李白 陽春歌
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。
(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)
長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡戶にその影を映している。繡戶の中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。
李白336 巻三04-《陽春歌》(長安白日照春空,) 336Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(21) <李白336> Ⅰ李白詩1659 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6843
年:743年天寶二年43歳
卷別: 卷一六三 文體: 樂府・相和歌辭
詩題: 陽春歌
作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點:長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都
披香殿 (京畿道 京兆府 長安)
陽春歌
(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。
長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。
後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡戶にその影を映している。
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。
繡戶の中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。
聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。
(陽春歌)
長安の白日 春空を照らす,綠楊 煙を結んで嫋風に桑す。
披香殿の前 花 始めて紅に,流芳 色を發す 繡戶の中。
繡戶の中,相い經過す,飛燕皇後 輕身の舞,紫宮夫人 絕世の歌。
聖君 三萬六千日,歲歲年年 樂を奈何。
『陽春歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
陽春歌
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。
(下し文)
(陽春歌)
長安の白日 春空を照らす,綠楊 煙を結んで嫋風に桑す。
披香殿の前 花 始めて紅に,流芳 色を發す 繡戶の中。
繡戶の中,相い經過す,飛燕皇後 輕身の舞,紫宮夫人 絕世の歌。
聖君 三萬六千日,歲歲年年 樂を奈何。
(現代語訳)
(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)
長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。
後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡戶にその影を映している。
繡戶の中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。
聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。
(訳注)
陽春歌
(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)
教坊の曲、相和歌辭の歌。宋の呉邁遠《陽春歌》、梁の沈約《陽春曲》に擬して作ったもの。
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。
長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。
後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡戶にその影を映している。
披香殿 漢の未央宮の奥御殿。《西京賦》「後宮則昭陽飛翔,增成合驩,蘭林披香,鳳皇鴛鸞。」
張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮) 後宮には、昭陽殿・飛翔殿・増成殿・合辞殿とあり、つづいて蘭林殿・披香殿・凰皇殿・鴛鸞殿がある。いかにも柔軟優美で華麗な女官がむらがり集まって、ここで、感嘆しては後をふりかえり、目をとめて美人たちが見るところである。だから後宮の館室、それに宿衛の官舎も休暇の宿舎も、五彩の色で飾り、織細で手がこんでいる。
張平子(張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮)#7-1 文選 賦<114―(16)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1053 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3813
繡戶 薄絹に刺繍を施されたとびら。
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。
繡戶の中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。
相經過 幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、
飛燕 趙 飛燕は、前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。
正史である『漢書』での趙飛燕に関する記述は非常に簡単なものであるが、稗史においては美貌をもって記述されており、優れた容姿を表現する環肥燕瘦の燕痩が示すのが趙飛燕である。
輕身舞 軽い感じで掌上の舞をおどること。
紫宮夫人絕世歌 紫宮は未央宮の別称、絶世の歌手李延年の妹が絶世の美人であた。
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。
聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。
<紫宮夫人絕世歌>
漢の武帝が晩年愛した女性に李夫人がいた。武帝が秋風辞の中で「佳人を懷うて忘る能はず」と歌ったその佳人であるとされる女性だ。彼女の一家は倡と呼ばれる芸能民だった。李延年は李夫人の兄である。何かの罪を得て、宮刑を受けたが、その後歌人として近侍していた。歌舞をよくし、新声変曲と呼ばれる新しい音楽を作り出し、その才能を以て武帝の寵を受けた。或る時、新しい曲を作って武帝の前で披露した。それが「絶世傾国の歌」である。武帝は、この歌に歌われたのが、李延年の妹であると聞かされ、婦人として迎えることとしたのである。
絶世傾国の歌
北方有佳人、絶世而獨立。
一顧傾人城、再顧傾人國。
寧不知傾城與傾國、佳人難再得。
北方に佳人有り、絶世にして獨立す。
一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。
寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。
北方とは、李延年の故郷河北をさす。そこに絶世の美人がいて、城を傾け国を傾けさせるほど美しいといわれる。傾城傾国の憂いはもとより知らぬわけではないが、かかる佳人は二度とは得られないでしょう、こう李延年は歌う。皇帝に自分の妹を売り込んでいるのである。