漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年09月

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

李白  遊泰山,六首之五 #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。海水落眼前,天光遙空碧。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

 

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

泰山002 

 

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

海水落眼前,天光遙空碧。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

#2

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

長松入雲漢,遠望不盈尺。

山花異人間,五月雪中白。

終當遇安期,於此鍊玉液。

 泰山案内図01

 

『遊泰山,六首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之五 #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

海水落眼前,天光遙空碧。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷

(下し文)
(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、だ凌歷

(現代語訳)
(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。



(訳注)

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

 

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

 

海水落眼前,天光遙空碧。【天光搖空碧】

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

 

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

1】攢聚 栄二字ともに集まるという意味。

2凌歷 非常に深邃であるすがた。

 

 

(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、凌歷

 

#2

緬たる彼の鶴上の仙、去って雲中の跡なし。

長松、雲漢に入り、遠望すれば、尺に盈たす。

山花、人間に異なり、五月、雪中に白し。

終に當に安期に遇ひ、此に於て玉液を錬るべし。

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#2>Ⅰ李白詩1627kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

李白  遊泰山,六首之四 #2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。海色動遠山,天雞已先鳴。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。安得不死藥,高飛向蓬瀛。

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白316#2> Ⅰ李白詩1627 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈91-#5《 巻二12 縣齋有懷》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1540> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6684  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

 

 

遊泰山,六首之四

(遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

清齋三千日,裂素寫道經。

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

吟誦有所得,眾神衛我形。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

雲行信長風,颯若羽翼生。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

#2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

海色動遠山,天雞已先鳴。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

安得不死藥,高飛向蓬瀛。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

 

(泰山,六首の四)#1

清斎三千日、素を裂いて道經を寫す。

吟誦して得る所あり、衆神、我が形をる。

雲行いて、長風に信せ、颯として、羽翼を生するが若し。

#2

崖を攀じて日觀に上り,檻に伏して東暝を窺う。

海色 遠山に動き,天雞 已に 先づ鳴く。

銀臺 倒景を出で,白浪 長鯨を翻す。

安んぞ不死藥を得ん,高飛して 蓬瀛に向わん。

 

 

『遊泰山,六首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之四 #2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

海色動遠山,天雞已先鳴。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

安得不死藥,高飛向蓬瀛。


(下し文)
(泰山,六首の四)#2

崖を攀じて日觀に上り,檻に伏して東暝を窺う。

海色 遠山に動き,天雞 已に 先づ鳴く。

銀臺 倒景を出で,白浪 長鯨を翻す。

安んぞ不死藥を得ん,高飛して 蓬瀛に向わん。

(現代語訳) #2
遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。


(訳注)

遊泰山,六首之四

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

○泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

4日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

5伏檻 欄干に倚る

6東暝 東海に同じ。

 

海色動遠山,天雞已先鳴。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

7海色 夜明け前のすべてが海景色の中であるさま。

8天雞 天上の雞。

 

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

9倒景 倒影に同じ。極めて高い空に日月の光が下からさして、影がさかさに映ること。水面に映る山の倒影とも解する。前見た逆立ちの景色とは、自然異なっているというほどの意。謝靈運の詩《従遊京口北固應詔》「張組眺倒景、列筵矚歸潮。」(組を張りて倒景【とうえい】を眺め、筵を列ねて歸潮【きちょう】を矚【み】る。)色糸の組紐の飾りある幕を張り、山の上で日月の光が下から射し、影が倒【さかさ】に映る天空を眺め、宴席を敷き列ねて海に帰りゆく潮を見るのである。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<6>  従遊京口北固應詔 #1 詩集 362

 

安得不死藥,高飛向蓬瀛。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

10蓬瀛 中国の伝説上の神山。渤海(ぼっかい)湾中にあるといわれる蓬莱(ほうらい)山、方丈(ほうじょう)山、瀛洲(えいしゅう)山の三山をいう。その発生には、蜃気楼(しんきろう)説、山岳信仰説など諸説がありはっきりしないが、戦国時代(前5~前3世紀)の燕(えん)、斉(せい)の国の方士(ほうし)(神仙の術を行う人)によって説かれ、そこには仙人が住み、不老不死の神薬があると信じられた。戦国末期の燕、斉の諸王や秦(しん)の始皇帝(しこうてい)、あるいは漢の武帝(ぶてい)などが使者を出して海上にその神山を探させ、不死の薬を得ようとした。伝説によると、三神山は海岸から遠く離れてはいないが、人が近づくと風や波をおこして船を寄せつけず、建物はことごとく黄金や銀でできており、すむ鳥獣はすべて白色であるという。こうした記事は司馬遷(しばせん)の『史記』封禅書(ほうぜんしょ)に詳しく記されており、それは神仙説についての最古の記録とされる。しかし後世では説話のなかに伝承されて、むしろ神仙境の象徴的存在となっている。一説に、戦国時代における海上交易の盛行を裏づけるものともいわれる。

李白316#1 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#1> Ⅰ李白詩1626 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6678

李白  遊泰山,六首之四  清齋三千日,裂素寫道經。吟誦有所得,眾神衛我形。雲行信長風,颯若羽翼生。

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

 

 

遊泰山,六首之四

(遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

清齋三千日,裂素寫道經。

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

吟誦有所得,眾神衛我形。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

雲行信長風,颯若羽翼生。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

 

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

海色動遠山,天雞已先鳴。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

安得不死藥,高飛向蓬瀛。

 

(泰山,六首の四)#1

清斎三千日、素を裂いて道經を寫す。

吟誦して得る所あり、衆神、我が形をる。

雲行いて、長風に信せ、颯として、羽翼を生するが若し。

#2

崖を攀じて日觀に上り,檻に伏して東暝を窺う。

海色 遠山に動き,天雞 已に 先づ鳴く。

銀臺 倒景を出で,白浪 長鯨を翻す。

安んぞ不死藥を得ん,高飛して 蓬瀛に向わん。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『遊泰山,六首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之四

清齋三千日,裂素寫道經。

吟誦有所得,神衛我形。

雲行信長風,颯若羽翼生。


(下し文)
(泰山,六首の四)#1

清斎三千日、素を裂いて道經を寫す。

吟誦して得る所あり、衆神、我が形を衞る。

雲行いて、長風に信せ、颯として、羽翼を生するが若し。

(現代語訳)
遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。


(訳注)

遊泰山,六首之四

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

 

清齋三千日【清齋三十日】,裂素寫道經。

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

1】清齋 潔齋すること。《紫虛元君南岳夫人傳》「夫人乃托劍化形而去,徑入陽洛山中,明日,青童君、太極四真人、清虛王君,令夫人清齋五百日,讀《大洞真經》」(夫人 乃ち劍化を托し形而して去り,陽洛山中に徑入し,明日,青童君、太極四真人、清虛王君,夫人をして清齋五百日,《大洞真經》を讀ましむ)に基づく。三千日は、「白髪三千丈と同じ、詩的表現。」

2】素 生帛、顔師古急就篇の註に「素に絹の精白なるものをいう」とある、即ち用って書を写すところの素。

3】道經 道教經典の總稱をいう。重要的道教典籍列表によると、道德經 · 清靜經 · 南華經 · 太平經 · 參同契 · 抱朴子 · 黃庭經 · 雲笈七籤 · 道樞 · 道法會元 · 道藏.とされる。老子が著したと伝わる『老子道徳経』は、『老子』『道徳経』『道経』『徳道経』『五千言』など、様々な名称でも呼ばれる。

 

吟誦有所得,眾神衛我形。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

 

雲行信長風,颯若羽翼生。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

李白の足跡0000

李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673

李白  遊泰山,六首之三 #2  

憑崖攬八極,目盡長空閒。偶然青童,綠髮雙雲鬟。

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

その時、どこからか青童に逢ったが、緑黒髪を雙鬟に結い上げ、一見して仙人に使われている子供と知られる位、その風姿も、自然脱俗して居る。しかし、私は、晩年に成って、はじめて仙を學び、志、未だ遂げてはいないのに、朱顔すでに凋零せしを憐笑しているところだ。なるほどと思って、ぐずぐずしている内に、忽ち見えなくなり、その跡は、浩蕩として尋ねることもできないが、青童の「出てきて、すぐ消える」、まことに、感慨に堪へなかった。

李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673

 

 
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

泰山,六首之三

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

平明登日觀,舉手開雲關。

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

精神四飛揚,如出天地間。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

黃河從西來,窈窕入遠山。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。

#2

憑崖攬八極,目盡長空閒。

そこで、断崖により、俯仰して八極を曠覧すれば、目力すでに尽きるも、長空は、猶お闊然としている。

偶然青童,綠髮雙雲鬟。

その時、どこからか青童に逢ったが、緑黒髪を雙鬟に結い上げ、一見して仙人に使われている子供と知られる位、その風姿も、自然脱俗して居る。

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。

しかし、私は、晩年に成って、はじめて仙を學び、志、未だ遂げてはいないのに、朱顔すでに凋零せしを憐笑しているところだ。

躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

なるほどと思って、ぐずぐずしている内に、忽ち見えなくなり、その跡は、浩蕩として尋ねることもできないが、青童の「出てきて、すぐ消える」、まことに、感慨に堪へなかった。

 

(泰山,六首之三)#1

平明、日觀に登り、手を挙げて雲関を開く。

精神 四に飛揚、天地の間を出づるが如し。

黄河、西より来たり、窈窕、遠山に入る。

#2

崖に憑って八極を攬し,目盡きて長空閒なり。

偶然 青童にう,綠髮 雙雲の鬟。

笑う 我が晚に仙を學び,蹉跎 朱顏を凋む。

躊躇 忽ち見えず,浩蕩 追攀し難し。

 

李白の足跡003 

『泰山,六首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

憑崖攬八極,目盡長空閒。

偶然青童,綠髮雙雲鬟。

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。

躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

(下し文)
#2

崖に憑って八極を攬し,目盡きて長空閒なり。

偶然 青童にう,綠髮 雙雲の鬟。

笑う 我が晚に仙を學び,蹉跎 朱顏を凋む。

躊躇 忽ち見えず,浩蕩 追攀し難し。

(現代語訳)
#2

そこで、断崖により、俯仰して八極を曠覧すれば、目力すでに尽きるも、長空は、猶お闊然としている。

その時、どこからか青童に逢ったが、緑黒髪を雙鬟に結い上げ、一見して仙人に使われている子供と知られる位、その風姿も、自然脱俗して居る。

しかし、私は、晩年に成って、はじめて仙を學び、志、未だ遂げてはいないのに、朱顔すでに凋零せしを憐笑しているところだ。

なるほどと思って、ぐずぐずしている内に、忽ち見えなくなり、その跡は、浩蕩として尋ねることもできないが、青童の「出てきて、すぐ消える」、まことに、感慨に堪へなかった。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00

(訳注)#2

遊泰山,六首之三

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

憑崖攬八極,目盡長空閒。

そこで、断崖により、俯仰して八極を曠覧すれば、目力すでに尽きるも、長空は、猶お闊然としている。

八極 『淮南子』にある八紘より外のことをいう。すなわち八方の極遠にまで達するひろがること、敵の門(防御)を打ち開(破)いてすすむこと。

 

偶然青童,綠髮雙雲鬟。

その時、どこからか青童に逢ったが、緑黒髪を雙鬟に結い上げ、一見して仙人に使われている子供と知られる位、その風姿も、自然脱俗して居る。

青童 仙人に使われている子供。

 

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。

しかし、私は、晩年に成って、はじめて仙を學び、志、未だ遂げてはいないのに、朱顔すでに凋零せしを憐笑しているところだ。

蹉跎 つまずいて時機を失すること。[形動タリ]時機を逸しているさま。不遇であるさま。

 

躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

なるほどと思って、ぐずぐずしている内に、忽ち見えなくなり、その跡は、浩蕩として尋ねることもできないが、青童の「出てきて、すぐ消える」、まことに、感慨に堪へなかった。

躊躇 あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。

浩蕩 広広として大きなさま。
李白の足跡0000

李白315 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315> Ⅰ李白詩1624 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6668

李白  泰山,六首之三   

平明登日觀,舉手開雲關。精神四飛揚,如出天地間。黃河從西來,窈窕入遠山。

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。

李白315 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白315> Ⅰ李白詩1624 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6668

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

泰山,六首之三

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

平明登日觀,舉手開雲關。

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

精神四飛揚,如出天地間。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

黃河從西來,窈窕入遠山。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。

 

憑崖攬八極,目盡長空閒。

偶然青童,綠髮雙雲鬟。

笑我晚學仙,蹉跎凋朱顏。

躊躇忽不見,浩蕩難追攀。

 

(泰山,六首之三)#1

平明、日觀に登り、手を挙げて雲関を開く。

精神 四に飛揚、天地の間を出づるが如し。

黄河、西より来たり、窈窕、遠山に入る。

#2

崖に憑って八極を攬し,目盡きて長空閒なり。

偶然 青童にう,綠髮 雙雲の鬟。

笑う 我が晚に仙を學び,蹉跎 朱顏を凋む。

躊躇 忽ち見えず,浩蕩 追攀し難し。

 

 

『泰山,六首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

泰山,六首之三

平明登日觀,舉手開雲關。

精神四飛揚,如出天地間。

黃河從西來,窈窕入遠山。
(下し文)
(泰山,六首之三)#1

平明、日觀に登り、手を挙げて雲関を開く。

精神 四に飛揚、天地の間を出づるが如し。

黄河、西より来たり、窈窕、遠山に入る。

(現代語訳)
遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。


(訳注)#1

泰山,六首之三

遊泰山,六首之三

遊泰山,六首の三(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

平明登日觀,舉手開雲關。

夜明けごろ、名だたる日觀峰に攀じ登り、手を挙げて門勢を爲す雲を推し開こうとした。

日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

雲關 雲が門扉のように見えること。雲が門勢を爲す。

 

精神四飛揚,如出天地間。

開けだしたその時、精神は四方に飛揚し、天地の中間より脱出した様な気がした。

 

黃河從西來,窈窕入遠山。

眺めやれば、黄河は、遥かに西より流れ来て、かすかに美しくしとやかに遠山の内に廻り入ってしまう。

黃河 泰山のすそ野を帯のように西から東に流れている。

窈窕 かすかに美しくしとやかなさま。上品で奥ゆかしいさま。

李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

李白  遊泰山,六首之二 【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】  

清曉騎白鹿,直上天門山。山際逢羽人,方瞳好容顏。

捫蘿欲就語,卻掩青雲關。遺我鳥跡書,飄然落巖間。

其字乃上古,讀之了不閒。感此三歎息,從師方未還。
遊泰山,六首の二(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)【742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

晴暮れた暁に、白鹿に騎して、直に天門山に登ろうとした。すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。そこで、蔦にすがって、そのところに往き、面と合わせて話をしたいと思っていると、帰って、青雲のたなびく門をピタリと閉じてしまったのである。それが、私に送るつもりであろう、思いがけぬに、一巻の書が、飄然として、巌石の間から落ちてきた。そこで、有り難く頂戴して、とりあえず、これを開いてみると、太古の文字で、いくら読もうとしても、文字のかたちから読み取ることができない。だから、三度嘆息し、師に従ってこれを研究するまでは、帰らないと覚悟するところである。

李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

 

