漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年06月

267-#2 《卷八34鄴中贈王大-#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#2> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228

李白  鄴中贈王大#2

欲獻濟時策,此心誰見明。君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。飄飄不得意,昨發南都城。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

267-#2 《卷八34鄴中贈王大-#2Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#2> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

富貴吾自取,建功及春榮。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。
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『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

飄飄不得意,昨發南都城。

 

(下し文) #2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

(現代語訳)
それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。


(訳注) #2

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。           

 

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

濟時策 時代を再生する基本政策という意味である。中国では、春秋戦国時代に諸侯の国が行った政策を「富国強兵」といい、『戦国策』秦策に用例が見える。この時代には各国が諸子百家と呼ばれる思想家たちから人材を登用し、騎馬戦術や戦車などの新兵器を導入して軍事改革を行った。また、『呉書』陸遜伝にも同様の記述がみられる。

 

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

海塞 海は国境、辺境であることで、邊塞と同じ意味。

 

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

縱橫 ① たてとよこ。南北と東西。 「市街地を-につらぬく大通り」 四方八方。いたるところ。

 

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

南都 後漢の光武帝が南陽を別都として南都と称した。

267-#1 《卷八34鄴中王大勸入高鳳石門山幽居》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <267-#1> Ⅰ李白詩1535 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6223

李白  鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】#1

一身竟無託,遠與孤蓬征。千里失所依,復將落葉并。

中途偶良朋,問我將何行。
(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

267-#1 《卷八34鄴中王大勸入高鳳石門山幽居》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <267-#1> Ⅰ李白詩1535 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6223

 
 2015年6月29日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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267-#1 《卷八34鄴中王大勸入高鳳石門山幽居》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <267-#1> Ⅰ李白詩1535 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6223 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

飄飄不得意,昨發南都城。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

富貴吾自取,建功及春榮。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。
 

 

『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

一身竟無託,遠與孤蓬征。

千里失所依,復將落葉并。

中途偶良朋,問我將何行。

(下し文)
(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。


(現代語訳)
(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。


(訳注)

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。           

 

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

孤蓬征 孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

 

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

 

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

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李白  見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

金華渡,東連五百灘。全勝若耶好,莫道此行難。

猿嘯千溪合,松風五月寒。他年一攜手,搖艇入新安。
君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

266 《卷8-12見京兆韋參軍量移東陽,二首之二》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <266> Ⅰ李白詩1534 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6218

 
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見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

相逢問愁苦,盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。

 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻って

相い逢うて 愁苦を問えば,は盡く 日南の珠。

 

 

年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

地點:    (江南東道 / 蘇州 / )

及地點:東陽 (江南東道 婺州 東陽)              

金華 (江南東道 婺州 金華)             

五百灘 (江南東道 婺州 金華)          

若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪        

新安 (都畿道 河南府 新安)             

 

 

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

金華渡,東連五百灘。

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

全勝若耶好,莫道此行難。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

猿嘯千溪合,松風五月寒。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

他年一攜手,搖艇入新安。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の二)

聞くく 金華の渡,東は五百灘に連ると。

全く 若耶の好に勝り,道う莫れ 此の行難しと。

猿嘯 千溪に合し,松風 五月に寒し。

他年 一び手を攜え,艇に搖られて 新安に入らん。

 

 

『見京兆韋參軍量移東陽,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

金華渡,東連五百灘。

全勝若耶好,莫道此行難。

猿嘯千溪合,松風五月寒。

他年一攜手,搖艇入新安。

(下し文)
(
京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の二)

聞くく 金華の渡,東は五百灘に連ると。

全く 若耶の好に勝り,道う莫れ 此の行難しと。

猿嘯 千溪に合し,松風 五月に寒し。

他年 一び手を攜え,艇に搖られて 新安に入らん。

(現代語訳)
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

江南東道 婺州 東陽00
(訳注)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

○京兆 京兆府(長安)。ベトナムから長安の朝廷に、長安から南陽で李白と遭い東陽に赴いた。

○韋參軍 參軍は刺史の官属である韋某。

○量移 罪を得て、遠方に貶竄されていたものが、後に大赦に遭うて、近地に移されること、つまり、情状酌量され、いくらかよい地方へ転換されることをいう。

○東陽 江南東道 婺州、後には浙江省金華府にぞくしていた。(4

謝靈運の溫州に左遷されて赴くルートで金華から謝靈運のルートを外れて、東陽に入る。

(謝霊運のルートを現在の地名で示す)

杭州→蕭山→富陽→桐盧→建徳→壽昌→蘭渓→金華→永康→(ここまで銭塘江、支流の婺江【ぶこう】を登ってきた。<分水嶺>ここから甌江【おうこう】になる)→石柱→縉雲→麗水→青田→永嘉(温州)

七里瀬 #1 謝霊運<16> 詩集 376

 

金華渡,東連五百灘。

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

金華渡 金華山は歷史上取り上げられたちであり、道教隆興の地,ここは中國道仙の搖籃和雲集地の一である。『淮南子』では特別な呼吸法によって仙人になったとされている。金華山(浙江省)には赤松子の石室があり、ここで彼は赤石脂という金丹の材料を服したという伝説もある。

東連 東に向かって渦巻く灘が目白押しにある。急流下りを遡るということ。

五百灘 

 

全勝若耶好,莫道此行難。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

行路難三首其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184

行路難三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

 

猿嘯千溪合,松風五月寒。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

 

他年一攜手,搖艇入新安。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

○新安 銭塘江をさかのぼること富陽から南西約五〇キロ、北西より流れ来る桐江、桐渓水との合流点に桐盧県がある。このあたりから上流を新安江(地図)という。

初往新安桐盧口 謝霊運<15>  詩集 378

265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213

李白  見京兆韋參軍量移東陽,二首之一  

潮水還歸海,流人卻到相逢問愁苦,淚盡日南珠。
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言

詩題:    見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

作地點:              (江南東道 / 蘇州 / )

及地點:              東陽 (江南東道 婺州 東陽)              

日南 (嶺南道西部 愛州 日南)          

交遊人物:韋參軍              當地交遊(江南東道 婺州 東陽)

 

 

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

相逢問愁苦,盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻って

相い逢うて 愁苦を問えば,は盡く 日南の珠。

 

李白の足跡0000 

『見京兆韋參軍量移東陽,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

潮水還歸海,流人卻到

相逢問愁苦,淚盡日南珠。

(下し文)
(
京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻ってに到る。

相い逢うて 愁苦を問えば,淚は盡く 日南の珠。

(現代語訳)
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。


(訳注)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

○京兆 京兆府(長安)。

○韋參軍 參軍は刺史の官属である韋某。

○量移 罪を得て、遠方に貶竄されていたものが、後に大赦に遭うて、近地に移されること、つまり、情状酌量され、いくらかよい地方へ転換されることをいう。

○東陽 江南東道 婺州、後には浙江省金華府にぞくしていた。

 

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

 東陽は呉の東部にあるのでこういう。

○還帰海 「なおもまた、海にかえる」の意。この聯、「潮水還帰海」と「流人却到呉」とが対句で、「還」と「却」とが対になっており、共に副詞と見るべきところ。

 

相逢問愁苦,淚盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。

○日南珠 南海・安南の真珠。神話物語の中の涙珠のこと。『洞冥記』に日南は「人長七尺,披髮至踵,乘犀象之車。乘象入海底取寶,宿於鮫人之舎,得涙珠,則鮫所泣之珠也,亦曰泣珠。」とある。韋参軍が流す涙は、流されていたところ産の真珠のようであると謂うこと。 ・日南は現・ベトナム社会主義共和国のハノイの真南150キロメートルのところ。韋参軍の流謫の地であったところ。・ たま。真珠。「蚌中の月」。鮫人の涙。南海に住み、水中で機(はた)を織り、泣くときは真珠の涙をこぼすという。また、韋参軍の流す涙。

安史期のアジアssH安史の乱当時の勢力図 

264-#2 《卷8-04贈徐安宜#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <264-#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1532 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6208

李白  贈徐安宜#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂白水流園池。遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐安宜

作地點:              安宜(淮南道 / 楚州 / 安宜)

及地點:              安宜 (淮南道 楚州 安宜)    

白田 (淮南道 楚州 安宜)   

交遊人物:徐安宜              當地交遊(淮南道 楚州 安宜)

 

 

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

青橙拂白水流園池。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

 

(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。

#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す。

 

 

『贈徐安宜』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂牖,白水流園池。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,晚託深期

(下し文)
#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い,白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す


(現代語訳) #2

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。


(訳注) #2

贈徐安宜 

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

徐安宜 淮南道 楚州安宜縣令の徐某のこと。

 

川光淨麥隴,日色明桑枝。

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

 

訟息但長嘯,賓來或解頤。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

解頤 あごがはずれそうになるほど、大きな口をあけて笑うこと。《漢書·匡衡傳》:“匡《詩》,解人頤。”顏師古注引如淳曰:“使人笑不能止也。”

 

青橙拂白水流園池。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

 

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

安邑 淮南道 楚州 安宜。

 

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

 これ。思えば~。

樹桃李 《説苑》「夫樹桃李者。夏得休息。秋得食焉。樹蒺藜者。夏不得休息。秋得其刺焉。今子之所種(種作樹)者蒺藜也。非桃李也。自今已來。擇人而樹之。毋已樹而擇之也。」に基づく。

264-#1 《卷八-04贈徐安宜#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-3 <264-#1> Ⅰ李白詩1531 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6203

李白  贈徐安宜  #1

白田見楚老,歌詠徐安宜。製錦不擇地,操刀良在茲。

清風動百里,惠化聞京師。浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

264-#1 《卷八-04贈徐安宜#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39-3 <264-#1> Ⅰ李白詩1531 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6203

 

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐安宜

作地點:              安宜(淮南道 / 楚州 / 安宜)

及地點:              安宜 (淮南道 楚州 安宜)    

白田 (淮南道 楚州 安宜)   

交遊人物:徐安宜              當地交遊(淮南道 楚州 安宜)

 

 

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂白水流園池。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,託深期。

 

(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。

#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す。

 

李白の足跡003 

『贈徐安宜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈徐安宜  #1

白田見楚老,歌詠徐安宜。

製錦不擇地,操刀良在茲。

清風動百里,惠化聞京師。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。


(下し文)
(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。


(現代語訳)
淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

rihakustep足跡
(訳注)

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

徐安宜 淮南道 楚州安宜縣令の徐某のこと。

 

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

○白田 安宜の地名。

○楚老 楚地の父老。

 

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

○製錦 錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治めたという意。

○操刀 刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよく治めたという意。

 

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

 

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

○浮人 貧困、戦争、飢饉などがあっても重税に苦しむものが逃村ということで戸籍を外し、山に入って生活をした。
楚州0015 

263#4 《巻五 34少年行#4》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#4> Ⅰ李白詩1530 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6198

李白  少年行#4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。
何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

263#4 《巻五 34少年行#4Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39-2 <263#4> Ⅰ李白詩1530 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6198

 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。
4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

4

衣冠 半ば是れ征戰の士,窮儒 浪【みだ】りに林泉の民と作る。

遮莫【さもあらばあれ】枝根 長さ百丈,如かず 當代 還往多きには。

遮莫【さもあらばあれ】姻親 帝城を連ね,如かず 當身 自ら簪纓なるに。

看取す 富貴 眼前の者,何ぞ用いん 悠悠たる身後の名。
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『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
##4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

(下し文) 4

衣冠 半ば是れ征戰の士,窮儒 浪【みだ】りに林泉の民と作る。

遮莫【さもあらばあれ】枝根 長さ百丈,如かず 當代 還往多きには。

遮莫【さもあらばあれ】姻親 帝城を連ね,如かず 當身 自ら簪纓なるに。

看取す 富貴 眼前の者,何ぞ用いん 悠悠たる身後の名。

(現代語訳)
今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。


(訳注)

4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

林泉 1 林や泉水を配して造った庭園。2 世を逃れて隠れ住む地。

 

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

遮莫 1.さもあらばあれ。ままよ。それならそれで仕方がない。自然の成り行きにまかせる感じ。・下の文句を打ち消す時に用いるもの、

 

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

 

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

263#3 《巻五 34少年行#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#3> Ⅰ李白詩1529 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6193

李白  少年行3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。
ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

 

263#3 《巻五 34少年行#3Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39-2 <263#3> Ⅰ李白詩1529 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6193

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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263#3 《巻五 34少年行#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#3> Ⅰ李白詩1529 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6193 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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74-#10 《巻09-32 詠雪贈張籍》-#10 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1442> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6194 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。
4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

 

『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

(下し文) 3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。

(現代語訳)
ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。


(訳注) 3

少年行

(少年の遊侠を詠う。)

少年行、少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。ここでは、任侠遊侠の士を強調して詠う。

 

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

○桃李 司馬遷《史記》「桃李不言下自成蹊」(桃李 言ざれど、下 自ずから蹊を成す』桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕って人が自然と集まって来ることの喩え。

 

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

○平交人 人と対等に交際する。

 

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

○徇 身を以て物に随うこと。

 

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

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李白  少年行#2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。
常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

 

『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。

(下し文) 2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。

(現代語訳) 2

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。


(訳注) 2

少年行

(少年の遊侠を詠う。)

少年行、少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。ここでは、任侠遊侠の士を強調して詠う。

 

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

 

驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

俠士堂中養 戦国の末。天下を狙う列国の諸侯達は、競って一芸一能に秀でた 者たちを客分として招き集めた。これがすなわち食客である。わけても 斉の孟嘗君は数千、楚の春申君は三千余、趙の平原君は数千、魏の信陵 君は三千と、食客の数を誇ったものであった。

 

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである。

○沽酒 量り売りの酒屋で買うこと。

 

赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

○赤心 嘘いつわりのない、ありのままの心。丹心。まごころ。《「後漢書」光武紀》「推赤心置人腹中」(赤心を推して人の腹中に置く)心から人を信じて、まごころをもって接することのたとえ。

○桃李 司馬遷《史記》「桃李不言下自成蹊」(桃李 言ざれど、下 自ずから蹊を成す』桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕って人が自然と集まって来ることの喩え。

 

俠客行

趙客縵胡纓,鉤霜雪明。銀鞍照白馬,颯沓如流星。

十步殺一人,千里不留行。事了拂衣去,深藏身與名。

閒過信陵飲,劍膝前橫。將炙啖朱亥,持觴勸侯嬴。

三杯吐然諾,五嶽倒為輕。眼花耳熱後,意氣素霓生。

救趙揮金槌,邯鄲先震驚。千秋二壯士,烜赫大梁城。

縱死俠骨香,不慚世上英。誰能書閣下,白首太玄經。

(俠客行)

趙客 縵胡の纓,鉤 霜雪明かなり。

銀鞍 白馬を照らし,颯沓として流星の如し。

十步に一人を殺し,千里 行を留めず。

事了るや 衣を拂って去り,深く藏す 身と名とを。

閒に信陵を過ぎて飲み,劍をして膝前に橫たう。

炙を 將って朱亥に啖【くら】わしめ,觴を持して侯嬴に勸む。

三杯然諾を吐き,五嶽 倒って為に輕し。

眼花し 耳熱する後,意氣 素霓【そげい】生ず。

趙を救って金槌を揮い,邯鄲 先ず震驚す。

千秋の二壯士,烜赫【けんかく】す 大梁城。

縱い死するも俠骨香しく,世上の英たるに慚じず。

誰か能く書閣の下,白首 太玄經。

159 《巻02-30 俠客行》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <159> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

263#1 《巻五 34少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 720000<263#1> Ⅰ李白詩1527 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6183

李白  少年行#1君不見淮南少年遊俠客,白日毬獵夜擁擲。呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。少年遊俠好經過,渾身裝束皆綺羅。

