、少しでも早く帰ってきてほしいと思うので、適当なところで切り上げて帰ってきてもらいたいと思う次第である。

歸旋 歸も旋も共に帰るということで、どうしても帰ってほしいことを表す語である。謝靈運<過始寧墅>詩》「揮手告曲, 三載期歸旋, 且為樹枌檟, 無令孤愿言。」しかし今は赴任の途中であるため、まもなく近所の里人に手をあげて別れを告げ、三年たてば帰って来ると約束したのである。とりあえず私のために、枌(にれ)と檟(ひさぎ)の木を墳墓に樹えて、私のやがてこの地に帰って生涯を終えたいという願いにそむかないで、必ずかなえさせてほしいのである。とある。

過始寧墅 謝霊運<13> #2 詩集 375

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江夏送張丞 李白

欲別心不忍,臨行情更親。

酒傾無限月,客醉幾重春。

藉草依流水,攀花贈遠人。

送君從此去,迴首泣迷津。
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(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

 

 

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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    江夏送張丞

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

交遊人物:張祖    當地交遊(江南西道 鄂州 鄂州)

 

 

江夏送張丞

(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

欲別心不忍,臨行情更親。

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

酒傾無限月,客醉幾重春。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

藉草依流水,攀花贈遠人。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

送君從此去,迴首泣迷津。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。

 

(江夏に張丞)を送る)

別んと欲して 心に忍びず,行くに臨んで 情 更に親しむ。

酒は傾く 無限の月,客は醉う 幾重の春。

草を藉いて 流水に依り,花を攀じて 遠人に贈る。

君を此れ從り去るを送り,首を迴らして迷津に泣く。

 武漢005

 

『江夏送張丞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江夏送張丞

欲別心不忍,臨行情更親。

酒傾無限月,客醉幾重春。

藉草依流水,攀花贈遠人。

送君從此去,迴首泣迷津。

(下し文)
(
江夏に張丞)を送る)

別んと欲して 心に忍びず,行くに臨んで 情 更に親しむ。

酒は傾く 無限の月,客は醉う 幾重の春。

草を藉いて 流水に依り,花を攀じて 遠人に贈る。

君を此れ從り去るを送り,首を迴らして迷津に泣く。

(現代語訳)
(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。


武漢03
(訳注)

江夏送張丞

(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

 

欲別心不忍,臨行情更親。

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

 

酒傾無限月,客醉幾重春。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

無限月 無辺にあまねく照らす月明かり。無限:①限りがないこと。どこまでも続くこと。また,そのさま。無辺。 ②ものが一定の関係や規定を受けないこと。

幾重春 何年も度も春を過した。ここではこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあった。

 

藉草依流水,攀花贈遠人。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

藉草 草をしく。草の上に坐臥する。孫綽《游天台山賦》「藉萋萋之纖草,蔭落落之長松。」(藉すは 萋萋、之れ纖草、蔭すは 落落、之れ長松。)

 

送君從此去,迴首泣迷津。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。

 

 

李白の足跡0000 

 

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。


(江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。

 

 

(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白

江夏別宋之悌

楚水清若空,遙將碧海通。

人分千里外,興在一杯中。

谷鳥吟晴日,江猿嘯晚風。

平生不下淚,於此泣無窮。


(江夏で宋之悌に別れる)

楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。

人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。

谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。

平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし。

(江夏で宋之悌に別れる。)
漢水は澄み切っていて、その色は、青天と一般、しかも楚の国を流れる大江に入って遙かに碧海、東海さんざんにいたる碧の大海原へと通じている。
今や、われら両人、人と人とは、千里のかなたにの外にあって、いまたがいに分かれようとしているのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るのだ。
先には、渓谷をでた鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴き、うたってひびきわたっている、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。

われわれは、日頃は剛健を以て性となし、涙を流したことのない私だが、ああ、きょうは、この地において、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのを禁じ得ない。

 

 

《巻7-43 赤壁歌送別》

赤壁歌送別

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。


(赤壁の歌 送別)

