漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2016年01月

743年(70)李太白集卷十六23-《送白利從金吾董將軍西征》(西羌延國討,) 389Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(70) Ⅰ李白詩1745 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7265

李白  送白利從金吾董將軍西征

西羌延國討,白起佐軍威。劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

743年(70

送白利從金吾董將軍西征

kanbuniinkai紀頌之の

漢詩ブログ7265

李太白集

卷十六23

389

Index-23-2

743年天寶二年43歳 94-70

 

 

 
  2016年1月31日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(70)李太白集卷十六23-《送白利從金吾董將軍西征》(西羌延國討,) 389Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(70) Ⅰ李白詩1745 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7265  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128《 巻01-13南山詩 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(1)<1657> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7261  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-18 # 1 《杜少陵集 19-21 甘林 》#1 杜甫詩index-15-1124 <1574> 767年大暦2年56歲-18 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7267  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻 八49 菩薩蠻二首 其一 13 魏承班 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》401巻八49 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7269  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-70

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送白利從金吾董將軍西征

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:白利          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

董將軍    詩文提及

 

 

送白利從金吾董將軍西征

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西羌延國討,白起佐軍威。

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

白利の金吾董將軍に從って西征するを送る)

西羌 國討を延べ,白起 軍威を佐く。

劍は決す 浮雲の氣,弓は彎く 明月の輝。

馬 行いて 邊草綠なり,旌 卷いて 曙霜飛ぶ。

手を抗げて 凜として相い顧みれば,寒風 鐵衣に生ず。

 

『送白利從金吾董將軍西征』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送白利從金吾董將軍西征

西羌延國討,白起佐軍威。

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。
詩文(含異文)

西羌延國討,白起佐軍威。劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛【旗卷曙霜飛】。抗手凜相顧,寒風生鐵衣。


(下し文)

白利の金吾董將軍に從って西征するを送る)

西羌 國討を延べ,白起 軍威を佐く。

劍は決す 浮雲の氣,弓は彎く 明月の輝。

馬 行いて 邊草綠なり,旌 卷いて 曙霜飛ぶ。

手を抗げて 凜として相い顧みれば,寒風 鐵衣に生ず。

(現代語訳)
送白利從金吾董將軍西征(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

安史の乱期 勢力図 002長安皇城宮城00
(訳注)

送白利從金吾董將軍西征

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

唐書百官志に「左右金吾衞上将軍各々一人、将軍各々二人」とある。董将軍は、名字不詳。この詩は、白利というものが、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送って作ったものである。

これは五言律詩で、中間両聯が叙景、即ち実事であるところに、内容が充実したように見える。それから、白起は、同姓の故を以て点醒したので、例の慣用手段である。結句二句は、邊庭苦寒の状を述べて、従軍者を勗励したものである。

 

西羌延國討,白起佐軍威。

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

西羌 青海省は漢族からはチベット系の〈羌(きよう)〉族の住む地とされた。漢代には西羌とよばれ,西寧西方には臨羌県もおかれた。後漢には西平郡がおかれ,西寧は西都県に属し郡の治所となった。

《後漢書西羌傳》「西羌之本,出自三苗,姜姓之別也。其國近南嶽。及舜流四凶,徙之三危,河關之西南羌地是也。濱于賜支,至乎河首,撓地千里。賜支者,禹貢所謂析支者也。南接蜀、漢徼外蠻夷,西北接鄯善、車師諸國。所居無常,依隨水草。地少五穀,以牧為業。

 遅延。

白起 白 起(はく き、? - 紀元前25711月)は、中国・戦国時代末期の秦の武将。公孫起とも表記される。秦国郿県(現在の陝西省眉県)の出身。昭襄王に仕え、各地を転戦して趙・魏・楚などの軍に数々の勝利を収め、秦の領土拡大に貢献した。戰國四大名將(白起、廉頗、王翦、李牧)のうち最も勇壮な将軍であった。白起は用兵を善くし,史書に “敵を料り合變す,奇に出し窮めること無し,天下に聲震す”と 記載されている。他に一生征戰37年,百戦百勝まけしらずであり,戦国六國に敵として比するものはなかった。

 

