漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年10月

李白336 巻三04-《陽春歌》(長安白日照春空,) 336Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(21) <李白336> Ⅰ李白詩1659 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6843

李白  陽春歌   

長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。

披香殿前花始紅,流芳發色繡中。

中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人世歌。

聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。

(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)

長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡にその影を映している。中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。

李白336 巻三04-《陽春歌》(長安白日照春空,) 336Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-21) <李白336> Ⅰ李白詩1659 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6843

 

 
  2015年10月31日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白336 巻三04-《陽春歌》(長安白日照春空,) 336Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(21) <李白336> Ⅰ李白詩1659 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6843  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:743年天寶二年43

卷別:    卷一六三              文體:    樂府・相和歌辭

詩題:    陽春歌

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

披香殿 (京畿道 京兆府 長安)          

 

 

陽春歌

(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)

長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。

長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。

披香殿前花始紅,流芳發色繡中。

後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡にその影を映している。

中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人世歌。

中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。

聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。

聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。

(陽春歌)

長安の白日 春空を照らす,綠楊 煙を結んで嫋風に桑す。

披香殿の前 花 始めて紅に,流芳 色を發す 繡中。

中,相い經過す,飛燕皇後 輕身の舞,紫宮夫人 世の歌。

聖君 三萬六千日,歲歲年年 樂を奈何


 

『陽春歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陽春歌

長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。

披香殿前花始紅,流芳發色繡中。

中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人世歌。

聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何

(下し文)
(陽春歌)

長安の白日 春空を照らす,綠楊 煙を結んで嫋風に桑す。

披香殿の前 花 始めて紅に,流芳 色を發す 繡中。

中,相い經過す,飛燕皇後 輕身の舞,紫宮夫人 世の歌。

聖君 三萬六千日,歲歲年年 樂を奈何

(現代語訳)
(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)

長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。

後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡にその影を映している。

中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。

聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。


(訳注)

陽春歌

(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)

教坊の曲、相和歌辭の歌。宋の呉邁遠《陽春歌》、梁の沈約《陽春曲》に擬して作ったもの。

 

長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。

長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。

 

披香殿前花始紅,流芳發色繡中。

後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡にその影を映している。

披香殿 漢の未央宮の奥御殿。《西京賦》「後宮則昭陽飛翔,增成合驩,蘭林披香,鳳皇鴛鸞。」

張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮) 後宮には、昭陽殿・飛翔殿・増成殿・合辞殿とあり、つづいて蘭林殿・披香殿・凰皇殿・鴛鸞殿がある。いかにも柔軟優美で華麗な女官がむらがり集まって、ここで、感嘆しては後をふりかえり、目をとめて美人たちが見るところである。だから後宮の館室、それに宿衛の官舎も休暇の宿舎も、五彩の色で飾り、織細で手がこんでいる。

張平子(張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮)#7-1 文選 賦<114―16)>31分割68回 李白に影響を与えた詩1053 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3813

 薄絹に刺繍を施されたとびら。

 

中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人世歌。

中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。

相經過 幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、

飛燕 趙 飛燕は、前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。 正史である『漢書』での趙飛燕に関する記述は非常に簡単なものであるが、稗史においては美貌をもって記述されており、優れた容姿を表現する環肥燕瘦の燕痩が示すのが趙飛燕である。

輕身舞 軽い感じで掌上の舞をおどること。

紫宮夫人世歌 紫宮は未央宮の別称、絶世の歌手李延年の妹が絶世の美人であた。

 

聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。

聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。

 

 

<紫宮夫人世歌

漢の武帝が晩年愛した女性に李夫人がいた。武帝が秋風辞の中で「佳人を懷うて忘る能はず」と歌ったその佳人であるとされる女性だ。彼女の一家は倡と呼ばれる芸能民だった。李延年は李夫人の兄である。何かの罪を得て、宮刑を受けたが、その後歌人として近侍していた。歌舞をよくし、新声変曲と呼ばれる新しい音楽を作り出し、その才能を以て武帝の寵を受けた。或る時、新しい曲を作って武帝の前で披露した。それが「絶世傾国の歌」である。武帝は、この歌に歌われたのが、李延年の妹であると聞かされ、婦人として迎えることとしたのである。

 

絶世傾国の歌

北方有佳人、絶世而獨立。

一顧傾人城、再顧傾人國。

寧不知傾城與傾國、佳人難再得。

北方に佳人有り、絶世にして獨立す。

一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。

寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。

 

北方とは、李延年の故郷河北をさす。そこに絶世の美人がいて、城を傾け国を傾けさせるほど美しいといわれる。傾城傾国の憂いはもとより知らぬわけではないが、かかる佳人は二度とは得られないでしょう、こう李延年は歌う。皇帝に自分の妹を売り込んでいるのである。

李白335 巻三01-《關山月》(明月出天山,) 335Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(16) <李白335> Ⅰ李白詩1648 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6788

743年(16335 巻三01-《關山月》(明月出天山,)

李白  關山月   

明月出天山,蒼茫雲海間。長風幾萬里,吹度玉門關。

漢下白登道,胡窺青海灣。由來征戰地,不見有人還。

戍客望邊色,思歸多苦顏。高樓當此夜,歎息未應閒。

(開元、天寶年間、玄宗は辺境を開くため、回紇、吐蕃国境に兵士を出した、その兵卒の苦境を述べて、為政者の戒めとした。)

征戍の兵士は、何万里という極遠の土地に置かれて、夜仰ぎ見れば、明月が天山山脈の上にのぼってくると、見渡す限り蒼く暗く広がる雲海を照らし出す。  雲海の中では故郷がどちらかわからず、遠くから吹き寄せる風は幾萬里をぬける。はるかな玉門關のほうから吹いてくるが、征戍の兵士が此処まで来たその辛苦は、歸当てもないのでなおさら傷心が深まる。こうした匈奴との戦は、漢の高祖が白登山(現・山西省北部大同東北東すぐ)上の白登台で匈奴に包囲攻撃され白登山より下りて匈奴と戦ったことから始まり、爾後、和戦常ならず、時々胡軍は、青海の湾に侵寇してきて、わが中国を窺うということがあったのである。だから戦は絶えることなく、そこに派遣された兵士は、昔から遠征と戦闘の地から帰ったためしがないのである。出征兵士は、帰ろうと思っても変えることができず、ただ、辺境の惨憺たる景色を眺めているだけなのである。帰りたい思いは顔をしかめさせ、又帰りを待つ多くの妻も苦渋の顔となる。その妻は、故郷の高殿の上に立ち、同じ月を見て、夫がいつ帰るかも知らず、せつない歎息をしていることが、きっと途切れることも、たえることもできないだろう。 

李白335 巻三01-《關山月》(明月出天山,) 335Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-16) <李白335> Ⅰ李白詩1648 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6788

 

 

 
  2015年10月30日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白335 巻三01-《關山月》(明月出天山,) 335Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(16) <李白335> Ⅰ李白詩1648 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6788  
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  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈97-#1《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1571> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6839  
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:743年天寶二年43歳 94-16

卷別:  卷一六三        文體:  樂府

詩題:  關山月

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山       

玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門         

白登山 (河東道 雲州 白登山)      

交遊人物/地點:

 

 

關山月

(開元、天寶年間、玄宗は辺境を開くため、回紇、吐蕃国境に兵士を出した、その兵卒の苦境を述べて、為政者の戒めとした。)

明月出天山,蒼茫雲海間。

征戍の兵士は、何万里という極遠の土地に置かれて、夜仰ぎ見れば、明月が天山山脈の上にのぼってくると、見渡す限り蒼く暗く広がる雲海を照らし出す。  

長風幾萬里,吹度玉門關。

雲海の中では故郷がどちらかわからず、遠くから吹き寄せる風は幾萬里をぬける。はるかな玉門關のほうから吹いてくるが、征戍の兵士が此処まで来たその辛苦は、歸当てもないのでなおさら傷心が深まる。

漢下白登道,胡窺青海灣。

こうした匈奴との戦は、漢の高祖が白登山(現・山西省北部大同東北東すぐ)上の白登台で匈奴に包囲攻撃され白登山より下りて匈奴と戦ったことから始まり、爾後、和戦常ならず、時々胡軍は、青海の湾に侵寇してきて、わが中国を窺うということがあったのである。

由來征戰地,不見有人還。

だから戦は絶えることなく、そこに派遣された兵士は、昔から遠征と戦闘の地から帰ったためしがないのである。

戍客望邊色,思歸多苦顏。

出征兵士は、帰ろうと思っても変えることができず、ただ、辺境の惨憺たる景色を眺めているだけなのである。帰りたい思いは顔をしかめさせ、又帰りを待つ多くの妻も苦渋の顔となる。 

高樓當此夜,歎息未應閒。

その妻は、故郷の高殿の上に立ち、同じ月を見て、夫がいつ帰るかも知らず、せつない歎息をしていることが、きっと途切れることも、たえることもできないだろう。

(關山月)
明月 天山より出づ,蒼茫たる 雲海の間。
長風 幾萬里,吹き度る 玉門關。
漢は下る 白登の道,胡は窺う 青海の灣。
由來征戰の地,見ず 人の還る有るを。
戍客 邊色を望み,歸るを思うて 苦顏多し。
高樓 此の夜に當り,歎息して 未だ應に閑なるべからず。

安史期のアジアssH

 

『關山月』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

關山月

明月出天山,蒼茫雲海間。

長風幾萬里,吹度玉門關。

漢下白登道,胡窺青海灣。

由來征戰地,不見有人還。

戍客望邊色,思歸多苦顏。

高樓當此夜,歎息未應閒。
詩文(含異文)  明月出天山,蒼茫雲海間。長風幾萬里,吹度玉門關。漢下白登道,胡窺青海灣。由來征戰地,不見有人還。戍客望邊色【戌客望邊色】【戍客望邊邑】【戌客望邊邑】,思歸多苦顏。高樓當此夜,歎息未應閒【歎息未應還】。


(下し文)
(關山月)

明月 天山より出づ,蒼茫たる 雲海の間。

長風 幾萬里,吹き度る 玉門關。

漢は下る 白登の道,胡は窺う 青海の灣。

由來征戰の地,見ず 人の還る有るを。

戍客 邊色を望み,歸るを思うて 苦顏多し。

高樓 此の夜に當り,歎息して 未だ應に閑なるべからず。


(現代語訳)
(開元、天寶年間、玄宗は辺境を開くため、回紇、吐蕃国境に兵士を出した、その兵卒の苦境を述べて、為政者の戒めとした。)

征戍の兵士は、何万里という極遠の土地に置かれて、夜仰ぎ見れば、明月が天山山脈の上にのぼってくると、見渡す限り蒼く暗く広がる雲海を照らし出す。  

雲海の中では故郷がどちらかわからず、遠くから吹き寄せる風は幾萬里をぬける。はるかな玉門關のほうから吹いてくるが、征戍の兵士が此処まで来たその辛苦は、歸当てもないのでなおさら傷心が深まる。

こうした匈奴との戦は、漢の高祖が白登山(現・山西省北部大同東北東すぐ)上の白登台で匈奴に包囲攻撃され白登山より下りて匈奴と戦ったことから始まり、爾後、和戦常ならず、時々胡軍は、青海の湾に侵寇してきて、わが中国を窺うということがあったのである。

だから戦は絶えることなく、そこに派遣された兵士は、昔から遠征と戦闘の地から帰ったためしがないのである。

だから戦は絶えることなく、そこに派遣された兵士は、昔から遠征と戦闘の地から帰ったためしがないのである。  
出征兵士は、帰ろうと思っても変えることができず、ただ、辺境の惨憺たる景色を眺めているだけなのである。帰りたい思いは顔をしかめさせ、又帰りを待つ多くの妻も苦渋の顔となる。 

