漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年09月

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

李白  遊泰山,六首之五 #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。海水落眼前,天光遙空碧。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

 

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

泰山002 

 

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

海水落眼前,天光遙空碧。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

#2

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

長松入雲漢,遠望不盈尺。

山花異人間,五月雪中白。

終當遇安期,於此鍊玉液。

 泰山案内図01

 

『遊泰山,六首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之五 #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

海水落眼前,天光遙空碧。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷

(下し文)
(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、だ凌歷

(現代語訳)
(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。



(訳注)

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

 

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

 

海水落眼前,天光遙空碧。【天光搖空碧】

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

 

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

1】攢聚 栄二字ともに集まるという意味。

2凌歷 非常に深邃であるすがた。

 

 

(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、凌歷

 

#2

緬たる彼の鶴上の仙、去って雲中の跡なし。

長松、雲漢に入り、遠望すれば、尺に盈たす。

山花、人間に異なり、五月、雪中に白し。

終に當に安期に遇ひ、此に於て玉液を錬るべし。

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#2>Ⅰ李白詩1627kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

李白  遊泰山,六首之四 #2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。海色動遠山,天雞已先鳴。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。安得不死藥,高飛向蓬瀛。

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白316#2> Ⅰ李白詩1627 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈91-#5《 巻二12 縣齋有懷》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1540> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6684  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

 

 

遊泰山,六首之四

(遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

清齋三千日,裂素寫道經。

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

吟誦有所得,眾神衛我形。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

雲行信長風,颯若羽翼生。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

#2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

海色動遠山,天雞已先鳴。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

安得不死藥,高飛向蓬瀛。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

 

(泰山,六首の四)#1

清斎三千日、素を裂いて道經を寫す。

吟誦して得る所あり、衆神、我が形をる。

雲行いて、長風に信せ、颯として、羽翼を生するが若し。

#2

崖を攀じて日觀に上り,檻に伏して東暝を窺う。

海色 遠山に動き,天雞 已に 先づ鳴く。

銀臺 倒景を出で,白浪 長鯨を翻す。

安んぞ不死藥を得ん,高飛して 蓬瀛に向わん。

 

 

『遊泰山,六首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之四 #2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

海色動遠山,天雞已先鳴。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

安得不死藥,高飛向蓬瀛。


(下し文)
(泰山,六首の四)#2

崖を攀じて日觀に上り,檻に伏して東暝を窺う。

海色 遠山に動き,天雞 已に 先づ鳴く。

銀臺 倒景を出で,白浪 長鯨を翻す。

安んぞ不死藥を得ん,高飛して 蓬瀛に向わん。

(現代語訳) #2
遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。


(訳注)

遊泰山,六首之四

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

○泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

4日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

5伏檻 欄干に倚る

6東暝 東海に同じ。

 

海色動遠山,天雞已先鳴。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

7海色 夜明け前のすべてが海景色の中であるさま。

8天雞 天上の雞。

 

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

9倒景 倒影に同じ。極めて高い空に日月の光が下からさして、影がさかさに映ること。水面に映る山の倒影とも解する。前見た逆立ちの景色とは、自然異なっているというほどの意。謝靈運の詩《従遊京口北固應詔》「張組眺倒景、列筵矚歸潮。」(組を張りて倒景【とうえい】を眺め、筵を列ねて歸潮【きちょう】を矚【み】る。)色糸の組紐の飾りある幕を張り、山の上で日月の光が下から射し、影が倒【さかさ】に映る天空を眺め、宴席を敷き列ねて海に帰りゆく潮を見るのである。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<6>  従遊京口北固應詔 #1 詩集 362

 