(少年の遊侠を詠う。)1淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。

3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

詩文(含異文)     君不見淮南少年遊俠客,白日毬獵夜擁擲。呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。少年遊俠好經過,渾身裝束皆綺羅。蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。桃李栽來幾度春,一回花落一回新。府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。男兒百年且樂命,何須徇書受貧病【何須讀書受貧病】。男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

 

 

『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

少年行#1

君不見淮南少年遊俠客,白日毬獵夜擁擲。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

少年遊俠好經過,渾身裝束皆綺羅。

(下し文)
(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。

(現代語訳)
(少年の遊侠を詠う。)1

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。


(訳注)

少年行1

(少年の遊侠を詠う。)

○少年 「少年行」というのは楽府の雑曲の題で、盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維の四首は21歳、科挙に及第し、張九齢の部下として仕事についた頃、琴の名手で、絵をかき、詩もうまい、その上美男子であった。得意満面で、詠われたものであろう。

四首は四場面の劇構成になっている。

王維「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっている。時代は漢。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  

相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 

少年行四首 其二    

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。

孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 

少年行四首 其三    

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。

偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其四   

漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。

天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。

 

杜甫《少年行》

貴族の子弟が酒屋において倣慢に酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句である。

少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。

不通姓氏豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

少年行二首  杜甫51歳の成都での作品

少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500

1

莫笑田家老瓦盆、自從盛酒長兇孫。

傾銀注玉驚人眼、共酔終同臥竹根。

少年行,二首之一 蜀中転々 杜甫 <498  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2680 杜甫詩1000-498-730/1500

(2)

災燕養雛渾欲去、江花結子也無多。

黄衫年少來宜敷、不見堂前東慙波。

 少年行,二首之二 蜀中転々 杜甫 <499  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2685 杜甫詩1000-499-731/1500

李白31歳の作品

 少年行      

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。

落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。

一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか

にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか

 李白 17少年行

 

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。

165 《巻05-13 年行,二首之一》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <165> Ⅰ李白詩1361 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5353

166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423

 

 

君不見淮南少年遊俠客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

○淮南 淮河以南、揚子江以北の地方。淮河以南,長江以北の地。

○遊俠客 古代中国では,遊民層のあいだで剣を帯びて徒党を結び,私交に信義をつらぬき,親族知友を辱しめるものには必ず仇を報ずる人々を俠,遊俠,俠客といい,その気風を任俠という。任とは交わりに誠実で,利害生死を顧みずに人の窮境を救い,国禁を犯しても責任をもって人をかくまう意。

俠客行

趙客縵胡纓,鉤霜雪明。銀鞍照白馬,颯沓如流星。

十步殺一人,千里不留行。事了拂衣去,深藏身與名。

閒過信陵飲,劍膝前橫。將炙啖朱亥,持觴勸侯嬴。

三杯吐然諾,五嶽倒為輕。眼花耳熱後,意氣素霓生。

救趙揮金槌,邯鄲先震驚。千秋二壯士,烜赫大梁城。

縱死俠骨香,不慚世上英。誰能書閣下,白首太玄經。

(俠客行)

趙客 縵胡の纓,鉤 霜雪明かなり。

銀鞍 白馬を照らし,颯沓として流星の如し。

十步に一人を殺し,千里 行を留めず。

事了るや 衣を拂って去り,深く藏す 身と名とを。

閒に信陵を過ぎて飲み,劍をして膝前に橫たう。

炙を 將って朱亥に啖【くら】わしめ,觴を持して侯嬴に勸む。

三杯然諾を吐き,五嶽 倒って為に輕し。

眼花し 耳熱する後,意氣 素霓【そげい】生ず。

趙を救って金槌を揮い,邯鄲 先ず震驚す。

千秋の二壯士,烜赫【けんかく】す 大梁城。

縱い死するも俠骨香しく,世上の英たるに慚じず。

誰か能く書閣の下,白首 太玄經。

159 《巻02-30 俠客行》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <159> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

○毬獵 打毬よ游猟

○擁擲 賭博。樗蒲をいう。1 中国渡来の賭博(とばく)の一。1個のさいころで出る目を予測し、予測が当たれば賭け金の4倍または5倍を得る仕組みになっているもの。転じて、博奕(ばくち)のこと。2 いんちき。でたらめ。3 ばかをみること。

 

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

○呼盧 樗蒲をいう。 《珊瑚鉤詩話》「樗蒱起自老子,今謂之〔呼盧〕,取純色而勝之之義以名之耳。」(樗蒲は老子より起る、今これを呼盧という、純色にしてこれに勝の義をとって、以てこれに名づくるのみ)とある。

○百萬 賭博するにあたり、百万錢を一擲にして勝負する。

○咫尺 「咫」は中国の周の制度で8寸、「尺」は10寸》1 距離が非常に近いこと。2 貴人の前近くに出て拝謁すること。ちょっとの間でする。朝飯前ぐらいのことであるというほどの意。天下無敵をいう。荘子『荘子』〈説剣〉。 《王曰「子之剣、何能禁制。」曰「臣之剣、十歩一人、千里不留行。」王大悦之、曰「天下無敵矣。」》 (王曰く「子の剣、何をか能く禁制す」と。曰く「臣の剣、十歩にして一人、千里にしても留まらず行く」と。

 

少年遊俠好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

 

《贈新平少年》「韓信在淮陰,少年相欺凌。」(韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。)韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

145-#1 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#1> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238

145-#2 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#2> Ⅰ李白詩1339 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5243

164 《巻05-11 少年子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <164> Ⅰ李白詩1373 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5413

 

 

 

197-#1 《巻3-25 結客少年場行 -#1(紫燕黃金瞳,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <197-#1> Ⅰ李白詩1421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5653

197-#2 《巻3-25 結客少年場行 -#2》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <197-#2> Ⅰ李白詩1422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5658

 

262 《巻三17久別離-#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-1 <262>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1526 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6178

李白  久別離-#2

去年寄書報陽臺,今年寄書重相催。東風兮東風,為我吹行雲使西來。

待來竟不來,落花寂寂委青苔。
東風は、西に向かって、はるかに陽臺の方にふきつけてくるから、東風よ、わたしのために、行雲をふきかえして、ここ、西の方へくるようにしてもらいたい。しかし、何時まで待っても、夫は帰ってこず、やがて今年の春もまた、暮れ盡そうとしていて、散りおちた花びらが、寂しく淋しく青い苔の上にくずおれてゆく。

262 《巻三17久別離-#2Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39-1 <262>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1526 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6178

 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六三              文體:    樂府

詩題:    久別離

 

 

久別離

(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。

お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。

況有錦字書,開緘使人嗟。

そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

至此腸斷彼心雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪。

そこまで考えて来ると、わたしはハラワタがちぎれる。あのひとの心はつめたくなってしまった。雲のような髪も、みどりの鬢も、櫛けずって結う気もしない。かなしい心の中は、つむじ風が白雪をかきみだすかのようだ。

 

去年寄書報陽臺,今年寄書重相催。

去年、手紙を出して、巫山の陽台にいる夫に、この気持を知らせたが、まだ帰ってこないので、今年もふたたび手紙を出して、かさねて早く帰れと催促してみたが、容易に帰ってきそうもない。

東風兮東風,為我吹行雲使西來。

東風は、西に向かって、はるかに陽臺の方にふきつけてくるから、東風よ、わたしのために、行雲をふきかえして、ここ、西の方へくるようにしてもらいたい。

待來竟不來,落花寂寂委青苔。

しかし、何時まで待っても、夫は帰ってこず、やがて今年の春もまた、暮れ盡そうとしていて、散りおちた花びらが、寂しく淋しく青い苔の上にくずおれてゆく。

 (久別離)

別来幾春か 未だ家に還らず、玉窓 五【いつ】たび見る 櫻桃の花

況んや 錦字の書有り、鍼を開けば 人をして嗟せしむ。

此に至り 腸断え、彼の心は絶え、雲鬟綠鬢 梳結を罷み、愁は回飆の白雪を乱れるがごとし。

 

去年 書を寄せて 陽台に報じ、今年 書を寄せて 重ねて相催す。

東風や東風、我が為に行雲を吹いて西に来らしむ。

来るを 待てどもついに来らず、落花寂寂として 青苔に委す。

李白の足跡0000 

 

『久別離』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

去年寄書報陽臺,今年寄書重相催。

東風兮東風,為我吹行雲使西來。

待來竟不來,落花寂寂委青苔。

(下し文)
去年 書を寄せて 陽台に報じ、今年 書を寄せて 重ねて相催す。

東風や東風、我が為に行雲を吹いて西に来らしむ。

来るを 待てどもついに来らず、落花寂寂として 青苔に委す。

(現代語訳)
去年、手紙を出して、巫山の陽台にいる夫に、この気持を知らせたが、まだ帰ってこないので、今年もふたたび手紙を出して、かさねて早く帰れと催促してみたが、容易に帰ってきそうもない。

東風は、西に向かって、はるかに陽臺の方にふきつけてくるから、東風よ、わたしのために、行雲をふきかえして、ここ、西の方へくるようにしてもらいたい。

しかし、何時まで待っても、夫は帰ってこず、やがて今年の春もまた、暮れ盡そうとしていて、散りおちた花びらが、寂しく淋しく青い苔の上にくずおれてゆく。


(訳注)

久別離

(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う

古別離、長別離、生別離、遠別離の楽府「別離」シリーズの一首である。これらは古い別離の曲にもとづいて作られたものである。

 

去年寄書報陽台、今年寄書重相催。

去年、手紙を出して、巫山の陽台にいる夫に、この気持を知らせたが、まだ帰ってこないので、今年もふたたび手紙を出して、かさねて早く帰れと催促してみたが、容易に帰ってきそうもない。

○陽台・行雲 李白の詩にしばしば出てくる巫山の夢の故事。陽台は山の名。四川省巫山県の城内の北の角にある。巫山の女神がこの山の上に住んでいたと伝えられる。むかし楚の嚢王が高唐の丘に遊んだとき夢の中で美女と枕をかわした。女がすなわち、朝には芸となり、暮には雨となる巫山の女神であった。

夢瑤 瑤姫【ようき】は、別名を「巫山神女」と呼ばれており。炎帝の四人娘の第三の娘であり、才色を兼ね備えて、学問より武術が得意とした。女娃(じょあ)の姉にあたる。美しいく輝く仙草「瑤草」は、瑤姫の化身である。『高唐賦』と『神女賦』に記述があり、楚の懐王の夢に現れた契りを結んだ。最終、彼女は巫山に封じられた。中国上古の神話には、瑤姫が西王母の第二十三人の娘「雲華夫人(うんかふじん)」だとの言い伝えがあり、十二匹の悪龍に降伏し禹の治水事業を助けていた。後に巫山十二峰(神女峰)を形成した。

 

東風兮東風。 為我吹行云使西來、

東風は、西に向かって、はるかに陽臺の方にふきつけてくるから、東風よ、わたしのために、行雲をふきかえして、ここ、西の方へくるようにしてもらいたい。

○東風 春風、長江の下流域から、東風に乗って帰って来る。

 

待來竟不來、落花寂寂委青苔。

しかし、何時まで待っても、夫は帰ってこず、やがて今年の春もまた、暮れ盡そうとしていて、散りおちた花びらが、寂しく淋しく青い苔の上にくずおれてゆく。

○寂寂 さびしく、しずかなさま。

 巫山十二峰002

 

(久別離)

別来幾春か 未だ家に還らず、玉窓 五【いつ】たび見る 櫻桃の花

況んや 錦字の書有り、鍼を開けば 人をして嗟せしむ。

此に至り 腸断え、彼の心は絶え、雲鬟綠鬢 梳結を罷み、愁は回飆の白雪を乱れるがごとし。

 

去年 書を寄せて 陽台に報じ、今年 書を寄せて 重ねて相催す。

東風や東風、我が為に行雲を吹いて西に来らしむ。

来るを 待てどもついに来らず、落花寂寂として 青苔に委す。

262 《巻三17久別離》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <262> Ⅰ李白詩1525 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6173

李白  久別離  

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。況有錦字書,開緘使人嗟。

至此腸斷彼心,雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪
(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う)お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六三              文體:    樂府

詩題:    久別離

 

 

久別離

(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。

お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。

況有錦字書,開緘使人嗟。

そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

至此腸斷彼心雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪。

そこまで考えて来ると、わたしはハラワタがちぎれる。あのひとの心はつめたくなってしまった。雲のような髪も、みどりの鬢も、櫛けずって結う気もしない。かなしい心の中は、つむじ風が白雪をかきみだすかのようだ。

 

去年寄書報陽臺,今年寄書重相催。

東風兮東風,為我吹行雲使西來。

待來竟不來,落花寂寂委青苔。

 

(久別離)

別来幾春か 未だ家に還らず、玉窓 五【いつ】たび見る 櫻桃の花

況んや 錦字の書有り、鍼を開けば 人をして嗟せしむ。

此に至り 腸断え、彼の心は絶え、雲鬟綠鬢 梳結を罷み、愁は回飆の白雪を乱れるがごとし。

 

去年 書を寄せて 陽台に報じ、今年 書を寄せて 重ねて相催す。

東風や東風、我が為に行雲を吹いて西に来らしむ。

来るを 待てどもついに来らず、落花寂寂として 青苔に委す。

 

 

『久別離』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

久別離

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。

況有錦字書,開緘使人嗟。

至此腸斷彼心,雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪

(下し文)
(
久別離)

別来幾春か 未だ家に還らず、玉窓 五【いつ】たび見る 櫻桃の花

況んや 錦字の書有り、鍼を開けば 人をして嗟せしむ。

此に至り 腸断え、彼の心は絶え、雲鬟綠鬢 梳結を罷み、愁は回飆の白雪を乱れるがごとし。

(現代語訳)
(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う

お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。

そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

そこまで考えて来ると、わたしはハラワタがちぎれる。あのひとの心はつめたくなってしまった。雲のような髪も、みどりの鬢も、櫛けずって結う気もしない。かなしい心の中は、つむじ風が白雪をかきみだすかのようだ。



(訳注)

久別離

(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う

古別離、長別離、生別離、遠別離の楽府「別離」シリーズの一首である。これらは古い別離の曲にもとづいて作られたものである。

 

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。

お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。

○別来 別れてからこのかた。

○桜桃 ゆすらうめ。ばら科の落葉潅木。春の初、白い花をひらく。

 

況有錦字書,開緘使人嗟。

そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

○錦字書 六朝の竇滔(とうとう)の妻が、遠い任地にいる夫を思う詩を織りこんで、錦の手紙をつくった。「烏夜啼」の詩の注に見える故事をふまえる。

○鍼 手紙の封。

 

至此腸斷彼心雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪。

そこまで考えて来ると、わたしはハラワタがちぎれる。あのひとの心はつめたくなってしまった。雲のような髪も、みどりの鬢も、櫛けずって結う気もしない。かなしい心の中は、つむじ風が白雪をかきみだすかのようだ。

○雲鬟綠鬢 女のうつくしい髪の毛を、みどりの雲にたとえ

〇梳結 髪をくしけずり、結う。

〇回飆 つむじ風。

260-#2 《巻二十一34經下邳圯橋懷張子房 -#2》(改訂版Ver..2.1)Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <260-#2> Ⅰ李白詩1524 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6168

李白  經下邳圯橋懷張子房#2

潛匿遊下,豈曰非智勇。我來橋上,懷古欽英風。

惟見碧流水,曾無石公。歎息此人去,蕭條徐泗空。

今、我、子房が黄石公にであった下邳の圯橋の上に来ており、古の事を思い出すと、張良の英雄の風姿が慕わしくてたまらない。おもえば、張良一度この世から去ってより、この徐泗一帯の地は、蕭条として、人物を出さず、まことに、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、嘆息に堪えぬことである。