その妻は、故郷の高殿の上に立ち、同じ月を見て、夫がいつ帰るかも知らず、せつない歎息をしていることが、きっと途切れることも、たえることもできないだろう。

安史の乱当時の勢力図 

 (訳注)

關山月

(開元、天寶年間、玄宗は辺境を開くため、回紇、吐蕃国境に兵士を出した、その兵卒の苦境を述べて、為政者の戒めとした。)

邊塞詩、涼州詩はこの時代流行した。
漢の横吹曲という楽府の中にある題である、関山月は八首ある。五言古詩。関所のある山々を照らす月。それに照らされる出征兵士や、兵士を思う故郷の妻たちを詠う。
李白の邊塞を詠う詩の掲載をに追加する。

關山月
楽府旧題。本来の意味は、国境守備隊の砦がある山の上に昇った月。前線の月。ここに登場する兵士は、西域玉門關を越え、さらに西域に行ったもの。


明月出天山、蒼茫雲海間

征戍の兵士は、何万里という極遠の土地に置かれて、夜仰ぎ見れば、明月が天山山脈の上にのぼってくると、見渡す限り蒼く暗く広がる雲海を照らし出す。  

・明月:明るく澄みわたった月。 

・天山:〔てんざん〕新疆にある祁連山〔きれんざん〕(チーリェンシャン) 。天山一帯。当時の中国人の世界観では、最西端になる。天山山脈、祁連山脈は中国の主な山脈の一つ。青蔵高原の北縁、甘粛と青海に跨り、西はアルチン山脈に接し、東は蘭州の興隆山に至り、南はチャイダム盆地と青海湖に相連なる。山脈は西北から東南へ走り、数条の平行する山脈よりなり、平均海抜4000m以上、長さ2000km、幅200500km

・蒼茫:〔そうぼう〕(空、海、平原などの)広々として、はてしのないさま。見わたす限り青々として広いさま。また、目のとどく限りうす暗くひろいさま。 

・雲海:山頂から見下ろした雲が海のように見えるもの。また、雲のはるかかなたに横たわっている海原(うなばら)。ここは、前者の意。


長風幾萬里、吹度玉門關。
雲海の中では故郷がどちらかわからず、遠くから吹き寄せる風は幾萬里をぬける。はるかな玉門關のほうから吹いてくるが、征戍の兵士が此処まで来たその辛苦は、歸当てもないのでなおさら傷心が深まる。

・長風:遥か彼方から吹いてくる風。 

・幾萬里:何万里もの。長大な距離を謂う。

・吹度:吹いてきてずっと通って先へ行く。吹いてきて…を越える。吹きわたる。 

・玉門關:西域に通ずる交通の要衝。漢の前進基地。玉門関は中華人民共和国甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。漢と唐2度に渡り建立された。現存する玉門関遺跡は唐代のものである。俗称は小方盤城。関。玉関。現・甘肅省燉煌の西方、涼州の西北500キロメートルの地点にある。


漢下白登道、胡窺青海灣。
こうした匈奴との戦は、漢の高祖が白登山(現・山西省北部大同東北東すぐ)上の白登台で匈奴に包囲攻撃され白登山より下りて匈奴と戦ったことから始まり、爾後、和戦常ならず、時々胡軍は、青海の湾に侵寇してきて、わが中国を窺うということがあったのである。

・漢:漢の高祖の軍。 

・下:(白登山上の白登台より)下りて(、匈奴に対して囲みを破るための反撃する)。 

・白登道:漢の高祖が白登山より下りて匈奴と戦ったところ。現・山西省北部大同東北東すぐ。

・胡:西方異民族。ウイグル民族や、チベット民族などを指す。上句で漢の高祖のことを詠っているが、漢の高祖の場合は、匈奴を指す。 

・窺:〔き〕ねらう。乗ずべき時を待つ。また、覗き見する。こっそり見る。ここは、前者の意。 ・青海:ココノール湖。 

・灣:くま。ほとり。前出・杜甫の『兵車行』でいえば「君不見青海頭」 の「頭」に該る。


由來征戰地、不見有人還。
だから戦は絶えることなく、そこに派遣された兵士は、昔から遠征と戦闘の地から帰ったためしがないのである。

・由來:もともと。元来。それ以来。もとから。初めから今まで。また、来歴。いわれ。よってきたところ。ここは、前者の意。 

・征戰:出征して戦う。戦に行く王翰も李白も同時代人だが、王翰の方がやや早く、李白に影響を与えたか。

・不見:見あたらない。 

・有人還:(だれか)人が帰ってくる。 

・還:行き先からかえる。行った者がくるりとかえる。後出の「歸」は、もと出た所にかえる。本来の居場所(自宅、故郷、故国、墓所)にかえる。


戍客望邊色、思歸多苦顏。
出征兵士は、帰ろうと思っても変えることができず、ただ、辺境の惨憺たる景色を眺めているだけなのである。帰りたい思いは顔をしかめさせ、又帰りを待つ多くの妻も苦渋の顔となる。 

・戍客:〔じゅかく〕国境警備の兵士。征人。 ・邊色:国境地方の景色。 邊邑ともする。その場合は国境地帯の村の意になる。

 ・思歸:帰郷の念を起こす 

・苦顏:顔をしかめる。


高樓當此夜、歎息未應閑。
その妻は、故郷の高殿の上に立ち、同じ月を見て、夫がいつ帰るかも知らず、せつない歎息をしていることが、きっと途切れることも、たえることもできないだろう。

・高樓:たかどの。 

・當:…に当たつては。…の時は。…に際しては。 

・此夜:この(明月の)夜。

・歎息:なげいて深くため息をつく。また、大変感心する。ここは、前者の意。 

・應:きつと…だろう。当然…であろう。まさに…べし。 

・閑:暇(いとま)。

 




(關山月)
明月 天山より出づ,蒼茫たる 雲海の間。
長風 幾萬里,吹き度る 玉門關。
漢は下る 白登の道,胡は窺う 青海の灣。
由來征戰の地,見ず 人の還る有るを。
戍客 邊色を望み,歸るを思うて 苦顏多し。
高樓 此の夜に當り,歎息して 未だ應に閑なるべからず。

李白334-#2 巻二28-《胡無人》 334-#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(19) <李白334-#2> Ⅰ李白詩1657 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6833

李白  胡無人 #2 

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。胡無人,漢道昌。

陛下之壽三千霜,但歌「大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。」

それから、漢の兵隊は、雲龍風虎の陣形を交互に回転し、やがて、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られた。さていよいよ胡人を打ち破れば、旄頭の胡星も、いつしか消えて、なくなってしまい、戦場には、胡人の死骸が縦横に転がっていて、そこで胡人のはらわたを踏みにじり、胡人の血の川のごとく流れるところを徒渉した。胡王の首を高く青天の上にさらし、胡奴の屍を始末して、長城の傍らにうずめた。それでも、胡にしかるべき人がいないことによって、このように、容易に、掃蕩することができたので、漢帝国はこれによってますます隆盛となったのである。こうして、陛下の壽は、三千年の久しきにわたるべく、その威の遠近に及ぶは、漢の高祖を讃える歌をそのままに、大風がひとたび怒って満点の雲を吹き飛ばすがごとく、おまけに、胡人すでに滅んで、この国境付近は全く安寧になったのである。もはや、特別に猛士を挙用して、四方を守るということではなくなったということでめでたいことであるといわねばなるまい。

 

李白334-#2 巻二28-《胡無人》 334-#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-19) <李白334-#2> Ⅰ李白詩1657 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6833

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-15

卷別:    卷一六二         文體:    樂府

詩題:    胡無人

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門  

 

 

胡無人

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。

厳しい冬の風が霜を帯びて吹き荒めば、海藻が全てしおれ枯れつくした砂漠になっていて、弓矢も丈夫にできており、胡馬も、勢い盛んにして、いよいよ胡人が南下して国境周辺に入寇するときとなった。

漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚。

この時、中国においては、三十万の戦士を繰り出し、大将軍は、霍嫖姚のごとき知勇兼備の将校をいくらも幕下に従っている。

流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。

そこで、中国の将士は、流星のごとく早く飛ぶ白羽の矢を腰に挟んでいて、焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀を匣から取り出してこれを腰に佩びている。

天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。

こうして、中国の兵隊は、ゆきに照らされつつ、玉門關から打って出ると、胡人はこれは大変だというので、にわかに射だす防矢は、それは砂のようであり、黄金の鎧に次々にあたる。

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。

それから、漢の兵隊は、雲龍風虎の陣形を交互に回転し、やがて、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られた。

敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

さていよいよ胡人を打ち破れば、旄頭の胡星も、いつしか消えて、なくなってしまい、戦場には、胡人の死骸が縦横に転がっていて、そこで胡人のはらわたを踏みにじり、胡人の血の川のごとく流れるところを徒渉した。

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。

胡王の首を高く青天の上にさらし、胡奴の屍を始末して、長城の傍らにうずめた。

胡無人,漢道昌。

それでも、胡にしかるべき人がいないことによって、このように、容易に、掃蕩することができたので、漢帝国はこれによってますます隆盛となったのである。

陛下之壽三千霜,但歌「大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。」

こうして、陛下の壽は、三千年の久しきにわたるべく、その威の遠近に及ぶは、漢の高祖を讃える歌をそのままに、大風がひとたび怒って満点の雲を吹き飛ばすがごとく、おまけに、胡人すでに滅んで、この国境付近は全く安寧になったのである。もはや、特別に猛士を挙用して、四方を守るということではなくなったということでめでたいことであるといわねばなるまい。

 

(胡無人)

嚴風 霜を吹いて 海草凋む,筋幹 精堅 胡馬驕る。

漢家の戰士 三十萬,將軍は兼ねて領す 霍 嫖姚。

流星 白羽 腰間に插み,劍花 秋蓮 光 匣を出づ。

天兵 雪を照らし 玉關を下れば,虜箭 沙の如く 金甲を射る。

 

雲龍 風虎 盡く交回,太白 月に入って 敵摧く可し。

敵摧く可し,旄頭 滅す,胡の腸を履み 胡血を涉る。

胡を懸く 青天の上,胡を埋む 紫塞の傍。

胡に人無く,漢道 昌んなり。

陛下の壽 三千霜,但だ歌わん「大風雲飛揚,安んぞ猛士を得て 四方を守らん。」と。

 

『胡無人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。

敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。

胡無人,漢道昌。

陛下之壽三千霜,但歌「大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。」

(下し文)
雲龍 風虎 盡く交回,太白 月に入って 敵摧く可し。

敵摧く可し,旄頭 滅す,胡の腸を履み 胡血を涉る。

胡を懸く 青天の上,胡を埋む 紫塞の傍。

胡に人無く,漢道 昌んなり。

陛下の壽 三千霜,但だ歌わん「大風雲飛揚,安んぞ猛士を得て 四方を守らん。」と。

(現代語訳)
それから、漢の兵隊は、雲龍風虎の陣形を交互に回転し、やがて、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られた。

さていよいよ胡人を打ち破れば、旄頭の胡星も、いつしか消えて、なくなってしまい、戦場には、胡人の死骸が縦横に転がっていて、そこで胡人のはらわたを踏みにじり、胡人の血の川のごとく流れるところを徒渉した。