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

劍決浮雲氣 莊子、雜篇劍》「運之无旁,上決浮雲,下地紀。(天子の剣は、上は浮雲を決り、下は地紀(大地の根本)を断つ。)とあるのにもとづくもの。

李白《古風,五十九首之三》「秦皇掃六合。虎視何雄哉。揮劍決浮云。諸侯盡西來。明斷自天。大略駕群才。收兵鑄金人。函谷正東開。」(秦皇 六合を掃いて、虎視 何ぞ 雄なる哉。 劍を揮って 浮云を決れば、諸侯 盡く西に來る。明斷 天よりき、大略 群才を駕す。 兵を收めて 金人を鑄【い】り、函谷 正に東に開く。)とある。

 

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

 

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

抗手凜相顧 凛として身ぶるいをすることで、手をあげて拝し、相顧みつつある間に~する。抗手とは手をあげて拝することをいう。《孔叢子》卷下〈儒服〉「子高游趙, 平原君客有鄒文、 季節者與子高相友善。 及將還魯, 故人訣既畢, 文節送行, 三宿臨別, 文節流涕交頤, 子高徒抗手而已, 分背就路。」(子高趙に游ぶ, 平原君の客に鄒文、 季節という者有り、子高と相い友善し。將に魯に還らんとするに及び, 故人訣れて既に畢る, 文節 送行, 三宿別に臨み, 文節 流涕頤に交り, 子高 徒らに抗手するのみ,背を分って路に就く。)とある。

鐵衣 将軍は寒風吹く中、鐵衣を輝かして百戦百勝し、帰ってきて朝堂に坐す天子にまみえるもであるという意味の語。《樂府詩集橫吹曲辭五木蘭詩》:朔氣傳金柝, 寒光照鐵衣。”とあり、「将軍百戰死,壯士十年歸。 歸來見天子,天子坐明堂。」(將軍は百戰して死し,壯士は十年して歸える。 歸り來れば天子に見ゆ,天子明堂に坐す。)ということに基づいている。
8世紀唐と周辺国00 

743年(69)李太白集卷十六21-《送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風,) 388Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(69) Ⅰ李白詩1744 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7260

李白  送族弟綰從軍安西

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。
(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

743年(69)李太白集卷十六21-《送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風,) 388Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-69) Ⅰ李白詩1744 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7260


 
  2016年1月30日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(69)李太白集卷十六21-《送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風,) 388Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(69) Ⅰ李白詩1744 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7260  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128《 巻01-13南山詩 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(1)<1657> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7261韓愈詩-韓愈128  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-17 杜少陵集19-23 雨 -#4 杜甫詩index-15 1123 <1573> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7262   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 李太白集  339《太白巻三19-白頭吟》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7268 (01/30)  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八48 漁歌子二首其二 12 孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》400巻八48 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の 漢詩ブログ-7264  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-69

卷別:    卷一七六              文體:    七言律詩

詩題:    送族弟綰從軍安西

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              安西都護府 (隴右道西部 無第二級行政層級 安西都護府) 別名:安西幕府

葡萄宮 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:李綰          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送族弟綰從軍安西

(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

(族弟綰の安西に從軍するを送る)

漢家の兵馬 北風に乘じ,鼓行して西し 犬戎を破る。

爾 漢將に隨って門を出でて去り,虜を剪ること草の若く奇功を收む。

君王 劍を按じて邊色を望めば,旄頭 已に落ちて 胡天空し。

匈奴 頸を繫いで 數 應に盡すべし,明年 應に入るべし 葡萄宮に。

 

『送族弟綰從軍安西』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送族弟綰從軍安西

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。
詩文(含異文)     漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。君王按劍望邊色【君王按劍望邊邑】,旄頭已落胡天空。匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。


(下し文)
(族弟綰の安西に從軍するを送る)

漢家の兵馬 北風に乘じ,鼓行して西し 犬戎を破る。

爾 漢將に隨って門を出でて去り,虜を剪ること草の若く奇功を收む。

君王 劍を按じて邊色を望めば,旄頭 已に落ちて 胡天空し。

匈奴 頸を繫いで 數 應に盡すべし,明年 應に入るべし 葡萄宮に。

(現代語訳)
送族弟綰從軍安西(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。


(訳注)