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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:738年開元二十六年38

卷別:  卷一八一        文體:  五言古詩

詩題:  經下邳圯橋懷張子房

作地點:        下邳(河南道 / 泗州 / 下邳)

及地點:圯橋 (河南道 泗州 下邳)  

博浪沙 (都畿道 鄭州 陽武)       

下邳 (河南道 泗州 下邳)         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方        

泗州 (河南道 泗州 泗州)         

 

(改訂版Ver..2.1

經下邳圯橋懷張子房  #1

(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

子房未虎嘯,破不為家。

むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
滄海得壯士,椎秦博浪沙。

かくて、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、副車に当たっただけで、目的を達する事は無かった。

報韓雖不成,天地皆振動。

こうして、五世韓に仕えた恩に報いるために企てた復讐は不成功におわったが、そのことによって天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けた。
#2

潛匿遊下,豈曰非智勇。

そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し、その間に勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。
我來橋上,懷古欽英風。

今、我、子房が黄石公にであった下邳の圯橋の上に来ており、古の事を思い出すと、張良の英雄の風姿が慕わしくてたまらない。 

惟見碧流水,曾無石公。

しかし、この遺跡とても、別に見るべきものはなく、碧流の水が、むかしのままに、橋下を走るだけで、子房に兵書を授けた黄石公は、神仙だというが、賓際あった人かどうかわからぬ。 

歎息此人去,蕭條徐泗空。

おもえば、張良一度この世から去ってより、この徐泗一帯の地は、蕭条として、人物を出さず、まことに、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、嘆息に堪えぬことである。

 

(下【かひ】の【いきょう】を經て張子房を懷う)
子房 未だ虎嘯せざり、
を破って 家を為さず。 
滄海に 壯士を得、秦を椎【つい】す 博浪沙。 
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動。

#2
潜匿【せんとく】して 下
に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。
我來る 
の上り、古を懐うて、英風を欽す。
唯だ見る 碧流の水、曾て 黄石公  無し。
嘆息す 此の人去りて、蕭條として 徐泗【じょし】の空しきを。

rihakustep足跡 

 

(改訂版Ver..2.1

『經下邳圯橋懷張子房』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

潛匿遊下邳,豈曰非智勇。

我來圯橋上,懷古欽英風。

惟見碧流水,曾無黃石公。

歎息此人去,蕭條徐泗空。

(下し文) #2

潜匿【せんとく】して 下邳に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。

我來る 圯橋の上り、古を懐うて、英風を欽す。

唯だ見る 碧流の水、曾て 黄石公  無し。

嘆息す 此の人去りて、蕭條として 徐泗【じょし】の空しきを。

(現代語訳) #2

そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し、その間に勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。
今、我、子房が黄石公にであった下邳の圯橋の上に来ており、古の事を思い出すと、張良の英雄の風姿が慕わしくてたまらない。 

しかし、この遺跡とても、別に見るべきものはなく、碧流の水が、むかしのままに、橋下を走るだけで、子房に兵書を授けた黄石公は、神仙だというが、賓際あった人かどうかわからぬ。 

おもえば、張良一度この世から去ってより、この徐泗一帯の地は、蕭条として、人物を出さず、まことに、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、嘆息に堪えぬことである。

李白の足跡0000
(訳注) (改訂版Ver..2.1

經下邳圯橋懷張子房  #2

(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

下邳:かひ いまの江蘇省北端の邳県の東にある。

圯橋:いきょう 土橋。

張子房 張良(ちょうりょう、生年未詳― 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。
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潛匿游下邳、豈曰非智勇。』
そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し、その間に勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。
潛匿 ひそかに潜伏しかくれる。

○游 勉強する。

○智勇 智略と勇気を備えること。
張良が下邳に潜伏していることと、李白、張旭らが逃避しているのを重ねている。

 

我來圯橋上、懷古欽英風。 
今、我、子房が黄石公にであった下邳の圯橋の上に来ており、古の事を思い出すと、張良の英雄の風姿が慕わしくてたまらない。 

圯橋:いきょう 土橋。

 うやまう。つつしむ。


惟見碧流水、曾無黃石公。 
しかし、この遺跡とても、別に見るべきものはなく、碧流の水が、むかしのままに、橋下を走るだけで、子房に兵書を授けた黄石公は、神仙だというが、賓際あった人かどうかわからぬ。 

そこにはただ目の前には苔むした青々とした水の流れがあるだけで、かの黃石公はもとより姿を現わすはずがないのだ。
曾無 「曾」は「無」を強調する字。

○英風 英雄の風貌。


嘆息此人去、蕭條徐泗空。』2
おもえば、張良一度この世から去ってより、この徐泗一帯の地は、蕭条として、人物を出さず、まことに、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、嘆息に堪えぬことである。

徐泗 徐州と泗州。いまの江薪省徐州から安徽省池原にいたる一帯の地方。下邸はこの地方にある。

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李白  經下邳圯橋懷張子房  #1

子房未虎嘯,破不為家。滄海得壯士,椎秦博浪沙。報韓雖不成,天地皆振動。
(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
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年:738年開元二十六年38

卷別:  卷一八一        文體:  五言古詩

詩題:  經下邳圯橋懷張子房

作地點:        下邳(河南道 / 泗州 / 下邳)

及地點:圯橋 (河南道 泗州 下邳)  

博浪沙 (都畿道 鄭州 陽武)       

下邳 (河南道 泗州 下邳)         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方        

泗州 (河南道 泗州 泗州)         

 

(改訂版Ver..2.1 

經下邳圯橋懷張子房  #1

(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

子房未虎嘯,破不為家。

むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
滄海得壯士,椎秦博浪沙。

かくて、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、副車に当たっただけで、目的を達する事は無かった。

報韓雖不成,天地皆振動。

こうして、五世韓に仕えた恩に報いるために企てた復讐は不成功におわったが、そのことによって天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けた。
#2

潛匿遊下邳,豈曰非智勇。

我來圯橋上,懷古欽英風。

惟見碧流水,曾無黃石公。

歎息此人去,蕭條徐泗空。

 

(下【かひ】の【いきょう】を經て張子房を懷う)
子房 未だ虎嘯せざり、
を破って 家を為さず。 
滄海に 壯士を得、秦を椎【つい】す 博浪沙。 
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動。
潜匿【せんとく】して 下
に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。
我來る 
の上り、古を懐うて、英風を欽す。
唯だ見る 碧流の水、曾て 黄石公  無し。
嘆息す 此の人去りて、蕭條として 徐泗【じょし】の空しきを。

李白の足跡0000 

 (改訂版Ver..2.1

『經下邳圯橋懷張子房』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

經下邳圯橋懷張子房  #1

子房未虎嘯,破不為家。

滄海得壯士,椎秦博浪沙。

報韓雖不成,天地皆振動。

(下し文)
(下邳【かひ】の圯橋【いきょう】を經て張子房を懷う)

子房 未だ虎嘯せざり、を破って 家を為さず。

滄海に 壯士を得、秦を椎【つい】す 博浪沙。

韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動。

潜匿【せんとく】して 下邳に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。

(現代語訳)
(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
かくて、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、副車に当たっただけで、目的を達する事は無かった。

こうして、五世韓に仕えた恩に報いるために企てた復讐は不成功におわったが、そのことによって天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けた。

(訳注)
(改訂版Ver..2.1

經下邳圯橋懷張子房  #1

(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

下邳:かひ いまの江蘇省北端の邳県の東にある。

圯橋:いきょう 土橋。

張子房 張良(ちょうりょう、生年未詳― 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。
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子房未虎嘯、破不為家。 
むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
子房 張良。

虎嘯 虎がうそぶく、仕留める獲物を特定しないで空吼えをしていること。義臣が聖主にあって出世し天下に羽振をきかせること。別に秦の始皇帝が天下に横暴を繰り返した。ここでは、賢臣が聖王と遭遇するという意味に用いた。

 資産を売り払うこと。

滄海得壯士、椎秦博浪沙。』 
かくて、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、副車に当たっただけで、目的を達する事は無かった。

滄海 滄海君。異民族の酋長。

○椎 椎(ハンマー)を投げつける。史記留侯世家に、財産を売り払って、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃した。

 秦の始皇帝。

博浪沙 いまの河南省原陽県(陽武)。開封の近くにある。

 

報韓雖不成、天地皆振動。
こうして、五世韓に仕えた恩に報いるために企てた復讐は不成功におわったが、そのことによって天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けた。
○報韓 秦に敗れた韓の敵討ち。

天地皆振動 秦の始皇帝の徹底した統治に嫌気を持っていた人々、天下に離散した韓の関係者たちの喝采を浴びたこと。

 

(下【かひ】の【いきょう】を經て張子房を懷う)
子房 未だ虎嘯せざり、
を破って 家を為さず。 
滄海に 壯士を得、秦を椎【つい】す 博浪沙。 
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動。
潜匿【せんとく】して 下
に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。
我來る 
の上り、古を懐うて、英風を欽す。
唯だ見る 碧流の水、曾て 黄石公  無し。
嘆息す 此の人去りて、蕭條として 徐泗【じょし】の空しきを。


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・秦が韓を滅ぼした時、張良はまだ少年であったが、家財を投げ出して暗殺者を求め、秦の始皇帝を襲うと決意した。
・家柄からして、韓のために仇を報いざるを得なかったのである。
・かれは滄海君という異民族の酋長に力強い男を世話してもらう。
・大きなハンマーを作り、秦の始皇帝を博浪沙というところに行幸していたのを狙撃させた。
・狙いは外れて予備の車にあたった。
・始皇帝は大いに怒った。天下に犯人をもとめ、捜索は非常にきびしかった。

・張良は変名して下邳に身をかくしていた。ある日のこと、張良がぶらぶら散歩して下邸の土橋にさしかかると、一人のじいさんがそまつな着物をきて張良のそばに寄ってきた。
・いきなり、自分の靴を橋の下におとし、張良の顔をみて言った。「小僧、靴をとってきてくれ!」張良はびっくりした。
・殴ってやろうかと思ったが、年よりだから、がまんして降りていき靴を拾った。
・じいさんは言った。「わしにはかせろ」張良は是や靴を拾った以上仕方がない。膝まずいて、はかせてやった。
・じいさんは足で受け、笑って立ち去った。張良があっけにとられて後姿を見送っていると、しばらくして引きかえしてきたじいさんが言った。「小僧、教えがいのある奴だ。五日のち、明け方にわしと此所で会おう」
・張良は怪しみながらも「はい」と答えた。五日たって夜明けに張良が行くと、じいさんは先に来ている。
・そして怒って言う。「老人と約束してで遅れるとは何事だ!#!」去りながら言った。
・「五日のち、朝早く会おう」こんどは番鶏がなくころ張良は行った。じいさんはやっぱ。先に来ていた。・また怒って言う。「おくれるとは何事だ!」「五日のち、もっと早く来い」と。
・張良、こんどこそはと、夜中にもならないうちに行った。しばらくするとじいさんがやってきて、はじめてニコニコした。「こうこなくちゃいかん」
・一篇の書をとり出して言った。「これを読めば、王者の師となれる。十年のち、出世る。十三年のち、小僧はわしを済北の穀城山のふもとに見つけるであろう、黄石がつまりわしなんだ」言いおわると、さっと姿をけした。
・夜が明けてその書をよく見ると、太公望の兵書であった。張良はふしぎに思ったが、毎日これを通読した。やがて高祖が兵をあげると手柄を立てたのだ。
・十三年のち、高祖に従って済北を過ぎたとき、張良ははたして黄色の石を見つけたので、とってきてそれをまつったということである。

259 《巻十七03送友人》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <259>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1522 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6158

李白  送友人  

青山橫北郭,白水繞東城。此地一為別,孤蓬萬里征。

浮雲遊子意,落日故人情。揮手自茲去,蕭蕭班馬鳴。

(友人が遠くに往くのを見送るために作った詩。)草木が青々と茂っている山が、城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をめぐっている。今、この地において、ひとたび別れることになれば、さながら、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の遠きに征遊するのである。 浮雲は、もとより定まる事は無く、旅人の心であり、「遊子の意」、また、かくのごとく落日は、まさに今、沈もうとしており、「故人恋恋の情」いかにべきであろうか。

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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    送友人

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:白水 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:淯水、白河             

 

(改訂版Ver..2.1

送友人

(友人が遠くに往くのを見送るために作った詩。)

青山橫北郭,白水繞東城。

草木が青々と茂っている山が、城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をめぐっている。

此地一為別,孤蓬萬里征。

今、この地において、ひとたび別れることになれば、さながら、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の遠きに征遊するのである。 
浮雲遊子意,落日故人情。

浮雲は、もとより定まる事は無く、旅人の心であり、「遊子の意」、また、かくのごとく落日は、まさに今、沈もうとしており、「故人恋恋の情」いかにべきであろうか。
揮手自茲去,蕭蕭班馬鳴。

しかるに、君は意を決して、ここより去りろうとしている、蕭蕭、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶くが、君は即ちその馬に乗って行くのである。
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<!--[endif]-->

(友人を送る)

青山 北郭に橫たわり,白水 東城を遶【めぐ】る。

此地 一たび別れを爲し,孤蓬 萬里に 征【ゆ】く。

浮雲 遊子の意,落日 故人の情。

手を揮【ふる】ひて 茲より去れば,蕭蕭として 班馬 鳴く。

 

安陸・南陽・嚢陽 李白00

(改訂版Ver..2.1

『送友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

青山橫北郭,白水繞東城。

此地一為別,孤蓬萬里征。

浮雲遊子意,落日故人情。

揮手自茲去,蕭蕭班馬鳴。

(下し文)
(
友人を送る)

青山 北郭に橫たわり,白水 東城を遶【めぐ】る。

此地 一たび 別れを爲し,孤蓬 萬里に 征【ゆ】く。

浮雲 遊子の意,落日 故人の情。

手を揮【ふる】ひて 茲より去れば,蕭蕭として 班馬 鳴く。

(現代語訳)
(友人が遠くに往くのを見送るために作った詩。)

草木が青々と茂っている山が、城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をめぐっている。
今、この地において、ひとたび別れることになれば、さながら、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の遠きに征遊するのである。 
浮雲は、もとより定まる事は無く、旅人の心であり、「遊子の意」、また、かくのごとく落日は、まさに今、沈もうとしており、「故人恋恋の情」いかにべきであろうか。
しかるに、君は意を決して、ここより去りろうとしている、蕭蕭、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶くが、君は即ちその馬に乗って行くのである。

(訳注) (改訂版Ver..2.1

送友人

(友人が遠くに往くのを見送るために作った詩。)

人を送るために、しばし同行してゆく。澄んだ水が、都市(城市)の東側をめぐっている。

 

青山橫北郭,白水繞東城。

草木が青々と茂っている山が、城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をめぐっている。
・青山 草木が青々と茂っているはる山。また、墓所とすべき山。ここでは、前者の意。 孟浩然《過故人莊》「故人具雞黍,邀我至田家。綠樹村邊合,青山郭外斜。開筵面場圃,把酒話桑麻。待到重陽日,還來就菊花。」

311  孟浩然   過故人莊 

・橫 よこたわる。動詞。

・北郭 都市の城郭の北側。南陽の城郭の北側にある市、庶民にとって市場を意味するものである。

・白水 澄んだ水。 

・遶 じょう めぐる。めぐらす。とりまく。 

・東城 城郭の東側。城東と同じ。

 

此地一為別,孤蓬萬里征。

今、この地において、ひとたび別れることになれば、さながら、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の遠きに征遊するのである。 
・此地 この地(で)。この場所(で)。 

