漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年07月

284 《卷8-09贈瑕丘王少府》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284> Ⅰ李白詩1563 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6363

李白  贈瑕丘王少府 #1

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。梅生亦何事,來作南昌尉。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。
(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)#1

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

284 《卷8-09贈瑕丘王少府》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284> Ⅰ李白詩1563 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6363


 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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740年 李白40歳李白の足跡003 


年:-740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈瑕丘王少府

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

南昌 (嶺南道 白州 南昌)   

交遊人物:王少府              書信往來(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

#2

一見過所聞,操持難與群。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

無由接高論,空此仰清芬。

(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。

#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。
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『贈瑕丘王少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈瑕丘王少府 #1

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

梅生亦何事,來作南昌尉。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

(下し文)
(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。


(現代語訳)
(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)#1

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。


(訳注)

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

瑕丘は、唐書地理志に「河南道兗州に瑕丘縣あり」と記してある。この詩は、瑕丘の縣令王某に贈ったものである。

秦のときの郡名で、兗州はその郡に属していた。兗州市(えんしゅうし)は、中華人民共和国山東省西南部の済寧市に位置する県級市。京滬線および新兗線、兗石線が交わる交通の要衝である。 兗州の名は古代の天下九州のひとつ・兗州(えんしゅう)に由来し、悠久の歴史を誇る。

 

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

 

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

・梅生 梅福(生没年不詳)は、前漢後期の人物。字は子真。九江郡寿春の人。若くして長安で学び、書経、春秋穀梁伝に通じた。郡の文学となり、南昌県の尉となった。その後辞職して寿春に帰っていたが、そこから緊急の件を上書した。当時、成帝は政治を大将軍王鳳に任せており、王鳳は権力を独占していた。京兆尹王章は王鳳を排除しようとしたが反対に王鳳に殺された。梅福は漢の社稷を危うくしたのはいずれも外戚の家であるから、外戚に良い学問の師を付け、忠孝の道を教えてやるべきであると上書したが、成帝はその言を採用しなかった。先に匡衡が「孔子は殷の湯王の子孫であり、いまや嫡統が分からなくなっている宋の子孫よりも、孔子の子孫を殷の末裔として立てるべきである」と建言していた。その当時は経書に典拠が無いことを理由に取り上げられなかったが、梅福の上書の後、綏和元年(紀元前7年)になり、孔子の子孫である孔何斉が殷の末裔として殷紹嘉侯(後に侯から公となる)に封じられた。

梅福は王莽が政治を壟断するようになると妻子を捨て、九江を離れて仙人になったとされる。

・南昌 江西省の省都である。江西省の省人民政府が設置される江西省の政治・経済の中心。二千年の歴史を有し、国家歴史文化名城に指定されている。南昌市は江西省中部のやや北、贛江、撫河下流に位置し、中国最大の淡水湖である鄱陽湖に臨む。全境、平原を主とし、西北には丘陵が起伏する。全市の平均海抜は25メートルである。西部は西山山脈となり、最高点は梅嶺主峰の洗薬峰で海抜841.4メートルである。

 

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

李白  贈范金卿,二首之二  

范宰不買名,弦歌對前楹。為邦默自化,日覺冰壺清。

百里犬靜,千廬機杼鳴。浮人少蕩析,愛客多逢迎。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358



 
 2015年7月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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78-#6 《巻0210送惠師》-#6 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1479> Ⅱ【11分割】-#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6379 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-86杜甫 《1509上白帝城,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-86 <949> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6380 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之二

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

范宰不買名,弦歌對前楹。

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

為邦默自化,日覺冰壺清。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

百里犬靜,千廬機杼鳴。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

范宰 名を買わず,弦歌して前楹に對す。

邦を為【おさ】むる默して自ら化し,日に 冰壺の清きを覺ゆ。

百里 犬靜に,千廬 機杼鳴る。

浮人 蕩析少く,客を愛して逢迎多し。

遊子 嘉政を睹,之に因って 頌聲を聽く。

 

 

『贈范金卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈范金卿,二首之二

范宰不買名,弦歌對前楹。

為邦默自化,日覺冰壺清。

百里犬靜,千廬機杼鳴。

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。



(下し文)
贈范金卿,二首之二

范宰 名を買わず,弦歌して前楹に對す。

邦を為【おさ】むる默して自ら化し,日に 冰壺の清きを覺ゆ。

百里 犬靜に,千廬 機杼鳴る。

浮人 蕩析少く,客を愛して逢迎多し。

遊子 嘉政を睹,之に因って 頌聲を聽く。


(現代語訳)
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。


(訳注)

贈范金卿,二首之二

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

范宰不買名,弦歌對前楹。

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

不買名 淮南子 「絃歌鼓舞、以買名譽于天下。」

 

為邦默自化,日覺冰壺清。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

自化 老子 「我無為而民自化,」

冰壺清 南朝宋鮑照《代白頭吟》「直如朱絲繩,清如玉壺冰。」とある。

 

百里犬靜,千廬機杼鳴。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

機杼鳴 機織る響が絶間ない位、機は軸を転じ、杼をもって緯を持して織機である。

 

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

蕩析 離散。《書經.盤庚下》:「今我民用蕩析離居,罔有定極。」

 

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

頌聲 太平の頌歌を歌う声。

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李白  贈范金卿,二首之一》-#2時人棄此物,乃與燕珉齊。摭拭欲贈之,申眉路無梯。遼東慚白豕,楚客羞山雞。徒有獻芹心,終流泣玉啼。祗應自索漠,留舌示山妻。
だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

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 740年 李白40歳

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、その寶たることを知らないのである。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
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時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

(下し文)
時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

摭拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず。

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

(現代語訳) #2

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。


(訳注) #2

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

燕珉齊 ・燕石《燕山から出る、玉(ぎょく)に似るが玉でない石の意》まがいもの。また、価値のないものを珍重し、誇ること。小才の者が慢心するたとえ。1.燕山所的一种似玉的石。后以“燕珉”不足珍之物。2.凡庸之3.指燕然石。

・珉 白珉:玉の名《山海経・中山経》「岐山、其の陽赤金多し、其の陰、白珉多し」

李白《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。誇作天下珍,卻哂趙王璧。趙璧無緇磷,燕石非貞真。流俗多錯誤,豈知玉與珉。宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

摭拭 ひろいはらう。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

遼東・白豕 《後漢書朱浮傳》「漁陽大守彭寵發突騎、轉糧不絶。自負其功、意望甚高。不能滿。幽州牧朱浮與書曰、遼東有豕。生子、白頭。將献之。道遇羣豕。皆白。以子之功、論於朝廷、遼東豕也。」(漁陽の大守彭寵突騎を発し、糧を転じて絶たず。自らその功を負みて、意望甚だ高し。満つる能はず。幽州の牧朱浮 書を与へて曰く、「遼東に豕あり。子を生む。白頭なり。将に之を献ぜんとす。道に羣豕に遇ふ。皆白し。子の功を以て、朝廷に論ぜば、遼東の豕ならん」と。

漁陽の大守彭寵は、精鋭な騎兵を出して、兵糧を次から次へと送り届けて絶やさなかった。自分でその功績を鼻にかけ、恩賞の望みも甚だ高く、少しのことでは満足させることができなかった。それで幽州の長官、朱浮は手紙を送って次のように言った。「遼東地方のとある豚が子供を生んだが頭が白かった。それで非常に珍しいものと思い、これを朝廷に献上しようとした。ところが道すがら、途中ある地方で、豚の群れに出あうと、どの豚も皆白かった。あなたの功績を朝廷で品定めするならば、「あたかもこの遼東の“いのこ”のようなものでしょう。」そのように自負するには当たない。

楚客羞山雞 楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。《太平御覽》三國·邯鄲淳《笑林》「楚人有擔山雞者,路人問曰:『何鳥也?』擔者欺之曰:『鳳皇也!』路人曰:『我聞有鳳皇久矣,今真見之,汝賣之乎?』曰:『然!』乃酬千金,弗與;請加倍,乃與之。方將獻楚王,經宿而鳥死。路人不遑惜其金,惟恨不得以獻耳。國人傳之,咸以為真鳳而貴,宜欲獻之,遂聞于楚王。王感其欲獻己也,召而厚賜之,過買鳳之十倍矣。」に基づく。

 

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

獻芹心 献芹【けんきん】1 《「列子」楊朱から。つまらない野草のセリを差し上げる意》物を贈ることをへりくだっていう語。「この賄 (まひな) ひ―少しとどめられよかし」〈愚管抄・七〉2 君主に忠義を尽くすこと。また、それをへりくだっていう語。

泣玉啼 春秋時代の楚()の人卞和の故事。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

 

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

索漠 心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。

留舌示山妻 史記 張儀が妻との故事。蘇秦は自分は張儀にかなわないと思っていた。張儀が楚の宰相の食客の時、宰相自慢の器が無くなった。嫌疑は張儀に集中。一同は張儀を捕らえ拷問した。張儀はあくまで身に覚えがないとがんばり通しやっと解放された。故郷に帰った張儀に妻は、「遊説なんか勉強するからそんな目にあうんですよ。やめたらどう」張儀は口をあけて、「どうだ舌はまだついているか」妻は「もちろんです」張儀は力強く「まだやれる」といった。

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贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。離家來幾月,絡緯鳴中閨。

桃李君不言,攀花願成蹊。那能吐芳信,惠好相招攜。

我有結綠珍,久藏濁水泥。
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
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<!--[endif]-->

時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

桃李君不言,攀花願成蹊。

那能吐芳信,惠好相招攜。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

(下し文)

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。

(現代語訳)
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一) #1

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。


(訳注)

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

清盼 眼の白と黒がはっきりとしていて、奇麗に見え、涼しい目ということ。

東走 淮南子「狂者東走、逐者亦東走、其東走則同、其所以東走之為則異。」に基づく。

 

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

絡緯 秋の虫 こおろぎ きりぎりす、くつわむしの総称。「絡緯」は促織ともいい、鳴き声が冬着を織れと促しているように聞こえることから名づけられた。

 

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

桃李 《史記-李広伝賛》「桃李不言、下自成蹊。」に基づく。「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」の部分を指す。意味は「桃や李(すもも)は物を言わなけれど、花は美しく実(み)はおいしいため、その木の下へは人が集まり自然と蹊(こみち[=小道])ができる」。世の中の人は、この言葉の通り徳のある人の元に集まる。

 

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

芳信 1 他人を敬って、その手紙をいう語。2 花の咲いたという便り。花信。3. 芳言とおなじ。

惠好 《詩経北風》「北風其涼 雨雪其雱。惠而好我 攜手同行。」(北風其れ涼なり 雪雨ふること其れ雱たり 惠して我を好せば 手を攜へて同行せん。)

惠而好我、攜手同行。(手を攜へて同じく歸せん手を攜へて同行せん。)

惠而好我、攜手同歸。(手を攜へて同じく歸せん、手を攜へて同じく歸せん。)

惠而好我、攜手同車。(手を攜へて同じく歸せん、手を攜へて車を同じうせん。)

 

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

結綠 美玉名。 《戰國策秦策三》「臣聞周有砥厄, 宋有結綠, 梁有懸黎, 楚有和璞。」

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李白  巻23-05 -#2擬古,十二首之二  

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。
弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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Index-

10

Ⅱ― 5-730年開元十八年30

19

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

135

80

1

古風,五十九首之三十八

孤蘭生幽園,

巻一

136

81

2

長相思

長相思,

巻五

137

82

3

秦女卷衣

天子居未央,

巻四

138

83

4

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,

巻五

139

84

5

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,

巻五

140

85

6

邠歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,

巻六

141

86

7

玉真仙人詞

玉真之仙人,

巻七

142

87

8

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

秋坐金張館,

巻八

143

88

9

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

苦雨思白日,

巻八

144

89

10

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,

巻八

145

90

11

贈裴十四

朝見裴叔則,

巻八

146

91

12

贈新平少年

韓信在淮陰,

巻八

147

92

13

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,

巻十二

148

93

14

夜別張五

吾多張公子,

巻十四

149

94

15

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,

巻十八

150

95

16

登太白峯 

西上太白峰,

巻二十

151

96

17

登新平樓

去國登茲樓,

巻二十

152

97

18

擬古,十二首之二

高樓入青天,

巻二十三

153

98

19

感遇,四首之二

可歎東籬菊,

巻二十三

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

    李太白集 巻二十三-05

詩題:    擬古,十二首之二

 

 

 

擬古,十二首之二 #1

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

152 《卷23-05 擬古,十二首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <152> Ⅰ李白詩1348 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5288

 

#2

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

 

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

#2

弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

 

 

『擬古,十二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) 23-05 -#2

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

(下し文)
弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

(現代語訳)#2
弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。


(訳注)#2

(巻23-05擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

 

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

繞飛梁 《文選王延壽<魯靈光殿賦>》:飛梁偃蹇以虹指, 揭蘧蘧而騰湊。”

 

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

躑躅 「行っては止まる」「躊躇」という意味があり、見る人の足を引き止める美しさから、この漢字が使われたといわれる。 本来は「羊躑躅」で、葉を食べたヒツジが躑躅して死ぬことからという説から、ツツジという意味になる。

 

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

 

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

281-#3 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -#3》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#3> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

李白  早秋贈裴十七仲堪 -#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非時命若不會,歸應鍊丹砂。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

281-#3 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -3Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#3> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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740年 李白40歳

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

明主儻見收,煙霞路非

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

時命若不會,歸應鍊丹砂。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。


雙歌入青雲,但惜白日斜。窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非。時命若不會,歸應鍊丹砂【知飛萬里道,勿使寒嗟】。


(下し文)
雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず。

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

(現代語訳) #3

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。


(訳注) #3

早秋贈裴十七仲堪 

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

雙歌入青雲,但惜白日斜。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

青雲 高い志の比喩。道家によく使う。

 

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

大澤 沛県の大沢郷。現在の安徽あんき省宿州市。漢の劉邦の出身地。母の劉媼が劉邦を出産する前、澤の側でうたた寝をしていると、夢の中で神に逢い、劉太公は劉媼の上に龍が乗っている姿を見た。その夢の後に劉邦が生まれたという。

 

明主儻見收,煙霞路非

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

明主 上に聖明の天子があるということ。収用してくれるひとであること。

 

時命若不會,歸應鍊丹砂。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

丹砂 1 鉱物の一。辰砂 (しんしゃ) 。「丹砂 (たんさ・たんしゃ) 2 赤色の顔料。赤い色。に。「丹朱・丹青・丹頂」3 丹砂を配合した不老不死の仙薬。「丹薬/仙丹・練丹術」4 練り上げた薬。

281-#2 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -#2》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#2> Ⅰ李白詩1561 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6353

李白  早秋贈裴十七仲堪#2  

功業若夢裡,撫琴發長嗟。裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。復攜兩少女,豔色驚荷葩。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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740年 李白40歳 

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。


功業若夢裡,撫琴發長嗟。裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。復攜兩少女,豔色驚荷葩【豔色驚荷花】。


(下し文)
功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。


(現代語訳)
功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。


(訳注)

#2

早秋贈裴十七仲堪 

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

功業 功績の著しい事業。また、功績。てがら。

 

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

英邁 天資英邁 生まれつき、才知が非常に優れていること。

屈起 勃起。

 

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

海岱豪 東海泰山の間に在る古の齊魯の治を巡り歩いて豪士の輩を訪問するというほどの意。海:東海、齊魯の地。岱:泰山。

結交 腹を割った付き合いをする交際。 唐宋詩196 Ⅶ郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(3)「結交」

朱家 朱 家(しゅ か、生没年不詳)は、秦から前漢にかけての人物。魯国の人。游侠として知られ、その行状は司馬遷の『史記』に記されている。朱家は名が通り、普段は腰が低く貧しい身なりや1日の食事は一汁一菜という貧しい生活をしていた。人を匿い助けること数百を超え、また貧しき者から助けていたために人気が高く、朱家のためなら命を惜しまぬ者も多数いたという。だが朱家自身、人を助けたからと言って礼を言われることを嫌っていたため、逆に礼をする者はいなかったという。

游侠とは任侠を貫くことを生き甲斐にしていた人のことで、器量を鼻にかけたり、恩着せがましいことをせず、人を匿って命を助けるもののことであった。

 

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

荷葩 蓮花。

281-#1 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -#1》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#1> Ⅰ李白詩1560 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6348

李白  早秋贈裴十七仲堪  #1  

遠海動風色,吹愁落天涯。南星變大火,熱氣餘丹霞。

光景不可迴,六龍轉天車。荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。
(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

早秋贈裴十七仲堪  #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

光景不可迴,六龍轉天車。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

(下し文)
(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

(現代語訳)
(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。


(訳注)

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

 

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

大火 さそり座α星 (固有名アンタレス ) の中国名。和名では赤星と呼び,いずれも真紅に輝くことにちなむ。

 

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

六龍 義和神話の中に出てくる神の名で、太陽が乗る車の馭者を意味する。『淮南子』に「日は車駕に乗るに、六龍を以てし、義和これが馭となる」とある。

天車 日車

 

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

○荊人泣美玉 楚の卞和は、美玉を献じたことの故事。卞和(生没年不詳)は、春秋時代前期の楚に住んでいたとされる男。和氏(かし)とも呼ばれる。韓非の著した『韓非子』の和氏篇において、法術の士の孤独を説明する為の説話で登場する。

卞和は山中で玉の原石を見つけ楚の厲王(蚡冒)に献上した。しかし厲王が職人に石を鑑定させると、ただの石ころだと言った為、卞和を足斬りの刑にして左足を切り落とした。

厲王が死に、弟の武王が即位すると、卞和は再び原石を献上した。しかし結果は同じで、武王も卞和を嘘つきとして右足を切り落とした。

武王も死に、子の文王が即位した。卞和は原石を抱きかかえて三日三晩血の涙を流し泣き悲しんだ。文王は人を遣わして、足斬りの刑を受けた者は沢山いると言うのに何故そのように悲しむのか、その訳を問い質した。卞和は、足斬りにあった事が哀しいのではなく、宝石なのに石ころと言われた事、正しい事を言ったのに嘘つきと言われた事が悲しいと答えた。

文王が原石を磨かせてみると、それは見事な宝石となった。そこで文王は、自分達の非を認めた上で卞和を賞し、この宝石を「和氏の璧」と名付け、楚の国宝とした。この和氏の璧ははるか後に、戦国時代の趙へと渡り、「完璧」の故事の由来となる。

魯叟悲匏瓜 魯叟は孔子のこと。論語に「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん)に在るに基づく。ただぶら下がっていて、誰にも食べられない苦瓜のように、誰にも用いられないでおれようか。断固、用いられなければならないのだ。匏瓜:苦瓜。人に用いられないことのたとえ。

280 《巻二十四26白田馬上聞鶯》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <280> Ⅰ李白詩1558 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6338

李白  白田馬上聞鶯  

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。我行不記日,誤作陽春時。

蠶老客未歸,白田已繅絲。驅馬又前去,捫心空自悲。
(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    白田馬上聞鶯

作地點:              白田(淮南道楚州安宜)

及地點:              白田(淮南道楚州安宜)

 

 

白田馬上聞鶯

(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

我行不記日,誤作陽春時。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

蠶老客未歸,白田已絲。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

驅馬又前去,捫心空自悲。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

(白田、馬上、鶯を聞く)

黃鶴、紫椹を啄み、五月、桑枝に鳴く。

我が行、日を記せす、誤って、陽春の時と作す。

蠶老いて、客、未だ歸らず、白田すでに絲を繅る。

馬を駆って又前み去る、心を椚でて、空しく自ら悲む。
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唐時代 地図615 長江下流域 