送族弟綰從軍安西

(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

族弟綰、一に琯に作る。安西は、通典に「安西都護府は、本と亀玆國なり、大唐明慶中に置く。東、焉耆に接し、西、疏勒に連なり、南、吐蕃に鄰り、北、突厥を拒ぐ」とある。すると、この詩は、族弟李綰といふものが、従軍して安西都護府に赴くを送って作ったのである。

743年(63)李太白集卷十六08-《送竇司馬貶宜春》(天馬白銀鞍,) 382Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(63) Ⅰ李白詩1737 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7225

743年(64)李太白集卷十六10-《送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》(安西幕府多材雄,) 383Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(64) Ⅰ李白詩1738 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7230

743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(65) Ⅰ李白詩1739 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7235

743年(67)李太白集卷十六18-2-《送外甥鄭灌從軍,三首之二》(丈八蛇矛出隴西,) 386Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(67) Ⅰ李白詩1742 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7250

 

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

漢家 唐王朝の義、中国という意。

鼓行 西域の戦いに進行する出征兵士の戦意を鼓舞する鼓。漢書 項籍傳 「我引兵鼓行而西,必舉秦矣。」(我 兵を引いて、鼓行して西せば,必ず秦を舉げん。)

犬戎 西戎のこと。西戎あるいは戎および犬戎は、四夷の一つ。中国西部に住んでいた遊牧民族で、たびたび中国の歴代王朝に侵入して略奪を行ったことから、西戎という言葉に蔑んだ意味合いを込めている。古代中国人がトルコ族・チベット族など西方の異民族を称した語。

 

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

 

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

邊色 邊塞地の景色。

旄頭 星名。二十八星宿之一,白虎七宿の第四星と為す。昴星。すばるぼし(六連星:異称)おうし座17番星、戦に吉兆。(神仏詣で・祝い事・開店に吉)《漢書.卷二六.天文志》:「昴を旄頭と曰う,胡星なり,白衣の會を為す。」とある。

 

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

匈奴繫頸 《漢書》卷四十八《賈誼傳》「陛下何不試以臣為屬國之官以主匈奴?行臣之計,請必系單于之頸而制其命,伏中行而笞其背,舉匈奴之眾唯上之令。」(陛下 何ぞ試みに臣を以て 屬國の官と為し以て匈奴を主らさん?臣の計を行はざる,請う必ず單于の頸を系ぎて其の命を制せん,中行の伏して其の背に笞ち,匈奴の眾を舉げ唯だ之の令を上る。)とある。

葡萄宮 葡萄宮 漢の上林苑にあった宮の名、唐の御苑内の宮をいうのに天子を指すことになるので、古い呼び名をかり用いる。事実は758年乾元元年八月、回紇が其の臣骨啜特勅及び帝徳をつかわし、驍騎三千をもって安慶緒を討つことを助けさせた。天子は、朔方左武鋒便僕国懐恩をして、これを領せしめたということがある。葡萄宮:漢元帝時,單于來朝,居上林苑葡萄宮。此指回紇長安住所。

《漢書》卷九十四下《匈奴傳下》

元壽二年,單于來朝,上以太厭勝所在,舍之上林苑蒲陶宮。告之以加敬於單于,單于知之。加賜衣三百七十襲,錦繡繒帛三萬匹,絮三萬斤,它如河平時。既罷,遣中郎將韓況送單于。單于出塞,到休屯井,北度車田盧水,道里回遠。況等乏食,單于乃給其糧,失期不還五十餘日。

杜甫       06-55 洗兵馬()》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉葡萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

743年(68)李太白集卷十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》(月蝕西方破敵時,) 387Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(68) Ⅰ李白詩1743 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7255

李白  送外甥鄭灌從軍,三首之三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

743年(68

送外甥鄭灌從軍,三首之三

387

743年天寶二年43歳 94-68

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7255

李太白集
卷十六18-3

Index-23-2

 

 
  2016年1月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(68)李太白集卷十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》(月蝕西方破敵時,) 387Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(68) Ⅰ李白詩1743 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7255  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩 #9(31~34) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7251  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-17 杜少陵集19-23 雨 -#3 杜甫詩index-15 1122 <1572> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7257   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八47 漁歌子二首其一 12 孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》399巻八47 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7259  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-68

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之三

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の三)