安得不死藥,高飛向蓬瀛。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

10蓬瀛 中国の伝説上の神山。渤海(ぼっかい)湾中にあるといわれる蓬莱(ほうらい)山、方丈(ほうじょう)山、瀛洲(えいしゅう)山の三山をいう。その発生には、蜃気楼(しんきろう)説、山岳信仰説など諸説がありはっきりしないが、戦国時代(前5~前3世紀)の燕(えん)、斉(せい)の国の方士(ほうし)(神仙の術を行う人)によって説かれ、そこには仙人が住み、不老不死の神薬があると信じられた。戦国末期の燕、斉の諸王や秦(しん)の始皇帝(しこうてい)、あるいは漢の武帝(ぶてい)などが使者を出して海上にその神山を探させ、不死の薬を得ようとした。伝説によると、三神山は海岸から遠く離れてはいないが、人が近づくと風や波をおこして船を寄せつけず、建物はことごとく黄金や銀でできており、すむ鳥獣はすべて白色であるという。こうした記事は司馬遷(しばせん)の『史記』封禅書(ほうぜんしょ)に詳しく記されており、それは神仙説についての最古の記録とされる。しかし後世では説話のなかに伝承されて、むしろ神仙境の象徴的存在となっている。一説に、戦国時代における海上交易の盛行を裏づけるものともいわれる。

李白316#1 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#1> Ⅰ李白詩1626 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6678

李白  遊泰山,六首之四  清齋三千日,裂素寫道經。吟誦有所得,眾神衛我形。雲行信長風,颯若羽翼生。

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

 

 

遊泰山,六首之四

(遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

清齋三千日,裂素寫道經。

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

吟誦有所得,眾神衛我形。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

雲行信長風,颯若羽翼生。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

 

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

海色動遠山,天雞已先鳴。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

安得不死藥,高飛向蓬瀛。

 

(泰山,六首の四)#1

清斎三千日、素を裂いて道經を寫す。

吟誦して得る所あり、衆神、我が形をる。

雲行いて、長風に信せ、颯として、羽翼を生するが若し。

#2

崖を攀じて日觀に上り,檻に伏して東暝を窺う。

海色 遠山に動き,天雞 已に 先づ鳴く。

銀臺 倒景を出で,白浪 長鯨を翻す。

安んぞ不死藥を得ん,高飛して 蓬瀛に向わん。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『遊泰山,六首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之四

清齋三千日,裂素寫道經。

吟誦有所得,神衛我形。

雲行信長風,颯若羽翼生。


(下し文)
(泰山,六首の四)#1

清斎三千日、素を裂いて道經を寫す。

吟誦して得る所あり、衆神、我が形を衞る。

雲行いて、長風に信せ、颯として、羽翼を生するが若し。

(現代語訳)
遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。


(訳注)

遊泰山,六首之四

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

 

清齋三千日【清齋三十日】,裂素寫道經。

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

1】清齋 潔齋すること。《紫虛元君南岳夫人傳》「夫人乃托劍化形而去,徑入陽洛山中,明日,青童君、太極四真人、清虛王君,令夫人清齋五百日,讀《大洞真經》」(夫人 乃ち劍化を托し形而して去り,陽洛山中に徑入し,明日,青童君、太極四真人、清虛王君,夫人をして清齋五百日,《大洞真經》を讀ましむ)に基づく。三千日は、「白髪三千丈と同じ、詩的表現。」

2】素 生帛、顔師古急就篇の註に「素に絹の精白なるものをいう」とある、即ち用って書を写すところの素。

3】道經 道教經典の總稱をいう。重要的道教典籍列表によると、道德經 · 清靜經 · 南華經 · 太平經 · 參同契 · 抱朴子 · 黃庭經 · 雲笈七籤 · 道樞 · 道法會元 · 道藏.とされる。老子が著したと伝わる『老子道徳経』は、『老子』『道徳経』『道経』『徳道経』『五千言』など、様々な名称でも呼ばれる。

 

吟誦有所得,眾神衛我形。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

 

雲行信長風,颯若羽翼生。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

李白の足跡0000

李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673

李白  遊泰山,六首之三 #2  

憑崖攬八極,目盡長空閒。偶然青童,綠髮雙雲鬟。

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

その時、どこからか青童に逢ったが、緑黒髪を雙鬟に結い上げ、一見して仙人に使われている子供と知られる位、その風姿も、自然脱俗して居る。しかし、私は、晩年に成って、はじめて仙を學び、志、未だ遂げてはいないのに、朱顔すでに凋零せしを憐笑しているところだ。なるほどと思って、ぐずぐずしている内に、忽ち見えなくなり、その跡は、浩蕩として尋ねることもできないが、青童の「出てきて、すぐ消える」、まことに、感慨に堪へなかった。