胡王の首を高く青天の上にさらし、胡奴の屍を始末して、長城の傍らにうずめた。

それでも、胡にしかるべき人がいないことによって、このように、容易に、掃蕩することができたので、漢帝国はこれによってますます隆盛となったのである。

こうして、陛下の壽は、三千年の久しきにわたるべく、その威の遠近に及ぶは、漢の高祖を讃える歌をそのままに、大風がひとたび怒って満点の雲を吹き飛ばすがごとく、おまけに、胡人すでに滅んで、この国境付近は全く安寧になったのである。もはや、特別に猛士を挙用して、四方を守るということではなくなったということでめでたいことであるといわねばなるまい。


(訳注)

胡無人

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

李白朝廷に迎えられる折に作ったものであろう。743年天寶二年の作。

胡無人 相和歌瑟調、樂府相和歌辭の一つ。胡中人無きにより、容易にこれを征服できたということを述べたもの。有善哉行、隴西行等三十八曲,樂器用笙、笛、簫、琴、瑟、箏、琵琶等七種。

相和歌漢時期は「街畦道謡民謡」の基礎の上で継承先秦楚声などの伝統を形成している。相和歌が漢族の代表的な漢民族舞踊の一つ。主に宦官巨宴会、娯楽などの場合にも用いる演奏、宮廷の宴会、祀神ひいて元旦朝礼と漢族民俗活動などの場合は。「相葉歌」の名が一番早い記録について「晋・楽誌」「首相も、漢の古い歌。糸竹もっと首相、執節者の歌。」その特徴は歌人は击节太鼓と伴奏管絃楽器相応するとを考えてた。相和歌でのは、主に瑟調、清調、空洞の3種類ともいう首相三調。と後世のいわゆる「清商三調」と同じ、略称「三調」。

 

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。

それから、漢の兵隊は、雲龍風虎の陣形を交互に回転し、やがて、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られた。

雲龍風虎 「雲は龍に従い、風は虎に従う」ということだが、軍隊が理路整然と秩序だって戦うこと、諸所の陣形が崩れることがなくて闘う姿を現す。

太白入月 太白星とは金星の異称である。「金星」の名は中国では太白とも呼び、戦国時代 に起こった五行思想とかかわりがある。それによると「金剋木であり、金属製の斧や鋸は木を傷つけ、切り倒す。」ということで、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られているのである。また、仏教伝承では、釈迦は明けの明星が輝くのを見て真理を見つけたという。また弘法大師空海も明けの明星が口中に飛び込み悟りを開いたとされるというのも、釈迦伝説、五行思想の影響ということである。

 

敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

さていよいよ胡人を打ち破れば、旄頭の胡星も、いつしか消えて、なくなってしまい、戦場には、胡人の死骸が縦横に転がっていて、そこで胡人のはらわたを踏みにじり、胡人の血の川のごとく流れるところを徒渉した。

旄頭滅 ここにいう旄頭は異民族の軍隊の帽子や旗の頭に旄を載せ飾っているのを言う。

 

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。

胡王の首を高く青天の上にさらし、胡奴の屍を始末して、長城の傍らにうずめた。

懸胡青天上 胡王、胡大将、胡人の首を高く青天の上にさらすことをいう。

紫塞傍 晉が長城を築いた時に使用された土や石が皆紫色であったことで紫塞といった。漢王朝でも、唐王朝でも長城は改築増築を行ったが、土樋氏が同種のものが使われたので、同様に紫塞といった。

 

胡無人,漢道昌。

それでも、胡にしかるべき人がいないことによって、このように、容易に、掃蕩することができたので、漢帝国はこれによってますます隆盛となったのである。

 

陛下之壽三千霜,但歌「大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。」

こうして、陛下の壽は、三千年の久しきにわたるべく、その威の遠近に及ぶは、漢の高祖を讃える歌をそのままに、大風がひとたび怒って満点の雲を吹き飛ばすがごとく、おまけに、胡人すでに滅んで、この国境付近は全く安寧になったのである。もはや、特別に猛士を挙用して、四方を守るということではなくなったということでめでたいことであるといわねばなるまい。

三千霜 朔方の戦いは、秋が始まりの基本でそれが霜であることで、三千年ということである。

歌大風雲飛揚 漢の高祖が、彼の故郷の沛に帰ったときに作られた歌の詩句。漢高帝歸豐沛,作歌曰:「大風起兮雲飛揚,威加海兮歸故,安得猛士兮守四方。」

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李白  胡無人    

嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚。

流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

厳しい冬の風が霜を帯びて吹き荒めば、海藻が全てしおれ枯れつくした砂漠になっていて、弓矢も丈夫にできており、胡馬も、勢い盛んにして、いよいよ胡人が南下して国境周辺に入寇するときとなった。この時、中国においては、三十万の戦士を繰り出し、大将軍は、霍嫖姚のごとき知勇兼備の将校をいくらも幕下に従っている。そこで、中国の将士は、流星のごとく早く飛ぶ白羽の矢を腰に挟んでいて、焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀を匣から取り出してこれを腰に佩びている。こうして、中国の兵隊は、ゆきに照らされつつ、玉門關から打って出ると、胡人はこれは大変だというので、にわかに射だす防矢は、それは砂のようであり、黄金の鎧に次々にあたる。

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年:743年天寶二年43歳 94-15

卷別:    卷一六二         文體:    樂府

詩題:    胡無人

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門  

 

 

胡無人

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。

厳しい冬の風が霜を帯びて吹き荒めば、海藻が全てしおれ枯れつくした砂漠になっていて、弓矢も丈夫にできており、胡馬も、勢い盛んにして、いよいよ胡人が南下して国境周辺に入寇するときとなった。

漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚。

この時、中国においては、三十万の戦士を繰り出し、大将軍は、霍嫖姚のごとき知勇兼備の将校をいくらも幕下に従っている。

流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。

そこで、中国の将士は、流星のごとく早く飛ぶ白羽の矢を腰に挟んでいて、焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀を匣から取り出してこれを腰に佩びている。

天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。

こうして、中国の兵隊は、ゆきに照らされつつ、玉門關から打って出ると、胡人はこれは大変だというので、にわかに射だす防矢は、それは砂のようであり、黄金の鎧に次々にあたる。

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。

敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。

胡無人,漢道昌。

陛下之壽三千霜,但歌大風雲飛揚,

安得猛士兮守四方。

 

(胡無人)

嚴風 霜を吹いて 海草凋む,筋幹 精堅 胡馬驕る。

漢家の戰士 三十萬,將軍は兼ねて領す 霍 嫖姚。

流星 白羽 腰間に插み,劍花 秋蓮 光 匣を出づ。

天兵 雪を照らし 玉關を下れば,虜箭 沙の如く 金甲を射る。

 

雲龍 風虎 盡く交回,太白 月に入って 敵摧く可し。

敵摧く可し,旄頭 滅す,胡の腸を履み 胡血を涉る。

胡を懸く 青天の上,胡を埋む 紫塞の傍。

胡に人無く,漢道 昌んなり。

陛下の壽 三千霜,但だ歌わん 大風 雲 飛揚,

安んぞ猛士を得て 四方を守らん。

李白の足跡0000

『胡無人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

胡無人

嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。

漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚。

流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。

天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。
詩文(含異文)     嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚【將軍誰者霍嫖姚】。流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。懸胡青天上,埋胡紫塞傍。胡無人,漢道昌。【案:一本此下有以下五句:陛下之壽三千霜,但歌大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。胡無人,漢道昌。】


(下し文)
(胡無人)

嚴風 霜を吹いて 海草凋む,筋幹 精堅 胡馬驕る。

漢家の戰士 三十萬,將軍は兼ねて領す 霍 嫖姚。

流星 白羽 腰間に插み,劍花 秋蓮 光 匣を出づ。

天兵 雪を照らし 玉關を下れば,虜箭 沙の如く 金甲を射る。


(現代語訳)
(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

厳しい冬の風が霜を帯びて吹き荒めば、海藻が全てしおれ枯れつくした砂漠になっていて、弓矢も丈夫にできており、胡馬も、勢い盛んにして、いよいよ胡人が南下して国境周辺に入寇するときとなった。

この時、中国においては、三十万の戦士を繰り出し、大将軍は、霍嫖姚のごとき知勇兼備の将校をいくらも幕下に従っている。

そこで、中国の将士は、流星のごとく早く飛ぶ白羽の矢を腰に挟んでいて、焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀を匣から取り出してこれを腰に佩びている。

こうして、中国の兵隊は、ゆきに照らされつつ、玉門關から打って出ると、胡人はこれは大変だというので、にわかに射だす防矢は、それは砂のようであり、黄金の鎧に次々にあたる。

Ta唐 長安近郊圖  新02
(訳注)

胡無人

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

李白朝廷に迎えられる折に作ったものであろう。743年天寶二年の作。

胡無人 相和歌瑟調、樂府相和歌辭の一つ。胡中人無きにより、容易にこれを征服できたということを述べたもの。有善哉行、隴西行等三十八曲,樂器用笙、笛、簫、琴、瑟、箏、琵琶等七種。

相和歌漢時期は「街畦道謡民謡」の基礎の上で継承先秦楚声などの伝統を形成している。相和歌が漢族の代表的な漢民族舞踊の一つ。主に宦官巨宴会、娯楽などの場合にも用いる演奏、宮廷の宴会、祀神ひいて元旦朝礼と漢族民俗活動などの場合は。「相葉歌」の名が一番早い記録について「晋・楽誌」「首相も、漢の古い歌。糸竹もっと首相、執節者の歌。」その特徴は歌人は击节太鼓と伴奏管絃楽器相応するとを考えてた。相和歌でのは、主に瑟調、清調、空洞の3種類ともいう首相三調。と後世のいわゆる「清商三調」と同じ、略称「三調」。

 

嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。

厳しい冬の風が霜を帯びて吹き荒めば、海藻が全てしおれ枯れつくした砂漠になっていて、弓矢も丈夫にできており、胡馬も、勢い盛んにして、いよいよ胡人が南下して国境周辺に入寇するときとなった。

嚴風 厳しい冬の風。

海草凋 瀚海ということで砂漠という意味で、其処にはわずかに生えた草までが枯れている。

筋幹精堅 あきになって膠が堅くなるので弓矢が丈夫にできることを言う。騎馬民族である胡側の軍隊の勢いが一番盛んになるときである。周禮「凡爲弓,冬析幹而春液角,夏治筋,秋幹、角、膠、筋、漆、絲六材,皆令善而無瑕病,然後爲善」とある。

胡馬驕 戦馬のいいものは、西域、西北方の馬である。

 

漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚。

この時、中国においては、三十万の戦士を繰り出し、大将軍は、霍嫖姚のごとき知勇兼備の将校をいくらも幕下に従っている。

漢家戰士三十萬 《漢書·五行志中之下》「先是,五將軍眾三十萬伏馬邑,欲襲單于也。」

霍嫖姚 霍去病称。霍 去病(かく きょへい、紀元前140 - 紀元前117年、Huò Qù-bìng)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。

しかし宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったとされ、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていた模様だった。武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。

 

流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。

そこで、中国の将士は、流星のごとく早く飛ぶ白羽の矢を腰に挟んでいて、焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀を匣から取り出してこれを腰に佩びている。

流星 瞬く間の流星のはやさをいう。

白羽 箭に白い羽をはぎていること。白い矢羽を持つ矢のこと。

秋蓮 焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀をいう。

 

天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。

こうして、中国の兵隊は、ゆきに照らされつつ、玉門關から打って出ると、胡人はこれは大変だというので、にわかに射だす防矢は、それは砂のようであり、黄金の鎧に次々にあたる。

天兵 天からの力を得た兵隊。

玉關 玉門関は甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。漢と唐2度に渡り建立された。現存する玉門関遺跡は唐代のものである。俗称は小方盤城。

