漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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2015年11月

743年(31)李白349 巻四11-《塞下曲六首之四》(白馬黃金塞,) 349Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(31) <李白349> Ⅰ李白詩1689 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6993

李白  塞下曲,六首之四

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)

吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。

まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。

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年:743年天寶二年43歳 94-31

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

塞下曲,六首之四

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。

那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。

摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

 

(塞下曲,六首の四)

白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。

那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。

螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。

摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。

時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。

 

塞下曲,六首之五

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

 

塞下曲,六首之六

烽火動沙漠,連照甘泉雲。漢皇按劍起,還召李將軍。

兵氣天上合,鼓聲隴底聞。橫行負勇氣,一戰淨妖氛。

 

塞上曲

大漢無中策,匈奴犯渭橋。五原秋草綠,胡馬一何驕。

命將征西極,橫行陰山側。燕支落漢家,婦女無華色。

轉戰渡黃河,休兵樂事多。蕭條清萬里,瀚海寂無波。

 

安史の乱期 勢力図 0028世紀唐と周辺国00 

『塞下曲六首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之四

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。

那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。

摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

(下し文)
(塞下曲,六首の四)

白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。

那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。

螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。

摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。

時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。


(現代語訳)
塞下曲,六首之四(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)

吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。

まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。

涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。

二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。

どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。


(訳注)

塞下曲,六首之四

(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)

前後の各首は、主として、征人の上に就いて云ったが、この首は、打ってかわって、その征人を思ふ間中の少婦に就いて述べ、連作の上に一つの変化を添えたものである。

 

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。

吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。

【一】  白馬 白馬将軍。公孫瓚は白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。「白馬将軍」の名でも知られる。公孫瓚とは、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物。群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。

【二】  黃金塞 昔の国境の地名。今その場所はわからない。黄土の上に立つ塞。

 

那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。

【三】  愁苦節 愁苦の時節。

 

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。

涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。

 

摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。

【四】  梧桐葉 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。

【五】  沙棠 昆崙山中にはえるといわれる珍木。沙棠―《山海經》「昆崙有沙棠木焉.   食之使人不溺。」(昆崙に沙棠あり、その実を食えば溺れず)《山海経・西山経》「有木焉,其狀如棠,黄華赤實,其味如李而無核,名曰沙棠,可以禦水,食之使人不溺。」とある。(木有り。其の状は棠の如し、華は黄で赤い実をなし、其の味は李の如くして核無し、名は沙棠と曰う、以て禦水にすべく、之を食わば使人をして溺れず。)と。漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。そのうつくしくめずらしいもののなかに棠梨の木四種があり、赤棠、白棠、青棠、沙棠であった。

【六】  摧殘 くだきやぶる。

【七】  粛颯 ものさびしい風の声。

 

無時獨不見,流淚空自知。

どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。

【八】  無時獨不見 いつまでも夫が帰らないことをいうのであろう。李白には下に示す《巻三30 獨不見》と題する楽府があり、その結びに「終然独不見、流涙空自知」という句があるほか、この詩と同じ語句が多い。無時は未詳。

年:743年天寶二年43歳 94-23

卷別:  卷一六三        文體:  樂府

詩題:  獨不見

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:黃龍城 (河北道北部 營州 柳城)    

天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山      

《巻三30 獨不見》

白馬誰家子、黃龍邊塞兒。天山三丈雪、豈是遠行時。

春蕙忽秋草、莎雞鳴曲池。風摧寒梭響、月入霜閨悲。

憶與君別年。 種桃齊蛾眉。桃今百余尺、花落成枯枝。

終然獨不見。 流淚空自知。

(獨り見えず

白馬たが家の子ぞ、 黄龍辺塞の児。
天山三丈の雪、あにこれ遠行の時ならんや。
春蕙たちまちに秋草 莎雞(さけい) 西池に鳴く。
風は寒棕(かんそう)を摧(くだ)いて響き、月は霜閨に入って悲しむ。
憶ふ君と別るるの年、桃を種ゑて蛾眉に斉し。
桃いま百余尺、花落ちて枯枝と成る。
終然としてひとり見えず、流涙むなしくみづから知る。

 

(思う人に逢えず、ひとりで空閏を守って居る意味を、女性の言葉で述べたので、李白も、亦た古辭の語意をとって、この一首を作ったのである。)

白馬に跨り、意気揚揚として、邊塞に出かけた彼の人は、今や契丹と対陣している北方の辺境地域の黄龍塞というところに駐屯して居るとのことである。

その地は、匈奴に接し、天山山脈といふ高い山々があって、その山頂には三丈の雪が常に積って居るそうで、とても行かれないというのを、無理に、険を冒して遠く従ったのである。

さて一度、良人に別れた後は、いつまで待てども、帰って来ることはなく、春、蘭恵が香をはっすると思って居る内に、忽ち変じて秋草の荒蕪となり、その秋草の間なる曲地の傍には、キリギリスの鳴き聲がする。

やがて、椶櫚の上に木枯しの風が吹きつけて、くだくような音を響かせて其皮が地上に散らばる。程なく、冬に成って、一人寝の閨の中に月が差し込む。

あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。そういうことが、年年続いて、いつまで待っても、黄龍邊塞に居る良人は、なかなか掃ってこない。

さきに、別れた其の年に、小さい桃の木を植えたが、人の背丈位で、わが眉のところまで届く位であったが、今は百余尺の高い木になって、花も咲き、実も結び、やがて、秋に成って、枯枝となった。

しかし、良人は矢張、歸ってこない。この分では、死ぬまでも歸らないかも知れないが、この悲しさを知る人もなく、唯だ自ら涙を流すのみである。

743年(24)李白343 -#2 巻三30-《獨不見》(白馬誰家子,) 343 -#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(24)Ⅰ李白詩1677 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6933

 

 

(塞下曲,六首の四)

白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。

那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。

螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。

摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。

時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。

 

 

【宇解】

  白馬 白馬将軍。公孫瓚は白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。「白馬将軍」の名でも知られる。公孫瓚とは、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物。群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。

  黃金塞 昔の国境の地名。今その場所はわからない。黄土の上に立つ塞。

  愁苦節 愁苦の時節。

  梧桐葉 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。

  摧殘 くだきやぶる。

  粛颯 ものさびしい風の声。

  沙棠 昆崙山中にはえるといわれる珍木。沙棠―《山海經》「昆崙有沙棠木焉.   食之使人不溺。」(昆崙に沙棠あり、その実を食えば溺れず)《山海経・西山経》「有木焉,其狀如棠,黄華赤實,其味如李而無核,名曰沙棠,可以禦水,食之使人不溺。」とある。(木有り。其の状は棠の如し、華は黄で赤い実をなし、其の味は李の如くして核無し、名は沙棠と曰う、以て禦水にすべく、之を食わば使人をして溺れず。)と。漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。そのうつくしくめずらしいもののなかに棠梨の木四種があり、赤棠、白棠、青棠、沙棠であった。

  無時獨不見 いつまでも夫が帰らないことをいうのであろう。李白には「独不見」と題する楽府があり、その結びに「終然独不見、流涙空自知」という句があるほか、この詩と同じ語句が多い。無時は未詳。

 

 

漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。

 

梨の木十種:紫梨、青梨、(果実は大きい。)芳梨、(果実は小さい。)大谷梨、細葉梨、縹葉梨、金葉梨、(琅琊郡の王野家から出たもので、太守の王唐が献上した。)瀚海梨、(瀚海の北から出たもので、耐寒性で枯れない。)東王梨、(海中から出たもの。)紫條梨。

棗の木七種:弱枝棗、玉門棗、棠棗、青華棗、棗、赤心棗、西王棗。(崑崙山から出たもの。)

栗の木四種:侯栗、榛栗、瑰栗、嶧陽栗。(嶧陽都尉の曹龍が献上したもので、拳ぐらいの大きさ。)