『白田馬上聞鶯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白田馬上聞鶯

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

我行不記日,誤作陽春時。

蠶老客未歸,白田已繅絲。

驅馬又前去,捫心空自悲。

(下し文)
(白田、馬上、鶯を聞く)

黃鶴、紫椹を啄み、五月、桑枝に鳴く。

我が行、日を記せす、誤って、陽春の時と作す。

蠶老いて、客、未だ歸らず、白田すでに絲を繅る。

馬を駆って又前み去る、心を椚でて、空しく自ら悲む。

(現代語訳)
(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

楚州0015
(訳注)

白田馬上聞鶯

(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

白田 淮南道楚州寶應縣の白田渡のこと。白田渡は寶應縣南門外に在った。

李白 《0804贈徐安宜》「白田見楚老,歌詠徐安宜。製錦不擇地,操刀良在茲。」(白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。)“楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

【解説】前半は、題意の正面。後半は、蚕が老いたら、或は糸を繰ったりして居ることを言い、因って、旅愁に入ったのである。嚴滄浪は「情事能く達す、必ずしも深く求めず」といい、乾隆御批には「曲にして直あるの体、深く楽府の意を得たり」とある。

 

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

○黃鸝 高麗鶯、黄鳥。スズメ目コウライウグイス科の鳥。全長約25センチメートル。全体が黄色で,目から後頭部にかけて黒色帯があり美しい。シベリア・中国・朝鮮などに生息し,日本へはまれに渡来する。鳴き声がよいのでこの名があるが,ウグイスとは別種。朝鮮ウグイス。(おうちよう)。

○紫椹 クワの実。春に開花する。雄花は茎の先端から房状に垂れ下がり、雌花は枝の基部の方につく。果実は初夏に熟す。キイチゴのような、柔らかい粒が集まった形で、やや長くなる。熟すと赤黒くなり、甘くて美味しい。落葉性の高木で、大きいものは15mに達するが、普段見かけるのは数m程度のものが多い。桑は、樹皮は灰色を帯びる。葉は薄く、つやのある黄緑色で、縁にはあらい鋸歯がある。大きい木では、葉の形はハート形に近い楕円形だが、若い木では、葉にあらい切れ込みが入る場合がある。

 

我行不記日,誤作陽春時。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

 

蠶老客未歸,白田已繅絲。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

○蠶老 《埤雅》「蠶足於葉三俯三起,二十七日而蠶已老」(蠶 葉に足れば、三俯三起,二十七日にして、蠶 已に老ゆ。)とある。カイコはチョウ目・カイコガ科に属する昆虫の一種。正式和名はカイコガで、カイコは本来この幼虫の名称だが、一般的にはこの種全般をも指す。クワを食餌とし、絹を産生して蛹の繭を作る。桑の葉、クワのみ、蚕は古代女性がしなければいけない職業で、折った反物が租税となっていた。律令制の唐代の均田法下の税法があり、給田を受けた丁男(2159歳)に課したもので、租は粟(あわ)2石、庸は年20日(閏年は22日)の労役、または代納として1日当たり絹3尺、調は絹2丈と綿3両、または布2.5丈と麻3斤。

古代女性の労働の中で、機織りは最も生産性の高い蜀主であった、その他、田植えとか脱穀、食料採取、調理はもちろん、酒づくり、土器づくり、も女の仕事であった。

 

 

驅馬又前去,捫心空自悲。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

○捫心 むねをなでる。高麗鶯のなきごえ、紫椹,桑枝、これらは妻を思い起こす語であり、安陸に残した妻を思い胸を撫でたという意味。

 

 

一農家の女性

 

「男耕女織」、これは中国古代の標準的な農家の生活風景である。唐代の農民は官府に租税を納める外に、なお調として絹、綾、布、綿などを納めねはならず、これらの任務はみな女性たちが担わされていた。少数の豪紳地主の家の女性を除いて、大多数の農家の女性は、その生涯のすべてを養蚕や紡織の仕事に投じた。社会全体の「衣と食」という二つの大仕事は、彼女たちがその半分を担ったのであるが、それと同時に彼女たちは精美な織物を大量に作って古代文明に貢献したのである。

「夫は田中の郎、妾は田中の女。当年君に嫁し得て、君の為に機杼を秉る。筋力は日に巳に疲るるも、窓下の機を息めず。如何せん紈素を織るに、自らは襤褸の衣を著くるを」(孟郊「織婦辞」)。これが一般の農家の女性たちの労働と生活の状況であった。

春が来るとすぐに彼女たちは明ければ桑の葉を摘み、蚕を飼うことに暮れるまでするようになる。

「暁夕桑を採んで苦辛多く、好花の時節も不閑身」(来鵠「蚕婦」)。

「桑林植黒く蚕は再び眠り、婦姑は桑を採んで田に向かわず」(張籍「江村行」)。彼女たちは天の神様に御加護を祈る、どうか繭がたくさん取れますようにと。

「但だ青天を得て雨下らず、上に蒼蝿無く下に鼠無からんことを。新婦は族を拝して繭巌がるを願い…。三日配か開けば割く酢邸先ず新たな繭を群で県官に送る。田に聞く郷里にては織作を催すと、去きて誰人の身上に著けられん」(王建「族蚕辞」)。

 

女たちは養蚕の収穫が悪いと悲しんで涙を流す。

「春風は蚕を吹き細きこと蟻の如く、桑の芽は挽く青鵜の嘆を努す。侵農に探り来るは誰が家の女、手に長き条を挽きつつ涙は雨の如し。……愁い聴く門外に里背の催すを、官家は二月に新しき糸を収む」(唐彦謙「桑を採る女」)。

桑摘みと養蚕で多忙を極めているのに、官府は納税を迫るので、女たちは夜を日に継いで手足を休めず横を織らねばならない。

「妾が家は豪門に非ざるに、官賦は日に相い追う。槙を鳴らして夜より暁に達するも、猶お時に及ぼざらんことを恐る」(司馬札「蚕女」)。

「貧家の女は富家の為に織り、……水は寒く手は渋み糸は脆くも断つ、続来続去 心腸は欄る。芋虫は促促と横の下にて噂き、両日 催して一匹半を成す。官に輸むれば上頭に零落有りと、姑は未だ衣を得ず 身も著けざるに」(王建「当窓の織」)。

蚕桑、紡織の他に、さらに彼女たちは山菜や野の果実を採ったり、薪を集めたり、米を掩いたりする重労働にも従事した。夜が更けても、村の女はまだ仕事を続けている。

「田家 秋作に苦しみ、鄭女 夜 番くに寒し」(李白「五松山下の苛姐の家に宿す」)。

白髪の老婆は、朝早くから夜遅くまで橡の実を拾って家人の食糧にする。

「侭侮った黄髪の姐 之(橡の実)を拾って農霜を踏む。時を移して(しばらくして)始めて掬に盈ち、日を尽して方て筐に満てり。幾びか曝し復た幾びか蒸し、用て三冬糧(冬三カ月の食糧)と作す」(皮目休「橡姐の嘆」)。

租税を納めると生活できない貧家の女たちは、ただ麦の落穂を拾って飢えをしのぐしかなかった。

「復た貧しき婦人有り、子を抱きて共の傍らに在り。右の手にて遺ちた穂を乗り、左の常には徹れたる筐を懸く……。家も田も税を輸めて尽き、此を拾いて飢えたる腸を充たす」(自居易「麦を刈るを観る」)。

また、ある貧苦の農婦は日傭いに出ねはならなかった。

「貧窮せる田舎の漠、……妻は即ち春梅に客わる」

「黄昏 家裏に到れば、米無く復た柴無し」(楊公磯『唐代民歌考釈及変文考論』第八簾、書林人民出版社、完六二年)。

山村の女の多くは柴を軟り、それを売って生活した。彼女たちは、

「乱蓬を贅となし布を巾と為し、暁に寒山を踏んで自ら薪を負う」(白居易「薪を売る女に代って諸妓に贈る」)。

大部分の女はすでに四、五十歳、頭髪は半ば白くなっているが、なお

「十に猶お八九は薪を負うて帰り、薪を売り銭を得て供給に当つ」。

彼女たちの生活はきわめで幸いものであり、心は悲しみと苦しみに満ちていた。

「面を救い首を飾るも噂の痕を雑じえ、地は編く衣は寒く石根に苦しむ」(杜甫「負薪行」)。

苛酷な労働、困難な生活は、彼女たちの青春の血と汗を消耗し尽くし、衣服はぼろぼろ、顔はやつれはてた。

「粉色は全く無く飢色加わる、山豆に人世に栄華有るを知らんや。年年 我に這う 蚕は辛苦なりと、底事ぞ 浮身に苧麻を着くるは」(杜荀鶴「蚕婦」)。

猛暑と風霜の苦しみをいやというほど味わったので、彼女たちの顔は黒く髪は赤茶けた。一年中あくせく働いたので、化粧を顧みることもできなかった。詩人によって描写された、ある里帰りの農婦の姿は次のように粗末なものであった。

「二升の酸館をば瓦瓶に盛り、姑婦に請い得たり十日の程。赤黒く眉を画き水に臨んで(水に顔を映して)笑い、草鞋もて脚を竜み風を逐って行く。黄ばめる糸のごとき髪は乱れて琉棟は繁く、青き符の裾は高く種掠は軽し」(種掠は意味不詳。張砧「戯れに村婦に贈る」)。

彼女たちは決して生れつき粗野で醜かったわけではない。ほかならぬ辛く苦労多い生活が早々と彼女たちの青春の輝きを奪い去ったのである。
 

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李白  擬古,十二首之一 #1

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。
(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

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 これは、主として、思婦の懐を叙したので、その実は、武を黷し、兵を弄するを謗ったのである。嚴滄浪は「音情甚だ長し」といひ、蕭士贇は「この篇、時に兵を窮め、武を黷し、行役期度なく、男女怨曠、その室家の情を逐ぐるを得ざるを傷み、時に感じて悲む、哀んで傷らす、怨んで誹らず、眞に國風の体あり、これ晦庵の謂わゆる詩に聖なるものか」といい、梅鼎祚は「古詩、相去日以遠、衣帯日以緩、太白、その語を約して日く、別彼羅帯長、と。謂わゆる延年善く減ず」といって居る。

 

年:       開元二十七年

寫作時間:           739

寫作年紀:           39

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之一

 

 

擬古,十二首之一 #1

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

青天何歷歷,明星如白石。

青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。

姑與織女,相去不盈尺。

そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。

銀河無鵲橋,非時將安適。

しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。

閨人理素,遊子悲行役。

閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

#2

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

(古に擬す,十二首の一) #1

青天 何ぞ歷歷たる,明星 白きこと石の如し。

黃姑と織女と,相い去ること 尺にた盈ず。

銀河に 鵲橋無く,時に非ずして 將に安くにか適かんとする。

閨人 紈素を理め,遊子 行役を悲しむ。

#2

瓶冰 冬寒を知り,霜露 遠客を欺く。

客は秋葉の飛ぶに似て,飄颻として歸るを言わず。

別後 羅帶長し,去時の衣を寬にせしむことを愁う。

月に乘じて 宵夢に託し,之に因って金徽に寄す。
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『擬古,十二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

擬古,十二首之一 #1

青天何歷歷,明星如白石。

黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。

閨人理紈素,遊子悲行役。
詩文(含異文)

青天何歷歷,明星如白石【明星白如石】。黃姑與織女,相去不盈尺。銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。


(下し文)
(古に擬す,十二首の一) #1

青天 何ぞ歷歷たる,明星 白きこと石の如し。

黃姑と織女と,相い去ること 尺にた盈ず。

銀河に 鵲橋無く,時に非ずして 將に安くにか適かんとする。

閨人 紈素を理め,遊子 行役を悲しむ。


(現代語訳)
(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。

そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。

しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。

閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 


(訳注)

擬古,十二首之一 #1

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

 

青天何歷歷,明星如白石。

青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。

歷歷 星が列をなせることをいう。

 

黃姑與織女,相去不盈尺。

そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。

黃姑 黃姑 — (黃姑, 黄姑) .牽牛星。 《玉臺新詠歌辭之一》:東飛伯勞西飛燕, 黃姑織女時相見。”

織女 神話伝説の中にみえる男女一対の神。おそらく元来は牽牛が男の仕事である農耕を,織女が女の仕事である養蚕紡織を象徴し,神話的宇宙観の中で二元構造をなす一対の神格であったものが,星座にも反映されたものであろう。星名は,牽牛がアルタイルAltair,織女がベガVega。この2神は,後には七夕(たなばた)の行事と結びついた恋愛譚の主人公となる。牽牛星と織女星とが並んで歌われる例はすでに《詩経》小雅・大東篇にみえるが,その背後にいかなる伝承があったのかはうかがいがたい。

 

銀河無鵲橋,非時將安適。

しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。

銀河 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

鵲橋 七夕の夜、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の契りの橋渡しのたとえにも用いる。烏鵲橋(うじゃくきょう)。《季 秋》2 宮中を天上になぞらえて、その殿舎の階段。

 

閨人理紈素,遊子悲行役。

閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

紈素 絹の衣を縫うことをいう。

278 《巻二十一48夜泊牛渚懷古【案:此地即謝尚聞袁宏詠史處。】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <278> Ⅰ李白詩1557 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6333

李白  夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】  

牛渚西江夜,青天無片雲。登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。明朝掛帆席,楓葉落紛紛。
(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)【この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である】大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言律詩

詩題:    夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

作地點:              牛渚山(江南西道 / 宣州 / 當塗)

及地點:              牛渚山 (江南西道 宣州 當塗)           

 

 

夜泊牛渚懷古

(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

(この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である)

牛渚西江夜,青天無片雲。

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

余亦能高詠,斯人不可聞。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

 

(夜牛渚に泊して懐古す)【此の地 即ち謝尚 袁宏詠史に聞く處なり。】
牛渚に西江の夜、青天、片雲なし。

舟に登って秋月を望み、空しく懐ふ謝将軍。

余、亦た高詠を能くす、斯人聞くべからす。

明朝、帆席をくれば、楓葉落ちて紛紛。

 

 

『夜泊牛渚懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

牛渚西江夜,青天無片雲。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。
夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】(含異文)

牛渚西江夜,青天無片雲。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。

明朝掛帆席【明朝洞庭去】,楓葉落紛紛【楓葉正紛紛】。


(下し文)
(夜牛渚に泊して懐古す)
牛渚に西江の夜、青天、片雲なし。

舟に登って秋月を望み、空しく懐ふ謝将軍。

余、亦た高詠を能くす、斯人聞くべからす。

明朝、帆席をくれば、楓葉落ちて紛紛。

 

(現代語訳)
(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である】

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 


(訳注)

夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【この地 即ち謝尚 袁宏詠史に聞く處なり。】(この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である)

牛渚山 安徽當塗縣西北二十里。一名采石。

謝尚 晋の鎮西將軍謝尚

袁虎:袁宏(西元328376),字伯,東晉陽夏(今河南省太康)人。有逸才,為桓溫記室,太元初,官東陽太守。有《後漢紀》、《竹林名士傳》等。袁宏詠史 《太平寰宇記》「牛渚山在太平州當塗縣北三十五里。突出江中、謂為牛渚磯。古津渡處也。」《輿地志》云「牛渚山、昔有人、潛行云:此處通洞庭、旁達無底。見有金牛狀異、乃驚怪而出。牛渚山北、謂之采石。按今對采石渡口、上有謝將軍祠。」

上有謝將軍祠、《淮南記》云:「呉初以周瑜屯牛渚晋鎮西將軍謝尚亦鎮此城袁宏時寄運船泊牛渚尚乗月泛江聞運船中諷詠遣問之卽宏誦其自作咏史詩於是大相嘆賞。」

 

牛渚西江夜,青天無片雲。

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

片雲 一片の雲だにという意。

 

登舟望秋月,空憶謝將軍。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

 

余亦能高詠,斯人不可聞。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

 

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

掛帆席 筵の帆を柱かける。 

277-#2 《巻二十一12郢門秋懷#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#2> Ⅰ李白詩1556 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6328

李白  郢門秋懷#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。
百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

277-#2 《巻二十一12郢門秋懷#2Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#2> Ⅰ李白詩1556 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6328

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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277-#2 《巻二十一12郢門秋懷#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#2> Ⅰ李白詩1556 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6328 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog7毛文錫《巻五11中興樂一首》『花間集』212全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6332 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    郢門秋懷

作地點:              荊州(江南東道 / 荊州 / 荊州)

及地點:              荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府             

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

 

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

清曠諧宿好,緇及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

 

(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇 此年に及ぶ。

#2

百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

 

 

『郢門秋懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

(下し文)
百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

(現代語訳)
百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.


(訳注)

郢門秋懷 #2

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

この詩は、秋、荊門に遊びしに因って、客中の情懐を叙したものである。

郢門 郢門は荊門。           荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府           

 

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

萬化 宇宙の現象の攣化して止まざること。

 

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

蒼梧帝 呉均の詩に「欲謁蒼梧帝、過間沅流湘姫」とあって、虞舜を指す。

溟海仙 十州記に「蓬莱山は、東海の東北岸に対し、周回五十里、外、別に圓海あって山をめぐる、圓海水甚だ黒く、而して、これを凕海という。風なくして、洪波百丈、得て往来すべからず。上に九老丈人、九天眞王宮あり、蓋し、太上眞人の居るところ、但だ飛仙能く其処に到るのみ」とある。溟海仙は、海中島上の神仙をいう。

 

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

蓬海淺 神仙傳に「麻姑云ふ、さきに-蓬莱に到りしに、水叉往日よりも浅し」とある。

三桃圓 漢武故事に「東海、一短人か送る、長五寸、衣冠具足、上、その精を疑い、東方朔を召して至る。朔、短人を呼んで日く、巨靈、阿母還り来るや否やと。短人対えず、因って、指して上に謂ふ、王母、桃も種うる三千年、―たび子を結ぶ。

この兒不良、すべて三たび過ぎて之を倫み、王母の意も失ひ、故に謫せられてここに来る、と。上大に驚き、はじめて朔の世中の人に非ざるを知るなり」とある。

 

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

 

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

五湖 今太湖の周辺にある。洞庭湖、鄱阳湖、太湖、巢湖、洪湖。

滄浪 あおあおとした波。蒼波(そうは)。(滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。滄海桑田。《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

濯足滄浪泉 《古風,五十九首之二十四》「世無洗耳翁。 誰知堯與跖。」(この手合いのものは格別の才能もないのに、ちょっと天子に気にいられて、富貴になったのであり、今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。
洗耳翁 太古堯帝の時の高士、許由のこと。責帝から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられた時、受けつけず、穎水の北にゆき隠居した。堯帝が又、かれを招いて九州の長にしようとしたら、かれは、こういう話は耳がけがれるといって、すぐさま川の水で耳を洗った。李白「迭裴十八図南歸山其二」紀頌之の漢詩 164  参照

 

 許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人ということ。高士傳 『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)
堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういう話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。

 

巢父・許由 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

《題元丹丘山居》

故人棲東山,自愛丘壑美。青春臥空林,白日猶不起。

松風清襟袖,石潭洗心耳。羨君無紛喧,高枕碧霞裡。

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李白  郢門秋懷 #1 

郢門一為客,巴月三成弦。朔風正搖落,行子愁歸旋。

杳杳山外日,茫茫江上天。人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

清曠諧宿好,緇磷及此年。・・・・・
(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)#1一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    郢門秋懷

作地點:              荊州(江南東道 / 荊州 / 荊州)

及地點:              荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府             

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

 

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

清曠諧宿好,緇及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

 

(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇 此年に及ぶ。

#2

百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

 

 

『郢門秋懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

郢門秋懷 #1

郢門一為客,巴月三成弦。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

杳杳山外日,茫茫江上天。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

清曠諧宿好,緇磷及此年。

(下し文)
(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇磷 此年に及ぶ。

(現代語訳)
(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)#1

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。


(訳注)

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

この詩は、秋、荊門に遊びしに因って、客中の情懐を叙したものである。

郢門 郢門は荊門。           荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府           

山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めたという。

725年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立った。詩は江陵で遊んでを去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。

 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍()お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。

 

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

三成弦 呉均の詩に「別離未幾日、高月三成弦とあるに本づく、上弦の月は7日前後の月ををいい、三たび上弦月を見たという義。。

 

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

朔風 「朔」は北の方角の意》北から吹く風。北風。《季 冬》

 

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

 

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

洞庭 洞庭湖、洞庭湖は、中華人民共和国湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。

瀟湘 瀟湘八景。瀟湘八景(しょうしょう はっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。瀟湘は単に風光明媚というだけではなく、かつては楚の中心地として栄え、伝説や神話に彩られた土地である。 かの有名な桃源郷の伝説もこの一帯から生まれた。 屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。二人の娘は次の皇帝舜帝の妃娥皇・女英となり、夫の舜が遠征の途中、湘江の畔で命を落とすと後を追って洞庭湖に身投げし、湘江の神となったという。後に二人は湘山に祀られた。戦国時代、この詩を詠んだ屈原自身もこの地を彷徨い、詩を詠み、ついには失意のうちに身を投じている。洞庭湖の畔に建つ岳陽楼には各地から文人が集い雅会を開いた。唐の張説、杜甫、宋代の范仲淹など多くの詩文がこの名勝の地で生まれた。

 

清曠諧宿好,緇磷及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

緇磷 すり減らされ黒ずむ。《論語·陽貨》「不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。」.李白《潁陽別元丹丘之淮陽》「悠悠市朝間,玉顏日緇磷。」かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

 

 

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼椿の帝に謁せむとするも、志逐げや、徒に海中に向つて、紳仙

を尋ねむとして居る。しかし、蓬莱の水でさへも、追追浅くnTり、三千年に一たび貰るといふ桃の三

たび熟するを見ることは、もとより六つかしい。そこで、剣に侍って浩款を増し、襟を撫でて、摘む

自ら憐むばかゎ。この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵薯か験し、泣く五湖に浮んで去り、

そして、足を愴渦の水に洗ふ外はない.