二龍爭戰 雌雄を決し,赤壁の樓船 地を掃うて空し。

烈火 天に張って 雲海を照し,周瑜 此に於て曹公を破る。

君は去って 滄江 澄碧を望めば,鯨鯢 唐突にし 餘跡を留む。

一一 書 來って故人に報ぜよ,我 之に因って 心魄を壯にせんと欲す。

(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <229> Ⅰ李白詩1471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5903

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。
江夏送友人》李白 (江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

 

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <229> Ⅰ李白詩1471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5903


 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    江夏送友人【江夏祖友人】

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)         

 

 

江夏送友人

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

徘徊相顧影,淚下漢江流。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。

 

(江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

李白の足跡0000 

 

『江夏送友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。


(下し文)
(
江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

(現代語訳)
(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。


武漢01
(訳注)

江夏送友人

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

江夏 江南西道 鄂州 鄂州)の別名。

 

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

翠雲裘 翡翠の飾りで緑色の皮衣。深みどりの輝く御衣。【裘】かわごろも. 毛皮で作った防寒用の衣。かわぎぬ。 僧衣。また、僧。 修行中の釈迦が鹿の皮をまとったという故事から. 【裘葛】きゅうかつ. 皮衣と ( くず ) 帷子 ( かたびら ) 。冬の衣服と夏の衣服。 転じて、冬から夏まで。一年。《古文苑宋玉<諷賦>》「主人之女, 翳承日之華, 披翠雲之裘。」 章樵注:輯翠羽為裘。” 唐王維《和賈舍人早朝大明宮》:絳幘雞人報曉籌, 尚衣方進翠雲裘。”

和賈舎人早朝大明宮之作 王維 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 234

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する黄鶴伝説 『列異伝』に出る故事。子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。李白《黃鶴樓送孟浩然之廣陵》「故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。」

130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113

 

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

黃鶴 周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。

帝王州 天長の玉清境の住める地方。京都。

 

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

琅玕實 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。李白《古風五十九首之四十》「鳳飢不啄粟,所食唯琅玕。」鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。

40 《古風五十九首之四十》Index-23-1 744年天寶三年44367古風,五十九首之四十 鳳飢不啄粟, <40> Ⅰ李白詩1200 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4548

 

徘徊相顧影,淚下漢江流。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。
武漢02 

 
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228 《巻15-2 送張舍人之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <228> Ⅰ李白詩1470 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5898

送張舍人之江東
洲の月を見るだろう、そうすれば千里を隔ててわれを思い、幸いに互いに思いやる情を寄せてもらいたい。

張翰江東去,正秋風時。

天清一雁遠,海闊孤帆遲。

白日行欲暮,滄波杳難期。

洲如見月,千里幸相思。

送張舍人之江東》李白(張舍人というものが江東に行くのでそれを送るのに、西晋の張翰の故事を以て互いの情を詠う。)愈々、その地に到着したら、きっと

 

 

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227 -#1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -#1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893



江夏別宋之悌
楚水清若空,遙將碧海通。人分千里外,興在一杯中。
谷鳥吟晴日,江猿嘯晚風。平生不下淚,於此泣無窮。

(改訂版)江夏別宋之悌 李白 先には、渓谷をでた鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴き、うたってひびきわたっている、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。われわれは、日頃は剛健を以て性となし、涙を流したことのない私だが、ああ、きょうは、この地において、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのを禁じ得ない。

  

 

227 -1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893

 
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226-#2 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226-#2> Ⅰ李白詩1468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5888

贈張公洲革處士 -#2》李白 その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

 

 
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226-2 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226-2> Ⅰ李白詩1468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5888

 

 

年:34年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈張公洲革處士

作地點:              江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:              張公洲 (江南西道 鄂州 武昌)           

鄭圃 (都畿道 鄭州 中牟)  

交遊人物:革處士              當地交遊(江南西道 鄂州 武昌)

 

 

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

列子居鄭圃,不將庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

井無桔事,刺繡文。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

長揖二千石,遠辭百里君。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。

 

(張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

#2

時に張公洲に登り,獸に入るも 群を亂さず。

井に 桔く,門には 刺繡の文を

二千石に長揖【ちょうゆう】し,遠く 百里の君に辭す。

斯れを真の隱者と為す,吾が黨 清芬を慕う。

 