 
  2015年9月25日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
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91 巻二12縣齋有懷【案:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1536> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6664  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-134#3杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-134 <997> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6665  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門山 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之二

遊泰山,六首の二(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

清曉騎白鹿,直上天門山。

晴暮れた暁に、白鹿に騎して、直に天門山に登ろうとした。

山際逢羽人,方瞳好容顏。

すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。

捫蘿欲就語,卻掩青雲關。

そこで、蔦にすがって、そのところに往き、面と合わせて話をしたいと思っていると、帰って、青雲のたなびく門をピタリと閉じてしまったのである。

遺我鳥跡書,飄然落巖間。

それが、私に送るつもりであろう、思いがけぬに、一巻の書が、飄然として、巌石の間から落ちてきた。

其字乃上古,讀之了不閒。

そこで、有り難く頂戴して、とりあえず、これを開いてみると、太古の文字で、いくら読もうとしても、文字のかたちから読み取ることができない。

感此三歎息,從師方未還。

だから、三度嘆息し、師に従ってこれを研究するまでは、帰らないと覚悟するところである。

泰山に遊ぶ,六首の二)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

清曉 白鹿に騎し,直に上る 天門の山。

山際 羽人に逢う,方瞳 好容顏。

蘿を捫して 就いて語らんと欲すれば,卻って掩う 青雲の關。

我に鳥跡の書を遺り,飄然として巖間に落つ。

其の字は 乃ち上古,之を讀む 了に 閒ならず。

此れに感じて 三たび歎息,師に從って 方に未だ還らず。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『遊泰山,六首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之二

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

清曉騎白鹿,直上天門山。

山際逢羽人,方瞳好容顏。

捫蘿欲就語,卻掩青雲關。

遺我鳥跡書,飄然落巖間。

其字乃上古,讀之了不閒。

感此三歎息,從師方未還。

(下し文)

泰山に遊ぶ,六首の二)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

清曉 白鹿に騎し,直に上る 天門の山。

山際 羽人に逢う,方瞳 好容顏。

蘿を捫して 就いて語らんと欲すれば,卻って掩う 青雲の關。

我に鳥跡の書を遺り,飄然として巖間に落つ。

其の字は 乃ち上古,之を讀む 了に 閒ならず。

此れに感じて 三たび歎息,師に從って 方に未だ還らず。

(現代語訳)
遊泰山,六首の二(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

晴暮れた暁に、白鹿に騎して、直に天門山に登ろうとした。

すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。

そこで、蔦にすがって、そのところに往き、面と合わせて話をしたいと思っていると、帰って、青雲のたなびく門をピタリと閉じてしまったのである。

それが、私に送るつもりであろう、思いがけぬに、一巻の書が、飄然として、巌石の間から落ちてきた。

そこで、有り難く頂戴して、とりあえず、これを開いてみると、太古の文字で、いくら読もうとしても、文字のかたちから読み取ることができない。

だから、三度嘆息し、師に従ってこれを研究するまでは、帰らないと覚悟するところである。


(訳注)

遊泰山,六首之二

遊泰山,六首の二(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

清曉騎白鹿,直上天門山。

晴暮れた暁に、白鹿に騎して、直に天門山に登ろうとした。

天門山 《山東通志》「泰山,周迴一百六十里,屈曲盤道百餘,逕南天門、東、西三天門,至頂,高四十餘里。」(泰山に上る、周迴一百六十里,屈曲盤道百餘、南天門、東、西三大門を経て、絶頂に至る、高さ四十餘里)とある。

 

 

山際逢羽人,方瞳好容顏。

すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。

羽人 仙人。『楚辞』遠遊に「仍羽人於丹邱兮、留不死之旧郷(飛僊に従って常明のところに行き、神僊のいます不死の郷に留まる)」とある。天台山に隠棲する人をいうに基づく。あるいは、孫綽『遊天台山賦』に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。福を生じるもとの庭。道教では不老を自然に同化するということで死を回避する。自然に帰ることでもある。謝靈運《入華子崗是麻源第三穀》「羽人髣髴,丹丘徒空筌。」(羽人【うじん】髣髴【ほうふつ】をち,丹丘【たんきゅう】は徒【いたずら】に空筌【くうぜん】となる。今ここで、仙人、華子期の姿はおぼろげで見えず、ただ丹丘の仙人の住む山にはその跡が残り、魚のいないやなしろと同様であるばかりである。

方瞳 仙人の瞳は四角であるという。神仙傳「李根瞳子皆方」とあり、仙經「八百歳の人は、瞳子皆方」とある。

 

捫蘿欲就語,卻掩青雲關。

そこで、蔦にすがって、そのところに往き、面と合わせて話をしたいと思っていると、帰って、青雲のたなびく門をピタリと閉じてしまったのである。

 

遺我鳥跡書,飄然落巖間。

それが、私に送るつもりであろう、思いがけぬに、一巻の書が、飄然として、巌石の間から落ちてきた。

鳥跡書 徐幹《中論序》「蒼韻競鳥跡認作書」(蒼韻、競って鳥跡認じ書を作る)とある。

 

其字乃上古,讀之了不閒。

そこで、有り難く頂戴して、とりあえず、これを開いてみると、太古の文字で、いくら読もうとしても、文字のかたちから読み取ることができない。

不閒 気がきかないこと。間がぬけていること。不恰好(ぶかつこう)なこと。また,そのさま。文字のかたちから読み取ることができないというほどの意。

 

感此三歎息,從師方未還。

だから、三度嘆息し、師に従ってこれを研究するまでは、帰らないと覚悟するところである。
李白の足跡0000

李白313-#3 《巻十九09遊泰山,六首之一》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#3> Ⅰ李白詩1622 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6658

李白  遊泰山,六首之一#3  

玉女四五人,飄颻下九垓。含笑引素手,遺我流霞杯。

稽首再拜之,自愧非仙才。曠然小宇宙,棄世何悠哉。

その時、そこに輝くような仙女が四、五人、飄颻として、九天の上より降りてきた。

笑を含んで、白い手を引き合い、我にあの「流霞杯」をさしつけて、酒を注いでくれた。

それから、稽首再拝して、これを飲んだが、わが本来の性といえば、まことに魯鈍にして、神仙の才とはならないのを愧じる外はない。

しかし、ここに至れば、心 曠然として、宇宙を小とし、悠悠として、この浮世を棄て、超然高踏したいというような考えが起ったのである。

李白313-#3 《巻十九09遊泰山,六首之一》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白313-#3> Ⅰ李白詩1622 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6658

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之一【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門山 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之一#1

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

四月上泰山,石屏御道開。

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。

六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。

その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。

飛流灑巘,水急松聲哀。

見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。

(遊泰山,六首の一)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

四月、泰山に上る、石平にして御道開く。

六龍、萬壑を過ぎ、澗谷、随って廻。

馬跡碧峰を繞り,今に青苔に滿つ。

飛流 巘にぎ,水急にして松聲哀し。

#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。

洞門閉石扇,地底興雲雷。

幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。

天門一長嘯,萬里清風來。

次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。

#2

北を眺れば 崿嶂奇なり,傾崖 東に向って摧く。

洞門 石扇を閉じ,地底 雲雷を興す。

高きに登って蓬瀛を望み,想象す 金銀の臺。

天門 一たび 長嘯すれば,萬里 清風來る。

#3

玉女四五人,飄颻下九垓。

その時、そこに輝くような仙女が四、五人、飄颻として、九天の上より降りてきた。

含笑引素手,遺我流霞杯。

笑を含んで、白い手を引き合い、我にあの「流霞杯」をさしつけて、酒を注いでくれた。

稽首再拜之,自愧非仙才。

それから、稽首再拝して、これを飲んだが、わが本来の性といえば、まことに魯鈍にして、神仙の才とはならないのを愧じる外はない。

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

しかし、ここに至れば、心 曠然として、宇宙を小とし、悠悠として、この浮世を棄て、超然高踏したいというような考えが起ったのである。

 

#3

玉女 四五人,飄颻 九垓より下る。

笑を含んで 素手を引,我流霞の杯を遺る。

稽首して 之を再拜し,自ら仙才に非らざるを愧づ。

曠然として 宇宙を小とし,世を棄つる何ぞ悠なる哉。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00李白の足跡0000 

『遊泰山,六首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

玉女四五人,飄颻下九垓。

含笑引素手,遺我流霞杯。

稽首再拜之,自愧非仙才。

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

(下し文)
玉女 四五人,飄颻 九垓より下る。

笑を含んで 素手を引,我流霞の杯を遺る。

稽首して 之を再拜し,自ら仙才に非らざるを愧づ。

曠然として 宇宙を小とし,世を棄つる何ぞ悠なる哉。

(現代語訳)
#3

その時、そこに輝くような仙女が四、五人、飄颻として、九天の上より降りてきた。

笑を含んで、白い手を引き合い、我にあの「流霞杯」をさしつけて、酒を注いでくれた。

それから、稽首再拝して、これを飲んだが、わが本来の性といえば、まことに魯鈍にして、神仙の才とはならないのを愧じる外はない。

しかし、ここに至れば、心 曠然として、宇宙を小とし、悠悠として、この浮世を棄て、超然高踏したいというような考えが起ったのである。


(訳注) #3

遊泰山,六首之一

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

玉女四五人,飄颻下九垓。

その時、そこに輝くような仙女が四、五人、飄颻として、九天の上より降りてきた。

九垓 九天、九州、天下のこと。《国·》:王者居九畡之田,收入以食兆民。昭注九畡,九州之极数。

 

含笑引素手,遺我流霞杯。

笑を含んで、白い手を引き合い、我にあの「流霞杯」をさしつけて、酒を注いでくれた。

流霞杯 抱朴子に「項曼都、山に入り、仙を學ぶこと十年にして、家にる。日く、仙人、流霞一杯を以て我に與へ、これを飲めば、輒ち飢渇せず」とある。

 

稽首再拜之,自愧非仙才。

それから、稽首再拝して、これを飲んだが、わが本来の性といえば、まことに魯鈍にして、神仙の才とはならないのを愧る外はない。

仙才 漢武内傳に「王母日:語之至道,殆恐非仙才。」(王母日く、常に之に語るに至近を以てすべしと雖も、殆んど、恐らくに仙才に非ざるなりし。)とある。

 

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

しかし、ここに至れば、心 曠然として、宇宙を小とし、悠悠として、この浮世を棄て、超然高踏したいというような考えが起ったのである。

 

 

 

 この一首は、泰山に登って、南天門に到著したまでの事を記したので、起首より、地底興雲雷-に至るまでは、実景であるが、その次の金銀臺だの、玉女だのは、恍惚有無の間に瞥見した幻景である。呉昌祺は、これを許して「聾力矯健、亦た景純の遊仙より凍る」といった。景純は」郭嘆の字で、その作に係る遊仙の詩は、文選にも載せてあって、その中、特に此首と類似したのは、下の一首である。

郭璞《遊仙詩 其六》「雜縣寓魯門,風暖將為災。吞舟涌海底,高浪駕蓬萊。 神仙排雲出,但見金銀台。陵陽挹丹溜,容成揮玉杯。 姮娥揚妙音,洪崖頷其頤。升降隨長煙,飄颻戲九垓。」この首の後半を結撰したものである。

 

遊仙詩七首  郭璞                        

其一

京華遊俠窟,山林隱遯棲。朱門何足榮?未若託蓬萊。

臨源挹清波,陵崗掇丹荑。靈谿可潛盤,安事登雲梯。

漆園有傲吏,萊氏有逸妻。進則保龍見,退為觸藩羝。

高蹈風塵外,長揖謝夷齊。

 

其二

青谿千餘仞,中有一道士。雲生梁棟間,風出窗裏。

借問此何誰?云是鬼谷子。翹跡企潁陽,臨河思洗耳。

閶闔西南來,潛波渙鱗起。靈妃顧我笑,粲然玉齒。

蹇脩時不存,要之將誰使?

 

其三

翡翠戲蘭苕,容色更相鮮。綠蘿結高林,蒙籠蓋一山。

中有冥寂士,靜嘯撫清絃。放情陵霄外,嚼橤挹飛泉。

赤松臨上遊,駕鴻乘紫煙。左挹浮丘袖,右拍洪崖肩。

借問蜉蝣輩,寧知龜鶴年?

 

其四

六龍安可頓,運流有代謝。時變感人思,已秋復願夏。

淮海變微禽,吾生獨不化。雖欲騰丹谿,雲螭非我駕。

愧無魯陽德,迴日向三舍。臨川哀年邁,撫心獨悲吒。

 

其五

逸翮思拂霄,迅足羨遠遊。清源無增瀾。安得運吞舟?

珪璋雖特達,明月難闇投。潛穎怨青陽,陵苕哀素秋。

悲來惻丹心,零淚緣纓流。

 

其六

雜縣寓魯門,風煖將為災。吞舟涌海底,高浪駕蓬萊。

神仙排雲出,但見金銀臺。陵陽挹丹溜,容成揮玉杯。

姮娥揚妙音,洪崖頷其頤。升降隨長煙,飄颻戲九垓。

奇齡邁五龍,千方嬰孩。燕昭無靈氣,漢武非仙才。

 

其七

晦朔如循環,月盈已見魄。蓐收清西陸,朱羲將由白。

寒露拂陵苕,女蘿辭松柏。蕣榮不終朝,蜉蝣豈見夕?

