漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年08月

298-#2 《卷十六01送魯郡劉長史遷弘農長史》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298-#2> Ⅰ李白詩1598 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6538

李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#2  

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。及此留惠愛,庶幾風化淳。
承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟郊張籍     
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

 

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

 

汜水関などの地図 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

(下し文)
-
#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。


(現代語訳)
-#2

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。


(訳注) -#2

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

起首の八句は、劉某が魯郡に於で志を得ざることを写し、次の八句は、弘農に遷れば、大に得意なるべきを叙し、魯鎬の四句は、別に臨んで物を贈られたるを謝し、以下六句は、ここに言を贈るということに及び、以て牧結としたのである。

 

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

鼎湖鄰 鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)    黄帝は、首山の胴を採掘して荊山の麓で鼎を鋳造した。鼎が完成すると、龍が出現した。あごひげをたらして下って、黄帝を天上に迎えに来た。黄帝は、こうして龍にまたがり昇ることになった。群臣や後宮の女官で従うことを許された者は、わずか七十人あまりだった。小臣はみな昇ることを許されなかった。彼らは天に昇りたくて龍のひげをにぎってはなさなかった。そのため龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた。小臣たちはその弓を抱いて泣いた。後世、その場所を鼎湖【ていこ】と名づけ、その弓を烏号【うごう】といった。李白《巻1809答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄》「鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。」

149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

 

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

寶鏡匣蒼蘚 《太平廣記》卷四百六十三〈禽鳥四秦吉了〉「昔者吾聞黃帝鑄十五鏡。其第一橫徑一尺五寸,法滿月之數也。」とある。

丹經埋素塵 抱朴子 「黃帝陟王屋而受丹經,即此事也。」

 

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

軒后上天 黄帝の別称、公孫軒轅。姓は公孫、名は軒轅。姓は姫姓とも姒氏とも言われ、また帝鴻氏とも呼ばれる。黄帝の友人・無為子および臣下のもので従って昇天したもの七十二人、従えなかった他の小臣は、落ちた竜の髯と帝の弓を抱いて号泣したという(劉向『列仙伝』など)。 いずれにせよ、黄帝の身体は竜とともに天に昇ってしまい、今でも人民政府が祭っている黄帝の陵墓は、黄帝の衣や冠だけが収められた、いわゆる「衣冠塚」だということである。

 

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

298 《卷十六01 送魯郡劉長史遷弘農長史》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298> Ⅰ李白詩1586 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6478

李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。仲尼且不敬,況乃尋常人。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。閉門木葉下,始覺秋非春。
(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

298 《卷十六01 送魯郡劉長史遷弘農長史》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298> Ⅰ李白詩1586 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6478

 

 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1510> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

 

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

閉門木葉下,始覺秋非春。

(下し文)
(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。

(現代語訳)
(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。


(訳注)

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

 

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

橫海鱗 大魚。「海いっぱいになるほど大きな魚。転じて大人物のこと。 《宋書謝晦傳》:偉哉橫海鱗, 壯矣垂天翼, 一旦失風水, 翻為螻蟻食。”

 

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

○仲尼 氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。孔子は自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、ほとんどその機会に恵まれなかった。孔子は優れた能力と魅力を持ちながら、世の乱れの原因を社会や国際関係における構造やシステムの変化ではなく個々の権力者の資質に求めたために、現実的な政治感覚や社会性の欠如を招いたとする見方がある。孔子の唱える、体制への批判を主とする意見は、支配者が交代する度に聞き入れられなくなり、晩年はその都度失望して支配者の元を去ることを繰り返した。それどころか、孔子の思想通り、最愛の弟子の顔回は赤貧を貫いて死に、理解者である弟子の子路は謀反の際に主君を守って惨殺され、すっかり失望した孔子は不遇の末路を迎えた。

 

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

 

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

閉門木葉下,始覺秋非春 『白氏文集』(白楽天)「燕子楼中霜月夜秋来只為一人長。 [燕子楼(えんしろう)中(ちゅう)の霜月(そうげつ)の夜秋来たって只一人のために長し。」

大江千里(23番) 『古今集』「月見ればちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」

 

《白氏文集卷十五・燕子樓》「滿窗明月滿簾霜、被冷燈殘払臥床、燕子樓中霜月夜、秋來只爲一人長。」(満窓の明月、満簾の霜 被は冷やかに、燈は残【うす】れて臥床を払ふ 燕子楼の中の霜月の夜よ 秋来たって只一人の為に長し)
李白の足跡0000 

297-#4 《卷十五18送薛九被讒去魯》#4 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#4> Ⅰ李白詩1596 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6528

李白  送薛九被讒去魯#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。沙丘無漂母,誰肯飯王孫。
ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。

297-#4 《卷十五18送薛九被讒去魯》#4 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#4> Ⅰ李白詩1596 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6528

 


年:41年開元二十九年41

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送薛九被讒去魯

作地點:              目前尚無資料

及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:薛九          當地交遊

 

 

送薛九被讒去魯 #1

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

#3

#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

信陵奪兵符,為用侯生言。

信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。

春申一何愚,刎首為李園。

ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。

借問笑何人,笑人不好士。

そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。

 

(薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1

宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。

我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。

黃金 眾口に消し,白璧 竟に投じ難し。

梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。

#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。
#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

『送薛九被讒去魯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

(下し文)
#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

(現代語訳)
#4

ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。

そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。

君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。

顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。


(訳注) #4

送薛九被讒去魯

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

李白の足跡0000 

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。

四公子 平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は賓客を好み、それにより成果を上げた、という点において賢者であるとされる。

黃泉 春秋左氏傳「不及黃泉,無相見也。」とあり史記鄭世家集解引服虔注に「天玄地黃,泉在地中,故曰黃泉。」とし、「黃泉死所葬。」とみえる。

 

借問笑何人,笑人不好士。

そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。

 

爾去且勿諠,桃李竟何言。

君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。

桃李 徳のある人は、自分からは何も言わなくても、その徳を慕って人々が自然に集まってくることのたとえ。《「史記・李将軍列伝》「桃李成蹊」(「桃李不言、下自成蹊。」桃李もの言わざれど下自ら蹊を成す)

 

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。

沙邱 瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門

沙邱城下寄杜甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190

故郷の淮陰に凱旋した韓信は、飯を恵んでくれた老女、自分を侮辱した少年、居候させていた亭長を探して呼び出した。まず、老女には使い切れないほどの大金を与えた。次いで、かつての少年には「あの時、殺すのは容易かったが、それで名が挙がるわけでもない。我慢して股くぐりをしたから今の地位にまで登ることができたのだ」と言い、中尉(治安維持の役)の位につけた。亭長には「世話をするなら、最後までちゃんと面倒を見よ」と戒め、百銭を与えた。

 

宿五松山下荀媼家

令人慚漂母,三謝不能餐。

淮陰書懷寄王宗成

暝投淮陰宿,欣得漂母迎。斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

猛虎行

張良未遇韓信貧,劉項存亡在兩臣。暫到下邳受兵略,來投漂母作主人。

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首之二

飢從漂母食,閑綴羽陵簡。

送薛九被讒去魯

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

 
 2015年8月29日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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297-#4 《卷十五18送薛九被讒去魯》#4 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#4> Ⅰ李白詩1596 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6528 
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87-#2 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1509> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6529 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-112杜甫 《巻1540夔州歌十絕句,十首之十》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-112 <975> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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297-#3 《卷十五18送薛九被讒去魯》#3 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#3> Ⅰ李白詩1595 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6523

李白  送薛九被讒去魯》#3

毛公一挺劍,楚趙兩相存。孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

信陵奪兵符,為用侯生言。春申一何愚,刎首為李園。
#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。

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年:41年開元二十九年41

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送薛九被讒去魯

作地點:              目前尚無資料

及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:薛九          當地交遊

 

 

送薛九被讒去魯 #1

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

#3

#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

信陵奪兵符,為用侯生言。

信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。

春申一何愚,刎首為李園。

ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

 

(薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1

宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。

我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。

黃金 眾口に消し,白璧 竟に投じ難し。

梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。

#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。
#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

 

 

『送薛九被讒去魯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

信陵奪兵符,為用侯生言。

春申一何愚,刎首為李園。

(下し文)
#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。

(現代語訳)
#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。

ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。



(訳注)

送薛九被讒去魯

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

 

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

毛公 紀元前259年、秦軍は更に趙の首都・邯鄲を包囲した。平原君は救援を求めるために楚へと赴いた。この時に客の一人の毛遂と言う者が同行したいと名乗り出てきた(毛遂自薦)。平原君は「賢人と言うものは錐を嚢中(袋の中)に入れておくようなもので、すぐに袋を破って先を出してくるものです。先生が私の所へ着てから3年になるが、評判を聞いていません。お留まり下さい。」と断った。毛遂はこれに「私は今日こそ嚢中に入りたいと思います。私を早くから嚢中に入れておけば、先どころか柄まで出ていましたよ。」と答え、この返答が気に入った平原君は毛遂を連れて行くことにした。これが「嚢中の錐」の原典である。

平原君は楚に入り、楚の考烈王に合従(同盟)を説いたが、楚は前に秦に侵攻されたこともあって脅威に思い中々まとまらない。毛遂は剣を握って考烈王の前に立ち、「白起は楚の首都を焼いて楚の祖先を辱めました。合従は趙のためではない、楚のためである」と説いて考烈王はこれを受け入れた。これに喜んだ平原君は帰国後に毛遂を上客とした。

毛遂自薦の故事は、戦国七雄時代(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)に、秦に攻め込まれ

た趙の王平原君が、楚に救いを求めに行った折り、趙の食客(特別な技術・才能をもち、

客として召し抱えられた人)の毛遂が自ら名乗り出て、楚王との交渉を成功させ、秦と

の戦いに勝利をおさめたという話です。(『史記』平原君虞卿列伝)

 

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

孟嘗習狡兔 ずるいウサギは巣を3つ持っているということで、)逃げ道をいくつもつくり用意周到である.

《戰國策》卷十一〈齊四·齊人有馮諼者〉“孟嘗君就國於薛,未至百里,民扶老攜幼,迎君道中。孟嘗君顧謂馮諼:「先生所為文市義者,乃今日見之。」馮諼曰;「狡兔有三窟,僅得免其死耳。今君有一窟,未得高枕而臥也。請為君復鑿二窟。」孟嘗君予車五十乘,金五百斤,西遊於梁,謂惠王曰:「齊放其大臣孟嘗君於諸侯,諸侯先迎之者,富而兵強。」於是,梁王虛上位,以故相為上將軍,遣使者,黃金千斤,車百乘,往聘孟嘗君。馮諼先驅誡孟嘗君曰:「千金,重幣也;百乘,顯使也。齊其聞之矣。」梁使三反,孟嘗君固辭不往也。齊王聞之,君臣恐懼,遣太傅黃金千斤,文車二駟,服劍一,封書謝孟嘗君曰:「寡人不祥,被於宗廟之祟,沉於諂諛之臣,開罪於君,寡人不足為也。願君顧先王之宗廟,姑反國統萬人乎?」馮諼誡孟嘗君曰:「願請先王之祭器,立宗廟於薛。」廟成,還報孟嘗君曰:「三窟已就,君姑高枕為樂矣。」”

 

信陵奪兵符,為用侯生言。

信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。

奪兵符 王の臥内の兵符を盗む 侯嬴は信陵君に手勢だけでは少数すぎて犬死となるだけであり、国軍を動かすべきだと説いた。国軍を動かすために、王の手元から軍に命令を下すための割符を魏王の寵愛する姫に盗ませ、将軍の晋鄙がこれを疑ったならば、朱亥に将軍を殺させ軍の指揮権を奪うようを説いた。

信陵君は国境の城に出向き、割符を見せ、軍を率いていた晋鄙将軍に交代するよう言ったが、晋鄙はやはり確認のための伝令を出すと言ったため、やむなく朱亥が40斤の金槌で晋鄙を命令違反として撲殺し、丁重に埋葬した。なお、これに前後して侯嬴は信陵君がいる方向へ、自らの命を手向けとするべく自刎した。

信陵君は、中国戦国時代の魏の公子であり、政治家・軍人。三代昭王の末子。姓は姫、氏は魏、諱は無忌。戦国四君の一人。大国秦によって圧迫を受けた魏を支え、諸国をまとめ上げ秦を攻めるも、兄王に疑われて憂死した。

侯生言 侯嬴の謀。信陵君は門番をしている侯嬴が賢人と聞き、食客になって貰おうと自ら出向き贈り物をした。しかし侯嬴は老齢を理由に断った。信陵君は後日予定の宴席に招待し、それは侯嬴も承諾した。その通り、信陵君は宴席を設けたが侯嬴が居なかったため、自ら招くべく馬車に乗って街へと出向いた。侯嬴は自分が行っても信陵君の恥になると一度断った後、信陵君に勧められ馬車に乗ったが、上席に断りもなく座った。そして途中で止めて欲しいと言って馬車を降り、肉屋である朱亥と世間話を始めた。その間、信陵君は嫌な顔もせず待っていた。そして宴席で信陵君は侯嬴を上席へと座らせた。他の大臣などの客は、汚らしい老人を信陵君自ら招きいれ、しかも上席にしたことに驚いた。そして侯嬴に朱亥と世間話をしていた理由を聞いた。侯嬴は「信陵君への恩返しである」と答えた。全く訳が解らなかった客が再び問うと、皆が信陵君をどうでもいい用事で待たせる失礼な爺だと侯嬴を蔑す一方で待った信陵君の器量を賞賛する。これは噂となり、国中どころか他国にも伝わり、信陵君の名声が大いに高まるであろうと答えた。客らは納得し、宴席も大いに盛り上がった。

 

春申一何愚,刎首為李園。

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春申一何愚,刎首為李園 春申君の食客のひとりに李園がいた。李園の妹は美人でいずれ楚の考烈王に差し出して出世しようと企んでいた。春申君はその妹を寵愛していた。その後、李園の妹は春申君の子を身篭る。これに対して李園は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君に李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができると唆した。春申君はこの策を真に受けてしまい、考烈王に進言し李園の妹を献上した。李園の妹は王后となり、李園は高位に登った。

その後、李園は事の露見を恐れて春申君の命を狙うようになった。春申君の食客の朱英は危機感を覚え、李園の殺害を命じるよう春申君に言ったが、春申君は李園を軽く見ていたのでこれを相手にしなかった。身の危険を感じた朱英は間もなくそのまま逃亡した。

297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518

李白  送薛九被讒去魯#2   

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。田家養老馬,窮士歸其門。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。卻斬美人首,三千還駿奔。
鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:41年開元二十九年41

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送薛九被讒去魯

作地點:              目前尚無資料

及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:薛九          當地交遊

 

 

送薛九被讒去魯 #1

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

#3

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

信陵奪兵符,為用侯生言。

春申一何愚,刎首為李園。

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

 

(薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1

宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。

我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。

黃金 眾口に消し,白璧 竟に投じ難し。

梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。

#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。

#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

 

 

『送薛九被讒去魯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

田家養老馬,窮士歸其門。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

卻斬美人首,三千還駿奔。

(下し文)
#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

(現代語訳)
鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。


(訳注) #2

送薛九被讒去魯

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

 

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

 

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

○田家養老馬 田子方の老馬を贖うという故事に基づく。《淮南子人間訓》 田子方見老馬於道, 喟然有志焉, 以問其御曰: '此何馬也?'其御曰: '此故公家畜也。 老罷而不為用, 出而鬻之。”田子方曰:“少而貪其力,老而棄其身,仁者弗為也。”束帛以贖之。疲武聞之,知所以歸心矣。

 