 

萬化 宇宙の現象の攣化して止まざること。

蒼梧帝 呉均の詩に「欲謁蒼梧帝、過間沅流湘姫」とあって、虞舜を指す。

 

溟海仙 十州記に「蓬莱山は、東海の東北岸に対し、周回五十里、外、別に圓海あって山をめぐる、圓海水甚だ黒く、而して、これを凕海という。風なくして、洪波百丈、得て往来すべからず。上に九老丈人、九天眞王宮あり、蓋し、太上眞人の居るところ、但だ飛仙能く其処に到るのみ」とある。溟海仙は、海中島上の神仙をいう。

蓬海淺 神仙傳に「麻姑云ふ、さきに-蓬莱に到りしに、水叉往日よりも浅し」とある。

三桃圓 漢武故事に「東海、一短人か送る、長五寸、衣冠具足、上、その精を疑い、東方朔を召して至る。朔、短人を呼んで日く、巨靈、阿母還り来るや否やと。短人対えず、因って、指して上に謂ふ、王母、桃も種うる三千年、―たび子を結ぶ。

この兒不良、すべて三たび過ぎて之を倫み、王母の意も失ひ、故に謫せられてここに来る、と。上大に驚き、はじめて朔の世中の人に非ざるを知るなり」とある。

五湖 今太湖の周辺にある。洞庭湖、鄱阳湖、太湖、巢湖、洪湖。

滄浪 あおあおとした波。蒼波(そうは)。(滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。滄海桑田。《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

276 《巻十九15與從姪杭州刺史良遊天竺寺》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <276>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1554 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6318

李白  與從姪杭州刺史良遊天竺寺  

掛席凌蓬丘,觀濤憩樟樓。三山動逸興,五馬同遨遊。

天竺森在眼,松風颯驚秋。覽雲測變化,弄水窮清幽。

疊嶂隔遙海,當軒寫歸流。詩成傲雲月,佳趣滿
(從姪であった杭州刺史李良と共に、天竺寺に遊んだ時に作ったもの)席の帆を掛けて、海上に浮び、遠く蓬莱を凌がんとして、観涛の豪を縦にし、やがて、樟亭に風流に休憩した。そうすれば、東海の三山には、逸輿を動かすことになり、ここに又、五馬を連ねて敖遊し、杭州を歴て、充分めぐったのである。すると、西湖から天竺寺の路の両側は、“九里松”が森然として眼中に在り、松風は、颯然として秋を感じて驚くばかり。そこで、寺へ往くと、雲水の景勝があって、雲に対しては変化を観るべく、水を弄しては、その上源にさかのぼって清幽を窮めた。重畳せる峰嶂は、遙かなる海を隔てて、翠黛を抱き、軒端に近く紆曲せる長流は、滾々としてそそいでいる。ここを楽しんでめぐる内に、詩成って、雪月に嘯傲すれば、佳趣、呉洲に満ちて、さすがに、棄て難き景致がある。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    與從姪杭州刺史良遊天竺寺

作地點: 杭州(江南東道 / 杭州 / 杭州)

及地點: 杭州 (江南東道 杭州 杭州)              

天竺寺 (江南東道 杭州 杭州)          

樟亭驛 (江南東道 杭州 錢塘(錢唐)) 別名:樟樓     

交遊人物:李良    當地交遊(江南東道 杭州 杭州)

 

 

與從姪杭州刺史良遊天竺寺

(從姪であった杭州刺史李良と共に、天竺寺に遊んだ時に作ったもの)

掛席凌蓬丘,觀濤憩樟樓。

席の帆を掛けて、海上に浮び、遠く蓬莱を凌がんとして、観涛の豪を縦にし、やがて、樟亭に風流に休憩した。

三山動逸興,五馬同遨遊。

そうすれば、東海の三山には、逸輿を動かすことになり、ここに又、五馬を連ねて敖遊し、杭州を歴て、充分めぐったのである。

天竺森在眼,松風颯驚秋。

すると、西湖から天竺寺の路の両側は、“九里松”が森然として眼中に在り、松風は、颯然として秋を感じて驚くばかり。

覽雲測變化,弄水窮清幽。

そこで、寺へ往くと、雲水の景勝があって、雲に対しては変化を観るべく、水を弄しては、その上源にさかのぼって清幽を窮めた。

疊嶂隔遙海,當軒寫歸流。

重畳せる峰嶂は、遙かなる海を隔てて、翠黛を抱き、軒端に近く紆曲せる長流は、滾々としてそそいでいる。

詩成傲雲月,佳趣滿洲。

ここを楽しんでめぐる内に、詩成って、雪月に嘯傲すれば、佳趣、呉洲に満ちて、さすがに、棄て難き景致がある。

 

從姪の杭州の刺史良と天竺寺に遊ぶ。

席を掛けて蓬丘を凌ぎ,濤を觀て樟樓に憩う。

三山 逸興を動かし,五馬 同じく遨遊。

天竺 森として 眼に在り,松風 颯として秋に驚く。

雲を覽て變化を測り,水を弄して清幽を窮む。

疊嶂 遙海を隔て,當軒 歸流を寫ぐ。

詩成って雲月に傲り,佳趣 洲に滿つ

 

江南東道 婺州 東陽00 

『與從姪杭州刺史良遊天竺寺』 現代語訳と訳註解説
(本文)
與從姪杭州刺史良遊天竺寺

掛席凌蓬丘,觀濤憩樟樓。

三山動逸興,五馬同遨遊。

天竺森在眼,松風颯驚秋。

覽雲測變化,弄水窮清幽。

疊嶂隔遙海,當軒寫歸流。

詩成傲雲月,佳趣滿

(下し文)
從姪の杭州の刺史良と天竺寺に遊ぶ。

席を掛けて蓬丘を凌ぎ,濤を觀て樟樓に憩う。

三山 逸興を動かし,五馬 同じく遨遊。

天竺 森として 眼に在り,松風 颯として秋に驚く。

雲を覽て變化を測り,水を弄して清幽を窮む。

疊嶂 遙海を隔て,當軒 歸流を寫ぐ。

詩成って雲月に傲り,佳趣 洲に滿つ


(現代語訳)
(從姪であった杭州刺史李良と共に、天竺寺に遊んだ時に作ったもの)

席の帆を掛けて、海上に浮び、遠く蓬莱を凌がんとして、観涛の豪を縦にし、やがて、樟亭に風流に休憩した。

そうすれば、東海の三山には、逸輿を動かすことになり、ここに又、五馬を連ねて敖遊し、杭州を歴て、充分めぐったのである。

すると、西湖から天竺寺の路の両側は、“九里松”が森然として眼中に在り、松風は、颯然として秋を感じて驚くばかり。

そこで、寺へ往くと、雲水の景勝があって、雲に対しては変化を観るべく、水を弄しては、その上源にさかのぼって清幽を窮めた。

重畳せる峰嶂は、遙かなる海を隔てて、翠黛を抱き、軒端に近く紆曲せる長流は、滾々としてそそいでいる。

ここを楽しんでめぐる内に、詩成って、雪月に嘯傲すれば、佳趣、呉洲に満ちて、さすがに、棄て難き景致がある。



(訳注)

與從姪杭州刺史良遊天竺寺

(從姪であった杭州刺史李良と共に、天竺寺に遊んだ時に作ったもの)

天竺寺 下天竺霊山寺

 この詩は、開元十七年(739)、李白が杭州剌史であった従姪の李良と天竺寺に遊んだ時の作とされる。先ず第二句て杭州の名勝として看潮の名所である樟樓(樟亭)が、第九・十句では天竺から眺望される海が描かれる一方、隣接する西醐への言及は見られない。李白は、行く先々の名称古跡を訪ねては「詩跡」を生み出していったという。その李白が、杭州を訪れながら西湖への言及を残していないということは、この時期に於ける西湖の景勝としての存在感を考える上で重要である。

 

掛席凌蓬丘,觀濤憩樟樓。

席の帆を掛けて、海上に浮び、遠く蓬莱を凌がんとして、観涛の豪を縦にし、やがて、樟亭に風流に休憩した。

蓬丘 神仙三山の蓬莱山。(方丈、瀛州)

樟樓 樟亭駅の駅樓、浙江亭のことである。錢唐江跨浦橋たもと南側にあった。

 

三山動逸興,五馬同遨遊。

そうすれば、東海の三山には、逸輿を動かすことになり、ここに又、五馬を連ねて敖遊し、杭州を歴て、充分めぐったのである。

三山 神仙三山の蓬莱、方丈、瀛州山。

五馬 太守は五頭立ての馬車が許されたので、太守のことをいう。

 

天竺森在眼,松風颯驚秋。

すると、西湖から天竺寺の路の両側は、“九里松”が森然として眼中に在り、松風は、颯然として秋を感じて驚くばかり。

天竺森在眼 西湖より、天竺寺の路の両側が古松林で、“九里松”という。

 

覽雲測變化,弄水窮清幽。

そこで、寺へ往くと、雲水の景勝があって、雲に対しては変化を観るべく、水を弄しては、その上源にさかのぼって清幽を窮めた。

 

疊嶂隔遙海,當軒寫歸流。

重畳せる峰嶂は、遙かなる海を隔てて、翠黛を抱き、軒端に近く紆曲せる長流は、滾々としてそそいでいる。

 

詩成傲雲月,佳趣滿洲。

ここを楽しんでめぐる内に、詩成って、雪月に嘯傲すれば、佳趣、呉洲に満ちて、さすがに、棄て難き景致がある。
a謝霊運永嘉ルート02 

275 《巻十七10送麴十少府》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <275> Ⅰ李白詩1553 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6313

李白  送麴十少府  

試發清秋興,因為會吟。碧雲斂海色,流水折江心。

我有延陵劍,君無陸賈金。艱難此為別,惆悵一何深。

(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    送麴十少府

及地點:              延陵 (江南東道 潤州 延陵)              

交遊人物:麴十

 

 

十少府

(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)

試發清秋興,因為會吟。

時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 

碧雲斂海色,流水折江心。

おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。

我有延陵劍,君無陸賈金。

この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。

艱難此為別,惆悵一何深。

されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。

 

(十少府を送る)

試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。

碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。

我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。

艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。

安史の乱当時の勢力図 

 

『送麴十少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送麴十少府

試發清秋興,因為會吟。

碧雲斂海色,流水折江心。

我有延陵劍,君無陸賈金。

艱難此為別,惆悵一何深。

(下し文)
(
麴十少府を送る)

試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。

碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。

我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。

艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。

(現代語訳)
(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)

時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 

おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。

この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。

されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。


(訳注)

送麴十少府

(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)

 

試發清秋興,因為會吟。

時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 

會 呉の国。いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。「史記」の始皇本紀、三十七年に「会稽山(浙江省紹興)に登って大禹(夏の商王)を祭り、南海を望んで石を立て、文字を刻んで秦の徳をたたえた」とある。杭州が中国南部統治の要衝地であった。その象徴ともいえる山が会稽山である。地図上での南は海南方面であるが李白の時代唐時は交通手段が川・運河であったためこの地を南としていた。李白《越女詞,五首之四》「東陽素足女,會稽素舸郎。相看月未墮,白地斷肝腸。」

120 《越女詞,五首之四》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <120> Ⅰ李白詩1300 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5048

李白《古風,五十九首之三》「銘功會稽嶺、騁望琅琊台。」

index-26-1-1 《古風五十九首之三》Ⅳ-1 747年天寶六年47歳 464index-26-1-1> Ⅰ李白詩1145 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4273

 

碧雲斂海色,流水折江心。

おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。

 

我有延陵劍,君無陸賈金。

この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。

延陵劍 李白 《陳情贈友人》「延陵有寶劍,價重千黃金。」延陵有寶劍 (呉王の子)季札が始めて、使者として(晋へ)赴く途中、北の徐の国を通った。徐君(徐の君主)は季札の剣を好ましく思ったが、口に出して敢えて欲しいとは言わなかった。また李札もその意を汲みながらも、使いする上国は礼儀の国で使者としての公務に(威儀を正すために)佩刀は必須、剣を差し上げることはできなかった。公務からの帰路に(徐君に譲ろうとして)、徐の国に至った。

ところが訪ねた時、徐君は既に死んでいた。季札は其の宝剣を解いて徐君の冢(墓)の樹に懸けて去ろうとした。従者は、「徐君は已に死んでいます、いったい誰(たれ)に予(あた)えるのですか?」季子は「そうではない。始めに来たとき私は、心中ですでに差し上げようと決めていたのだ。どうして死なれたからと言って自分の信の心に背くことができるだろうか。いやできない」と返答した。その後季札は延(えん)(りよう)に封ぜられ、延陵の季子とよばれた。

(延陵劍, 延陵) 劉向 《新序節士》載, 春秋 延陵季子 ( 公子 季札 )將出訪 晉國 帶寶劍經過 徐國 徐君 觀劍不言而色欲之。 延陵季子 為有 晉國 之使, 未即獻劍, 然心已許之。 及使 返, 徐君 已死。 於是乃以劍掛 徐君 墓樹而去。 後用為不忘故舊的典實。

(延陵劍) 漢の劉向 《新序節士》載す,「春秋の時、延陵の季子 (の公子 季札)將に出て晉國に訪ず ,寶劍を帶びて徐國を經過す, 徐君劍を觀て言わずしてその色之を欲す。 延陵 季子晉國に 之を使す有る為す, 未だ即ち劍を獻ぜず, 然り 心 已に之を許す。使いに及びに 晉に 返し, 而して 徐君 已に死す。是に於て 乃ち以て徐君 墓樹に劍を掛け 而して去る。徐人これを歌って日く、「延陵季子兮不忘故、脱千金之剣兮挂墳墓。」とある。

244-#1 《巻11-13 陳情贈友人 -#1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#1> Ⅰ李白詩1496 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6028

陸賈金 天下が平定された後の高祖十一年(紀元前196年)、陸賈は南越への使者に選ばれた。天下は疲弊しており、兵を動かさず説得によって南越王趙佗を従わせようとしていた。陸賈が南越へ到着すると、趙佗はもとどりを才槌型に結い両足を投げ出したまま陸賈を引見した。陸賈は趙佗に説いた。陸賈は趙佗の心をつかんだ。趙佗は陸賈を大いに気に入り、数ヶ月も陸賈を引き止めて酒宴を張った。趙佗は、「いままで越では共に語る者もいなかったが、陸先生が来られてからは毎日聞いたこともない話を聞かせていただいた。」と喜んだ。趙佗は陸賈に千金の財宝を与え、さらに千金を贈った。陸賈はついに趙佗を漢の南越王に任ずる儀式を行い、漢の臣として命に従う誓いを立てさせた

五人の息子が有り、そこで、越をして得たところの袋の中の装飾品を出して、一千金で売り、その子たちに二百金づつ分け、生産を為さしめた。

 

艱難此為別,惆悵一何深。

されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。

安史期のアジアssH 

 

(麴十少府を送る)

試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。

碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。

我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。

艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。

274 《卷十六11送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈(改訂)》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <274> Ⅰ李白詩1552 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6308

李白  送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈  

攜妓東山去,春光半道催。遙看若桃李,雙入鏡中開。

(おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、送別のために、たわむれにこの詩を作って贈ったものである。)おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、丁度、晉の大傳謝安の東山におけるがごとくである。そして会稽に赴く道中においては、春光次第に催し、まことに、良い時候で、その風興も謝安のように思われる。汝が携えている二人の妓女を遙かに看れば、さながら、赤い桃花と白い李花がさいて姸を競っているかのようだ、そして、鏡湖の中に入って、舟を浮かべての宴は、はなやかに開かれて、その風情はまたひとしおであろうけど、わたしは、はるかな長江流れにいる。
274 《卷十六11送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈(改訂)》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <274> Ⅰ李白詩1552 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6308

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七六              文體:    五言

詩題:    送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈

作地點:              會稽(江南東道 / 越州 / 會稽)

及地點:              會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰         

東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山               

交遊人物:李良  當地交遊(江南東道 越州 會稽)

 

 

送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈

(おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、送別のために、たわむれにこの詩を作って贈ったものである。)
攜妓東山去,春光半道催。

おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、丁度、晉の大傳謝安の東山におけるがごとくである。そして会稽に赴く道中においては、春光次第に催し、まことに、良い時候で、その風興も謝安のように思われる。
遙看若桃李,雙入鏡中開。

汝が携えている二人の妓女を遙かに看れば、さながら、赤い桃花と白い李花がさいて姸を競っているかのようだ、そして、鏡湖の中に入って、舟を浮かべての宴は、はなやかに開かれて、その風情はまたひとしおであろうけど、わたしは、はるかな長江流れにいる。
(姪良が二妓を携えて会稽に赴くを送り、戯れに「此の贈」有り)
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙【はるか】に看る 桃李の若く、双【ふたつ】ながら鏡中に入って開く。

 

 

『送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈

攜妓東山去,春光半道催。

遙看若桃李,雙入鏡中開。


(下し文)
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。

遙【はるか】に看る 桃李の若く、双【ふたつ】ながら鏡中に入って開く。


(現代語訳)

(おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、送別のために、たわむれにこの詩を作って贈ったものである。)
おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、丁度、晉の大傳謝安の東山におけるがごとくである。そして会稽に赴く道中においては、春光次第に催し、まことに、良い時候で、その風興も謝安のように思われる。

汝が携えている二人の妓女を遙かに看れば、さながら、赤い桃花と白い李花がさいて姸を競っているかのようだ、そして、鏡湖の中に入って、舟を浮かべての宴は、はなやかに開かれて、その風情はまたひとしおであろうけど、わたしは、はるかな長江流れにいる。
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(訳注)
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈
(姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り)
(おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、送別のために、たわむれにこの詩を作って贈ったものである。)
姪良 李白の甥の李良。くわしい事蹄はわからない。

会稽 いまの浙江省紹興市附近。このあたりは水郷で、たいへん景色がよい。
李白
憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270  
我今攜謝妓。 長嘯人群。 
欲報東山客。 開關掃白云

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を
つ。 
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

 

攜妓東山去。 春光半道催。 
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、丁度、晉の大傳謝安の東山におけるがごとくである。そして会稽に赴く道中においては、春光次第に催し、まことに、良い時候で、その風興も謝安のように思われる。
東山 紹興市の東の上虞県の西南にあり、晉の大傳謝安(字は安石)がここに隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亨の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。

携妓 謝安の故事をふまえる。

遙看若桃李。 雙入鏡中開。遙【はるか】に看る 桃李の若く、双【ふたつ】ながら鏡中に入って開く。
汝が携えている二人の妓女を遙かに看れば、さながら、赤い桃花と白い李花がさいて姸を競っているかのようだ、そして、鏡湖の中に入って、舟を浮かべての宴は、はなやかに開かれて、その風情はまたひとしおであろうけど、わたしは、はるかな長江流れにいる。
○若桃李 魏の曹植の詩に「南国に佳人有り、容華は桃李の若し」とある。

○鏡中開 会稽は山陰ともいわれるが、このあたりは山水がぅるわしく、白くかがやく水と翠の巌とが互に映発して、鏡のごとく、絵のようである。だから王孝之が言った。「山陰の路をあるいて行くのは、鏡の中に入って遊ぶようなものだ」と。なお、山陰には、鏡湖という湖がある。鏡、月、湖、妓女を示す語で、「鏡中開」ということは、性行為を意味するものである。
李白
對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135
狂客歸四明。 山陰道士迎。 
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。 
人亡余故宅。 空有荷花生。
念此杳如夢。 淒然傷我情。

李白『送賀賓客帰越 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137
『送賀賓客帰越』       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○ 

李白 93 春日酔起言志

李白 97 把酒問月

李白 112 游泰山六首(一作天寶元年四月從故御道上泰山)

裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164

題江夏修静寺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白197

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203

經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216

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273#2 《卷十五09送楊山人歸天台#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<273#2> Ⅰ李白詩1551 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6303

李白  送楊山人歸天台#2

我家小阮賢,剖竹赤城邊。詩人多見重,官燭未曾然。

興引登山屐,情催泛海船。石橋如可度,攜手弄雲煙。

竹林の七賢の一人で「小阮」とすれば、わが家系の李嘉裕種であるが、恰もその地に太守となって、天台山・赤城山のほとりに居るのである。性来、詩を能くするを以て、人に重んぜられ、叉、清廉以て性と為し、決して、官物を濫費することなどは無く、まことに、天晴の人物である。その上、風流の心がけもあって、興 至れば、古しえの謝靈運を学んで、登山の屐を著け、逸情に催されては、海上に舟を泛べて、波などは、少しも恐れない。かういふ人物であるから、君も交際されたらよいので、世に言われる天台の石橋が、若し渡れるならば、手を携えて、これを渡り、心静かに、渓山の雲煙を弄して、物外の楽しみをほしいままにしたら良かろう。

273#2 《卷十五09送楊山人歸天台#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<273#2> Ⅰ李白詩1551 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6303

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送楊山人歸天台

及地點:              天台山 (江南東道 台州 天台山)       

浦陽縣 (江南東道 婺州 浦陽縣)      

赤城山 (江南東道 台州 台州)          

交遊人物:楊山人              當地での交遊。

 

 

送楊山人歸天台

(送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

客有思天台,東行路超忽。

楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。

濤落浙江秋,沙明浦陽月。

その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。

今遊方厭楚,昨夢先歸越。

君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。

且盡秉燭歡,無辭凌晨發。

しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 

#2

我家小阮賢,剖竹赤城邊。

竹林の七賢の一人で「小阮」とすれば、わが家系の李嘉裕種であるが、恰もその地に太守となって、天台山・赤城山のほとりに居るのである。

詩人多見重,官燭未曾然。

性来、詩を能くするを以て、人に重んぜられ、叉、清廉以て性と為し、決して、官物を濫費することなどは無く、まことに、天晴の人物である。

興引登山屐,情催泛海船。

その上、風流の心がけもあって、興 至れば、古しえの謝靈運を学んで、登山の屐を著け、逸情に催されては、海上に舟を泛べて、波などは、少しも恐れない。

石橋如可度,攜手弄雲煙。

かういふ人物であるから、君も交際されたらよいので、世に言われる天台の石橋が、若し渡れるならば、手を携えて、これを渡り、心静かに、渓山の雲煙を弄して、物外の楽しみをほしいままにしたら良かろう。

 

(楊山人の天台に歸るを送る)

客に天台を思うあり、東行、路超忽。

涛は落つ浙江の秋、沙は明かに浦陽の月。

今遊、方に楚を厭い、昨夢、先ず越に歸る。

且つ秉燭の歓を盡す、辞する無かれ凌晨に発するを。

#2

我が家、小阮の賢、竹を剖く、赤城の邊。

詩人多く重んぜらる。官燭未だ曾て然やさず。

興は登山の屐を引き、情は泛海の船を催す。

石橋もし度るべくんば、手を携えて、雲煙を弄せよ。

江南東道 婺州 東陽00 

 

『送楊山人歸天台』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

我家小阮賢,剖竹赤城邊。

詩人多見重,官燭未曾然。

興引登山屐,情催泛海船。

石橋如可度,攜手弄雲煙。

(下し文) #2

我が家、小阮の賢、竹を剖く、赤城の邊。

詩人多く重んぜらる。官燭未だ曾て然やさず。

興は登山の屐を引き、情は泛海の船を催す。

石橋もし度るべくんば、手を携えて、雲煙を弄せよ。

(現代語訳) #2

竹林の七賢の一人で「小阮」とすれば、わが家系の李嘉裕種であるが、恰もその地に太守となって、天台山・赤城山のほとりに居るのである。

性来、詩を能くするを以て、人に重んぜられ、叉、清廉以て性と為し、決して、官物を濫費することなどは無く、まことに、天晴の人物である。

その上、風流の心がけもあって、興 至れば、古しえの謝靈運を学んで、登山の屐を著け、逸情に催されては、海上に舟を泛べて、波などは、少しも恐れない。

かういふ人物であるから、君も交際されたらよいので、世に言われる天台の石橋が、若し渡れるならば、手を携えて、これを渡り、心静かに、渓山の雲煙を弄して、物外の楽しみをほしいままにしたら良かろう。


(訳注) #2

送楊山人歸天台

 (送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

天台 天台山は、中国浙江省東部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。天台山の奇岩、洞窟などは、歴代の文人墨客や僧侶を引きつけてきた。唐代の詩人、僧の寒山はここに隠遁し、修業していたという。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住む景勝地の一つとされている。山上の済公院は、天台の人々が地元の賢人で、後世によく知られた済公和尚・李心遠をまつるために建てた寺である。

a謝霊運永嘉ルート02 

我家小阮賢,剖竹赤城邊。

竹林の七賢の一人で「小阮」とすれば、わが家系の李嘉裕種であるが、恰もその地に太守となって、天台山・赤城山のほとりに居るのである。

小阮賢 阮籍の姪阮咸、阮籍の兄の子、阮 咸(げん かん、生卒年不詳)は、竹林の七賢の一人。字は仲容。三国時代の魏および西晋の文人。陳留郡尉氏県(河南省開封市)の人。

また、伝説によりこの人が伝えたとされる4弦のリュート属撥弦楽器もその名を冠して「阮咸」と呼ばれる。

赤城邊 赤城は孫綽賦にある、天台山を代表する赤城山。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣

天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。

盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -337 

盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338

 

詩人多見重,官燭未曾然。

性来、詩を能くするを以て、人に重んぜられ、叉、清廉以て性と為し、決して、官物を濫費することなどは無く、まことに、天晴の人物である。

官燭 官より支給される燭蠟をいう、公私混同をしないことをいう。

 

興引登山屐,情催泛海船。

その上、風流の心がけもあって、興 至れば、古しえの謝靈運を学んで、登山の屐を著け、逸情に催されては、海上に舟を泛べて、波などは、少しも恐れない。

登山屐 ゲタのような木製の履き物。謝霊運は山歩きが好きで、登る時には木履の前歯をはずし、下る時には後の歯をはずして使ったという。(『南史』巻十九「謝霊運伝」)。

李白《夢遊天姥吟留別》「著謝公屐。 身登青云梯。」

夢遊天姥吟留別 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

泛海 晉書 「嘗與孫綽等泛海,風起浪湧,諸人並懼,安吟嘯自若。舟人以安為悅,猶去不止。風轉急,安徐曰:「如此將何歸邪?」舟人承言即回。眾咸服其雅量。」(嘗て孫綽等と海に泛び,風起り浪湧き,諸人並びに懼る,安 吟嘯し自若たり。舟人 安を以て悅ぶと為し,猶お去って止まず。風 轉た急なり,安 徐に曰く:「此の如きは將に何にか歸らんとす?」と。舟人 言を承けて即ち回る。眾 咸 其の雅量に服す。)

 

石橋如可度,攜手弄雲煙。

かういふ人物であるから、君も交際されたらよいので、世に言われる天台の石橋が、若し渡れるならば、手を携えて、これを渡り、心静かに、渓山の雲煙を弄して、物外の楽しみをほしいままにしたら良かろう。

孟浩然《舟中曉望》

掛席東南望,青山水國遙。

舳艫爭利涉,來往接風潮。

問我今何去,天臺訪石橋。

坐看霞色曉,疑是赤城標。

(舟中にて曉に望む)

席を掛けて東南に望めば、青山 水國 遙かなり。

舳艫 利渉を爭ひ、來往 風潮に接す。

我に問ふ 今何くに去ると、天台に石橋を訪ねんとす。

坐く看る霞色の曉、疑ふらくは是れ赤城の標か。

盛唐詩 舟中曉望 孟浩然 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -332

李白の足跡003 

 

(楊山人の天台に歸るを送る)

客に天台を思うあり、東行、路超忽。

涛は落つ浙江の秋、沙は明かに浦陽の月。

今遊、方に楚を厭い、昨夢、先ず越に歸る。

且つ秉燭の歓を盡す、辞する無かれ凌晨に発するを。

 

我が家、小阮の賢、竹を剖く、赤城の邊。

詩人多く重んぜらる。官燭未だ曾て然やさず。

興は登山の屐を引き、情は泛海の船を催す。

石橋もし度るべくんば、手を携えて、雲煙を弄せよ。

273#1 《卷十五09送楊山人歸天台#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<273#1> Ⅰ李白詩1550 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6298

李白  送楊山人歸天台  

客有思天台,東行路超忽。濤落浙江秋,沙明浦陽月。

今遊方厭楚,昨夢先歸越。且盡秉燭歡,無辭凌晨發。
 (送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送楊山人歸天台

及地點:              天台山 (江南東道 台州 天台山)       

浦陽縣 (江南東道 婺州 浦陽縣)      

赤城山 (江南東道 台州 台州)          

交遊人物:楊山人              當地での交遊。

 

 

送楊山人歸天台

(送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

客有思天台,東行路超忽。

楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。

濤落浙江秋,沙明浦陽月。

その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。

今遊方厭楚,昨夢先歸越。

君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。

且盡秉燭歡,無辭凌晨發。

しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 

#2

我家小阮賢,剖竹赤城邊。

詩人多見重,官燭未曾然。

興引登山屐,情催泛海船。

石橋如可度,攜手弄雲煙。

 

(楊山人の天台に歸るを送る)

客に天台を思うあり、東行、路超忽。

涛は落つ浙江の秋、沙は明かに浦陽の月。

今遊、方に楚を厭い、昨夢、先ず越に歸る。

且つ秉燭の歓を盡す、辞する無かれ凌晨に発するを。

 

我が家、小阮の賢、竹を剖く、赤城の邊。

詩人多く重んぜらる。官燭未だ曾て然やさず。

興は登山の屐を引き、情は泛海の船を催す。

石橋もし度るべくんば、手を携えて、雲煙を弄せよ。

 

 

『送楊山人歸天台』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送楊山人歸天台

客有思天台,東行路超忽。

濤落浙江秋,沙明浦陽月。

今遊方厭楚,昨夢先歸越。

且盡秉燭歡,無辭凌晨發。

(下し文)
(楊山人の天台に歸るを送る)

客に天台を思うあり、東行、路超忽。

涛は落つ浙江の秋、沙は明かに浦陽の月。

今遊、方に楚を厭い、昨夢、先ず越に歸る。

且つ秉燭の歓を盡す、辞する無かれ凌晨に発するを。

(現代語訳)
(送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。

その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。

君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。

しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 


(訳注)

送楊山人歸天台

 (送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

天台 天台山は、中国浙江省東部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。天台山の奇岩、洞窟などは、歴代の文人墨客や僧侶を引きつけてきた。唐代の詩人、僧の寒山はここに隠遁し、修業していたという。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住む景勝地の一つとされている。山上の済公院は、天台の人々が地元の賢人で、後世によく知られた済公和尚・李心遠をまつるために建てた寺である。

 

客有思天台,東行路超忽。

楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。

超忽 遠くの姿、遠景。

 

濤落浙江秋,沙明浦陽月。

その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。

浙江 浙江は杭州錢唐縣の南十二里にある。

浦陽 西施の生まれ故郷は現在の諸曁市、浦陽江の岸辺である。その浦陽江を下ると銭塘江にぶっかりその

西施の生まれ故郷は現在の諸曁市、浦陽江の岸辺である。その浦陽江を下ると銭塘江にぶっかりその直後に西湖かあり、杭州湾にそそがれている。越の都会稽(現在の紹興市)から呉の都姑蘇(現在の蘇州市)を往来するには杭州湾か邪魔をして必ず西湖のあたりを通らなければならない。呉王夫差の寵妃になった後、里帰りする場合、陸路で苧羅村(現在の諸曁市)へ行くには西湖を通るし、水路を使う場合でも銭塘江から浦陽江を上ったはずである。そのように考えると西施は西湖を知っていると考えるのか極めて自然である。

 

今遊方厭楚,昨夢先歸越。

君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。

 

且盡秉燭歡,無辭凌晨發。

しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 

秉燭歡 漢の無名氏 西門行「晝短而夜長、何不秉燭游。」秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)

西門行 漢の無名氏 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

李白《古風五十九首 其二十三》「三萬六千日、夜夜當秉燭。」限りない欲望をもってこの難しい浮世にいたとして、果たして何の楽しみがあろうか、それよりも、この世間のことは、良い加減にしておいて、三万六千日、乃ち、生きている百年の間、夜ごと夜ごとに、燈火をかかげて酒盛りをし、楽しくすごすことが第一である。

23-#2 《古風五十九首之二十三》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420古風,五十九首之二十三秋露白如玉, <23-#2> Ⅰ李白詩1180 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4448

《卷13-13江上寄元六林宗#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<272#2> Ⅰ李白詩1549 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6293

李白  江上寄元六林宗#2

涼風何蕭蕭,流水鳴活活。浦沙淨如洗,海月明可蘭交空懷思,瓊樹詎解渴。勗哉滄洲心,晚庶不奪。幽賞頗自得,興遠與誰豁。

時しも、涼風蕭蕭として吹き来たり、穎水の汚れないながれる水音は、活活として聞える。その邊一帯は、浦上の白沙、浄くして、さながら洗うが如く、海上より差し上る明月の影は、円かにして、拾い取ることも出来そうである。かくて、その臭い蘭の如しというような交誼を結んで居た君の事を懐えば、わが心、渇するが如く、そして、瓊樹の仙藥を以てするも、これを医薬とすることは出きない。われは、この世を去って、滄洲に浮びたいという出世間的願望を持って居るが、この上とも、自重するが善いので、いくら、老年に成っても、その志は奪われずに、依然として居たいものである。かくて、天然の好景を見るにつけて、幽賞おかず、心に自得すれば、淸興自ら遠く、ただ誰かと共にして、此胸を豁開すれば、なお更面白かろうといふので、是非君と一緒に居たいと思うばからである。 272#2 《卷13-13江上寄元六林宗#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<272#2> Ⅰ李白詩1549 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6293 

 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七三              文體:    五言古詩

詩題:    江上寄元六林宗

交遊人物:元丹丘                書信往來(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

江上寄元六林宗  #1

(都畿道 河南府 潁陽にいる元丹丘に逸興を共にしたいものと寄せたもの)

霜落江始寒,楓葉綠未

大江の上に広がる天河、霜落ちること早く、水は既に寒くなったが、楓樹の葉は、緑のまま、まだ紅葉もしない。

客行悲清秋,永路苦不達。

われは、旅の身であるから、清秋に逢うことを悲み、そして、駅路は長くして、まだ目的地に到著しない。

滄波眇川汜,白日隱天末。

渺渺たる滄波は、入江に漲り、白日は、天末に隠れて、やがて日暮に成った。

停棹依林巒,驚猿相叫聒。

その時、棹を停め、林巒に傍うて、舟を停泊すれば、猿は驚いて、囂しげに啼き出す。

夜分河漢轉,起視溟漲闊。

夜中になると、天の河は、轉じて西にうつり、起って、仰ぎ視れば、本当に水が黒く漲って居るように見える。

  #2

涼風何蕭蕭,流水鳴活活。

時しも、涼風蕭蕭として吹き来たり、穎水の汚れないながれる水音は、活活として聞える。

浦沙淨如洗,海月明可

その邊一帯は、浦上の白沙、浄くして、さながら洗うが如く、海上より差し上る明月の影は、円かにして、拾い取ることも出来そうである。

蘭交空懷思,瓊樹

かくて、その臭い蘭の如しというような交誼を結んで居た君の事を懐えば、わが心、渇するが如く、そして、瓊樹の仙藥を以てするも、これを医薬とすることは出きない。

勗哉滄洲心,庶不奪。

われは、この世を去って、滄洲に浮びたいという出世間的願望を持って居るが、この上とも、自重するが善いので、いくら、老年に成っても、その志は奪われずに、依然として居たいものである。

幽賞頗自得,興遠與誰豁。

かくて、天然の好景を見るにつけて、幽賞おかず、心に自得すれば、淸興自ら遠く、ただ誰かと共にして、此胸を豁開すれば、なお更面白かろうといふので、是非君と一緒に居たいと思うばからである。 

 

(江上、元六林宗に寄す) #1

霜、落ちて、江、始めて塞く、楓葉、緑未だ脱せず。

客行、清秋を悲む、永路、達せざるに苦む。

滄波 川汜眇たり,白日 天末隱たり。

棹を停めて 林巒に依り,驚猿 相い 叫聒【きょうかつ】。

夜分 河漢 轉じ,起って視れば 溟漲 闊し。

#2

涼風 何ぞ 蕭蕭たる、流水 鳴って活活。

浦沙淨くして、洗ふが如く、海月、明、すべし。

蘭交空しく思を懐き、瓊樹んぞ、渇を解かむ。

勗【つと】めよ哉 滄洲の心, 庶わくば 奪わず。

幽賞 頗る自得,興 遠くして 誰れと豁せん。

 

