漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年06月

267-#2 《卷八34鄴中贈王大-#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#2> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228

李白  鄴中贈王大#2

欲獻濟時策,此心誰見明。君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。飄飄不得意,昨發南都城。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

267-#2 《卷八34鄴中贈王大-#2Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#2> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

富貴吾自取,建功及春榮。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。
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『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

飄飄不得意,昨發南都城。

 

(下し文) #2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

(現代語訳)
それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。


(訳注) #2

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。           

 

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

濟時策 時代を再生する基本政策という意味である。中国では、春秋戦国時代に諸侯の国が行った政策を「富国強兵」といい、『戦国策』秦策に用例が見える。この時代には各国が諸子百家と呼ばれる思想家たちから人材を登用し、騎馬戦術や戦車などの新兵器を導入して軍事改革を行った。また、『呉書』陸遜伝にも同様の記述がみられる。

 

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

海塞 海は国境、辺境であることで、邊塞と同じ意味。

 

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

縱橫 ① たてとよこ。南北と東西。 「市街地を-につらぬく大通り」 四方八方。いたるところ。

 

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

南都 後漢の光武帝が南陽を別都として南都と称した。

267-#1 《卷八34鄴中王大勸入高鳳石門山幽居》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <267-#1> Ⅰ李白詩1535 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6223

李白  鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】#1

一身竟無託,遠與孤蓬征。千里失所依,復將落葉并。

中途偶良朋,問我將何行。
(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

267-#1 《卷八34鄴中王大勸入高鳳石門山幽居》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <267-#1> Ⅰ李白詩1535 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6223

 
 2015年6月29日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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267-#1 《卷八34鄴中王大勸入高鳳石門山幽居》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <267-#1> Ⅰ李白詩1535 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6223 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

飄飄不得意,昨發南都城。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

富貴吾自取,建功及春榮。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。
 

 

『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

一身竟無託,遠與孤蓬征。

千里失所依,復將落葉并。

中途偶良朋,問我將何行。

(下し文)
(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。


(現代語訳)
(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。


(訳注)

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。           

 

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

孤蓬征 孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

 

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

 

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

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李白  見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

金華渡,東連五百灘。全勝若耶好,莫道此行難。

猿嘯千溪合,松風五月寒。他年一攜手,搖艇入新安。
君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

266 《卷8-12見京兆韋參軍量移東陽,二首之二》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <266> Ⅰ李白詩1534 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6218

 
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見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

相逢問愁苦,盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。

 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻って

相い逢うて 愁苦を問えば,は盡く 日南の珠。

 

 

年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

地點:    (江南東道 / 蘇州 / )

及地點:東陽 (江南東道 婺州 東陽)              

金華 (江南東道 婺州 金華)             

五百灘 (江南東道 婺州 金華)          

若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪        

新安 (都畿道 河南府 新安)             

 

 

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

金華渡,東連五百灘。

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

全勝若耶好,莫道此行難。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

猿嘯千溪合,松風五月寒。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

他年一攜手,搖艇入新安。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の二)

聞くく 金華の渡,東は五百灘に連ると。

全く 若耶の好に勝り,道う莫れ 此の行難しと。

猿嘯 千溪に合し,松風 五月に寒し。

他年 一び手を攜え,艇に搖られて 新安に入らん。

 

 

『見京兆韋參軍量移東陽,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

金華渡,東連五百灘。

全勝若耶好,莫道此行難。

猿嘯千溪合,松風五月寒。

他年一攜手,搖艇入新安。

(下し文)
(
京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の二)

聞くく 金華の渡,東は五百灘に連ると。

全く 若耶の好に勝り,道う莫れ 此の行難しと。

猿嘯 千溪に合し,松風 五月に寒し。

他年 一び手を攜え,艇に搖られて 新安に入らん。

(現代語訳)
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

江南東道 婺州 東陽00
(訳注)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

○京兆 京兆府(長安)。ベトナムから長安の朝廷に、長安から南陽で李白と遭い東陽に赴いた。

○韋參軍 參軍は刺史の官属である韋某。

○量移 罪を得て、遠方に貶竄されていたものが、後に大赦に遭うて、近地に移されること、つまり、情状酌量され、いくらかよい地方へ転換されることをいう。

○東陽 江南東道 婺州、後には浙江省金華府にぞくしていた。(4

謝靈運の溫州に左遷されて赴くルートで金華から謝靈運のルートを外れて、東陽に入る。

(謝霊運のルートを現在の地名で示す)