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

○蛾眉笑躄者 《史記》卷七十六〈平原君虞卿列傳平原君〉

平原君趙勝者趙之諸公子也

平原君趙勝という者は、趙の諸(もろもろ)の公子である。

諸子中勝最賢喜賓客賓客蓋至者數千人

諸(もろもろ)の子の中で趙勝が最も賢(かしこ)く、賓客(ひんきゃく)を喜び、賓客(ひんきゃく)のおおむね至った者は数千人。

平原君相趙惠文王及孝成王

平原君趙勝は趙恵文王及び趙孝成王を補佐し、

三去相三復位封於東武城

三たび宰相をやめて、三たび宰相に復位(ふくい)し、東武城に封ぜられた。

平原君家樓臨民家

平原君趙勝の家の高楼(こうろう)は民家に臨(のぞ)んでいた。

民家有躄者槃散行汲

民家にはいざりの者がおり、よろめきながら水を汲(く)みに行った。

平原君美人居樓上臨見大笑之

平原君の美人が高楼の上に居(お)り臨(のぞ)み見て、これを大いに笑った。

明日躄者至平原君門請曰

明くる日、いざりの者が平原君趙勝の門に至り、請(こ)うた、曰く、

臣聞君之喜士士不遠千里而至者

「わたしは君(平原君趙勝)の士を喜ぶことを聞きました。士の千里(せんり)を遠(とお)くとせずして至るのは、

以君能貴士而賤妾也

君を以って士を貴(たっと)び、妾(そばめ)を賤(いや)しむことができるからです。

臣不幸有罷癃之病而君之后宮臨而笑臣

わたしは不幸にも不治の病が有り、しこうして、君(平原君趙勝)の後宮が臨(のぞ)み見て、わたしを笑いました。

臣願得笑臣者頭平原君笑應曰諾

わたしは願わくはわたしを笑った者の頭(あたま)を得たい」と。平原君趙勝は笑って応(こた)えて曰く、「承知した」と。

躄者去平原君笑曰

いざりの者が去(さ)り、平原君趙勝は笑って曰く、

觀此豎子乃欲以一笑之故殺吾美人不亦甚乎

このような小僧(こぞう)をかんがみよ。すなわち一度笑った故(ゆえ)を以って吾(わ)が美人を殺そうと欲するは、なんと甚(はなは)だしいことではないか」と。

終不殺居餘賓客門下舍人稍稍引去者過半

とうとう殺さなかった。一年余りがたって、賓客、門下の舎人が稍稍(しょうしょう)と次第に引き去(さ)る者が半数を越えた。

平原君怪之曰勝所以待諸君者未嘗敢失禮

平原君趙勝はこれを不思議に思い、曰く、「わたしの諸君(しょくん)をもてなす方法は未(いま)だ嘗(かつ)て敢(あ)えて礼(れい)を失(うしな)ったことはない。

而去者何多也門下一人前對曰

しかし去(さ)った者がどうして多いのだろうか」と。門下(もんか)の一人が前に出て応(こた)えて曰く、

以君之不殺笑躄者以君為愛色而賤士士即去耳

「君(平原君趙勝)のいざりを笑った者を殺さなかったことを以って、君(平原君趙勝)を以って色(いろ)を愛(め)でて士を賤(いや)しむと為し、士はすなわち去(さ)っただけであります」と。

於是平原君乃斬笑躄者美人頭

ここに於いて平原君趙勝はすなわちいざりの者を笑った美人の頭を斬った。

自造門進躄者因謝焉其后門下乃復稍稍來

自(みずか)ら門にいたりいざりの者に進(すす)め、因(よ)りて謝(しゃ)した。その後、門下はすなわちふたたび稍稍(しょうしょう)と次第に来るようになった。

是時齊有孟嘗魏有信陵

この時、斉には孟嘗君田文がおり、魏には信陵君魏無忌がおり、

楚有春申故爭相傾以待士 

楚には春申君黄歇がおり、故(ゆえ)に互いに耳をそばだてて士をもてなすことを争(あらそ)った。

 

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

○駿奔 駿は大急ぎという意。奔は駆け込むさまをいう。大急ぎでその門に駆け込んできた。

297-#1 《卷十五18送薛九被讒去魯》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297> Ⅰ李白詩1585 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6473

李白  送薛九被讒去魯   

宋人不辨玉,魯賤東家丘。我笑薛夫子,胡為兩地遊。

黃金消口,白璧竟難投。梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。
(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog8毛文錫《巻五50巻五16甘州遍二首其二》『花間集』249全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6517 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:41年開元二十九年41

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送薛九被讒去魯

作地點:              目前尚無資料

及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:薛九          當地交遊

 

 

送薛九被讒去魯 #1

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

田家養老馬,窮士歸其門。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

卻斬美人首,三千還駿奔。

#3

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

信陵奪兵符,為用侯生言。

春申一何愚,刎首為李園。

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

 

(薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1

宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。

我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。

黃金 眾口に消し,白璧 竟に投じ難し。

梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。

#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。

#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

『送薛九被讒去魯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送薛九被讒去魯

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

黃金消口,白璧竟難投。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

(下し文)
(薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1

宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。

我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。

黃金 に消し,白璧 竟に投じ難し。

梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。

(現代語訳)
(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。


(訳注)

送薛九被讒去魯

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

 

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

○宋人不辨玉 宋人は燕石を珍重した。・燕石《燕山から出る、玉(ぎょく)に似るが玉でない石の意》まがいもの。また、価値のないものを珍重し、誇ること。小才の者が慢心するたとえ。1.燕山所的一种似玉的石后以“燕珉”不足珍之物。2.凡庸之3.指燕然石。李白《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。誇作天下珍,卻哂趙王璧。趙璧無緇磷,燕石非貞真。流俗多錯誤,豈知玉與珉。」宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

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○東家丘 ·文選張詵注:「魯人不識孔子聖人,乃雲:『我東家丘者,吾知之矣。』言輕孔丘也。」(魯人 孔子の聖人たるを識らず,乃ち雲う:『我が東家の丘なる者,吾 之を知れり。』と。言うは孔丘を輕んずるなり。」

 

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

 

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

○黃金消眾口 國語 衆口鑠金,鑠,消也。衆口所,雖金石猶可消。(衆口は金を鑠す,鑠は,消なり。衆口の所,金石と雖も猶お消す可きなり。)に基づく。

○白璧竟難投 《史記鄒陽傳》「明月之珠,夜光之璧,以暗投人於道路,人無不按劍相眄者,何則、無因而至前也。」(明月の珠,夜光の璧,暗を以て人に道路に投ずれば,人 劍を按じて相眄せざるものなし,何となれば則ち、因なくして前に至ればなり。)に基づく。

 

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

梧桐 ① アオギリの異名。 五三(ごさん)の桐(きり) 」に同じ。

蒺藜 蒺藜科蒺藜屬植物。薬草。
李白の足跡0000 

296 《巻十四02別魯頌》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <296> Ⅰ李白詩1584 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6468

李白  別魯頌  

誰道泰山高,下卻魯連節。誰云秦軍眾,摧卻魯連舌。

獨立天地間,清風灑蘭雪。夫子還倜儻,攻文繼前烈。

錯落石上松,無為秋霜折。贈言鏤寶刀,千庶不滅。

(魯頌に別れるにあたって、魯という姓の故を以て、古の魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。)

誰か泰山を高いといふか、魯仲連の高節に比すれば、もとより圧し下れて仕舞うというものだ。誰か秦軍を多勢だというか、魯伸連の舌の先で、散散に打砕かれて仕舞ったという。かの魯伸連は、天地の間に獨立し、その人物の高潔なることは、清風が蘭の葉の上の雪に吹き灑ぐようである。わが魯頌も、魯仲連と同姓の縁故があるというのみならず、その人物も倜儻不羈で、はるかに、羣俗に抜き、そしで、文學を攻究して、前人の功烈を継がんとしている。彼は、錯落たる石上の松に比すべきもので、どうか、秋霜に折られぬようにして欲しい。そこで、言を贈らんとして、よって、これを賓刀にほり付けることにしたから、こいねがわくば、千歳の後までも、決して泯滅することがないように、幸に我が嘱望に負かざらんことを希望する。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    別魯頌

作地點:              目前尚無資料

及地點:泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

 

 

別魯頌

(魯頌に別れるにあたって、魯という姓の故を以て、古の魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。)

誰道泰山高,下卻魯連節。

誰か泰山を高いといふか、魯仲連の高節に比すれば、もとより圧し下れて仕舞うというものだ。

誰云秦軍眾,摧卻魯連舌。

誰か秦軍を多勢だというか、魯伸連の舌の先で、散散に打砕かれて仕舞ったという。

獨立天地間,清風灑蘭雪。

かの魯伸連は、天地の間に獨立し、その人物の高潔なることは、清風が蘭の葉の上の雪に吹き灑ぐようである。

夫子還倜儻,攻文繼前烈。

わが魯頌も、魯仲連と同姓の縁故があるというのみならず、その人物も倜儻不羈で、はるかに、羣俗に抜き、そしで、文學を攻究して、前人の功烈を継がんとしている。

錯落石上松,無為秋霜折。

彼は、錯落たる石上の松に比すべきもので、どうか、秋霜に折られぬようにして欲しい。

贈言鏤寶刀,千庶不滅。

そこで、言を贈らんとして、よって、これを賓刀にほり付けることにしたから、こいねがわくば、千歳の後までも、決して泯滅することがないように、幸に我が嘱望に負かざらんことを希望する。

 

(魯頌に別る)

誰か泰山を高しと道ふ、下却す魯蓮の節。

誰か秦軍を衆しと云ふ、摧卻す魯連の舌。

獨立す天地の間、清風、蘭雪に灑ぐ。

夫子、還た倜儻、文を攻めて、前烈に繼ぐ。

錯落たり石上の松、秋ほう霜に折らるるなし。

贈言 寶刀に鏤むれば、千歳 庶はくば滅せざらむ。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『別魯頌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

別魯頌

誰道泰山高,下卻魯連節。

誰云秦軍,摧卻魯連舌。

獨立天地間,清風灑蘭雪。

夫子還倜儻,攻文繼前烈。

錯落石上松,無為秋霜折。

贈言鏤寶刀,千庶不滅

(下し文)
(魯頌に別る)

誰か泰山を高しと道ふ、下却す魯蓮の節。

誰か秦軍を衆しと云ふ、摧卻す魯連の舌。

獨立す天地の間、清風、蘭雪に灑ぐ。

夫子、還た倜儻、文を攻めて、前烈に繼ぐ。

錯落たり石上の松、秋ほう霜に折らるるなし。

贈言 寶刀に鏤むれば、千歳 庶はくば滅せざらむ。


(現代語訳)
(魯頌に別れるにあたって、魯という姓の故を以て、古の魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。)

誰か泰山を高いといふか、魯仲連の高節に比すれば、もとより圧し下れて仕舞うというものだ。

誰か秦軍を多勢だというか、魯伸連の舌の先で、散散に打砕かれて仕舞ったという。

かの魯伸連は、天地の間に獨立し、その人物の高潔なることは、清風が蘭の葉の上の雪に吹き灑ぐようである。

わが魯頌も、魯仲連と同姓の縁故があるというのみならず、その人物も倜儻不羈で、はるかに、羣俗に抜き、そしで、文學を攻究して、前人の功烈を継がんとしている。

彼は、錯落たる石上の松に比すべきもので、どうか、秋霜に折られぬようにして欲しい。

そこで、言を贈らんとして、よって、これを賓刀にほり付けることにしたから、こいねがわくば、千歳の後までも、決して泯滅することがないように、幸に我が嘱望に負かざらんことを希望する。

李白の足跡0000
(訳注)

別魯頌

(魯頌に別れるにあたって、魯という姓の故を以て、古の魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。)

魯頌は人名。この詩は魯頌に別るるに際し、同姓の故を以て、古しへの魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。

魯仲連 (約前305年—前245年),有時簡稱魯連。戰國時代齊國茌平人(今山東省茌平縣王老望魯店村),為遊名士。曾就學於稷下學宮,不願出任官職。由於他的遊技巧卓越,有著名的「義不帝秦」辯論。成為現代「和事佬」的代名詞。《漢書》藝文志有《仲連子》14篇。

斉の人。特異卓抜な計画が好きで、宮仕えを厭い、好んで高節を堅持した。B.C.258秦軍が趙の邯鄲を包囲し、趙は魏に救援を求めた。魏安釐王は客将の新垣衍を邯鄲に潜入させ、 平原君を通じて趙孝成王に「使者を秦に遣わし尊んで帝と称するなら、 秦は喜んで兵を引き揚げるだろう」と言わせようとした。魯仲連はたまたま趙に遊説しており、平原君に新垣衍と合わせてくれるよう請うた。

魯仲連は説いて自説を取りやめるよう新垣衍を説得し、結局新垣衍は再拝して取りやめた。

秦軍が去った後、平原君は魯仲連を封じようとしたが「天下の士が貴いのは、人のために禍を除き災難を払い、紛争を解いて身に受けるところがないからである。 金を受けるのは商人のすることで連のできるところではない」と言って去り、生涯再び会わなかった。

斉の将軍田単が長狄を討とうとして、魯仲連に会いに出かけた。魯仲連は「将軍が狄をお攻めになっても、降すことはできますまい」 と言った。田単は挨拶もせずに憤然と立ち去った。しかし田単は狄を3ヶ月攻めたが降すことができなかった。

田単は再び魯仲連に見えた。魯仲連は「将軍が即墨におられたときは、決死の覚悟があり、士卒には生き延びる未練はありませんでした。たから強い燕を破ることができたのです。 ところが、いまや将軍には掖邑の領地があり、生きる楽しみがあって、死ぬ覚悟がありません。これが勝てない原因です」と言った。

田単はそこで気を奮い起こして、ついに狄を討ち破った。

燕の将軍が斉を攻め、聊城を取った。聊城の人が燕王に将軍のことを讒言したため、将軍は誅殺されることを恐れて、国に帰らなかった。 田単は聊城を討ったが、一年経っても落ちなかった。

魯仲連は燕将に書簡をもって 「孫臏や管夷吾や曹沫は小恥を知り、 小節をおこなうことができなかったのではなく、わが身を殺し、家系を断ち、子孫を絶やして功名の立たないのを智者の振舞いとしなかったのである。

願わくば公にも、その一を選んで実行されますように」と言った。

燕将は書簡を見て泣くこと3日、帰国することも降ることもできないので自殺した。田単はついに聊城をおとしいれた。

田単は王にこのことを言上し、爵位を与えようとしたが、魯仲連は逃げて海浜に隠れ「わたしは富貴の身となって人主に屈するより、むしろ貧賤のまま世を軽んじ、 思いのままに振舞いたい」と言った。

 

誰道泰山高,下卻魯連節。

誰か泰山を高いといふか、魯仲連の高節に比すれば、もとより圧し下れて仕舞うというものだ。

下卻 ~より劣っているという意。

泰山 山東省中部にある名山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。中国五岳の一。古来信仰の対象となり、秦・漢時代から皇帝が封禅 (ほうぜん) の儀式を行った所。玉皇廟など古跡が多い。

 

 

誰云秦軍眾,摧卻魯連舌。

誰か秦軍を多勢だというか、魯伸連の舌の先で、散散に打砕かれて仕舞ったという。

摧卻魯連舌 魯仲連の舌先で摧かれる。

嘲魯連子 韓愈(韓退之) <165>Ⅱ中唐詩771 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2839

 

獨立天地間,清風灑蘭雪。

かの魯伸連は、天地の間に獨立し、その人物の高潔なることは、清風が蘭の葉の上の雪に吹き灑ぐようである。

 

夫子還倜儻,攻文繼前烈。

わが魯頌も、魯仲連と同姓の縁故があるというのみならず、その人物も倜儻不羈で、はるかに、羣俗に抜き、そしで、文學を攻究して、前人の功烈を継がんとしている。

倜儻 才気があって優れていること。 「倜儻不羈(てきとうふき)」は、「信念と独立心を持ち、安易に人に左右されない」

前烈 前人のすぐれた功績。《文選.司馬相如.巴蜀檄》:「名聲施於無窮,功烈著而不滅。」 功業。

 

錯落石上松,無為秋霜折。

彼は、錯落たる石上の松に比すべきもので、どうか、秋霜に折られぬようにして欲しい。

錯落 。いろいろと、ふぞろいの物が入り混じっているさま。▽「参差」は長短・高低入り混じり、ふぞろいなさま。「錯落」はたくさんの物がごたごた入り混じるさま。

 

贈言鏤寶刀,千庶不滅。

そこで、言を贈らんとして、よって、これを賓刀にほり付けることにしたから、こいねがわくば、千歳の後までも、決して泯滅することがないように、幸に我が嘱望に負かざらんことを希望する。