圓丘有奇草,鍾山出靈液。王孫列八珍,安期鍊五石。

長揖當塗人,去來山林客。

李白313-#2 《巻十九08遊泰山,六首之一》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#2> Ⅰ李白詩1621 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6653

李白  遊泰山,六首之一#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。洞門閉石扇,地底興雲雷。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。天門一長嘯,萬里清風來。

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。

李白313-#2 《巻十九08遊泰山,六首之一》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白313-#2> Ⅰ李白詩1621 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6653

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之一【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門山 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之一#1

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

四月上泰山,石屏御道開。

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。

六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。

その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。

飛流灑巘,水急松聲哀。

見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。

#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

洞門閉石扇,地底興雲雷。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

天門一長嘯,萬里清風來。

#2

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。

幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。

そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。

次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。

#3

玉女四五人,飄颻下九垓。

含笑引素手,遺我流霞杯。

稽首再拜之,自愧非仙才。

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

 

 

(遊泰山,六首の一)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

四月、泰山に上る、石平にして御道開く。

六龍、萬壑を過ぎ、澗谷、随って廻。

馬跡碧峰を繞り,今に青苔に滿つ。

飛流 巘にぎ,水急にして松聲哀し。

#2

北を眺れば 崿嶂奇なり,傾崖 東に向って摧く。

洞門 石扇を閉じ,地底 雲雷を興す。

高きに登って蓬瀛を望み,想象す 金銀の臺。

天門 一たび 長嘯すれば,萬里 清風來る。

#3

玉女 四五人,飄颻 九垓より下る。

笑を含んで 素手を引,我流霞の杯を遺る。

稽首して 之を再拜し,自ら仙才に非らざるを愧づ。

曠然として 宇宙を小とし,世を棄つる何ぞ悠なる哉。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00李白の足跡0000 

『遊泰山,六首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

洞門閉石扇,地底興雲雷。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

天門一長嘯,萬里清風來。

(下し文)
北を眺れば 崿嶂奇なり,傾崖 東に向って摧く。

洞門 石扇を閉じ,地底 雲雷を興す。

高きに登って蓬瀛を望み,想象す 金銀の臺。

天門 一たび 長嘯すれば,萬里 清風來る。

(現代語訳)
#2

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。

幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。

そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。

次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。


(訳注) #2

遊泰山,六首之一

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

それから、北の方を眺めれば、窄崿たる峰嶂が、怪奇の形をなして聳立し、断崖は、傾斜をなしており、東に向って、崩れかかつて居る。

 

洞門閉石扇,地底興雲雷。

幾つもある洞門は、石の扉を閉じ、渓壑極めて深く、さながら、地底に雲雷を起すかと疑うばかりである。

 

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

そこから程なくして、絶頂にさしかかると、高いところに登って、神仙三山の蓬莱、方丈、州の方を望むと、燦爛たる金銀臺が、想像の間に幻出して見えるのである。

蓬瀛 『史記』封禅書などによれば,蓬莱 (蓬莱山 ) ,方丈,瀛州 (えいしゅう) の三山をさし,山東省東北沿岸から渤海にかけて浮ぶ島と伝えられていた島々である。

 

天門一長嘯,萬里清風來。

次に、南天門、東、西三大門を経て、高さ四十餘里の絶頂にたどり著いて、ひとたび長嘯すれば、清風、萬里より来る、胸襟の間に入り抜け、気は豁然たるを覚えたのである。

天門 《山東通志》「泰山,周迴一百六十里,屈曲盤道百餘,逕南天門、東、西三天門,至頂,高四十餘里。」(泰山に上る、周迴一百六十里,屈曲盤道百餘、南天門、東、西三大門を経て、絶頂に至る、高さ四十餘里)とある。

李白313-#1 《巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648

李白  遊泰山,六首之一#1 【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

四月上泰山,石屏御道開。六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。飛流灑巘,水急松聲哀。

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)【742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。

李白313-#1 《巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648

 

 
  2015年9月22日 の紀頌之5つのBlog  
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李白313-#1 《巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648  
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韓愈88-#19 §4-5 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1533> Ⅱ#19 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6649  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之一【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

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天門山 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之一#1

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

四月上泰山,石屏御道開。

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。

六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。

その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。

飛流灑巘,水急松聲哀。

見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。

#2

北眺崿嶂奇,傾崖向東摧。

洞門閉石扇,地底興雲雷。

登高望蓬瀛,想象金銀臺。

天門一長嘯,萬里清風來。

#3

玉女四五人,飄颻下九垓。

含笑引素手,遺我流霞杯。

稽首再拜之,自愧非仙才。

曠然小宇宙,棄世何悠哉。

 

 

(遊泰山,六首の一)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

四月、泰山に上る、石平にして御道開く。

六龍、萬壑を過ぎ、澗谷、随って廻。

馬跡碧峰を繞り,今に青苔に滿つ。

飛流 巘にぎ,水急にして松聲哀し。

#2

北を眺れば 崿嶂奇なり,傾崖 東に向って摧く。

洞門 石扇を閉じ,地底 雲雷を興す。

高きに登って蓬瀛を望み,想象す 金銀の臺。

天門 一たび 長嘯すれば,萬里 清風來る。

#3

玉女 四五人,飄颻 九垓より下る。

笑を含んで 素手を引,我流霞の杯を遺る。

稽首して 之を再拜し,自ら仙才に非らざるを愧づ。

曠然として 宇宙を小とし,世を棄つる何ぞ悠なる哉。

 

 

『遊泰山,六首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之一#1

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

四月上泰山,石屏御道開。

六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。

飛流灑巘,水急松聲哀。

(下し文)
(遊泰山,六首の一)

【自註:(742年)天寶元年四月,故の御道 從り 泰山に上る。】

四月、泰山に上る、石平にして御道開く。

六龍、萬壑を過ぎ、澗谷、随って縈廻。

馬跡碧峰を繞り,今に青苔に滿つ。

飛流 巘に灑ぎ,水急にして松聲哀し

(現代語訳)
遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。

曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。

その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。

見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。


(訳注)

遊泰山,六首之一#1

遊泰山,六首の一(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

四月上泰山,石屏御道開。

初夏四月、泰山に登ると、到る処、敷石が平であって、格別の険阻もなく、天子の御通りに成った一条の道が、渓山の間に開いて居る。

御道 天子の御通りに成った一条の道。玄宗がが726年開元十四年登岱して封禮を行つた時、唐朝の功德を頌する為め、高さ二丈九尺廣さ一丈六尺の壁を削つて、紀泰山銘を刻す。

 

六龍過萬壑,澗谷隨縈迴。

曩に主上は、六龍に御して、萬壑を過ぎ、澗谷の縈廻するに従って、登頓下上して、ここを御通過なされたのである。

六龍過萬壑 六龍は玄宗で726年の封禅をいう。舊唐書「十三年十一月丙戌,至泰山,去山趾五裏,西去社首山三裏。丁亥,玄宗服袞冕於行宮,致齋於供帳前殿。己醜,日南至,大備法駕,至山下。玄宗禦馬而登,侍臣從。先是玄宗以靈山清潔,不欲多人上,欲初獻於山上壇行事,亞獻、終獻於山下壇行事。因召禮官學士賀知章等入講儀注,因問之,知章等奏曰:「昊天上帝,君位;五方時帝,臣位;帝號雖同,而君臣異位。陛下享君位於山上,群臣祀臣位於山下,誠足以垂范來葉,為變禮之大者也。禮成于三,初獻、亞、終,合於一處。」玄宗曰:「朕正欲如是,故問卿耳。」於是敕三獻於山上行事,其五方帝及諸神座於山下壇行事。玄宗因問:「玉牒之文,前代帝王,何故秘之?」知章對曰:「玉牒本是通於神明之意。前代帝王,所求各異,或禱年算,或思神仙,其事微密,是故莫知之。」玄宗曰:「朕今此行,皆為蒼生祈福,更無秘請。宜將玉牒出示百僚;使知朕意。」其辭曰:「有唐嗣天子臣某,敢昭告於昊天上帝。天李氏,運興土德。高祖、太宗,受命立極。高宗升中,六合殷盛。中宗紹複,繼體不足。上帝眷祐,錫臣忠武。底綏難,推戴聖父。恭承大寶,十有三年。敬若天意,四海晏然。封祀岱岳,謝成於天。子孫百祿,蒼生受福。」とある。

 

馬跡繞碧峰,於今滿青苔。

その時の馬蹄の跡は、碧峰を遶って、今でも、青苔の上にちゃんと残って居る。

 

飛流灑巘,水急松聲哀。

見上げれば、瀑布が高峰の上よりたぎり落ち、その水勢、甚だ急に、松風の馨、颯々として、悲しげに聞こえる。

 高峰。

李白312-#4 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#4Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白312-#4> Ⅰ李白詩1619 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6643

李白《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。故山定有酒,與爾傾金罍。

ついに、用いられることはなく、たとへば、宝刀が玉匣に隠れ、終に錆びて仕舞って、苔の上に拗り出されたようなものである。そのうえ、世人の愚なるものをしてさえ、われを軽んじて、土と灰のようにあつかわれていることは、まことに、心外の沙汰である。しかし、一朝、龍鱗にさえすがり攀じて、今一度天子の御引立を蒙ったならば、かの蛙に比すべき手合などは、物の数でもないので、唯だ、時を待って居る外はない。故山には、定めて美酒があるだろうから、君と相い遇うたなら ば、金罍を傾けて、しばらく不平の念を洗浄しようというものだ。

李白312-#4 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#4Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白312-#4> 李白詩1619 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6643

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:     卷一七八              文體:     五言古詩

詩題:     酬張卿夜宿南陵見贈

作地點:  瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:  南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村           

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門  

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下              

下邳 (河南道 泗州 下邳)   

圯橋 (河南道 泗州 下邳)   

交遊人物/地點:張謂           書信往來(河南道 兗州 曲阜)

 

 

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高くした。

(張卿 夜 南陵に宿して 贈らるるにゆ)  #1

月は魯城の東に出で,明は天上の雪の如し。

魯女 莎雞に驚き,鳴機 秋節に應ず。

君が相思の夜に當って,火 落ちて金風高し。
#2

河漢掛牖,欲濟無輕

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

客星動太微,朝去洛陽殿。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

爾來得茂七葉仕漢餘。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

河漢 牖に掛り,濟らんと欲し輕

我 昔 林丘を辭し,雲龍 忽ち相い見る。

客星 太微を動かし,朝に去る 洛陽の殿。

爾來 茂得,七葉 漢に仕うるの餘。

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。

未夢時,終當起巖野。

は、未だ武丁の夢に入らなかったというのに、やがて、巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。

萬古騎辰星,光輝照天下。

かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。

與君各未遇,長策委蒿萊。

ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

身は下邳の客と為り,家には圯橋の書有り。

 未だ夢みざるの時,終に當に 巖野より起つなるべし。

萬古 辰星にし騎,光輝 天下を照らす。

君と各の未だ遇わず,長策 蒿萊に委す。

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

ついに、用いられることはなく、たとへば、宝刀が玉匣に隠れ、終に錆びて仕舞って、苔の上に拗り出されたようなものである。

遂令世上愚,輕我土與灰。

そのうえ、世人の愚なるものをしてさえ、われを軽んじて、土と灰のようにあつかわれていることは、まことに、心外の沙汰である。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

しかし、一朝、龍鱗にさえすがり攀じて、今一度天子の御引立を蒙ったならば、かの蛙に比すべき手合などは、物の数でもないので、唯だ、時を待って居る外はない。

故山定有酒,與爾傾金罍。

故山には、定めて美酒があるだろうから、君と相い遇うたなら ば、金罍を傾けて、しばらく不平の念を洗浄しようというものだ。

寶刀 玉匣に隱れ,鏽澀 空しく莓苔。

遂に世上の愚をせしめて,我を輕んじ土と灰とならしむ。

一朝 龍を攀じて去り,蛙黽 安くにか在る。

故山 定めて酒有らむ,爾と金罍を傾けむ。

 

『酬張卿夜宿南陵見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

故山定有酒,與爾傾金罍。

 

 (下し文)
#4

寶刀 玉匣に隱れ,鏽澀 空しく莓苔。

遂に世上の愚をせしめて,我を輕んじ土と灰とならしむ。

一朝 龍を攀じて去り,蛙黽 安くにか在る。

故山 定めて酒有らむ,爾と金罍を傾けむ。

(現代語訳) #4

ついに、用いられることはなく、たとへば、宝刀が玉匣に隠れ、終に錆びて仕舞って、苔の上に拗り出されたようなものである。

そのうえ、世人の愚なるものをしてさえ、われを軽んじて、土と灰のようにあつかわれていることは、まことに、心外の沙汰である。

しかし、一朝、龍鱗にさえすがり攀じて、今一度天子の御引立を蒙ったならば、かの蛙に比すべき手合などは、物の数でもないので、唯だ、時を待って居る外はない。

故山には、定めて美酒があるだろうから、君と相い遇うたなら ば、金罍を傾けて、しばらく不平の念を洗浄しようというものだ。

(訳注) #4

酬張卿夜宿南陵見贈  

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩)     

○南陵 南陵は河南道兗州 曲阜にある。別名は陵城村という。

 

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

ついに、用いられることはなく、たとへば、宝刀が玉匣に隠れ、終に錆びて仕舞って、苔の上に拗り出されたようなものである。

 

遂令世上愚,輕我土與灰。

そのうえ、世人の愚なるものをしてさえ、われを軽んじて、土と灰のようにあつかわれていることは、まことに、心外の沙汰である。

 

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

しかし、一朝、龍鱗にさえすがり攀じて、今一度天子の御引立を蒙ったならば、かの蛙に比すべき手合などは、物の数でもないので、唯だ、時を待って居る外はない。

攀龍 竜のうろこにすがる。君主の知遇を得ること。明主に引き立てられること。「我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。」(我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。)わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。

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蛙黽 かえる。蝦蟇。

 

故山定有酒,與爾傾金罍。

故山には、定めて美酒があるだろうから、君と相い遇うたなら ば、金罍を傾けて、しばらく不平の念を洗浄しようというものだ。
金罍 食卓 酒器。

 

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李白  酬張卿夜宿南陵見贈#3

身為下邳客,家有圯橋書。傅未夢時,終當起巖野。

萬古騎辰星,光輝照天下。與君各未遇,長策委蒿萊。

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。は、未だ武丁の夢に入らなかったというのに、やがて、巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:     卷一七八              文體:     五言古詩

詩題:     酬張卿夜宿南陵見贈

作地點:  瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:  南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村           

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門  

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下              

下邳 (河南道 泗州 下邳)   

圯橋 (河南道 泗州 下邳)   

交遊人物/地點:張謂           書信往來(河南道 兗州 曲阜)

 

 

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高くした。

(張卿 夜 南陵に宿して 贈らるるにゆ)  #1

月は魯城の東に出で,明は天上の雪の如し。

魯女 莎雞に驚き,鳴機 秋節に應ず。

君が相思の夜に當って,火 落ちて金風高し。
#2

河漢掛牖,欲濟無輕

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

客星動太微,朝去洛陽殿。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

爾來得茂七葉仕漢餘。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

河漢 牖に掛り,濟らんと欲し輕

我 昔 林丘を辭し,雲龍 忽ち相い見る。

客星 太微を動かし,朝に去る 洛陽の殿。

爾來 茂得,七葉 漢に仕うるの餘。

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。

未夢時,終當起巖野。

は、未だ武丁の夢に入らなかったというのに、やがて、巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。

萬古騎辰星,光輝照天下。

かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。

與君各未遇,長策委蒿萊。

ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

#3

身は下邳の客と為り,家には圯橋の書有り。

 未だ夢みざるの時,終に當に 巖野より起つなるべし。

萬古 辰星にし騎,光輝 天下を照らす。

君と各の未だ遇わず,長策 蒿萊に委す。

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

故山定有酒,與爾傾金罍。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『酬張卿夜宿南陵見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

未夢時,終當起巖野。

萬古騎辰星,光輝照天下。

與君各未遇,長策委蒿萊。

(下し文)
#3

身は下邳の客と為り,家には圯橋の書有り。

 未だ夢みざるの時,終に當に 巖野より起つなるべし。

萬古 辰星にし騎,光輝 天下を照らす。

君と各の未だ遇わず,長策 蒿萊に委す。

(現代語訳) #3

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。

は、未だ武丁の夢に入らなかったというのに、やがて、巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。

かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。

ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

汜水関などの地図
(訳注) #3

酬張卿夜宿南陵見贈  

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩)     

○南陵 南陵は河南道兗州 曲阜にある。別名は陵城村という。

 

身為下邳客,家有圯橋書。

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。

○下邳客 河南道泗州下邳に張良がいた時、圯橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を橋の下に放り投げ、張良に向かって「小僧、取って来い」と言いつけた。張良は頭に来て殴りつけようかと思ったが、相手が老人なので我慢して靴を取って来た。すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言う。張良は「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせた。老人は笑って去って行ったが、その後で戻ってきて「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言った。

5日後の朝、日が出てから張良が約束の場所に行くと、既に老人が来ていた。老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い「また5日後に来い」と言い残して去った。5日後、張良は日の出の前に家を出たが、既に老人は来ていた。老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行った。次の5日後、張良は夜中から約束の場所で待った。しばらくして老人がやって来た。老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、張良に太公望の兵法書を渡して「これを読めば王者の師となれる。13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」と言い残して消え去ったという。

