漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年07月

284 《卷8-09贈瑕丘王少府》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284> Ⅰ李白詩1563 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6363

李白  贈瑕丘王少府 #1

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。梅生亦何事,來作南昌尉。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。
(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)#1

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

284 《卷8-09贈瑕丘王少府》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284> Ⅰ李白詩1563 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6363


 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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740年 李白40歳李白の足跡003 


年:-740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈瑕丘王少府

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

南昌 (嶺南道 白州 南昌)   

交遊人物:王少府              書信往來(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

#2

一見過所聞,操持難與群。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

無由接高論,空此仰清芬。

(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。

#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。
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『贈瑕丘王少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈瑕丘王少府 #1

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

梅生亦何事,來作南昌尉。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

(下し文)
(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。


(現代語訳)
(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)#1

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。


(訳注)

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

瑕丘は、唐書地理志に「河南道兗州に瑕丘縣あり」と記してある。この詩は、瑕丘の縣令王某に贈ったものである。

秦のときの郡名で、兗州はその郡に属していた。兗州市(えんしゅうし)は、中華人民共和国山東省西南部の済寧市に位置する県級市。京滬線および新兗線、兗石線が交わる交通の要衝である。 兗州の名は古代の天下九州のひとつ・兗州(えんしゅう)に由来し、悠久の歴史を誇る。

 

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

 

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

・梅生 梅福(生没年不詳)は、前漢後期の人物。字は子真。九江郡寿春の人。若くして長安で学び、書経、春秋穀梁伝に通じた。郡の文学となり、南昌県の尉となった。その後辞職して寿春に帰っていたが、そこから緊急の件を上書した。当時、成帝は政治を大将軍王鳳に任せており、王鳳は権力を独占していた。京兆尹王章は王鳳を排除しようとしたが反対に王鳳に殺された。梅福は漢の社稷を危うくしたのはいずれも外戚の家であるから、外戚に良い学問の師を付け、忠孝の道を教えてやるべきであると上書したが、成帝はその言を採用しなかった。先に匡衡が「孔子は殷の湯王の子孫であり、いまや嫡統が分からなくなっている宋の子孫よりも、孔子の子孫を殷の末裔として立てるべきである」と建言していた。その当時は経書に典拠が無いことを理由に取り上げられなかったが、梅福の上書の後、綏和元年(紀元前7年)になり、孔子の子孫である孔何斉が殷の末裔として殷紹嘉侯(後に侯から公となる)に封じられた。

梅福は王莽が政治を壟断するようになると妻子を捨て、九江を離れて仙人になったとされる。

・南昌 江西省の省都である。江西省の省人民政府が設置される江西省の政治・経済の中心。二千年の歴史を有し、国家歴史文化名城に指定されている。南昌市は江西省中部のやや北、贛江、撫河下流に位置し、中国最大の淡水湖である鄱陽湖に臨む。全境、平原を主とし、西北には丘陵が起伏する。全市の平均海抜は25メートルである。西部は西山山脈となり、最高点は梅嶺主峰の洗薬峰で海抜841.4メートルである。

 

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

李白  贈范金卿,二首之二  

范宰不買名,弦歌對前楹。為邦默自化,日覺冰壺清。

百里犬靜,千廬機杼鳴。浮人少蕩析,愛客多逢迎。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358



 
 2015年7月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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78-#6 《巻0210送惠師》-#6 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1479> Ⅱ【11分割】-#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6379 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-86杜甫 《1509上白帝城,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-86 <949> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6380 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之二

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

范宰不買名,弦歌對前楹。

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

為邦默自化,日覺冰壺清。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

百里犬靜,千廬機杼鳴。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

范宰 名を買わず,弦歌して前楹に對す。

邦を為【おさ】むる默して自ら化し,日に 冰壺の清きを覺ゆ。

百里 犬靜に,千廬 機杼鳴る。

浮人 蕩析少く,客を愛して逢迎多し。

遊子 嘉政を睹,之に因って 頌聲を聽く。

 