鏤寶刀 南朝梁·江淹·古意報袁功曹詩「故人贈寶劍, 鏤以瑤華文。」に基づく。

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李白  贈從弟冽 #3  

降霖雨,公輸造雲梯。羌戎事未息,君子悲塗泥。

報國有長策,成功羞執圭。無由謁明主,杖策還蓬藜。

他年爾相訪,知我在磻溪。
むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈從弟冽

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              漆園 (河南道 曹州 漆園)    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

磻溪 (京畿道 岐州 虢縣)   

交遊人物/地點:李冽          當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人不識鳳,重價求山雞。

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

獻主昔云是,今來方覺迷。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

自居漆園北,久別咸陽西。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

風飄落日去,節變流鶯啼。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

(從弟冽に贈る)

楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。

主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。

漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。

風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。

逢君發花萼,若與青雲齊。

かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。

顧余乏尺土,東作誰相攜。

但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。

#2

桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。

君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。

此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。

日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。

顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。

#3

降霖雨,公輸造雲梯。

むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。

羌戎事未息,君子悲塗泥。

今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。

報國有長策,成功羞執圭。

そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。

無由謁明主,杖策還蓬藜。

何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。

他年爾相訪,知我在磻溪。

しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。

 

#3

霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。

羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。

國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。

明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。

他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。

 

李白の足跡0000 

『贈從弟冽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

降霖雨,公輸造雲梯。

羌戎事未息,君子悲塗泥。

報國有長策,成功羞執圭。

無由謁明主,杖策還蓬藜。

他年爾相訪,知我在磻溪。

(下し文)
#3

は霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。

羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。

國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。

明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。

他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。

(現代語訳)
#3

むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。

今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。

そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。

何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。

しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。


(訳注) #3

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

 

降霖雨,公輸造雲梯。

むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。

○霖雨 《尚書》卷十〈商書命上〉命之曰:「若金,用汝作礪。若濟巨川,用汝作舟楫。若大旱,用汝作霖雨。」(若し金ならば、汝を用て礪と作さん。若し巨川を濟[わた]らば、汝を用て舟楫と作さん。若し大いに旱せば、汝を用て霖雨と作さん。)

○公輸 公輸般、公輸盤、公輸子ともいい,魯の哀公(494‐前468)の時代の人で,魯の昭公の子ともいわれるが定かでなく,また一説には魯班と公輸は別人ともいう。《墨子》に公輸の一編があり,公輸般が楚国のために〈雲梯(うんてい)〉と呼ばれる高く長い攻城の器具を作り宋を攻めようとしたことが記される。また同書の魯問篇に,竹木を削って(鵲(かささぎ),あるいは鳶(とび)ともいう)を作り,飛ばすと3日間も落ちることがなかったという。

 

羌戎事未息,君子悲塗泥。

今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。

羌戎 古代西域の異民族,羌族。 戎は古代兵器をいい、军队事:兵戎。投笔从戎。戎装。

塗泥 どろまみれになること。また、どろみち。ぬかるみ。苦しみの表現。

 

報國有長策,成功羞執圭。

そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。

長策 遠大なはかりごと。長計。

執圭 《周禮》「王執鎮圭,公執桓圭,侯執信圭,伯執躬圭,子執穀璧,男執蒲璧。」王は鎮圭を執り,公は桓圭を執り,侯は信圭を執り、伯は躬圭を執る。子は穀璧を執る,男は蒲璧を執る。圭とは古代、祭祀において玉器を用いること。それぞれの階級に応じた玉器もちいること、授かることをいう。

 

無由謁明主,杖策還蓬藜。

何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。

杖策 鞭を杖にする。左思·招隱詩二首之一「杖策招隱士,荒塗橫古今。」唐杜甫《1464常徵君》:“儿扶犹杖策,卧病一秋。”

 

他年爾相訪,知我在磻溪。

しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。

磻溪 傳姜太公垂釣磻溪,直鉤無餌,離水三尺,愿者上鉤。其實,他是藉釣魚養望等待出仕時機罷了。

溪中有泉,謂之茲泉,泉水潭積,自成淵渚,即《呂氏春秋》所謂太公釣茲泉也。今人謂之凡谷,石壁 ... 其投竿跽餌,兩膝遺跡猶存,是有磻溪之稱也。

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李白  贈從弟冽#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。逢君發花萼,若與青雲齊。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

顧余乏尺土,東作誰相攜。
なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈從弟冽

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              漆園 (河南道 曹州 漆園)    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

磻溪 (京畿道 岐州 虢縣)   

交遊人物/地點:李冽          當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人不識鳳,重價求山雞。

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

獻主昔云是,今來方覺迷。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

自居漆園北,久別咸陽西。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

風飄落日去,節變流鶯啼。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。

逢君發花萼,若與青雲齊。

かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。

顧余乏尺土,東作誰相攜。

但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。

#3

降霖雨,公輸造雲梯。

羌戎事未息,君子悲塗泥。

報國有長策,成功羞執圭。

無由謁明主,杖策還蓬藜。

他年爾相訪,知我在磻溪。

 

(從弟冽に贈る)

楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。

主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。

漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。

風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。

#2

桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。

君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。

此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。

日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。

顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。

#3

霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。

羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。

國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。

明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。

他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。

 

 

『贈從弟冽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

逢君發花萼,若與青雲齊。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

顧余乏尺土,東作誰相攜。

(下し文)

桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。

君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。

此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。

日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。

顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。


(現代語訳)
なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。

かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。

兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。

うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。

但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。


(訳注)

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。

桃李 司馬遷《史記李將軍列傳論》「諺曰:『桃李不言,下自成蹊。』此言雖小,可以諭大也。」(諺に曰はく、「桃李言はざれど、下自ら蹊を成す。」此の言小なりと雖も、以て大をふべきなり。)

 

逢君發花萼,若與青雲齊。

かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。

花萼 花房、小さな花が集まって房のような形になったもの。ここでは、兄弟にたとう。

 

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。

 

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。

布穀 《爾雅》曰:『皂,戴。』即首上勝也。頭上尾起,故曰戴勝。而農事方起,此鳥飛鳴于桑間,云五穀可布種也,故曰布穀。

鋤犁 犂鋤・犁鋤。 からすきとすき。農具。 耕作。

 

顧余乏尺土,東作誰相攜。

但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。

東作 農繁期。尚書 平秩東作:春の農事時期になれば、通常整然として東方から奮い立つようにうごきはじめること。

平は通常にする、秩は整然とする、東は東方、作は奮い立つこと。

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李白  贈從弟冽  

楚人不識鳳,重價求山雞。獻主昔云是,今來方覺迷。

自居漆園北,久別咸陽西。風飄落日去,節變流鶯啼。

(この詩は、徒弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈從弟冽

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              漆園 (河南道 曹州 漆園)    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

磻溪 (京畿道 岐州 虢縣)   

交遊人物/地點:李冽          當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人不識鳳,重價求山雞。

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

獻主昔云是,今來方覺迷。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

自居漆園北,久別咸陽西。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

風飄落日去,節變流鶯啼。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

逢君發花萼,若與青雲齊。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

顧余乏尺土,東作誰相攜。

#3

降霖雨,公輸造雲梯。

羌戎事未息,君子悲塗泥。

報國有長策,成功羞執圭。

無由謁明主,杖策還蓬藜。

他年爾相訪,知我在磻溪。

 

(從弟冽に贈る)

楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。

主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。

漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。

風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。

#2

桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。

君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。

此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。

日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。

顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。

#3

霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。

羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。

國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。

明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。

他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。

 

 

『贈從弟冽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈從弟冽

楚人不識鳳,重價求山雞。

獻主昔云是,今來方覺迷。

自居漆園北,久別咸陽西。

風飄落日去,節變流鶯啼。

(下し文)
(從弟冽に贈る)

楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。

主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。

漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。

風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。

(現代語訳)
(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。


(訳注)

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

 

楚人不識鳳,重價求山雞。

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

楚人不識鳳 太平廣記 「楚人有擔山雞者,路人問曰:“何鳥也?”擔者欺之曰:“鳳皇也。”路人曰:“我聞有鳳皇久矣,今真見之。汝賣之乎?”曰:“然。乃酬千金,弗與;請加倍,乃與之。方將獻楚王,經宿而鳥死。路人不遑惜其金,惟恨不得以獻耳。國人傳之,鹹以爲真鳳而貴,宜欲獻之,遂聞于楚王。王感其欲獻己也,召而厚賜之,過買鳳之十倍矣。」とあるに基づく。

(楚人、山雞を擔う者有り,路人 問うて曰く:“何の鳥ぞ也?”擔者 之を欺いて曰く:“鳳皇なり。”路人曰く:“我 有鳳皇を聞くこと久し矣,今 真に之を見る。汝 之を賣るか?”曰く:“然り。と。乃ち千金を酬ゆ,與えず;請う加倍せん,乃ち之を與う。方に將に楚王に獻ぜんとす,經宿にして鳥死す。路人 其の金を惜うるに遑あらず,惟だ以って獻ずるを得ざるを恨むのみ。國人之を傳へ,鹹な以爲えらく 真鳳にして貴し,宜なり之を獻ぜんと欲すするやと,遂に楚王に聞す。王 其の己に獻ぜむと欲するに感し,召して 厚く之に賜い,鳳を買うの過ぐること十倍。)

 

獻主昔云是,今來方覺迷。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

 

自居漆園北,久別咸陽西。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

漆園北 太平嚢宇記 漆園故城。在曹州寃句縣北十七里。莊周為漆園吏即此。其城古屬蒙縣。

 

風飄落日去,節變流鶯啼。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

294-#2 《卷九01秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <294-#2> Ⅰ李白詩1588 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6488

李白  秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗  

秋顏入曉鏡,壯髮凋危冠。窮與鮑生賈,飢從漂母餐。

時來極天人,道在豈吟嘆。樂毅方適趙,蘇秦初韓。

卷舒固在我,何事空摧殘。

というのも、鏡は暁に寒くして、秋に衰えたる我が顔を写し、高い冠の下には、凋みかかった髪の毛をかくして居るので、わが身の姿かたちの枯稿するを見れば、感慨に堪へぬ次第である。ここに、人間の事を考へると、かの管仲の如きも、貪しき時は、飽叔牙と共に行商をして居たというし、韓信の如きも、餓えた時には、漂母の贈った一飯にどうやら腹を脹らせたという話である。しかし、時、一たび至れば、管仲は、齊の桓公をたすけて、天晴覇業を成し、諸侯を九合し、天下を一匡し、韓信は、漢の高祖を扶けて、四百年の帝業を成就した。この二人は、幸にして、時が来たために、天人の際を極めて、自由自在に、その志ざすところを伸ばすことが出来たので、いやしくも、道、ここに在り、つまり、今の境涯が必然的の過程であるとすれば、如何に窮迫したとても、決して深く吟嘆するには及ばぬことである。それから、楽毅は、燕の昭王の命を奉じ、趙にいって之を説き、遂に諸侯の兵を聯合して、齊を討ったというし、蘇秦は、合従の謀を実施するために、最初に、韓に往いて遊説し、韓王をして、秦に反抗せしめた。楽毅が趙に往ったのも、蘇秦が韓に設いたのも、彼等の志を遂げる上から云うと、丁度、功業の手始めであった。おのれも、志ぎすところの功業は、まだ實現せねが、まさしく、端緒には就いて居るので、今しも道行の最中に居るのである。されば、之を放って六合にわたり、之を巻いて密に退蔵すという如き卷舒は、すべて、我が一心にあるので、我が一心が、この時、撓んで仕舞えば、それ切りで、何にも成らぬが、屈伸その宜しきを得、その時に随って、道を施して行くならば、物の見事に、目的が遂げられるに相違ないここに、蕭颯たる秋の気に感じて、白髪を鑷しつつ、無限の愁嘆を起したものの、考えて見れば、如何に難儀をしたとても、目的さへ確かりして居るならば、自ら挫けて落胆するにも及ばぬわけである。

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年:-741年開元二十九年41

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              煉藥院 (都畿道 河南府 潁陽)           

交遊人物:元丹丘            當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

(秋日、鍊藥院において、李白が白髪を毛抜きで抜き取りながら、その感慨を叙して、そこにいる道士の元林宗【元丹丘】に贈った)

木落識秋,瓶冰知天寒。

木の葉がばらばらと落ちるを見るに、今年も、すでに半ばを過ぎて、秋に成ったということが分るし、瓶中の水の氷れるを見れば、天、いよいよ寒くして、すでに冬に成りかかったということが知れる。今しも、世は秋の末で、追々寒い時節となったということであり、秋の末といえば、人の死境に近付いたと同じことで、何人も、此れに対して、感懐を起さぬものは無かろう。

桂枝日已綠,拂雪凌雲端。

唯だ、我が元林宗の如く道術に達した人は、桂枝が四時緑に茂り、積れる雪を払って雲端を凌ぐが如くである。

弱齡接光景,矯翼攀鴻鸞。

人も、此の域に到達しなければ、到底駄目なので、時節の変遷につれて、身體にまで申し分が出てくるようでは、全くお話にもならない。おのれも、年の若い時分から、仙道に志、元六兄の風采に接し、始終の人に遇って居たので、たとえば、翼を矯げて鴻鸞を攀じるが如く、元六兄の後から付いて参って、その人と同一なる仙家の境涯に到達したいという願望を起した。

投分三十載,榮枯同所歡。

かくて、ひとたび「莫逆の交じりを結んで」より、三十歳の久しい間、栄えるも、衰えるも、君と共にし、決してかわるまいと互いに固く誓った、

長吁望青雲,鑷白坐相看。

元六兄が超然独立、桂枝の日に緑なるが如きに反し、自分は、そう行かないの見ると、元の仙分に厚薄の別があるので、長吁して、天上の青雲を望み、おのが身をそこに致し得ざることを嘆嗟し、新たに頭上に霜を置きたる白髪を毛抜きで抜きながら、ここに元六兄に対坐して居るのである。

 

秋顏入曉鏡,壯髮凋危冠。

というのも、鏡は暁に寒くして、秋に衰えたる我が顔を写し、高い冠の下には、凋みかかった髪の毛をかくして居るので、わが身の姿かたちの枯稿するを見れば、感慨に堪へぬ次第である。

窮與鮑生賈,飢從漂母餐。

ここに、人間の事を考へると、かの管仲の如きも、貪しき時は、飽叔牙と共に行商をして居たというし、韓信の如きも、餓えた時には、漂母の贈った一飯にどうやら腹を脹らせたという話である。

時來極天人,道在豈吟嘆。

しかし、時、一たび至れば、管仲は、齊の桓公をたすけて、天晴覇業を成し、諸侯を九合し、天下を一匡し、韓信は、漢の高祖を扶けて、四百年の帝業を成就した。この二人は、幸にして、時が来たために、天人の際を極めて、自由自在に、その志ざすところを伸ばすことが出来たので、いやしくも、道、ここに在り、つまり、今の境涯が必然的の過程であるとすれば、如何に窮迫したとても、決して深く吟嘆するには及ばぬことである。

樂毅方適趙,蘇秦初韓。

それから、楽毅は、燕の昭王の命を奉じ、趙にいって之を説き、遂に諸侯の兵を聯合して、齊を討ったというし、蘇秦は、合従の謀を実施するために、最初に、韓に往いて遊説し、韓王をして、秦に反抗せしめた。楽毅が趙に往ったのも、蘇秦が韓に設いたのも、彼等の志を遂げる上から云うと、丁度、功業の手始めであった。

卷舒固在我,何事空摧殘。

おのれも、志ぎすところの功業は、まだ實現せねが、まさしく、端緒には就いて居るので、今しも道行の最中に居るのである。されば、之を放って六合にわたり、之を巻いて密に退蔵すという如き卷舒は、すべて、我が一心にあるので、我が一心が、この時、撓んで仕舞えば、それ切りで、何にも成らぬが、屈伸その宜しきを得、その時に随って、道を施して行くならば、物の見事に、目的が遂げられるに相違ないここに、蕭颯たる秋の気に感じて、白髪を鑷しつつ、無限の愁嘆を起したものの、考えて見れば、如何に難儀をしたとても、目的さへ確かりして居るならば、自ら挫けて落胆するにも及ばぬわけである。