後年、張良はこの予言通り黄石に出会い、これを持ち帰って家宝とし、張良の死後には一緒に墓に入れられたという。

○家有 予言通り黄石に出会い、これを持ち帰って家宝とした。

○圯橋書 圯橋で渡された太公望の兵法書をいう。

 

未夢時,終當起巖野。

のように、未だ武丁の夢にでてこないというだけであって、やがて、傅說のように巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。

○傅 (約公元前13351246年),殷(いん)の商王、武丁高宗の大臣。刑人とともに道を補修していたところを高宗の夢に基づく手配書で発見され、見いだされて宰相となり殷の中興に寄与したという。次の騎辰星の説文参照。

 

萬古騎辰星,光輝照天下。

かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。

○騎辰星 《淮南子》高誘註に言う「殷王武丁、夢得賢人、使工寫其象、旁求之、得傅於傅巖、遂以為相。為高宗。成八十一符、致中興、死託精於辰尾之星。」殷王の武丁、夢に賢人を得、工をして其の象を寫して、旁ねく之を求めしめ、傅傅巖に於てる。遂に以て相と為す。高宗と為したり。八十一符を成し、中興を致し、死して精を辰尾の星に託す。)とあるに基づく。

 

與君各未遇,長策委蒿萊。

ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

李白312-#2 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白312-#2> Ⅰ李白詩1617 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6633

李白 酬張卿夜宿南陵見贈 #2

河漢掛牖,欲濟無輕我昔辭林丘,雲龍忽相見。

客星動太微,朝去洛陽殿。爾來得茂七葉仕漢餘。

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

李白312-#2 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白312-#2> 李白詩1617 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6633

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:     卷一七八              文體:     五言古詩

詩題:     酬張卿夜宿南陵見贈

作地點:  瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:  南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村           

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門  

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下              

下邳 (河南道 泗州 下邳)   

圯橋 (河南道 泗州 下邳)   

交遊人物/地點:張謂           書信往來(河南道 兗州 曲阜)

 

 

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高くした。

(張卿 夜 南陵に宿して 贈らるるにゆ)  #1

月は魯城の東に出で,明は天上の雪の如し。

魯女 莎雞に驚き,鳴機 秋節に應ず。

君が相思の夜に當って,火 落ちて金風高し。
#2

河漢掛牖,欲濟無輕

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

客星動太微,朝去洛陽殿。

爾來得茂七葉仕漢餘。

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

河漢 牖に掛り,濟らんと欲し輕

我 昔 林丘を辭し,雲龍 忽ち相い見る。

客星 太微を動かし,朝に去る 洛陽の殿。

爾來 茂得,七葉 漢に仕うるの餘。

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

未夢時,終當起巖野。

萬古騎辰星,光輝照天下。

與君各未遇,長策委蒿萊。

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

故山定有酒,與爾傾金罍。

李白の足跡0000 

 

『酬張卿夜宿南陵見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

河漢掛牖,欲濟無輕

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

客星動太微,朝去洛陽殿。

爾來得茂,七葉仕漢餘。

(下し文)
河漢 牖に掛り,濟らんと欲し輕

我 昔 林丘を辭し,雲龍 忽ち相い見る。

客星 太微を動かし,朝に去る 洛陽の殿。

爾來 茂得,七葉 漢に仕うるの餘。

(現代語訳)
#2

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00
(訳注) #2

酬張卿夜宿南陵見贈  

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩)     

南陵 南陵は河南道兗州 曲阜にある。別名は陵城村という。

 

河漢掛牖,欲濟無輕

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

○河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫《巻七68天河》《巻七69初月》。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

牖 門窗;門。《淮南子氾論訓》「夫牖者, 風氣之所從往來。」

 は小舟。

 

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

 

客星動太微,朝去洛陽殿。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

客星 後漢時代初期の隠者・逸民である嚴子陵、字は子陵、別名は遵。 

太微 天使の庭。五帝の座、十二諸侯の府となる。太微垣(たいびえん)とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の上垣。北斗七星より南、星宿・張宿・翼宿・軫宿より北の区画。あるいはその主体となる星官(星座)を指す。春秋時代の主要な十二強国のこと。 魯・斉・秦・晋・楚・栄・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕をさす。 十二列国という名は,『戦国策』に見ることができる。

洛陽殿 洛陽城太極殿。

 

爾來得茂七葉仕漢餘。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

 任昉の詩に「濬冲得茂夫子狂生」(濬冲 茂を得て夫子 狂生に)とあり、、向の註に「王戎字濬冲、為吏部尚書、得李茂為吏部郎、戎以禮待之」(王戎、字は濬冲といい、吏部尚書と為り、李茂て 吏部郎と為り、戎 禮を以て 之を待つ)とある。

七葉 葉は、世代、時代をいう。ここでは七世代。

312 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <312> Ⅰ李白詩1616 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6628

李白  酬張卿夜宿南陵見贈  #1

月出魯城東,明如天上雪。魯女驚莎雞,鳴機應秋節。當君相思夜,火落金風高。
(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) #1

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高く、天の河は戸に懸って居るが、これを渡ろうとしても、小舟もない。その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

312 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <312> Ⅰ李白詩1616 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6628

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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312 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <312> Ⅰ李白詩1616 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6628  
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韓愈88-#15 §4-1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1529> Ⅱ#15 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6629  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:     卷一七八              文體:     五言古詩

詩題:     酬張卿夜宿南陵見贈

作地點:  瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:  南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村           

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門  

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下              

下邳 (河南道 泗州 下邳)   

圯橋 (河南道 泗州 下邳)   

交遊人物/地點:張謂           書信往來(河南道 兗州 曲阜)

 

 

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高く、天の河は戸に懸って居るが、これを渡ろうとしても、小舟もない。

#2

河漢掛牖,欲濟無輕

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

客星動太微,朝去洛陽殿。

爾來得茂七葉仕漢餘。

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

未夢時,終當起巖野。

萬古騎辰星,光輝照天下。

與君各未遇,長策委蒿萊。

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

故山定有酒,與爾傾金罍。

 

 河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00

『酬張卿夜宿南陵見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

月出魯城東,明如天上雪。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

當君相思夜,火落金風高。

(下し文)
(張卿 夜 南陵に宿して 贈らるるにゆ)  #1

月は魯城の東に出で,明は天上の雪の如し。

魯女 莎雞に驚き,鳴機 秋節に應ず。

君が相思の夜に當って,火 落ちて金風高し。

(現代語訳)
(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) #1

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高く、天の河は戸に懸って居るが、これを渡ろうとしても、小舟もない。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。


(訳注)

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩)     

南陵 南陵は河南道兗州 曲阜にある。別名は陵城村という。

 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

○魯城東 魯城の東門。別名、魯城、沙丘城、という。河南道兗州瑕丘にある。

 

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

○莎雞 きりぎりす。

○鳴機 虫の声を機織りに似ていることを言う。

 

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高く、天の河は戸に懸って居るが、これを渡ろうとしても、小舟もない。

○火落 火は大火、すなわち、心星、秋に至って落ちて西に流れる。大火 さそり座α星 (固有名アンタレス ) の中国名。和名では赤星と呼び,いずれも真紅に輝くことにちなむ。

李白《早秋贈裴十七仲堪》「南星變大火,熱氣餘丹霞。」南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

○金風 秋風のこと。
李白の足跡0000 

311 《巻十五21魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <311> Ⅰ李白詩1615 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6623

李白  魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽     

送別枯桑下,凋葉落半空。我行懵道遠,爾獨知天風。

誰念張仲蔚,還依蒿與蓬。何時一杯酒,更與李膺同。

(この詩は、魯城の北郭である曲腰といふ処の桑下に於いて、張某の嵩山の南に還るを送って作ったものである。)

君の嵩山の南に行くのを送って、枯桑の下に佇めば、黄ばんだ葉が、はらはらと半空より落ちて来る。われは、道の遠きをも知らず、茫然として居るが、桑は、時の風を知って、かくは落ちて来るので、ひとしお淒涼の趣を添える。隠棲をしていて誰に知られることもない高士であった張仲蔚に此すべき君は、ここを去って、蓬蒿の中に隠れ住む。また、何時、この生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという李膺と共に一杯の酒を酌むであらうか。あわれ、再会期すべからず、この恨、愈よ堪へ難きを覚える。

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年:742年天寶元年42 18首 

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

作地點:              瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:              瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:張謂          當地交遊(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

(この詩は、魯城の北郭である曲腰といふ処の桑下に於いて、張某の嵩山の南に還るを送って作ったものである。)

送別枯桑下,凋葉落半空。

君の嵩山の南に行くのを送って、枯桑の下に佇めば、黄ばんだ葉が、はらはらと半空より落ちて来る。

我行懵道遠,爾獨知天風。

われは、道の遠きをも知らず、茫然として居るが、桑は、時の風を知って、かくは落ちて来るので、ひとしお淒涼の趣を添える。

誰念張仲蔚,還依蒿與蓬。

隠棲をしていて誰に知られることもない高士であった張仲蔚に此すべき君は、ここを去って、蓬蒿の中に隠れ住む。

何時一杯酒,更與李膺同。

また、何時、この生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという李膺と共に一杯の酒を酌むであらうか。あわれ、再会期すべからず、この恨、愈よ堪へ難きを覚える。

 

(魯城 北郭 曲腰の桑下に 張子の嵩陽に還るを送る)

別を送る 枯桑の下,葉を凋る 半空に落つ。

我が行 道の遠きに懵し,爾 獨り天風を知る。

誰か念わん 張仲蔚,還た依る 蒿と蓬と。

何れの時か 一杯の酒,更に 李膺と同じゅうせん。

 

 

『魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

送別枯桑下,凋葉落半空。

我行懵道遠,爾獨知天風。

誰念張仲蔚,還依蒿與蓬。

何時一杯酒,更與李膺同。


(下し文)
(
魯城 北郭 曲腰の桑下に 張子の嵩陽に還るを送る)

別を送る 枯桑の下,葉を凋る 半空に落つ。

我が行 道の遠きに懵し,爾 獨り天風を知る。

誰か念わん 張仲蔚,還た依る 蒿と蓬と。

何れの時か 一杯の酒,更に 李膺と同じゅうせん。


(現代語訳)
(この詩は、魯城の北郭である曲腰といふ処の桑下に於いて、張某の嵩山の南に還るを送って作ったものである。)

君の嵩山の南に行くのを送って、枯桑の下に佇めば、黄ばんだ葉が、はらはらと半空より落ちて来る。

われは、道の遠きをも知らず、茫然として居るが、桑は、時の風を知って、かくは落ちて来るので、ひとしお淒涼の趣を添える。

隠棲をしていて誰に知られることもない高士であった張仲蔚に此すべき君は、ここを去って、蓬蒿の中に隠れ住む。

また、何時、この生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという李膺と共に一杯の酒を酌むであらうか。あわれ、再会期すべからず、この恨、愈よ堪へ難きを覚える。


(訳注)

魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

(この詩は、魯城の北郭である曲腰といふ処の桑下に於て、張某の嵩山の南に還るを送って作ったものである。)

 

送別枯桑下,凋葉落半空。

君の嵩山の南に行くのを送って、枯桑の下に佇めば、黄ばんだ葉が、はらはらと半空より落ちて来る。

○枯桑 古楽府に《飲馬長城窟行》「枯桑知天風、海水知天寒。」とある。

 

我行懵道遠,爾獨知天風。

われは、道の遠きをも知らず、茫然として居るが、桑は、時の風を知って、かくは落ちて来るので、ひとしお淒涼の趣を添える。

○懵 暗いこと。

 

誰念張仲蔚,還依蒿與蓬。

隠棲をしていて誰に知られることもない高士であった張仲蔚に此すべき君は、ここを去って、蓬蒿の中に隠れ住む。

張仲蔚 張仲蔚という人物は高士であったが、隠棲をしていて誰に知られることもなく世を送っていた。その力を見出したのが、後漢の劉孟公であった。陶潛は“《飮酒 其十六》「孟公不在茲,終以翳吾情。」(孟公 茲には在らず,終に以て吾が情を翳らす。)孟公のような、世に隠れている有能な隠士である張仲蔚のような者を見出せる人物は、今の時代には、いない。そのようなことが結局、わたしの心を暗くさせている。”と李白と同じ使い方をしている。

晉皇甫謐《高士傳 張仲蔚》「「張仲蔚者,平陵人也,與同郡魏景卿俱修道德,隱身不仕。明天官博物,善屬文,好賦詩,常居窮素,所處蓬蒿沒人,閉門養性,不治榮名,時人莫識,惟劉、龔知之。」(張仲蔚は,平陵の人なり,與同郡の魏景卿と俱に道德を修め,身を隱して仕えず。天官博物に明かに,善く文を屬し,賦詩を好み,常に窮素に居り,處る所 蓬蒿 人を沒し,門を閉じ 性を養い,榮名を治めず,時人 識る莫れ,惟だ劉、龔 之を知る。)

 

何時一杯酒,更與李膺同。

また、何時、この生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという李膺と共に一杯の酒を酌むであらうか。あわれ、再会期すべからず、この恨、愈よ堪へ難きを覚える。

李膺 後漢時代の官僚。字は元礼。潁川郡襄城県の人。祖父の李脩は、安帝の治世、太尉。父の李益は趙国の相であった。子は李瓚。生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという。ただ同郡の荀淑、陳寔らを師友とした。

李白310 《巻五 18 高句驪》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白310> Ⅰ李白詩1614 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6618

李白  高句驪   

金花折風帽,白馬小遲回。翩翩舞廣袖,似鳥海東來。

(高麗の古俗を詠出したもので、また、長安に入る高麗人を見て作った。)

高麗人は折風の帽子に黄金製の造花を差しはさみ、白馬にまたがってしずしずと歩ませながら、何を見ているのか馬をとどめて、しばしば躊躇している。それにその時、広い袖が、翩翩として舞い上がっていたが、それはまるで大きな鳥が翼を広げ、海を越えて東方から飛んできたようであった。

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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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Index-22Ⅲ― 1-742年天寶元年42

 

歌一07

251古風,五十九首之七            (五鶴西北來,

巻五 18

252高句驪                    (金花折風帽,

巻五 27

巻五 27李白22 子夜呉歌 春と夏

巻五 28

巻五 28李白23 子夜呉歌 春と夏

巻五 29

巻五 29李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

巻五 30

巻五 30李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

巻八 23

巻八 23駕去溫泉後贈楊山人

巻八24

巻八24溫泉侍從歸逢故人

巻十四31

巻十四31南陵別兒童入京

巻十五21

巻十五21魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

巻十八15

巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈

巻十九07

巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九08

巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九09

巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九10

巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九11

巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九12

巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九19

巻十九19侍從遊宿溫泉宮作

 

 

 

巻五 18 高句驪

年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    高句驪

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              平壤城 (河北道北部 安東都護府 平壤城) 別名:高句驪、高麗  

 

 

高句驪

(高麗の古俗を詠出したもので、また、長安に入る高麗人を見て作った。)