 

『贈范金卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈范金卿,二首之二

范宰不買名,弦歌對前楹。

為邦默自化,日覺冰壺清。

百里犬靜,千廬機杼鳴。

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。



(下し文)
贈范金卿,二首之二

范宰 名を買わず,弦歌して前楹に對す。

邦を為【おさ】むる默して自ら化し,日に 冰壺の清きを覺ゆ。

百里 犬靜に,千廬 機杼鳴る。

浮人 蕩析少く,客を愛して逢迎多し。

遊子 嘉政を睹,之に因って 頌聲を聽く。


(現代語訳)
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。


(訳注)

贈范金卿,二首之二

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

范宰不買名,弦歌對前楹。

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

不買名 淮南子 「絃歌鼓舞、以買名譽于天下。」

 

為邦默自化,日覺冰壺清。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

自化 老子 「我無為而民自化,」

冰壺清 南朝宋鮑照《代白頭吟》「直如朱絲繩,清如玉壺冰。」とある。

 

百里犬靜,千廬機杼鳴。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

機杼鳴 機織る響が絶間ない位、機は軸を転じ、杼をもって緯を持して織機である。

 

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

蕩析 離散。《書經.盤庚下》:「今我民用蕩析離居,罔有定極。」

 

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

頌聲 太平の頌歌を歌う声。

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李白  贈范金卿,二首之一》-#2時人棄此物,乃與燕珉齊。摭拭欲贈之,申眉路無梯。遼東慚白豕,楚客羞山雞。徒有獻芹心,終流泣玉啼。祗應自索漠,留舌示山妻。
だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

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 740年 李白40歳

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、その寶たることを知らないのである。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
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時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

(下し文)
時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

摭拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず。

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

(現代語訳) #2

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。


(訳注) #2

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

燕珉齊 ・燕石《燕山から出る、玉(ぎょく)に似るが玉でない石の意》まがいもの。また、価値のないものを珍重し、誇ること。小才の者が慢心するたとえ。1.燕山所的一种似玉的石。后以“燕珉”不足珍之物。2.凡庸之3.指燕然石。

・珉 白珉:玉の名《山海経・中山経》「岐山、其の陽赤金多し、其の陰、白珉多し」

李白《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。誇作天下珍,卻哂趙王璧。趙璧無緇磷,燕石非貞真。流俗多錯誤,豈知玉與珉。宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

摭拭 ひろいはらう。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

遼東・白豕 《後漢書朱浮傳》「漁陽大守彭寵發突騎、轉糧不絶。自負其功、意望甚高。不能滿。幽州牧朱浮與書曰、遼東有豕。生子、白頭。將献之。道遇羣豕。皆白。以子之功、論於朝廷、遼東豕也。」(漁陽の大守彭寵突騎を発し、糧を転じて絶たず。自らその功を負みて、意望甚だ高し。満つる能はず。幽州の牧朱浮 書を与へて曰く、「遼東に豕あり。子を生む。白頭なり。将に之を献ぜんとす。道に羣豕に遇ふ。皆白し。子の功を以て、朝廷に論ぜば、遼東の豕ならん」と。

漁陽の大守彭寵は、精鋭な騎兵を出して、兵糧を次から次へと送り届けて絶やさなかった。自分でその功績を鼻にかけ、恩賞の望みも甚だ高く、少しのことでは満足させることができなかった。それで幽州の長官、朱浮は手紙を送って次のように言った。「遼東地方のとある豚が子供を生んだが頭が白かった。それで非常に珍しいものと思い、これを朝廷に献上しようとした。ところが道すがら、途中ある地方で、豚の群れに出あうと、どの豚も皆白かった。あなたの功績を朝廷で品定めするならば、「あたかもこの遼東の“いのこ”のようなものでしょう。」そのように自負するには当たない。