 

(秋日鍊藥院に白髪を錦し元六兄林宗に贈る)

木落ちて、歳の秋たるを識り、瓶氷って、天の寒さを知る。

桂枝日に己に緑に、雪を払うて雲端を凌ぐ。

弱齢、光景に接し、矯翼、鴻鸞を攀づ。

投分三十載、栄枯、所歓を同じうす。

長吁、青雲を望み、白を鑷して坐して相看る。

 

秋顔、暁鏡に入り、壯髮、危冠を凋む。

窮して飽生と賈し、餞ゑて漂母に従って餐す。

時來って、天人を極め、道在り、豈に吟嘆せむや。

樂毅 方に趙に適き,蘇秦 初めて韓にく。

卷舒 固より我に在り,何事ぞ 空しく摧殘。

 

 

『秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋顏入曉鏡,壯髮凋危冠。

窮與鮑生賈,飢從漂母餐。

時來極天人,道在豈吟嘆。

樂毅方適趙,蘇秦初韓。

卷舒固在我,何事空摧殘。


(下し文)
秋顔、暁鏡に入り、壯髮、危冠を凋む。

窮して飽生と賈し、餞ゑて漂母に従って餐す。

時來って、天人を極め、道在り、豈に吟嘆せむや。

樂毅 方に趙に適き,蘇秦 初めて韓にく。

卷舒 固より我に在り,何事ぞ 空しく摧殘。

(現代語訳)
というのも、鏡は暁に寒くして、秋に衰えたる我が顔を写し、高い冠の下には、凋みかかった髪の毛をかくして居るので、わが身の姿かたちの枯稿するを見れば、感慨に堪へぬ次第である。

ここに、人間の事を考へると、かの管仲の如きも、貪しき時は、飽叔牙と共に行商をして居たというし、韓信の如きも、餓えた時には、漂母の贈った一飯にどうやら腹を脹らせたという話である。

しかし、時、一たび至れば、管仲は、齊の桓公をたすけて、天晴覇業を成し、諸侯を九合し、天下を一匡し、韓信は、漢の高祖を扶けて、四百年の帝業を成就した。この二人は、幸にして、時が来たために、天人の際を極めて、自由自在に、その志ざすところを伸ばすことが出来たので、いやしくも、道、ここに在り、つまり、今の境涯が必然的の過程であるとすれば、如何に窮迫したとても、決して深く吟嘆するには及ばぬことである。

それから、楽毅は、燕の昭王の命を奉じ、趙にいって之を説き、遂に諸侯の兵を聯合して、齊を討ったというし、蘇秦は、合従の謀を実施するために、最初に、韓に往いて遊説し、韓王をして、秦に反抗せしめた。楽毅が趙に往ったのも、蘇秦が韓に設いたのも、彼等の志を遂げる上から云うと、丁度、功業の手始めであった。

おのれも、志ぎすところの功業は、まだ實現せねが、まさしく、端緒には就いて居るので、今しも道行の最中に居るのである。されば、之を放って六合にわたり、之を巻いて密に退蔵すという如き卷舒は、すべて、我が一心にあるので、我が一心が、この時、撓んで仕舞えば、それ切りで、何にも成らぬが、屈伸その宜しきを得、その時に随って、道を施して行くならば、物の見事に、目的が遂げられるに相違ないここに、蕭颯たる秋の気に感じて、白髪を鑷しつつ、無限の愁嘆を起したものの、考えて見れば、如何に難儀をしたとても、目的さへ確かりして居るならば、自ら挫けて落胆するにも及ばぬわけである。


(訳注)

秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

(秋日、鍊藥院において、李白が白髪を毛抜きで抜き取りながら、その感慨を叙して、そこにいる道士の元林宗【元丹丘】に贈った)

鍊藥院というのは、道観の名であって、その字の示す通とおり、道士輩がここでで長生延命の薬を錬るのである。その縁起等は一切わからぬが、要するに、格別広大な道院でもなく、又後には亡びて仕舞ったものと見える。それから、元六兄林宗は、元林宗、排行は六にあたる人で、矢張鍊藥院の道士であるが、元丹邱のことである。

この詩は、秋日、鍊藥院において、李白が白髪を毛抜きで抜き取りながら、その感慨を叙して、そこにいる道士の元林宗という人におくったのである。

 

秋顏入曉鏡,壯髮凋危冠。

というのも、鏡は暁に寒くして、秋に衰えたる我が顔を写し、高い冠の下には、凋みかかった髪の毛をかくして居るので、わが身の姿かたちの枯稿するを見れば、感慨に堪へぬ次第である。

○危冠 髙い冠。

 

窮與鮑生賈,飢從漂母餐。

ここに、人間の事を考へると、かの管仲の如きも、貪しき時は、飽叔牙と共に行商をして居たというし、韓信の如きも、餓えた時には、漂母の贈った一飯にどうやら腹を脹らせたという話である。

○窮與鮑生賈 《史》「記管仲曰、吾始困時、嘗与鮑叔賈。分財利多自与。鮑叔不以我為貪。知我貧也。吾嘗為鮑叔謀事、而更窮困。鮑叔不以我為愚。知時有利不利也。吾嘗三仕三見逐於君。」(管仲曰く、吾始め困しみし時、嘗て鮑叔と賈す。財利を分かつに多く自ら与ふ。鮑叔我を以て貪と為さず。我の貧なるを知ればなり。吾嘗て鮑叔の為に事を謀りて、更に窮困す。鮑叔我を以て愚と為さず。時に有利と不利と有るを知ればなり。吾嘗て三たび仕へて三たび君に逐はる。)

○飢從漂母餐 「漂母進食」の故事。前漢の韓信は家が貧乏であった。そこで准陰下郷県の南昌亭という宿場の長の家に居候をしていた。亭長の妻は彼を迷惑がり、朝早く飯をたいて寝床の中で食べてしまった。食事時に彼が行くと、もう食べ物はなく、彼のために飯の仕度したくはしなかった。韓信はこれは自分をいやがっているのだと悟り、自分から見切りをつけてそこを出てしまった。それから、准陰の城下にやって来て准水の流れで釣りをしていた。一人の洗濯ばあさんが彼の困っている様を見てかわいそうに思い、彼を数十日もの間食べさせてやった。彼は感謝して、「お前さんの恩は決して忘れやしないよ。今にきっとうんとお返しするからね」と言うと、ばあさんは「とんでもない。大の男が食べることもできないのがかわいそうだから、お前さまに食べさせてあげたのさ。どうして、最初からお礼なんかあてにしてはいませんよ」とて、彼の返礼など問題にしていなかった。そして、彼が高祖に従い手柄を立てて楚王になると、彼はその洗濯ばあさんを呼んでその恩に報いるべく千金を与え、下郷の亭長にはわずか銭百文だけしか与えないで、「お前はちっぽけな男だ。わしに恩徳を施し遂げられなかった」と言った。

 

時來極天人,道在豈吟嘆。

しかし、時、一たび至れば、管仲は、齊の桓公をたすけて、天晴覇業を成し、諸侯を九合し、天下を一匡し、韓信は、漢の高祖を扶けて、四百年の帝業を成就した。この二人は、幸にして、時が来たために、天人の際を極めて、自由自在に、その志ざすところを伸ばすことが出来たので、いやしくも、道、ここに在り、つまり、今の境涯が必然的の過程であるとすれば、如何に窮迫したとても、決して深く吟嘆するには及ばぬことである。

 

樂毅方適趙,蘇秦初韓。

それから、楽毅は、燕の昭王の命を奉じ、趙にいって之を説き、遂に諸侯の兵を聯合して、齊を討ったというし、蘇秦は、合従の謀を実施するために、最初に、韓に往いて遊説し、韓王をして、秦に反抗せしめた。楽毅が趙に往ったのも、蘇秦が韓に設いたのも、彼等の志を遂げる上から云うと、丁度、功業の手始めであった。

○樂毅方適趙 《史記卷八十樂毅列傳》是燕昭王問伐齊之事

斉湣王田地は自(みずか)ら誇(ほこ)り、百姓は堪(た)えられなくなった。ここに於いて燕昭王姫平は斉を討(う)つ事をたずねた。

樂毅對曰齊霸國之餘業也地大人眾未易獨攻也

燕亞卿楽毅は応(こた)えて曰く、「斉の国を覇(は)して残した業績(ぎょうせき)とは、地が大きくなり、人々が多くなったことで、未(ま)だ単独で攻(せ)めるのは容易(ようい)ではありません。

王必欲伐之莫如與趙及楚魏

王(燕昭王姫平)が必ずこれ(斉)を討(う)つことを欲するならば、趙、及び楚、魏とともにするにこしたことはありません」と。

於是使樂毅約趙惠文王別使連楚魏

ここに於いて燕亞卿楽毅をして趙恵文王趙何に約束させ、別の使者をして楚、魏を属(ぞく)させ、

令趙嚪說秦以伐齊之利

趙に令(れい)して、秦に斉を討(う)つことの利(り)を以って誘(さそ)い説(と)かせた。

諸侯害齊湣王之驕暴皆爭合從與燕伐齊

諸侯は斉湣王田地の驕(おご)りたかぶって態度が荒々しいのを憎(にく)み、皆(みな)合従を争(あらそ)って燕とともに斉を討(う)とうとした。

樂毅還報燕昭王悉起兵使樂毅為上將軍

燕亞卿楽毅は還(かえ)り報告した。燕昭王姫平はことごとく兵を起(お)こし、燕亞卿楽毅をして、燕上将軍と為(な)し、

趙惠文王以相國印授樂毅

趙恵文王趙何は趙相国印を以って燕亞卿上将軍楽毅に授(さず)けた。

樂毅於是并護趙楚韓魏燕之兵以伐齊破之濟西

燕亞卿上将軍楽毅はここに於いて、趙、楚、韓、魏、燕の兵を併(あわ)せ統率(とうそつ)し、斉を討(う)つを以って済(川名)の西にこれを破(やぶ)った。

○蘇秦初 史記 蘇秦列伝

蘇秦列伝における事跡である。

洛陽の人。斉に行き、張儀と共に鬼谷に縦横の術を学んだ。数年間諸国を放浪し、困窮して帰郷した所を親族に嘲笑され、発奮して相手を説得する方法を作り出した。最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。

その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる「鶏口となるも牛後となることなかれ」という言辞を述べた。

趙に帰った後、粛侯から武安君に封じられ、同盟の約定書を秦に送った。以後、秦は15年に渡って東に侵攻しなかった。蘇秦の方針は秦以外の国を同盟させ、それによって強国である秦の進出を押さえ込もうとするもので、それらの国が南北に縦に並んでいることから合従説と呼ばれた。

合従を成立させた蘇秦は故郷に帰ったが、彼の行列に諸侯それぞれが使者を出して見送り、さながら王者のようであった。これを聞いて周王も道を掃き清めて出迎え、郊外まで人を出して迎えた。故郷の親戚たちは恐れて顔も上げない様であった。彼は「もし自分にわずかの土地でもあれば、今のように宰相の印を持つことができたろうか」と言い、親族・友人らに多額の金銭を分け与えた。

合従解体後は燕に仕えたが、国内での立場が微妙になったために斉に移った。その目的は斉の国力を弱め、燕の利益を図ることにあった。斉では湣王に取り立てられたが、そのため対立者により暗殺された。死ぬ直前に湣王に対して「私が死んだら私の遺体に対し車裂きの刑に処し、『蘇秦は燕のために斉で謀反を企てた』としてください。そうすれば私を殺した者が出てくるでしょう」と言った。湣王は蘇秦の遺言に従うと、蘇秦を殺した者が自首してきたので捕らえて処刑した。

張儀列伝によると、張儀を秦に送ったのも蘇秦の魂胆で、秦による趙への出兵を張儀に止めさせる狙いがあった。

 

卷舒固在我,何事空摧殘。

おのれも、志ぎすところの功業は、まだ實現せねが、まさしく、端緒には就いて居るので、今しも道行の最中に居るのである。されば、之を放って六合にわたり、之を巻いて密に退蔵すという如き卷舒は、すべて、我が一心にあるので、我が一心が、この時、撓んで仕舞えば、それ切りで、何にも成らぬが、屈伸その宜しきを得、その時に随って、道を施して行くならば、物の見事に、目的が遂げられるに相違ないここに、蕭颯たる秋の気に感じて、白髪を鑷しつつ、無限の愁嘆を起したものの、考えて見れば、如何に難儀をしたとても、目的さへ確かりして居るならば、自ら挫けて落胆するにも及ばぬわけである。

294-#1 《卷九01秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <294-#1> Ⅰ李白詩1587 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6483

李白  秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗  

木落識秋,瓶冰知天寒。桂枝日已綠,拂雪凌雲端。

弱齡接光景,矯翼攀鴻鸞。投分三十載,榮枯同所歡。

長吁望青雲,鑷白坐相看。
(秋日、鍊藥院において、李白が白髪を毛抜きで抜き取りながら、その感慨を叙して、そこにいる道士の元林宗【元丹丘】に贈った)木の葉がばらばらと落ちるを見るに、今年も、すでに半ばを過ぎて、秋に成ったということが分るし、瓶中の水の氷れるを見れば、天、いよいよ寒くして、すでに冬に成りかかったということが知れる。今しも、世は秋の末で、追々寒い時節となったということであり、秋の末といへば、人の死境に近付いたと同じことで、何人も、此れに対して、感懐を起さぬものは無かろう。唯だ、我が元林宗の如く道術に達した人は、桂枝が四時緑に茂り、積れる雪を払って雲端を凌ぐが如くである。人も、此の域に到達しなければ、到底駄目なので、時節の変遷につれて、身體にまで申し分が出てくるようでは、全くお話にもならない。おのれも、年の若い時分から、仙道に志、元六兄の風采に接し、始終の人に遇って居たので、たとえば、翼を矯げて鴻鸞を攀じるが如く、元六兄の後から付いて参って、その人と同一なる仙家の境涯に到達したいという願望を起した。かくて、ひとたび「莫逆の交じりを結んで」より、三十歳の久しい間、栄えるも、衰えるも、君と共にし、決してかわるまいと互いに固く誓った、元六兄が超然独立、桂枝の日に緑なるが如きに反し、自分は、そう行かないの見ると、元の仙分に厚薄の別があるので、長吁して、天上の青雲を望み、おのが身をそこに致し得ざることを嘆嗟し、新たに頭上に霜を置きたる白髪を毛抜きで抜きながら、ここに元六兄に対坐して居るのである。

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年:-741年開元二十九年41

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              煉藥院 (都畿道 河南府 潁陽)           

交遊人物:元丹丘            當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

(秋日、鍊藥院において、李白が白髪を毛抜きで抜き取りながら、その感慨を叙して、そこにいる道士の元林宗【元丹丘】に贈った)

木落識秋,瓶冰知天寒。

木の葉がばらばらと落ちるを見るに、今年も、すでに半ばを過ぎて、秋に成ったということが分るし、瓶中の水の氷れるを見れば、天、いよいよ寒くして、すでに冬に成りかかったということが知れる。今しも、世は秋の末で、追々寒い時節となったということであり、秋の末といへば、人の死境に近付いたと同じことで、何人も、此れに対して、感懐を起さぬものは無かろう。

桂枝日已綠,拂雪凌雲端。

唯だ、我が元林宗の如く道術に達した人は、桂枝が四時緑に茂り、積れる雪を払って雲端を凌ぐが如くである。

弱齡接光景,矯翼攀鴻鸞。

人も、此の域に到達しなければ、到底駄目なので、時節の変遷につれて、身體にまで申し分が出てくるようでは、全くお話にもならない。おのれも、年の若い時分から、仙道に志、元六兄の風采に接し、始終の人に遇って居たので、たとえば、翼を矯げて鴻鸞を攀じるが如く、元六兄の後から付いて参って、その人と同一なる仙家の境涯に到達したいという願望を起した。

投分三十載,榮枯同所歡。

かくて、ひとたび「莫逆の交じりを結んで」より、三十歳の久しい間、栄えるも、衰えるも、君と共にし、決してかわるまいと互いに固く誓った、

長吁望青雲,鑷白坐相看。

元六兄が超然独立、桂枝の日に緑なるが如きに反し、自分は、そう行かないの見ると、元の仙分に厚薄の別があるので、長吁して、天上の青雲を望み、おのが身をそこに致し得ざることを嘆嗟し、新たに頭上に霜を置きたる白髪を毛抜きで抜きながら、ここに元六兄に対坐して居るのである。