桃の木十種:秦桃、桃、緗核桃、金城桃、綺葉桃、紫文桃、霜下桃、(霜が降りた後でも食べられる。)胡桃、(西域から出たもの。)櫻桃、含桃。

李の木十五種:紫李、緑李、朱李、黄李、青綺李、青房李、同心李、車下李、含枝李、金枝李、顏淵李、(魯の地から出たもの。)羌李、燕李、蠻李、侯李。

柰の木三種:白柰、紫柰、(花は紫色。)緑柰。(花は緑色。)

山査子の木三種:蠻査、羌査、猴査。

椑の木三種:青椑、赤葉椑、烏椑。

棠梨の木四種:赤棠、白棠、青棠、沙棠。

梅の木七種:朱梅、紫葉梅、紫花梅、同心梅、麗枝梅、燕梅、猴梅。

杏の木二種:文杏、(木には綾がある。)蓬萊杏。(東郡都尉の干吉が献上したもの。一本の杏の木の花には多くの種類の色が入り混じって、六枚の花辨があり、聞くところによれば仙人が食すると言われているそうだ。)

桐の木三種:椅桐、梧桐、荊桐。

林檎の木十本、枇杷の木十本、橙の木十本、安石榴の木十本、の木十本、白銀の木十本、黄銀の木十本、槐の木六百四十本、千年長生の木十本、万年長生の木十本、扶老の木十本、守宮槐の木十本、金明の木二十本、搖風の木十本、鳴風の木十本、琉璃の木七本、池離の木十本、離婁の木十本、楠の木四本、樅の木七本、白楡の木、杜の木、桂の木、蜀漆の木十本、桧の木十本、楔の木四本、楓の木四本。

李白279-#2 《卷23-04擬古,十二首之一》 279-#2 Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <李白279-#2 > Ⅰ李白詩1688 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6988

李白  擬古,十二首之一#2

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。

李白279-#2  《卷23-04擬古,十二首之一》 279-#2 Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <李白279-#2 > Ⅰ李白詩1688 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6988

 

 
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年:739年開元二十七年39歳 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之一

279 #1《卷23-04擬古,十二首之一》#1Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <279> Ⅰ李白詩1557 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6333

 

 

擬古,十二首之一 #1

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

青天何歷歷,明星如白石。

青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。

姑與織女,相去不盈尺。

そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。

銀河無鵲橋,非時將安適。

しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。

閨人理素,遊子悲行役。

閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

#2

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。

(古に擬す,十二首の一) #1

青天 何ぞ歷歷たる,明星 白きこと石の如し。

黃姑と織女と,相い去ること 尺にた盈ず。

銀河に 鵲橋無く,時に非ずして 將に安くにか適かんとする。

閨人 紈素を理め,遊子 行役を悲しむ。

#2

瓶冰 冬寒を知り,霜露 遠客を欺く。

客は秋葉の飛ぶに似て,飄颻として歸るを言わず。

別後 羅帶長し,去時の衣を寬にせしむことを愁う。

月に乘じて 宵夢に託し,之に因って金徽に寄す。

 

『擬古,十二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

擬古,十二首之一 #2

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

詩文(含異文)

青天何歷歷,明星如白石【明星白如石】。黃姑與織女,相去不盈尺。銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。


(下し文)

#2

瓶冰 冬寒を知り,霜露 遠客を欺く。

客は秋葉の飛ぶに似て,飄颻として歸るを言わず。

別後 羅帶長し,去時の衣を寬にせしむことを愁う。

月に乘じて 宵夢に託し,之に因って金徽に寄す。


(現代語訳)
#2

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。


(訳注) #2

擬古,十二首之一 #2

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

 

擬古も、矢張、前の效古と同じく、古詩に擬したといっており、その実、亦た自己の感懐を寄せたのである。

これは、主として、思婦の懐を叙したので、その実は、武を黷し、兵を弄するを謗ったのである。嚴滄浪は「音情甚だ長し」といひ、蕭士贇は「この篇、時に兵を窮め、武を黷し、行役期度なく、男女怨曠、その室家の情を逐ぐるを得ざるを傷み、時に感じて悲む、哀んで傷らす、怨んで誹らず、眞に國風の体あり、これ晦庵の謂わゆる詩に聖なるものか」といい、梅鼎祚は「古詩、相去日以遠、衣帯日以緩、太白、その語を約して日く、別彼羅帯長、と。謂わゆる延年善く減ず」といって居る。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

【1】    瓶冰知冬寒 呂氏春秋に「瓶水の氷るを見て、天下の寒を知る」とある。

 

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

【2】    飄颻 ひらひらと動いて定まらない様子。曹植《洛神賦》「彷彿兮若輕雲之蔽月,飄颻兮若流風之囘雪。」(彷彿として軽雲の蔽月の若く、飄颻として流風の回雪の若し。)隨風飄動。《文選.曹植.雜詩六首之二》:「轉蓬離本根,飄颻隨長風。」亦作「飄搖」。凌風飛翔。

 

別後羅帶長,愁寬去時衣。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

 

乘月託宵夢,因之寄金徽。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。

【3】    金徽 舊唐書に「貞觀二十二年、契苾回紇等、十餘部落相継いで歸國す。太宗各その地土に因り、その部落を擇び、置いて州府と爲し、回紇を以て澣海都督府となし、僕骨を金薇都督府となす」とあり、新唐書「金徽都督府は、僕固部を以て置き、安北都護府に属す」とある。

 

 

擬古,十二首之一【字解】

     歷歷 星が列をなせることをいう。

     黃姑 黃姑 — (黃姑, 黄姑) .牽牛星。 《玉臺新詠歌辭之一》:東飛伯勞西飛燕, 黃姑織女時相見。”

     織女 神話伝説の中にみえる男女一対の神。おそらく元来は牽牛が男の仕事である農耕を,織女が女の仕事である養蚕紡織を象徴し,神話的宇宙観の中で二元構造をなす一対の神格であったものが,星座にも反映されたものであろう。星名は,牽牛がアルタイルAltair,織女がベガVega。この2神は,後には七夕(たなばた)の行事と結びついた恋愛譚の主人公となる。牽牛星と織女星とが並んで歌われる例はすでに《詩経》小雅・大東篇にみえるが,その背後にいかなる伝承があったのかはうかがいがたい。

     銀河 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

     鵲橋 七夕の夜、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の契りの橋渡しのたとえにも用いる。烏鵲橋(うじゃくきょう)。《季 秋》2 宮中を天上になぞらえて、その殿舎の階段。

     紈素 絹の衣を縫うことをいう。白い練り絹。班捷伃《怨詩(怨歌行)》「新裂齊紈素,皎潔如霜雪。裁爲合歡扇,團團似明月。」や、《古詩十九首之十三》に「驅車上東門,遙望郭北墓。白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。下有陳死人,杳杳即長暮。潛寐黄泉下,千載永不寤。浩浩陰陽移,年命如朝露。人生忽如寄,壽無金石固。萬歳更相送,賢聖莫能度。服食求神仙,多爲藥所誤。不如飮美酒,被服紈與素。」とある。 

     瓶冰知冬寒 呂氏春秋に「瓶水の氷るを見て、天下の寒を知る」とある。

     飄颻 ひらひらと動いて定まらない様子。曹植《洛神賦》「彷彿兮若輕雲之蔽月,飄颻兮若流風之囘雪。」(彷彿として軽雲の蔽月の若く、飄颻として流風の回雪の若し。)隨風飄動。《文選.曹植.雜詩六首之二》:「轉蓬離本根,飄颻隨長風。」亦作「飄搖」。凌風飛翔。

     金徽 舊唐書に「貞觀二十二年、契苾回紇等、十餘部落相継いで歸國す。太宗各その地土に因り、その部落を擇び、置いて州府と爲し、回紇を以て澣海都督府となし、僕骨を金薇都督府となす」とあり、新唐書「金徽都督府は、僕固部を以て置き、安北都護府に属す」とある。