楚客羞山雞 楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。《太平御覽》三國·邯鄲淳《笑林》「楚人有擔山雞者,路人問曰:『何鳥也?』擔者欺之曰:『鳳皇也!』路人曰:『我聞有鳳皇久矣,今真見之,汝賣之乎?』曰:『然!』乃酬千金,弗與;請加倍,乃與之。方將獻楚王,經宿而鳥死。路人不遑惜其金,惟恨不得以獻耳。國人傳之,咸以為真鳳而貴,宜欲獻之,遂聞于楚王。王感其欲獻己也,召而厚賜之,過買鳳之十倍矣。」に基づく。

 

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

獻芹心 献芹【けんきん】1 《「列子」楊朱から。つまらない野草のセリを差し上げる意》物を贈ることをへりくだっていう語。「この賄 (まひな) ひ―少しとどめられよかし」〈愚管抄・七〉2 君主に忠義を尽くすこと。また、それをへりくだっていう語。

泣玉啼 春秋時代の楚()の人卞和の故事。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

 

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

索漠 心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。

留舌示山妻 史記 張儀が妻との故事。蘇秦は自分は張儀にかなわないと思っていた。張儀が楚の宰相の食客の時、宰相自慢の器が無くなった。嫌疑は張儀に集中。一同は張儀を捕らえ拷問した。張儀はあくまで身に覚えがないとがんばり通しやっと解放された。故郷に帰った張儀に妻は、「遊説なんか勉強するからそんな目にあうんですよ。やめたらどう」張儀は口をあけて、「どうだ舌はまだついているか」妻は「もちろんです」張儀は力強く「まだやれる」といった。

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贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。離家來幾月,絡緯鳴中閨。

桃李君不言,攀花願成蹊。那能吐芳信,惠好相招攜。

我有結綠珍,久藏濁水泥。
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
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<!--[endif]-->

時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

桃李君不言,攀花願成蹊。

那能吐芳信,惠好相招攜。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

(下し文)

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。

(現代語訳)
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一) #1

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。


(訳注)

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

清盼 眼の白と黒がはっきりとしていて、奇麗に見え、涼しい目ということ。

東走 淮南子「狂者東走、逐者亦東走、其東走則同、其所以東走之為則異。」に基づく。

 

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

絡緯 秋の虫 こおろぎ きりぎりす、くつわむしの総称。「絡緯」は促織ともいい、鳴き声が冬着を織れと促しているように聞こえることから名づけられた。

 

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

桃李 《史記-李広伝賛》「桃李不言、下自成蹊。」に基づく。「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」の部分を指す。意味は「桃や李(すもも)は物を言わなけれど、花は美しく実(み)はおいしいため、その木の下へは人が集まり自然と蹊(こみち[=小道])ができる」。世の中の人は、この言葉の通り徳のある人の元に集まる。

 

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

芳信 1 他人を敬って、その手紙をいう語。2 花の咲いたという便り。花信。3. 芳言とおなじ。

惠好 《詩経北風》「北風其涼 雨雪其雱。惠而好我 攜手同行。」(北風其れ涼なり 雪雨ふること其れ雱たり 惠して我を好せば 手を攜へて同行せん。)

惠而好我、攜手同行。(手を攜へて同じく歸せん手を攜へて同行せん。)

惠而好我、攜手同歸。(手を攜へて同じく歸せん、手を攜へて同じく歸せん。)

惠而好我、攜手同車。(手を攜へて同じく歸せん、手を攜へて車を同じうせん。)

 

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

結綠 美玉名。 《戰國策秦策三》「臣聞周有砥厄, 宋有結綠, 梁有懸黎, 楚有和璞。」

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李白  巻23-05 -#2擬古,十二首之二  

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。
弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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Index-