金花折風帽,白馬小遲回。

高麗人は折風の帽子に黄金製の造花を差しはさみ、白馬にまたがってしずしずと歩ませながら、何を見ているのか馬をとどめて、しばしば躊躇している。

翩翩舞廣袖,似鳥海東來。

それにその時、広い袖が、翩翩として舞い上がっていたが、それはまるで大きな鳥が翼を広げ、海を越えて東方から飛んできたようであった。

高句驪

金花 折風の帽,白馬 小しく遲回。

翩翩として 廣袖を舞わす,鳥の海東より來るに似たり。

 

安史の乱当時の勢力図 

『高句驪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

高句驪

金花折風帽,白馬小遲回。

翩翩舞廣袖,似鳥海東來。

(下し文)
高句驪

金花 折風の帽,白馬 小しく遲回。

翩翩として 廣袖を舞わす,鳥の海東より來るに似たり。

(現代語訳)
(高麗の古俗を詠出したもので、また、長安に入る高麗人を見て作った。)

高麗人は折風の帽子に黄金製の造花を差しはさみ、白馬にまたがってしずしずと歩ませながら、何を見ているのか馬をとどめて、しばしば躊躇している。

それにその時、広い袖が、翩翩として舞い上がっていたが、それはまるで大きな鳥が翼を広げ、海を越えて東方から飛んできたようであった。


(訳注)

高句驪

(高麗の古俗を詠出したもので、また、長安に入る高麗人を見て作った。)

高句驪 高句麗という固有名詞の起源は、漢帝国が設置した玄菟郡の高句驪県に由来する。史料には高句麗王に先立って高句麗侯があらわれるが、玄菟郡の縮小移転に伴いいくつもの県が放棄された際、現地の土豪を県侯に任じたと推測されている。高句驪(紀元前37 - 668年。高句麗語:高句麗)は、いまの中国東北部南部から朝鮮半島北中部にあったツングース系民族の国家[1]であり、最盛期は満洲南部から朝鮮半島の大部分を領土とした。隋、唐を始めとする中国からの侵攻を度々撃退したが、最終的には唐・新羅の遠征軍により滅ぼされた。

 

金花折風帽,白馬小遲回。

高麗人は折風の帽子に黄金製の造花を差しはさみ、白馬にまたがってしずしずと歩ませながら、何を見ているのか馬をとどめて、しばしば躊躇している。

金花 帽子に飾る金細工の花。

折風帽 立(たて)烏帽子の頂が風に吹き折られた形の烏帽子。狩衣(かりぎぬ)着用のときにかぶる。右折りは上皇、左折りは一般が用いた。平礼烏帽子(ひれえぼし)。かざおり。《北史 高句麗傳》「人皆頭著折風,形如弁,士人加插二鳥羽。貴者,其冠曰蘇骨,多用紫羅為之,飾以金銀。」(人 皆 頭に折風を著け,形は弁の如し,士人は二鳥羽を加插す。貴き者は,其の冠を蘇骨と曰い,多く紫羅を用いて之を為り,飾るに金銀を以てす。)

 

翩翩舞廣袖,似鳥海東來。

それにその時、広い袖が、翩翩として舞い上がっていたが、それはまるで大きな鳥が翼を広げ、海を越えて東方から飛んできたようであった。

李白309-#2 《巻十四31南陵別兒童入京》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白309-#2> Ⅰ李白詩1613 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6613

李白  南陵別兒童入京#2   

萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。

仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。

そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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 「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3 李白47 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。

 旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。

 高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。


 読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。

 「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。


寄東魯二稚子 在金陵作
地桑葉綠。 蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種()うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮()つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚() る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 

 

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七四              文體:    七言古詩

詩題:    南陵別兒童入京

作地點:              瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:              南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村         

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都    

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰       

 

 

南陵別兒童入京

(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。

山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。

そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。

こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
#2

萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。

そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。

漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。
仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。

だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。

 

(南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。
童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。

高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。
#2

万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。

会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。
天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。

 

唐時代 地図615 長江下流域 

『南陵別兒童入京』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。

會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。

仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。

(下し文)
#2

万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。

会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。

天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。

(現代語訳)
#2

そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。

だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
李白の足跡003
(訳注) #2

南陵別兒童入京
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。

 

萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。
そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
遊説 春秋戦国時代に、ある種の人びとは各国を奔走して、国王や貴族の面前で自己の政治主張をのべ、採用されることを求めた。これを遊説といった。

万乗 皇帝のこと。古代の制度によると、皇帝は、一万の兵車を有していた。


會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。
漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。
会稽愚婦軽買臣 《漢書、朱買臣傳》「朱買臣字翁子,人也。家貧,好讀書,不治業,常艾薪樵,賣以給食,擔束薪,行且誦書。其妻亦負戴相隨,數止買臣毋歌嘔道中。買臣愈益疾歌,妻羞之,求去。買臣笑曰:「我年五十當富貴,今已四十餘矣。女苦日久,待我富貴報女功。」妻恚怒曰:「如公等,終餓死溝中耳,何能富貴!」買臣不能留,即聽去。其後,買臣獨行歌道中,負薪墓間。故妻與夫傢俱上塚,見買臣饑寒,呼飯飲之。」朱買臣は漢の会稽郡呉(いまの江蘇省呉県)の人。豪が貧乏で、柴を売って生活をしのいでいたが、読書好きで、柴を背負って歩きながら道道、書物を朗読した。同じく柴を背負っていっしょに歩いていた妻が、かっこうが悪いのでそれを止めると、買臣はますます大声をはりあげてやる。妻はそれを恥じ離縁を申し出た。買臣は笑って言った。「わたしは五十歳になれば必ず金持になり身分も高くなるだろう。今すでに四十余り、おまえにも長い間苦労さしたが、わたしがいい身分になっておまえの功にむくいるまで待ちなさい」妻は怒って言った。「あなたみたいな人は、しまいにドブの中で餓死するだけですよ。何でいい御身分になんかなれるものですか」買臣の留めるのもきかず、妻は去って行
った。数年後、買臣は長安に行き富貴の身になったという。吉川幸次郎「漢の武帝」岩波新書参照。しかし、朱買臣はのちのち何度も官をやめさされ、最後には武帝の命で殺された(「漢書」巻64)し、蘇秦も六国の宰相を兼ねた得意の時は実に短かいものだったのである。李白はなぜこの故事を使ったのか、まさかの都故事通り、みにふりかかるとは思っていないから、愚妻といって冗談を言ったと思われる。

 長安のこと。


大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
蓬嵩 よもぎ。雑草のこと。蓬嵩の人とは、野に埋もれて一生を終る人のこと。

李白309-#1 《巻十四32南陵別兒童入京》-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白309> Ⅰ李白詩1612 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6608

李白  南陵別兒童入京 -#1

白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。

呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。

高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七四              文體:    七言古詩

詩題:    南陵別兒童入京

作地點:              瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:              南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村         

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都    

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰       

 

 

南陵別兒童入京

(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。

山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。

そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。

こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
#2

萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。

會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。

仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。

 

 

(南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。
童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。

高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。
#2

万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。

会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。
天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。

 

 

『南陵別兒童入京』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南陵別兒童入京

白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。

呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。

高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。

(下し文)
(南陵にて兒童に別れ京に入る。)

白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。

童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。

高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。

(現代語訳)
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。


(訳注)

南陵別兒童入京
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。


白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
白酒 どぶろく。


呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。
児女 男の子と女の子


高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
高歌 高らかに歌を歌う 

自慰 酒を飲み酔うことにより自分で自分を慰める。

落日 沈む夕日の方向 

爭光輝 光と未来の輝きがを争う

 

 

 

 「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3 李白47 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。

 旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。

 高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。


 読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。

 「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。


寄東魯二稚子 在金陵作
地桑葉綠。 蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種()うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮()つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚() る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 

李白308 《巻八24溫泉侍從歸逢故人》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白308> Ⅰ李白詩1611 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6603

李白  溫泉侍從歸逢故人  

漢帝長楊苑,誇胡羽獵歸。子雲叨侍從,獻賦有光輝。

激賞搖天筆,承恩賜御衣。逢君奏明主,他日共翻飛。
(温泉宮に侍従しその帰り際に旧知の人にあったから賦し示した)

むかし、漢の武帝は胡人に誇るのに、禽獣が多いにいることをしめそうと、長楊苑で羽獵を催され、猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。その時、お供をしていた楊雄は畏れ多くも、その行に陪従し、羽獵の帰後、「長楊賦」を献上し、大いに面目を施したというところであった。詩人は揚雄のように行幸に侍従したら、御自ら筆をとり、激賞されねばなるまいし、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けるのである。かくて、君に出逢った上は、君のことを天子皇帝に奏上し、しかるべき地位を賜るように一肌脱いで大いにあっせんし、他日、君とともに青雲の上に翻飛するようにいたそうと思っているところである。
李白308 《巻八24溫泉侍從歸逢故人》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白308> Ⅰ李白詩1611 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6603

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    溫泉侍從歸逢故人

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉      

長楊宮 (京畿道 京兆府 )           

 

 

溫泉侍從歸逢故人

(温泉宮に侍従しその帰り際に旧知の人にあったから賦し示した)

漢帝長楊苑,誇胡羽獵歸。

むかし、漢の武帝は胡人に誇るのに、禽獣が多いにいることをしめそうと、長楊苑で羽獵を催され、猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
子雲叨侍從,獻賦有光輝。

その時、お供をしていた楊雄は畏れ多くも、その行に陪従し、羽獵の帰後、「長楊賦」を献上し、大いに面目を施したというところであった。
激賞搖天筆,承恩賜御衣。

詩人は揚雄のように行幸に侍従したら、御自ら筆をとり、激賞されねばなるまいし、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けるのである。
逢君奏明主,他日共翻飛。

かくて、君に出逢った上は、君のことを天子皇帝に奏上し、しかるべき地位を賜るように一肌脱いで大いにあっせんし、他日、君とともに青雲の上に翻飛するようにいたそうと思っているところである。

(溫泉に侍從して歸って故人に逢う)

漢帝の長楊苑,胡に誇って 羽獵して歸る。

子雲 叨りに侍從,賦を獻じて 光輝有り。

激賞 天筆を搖かし,恩を承けて 御衣を賜う。

君に逢うて 明主に奏し,他日 共に翻飛せん。

『溫泉侍從歸逢故人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

溫泉侍從歸逢故人

漢帝長楊苑,誇胡羽獵歸。

子雲叨侍從,獻賦有光輝。

激賞搖天筆,承恩賜御衣。

逢君奏明主,他日共翻飛。

(下し文)
(溫泉に侍從して歸って故人に逢う)

漢帝の長楊苑,胡に誇って 羽獵して歸る。

子雲 叨りに侍從,賦を獻じて 光輝有り。

激賞 天筆を搖かし,恩を承けて 御衣を賜う。

君に逢うて 明主に奏し,他日 共に翻飛せん。

(現代語訳)
(温泉宮に侍従しその帰り際に旧知の人にあったから賦し示した)

むかし、漢の武帝は胡人に誇るのに、禽獣が多いにいることをしめそうと、長楊苑で羽獵を催され、猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
その時、お供をしていた楊雄は畏れ多くも、その行に陪従し、羽獵の帰後、「長楊賦」を献上し、大いに面目を施したというところであった。
詩人は揚雄のように行幸に侍従したら、御自ら筆をとり、激賞されねばなるまいし、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けるのである。
かくて、君に出逢った上は、君のことを天子皇帝に奏上し、しかるべき地位を賜るように一肌脱いで大いにあっせんし、他日、君とともに青雲の上に翻飛するようにいたそうと思っているところである。

(訳注)

溫泉侍從歸逢故人

(温泉宮に侍従しその帰り際に旧知の人にあったから賦し示した)

李白307 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》と同じ時期の作である。

李白は宮廷に召され、高官からも厚遇され、絶頂を迎えている。漢の武帝の時、楊雄もかなり年を取ってから朝廷に上がり、寵愛されている。楊雄を自分に重ねていたのだろう。国政にも参画していい助言をしたいものと考えていたようだ。しかし、玄宗は、必ずしも国政に李白を参与させるという意図を最初からもってはいない。李白の優れた詩才を愛して、文人としての才能を重要視しただけなのである。華やかな宮廷生活に興趣を添える人として李白を迎えたようである。玄宗の関心は楊貴妃にあり、国政にかかる事務までも任せきる状況であった。

 

漢帝長楊苑,誇胡羽獵歸。

むかし、漢の武帝は胡人に誇るのに、禽獣が多いにいることをしめそうと、長楊苑で羽獵を催され、猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
漢帝 漢の武帝。

長楊苑 揚雄《長楊賦序》「上將大誇胡人以多禽獸,秋,命右扶風發民入南山,西自褒斜,東至弘農,南敺漢中,張羅罔罝罘,捕熊羆豪豬虎豹狖玃狐菟麋鹿,載以檻車,輸長楊射熊館。以網為周阹,縱禽獸其中,令胡人手搏之,自取其獲,上親臨觀焉。是時,農民不得收斂。雄從至射熊館,還,上長楊賦」(上、將に大いに胡人に誇るに禽獸の多きを以ってせんとし,秋,右扶風に命じ、民を發って南山に入り,西は褒斜自り,東は弘農に至り,南は漢中を敺り,羅罔の罝罘を張り,熊羆・豪豬・虎豹・狖玃・狐菟・麋鹿を捕え,載するに檻車を以ってす,長楊 射熊館に輸す。網を以って周阹と為し,禽獸を其の中に縱ち,胡人を令て手もて之を搏ち,自ら其獲を取らしめ,上 親ら臨み觀る。是の時,農民收斂するを得ず。雄 從って射熊館に至り,還って,長楊賦を上る。)とある。

誇胡 北方異民族に対して誇ること。

羽獵 鳥類の狩猟。楊雄の賦にあるのでそれを示す。

 

子雲叨侍從,獻賦有光輝。

その時、お供をしていた楊雄は畏れ多くも、その行に陪従し、羽獵の帰後、「長楊賦」を献上し、大いに面目を施したというところであった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。

揚雄 《甘泉賦 序》 文選  詩<107>Ⅱ李白に影響を与えた詩854 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2818

 むさぼる。身分不相応。恐れ多い。 

侍從 君主のおそばに同行する。

 

激賞搖天筆,承恩賜御衣。

詩人は揚雄のように行幸に侍従したら、御自ら筆をとり、激賞されねばなるまいし、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けるのである。
御衣 冠位。この二句は、李白《古風,五十九首之八》「意氣人所仰。 冶游方及時。 子云不曉事。 晚獻長楊辭。」(意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。)古風其八にと同様の内容。

Index-32 #2 《古風五十九首之八》Index-32-7 753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越580Ⅰ李白詩1156 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4328

 

逢君奏明主,他日共翻飛。

かくて、君に出逢った上は、君のことを天子皇帝に奏上し、しかるべき地位を賜るように一肌脱いで大いにあっせんし、他日、君とともに青雲の上に翻飛するようにいたそうと思っているところである。
奏明主 秦の名君である玄宗皇帝を指す。

他日 きのうまでのこと。これから先の日。いつか。

李白307-#2 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白307-#2> Ⅰ李白詩1610 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6598

李白  駕去溫泉後贈楊山人#2   

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。 そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

李白307-#2 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白307-#2> Ⅰ李白詩1610 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6598

 