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李白  上雲樂#7

能胡歌,獻漢酒。跪雙膝,立兩肘,散花指天舉素手。

拜龍顏,獻聖壽。北斗戾,南山摧。天子九九八十一萬長傾萬杯。

かくて文康はまた巧みに胡歌を唱和して、漢の酒を献上しようとした。そして、兩の膝をひざまずき、兩の肘をはって、天子の御前に畏まり、ひとたび白い手を挙げて、天をさせば、花は天より繽紛として、雨の如く降りしきり、さながら極欒浄土を眼前に幻出したようになったのである。然る後に天子の御尊顔を拝し、謹んで壽を献上いたします。祝して申し上げるには、北斗も曲がるべく、南山もくだけるべく程のことであります。かかるものは、到底、相い比するに足らず、天子は、九九、八十一萬歳の壽を保たるべく、どうか、私が差し上げる、この萬歳の杯を傾けて下さいと申しあげたのである。

李白333-#7 《巻二25-上雲樂》 333-#7Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-20) <李白333-#7> Ⅰ李白詩1655 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6823

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-14

卷別:    卷一六二              文體:    樂府

詩題:    上雲樂

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

白水 (京畿道 同州 白水)   

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

 

 

上雲樂#1

(老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのであるに擬してこの詩を作った。)

金天之西,白日所沒。

西域極遠の地たる金天の西は、太陽の没するところである。

康老胡雛,生彼月窟。

それは、音に名高き老いたる胡人の文康といふもの、即ち月窟に於いて生れたものである。

巉巖容儀,戌削風骨。

その容貌は、いかにも丈嵩、その風骨は、すっきりと痩せて居る。

碧玉炅炅雙目瞳,黃金拳拳兩鬢紅。

それから、その両の目は、皎皎たる碧玉の如くして光があるし、その両の鬢は、黄ばんで縮れて居て、稍々赤みがかって見える。

(上雲樂)#1

金天の西,白日の沒する所。

康老 胡雛,彼の月窟に生ず。

巉巖の容儀,戌削の風骨。

碧玉 炅炅たり 雙目の瞳,黃金 拳拳たり 兩鬢の紅。

#2

華蓋垂下睫,嵩嶽臨上脣。

眉毛は長くして、下、目を覆い、鼻は大きくして、唇の上の方に壓している。

不睹詭譎貌,豈知造化神。

まことに、奇怪至極の姿をして居るので、これを見なければ、造化の神明を知ることはできない。

大道是文康之嚴父,元氣乃文康之老親。

彼、文康は、天地とともに生れたもので、絶封悠久の「道徳を父と爲し、神明を母となす」とする大道は、その父であるし、生生発展の根本たる宇宙の元気は、その母であるとした。

撫頂弄盤古,推車轉天輪。

かくて、彼は盤古をも小児扱いにし、その頭を撫でさすり、車輪に比すべき天地をも勝手にころばせるというのである。

#2

華蓋は下睫に垂れ,嵩嶽は上脣に臨む。

詭譎の貌を睹ずんば,豈に知んや 造化の神。

大道は是れ文康の嚴父,元氣は乃ち文康の老親。

頂を撫して 盤古を弄し,車を推して天輪を轉ず。
#3

云見日月初生時,鑄冶火精與水銀。

おもへば、日月が始めて生ずる時、造化は火精と水銀とを錬り上げ、火精が日となり、水銀が月と成ったのであるが、

陽烏未出谷,顧兔半藏身。

その太陽が、まだ東方の暘谷を出です、月もなかば其身をかくし、つまり、日月ができかかった「厥」初期段階である。

女媧戲黃土,團作愚下人。

まだ宇宙に出現していない時にあたって、女媧は人類を造り出そうというので、黄土を丸めて、凡愚な人もつくったのである。

散在六合間,濛濛若沙塵。

宇宙観からすれば、これ等の人類は、天地六合の間に散らばって居て、恰も濛々として塵埃となっているということなのである。

云【ここ】に見る 日月初めて生ずるの時,鑄冶す 火精と水銀と。

陽烏 未だ谷を出ず,顧兔 半ば身を藏す。

女媧 黃土に戲れ,團して 愚下の人と作る。

散じて 六合の間に在り,濛濛として 沙塵の若し。

#4

生死了不盡,誰明此胡是仙真。

しかも、この人類は、生きたり死んだり、終始展轉して居るが、終始転々としている。この文康といふ胡人が、天地と共に生れた眞正の仙人であるということを知っているものもいなかった位だったのである。

西海栽若木,東溟植扶桑。

しかし、その文康は日の沈む西海に若木を栽え、日の上る東海に扶桑を植えた。

別來幾多時,枝葉萬里長。

この二木の間を毎日太陽が度って行くようになり、彼が一度、別れてより、若木も、扶桑も、だんだん大きくなって、その枝葉は、萬里を覆う位になった。

中國有七聖,半路洪荒。

それで、ここに、我が大唐は、中国に君とし、高祖より玄宗に至るまで、七代の聖君を経由、半途にして、世紀後半から8世紀前半にかけて後宮から発生した政乱「武韋の禍」、恰も太古鴻荒の世に逆戻りをしたようであつた。

生死 了に盡きず,誰か明かにせん 此の胡は是れ仙真なるを。

西海には 若木を栽え,東溟には扶桑を植う。

別來 幾多の時ぞ,枝葉 萬里長し。

中國に七聖有り,半路 洪荒を

#5

陛下應運起,龍飛入咸陽。

今の天子は、運に乗じて起ち、やがて龍駕は、長安、すなわち、咸陽で天下統一がなされたように、入られ、「武韋の禍」を沈めて開元の治みちびかれた。

赤眉立盆子,白水興漢光。

かくて、王莽の簒奪と同じような韋皇后は、武則天に倣い政権を掌握すべく中宗を毒殺した。丁度、赤眉の賊が劉金子を立てたようなもので、天子が快復に専念なされるのは、後漢の光武が白水から勃興したるに比すべく、天下は安寧し、「開元の治」といわれるほどの唐王朝の繁栄を迎えたのである。

叱吒四海動,洪濤為簸揚。

されば、天子、一度、叱咤すれば、四海の水が動揺して、大きな波が簸って揚がるが如く、天下は忽ち震動し、寰宇が一洗された。

舉足踏紫微,天關自開張。

かくて、いよいよ天子の位を臨んで中外に耽命すれば、遠い處の關塞まで、ことごとく開通し、出入も自由で、又これを閉じで守るようなるようなことはない時代にされたのである。

陛下 運に應じて起ち,龍飛 咸陽に入る。

赤眉 盆子を立てて,白水 漢光を興す。

叱吒すれば 四海動き,洪濤すれば 簸揚為にす。

足を舉げて紫微を踏み,天關 自ら開張。

 

#6

老胡感至德,東來進仙倡。

唐の隆盛の気運は、かくの如くであるから、老胡の文康は、その至徳に感じて、西域より東方にきたのであり、種種の樂舞中に神仙的な藝人に扮する仙倡を進めたのである。

五色師子,九苞鳳凰。

そして、それに加え舞楽の中心的存在の“五色獅子だの”、“九苞の鳳凰”だのを連 れてきた。

是老胡雞犬,鳴舞飛帝

この獅子や鳳凰は、取りも直さず、老胡の鶏犬とも称すべきもので、それが都にきて、天子の御前で雅楽を鳴らし、舞をなした。

淋漓颯沓,進退成行。

それは、淋漓颯沓として、往ったり来たり、めぐったり、進退自然に行をなし、まこと見事なものであったのである。

老胡 至德に感じ,東に來って仙倡を進む。

五色の師子,九苞の鳳凰。

是れ老胡の雞犬,鳴舞して帝に飛ぶ。

淋漓 颯沓,進退 行を成す。
#7

能胡歌,獻漢酒。

かくて文康はまた巧みに胡歌を唱和して、漢の酒を献上しようとした。

跪雙膝,立兩肘,散花指天舉素手。

そして、兩の膝をひざまずき、兩の肘をはって、天子の御前に畏まり、ひとたび白い手を挙げて、天をさせば、花は天より繽紛として、雨の如く降りしきり、さながら極欒浄土を眼前に幻出したようになったのである。

拜龍顏,獻聖壽。

然る後に天子の御尊顔を拝し、謹んで壽を献上いたします。

北斗戾,南山摧。

祝して申し上げるには、北斗も曲がるべく、南山もくだけるべく程のことであります。

天子九九八十一萬長傾萬杯。

かかるものは、到底、相い比するに足らず、天子は、九九、八十一萬歳の壽を保たるべく、どうか、私が差し上げる、この萬歳の杯を傾けて下さいと申しあげたのである。

胡歌を能くし,漢酒を獻ず。

雙膝を跪まずき,兩肘を立べ,散花 天を指して素手を舉ぐ。

龍顏を拜し,聖壽を獻ず。

北斗戾り,南山摧く。

天子 九九八十一の萬長傾せよ 萬杯。

 

 

『上雲樂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

能胡歌,獻漢酒。

跪雙膝,立兩肘,散花指天舉素手。

拜龍顏,獻聖壽。

北斗戾,南山摧。

天子九九八十一萬,長傾萬

(下し文)
胡歌を能くし,漢酒を獻ず。

雙膝を跪まずき,兩肘を立べ,散花 天を指して素手を舉ぐ。

龍顏を拜し,聖壽を獻ず。

北斗戾り,南山摧く。

天子 九九八十一の萬,長傾せよ 萬の杯

(現代語訳)
#7

かくて文康はまた巧みに胡歌を唱和して、漢の酒を献上しようとした。

そして、兩の膝をひざまずき、兩の肘をはって、天子の御前に畏まり、ひとたび白い手を挙げて、天をさせば、花は天より繽紛として、雨の如く降りしきり、さながら極欒浄土を眼前に幻出したようになったのである。

然る後に天子の御尊顔を拝し、謹んで壽を献上いたします。

祝して申し上げるには、北斗も曲がるべく、南山もくだけるべく程のことであります。

かかるものは、到底、相い比するに足らず、天子は、九九、八十一萬歳の壽を保たるべく、どうか、私が差し上げる、この萬歳の杯を傾けて下さいと申しあげたのである。


(訳注) #7

上雲樂

(老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのであるに擬してこの詩を作った。)

李白の詩文力を確かめるために作らされた作品であろうと思う、玄宗の目にかなうと判断された作品の一つである。従来、安禄山の乱後の作品として紹介されている訳注本もあるが、それは間違い。

原註に「老胡文康辭、或云范雲及周捨所作、今擬之」とある。胡震亨の説に「梁の武帝、上雲樂を製し、西方の老胡文康、上古より生きるもの設け、青眼高鼻、白髪、孔雀鳳凰、白鹿を導弄し、梁朝を慕って来遊伏拝し、千歳の壽を祝す。周捨、これが詞を爲す。太白の擬作、周捨の本詞にくらべれば、肆を加う、而して、龍飛咸陽の数語、又、この胡、肅宗の朝に遊ぶと謂うものに似たり。亦たおのおのその時に従って、一代の俳樂を備うるのみ」とある

周捨《上雲樂》〈老胡文康辭〉

西方老胡,厥名文康。遨遨六合,傲誕三皇。西觀濛汜,東戲扶桑。南泛大蒙之海,北至無通之。昔與若士為友,共弄彭祖扶床。往年暫到昆侖,複瑤池舉觴。周帝迎以上席,王母贈以玉漿。故乃壽如南山,志若金剛。青眼眢眢,白髮長長。蛾眉臨髭,高鼻垂口。非直能俳,又善飲酒。簫管鳴前,門徒從後。濟濟翼翼,各有分部。鳳皇是老胡家雞,師子是老胡家狗。陛下撥亂反正,再朗三光。澤與雨施,化與風翔。覘雲候呂,志游大樑。重駟修路,始屆帝。伏拜金闕,仰瞻玉堂。從者小子,羅列成行。悉知廉節,皆識義方。歌管愔愔,鏗鼓鏘鏘。響震鈞天,聲若鵷皇。前卻中規矩,進退得宮商。舉技無不佳,胡舞最所長。老胡寄篋中,複有奇樂章。齎持數萬里,原以奉聖皇。乃欲次第,老耄多所忘。但願明陛下,壽千萬,歡樂未渠央