杭州→蕭山→富陽→桐盧→建徳→壽昌→蘭渓→金華→永康→(ここまで銭塘江、支流の婺江【ぶこう】を登ってきた。<分水嶺>ここから甌江【おうこう】になる)→石柱→縉雲→麗水→青田→永嘉(温州)

七里瀬 #1 謝霊運<16> 詩集 376

 

金華渡,東連五百灘。

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

金華渡 金華山は歷史上取り上げられたちであり、道教隆興の地,ここは中國道仙の搖籃和雲集地の一である。『淮南子』では特別な呼吸法によって仙人になったとされている。金華山(浙江省)には赤松子の石室があり、ここで彼は赤石脂という金丹の材料を服したという伝説もある。

東連 東に向かって渦巻く灘が目白押しにある。急流下りを遡るということ。

五百灘 

 

全勝若耶好,莫道此行難。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

行路難三首其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184

行路難三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

 

猿嘯千溪合,松風五月寒。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

 

他年一攜手,搖艇入新安。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

○新安 銭塘江をさかのぼること富陽から南西約五〇キロ、北西より流れ来る桐江、桐渓水との合流点に桐盧県がある。このあたりから上流を新安江(地図)という。

初往新安桐盧口 謝霊運<15>  詩集 378

265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213

李白  見京兆韋參軍量移東陽,二首之一  

潮水還歸海,流人卻到相逢問愁苦,淚盡日南珠。
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言

詩題:    見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

作地點:              (江南東道 / 蘇州 / )

及地點:              東陽 (江南東道 婺州 東陽)              

日南 (嶺南道西部 愛州 日南)          

交遊人物:韋參軍              當地交遊(江南東道 婺州 東陽)

 

 

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

相逢問愁苦,盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻って

相い逢うて 愁苦を問えば,は盡く 日南の珠。

 

李白の足跡0000 

『見京兆韋參軍量移東陽,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

潮水還歸海,流人卻到

相逢問愁苦,淚盡日南珠。

(下し文)
(
京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻ってに到る。

相い逢うて 愁苦を問えば,淚は盡く 日南の珠。

(現代語訳)
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。


(訳注)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

○京兆 京兆府(長安)。

○韋參軍 參軍は刺史の官属である韋某。

○量移 罪を得て、遠方に貶竄されていたものが、後に大赦に遭うて、近地に移されること、つまり、情状酌量され、いくらかよい地方へ転換されることをいう。

○東陽 江南東道 婺州、後には浙江省金華府にぞくしていた。

 

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

 東陽は呉の東部にあるのでこういう。

○還帰海 「なおもまた、海にかえる」の意。この聯、「潮水還帰海」と「流人却到呉」とが対句で、「還」と「却」とが対になっており、共に副詞と見るべきところ。

 

相逢問愁苦,淚盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。

○日南珠 南海・安南の真珠。神話物語の中の涙珠のこと。『洞冥記』に日南は「人長七尺,披髮至踵,乘犀象之車。乘象入海底取寶,宿於鮫人之舎,得涙珠,則鮫所泣之珠也,亦曰泣珠。」とある。韋参軍が流す涙は、流されていたところ産の真珠のようであると謂うこと。 ・日南は現・ベトナム社会主義共和国のハノイの真南150キロメートルのところ。韋参軍の流謫の地であったところ。・ たま。真珠。「蚌中の月」。鮫人の涙。南海に住み、水中で機(はた)を織り、泣くときは真珠の涙をこぼすという。また、韋参軍の流す涙。

安史期のアジアssH安史の乱当時の勢力図 

264-#2 《卷8-04贈徐安宜#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <264-#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1532 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6208

李白  贈徐安宜#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂白水流園池。遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐安宜

作地點:              安宜(淮南道 / 楚州 / 安宜)

及地點:              安宜 (淮南道 楚州 安宜)    

白田 (淮南道 楚州 安宜)   

交遊人物:徐安宜              當地交遊(淮南道 楚州 安宜)

 

 

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

青橙拂白水流園池。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

 

(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。

#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す。

 

 

『贈徐安宜』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂牖,白水流園池。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,晚託深期

(下し文)
#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い,白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す


(現代語訳) #2

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。


(訳注) #2

贈徐安宜 

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

徐安宜 淮南道 楚州安宜縣令の徐某のこと。

 

川光淨麥隴,日色明桑枝。

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

 

訟息但長嘯,賓來或解頤。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

解頤 あごがはずれそうになるほど、大きな口をあけて笑うこと。《漢書·匡衡傳》:“匡《詩》,解人頤。”顏師古注引如淳曰:“使人笑不能止也。”

 

青橙拂白水流園池。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

 

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

安邑 淮南道 楚州 安宜。

 

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

 これ。思えば~。

樹桃李 《説苑》「夫樹桃李者。夏得休息。秋得食焉。樹蒺藜者。夏不得休息。秋得其刺焉。今子之所種(種作樹)者蒺藜也。非桃李也。自今已來。擇人而樹之。毋已樹而擇之也。」に基づく。

264-#1 《卷八-04贈徐安宜#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-3 <264-#1> Ⅰ李白詩1531 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6203

李白  贈徐安宜  #1

白田見楚老,歌詠徐安宜。製錦不擇地,操刀良在茲。

清風動百里,惠化聞京師。浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

264-#1 《卷八-04贈徐安宜#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39-3 <264-#1> Ⅰ李白詩1531 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6203

 

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐安宜

作地點:              安宜(淮南道 / 楚州 / 安宜)

及地點:              安宜 (淮南道 楚州 安宜)    

白田 (淮南道 楚州 安宜)   

交遊人物:徐安宜              當地交遊(淮南道 楚州 安宜)

 

 

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂白水流園池。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,託深期。

 

(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。

#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す。

 

李白の足跡003 

『贈徐安宜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈徐安宜  #1

白田見楚老,歌詠徐安宜。

製錦不擇地,操刀良在茲。

清風動百里,惠化聞京師。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。


(下し文)
(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。


(現代語訳)
淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

rihakustep足跡
(訳注)

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

徐安宜 淮南道 楚州安宜縣令の徐某のこと。

 

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

○白田 安宜の地名。

○楚老 楚地の父老。

 

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

○製錦 錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治めたという意。

○操刀 刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよく治めたという意。

 

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

 

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

○浮人 貧困、戦争、飢饉などがあっても重税に苦しむものが逃村ということで戸籍を外し、山に入って生活をした。
楚州0015 

263#4 《巻五 34少年行#4》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#4> Ⅰ李白詩1530 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6198

李白  少年行#4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。
何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

263#4 《巻五 34少年行#4Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39-2 <263#4> Ⅰ李白詩1530 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6198

 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。
4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

4

衣冠 半ば是れ征戰の士,窮儒 浪【みだ】りに林泉の民と作る。

遮莫【さもあらばあれ】枝根 長さ百丈,如かず 當代 還往多きには。

遮莫【さもあらばあれ】姻親 帝城を連ね,如かず 當身 自ら簪纓なるに。

看取す 富貴 眼前の者,何ぞ用いん 悠悠たる身後の名。
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『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
##4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

(下し文) 4

衣冠 半ば是れ征戰の士,窮儒 浪【みだ】りに林泉の民と作る。

遮莫【さもあらばあれ】枝根 長さ百丈,如かず 當代 還往多きには。

遮莫【さもあらばあれ】姻親 帝城を連ね,如かず 當身 自ら簪纓なるに。

看取す 富貴 眼前の者,何ぞ用いん 悠悠たる身後の名。

(現代語訳)
今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。


(訳注)