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六八              文體:    七言古詩

詩題:    駕去溫泉後贈楊山人

作地點:              驪山(京畿道 / 京兆府 / 驪山)

及地點:              溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉      

交遊人物/地點:楊山人      書信往來(京畿道 京兆府 驪山)

 

 

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

#2

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。

#2

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

 

 

『駕去溫泉後贈楊山人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

(下し文)
#2

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

(現代語訳) #2

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。


(訳注) #2

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

溫泉 温泉宮。驪山の華清宮にある。《唐書》「京兆府昭應縣木新豐有宮旗國山下天寶二年分新豐萬年置舍昌繇七載肖新豐改會圄為胎應治溫泉宮  開元十一年置溫泉宮,天寶六載改為華清宮於驪山上,益治湯井為池,臺殿環列山谷。自開元來,每 ...... 是年,改溫泉曰華清宮,治湯井為池,環山列宮室,又築羅城,置百司及十宅。」

楊山人 驪山の近傍に隠れていたものである。

309巻八23  駕去溫泉后贈楊山人

少年落魄楚漢間

506卷十五09送楊山人歸天台

客有思天台。

557卷十六60送楊山人歸嵩山

我有萬古宅。

 

 

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
鸞輦 鸞の模様で飾られた天子の輦。 

出鴻都 後漢の霊帝時代、儒学者たちの集まりを鴻都門学派といった。この学派が皇帝により庇護されていたものが、批判を受けた。儒教の考えから出でている自分を天子がお認めになっている。

天馬駒 天使より貸し与えられた馬のこと。長借馬。翰林志「唐制度、学士初めて院に入れば、中厩の馬一頭を賜い、これを長借馬という。」とある。

 

王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

○金璋紫綬 銅の印に紫の綬。《太平御覽·驃騎將軍》「驃騎將軍,漢官也,長史、司馬各一人,金璋、紫綬,五時朝服,武冠,佩山玄玉。」

 

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

○紛紛 入り乱れてまとまりのないさま。

 

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

 

(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。

 

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

李白307-#1 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白307-#1> Ⅰ李白詩1609 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6593

駕去溫泉後贈楊山人-#1

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。
(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

李白307-#1 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白307-#1> Ⅰ李白詩1609 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6593

 

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白307-#1 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白307-#1> Ⅰ李白詩1609 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6593  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六八              文體:    七言古詩

詩題:    駕去溫泉後贈楊山人

作地點:              驪山(京畿道 / 京兆府 / 驪山)

及地點:              溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉      

交遊人物/地點:楊山人      書信往來(京畿道 京兆府 驪山)

 

 

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

#2

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

 

(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。

#2

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『駕去溫泉後贈楊山人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

駕去溫泉後贈楊山人

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

(下し文)
(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。


(現代語訳)
(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。


(訳注)

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

溫泉 温泉宮。驪山の華清宮にある。《唐書》「京兆府昭應縣木新豐有宮旗國山下天寶二年分新豐萬年置舍昌繇七載肖新豐改會圄為胎應治溫泉宮  開元十一年置溫泉宮,天寶六載改為華清宮於驪山上,益治湯井為池,臺殿環列山谷。自開元來,每 ...... 是年,改溫泉曰華清宮,治湯井為池,環山列宮室,又築羅城,置百司及十宅。」

楊山人 驪山の近傍に隠れていたものである。

309巻八23  駕去溫泉后贈楊山人

少年落魄楚漢間

506卷十五09送楊山人歸天台

客有思天台。

557卷十六60送楊山人歸嵩山

我有萬古宅。

 

 

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

落魄【らくたく】 落拓におなじ。世に用いられないこと。

楚漢間 酈食其が落魄していたと同じように世に用いられなかった。酈食其は秦から楚漢戦争期の儒者、説客。陳留高陽の人。通称は酈生。子は酈疥、孫は酈遂。弟は酈商、甥は酈寄。酈食其は進言して斉との和平交渉に臨み、その弁舌で以って斉の七十余城を一旦帰順せしめることに成功する。しかし酈食其に功績を独り占めにされることを恐れた韓信とその腹心の蒯通は独断で斉を攻撃し、和平を反故にされて怒った斉王田広により酈食其は煮殺された。

 

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

管葛 管仲と諸葛亮のこと。管仲は春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。一般には字の仲がよく知られており、以下本稿でも管 仲として記す。三国時代の管寧はその後裔という。諸葛亮は後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明。 司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。

還閉關 幽居に帰り、門を閉じて、高臥すること。

 

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

拂拭 剣を拂い拭うこと。

剖心輸丹 赤心をいたすこと。

 

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

李白306 《巻五 30李白24 子夜呉歌其四 冬》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白306> Ⅰ李白詩1608 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6588

李白  子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌

明朝驛使發,一夜絮征袍。  素手抽針冷,那堪把剪刀。  裁縫寄遠道,幾日到臨洮。 
(四時行楽の詩で、子夜冬歌、其四首は、「冬のかじかむ素手」で、西域を守る隴右道東部 鄯州 臨洮軍にいる夫へ、「擣衣」した厚手の生地の綿入れを縫製して送る。翌朝出る便に間に合わせるため夜なべをする、冬のエピソードは、寒い夜縫製する思婦である。)

都合の良い西域方面臨洮への飛脚便が明朝、長安を立つというので、一夜なべをして、砧で柔らかくした厚い袍にたくさん綿を入れた上衣をぬった。冬の初めとはいえ、ちぎれるほどの寒さで、針仕事は手が凍えて動かず、そのうえ重たいはさみなどは持つことさえ難儀をした。それでもこれをやっとのことで縫い上げて、出立する便に頼むのであるが、夫の今いる臨洮は万里の長城の西遠く、シルクロードの分岐点の地であって、何日かかるものやら、心配でたまらない

李白306 《巻五 30李白24 子夜呉歌其四 冬》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白306> Ⅰ李白詩1608 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6588

 

 
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李白306 《巻五 30李白24 子夜呉歌其四 冬》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白306> Ⅰ李白詩1608 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6588  
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韓愈88-#7 §1-7 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1521> Ⅱ#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6589  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地羅敷女,採桑綠水邊。

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

素手青條上,紅妝白日鮮。

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

 

(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

年:742年天寶元年42 18首 

卷別:   卷一六五          文體:   樂府

詩題:   子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

作地點:           長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:           鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖  

若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪            

 

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)

鏡湖三百里,菡萏發荷花。

鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。

五月西施採,人看隘若耶。

五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。

回舟不待月,歸去越王家。 
しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。

 

(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:夏の歌)

鏡湖 三百里,菡萏 荷花を發く。

五月 西施も採る,人は看る 若耶 隘しと。

舟を回して 月を待たず,歸り去る 越王の家。

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌

(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

長安一片月,萬搗衣聲。 

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。

秋風吹不盡,總是玉關情。 

秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。

何日平胡虜,良人罷遠征。 

そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。

 

(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:秋の歌)

長安  一片の月、万戸  衣を擣つの声。
秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関の情。
何れの日か胡虜を平らげ、良人 遠征を罷めん。

 

 

年:742年天寶元年42 18首 

卷別: 卷一六五  文體: 樂府 

詩題: 子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點: 臨洮軍 (隴右道東部 鄯州 臨洮軍別名:臨洮     

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌

(四時行楽の詩で、子夜冬歌、其四首は、「冬のかじかむ素手」で、西域を守る隴右道東部 鄯州 臨洮軍にいる夫へ、「擣衣」した厚手の生地の綿入れを縫製して送る。翌朝出る便に間に合わせるため夜なべをする、冬のエピソードは、寒い夜縫製する思婦である。)明朝驛使發,一夜絮征袍。 

都合の良い西域方面臨洮への飛脚便が明朝、長安を立つというので、一夜なべをして、砧で柔らかくした厚い袍にたくさん綿を入れた上衣をぬった。
素手抽針冷,那堪把剪刀。 

冬の初めとはいえ、ちぎれるほどの寒さで、針仕事は手が凍えて動かず、そのうえ重たいはさみなどは持つことさえ難儀をした。

裁縫寄遠道,幾日到臨洮。 
それでもこれをやっとのことで縫い上げて、出立する便に頼むのであるが、夫の今いる臨洮は万里の長城の西遠く、シルクロードの分岐点の地であって、何日かかるものやら、心配でたまらない。

 

子夜歌【子夜 四時の歌】四首:冬の歌

明朝 驛使發す,一夜 征袍を絮す。 

素手 針を抽くこと冷かに,那ぞ 剪刀を把るに堪えんや。 

裁縫して 遠道に寄す,幾日か 臨洮に到る。 

 李白図102長安と西域 地図01

子夜歌【子夜四時歌】四:冬歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌

明朝驛使發,一夜絮征袍。 

素手抽針冷,那堪把剪刀。 

裁縫寄遠道,幾日到臨洮。 
 

(下し文)
子夜歌【子夜 四時の歌】四首:冬の歌

明朝 驛使發す,一夜 征袍を絮す。 

素手 針を抽くこと冷かに,那ぞ 剪刀を把るに堪えんや。 

裁縫して 遠道に寄す,幾日か 臨洮に到る。 

(現代語訳)

(四時行楽の詩で、子夜冬歌、其四首は、「冬のかじかむ素手」で、西域を守る隴右道東部 鄯州 臨洮軍にいる夫へ、「擣衣」した厚手の生地の綿入れを縫製して送る。翌朝出る便に間に合わせるため夜なべをする、冬のエピソードは、寒い夜縫製する思婦である。)

都合の良い西域方面臨洮への飛脚便が明朝、長安を立つというので、一夜なべをして、砧で柔らかくした厚い袍にたくさん綿を入れた上衣をぬった。
冬の初めとはいえ、ちぎれるほどの寒さで、針仕事は手が凍えて動かず、そのうえ重たいはさみなどは持つことさえ難儀をした。

それでもこれをやっとのことで縫い上げて、出立する便に頼むのであるが、夫の今いる臨洮は万里の長城の西遠く、シルクロードの分岐点の地であって、何日かかるものやら、心配でたまらない。


(訳注)

子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌

(四時行楽の詩で、子夜冬歌、其四首は、「冬のかじかむ素手」で、西域を守る隴右道東部 鄯州 臨洮軍にいる夫へ、「擣衣」した厚手の生地の綿入れを縫製して送る。翌朝出る便に間に合わせるため夜なべをする、冬のエピソードは、寒い夜縫製する思婦である。)

 

明朝驛使發,一夜絮征袍。 

都合の良い西域方面臨洮への飛脚便が明朝、長安を立つというので、一夜なべをして、砧で柔らかくした厚い袍にたくさん綿を入れた上衣をぬった。
驛使 主要路線三十里に一か所駅を設置、駅伝制による書簡と物資輸送の制度を言うがここではその使者、飛脚を言う。

 綿を入れて縫い付ける。綿入れの服を作る。

征袍 出征している夫の着る厚手の衣。

 

素手抽針冷,那堪把剪刀。 

冬の初めとはいえ、ちぎれるほどの寒さで、針仕事は手が凍えて動かず、そのうえ重たいはさみなどは持つことさえ難儀をした。

剪刀 はさみ。

 

裁縫寄遠道,幾日到臨洮。  
それでもこれをやっとのことで縫い上げて、出立する便に頼むのであるが、夫の今いる臨洮は万里の長城の西遠く、シルクロードの分岐点の地であって、何日かかるものやら、心配でたまらない

臨洮 秦代におかれた県名で,万里の長城の西の起点。現在の甘粛省岷(びん)県。西域を守る臨洮軍 (隴右道東部 鄯州 臨洮軍) 別名:臨洮をいう。この地でシルクロードの北コース、南コースの分岐点である。

李白《巻04-05 白馬篇 》「發憤去函谷,從軍向臨洮。」

163-#2 《巻04-05 白馬篇 #2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <163-#2> Ⅰ李白詩1372 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5408

杜甫《巻十五17近聞》「近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。」

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

766年大暦元年55-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160

杜甫《巻五31喜聞官軍已臨賊寇 二十韻》「花門騰漠,拓羯渡臨洮。」
遠い沙漠に飛騰している回紇の騎兵軍団、臨桃をわたって来た安西の拓羯、彼等はいずれも援兵にやって来るのだ。

 喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 226

yoshu&choan736 

李白305 《巻五 29李白24 子夜呉歌其三 秋》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白305> Ⅰ李白詩1607 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6583

李白  子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌  

長安一片月,萬搗衣聲。  秋風吹不盡,總是玉關情。  何日平胡虜,良人罷遠征。 

(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。

李白305 《巻五 29李白24 子夜呉歌其三 秋》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白305> Ⅰ李白詩1607 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6583

 

 
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742年天寶元年42 18

卷別: 卷一六五  文體: 樂府 

詩題: 子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:長安 (京畿道 京兆府 長安別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關別名:玉關、玉門     

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌

(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

長安一片月,萬搗衣聲。 

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。

秋風吹不盡,總是玉關情。 

秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。

何日平胡虜,良人罷遠征。 

そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。

 

(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:秋の歌)

長安  一片の月、万戸  衣を擣つの声。
秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関の情。
何れの日か胡虜を平らげ、良人 遠征を罷めん。

 

安史の乱当時の勢力図安史期のアジアssH 

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌

長安一片月,萬搗衣聲。 

秋風吹不盡,總是玉關情。 

何日平胡虜,良人罷遠征。 

 

(下し文)
(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:秋の歌)

長安  一片の月、万戸  衣を擣つの声。
秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関の情。
何れの日か胡虜を平らげ、良人 遠征を罷めん。


(現代語訳)
(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。

秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。

そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。


(訳注)

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌

(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

 

長安一片月,萬搗衣聲。 

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。

搗衣 擣衣 布帛を、きぬたにのせて擣つ。そして衣を仕立てて、遠く出征した夫に送ろうとする、妻の心をのべたもの。絹布を砧でうって白練り絹に詩、衣を製する。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

《巻七70 搗衣》

亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。

寧辭搗衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。

(衣を擣つ)

亦た知る戊【じゅう】の返らざるを、秋至りて清砧【せいちん】を拭【ぬぐ】う。

己に近し苦寒の月、況【いわ】んや長別の心を経たるをや。

寧【なん】ぞ辭せん擣衣【とうい】の倦【う】むを,一に塞垣【さいえん】の深きに寄す。

用い尽くす閨中【けいちゅう】の力 君聴け空外【くうがい】の音を。

搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

 

秋風吹不盡,總是玉關情。 

秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。

玉門関(ぎょくもんかん)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。

 

何日平胡虜,良人罷遠征。 

そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。

李白304 《巻五 28李白23 子夜呉歌 其二 夏》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白304> Ⅰ李白詩1606 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6578

李白  子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌   鏡湖三百里,菡萏發荷花。

五月西施採,人看隘若耶。回舟不待月,歸去越王家。

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)

鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。

李白304 《巻五 28李白23 子夜呉歌 其二 夏》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白304> Ⅰ李白詩1606 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6578

 

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白304 《巻五 28李白23 子夜呉歌 其二 夏》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白304> Ⅰ李白詩1606 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6578  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈88-#5 §1-5 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1519> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6579  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:742年天寶元年42 18首 

卷別: 卷一六五  文體: 樂府 

詩題: 子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地羅敷女,採桑綠水邊。

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

素手青條上,紅妝白日鮮。

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

 