李白は、上記に擬してこの詩を作った。

老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのである。

周捨 469年~524年〕字は升逸,汝南の安城の」人,周顒の子である。宋明帝の泰始五年に生れ,梁武帝普通五年に卒した,年五十六であった。幼いころから聰穎。既に長ず,博學に多く通ず,尤の義理に精ず。善く誦書し,背文し、諷,音韻に清辯した。起家齊太學博士。梁武帝時,拜尚書祠部郎。禮儀損益,多自捨出。歷遷太子右衛率。雖居職屢徙,而常留省。預機密二十余年,稱賢相。性儉素如布衣。以右驍衛將軍知詹事卒,謚簡子。捨著有文集二十卷,(《隋書志》及《兩唐書志》)行於世

 

能胡歌,獻漢酒。

かくて文康はまた巧みに胡歌を唱和して、漢の酒を献上しようとした。

 

跪雙膝,立兩肘,散花指天舉素手。

そして、兩の膝をひざまずき、兩の肘をはって、天子の御前に畏まり、ひとたび白い手を挙げて、天をさせば、花は天より繽紛として、雨の如く降りしきり、さながら極欒浄土を眼前に幻出したようになったのである。

【1】   散花 《維摩詰經》 「會中、有一天女,見諸大人,聞所法,便現其身,即以天花散諸菩薩,悉皆墮落,至大弟子,便著不墜。一切弟子皆神力去華,而不能令去。」

 

拜龍顏,獻聖壽。

然る後に天子の御尊顔を拝し、謹んで壽を献上いたします。

【2】    龍顏 玄宗のお顔。

 

北斗戾,南山摧。

祝して申し上げるには、北斗も曲がるべく、南山もくだけるべく程のことであります。

【3】    戾 曲がる。

 

天子九九八十一萬長傾萬杯。

かかるものは、到底、相い比するに足らず、天子は、九九、八十一萬歳の壽を保たるべく、どうか、私が差し上げる、この萬歳の杯を傾けて下さいと申しあげたのである。

李白333-#6 《巻二25-上雲樂》 333-#6Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(19) <李白333-#6> Ⅰ李白詩1654 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6818

李白  上雲樂#6   

老胡感至德,東來進仙倡。五色師子,九苞鳳凰。是老胡雞犬,鳴舞飛帝淋漓颯沓,進退成行。

唐の隆盛の気運は、かくの如くであるから、老胡の文康は、その至徳に感じて、西域より東方にきたのであり、種種の樂舞中に神仙的な藝人に扮する仙倡を進めたのである。

そして、それに加え舞楽の中心的存在の“五色獅子だの”、“九苞の鳳凰”だのを連 れてきた。

この獅子や鳳凰は、取りも直さず、老胡の鶏犬とも称すべきもので、それが都にきて、天子の御前で雅楽を鳴らし、舞をなした。

それは、淋漓颯沓として、往ったり来たり、めぐったり、進退自然に行をなし、まこと見事なものであったのである。

李白333-#6 《巻二25-上雲樂》 333-#6Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-19) <李白333-#6> Ⅰ李白詩1654 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6818

 

 
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詩題:    上雲樂

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點: 咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

 白水 (京畿道 同州 白水)   

 終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

 

 

上雲樂#1

(老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのであるに擬してこの詩を作った。)

金天之西,白日所沒。

西域極遠の地たる金天の西は、太陽の没するところである。

康老胡雛,生彼月窟。

それは、音に名高き老いたる胡人の文康といふもの、即ち月窟に於いて生れたものである。

巉巖容儀,戌削風骨。

その容貌は、いかにも丈嵩、その風骨は、すっきりと痩せて居る。

碧玉炅炅雙目瞳,黃金拳拳兩鬢紅。

それから、その両の目は、皎皎たる碧玉の如くして光があるし、その両の鬢は、黄ばんで縮れて居て、稍々赤みがかって見える。

(上雲樂)#1

金天の西,白日の沒する所。

康老 胡雛,彼の月窟に生ず。

巉巖の容儀,戌削の風骨。

碧玉 炅炅たり 雙目の瞳,黃金 拳拳たり 兩鬢の紅。

#2

華蓋垂下睫,嵩嶽臨上脣。

眉毛は長くして、下、目を覆い、鼻は大きくして、唇の上の方に壓している。

不睹詭譎貌,豈知造化神。

まことに、奇怪至極の姿をして居るので、これを見なければ、造化の神明を知ることはできない。

大道是文康之嚴父,元氣乃文康之老親。

彼、文康は、天地とともに生れたもので、絶封悠久の「道徳を父と爲し、神明を母となす」とする大道は、その父であるし、生生発展の根本たる宇宙の元気は、その母であるとした。

撫頂弄盤古,推車轉天輪。

かくて、彼は盤古をも小児扱いにし、その頭を撫でさすり、車輪に比すべき天地をも勝手にころばせるというのである。

#2

華蓋は下睫に垂れ,嵩嶽は上脣に臨む。

詭譎の貌を睹ずんば,豈に知んや 造化の神。

大道は是れ文康の嚴父,元氣は乃ち文康の老親。

頂を撫して 盤古を弄し,車を推して天輪を轉ず。
#3

云見日月初生時,鑄冶火精與水銀。

おもへば、日月が始めて生ずる時、造化は火精と水銀とを錬り上げ、火精が日となり、水銀が月と成ったのであるが、

陽烏未出谷,顧兔半藏身。

その太陽が、まだ東方の暘谷を出です、月もなかば其身をかくし、つまり、日月ができかかった「厥」初期段階である。

女媧戲黃土,團作愚下人。

まだ宇宙に出現していない時にあたって、女媧は人類を造り出そうというので、黄土を丸めて、凡愚な人もつくったのである。

散在六合間,濛濛若沙塵。

宇宙観からすれば、これ等の人類は、天地六合の間に散らばって居て、恰も濛々として塵埃となっているということなのである。

云【ここ】に見る 日月初めて生ずるの時,鑄冶す 火精と水銀と。

陽烏 未だ谷を出ず,顧兔 半ば身を藏す。

女媧 黃土に戲れ,團して 愚下の人と作る。

散じて 六合の間に在り,濛濛として 沙塵の若し。

#4

生死了不盡,誰明此胡是仙真。

しかも、この人類は、生きたり死んだり、終始展轉して居るが、終始転々としている。この文康といふ胡人が、天地と共に生れた眞正の仙人であるということを知っているものもいなかった位だったのである。

西海栽若木,東溟植扶桑。

しかし、その文康は日の沈む西海に若木を栽え、日の上る東海に扶桑を植えた。

別來幾多時,枝葉萬里長。

この二木の間を毎日太陽が度って行くようになり、彼が一度、別れてより、若木も、扶桑も、だんだん大きくなって、その枝葉は、萬里を覆う位になった。

中國有七聖,半路洪荒。

それで、ここに、我が大唐は、中国に君とし、高祖より玄宗に至るまで、七代の聖君を経由、半途にして、世紀後半から8世紀前半にかけて後宮から発生した政乱「武韋の禍」、恰も太古鴻荒の世に逆戻りをしたようであつた。

生死 了に盡きず,誰か明かにせん 此の胡は是れ仙真なるを。

西海には 若木を栽え,東溟には扶桑を植う。

別來 幾多の時ぞ,枝葉 萬里長し。

中國に七聖有り,半路 洪荒を

#5

陛下應運起,龍飛入咸陽。

今の天子は、運に乗じて起ち、やがて龍駕は、長安、すなわち、咸陽で天下統一がなされたように、入られ、「武韋の禍」を沈めて開元の治みちびかれた。

赤眉立盆子,白水興漢光。

かくて、王莽の簒奪と同じような韋皇后は、武則天に倣い政権を掌握すべく中宗を毒殺した。丁度、赤眉の賊が劉金子を立てたようなもので、天子が快復に専念なされるのは、後漢の光武が白水から勃興したるに比すべく、天下は安寧し、「開元の治」といわれるほどの唐王朝の繁栄を迎えたのである。

叱吒四海動,洪濤為簸揚。

されば、天子、一度、叱咤すれば、四海の水が動揺して、大きな波が簸って揚がるが如く、天下は忽ち震動し、寰宇が一洗された。

舉足踏紫微,天關自開張。

かくて、いよいよ天子の位を臨んで中外に耽命すれば、遠い處の關塞まで、ことごとく開通し、出入も自由で、又これを閉じで守るようなるようなことはない時代にされたのである。

陛下 運に應じて起ち,龍飛 咸陽に入る。

赤眉 盆子を立てて,白水 漢光を興す。

叱吒すれば 四海動き,洪濤すれば 簸揚為にす。

足を舉げて紫微を踏み,天關 自ら開張。

 

#6

老胡感至德,東來進仙倡。

唐の隆盛の気運は、かくの如くであるから、老胡の文康は、その至徳に感じて、西域より東方にきたのであり、種種の樂舞中に神仙的な藝人に扮する仙倡を進めたのである。

五色師子,九苞鳳凰。

そして、それに加え舞楽の中心的存在の“五色獅子だの”、“九苞の鳳凰”だのを連 れてきた。

是老胡雞犬,鳴舞飛帝

この獅子や鳳凰は、取りも直さず、老胡の鶏犬とも称すべきもので、それが都にきて、天子の御前で雅楽を鳴らし、舞をなした。

淋漓颯沓,進退成行。

それは、淋漓颯沓として、往ったり来たり、めぐったり、進退自然に行をなし、まこと見事なものであったのである。

老胡 至德に感じ,東に來って仙倡を進む。

五色の師子,九苞の鳳凰。

是れ老胡の雞犬,鳴舞して帝に飛ぶ。

淋漓 颯沓,進退 行を成す。
#7

能胡歌,獻漢酒。

跪雙膝,立兩肘,散花指天舉素手。

拜龍顏,獻聖壽。

北斗戾,南山摧。

天子九九八十一萬長傾萬杯。

胡歌を能くし,漢酒を獻ず。

雙膝を跪まずき,兩肘を立べ,散花 天を指して素手を舉ぐ。

龍顏を拜し,聖壽を獻ず。

北斗戾り,南山摧く。

天子 九九八十一の萬長傾せよ 萬杯。

 

 

『上雲樂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

老胡感至德,東來進仙倡。

五色師子,九苞鳳凰。

是老胡雞犬,鳴舞飛帝

淋漓颯沓,進退成行。

(下し文)
#6

老胡 至德に感じ,東に來って仙倡を進む。

五色の師子,九苞の鳳凰。

是れ老胡の雞犬,鳴舞して帝に飛ぶ。

淋漓 颯沓,進退 行を成す。


(現代語訳)
#6

唐の隆盛の気運は、かくの如くであるから、老胡の文康は、その至徳に感じて、西域より東方にきたのであり、種種の樂舞中に神仙的な藝人に扮する仙倡を進めたのである。

そして、それに加え舞楽の中心的存在の“五色獅子だの”、“九苞の鳳凰”だのを連 れてきた。

この獅子や鳳凰は、取りも直さず、老胡の鶏犬とも称すべきもので、それが都にきて、天子の御前で雅楽を鳴らし、舞をなした。

それは、淋漓颯沓として、往ったり来たり、めぐったり、進退自然に行をなし、まこと見事なものであったのである。


(訳注) #6

上雲樂

(老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのであるに擬してこの詩を作った。)