李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673

 

 
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

泰山,六首之三

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

平明登日觀,舉手開雲關。

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

精神四飛揚,如出天地間。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

黃河從西來,窈窕入遠山。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。

#2

憑崖攬八極,目盡長空閒。

そこで、断崖により、俯仰して八極を曠覧すれば、目力すでに尽きるも、長空は、猶お闊然としている。

偶然青童,綠髮雙雲鬟。

その時、どこからか青童に逢ったが、緑黒髪を雙鬟に結い上げ、一見して仙人に使われている子供と知られる位、その風姿も、自然脱俗して居る。

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。

しかし、私は、晩年に成って、はじめて仙を學び、志、未だ遂げてはいないのに、朱顔すでに凋零せしを憐笑しているところだ。

躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

なるほどと思って、ぐずぐずしている内に、忽ち見えなくなり、その跡は、浩蕩として尋ねることもできないが、青童の「出てきて、すぐ消える」、まことに、感慨に堪へなかった。

 

(泰山,六首之三)#1

平明、日觀に登り、手を挙げて雲関を開く。

精神 四に飛揚、天地の間を出づるが如し。

黄河、西より来たり、窈窕、遠山に入る。

#2

崖に憑って八極を攬し,目盡きて長空閒なり。

偶然 青童にう,綠髮 雙雲の鬟。

笑う 我が晚に仙を學び,蹉跎 朱顏を凋む。

躊躇 忽ち見えず,浩蕩 追攀し難し。

 

李白の足跡003 

『泰山,六首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

憑崖攬八極,目盡長空閒。

偶然青童,綠髮雙雲鬟。

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。

躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

(下し文)
#2

崖に憑って八極を攬し,目盡きて長空閒なり。

偶然 青童にう,綠髮 雙雲の鬟。

笑う 我が晚に仙を學び,蹉跎 朱顏を凋む。

躊躇 忽ち見えず,浩蕩 追攀し難し。

(現代語訳)
#2

そこで、断崖により、俯仰して八極を曠覧すれば、目力すでに尽きるも、長空は、猶お闊然としている。

その時、どこからか青童に逢ったが、緑黒髪を雙鬟に結い上げ、一見して仙人に使われている子供と知られる位、その風姿も、自然脱俗して居る。

しかし、私は、晩年に成って、はじめて仙を學び、志、未だ遂げてはいないのに、朱顔すでに凋零せしを憐笑しているところだ。

なるほどと思って、ぐずぐずしている内に、忽ち見えなくなり、その跡は、浩蕩として尋ねることもできないが、青童の「出てきて、すぐ消える」、まことに、感慨に堪へなかった。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00

(訳注)#2

遊泰山,六首之三

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

憑崖攬八極,目盡長空閒。

そこで、断崖により、俯仰して八極を曠覧すれば、目力すでに尽きるも、長空は、猶お闊然としている。

八極 『淮南子』にある八紘より外のことをいう。すなわち八方の極遠にまで達するひろがること、敵の門(防御)を打ち開(破)いてすすむこと。

 

偶然青童,綠髮雙雲鬟。

その時、どこからか青童に逢ったが、緑黒髪を雙鬟に結い上げ、一見して仙人に使われている子供と知られる位、その風姿も、自然脱俗して居る。

青童 仙人に使われている子供。

 

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。

しかし、私は、晩年に成って、はじめて仙を學び、志、未だ遂げてはいないのに、朱顔すでに凋零せしを憐笑しているところだ。

蹉跎 つまずいて時機を失すること。[形動タリ]時機を逸しているさま。不遇であるさま。

 

躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

なるほどと思って、ぐずぐずしている内に、忽ち見えなくなり、その跡は、浩蕩として尋ねることもできないが、青童の「出てきて、すぐ消える」、まことに、感慨に堪へなかった。

躊躇 あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。

浩蕩 広広として大きなさま。
李白の足跡0000

李白315 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315> Ⅰ李白詩1624 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6668

李白  泰山,六首之三   

平明登日觀,舉手開雲關。精神四飛揚,如出天地間。黃河從西來,窈窕入遠山。

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。

李白315 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白315> Ⅰ李白詩1624 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6668

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

泰山,六首之三

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

平明登日觀,舉手開雲關。

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

精神四飛揚,如出天地間。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

黃河從西來,窈窕入遠山。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。

 

憑崖攬八極,目盡長空閒。

偶然青童,綠髮雙雲鬟。

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。

躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

 

(泰山,六首之三)#1

平明、日觀に登り、手を挙げて雲関を開く。

精神 四に飛揚、天地の間を出づるが如し。

黄河、西より来たり、窈窕、遠山に入る。

#2

崖に憑って八極を攬し,目盡きて長空閒なり。

偶然 青童にう,綠髮 雙雲の鬟。

笑う 我が晚に仙を學び,蹉跎 朱顏を凋む。

躊躇 忽ち見えず,浩蕩 追攀し難し。

 

 

『泰山,六首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

泰山,六首之三

平明登日觀,舉手開雲關。

精神四飛揚,如出天地間。

黃河從西來,窈窕入遠山。
(下し文)
(泰山,六首之三)#1

平明、日觀に登り、手を挙げて雲関を開く。

精神 四に飛揚、天地の間を出づるが如し。

黄河、西より来たり、窈窕、遠山に入る。

(現代語訳)
遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。


(訳注)#1

泰山,六首之三

遊泰山,六首之三

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

平明登日觀,舉手開雲關。

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

雲關 雲が門扉のように見えること。雲が門勢を爲す。

 

精神四飛揚,如出天地間。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

 

黃河從西來,窈窕入遠山。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。

黃河 泰山のすそ野を帯のように西から東に流れている。

窈窕 かすかに美しくしとやかなさま。上品で奥ゆかしいさま。

李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

李白  遊泰山,六首之二 【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】  

清曉騎白鹿,直上天門山。山際逢羽人,方瞳好容顏。

捫蘿欲就語,卻掩青雲關。遺我鳥跡書,飄然落巖間。

其字乃上古,讀之了不閒。感此三歎息,從師方未還。
遊泰山,六首の二(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)【742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

晴暮れた暁に、白鹿に騎して、直に天門山に登ろうとした。すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。そこで、蔦にすがって、そのところに往き、面と合わせて話をしたいと思っていると、帰って、青雲のたなびく門をピタリと閉じてしまったのである。それが、私に送るつもりであろう、思いがけぬに、一巻の書が、飄然として、巌石の間から落ちてきた。そこで、有り難く頂戴して、とりあえず、これを開いてみると、太古の文字で、いくら読もうとしても、文字のかたちから読み取ることができない。だから、三度嘆息し、師に従ってこれを研究するまでは、帰らないと覚悟するところである。

李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

 

 
  2015年9月25日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
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91 巻二12縣齋有懷【案:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1536> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6664  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-134#3杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-134 <997> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6665  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門山 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之二