・一爲 ひとたび…をなす(やいなや)。ひとたび…をす(れば)。 

・別 別れること。離別。名詞。

・孤蓬 こほう ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。曹植《雜詩六首 其二》「轉蓬離本根, 飄飄隨長風。」轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。

・萬里 遙かな行程をいう。 

・征 旅に出る。行く。

 

浮雲遊子意,落日故人情。

浮雲は、もとより定まる事は無く、旅人の心であり、「遊子の意」、また、かくのごとく落日は、まさに今、沈もうとしており、「故人恋恋の情」いかにべきであろうか。
・浮雲 浮かび漂う雲。漂う雲のように行方定まらないこと。

・遊子 旅人。家を離れて他郷に旅立つ人。ここでは、李白の友人を指す。 

・意 心。・落日 夕陽。 

・故人 旧知の友人。 

・情 思い。

 

揮手自茲去,蕭蕭班馬鳴。

しかるに、君は意を決して、ここより去りろうとしている、蕭蕭、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶くが、君は即ちその馬に乗って行くのである。
・揮手 手を振る。 

・自茲去 …より ここ。 去る。行く。

・蕭蕭 馬の嘶く声。また、もの寂しいさま。 

・班馬 離れ馬。 

李白の足跡003

,蕭蕭として 班馬 鳴く。

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李白  送侯十一  

朱亥已擊晉,侯嬴尚隱身。時無魏公子,豈貴抱關人。

余亦不火食,遊梁同在陳。空餘湛盧劍,贈爾託交親。

かくの如く君が不遇であるばかりか、予もまた火食せず、今しも、梁に遊歴しているが、丁度、孔子が陳蔡の野に苦しんだと同じである。さはれ、湛盧に比すべき名剣だけが残っているから、ここに別れを為すに際し、この詩を君に贈って、二人の親交の表徴としようとおもうのである。

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送侯十一

作地點:              陳州(河南道 / 陳州 / 陳州)

及地點:              陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽             

交遊人物/地點:侯十一      當地交遊(河南道 陳州 陳州)

 

 

送侯十一

朱亥已晉,侯尚隱身。

今や朱亥に比すべき君の門下は、すでに晉鄙の様な人を椎殺し、著著と場面が進行するに拘わらず、侯嬴に此すべき肝腎の大立物たる君が出できて活動すべき筈であるのに、なお身を隠して引っ込んでいるのは、どうしたことか。

時無魏公子,豈貴抱關人。

刻下の世、魏の公子信陵君の様な人が無く、従って、関門の番人の如き餞しき地位に居るものを貴ばないのは、尤も至極な事である。

余亦不火食,遊梁同在陳。

かくの如く君が不遇であるばかりか、予もまた火食せず、今しも、梁に遊歴しているが、丁度、孔子が陳蔡の野に苦しんだと同じである。

空餘湛盧劍,贈爾託交親。

さはれ、湛盧に比すべき名剣だけが残っているから、ここに別れを為すに際し、この詩を君に贈って、二人の親交の表徴としようとおもうのである。

 

(侯十一を送る)

朱亥 已に晉を擊ち,侯嬴 尚お身を隱す。

時に魏の公子無くんば,豈に抱關の人を貴ばんや。

余 亦た火食せず,梁に遊ぶは 陳に在るに同じ。

空しく湛盧の劍を餘し,爾に贈って交親を託す。

 

 

『送侯十一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送侯十一

朱亥已擊晉,侯嬴尚隱身。

時無魏公子,豈貴抱關人。

余亦不火食,遊梁同在陳。

空餘湛盧劍,贈爾託交親。

(下し文)
送侯十一

朱亥已擊晉,侯嬴尚隱身。

時無魏公子,豈貴抱關人。

余亦不火食,遊梁同在陳。

空餘湛盧劍,贈爾託交親。

(現代語訳)
(戦国、信陵君のもとにいた賢人侯嬴というべき老侠、賢人である侯某をおくる)

今や朱亥に比すべき君の門下は、すでに晉鄙の様な人を椎殺し、著著と場面が進行するに拘わらず、侯嬴に此すべき肝腎の大立物たる君が出できて活動すべき筈であるのに、なお身を隠して引っ込んでいるのは、どうしたことか。

刻下の世、魏の公子信陵君の様な人が無く、従って、関門の番人の如き餞しき地位に居るものを貴ばないのは、尤も至極な事である。

かくの如く君が不遇であるばかりか、予もまた火食せず、今しも、梁に遊歴しているが、丁度、孔子が陳蔡の野に苦しんだと同じである。

さはれ、湛盧に比すべき名剣だけが残っているから、ここに別れを為すに際し、この詩を君に贈って、二人の親交の表徴としようとおもうのである。


(訳注)

送侯十一

(戦国、信陵君のもとにいた賢人侯嬴というべき老侠、賢人である侯某をおくる)

同姓の故に、侯嬴を以て其の人に此したのは、例の慣用手段である。次の二句は、自分のことを述べ、結二句は、自他の交親に及んだのである。

 

朱亥已擊晉,侯嬴尚隱身。

今や朱亥に比すべき君の門下は、すでに晉鄙の様な人を椎殺し、著著と場面が進行するに拘わらず、侯嬴に此すべき肝腎の大立物たる君が出できて活動すべき筈であるのに、なお身を隠して引っ込んでいるのは、どうしたことか。

朱亥 侯嬴 朱亥:信陵君の評判を高めることになった肉屋の若者。

侯嬴 老人で門番であったが賢者であることで新陵君が度量が大きいとの評判を高めた。 逸話 魏の公子と食客(信陵君・侯嬴・朱亥)任侠の士を詠うもの、侠客行は侠遊二十五曲の一つである。

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時無魏公子,豈貴抱關人。

刻下の世、魏の公子信陵君の様な人が無く、従って、関門の番人の如き餞しき地位に居るものを貴ばないのは、尤も至極な事である。

 

余亦不火食,遊梁同在陳。

かくの如く君が不遇であるばかりか、予もまた火食せず、今しも、梁に遊歴しているが、丁度、孔子が陳蔡の野に苦しんだと同じである。

不火食 煮た物を食べないこと。陳蔡之厄といわれるもの。《莊子集釋》卷九下〈雜篇讓王〉「孔子窮於陳蔡之間,七日不火食,」に基づく。

 

空餘湛盧劍,贈爾託交親。

さはれ、湛盧に比すべき名剣だけが残っているから、ここに別れを為すに際し、この詩を君に贈って、二人の親交の表徴としようとおもうのである。

湛盧劍 越王允常が欧冶子に造らせた五振りの剣「純鈞」・「湛盧」・「豪曹」・「魚腸」・「巨闕」があり、「湛盧剣」は薛燭によれば、これを帯びる者は敵を討つことが出来、謀反を企む臣下がいれば、他国に去らせることが出来るという。允常はこれを呉に贈るが、呉王闔閭の暴虐無道ぶりを嫌った湛盧は自ら楚に飛んでいったので、楚の昭王はいながらにしてこの剣を手に入れた。

 

 

(侯十一を送る)

朱亥 已に晉を擊ち,侯嬴 尚お身を隱す。

時に魏の公子無くんば,豈に抱關の人を貴ばんや。

余 亦た火食せず,梁に遊ぶは 陳に在るに同じ。

空しく湛盧の劍を餘し,爾に贈って交親を託す。

257 《卷十五01南陽送客》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <257> Ⅰ李白詩1520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6148

斗酒勿為薄,寸心貴不忘。坐惜故人去,偏令遊子傷。

離顏怨芳草,春思結垂楊。揮手再三別,臨岐空斷腸。

別れの顔は、至福の芳草の時を得たことを棄ててゆくのを怨めしと眺めるようであり、春の情思は、しだれかかる柳を折楊柳に結び、それで君の旅行を送るのである。かくて、手をあげて、再三、離別の言葉を述べ、路の別れる処に佇んで、空しく断腸するばかりである。

257 《卷十五01南陽送客》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <257> Ⅰ李白詩1520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6148


 

年:38年開元二十六年38

卷別:    卷一七五              文體:    五言律詩

詩題:    南陽送客

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都         

 

 

南陽送客

(南陽において、客の遠行を贈ったもの。)

斗酒勿為薄,寸心貴不忘。

この一斗の酒だからと言って、我が心が薄いと思うことしてほしくない、わが寸心を汲み取り、どうぞ忘れるなどしてくれるな。

坐惜故人去,偏令遊子傷。

今や客中に客を送り、故人のここを去ることを惜しんで、偏に遊子のこの心を傷めることになるのである。

離顏怨芳草,春思結垂楊。

別れの顔は、至福の芳草の時を得たことを棄ててゆくのを怨めしと眺めるようであり、春の情思は、しだれかかる柳を折楊柳に結び、それで君の旅行を送るのである。

揮手再三別,臨岐空斷腸。

 

(南陽に客を送る)

斗酒、薄しと爲す勿れ、寸心、忘れざるを貴ぶ。

坐に故人の去るを憎み、偏に遊子をして傷ましむ。

離顔、芳草を怨み、春思、垂楊を結ぶ。

てを揮って再三別る、岐に臨んで、空しく断腸。

 

 

『南陽送客』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南陽送客

斗酒勿為薄,寸心貴不忘。

坐惜故人去,偏令遊子傷。

離顏怨芳草,春思結垂楊。

揮手再三別,臨岐空斷腸。

(下し文)
南陽に客を迭る

斗酒、薄しと爲す勿れ、寸心、忘れざるを貴ぶ。

坐に故人の去るを憎み、偏に遊子をして傷ましむ。

離顔、芳草を怨み、春思、垂楊を結ぶ。

てを揮って再三別る、岐に臨んで、空しく断腸。


(現代語訳)
(南陽において、客の遠行を贈ったもの。)

この一斗の酒だからと言って、我が心が薄いと思うことしてほしくない、わが寸心を汲み取り、どうぞ忘れるなどしてくれるな。

今や客中に客を送り、故人のここを去ることを惜しんで、偏に遊子のこの心を傷めることになるのである。

別れの顔は、至福の芳草の時を得たことを棄ててゆくのを怨めしと眺めるようであり、春の情思は、しだれかかる柳を折楊柳に結び、それで君の旅行を送るのである。

かくて、手をあげて、再三、離別の言葉を述べ、路の別れる処に佇んで、空しく断腸するばかりである。


(訳注)

南陽送客

(南陽において、客の遠行を贈ったもの。)

 

斗酒勿為薄,寸心貴不忘。

この一斗の酒だからと言って、我が心が薄いと思うことしてほしくない、わが寸心を汲み取り、どうぞ忘れるなどしてくれるな。

斗酒 一斗の酒。今の一升ばかりの量である。古詩に斗酒相娯楽、聊厚不爲薄とあるに本づく。古詩十九首之三「斗酒相娯楽、聊厚不為薄。」せめては一斗の酒を酌みかわしてともに楽しむことであり、そうすれば結構これで十分であるし、不足などとは考えない。

・聊厚不為薄 酒を飲んで楽しみ,多少厚くても厭わず,又,薄しともしない,転じて,しばらく,之は結構なご馳走だと思い,つまらぬものと思うまい.

古詩十九首之三 (3) 漢詩<90>Ⅱ李白に影響を与えた詩522 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1383

 

坐惜故人去,偏令遊子傷。

今や客中に客を送り、故人のここを去ることを惜しんで、偏に遊子のこの心を傷めることになるのである。

 

離顏怨芳草,春思結垂楊。

別れの顔は、至福の芳草の時を得たことを棄ててゆくのを怨めしと眺めるようであり、春の情思は、しだれかかる柳を折楊柳に結び、それで君の旅行を送るのである。

結垂楊 思いを込めて、その証しとして、結同心する。

 

揮手再三別,臨岐空斷腸。

かくて、手をあげて、再三、離別の言葉を述べ、路の別れる処に佇んで、空しく断腸するばかりである。

揮手 手を挙げて辞別することをいう。

 

 

 

 

南陽に客を迭る

斗酒、薄しと爲す勿れ、寸心、忘れざるを貴ぶ。

坐に故人の去るを憎み、偏に遊子をして傷ましむ。

離顔、芳草を怨み、春思、垂楊を結ぶ。

てを揮って再三別る、岐に臨んで、空しく断腸。

 

 
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李白  潁陽別元丹丘之淮陽#3

當餐黃金藥,去為紫陽賓。萬事難並立,百年猶崇晨。

別爾東南去,悠悠多悲辛。前志庶不易,遠途期所遵。

已矣歸去來,白雲飛天津。

庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。

 

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胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

 

年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    潁陽別元丹丘之淮陽

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)              

陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽           

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁               

交遊人物:元丹丘                當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

吾將元夫子,異姓為天倫。

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

本無軒裳契,素以煙霞親。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

嘗恨迫世網,銘意未伸。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。

#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

所失重山岳,所得輕埃塵。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

我有錦囊訣,可以持君身。

われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、

#3

當餐金藥,去為紫陽賓。

それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

萬事難並立,百年猶崇晨。

すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。

別爾東南去,悠悠多悲辛。

かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。

前志庶不易,遠途期所遵。

庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。

已矣歸去來,白雲飛天津。

己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。

 

(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。

本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。

かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。

松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。

#2

悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。

失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。

精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。

我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。

#3

當に の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。

萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。

爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。

前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。

已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。

 

都畿道河南道01 

『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3

當餐黃金藥,去為紫陽賓。

萬事難並立,百年猶崇晨。

別爾東南去,悠悠多悲辛。

前志庶不易,遠途期所遵。

已矣歸去來,白雲飛天津。

(下し文) #3

當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。

萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。

爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。

前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。

已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。


(現代語訳)
それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。

かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。

庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。

己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。


(訳注) #3

潁陽別元丹丘之淮陽 

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。

李白の足跡0000 

當餐黃金藥,去為紫陽賓。

それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

黃金藥 《抱朴子仙藥》「 仙藥之上者為丹砂,次者為黃金。」

紫陽賓 《周氏冥通記》「第一紫陽左眞人,治葛衍山,周君;第二紫陽古()真人,治嶓冢山,王君」とある。

 

萬事難並立,百年猶崇晨。

すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。

崇晨 崇朝に同じ、旦より食事に至るまでをいう。

 

別爾東南去,悠悠多悲辛。

かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。

 

前志庶不易,遠途期所遵。

庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。

 

已矣歸去來,白雲飛天津。

己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。

歸去來 陶淵明(とうえんめい)「帰去来辞」より。「来」は助辞〕 故郷に帰るために,官職をやめてその地を去ること。「かえりなんいざ」と訓読されてきた。

天津 洛陽の天神橋。李白《巻4-34 洛陽陌》「白玉誰家郎,回車渡天津。看花東陌上,驚動洛陽人。」誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。

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李白  潁陽別元丹丘之淮陽#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。所失重山岳,所得輕埃塵。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。我有錦囊訣,可以持君身。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

 

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    潁陽別元丹丘之淮陽

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)              

陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽           

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁               

交遊人物:元丹丘                當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

吾將元夫子,異姓為天倫。

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

本無軒裳契,素以煙霞親。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

嘗恨迫世網,銘意未伸。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。

#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

所失重山岳,所得輕埃塵。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

我有錦囊訣,可以持君身。

われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

#3

當餐黃金藥,去為紫陽賓。

萬事難並立,百年猶崇晨。

別爾東南去,悠悠多悲辛。

前志庶不易,遠途期所遵。

已矣歸去來,白雲飛天津。

 

(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。

本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。

かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。

松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。

#2

悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。

失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。

精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。

我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。

#3

當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。

萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。

爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。

前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。

已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。

 

 

『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

所失重山岳,所得輕埃塵。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

我有錦囊訣,可以持君身。

(下し文)
悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。

失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。

精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。

我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。

(現代語訳)
かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。

こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。


(訳注) #2

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。

 

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

緇磷 すり減らされ黒ずむ。《論語·陽貨》「不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。」.