 

原註に「老胡文康辭、或云范雲及周捨所作、今擬之」とある。胡震亨の説に「梁の武帝、上雲樂を製し、西方の老胡文康、上古より生きるもの設け、青眼高鼻、白髪、孔雀鳳凰、白鹿を導弄し、梁朝を慕って来遊伏拝し、千歳の壽を祝す。周捨、これが詞を爲す。太白の擬作、周捨の本詞にくらべれば、肆を加う、而して、龍飛咸陽の数語、又、この胡、肅宗の朝に遊ぶと謂うものに似たり。亦たおのおのその時に従って、一代の俳樂を備うるのみ」とある

周捨《上雲樂》〈老胡文康辭〉

西方老胡,厥名文康。遨遨六合,傲誕三皇。西觀濛汜,東戲扶桑。南泛大蒙之海,北至無通之。昔與若士為友,共弄彭祖扶床。往年暫到昆侖,複瑤池舉觴。周帝迎以上席,王母贈以玉漿。故乃壽如南山,志若金剛。青眼眢眢,白髮長長。蛾眉臨髭,高鼻垂口。非直能俳,又善飲酒。簫管鳴前,門徒從後。濟濟翼翼,各有分部。鳳皇是老胡家雞,師子是老胡家狗。陛下撥亂反正,再朗三光。澤與雨施,化與風翔。覘雲候呂,志游大樑。重駟修路,始屆帝。伏拜金闕,仰瞻玉堂。從者小子,羅列成行。悉知廉節,皆識義方。歌管愔愔,鏗鼓鏘鏘。響震鈞天,聲若鵷皇。前卻中規矩,進退得宮商。舉技無不佳,胡舞最所長。老胡寄篋中,複有奇樂章。齎持數萬里,原以奉聖皇。乃欲次第,老耄多所忘。但願明陛下,壽千萬,歡樂未渠央

李白は、上記に擬してこの詩を作った。

老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのである。

周捨 469年~524年〕字は升逸,汝南の安城の」人,周顒の子である。宋明帝の泰始五年に生れ,梁武帝普通五年に卒した,年五十六であった。幼いころから聰穎。既に長ず,博學に多く通ず,尤の義理に精ず。善く誦書し,背文し、諷,音韻に清辯した。起家齊太學博士。梁武帝時,拜尚書祠部郎。禮儀損益,多自捨出。歷遷太子右衛率。雖居職屢徙,而常留省。預機密二十余年,稱賢相。性儉素如布衣。以右驍衛將軍知詹事卒,謚簡子。捨著有文集二十卷,(《隋書志》及《兩唐書志》)行於世

 

老胡感至德,東來進仙倡。

唐の隆盛の気運は、かくの如くであるから、老胡の文康は、その至徳に感じて、西域より東方にきたのであり、種種の樂舞中に神仙的な藝人に扮する仙倡を進めたのである。

【1】   仙倡 古代において樂舞中に神仙的な藝人に扮するもののことをいう。 倡は歌舞藝人の古稱である。様様に扮装して戯をなし仙倡の輩をいう。《文選張衡<西京賦>》「總會仙倡, 戲豹舞羆。」 にみえ、 薛綜の注に 「仙倡, 偽作假形, 謂如神也。」(仙倡は、偽って假形を作し、神のごときをいう。)とある。

 

五色師子,九苞鳳凰。

そして、それに加え舞楽の中心的存在の“五色獅子だの”、“九苞の鳳凰”だのを連 れてきた。

【2】   五色獅子 傳中の五色獅子をいうが、百獸王であり、トラをも食べるという、最も強いものであるそれがあって、舞の源流、中心的なものとなっている。

【3】   九苞鳳凰 山海経に「丹穴の山、鳥あり、状、鶴の如く、五色にして文あり、名づけて、九苞鳳といふ。見るるときは、天下安寧」とあり、論語摘衰に「聖鳳に九苞あ。九苞とは、-に曰く、口・命を包む、二に曰く、心、度に合す、三た曰く、耳、聴達、四に日く、舌、詘伸、五にいわく、彩、光色、六に曰く、冠、矩朱、七に日く、距、鋭鉤、八に曰く、音、激揚、九に曰く、腹、文戸」つまり鳳凰の中でも、特に優れたもので、九つの特徴を備えているものと見える。 

 

是老胡雞犬,鳴舞飛帝

この獅子や鳳凰は、取りも直さず、老胡の鶏犬とも称すべきもので、それが都にきて、天子の御前で雅楽を鳴らし、舞をなした。

 

淋漓颯沓,進退成行。

それは、淋漓颯沓として、往ったり来たり、めぐったり、進退自然に行をなし、まこと見事なものであったのである。

【4】   颯沓 盤旋のかたちになるのも。竜巻。

李白333-#5 《巻二25-上雲樂》 333-#5Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(14) <李白333-#5> Ⅰ李白詩1653 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6813

李白  上雲樂#5

陛下應運起,龍飛入咸陽。赤眉立盆子,白水興漢光。

叱吒四海動,洪濤為簸揚。舉足踏紫微,天關自開張。

今の天子は、運に乗じて起ち、やがて龍駕は、長安、すなわち、咸陽で天下統一がなされたように、入られ、「武韋の禍」を沈めて開元の治みちびかれた。かくて、王莽の簒奪と同じような韋皇后は、武則天に倣い政権を掌握すべく中宗を毒殺した。丁度、赤眉の賊が劉金子を立てたようなもので、天子が快復に専念なされるのは、後漢の光武が白水から勃興したるに比すべく、天下は安寧し、「開元の治」といわれるほどの唐王朝の繁栄を迎えたのである。されば、天子、一度、叱咤すれば、四海の水が動揺して、大きな波が簸って揚がるが如く、天下は忽ち震動し、寰宇が一洗された。かくて、いよいよ天子の位を臨んで中外に耽命すれば、遠い處の關塞まで、ことごとく開通し、出入も自由で、又これを閉じで守るようなるようなことはない時代にされたのである。

李白333-#5 《巻二25-上雲樂》 333-#5Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-14) <李白333-#5> Ⅰ李白詩1653 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6813

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-14

卷別:    卷一六二              文體:    樂府

詩題:    上雲樂

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

白水 (京畿道 同州 白水)   

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

 

 

上雲樂#1

(老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのであるに擬してこの詩を作った。)

金天之西,白日所沒。

西域極遠の地たる金天の西は、太陽の没するところである。

康老胡雛,生彼月窟。

それは、音に名高き老いたる胡人の文康といふもの、即ち月窟に於いて生れたものである。

巉巖容儀,戌削風骨。

その容貌は、いかにも丈嵩、その風骨は、すっきりと痩せて居る。

碧玉炅炅雙目瞳,黃金拳拳兩鬢紅。

それから、その両の目は、皎皎たる碧玉の如くして光があるし、その両の鬢は、黄ばんで縮れて居て、稍々赤みがかって見える。

(上雲樂)#1

金天の西,白日の沒する所。

康老 胡雛,彼の月窟に生ず。

巉巖の容儀,戌削の風骨。

碧玉 炅炅たり 雙目の瞳,黃金 拳拳たり 兩鬢の紅。

#2

華蓋垂下睫,嵩嶽臨上脣。

眉毛は長くして、下、目を覆い、鼻は大きくして、唇の上の方に壓している。

不睹詭譎貌,豈知造化神。

まことに、奇怪至極の姿をして居るので、これを見なければ、造化の神明を知ることはできない。

大道是文康之嚴父,元氣乃文康之老親。

彼、文康は、天地とともに生れたもので、絶封悠久の「道徳を父と爲し、神明を母となす」とする大道は、その父であるし、生生発展の根本たる宇宙の元気は、その母であるとした。

撫頂弄盤古,推車轉天輪。

かくて、彼は盤古をも小児扱いにし、その頭を撫でさすり、車輪に比すべき天地をも勝手にころばせるというのである。

#2

華蓋は下睫に垂れ,嵩嶽は上脣に臨む。

詭譎の貌を睹ずんば,豈に知んや 造化の神。

大道は是れ文康の嚴父,元氣は乃ち文康の老親。

頂を撫して 盤古を弄し,車を推して天輪を轉ず。
#3

云見日月初生時,鑄冶火精與水銀。

おもへば、日月が始めて生ずる時、造化は火精と水銀とを錬り上げ、火精が日となり、水銀が月と成ったのであるが、

陽烏未出谷,顧兔半藏身。

その太陽が、まだ東方の暘谷を出です、月もなかば其身をかくし、つまり、日月ができかかった「厥」初期段階である。

女媧戲黃土,團作愚下人。

まだ宇宙に出現していない時にあたって、女媧は人類を造り出そうというので、黄土を丸めて、凡愚な人もつくったのである。

散在六合間,濛濛若沙塵。

宇宙観からすれば、これ等の人類は、天地六合の間に散らばって居て、恰も濛々として塵埃となっているということなのである。

云【ここ】に見る 日月初めて生ずるの時,鑄冶す 火精と水銀と。

陽烏 未だ谷を出ず,顧兔 半ば身を藏す。

女媧 黃土に戲れ,團して 愚下の人と作る。

散じて 六合の間に在り,濛濛として 沙塵の若し。

#4

生死了不盡,誰明此胡是仙真。

しかも、この人類は、生きたり死んだり、終始展轉して居るが、終始転々としている。この文康といふ胡人が、天地と共に生れた眞正の仙人であるということを知っているものもいなかった位だったのである。

西海栽若木,東溟植扶桑。

しかし、その文康は日の沈む西海に若木を栽え、日の上る東海に扶桑を植えた。

別來幾多時,枝葉萬里長。

この二木の間を毎日太陽が度って行くようになり、彼が一度、別れてより、若木も、扶桑も、だんだん大きくなって、その枝葉は、萬里を覆う位になった。

中國有七聖,半路洪荒。

それで、ここに、我が大唐は、中国に君とし、高祖より玄宗に至るまで、七代の聖君を経由、半途にして、世紀後半から8世紀前半にかけて後宮から発生した政乱「武韋の禍」、恰も太古鴻荒の世に逆戻りをしたようであつた。

生死 了に盡きず,誰か明かにせん 此の胡は是れ仙真なるを。

西海には 若木を栽え,東溟には扶桑を植う。

別來 幾多の時ぞ,枝葉 萬里長し。

中國に七聖有り,半路 洪荒を

#5

陛下應運起,龍飛入咸陽。

赤眉立盆子,白水興漢光。

叱吒四海動,洪濤為簸揚。

舉足踏紫微,天關自開張。

今の天子は、運に乗じて起ち、やがて龍駕は、長安、すなわち、咸陽で天下統一がなされたように、入られ、「武韋の禍」を沈めて開元の治みちびかれた。

かくて、王莽の簒奪と同じような韋皇后は、武則天に倣い政権を掌握すべく中宗を毒殺した。丁度、赤眉の賊が劉金子を立てたようなもので、天子が快復に専念なされるのは、後漢の光武が白水から勃興したるに比すべく、天下は安寧し、「開元の治」といわれるほどの唐王朝の繁栄を迎えたのである。

されば、天子、一度、叱咤すれば、四海の水が動揺して、大きな波が簸って揚がるが如く、天下は忽ち震動し、寰宇が一洗された。

かくて、いよいよ天子の位を臨んで中外に耽命すれば、遠い處の關塞まで、ことごとく開通し、出入も自由で、又これを閉じで守るようなるようなことはない時代にされたのである。