743年(30)李白348 巻四10-《塞下曲六首之三》(駿馬似風飆,) 348Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(30) <李白348> Ⅰ李白詩1687 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6983

李白  塞下曲,六首之三

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。

陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。
(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

743年(30)李白348 巻四10-《塞下曲六首之三》(駿馬似風飆,) 348Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-30) <李白348> Ⅰ李白詩1687 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6983

 

 

 

 

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塞下曲,六首之一

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

 

(塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。

 

塞下曲,六首之二

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

何當破月氏,然後方高枕。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

 

(塞下曲,六首の二)

天兵 北荒を下り,胡馬 南に飲【みずか】わんと欲す。

戈を橫えて 百戰に從うは,直ちに恩を銜む甚じきが為なり。

雪を握って 海上に餐し,沙を拂うて隴頭に寢ぬ。

何ぞ當に月氏を破り,然る後 方に枕を高うすべき。

 

年:743年天寶二年43歳 94-30

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)             

 

 

塞下曲,六首之三

(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。

陣解星芒盡,營空海霧消。

それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。

しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

 

(塞下曲,六首之三)

駿馬は風飆の似く,鞭を鳴らして渭橋を出づ。

弓を彎いて 漢月を辭し,羽を插んで 天驕を破る。

陣は解けて 星芒 盡き,營は空しゅうして 海霧 消ゆ。

功 成って 麟閣に畫かれるは,獨り 霍嫖姚 有るのみ。

安史の乱期 勢力図 002 

『塞下曲,六首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之三

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

陣解星芒盡,營空海霧消。

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。
詩文(含異文) 塞下曲,六首之三

駿馬似風飆【駿馬如風飆】,鳴鞭出渭橋。

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

陣解星芒盡,營空海霧消。

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。


(下し文)
(塞下曲,六首之三)

駿馬は風飆の似く,鞭を鳴らして渭橋を出づ。

弓を彎いて 漢月を辭し,羽を插んで 天驕を破る。

陣は解けて 星芒 盡き,營は空しゅうして 海霧 消ゆ。

功 成って 麟閣に畫かれるは,獨り 霍嫖姚 有るのみ。

(現代語訳)
塞下曲,六首之三(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。

漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。

それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。

しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

8世紀唐と周辺国00
(訳注)

塞下曲,六首之三

(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

 

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。

【一】  風飆 疾風。

【二】  渭橋 横橋とも中渭橋ともいう。長安の北を流れる渭水に架けた橋で、ここを渡ると咸陽の町。唐の時代には西域に通じる要道の一。長安には、便橋、東渭橋の三本の橋があった。

 

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。

【三】  插羽 李白の「胡無人」には「流星白羽腰間插」という句がある。白羽の矢を腰のあたりにさす。

【四】  天驕 えびすの王の単子が漢に僕をよこして「えびすは天の驕子である」と言った。驕子は我儘息子のこと。*遊牧・騎馬民族は常に牧草地を移動して生活をする。侵略も移動のうちである。略奪により、安定させる。定住しないで草原のテントで寝る、自然との一体感がきわめておおきく彼らからすると天の誇高き息子と自惚れた訳ではなかった。漢民族は、世界の中心、天の中心にあると思っているのに対して、天の息子が漢民族化するわけはない。漢書の匈奴伝に「胡は、天の驕子なり」とみえる、えびすは天の“いたずら坊や”であるといっている。

・李白《古風五十九首其十四》「借問誰凌虐、天驕毒威武。」(借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。)

Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#2古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> Ⅰ李白詩1163 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4363

 

・杜甫《留花門》「北門天驕子,飽肉氣勇決。」(花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。)

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299

 

陣解星芒盡,營空海霧消。

それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。

【五】  星芒盡 星がはなつ矢のような光。中国の古代の迷信では、星のひかりが白色に変ると戦争のきざしと見た。後漢書「客星、芒気白きは兵たり」とある。

【六】  海霧 砂漠のみずうみに立ちこめた霧。 

 

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。

しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

【七】  麟閣 麒麟閣の略。別に畫麟閣.雲嫖姚というもとは漢の高祖の時、蒲何が建てて、図書を蔵していたが、のち漢の宜帝は功臣を紀念して表彰するため、霍光等十一人の像を閣上に画かした。宣帝は戎狄が定まって皆、賓服 し、股肱の臣の美を思い、功臣を人に図画させて麒麟閣に絵諸させた。 麒麟閣は未央宮にある。麒麟閣には十一臣が描かれた。 容貌に官爵、姓名を記した。麒麟閣十一臣は以下の通り。・大司馬大将軍博陸侯 姓霍氏、・衛将軍富平侯 張安世、・車騎将軍龍額侯 韓増、・後将軍営平侯 趙充国、・丞相高平侯 魏相、・丞相博陽侯 邴吉、・御史大夫建平侯 杜延年、・ 宗正陽城侯 劉徳、・少府 梁邱賀、・太子太傅 蕭望之、・典属国 蘇武

【八】  霍嫖姚 漢代の名将、霍去病。霍光の兄。漢の武帝の時に匈奴を防いで功があり、嫖姚校尉となった。麒麟閣にえがかれたのは、じつは弟の霍光であって、兄の霍去病ではない。李白の思いちがいかもしれないが、蘇武が十一番目であったりして、必ずしも功績の大きさで決められたものでない、ということを李白は言いたいのである。
長安城図 作図00 

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李白  塞下曲,六首之二

天兵下北荒,胡馬欲南飲。橫戈從百戰,直為銜恩甚。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。何當破月氏,然後方高枕。

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

743年(29)李白347 巻四09-《塞下曲六首之二》(天兵下北荒,) 347Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-29) <李白347> Ⅰ李白詩1686 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6978

 

 

 
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塞下曲,六首之一

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

 

(塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。

 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-29

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

塞下曲,六首之二

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

何當破月氏,然後方高枕。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

 

(塞下曲,六首の二)

天兵 北荒を下り,胡馬 南に飲【みずか】わんと欲す。

戈を橫えて 百戰に從うは,直ちに恩を銜む甚じきが為なり。

雪を握って 海上に餐し,沙を拂うて隴頭に寢ぬ。

何ぞ當に月氏を破り,然る後 方に枕を高うすべき。

李白図102

『塞下曲,六首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之二

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

何當破月氏,然後方高枕。


(下し文)
(塞下曲,六首の二)

天兵 北荒を下り,胡馬 南に飲【みずか】わんと欲す。

戈を橫えて 百戰に從うは,直ちに恩を銜む甚じきが為なり。

雪を握って 海上に餐し,沙を拂うて隴頭に寢ぬ。

何ぞ當に月氏を破り,然る後 方に枕を高うすべき。

(現代語訳)
(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

三国鼎立時代の勢力図北斉
(訳注)

塞下曲,六首之二

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

出塞、入塞等の曲は、漢代に李延年が造ったが、唐になると、塞上、塞下等の諸曲がついで起って、いづれも邊塞の事を歌って居る。元来、出塞、入塞等は、主として従軍中に於ける悲愴凄惨の意をうつして居るが、李白の此曲は、非常に雄壮なる調子である。開元,天寶の盛時に於で、哥舒翰、安緑山等は、吐蕃回紇と大戦を試みたことがあって、この詩の作は、恰もその時にあたって居るから、すこしも、悲哀の意を帯びず、いわば兵士を鼓舞するような精神を以てしたのである。この六首はほぼ、順序だっていて、意味が一貫している。

 

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

【1】    飲 みづかふ。いい馬を多量に生産するために水を求めた。

 

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

 