 

所失重山岳,所得輕埃塵。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。

塵埃 1 ちりとほこり。2 世の中の、もろもろの汚れたもの。俗世間の事柄。

 

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

蕪穢 土地などが、荒れはてること。また、そのさま。ぶわい。

 

我有錦囊訣,可以持君身。

われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

錦囊訣 錦嚢の仙方、金丹。道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。

 

 

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

56 -#1 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#1> Ⅰ李白詩1517 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6133

李白  潁陽別元丹丘之淮陽 #1

吾將元夫子,異姓為天倫。

本無軒裳契,素以煙霞親。

嘗恨迫世網,銘意俱未伸。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。) #1

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

 

256 -#1 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#1> Ⅰ李白詩1517 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6133

 

 
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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    潁陽別元丹丘之淮陽

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)              

陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽           

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁               

交遊人物:元丹丘                當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

吾將元夫子,異姓為天倫。

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

本無軒裳契,素以煙霞親。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

嘗恨迫世網,銘意未伸。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。

#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

所失重山岳,所得輕埃塵。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

我有錦囊訣,可以持君身。

#3

當餐黃金藥,去為紫陽賓。

萬事難並立,百年猶崇晨。

別爾東南去,悠悠多悲辛。

前志庶不易,遠途期所遵。

已矣歸去來,白雲飛天津。

 

(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。

本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。

かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。

松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。

#2

悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。

失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。

精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。

我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。

#3

當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。

萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。

爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。

前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。

已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。

 

 

『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

吾將元夫子,異姓為天倫。

本無軒裳契,素以煙霞親。

嘗恨迫世網,銘意俱未伸。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。


(下し文)
(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。

本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。

かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。

松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。


(現代語訳)
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。) #1

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。


(訳注)

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。

 

吾將元夫子,異姓為天倫。

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

天倫 《穀梁傳隱公元年》:兄弟, 天倫也。” 范寧注:兄先弟後, 天之倫次。”とある。

 

本無軒裳契,素以煙霞親。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

軒車 大夫以上所乘有帷幕的馬車。《莊子.讓王》:「子貢乘大馬,中紺而表素,軒車不容巷,往見原憲。」《文選.古詩十九首.冉冉孤生竹》:「思君令人老,軒車來何遲。」攻城的車子。

冠裳 官吏的全套禮服。中原漢人服飾。道士日常所戴帽子和所衣服。

 

嘗恨迫世網,銘意俱未伸。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

銘意 心上に銘記したる本意をいう。・銘1 金石・器物などに事物の来歴や人の功績を記したもの。「碑に―を刻む」2 特にすぐれた物品につける特定の名。「―を付ける」3 製作物に入れる製作者の名。4 心に刻み込んでいる戒めなどの言葉。

 

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。

松柏 《論語子罕》「歲寒, 然後知松柏之後凋也。

桃李 《史記·李將軍列傳》「桃李不言,下自成蹊.

255-#2 《卷13-05春日歸山寄孟浩然-#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <255-#2> Ⅰ李白詩1516 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6128

李白  春日歸山寄孟浩然-#2

香氣三天下,鐘聲萬壑連。荷秋珠已滿,松密蓋初圓。

鳥聚疑聞法,龍參若護禪。愧非流水韻,叨入伯牙弦。
えも言われぬ妙香は、三天よりくだって、煩悩を敲き破る鐘の聲は、萬壑に連るが如くである。わが此詩は、流水の曲の如き神韻を存するものでもないのに、唯だ平生の知己たる故を以て、伯牙に比すべき君の琴絃に入ることは、まことに有り難いが、翻って又恥かしい次第である。

255-#2 《卷13-05春日歸山寄孟浩然-#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <255-#2> Ⅰ李白詩1516 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6128

 

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七三              文體:    五言古詩

詩題:    春日歸山寄孟浩然

作地點:              襄陽(山南東道 / 襄州 / 襄陽)

 

交遊人物:孟浩然              當地交遊(山南東道 襄州 襄陽)

 

 

春日歸山寄孟浩然

(春の日が訪れたので、山寺の修行の場に帰ったので、そこでの興を述べて、孟浩然に寄せる。)

朱紱遺塵境,青山謁梵筵。

われ既に朱の官服となることをすてて、塵境を去り、そして春の青山に上って、梵宮の法筵に謁したのである。

金繩開覺路,寶筏度迷川。

たとえば、法華経に謂う「離垢国の道が、黄金の縄で境界がしてあって、少しもまぎらわしくなることはざれないという」と同じく、ここに法話を承ると、自然に、悟覺の路を開くことも出きるし、又、尊い筏に乗って、迷の川波を超えて行くようなものである。

嶺樹攢飛栱,巖花覆谷泉。

さてこの寺から見る景色はといえば、嶺頂の樹木には、鳥獣のむれつどい、巌花は、谷の泉を覆って絶景を作る。

塔形標海月,樓勢出江煙。

寺の塔は高く聳えて、滄海の朝日を受け、楼閣は、巍然としで江煙を抽き出て居るのである。

 

香氣三天下,鐘聲萬壑連。

えも言われぬ妙香は、三天よりくだって、煩悩を敲き破る鐘の聲は、萬壑に連るが如くである。

荷秋珠已滿,松密蓋初圓。

折しも、蓮の花は、初秋にほころびて、露は珠をつくり、松は、こんもりと茂って、上の方は円かに、笠の様に開いて居る。

鳥聚疑聞法,龍參若護禪。

まことに、尊い靈境であるから、鳥は衆まって、説法を開くかと疑われ、龍は、高僧の傍に參して、さながら、禅を護するが如くである。

愧非流水韻,叨入伯牙弦。

わが此詩は、流水の曲の如き神韻を存するものでもないのに、唯だ平生の知己たる故を以て、伯牙に比すべき君の琴絃に入ることは、まことに有り難いが、翻って又恥かしい次第である。

 

(春日 山に歸り 孟浩然に寄す)

朱紱 塵境を遺れ,青山 梵筵に謁す。

金繩 覺路を開き,寶筏 迷川を度る。

嶺樹 飛栱を攢め,巖花 谷泉を覆う。

塔形 海月を標し,樓勢 江煙を出ず。

 

香氣 三天より下り,鐘聲 萬壑 連る。

荷 秋にして 珠 已に滿にして,松 密にして 蓋 初めて圓なり。

鳥 聚りて 法を聞くかと疑い,龍 參して 禪を護するが若し。

愧づ 流水の韻に非ずして,叨りに 伯牙の弦に入るを。

 

 Ta唐 長安近郊圖  新02

『春日歸山寄孟浩然』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

香氣三天下,鐘聲萬壑連。

荷秋珠已滿,松密蓋初圓。

鳥聚疑聞法,龍參若護禪。

愧非流水韻,叨入伯牙弦。

(下し文)
香氣 三天より下り,鐘聲 萬壑 連る。

荷 秋にして 珠 已に滿にして,松 密にして 蓋 初めて圓なり。

鳥 聚りて 法を聞くかと疑い,龍 參して 禪を護するが若し。

愧づ 流水の韻に非ずして,叨りに 伯牙の弦に入るを。

(現代語訳)
えも言われぬ妙香は、三天よりくだって、煩悩を敲き破る鐘の聲は、萬壑に連るが如くである。

折しも、蓮の花は、初秋にほころびて、露は珠をつくり、松は、こんもりと茂って、上の方は円かに、笠の様に開いて居る。

まことに、尊い靈境であるから、鳥は衆まって、説法を開くかと疑われ、龍は、高僧の傍に參して、さながら、禅を護するが如くである。

わが此詩は、流水の曲の如き神韻を存するものでもないのに、唯だ平生の知己たる故を以て、伯牙に比すべき君の琴絃に入ることは、まことに有り難いが、翻って又恥かしい次第である。


(訳注)

春日歸山寄孟浩然

(春の日が訪れたので、山寺の修行の場に帰ったので、そこでの興を述べて、孟浩然に寄せる。)

 

香氣三天下,鐘聲萬壑連。

えも言われぬ妙香は、三天よりくだって、煩悩を敲き破る鐘の聲は、萬壑に連るが如くである。

・三天 即ち三界、欲界、色界、無色界を合称する。

 

荷秋珠已滿,松密蓋初圓。

折しも、蓮の花は、初秋にほころびて、露は珠をつくり、松は、こんもりと茂って、上の方は円かに、笠の様に開いて居る。

・松密蓋初圓 玉策記に「千歳の松、四邊按起、上杪長ぜず、望んで之を観れば、偃蓋の如きあり」とある。

 

鳥聚疑聞法,龍參若護禪。

まことに、尊い靈境であるから、鳥は衆まって、説法を開くかと疑われ、龍は、高僧の傍に參して、さながら、禅を護するが如くである。

・鳥聚 法苑珠林に「舎衛園の祇樹精舎、衆集まるの時、獼猴飛鳥、羣類数千、悉く來って法を聴き、寂寞聲なし。事、竟れば、即ち去り、各おの止まるところに還る。犍椎適ま鳴れば、すでに復た来集す。」とある。

 

愧非流水韻,叨入伯牙弦。

わが此詩は、流水の曲の如き神韻を存するものでもないのに、唯だ平生の知己たる故を以て、伯牙に比すべき君の琴絃に入ることは、まことに有り難いが、翻って又恥かしい次第である。

・伯牙 呂氏春秋に「伯牙、琴を鼓す、鍾子期、これを聴く。志に流水に在り、鍾子期日く、善いかな琴.湯湯乎として流水の若し」とある。
終南山06 

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李白  春日歸山寄孟浩然  #1

朱紱遺塵境,青山謁梵筵。金繩開覺路,寶筏度迷川。

嶺樹攢飛栱,巖花覆谷泉。塔形標海月,樓勢出江煙。

(春の日が訪れたので、山寺の修行の場に帰ったので、そこでの興を述べて、孟浩然に寄せる。)われ既に朱の官服となることをすてて、塵境を去り、そして春の青山に上って、梵宮の法筵に謁したのである。たとえば、法華経に謂う「離垢国の道が、黄金の縄で境界がしてあって、少しもまぎらわしくなることはざれないという」と同じく、ここに法話を承ると、自然に、悟覺の路を開くことも出きるし、又、尊い筏に乗って、迷の川波を超えて行くようなものである。さてこの寺から見る景色はといえば、嶺頂の樹木には、鳥獣のむれつどい、巌花は、谷の泉を覆って絶景を作る。

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七三              文體:    五言古詩

詩題:    春日歸山寄孟浩然

作地點:              襄陽(山南東道 / 襄州 / 襄陽)

 

交遊人物:孟浩然              當地交遊(山南東道 襄州 襄陽)

 

 

春日歸山寄孟浩然

(春の日が訪れたので、山寺の修行の場に帰ったので、そこでの興を述べて、孟浩然に寄せる。)

朱紱遺塵境,青山謁梵筵。

われ既に朱の官服となることをすてて、塵境を去り、そして春の青山に上って、梵宮の法筵に謁したのである。

金繩開覺路,寶筏度迷川。

たとえば、法華経に謂う「離垢国の道が、黄金の縄で境界がしてあって、少しもまぎらわしくなることはざれないという」と同じく、ここに法話を承ると、自然に、悟覺の路を開くことも出きるし、又、尊い筏に乗って、迷の川波を超えて行くようなものである。

嶺樹攢飛栱,巖花覆谷泉。

さてこの寺から見る景色はといえば、嶺頂の樹木には、鳥獣のむれつどい、巌花は、谷の泉を覆って絶景を作る。

塔形標海月,樓勢出江煙。

寺の塔は高く聳えて、滄海の朝日を受け、楼閣は、巍然としで江煙を抽き出て居るのである。

 

香氣三天下,鐘聲萬壑連。

荷秋珠已滿,松密蓋初圓。

鳥聚疑聞法,龍參若護禪。

愧非流水韻,叨入伯牙弦。

 

(春日 山に歸り 孟浩然に寄す)

朱紱 塵境を遺れ,青山 梵筵に謁す。

金繩 覺路を開き,寶筏 迷川を度る。

嶺樹 飛栱を攢め,巖花 谷泉を覆う。

塔形 海月を標し,樓勢 江煙を出ず。

 

香氣 三天より下り,鐘聲 萬壑 連る。

荷 秋にして 珠 已に滿にして,松 密にして 蓋 初めて圓なり。

鳥 聚りて 法を聞くかと疑い,龍 參して 禪を護するが若し。

愧づ 流水の韻に非ずして,叨りに 伯牙の弦に入るを。

 

李白の足跡0000 

『春日歸山寄孟浩然』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春日歸山寄孟浩然

朱紱遺塵境,青山謁梵筵。

金繩開覺路,寶筏度迷川。

嶺樹攢飛栱,巖花覆谷泉。

塔形標海月,樓勢出江煙。

(下し文)
(
春日 山に歸り 孟浩然に寄す)

朱紱 塵境を遺れ,青山 梵筵に謁す。

金繩 覺路を開き,寶筏 迷川を度る。

嶺樹 飛栱を攢め,巖花 谷泉を覆う。

塔形 海月を標し,樓勢 江煙を出ず。

(現代語訳)
(春の日が訪れたので、山寺の修行の場に帰ったので、そこでの興を述べて、孟浩然に寄せる。)

われ既に朱の官服となることをすてて、塵境を去り、そして春の青山に上って、梵宮の法筵に謁したのである。

たとえば、法華経に謂う「離垢国の道が、黄金の縄で境界がしてあって、少しもまぎらわしくなることはざれないという」と同じく、ここに法話を承ると、自然に、悟覺の路を開くことも出きるし、又、尊い筏に乗って、迷の川波を超えて行くようなものである。

さてこの寺から見る景色はといえば、嶺頂の樹木には、鳥獣のむれつどい、巌花は、谷の泉を覆って絶景を作る。

寺の塔は高く聳えて、滄海の朝日を受け、楼閣は、巍然としで江煙を抽き出て居るのである。


(訳注)

春日歸山寄孟浩然

(春の日が訪れたので、山寺の修行の場に帰ったので、そこでの興を述べて、孟浩然に寄せる。)

 

朱紱遺塵境,青山謁梵筵。

われ既に朱の官服となることをすてて、塵境を去り、そして春の青山に上って、梵宮の法筵に謁したのである。

・朱紱 赤い綬、有位者の佩びるもの。昇進して高官としての朱い官服となること。

《再經胡城縣》 唐・杜荀鶴

去歳曾經此縣城,縣民無口不冤聲。

今來縣宰加朱紱,便是生靈血染成。

(再び胡城縣を經ふ) 

去歳 曾て  此の縣城を經しとき,縣民 口として 冤聲ならざるは無かりき。

來たるに 縣宰は  朱紱を加ふ,便ち是れ 生靈の 血を染めて成りしもの。

・梵筵 梵宮の筵。① 梵天の宮殿の法筵に謁す。 寺、寺院の法筵に謁す。

 

金繩開覺路,寶筏度迷川。

たとえば、法華経に謂う「離垢国の道が、黄金の縄で境界がしてあって、少しもまぎらわしくなることはざれないという」と同じく、ここに法話を承ると、自然に、悟覺の路を開くことも出きるし、又、尊い筏に乗って、迷の川波を超えて行くようなものである。