陛下 運に應じて起ち,龍飛 咸陽に入る。

赤眉 盆子を立てて,白水 漢光を興す。

叱吒すれば 四海動き,洪濤すれば 簸揚為にす。

足を舉げて紫微を踏み,天關 自ら開張。

 

『上雲樂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

陛下應運起,龍飛入咸陽。

赤眉立盆子,白水興漢光。

叱吒四海動,洪濤為簸揚。

舉足踏紫微,天關自開張。

(下し文)
#5

陛下 運に應じて起ち,龍飛 咸陽に入る。

赤眉 盆子を立てて,白水 漢光を興す。

叱吒すれば 四海動き,洪濤すれば 簸揚為にす。

足を舉げて紫微を踏み,天關 自ら開張。

(現代語訳)
#5

今の天子は、運に乗じて起ち、やがて龍駕は、長安、すなわち、咸陽で天下統一がなされたように、入られ、「武韋の禍」を沈めて開元の治みちびかれた。

かくて、王莽の簒奪と同じような韋皇后は、武則天に倣い政権を掌握すべく中宗を毒殺した。丁度、赤眉の賊が劉金子を立てたようなもので、天子が快復に専念なされるのは、後漢の光武が白水から勃興したるに比すべく、天下は安寧し、「開元の治」といわれるほどの唐王朝の繁栄を迎えたのである。

されば、天子、一度、叱咤すれば、四海の水が動揺して、大きな波が簸って揚がるが如く、天下は忽ち震動し、寰宇が一洗された。

かくて、いよいよ天子の位を臨んで中外に耽命すれば、遠い處の關塞まで、ことごとく開通し、出入も自由で、又これを閉じで守るようなるようなことはない時代にされたのである。


(訳注) #5

上雲樂#1

(老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのであるに擬してこの詩を作った。)

 

原註に「老胡文康辭、或云范雲及周捨所作、今擬之」とある。胡震亨の説に「梁の武帝、上雲樂を製し、西方の老胡文康、上古より生きるもの設け、青眼高鼻、白髪、孔雀鳳凰、白鹿を導弄し、梁朝を慕って来遊伏拝し、千歳の壽を祝す。周捨、これが詞を爲す。太白の擬作、周捨の本詞にくらべれば、肆を加う、而して、龍飛咸陽の数語、又、この胡、肅宗の朝に遊ぶと謂うものに似たり。亦たおのおのその時に従って、一代の俳樂を備うるのみ」とある

周捨《上雲樂》〈老胡文康辭〉

西方老胡,厥名文康。遨遨六合,傲誕三皇。西觀濛汜,東戲扶桑。南泛大蒙之海,北至無通之。昔與若士為友,共弄彭祖扶床。往年暫到昆侖,複瑤池舉觴。周帝迎以上席,王母贈以玉漿。故乃壽如南山,志若金剛。青眼眢眢,白髮長長。蛾眉臨髭,高鼻垂口。非直能俳,又善飲酒。簫管鳴前,門徒從後。濟濟翼翼,各有分部。鳳皇是老胡家雞,師子是老胡家狗。陛下撥亂反正,再朗三光。澤與雨施,化與風翔。覘雲候呂,志游大樑。重駟修路,始屆帝。伏拜金闕,仰瞻玉堂。從者小子,羅列成行。悉知廉節,皆識義方。歌管愔愔,鏗鼓鏘鏘。響震鈞天,聲若鵷皇。前卻中規矩,進退得宮商。舉技無不佳,胡舞最所長。老胡寄篋中,複有奇樂章。齎持數萬里,原以奉聖皇。乃欲次第,老耄多所忘。但願明陛下,壽千萬,歡樂未渠央

李白は、上記に擬してこの詩を作った。

老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのである。

周捨 469年~524年〕字は升逸,汝南の安城の」人,周顒の子である。宋明帝の泰始五年に生れ,梁武帝普通五年に卒した,年五十六であった。幼いころから聰穎。既に長ず,博學に多く通ず,尤の義理に精ず。善く誦書し,背文し、諷,音韻に清辯した。起家齊太學博士。梁武帝時,拜尚書祠部郎。禮儀損益,多自捨出。歷遷太子右衛率。雖居職屢徙,而常留省。預機密二十余年,稱賢相。性儉素如布衣。以右驍衛將軍知詹事卒,謚簡子。捨著有文集二十卷,(《隋書志》及《兩唐書志》)行於世

 

陛下應運起,龍飛入咸陽。

今の天子は、運に乗じて起ち、やがて龍駕は、長安、すなわち、咸陽で天下統一がなされたように、入られ、「武韋の禍」を沈めて開元の治みちびかれた。

【1】    陛下 玄宗、

【2】    應運起 運に乗じて起ち

【3】    龍飛 玄宗は龍にたとえられる。

◎玄宗は、睿宗の第3子として洛陽で生まれる。母は徳妃竇氏。玄宗が生まれた頃は武則天の武周時代であった。はじめは伯父である皇太子の李弘の養子となっていた。

705年、李隆基が20歳になったとき、祖母の武后が中宗に禅譲することで武周は消滅し、唐が復活したが、朝廷には隆基の叔母で武后の娘である太平公主らを初めとした武后一族の勢力が残存していた。

中宗の皇后である韋皇后は、武則天に倣い政権を掌握すべく中宗を毒殺した。韋后は代わって擁立した殤帝を傀儡とし、自らに禅譲させようと企てていた。

これに対し、隆基の従兄である皇太子・李重俊が韋后に対してクーデターを起こしたが失敗した。隆基はこれを教訓とし、太平公主と協力して韋后排除を計画、710年に計画が実行され、韋后の一族を皆殺しにした。これにより睿宗が復位、隆基はこの功により皇太子に立てられた。

隆基には、睿宗が武則天の傀儡皇帝だった時期に皇太子に立てていた長兄の李憲(成器)がいたが、李憲は弟の才能と功績を認めて皇位継承を放棄したため、皇位継承争いは生じなかった(隆基は皇帝即位後も兄に対しては常に敬意を払い、その死後には皇帝として追号(「譲皇帝」)した)。しかし隆基と太平公主との間には、主導権争いが発生する。これは712年に隆基が睿宗から譲位されたのちに太平公主を殺害し、実権を掌握したことで決着を見る。

 

赤眉立盆子,白水興漢光。

かくて、王莽の簒奪と同じような韋皇后は、武則天に倣い政権を掌握すべく中宗を毒殺した。丁度、赤眉の賊が劉金子を立てたようなもので、天子が快復に専念なされるのは、後漢の光武が白水から勃興したるに比すべく、天下は安寧し、「開元の治」といわれるほどの唐王朝の繁栄を迎えたのである。

【4】    赤眉立盆子 漢末の大農民反乱、王の乱 赤眉の乱という。眉を赤く塗ったためにこの名がある。『周礼』などに範をとった極端に復古的な王莽の政治は,豪族層の利害に反し,農民の生活をも混乱に陥れた。このため建国後各地に反乱が続出した。失政の数々や人間性の問題もあって、王莽は姦臣の代表格として看做されることが多い。呉承恩は、『西遊記』で孫悟空が暴れた時期(山に封じられるまで)を王莽の時代と設定したが、これは「暴君・王位簒奪者・偽天子が皇位にある時、天変地異が起こる」という伝承を王莽の簒奪と重ねていると見られる。

【5】    白水興漢光 王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた光武帝のこと劉秀で、新市軍は南陽の豪族の平林軍や劉縯の舂陵軍と連合し、南陽宛城を包囲した後、新皇帝を擁立すべく新市・平林軍の部将らが協議を行った。劉縯擁立の動きもあったが、実績のある有能な人物を擁立すると自らの勢力が弱体化することを恐れた新市・平林軍の部将らはこれを却下し、凡庸な人物と見做されていた劉玄が更始帝として擁立されることとなった。河内の実力者となった劉秀は部下により皇帝即位を上奏された。幽州からの凱旋途中において2度までは固辞したが、3度目の要請には「之を思わん」と返答、『赤伏符』という讖文を奏上された4度目の要請で即位を受諾し6月に即位、元号を建武とした。

 

叱吒四海動,洪濤為簸揚。

されば、天子、一度、叱咤すれば、四海の水が動揺して、大きな波が簸って揚がるが如く、天下は忽ち震動し、寰宇が一洗された。

【6】    叱吒の二句 天下震動、寰宇が一洗されたことを言う。玄宗の前半の治世は「開元の治」と称され、唐の絶頂期と評価されている。玄宗が行った政策は仏教僧達の度牒(現在に例えれば宗教法人資格)の見直し、税制改革、節度使制の導入などである。これらの玄宗初期の政策を玄宗の下で行ったのは武則天に見出された姚崇・宋璟の両宰相である。

 

舉足踏紫微,天關自開張。

かくて、いよいよ天子の位を臨んで中外に耽命すれば、遠い處の關塞まで、ことごとく開通し、出入も自由で、又これを閉じで守るようなるようなことはない時代にされたのである。

【7】    舉足踏紫微 玄宗が皇城紫微殿にふんで天子即位されたこと。

【8】   天關自開張 四遠の關塞に至るまで、ことごとく開通し、出入りを閉じで守ることをする必要がなくなる。

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李白  上雲樂#4

生死了不盡,誰明此胡是仙真。西海栽若木,東溟植扶桑。

別來幾多時,枝葉萬里長。中國有七聖,半路洪荒
しかも、この人類は、生きたり死んだり、終始展轉して居るが、終始転々としている。この文康といふ胡人が、天地と共に生れた眞正の仙人であるということを知っているものもいなかった位だったのである。しかし、その文康は日の沈む西海に若木を栽え、日の上る東海に扶桑を植えた。この二木の間を毎日太陽が度って行くようになり、彼が一度、別れてより、若木も、扶桑も、だんだん大きくなって、その枝葉は、萬里を覆う位になった。それで、ここに、我が大唐は、中国に君とし、高祖より玄宗に至るまで、七代の聖君を経由、半途にして、世紀後半から8世紀前半にかけて後宮から発生した政乱「武韋の禍」、恰も太古鴻荒の世に逆戻りをしたようであつた。

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年:743年天寶二年43歳 94-14

卷別:    卷一六二              文體:    樂府

詩題:    上雲樂

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

白水 (京畿道 同州 白水)   

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

 

 

上雲樂#1

(老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのであるに擬してこの詩を作った。)

金天之西,白日所沒。

西域極遠の地たる金天の西は、太陽の没するところである。

康老胡雛,生彼月窟。

それは、音に名高き老いたる胡人の文康といふもの、即ち月窟に於いて生れたものである。

巉巖容儀,戌削風骨。

その容貌は、いかにも丈嵩、その風骨は、すっきりと痩せて居る。

碧玉炅炅雙目瞳,黃金拳拳兩鬢紅。

それから、その両の目は、皎皎たる碧玉の如くして光があるし、その両の鬢は、黄ばんで縮れて居て、稍々赤みがかって見える。

(上雲樂)#1

金天の西,白日の沒する所。

康老 胡雛,彼の月窟に生ず。

巉巖の容儀,戌削の風骨。

碧玉 炅炅たり 雙目の瞳,黃金 拳拳たり 兩鬢の紅。

#2

華蓋垂下睫,嵩嶽臨上脣。

眉毛は長くして、下、目を覆い、鼻は大きくして、唇の上の方に壓している。

不睹詭譎貌,豈知造化神。

まことに、奇怪至極の姿をして居るので、これを見なければ、造化の神明を知ることはできない。

大道是文康之嚴父,元氣乃文康之老親。

彼、文康は、天地とともに生れたもので、絶封悠久の「道徳を父と爲し、神明を母となす」とする大道は、その父であるし、生生発展の根本たる宇宙の元気は、その母であるとした。