月蝕 西方 敵を破るの時,瓜に及んで歸る日 未だ應に遲かるべからず。

胡を斬れば 血は變ず黃河の水,首を梟す 當に懸くべし 白鵲の旗。
8世紀唐と周辺国00

 

『送外甥鄭灌從軍,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

(下し文)
(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の三)

月蝕 西方 敵を破るの時,瓜に及んで歸る日 未だ應に遲かるべからず。

胡を斬れば 血は變ず黃河の水,首を梟す 當に懸くべし 白鵲の旗。

(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之三(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。


(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之三

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

 

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

14 月蝕 月蝕、英語: lunar eclipse)とは地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える現象のことである。望(満月)の時に起こる。 日食と違い、月が見える場所であれば地球上のどこからでも同時に観測・観察できる。ここでは、西域の異民族を打ち破る絶好の時期である。

15 及瓜歸日 瓜期(カキ):任期が終わった時。更代の時。→ 瓜時(カジ)。瓜の熟する時、陰暦七月。春秋、斉の襄公が連称と管至父とをして葵丘を戍(まも)らせ、瓜の熟する頃に遣して明年の瓜の熟する頃に更代(こうたい)させようと約した故事。転じて任期の満ちるとき。更代の時期。 《左傳·荘公八年》齊侯使連稱、管至父戍葵丘,瓜時而往,曰:“及瓜而代。"

 

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

16 梟首 斬首した人の首を木にかけてさらすこと。また、その首。

17 白鵲旗 吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗。白鵲白羽鵲。 古時以為瑞鳥。 《舊唐書五行志》「貞觀初, 白鵲巢於殿庭之槐樹, 其巢合歡如腰鼓, 左右稱賀。」

 

 安史の乱期 勢力図 002

 

 

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首 【字解】

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

7 丈八蛇矛 一種矛, 長一丈八尺, 形狀像長槍。 晉書·卷一○三·劉曜載記:安左手奮七尺大刀, 右手執丈八蛇矛。”十六國春秋に「隴上の人、壮士の歌か作って日く、丈八蛇矛左右盤、十十決無當前」とある。・十蕩十決拼音:shi2 dang4 shi2 jue2 多次衝擊, 每次皆能衝破敵陣。 形容作戰驍勇。 樂府詩集·卷八十五·雜歌謠辭三·隴上歌: “驄父馬鐵鍛鞍, 七尺大刀奮如湍, 丈八蛇矛左右盤, 十蕩十決無當前。

8 隴西 隴西郡は中華人民共和国甘粛省にかつて存在した郡。漢代から隋初にかけて現在の甘肅省東南部に設置された。607年に設置された同名の隴西郡があるが、これは渭州を改称したものであり別の行政区画である。 隴西郡が初めて設置されたのは秦初に三十六郡が設置された際である。

9 彎弧 (弯弧)木の弓のこと。 《太平廣記》卷三二五引南朝梁任昉《述异記薄紹之》「有一人, 披錦袍, 彎弧注鏃, 直向紹之。」

10 拂箭 木の弓を放つ

11 白猿啼 春秋時代の弓の名人。楚の荘王・共王に丈夫として仕え、射術の妙によって有名となる。その弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、蜻蛉の羽根を射ることができ、また100歩離れて柳の葉を射て百発百中であったともいう。楚王はかつて白猿を飼い自分で射てみたが、白猿は飛んでくる矢を捕らえて戯れたので、養由基を召して射させることにした。養由基が弓をととのえて矢をつがえ、まだ発しないうちに白猿は泣き叫んで木にしがみついたという。また共王が戦に敗れたとき、養由基は殿(しんがり)をつとめ1本の矢で複数の兵を倒す妙技を発揮し、敵を近寄せなかったともいう。生没年未詳。養由。《淮南子》卷十六〈山訓〉「楚王有白蝯,王自射之,則搏矢而熙;使養由基射之,始調弓矯矢,未發而蝯擁柱號矣,有先中中者也。(楚王白蝯有り,王 自ら之を射れば,則ち矢を搏って熙ぶ;使養由基をして之を射らしむ,始め弓を調へ矢を矯む,未だ發せざるにして蝯 柱を擁して號ばん,先に中る有るは中る者なり。)