 

『江上寄元六林』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

涼風何蕭蕭,流水鳴活活。

浦沙淨如洗,海月明可

蘭交空懷思,瓊樹詎解渴。

勗哉滄洲心,晚庶不奪。

幽賞頗自得,興遠與誰豁。


(下し文)
#2

涼風 何ぞ 蕭蕭たる、流水 鳴って活活。

浦沙淨くして、洗ふが如く、海月、明、すべし。

蘭交空しく思を懐き、瓊樹詎んぞ、渇を解かむ。

勗【つと】めよ哉 滄洲の心,晚 庶わくば 奪わず。

幽賞 頗る自得,興 遠くして 誰れと豁せん。

(現代語訳)
時しも、涼風蕭蕭として吹き来たり、穎水の汚れないながれる水音は、活活として聞える。

その邊一帯は、浦上の白沙、浄くして、さながら洗うが如く、海上より差し上る明月の影は、円かにして、拾い取ることも出来そうである。

かくて、その臭い蘭の如しというような交誼を結んで居た君の事を懐えば、わが心、渇するが如く、そして、瓊樹の仙藥を以てするも、これを医薬とすることは出きない。

われは、この世を去って、滄洲に浮びたいという出世間的願望を持って居るが、この上とも、自重するが善いので、いくら、老年に成っても、その志は奪われずに、依然として居たいものである。

かくて、天然の好景を見るにつけて、幽賞おかず、心に自得すれば、淸興自ら遠く、ただ誰かと共にして、此胸を豁開すれば、なお更面白かろうといふので、是非君と一緒に居たいと思うばからである。 



(訳注) #2

江上寄元六林宗  

(都畿道 河南府 潁陽にいる元丹丘に逸興を共にしたいものと寄せたもの)

元丹丘は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を15編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首+二首である。

 

涼風何蕭蕭,流水鳴活活。

時しも、涼風蕭蕭として吹き来たり、穎水の汚れないながれる水音は、活活として聞える。

活活 ながれる水音は、活活として聞える。

 

浦沙淨如洗,海月明可掇。

その邊一帯は、浦上の白沙、浄くして、さながら洗うが如く、海上より差し上る明月の影は、円かにして、拾い取ることも出来そうである。

浦沙 浦上の白沙。許由・巣父とも中国の伝説的高士で,許由は帝堯の国を譲るとの申し出に対し耳が汚れたと言って水で洗い,巣父はそのため川の水が汚れたと言って牛に水を飲ませず帰ったという。

掇 ひろいとる。

 

蘭交空懷思,瓊樹詎解渴。

かくて、その臭い蘭の如しというような交誼を結んで居た君の事を懐えば、わが心、渇するが如く、そして、瓊樹の仙藥を以てするも、これを医薬とすることは出きない。

○瓊樹 玉のようにきれいな樹木。仙境の樹木。王宮の宮殿の樹木。 

 

勗哉滄洲心,晚庶不奪。

われは、この世を去って、滄洲に浮びたいという出世間的願望を持って居るが、この上とも、自重するが善いので、いくら、老年に成っても、その志は奪われずに、依然として居たいものである。

 

幽賞頗自得,興遠與誰豁。

かくて、天然の好景を見るにつけて、幽賞おかず、心に自得すれば、淸興自ら遠く、ただ誰かと共にして、此胸を豁開すれば、なお更面白かろうといふので、是非君と一緒に居たいと思うばからである。 

272#1 《卷13-13江上寄元六林宗#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<272#1> Ⅰ李白詩1548 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6288

李白  江上寄元六林宗  #1

霜落江始寒,楓葉綠未客行悲清秋,永路苦不達。滄波眇川汜,白日隱天末。停棹依林巒,驚猿相叫聒。夜分河漢轉,起視溟漲闊。
(都畿道 河南府 潁陽にいる元丹丘に逸興を共にしたいものと寄せたもの)大江の上に広がる天河、霜落ちること早く、水は既に寒くなったが、楓樹の葉は、緑のまま、まだ紅葉もしない。われは、旅の身であるから、清秋に逢うことを悲み、そして、駅路は長くして、まだ目的地に到著しない。渺渺たる滄波は、入江に漲り、白日は、天末に隠れて、やがて日暮に成った。その時、棹を停め、林巒に傍うて、舟を停泊すれば、猿は驚いて、囂しげに啼き出す。夜中になると、天の河は、轉じて西にうつり、起って、仰ぎ視れば、本当に水が黒く漲って居るように見える。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七三              文體:    五言古詩

詩題:    江上寄元六林宗

交遊人物:元丹丘                書信往來(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

江上寄元六林宗  #1

(都畿道 河南府 潁陽にいる元丹丘に逸興を共にしたいものと寄せたもの)

霜落江始寒,楓葉綠未

大江の上に広がる天河、霜落ちること早く、水は既に寒くなったが、楓樹の葉は、緑のまま、まだ紅葉もしない。

客行悲清秋,永路苦不達。

われは、旅の身であるから、清秋に逢うことを悲み、そして、駅路は長くして、まだ目的地に到著しない。

滄波眇川汜,白日隱天末。

渺渺たる滄波は、入江に漲り、白日は、天末に隠れて、やがて日暮に成った。

停棹依林巒,驚猿相叫聒。

その時、棹を停め、林巒に傍うて、舟を停泊すれば、猿は驚いて、囂しげに啼き出す。

夜分河漢轉,起視溟漲闊。

夜中になると、天の河は、轉じて西にうつり、起って、仰ぎ視れば、本当に水が黒く漲って居るように見える。

  #2

涼風何蕭蕭,流水鳴活活。

浦沙淨如洗,海月明可掇。

蘭交空懷思,瓊樹詎解渴。

勗哉滄洲心,晚庶不奪。

幽賞頗自得,興遠與誰豁。

 

(江上、元六林宗に寄す) #1

霜、落ちて、江、始めて塞く、楓葉、緑未だ脱せず。

客行、清秋を悲む、永路、達せざるに苦む。

滄波 川汜眇たり,白日 天末隱たり。

棹を停めて 林巒に依り,驚猿 相い 叫聒【きょうかつ】。

夜分 河漢 轉じ,起って視れば 溟漲 闊し。

#2

涼風 何ぞ 蕭蕭たる、流水 鳴って活活。

浦沙淨くして、洗ふが如く、海月、明、掇すべし。

蘭交空しく思を懐き、瓊樹詎んぞ、渇を解かむ。

勗【つと】めよ哉 滄洲の心,晚 庶わくば 奪わず。

幽賞 頗る自得,興 遠くして 誰れと豁せん。

 

李白の足跡0000 

『江上寄元六林宗』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江上寄元六林宗  #1

霜落江始寒,楓葉綠未

客行悲清秋,永路苦不達。

滄波眇川汜,白日隱天末。

停棹依林巒,驚猿相叫聒。

夜分河漢轉,起視溟漲闊。

(下し文)
(江上、元六林宗に寄す) #1

霜、落ちて、江、始めて塞く、楓葉、緑未だ脱せず。

客行、清秋を悲む、永路、達せざるに苦む。

滄波 川汜眇たり,白日 天末隱たり。

棹を停めて 林巒に依り,驚猿 相い 叫聒【きょうかつ】。

夜分 河漢 轉じ,起って視れば 溟漲 闊し。

(現代語訳)
(都畿道 河南府 潁陽にいる元丹丘に逸興を共にしたいものと寄せたもの)

大江の上に広がる天河、霜落ちること早く、水は既に寒くなったが、楓樹の葉は、緑のまま、まだ紅葉もしない。

われは、旅の身であるから、清秋に逢うことを悲み、そして、駅路は長くして、まだ目的地に到著しない。

渺渺たる滄波は、入江に漲り、白日は、天末に隠れて、やがて日暮に成った。

その時、棹を停め、林巒に傍うて、舟を停泊すれば、猿は驚いて、囂しげに啼き出す。

夜中になると、天の河は、轉じて西にうつり、起って、仰ぎ視れば、本当に水が黒く漲って居るように見える。


(訳注)

江上寄元六林宗  #1

(都畿道 河南府 潁陽にいる元丹丘に逸興を共にしたいものと寄せたもの)

元丹丘は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を15編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首+二首である。

 

霜落江始寒,楓葉綠未

大江の上に広がる天河、霜落ちること早く、水は既に寒くなったが、楓樹の葉は、緑のまま、まだ紅葉もしない。

 

客行悲清秋,永路苦不達。

われは、旅の身であるから、清秋に逢うことを悲み、そして、駅路は長くして、まだ目的地に到著しない。

永路 駅路、水路。長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。

 

滄波眇川汜,白日隱天末。

渺渺たる滄波は、入江に漲り、白日は、天末に隠れて、やがて日暮に成った。

川汜 河川から分かれた水流が再び合流する、行き止まりの溝。《爾雅·釋水》水决復入爲汜。《疏》凡水之岐流復還本水者。《釋名》汜,止也。如出有所爲畢已復還而入也。 又《文》一曰汜,窮瀆也。」〔説文解字・巻十一〕に「水、別れて復た水に入るなり。一に曰く、汜、窮する瀆なり。水に从ひ巳聲」とある、《詩経、召南、江有汜》「江有汜、之子歸、不我以。 不我以、其後也悔。〔詩経・召南〕から「江に汜有り」

 

停棹依林巒,驚猿相叫聒。

その時、棹を停め、林巒に傍うて、舟を停泊すれば、猿は驚いて、囂しげに啼き出す。

林巒 樹林與峰巒。 泛指山林。

常建《西山》「物象歸餘清,林巒分夕麗。」(物象余清に帰きし、林巒夕麗を 分つ。) 林巒 林や山の峰。 夕麗 夕焼けの美しさ。 物象 万物の姿。余清 すがすがしさの影響。常健(708年-765年)は、中国・唐の詩人。長安の人と伝えられるが、詳細不明。 開元15年の進士で、盱眙の尉となったが、昇進が遅いのに不満を持ち、隠者の生活に憧れて、名山を歩き回った。あるとき山中で仙人のような女に会い、術を授かったと言われ、晩年は鄂渚に隠棲し、王昌齢らを招いて、自由な生活を送った。

 

夜分河漢轉,起視溟漲闊。

夜中になると、天の河は、轉じて西にうつり、起って、仰ぎ視れば、本当に水が黒く漲って居るように見える。

夜分 夜半時。《文選.曹植.上責躬應詔詩表》:「晝分而食,夜分而寢。」とあり、宋.無名氏《梅妃傳》:「梅開賦賞,至夜分尚顧戀花下不能去。」 とある。

溟漲闊 水がひろく黒く漲って居る。

271#2 《卷12-16月夜江行寄崔員外宗之#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<271#2> Ⅰ李白詩1547 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6283

李白  月夜江行寄崔員外宗之#2

歸路方浩浩,徂川去悠悠。徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。懷君不可見,望遠增離憂。
この時、大親友である君のことを懐えども、互いの間が千里も隔てていては、見ることはできないが、この素晴らしい景色の中に在って、遠天を望みながら、別離の憂いは增すばかりである。

 

271#2 《卷12-16月夜江行寄崔員外宗之#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<271#2> Ⅰ李白詩1547 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6283

 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    月夜江行寄崔員外宗之

交遊人物:崔成輔              書信往來

 

 

月夜江行寄崔員外宗之 #1

(この詩は、月夜、揚子江を航行し、員外部の雀宗之に寄せたもの)

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。

諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。

登艫美清夜,掛席移輕舟。

その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。

月隨碧山轉,水合青天流。

すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。

杳如星河上,但覺雲林幽。

杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 

#2

歸路方浩浩,徂川去悠悠。

かくて、行く川の流れは、浩浩としてながれ、本の水ではないのである。歸らむとすれば、水は悠悠として、さながら、際涯などないように流れるのである。

徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

頃しも秋、岸上の蕙草も次第に凋まんと色づいていくと悲んでしまう、そうなると、又、菱の実を采る歌を聞いて、愈よ 愁を催すばかりである。

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。

江岸は頻りに曲折し、下流の浦湾は、何処が下流かとも見えず、沙浜は明かにして、前側の洲渚のみは、はっきりと見える。

懷君不可見,望遠增離憂。

この時、大親友である君のことを懐えども、互いの間が千里も隔てていては、見ることはできないが、この素晴らしい景色の中に在って、遠天を望みながら、別離の憂いは增すばかりである。

 

(月夜江行 崔員外宗之に寄す)

飄飄として江風起り、蕭颯たり 海樹の秋。

艫に登って、清夜を美とし、席を掛けて、軽舟を移す。

月は碧山に随って轉じ、水は青天に合して流る。

杳として、星河の上の如く、但だ雲林の幽なるを覚ゆ。

 

帰路、方に浩浩,徂川 去って悠悠。

徒らに蕙草の歇むを悲しみ,復た、菱歌を聽いて愁う。

岸は曲り 後浦に迷い,沙は明かにして 前洲を瞰る。

君を懷えども 見る可からず,遠きを望んで 離憂を增す。

 

唐時代 地図615 長江下流域 

『月夜江行寄崔員外宗之』 #2 現代語訳と訳註解説
(本文) #2

歸路方浩浩,徂川去悠悠。

徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。

懷君不可見,望遠增離憂。

(下し文)
帰路、方に浩浩,徂川 去って悠悠。

徒らに蕙草の歇むを悲しみ,復た、菱歌を聽いて愁う。

岸は曲り 後浦に迷い,沙は明かにして 前洲を瞰る。

君を懷えども 見る可からず,遠きを望んで 離憂を增す。

(現代語訳)
かくて、行く川の流れは、浩浩としてながれ、本の水ではないのである。歸らむとすれば、水は悠悠として、さながら、際涯などないように流れるのである。

頃しも秋、岸上の蕙草も次第に凋まんと色づいていくと悲んでしまう、そうなると、又、菱の実を采る歌を聞いて、愈よ 愁を催すばかりである。

江岸は頻りに曲折し、下流の浦湾は、何処が下流かとも見えず、沙浜は明かにして、前側の洲渚のみは、はっきりと見える。

この時、大親友である君のことを懐えども、互いの間が千里も隔てていては、見ることはできないが、この素晴らしい景色の中に在って、遠天を望みながら、別離の憂いは增すばかりである。


(訳注) #2

月夜江行寄崔員外宗之 #2

(この詩は、月夜、揚子江を航行し、員外部の雀宗之に寄せたもの)

江天の夜景を詠って、頗る次第あって、これまでの詩と、全く重複する所がないのは、流石にその筆力を見る傑作である。結句二句は、題面の正意である。

崔宗之 宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。(崔宗之〔唐〕名成輔,以字行,滑州靈昌(今河南滑縣)人。日用子,襲封齊國公。好學,寬博有風檢,與李白、杜甫以文相知。)

李白《卷9-06贈崔郎中宗之#3》

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

杜甫《卷二01飲中八仙歌》「宗之蕭灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。瀟灑 さっぱりしたさま。腸 さかずき。白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。 しろいさま。玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。臨風前 風の前に立っている。

員外 官名。前の詩に《卷9-06贈崔郎中宗之》。とあり、この詩に員外とあるから、員外郎であり、郎中の補佐役、本来は郎中の定員外の官という意。

 

歸路方浩浩,徂川去悠悠。

かくて、行く川の流れは、浩浩としてながれ、本の水ではないのである。歸らむとすれば、水は悠悠として、さながら、際涯などないように流れるのである。

 

徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

頃しも秋、岸上の蕙草も次第に凋まんと色づいていくと悲んでしまう、そうなると、又、菱の実を采る歌を聞いて、愈よ 愁を催すばかりである。

菱歌 府清商曲名。又称《采菱歌》、《采菱曲》。南朝宋鮑照《采菱歌之一》「簫弄澄湘北, 菱歌清漢南。

 

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。

江岸は頻りに曲折し、下流の浦湾は、何処が下流かとも見えず、沙浜は明かにして、前側の洲渚のみは、はっきりと見える。

 

懷君不可見,望遠增離憂。

この時、大親友である君のことを懐えども、互いの間が千里も隔てていては、見ることはできないが、この素晴らしい景色の中に在って、遠天を望みながら、別離の憂いは增すばかりである。

離憂 別離の憂い。
李白の足跡003 

271#1 《卷12-16月夜江行寄崔員外宗之#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<271#1> Ⅰ李白詩1546 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6278

李白《卷12-16 月夜江行寄崔員外宗之#1》

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。登艫美清夜,掛席移輕舟。

月隨碧山轉,水合青天流。杳如星河上,但覺雲林幽。
諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 

271#1 《卷12-16月夜江行寄崔員外宗之#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<271#1> Ⅰ李白詩1546 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6278

 
 2015年7月10日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    月夜江行寄崔員外宗之

交遊人物:崔成輔              書信往來

 

 

月夜江行寄崔員外宗之 #1

(この詩は、月夜、揚子江を航行し、員外部の雀宗之に寄せたもの)

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。

諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。

登艫美清夜,掛席移輕舟。

その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。

月隨碧山轉,水合青天流。

すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。

杳如星河上,但覺雲林幽。

杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 

#2

歸路方浩浩,徂川去悠悠。

徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。

懷君不可見,望遠增離憂。

 

(月夜江行 崔員外宗之に寄す)

飄飄として江風起り、蕭颯たり 海樹の秋。

艫に登って、清夜を美とし、席を掛けて、軽舟を移す。

月は碧山に随って轉じ、水は青天に合して流る。

杳として、星河の上の如く、但だ雲林の幽なるを覚ゆ。

帰路、方に浩浩,徂川 去って悠悠。

徒らに蕙草の歇むを悲しみ,復た、菱歌を聽いて愁う。

岸は曲り 後浦に迷い,沙は明かにして 前洲を瞰る。

君を懷えども 見る可からず,遠きを望んで 離憂を增す。

 

 

『月夜江行寄崔員外宗之』 #1 現代語訳と訳註解説
(
本文)

《卷12-16 月夜江行寄崔員外宗之#1》

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。登艫美清夜,掛席移輕舟。

月隨碧山轉,水合青天流。杳如星河上,但覺雲林幽。

(下し文)
(月夜江行 崔員外宗之に寄す)

飄飄として江風起り、蕭颯たり 海樹の秋。

艫に登って、清夜を美とし、席を掛けて、軽舟を移す。

月は碧山に随って轉じ、水は青天に合して流る。

杳として、星河の上の如く、但だ雲林の幽なるを覚ゆ。

(現代語訳)
諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。

その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。

すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。

杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 



(訳注)

月夜江行寄崔員外宗之 #1

(この詩は、月夜、揚子江を航行し、員外部の雀宗之に寄せたもの)

崔宗之 宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。(崔宗之〔唐〕名成輔,以字行,滑州靈昌(今河南滑縣)人。日用子,襲封齊國公。好學,寬博有風檢,與李白、杜甫以文相知。)

李白《卷9-06贈崔郎中宗之#3》

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

杜甫《卷二01飲中八仙歌》「宗之蕭灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。瀟灑 さっぱりしたさま。腸 さかずき。白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。 しろいさま。玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。臨風前 風の前に立っている。

員外 官名。前の詩に《卷9-06贈崔郎中宗之》。とあり、この詩に員外とあるから、員外郎であり、郎中の補佐役、本来は郎中の定員外の官という意。

 