・金繩 法華経に「國を離垢と名づく、瑠璃を地と為す。八交道あり、黄金を縄となし、以て其側を界す。」とある。

・覺路,寶筏 法苑珠林に「迷津を曩識に渉せば、微塵の數窮め易く、覺路を初心に返せば僧祁の期満ち難し。」とある。翻訳名義功徳施論に「もし、川を渉らんと欲せば、まづまさに筏を取るべし、彼岸にいたらば、既にこれを棄てて去る」とある。韻會に、『筏、説文に海中の大船、廣韻に大を筏といい、小を桴という。方言に、篺、これ筏という。竹木を編み、河に浮べて、以て物を運ぶ、南土、篺となづけ、北土、筏と名づく。」とある。

 

嶺樹攢飛栱,巖花覆谷泉。

さてこの寺から見る景色はといえば、嶺頂の樹木には、鳥獣のむれつどい、巌花は、谷の泉を覆って絶景を作る。

・飛栱 鳥獣のことを合称して言う。

 

塔形標海月,樓勢出江煙。

寺の塔は高く聳えて、滄海の朝日を受け、楼閣は、巍然としで江煙を抽き出て居るのである。
山南東道北部唐州随州01 

254-#3 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#3》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#3>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6118

李白  淮陰書懷寄王宗成#3  斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。有德必報之,千金恥為輕。緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。
それに、恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致すところであるが、千金のお金ぐらいでは、まことに軽少で、それくらいでは恥ずべきことと心得ていることころだ。このように孤客の羈懐を書面にしたため、船頭の舟歌の聲に託して、遠くの君に寄せるので、君も定めて、その意を諒とされることと思っている。

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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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(改訂版Ver..2.1

年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    淮陰書懷寄王宗成【淮陰書懷寄王宗城】

作地點:              淮陰(淮南道 / 楚州 / 淮陰)

及地點:              淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)    

沙墩 (淮南道 楚州 淮陰)  

梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑           

交遊人物/地點:王宋城      書信往來(河南道 宋州 宋城)

 

(改訂版Ver..2.1

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

沙墩至梁苑,二十五長亭。

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

#2

眷言王喬,婉孌故人情。

振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがあるが同姓であるから君も彼に比すると思っている、美しい友情、思いやるものである。
復此親懿會,而增交道榮。

再会してこのような懿親の団欒、歓談をして、よりいっそうの交道の榮を正しくし、また増したいと思っている。
沿洄且不定,飄忽悵徂征。

なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。
暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれる。
#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

漂母のような老女の斗酒、黃雞の煮込んだ料理の御馳走にあずかり、この一食のあいだにも、この素心の誠、温まるもてなしにたいし感激した。

予為楚壯士,不是魯諸生。

私は楚の雄壮な武士である韓信にも比すべきものであり、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではない。
有德必報之,千金恥為輕。

それに、恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致すところであるが、千金のお金ぐらいでは、まことに軽少で、それくらいでは恥ずべきことと心得ていることころだ。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

このように孤客の羈懐を書面にしたため、船頭の舟歌の聲に託して、遠くの君に寄せるので、君も定めて、その意を諒とされることと思っている。

 

(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

#2

眷言の王喬の、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

#3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

 李白の足跡0000

 

(改訂版Ver..2.1

『淮陰書懷寄王宗成』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3
#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

(下し文) #3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

(現代語訳)
漂母のような老女の斗酒、黃雞の煮込んだ料理の御馳走にあずかり、この一食のあいだにも、この素心の誠、温まるもてなしにたいし感激した。

私は楚の雄壮な武士である韓信にも比すべきものであり、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではない。
それに、恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致すところであるが、千金のお金ぐらいでは、まことに軽少で、それくらいでは恥ずべきことと心得ていることころだ。

このように孤客の羈懐を書面にしたため、船頭の舟歌の聲に託して、遠くの君に寄せるので、君も定めて、その意を諒とされることと思っている。


(訳注) (改訂版Ver..2.1

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

淮陰 徐州臨淮郡は、淮水流域にあたる。漢書地理志によれば、淮水流域は肥沃な粘土質の赤土が広がり、草木は密集して生えていて、人々は異民族とともに暮らしているという。五色の羽をもった雉が生息し、真珠・絹とともに重要な献上物であったと云う。現在の江蘇省淮安市に位置する。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置

宋城縣 河南道 宋州 宋城(x-8)

 

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

漂母のような老女の斗酒、黃雞の煮込んだ料理の御馳走にあずかり、この一食のあいだにも、この素心の誠、温まるもてなしにたいし感激した。


予為楚壯士,不是魯諸生。

私は楚の雄壮な武士である韓信にも比すべきものであり、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではない。
○楚壯士 李白が、淮陰に在るによってそのため、淮陰の故事を持って喩えとした。楚の国は韓信を指して言うが、多くの勇壮な武士を出している地である。

○魯諸生 山東省魯の孔子の里。李白は儒教を評価していない


有德必報之,千金恥為輕。

それに、恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致すところであるが、千金のお金ぐらいでは、まことに軽少で、それくらいでは恥ずべきことと心得ていることころだ。


緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。
このように孤客の羈懐を書面にしたため、船頭の舟歌の聲に託して、遠くの君に寄せるので、君も定めて、その意を諒とされることと思っている。

○棹歌 棹をひいて歌うこと。船頭の舟歌。

254-#2 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6113

李白  淮陰書懷寄王宗成-#2  

眷言王喬,婉孌故人情。復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。暝投淮陰宿,欣得漂母迎。
なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の漂母のような方が迎えてくれる。
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254-#2 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6113

 
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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    淮陰書懷寄王宗成【淮陰書懷寄王宗城】

作地點:              淮陰(淮南道 / 楚州 / 淮陰)

及地點:              淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)    

沙墩 (淮南道 楚州 淮陰)  

梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑           

交遊人物/地點:王宋城      書信往來(河南道 宋州 宋城)

 

 

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

沙墩至梁苑,二十五長亭。

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

#2

眷言王喬,婉孌故人情。

振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがあるが同姓であるから君も彼に比すると思っている、美しい友情、思いやるものである。
復此親懿會,而增交道榮。

再会してこのような懿親の団欒、歓談をして、よりいっそうの交道の榮を正しくし、また増したいと思っている。
沿洄且不定,飄忽悵徂征。

なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。
暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれる。
#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

 

 

(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

#2

眷言の王喬の、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

#3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

都畿道河南道01 

 

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『淮陰書懷寄王宗成』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

眷言王喬,婉孌故人情。

復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。

暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

(下し文) #2

眷言の王喬の、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

(現代語訳)
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがあるが同姓であるから君も彼に比すると思っている、美しい友情、思いやるものである。
再会してこのような懿親の団欒、歓談をして、よりいっそうの交道の榮を正しくし、また増したいと思っている。
なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。
それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれる。

(訳注) (改訂版Ver..2.1

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

淮陰 徐州臨淮郡は、淮水流域にあたる。漢書地理志によれば、淮水流域は肥沃な粘土質の赤土が広がり、草木は密集して生えていて、人々は異民族とともに暮らしているという。五色の羽をもった雉が生息し、真珠・絹とともに重要な献上物であったと云う。現在の江蘇省淮安市に位置する。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置

宋城縣 河南道 宋州 宋城(x-8)

 

眷言王喬舄、婉孌故人情。 
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがあるが同姓であるから君も彼に比すると思っている、美しい友情、思いやるものである。
眷言 ふりかえって云う。

○王喬舄 底を二重にした冠位の履。王喬は所管の役人だったころ、九族の集う時節ということで王家に集まったが、その時期にはずれ、禁令にも違反しているとして、上奏され、不遇であった。いとこの王基は毋丘倹を平定したあと、安楽郷侯の爵位を賜り、王喬の教育してくれた。この王基の徳にむくいたいと精進した。のち、王喬は関内侯の爵位を賜った。王喬のいとこ王基に教育され、その上で冠位の靴を貰ったことに由来する。

婉孌 えんれん 年若く美しい。したう、すなお、 みめよい。

故人情 友情。



復此親懿會、而增交道榮。 
再会してこのような懿親の団欒、歓談をして、よりいっそうの交道の榮を正しくし、また増したいと思っている。
懿親 親しい親戚。うるわしい、ふかい。

交道 交際していく上での筋道。李白《巻一59古風五十九首、其五十九》「世途多翻覆,交道方嶮巇。」


沿洄且不定、飄忽悵徂征。
なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。
○飄 飄蓬。

徂征 行ったり戻ったり。


暝投淮陰宿、欣得漂母迎。』 
それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれる。
漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

李白詩「漂母」

巻 ID

詩題

句・聯

204巻五 37

猛虎行 ( 此詩蕭士()云是偽作 )

來投漂母作主人、賢哲棲棲古如此。

301巻八15

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首其二

飢從漂母食、 閑綴羽陵簡。

323巻八卷八37

贈新平少年

千金答漂母、萬古共嗟稱。

330卷九卷九

九秋日煉藥院鑷白發贈元六兄林宗

窮與鮑生賈、飢從漂母餐。

422巻十二12

淮陰書懷寄王宗成 (一作王宗城 )

暝投淮陰宿、欣得漂母迎。

515卷十五18

送薛九被讒去魯

沙丘無漂母、誰肯飯王孫。

742巻二十一20

宿五松山下荀媼家

令人慚漂母、三謝不能餐。

 李白の足跡0000

254-#1 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#1>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6108

李白  淮陰書懷寄王宗成 #1  

沙墩至梁苑,二十五長亭。大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。飛鳧從西來,適與佳興并。
(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

254-#1 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#1>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6108

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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254-#1 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#1>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6108 
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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    淮陰書懷寄王宗成【淮陰書懷寄王宗城】

作地點:              淮陰(淮南道 / 楚州 / 淮陰)

及地點:              淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)    

沙墩 (淮南道 楚州 淮陰)  

梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑           

交遊人物/地點:王宋城      書信往來(河南道 宋州 宋城)

 

(改訂版Ver..2.1) 

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

沙墩至梁苑,二十五長亭。

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

#2

眷言王喬舃,婉孌故人情。

復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。

暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

 

(改訂版Ver..2.1) 

(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

#2

眷言の王喬の舃、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

#3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

都畿道河南道01 

(改訂版Ver..2.1) 

『淮陰書懷寄王宗成』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

淮陰書懷寄王宗成

沙墩至梁苑,二十五長亭。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

飛鳧從西來,適與佳興并。

(下し文)
(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

(現代語訳)
(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。


(訳注) #1
(改訂版Ver..2.1)

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

淮陰 徐州臨淮郡は、淮水流域にあたる。漢書地理志によれば、淮水流域は肥沃な粘土質の赤土が広がり、草木は密集して生えていて、人々は異民族とともに暮らしているという。五色の羽をもった雉が生息し、真珠・絹とともに重要な献上物であったと云う。現在の江蘇省淮安市に位置する。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置

宋城縣 河南道 宋州 宋城(x-8)

 

沙墩至梁苑,二十五長亭

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

沙墩 淮南道 楚州 淮陰。

梁苑 前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省開封府商丘市東南5kmに在った。宋の都となった。『史記』巻五十八「梁孝王世家」の「史記正義」「吟」は、詩歌の一体。この詩は、第一次在京期の後、長安を離れて梁園に遊んだおり、三十一歳の作と考えられる。梁の孝王が築いた園の名。現・河南省東部、商丘の東にある。竹が多く、修竹園とも呼ばれた。宮室の庭園。『史記・世家・梁孝王』に「孝王,竇太后少子也,愛之,賞賜不可勝道。於是孝王築東苑,方三百餘里。廣陽城七十里。」とある。王昌齡の『梁苑』「梁園秋竹古時煙,城外風悲欲暮天。萬乘旌旗何處在,平臺賓客有誰憐。

長亭 古時於路旁,每十里設一長亭,五里設一短亭,供行人憩息。因此,近城的十里長亭常為人們送別的地方。

 

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

大舶 おおきなふね。

夾雙艣 櫓を二挺つけてはさんでいる。

鵝鸛鳴 舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

 

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

 

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

 

 

 

 

(淮陰書懷寄王宗成)

沙墩至梁苑,二十五長亭。大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。飛鳧從西來,適與佳興并。

 

眷言王喬舃,婉孌故人情。復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

 

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。予為楚壯士,不是魯諸生。

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253 《卷8-01贈孟浩然》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <253>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6103

李白  贈孟浩然  

吾愛孟夫子,風流天下聞。紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

醉月頻中聖,迷花不事君。高山安可仰,徒此揖清芬。

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

 

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    贈孟浩然

作地點:              襄陽(山南東道 / 襄州 / 襄陽)

交遊人物/地點:孟浩然      當地交遊(山南東道 襄州 襄陽)

 

 

贈孟浩然

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

吾愛孟夫子,風流天下聞。

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

醉月頻中聖,迷花不事君。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

高山安可仰,徒此揖清芬。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。

 

(孟浩然に贈る)

吾は愛す 孟夫子【もうふうし】、風流は 天下に聞こゆ。
紅顔  軒冕を棄て、白首  松雲に臥す。
月に酔いて頻りに聖に中【あた】り、に迷いて君に事【つか】えず。
高山  安【いずく】んぞ仰ぐ可けんや、徒らに此に清芬【せいふん】を揖【ゆう】す。

李白の足跡0000 

 

『贈孟浩然』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈孟浩然

吾愛孟夫子,風流天下聞。

紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

醉月頻中聖,迷花不事君。

高山安可仰,徒此揖清芬。


(下し文)
(孟浩然に贈る)

吾は愛す 孟夫子【もうふうし】、風流は 天下に聞こゆ。

紅顔  軒冕を棄て、白首  松雲に臥す。

月に酔いて頻りに聖に中【あた】り、に迷いて君に事【つか】えず。

高山  安【いずく】んぞ仰ぐ可けんや、徒らに此に清芬【せいふん】を揖【ゆう】す。

(現代語訳)
(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。


(訳注)

(贈孟浩然)

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

孟浩然(もう こうねん689 - 740年)は盛唐の代表的な詩人。襄州襄陽(現在の湖北省襄陽市)出身。字も浩然。一説には、名は浩だとも言われる。若い頃から各地を放浪し、義侠の振る舞いで人々と交流した。また後漢の龐徳公や後年の皮日休ゆかりの鹿門山(襄陽市)に隠棲したこともあった。玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとするが、科挙に及第していないのでかなわなかった。しかしながら、孟浩然を気に入った韓朝宗との約束をすっぽかして朝廷への推薦をだめにしたり、いざ玄宗の前に出ても不平不満を詩にして玄宗を怒らせるなど、立身出世には関心が薄かったようにもみえる。

孟浩然の詩は広く知れ渡り、王維・李白・張九齢らと親しく交際した(李白には「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」という作品がある)。740年、背中にできものがあって調子の悪かった孟浩然は、訪ねてきた王昌齢を歓待するあまり容態を悪化させて亡くなった。

自然を題材にした詩が評価されており、詩のなかに人生の愁いと超俗とを行き来する心情を詠みこんでいる。日本では五言絶句「春暁」が特に有名である。詩の特徴から王維と孟浩然は「王孟」と並称された。『孟浩然集』がある。

孟浩然 詩ブログ index40首)

 

吾愛孟夫子,風流天下聞。

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

 

紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

軒冕 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。 高位高官。また、その人。
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醉月頻中聖,迷花不事君。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

○中聖 聖人の称ある極上の酒に中てられたと称すこと。三国志「徐邈任尚書郎時,朝廷禁酒,但徐邈喜歡喝酒,竟然私自喝酒,更加喝醉了。校事趙達走來詢問公事,徐邈則「中聖人」。趙達於是向曹操報告,曹操大怒,幸好為徐邈解求情才得以免於處刑。」とある。

 天使に使えること。朝廷での仕事。
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高山安可仰,徒此揖清芬。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。