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

【2】    握雪 後漢書「餘羌復與燒何大豪寇張掖,攻沒鉅鹿塢,殺屬國吏民,又招同種千餘落,并兵晨奔熲軍。熲下馬大戰,至日中,刀折矢盡,虜亦引退。熲追之,且且行,晝夜相攻,割肉食雪,四十餘日,遂至河首積石山,出塞二千餘里」(餘羌 復た燒何と大豪と張掖に寇し,攻めて鉅鹿塢を沒し,屬國の吏民を殺す,又 同種千餘の落を招じ,并びに兵は晨に熲軍を奔し。熲下馬し大戰し,日中に至り,刀折れ矢盡き,虜 亦た引き退く。熲之を追い,且つ且つ行き,晝夜相い攻め,肉を割き雪を食うこと,四十餘日,遂に河首積石山に至り,塞を出ずること二千餘里)とある。

 

何當破月氏,然後方高枕。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

【3】    月氏 秦の始皇帝(在位:前246 - 210年)の時代、中国の北方では東胡と月氏が強盛であった。一方、匈奴は陰山の北からオルドス地方を領する小国にすぎず、大国である東胡や月氏の間接支配を受けていた。ある時、匈奴の単于頭曼は、太子である冒頓を廃してその弟を太子にしようと、冒頓を月氏へ人質として送った。しかし、頭曼は冒頓がいるにもかかわらず月氏を急襲してきた。これに怒った月氏は冒頓を殺そうとしたが、あと少しの所で逃げられてしまう。匈奴に逃げ帰った冒頓は父の頭曼を殺して自ら単于となり、さっそく東の東胡に攻め入ってこれを滅ぼし、そのまま西へ転じて月氏を敗走させ、次いで南の楼煩、白羊河南王を併合し、漢楚内戦中の中国にも侵入し、瞬く間に大帝国を築いた。

その後も依然として敦煌付近にいた月氏であったが、漢の孝文帝(在位:前180 - 157年)の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺され、その頭蓋骨は盃(髑髏杯)にされた。王が殺された月氏は二手に分かれ、ひとつがイシク湖周辺へ逃れて大月氏となり、もうひとつが南山羌(現在の青海省)に留まって小月氏となった。

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李白  塞下曲,六首之一

五月天山雪,無花祗有寒。笛中聞折柳,春色未曾看。

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。願將腰下劍,直為斬樓蘭。

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

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塞下曲,六首之一

五月天山雪,無花祗有寒。笛中聞折柳,春色未曾看。

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。願將腰下劍,直為斬樓蘭。

 

塞下曲,六首之二

天兵下北荒,胡馬欲南飲。橫戈從百戰,直為銜恩甚。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。何當破月氏,然後方高枕。

 

塞下曲,六首之三

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。

陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。

 

塞下曲,六首之四

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

 

塞下曲,六首之五

塞虜乘秋下,天兵出漢家。將軍分虎竹,戰士臥龍沙。

邊月隨弓影,胡霜拂劍花。玉關殊未入,少婦莫長嗟。

 

塞下曲,六首之六

烽火動沙漠,連照甘泉雲。漢皇按劍起,還召李將軍。

兵氣天上合,鼓聲隴底聞。橫行負勇氣,一戰淨妖氛。

 

塞上曲

大漢無中策,匈奴犯渭橋。五原秋草綠,胡馬一何驕。

命將征西極,橫行陰山側。燕支落漢家,婦女無華色。

轉戰渡黃河,休兵樂事多。蕭條清萬里,瀚海寂無波。

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-28

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山             

 

 

塞下曲,六首之一

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

 

(塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。

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『塞下曲,六首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之一

五月天山雪,無花祗有寒。

笛中聞折柳,春色未曾看。

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

(下し文)
(
塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。


(現代語訳)
塞下曲,六首之一 (西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

李白図102
(訳注)

塞下曲,六首之一

 (西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

出塞、入塞等の曲は、漢代に李延年が造ったが、唐になると、塞上、塞下等の諸曲がついで起って、いづれも邊塞の事を歌って居る。元来、出塞、入塞等は、主として従軍中に於ける悲愴凄惨の意をうつして居るが、李白の此曲は、非常に雄壮なる調子である。開元,天寶の盛時に於で、哥舒翰、安緑山等は、吐蕃回紇と大戦を試みたことがあって、この詩の作は、恰もその時にあたって居るから、すこしも、悲哀の意を帯びず、いわば兵士を鼓舞するような精神を以てしたのである。この六首はほぼ、順序だっていて、意味が一貫している。

 

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
 ・五月:陰暦五月で、夏になる。

 ・天山:〔てんざん〕新疆にある祁連山〔きれんざん〕(チーリェンシャン) 。北緯44度(稚内と旭川の中間の緯度に当たる)天山一帯。当時の中国人の世界観では、最西端になる。天山山脈のこと。新疆ウイグル(維吾爾)自治区中央部タリム盆地の北を東西に走る大山系で、パミール高原の北部に至る。雪山。ここでは「異民族との戦闘の前線」の意として、使われている。

巻三01關山月 「明月出天山、蒼茫云海間。 」

巻三30獨不見   「天山三丈雪、 豈是遠行時。」

巻四10 塞下曲 六首其一 「五月天山雪、 無花只有寒。 」

巻二十一奔亡道中五首 其一 「蘇武天山上、田橫海島邊。 萬重關塞斷、何日是歸年。」

 ・無花:花は(咲いてい)ない。 

祗有:〔しいう〕ただ…だけがある。「無花祗有寒」の句中で前出「無」との揃いで用いられる表現。「無花祗有寒」。≒只有。

 ・:寒さ。

 

 

笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
 ・笛中:胡笳の調べで。葦笛の音に。 ・聞:聞こえる。

 ・折柳:折楊柳の曲。

未曾:まだ…でない。…いままでに、…したことがない。

 ・:見る。

 

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

 ・:明け方。朝。あかつき。 ・戰:戦う。 

:…にしたがって。

 ・金鼓:(軍中で用いる)鉦(かね)と太鼓。進むのに太鼓を用い、留まるのに鉦(かね)を用いたことによる。

 ・:夜。よい。

 ・:眠る。

 ・:だく。いだく。

 ・玉鞍:〔ぎょくあん〕立派なくら。玉で作ったくら。

 

 

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

:願わくは。 ・將:…を持って。・腰下:腰に下げた。

:つるぎ。元来は、諸刃(もろは)の刺突用武器を指す。

・直:ただちに。 ・爲:〔ゐ〕…のために。…に対して。…に向かって。目的や原因を表す介詞。また、なす。する。致す。動詞。

:傅介子等が楼蘭王を斬り殺した故実のように、征伐をする。 前漢の昭帝の頃、傅介子等が樓蘭王を殺したことを指す。 

樓蘭:〔ろうらん〕漢代、西域にあった国。都市名。天山南路のロブノール湖(羅布泊)の畔にあった漢代に栄えた国(都市)。ローラン。原名クロライナ。現・新疆ウイグル(維吾爾)自治区東南部にあった幻の都市。天山の東南で、新疆ウイグル自治区中央部のタリム盆地東端、善〔善+おおざと〕県東南ロブノール湖(羅布泊)の北方にあった。そこに住む人種は白人の系統でモンゴリアンではなく、漢民族との抗争の歴史があった。四世紀にロブノール湖(羅布泊)の移動により衰え、七世紀初頭には廃墟と化した。現在は、楼蘭古城(址)が砂漠の中に土煉瓦の城壁、住居址などを遺しているだけになっている。 ・終:どうしても。いつまでも。とうとう。しまいに。ついには。 

不還:還(かえ)らない。戻らない。かえってこない。


○韻 寒、看、鞍、蘭。

塞下曲,六首之一

五月天山雪,無花祗有寒。
笛中聞折柳,春色未曾看。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。
願將腰下劍,直爲斬樓蘭。