 

『贈張公洲革處士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,門刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

(下し文)
時に張公洲に登り,獸に入るも 群を亂さず。

井に 桔【きっこう】の事無く,門には 刺繡の文をつ。

二千石に長揖【ちょうゆう】し,遠く 百里の君に辭す。

斯れを真の隱者と為す,吾が黨 清芬を慕う。

(現代語訳)
それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。


(訳注) #2

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

張公洲 江南西道 鄂州 武昌の武昌城の南二十里に在り、晉の隠士張公、園に灌するところであるからこれによって名付けられた。

處士 仕官しない人。在野の人。処子。

 

時登張公洲,入獸不亂群。

それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

 

井無桔事,刺繡文。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

 はね釣瓶。

刺繡文 《史記貨殖列傳》:夫用貧求富, 農不如工, 工不如商, 刺繡文不如倚市門。

 

長揖二千石,遠辭百里君。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

二千石 太守

百里君 県令

 

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。

清芬 隠遁者の雰囲気をいう、清廉でよい香り芬:よいかおりのするさま。匂いただようさま。

226 -#1 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#1》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226 -#1> Ⅰ李白詩1467 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5883

贈張公洲革處士 -#1》 李白(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

 

 
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64 《巻01-18 夜歌》  韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869 
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年:34年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈張公洲革處士

作地點:              江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:              張公洲 (江南西道 鄂州 武昌)           

鄭圃 (都畿道 鄭州 中牟)  

交遊人物:革處士              當地交遊(江南西道 鄂州 武昌)

 

 

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

列子居鄭圃,不將庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

 

(張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

 

武漢03

『贈張公洲革處士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈張公洲革處士

列子居鄭圃,不將眾庶分。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。


(下し文)
(
張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

(現代語訳)
(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。


武漢005
(訳注)

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

張公洲 江南西道 鄂州 武昌の武昌城の南二十里に在り、晉の隠士張公、園に灌するところであるからこれによって名付けられた。

處士 仕官しない人。在野の人。処子。

 

列子居鄭圃,不將眾庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

列子 列子に「子列子居鄭圃,四十年人無識者。國君卿大夫視之,猶眾庶也。」(子列子、鄭圃に居ること,四十年 人 識る者無し。國君卿大夫 之を視る,猶お眾庶のごときなり。)とある。

眾庶 もろもろの人々。庶民。漢司馬相如《上林賦》「務在獨樂, 不顧眾庶。」(務め獨樂に在りて,衆庶【しゅうしょ】を顧みず。)もっぱら自分だけ楽しむことにつとめ、民衆のことなど頚になく

司馬相如 《上林賦 (40)#13-4  文選 賦<110-13413分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩945 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3273

 

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

南浦 張公洲が武昌城の南二十里に在るということで南浦という。

楚人 楚(そ)は、中国の王朝名、地名。地名としての楚は、現在の湖南省・湖北省を指す。楚 (春秋) ? - 紀元前223年) - 春秋時代の強国で、戦国七雄の1つでもある。秦末に陳勝が建てた国(紀元前209年)。張楚ともいう。

 

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

 野菜,()菜布衣蔬食木綿の衣服に野菜の食物(質素な暮らし).蔬菜 shūcài[]野菜,青物蔬菜市青物市場.嫩的蔬菜みずみずしい野

 

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

 

青門の瓜売りは五色の瓜を杜陵につくっていたこと、官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。

卲平 東陵の瓜は五色であったことは次に示す。

「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)

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孟浩然《南山下與老圃期種瓜》

不種千株橘,惟資五色瓜。

邵平能就我,開徑剪蓬麻。

 (南の山の下で老圃に瓜を種える期)

樵牧 南山に近く、林閭 北郭に(とお)し。

先人 富農を留め、老圃 鄰家と作()る。

千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資()る。

邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316
李白の足跡0000 

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李白 贈從兄襄陽少府皓 -#2 詩経に云う「棣華兄弟」に比すべき兄弟の情誼に接するを得ざれば、それはそれで仕方のないことであるが、もしそうなるなら、秋草と同じように枯れて果てることに甘んじることになるだろう。

 

 

 
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卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