○高山安可仰 詩経、小雅 「高山仰止、景行行止。四牡騑騑、六轡如琴。爾新昏、以慰我心。」(高山は仰ぎ、景行は行く。四牡 騑騑たり、六轡 琴の如し。覯爾の新昏を覯て、以て我が心を慰せん。)あの高い岡にのぼって薪木取りのクヌギ(婚礼の象徴)、その葉は豊かでみずみずしい。そのように私がおまえを覯て愛することは常に新鮮で心はそれを写し豊かで水水しいものだ。 (これからもさまざまなことはあろう)高山は仰ぎ見るもの、広い道は行くべきもの。四牡(四頭立ての馬車)は止まらずに行く、私のその手綱さばきは琴の演奏のように美しく見事なものだ(安心してくれ)。お前の新昏(ぶり、というより結婚できたこと自体に)を覯て、私の心は慰められる。

清芬 盛んににおうさま。本来はよい香りにいうが、悪臭にもいう。「花の香りがと漂う」「酒気をとさせる」 
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252-#2 《卷六02南都行 #2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <252-#2> Ⅰ李白詩1510 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6098

李白  南都行 #2  

麗華秀玉色,漢女嬌朱顏。清歌遏流雲,豔舞有餘閒。

遨遊盛宛洛,冠蓋隨風還。走馬紅陽城,呼鷹白河灣。

誰識臥龍客,長吟愁鬢斑。
それから、この地から、光武の皇后となった陰麗華は、この地の出身で後宮に入った、玉貌、世に類なき絶世の美人であったが、その名残りでもあり、漢水の女神の名護残りでもある、漢水のほとりに戯れて居る遊女たちは、紅顔の美しきものが多いいのである。それから、臥龍と稀せられた諸葛亮も、その初、ここより程遠苦ではない襄陽の西20里の隆中に隠れて窮耕し、次第に年が寄って、両鬢のまさに斑ならむとするを愁つつ、梁甫吟を歌って居たのであるが、この事を思い出して、憑弔の意を寄せる人は、少いようである。

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一六六              文體:    五言古詩

詩題:    南都行

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都         

武闕山 (山南東道 鄧州 南陽)         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

紅陽城 (河南道 許州 舞陽)             

白水 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:淯水、白河           

 

李白の足跡0000

南都行

(光武帝の故里で、古くは南都とされた、南陽の歌)

南都信佳麗,武闕橫西關。

南陽は、世に南都と称せられるだけあって、風物は、まことに佳麗であり、武闕山は西境に横って、自然の関門をなして居る。

白水真人居,萬商羅廛闤。

ここは、むかし、光武帝の故里であって、今では、物持ちの商人が多く店を連ねて、まことににぎやかなものである。

高樓對紫陌,甲第連青山。

高楼は、参差として、町中の大道に臨み、郷紳輩の邸宅は、山の手にずっと列んで居る。此地多英豪,邈然不可攀。

古いところでは、陶朱公といわれた范蠡も、ここにきて、財産を作ったというし、秦の穆公を輔けた五羖大夫の首里奚も、はじめ、ここに逃げて居たことがあって、この二人は、覇者の佐となり、その名は、天地の間に傳わって居る。

陶朱與五羖,名播天壤間。

古いところでは、陶朱公といわれた范蠡も、ここにきて、財産を作ったというし、秦の穆公を輔けた五羖大夫の首里奚も、はじめ、ここに逃げて居たことがあって、この二人は、覇者の佐となり、その名は、天地の間に傳わって居る。

 

麗華秀玉色,漢女嬌朱顏。

それから、この地から、光武の皇后となった陰麗華は、この地の出身で後宮に入った、玉貌、世に類なき絶世の美人であったが、その名残りでもあり、漢水の女神の名護残りでもある、漢水のほとりに戯れて居る遊女たちは、紅顔の美しきものが多いいのである。

清歌遏流雲,豔舞有餘閒。

その清らかな馨で唱へる歌は、流雲を遏むべく、巧みなる舞は、従容として、長閑に見える。

遨遊盛宛洛,冠蓋隨風還。

かくて、遊遨の風は、南陽と洛陽一帯の地に盛んであって、衣冠きらびやかに、立派な車に乗れる貴人どもは、風に随って、此方へ聚まって来る。

走馬紅陽城,呼鷹白河灣。

かくて、馬を漢の時代からの紅陽の城址に走らし、鷹を呼んで白河の岸に小鳥狩りをするといふような風俗は、むかしも、今も、変わることはない。

誰識臥龍客,長吟愁鬢斑。

それから、臥龍と稀せられた諸葛亮も、その初、ここより程遠苦ではない襄陽の西20里の隆中に隠れて窮耕し、次第に年が寄って、両鬢のまさに斑ならむとするを愁へつつ、梁甫吟を歌って居たのであるが、この事を思い出して、憑弔の意を寄せる人は、少いようである。

 

(南都行)

南都、信に、佳麗、武闕、西關に横ふ。

白水眞人の居、萬商、廛闤【てんかん】を羅ぬ。

高楼、紫陌に対し、甲第、青山に連る。

この地、英豪多く、邈然として攀ずべからず。

陶朱と五羖と、名は播く天壌の間。

 

麗華は玉色秀で、漢女は朱顔 嬌たり。

清歌、流雲を遏め、豔舞、餘間あり。

遨遊、宛洛 盛んに、冠蓋、風に随って還る。

馬を走らす 紅陽城、鷹を呼ぶ 白河の灣。

誰か識らん、臥龍の客、長吟すれば、愁鬢 班たり。

 

東都南都襄陽武昌山南東道舂陵03

 

『南都行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

麗華秀玉色,漢女嬌朱顏。

清歌遏流雲,豔舞有餘閒。

遨遊盛宛洛,冠蓋隨風還。

走馬紅陽城,呼鷹白河灣。

誰識臥龍客,長吟愁鬢斑。

(下し文)
麗華は玉色秀で、漢女は朱顔 嬌たり。

清歌、流雲を遏め、豔舞、餘間あり。

遨遊、宛洛 盛んに、冠蓋、風に随って還る。

馬を走らす 紅陽城、鷹を呼ぶ 白河の灣。

誰か識らん、臥龍の客、長吟すれば、愁鬢 班たり。

(現代語訳)
それから、この地から、光武の皇后となった陰麗華は、この地の出身で後宮に入った、玉貌、世に類なき絶世の美人であったが、その名残りでもあり、漢水の女神の名護残りでもある、漢水のほとりに戯れて居る遊女たちは、紅顔の美しきものが多いいのである。

その清らかな馨で唱へる歌は、流雲を遏むべく、巧みなる舞は、従容として、長閑に見える。

かくて、遊遨の風は、南陽と洛陽一帯の地に盛んであって、衣冠きらびやかに、立派な車に乗れる貴人どもは、風に随って、此方へ聚まって来る。

かくて、馬を漢の時代からの紅陽の城址に走らし、鷹を呼んで白河の岸に小鳥狩りをするといふような風俗は、むかしも、今も、変わることはない。

それから、臥龍と稀せられた諸葛亮も、その初、ここより程遠苦ではない襄陽の西20里の隆中に隠れて窮耕し、次第に年が寄って、両鬢のまさに斑ならむとするを愁つつ、梁甫吟を歌って居たのであるが、この事を思い出して、憑弔の意を寄せる人は、少いようである。


(訳注) #2

南都行

(光武帝の故里で、古くは南都とされた、南陽の歌)

○南都 南部は南陽のこと、後漢の光武の故里であって、即位の後は、都を洛陽に建て、ここを別都として、南都と号した。後漢の張衛は、南都賦を作ったが、李白も、亦た南陽の風土を詠じて、この篇を作つたのである。南陽は、襄陽に近いところであるから、これも、李白が襄陽に遊んだ時分の作である。

 


麗華秀玉色,漢女嬌朱顏。

それから、この地から、光武の皇后となった陰麗華は、この地の出身で後宮に入った、玉貌、世に類なき絶世の美人であったが、その名残りでもあり、漢水の女神の名護残りでもある、漢水のほとりに戯れて居る遊女たちは、紅顔の美しきものが多いいのである。

○麗華 光武帝の陰皇后 陰 麗華(いん れいか、5 - 64年)は、後漢の光武帝(劉秀)の皇后で明帝の母。諡は烈(諡号としては光烈皇后)。異母兄に陰識、同母弟に陰興、陰訢、陰就がいる。劉秀と同じ南陽郡(今の河南省と湖北省にまたがる)の新野県出身の豪族陰氏の娘で、近隣でも評判の美女として、挙兵前の光武帝もあこがれるほどであったという。更始1年(23年)に劉秀に嫁いだ。建武1年(25年)に劉秀が即位すると貴人として洛陽に迎えられた。しかしこの時、光武帝が後に娶った郭昌の娘の郭聖通(郭貴人)が先に男子の劉彊を産んでいた。光武帝は陰貴人を皇后に擁立したいと思うものの、陰麗華は男子を産んでいないことを理由に断った。建武2年(26年)に劉彊は皇太子になり、郭貴人が皇后に立てられた。建武4年(28年)、陰麗華は劉荘を産んだ。建武17年(41年)に、郭皇后がそのわがままな性格から、光武帝に疎まれるようになり皇后を廃されたため、陰麗華は皇后に、建武19年(43年)に劉荘は皇太子に立てられることになった。建武中元2年(57年)に光武帝が亡くなると、劉荘が即位し、陰麗華は皇太后となる。陰麗華の生活は、皇后になってからも質素であったという。また、己の一族には政治に関与させないようにした聡明な女性でもあった。このため、明帝皇后の馬皇后と並んで、中国史上でも優れた皇后の一人として称えられている。

○秀玉色 玉貌、世に類なき絶世の美人であること。・玉色:《禮記.玉藻》:「盛氣顛實揚休,玉色。」漢.鄭玄.注:「色不變也。」比操行堅貞。

○漢女 漢水の女神。孟浩然《萬山潭作》漢水の神の名。文選、張衡《南都賦》「耕父揚光於清泠之淵、游女弄珠於漢皐之曲。」(耕父 光を清泠の淵に揚げ、游女 珠を漢皐之曲に弄ぶ。)耕父揚光於淸冷之淵、遊女弄珠於漢睪之曲。〈注曰:遊女,漢女也。鄭大夫交甫於漢見之,而贈之橘柚。南陽の財宝と山岳について述べる部分にある。鄭耕甫が漢皐臺で二人の女神からふたつの珠を贈られたが、その珠は鶏卵ほどの大きさであった。

孟浩然  萬山潭作

垂釣坐磐石,水清心亦閑。

魚行潭樹下,猿掛島藤間。

游女昔解佩,傳聞於此山。

求之不可得,沿月棹歌還。

盛唐詩 萬山潭作 孟浩然<42> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -349

○嬌朱顏 

 

清歌遏流雲,豔舞有餘閒。

その清らかな馨で唱へる歌は、流雲を遏むべく、巧みなる舞は、従容として、長閑に見える。

 

遨遊盛宛洛,冠蓋隨風還。

かくて、遊遨の風は、南陽と洛陽一帯の地に盛んであって、衣冠きらびやかに、立派な車に乗れる貴人どもは、風に随って、此方へ聚まって来る。

○宛洛 南陽と洛陽。

○冠蓋 衣冠きらびやかに、立派な車にのること。高級官吏の官帽と服飾に銜えて立派な車に乘るようになること。後には、以って達官した貴人を稱することに用いる。南朝宋.鮑照《代放歌行》「冠蓋縱橫至,車騎四方來。」とある。

 

走馬紅陽城,呼鷹白河灣。

かくて、馬を漢の時代からの紅陽の城址に走らし、鷹を呼んで白河の岸に小鳥狩りをするといふような風俗は、むかしも、今も、変わることはない。

○紅陽城 紅陽侯の居城。前漢王立の侯国である紅陽侯国は南陽にあり、王立は光武帝ら南陽の劉氏と交流を持ち、彼らに恩があった。王立の子である王丹は中山太守となり、後に光武帝に降伏して将軍となり、戦死した。光武帝は哀れんで、王丹の子の王泓を武桓侯とした。

○白河 灣 襄陽で漢水に合流する河川。

 

誰識臥龍客,長吟愁鬢斑。

それから、臥龍と稀せられた諸葛亮も、その初、ここより程遠苦ではない襄陽の西20里の隆中に隠れて窮耕し、次第に年が寄って、両鬢のまさに斑ならむとするを愁つつ、梁甫吟を歌って居たのであるが、この事を思い出して、憑弔の意を寄せる人は、少いようである。

○臥龍 諸葛 亮(しょかつ りょう)のこと。後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。伏龍、臥龍とも呼ばれる。

司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯(ちゅうぶこう)。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。 妻は黄夫人。子は蜀漢に仕え綿竹(成都付近)で戦死した諸葛瞻。孫には同じく蜀漢に仕え父と共に綿竹で戦死した諸葛尚や、西晋の江州刺史になった諸葛京がいる。親族として従父(叔父)の豫章太守諸葛玄、兄で呉に仕えた諸葛瑾とその息子の諸葛恪、弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られる。

『襄陽記』には、劉備が人物鑑定家として有名な司馬徽を訪ね、司馬徽は「時勢を識るは俊傑にあり」として「伏竜」と「鳳雛」、すなわち諸葛亮と龐統とを薦めたという話が載る。

諸葛亮は襄陽の西、20里隆中で晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、諸葛亮のことを劉備に話した。人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。
襄陽一帯地図000 

252-#1 《卷六02南都行 #1》Index-18 Ⅱ―13-738年開元二十六年38歳 <252-#1> Ⅰ李白詩1509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6093

南都行

南都信佳麗,武闕橫西關。白水真人居,萬商羅廛

高樓對紫陌,甲第連青山。此地多英豪,邈然不可攀。

陶朱與五羖,名播天壤間。
(光武帝の故里で、古くは南都とされた、南陽の歌)南陽は、世に南都と称せられるだけあって、風物は、まことに佳麗であり、武闕山は西境に横って、自然の関門をなして居る。ここは、むかし、光武帝の故里であって、今では、物持ちの商人が多く店を連ねて、まことににぎやかなものである。

 

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一六六              文體:    五言古詩

詩題:    南都行

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都         

武闕山 (山南東道 鄧州 南陽)         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

紅陽城 (河南道 許州 舞陽)             

白水 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:淯水、白河           

 

 

南都行

(光武帝の故里で、古くは南都とされた、南陽の歌)

南都信佳麗,武闕橫西關。

南陽は、世に南都と称せられるだけあって、風物は、まことに佳麗であり、武闕山は西境に横って、自然の関門をなして居る。

白水真人居,萬商羅廛闤。

ここは、むかし、光武帝の故里であって、今では、物持ちの商人が多く店を連ねて、まことににぎやかなものである。

高樓對紫陌,甲第連青山。

高楼は、参差として、町中の大道に臨み、郷紳輩の邸宅は、山の手にずっと列んで居る。
此地多英豪,邈然不可攀。

古いところでは、陶朱公といわれた范蠡も、ここにきて、財産を作ったというし、秦の穆公を輔けた五羖大夫の首里奚も、はじめ、ここに逃げて居たことがあって、この二人は、覇者の佐となり、その名は、天地の間に傳わって居る。

陶朱與五羖,名播天壤間。

古いところでは、陶朱公といわれた范蠡も、ここにきて、財産を作ったというし、秦の穆公を輔けた五羖大夫の首里奚も、はじめ、ここに逃げて居たことがあって、この二人は、覇者の佐となり、その名は、天地の間に傳わって居る。

 