10

Ⅱ― 5-730年開元十八年30

19

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

135

80

1

古風,五十九首之三十八

孤蘭生幽園,

巻一

136

81

2

長相思

長相思,

巻五

137

82

3

秦女卷衣

天子居未央,

巻四

138

83

4

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,

巻五

139

84

5

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,

巻五

140

85

6

邠歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,

巻六

141

86

7

玉真仙人詞

玉真之仙人,

巻七

142

87

8

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

秋坐金張館,

巻八

143

88

9

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

苦雨思白日,

巻八

144

89

10

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,

巻八

145

90

11

贈裴十四

朝見裴叔則,

巻八

146

91

12

贈新平少年

韓信在淮陰,

巻八

147

92

13

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,

巻十二

148

93

14

夜別張五

吾多張公子,

巻十四

149

94

15

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,

巻十八

150

95

16

登太白峯 

西上太白峰,

巻二十

151

96

17

登新平樓

去國登茲樓,

巻二十

152

97

18

擬古,十二首之二

高樓入青天,

巻二十三

153

98

19

感遇,四首之二

可歎東籬菊,

巻二十三

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

    李太白集 巻二十三-05

詩題:    擬古,十二首之二

 

 

 

擬古,十二首之二 #1

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

152 《卷23-05 擬古,十二首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <152> Ⅰ李白詩1348 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5288

 

#2

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

 

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

#2

弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

 

 

『擬古,十二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) 23-05 -#2

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

(下し文)
弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

(現代語訳)#2
弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。


(訳注)#2

(巻23-05擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

 

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

繞飛梁 《文選王延壽<魯靈光殿賦>》:飛梁偃蹇以虹指, 揭蘧蘧而騰湊。”

 

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

躑躅 「行っては止まる」「躊躇」という意味があり、見る人の足を引き止める美しさから、この漢字が使われたといわれる。 本来は「羊躑躅」で、葉を食べたヒツジが躑躅して死ぬことからという説から、ツツジという意味になる。

 

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

 

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

281-#3 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -#3》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#3> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

李白  早秋贈裴十七仲堪 -#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非時命若不會,歸應鍊丹砂。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

281-#3 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -3Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#3> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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740年 李白40歳

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

明主儻見收,煙霞路非

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

時命若不會,歸應鍊丹砂。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。


雙歌入青雲,但惜白日斜。窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非。時命若不會,歸應鍊丹砂【知飛萬里道,勿使寒嗟】。


(下し文)
雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず。

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

(現代語訳) #3

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。


(訳注) #3

早秋贈裴十七仲堪 

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

雙歌入青雲,但惜白日斜。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

青雲 高い志の比喩。道家によく使う。

 

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

大澤 沛県の大沢郷。現在の安徽あんき省宿州市。漢の劉邦の出身地。母の劉媼が劉邦を出産する前、澤の側でうたた寝をしていると、夢の中で神に逢い、劉太公は劉媼の上に龍が乗っている姿を見た。その夢の後に劉邦が生まれたという。

 

明主儻見收,煙霞路非

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

明主 上に聖明の天子があるということ。収用してくれるひとであること。

 

時命若不會,歸應鍊丹砂。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

丹砂 1 鉱物の一。辰砂 (しんしゃ) 。「丹砂 (たんさ・たんしゃ) 2 赤色の顔料。赤い色。に。「丹朱・丹青・丹頂」3 丹砂を配合した不老不死の仙薬。「丹薬/仙丹・練丹術」4 練り上げた薬。

281-#2 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -#2》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#2> Ⅰ李白詩1561 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6353

李白  早秋贈裴十七仲堪#2  

功業若夢裡,撫琴發長嗟。裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。復攜兩少女,豔色驚荷葩。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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740年 李白40歳 

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。


功業若夢裡,撫琴發長嗟。裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。復攜兩少女,豔色驚荷葩【豔色驚荷花】。


(下し文)
功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。


(現代語訳)
功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。


(訳注)

#2

早秋贈裴十七仲堪 

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

功業 功績の著しい事業。また、功績。てがら。

 

