李白 鄴中贈王大#2
欲獻濟時策,此心誰見明。君王制六合,海塞無交兵。
壯士伏草間,沈憂亂縱橫。飄飄不得意,昨發南都城。
それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。
267-#2 《卷八34鄴中贈王大-#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#2> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228
年:739年開元二十七年39歳
卷別: 卷一六八 文體: 五言古詩
詩題: 鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】
作地點: 岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)
及地點: 相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中
石門山 (都畿道 汝州 葉縣)
南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都
沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊
交遊人物:王昌齡 當地交遊(江南西道 岳州 岳州)
鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】
(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)
一身竟無託,遠與孤蓬征。
わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。
千里失所依,復將落葉并。
又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。
中途偶良朋,問我將何行。
そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。
(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。
千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。
中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。
#2
欲獻濟時策,此心誰見明。
それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。
君王制六合,海塞無交兵。
今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。
壯士伏草間,沈憂亂縱橫。
自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。
飄飄不得意,昨發南都城。
かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。
#2
濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。
君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。
壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。
飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。
#3
紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。
投軀寄天下,長嘯尋豪英。
恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。
富貴吾自取,建功及春榮。
#3
紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。
軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。
恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。
富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。
#4
我願執爾手,爾方達我情。
相知同一己,豈惟弟與兄。
抱子弄白雲,琴歌發清聲。
臨別意難盡,各希存令名。
#4
我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。
相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。
子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。
別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。
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『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
欲獻濟時策,此心誰見明。
君王制六合,海塞無交兵。
壯士伏草間,沈憂亂縱橫。
飄飄不得意,昨發南都城。
(下し文) #2
濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。
君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。
壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。
飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。
(現代語訳)
それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。
今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。
自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。
かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。
(訳注) #2
鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】
(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)
高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣) 高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。
欲獻濟時策,此心誰見明。
それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。
濟時策 時代を再生する基本政策という意味である。中国では、春秋戦国時代に諸侯の国が行った政策を「富国強兵」といい、『戦国策』秦策に用例が見える。この時代には各国が諸子百家と呼ばれる思想家たちから人材を登用し、騎馬戦術や戦車などの新兵器を導入して軍事改革を行った。また、『呉書』陸遜伝にも同様の記述がみられる。
君王制六合,海塞無交兵。
今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。
海塞 海は国境、辺境であることで、邊塞と同じ意味。
壯士伏草間,沈憂亂縱橫。
自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。
縱橫 ① たてとよこ。南北と東西。 「市街地を-につらぬく大通り」 ② 四方八方。いたるところ。
飄飄不得意,昨發南都城。
かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。
南都 後漢の光武帝が南陽を別都として南都と称した。