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。

諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。

飄飄 1飛び上がるさま。翻るさま。2風の吹くさま。

 

登艫美清夜,掛席移輕舟。

その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。

登艫 艫は船の前頭で櫂を刺すところをいう。

美清夜 美しい清夜の風景を賞しつつあることをいう。

掛席 高く帆を桂けることをいう。

 

月隨碧山轉,水合青天流。

すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。

 

杳如星河上,但覺雲林幽。

杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 

星河 あまのがわ。河漢・天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。

杜甫  天河

  當時任顯晦,秋至轉分明。縱被浮雲掩,猶能永夜清。

  含星動雙闕,半月落邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。

杜甫   初月

  光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。

  河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。

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李白  寄淮南友人  

紅顏悲舊國,青歇芳洲。不待金門詔,空持寶劍遊。

海雲迷驛道,江月隱樓。復作淮南客,因逢桂樹留。

(淮南にいる友人に寄せたもの)わたしは、紅顔の少年の時分に旧國を去り、淮水の連なる芳洲において、春の景色を眺めたものである。見わたせば、海に連なる雲は、驛幹道を迷わせるものであり、江天の月は、故國の楼に沈み、四顧蒼茫、まことに羈客の恨に堪へない。いまは、又々、淮南方面へ行こうと思っているが、そこは、招隠士の詞中に見えた桂樹の在るところで、心のどかに滞留したいと思うばかりで、そこで先ぶれとして、君に此詩を寄せるのである。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七二              文體:    五言律詩

詩題:    寄淮南友人

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

寄淮南友人

(淮南にいる友人に寄せたもの)

紅顏悲舊國,青歇芳洲。

わたしは、紅顔の少年の時分に旧國を去り、淮水の連なる芳洲において、春の景色を眺めたものである。

不待金門詔,空持寶劍遊。

そして、地方で推薦を受け、それをもって朝廷の金門に待詔しているにもかなわず、賓剣を持して、四方に遊侠してあるくのである。

海雲迷驛道,江月隱樓。

見わたせば、海に連なる雲は、驛幹道を迷わせるものであり、江天の月は、故國の楼に沈み、四顧蒼茫、まことに羈客の恨に堪へない。

復作淮南客,因逢桂樹留。

いまは、又々、淮南方面へ行こうと思っているが、そこは、招隠士の詞中に見えた桂樹の在るところで、心のどかに滞留したいと思うばかりで、そこで先ぶれとして、君に此詩を寄せるのである。

 

(淮南の友人に寄す)

紅顏 舊國を悲み,青 芳洲に歇る。

金門の詔を待たず,空しく寶劍を持して遊ぶ。

海雲 驛道に迷い,江月 樓にたり。

復た淮南の客と作り,因って桂樹に逢うて留まる。

 

李白の足跡003

『寄淮南友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄淮南友人

紅顏悲舊國,青歇芳洲。

不待金門詔,空持寶劍遊。

海雲迷驛道,江月隱樓。

復作淮南客,因逢桂樹留。

(下し文)
(
淮南の友人に寄す)

紅顏 舊國を悲み,青 芳洲に歇る。

金門の詔を待たず,空しく寶劍を持して遊ぶ。

海雲 驛道に迷い,江月 樓に隱たり。

復た淮南の客と作り,因って桂樹に逢うて留まる。


(現代語訳)
(淮南にいる友人に寄せたもの)

わたしは、紅顔の少年の時分に旧國を去り、淮水の連なる芳洲において、春の景色を眺めたものである。

そして、地方で推薦を受け、それをもって朝廷の金門に待詔しているにもかなわず、賓剣を持して、四方に遊侠してあるくのである。

見わたせば、海に連なる雲は、驛幹道を迷わせるものであり、江天の月は、故國の楼に沈み、四顧蒼茫、まことに羈客の恨に堪へない。

いまは、又々、淮南方面へ行こうと思っているが、そこは、招隠士の詞中に見えた桂樹の在るところで、心のどかに滞留したいと思うばかりで、そこで先ぶれとして、君に此詩を寄せるのである。

長安皇城宮城00
(訳注)

寄淮南友人

(淮南にいる友人に寄せたもの)

 

紅顏悲舊國,青歇芳洲。

わたしは、紅顔の少年の時分に旧國、蜀を去り、淮水の連なる芳洲において、春の景色を眺めたものである。

○旧國 李白は25歳で蜀を離れて襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊んだことをいう。

○青 青春。

芳洲 揚州のこと。淮南道 揚州。 別名:廣陵、淮南、淮海のこと。

 

不待金門詔,空持寶劍遊。

そして、地方で推薦を受け、それをもって朝廷の金門に待詔しているにもかなわず、賓剣を持して、四方に遊侠してあるくのである。

○不待金門詔 地方で推薦を受け、それをもって朝廷の金門に待詔しているにもかなわないこと。・金門:文人は金馬門から入ると一芸の者が集められた梨園の別棟、翰林院の前身の施設をいう。。

○寶劍遊 志を高く持ち、任侠の士として、事ある時に駆けつけるということで、諸国に遊ぶこと。ここまでの詩はこの考えに基づいて行動していることを示すものである。

 

海雲迷驛道,江月隱樓。

見わたせば、海に連なる雲は、驛幹道を迷わせるものであり、江天の月は、故國の楼に沈み、四顧蒼茫、まことに羈客の恨に堪へない。

 

復作淮南客,因逢桂樹留。

いまは、又々、淮南方面へ行こうと思っているが、そこは、招隠士の詞中に見えた桂樹の在るところで、心のどかに滞留したいと思うばかりで、そこで先ぶれとして、君に此詩を寄せるのである。

桂樹留 淮南王の招隠士に、「桂樹叢生兮山之幽、攀援桂樹兮聊淹留」とある。〈淮南小山·招隱士〉 桂樹叢生兮山之幽,偃蹇連蜷兮枝相繚。山氣巃兮石嵯峨,谿谷嶄巖兮水曾波。猿狖群嘯兮虎豹原,攀援桂枝兮聊淹留。
 江南東道 婺州 東陽00

269-#3 《卷9-18遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<269-#3> Ⅰ李白詩1544 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6268

李白  遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#3

子胥昔乞食,此女傾壺漿。運開展宿憤,入楚鞭平王。

凜冽天地間,聞名若懷霜。壯夫或未達,十步九太行。

與君拂衣去,萬里同

おもへば、壮士たるもの、未だ栄達せずして、世間にうろついて居る間は、十歩の中、九歩までは、太行の絶険に此すべき行路難を経ねばならぬので、今日、ここに北湖亭の主人に冷遇されるのも、決して怪むに足らぬことである。されば、君とともに、衣を払って遠く去り、江湖萬里の間に翺翔し、平生の宿志を遂げたいものである。

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76-#6 《八讀巻六11 祭十二郎文》-6 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1457> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6269韓愈詩-76-#6 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】

作地點:              溧陽(江南西道 / 宣州 / 溧陽)

及地點:              溧陽 (江南西道 宣州 溧陽)              

北湖亭 (江南西道 宣州 溧陽)          

瓦屋山 (江南西道 宣州 溧陽)          

溧水 (江南西道 宣州 溧水)             

交遊人物:孟浩然              當地交遊(江南西道 宣州 溧陽)

 

 

遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#1

(溧陽の北湖亭に遊んで、遙かに瓦屋山を望んで、伍子胥のことを思い出し、この詩を作って同人の人に贈った。別題として【孟浩然に贈る】とした。)

朝登北湖亭,遙望瓦屋山。

朝に溧陽城を出でて、北湖亭に登り、遙かに瓦屋山を望んだ。

天清白露下,始覺秋風還。

時折しも秋で、天は澄み渡って、白露暁に降り、西風が冷たく身にしむのを覚えた。

遊子託主人,仰觀眉睫間。

詩人たちと、折角、ここに遊びにきたが、風流人なのだろう主人は、空を仰ぎ見て、空間に目を向けている。

目色送飛鴻,然不可攀。

飛ぶ雁に看惚れて居るようだ、客がきても、丸で相手にせず、邈然としで取らすがりようもない位である。

#2

長吁相勸勉,何事來關。

こんなに冷遇されるならば、何のために、わざわざこの呉地に来たのか、まことに、詰らないといって、同遊の人人とともに長嘆して、互に慰め合って居た。

聞有貞義女,振窮水灣。

それはさておき、この溧陽の地には、むかし貞義を似て称せられた一婦人が居たので溧水の河岸において窮人を救った。

清光了在眼,白日如披顏。

その風貌は、ありありと眼中に在るが如く、そして、白日の中において、その顔を見るような感じがする。

高墳五六兀棲猛虎。

眺めやれば、古塚が五つ六つ堆をなして高まり、丁度、猛虎が踞んで居るような形をして居る。

遺跡翳九泉,芳名動千古。

彼女の遺跡は、この大地の上では、湮滅しかかつて居るが、その芳名は、千歳の後なる今日までも傳わって居る。

#3

子胥昔乞食,此女傾壺漿。

むかし、伍子胥は、楚より出奔し、途中で落ちぶれて、食を乞うたが、その時、この女は、壺漿水を傾けて之を救い、その為に、伍子胥は、呉に逃げ込んだ。

運開展宿憤,入楚鞭平王。

やがて、運が開くと、かねての遺恨を晴らすことができるというので、その呉王闔閭に従って、楚の都の郢に攻め入った時に、墓をあばいて、平王の屍を出し、これを鞭つこと三百、目を抉り、以てかねての父兄の仇に報いた。 

凜冽天地間,聞名若懷霜。

伍子胥の為した事蹟は、凛列として、天地の間に存し、その名を聞けば、霜を懐中に抱くが如く、人の気を引き締める。

壯夫或未達,十九太行。

おもへば、壮士たるもの、未だ栄達せずして、世間にうろついて居る間は、十歩の中、九歩までは、太行の絶険に此すべき行路難を経ねばならぬので、今日、ここに北湖亭の主人に冷遇されるのも、決して怪むに足らぬことである。

與君拂衣去,萬里同翔。

されば、君とともに、衣を払って遠く去り、江湖萬里の間に翺翔し、平生の宿志を遂げたいものである。

 

溧陽の北湖亭に遊び、瓦屋山を望み、古えを懷い同旅に贈る【孟浩然に贈る】

朝に北湖の亭に上り、遙かに瓦屋の山を望む。

天は清くして、白露下り、はじめて、秋風の還るを覚ゆ。

游子、主人に託し、仰いで、眉睫の間を観る。

目色、飛鴻を送り、邈然として挙つべからず。

#2

長吁して相い勸勉し,何事か關に來る

聞く 貞義の女あり、,窮を振う 溧水の灣。

清光 了【つい】に眼に在り,白日 顏を披くが如し。

高墳 五六墩【とん】,崒兀【しゅつこつ】として 猛虎を棲ましむ。

遺跡 九泉に翳【えい】し,芳名 千古を動かす。

#3

子胥【ししょ】昔 食を乞い,此の女 壺漿を傾く。

運 開いて 宿憤を展べ,楚に入って 平王を鞭つ。

凜冽たり 天地の間,名を聞く 霜を懷くが若し。

壯夫 或は 未だ達せず,十步に 九太行。

君と衣を拂うて去り,萬里 同じく翔せん。

 

江南東道 婺州 東陽00 

『遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3

子胥昔乞食,此女傾壺漿。

運開展宿憤,入楚鞭平王。

凜冽天地間,聞名若懷霜。

壯夫或未達,十步九太行。

與君拂衣去,萬里同

(下し文)
#3

子胥【ししょ】昔 食を乞い,此の女 壺漿を傾く。

運 開いて 宿憤を展べ,楚に入って 平王を鞭つ。

凜冽たり 天地の間,名を聞く 霜を懷くが若し。

壯夫 或は 未だ達せず,十步に 九太行。

君と衣を拂うて去り,萬里 同じく翔せん

(現代語訳) #3

むかし、伍子胥は、楚より出奔し、途中で落ちぶれて、食を乞うたが、その時、この女は、壺漿水を傾けて之を救い、その為に、伍子胥は、呉に逃げ込んだ。

やがて、運が開くと、かねての遺恨を晴らすことができるというので、その呉王闔閭に従って、楚の都の郢に攻め入った時に、墓をあばいて、平王の屍を出し、これを鞭つこと三百、目を抉り、以てかねての父兄の仇に報いた。 

伍子胥の為した事蹟は、凛列として、天地の間に存し、その名を聞けば、霜を懐中に抱くが如く、人の気を引き締める。

おもへば、壮士たるもの、未だ栄達せずして、世間にうろついて居る間は、十歩の中、九歩までは、太行の絶険に此すべき行路難を経ねばならぬので、今日、ここに北湖亭の主人に冷遇されるのも、決して怪むに足らぬことである。

されば、君とともに、衣を払って遠く去り、江湖萬里の間に翺翔し、平生の宿志を遂げたいものである。


(訳注) #3

《卷9-18遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#3》

(溧陽の北湖亭に遊んで、遙かに瓦屋山を望んで、伍子胥のことを思い出し、この詩を作って同人の人に贈った。別題として【孟浩然に贈る】とした。)

溧陽 江南西道 宣州 溧陽(11)秦の始皇帝26年(紀元前221年)溧陽県を設けた(県治は今の高淳県固城鎮にあった)。今の溧陽市は秦の溧陽県の東部地域に属していた。三国呉の黄武元年(222年)、境内は元の溧陽県東部から永平県を分置し、後に永世県に改めた。

瓦屋山 江南西道 宣州 溧陽(11)江蘇省西南部,是溧陽市與句容市的界山,海拔352.1米。

 

子胥昔乞食,此女傾壺漿。

むかし、伍子胥は、楚より出奔し、途中で落ちぶれて、食を乞うたが、その時、この女は、壺漿水を傾けて之を救い、その為に、伍子胥は、呉に逃げ込んだ。

伍子胥 [?~前485]中国、春秋時代の楚()の武人。名は員(うん)。父と兄が楚の平王に殺されたので、呉を助け、楚と戦い、あだを討った。のち、呉王夫差(ふさ)が越王勾践(こうせん)を破ったとき、その降伏を許そうとした夫差に反対して自殺。

 

運開展宿憤,入楚鞭平王。

やがて、運が開くと、かねての遺恨を晴らすことができるというので、その呉王闔閭に従って、楚の都の郢に攻め入った時に、墓をあばいて、平王の屍を出し、これを鞭つこと三百、目を抉り、以てかねての父兄の仇に報いた。 

鞭平王 『呉越春秋』「闔閭九年: 呉王入郢,止留。伍胥以不得昭王,乃掘平王之墓,出其屍,鞭之三百,左足踐腹,右手抉其目,誚之曰:“誰使汝用讒諛之口,殺我父兄,豈不冤哉?」(闔閭九年: 呉王 郢に入り,止留す。伍胥 以て昭王得ず,乃ち平王の墓を掘り,其の屍を出し,之を鞭つこと三百,左足に腹を踐み,右手に其目を抉り,之を誚めて曰く:“誰か汝を使て讒諛の口を用いて,我が父兄を殺さしむる,豈に冤ならずや?)に基づいている

楚国のお家騒動で父と兄とを楚の平王に殺されると,楚より出奔し,諸国をさまよったあと,呉に身を寄せた。呉王の闔閭(こうりよ)が父王を殺して即位するのに力をかして信任を受け,兵法家の孫武とともに呉の国力の充実につとめた。国力をのばした呉は,楚に侵攻し,楚都の郢(えい)を陥(おと)した。伍子胥は,すでに死んで葬られていた平王の墓をあばき,その尸(しかばね)を三百鞭(むち)打って父と兄の仇をうったとされる。

 

凜冽天地間,聞名若懷霜。

伍子胥の為した事蹟は、凛列として、天地の間に存し、その名を聞けば、霜を懐中に抱くが如く、人の気を引き締める。

 

壯夫或未達,十步九太行。

おもへば、壮士たるもの、未だ栄達せずして、世間にうろついて居る間は、十歩の中、九歩までは、太行の絶険に此すべき行路難を経ねばならぬので、今日、ここに北湖亭の主人に冷遇されるのも、決して怪むに足らぬことである。

太行 太行山脈は中華人民共和国北部にある山地。山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m

 

與君拂衣去,萬里同翔。

されば、君とともに、衣を払って遠く去り、江湖萬里の間に翺翔し、平生の宿志を遂げたいものである。

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李白  遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#2

長吁相勸勉,何事來關。聞有貞義女,振窮溧水灣。

清光了在眼,白日如披顏。高墳五六墩,崒兀棲猛虎。

遺跡翳九泉,芳名動千古。

こんなに冷遇されるならば、何のために、わざわざこの呉地に来たのか、まことに、詰らないといって、同遊の人人とともに長嘆して、互に慰め合って居た。それはさておき、この溧陽の地には、むかし貞義を似て称せられた一婦人が居たので溧水の河岸において窮人を救った。その風貌は、ありありと眼中に在るが如く、そして、白日の中において、その顔を見るような感じがする。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】

作地點:              溧陽(江南西道 / 宣州 / 溧陽)

及地點:              溧陽 (江南西道 宣州 溧陽)              

北湖亭 (江南西道 宣州 溧陽)          

瓦屋山 (江南西道 宣州 溧陽)          

溧水 (江南西道 宣州 溧水)             

交遊人物:孟浩然              當地交遊(江南西道 宣州 溧陽)

 

 

遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#1

(溧陽の北湖亭に遊んで、遙かに瓦屋山を望んで、伍子胥のことを思い出し、この詩を作って同人の人に贈った。別題として【孟浩然に贈る】とした。)

朝登北湖亭,遙望瓦屋山。

朝に溧陽城を出でて、北湖亭に登り、遙かに瓦屋山を望んだ。

天清白露下,始覺秋風還。

時折しも秋で、天は澄み渡って、白露暁に降り、西風が冷たく身にしむのを覚えた。

遊子託主人,仰觀眉睫間。

詩人たちと、折角、ここに遊びにきたが、風流人なのだろう主人は、空を仰ぎ見て、空間に目を向けている。

目色送飛鴻,然不可攀。

飛ぶ雁に看惚れて居るようだ、客がきても、丸で相手にせず、邈然としで取らすがりようもない位である。

#2

長吁相勸勉,何事來關。

こんなに冷遇されるならば、何のために、わざわざこの呉地に来たのか、まことに、詰らないといって、同遊の人人とともに長嘆して、互に慰め合って居た。

聞有貞義女,振窮水灣。

それはさておき、この溧陽の地には、むかし貞義を似て称せられた一婦人が居たので溧水の河岸において窮人を救った。

清光了在眼,白日如披顏。

その風貌は、ありありと眼中に在るが如く、そして、白日の中において、その顔を見るような感じがする。

高墳五六兀棲猛虎。

眺めやれば、古塚が五つ六つ堆をなして高まり、丁度、猛虎が踞んで居るような形をして居る。

遺跡翳九泉,芳名動千古。

彼女の遺跡は、この大地の上では、湮滅しかかつて居るが、その芳名は、千歳の後なる今日までも傳わって居る。

#3

子胥昔乞食,此女傾壺漿。

運開展宿憤,入楚鞭平王。

凜冽天地間,聞名若懷霜。

壯夫或未達,十步九太行。

與君拂衣去,萬里同翔。

 

溧陽の北湖亭に遊び、瓦屋山を望み、古えを懷い同旅に贈る【孟浩然に贈る】

朝に北湖の亭に上り、遙かに瓦屋の山を望む。

天は清くして、白露下り、はじめて、秋風の還るを覚ゆ。

游子、主人に託し、仰いで、眉睫の間を観る。

目色、飛鴻を送り、邈然として挙つべからず。

#2

長吁して相い勸勉し,何事か關に來る

聞く 貞義の女あり、,窮を振う 溧水の灣。

清光 了【つい】に眼に在り,白日 顏を披くが如し。

高墳 五六墩【とん】,崒兀【しゅつこつ】として 猛虎を棲ましむ。

遺跡 九泉に翳【えい】し,芳名 千古を動かす。

#3

子胥【ししょ】昔 食を乞い,此の女 壺漿を傾く。

運 開いて 宿憤を展べ,楚に入って 平王を鞭つ。

凜冽たり 天地の間,名を聞く 霜を懷くが若し。

壯夫 或は 未だ達せず,十步に 九太行。

君と衣を拂うて去り,萬里 同じく翔せん。

 

 

 

『遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

長吁相勸勉,何事來關。

聞有貞義女,振窮溧水灣。

清光了在眼,白日如披顏。

高墳五六墩,兀棲猛虎。

遺跡翳九泉,芳名動千古。

(下し文) #2

長吁して相い勸勉し,何事か關に來る。

聞く 貞義の女あり、,窮を振う 溧水の灣。

清光 了【つい】に眼に在り,白日 顏を披くが如し。

高墳 五六墩【とん】,兀【しゅつこつ】として 猛虎を棲ましむ。

遺跡 九泉に翳【えい】し,芳名 千古を動かす。

(現代語訳)
《卷9-18遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#2》

こんなに冷遇されるならば、何のために、わざわざこの呉地に来たのか、まことに、詰らないといって、同遊の人人とともに長嘆して、互に慰め合って居た。

それはさておき、この溧陽の地には、むかし貞義を似て称せられた一婦人が居たので溧水の河岸において窮人を救った。

その風貌は、ありありと眼中に在るが如く、そして、白日の中において、その顔を見るような感じがする。

眺めやれば、古塚が五つ六つ堆をなして高まり、丁度、猛虎が踞んで居るような形をして居る。

彼女の遺跡は、この大地の上では、湮滅しかかつて居るが、その芳名は、千歳の後なる今日までも傳わって居る。

太湖上海地図
(訳注) #2

《卷9-18遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#2》

(溧陽の北湖亭に遊んで、遙かに瓦屋山を望んで、伍子胥のことを思い出し、この詩を作って同人の人に贈った。別題として【孟浩然に贈る】とした。)

溧陽 江南西道 宣州 溧陽(11)秦の始皇帝26年(紀元前221年)溧陽県を設けた(県治は今の高淳県固城鎮にあった)。今の溧陽市は秦の溧陽県の東部地域に属していた。三国呉の黄武元年(222年)、境内は元の溧陽県東部から永平県を分置し、後に永世県に改めた。

瓦屋山 江南西道 宣州 溧陽(11)江蘇省西南部,是溧陽市與句容市的界山,海拔352.1米。

 

長吁相勸勉,何事來關。

こんなに冷遇されるならば、何のために、わざわざこの呉地に来たのか、まことに、詰らないといって、同遊の人人とともに長嘆して、互に慰め合って居た。

 

聞有貞義女,振窮溧水灣。

それはさておき、この溧陽の地には、むかし貞義を似て称せられた一婦人が居たので

溧水の河岸において窮人を救った。

貞義女 《越絶書》「春秋時, 楚伍子胥奔至溧陽, 乞食於女子。 女子食之而嘆曰:妾獨與母居三十年, 自守貞明, 不願從適, 何宜饋飯而與丈夫?越虧禮義, 妾不忍也。 遂投江而亡。”見漢趙曄《越春秋‧王僚使公子光傳》。 後人遂以“貞義女”稱之。」(春秋の時, の楚伍子胥は奔して溧陽に至り,女子に食を乞う。 女子 之を食して 嘆じて曰く:妾は獨り母と居すること三十年, 自ら貞明を守り,適に從って願うことなし, 何ぞ宜く饋飯して丈夫を與えられん?越 禮義を虧い, 妾は忍ばざるなり。 遂に投江にじて亡す。”漢の趙曄《越春秋‧王僚使公子光傳》に見ゆ。 後 人 遂に以って“貞義女”と之を稱す。)に基づく。

溧水 江南西道 宣州 溧水 (11)南京市中心部から南に42km、長江デルタの最西端の丘陵地に位置する。南京市城内を貫く秦淮河の源流、水河が流れる

 

清光了在眼,白日如披顏。

その風貌は、ありありと眼中に在るが如く、そして、白日の中において、その顔を見るような感じがする。

 

高墳五六墩,崒兀棲猛虎。

眺めやれば、古塚が五つ六つ堆をなして高まり、丁度、猛虎が踞んで居るような形をして居る。

○崒兀 高く峻しいさま。杜甫《自京赴奉先縣詠懷五百字》「群冰從西下, 極目高崒兀。」たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。

棲猛虎 猛虎が踞んで居るやうな形をして居る。

 

遺跡翳九泉,芳名動千古。

彼女の遺跡は、この大地の上では、湮滅しかかつて居るが、その芳名は、千歳の後なる今日までも傳わって居る。

九泉 吹燗九重を九泉という。大地の下にある九重の底で、黄泉をいう。木玄虚「海賦」(『文選』所収)の「吹烱九泉」の李善注に「地有九重、故曰九泉」とある。山上憶良作の「沈痾自哀文」では、『遊仙窟』を引用した中で「九泉」の言葉を見ることができる。そこでは、「九泉の下の人は、一銭にだに直せず」といい、死人には一文の価値もないことを言う。実際の『遊仙窟』の話を見ると、主人公である張文成が十娘と五嫂という女性両方を手に入れようとしているので、十娘がわざとすねてみせた言葉の一部分である。「少府(張文成)はわたしのことを死者と同様、何の役にも立たないとおっしゃるのでしょう。明日外に出られたら、わたしのことを一文の値打ちもない女だと言いふらすのでしょう」と言うのである。女から男に向けられた非難の台詞である。しかし憶良の「沈痾自哀文」は、男女の恋のやり取りではなく、生きることの難しさ、だからこそ生有ることが尊いのだと綿々と述べるのである。そして、生の重要さを強調するために死を卑下する表現として『遊仙窟』の言葉を用いている。中国文学における死者世界を生死の概念の中で理解していたのである。

唐時代 地図615 長江下流域 

 

 

 

溧陽の北湖亭に遊び、瓦屋山を望み、古えを懷い同旅に贈る【孟浩然に贈る】

朝に北湖の亭に上り、遙かに瓦屋の山を望む。

天は清くして、白露下り、はじめて、秋風の還るを覚ゆ。

游子、主人に託し、仰いで、眉睫の間を観る。

目色、飛鴻を送り、邈然として挙つべからず。

#2

長吁して相い勸勉し,何事か關に來る

聞く 貞義の女あり、,窮を振う 溧水の灣。

清光 了【つい】に眼に在り,白日 顏を披くが如し。

高墳 五六墩【とん】,崒兀【しゅつこつ】として 猛虎を棲ましむ。

遺跡 九泉に翳【えい】し,芳名 千古を動かす。

#3

子胥【ししょ】昔 食を乞い,此の女 壺漿を傾く。

運 開いて 宿憤を展べ,楚に入って 平王を鞭つ。

凜冽たり 天地の間,名を聞く 霜を懷くが若し。

壯夫 或は 未だ達せず,十步に 九太行。

君と衣を拂うて去り,萬里 同じく翔せん。

269-#1 《卷9-18遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<269-#1> Ⅰ李白詩1537 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6233

李白  遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#1

朝登北湖亭,遙望瓦屋山。天清白露下,始覺秋風還。

遊子託主人,仰觀眉睫間。目色送飛鴻,邈然不可攀。
(溧陽の北湖亭に遊んで、遙かに瓦屋山を望んで、伍子胥のことを思い出し、この詩を作って同人の人に贈った。別題として【孟浩然に贈る】とした。)朝に溧陽城を出でて、北湖亭に登り、遙かに瓦屋山を望んだ。時折しも秋で、天は澄み渡って、白露暁に降り、西風が冷たく身にしむのを覚えた。詩人たちと、折角、ここに遊びにきたが、風流人なのだろう主人は、空を仰ぎ見て、空間に目を向けている。

269-#1 《卷9-18遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<269-#1> Ⅰ李白詩1537 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6233

 

 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】

作地點:              溧陽(江南西道 / 宣州 / 溧陽)

及地點:              溧陽 (江南西道 宣州 溧陽)              

北湖亭 (江南西道 宣州 溧陽)          

瓦屋山 (江南西道 宣州 溧陽)          

溧水 (江南西道 宣州 溧水)             

交遊人物:孟浩然              當地交遊(江南西道 宣州 溧陽)

 

 

遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#1

(溧陽の北湖亭に遊んで、遙かに瓦屋山を望んで、伍子胥のことを思い出し、この詩を作って同人の人に贈った。別題として【孟浩然に贈る】とした。)

朝登北湖亭,遙望瓦屋山。

朝に溧陽城を出でて、北湖亭に登り、遙かに瓦屋山を望んだ。

天清白露下,始覺秋風還。

時折しも秋で、天は澄み渡って、白露暁に降り、西風が冷たく身にしむのを覚えた。

遊子託主人,仰觀眉睫間。

詩人たちと、折角、ここに遊びにきたが、風流人なのだろう主人は、空を仰ぎ見て、空間に目を向けている。

目色送飛鴻,然不可攀。

飛ぶ雁に看惚れて居るようだ、客がきても、丸で相手にせず、邈然としで取らすがりようもない位である。

#2

長吁相勸勉,何事來關。

聞有貞義女,振窮溧水灣。

清光了在眼,白日如披顏。

高墳五六墩,崒兀棲猛虎。

遺跡翳九泉,芳名動千古。

#3

子胥昔乞食,此女傾壺漿。

運開展宿憤,入楚鞭平王。

凜冽天地間,聞名若懷霜。

壯夫或未達,十步九太行。

與君拂衣去,萬里同翔。

 

溧陽の北湖亭に遊び、瓦屋山を望み、古えを懷い同旅に贈る【孟浩然に贈る】

朝に北湖の亭に上り、遙かに瓦屋の山を望む。

天は清くして、白露下り、はじめて、秋風の還るを覚ゆ。

游子、主人に託し、仰いで、眉睫の間を観る。

目色、飛鴻を送り、邈然として挙つべからず。

#2

長吁して相い勸勉し,何事か關に來る

聞く 貞義の女あり、,窮を振う 溧水の灣。

清光 了【つい】に眼に在り,白日 顏を披くが如し。

高墳 五六墩【とん】,崒兀【しゅつこつ】として 猛虎を棲ましむ。

遺跡 九泉に翳【えい】し,芳名 千古を動かす。

#3

子胥【ししょ】昔 食を乞い,此の女 壺漿を傾く。

運 開いて 宿憤を展べ,楚に入って 平王を鞭つ。

凜冽たり 天地の間,名を聞く 霜を懷くが若し。

壯夫 或は 未だ達せず,十步に 九太行。

君と衣を拂うて去り,萬里 同じく翔せん。

太湖上海地図 

 

 

『遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#1

朝登北湖亭,遙望瓦屋山。

天清白露下,始覺秋風還。

遊子託主人,仰觀眉睫間。

目色送飛鴻,邈然不可攀。

(下し文)
溧陽の北湖亭に遊び、瓦屋山を望み、古えを懷い同旅に贈る【孟浩然に贈る】

朝に北湖の亭に上り、遙かに瓦屋の山を望む。

天は清くして、白露下り、はじめて、秋風の還るを覚ゆ。

游子、主人に託し、仰いで、眉睫の間を観る。

目色、飛鴻を送り、邈然として挙つべからず。

(現代語訳)
(溧陽の北湖亭に遊んで、遙かに瓦屋山を望んで、伍子胥のことを思い出し、この詩を作って同人の人に贈った。別題として【孟浩然に贈る】とした。)

朝に溧陽城を出でて、北湖亭に登り、遙かに瓦屋山を望んだ。

時折しも秋で、天は澄み渡って、白露暁に降り、西風が冷たく身にしむのを覚えた。

詩人たちと、折角、ここに遊びにきたが、風流人なのだろう主人は、空を仰ぎ見て、空間に目を向けている。

飛ぶ雁に看惚れて居るようだ、客がきても、丸で相手にせず、邈然としで取らすがりようもない位である。


(訳注)

遊溧陽北湖亭望瓦屋山懷古贈同旅【贈孟浩然】#1

(溧陽の北湖亭に遊んで、遙かに瓦屋山を望んで、伍子胥のことを思い出し、この詩を作って同人の人に贈った。別題として【孟浩然に贈る】とした。)

溧陽 江南西道 宣州 溧陽(11)秦の始皇帝26年(紀元前221年)溧陽県を設けた(県治は今の高淳県固城鎮にあった)。今の溧陽市は秦の溧陽県の東部地域に属していた。三国呉の黄武元年(222年)、境内は元の溧陽県東部から永平県を分置し、後に永世県に改めた。

瓦屋山 江南西道 宣州 溧陽(11)江蘇省西南部,是溧陽市與句容市的界山,海拔352.1米。

 

朝登北湖亭,遙望瓦屋山。

朝に溧陽城を出でて、北湖亭に登り、遙かに瓦屋山を望んだ。

 

天清白露下,始覺秋風還。

時折しも秋で、天は澄み渡って、白露暁に降り、西風が冷たく身にしむのを覚えた。

 

遊子託主人,仰觀眉睫間。

詩人たちと、折角、ここに遊びにきたが、風流人なのだろう主人は、空を仰ぎ見て、空間に目を向けている。

遊子 故郷を離れている者。故郷を離れている者の歌、楽府題に遊子吟がある。

主人 北湖亭の主人。

 

目色送飛鴻,邈然不可攀。

飛ぶ雁に看惚れて居るようだ、客がきても、丸で相手にせず、邈然としで取らすがりようもない位である。

鴻 大きい鳥の名。ヒシクイ。ガンの一種。「鴻雁(こうがん)
江南東道 婺州 東陽00李白の足跡003 

268-#3 《卷9-06贈崔郎中宗之#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<268-#3> Ⅰ李白詩1541 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6253

李白《卷9-06贈崔郎中宗之#3》

仲尼七十,歷聘莫見收。魯連逃千金,圭組豈可酬。

時哉苟不會,草木為我儔。希君同攜手,長往南山幽。
むかし、孔子は世に容れられず、七十余国を周流遊説したし、随分招碑もされたが、遂に収用されることもなかった。魯連は、高節を負って、天晴な大功を立てても、印授を受けることをいさぎよしとしなかった。希わくば、君と同じく手を携えて、幽遂なる南山にあとを収め、一たび去って配ることも無いようにしたいものである。

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年:739年開元二十七年39歳 

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    贈崔郎中宗之【案:時謫官金陵。】

交遊人物:崔成輔              書信往來

 

 

贈崔郎中宗之

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

胡雁拂海翼,翔鳴素秋。

北方の胡地より飛んできた雁は、海を払う様な翼を振い、天半に翔って、涼しき秋に乗じて鳴き叫ぶのである。

驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。

その声は雲を驚かせ、やがて、朔方の沙漠を去って南に向う、それから黄河の洲に下って、処定めぬ身を喞ちつつ、飄蕩のように迷っているのである。

有如飛蓬人,去逐萬里遊。

かくの如く、淋しい折から、われは飛蓬の飄飄と風に追われるように、遠く飛び去るのであり、果てて去って萬里の遊を試みているのである。

#2

登高望浮雲,彷彿如舊丘。

かくて、高い山などに登って、浮雲の棚引く空の果てを望めば、あたりの有榛は、彷彿として、わが故郷の如くである。

日從海傍沒,水向天邊流。

しかし、日は西海より地平線下に没し、水は天邊に向って流れ、まことに、だだッ廣い景色で、故郷は何処とも分らない。

長嘯倚孤劍,目極心悠悠。

そこで、孤剣に倚って長嘯し、目を極めて遠望すると、心悠悠として、郷愁は涯なき程である。

晏歸去來,富貴安可求。

自分は、すでに老境に近づいたから、むしろ、「さあ故郷へ帰ろう」方が善いので、富貴などは如何にして求められよう、到底、望ないことである。

#3

仲尼七十聘莫見收。

むかし、孔子は世に容れられず、七十余国を周流遊説したし、随分招碑もされたが、遂に収用されることもなかった。

魯連逃千金,圭組豈可酬。

魯連は、高節を負って、天晴な大功を立てても、印授を受けることをいさぎよしとしなかった。

時哉苟不會,草木為我儔。

幸にして、好き機会に遇えば、起って、心ゆくばかりの大功も立てられるか、そうでなければ、草木と同じく朽ちはてるばかりであり、その位なら、然るべき処に隠れ住んだ方が善いというものだ。

希君同攜手,長往南山幽。

希わくば、君と同じく手を携えて、幽遂なる南山にあとを収め、一たび去って配ることも無いようにしたいものである。

 

(崔郎中宗之に贈る)

胡雁、海を拂うの翼,翔して素秋に鳴く

雲を驚かして沙朔を辞し、飄蕩 河洲に迷う。

飛蓬の如きの人あり、去って逐ふ萬里の遊。

#2

高きに登って、浮雲を望めば、彷彿として、旧邱の如し。

日は 海傍より沒し,水は天邊に向って流る。

長嘯 孤劍に倚り,目極って心 悠悠。

 晏く「歸去來」,富貴 安んぞ求む可けんや。

#3

仲尼七十 收めらるる莫し。

魯連 千金を逃れ,圭組 豈に酬可けんや。

時なる哉 苟くも會せず,草木 為我が儔たり。

希わくば 君 同じく手を攜え,長く往かん 南山の幽なるに。

 

 

贈崔郎中宗之』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

仲尼七十,歷聘莫見收。

魯連逃千金,圭組豈可酬。

時哉苟不會,草木為我儔。

希君同攜手,長往南山幽。

(下し文) #3

仲尼七十,歷聘 收めらるる莫し。

魯連 千金を逃れ,圭組 豈に酬可けんや。

時なる哉 苟くも會せず,草木 為我が儔たり。

希わくば 君 同じく手を攜え,長く往かん 南山の幽なるに。

(現代語訳) #3

むかし、孔子は世に容れられず、七十余国を周流遊説したし、随分招碑もされたが、遂に収用されることもなかった。

魯連は、高節を負って、天晴な大功を立てても、印授を受けることをいさぎよしとしなかった。

幸にして、好き機会に遇えば、起って、心ゆくばかりの大功も立てられるか、そうでなければ、草木と同じく朽ちはてるばかりであり、その位なら、然るべき処に隠れ住んだ方が善いというものだ。

希わくば、君と同じく手を携えて、幽遂なる南山にあとを収め、一たび去って配ることも無いようにしたいものである。


(訳注) #3

贈崔郎中宗之

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

杜甫《卷二01飲中八仙歌》「宗之蕭灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。(崔宗之〔唐〕名成輔,以字行,滑州靈昌(今河南滑縣)人。日用子,襲封齊國公。好學,寬博有風檢,與李白、杜甫以文相知。)瀟灑 さっぱりしたさま。腸 さかずき。白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。 しろいさま。玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。臨風前 風の前に立っている。

 

仲尼七十歷聘莫見收。

むかし、孔子は世に容れられず、七十余国を周流遊説したし、随分招碑もされたが、遂に収用されることもなかった。

○仲尼七十 孔子が世に容れられず、七十余国を周流遊説したこと。《淮南子》卷二十〈泰族訓〉「孔子欲行王道,東西南北,七十而無所偶。」

○歷聘 度々招聘される。

 

魯連逃千金,圭組豈可酬。

魯連は、高節を負って、天晴な大功を立てても、印授を受けることをいさぎよしとしなかった。

○魯連逃千金 ・魯連 魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。

謝靈運《入東道路詩》「魯連謝千金.延州權去朝.」(魯連【ろれん】は千金を謝し、延州は権【かり】に朝を去る。)魯中連は千金をもってしても高節を守って誰にも仕えず、春秋時代の呉の季札は清廉賢哲を以って知られ朝、固辞して朝立ち去った。

入東道路詩(東の道路に入るの詩)

整駕辭金門.命旅惟詰朝.