 

秋顏入曉鏡,壯髮凋危冠。

窮與鮑生賈,飢從漂母餐。

時來極天人,道在豈吟嘆。

樂毅方適趙,蘇秦初韓。

卷舒固在我,何事空摧殘。

 

(秋日鍊藥院に白髪を錦し元六兄林宗に贈る)

木落ちて、歳の秋たるを識り、瓶氷って、天の寒さを知る。

桂枝日に己に緑に、雪を払うて雲端を凌ぐ。

弱齢、光景に接し、矯翼、鴻鸞を攀づ。

投分三十載、栄枯、所歓を同じうす。

長吁、青雲を望み、白を鑷して坐して相看る。

 

秋顔、暁鏡に入り、壯髮、危冠を凋む。

窮して飽生と賈し、餞ゑて漂母に従って餐す。

時來って、天人を極め、道在り、豈に吟嘆せむや。

樂毅 方に趙に適き,蘇秦 初めて韓にく。

卷舒 固より我に在り,何事ぞ 空しく摧殘。

 

 

『秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

木落識秋,瓶冰知天寒。

桂枝日已綠,拂雪凌雲端。

弱齡接光景,矯翼攀鴻鸞。

投分三十載,榮枯同所歡。

長吁望青雲,鑷白坐相看。

(下し文)
(秋日鍊藥院に白髪を錦し元六兄林宗に贈る)

木落ちて、歳の秋たるを識り、瓶氷って、天の寒さを知る。

桂枝日に己に緑に、雪を払うて雲端を凌ぐ。

弱齢、光景に接し、矯翼、鴻鸞を攀づ。

投分三十載、栄枯、所歓を同じうす。

長吁、青雲を望み、白を鑷して坐して相看る。

(現代語訳)
(秋日、鍊藥院において、李白が白髪を毛抜きで抜き取りながら、その感慨を叙して、そこにいる道士の元林宗【元丹丘】に贈った)

木の葉がばらばらと落ちるを見るに、今年も、すでに半ばを過ぎて、秋に成ったということが分るし、瓶中の水の氷れるを見れば、天、いよいよ寒くして、すでに冬に成りかかったということが知れる。今しも、世は秋の末で、追々寒い時節となったということであり、秋の末といへば、人の死境に近付いたと同じことで、何人も、此れに対して、感懐を起さぬものは無かろう。

唯だ、我が元林宗の如く道術に達した人は、桂枝が四時緑に茂り、積れる雪を払って雲端を凌ぐが如くである。

人も、此の域に到達しなければ、到底駄目なので、時節の変遷につれて、身體にまで申し分が出てくるようでは、全くお話にもならない。おのれも、年の若い時分から、仙道に志、元六兄の風采に接し、始終の人に遇って居たので、たとえば、翼を矯げて鴻鸞を攀じるが如く、元六兄の後から付いて参って、その人と同一なる仙家の境涯に到達したいという願望を起した。

かくて、ひとたび「莫逆の交じりを結んで」より、三十歳の久しい間、栄えるも、衰えるも、君と共にし、決してかわるまいと互いに固く誓った、

元六兄が超然独立、桂枝の日に緑なるが如きに反し、自分は、そう行かないの見ると、元の仙分に厚薄の別があるので、長吁して、天上の青雲を望み、おのが身をそこに致し得ざることを嘆嗟し、新たに頭上に霜を置きたる白髪を毛抜きで抜きながら、ここに元六兄に対坐して居るのである。


(訳注)

秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

(秋日、鍊藥院において、李白が白髪を毛抜きで抜き取りながら、その感慨を叙して、そこにいる道士の元林宗【元丹丘】に贈った)

鍊藥院というのは、道観の名であって、その字の示す通とおり、道士輩がここでで長生延命の薬を錬るのである。その縁起等は一切わからぬが、要するに、格別広大な道院でもなく、又後には亡びて仕舞ったものと見える。それから、元六兄林宗は、元林宗、排行は六にあたる人で、矢張鍊藥院の道士であるが、元丹邱のことである。

この詩は、秋日、鍊藥院において、李白が白髪を毛抜きで抜き取りながら、その感慨を叙して、そこにいる道士の元林宗という人におくったのである。

 

木落識秋,瓶冰知天寒。

木の葉がばらばらと落ちるを見るに、今年も、すでに半ばを過ぎて、秋に成ったということが分るし、瓶中の水の氷れるを見れば、天、いよいよ寒くして、すでに冬に成りかかったということが知れる。今しも、世は秋の末で、追々寒い時節となったということであり、秋の末といへば、人の死境に近付いたと同じことで、何人も、此れに対して、感懐を起さぬものは無かろう。

木落識秋,瓶冰知天寒 淮南子 「見一葉落、而知歳之將暮、睹瓶中之冰、而知天下之寒。」(一葉の落るを見て、歳の将に暮なんとするを知り、瓶中の氷を睹て、天下の寒きを知る。)に基づく。

 

桂枝日已綠,拂雪凌雲端。

唯だ、我が元林宗の如く道術に達した人は、桂枝が四時緑に茂り、積れる雪を払って雲端を凌ぐが如くである。

 

弱齡接光景,矯翼攀鴻鸞。

人も、此の域に到達しなければ、到底駄目なので、時節の変遷につれて、身體にまで申し分が出てくるようでは、全くお話にもならない。おのれも、年の若い時分から、仙道に志、元六兄の風采に接し、始終の人に遇って居たので、たとえば、翼を矯げて鴻鸞を攀じるが如く、元六兄の後から付いて参って、その人と同一なる仙家の境涯に到達したいという願望を起した。

弱齡 壮年。

光景 風采ということ。

 

投分三十載,榮枯同所歡。

かくて、ひとたび「莫逆の交じりを結んで」より、三十歳の久しい間、栄えるも、衰えるも、君と共にし、決してかわるまいと互いに固く誓った、

投分 自己の分限を投入すること、つまり、「莫逆の交じりを結ぶ」『莫逆の友』 ばくぎゃくのとも 梁書より 意味-無二の親友のこと。 注釈-「莫逆」は「逆らうこと莫なし」の意で、互いの息がピッタリと合い、逆らう気持ちなど全く生じない友の意。 「莫逆」は「ばくげき」とも読み、「莫逆の友」の結ぶ交わりを「莫逆の交わり」という。

 

長吁望青雲,鑷白坐相看。

元六兄が超然独立、桂枝の日に緑なるが如きに反し、自分は、そう行かないの見ると、元の仙分に厚薄の別があるので、長吁して、天上の青雲を望み、おのが身をそこに致し得ざることを嘆嗟し、新たに頭上に霜を置きたる白髪を毛抜きで抜きながら、ここに元六兄に対坐して居るのである。

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李白  東魯見狄博通  

去年別我向何處,有人傳道遊江東。

謂言掛席度滄海,卻來應是無長風。

(名門の後裔である狄博通に再びまみえた時、賦して贈ったもの)

貴方は、去年私と別れて旅路に向われたが、いずこに行かれたのか人のうわさを聞いたところ、江東に遊んでおられるということであった。此れも聞いたことだが、帆をかけて、大海を渉られた事であろうし、それがために、帰って来るのが遅かったのであり、長風の便りがなかったのもうなずけるというものである。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六八              文體:    七言古詩

詩題:    東魯見狄博通

作地點:              目前尚無資料

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

交遊人物:狄博通                當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

東魯見狄博通

(名門の後裔である狄博通に再びまみえた時、賦して贈ったもの)

去年別我向何處,有人傳道遊江東。

貴方は、去年私と別れて旅路に向われたが、いずこに行かれたのか人のうわさを聞いたところ、江東に遊んでおられるということであった。

謂言掛席度滄海,卻來應是無長風。

此れも聞いたことだが、帆をかけて、大海を渉られた事であろうし、それがために、帰って来るのが遅かったのであり、長風の便りがなかったのもうなずけるというものである。

 

 (東魯に狄博通を見る)

去年 我に別れて 何處にか向う,人有り 傳へて道う 江東に遊ぶ。

謂う言【なら】く 席を掛けて滄海を度る,卻って來る 應に是れ 長風無かるべし。

 河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00

 

『東魯見狄博通』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

東魯見狄博通

去年別我向何處,有人傳道遊江東。

謂言掛席度滄海,卻來應是無長風。

(下し文)
(
東魯に狄博通を見る)

去年 我に別れて 何處にか向う,人有り 傳へて道う 江東に遊ぶ。

謂う言【なら】く 席を掛けて滄海を度る,卻って來る 應に是れ 長風無かるべし。

(現代語訳)
(名門の後裔である狄博通に再びまみえた時、賦して贈ったもの)

貴方は、去年私と別れて旅路に向われたが、いずこに行かれたのか人のうわさを聞いたところ、江東に遊んでおられるということであった。

此れも聞いたことだが、帆をかけて、大海を渉られた事であろうし、それがために、帰って来るのが遅かったのであり、長風の便りがなかったのもうなずけるというものである。


(訳注)

東魯見狄博通

(名門の後裔である狄博通に再びまみえた時、賦して贈ったもの)

東魯 河南道兗州、別名魯郡、魯中。

狄博通 梁公狄仁傑の曾孫、戸部郎中光濟の孫で、名門の後裔のもので、しかるべき人物であったのであろう。ある。

仁傑(てき じんけつ, 630(貞観4) - 700(久視元年))は中国唐代の政治家。高宗・中宗・睿宗・武則天に仕えた。唐代で太宗の時代に続いて安定していたといわれる武則天の治世において最も信頼され、長年に渡って宰相を務めた。

中国の主要行政官庁であった六部の一つで国家財政を管轄をしていた光濟。

 

去年別我向何處,有人傳道遊江東

貴方は、去年私と別れて旅路に向われたが、いずこに行かれたのか人のうわさを聞いたところ、江東に遊んでおられるということであった。

江東 長江がランドマークで下流域の最下留地方を言い、長江の南側をこうなんという。

 

謂言掛席度滄海,卻來應是無長風。

此れも聞いたことだが、帆をかけて、大海を渉られた事であろうし、それがために、帰って来るのが遅かったのであり、長風の便りがなかったのもうなずけるというものである。

長風 非常に遠くから吹いてくる風。また、遠くまで吹いていく強い風。勢いの盛んなことにたとえていう。

滄海 あおあおとした広い海。あおうなばら。滄海変じて桑田となる《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。滄海桑田。
江南東道 婺州 東陽00 

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李白  搗衣篇#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。
かくて、瓊筵寶幄の中に居て、連枝の模様ある錦の被を着て寐ると、燈火の光は、熒熒として輝き.濁り寝の淋しさを痛切に感ずるのである。そこで、相思の種たる夫の枕を留め置き、鋏を取り出して、蘭の花を摘み取って之を佩びようと思いたつのである。夫が此に居ない故に、佩びて見た處で何にも成らぬと思い諦めたものの、涙ぱらぱらと落ちてくる故に、幸運の真紅に染めた手巾を取って涙を拭ふと、氤氳として、活力が戻ってくるようであり、一人で過ごす夜はつらい。明年もし更に遠き邊塞の方へでも行かれるというならば、その時こそ、われは、巫山の神女、瑤姫のように、陽臺一段の雲となり、夫の地の上の雲となるのであるから、そのことを、夫に知らせたいと願うものである。

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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    搗衣篇

作地點:              目前尚無資料

及地點:              交河 (隴右道西部 西州 交河)           

 

 

搗衣篇

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

かくて、瓊筵寶幄の中に居て、連枝の模様ある錦の被を着て寐ると、燈火の光は、熒熒として輝き.濁り寝の淋しさを痛切に感ずるのである。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

そこで、相思の種たる夫の枕を留め置き、鋏を取り出して、蘭の花を摘み取って之を佩びようと思いたつのである。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

夫が此に居ない故に、佩びて見た處で何にも成らぬと思い諦めたものの、涙ぱらぱらと落ちてくる故に、幸運の真紅に染めた手巾を取って涙を拭ふと、氤氳として、活力が戻ってくるようであり、一人で過ごす夜はつらい。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

明年もし更に遠き邊塞の方へでも行かれるというならば、その時こそ、われは、巫山の神女、瑤姫のように、陽臺一段の雲となり、夫の地の上の雲となるのであるから、そのことを、夫に知らせたいと願うものである。

 

(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

#3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

李白の足跡0000 

 

『搗衣篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

(下し文)
#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

(現代語訳)
かくて、瓊筵寶幄の中に居て、連枝の模様ある錦の被を着て寐ると、燈火の光は、熒熒として輝き.濁り寝の淋しさを痛切に感ずるのである。

そこで、相思の種たる夫の枕を留め置き、鋏を取り出して、蘭の花を摘み取って之を佩びようと思いたつのである。

夫が此に居ない故に、佩びて見た處で何にも成らぬと思い諦めたものの、涙ぱらぱらと落ちてくる故に、幸運の真紅に染めた手巾を取って涙を拭ふと、氤氳として、活力が戻ってくるようであり、一人で過ごす夜はつらい。

明年もし更に遠き邊塞の方へでも行かれるというならば、その時こそ、われは、巫山の神女、瑤姫のように、陽臺一段の雲となり、夫の地の上の雲となるのであるから、そのことを、夫に知らせたいと願うものである。


(訳注) #4

搗衣篇(擣衣)

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

【題義】擣衣篇は、古楽府には見えない。これは、もしかすると、李白が始めて作った新題であるかも知れないといわれている。その内容に就いては、蕭士贇が「これ亦戍婦の詩なり」といった一語だけで述べている。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

 

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

かくて、瓊筵寶幄の中に居て、連枝の模様ある錦の被を着て寐ると、燈火の光は、熒熒として輝き.濁り寝の淋しさを痛切に感ずるのである。

連枝錦 連枝の模様を織りだした錦地。

 

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

そこで、相思の種たる夫の枕を留め置き、鋏を取り出して、蘭の花を摘み取って之を佩びようと思いたつのである。

 

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

夫が此に居ない故に、佩びて見た處で何にも成らぬと思い諦めたものの、涙ぱらぱらと落ちてくる故に、幸運の真紅に染めた手巾を取って涙を拭ふと、氤氳として、活力が戻ってくるようであり、一人で過ごす夜はつらい。

紅巾 紅色に染めた手拭き。

氤氳 天地の気が盛んなさま。生気・活力が盛んなさま。古代指陰陽二氣交會和合之狀。 《白虎通嫁娶》引《易》「天地氤氳,萬物化淳。」

 

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

明年もし更に遠き邊塞の方へでも行かれるというならば、その時こそ、われは、巫山の神女、瑤姫のように、陽臺一段の雲となり、夫の地の上の雲となるのであるから、そのことを、夫に知らせたいと願うものである。

陽臺一段雲 男女の密会・情交のたとえ。「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の雲雨」とも。《語源》楚 (ソ)の懐王が昼寝の夢の中で巫山の神女と情交を結んだという故事。陽臺:宋玉高唐賦「朝朝暮暮,陽臺之下。」、朝は雲に、夕方は雨になると告げて姿を消 した。一段雲:宋玉『高唐賦』「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。

宋玉『高唐賦』「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣,兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問玉曰:“此何氣也?”玉對曰:“所謂朝雲者也。”王曰:“何謂朝雲?”玉曰:“昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。’旦朝視之,如言。故爲立廟,號曰朝雲。」
巫山十二峰002 

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李白  搗衣篇#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。
かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    搗衣篇

作地點:              目前尚無資料

及地點:              交河 (隴右道西部 西州 交河)           

 

 

搗衣篇

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

 

(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

#3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

 

李白の足跡0000 

『搗衣篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

(下し文) #3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

(現代語訳)
かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。


(訳注) #3

搗衣篇(擣衣)

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

【題義】擣衣篇は、古楽府には見えない。これは、もしかすると、李白が始めて作った新題であるかも知れないといわれている。その内容に就いては、蕭士贇が「これ亦戍婦の詩なり」といった一語だけで述べている。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

 