12 龍韜策 古代の兵法書。《六韜》と《三略》のこと。《六韜》は周の功臣太公望の著とされ,《三略》は漢の功臣張良が黄石公から授かったとされるが仮託である。兵法七書中の2を占める。六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民(けいせいさいみん)の術、富国強兵の策を説くもので、第1巻は文韜12編・武韜5編、第2巻は龍(りゅう)13編・虎韜12編・第3巻には豹(ひょう)8編・犬(けん)10編、計360編からなり、文・武では治国、龍韜は奇変、虎韜は勇猛果断、豹韜は奇計、犬韜は突進を主題としている。三略は上略・中略・下略の3巻からなり、戦略の機微を上・中・下の三つに分かち、礼賞を設けて奸雄(かんゆう)を分かち、賢者を用いて国の安危を察し、将を御(ぎょ)して衆を暢()ぶるの道を明らかにしている。わが国では、934年(承平4)大江維時(おおえのこれとき)が唐から帰朝の際に持ち帰ったと伝え、以後大江家の兵法となり、源家(げんけ)の古伝(こでん)兵法に受け継がれたという。

13 積甲應將熊耳齊 兵甲堆疊如山。極言其多。《後漢書·劉盆子傳》赤眉軍は中国の新朝末に発生した農民反乱軍の名称。眉を赤く染め政府軍と区別したことから赤眉軍と称される。この赤眉軍を平定した、後漢書に「積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。」とある故事をいう。劉秀は宜陽に行幸し、司馬を先鋒、中軍を次鋒とし、驍騎・元戎の陣列を左右に展開した。赤眉軍は恐怖におののき、劉恭を使者として降服を願い出て、劉盆子・徐宣らの二十人あまりは着物を脱いで更始帝の璽綬を献上し、宜陽の城西に積みあげられた武具は熊耳山と同じ高さになった。

《後漢書·劉盆子傳》「赤眉忽遇大軍,驚震不知所謂,乃遣劉恭乞降曰:“盆子將百萬衆降陛下,何以待之?”帝曰:“待汝以不死耳!”丙午,盆子及丞相徐宣以下三十餘人肉袒降,上所得傳國璽綬。積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。後漢書に「赤眉、忽ち大軍に遇ひ、驚震、為すところを知らず、乃ち劉恭を遣わして降を乞う。兵甲を宜陽城西に積んで、熊耳山と斉し」とある。

743年(67)李太白集卷十六18-2-《送外甥鄭灌從軍,三首之二》(丈八蛇矛出隴西,) 386Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(67) Ⅰ李白詩1742 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7250

李白  送外甥鄭灌從軍,三首之二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

743年(67

送外甥鄭灌從軍,三首之二

386

743年天寶二年43歳 94-67

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7250

李太白集
卷十六18-2

Index-23-2

 

 
  2016年1月28日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(67)李太白集卷十六18-2-《送外甥鄭灌從軍,三首之二》(丈八蛇矛出隴西,) 386Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(67) Ⅰ李白詩1742 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7250  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩 #8(27~30) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7251  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-17 杜少陵集19-23 雨 -#2 杜甫詩index-15 1121 <1571> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7252   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八46 望梅花一首 12 孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》398 巻八46 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7254  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

 

年:743年天寶二年43歳 94-67) 

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              隴西 (隴右道東部 渭州 隴西)           

熊耳山 (都畿道 河南府 熊耳山)       

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。

 

『送外甥鄭灌從軍,三首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

(下し文)
(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。


(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之二(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。


(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之二

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

【餘論】この首は、毎句に故事を用いて居るが、善く融化して、少しも、わざとらしい處のないのは、

 

 

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

7 丈八蛇矛 一種矛, 長一丈八尺, 形狀像長槍。 晉書·卷一○三·劉曜載記:安左手奮七尺大刀, 右手執丈八蛇矛。”十六國春秋に「隴上の人、壮士の歌か作って日く、丈八蛇矛左右盤、十十決無當前」とある。・十蕩十決拼音:shi2 dang4 shi2 jue2 多次衝擊, 每次皆能衝破敵陣。 形容作戰驍勇。 樂府詩集·卷八十五·雜歌謠辭三·隴上歌: “驄父馬鐵鍛鞍, 七尺大刀奮如湍, 丈八蛇矛左右盤, 十蕩十決無當前。