懷居顧歸雲.指塗泝行飆.

清明節.榮華感和韶.

陵隰繁綠杞.墟囿粲紅桃.

鷕鷕翬方雊.纖纖麥垂苗.
隱軫邑里密.緬邈江海遼.
滿目皆古事.心賞貴所高.
魯連謝千金.延州權去朝.
行路既經見.願言寄吟謠.

入東道路詩 謝霊運(康楽) 詩<44#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1110

圭組 圭:有位者が證験としてもつもの。組:印の紐。

 

時哉苟不會,草木為我儔。

幸にして、好き機会に遇えば、起って、心ゆくばかりの大功も立てられるか、そうでなければ、草木と同じく朽ちはてるばかりであり、その位なら、然るべき処に隠れ住んだ方が善いというものだ。

 

希君同攜手,長往南山幽。

希わくば、君と同じく手を携えて、幽遂なる南山にあとを収め、一たび去って配ることも無いようにしたいものである。

南山 盧山を象徴的に言い、隠遁のために山に入ることを意味する。

古風,五十九首之四十七

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> Ⅰ李白詩1210 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4598

李白《巻02-04 梁甫吟》「世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。」

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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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268-#2 《卷9-06贈崔郎中宗之#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<268-#2> Ⅰ李白詩1540 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6248

李白《卷9-06贈崔郎中宗之#2》

登高望浮雲,彷彿如舊丘。日從海傍沒,水向天邊流。

長嘯倚孤劍,目極心悠悠。晏歸去來,富貴安可求
かくて、高い山などに登って、浮雲の棚引く空の果てを望めば、あたりの有榛は、彷彿として、わが故郷の如くである。しかし、日は西海より地平線下に没し、水は天邊に向って流れ、まことに、だだッ廣い景色で、故郷は何処とも分らない。そこで、孤剣に倚って長嘯し、目を極めて遠望すると、心悠悠として、郷愁は涯なき程である。自分は、すでに老境に近づいたから、むしろ、「さあ故郷へ帰ろう」方が善いので、富貴などは如何にして求められよう、到底、望ないことである。

268-#2 《卷9-06贈崔郎中宗之#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<268-#2> Ⅰ李白詩1540 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6248

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39歳 

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    贈崔郎中宗之【案:時謫官金陵。】

交遊人物:崔成輔              書信往來

 

 

贈崔郎中宗之

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

胡雁拂海翼,翔鳴素秋。

北方の胡地より飛んできた雁は、海を払う様な翼を振い、天半に翔って、涼しき秋に乗じて鳴き叫ぶのである。

驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。

その声は雲を驚かせ、やがて、朔方の沙漠を去って南に向う、それから黄河の洲に下って、処定めぬ身を喞ちつつ、飄蕩のように迷っているのである。

有如飛蓬人,去逐萬里遊。

かくの如く、淋しい折から、われは飛蓬の飄飄と風に追われるように、遠く飛び去るのであり、果てて去って萬里の遊を試みているのである。

#2

登高望浮雲,彷彿如舊丘。

かくて、高い山などに登って、浮雲の棚引く空の果てを望めば、あたりの有榛は、彷彿として、わが故郷の如くである。

日從海傍沒,水向天邊流。

しかし、日は西海より地平線下に没し、水は天邊に向って流れ、まことに、だだッ廣い景色で、故郷は何処とも分らない。

長嘯倚孤劍,目極心悠悠。

そこで、孤剣に倚って長嘯し、目を極めて遠望すると、心悠悠として、郷愁は涯なき程である。

晏歸去來,富貴安可求。

自分は、すでに老境に近づいたから、むしろ、「さあ故郷へ帰ろう」方が善いので、富貴などは如何にして求められよう、到底、望ないことである。

#3

仲尼七十歷聘莫見收。

魯連逃千金,圭組豈可酬。

時哉苟不會,草木為我儔。

希君同攜手,長往南山幽。

 

(崔郎中宗之に贈る)

胡雁、海を拂うの翼,翔して素秋に鳴く

雲を驚かして沙朔を辞し、飄蕩 河洲に迷う。

飛蓬の如きの人あり、去って逐ふ萬里の遊。

#2

高きに登って、浮雲を望めば、彷彿として、旧邱の如し。

日は 海傍より沒し,水は天邊に向って流る。

長嘯 孤劍に倚り,目極って心 悠悠。

 晏く「歸去來」,富貴 安んぞ求む可けんや。

#3

仲尼七十 收めらるる莫し。

魯連 千金を逃れ,圭組 豈に酬可けんや。

時なる哉 苟くも會せず,草木 為我が儔たり。

希わくば 君 同じく手を攜え,長く往かん 南山の幽なるに。

 

 

『贈崔郎中宗之』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《卷9-06贈崔郎中宗之#2》
#2

登高望浮雲,彷彿如舊丘。

日從海傍沒,水向天邊流。

長嘯倚孤劍,目極心悠悠。

晏歸去來,富貴安可求

(下し文) #2

高きに登って、浮雲を望めば、彷彿として、旧邱の如し。

日は 海傍より沒し,水は天邊に向って流る。

長嘯 孤劍に倚り,目極って心 悠悠。

 晏く「歸去來」,富貴 安んぞ求む可けんや

(現代語訳)
かくて、高い山などに登って、浮雲の棚引く空の果てを望めば、あたりの有榛は、彷彿として、わが故郷の如くである。

しかし、日は西海より地平線下に没し、水は天邊に向って流れ、まことに、だだッ廣い景色で、故郷は何処とも分らない。

そこで、孤剣に倚って長嘯し、目を極めて遠望すると、心悠悠として、郷愁は涯なき程である。

自分は、すでに老境に近づいたから、むしろ、「さあ故郷へ帰ろう」方が善いので、富貴などは如何にして求められよう、到底、望ないことである。


(訳注) #2

贈崔郎中宗之

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

杜甫《卷二01飲中八仙歌》「宗之蕭灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。(崔宗之〔唐〕名成輔,以字行,滑州靈昌(今河南滑縣)人。日用子,襲封齊國公。好學,寬博有風檢,與李白、杜甫以文相知。)瀟灑 さっぱりしたさま。腸 さかずき。白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。 しろいさま。玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。臨風前 風の前に立っている。

 

登高望浮雲,彷彿如舊丘。

かくて、高い山などに登って、浮雲の棚引く空の果てを望めば、あたりの有榛は、彷彿として、わが故郷の如くである。

登高 重陽の日に髙い丘に登って菊酒を飲んで故郷を偲ぶ。

舊丘 旧里。故郷。

 

日從海傍沒,水向天邊流。

しかし、日は西海より地平線下に没し、水は天邊に向って流れ、まことに、だだッ廣い景色で、故郷は何処とも分らない。

 

長嘯倚孤劍,目極心悠悠。

そこで、孤剣に倚って長嘯し、目を極めて遠望すると、心悠悠として、郷愁は涯なき程である。

 

晏歸去來,富貴安可求。

自分は、すでに老境に近づいたから、むしろ、「さあ故郷へ帰ろう」方が善いので、富貴などは如何にして求められよう、到底、望ないことである。

歸去來 陶淵明《帰去来辞》「歸去來兮!田園將蕪胡不歸?」(歸去來兮【かえりなんいざ】田園 将に蕪れなんとす胡【なん】ぞ帰らざる)さあ故郷へ帰ろう。故郷の田園は今や荒れ果てようとしている。どうして帰らずにいられよう。

268-#1 《卷9-06贈崔郎中宗之【案:時謫官金陵。】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<268-#1> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228

贈崔郎中宗之 #1

胡雁拂海翼,翔鳴素秋。

驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。

有如飛蓬人,去逐萬里遊。
(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

268-#1 《卷9-06贈崔郎中宗之【案:時謫官金陵。】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<268-#1> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228

 
 2015年7月3日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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268-#1 《卷9-06贈崔郎中宗之【案:時謫官金陵。】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<268-#1> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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76-#1 《八讀巻六11 祭十二郎文》-1 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1452> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6244 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-62杜甫 《1523贈崔十三評事公輔 -#2》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-62 <926-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6245 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四44女冠子四首 其三》『花間集』195全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6247 
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年:739年開元二十七年39歳 

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    贈崔郎中宗之【案:時謫官金陵。】

交遊人物:崔成輔              書信往來

 

 

贈崔郎中宗之

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

胡雁拂海翼,翔鳴素秋。

北方の胡地より飛んできた雁は、海を払う様な翼を振い、天半に翔って、涼しき秋に乗じて鳴き叫ぶのである。

驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。

その声は雲を驚かせ、やがて、朔方の沙漠を去って南に向う、それから黄河の洲に下って、処定めぬ身を喞ちつつ、飄蕩のように迷っているのである。

有如飛蓬人,去逐萬里遊。

かくの如く、淋しい折から、われは飛蓬の飄飄と風に追われるように、遠く飛び去るのであり、果てて去って萬里の遊を試みているのである。

#2

登高望浮雲,彷彿如舊丘。

日從海傍沒,水向天邊流。

長嘯倚孤劍,目極心悠悠。

晏歸去來,富貴安可求。

#3

仲尼七十歷聘莫見收。

魯連逃千金,圭組豈可酬。

時哉苟不會,草木為我儔。

希君同攜手,長往南山幽。

 

(崔郎中宗之に贈る)

胡雁、海を拂うの翼,翔して素秋に鳴く

雲を驚かして沙朔を辞し、飄蕩 河洲に迷う。

飛蓬の如きの人あり、去って逐ふ萬里の遊。

#2

高きに登って、浮雲を望めば、彷彿として、旧邱の如し。

日は 海傍より沒し,水は天邊に向って流る。

長嘯 孤劍に倚り,目極って心 悠悠。

 晏く「歸去來」,富貴 安んぞ求む可けんや。

#3

仲尼七十 收めらるる莫し。

魯連 千金を逃れ,圭組 豈に酬可けんや。

時なる哉 苟くも會せず,草木 為我が儔たり。

希わくば 君 同じく手を攜え,長く往かん 南山の幽なるに。

 

 

『贈崔郎中宗之』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈崔郎中宗之 #1

胡雁拂海翼,翔鳴素秋。

驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。

有如飛蓬人,去逐萬里遊。

(下し文)
(崔郎中宗之に贈る)

胡雁、海を拂うの翼,翔して素秋に鳴く。

雲を驚かして沙朔を辞し、飄蕩 河洲に迷う。

飛蓬の如きの人あり、去って逐ふ萬里の遊。

(現代語訳)
(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

北方の胡地より飛んできた雁は、海を払う様な翼を振い、天半に翔って、涼しき秋に乗じて鳴き叫ぶのである。

その声は雲を驚かせ、やがて、朔方の沙漠を去って南に向う、それから黄河の洲に下って、処定めぬ身を喞ちつつ、飄蕩のように迷っているのである。

かくの如く、淋しい折から、われは飛蓬の飄飄と風に追われるように、遠く飛び去るのであり、果てて去って萬里の遊を試みているのである。


(訳注)

贈崔郎中宗之

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

杜甫《卷二01飲中八仙歌》「宗之蕭灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。(崔宗之〔唐〕名成輔,以字行,滑州靈昌(今河南滑縣)人。日用子,襲封齊國公。好學,寬博有風檢,與李白、杜甫以文相知。)瀟灑 さっぱりしたさま。腸 さかずき。白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。 しろいさま。玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。臨風前 風の前に立っている。

 

胡雁拂海翼,翔鳴素秋。

北方の胡地より飛んできた雁は、海を払う様な翼を振い、天半に翔って、涼しき秋に乗じて鳴き叫ぶのである。

素秋 素商、秋のこと。「素」は、白、白は五行思想で秋に配していることから。また、「商」は、秋。「万里風煙接素秋」(万里風煙素秋に接す)〔杜甫・《巻十七31秋興八首其六》〕

瞿塘峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

珠簾繡柱圍黃鵠,錦纜牙檣起白鷗。

回首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

風煙素秋,寫秋景之蕭索,而傷時念亂懷戀闕之悲,自在言外,不必拘指之

 

驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。

その声は雲を驚かせ、やがて、朔方の沙漠を去って南に向う、それから黄河の洲に下って、処定めぬ身を喞ちつつ、飄蕩のように迷っているのである。

沙朔 北方沙漠之地。指塞北。

飄蕩 ①あてもなくさまようこと。流浪する。「世乱遭飄蕩、生還偶然遂=世乱れて飄蕩に遭ひしが、生還偶然に遂げたり」〔杜甫・羌村〕②風に吹かれて、空中でふらふらとゆれ動く。

 

有如飛蓬人,去逐萬里遊。

かくの如く、淋しい折から、われは飛蓬の飄飄と風に追われるように、遠く飛び去るのであり、果てて去って萬里の遊を試みているのである。

飛蓬人 ヨモギの穂が風に吹かれ、散じて遠くに乱れ飛ぶようにさまよい歩く人。

 杜甫  復陰(卷二一22(四)一八四七)

方冬合沓玄陰塞,昨日晚晴今日黑。萬里飛蓬映天過,孤城樹羽揚風直。

江濤簸岸黃沙走,雲雪埋山蒼兕吼。君不見夔子之國杜陵翁,牙齒半落左耳

267-#4 《卷八34鄴中贈王大-#4》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#4> Ⅰ李白詩1538 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6238

李白  鄴中贈王大#4

我願執爾手,爾方達我情。相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。臨別意難盡,各希存令名。

そこで、汝を抱いて、ともに石門山の白雲に臥し、琴に和して歌を唱へつつ、清聲を発するであろう。わが希望するところは、このようなものである、つまり、功成り名遂げて後、汝と共に物外の地に逍遥しようというもので、ここに別に臨んで、心に思うところのすべてを、なかなか述べ盡し難く、唯だ、お互に身を慎んで、折角の名誉を落さぬように致したいものである。

 

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

寄天下,長嘯尋豪英。

そこで、駆を投じて、天下を歴めぐり、長嘯して、同志の蒙英を尋ねようとするのである。

恥學琅人,龍蟠事躬耕。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。

富貴吾自取,建功及春榮。

やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

私が願っていることは、汝の手をとって、旧情を述べるので、汝、これに答え、之を歓迎して、わが情思の届くようにして貰ひたい。

相知同一己,豈惟弟與兄。

元来、互に相い知れるのは、心が全く同一であるからで、その親密なことは、兄弟以上である。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

そこで、汝を抱いて、ともに石門山の白雲に臥し、琴に和して歌を唱へつつ、清聲を発するであろう。

臨別意難盡,各希存令名。

わが希望するところは、このようなものである、つまり、功成り名遂げて後、汝と共に物外の地に逍遥しようというもので、ここに別に臨んで、心に思うところのすべてを、なかなか述べ盡し難く、唯だ、お互に身を慎んで、折角の名誉を落さぬように致したいものである。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。

 

李白の足跡0000 

『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

 

(下し文) #4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。

(現代語訳)
私が願っていることは、汝の手をとって、旧情を述べるので、汝、これに答え、之を歓迎して、わが情思の届くようにして貰ひたい。

元来、互に相い知れるのは、心が全く同一であるからで、その親密なことは、兄弟以上である。

そこで、汝を抱いて、ともに石門山の白雲に臥し、琴に和して歌を唱へつつ、清聲を発するであろう。

わが希望するところは、このようなものである、つまり、功成り名遂げて後、汝と共に物外の地に逍遥しようというもので、ここに別に臨んで、心に思うところのすべてを、なかなか述べ盡し難く、唯だ、お互に身を慎んで、折角の名誉を落さぬように致したいものである。


(訳注) #4

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。            

 

我願執爾手,爾方達我情。

私が願っていることは、汝の手をとって、旧情を述べるので、汝、これに答え、之を歓迎して、わが情思の届くようにして貰ひたい。

我情 憂国の情であり、李白の任侠でもって世に出たいと志を持っていることをいう。

 

相知同一己,豈惟弟與兄。

元来、互に相い知れるのは、心が全く同一であるからで、その親密なことは、兄弟以上である。

同一己 憂国の心が全く同一であるということ。

 

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

そこで、汝を抱いて、ともに石門山の白雲に臥し、琴に和して歌を唱へつつ、清聲を発するであろう。

 

臨別意難盡,各希存令名。

わが希望するところは、このようなものである、つまり、功成り名遂げて後、汝と共に物外の地に逍遥しようというもので、ここに別に臨んで、心に思うところのすべてを、なかなか述べ盡し難く、唯だ、お互に身を慎んで、折角の名誉を落さぬように致したいものである。

267-#3 《卷八34鄴中贈王大-#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#3> Ⅰ李白詩1537 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6233


李白  鄴中贈王大 #3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。富貴吾自取,建功及春榮。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。

267-#3 《卷八34鄴中贈王大-#3Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#3> Ⅰ李白詩1537 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6233

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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267-#3 《卷八34鄴中贈王大-#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【4分割】<267-#3> Ⅰ李白詩1537 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6233 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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75-#8 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#8 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1450> Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6234 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札 -#3》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-61 <932> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6235  
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四42女冠子四首 其一》『花間集』193全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6237 
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年:739年開元二十七年39

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詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

寄天下,長嘯尋豪英。

そこで、駆を投じて、天下を歴めぐり、長嘯して、同志の蒙英を尋ねようとするのである。

恥學琅人,龍蟠事躬耕。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。

富貴吾自取,建功及春榮。

やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。

 

 

『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

富貴吾自取,建功及春榮。

 

(下し文) #4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。

(現代語訳) #3

わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

そこで、駆を投じて、天下を歴めぐり、長嘯して、同志の蒙英を尋ねようとするのである。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。

やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。



(訳注)  #3

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。          
 

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

紫燕 良馬の名。古時良馬之一。南朝梁.簡文帝《九日侍皇太子樂遊宴》「紫燕躍武,赤兔越空。」

青萍 宝刀の名。青萍剣、武当剣、昆吾剣、奇門十三剣、達磨剣、三才剣、純陽剣等がある。

 

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

そこで、駆を投じて、天下を歴めぐり、長嘯して、同志の蒙英を尋ねようとするのである。

 

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。

琅琊人 《後漢紀》 「琅邪陽都人諸葛亮,字孔明,躬耕隴畝,好為梁甫吟」とある。

龍蟠 竜や、とらのように抜きんでた能力をもった者がある地域にとどまって、そこでその能力を存分に発揮すること。▽「蟠」はじっと居座ること。「踞」はうずくまること。近づくのが困難な状態を指す。本来は、地勢が険しく、攻めるのに困難な意で用いられたが、転じて、竜やとらのように力強い勢力をもった者が居座って、他を威圧する地域・集団を形成する意味になった。「竜」は「りょう」とも読み、「蟠」は「盤」とも書く。また、「虎踞竜蟠【こきょりゅうばん】」ともいう。

 

富貴吾自取,建功及春榮。

やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。 
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