撫頂弄盤古,推車轉天輪。

かくて、彼は盤古をも小児扱いにし、その頭を撫でさすり、車輪に比すべき天地をも勝手にころばせるというのである。

#2

華蓋は下睫に垂れ,嵩嶽は上脣に臨む。

詭譎の貌を睹ずんば,豈に知んや 造化の神。

大道は是れ文康の嚴父,元氣は乃ち文康の老親。

頂を撫して 盤古を弄し,車を推して天輪を轉ず。
#3

云見日月初生時,鑄冶火精與水銀。

おもへば、日月が始めて生ずる時、造化は火精と水銀とを錬り上げ、火精が日となり、水銀が月と成ったのであるが、

陽烏未出谷,顧兔半藏身。

その太陽が、まだ東方の暘谷を出です、月もなかば其身をかくし、つまり、日月ができかかった「厥」初期段階である。

女媧戲黃土,團作愚下人。

まだ宇宙に出現していない時にあたって、女媧は人類を造り出そうというので、黄土を丸めて、凡愚な人もつくったのである。

散在六合間,濛濛若沙塵。

宇宙観からすれば、これ等の人類は、天地六合の間に散らばって居て、恰も濛々として塵埃となっているということなのである。

云【ここ】に見る 日月初めて生ずるの時,鑄冶す 火精と水銀と。

陽烏 未だ谷を出ず,顧兔 半ば身を藏す。

女媧 黃土に戲れ,團して 愚下の人と作る。

散じて 六合の間に在り,濛濛として 沙塵の若し。

#4

生死了不盡,誰明此胡是仙真。

しかも、この人類は、生きたり死んだり、終始展轉して居るが、終始転々としている。この文康といふ胡人が、天地と共に生れた眞正の仙人であるということを知っているものもいなかった位だったのである。

西海栽若木,東溟植扶桑。

しかし、その文康は日の沈む西海に若木を栽え、日の上る東海に扶桑を植えた。

別來幾多時,枝葉萬里長。

この二木の間を毎日太陽が度って行くようになり、彼が一度、別れてより、若木も、扶桑も、だんだん大きくなって、その枝葉は、萬里を覆う位になった。

中國有七聖,半路洪荒。

それで、ここに、我が大唐は、中国に君とし、高祖より玄宗に至るまで、七代の聖君を経由、半途にして、世紀後半から8世紀前半にかけて後宮から発生した政乱「武韋の禍」、恰も太古鴻荒の世に逆戻りをしたようであつた。

生死 了に盡きず,誰か明かにせん 此の胡は是れ仙真なるを。

西海には 若木を栽え,東溟には扶桑を植う。

別來 幾多の時ぞ,枝葉 萬里長し。

中國に七聖有り,半路 洪荒を

 

 

『上雲樂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

生死了不盡,誰明此胡是仙真。

西海栽若木,東溟植扶桑。

別來幾多時,枝葉萬里長。

中國有七聖,半路洪荒

(下し文)
#4

生死 了に盡きず,誰か明かにせん 此の胡は是れ仙真なるを。

西海には 若木を栽え,東溟には扶桑を植う。

別來 幾多の時ぞ,枝葉 萬里長し。

中國に七聖有り,半路 洪荒を


(現代語訳)
#4

しかも、この人類は、生きたり死んだり、終始展轉して居るが、終始転々としている。この文康といふ胡人が、天地と共に生れた眞正の仙人であるということを知っているものもいなかった位だったのである。

しかし、その文康は日の沈む西海に若木を栽え、日の上る東海に扶桑を植えた。

この二木の間を毎日太陽が度って行くようになり、彼が一度、別れてより、若木も、扶桑も、だんだん大きくなって、その枝葉は、萬里を覆う位になった。

それで、ここに、我が大唐は、中国に君とし、高祖より玄宗に至るまで、七代の聖君を経由、半途にして、世紀後半から8世紀前半にかけて後宮から発生した政乱「武韋の禍」、恰も太古鴻荒の世に逆戻りをしたようであつた。


(訳注) #4

上雲樂#1

(老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのであるに擬してこの詩を作った。)

 

原註に「老胡文康辭、或云范雲及周捨所作、今擬之」とある。胡震亨の説に「梁の武帝、上雲樂を製し、西方の老胡文康、上古より生きるもの設け、青眼高鼻、白髪、孔雀鳳凰、白鹿を導弄し、梁朝を慕って来遊伏拝し、千歳の壽を祝す。周捨、これが詞を爲す。太白の擬作、周捨の本詞にくらべれば、肆を加う、而して、龍飛咸陽の数語、又、この胡、肅宗の朝に遊ぶと謂うものに似たり。亦たおのおのその時に従って、一代の俳樂を備うるのみ」とある

周捨《上雲樂》〈老胡文康辭〉

西方老胡,厥名文康。遨遨六合,傲誕三皇。西觀濛汜,東戲扶桑。南泛大蒙之海,北至無通之。昔與若士為友,共弄彭祖扶床。往年暫到昆侖,複瑤池舉觴。周帝迎以上席,王母贈以玉漿。故乃壽如南山,志若金剛。青眼眢眢,白髮長長。蛾眉臨髭,高鼻垂口。非直能俳,又善飲酒。簫管鳴前,門徒從後。濟濟翼翼,各有分部。鳳皇是老胡家雞,師子是老胡家狗。陛下撥亂反正,再朗三光。澤與雨施,化與風翔。覘雲候呂,志游大樑。重駟修路,始屆帝。伏拜金闕,仰瞻玉堂。從者小子,羅列成行。悉知廉節,皆識義方。歌管愔愔,鏗鼓鏘鏘。響震鈞天,聲若鵷皇。前卻中規矩,進退得宮商。舉技無不佳,胡舞最所長。老胡寄篋中,複有奇樂章。齎持數萬里,原以奉聖皇。乃欲次第,老耄多所忘。但願明陛下,壽千萬,歡樂未渠央

李白は、上記に擬してこの詩を作った。

老胡の文康が朝廷に来て、種々の戯を爲すことよりはじめ、やがて乱後の清平に及び、老胡が技を献ずるの偶然ならざるを言い、その上で、聖天子の万歳を壽したのである。

周捨 469年~524年〕字は升逸,汝南の安城の」人,周顒の子である。宋明帝の泰始五年に生れ,梁武帝普通五年に卒した,年五十六であった。幼いころから聰穎。既に長ず,博學に多く通ず,尤の義理に精ず。善く誦書し,背文し、諷,音韻に清辯した。起家齊太學博士。梁武帝時,拜尚書祠部郎。禮儀損益,多自捨出。歷遷太子右衛率。雖居職屢徙,而常留省。預機密二十余年,稱賢相。性儉素如布衣。以右驍衛將軍知詹事卒,謚簡子。捨著有文集二十卷,(《隋書志》及《兩唐書志》)行於世

 

生死了不盡,誰明此胡是仙真。

しかも、この人類は、生きたり死んだり、終始展轉して居るが、終始転々としている。この文康といふ胡人が、天地と共に生れた眞正の仙人であるということを知っているものもいなかった位だったのである。

【23】    誰明此胡 誰あろう、この文康といふ胡人が明らかにそうである。

【24】    仙真 眞正の仙人であるということ。

 

西海栽若木,東溟植扶桑。

しかし、その文康は日の沈む西海に若木を栽え、日の上る東海に扶桑を植えた。

【25】   西海栽若木 西海に若木を栽える。山海經 「灰野山,山上有一種紅顏色的樹木,青色的葉子紅色的花,名叫若木。日入處也。」灰野の山,山の上に一種の紅顏色の樹木有り,青色の葉子、紅色の花,名を若木と叫う。日入るの處なり。) 淮南子(形訓7)「若木在建木西,末有十日,其華照下地。」(若木は建木の西に在り,末に十日有り,其の華 下地を照す。)

【26】    東溟植扶桑 東海に扶桑を植える。 《十洲記》曰:「扶桑在碧海中,上有天帝宮,東王所治,有椹樹,長數千丈,二千圍,同根更相依倚,故曰扶桑,仙人食根,體作紫色,其樹雖大,椹如中夏桑也。九千一生實,味甘香。」(曰く:扶桑 碧海中に在り,上天帝の宮に有り,東王治むる所,椹樹有り,長數 千丈,二千圍,同根して更に相い依倚し,故に扶桑と曰く,仙人 根を食し,體 紫色を作し,其の樹 大なると雖も,椹 夏桑を中るが如く也。九千 一生の實,味は甘香なり。)

  

別來幾多時,枝葉萬里長。

この二木の間を毎日太陽が度って行くようになり、彼が一度、別れてより、若木も、扶桑も、だんだん大きくなって、その枝葉は、萬里を覆う位になった。

 

中國有七聖,半路洪荒。

それで、ここに、我が大唐は、中国に君とし、高祖より玄宗に至るまで、七代の聖君を経由、半途にして、世紀後半から8世紀前半にかけて後宮から発生した政乱「武韋の禍」、恰も太古鴻荒の世に逆戻りをしたようであつた。

【27】   中國有七聖 唐は、618 - 907年、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。高祖、太宗、高宗、中宗、睿宗(武則天)、殤帝、玄宗と武則天を挟んで七人の天子がついている。太宗期「貞観の治」玄宗期「開元の治」と徳と繁栄の最もよい時期を経験している。

【28】   半路洪荒 唐の基礎を据えた太宗の治世の後、第3代高宗の時代に隋以来の懸案であった高句麗征伐(唐の高句麗出兵)が成功し、国勢は最初の絶頂期を迎える。しかし、高宗個人は政治への意欲が薄く、やがて武后(武則天)とその一族の武氏による専横が始まった。夫に代わって専権を握った武則天は高宗の死後、実子を傀儡天子として相次いで改廃した後、690年の簒奪により(載初元年)国号を周と改めた(武周)。武則天が老境に入って床にあることが多くなると権威は衰え、705年(神龍元年)、宰相張柬之に退位を迫られた。こうして武則天が退位させた息子の中宗が再び帝位に就き、周は115年で滅亡した。しかし今度は、中宗の皇后韋氏が中宗を毒殺した。韋后はその後即位した殤帝を傀儡とした後簒奪を画策したが、中宗の甥李隆基と武則天の娘太平公主の蜂起により敗れた韋后は族殺され、武則天が廃位させた李隆基の父・睿宗が再び帝位につき、李隆基はこの功により地位を皇太子に進められた。その後、今度は李隆基と太平公主による争いが起こる。7世紀後半から8世紀前半にかけて後宮から発生した政乱を2人の皇后の姓を取って「武韋の禍」と呼ぶ。

李白333-#3 《巻二25-上雲樂》 #3Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(14)  Ⅰ李白詩1651 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6803

李白  上雲樂#3

云見日月初生時,鑄冶火精與水銀。陽烏未出谷,顧兔半藏身。

女媧戲黃土,團作愚下人。散在六合間,濛濛若沙塵。
おもへば、日月が始めて生ずる時、造化は火精と水銀とを錬り上げ、火精が日となり、水銀が月と成ったのであるが、その太陽が、まだ東方の暘谷を出です、月もなかば其身をかくし、つまり、日月ができかかった「厥」初期段階である。まだ宇宙に出現していない時にあたって、女媧は人類を造り出そうというので、黄土を丸めて、凡愚な人もつくったのである。宇宙観からすれば、これ等の人類は、天地六合の間に散らばって居て、恰も濛々として塵埃となっているということなのである。

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  2015年10月23日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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