8 隴西 隴西郡は中華人民共和国甘粛省にかつて存在した郡。漢代から隋初にかけて現在の甘肅省東南部に設置された。607年に設置された同名の隴西郡があるが、これは渭州を改称したものであり別の行政区画である。 隴西郡が初めて設置されたのは秦初に三十六郡が設置された際である。

9 彎弧 (弯弧)木の弓のこと。 《太平廣記》卷三二五引南朝梁任昉《述异記薄紹之》「有一人, 披錦袍, 彎弧注鏃, 直向紹之。」

10 拂箭 木の弓を放つ

11 白猿啼 春秋時代の弓の名人。楚の荘王・共王に丈夫として仕え、射術の妙によって有名となる。その弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、蜻蛉の羽根を射ることができ、また100歩離れて柳の葉を射て百発百中であったともいう。楚王はかつて白猿を飼い自分で射てみたが、白猿は飛んでくる矢を捕らえて戯れたので、養由基を召して射させることにした。養由基が弓をととのえて矢をつがえ、まだ発しないうちに白猿は泣き叫んで木にしがみついたという。また共王が戦に敗れたとき、養由基は殿(しんがり)をつとめ1本の矢で複数の兵を倒す妙技を発揮し、敵を近寄せなかったともいう。生没年未詳。養由。《淮南子》卷十六〈山訓〉楚王有白蝯,王自射之,則搏矢而熙;使養由基射之,始調弓矯矢,未發而蝯擁柱號矣,有先中中者也。(楚王白蝯有り,王 自ら之を射れば,則ち矢を搏って熙ぶ;使養由基をして之を射らしむ,始め弓を調へ矢を矯む,未だ發せざるにして蝯 柱を擁して號ばん,先に中る有るは中る者なり。)

 

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

12 龍韜策 古代の兵法書。《六韜》と《三略》のこと。《六韜》は周の功臣太公望の著とされ,《三略》は漢の功臣張良が黄石公から授かったとされるが仮託である。兵法七書中の2を占める。六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民(けいせいさいみん)の術、富国強兵の策を説くもので、第1巻は文韜12編・武韜5編、第2巻は龍(りゅう)13編・虎韜12編・第3巻には豹(ひょう)8編・犬(けん)10編、計360編からなり、文・武では治国、龍韜は奇変、虎韜は勇猛果断、豹韜は奇計、犬韜は突進を主題としている。三略は上略・中略・下略の3巻からなり、戦略の機微を上・中・下の三つに分かち、礼賞を設けて奸雄(かんゆう)を分かち、賢者を用いて国の安危を察し、将を御(ぎょ)して衆を暢()ぶるの道を明らかにしている。わが国では、934年(承平4)大江維時(おおえのこれとき)が唐から帰朝の際に持ち帰ったと伝え、以後大江家の兵法となり、源家(げんけ)の古伝(こでん)兵法に受け継がれたという。

13 積甲應將熊耳齊 兵甲堆疊如山。極言其多。《後漢書·劉盆子傳》赤眉軍は中国の新朝末に発生した農民反乱軍の名称。眉を赤く染め政府軍と区別したことから赤眉軍と称される。この赤眉軍を平定した、後漢書に「積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。」とある故事をいう。劉秀は宜陽に行幸し、司馬を先鋒、中軍を次鋒とし、驍騎・元戎の陣列を左右に展開した。赤眉軍は恐怖におののき、劉恭を使者として降服を願い出て、劉盆子・徐宣らの二十人あまりは着物を脱いで更始帝の璽綬を献上し、宜陽の城西に積みあげられた武具は熊耳山と同じ高さになった。

《後漢書·劉盆子傳》「赤眉忽遇大軍,驚震不知所謂,乃遣劉恭乞降曰:“盆子將百萬衆降陛下,何以待之?”帝曰:“待汝以不死耳!”丙午,盆子及丞相徐宣以下三十餘人肉袒降,上所得傳國璽綬。積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。後漢書に「赤眉、忽ち大軍に遇ひ、驚震、為すところを知らず、乃ち劉恭を遣わして降を乞う。兵甲を宜陽城西に積んで、熊耳山と斉し」とある。

 

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首 【字解】

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

743年(66)李太白集卷十六18-1-《送外甥鄭灌從軍,三首之一》(六博爭雄好彩來,) 385Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(66) