李白 塞下曲,六首之四
白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。
螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。
無時獨不見,流淚空自知。
(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)
吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。
まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。
743年(31)李白349 巻四11-《塞下曲六首之四》(白馬黃金塞,) 349Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(31) <李白349> Ⅰ李白詩1689 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6993
年:743年天寶二年43歳 94首-(31)
卷別: 卷一六四 文體: 樂府
詩題: 塞下曲,六首之四
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
塞下曲,六首之四
白馬黃金塞,雲沙繞夢思。
那堪愁苦節,遠憶邊城兒。
螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。
摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。
無時獨不見,流淚空自知。
(塞下曲,六首の四)
白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。
那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。
螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。
摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。
時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。
塞下曲,六首之五
白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。
螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。
無時獨不見,流淚空自知。
塞下曲,六首之六
烽火動沙漠,連照甘泉雲。漢皇按劍起,還召李將軍。
兵氣天上合,鼓聲隴底聞。橫行負勇氣,一戰淨妖氛。
塞上曲
大漢無中策,匈奴犯渭橋。五原秋草綠,胡馬一何驕。
命將征西極,橫行陰山側。燕支落漢家,婦女無華色。
轉戰渡黃河,休兵樂事多。蕭條清萬里,瀚海寂無波。
『塞下曲六首之四』 現代語訳と訳註解説
(本文)
塞下曲,六首之四
白馬黃金塞,雲沙繞夢思。
那堪愁苦節,遠憶邊城兒。
螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。
摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。
無時獨不見,流淚空自知。
(下し文)
(塞下曲,六首の四)
白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。
那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。
螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。
摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。
時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。
(現代語訳)
塞下曲,六首之四(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)
吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。
まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。
涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。
二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。
どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。
(訳注)
塞下曲,六首之四
(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)
前後の各首は、主として、征人の上に就いて云ったが、この首は、打ってかわって、その征人を思ふ間中の少婦に就いて述べ、連作の上に一つの変化を添えたものである。
白馬黃金塞,雲沙繞夢思。
吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。
【一】 白馬 白馬将軍。公孫瓚は白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。「白馬将軍」の名でも知られる。公孫瓚とは、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物。群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。
【二】
黃金塞 昔の国境の地名。今その場所はわからない。黄土の上に立つ塞。
那堪愁苦節,遠憶邊城兒。
まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。
【三】 愁苦節 愁苦の時節。
螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。
涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。
摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。
二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。
【四】
梧桐葉 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。
【五】
沙棠 昆崙山中にはえるといわれる珍木。沙棠―《山海經》「昆崙有沙棠木焉. 食之使人不溺。」(昆崙に沙棠あり、その実を食えば溺れず)《山海経・西山経》「有木焉,其狀如棠,黄華赤實,其味如李而無核,名曰沙棠,可以禦水,食之使人不溺。」とある。(木有り。其の状は棠の如し、華は黄で赤い実をなし、其の味は李の如くして核無し、名は沙棠と曰う、以て禦水にすべく、之を食わば使人をして溺れず。)と。漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。そのうつくしくめずらしいもののなかに棠梨の木四種があり、赤棠、白棠、青棠、沙棠であった。