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

○員管 管笛

 

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

○刻漏 水時計の響き緩くなる。

○真珠簾箔 簾の上に真珠の箔を飾りに付けている。

○蘭堂 香木で作った奥座敷。

 

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。

○寶幄 りっぱなとばり。

○同心結 結同心 同心結を結うこと。連環回文様式の絶対にほどけない結び方。また、同心結は、(男女の)ちぎりを結ぶことと。錢唐 蘇小(蘇小小)『西陵歌』「妾乘油壁車,郞乘靑踪馬。何處結同心、西陵松柏下。」(妾(わたくし)は 油壁の車に乘り,郞(あなた)は 靑の馬に 乘る。何處(いづこ)にか 同心を 結ばん、西陵の 松柏の下(もと)。)とみえる。蘇小小『西陵歌』ここでは、タペストリーのように寝牀の垂れ幕の中心にぶら下げ飾るということである。

○瓊筵 〔玉で飾った敷物の意〕 天子の宴席。また,宴席の美称。

○蘇合香 外国産の貴き香料。

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李白  搗衣篇#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。
交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。

292-#2 《巻五 33搗衣篇》-#2Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <292-#2> Ⅰ李白詩1583 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6463

 
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    搗衣篇

作地點:              目前尚無資料

及地點:              交河 (隴右道西部 西州 交河)           

 

 

搗衣篇

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

 

(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

#3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

李白の足跡0000 

 

『搗衣篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

(下し文)
#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

(現代語訳)
交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。


(訳注) #2

搗衣篇(擣衣)

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

【題義】擣衣篇は、古楽府には見えない。これは、もしかすると、李白が始めて作った新題であるかも知れないといわれている。その内容に就いては、蕭士贇が「これ亦戍婦の詩なり」といった一語だけで述べている。

○搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

 

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

交河 交河城は、紀元前2世紀に、この地に住んでいた車師人によって建てられた。『漢書』西域伝にも、「車師前国、王治交河城、河水分流繞城下、故号交河(車師前国の国王は交河を治めた。河の水が故城を分けていることから交河と呼ばれた)」とある。

中洲 洲中と同じ。川中の洲の中。

 

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

青絲騎 馬の手綱が青い糸で編んだものを馬に付けて乗っている人。

紅粉 この詩の寡婦がお化粧をしていること。

 

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。
安史の乱当時の勢力図 

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李白  搗衣篇-#1  

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。
(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    搗衣篇

作地點:              目前尚無資料

及地點:              交河 (隴右道西部 西州 交河)           

 

 

搗衣篇

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

 

(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

#3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

 

李白の足跡0000 

『搗衣篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

搗衣篇

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

(下し文)
(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

(現代語訳)
(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。


(訳注)

搗衣篇(擣衣)

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

【題義】擣衣篇は、古楽府には見えない。これは、もしかすると、李白が始めて作った新題であるかも知れないといわれている。その内容に就いては、蕭士贇が「これ亦戍婦の詩なり」といった一語だけで述べている。

○搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

杜甫 《0770 擣衣》

亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。

寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。

搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

擣衣 楽府題、雜曲歌辞。謝惠連《擣衣》

絹布を砧でうって白練り絹に詩、衣を製する。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する女性について詠うものである。

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

擣衣 謝惠連 詩<83-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1359

擣衣 謝惠連 詩<83-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩515 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1362

『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)

七月流火、九月授衣。

一之日觱發、二之日栗烈。

無衣無褐、何以卒

三之日于耜、四之日舉趾、同我婦子。

饁彼南畝、田畯至喜。

(七月には流る火あり、九月衣を授く。

一の日は觱發たり、二の日は栗烈たり。

衣無く褐無くんば、何を以てかを卒へん。

三の日 于(ここ)に耜(し)し、四の日 趾(あし)を舉ぐ、我が婦子とともに。

彼の南畝に饁(かれひ)す、田畯至り喜ぶ。)

に基づく句である。

<大意>七月には火星が西に流れる、九月には家族に衣を与えねばならぬ、十一月には風が寒くなり、十二月には激しく吹く、衣がなければ、どうして年を越せようか、明けて三月には鋤の手入れをし、四月には足を上げて耕さねばならぬ、我が妻子とともに、南の畑で働いていると、田んぼの役人さんがやってきて、喜びなさるだろう(流火:火は火星のこと、それが西へ流れるのを流火という、一之日:十一月をさす、田畯:田んぼを管轄する役人)

 

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

顰蛾 眉をひそめる。

離居 わかれている。

 

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

尺素 《1尺の絹布の意で、文字を書くのに用いたところから》短い手紙。尺書。短い絹、手紙に使う。

 

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

狂夫 ここでは夫のことで、初めだけ手紙をよこしてその後、無しのつぶてであることから、自分の夫を故意に罵っていう。王維〈洛陽女兒行〉:「狂夫富貴在青春,意氣驕奢劇季倫。」唐.杜甫〈狂夫〉詩:「欲填溝壑唯疏放,自笑狂夫老更狂。」狂妄無知的人。《詩經.齊風.東方未明》:「折柳樊圃,狂夫瞿瞿。」

交河 交河城は、紀元前2世紀に、この地に住んでいた車師人によって建てられた。『漢書』西域伝にも、「車師前国、王治交河城、河水分流繞城下、故号交河(車師前国の国王は交河を治めた。河の水が故城を分けていることから交河と呼ばれた)」とある。

交河故城、交河古城、交河城址は中華人民共和国、新疆ウイグル自治区トルファン市の西方11キロに位置する世界最大、最古級の版築で築かれた都市遺跡。中国でただ一つ残る漢代からの都市遺跡でもある。遺跡は柳葉形の台地上に位置し周囲は約30メートルの断崖に囲まれ自然の要害をなしている。
長安と西域 地図01 安史期のアジアssH

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李白  鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】-#2

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。
この時、我我は、別を惜むが故に、折角の名曲も聞くに堪へぬようで、今度は何時逢えるかと思ふと、まことに、別るるに忍びない。しかし、仙人は、重ねて眞曲を吟じて、鳳笙の淸聲に和し、又仙歌を唱へて、その響きが緑雲に徹するほどであった。その緑雲は、かの老子の「紫氣東來」と同じく、飛飛として函谷関に向ひ、やがて、仙人も、その地に至り、そして、上古仙人の遺跡である緱氏山を尋ねるであろうが、かの王子晋が常に鳳笙を弄び、一たび浮邱公に出会って登仙し、再び人間に還ってこなかったといふやうことは、しばらく、まねをせずにいてもらいたい。何となれば、別離の情長くつきず、是非もう一度逢ひたいと思うからで、緱氏山を過ぎて後はとにかく、長安に入って浮丘である天子に拝謁し、それからここへ還ってほしいというのである。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關            

緱氏山 (都畿道 河南府 緱氏)          

 

 

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。

生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。

始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。

長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。

欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。

-#2

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。

この時、我我は、別を惜むが故に、折角の名曲も聞くに堪へぬようで、今度は何時逢えるかと思ふと、まことに、別るるに忍びない。

重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

しかし、仙人は、重ねて眞曲を吟じて、鳳笙の淸聲に和し、又仙歌を唱へて、その響きが緑雲に徹するほどであった。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。

その緑雲は、かの老子の「紫氣東來」と同じく、飛飛として函谷関に向ひ、やがて、仙人も、その地に至り、そして、上古仙人の遺跡である緱氏山を尋ねるであろうが、かの王子晋が常に鳳笙を弄び、一たび浮邱公に出会って登仙し、再び人間に還ってこなかったといふやうことは、しばらく、まねをせずにいてもらいたい。

莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

何となれば、別離の情長くつきず、是非もう一度逢ひたいと思うからで、緱氏山を過ぎて後はとにかく、長安に入って浮丘である天子に拝謁し、それからここへ還ってほしいというのである。

 

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】#1

仙人 十五 笙を吹く愛す,學び得たり 崑丘 彩鳳の鳴くを。

始めて聞く 氣を鍊って金液を餐するを,復た道う 天に朝して玉京に赴くと。

玉京 迢迢 幾千里,鳳笙 去去 窮まり已む無し。

歎ぜんと欲す 離聲の絳脣に發するを,更に嗟す 別調の流纖指。

-#2

此の時 別を惜む 詎ぞ聞くに堪えん,此の地 相い看て未だ分るるに忍びず。

重ねて真曲を吟じて 清吹に和し,卻って仙歌を奏して 綠雲に響く。

綠雲 紫氣 函關に向う,道を訪う 應に尋ぬべし 緱氏山。

學ぶ莫れ 吹笙の王子晉,一たび 浮丘に遇えば 斷じて還らず。

 

 

『鳳吹笙曲』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
-#2

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。

重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。

莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

(下し文)-#2

此の時 別を惜む 詎ぞ聞くに堪えん,此の地 相い看て未だ分るるに忍びず。

重ねて真曲を吟じて 清吹に和し,卻って仙歌を奏して 綠雲に響く。

綠雲 紫氣 函關に向う,道を訪う 應に尋ぬべし 緱氏山。

學ぶ莫れ 吹笙の王子晉,一たび 浮丘に遇えば 斷じて還らず。

(現代語訳)
この時、我我は、別を惜むが故に、折角の名曲も聞くに堪へぬようで、今度は何時逢えるかと思ふと、まことに、別るるに忍びない。

しかし、仙人は、重ねて眞曲を吟じて、鳳笙の淸聲に和し、又仙歌を唱へて、その響きが緑雲に徹するほどであった。

その緑雲は、かの老子の「紫氣東來」と同じく、飛飛として函谷関に向ひ、やがて、仙人も、その地に至り、そして、上古仙人の遺跡である緱氏山を尋ねるであろうが、かの王子晋が常に鳳笙を弄び、一たび浮邱公に出会って登仙し、再び人間に還ってこなかったといふやうことは、しばらく、まねをせずにいてもらいたい。

何となれば、別離の情長くつきず、是非もう一度逢ひたいと思うからで、緱氏山を過ぎて後はとにかく、長安に入って浮丘である天子に拝謁し、それからここへ還ってほしいというのである。


(訳注) -#2

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

鳳笙篇も楽府題である。李白の此詩に就いて、蕭士贇は、「遊仙の詩」と言ったが、王琦は、

「この詩は、是れ一道流詔に応じて京に入るを送るの作、謂はゆる仙人十五愛吹笙は、正に其人を実指す、古事を泛用するに非ざるなり。謂はゆる朝天赴玉京とは、その京に入って朝見するをいう。その超昇、軽擧を謂ふに非や。舊註、遊仙の詩を以て之に擬す、その旨を矢へり」といって居るが、なる程、この方が切實であるから、今これにしたがうことにする。

 

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。

この時、我我は、別を惜むが故に、折角の名曲も聞くに堪へぬようで、今度は何時逢えるかと思ふと、まことに、別るるに忍びない。

 

重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

しかし、仙人は、重ねて眞曲を吟じて、鳳笙の淸聲に和し、又仙歌を唱へて、その響きが緑雲に徹するほどであった。

 

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。

その緑雲は、かの老子の「紫氣東來」と同じく、飛飛として函谷関に向ひ、やがて、仙人も、その地に至り、そして、上古仙人の遺跡である緱氏山を尋ねるであろうが、かの王子晋が常に鳳笙を弄び、一たび浮邱公に出会って登仙し、再び人間に還ってこなかったといふやうことは、しばらく、まねをせずにいてもらいたい。

紫氣 紫氣東來。. 隠君子として周の図書館の司書をつとめていた。孔子は洛陽に出向いて彼の教えを受けている。あるとき周の国勢が衰えるのを感じ、牛の背に乗って西方に向かった。函谷関を過ぎるとき、関守の尹喜(いんき、中文版)の求めに応じて上下二巻の書を書き上げた。それが現在に伝わる『道徳経』である。《列仙傳》「老子西遊,關令尹喜望見有紫氣浮關,而老子果乘青牛而過也。」

函關 函谷関

緱氏山 緱氏山(こうしざん)は、河南省洛陽市偃師市にある霊山。洛陽から嵩山に至る途中にある。有名な仙人である王子晋(王子喬、昇仙太子)がいたことで知られる。魏晋南北朝時代以来,赤松子とならんで古代の仙人の代表とされ,詩文や絵画に登場することが多い。王子喬が升仙の後,白鶴に乗って出現し人々に挨拶したとされる偃師(えんし)の緱氏山(こうしざん)には彼の廟がある。王子晋を信仰した則天武后は、聖暦2年(6992月、嵩山とともに昇仙太子廟に「升仙太子碑」を建てたが、飛白書という特殊な書体で書かれたものとして有名。

嵩山の孫太沖(そんたいちゅう)は、玄宗の命令を受けて、昇仙太子廟で金丹(九転丹)を製造している。

 

莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

何となれば、別離の情長くつきず、是非もう一度逢ひたいと思うからで、緱氏山を過ぎて後はとにかく、長安に入って浮丘である天子に拝謁し、それからここへ還ってほしいというのである。

王子晉 漢・劉向『列仙傳』「王子喬者。周靈王太子也。好吹笙作鳳凰鳴。遊伊洛之間。道士浮丘公。接以上嵩山。三十餘年。後求之於山。見桓良曰。告我家。七月七日、待我於緱氏山頭。果乘白鶴。駐山嶺。望之不到。舉手謝時人。數日而去。後立祠於緱氏及嵩山。」王子喬というのは、周の霊王の太子晋のことである。たくみに笙を吹いて鳳凰の鳴くような音をたてた。伊洛の地に遊歴の砌、道士浮丘公というもの、これを伴って嵩高山に登ってしまった。三十余年の後に、これを山上で捜すと、桓良というものの前にあらわれて、「七月七日に、予を緱氏山の頂上で待っているように、家人に伝えてほしい」といった。その日になると、果たして白い鶴に乗ってきて山頂にとまった。遠くからは見えても、そこまで行くことができない。手をあげて人々に別れを告げ、数日して飛び去った。後日、緱子氏の麓や嵩山の頂には、その祠が立てられた。(漢・劉向『太平廣記』《列仙傳》

浮丘 浮丘公古代族神伝説中的仙人。《文選·謝靈運》:“遇浮丘公,長絶子徽音。” 李善注引《列仙》:“ 王子晋好吹笙,道人浮丘公接以上嵩山。”

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鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】#1

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。
(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關            

緱氏山 (都畿道 河南府 緱氏)          

 

 

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。

生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。

始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。

長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。

欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。

-#2

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。

重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。

莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

 

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】#1

仙人 十五 笙を吹く愛す,學び得たり 崑丘 彩鳳の鳴くを。

始めて聞く 氣を鍊って金液を餐するを,復た道う 天に朝して玉京に赴くと。

玉京 迢迢 幾千里,鳳笙 去去 窮まり已む無し。

歎ぜんと欲す 離聲の絳脣に發するを,更に嗟す 別調の流纖指。

-#2

此の時 別を惜む 詎ぞ聞くに堪えん,此の地 相い看て未だ分るるに忍びず。

重ねて真曲を吟じて 清吹に和し,卻って仙歌を奏して 綠雲に響く。

綠雲 紫氣 函關に向う,道を訪う 應に尋ぬべし 緱氏山。

學ぶ莫れ 吹笙の王子晉,一たび 浮丘に遇えば 斷じて還らず。

 

 

『鳳吹笙曲』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#1

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。

始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。

欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

(下し文)
鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】#1

仙人 十五 笙を吹く愛す,學び得たり 崑丘 彩鳳の鳴くを。

始めて聞く 氣を鍊って金液を餐するを,復た道う 天に朝して玉京に赴くと。

玉京 迢迢 幾千里,鳳笙 去去 窮まり已む無し。

歎ぜんと欲す 離聲の絳脣に發するを,更に嗟す 別調の流纖指。

(現代語訳)
(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。

その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。

長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。

そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。


(訳注)

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

鳳笙篇も楽府題である。李白の此詩に就いて、蕭士贇は、「遊仙の詩」と言ったが、王琦は、

「この詩は、是れ一道流詔に応じて京に入るを送るの作、謂はゆる仙人十五愛吹笙は、正に其人を実指す、古事を泛用するに非ざるなり。謂はゆる朝天赴玉京とは、その京に入って朝見するをいう。その超昇、軽擧を謂ふに非や。舊註、遊仙の詩を以て之に擬す、その旨を矢へり」といって居るが、なる程、この方が切實であるから、今これにしたがうことにする。