( 塞下曲,六首之一 )       
五月  天山の雪,花 無くして  祗【た】だ 寒のみ 有り。
笛中  折柳【せつりう】を 聞くも,春色  未だ 曾【かつ】て 看ず。
曉【あかつき】に戰ふに  金鼓に 隨【したが】ひ,宵【よひ】に眠るに  玉鞍を 抱【いだ】く。
願はくは  腰下【えうか】の劍を 將【も】って,直ちに 爲【ため】に  樓蘭【ろうらん】を斬らん。

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李白  怨歌行 #2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。一朝不得意,世事徒為空。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。寒苦不忍言,為君奏絲桐。

腸斷弦亦悲心夜忡忡。

かくて深き憂いに沈んだ揚句には、緑の鬢も、霜を帯びた蓬の如く乱れて、そそけて仕舞った。その不得意の極み、一朝宮中を辭して、人に嫁することに成ったが、世事は、いたずらに 予期に反し空しいものだ。卓文君は貧苦のあまりに、鷫鷞という馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い、夫のために、美酒に換えるほどで、龍の縫い模様のある舞衣もいまはなんの役にも立たない。その貧苦飢寒の有様は、まことにお話にならないくらいであったという、やがてこれを訴えるために、琴を弾き始めたのである。断腸のおもいは弦をもまたやめてしまった、夜が更けてゆくままに、物悲しき心は、忡忡として、慰めるたよりもない。

 

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年:743年天寶二年43歳 94-26

卷別:卷一六四    文體:    樂府

詩題:怨歌行

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

怨歌行

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

十五入漢宮,花顏笑春紅。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。

君王選玉色,侍寢金屏中。

君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。

かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。

寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。

しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。

#2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。

かくて深き憂いに沈んだ揚句には、緑の鬢も、霜を帯びた蓬の如く乱れて、そそけて仕舞った。

一朝不得意,世事徒為空。

その不得意の極み、一朝宮中を辭して、人に嫁することに成ったが、世事は、いたずらに 予期に反し空しいものだ。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。

卓文君は貧苦のあまりに、鷫鷞という馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い、夫のために、美酒に換えるほどで、龍の縫い模様のある舞衣もいまはなんの役にも立たない。

寒苦不忍言,為君奏絲桐。

その貧苦飢寒の有様は、まことにお話にならないくらいであったという、やがてこれを訴えるために、琴を弾き始めたのである。

腸斷弦亦悲心夜忡忡。

断腸のおもいは弦をもまたやめてしまった、夜が更けてゆくままに、物悲しき心は、忡忡として、慰めるたよりもない。

 

(怨歌行)

【自注:長安にて人の出でて嫁する見る,友人 余をして代って之を為らしむ。】

十五、漢宮に入り、花顔、春紅を笑う。

君王 玉色を選び,寢に侍す金屏の中。

枕を薦めて夕月よりも嬌なり,衣を卷いて春風を戀う。

寧ろ知らんや 趙飛燕,寵を奪うて 恨 窮まり無きや。
#2

沈憂 能く人を傷ましめ,綠鬢 霜蓬と成る。

一朝 意を得ざれば,世事 徒らに空と為る。

鷫鷞は 美酒に換え,舞衣は 雕龍を罷む。

寒苦 言うに忍ばず,君が為に 絲桐を奏す。

腸 斷えて 弦 亦た,悲心 夜 忡忡

 

 

『怨歌行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。

一朝不得意,世事徒為空。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。

寒苦不忍言,為君奏絲桐。

腸斷弦亦,悲心夜忡忡
詩文(含異文):#2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。一朝不得意,世事徒為空。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍【舞衣罷雕籠】。寒苦不忍言,為君奏絲桐。

腸斷弦亦,悲心夜忡忡。


(下し文)
#2

沈憂 能く人を傷ましめ,綠鬢 霜蓬と成る。

一朝 意を得ざれば,世事 徒らに空と為る。

鷫鷞は 美酒に換え,舞衣は 雕龍を罷む。

寒苦 言うに忍ばず,君が為に 絲桐を奏す。

腸 斷えて 弦 亦た,悲心 夜 忡忡

(現代語訳)
#2

かくて深き憂いに沈んだ揚句には、緑の鬢も、霜を帯びた蓬の如く乱れて、そそけて仕舞った。

その不得意の極み、一朝宮中を辭して、人に嫁することに成ったが、世事は、いたずらに 予期に反し空しいものだ。

卓文君は貧苦のあまりに、鷫鷞という馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い、夫のために、美酒に換えるほどで、龍の縫い模様のある舞衣もいまはなんの役にも立たない。

その貧苦飢寒の有様は、まことにお話にならないくらいであったという、やがてこれを訴えるために、琴を弾き始めたのである。

断腸のおもいは弦をもまたやめてしまった、夜が更けてゆくままに、物悲しき心は、忡忡として、慰めるたよりもない。


(訳注) #2

怨歌行

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

 

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

李白の怨歌行は、班捷伃の詩に、依傍したものである。なお、妃嬪が寵愛を失って、持して民間に嫁しづく例は少ない。

『古詩源』では《怨歌行》、『玉台新詠』で《怨詩》とする。相和歌辞・楚調曲。

同様の趣に 、謝玄暉 (謝朓) 《玉階怨》  「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」(夕殿 珠簾を下し,流螢 飛び 復(また) (とま)る。長夜 羅衣を 縫ひ,君を思うこと 此に なんぞ 極(きわ)まらん。)

『金谷聚』 「渠碗送佳人,玉杯邀上客。車馬一東西,別後思今夕。」(渠碗(きょわん) 佳人を 送り,玉杯 上客を 邀(むか)ふ。車馬 一(ひとたび) 東西にせられ,別後 今夕を 思はん。)

李白   『怨情』    「美人捲珠簾,深坐嚬蛾眉。但見涙痕濕,不知心恨誰。」(美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。但 見る 涙痕の湿を、知らず 心に誰をか恨む。 ) 

李白  《紫藤樹》「紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。密葉隠歌島、香風留美人。」

李白  《客中行》「蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」

王維《班婕妤》 「怪來妝閣閉,朝下不相迎。總向春園裏,花間笑語聲。」(怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。)

班婕妤《怨詩》  

新裂齊紈素,皎潔如霜雪。 裁爲合歡扇,團團似明月。

出入君懷袖,動搖微風發。常恐秋節至,涼風奪炎熱。

棄捐篋笥中,恩情中道絶。

班婕妤(倢伃) (生没年不詳)は中国前漢の成帝の愛人。班況の娘で、班固や班超の従祖母に当たる女性。成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。長信宮に世を避けた倢伃は、悲しんで「怨歌行」を作る。その詩は『文選』『玉台新詠』『楽府詩集』『古詩源』などに載せられる。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。晋の陸機や唐の王維、王昌齢「西宮春怨・長信秋詞」などがそれである

怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

曹植 《怨歌行》
為君既不易,為臣良獨難。忠信事不顯,乃有見疑患。
周公佐成王,金縢功不刋。推心輔王政,二叔反流言。
待罪居東國,泣涕常流連。皇靈大動變,震雷風且寒。

拔樹偃秋稼,天威不可干。素服開金縢,感悟求其端。

公旦事既顯,成王乃哀嘆。吾欲竟此曲,此曲悲且長。

今日樂相樂,別後莫相忘。

怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

溫庭筠《清平樂二首其一》「新清平思同輦,爭那長安路遠。」(新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。)

1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512

 

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。

かくて深き憂いに沈んだ揚句には、緑の鬢も、霜を帯びた蓬の如く乱れて、そそけて仕舞った。

沈憂 沈に深に同じ。

 

一朝不得意,世事徒為空。

その不得意の極み、一朝宮中を辭して、人に嫁することに成ったが、世事は、いたずらに 予期に反し空しいものだ。

 

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。

卓文君は貧苦のあまりに、鷫鷞という馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い、夫のために、美酒に換えるほどで、龍の縫い模様のある舞衣もいまはなんの役にも立たない。