(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

年:742年天寶元年42 18首 

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖         

若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪       

 

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)

鏡湖三百里,菡萏發荷花。

鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。

五月西施採,人看隘若耶。

五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。

回舟不待月,歸去越王家。 
しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。

 

(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:夏の歌)

鏡湖 三百里,菡萏 荷花を發く。

五月 西施も採る,人は看る 若耶 隘しと。

舟を回して 月を待たず,歸り去る 越王の家。
呉越の地図

 

子夜歌【子夜四時歌】四:夏歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

鏡湖三百里,菡萏發荷花。

五月西施採,人看隘若耶。

回舟不待月,歸去越王家。

 

(下し文)
(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:夏の歌)

鏡湖 三百里,菡萏 荷花を發く。

五月 西施も採る,人は看る 若耶 隘しと。

舟を回して 月を待たず,歸り去る 越王の家。

(現代語訳)
(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)

鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。

五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。

しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。


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李白  子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌    秦地羅敷女,採桑綠水邊。 

素手青條上,紅妝白日鮮。  蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

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年:742年天寶元年42 18首 

卷別: 卷一六五  文體: 樂府 

詩題: 子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)  

 

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地羅敷女,採桑綠水邊。 

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

素手青條上,紅妝白日鮮。 

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

 

(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

 

子夜歌【子夜四時歌】四:春歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌 

秦地羅敷女,採桑綠水邊。 

素手青條上,紅妝白日鮮。 

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

(下し文)
(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

(現代語訳)

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。


(訳注)

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌 

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。)

 郭茂倩の『楽府詩集』巻四十四・清商曲辞に、「子夜歌」と名づけられる一連の作品が収められている。この『子夜歌』は。『宋書』楽志の記すところによるならば、代の予夜という名の一女子によってつくられたものであることになる。その歌聲は呉調に基づく。呉調は、雑曲で、もと、江南から出たものである。また、その内容についてみれば。すべて男女の情感を詠じた、いわゆる情歌である。五言四句のものを外四十二首集めて成る現存の「予夜歌」の冒頭二首、次のように詠われている。

〔楽府詩集巻四十四清商曲辞子夜掌其一〕

落日出前,瞻瞩子度。冶容多姿鬚,芳香已盈路。

落日前門に出で、瞻瞩して子の度るを見る。

冶容姿鬚多く、芳香已に路に盈てり 。

二〕

芳是香所,冶容不敢天不人願,故使儂郎。

芳は是れ香の爲す所、冶容は敢えて當らず。

天は人の願いを奪わず、故に儂をして郎に見わしむ。

男女のやりとりであると考えられるこれら二首、なかでも第一首における「芳香已盈路」(芳りが道一杯に聞こえる」という表現には、恋人の訪れに身をふるわせる男性の心情がつよく表出されており、この詩の女性の描写において、〔一〕「芳香」〔二〕「芳是香所爲」と、が重要な意味を有していることが窺えよう.

李白は、四時行楽の詩を作り、子夜春歌、子夜秋歌など四季を詠った。其一首は、春で、羅敷を詠出した。緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた「使君從南來,五馬立踟躕。」太守が羅敷を見るため南の方からやって来て、五頭立の馬車をそこに立ちどまり、「使君謝羅敷,寧可共載不?」太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わたしの車に一緒に載って行かないか」と。これを羅敷は、陌上桑の曲を作って凛としてこれを拒んだ。この詩はこれをそのまま写したもの。

陌上桑行 古詩漢楽府<55>古詩源 巻 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩

 

秦地羅敷女,採桑綠水邊。 

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

・秦氏 邯鄲(河北省) の人なる秦氏に羅敷という娘があって邑人王仁の妻となった。王仁は後に趙王の家令となった。羅敷がある時、路で桑摘みをしていると、趙王が台の上から見て悦び、宴によびよせて奪い取ろうとした。羅敷は筝をひき、「陌上桑」の歌をうたって、自らを明らかにしたので、趙王は思いとまったとある。この詩をみると、趙王ではなくて、土地の長官大守が羅敷を見そめたことになっている。

列女伝、東家の女。秋胡詩、日出東南隅ということで、ほぼ同様な詩である。

日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287

 

身を売った西家の女は傾城といわれるほどの妓女となって黄金で身を飾り、刺繍を施した肌着を身に纏えるほどの生活をしている。 しかし東家の女はただただ貧しさに苦しみながらも、その玉体を北国の人買いの手には渡さなかった。

素手青條上,紅妝白日鮮。 

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

素手 きわめてほっそりした白い手。《古詩十九首 第十首》「迢迢牽牛星,皎皎河漢女。纖纖擢素手,札札弄機杼。」(迢迢【ちょうちょう】たる牽牛星、皎皎【こうこう】たる河漢の女。纖纖【せんせん】として素手【そしゅ】を擢【ぬき】んで、札札【さつさつ】として機抒【きちょ】を弄【ろう】す。)

天の川を隔ててはるかかなたには彦星がいて、こちらにはこうこうと白くかがやく天の川の織姫がいる。そのきわめてほっそりした白い手を織姫はぬき出していて、サッサッとした音で織具の杼【ひ】をいそがしく通している。

 

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

五馬 五馬は太守を表す。太守の馬車が5頭立てを許されたことに由来。職官爵位、太守。

 

 

相和歌辭相和曲
陌上桑. (日出東南隅行)
日出東南隅、照我秦氏樓。秦氏有好女、自名為羅敷。
羅敷善蠶桑、採桑城南隅。青絲為籠系、桂枝為籠鉤。
頭上倭墮髻、耳中明月珠。
綺為下裙、紫綺為上襦。
行者見羅敷、下擔髭須。少年見羅敷、帽著頭。

耕者忘其犁、鋤者忘其鋤。來歸相怨怒、使君從南來。
五馬立踟
、使君遣吏往。問此誰家、秦氏有好女。
自名為羅敷、羅敷年幾何。二十尚不足、十五頗有餘。
使君謝羅敷、寧可共載不。羅敷前致辭、使君一何愚。

使君自有婦、羅夫自有夫。東方千餘騎、夫婿居上頭。

何用識夫婿、白馬從驪駒。青絲系馬尾、金絡馬頭。

腰中鹿盧劍、可千萬餘。十五府小史、二十朝大夫。

三十侍中郎、四十專城居。為人潔白皙、髯髯頗有須。

盈盈公府、冉冉府中趨。坐中數千人、皆言夫婿殊。

 

東南の隅から出た朝日が、まず、わが秦氏の高殿を照らす。その秦氏の美しい娘がいて自ら羅敷と名乗っている。羅敷は養蚕が上手、城郭の南隅で桑つみをする。そのいでたちは青い糸を籠のひもにし、桂の枝を籠のさげ柄にし、頭の上に垂れ髪のまげをむすび耳には明月の珠をかざり、浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫のあやぎぬを上衣としている。
その美しい姿に道行く男は荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁ぶり、若者は彼の女を見ると帽をぬいて、髻をつつんだ頭をあらわして気どって見せる。田を耕す人は犂を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。家に帰ってから怨んだり怒ったり、夫婦争いをするのも、じつはただ羅敷を見たことがもとなのだ。
ある日、国の太守が南の方からやって来て羅敷を見とめ、五頭立の馬車もそこに立ちどまって進もうとしない。太守は下役をよこしてたずねる。「これはどこの娘さんか」と。人々が答えた。
「秦家の美しい娘、その名は羅敷と申します」「年はいくつか」「二十にはまだならぬが、十五は大分過ぎています」
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わしの車で一緒に行くことはできぬか」と。羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはほんとにおばかさんだ。あなたさまにはもともと奥さまがいらっしゃるし、わたしにも夫があります。東地方千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭にいます。
夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従え、青糸の紐をしりがいにし、黄金のおもがいをかざり、自分の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣。十五の歳に役所の書記だった夫は、二十で朝廷の大夫、三十では侍従職、四十では一城の主となりました。生まれつきのすっきりした色白、ふさふさとしたあごひげ、堂々と役所を歩み、さっさと役所内を急ぎまわる。威風あたりをはらって同坐の人々数千人、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します」 と。

302 《卷23-43詠鄰女東窗海石榴》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <302> Ⅰ李白詩1590 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6498

李白  詠鄰女東窗海石榴   

魯女東窗下,海榴世所稀。珊瑚映綠水,未足比光輝。

清香隨風發,落日好鳥歸。願為東南枝,低舉拂羅衣。

無由共攀折,引領望金扉。
(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。

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年:       開元二十九年

寫作時間:           741

寫作年紀:           41

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    詠鄰女東窗海石榴

 

 

詠鄰女東窗海石榴

魯女東窗下,海榴世所稀。

珊瑚映綠水,未足比光輝。

清香隨風發,落日好鳥歸。

願為東南枝,低舉拂羅衣。

無由共攀折,引領望金扉。

(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。

サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。

そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。

我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。

何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。

 

(鄰女東窗の海石榴を詠ず)

魯女 東窗の下,海榴 世の稀なる所。

珊瑚 綠水に映じ,未だ光輝を比する足らず。

清香 風に隨って發し,落日 好鳥歸る。

願わくば 東南の枝と為り,低く舉って 羅衣を拂わん。

共に攀折する由無く,領を引いて 金扉を望む。

 

 

『詠鄰女東窗海石榴』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠鄰女東窗海石榴

魯女東窗下,海榴世所稀。

珊瑚映綠水,未足比光輝。

清香隨風發,落日好鳥歸。

願為東南枝,低舉拂羅衣。

無由共攀折,引領望金扉。

(下し文)

(鄰女東窗の海石榴を詠ず)

魯女 東窗の下,海榴 世の稀なる所。

珊瑚 綠水に映じ,未だ光輝を比する足らず。

清香 風に隨って發し,落日 好鳥歸る。

願わくば 東南の枝と為り,低く舉って 羅衣を拂わん。

共に攀折する由無く,領を引いて 金扉を望む。

(現代語訳)
(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。

サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。

そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。

我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。

何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。


(訳注)

詠鄰女東窗海石榴

(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

○鄰女東窗 『文選』巻19に載る「登徒子好色賦」に記されているよく知られた逸話で、美男として有名な中国の文人・宋玉が「自分は決して好色ではない、隣に住んでいた国一番の美女が牆(かき)からその姿を見せ、3年間のぞき込まれ誘惑され続けたが心を動かした事は一度も無かった、私のことを好色と称する登徒子(とうとし)こそ好色である」と王の前で反論した故事(宋玉東牆)を引いているもので、塀(墻・牆)からのぞき込んでいる姿をその故事中の美女に比しており、石燕はこれをもって「倩兮女」を多くの人を弄んだ淫婦の霊ではなかろうかと述べている。

○海石榴 ツバキ科ツバキ属の常緑樹の総称。 園芸品種が多く、庭木として重用される。 花は赤・白の他、桃色の品種もある。 果実は球形で、黒い種子からは椿油(つばきあぶら)をとる。

 

魯女東窗下,海榴世所稀。

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。

 

珊瑚映綠水,未足比光輝。

サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。

○珊瑚映綠水 潘岳 《河陽庭前安石榴賦序》「似琉璃之棲鄧林,若珊瑚之映綠。」とある。

 

清香隨風發,落日好鳥歸。

そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。

○清香隨風發 《古詩十九首之五》「清商隨風發,中曲正徘徊。」(琴と笛の和調で澄んだ音調で秋のもの悲しい声調の曲が風にのってひびいてくるが、曲の中ほどで、正規の引きであったり、ためらいかけた音階であったりする。)に基づいている。

古詩十九首 (5) 漢詩<92>Ⅱ李白に影響を与えた詩524 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1389

 

願為東南枝,低舉拂羅衣。

我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。

 

無由共攀折,引領望金扉。

何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。

○引領望金扉 《文選王延壽<魯靈光殿賦>》「遂排金扉而北入, 宵藹藹而晻曖。」 張銑注:扉門扉也。

李白301 《巻十八06答友人贈烏紗帽》(改訂版)Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <301> Ⅰ李白詩1589 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6493

李白  答友人贈烏紗帽   

領得烏紗帽,全勝白接山人不照鏡,稚子道相宜。
(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    五言

詩題:    答友人贈烏紗帽

 

 

答友人贈烏紗帽

(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

領得烏紗帽,全勝白接離。

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

山人不照鏡,稚子道相宜。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。

(友人の烏紗帽を贈れるに答う)

烏紗帽を領し得て、全く白接に勝る。

山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜【よろ】しと道【い】う。

 

『答友人贈烏紗帽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

答友人贈烏紗帽

領得烏紗帽,全勝白接

山人不照鏡,稚子道相宜。

(下し文)
(友人の烏紗帽を贈れるに答う)

烏紗帽を領し得て、全く白接に勝る。

山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜【よろ】しと道【い】う。

(現代語訳)
(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。

(訳注)

答友人贈烏紗帽

(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

烏紗帽 絹で出来た礼装用の黒い帽子。中華古今注 「武德九年十一月,太宗詔曰:『自今以後,天子服烏紗帽,百官士庶皆同服之。』」とあって烏紗帽は、上下通じたる禮帽である。


領得烏紗帽,全勝白接蘺。

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

白接羅:白い接羅(せつり)。接羅は帽子の一種。昔、荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。

烏紗帽を領得して、全く白接蘺()に勝(まさ)る。山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              
「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。

李白が山簡をうたっている詩

巻○ID 詩題

詩句

6302-04楽府梁甫吟

「君不見高陽酒徒起草中。 」

143巻四18襄陽曲四首其二

「山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接()。 倒著還騎馬。 」

145巻四20襄陽曲四首其四

「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。 」

240巻七秋浦歌十七首 其七

「醉上山公馬。 寒歌寧戚牛。 空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。 」

3329-03憶襄陽舊游贈馬少府巨

「昔為大堤客。 曾上山公樓。 開窗碧嶂滿。 拂鏡滄江流。 高冠佩雄劍。 長揖韓荊州。 」

37110-17江夏贈韋南陵冰

「人悶還心悶。 苦辛長苦辛。 愁來飲酒二千石。 寒灰重暖生陽春。 山公醉後能騎馬。 」

475巻十四12留別廣陵諸公 (一作留別邯鄲故人)

「臥海不關人。 租遼東田。 乘興忽復起。 棹歌溪中船。 臨醉謝葛強。 山公欲倒鞭。 」

500卷十五3送王屋山人魏萬還王屋 并序

「不致百金。吾友揚子云。 弦歌播清芬。 雖為江寧宰。 好與山公群。 」

513卷十五16魯郡堯祠送竇明府薄華還西京 時久病初起作

「何不令皋繇擁彗橫八極。 直上青天掃浮云。高陽小飲真瑣瑣。 山公酩酊何如我。 」

754巻二十一32 峴山懷古

「訪古登峴首。 憑高眺襄中。天清遠峰出。 水落寒沙空。 弄珠見游女。 醉酒懷山公。感嘆發秋興。 長松鳴夜風。 」

 


山人不照鏡,稚子道相宜。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。
○山人 山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。ここでは李白自身のことを指す。



 

 

 

 

 

 

 

帽子01


帽子02

帽子03

 

 

 唐太宗戴幞頭

 禮官戴幞頭

 兩文人戴幞頭

 

 

帽子04

帽子05

帽子06

 