 

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。

生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。

○崑丘 崑崙山:中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。

 

始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。

○金液 太乙金液。《神仙傳/卷八》「藥之上者,唯有九轉還丹及太乙金液,服之,皆立便登天。」(薬の上なるもの、九轉還丹、及び、太乙金液あり、これを服すれば皆立どころに天に登る)とある。

○玉京 天帝の住まいするところ。長安。

 

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已【鳳笙去去無邊已】

長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。

○迢迢 1 はるかに遠いさま。2 他より高いさま。また、すぐれているさま。

 

欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。

○絳脣 紅脣。李凊照の詞牌に《點絳唇》があり、少女期の紅唇を、実に初々しい感情が歌われている。

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李白   嘲魯儒#2  

緩步從直道,未行先起塵。秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。時事且未達,歸耕汶水濱。
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嘲魯儒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              汶水 (河南道 兗州 兗州)    

 

 

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

#2

緩步從直道,未行先起塵。

おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

秦家丞相府,不重褒衣人。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

君非叔孫通,與我本殊倫。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

時事且未達,歸耕汶水濱。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

(嘲魯儒)

#2

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

(下し文)
緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

(現代語訳)
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

李白の足跡0000
(訳注) #2

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。

魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」

 

緩步從直道,未行先起塵。

おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

 

秦家丞相府,不重褒衣人。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

秦家丞相府 李斯をいう、周の制度である封建制を採り入れ、始皇帝の公子達を各地の王として封じるようにと進言した。だが、李斯はそれに猛反対して、周が何故滅んだかの理由を具体的に述べた上、一層強い集権統治である郡県制への移行を説いた。また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

褒衣人 褒衣博帯のひと。大きな裾の服と広い帯のことで儒者の服のこと。また、儒者や学者、文人のこと。「褒衣」は裾の大きい服のこと。

 

君非叔孫通,與我本殊倫。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

叔孫通 (生没年不詳)秦末から前漢初めにかけての儒者。薛(現山東省滕州市)の人。

史記に「漢の高祖、既に天下を并(あは)せ、叔孫通に朝儀を起こさしめ、ここに於て通をして魯諸生三十余人を徴せしむ。」とある。

劉邦は叔孫通を博士とし、稷嗣君の称号を与えた。劉邦が天下を統一し、諸侯が彼を皇帝に奉ると、叔孫通がその儀礼や制度を整えた。

高祖劉邦は秦の法律を廃止して簡易にしたため、大臣たちは朝廷での宴会の際に自分の功績を誇り、酔って叫びだしたり柱に斬りつけるなどという有様で、高祖はこれに悩んでいた。叔孫通は「儒者は進取には役立ちませんが守成には役立ちます。魯の儒者と私の弟子たちに朝廷での儀礼を制定させましょう」と申し出た。高祖が「(礼は自分のような者にとって)難しくないか?」と聞くと、「礼は王朝と共に変わるものです。古の礼と秦の礼を抜粋したいと思います」と答え、高祖は「俺にもできるようにして、難しくするなよ」と言った。

叔孫通は魯の儒者を召しだした。その中に「貴方はこれまで何人もの主に仕え、その都度阿諛追従して地位を得ている。今は天下が統一されたばかりで死者も葬られていないというのに、礼を興そうとしているが、礼というのは百年も徳を積み重ねて初めて出来るものだ。貴方の行いは古には合致しない。私を汚そうとしないでくれ」と拒否する者がいたが、叔孫通は「時勢を知らぬ田舎儒者だ」と笑った。

新たな儀礼を制定し、高祖に見せたところ、「これなら俺にも出来る」と言ったため、臣下にその儀礼を習わせた。高祖7年(紀元前200年)に長楽宮が完成し、諸侯、群臣と朝廷で祝賀会を執り行うと、この儀礼に従って儀式が行われた。諸侯王以下皆高祖を恐れ敬い、儀礼の通りにしない者は御史が強制退去させたため、宴会の際にも礼を失する者はいなかった。高祖は「俺は初めて皇帝の尊さを知ったぞ」と言い、叔孫通を奉常とし金500斤を与えた。叔孫通は「私に従ってきた弟子や儒者たちがこの制度を共に作りましたので、彼らに官位をお与えください」と願ったので、高祖は皆を郎とした。叔孫通は賜った金を儒者たちに分け与え、儒者は「叔孫先生は聖人である。時勢に合ったなすべきことを分かっている」と喜んだ。

 

時事且未達,歸耕汶水濱。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

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李白  嘲魯儒    魯叟談五經,白髮死章句。問以經濟策,茫如墜煙霧。足著遠遊履,首戴方山巾。
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393


 
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 孟郊張籍     
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740年 李白40歳 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嘲魯儒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              汶水 (河南道 兗州 兗州)    

 

 

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

 

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

 

(嘲魯儒)

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

#2

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

嘲魯儒

魯叟談五經,白髮死章句。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

足著遠遊履,首戴方山巾。

(下し文)
(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

(現代語訳)
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。



(訳注)

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。

魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」

 

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

○五經 《詩經》、《尚書》、《禮記》、《周易》、《春秋》。四書は《論語》、《孟子》、《大學》、《中庸》を指す。

 

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

 

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

○遠遊履 曹植《洛神賦》「踐遠遊之文履,曳霧銷之輕裾。」(遠遊の文履を踐み,霧銷の輕裾を曳く。)に基づく。

○方山巾 古儒者所戴的軟帽。一種には方形帽といい,又、方山冠と称す。

 

嘲魯儒

魯叟談五經,白髮死章句。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

足著遠遊履,首戴方山巾。

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

 

289(改訂) 《2105 客中行》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <289> Ⅰ李白詩1568 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6388

李白  客中行  

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。

但使主人能醉客,不知何處是他鄕。
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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740年 李白40歳 


 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八一              文體:    七言

詩題:    客中行

作地點:              目前尚無資料

及地點:              氶縣 (河南道 沂州 氶縣) 別名:蘭陵             

 

客中行 
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
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<!--[endif]-->

(客中行)
蘭陵の美酒 鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。
但だ 主人をして 能く客を醉はしむれば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
『客中行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

客中行 

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。

但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

(下し文)
(客中行)

蘭陵の美酒  鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。

但だ 主人をして 能く客を醉はしめば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。

(現代語訳)
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。

(訳注)

客中行
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

●「客中作」ともする。 

・客 よその地を旅すること。異客となること。 

・中 …をしている時、中。 

・行 歌行。詩歌。「…行」は楽府に付く「詩・歌」の意。


蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
●蘭、金、玉、琥珀、。美、香、来、光。それぞれの語が絡み合って句と聯を計成する。美しい響きを持つ聯に仕上げ、五感でよませる聯にしている。 

・蘭陵 地名。山東省嶧県のお酒の産地。荀子の墓もある。 

・鬱金香 ミョウガ科の多年草(鬱金の香)香草の名。酒に浸して、色や香を附けるために使う。

・玉碗 玉(ぎょく)で出来たさかづき。玉杯。「玉杯」としないのは、容器の大小、深浅の差異もある。また、発音上のリズム感にも因る。

・盛 (器に)もる、盛り上げたから光り輝きが増すことになる。 

・~來 …てきた。 

・琥珀 天然樹脂の化石であり、宝石である。 半化石の琥珀は、コーパル(英: Copal)という。 バルト海沿岸で多く産出するため、ヨーロッパでは古くから知られ、宝飾品として珍重されてきた。 鉱物ではないが、硬度は鉱物に匹敵する。透き通った黄色みを帯びた茶色系の宝石。女性のブローチ・ブレスレットなどの材料にも使われている。 

・琥珀光 コハク色に輝く酒。鬱金香を酒に浸したためついた色。


但使主人能醉客、不知何處是他鄕。
既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
・但使 ただ…しさえすれば。ただ…のようにさせれば。「ただ…しさえすれば」という或る条件を満たすようにさえすれば、次のような結果が出る、という表現の語。 

・主人 もてなす側の人。「客」に対する語。

・能:よく。あたう。できる。可能を表す。 

・醉客 客(李白)を酔わせる。 

・不知 分からない。 

・何處 どこ。  ・他鄕 異郷。よその地。「故郷」に対する語。

「但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」主人側が充分に酔っぱらわせてくれたならば、(酔っぱらった結果、)一体どこが異郷であるのか、忘れて分からなくなることだろう。
旅の空、こんなにおいしいお酒、琥珀色をした酒は身も心潤してくれる。旅の恥はかき捨てベロベロになるまで酔わせくれ・・・・・・と。


(客中行)
蘭陵の美酒  鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。
但だ 主人をして 能く客を醉はしめば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。
李白の足跡0000 

288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383

李白  酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈  

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。
(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383

 

 
 2015年8月9日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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79-#5 (改訂)《巻0211送靈師》-#5 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1489> Ⅱ【11分割】-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6429 
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河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00<!--[if !vml]-->740年 李白40歳<!--[endif]-->

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

作地點:              目前尚無資料

及地點:              中都縣 (河南道 兗州 中都縣)           

 

 

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

 

中都 小吏 斗酒雙魚を 逆旅に攜え贈らるるに酬ゆ)

魯酒は琥珀の若し,汶魚は紫錦の鱗。

山東の豪吏 俊氣有り,手に此物を攜えて遠人に贈る。

意氣 相い 傾けて 兩つながら相い顧る,斗酒 雙魚 情素を表す。

雙鰓 呀呷 鰭鬣張る,刺 銀盤 飛び去らんと欲す。

兒を呼び 几を拂うて 霜刃揮い,紅肌は 花落ちて白雪は霏たり。

君の為に箸を下し一餐して飽き,醉うて金鞍を著け 馬に上って歸る。
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<!--[endif]-->

 

『酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。
(含異文)

魯酒若琥珀【魯酒琥珀色】,汶魚紫錦鱗。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人【手持此物贈遠人】。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。【案:一本此下有以下二句:酒來我飲之,鱠作別離處。】

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

為君下箸一餐飽【為君下箸一餐罷】,醉著金鞍上馬歸。


(下し文)

中都 小吏 斗酒雙魚を 逆旅に攜え贈らるるに酬ゆ)

魯酒は琥珀の若し,汶魚は紫錦の鱗。

山東の豪吏 俊氣有り,手に此物を攜えて遠人に贈る。

意氣 相い 傾けて 兩つながら相い顧る,斗酒 雙魚 情素を表す。

雙鰓 呀呷 鰭鬣張る,刺 銀盤 飛び去らんと欲す。

兒を呼び 几を拂うて 霜刃揮い,紅肌は 花落ちて白雪は霏たり。

君の為に箸を下し一餐して飽き,醉うて金鞍を著け 馬に上って歸る。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->


(現代語訳)
(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00楚州0015
江南東道 婺州 東陽00(訳注)

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

唐時の河南道鄆州東中郡の中郡縣は、もと平陸縣で、兗州に隷し、天寶元年に名を更めたが、貞元十四年に、改めて鄆州に隷したので、今の山東汶上縣である。

中都縣 (河南道 兗州 中都縣)

 

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

汶魚 汶は汶水、元和郡縣志に「汶水、北、中都縣を去ること二十四里」とあり、行水金鑑に「尚書説に云う、汶水五源、皆襲慶奉符の縣界に出で、東北、中都縣に至り、鉅澤を貫いて、濟に入る」とある。

 

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

豪吏 史記に「少年蒙吏、蕭曹樊噲等の如き」とある。

 

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

意氣相傾 鮑照の詩に「意氣相傾死何有」

情素 素心と同じ。

 

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

雙鰓 魚のふたつのえら

呀呷 吸い込んだり吐いたりすること。

鰭鬣張 魚の翅、背上に在るを鰭、エラ下にある鬣を張って元気の良いことをいう。

刺 生き生きとして元気のよいさま。「―とした声」「生気―たる若者」2 魚が飛び跳ねるさま。

 

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

紅肌花落 紅になる肌は花の落るがごとく、白きもの雪のごときをいう。

 1(雨・雪が)しきりに降る.・雪其霏=雪がしきりに降る.2(煙・雲が)漂う.

 

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。
李白の足跡0000 

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李白  五月東魯行答汶上君 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

汶水 (河南道 兗州 兗州)   

聊城 (河北道南部 博州 聊城)          

 

 

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

我以一箭書,能取聊城功。

しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

終然不受賞,羞與時人同。

かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

西歸去直道,落日昏陰虹。

かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

 

(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み  桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】  簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

#2

下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日  陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す  転蓬の如きに。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00江南東道 婺州 東陽00 

『五月東魯行答汶上君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
【五月東魯行答汶上翁】
 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。

西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。


(下し文)
下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日 陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す 転蓬の如きに。

(現代語訳)
たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。


(訳注) #2

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

老人は、如何なる人物か分らないが、定めて識見ある高棲の老翁であるらしい。

 

下愚忽壯士、未足論窮通。
たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

○壯士 理想を求めている武士というような意味。壮士となる。  

○窮通 道理を追及していること。窮通は『易』に「窮するものは変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」に基づく。

 

我以一箭書、能取聊城功。
しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって
聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
○一箭書  ○聊城功 「聊城」は、今、山東省に聊城県がある。それにちなんだ故事を用いる。『史記』魯仲連伝に、「戦国の時、斉の田単が、燕軍が占領している聊城を攻めたが退かない。よって魯仲連が箭書を城中に射ると、燕将が感泣して自殺し、聊城が降った。田単は魯仲連に爵位を与えようとしたが、受けないで海上に隠れた」 という。

 

終然不受賞、羞與時人同。 
かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

○終然 ついに・・・・・・してしかり。 

○時人同 世間並の人間。
李白《古風五十九首之九》「青門種瓜人、舊日東陵侯。富貴故如此,營營何所求。」(青門に瓜を種うるの人は旧日の東陵侯なり。富貴はもとよりかくのごとし、営々なんの求むるところぞ。)

Index-24 《古風五十九首之九》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳419古風,五十九首之九莊周夢蝴蝶, <Index-24> Ⅰ李白詩1157 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4333

 

西歸去直道、落日昏陰虹。 
かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。
○西歸 西方の仙人の住むところ帰 

○去直道 「道」を求めてゆく。 

○昏陰虹 陰りのある虹が架かっているであろう。実際には、長安、朝廷は西に位置する、友人の呉筠、玉真公主らによって何らかの連絡を期待していたのであろう。

 

此去爾勿言。甘心為轉蓬。
われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

・甘心 おもいのままにする。心に満足する。 

・転蓬 ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。飛蓬。孤蓬。
曹植「雑詩六首其二」
轉蓬離本根、飄颻隨長風。
何意迴飆舉、吹我入雲中。
高高上無極、天路安可窮。
類此遊客子、捐躯遠從戎。
毛褐不掩形、薇藿常不充。
去去莫復道、沈憂令人老。
また、曹植「吁嗟篇」に初句に使う。

杜甫「野人送朱桜」
西蜀桜桃他自紅、野人相贈満筠籠。
数迴細写愁仍破、万顆匀円訝許同。
憶昨賜霑門下省、退朝擎出大明宮。
金盤玉筯無消息、此日嘗新任転蓬

また、杜甫「客亭」最終句に使う。

紀頌之のブログ「李商隠8無題」最終語 参照

希望を持ってさすらうことを示すもので、詩の最初か最後に使われ、希望に向かう意思を示すものである。
李白の足跡0000 

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李白  五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

五月梅始黃【五月梅子黃】,蠶凋桑柘空。魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

顧余不及仕,學劍來山東。舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。
(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)  #1 時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

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740年 李白40歳


年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

汶水 (河南道 兗州 兗州)   

聊城 (河北道南部 博州 聊城)          

 

 

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。

西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

 

(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み  桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】  簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

#2

下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日  陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す  転蓬の如きに。

 

 

『五月東魯行答汶上君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
【五月東魯行答汶上翁】
五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

五月梅始黃【五月梅子黃】,蠶凋桑柘空。

魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

顧余不及仕,學劍來山東。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

(下し文)
(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み 桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】 簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

(現代語訳)
(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)  #1

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注)

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

老人は、如何なる人物か分らないが、定めて識見ある高棲の老翁であるらしい。

 

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
○蠶凋 蚕しぼむ。生気がなくなる。 

○桑柘空 桑や山ぐわのなにもかも全てなく。

 

魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
○魯人 山東地方の人。

○機杼 はたを織るオサ。  

○帘櫳 換気するための格子のある小窓。帘:酒屋の看板の旗。櫳:格子のある窓。

顧余不及仕、學劍來山東。 
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。

 

顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

 

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

舉鞭訪前途、獲笑汶上翁。 剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
○汶上 山東省聊城県の北西地域。汶水のことで泰山の南を西に流れ黄河に合流する。

 

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李白  送韓準裴政孔巢父還山#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。相思若煙草,歷亂無冬春。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

286-#3 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#3 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#3> Ⅰ李白詩1573 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6413


 
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河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

今晨魯東門,帳飲與君別。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

相思若煙草,歷亂無冬春。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

 

 

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。


(下し文) #3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

(現代語訳) #3

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注) #3

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

竹溪 徂徠山の隠棲の竹渓。竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

 

今晨魯東門,帳飲與君別。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

 東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3   魯は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称としても用いられる。 王朝としての魯は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公の爵位は侯爵であり、姓は姫である。首府は曲阜。 周公旦の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。

帳飲 曠地に幔幕を張って酒を飲む。

 

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

雪崖 積雪が崩れることによってできた崖壁、崖に氷雪によりかたまった状況の道路。

 

相思若煙草,歷亂無冬春。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

歷亂 1.乱,乱。 南朝 鮑照 行路》之九:“剉檗染黃絲, 黃絲歷亂不可治。

2. ① 花の咲き乱れるさま。② ありのままに輝き現れるさま。ひかり輝くさま。 南朝 文帝 《采桑》:““細萍重疊長, 新花歷亂開。

相思 李白はこの語を自身の詩の約1000首の内、62首に使っている。

286-#2 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#2 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#2> Ⅰ李白詩1572 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6408

李白  送韓準裴政孔巢父還山  #2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

286-#2 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#2 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#2> Ⅰ李白詩1572 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6408

 

 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。

 

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

 

 河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

(下し文)
#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

(現代語訳) #2

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。


(訳注) #2

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

盤石 大岩をいう。文選李善註、「聲類に云う、盤は大石なり。」とある。

 

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

斧冰 氷を斧で打ち破ること。魏曹操《苦寒行》「擔囊行取薪, 斧冰持作糜。」

 

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

 

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

牧伯 尚書正義「曲禮に日く、九州の長か牧といふ。王制に日く、千里の外、方伯を設く、八州八伯と。然らば、牧伯は一で、伯は一州の長ということ、牧は下民か牧養するという義。

鄭玄は「殷の州牧を伯といい、處夏及び周には牧という」とあって、後人が太守を称して牧伯というは、これに本づく。
江南東道 婺州 東陽00 

286-#1 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#1 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#1> Ⅰ李白詩1571 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6403

李白  送韓準裴政孔巢父還山 #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。所以青雲人,高歌在巖

韓生信英裴子含清真。孔侯復秀出,俱與雲霞親。

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

286-#1 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#1 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#1> Ⅰ李白詩1571 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6403

 

 
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740年 李白40歳 

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -3    
4に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。

 

 

詩文(含異文)

獵客張兔罝,不能掛龍虎。所以青雲人,高歌在巖【浩歌在巖】。韓生信英,裴子含清真。孔侯復秀出,俱與雲霞親。峻節凌遠松,同衾臥盤石。斧冰嗽寒泉,三子同二屐。時時或乘興,往往雲無心。出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。今晨魯東門,帳飲與君別。雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。相思若煙草,歷亂無冬春。

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

李白の足跡003 

 

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送韓準裴政孔巢父還山 #1

獵客張兔,不能掛龍虎。

所以青雲人,高歌在巖

韓生信英,裴子含清真。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

(下し文)
(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖に在る所以なり。

韓生 信に英,裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

(現代語訳)
(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。


(訳注)

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

兔罝 うさぎあみ。『詩経』《国風 周南》、兔罝 

肅肅兔罝、椓之丁丁。赳赳武夫、公侯干城。

肅肅兔罝、施于中逵。赳赳武夫、公侯好仇。

肅肅兔罝、施于中林。赳赳武夫、公侯腹心。

(読み下し文)

肅肅たる兔罝【としゃ】、之を椓【たく】すること丁丁たり。赳赳【きゅうきゅう】たる武夫は、公侯の干城。

肅肅たる兔罝、中逵【ちゅうき】に施【いた】る。赳赳たる武夫は、公侯の好仇。

肅肅たる兔罝、中林に施る。赳赳たる武夫は、公侯の腹心。

 

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

 

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

 非常にすぐれていること。また、そのような人。英雋。英俊。

清真 1 人間の性質と心情が清眞である。こころ清眞。2 生まれつきの性質が清眞である。性情清眞 明鏡止水『荘子』 内篇 徳充符篇. 仲尼曰:「人莫鑒於流水而鑒於止水。唯止能止衆止。」(人は流水に鑑みる莫くして、止水に鑑みる。 唯だ止のみ能く衆止を止む。)”

 

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

 秀逸 秀麗であること。
 

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李白  憶襄陽舊遊贈馬少府巨#2  

朱顏君未老,白髮我先秋。壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。空思羊叔子,墮淚峴山頭。
別後、すでに数年、君はなお若君しく、朱顔で未だ老いざるに拘わらずというのに、われは、白髪すでに秋に入り、見られるとおり老人と成り果てて仕舞ったのである。かくて、折角の壮心も、次第に蹉跎して、衰えるように成り、功名富貴は、浮雲の如く、容易に手に取ることができないということも分ったのである。徒に故郷に帰りたいと思うにつけて、遠夢を結び、又落日に対して、春愁を懸けるような次第である。むかし、晋の羊砧は、客と共に、峴山に登って、歳月の人を相またざることを嘆息したが、自分も、今その通りで、頭をめぐらして、はるかに、彼の堕涙碑の事を思うばかりである。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    憶襄陽舊遊贈馬少府巨

作地點:              曹州(河南道 / 曹州 / 曹州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

大堤 (山南東道 襄州 襄州)             

山公樓 (山南東道 襄州 襄州)          

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     

交遊人物:馬巨    當地交遊(河南道 曹州 濟陰)

韓朝宗              詩文提及(江南西道 洪州 洪州)

 

憶襄陽舊遊贈馬少府巨

(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

昔為大堤客,曾上山公樓。

むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。

此地別夫子,今來思舊遊。

その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。

#2

朱顏君未老,白髮我先秋。

別後、すでに数年、君はなお若君しく、朱顔で未だ老いざるに拘わらずというのに、われは、白髪すでに秋に入り、見られるとおり老人と成り果てて仕舞ったのである。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

かくて、折角の壮心も、次第に蹉跎して、衰えるように成り、功名富貴は、浮雲の如く、容易に手に取ることができないということも分ったのである。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

徒に故郷に帰りたいと思うにつけて、遠夢を結び、又落日に対して、春愁を懸けるような次第である。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

むかし、晋の羊砧は、客と共に、峴山に登って、歳月の人を相またざることを嘆息したが、自分も、今その通りで、頭をめぐらして、はるかに、彼の堕涙碑の事を思うばかりである。

 

 

(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

 

朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

 

東都南都襄陽武昌山南東道舂陵03 

『憶襄陽舊遊贈馬少府巨』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #2

朱顏君未老,白髮我先秋。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。
(含異文)

朱顏君未老,白髮我先秋。壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。空思羊叔子,墮淚峴山頭【何時共攜手,更醉峴山頭】。


(下し文)
朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

(現代語訳) #2

別後、すでに数年、君はなお若君しく、朱顔で未だ老いざるに拘わらずというのに、われは、白髪すでに秋に入り、見られるとおり老人と成り果てて仕舞ったのである。

かくて、折角の壮心も、次第に蹉跎して、衰えるように成り、功名富貴は、浮雲の如く、容易に手に取ることができないということも分ったのである。

徒に故郷に帰りたいと思うにつけて、遠夢を結び、又落日に対して、春愁を懸けるような次第である。

むかし、晋の羊砧は、客と共に、峴山に登って、歳月の人を相またざることを嘆息したが、自分も、今その通りで、頭をめぐらして、はるかに、彼の堕涙碑の事を思うばかりである。


(訳注) #2

憶襄陽舊遊贈馬少府巨

(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

馬巨、その人は、例の如く、よくは分らない。

 

朱顏君未老,白髮我先秋。

別後、すでに数年、君はなお若君しく、朱顔で未だ老いざるに拘わらずというのに、われは、白髪すでに秋に入り、見られるとおり老人と成り果てて仕舞ったのである。

朱顏 年若くして美しい容顏の形容,年わかい女子をさす。

 

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

かくて、折角の壮心も、次第に蹉跎して、衰えるように成り、功名富貴は、浮雲の如く、容易に手に取ることができないということも分ったのである。

蹉跎 つまずく。思うようにいかない。時期を逸する。

 

歸心結遠夢,落日懸春愁。

徒に故郷に帰りたいと思うにつけて、遠夢を結び、又落日に対して、春愁を懸けるような次第である。

 

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

むかし、晋の羊砧は、客と共に、峴山に登って、歳月の人を相またざることを嘆息したが、自分も、今その通りで、頭をめぐらして、はるかに、彼の堕涙碑の事を思うばかりである。

空思羊叔子,墮淚峴山頭 叔子は.羊祜の字。《荊州圖記》曰:羊叔子與鄒潤甫嘗登峴山,泣曰:「自有宇宙,便有此山,由來賢達登此望如我與卿者多矣,皆湮滅無聞,念此使人悲傷。」潤甫曰:「公德冠四海,道嗣前哲,令問令望,當與此山俱傳。若潤甫輩,乃當如公語耳。」后參佐為立碑,著故望處,百姓毎行望碑、莫不悲感、因名爲堕涙碑。」荊州圖記に「羊叔子、鄒潤甫と嘗て峴山に登り、嘆じて日く、宇宙あってより、便ち此山あり。由来、賢達、ここに登って遠望す、我と卿との如きもの多し。皆、湮滅して聞こゆるなし。これを念へば、人をして悲傷せしむ。潤甫日く、公の徳、四海に冠たり、道、前哲に嗣ぐ、令問令望、必ず此山と倶に傳へむ。潤甫輩の若きは、當に公の語の如くなべきのみ、と。後、參佐、爲に碑を立てて、道、故の望處に着く。百姓行いて碑か望む毎に、悲感せざるなし。杜預、名づけて、墮淚の碑となり」とある。

 襄陽一帯地図000

 

143巻四18襄陽曲四首其二

山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。

 

144巻四19襄陽曲四首其三

峴山臨漢江。 水綠沙如雪。上有墮淚碑。 苔久磨滅。

 

145巻四20襄陽曲四首其四

且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

 

206卷六01襄陽歌 「落日欲沒峴山西。 倒著接籬花下迷。襄陽小兒齊拍手。」

 

315巻八29卷八贈參寥子「白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。」

 

754巻二十一32 峴山懷古「訪古登峴首、憑高眺襄中。天清遠峰出、水落寒沙空。」

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李白  憶襄陽舊遊贈馬少府巨 #1  

昔為大堤客,曾上山公樓。開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。此地別夫子,今來思舊遊。
(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。

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740年 李白40歳 

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    憶襄陽舊遊贈馬少府巨

作地點:              曹州(河南道 / 曹州 / 曹州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

大堤 (山南東道 襄州 襄州)             

山公樓 (山南東道 襄州 襄州)          

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     

交遊人物:馬巨    當地交遊(河南道 曹州 濟陰)

韓朝宗              詩文提及(江南西道 洪州 洪州)

 

憶襄陽舊遊贈馬少府巨

(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

昔為大堤客,曾上山公樓。

むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。

此地別夫子,今來思舊遊。

その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。

#2

朱顏君未老,白髮我先秋。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

 

詩文(含異文)     昔為大堤客,曾上山公樓。開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。高冠佩雄劍,長揖韓荊州。此地別夫子,今來思舊遊。朱顏君未老,白髮我先秋。壯志恐蹉跎,功名若雲浮。歸心結遠夢,落日懸春愁。空思羊叔子,墮淚峴山頭【何時共攜手,更醉峴山頭】。

 

 

(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

 

朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

 

 

『憶襄陽舊遊贈馬少府巨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

憶襄陽舊遊贈馬少府巨 #1

昔為大堤客,曾上山公樓。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

此地別夫子,今來思舊遊。

(下し文)
(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

(現代語訳)
(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。

窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。

この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。

その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。

襄陽一帯地図000 

(訳注)

憶襄陽舊遊贈馬少府巨

(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

馬巨、その人は、例の如く、よくは分らない。

 

昔為大堤客,曾上山公樓。

むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。

大堤 襄陽東城外の歓楽街。

山公 山簡(さん かん、生没年未詳)は三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父親は竹林の七賢の一人、山濤。○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。ここに言う、楼は峴山に在る峴首亭から見える景色を思い出すということ。

 

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。

碧嶂 嶂は山の高峻なるもの、ついたてのように切り立った峰。襄陽東の鹿門山の連山。

 

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。

韓荊州 韓朝宗(686750),中國唐朝政治人物,韓朝宗最早擔任左拾遺。唐睿宗想要下令推廣乞寒胡戲,韓朝宗跟皇帝勸阻。名に朝宗、開元中・刑州の刺史となって居た。李白は、之に謁見した時、長揖して拝を爲さなかった。

 

此地別夫子,今來思舊遊。

その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。
李白の足跡003 

284-#2 《卷8-09贈瑕丘王少府》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284-#2> Ⅰ李白詩1568 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6388

李白  贈瑕丘王少府  #2
一見過所聞,操持難與群。毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。無由接高論,空此仰清芬。
実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

284-#2 《卷8-09贈瑕丘王少府》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284-#2> Ⅰ李白詩1568 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6388


 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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740年 李白40歳 


年:-740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈瑕丘王少府

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

南昌 (嶺南道 白州 南昌)   

交遊人物:王少府              書信往來(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

#2

一見過所聞,操持難與群。

実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

無由接高論,空此仰清芬。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。

#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。
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李白の足跡0000 

『贈瑕丘王少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2
一見過所聞,操持難與群。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

無由接高論,空此仰清芬。

(下し文)
#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。

(現代語訳)
実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。


(訳注)

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

・瑕丘は、唐書地理志に「河南道兗州に瑕丘縣あり」と記してある。この詩は、瑕丘の縣令王某に贈ったものである。

秦のときの郡名で、兗州はその郡に属していた。兗州市(えんしゅうし)は、中華人民共和国山東省西南部の済寧市に位置する県級市。京滬線および新兗線、兗石線が交わる交通の要衝である。 兗州の名は古代の天下九州のひとつ・兗州(えんしゅう)に由来し、悠久の歴史を誇る。

 

一見過所聞,操持難與群。

実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

 

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

・瀛州 中国で,蓬萊・方丈とともに三神山の一。東海中にあって神仙がすむという島。東瀛。

 

我隱屠釣下,爾當玉石分。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

・屠釣下 太公望が三顧の礼に迎えられるまで釣り糸を垂れて、周の文王に「我が太公(周の祖)が望んでいた賢人だ」と見いだされた故事に言うように、招聘を待っていることをいう。

 

無由接高論,空此仰清芬。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

清芬 盛んににおうさま。本来はよい香りにいうが、悪臭にもいう。「花の香りがと漂う」「酒気をとさせる」 

李白  《卷8-01贈孟浩然》

吾愛孟夫子,風流天下聞。紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

醉月頻中聖,迷花不事君。高山安可仰,徒此揖清芬。

(孟浩然に贈る)

吾は愛す 孟夫子【もうふうし】、風流は 天下に聞こゆ。

紅顔  軒冕を棄て、白首  松雲に臥す。

月に酔いて頻りに聖に中【あた】り、に迷いて君に事【つか】えず。

高山  安【いずく】んぞ仰ぐ可けんや、徒らに此に清芬【せいふん】を揖【ゆう】す。

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。

253 《卷8-01贈孟浩然》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <253>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6103

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