○鷫鷞 西京雑記「相加、はじめ文君と成都に遷る、貧に居て愁懣し、著くるところの鷫鷞裘を以て、市入楊昌に就いて酒な貰り、文君と歓を爲す」とある。《史記·司馬相如傳》家貧,以鷫鷞裘貰酒。一作肅爽。馬名。

相如は妻と一緒に臨卭に戻り、馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い取った。妻の文君はその飲み屋のママとなり、酒樽の横で客の接待をした。夫の相如はふんどし一つで下働きの男に混じって働き、臨きょうの繁華街で皿洗いのバイトをした。

李白  《巻三19- 白頭吟》「鷫鷞裘在錦屏上,自君一掛無由披。」

司馬相如が馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い取った酒屋で卓文君と一緒に働いて築いたものはそのままにされ錦の屏風に裘は置かれたままになった、司馬相如の一度おかした他の女への心変わりは取り戻すことのできないことなのである。

743年(22)李白341-#9 巻三19-《白頭吟》 341-#9Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(22) <李白341-#9> Ⅰ李白詩1675 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6923

雕龍 舞衣の上に、雕画せる龍文を言う。刺繍による龍の模様。

 

寒苦不忍言,為君奏絲桐。

その貧苦飢寒の有様は、まことにお話にならないくらいであったという、やがてこれを訴えるために、琴を弾き始めたのである。

 

腸斷弦亦悲心夜忡忡。

断腸のおもいは弦をもまたやめてしまった、夜が更けてゆくままに、物悲しき心は、忡忡として、慰めるたよりもない。

743年(26)李白346 巻四07-《怨歌行【長安見內人出嫁,友人令余代為之。】》(十五入漢宮,) 346Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(26)  Ⅰ李白詩1683 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6963

李白  怨歌行

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

十五入漢宮,花顏笑春紅。君王選玉色,侍寢金屏中。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。

743年(26)李白346 巻四07-《怨歌行【長安見人出嫁,友人令余代為之。】》(十五入漢宮,) 346Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-26)  Ⅰ李白詩1683 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6963

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-26

卷別:卷一六四    文體:    樂府

詩題:怨歌行

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

怨歌行

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

十五入漢宮,花顏笑春紅。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。

君王選玉色,侍寢金屏中。

君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。

かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。

寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。

しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。

#2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。

一朝不得意,世事徒為空。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。

寒苦不忍言,為君奏絲桐。

腸斷弦亦悲心夜忡忡。

 

(怨歌行)

【自注:長安にて人の出でて嫁する見る,友人 余をして代って之を為らしむ。】

十五、漢宮に入り、花顔、春紅を笑う。

君王 玉色を選び,寢に侍す金屏の中。

枕を薦めて夕月よりも嬌なり,衣を卷いて春風を戀う。

寧ろ知らんや 趙飛燕,寵を奪うて 恨 窮まり無きや。
#2

沈憂 能く人を傷ましめ,綠鬢 霜蓬と成る。

一朝 意を得ざれば,世事 徒らに空と為る。

鷫鷞は 美酒に換え,舞衣は 雕龍を罷む。

寒苦 言うに忍ばず,君が為に 絲桐を奏す。

腸 斷えて 弦 亦た,悲心 夜 忡忡

 

『怨歌行』 現代語訳と訳註解説
(本文)

怨歌行

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

十五入漢宮,花顏笑春紅。

君王選玉色,侍寢金屏中。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。

寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。
詩文(含異文)怨歌行#1

十五入漢宮,花顏笑春紅。君王選玉色,侍寢金屏中【侍寢錦屏中】。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風【卷衣戀香風】。寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。


(下し文)
怨歌行

【自注:長安にて人の出でて嫁する見る,友人 余をして代って之を為らしむ。】

十五、漢宮に入り、花顔、春紅を笑う。

君王 玉色を選び,寢に侍す金屏の中。

枕を薦めて夕月よりも嬌なり,衣を卷いて春風を戀う。

寧ろ知らんや 趙飛燕,寵を奪うて 恨 窮まり無きや。

(現代語訳)
班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。

君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。

かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。

しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。


(訳注)

怨歌行

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

 

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

李白の怨歌行は、班捷伃の詩に、依傍したものである。なお、妃嬪が寵愛を失って、持して民間に嫁しづく例は少ない。

『古詩源』では《怨歌行》、『玉台新詠』で《怨詩》とする。相和歌辞・楚調曲。

同様の趣に 、謝玄暉 (謝朓) 《玉階怨》  「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」(夕殿 珠簾を下し,流螢 飛び 復(また) (とま)る。長夜 羅衣を 縫ひ,君を思うこと 此に なんぞ 極(きわ)まらん。)

『金谷聚』 「渠碗送佳人,玉杯邀上客。車馬一東西,別後思今夕。」(渠碗(きょわん) 佳人を 送り,玉杯 上客を 邀(むか)ふ。車馬 一(ひとたび) 東西にせられ,別後 今夕を 思はん。)

李白   『怨情』    「美人捲珠簾,深坐嚬蛾眉。但見涙痕濕,不知心恨誰。」(美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。但 見る 涙痕の湿を、知らず 心に誰をか恨む。 ) 

李白  《紫藤樹》「紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。密葉隠歌島、香風留美人。」

李白  《客中行》「蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」

王維《班婕妤》 「怪來妝閣閉,朝下不相迎。總向春園裏,花間笑語聲。」(怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。)

班婕妤《怨詩》  

新裂齊紈素,皎潔如霜雪。 裁爲合歡扇,團團似明月。

出入君懷袖,動搖微風發。常恐秋節至,涼風奪炎熱。

棄捐篋笥中,恩情中道絶。

班婕妤(倢伃) (生没年不詳)は中国前漢の成帝の愛人。班況の娘で、班固や班超の従祖母に当たる女性。成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。長信宮に世を避けた倢伃は、悲しんで「怨歌行」を作る。その詩は『文選』『玉台新詠』『楽府詩集』『古詩源』などに載せられる。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。晋の陸機や唐の王維、王昌齢「西宮春怨・長信秋詞」などがそれである

怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

曹植 《怨歌行
為君既不易,為臣良獨難。忠信事不顯,乃有見疑患。
周公佐成王,金縢功不刋。推心輔王政,二叔反流言。
待罪居東國,泣涕常流連。皇靈大動變,震雷風且寒。

拔樹偃秋稼,天威不可干。素服開金縢,感悟求其端。

公旦事既顯,成王乃哀嘆。吾欲竟此曲,此曲悲且長。

今日樂相樂,別後莫相忘。

怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

溫庭筠《清平樂二首其一》「新清平思同輦,爭那長安路遠。」(新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。)

1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512

 

十五入漢宮,花顏笑春紅。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。

○十五 十数歳に達した「良家の子女」は、後宮のある種の選抜をへて多数宮廷に入ったのであるが、彼女たちの中のほんの少しの者だけが幸運を得て妃嬢に列し、大多数の者は名もなき宮女のままで生涯を終えたのである。このように良家の子女を選抜するのが、宮廷女性の主要な来源であり、宮廷女性の中で少なからざる比率を占めていた。

○入漢宮 『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。八十一御妻の皇后を除き、総称として「妃嬪」と呼ぶ。妃嬪選抜に漏れたものは、宮女として、二十二歳程度で解放される。

皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

 

君王選玉色,侍寢金屏中。

君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。

○君王 班捷伃、趙飛燕の時、前漢十一代皇帝、成帝(在位期間, 33 - 7年の24年間)である。

○選玉色 君王が直接に妃嬪を選定することはないが、宮女の中のものを妃賓に抜擢することは通常のこととしてあった。

○侍寢金屏中 そうして、一度になるか長期的な寵愛を得ることになるかは、寝牀のこととなってゆく。

 