【六】
摧殘 くだきやぶる。
【七】
粛颯 ものさびしい風の声。
無時獨不見,流淚空自知。
どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。
【八】
無時獨不見 いつまでも夫が帰らないことをいうのであろう。李白には下に示す《巻三30 獨不見》と題する楽府があり、その結びに「終然独不見、流涙空自知」という句があるほか、この詩と同じ語句が多い。無時は未詳。
年:743年天寶二年43歳 94首-(23)
卷別: 卷一六三 文體: 樂府
詩題: 獨不見
作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點:黃龍城 (河北道北部 營州 柳城)
天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山
《巻三30 獨不見》
白馬誰家子、黃龍邊塞兒。天山三丈雪、豈是遠行時。
春蕙忽秋草、莎雞鳴曲池。風摧寒梭響、月入霜閨悲。
憶與君別年。 種桃齊蛾眉。桃今百余尺、花落成枯枝。
終然獨不見。 流淚空自知。
(獨り見えず)
白馬たが家の子ぞ、 黄龍辺塞の児。
天山三丈の雪、あにこれ遠行の時ならんや。
春蕙たちまちに秋草 莎雞(さけい) 西池に鳴く。
風は寒棕(かんそう)を摧(くだ)いて響き、月は霜閨に入って悲しむ。
憶ふ君と別るるの年、桃を種ゑて蛾眉に斉し。
桃いま百余尺、花落ちて枯枝と成る。
終然としてひとり見えず、流涙むなしくみづから知る。
(思う人に逢えず、ひとりで空閏を守って居る意味を、女性の言葉で述べたので、李白も、亦た古辭の語意をとって、この一首を作ったのである。)
白馬に跨り、意気揚揚として、邊塞に出かけた彼の人は、今や契丹と対陣している北方の辺境地域の黄龍塞というところに駐屯して居るとのことである。
その地は、匈奴に接し、天山山脈といふ高い山々があって、その山頂には三丈の雪が常に積って居るそうで、とても行かれないというのを、無理に、険を冒して遠く従ったのである。
さて一度、良人に別れた後は、いつまで待てども、帰って来ることはなく、春、蘭恵が香をはっすると思って居る内に、忽ち変じて秋草の荒蕪となり、その秋草の間なる曲地の傍には、キリギリスの鳴き聲がする。
やがて、椶櫚の上に木枯しの風が吹きつけて、くだくような音を響かせて其皮が地上に散らばる。程なく、冬に成って、一人寝の閨の中に月が差し込む。
あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。そういうことが、年年続いて、いつまで待っても、黄龍邊塞に居る良人は、なかなか掃ってこない。
さきに、別れた其の年に、小さい桃の木を植えたが、人の背丈位で、わが眉のところまで届く位であったが、今は百余尺の高い木になって、花も咲き、実も結び、やがて、秋に成って、枯枝となった。
しかし、良人は矢張、歸ってこない。この分では、死ぬまでも歸らないかも知れないが、この悲しさを知る人もなく、唯だ自ら涙を流すのみである。
(塞下曲,六首の四)
白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。
那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。
螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。
摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。
時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。
【宇解】
㈠ 白馬 白馬将軍。公孫瓚は白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。「白馬将軍」の名でも知られる。公孫瓚とは、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物。群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。
㈡ 黃金塞 昔の国境の地名。今その場所はわからない。黄土の上に立つ塞。
㈢ 愁苦節 愁苦の時節。
㈣ 梧桐葉 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。
㈤ 摧殘 くだきやぶる。
㈥ 粛颯 ものさびしい風の声。
㈦ 沙棠 昆崙山中にはえるといわれる珍木。沙棠―《山海經》「昆崙有沙棠木焉.
食之使人不溺。」(昆崙に沙棠あり、その実を食えば溺れず)《山海経・西山経》「有木焉,其狀如棠,黄華赤實,其味如李而無核,名曰沙棠,可以禦水,食之使人不溺。」とある。(木有り。其の状は棠の如し、華は黄で赤い実をなし、其の味は李の如くして核無し、名は沙棠と曰う、以て禦水にすべく、之を食わば使人をして溺れず。)と。漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。そのうつくしくめずらしいもののなかに棠梨の木四種があり、赤棠、白棠、青棠、沙棠であった。
㈧ 無時獨不見 いつまでも夫が帰らないことをいうのであろう。李白には「独不見」と題する楽府があり、その結びに「終然独不見、流涙空自知」という句があるほか、この詩と同じ語句が多い。無時は未詳。
漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。
梨の木十種:紫梨、青梨、(果実は大きい。)芳梨、(果実は小さい。)大谷梨、細葉梨、縹葉梨、金葉梨、(琅琊郡の王野家から出たもので、太守の王唐が献上した。)瀚海梨、(瀚海の北から出たもので、耐寒性で枯れない。)東王梨、(海中から出たもの。)紫條梨。
棗の木七種:弱枝棗、玉門棗、棠棗、青華棗、梬棗、赤心棗、西王棗。(崑崙山から出たもの。)
栗の木四種:侯栗、榛栗、瑰栗、嶧陽栗。(嶧陽都尉の曹龍が献上したもので、拳ぐらいの大きさ。)
桃の木十種:秦桃、榹桃、緗核桃、金城桃、綺葉桃、紫文桃、霜下桃、(霜が降りた後でも食べられる。)胡桃、(西域から出たもの。)櫻桃、含桃。
李の木十五種:紫李、緑李、朱李、黄李、青綺李、青房李、同心李、車下李、含枝李、金枝李、顏淵李、(魯の地から出たもの。)羌李、燕李、蠻李、侯李。
柰の木三種:白柰、紫柰、(花は紫色。)緑柰。(花は緑色。)
山査子の木三種:蠻査、羌査、猴査。
椑の木三種:青椑、赤葉椑、烏椑。
棠梨の木四種:赤棠、白棠、青棠、沙棠。
梅の木七種:朱梅、紫葉梅、紫花梅、同心梅、麗枝梅、燕梅、猴梅。
杏の木二種:文杏、(木には綾がある。)蓬萊杏。(東郡都尉の干吉が献上したもの。一本の杏の木の花には多くの種類の色が入り混じって、六枚の花辨があり、聞くところによれば仙人が食すると言われているそうだ。)
桐の木三種:椅桐、梧桐、荊桐。
林檎の木十本、枇杷の木十本、橙の木十本、安石榴の木十本、楟の木十本、白銀の木十本、黄銀の木十本、槐の木六百四十本、千年長生の木十本、万年長生の木十本、扶老の木十本、守宮槐の木十本、金明の木二十本、搖風の木十本、鳴風の木十本、琉璃の木七本、池離の木十本、離婁の木十本、楠の木四本、樅の木七本、白楡の木、杜の木、桂の木、蜀漆の木十本、桧の木十本、楔の木四本、楓の木四本。