4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

林泉 1 林や泉水を配して造った庭園。2 世を逃れて隠れ住む地。

 

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

遮莫 1.さもあらばあれ。ままよ。それならそれで仕方がない。自然の成り行きにまかせる感じ。・下の文句を打ち消す時に用いるもの、

 

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

 

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

263#3 《巻五 34少年行#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#3> Ⅰ李白詩1529 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6193

李白  少年行3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。
ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

 

263#3 《巻五 34少年行#3Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39-2 <263#3> Ⅰ李白詩1529 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6193

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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263#3 《巻五 34少年行#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#3> Ⅰ李白詩1529 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6193 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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74-#10 《巻09-32 詠雪贈張籍》-#10 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1442> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6194 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。
4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

 

『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

(下し文) 3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。

(現代語訳)
ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。


(訳注) 3

少年行

(少年の遊侠を詠う。)

少年行、少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。ここでは、任侠遊侠の士を強調して詠う。

 

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

○桃李 司馬遷《史記》「桃李不言下自成蹊」(桃李 言ざれど、下 自ずから蹊を成す』桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕って人が自然と集まって来ることの喩え。

 

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

○平交人 人と対等に交際する。

 

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

○徇 身を以て物に随うこと。

 

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

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李白  少年行#2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。
常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

 

『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。

(下し文) 2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。

(現代語訳) 2

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。


(訳注) 2

少年行

(少年の遊侠を詠う。)

少年行、少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。ここでは、任侠遊侠の士を強調して詠う。

 

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

 

驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

俠士堂中養 戦国の末。天下を狙う列国の諸侯達は、競って一芸一能に秀でた 者たちを客分として招き集めた。これがすなわち食客である。わけても 斉の孟嘗君は数千、楚の春申君は三千余、趙の平原君は数千、魏の信陵 君は三千と、食客の数を誇ったものであった。

 

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである。

○沽酒 量り売りの酒屋で買うこと。

 

赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

○赤心 嘘いつわりのない、ありのままの心。丹心。まごころ。《「後漢書」光武紀》「推赤心置人腹中」(赤心を推して人の腹中に置く)心から人を信じて、まごころをもって接することのたとえ。

○桃李 司馬遷《史記》「桃李不言下自成蹊」(桃李 言ざれど、下 自ずから蹊を成す』桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕って人が自然と集まって来ることの喩え。

 

俠客行

趙客縵胡纓,鉤霜雪明。銀鞍照白馬,颯沓如流星。

十步殺一人,千里不留行。事了拂衣去,深藏身與名。

閒過信陵飲,劍膝前橫。將炙啖朱亥,持觴勸侯嬴。

三杯吐然諾,五嶽倒為輕。眼花耳熱後,意氣素霓生。

救趙揮金槌,邯鄲先震驚。千秋二壯士,烜赫大梁城。

縱死俠骨香,不慚世上英。誰能書閣下,白首太玄經。

(俠客行)

趙客 縵胡の纓,鉤 霜雪明かなり。

銀鞍 白馬を照らし,颯沓として流星の如し。

十步に一人を殺し,千里 行を留めず。

事了るや 衣を拂って去り,深く藏す 身と名とを。

閒に信陵を過ぎて飲み,劍をして膝前に橫たう。

炙を 將って朱亥に啖【くら】わしめ,觴を持して侯嬴に勸む。

三杯然諾を吐き,五嶽 倒って為に輕し。

眼花し 耳熱する後,意氣 素霓【そげい】生ず。

趙を救って金槌を揮い,邯鄲 先ず震驚す。

千秋の二壯士,烜赫【けんかく】す 大梁城。

縱い死するも俠骨香しく,世上の英たるに慚じず。

誰か能く書閣の下,白首 太玄經。

159 《巻02-30 俠客行》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <159> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

263#1 《巻五 34少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 720000<263#1> Ⅰ李白詩1527 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6183

李白  少年行#1君不見淮南少年遊俠客,白日毬獵夜擁擲。呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。少年遊俠好經過,渾身裝束皆綺羅。

(少年の遊侠を詠う。)1淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

 

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