遊泰山,六首の二(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

清曉騎白鹿,直上天門山。

晴暮れた暁に、白鹿に騎して、直に天門山に登ろうとした。

山際逢羽人,方瞳好容顏。

すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。

捫蘿欲就語,卻掩青雲關。

そこで、蔦にすがって、そのところに往き、面と合わせて話をしたいと思っていると、帰って、青雲のたなびく門をピタリと閉じてしまったのである。

遺我鳥跡書,飄然落巖間。

それが、私に送るつもりであろう、思いがけぬに、一巻の書が、飄然として、巌石の間から落ちてきた。

其字乃上古,讀之了不閒。

そこで、有り難く頂戴して、とりあえず、これを開いてみると、太古の文字で、いくら読もうとしても、文字のかたちから読み取ることができない。

感此三歎息,從師方未還。

だから、三度嘆息し、師に従ってこれを研究するまでは、帰らないと覚悟するところである。

泰山に遊ぶ,六首の二)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

清曉 白鹿に騎し,直に上る 天門の山。

山際 羽人に逢う,方瞳 好容顏。

蘿を捫して 就いて語らんと欲すれば,卻って掩う 青雲の關。

我に鳥跡の書を遺り,飄然として巖間に落つ。

其の字は 乃ち上古,之を讀む 了に 閒ならず。

此れに感じて 三たび歎息,師に從って 方に未だ還らず。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『遊泰山,六首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之二

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

清曉騎白鹿,直上天門山。

山際逢羽人,方瞳好容顏。

捫蘿欲就語,卻掩青雲關。

遺我鳥跡書,飄然落巖間。

其字乃上古,讀之了不閒。

感此三歎息,從師方未還。

(下し文)

泰山に遊ぶ,六首の二)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

清曉 白鹿に騎し,直に上る 天門の山。

山際 羽人に逢う,方瞳 好容顏。

蘿を捫して 就いて語らんと欲すれば,卻って掩う 青雲の關。

我に鳥跡の書を遺り,飄然として巖間に落つ。

其の字は 乃ち上古,之を讀む 了に 閒ならず。

此れに感じて 三たび歎息,師に從って 方に未だ還らず。

(現代語訳)
遊泰山,六首の二(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

晴暮れた暁に、白鹿に騎して、直に天門山に登ろうとした。

すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。

そこで、蔦にすがって、そのところに往き、面と合わせて話をしたいと思っていると、帰って、青雲のたなびく門をピタリと閉じてしまったのである。

それが、私に送るつもりであろう、思いがけぬに、一巻の書が、飄然として、巌石の間から落ちてきた。

そこで、有り難く頂戴して、とりあえず、これを開いてみると、太古の文字で、いくら読もうとしても、文字のかたちから読み取ることができない。

だから、三度嘆息し、師に従ってこれを研究するまでは、帰らないと覚悟するところである。


(訳注)

遊泰山,六首之二

遊泰山,六首の二(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

清曉騎白鹿,直上天門山。

晴暮れた暁に、白鹿に騎して、直に天門山に登ろうとした。

天門山 《山東通志》「泰山,周迴一百六十里,屈曲盤道百餘,逕南天門、東、西三天門,至頂,高四十餘里。」(泰山に上る、周迴一百六十里,屈曲盤道百餘、南天門、東、西三大門を経て、絶頂に至る、高さ四十餘里)とある。

 

 

山際逢羽人,方瞳好容顏。

すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。

羽人 仙人。『楚辞』遠遊に「仍羽人於丹邱兮、留不死之旧郷(飛僊に従って常明のところに行き、神僊のいます不死の郷に留まる)」とある。天台山に隠棲する人をいうに基づく。あるいは、孫綽『遊天台山賦』に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。福を生じるもとの庭。道教では不老を自然に同化するということで死を回避する。自然に帰ることでもある。謝靈運《入華子崗是麻源第三穀》「羽人髣髴,丹丘徒空筌。」(羽人【うじん】髣髴【ほうふつ】をち,丹丘【たんきゅう】は徒【いたずら】に空筌【くうぜん】となる。今ここで、仙人、華子期の姿はおぼろげで見えず、ただ丹丘の仙人の住む山にはその跡が残り、魚のいないやなしろと同様であるばかりである。

方瞳 仙人の瞳は四角であるという。神仙傳「李根瞳子皆方」とあり、仙經「八百歳の人は、瞳子皆方」とある。

 

捫蘿欲就語,卻掩青雲關。

そこで、蔦にすがって、そのところに往き、面と合わせて話をしたいと思っていると、帰って、青雲のたなびく門をピタリと閉じてしまったのである。

 