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。

かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。

薦枕 ベッドに誘うこと。

○夕月:蛾眉などと同じようにつかわれ、,三日月、蛾の触角のように細長く曲がってくっきりと目立つ,美人の眉のことをいい、美人の女性をさす。 3前後, 夕月 (ゆうづき), 夕方見える月のことで,三日月を指すことが多い。

 

寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。

しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。

○趙飛燕 前漢末期の皇帝である成帝(在位前32~前7)の皇后。卑賤(ひせん)の生まれから身をおこして陽阿主(ようあしゆ)に仕え、そこで歌舞を習得し、偶然陽阿主の家を訪れた成帝の目に留まって妹とともに後宮入りし、ついには皇后となった。しかし前漢王朝きっての放恣(ほうし)な皇帝が、ある夜突然死去したために、成帝とその夜をともにした妹に嫌疑がかかり妹は自殺に追い込まれてしまう。やがて宮廷内で王莽(おうもう)の勢力が伸張すると、飛燕もただの庶人に格下げされて、妹の後を追う。このように卑賤の身から一転して後宮の栄華をほしいままにし、最後には凋落(ちょうらく)の道をたどる趙飛燕姉妹の波瀾(はらん)の生涯は、やがて文学作品『趙飛燕外伝』となった。この作品は、彼女の血縁者から直接聞き取りの形で書き上げられたと伝えられるが、実際には後世の偽作とされる。

趙合徳:成帝の妃で婕妤から昭儀に進んだ。姉である趙皇后(趙飛燕)の妹で、姉と共に皇帝の寵愛を欲しいままにしたと言われる。成帝とその夜をともにしていた時、突然死去したために、嫌疑がかかり自殺においこまれた。合徳に関する記述の殆どは後漢~唐代の頃に書かれたと思われる『飛燕外伝』にある。

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李白  君子有所思行#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

されば、今しも、「開元の治」といわれ、太平の御世にあたり、鐘を鳴らして、「一芸に秀でたもの」を集め、歌に和する音楽はとこしえにやまないが、奈何せん、栄華は流水の如く、とかく去り易いもので、老も亦た、逼ってくるもの、誰でも始終若くているわけには行かないのである。たとえば、十五夜の月が満ちると、直にかけ始めるように、又、太陽が其地の子午線に到達すれば、やがて影が斜になると同じく、如何なる物でも、最盛絶頂は、即ち衰微の第一歩である。そこで、疏廣が晩年家居して、天子や東宮から頂戴した金を惜し気もなく使い果したようにせず、ケチな眞似をして金を貯へて置いたところで、日が西に走って、やがて匿くれるのを防ぎ止めることは、できはしないし、すぐに死は来るのである。むかし、齋の景公は牛山に登って、「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と欺息し、悽惻悲愴の極、涙は流れて胸間をうるおしたというが、そうしたところで、仕方がないのであり、盈満を戒めて、自ら其身を慎まねばならないということなのである。

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年:743年天寶二年43歳 94-25

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    君子有所思行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)    

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

牛山 (河南道 青州 牛山)   

 

 

君子有所思行

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。

憑崖望咸陽,宮闕羅北極。

長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。

萬井驚畫出,九衢如絃直。

その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。

朝野盛文物,衣冠何翕赩。

今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。

馬散連山,軍容威域。

それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。

伊皋運元化,衛霍輸筋力。

玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。

#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

されば、今しも、「開元の治」といわれ、太平の御世にあたり、鐘を鳴らして、「一芸に秀でたもの」を集め、歌に和する音楽はとこしえにやまないが、奈何せん、栄華は流水の如く、とかく去り易いもので、老も亦た、逼ってくるもの、誰でも始終若くているわけには行かないのである。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

たとえば、十五夜の月が満ちると、直にかけ始めるように、又、太陽が其地の子午線に到達すれば、やがて影が斜になると同じく、如何なる物でも、最盛絶頂は、即ち衰微の第一歩である。

不散東海金,何爭西飛匿。

そこで、疏廣が晩年家居して、天子や東宮から頂戴した金を惜し気もなく使い果したようにせず、ケチな眞似をして金を貯へて置いたところで、日が西に走って、やがて匿くれるのを防ぎ止めることは、できはしないし、すぐに死は来るのである。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

むかし、齋の景公は牛山に登って、「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と欺息し、悽惻悲愴の極、涙は流れて胸間をうるおしたというが、そうしたところで、仕方がないのであり、盈満を戒めて、自ら其身を慎まねばならないということなのである。

(君子有所思行)#1

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。

崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。

萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
#2

渭水 銀河清く,天に橫って流れ息まず。

朝野 文物 盛なり,衣冠 何ず翕赩。

馬 連山に散じ,軍容 域をす。

伊皋は 元化を運し,衛 霍 筋力を輸す。

#3

歌鐘 樂 未だ休まず,榮 去って 老 還た逼る。

圓光 滿を過ぐれば缺け,太陽 中を移れば昃す。

東海の金を散ぜざれば,何ぞ西飛の匿るるを爭わん。

牛山の悲しみを作,惻愴 淚 臆を沾すこと無れ。

 

 

『君子有所思行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

詩文(含異文)#3

歌鐘樂未休【歌鐘樂休明】,榮去老還逼。圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿【何爭西輝匿】。無作牛山悲,惻愴淚沾臆。


(下し文)
#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。


(現代語訳)
#3

されば、今しも、「開元の治」といわれ、太平の御世にあたり、鐘を鳴らして、「一芸に秀でたもの」を集め、歌に和する音楽はとこしえにやまないが、奈何せん、栄華は流水の如く、とかく去り易いもので、老も亦た、逼ってくるもの、誰でも始終若くているわけには行かないのである。

たとえば、十五夜の月が満ちると、直にかけ始めるように、又、太陽が其地の子午線に到達すれば、やがて影が斜になると同じく、如何なる物でも、最盛絶頂は、即ち衰微の第一歩である。

そこで、疏廣が晩年家居して、天子や東宮から頂戴した金を惜し気もなく使い果したようにせず、ケチな眞似をして金を貯へて置いたところで、日が西に走って、やがて匿くれるのを防ぎ止めることは、できはしないし、すぐに死は来るのである。

むかし、齋の景公は牛山に登って、「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と欺息し、悽惻悲愴の極、涙は流れて胸間をうるおしたというが、そうしたところで、仕方がないのであり、盈満を戒めて、自ら其身を慎まねばならないということなのである。


(訳注) #3

君子有所思行

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

楽府古題要解 君子有所思行、“陸機「命賀登北山」、鮑照「西山登雀臺」、沈約「晨策終南首」,其旨言雕室麗色,不足為久歡,晏安酖毒,滿盈所宜敬忌,與《君子行》也。”(陸機「賀を命ぜられ北山に登る」、鮑照「西山雀臺に登る」、沈約「晨策 終南首」,其の旨、雕室麗色,久歡を為すに足らず,晏安酖毒,滿盈は宜しく敬忌すべき所,《君子行》となるを言う。)とあって、李白の此作も、矢張、その古意を踏襲したのである。また、謝靈運《君子有所思行》「總駕越鍾陵,還願望京畿,躑躅周名都,遊目倦忘歸,」(總駕【そうが】は鍾陵【しょうりょう】を越え,還た願って京畿を望む,躑躅【てきちょく】名都を周り,遊目し倦【う】みて歸るを忘る,)

陸機、鮑照、沈約は山に登ることを例えに、謝靈運は、官を辞して車馬での帰郷を例えに王朝の滿盈を戒める詩を作ったのである。

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320

 

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

されば、今しも、「開元の治」といわれ、太平の御世にあたり、鐘を鳴らして、「一芸に秀でたもの」を集め、歌に和する音楽はとこしえにやまないが、奈何せん、栄華は流水の如く、とかく去り易いもので、老も亦た、逼ってくるもの、誰でも始終若くているわけには行かないのである。