 

 羅幞

 

 

 

 

 

 

 


  
 時代を遡ると、元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。現に李白は「答友人贈烏紗帽」(《李白集校注》巻19)で「山人不照鏡、稚子道相宜」と自ら山人を称している 

  
「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350

秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350

 

烏紗帽00烏紗帽平巾幘(さく)帽00平巾幘(さく)

 

 

300-#2 《巻十八04早秋單父南樓酬竇公衡》#2Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <300-#2> Ⅰ李白詩1602 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6558

李白  《巻十八04早秋單父南樓酬竇公衡》#2  

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。
その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    早秋單父南樓酬竇公衡

作地點:              目前尚無資料

及地點:單父 (河南道 宋州 單父)    

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:竇公衡      當地交遊(河南道 宋州 單父)

 

 

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

 

(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

 

散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

 

 

『早秋單父南樓酬竇公衡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。【此時結念同懷者】。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

(下し文)
散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

(現代語訳)
その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。


(訳注)

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)741年開元二十九年41歳の作。

單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。

竇公衡 

《太平廣記》「崔圓,開元二十三年應將帥舉科,又於河南府充貢進士。其日正於福唐觀試,遇敕下,便於試場中喚將拜執戟參謀河西軍事。應制時,與越州剡縣尉竇公衡同場並坐,親見其事。公衡之名位,略見於此。」

【解説】

初句四句は歳月の匇匇たることをいい、泰山嵯峨の六句は、彼方の夏の景色、我閉南樓ノ四句は、此処の早秋の景色を言い、結句二句において、酬答の意を寓したものである。

 

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

遙帷卻卷 文選.江淹.《雜體詩.王徵君》「鍊藥矚虛幌,汎瑟臥遙帷。」(藥を鍊りて虛幌を矚【み】,瑟を汎して遙帷に臥す。)“我は窓のほとりで薬を練ったり、俗界から離れた寝牀の周りのとばりの中に横たわって瑟琴を掻き鳴らす”

江淹《王徵君〈養疾〉微》《昭明文選·卷三十一》

窈藹瀟湘空、翠澹無滋。

寂歷百草晦、欻吸鵾雞悲。

清陰往來遠、月華散前墀。

鍊藥矚虛幌、汎瑟臥遙帷。

水碧驗未黷、金膏靈詎緇。

北渚有帝子、蕩瀁不可期。

悵然山中暮、懷痾屬此詩。

 

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

青軒 仙界の様子をいう。南齊虞炎《詠簾詩》「青軒明月時,紫殿秋風日。」とある。

結念  南朝宋謝靈運《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》詩:結念屬霄漢, 孤景莫與諼。(念いを結び霽漢【しょうかん】に属【つ】け、弧景【こけい】与【とも】に 諼【わす】るる莫し。)

思いを胸に結ぶ、すると空が晴れ渡ってきて、この気に入っている風景は忘れることはないようにしたい。

*故郷始寧への思い、隠棲したいと思うこと。半官半隠の生活。○霽漢 (天空)漢の国の空が晴れ渡る ○諼 うつわる、 わすれる、 かまびすしい、 いつわる。

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》門在永嘉 謝霊運<30>#2 詩集 405  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1032

 

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

 

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

好事來相訪 《漢書》:揚雄家素貧,嗜酒,人希至其門,時有好事者載酒餚從遊學。

高文 江淹詩:文選·江淹·雜體詩三十首之四「高文一何綺、小儒安足為。」(高文は一に何ず綺しき、小儒は安ぞ為るに足らん。)“諸士の作る高尚な文章は本当にまあ美しく立派で、小儒の輩などはどうしてそういうものを為すことができようか”

雜體詩三十首之四《魏文帝〈遊宴〉曹丕》

置酒坐飛閣、逍遙臨華池。

神飆自遠至、左右芙蓉披。

綠竹夾清水、秋蘭被幽涯。

月出照園中、冠珮相追隨。

客從南楚來、為我吹參差。

淵魚猶伏浦、聽者未云疲。

高文一何綺、小儒安足為。

肅肅廣殿陰、雀聲愁北林。

眾賓還城邑、何以慰吾心。

300-#1 《巻十八04早秋單父南樓酬竇公衡》#1Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <300-#1> Ⅰ李白詩1601 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6553

李白  早秋單父南樓酬竇公衡   

白露見日滅,紅顏隨霜凋。別君若俯仰,春芳辭秋條。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。
(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    早秋單父南樓酬竇公衡

作地點:              目前尚無資料

及地點:單父 (河南道 宋州 單父)    

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:竇公衡      當地交遊(河南道 宋州 單父)

 

 

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

 

(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

 

散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

 

 

『早秋單父南樓酬竇公衡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

早秋單父南樓酬竇公衡

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

(下し文)
(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

(現代語訳)
(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注)

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)741年開元二十九年41歳の作。

單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。

竇公衡 

《太平廣記》「崔圓,開元二十三年應將帥舉科,又於河南府充貢進士。其日正於福唐觀試,遇敕下,便於試場中喚將拜執戟參謀河西軍事。應制時,與越州剡縣尉竇公衡同場並坐,親見其事。公衡之名位,略見於此。」

【解説】

初句四句は歳月の匇匇たることをいい、泰山嵯峨の六句は、彼方の夏の景色、我閉南樓ノ四句は、此処の早秋の景色を言い、結句二句において、酬答の意を寓したものである。

卷十五    19          單父東樓秋夜送族弟沈之秦 時凝弟在席

卷十五    20          送族弟凝至晏() 單父三十里

卷十六    23          送族弟單父主簿凝攝宋城主簿至郭南月橋

巻十八    4            早秋單父南樓酬竇公衡

巻十九    6            秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓

巻二十    4            登單父陶少府半月台

登單父陶少府半月台 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白191

單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

 

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

白露見日滅 春の日は長くなってゆくさまを表現した句。

紅顏隨霜凋 顏にしわが増えてゆき、髪に白髪が増えてゆく。

 

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

春芳辭秋條 梁簡文帝《長沙宣武王碑》:“秋條下葉,春卉含芳。”(秋條 葉を下し,春卉芳を含む。)に基づく。

 

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。ユネスコの世界遺産に登録されている。

嵯峨 山などの高く険しいさま。
汜水関などの地図 

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李白  魯郡堯祠送張十四遊河北   

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    魯郡堯祠送張十四遊河北

作地點:              目前尚無資料

及地點:              堯祠 (河南道 兗州 瑕丘)    

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

河北道 (河北道 無第二級行政層級 無第三級行政層級) 別名:河北        

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)   

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:張謂          當地交遊(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

魯郡堯祠送張十四遊河北

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

有如張公子,骯髒在風塵。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

 

(魯郡 堯祠にて 張十四の河北に遊ぶを送る)

猛虎 尺草に伏し,藏れると雖も身を蔽い難し。

張公子の如く有り,骯髒 風塵に在り。

豈に橫腰の劍、彼の淮陰の人に屈する無らんや。

筑を擊って 北燕に向い,燕歌 易水の濱。

歸り來って 泰山の上,當に爾と與に鄰と為すべし。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白の足跡0000
<!--[endif]-->

 

『魯郡堯祠送張十四遊河北』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

魯郡堯祠送張十四遊河北

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

(下し文)
(魯郡 堯祠にて 張十四の河北に遊ぶを送る)

猛虎 尺草に伏し,藏れると雖も身を蔽い難し。

張公子の如く有り,骯髒 風塵に在り。

豈に橫腰の劍、彼の淮陰の人に屈する無らんや。

筑を擊って 北燕に向い,燕歌 易水の濱。

歸り來って 泰山の上,當に爾と與に鄰と為すべし。

(現代語訳)
(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。


(訳注)

魯郡堯祠送張十四遊河北

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

この詩は、例の魯郡の堯祠に於て、張某の河北に遊ぶを送って作ったのである。

《卷十五18送薛九被讒去魯》、《卷十六01送魯郡劉長史遷弘農長史》と同時期の作品である。

唐書地理志、「河北道は、蓋し古の幽・冀の二州の境、孟・懐・魏・博・相・衛・貝・渲・刑・惠・鎮・冀・深・趙・滄・景・徳・定・易・幽・琢・瀛・莫・平・嬀・薊・營の二十九州あり」と見える。

河北道是唐朝的一个道,所州府包括:州、相州、魏州、博州、州、州、邢州、州、冀州、德州、棣州、州、瀛州、深州、莫州、定州、恒州、易州、幽州、嬀州、檀州、州、平州、州、安

張十四の名字は不詳。

297-#1 《卷十五18送薛九被讒去魯》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297> Ⅰ李白詩1585 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6473

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猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

尺草 髙さ一尺ほどの草叢。

 

有如張公子,骯髒在風塵。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

張公子 同姓であることで、漢の張放をもじっていう。

張放(ちょう ほう、? - 紀元前7年)は、中国の前漢時代の人物。宣帝の時の将軍張安世の玄孫にあたり、漢の成帝の従兄弟である。

張放は富平侯張臨と元帝の妹である敬武公主から生まれ、父の死により富平侯を受け継ぐ。

成帝に寵愛され、成帝の許皇后の妹を娶り、成帝から屋敷や莫大な下賜を賜る。侍中・中郎将となり、屯兵を監督し、将軍のように幕府を開くことを許された。成帝と寝起きを共にすることもあり、成帝が身分を隠してお忍びで城外へ出る際には「日夕追随」常に付き従った(なお、『漢書』趙皇后伝によると成帝はお忍びの際に富平侯家の人間「張公子」と称している)。

骯髒 ・()とは、(1) 汚い,汚れた.【反】干(2) (倫理的に)汚い,卑劣な.・髒の意味は、(衣服・身体・家屋・庭・食べ物などが)汚い,汚れている,垢じみている,不潔である.

・骯髒戰爭: 汚い戦争。社會不安、暴力或政治顛覆等行為,所做出的回應,是一場由國家所支持的戰爭,發動者以威脅、恐嚇的手段來要求國家安定。

 

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

淮陰人 《漢書韓信傳》:「韓信,淮陰人也。」《史記.淮陰侯列傳》「淮陰侯韓信,是淮陰人。」で始まる淮陰出身の韓信がその淮陰で失敬、軽侮されたことをいう。淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」と語ったという。

ある日のこと、韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。その韓信は、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。

 

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔ひ、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

易水 北京の南西を流れる川で、白河に合流する。詩経をはじめ、古代詩でよくみかける。燕 荊軻《易水歌》「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」

 

歸來泰山上,當與爾為鄰。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

當與爾為鄰 陶潜 《示周續之祖企謝景夷三郎時三人共在城北講禮校書詩》「老夫有所愛,思與爾為鄰。願言謝諸子,從我潁水濱。
隋末群雄割拠図00 

298-#3 《卷十六03送魯郡劉長史遷弘農長史》#3 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298-#3> Ⅰ李白詩1599 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6543

李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#3  

魯縞如白煙,五縑不成束。臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。
そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。貴殿は、賢人の存在を認めない魯郡から、黄帝の遺跡たる弘農に転任されたることだから、まことにめでたい。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

相國齊晏子,贈行不及言。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

(下し文)
-
#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

(現代語訳)
-#3

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

汜水関などの地図
(訳注) -#3

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

起首の八句は、劉某が魯郡に於で志を得ざることを写し、次の八句は、弘農に遷れば、大に得意なるべきを叙し、魯鎬の四句は、別に臨んで物を贈られたるを謝し、以下六句は、ここに言を贈るということに及び、以て牧結としたのである。

 

魯縞如白煙,五縑不成束。

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

魯縞 魯国に産する白絹。

五縑 良品質の固織の絹織物であっても、一束に満たない五匹であるから数がそろわないという意。

・縑 「かたお(固織)り」目を緻密(ちみつ)に固く織った平織りの絹布。かとりぎぬ。〉細緻的絲絹。淮南子.齊俗:「縑之性黃,染之以丹則赤。」

 

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

貧交 貧賤時交往的朋友。 《史記貨殖列傳》「 陶朱公十九年之中三致千金, 再分散與貧交、疏昆弟。」

 

相國齊晏子,贈行不及言。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

晏子 氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。莱の夷維の人。父は晏弱(晏桓子)。子は晏圉(あんぎょ)。妻の名及び生まれは史書に記載なし。霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。名宰相として評価が高く、晏平仲、もしくは晏子と尊称される。『晏子春秋』(あんししゅんじゅう)は、中国春秋時代の斉において、霊公 、荘公、景公の3代に仕え宰相となった、晏嬰に関する言行録をまとめたものである。内篇6巻及び外篇2巻の計8巻からなり、全215章に分かれる[1]。中国山東省における銀雀山漢簡の発見により、『晏子春秋』の成書年代は、戦国時代から秦朝末期の間と見られている。

《晏子春秋》「曾子、将に行かんとす,晏子、之を送って曰く:“君子は人にるに以ってするも,言を以ってするに若かず。」(晏子春秋)

 

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

樹李 桃李を樹うるもの、夏は休息するを得、秋にその実を得る。

樹萱 《詩経「国風・衛風・伯兮」》「焉得諼草 言樹之背」(焉んぞ諼草を得て 言【ここ】に之を背に樹ゑん。)毛 傳「諼草, 令人忘憂。」(諼草は人をして、憂いをあわれしむ。)とある

 

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

張祿 史記 《史記》卷七十九〈范睢蔡澤列傳·范睢〉

(范睢蔡澤列傳·范睢)

范睢既相秦,秦號曰張祿,而魏不知,以為范睢已死久矣。

范睢がすでに秦を補佐し、秦は号して張禄といった。しこうして、魏は知らず、范睢はすでに死んで久しいと思った。

魏聞秦且東伐韓、魏,魏使須賈於秦。

魏は秦がまさに東に、韓、魏を討たんとしていると聞き、魏は須賈をして秦に行かせた。

范睢聞之,為微行,敝衣閒步之邸,見須賈。

范睢はこれを聞き、そまつな身なりをして行こうと思い、やぶれた衣服で人目をしのんで歩き邸に行き、須賈を見た。

須賈見之而驚曰:「范叔固無恙乎!」

須賈はこれを見て驚いて曰く、「范叔(范睢)はまことに無事だったのか」と。

范睢曰:「然。」須賈笑曰:「范叔有於秦邪?」曰:「不也。睢前日得過於魏相,故亡逃至此,安敢乎!」

范睢曰く、「然り」と。須賈は笑って曰く、「范叔(范睢)は秦で遊説しているのか?」と。(范睢)曰く、「していません。わたしは、以前の日、魏相魏斉に於いて過(あやま)ちを得て、故に逃亡してここに至ったので、どうして敢(あ)えて遊説しましょうか」と。

須賈見之而驚曰:「范叔固無恙乎!」

須賈はこれを見て驚いて曰く、「范叔(范睢)はまことに無事だったのか」と。

范睢曰:「然。」須賈笑曰:「范叔有於秦邪?」曰:「不也。睢前日得過於魏相,故亡逃至此,安敢乎!」

范睢曰く、「然り」と。須賈は笑って曰く、「范叔(范睢)は秦で遊説しているのか?」と。(范睢)曰く、「していません。わたしは、以前の日、魏相魏斉に於いて過(あやま)ちを得て、故に逃亡してここに至ったので、どうして敢(あ)えて遊説しましょうか」と。

 

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