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

英邁 天資英邁 生まれつき、才知が非常に優れていること。

屈起 勃起。

 

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

海岱豪 東海泰山の間に在る古の齊魯の治を巡り歩いて豪士の輩を訪問するというほどの意。海:東海、齊魯の地。岱:泰山。

結交 腹を割った付き合いをする交際。 唐宋詩196 Ⅶ郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(3)「結交」

朱家 朱 家(しゅ か、生没年不詳)は、秦から前漢にかけての人物。魯国の人。游侠として知られ、その行状は司馬遷の『史記』に記されている。朱家は名が通り、普段は腰が低く貧しい身なりや1日の食事は一汁一菜という貧しい生活をしていた。人を匿い助けること数百を超え、また貧しき者から助けていたために人気が高く、朱家のためなら命を惜しまぬ者も多数いたという。だが朱家自身、人を助けたからと言って礼を言われることを嫌っていたため、逆に礼をする者はいなかったという。

游侠とは任侠を貫くことを生き甲斐にしていた人のことで、器量を鼻にかけたり、恩着せがましいことをせず、人を匿って命を助けるもののことであった。

 

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

荷葩 蓮花。

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李白  早秋贈裴十七仲堪  #1  

遠海動風色,吹愁落天涯。南星變大火,熱氣餘丹霞。

光景不可迴,六龍轉天車。荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。
(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

早秋贈裴十七仲堪  #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

光景不可迴,六龍轉天車。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

(下し文)
(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

(現代語訳)
(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。


(訳注)

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

 

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

大火 さそり座α星 (固有名アンタレス ) の中国名。和名では赤星と呼び,いずれも真紅に輝くことにちなむ。

 

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

六龍 義和神話の中に出てくる神の名で、太陽が乗る車の馭者を意味する。『淮南子』に「日は車駕に乗るに、六龍を以てし、義和これが馭となる」とある。

天車 日車

 

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

○荊人泣美玉 楚の卞和は、美玉を献じたことの故事。卞和(生没年不詳)は、春秋時代前期の楚に住んでいたとされる男。和氏(かし)とも呼ばれる。韓非の著した『韓非子』の和氏篇において、法術の士の孤独を説明する為の説話で登場する。

卞和は山中で玉の原石を見つけ楚の厲王(蚡冒)に献上した。しかし厲王が職人に石を鑑定させると、ただの石ころだと言った為、卞和を足斬りの刑にして左足を切り落とした。

厲王が死に、弟の武王が即位すると、卞和は再び原石を献上した。しかし結果は同じで、武王も卞和を嘘つきとして右足を切り落とした。

武王も死に、子の文王が即位した。卞和は原石を抱きかかえて三日三晩血の涙を流し泣き悲しんだ。文王は人を遣わして、足斬りの刑を受けた者は沢山いると言うのに何故そのように悲しむのか、その訳を問い質した。卞和は、足斬りにあった事が哀しいのではなく、宝石なのに石ころと言われた事、正しい事を言ったのに嘘つきと言われた事が悲しいと答えた。

文王が原石を磨かせてみると、それは見事な宝石となった。そこで文王は、自分達の非を認めた上で卞和を賞し、この宝石を「和氏の璧」と名付け、楚の国宝とした。この和氏の璧ははるか後に、戦国時代の趙へと渡り、「完璧」の故事の由来となる。

魯叟悲匏瓜 魯叟は孔子のこと。論語に「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん)に在るに基づく。ただぶら下がっていて、誰にも食べられない苦瓜のように、誰にも用いられないでおれようか。断固、用いられなければならないのだ。匏瓜:苦瓜。人に用いられないことのたとえ。

280 《巻二十四26白田馬上聞鶯》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <280> Ⅰ李白詩1558 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6338

李白  白田馬上聞鶯  

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。我行不記日,誤作陽春時。

蠶老客未歸,白田已繅絲。驅馬又前去,捫心空自悲。
(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

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