麗華秀玉色,漢女嬌朱顏。

清歌遏流雲,豔舞有餘閒。

遨遊盛宛洛,冠蓋隨風還。

走馬紅陽城,呼鷹白河灣。

誰識臥龍客,長吟愁鬢斑。

 

(南都行)

南都、信に、佳麗、武闕、西關に横ふ。

白水眞人の居、萬商、廛闤【てんかん】を羅ぬ。

高楼、紫陌に対し、甲第、青山に連る。

この地、英豪多く、邈然として攀ずべからず。

陶朱と五羖と、名は播く天壌の間。

 

麗華は玉色秀で、漢女は朱顔 嬌たり。

清歌、流雲を遏め、豔舞、餘間あり。

遨遊、宛洛 盛んに、冠蓋、風に随って還る。

馬を走らす 紅陽城、鷹を呼ぶ 白河の灣。

誰か識らん、臥龍の客、長吟すれば、愁鬢 班たり。

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

 

『南都行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南都行

南都信佳麗,武闕橫西關。

白水真人居,萬商羅廛

高樓對紫陌,甲第連青山。

此地多英豪,邈然不可攀。

陶朱與五羖,名播天壤間。

(下し文)
(
南都行)

南都、信に、佳麗、武闕、西關に横ふ。

白水眞人の居、萬商、廛【てんかん】を羅ぬ。

高楼、紫陌に対し、甲第、青山に連る。

この地、英豪多く、邈然として攀ずべからず。

陶朱と五羖と、名は播く天壌の間。

(現代語訳)
(光武帝の故里で、古くは南都とされた、南陽の歌)

南陽は、世に南都と称せられるだけあって、風物は、まことに佳麗であり、武闕山は西境に横って、自然の関門をなして居る。

ここは、むかし、光武帝の故里であって、今では、物持ちの商人が多く店を連ねて、まことににぎやかなものである。

高楼は、参差として、町中の大道に臨み、郷紳輩の邸宅は、山の手にずっと列んで居る。
古いところでは、陶朱公といわれた范蠡も、ここにきて、財産を作ったというし、秦の穆公を輔けた五羖大夫の首里奚も、はじめ、ここに逃げて居たことがあって、この二人は、覇者の佐となり、その名は、天地の間に傳わって居る。

古いところでは、陶朱公といわれた范蠡も、ここにきて、財産を作ったというし、秦の穆公を輔けた五羖大夫の首里奚も、はじめ、ここに逃げて居たことがあって、この二人は、覇者の佐となり、その名は、天地の間に傳わって居る。


(訳注)

南都行

(光武帝の故里で、古くは南都とされた、南陽の歌)

○南都 南部は南陽のこと、後漢の光武の故里であって、即位の後は、都を洛陽に建て、ここを別都として、南都と号した。後漢の張衛は、南都賦を作ったが、李白も、亦た南陽の風土を詠じて、この篇を作つたのである。南陽は、襄陽に近いところであるから、これも、李白が襄陽に遊んだ時分の作である。

 李白の足跡0000

南都信佳麗,武闕橫西關。

南陽は、世に南都と称せられるだけあって、風物は、まことに佳麗であり、武闕山は西境に横って、自然の関門をなして居る。

○武闕 武闕山という山名。西弘農の界にある。張衡《南都賦》「爾其地勢,則武闕關其西,桐柏揭其東。」(爾して其の地勢は,則ち 武闕 其の西を關し,桐柏 其の東を揭つ。)その説文に、武闕山為關在西也。武闕山為關而在西,弘農界也。【武闕山為關在西也。漢書音義,文穎曰:武闕山為關而在西,弘農界也。漢書曰:南陽之平陽縣有桐柏山。】

 

白水真人居,萬商羅廛闤。

ここは、むかし、光武帝の故里であって、今では、物持ちの商人が多く店を連ねて、まことににぎやかなものである。

○白水眞人 後漢の光武帝か指す、後漢書に「玉莽、位を篁し、劉氏も忌悪し、錢文

後漢書 “王莽位忌惡劉氏、以錢文有金刀、故改爲貨泉、或以貨泉字文為「白水真人」。”とあり、宋書 莽忌惡漢,而錢文有金,乃改鑄貨泉以易之 光武 起 舂陵 白水郷

に金あり、乃ち賀長も改鰻して、以て之ね易ふ。すでにして、光武、舂陵の白水郷に起る、貨泉の文、白水眞人たるなり。

光武帝(こうぶてい、前6 - 57[1])は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された[2]。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。

○萬商 漢書に「南陽に其俗香春、嵐力む上び商賀な好む」とある。

○廓醜 市宅と市垣。

 

高樓對紫陌,甲第連青山。

高楼は、参差として、町中の大道に臨み、郷紳輩の邸宅は、山の手にずっと列んで居る。

○紫陌 町中の大逆。

○甲第 好宅、かみ屋敷。

 

此地多英豪,邈然不可攀。

この地は、景色の勝れて居るばかりでなく、山水、偉人を生ずといった通おり、むかしから、英豪が頻りに輩出し、すでに千歳を隔て、高風邈然としで攀じるべからざるも、人をして、懐舌の念を起さしめる。

 はるかなさま。李白《巻一12古風五十九首 其十二》長揖萬乘君、 還歸富春山。 清風洒六合、 邈然不可攀。 使我長嘆息、冥棲岩石間。」(万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀()ずべからず。我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ)万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだわたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。

《卷9-18             遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅》「目色送飛鴻、邈然不可攀。」(目色 飛鴻を送り、 邈然として攀ず可からず。)ここに遊びに来たが、主人は飛ぶ雁に見惚れているのか、客が来ても、まるで相手にせず、ばくぜんとして取りすがりようがないくらいである。

 

陶朱與五羖,名播天壤間。

古いところでは、陶朱公といわれた范蠡も、ここにきて、財産を作ったというし、秦の穆公を輔けた五羖大夫の首里奚も、はじめ、ここに逃げて居たことがあって、この二人は、覇者の佐となり、その名は、天地の間に傳わって居る。

○陶朱 史記に「范蠡、その重宝をふところにし、問行して以て去り、陶に止まる。、以爲らく、これ天下の中、交易有無の道通ず、生む爲して富みをい致すベしと。ここに於て、陶朱公と號す」とある。

越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。 斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている。

○五羖 五羖大夫のことで、春秋時代の秦の宰相であった百里奚のことである。献公の娘(太子申生(英語版)の同母妹で生母は斉の公女)が秦の穆公に嫁ぐことになり、百里奚はその召使いとして秦に入国した。ある日のこと、穆公の家臣の一人が百里奚と政治について語り合い、その賢哲を知って「百里奚を宰相に据えれば秦は千里を拓くでしょう」と言って穆公に推挙した。百里奚はこれを嫌って国外へと逃亡し、楚に流れて奴隷とされたが穆公の家臣に見つけ出され羊の皮5枚(五羖)で買い戻され、秦に連れ戻された。これに由来して百里奚は五羖大夫と号するようになった。

穆公は連れ戻された百里奚と国事について三日三晩語り合い、彼に国政をあずけることを決めた。ときに百里奚70余歳。

百里奚は徹底した徳政を行い、周辺諸国を慰撫する政策をとった。これにより周辺の10カ国が秦に服属することを申し出で、百里奚は文字通り千里(1国=百里、10国=千里)を拓き、国力を大いに増大させた。このことは、始皇帝の代に秦が中国を統一する基盤となった。

また清廉潔白で、冬でも外套を着ず、国内を巡察するときは衛兵に武器を持たせなかったという。更に百里奚は、彼がかつて世話になった親友の蹇叔の登用を穆公に薦め、それを受けて穆公は蹇叔を秦へと招聘し、上大夫とした。
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李白  庭前花開  

西王母桃種我家,三千陽春始一花。

結實苦遲為人笑,攀折唧唧長咨嗟。

(折角桃を庭前に植えたものの、咲いたのは春の末になってからというので戯れにこの詩を作った。)西王母の大切にしたという仙桃を我が家に種えたが、そもそも、三千年を経て、はじめて一たび花を開くというもの、それでも、今、春も終ろうとする頃に成って、やつと花をひらいたというのも、まことに無理ならぬことである。

 

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷八八二              文體:    七言古詩

詩題:    庭前晚花開

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

庭前花開

(折角桃を庭前に植えたものの、咲いたのは春の末になってからというので戯れにこの詩を作った。)

西王母桃種我家,三千陽春始一花。

西王母の大切にしたという仙桃を我が家に種えたが、そもそも、三千年を経て、はじめて一たび花を開くというもの、それでも、今、春も終ろうとする頃に成って、やつと花をひらいたというのも、まことに無理ならぬことである。

結實苦遲為人笑,攀折唧唧長咨嗟。

しかし、実がなるにも、又、三千年を経て一たび實を結ぶという位で、なかなか遅くて、待つ者にとっては、笑うだけである。そこで、木を攣ぢて、にぎやかに愚痴を言いあって、ぶつぶついいつつ、長しへに、嘆息していくだけである。

 

(庭前の 花は開)

西王母の桃 我が家に種う,三千の陽春 始めて 一たび花さく。

實を結ぶ 苦はだ遲く 人 笑うを為す,攀折 唧唧 長しえに咨嗟す。

 

 

『庭前晚花開』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

庭前晚花開

西王母桃種我家,三千陽春始一花。

結實苦遲為人笑,攀折唧唧長咨嗟

(下し文)
(
庭前の晚 花は開)

西王母の桃 我が家に種う,三千の陽春 始めて 一たび花さく。

實を結ぶ 苦はだ遲く 人 笑うを為す,攀折 唧唧 長しえに咨嗟す

(現代語訳)
(折角桃を庭前に植えたものの、咲いたのは春の末になってからというので戯れにこの詩を作った。)

西王母の大切にしたという仙桃を我が家に種えたが、そもそも、三千年を経て、はじめて一たび花を開くというもの、それでも、今、春も終ろうとする頃に成って、やつと花をひらいたというのも、まことに無理ならぬことである。

しかし、実がなるにも、又、三千年を経て一たび實を結ぶという位で、なかなか遅くて、待つ者にとっては、笑うだけである。そこで、木を攣ぢて、にぎやかに愚痴を言いあって、ぶつぶついいつつ、長しへに、嘆息していくだけである。


(訳注)

庭前晚花開

(折角桃を庭前に植えたものの、咲いたのは春の末になってからというので戯れにこの詩を作った。)

桃の木を植えて、通常日本だと、桃栗三年というから、その程度のことを面白おかしく表現したのであろう、李白の詩の中で、最駄作といわれているが、安陸の新婚の住まいの出来事として考えれば微笑ましいのではないだろうか。

 

西王母桃種我家,三千陽春始一花。

西王母の大切にしたという仙桃を我が家に種えたが、そもそも、三千年を経て、はじめて一たび花を開くというもの、それでも、今、春も終ろうとする頃に成って、やつと花をひらいたというのも、まことに無理ならぬことである。

○西王母桃・三千陽春始一花 《漢武内傳》 七月七日,西王母降,以仙桃四与帝。 又命侍女更索桃果 須臾以玉盤盛仙桃七顆 大如鴨卵 形圓靑色 以呈王母 母以四顆與帝 三顆自食 桃味甘美 口有盈味 帝食輒收其核,王母問帝,帝曰:「欲種之。」母曰:「此桃三千年一開花、三千年一生實,中夏地薄,種之不生。帝乃止。」に基づく。

七月七日、西王母降りる、侍女、玉盤を以て仙桃七鵜を盛る、大さ鴨卵の如く、形圓くして青色、以て王母に呈す。母、四顆を以て帝に与え、三顆は自ら食ふ。桃の味甘美、口に盈味あり、帝、食して輒ち其核を收む。王母、帝に問う。帝日く、これを植えむと欲す、と。王母日く、この桃、三千年に一たび花を開き、三千年に一たび實を結ぶ、中夏地薄く、これを種うるも生せずと。帝乃ち止む」とあるのを用いて構想したのである。

西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)は、中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、王母娘娘などともいう。

王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住いする女性の尊称である。すべての女仙たちを統率する聖母。東王父に対応する。

周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという。また前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという。

 

結實苦遲為人笑,攀折唧唧長咨嗟。

しかし、実がなるにも、又、三千年を経て一たび實を結ぶという位で、なかなか遅くて、待つ者にとっては、笑うだけである。そこで、木を攣ぢて、にぎやかに愚痴を言いあって、ぶつぶついいつつ、長しへに、嘆息していくだけである。

○苦遲 甚だ遅いことをいう。

唧唧 (にぎやかに談笑する声など)がやがや、ぶつぶつ、わいわいと花が遅く咲いたことで戯れて談笑する。

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李白  贈  

三百六十日,日日醉如泥。

雖為李白婦,何異太常妻。

(詩を妻に贈る。)

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一八四              文體:    五言

詩題:   

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

(改訂版Ver.2.1)


(詩を妻に贈る。)

三百六十日,日日醉如泥。

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

雖為李白婦,何異太常妻。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

 

(内に 贈る)

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

 

 

(改訂版Ver.2.1)

『贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


三百六十日,日日醉如泥。

雖為李白婦,何異太常妻。

(下し文)
内に 贈る

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

(現代語訳)
(詩を妻に贈る。)

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。


(訳注) (改訂版Ver.2.1)

贈内

(詩を妻に贈る。)

李白は妻に贈った詩をいくつか残している。これはそのなかでも特に有名なもの。ただ書かれた時期や、どの妻なのかは、正確にはわかっていない。また、酔っぱらって帰ってきて、奥さんに叱られた時の誤魔化しの雰囲気を漂わせた作品という解釈もあるが、実際そんなことをするだろうか。


三百六十日,日日醉如泥。

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

日日 毎日。 

醉如泥 ひどく酒に酔う。泥のように酔う。

 

雖爲李白婦,何異太常妻。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

○この二句 李白の嫁とはいっても、一体どこが(漢の周澤)太常の妻と異なろうか。 ・雖:…とはいっても。…といえども。 ・爲:…である。 ・婦:嫁。妻。・何:なんぞ。反語。疑問。 

○太常 卿の一。礼儀、祭祀を掌る官(『後漢書・百官』)。大常は身を清め命令通りに誠心誠意祭祀を執り行っていた。周沢はしばしば病気になり、斎宮に病臥していたが、妻は周沢の持病を心配し、病状をうかがい尋ねて来た。しかし、夫の周沢は、妻が斎戒の禁を犯したと大いに怒り、妻を監獄に送って謝罪した。世間の人は、その行為をきわどいことだと考えて、次のように語りあっていた。「今の世に調和しないことがある,太常は妻をめとった。一三百六十日であるが,三百五十九日に齋しい、というのもその一日、泥酔したようなもので許さないというのだ。」

《後漢書.儒林傳》:後漢周澤太常,虔敬宗廟,常臥疾齋宮,其妻哀其老病,窺問疾苦。澤大怒,以妻干犯齋禁,收送詔獄,時人譏之曰「生世不諧,作太常妻。一三百六十日,三百五十九日齋、一日不齋酔如泥。」

「周澤、太常となり、清潔循行、敬を宗廟に盡す、かつて、病に齋官に臥す、その妻、澤の老病む哀んで、苦しむところ私闘い問う。澤、大に怒り、妻が齋禁を干犯ぜしを以て、遂に収めて詔獄に送って、罪を謝す、常世、その詭激を疑ふ。時人、これが語を為して日く、生世不、作大常妻、一歳三百六十日、二百五十九日、一日不齋酔如泥」とある。

・齋【ものいみ 神道で、ものいみ(潔斎)をして神に仕えること。また、その人 (神道); 斎: 断食と食物品目の制限。食事のみならず行動も律し、祈りを増やす事が求められる。ここでは、太常の周澤にたいする齋をいう。

 

(内に 贈る)

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

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紀 頌之

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