遺我鳥跡書,飄然落巖間。

それが、私に送るつもりであろう、思いがけぬに、一巻の書が、飄然として、巌石の間から落ちてきた。

鳥跡書 徐幹《中論序》「蒼韻競鳥跡認作書」(蒼韻、競って鳥跡認じ書を作る)とある。

 

其字乃上古,讀之了不閒。

そこで、有り難く頂戴して、とりあえず、これを開いてみると、太古の文字で、いくら読もうとしても、文字のかたちから読み取ることができない。

不閒 気がきかないこと。間がぬけていること。不恰好(ぶかつこう)なこと。また,そのさま。文字のかたちから読み取ることができないというほどの意。

 

感此三歎息,從師方未還。

だから、三度嘆息し、師に従ってこれを研究するまでは、帰らないと覚悟するところである。
李白の足跡0000

李白313-#3 《巻十九09遊泰山,六首之一》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#3> Ⅰ李白詩1622 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6658

李白  遊泰山,六首之一#3  

玉女四五人,飄颻下九垓。含笑引素手,遺我流霞杯。

稽首再拜之,自愧非仙才。曠然小宇宙,棄世何悠哉。

その時、そこに輝くような仙女が四、五人、飄颻として、九天の上より降りてきた。

笑を含んで、白い手を引き合い、我にあの「流霞杯」をさしつけて、酒を注いでくれた。

それから、稽首再拝して、これを飲んだが、わが本来の性といえば、まことに魯鈍にして、神仙の才とはならないのを愧じる外はない。

しかし、ここに至れば、心 曠然として、宇宙を小とし、悠悠として、この浮世を棄て、超然高踏したいというような考えが起ったのである。

李白313-#3 《巻十九09遊泰山,六首之一》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白313-#3> Ⅰ李白詩1622 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6658

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之一【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門山 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之一#1

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

四月上泰山,石屏御道開。

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。

六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。

その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。

飛流灑巘,水急松聲哀。

見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。

(遊泰山,六首の一)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

四月、泰山に上る、石平にして御道開く。

六龍、萬壑を過ぎ、澗谷、随って廻。

馬跡碧峰を繞り,今に青苔に滿つ。

飛流 巘にぎ,水急にして松聲哀し。

#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。

洞門閉石扇,地底興雲雷。

幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。

天門一長嘯,萬里清風來。

次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。

#2

北を眺れば 崿嶂奇なり,傾崖 東に向って摧く。

洞門 石扇を閉じ,地底 雲雷を興す。

高きに登って蓬瀛を望み,想象す 金銀の臺。

天門 一たび 長嘯すれば,萬里 清風來る。

#3

玉女四五人,飄颻下九垓。

その時、そこに輝くような仙女が四、五人、飄颻として、九天の上より降りてきた。

含笑引素手,遺我流霞杯。

笑を含んで、白い手を引き合い、我にあの「流霞杯」をさしつけて、酒を注いでくれた。

稽首再拜之,自愧非仙才。

それから、稽首再拝して、これを飲んだが、わが本来の性といえば、まことに魯鈍にして、神仙の才とはならないのを愧じる外はない。

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

しかし、ここに至れば、心 曠然として、宇宙を小とし、悠悠として、この浮世を棄て、超然高踏したいというような考えが起ったのである。

 

#3

玉女 四五人,飄颻 九垓より下る。

笑を含んで 素手を引,我流霞の杯を遺る。

稽首して 之を再拜し,自ら仙才に非らざるを愧づ。

曠然として 宇宙を小とし,世を棄つる何ぞ悠なる哉。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00李白の足跡0000 

『遊泰山,六首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

玉女四五人,飄颻下九垓。

含笑引素手,遺我流霞杯。

稽首再拜之,自愧非仙才。

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

(下し文)
玉女 四五人,飄颻 九垓より下る。

笑を含んで 素手を引,我流霞の杯を遺る。

稽首して 之を再拜し,自ら仙才に非らざるを愧づ。

曠然として 宇宙を小とし,世を棄つる何ぞ悠なる哉。

(現代語訳)
#3

その時、そこに輝くような仙女が四、五人、飄颻として、九天の上より降りてきた。

笑を含んで、白い手を引き合い、我にあの「流霞杯」をさしつけて、酒を注いでくれた。

それから、稽首再拝して、これを飲んだが、わが本来の性といえば、まことに魯鈍にして、神仙の才とはならないのを愧じる外はない。

しかし、ここに至れば、心 曠然として、宇宙を小とし、悠悠として、この浮世を棄て、超然高踏したいというような考えが起ったのである。


(訳注) #3

遊泰山,六首之一

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

玉女四五人,飄颻下九垓。

その時、そこに輝くような仙女が四、五人、飄颻として、九天の上より降りてきた。

九垓 九天、九州、天下のこと。《国·》:王者居九畡之田,收入以食兆民。昭注九畡,九州之极数。

 

含笑引素手,遺我流霞杯。

笑を含んで、白い手を引き合い、我にあの「流霞杯」をさしつけて、酒を注いでくれた。

流霞杯 抱朴子に「項曼都、山に入り、仙を學ぶこと十年にして、家にる。日く、仙人、流霞一杯を以て我に與へ、これを飲めば、輒ち飢渇せず」とある。

 

稽首再拜之,自愧非仙才。

それから、稽首再拝して、これを飲んだが、わが本来の性といえば、まことに魯鈍にして、神仙の才とはならないのを愧る外はない。

仙才 漢武内傳に「王母日:語之至道,殆恐非仙才。」(王母日く、常に之に語るに至近を以てすべしと雖も、殆んど、恐らくに仙才に非ざるなりし。)とある。

 

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

しかし、ここに至れば、心 曠然として、宇宙を小とし、悠悠として、この浮世を棄て、超然高踏したいというような考えが起ったのである。

 

 

 

 この一首は、泰山に登って、南天門に到著したまでの事を記したので、起首より、地底興雲雷-に至るまでは、実景であるが、その次の金銀臺だの、玉女だのは、恍惚有無の間に瞥見した幻景である。呉昌祺は、これを許して「聾力矯健、亦た景純の遊仙より凍る」といった。景純は」郭嘆の字で、その作に係る遊仙の詩は、文選にも載せてあって、その中、特に此首と類似したのは、下の一首である。

郭璞《遊仙詩 其六》「雜縣寓魯門,風暖將為災。吞舟涌海底,高浪駕蓬萊。 神仙排雲出,但見金銀台。陵陽挹丹溜,容成揮玉杯。 姮娥揚妙音,洪崖頷其頤。升降隨長煙,飄颻戲九垓。」この首の後半を結撰したものである。

 

遊仙詩七首  郭璞                        

其一

京華遊俠窟,山林隱遯棲。朱門何足榮?未若託蓬萊。

臨源挹清波,陵崗掇丹荑。靈谿可潛盤,安事登雲梯。

漆園有傲吏,萊氏有逸妻。進則保龍見,退為觸藩羝。

高蹈風塵外,長揖謝夷齊。

 

其二

青谿千餘仞,中有一道士。雲生梁棟間,風出窗裏。

借問此何誰?云是鬼谷子。翹跡企潁陽,臨河思洗耳。

閶闔西南來,潛波渙鱗起。靈妃顧我笑,粲然玉齒。

蹇脩時不存,要之將誰使?

 

其三

翡翠戲蘭苕,容色更相鮮。綠蘿結高林,蒙籠蓋一山。

中有冥寂士,靜嘯撫清絃。放情陵霄外,嚼橤挹飛泉。

赤松臨上遊,駕鴻乘紫煙。左挹浮丘袖,右拍洪崖肩。

借問蜉蝣輩,寧知龜鶴年?

 

其四

六龍安可頓,運流有代謝。時變感人思,已秋復願夏。

淮海變微禽,吾生獨不化。雖欲騰丹谿,雲螭非我駕。

愧無魯陽德,迴日向三舍。臨川哀年邁,撫心獨悲吒。

 

其五

逸翮思拂霄,迅足羨遠遊。清源無增瀾。安得運吞舟?

珪璋雖特達,明月難闇投。潛穎怨青陽,陵苕哀素秋。

悲來惻丹心,零淚緣纓流。

 

其六

雜縣寓魯門,風煖將為災。吞舟涌海底,高浪駕蓬萊。

神仙排雲出,但見金銀臺。陵陽挹丹溜,容成揮玉杯。

姮娥揚妙音,洪崖頷其頤。升降隨長煙,飄颻戲九垓。

奇齡邁五龍,千方嬰孩。燕昭無靈氣,漢武非仙才。

 

其七

晦朔如循環,月盈已見魄。蓐收清西陸,朱羲將由白。

寒露拂陵苕,女蘿辭松柏。蕣榮不終朝,蜉蝣豈見夕?

圓丘有奇草,鍾山出靈液。王孫列八珍,安期鍊五石。

長揖當塗人,去來山林客。

李白313-#2 《巻十九08遊泰山,六首之一》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#2> Ⅰ李白詩1621 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6653

李白  遊泰山,六首之一#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。洞門閉石扇,地底興雲雷。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。天門一長嘯,萬里清風來。

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。

李白313-#2 《巻十九08遊泰山,六首之一》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白313-#2> Ⅰ李白詩1621 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6653

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之一【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門山 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之一#1

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

四月上泰山,石屏御道開。

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。

六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。

その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。

飛流灑巘,水急松聲哀。

見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。

#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

洞門閉石扇,地底興雲雷。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

天門一長嘯,萬里清風來。

#2

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。

幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。

そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。

次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。

#3

玉女四五人,飄颻下九垓。

含笑引素手,遺我流霞杯。

稽首再拜之,自愧非仙才。

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

 

 

(遊泰山,六首の一)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

四月、泰山に上る、石平にして御道開く。

六龍、萬壑を過ぎ、澗谷、随って廻。

馬跡碧峰を繞り,今に青苔に滿つ。

飛流 巘にぎ,水急にして松聲哀し。

#2

北を眺れば 崿嶂奇なり,傾崖 東に向って摧く。

洞門 石扇を閉じ,地底 雲雷を興す。

高きに登って蓬瀛を望み,想象す 金銀の臺。

天門 一たび 長嘯すれば,萬里 清風來る。

#3

玉女 四五人,飄颻 九垓より下る。

笑を含んで 素手を引,我流霞の杯を遺る。

稽首して 之を再拜し,自ら仙才に非らざるを愧づ。

曠然として 宇宙を小とし,世を棄つる何ぞ悠なる哉。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00李白の足跡0000 

『遊泰山,六首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

洞門閉石扇,地底興雲雷。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

天門一長嘯,萬里清風來。

(下し文)
北を眺れば 崿嶂奇なり,傾崖 東に向って摧く。

洞門 石扇を閉じ,地底 雲雷を興す。

高きに登って蓬瀛を望み,想象す 金銀の臺。

天門 一たび 長嘯すれば,萬里 清風來る。

(現代語訳)
#2

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。

幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。

そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。

次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。


(訳注) #2

遊泰山,六首之一

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。

 

洞門閉石扇,地底興雲雷。

幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。

 

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。

蓬瀛 『史記』封禅書などによれば,蓬莱 (蓬莱山 ) ,方丈,瀛州 (えいしゅう) の三山をさし,山東省東北沿岸から渤海にかけて浮ぶ島と伝えられていた島々である。

 

天門一長嘯,萬里清風來。

次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。

天門 《山東通志》「泰山,周迴一百六十里,屈曲盤道百餘,逕南天門、東、西三天門,至頂,高四十餘里。」(泰山に上る、周迴一百六十里,屈曲盤道百餘、南天門、東、西三大門を経て、絶頂に至る、高さ四十餘里)とある。

李白313-#1 《巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648

李白  遊泰山,六首之一#1 【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

四月上泰山,石屏御道開。六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。飛流灑巘,水急松聲哀。

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)【742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。

李白313-#1 《巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648

 

 
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