歌鐘樂未休 鐘を鳴らして、歌に和する音楽は、長しえにやまない。玄宗の前半の治世は「開元の治」と称され、唐の絶頂期と評価されている。玄宗が行った政策は仏教僧達の度牒(現在に例えれば宗教法人資格)の見直し、税制改革、節度使制の導入などである。これらの玄宗初期の政策を玄宗の下で行ったのは武則天に見出された姚崇・宋璟の両宰相である。玄宗が楊貴妃を寵愛していた間に朝政を運営したのは、宰相・李林甫である。李林甫は政治能力は高いが、その性格は悪辣な面があると評され、政敵を策略により次々と失脚させている。

 

圓光過滿缺,太陽移中昃。

たとえば、十五夜の月が満ちると、直にかけ始めるように、又、太陽が其地の子午線に到達すれば、やがて影が斜になると同じく、如何なる物でも、最盛絶頂は、即ち衰微の第一歩である。

圓光 十五夜の月。

中昃 その他の子午線

 

不散東海金,何爭西飛匿。

そこで、疏廣が晩年家居して、天子や東宮から頂戴した金を惜し気もなく使い果したようにせず、ケチな眞似をして金を貯へて置いたところで、日が西に走って、やがて匿くれるのを防ぎ止めることは、できはしないし、すぐに死は来るのである。

東海金 疏広と疏受とは官を辞して帰里する。《漢書》卷七十一〈雋疏于薛平彭列傳疏廣(兄子)疏受〉

 

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

むかし、齋の景公は牛山に登って、「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と欺息し、悽惻悲愴の極、涙は流れて胸間をうるおしたというが、そうしたところで、仕方がないのであり、盈満を戒めて、自ら其身を慎まねばならないということなのである。

牛山悲 齋の景公の牛山に登り、国を去りて死するを悲しむ

惻愴 悽惻悲愴の極。

臆 胸骨

 

 

《漢書》卷七十一〈雋疏于薛平彭列傳疏廣(兄子)疏受〉~3039

疏廣字仲翁,東海蘭陵人也。少好學,明春秋,家居教授,學者自遠方至。徵為博士太中大夫。地節三年,立皇太子,選丙吉為太傅,廣為少傅。數月,吉遷御史大夫,廣徙為太傅,廣兄子受字公子,亦以賢良舉為太子家令。受好禮恭謹,敏而有辭。宣帝幸太子宮,受迎謁應對,及置酒宴,奉觴上壽,辭禮閑雅,上甚讙。頃之,拜受為少傅。……子外祖父特進平恩侯許伯以為太子少,白使其弟中郎將舜監護太子家。上以問廣,廣對曰:「太子國儲副君,師友必於天下英俊,不宜獨親外家許氏。且太子自有太傅少傅,官屬已備,今復使舜護太子家,視陋,非所以廣太子德於天下也。」上善其言,以語丞相魏相,相免冠謝曰:「此非臣等所能及。」廣繇是見器重,數受賞賜。太子每朝,因進見,太傅在前,少傅在後。父子並為師傅,朝廷以為榮。在位五,皇太子年十二,通論語、孝經。廣謂受曰:「吾聞『知足不辱,知止不殆』,『功遂身退,天之道』也。今仕官至二千石,宦成名立,如此不去,懼有後悔,豈如父子相隨出關,歸老故,以壽命終,不亦善乎?」受叩頭曰:「從大人議。」即日父子俱移病。滿三月賜告,廣遂稱篤,上疏乞骸骨。上以其年篤老,皆許之,加賜黃金二十斤,皇太子贈以五十斤。公卿大夫故人邑子設祖道,供張東都門外,送者車數百兩,辭決而去。及道路觀者皆曰:「賢哉二大夫!」或歎息為之下泣。

 

疏広と疏受とは官を辞して帰里する

皇太子の太傅は疏広と言ったが、彼は蘭陵の人である。 疏広の兄の子が疏受であった。 疏受はその次官、少傅となっていた。 皇太子奭が宮中に参上するたびに疏広と疏受はつきしたがって宣帝に謁した。 疏広は皇太子の前に、疏受はその後ろにいた。共に皇太子の師であったからである。 朝廷の人たちはこのことを名誉なことだとした。 あるとき、 疏広太傅が疏受少傅に言った。

「吾聞く、『足るを知るは辱められず、止まるを知ればすなわち殆あやうからず。 この時に去らなければ必ず後悔あり。』

  今、仕官すること二千石に至り、務めを果たし、名声を得ている。名声を得れば身を引くのが天道であり、 自然の原理である。どうであろう。故郷に帰って年を重ね、生涯を終えるにこしたことはあるまい。」

すると疏受は跪いて疏広に言った。

  「願わくば私もこれに従わせてください。」

そこで二人は宣帝に上奏して言った。

  「病のため暇を乞こうたき存じ上げます。」

宣帝は疏広と疏受に休暇を三ヶ月給した。三ヶ月経つとまた疏広と疏受が上書して言った。

  「病が篤く、郷里にて骸骨を乞いたいと思っております。」

宣帝はこれを許し、黄金二十斤を加賜した。皇太子奭は これとは別に金五十斤を賜った。 疏広と疏受は拝謝してこれを受けた。

 

疏広と疏受が荷物を纏めて都を出るとき、 公・卿・大夫に友人・住民が、祖道を祭って(旅の安全を祈願して)の送別会 を開いた。 東都門の外に会場の幕を張り、見送りの車は数百輛に及んだ。 住民は禁じ得ずに疏広、疏受に言った。

  「賢きなるかなニ大夫!」

疏広と疏受が蘭陵に帰郷すると、 日々酒食を用意し、一族のほかに旧友・客人を招いて共に 一緒に楽しみ、そのつど、賜わった黄金を売って費用に当てた。 ある人が、田地と住宅を買うように勧めた。 疏広は言った。

  「私が思いますに、自分たちはもともと家付きの田地を持っています。 子孫をそこで働かせれば衣食を賄うには充分足ります。この金は帝が老臣を恵み、 慈しみ養うために賜わられたのです。 ですから、郷里の仲間や親族と共にその賜わった金を饗して散らし、 わたしの余生が終わるまで楽しむのです。」

  と。 一族は喜び、心から従った。

 一年経つ頃には下賜された黄金が尽きた。 子供達はそれを見ていて心配になり、一族の父老に節省を勧めるよう頼んだ 父老が疏広に言うと、疏広は言った。

  「私は老いたとはいえ、もちろん子のことを思わないわけがない。 顧みれば我が家には田地がある。 子孫をそこで働かせれば衣食を賄うには充分足る。 それ以上の益を増して、財を大きくすれば、子孫が怠惰になってしまう。 だから財を多く残したところで無益だ。ただその害 のみが恐ろしい。 賢にして財多ければ、則ちその志を損い、愚にして財 多ければ、すなわちその過あやまちを益ます。 (賢くても財産が多くあれば、高い志を抱きながら安楽に流れてかえってその志を失い、 愚で財産が多くあれば、放蕩に走って過ちを増す。)ついには自ら亡ぶところになりにけり。」

  それを聞いた子供達は財について口にすることがなくなった。 疏広と疏受は余金も使い果たし、家に財産を残さなかった。 二人とも天寿を全うして逝去した。

  さて、時に世は太平。民衆は各々富を手に入れていたが、足るを知らなかった。 昭帝の時代以来、民衆は美しい物、衣服、飾り、金銀宝石、玉璧に鼈甲、象牙、 美味なる物を求めていた。民衆がこれだけ奢侈に走るのは有史以来最高潮であった。 鳥においては鶏肉や鴨肉、アヒル肉、鶏卵で満足できず、 珍味を求めて野鳥の肉や卵、燕や珍しい鳥の巣や卵などがふんだんに食されるようになっていた。 そのために野鳥の数が減少している、という報告がなされた。

 

 

 

「晏子春秋」

景公登牛山悲去國而死晏子諫第十七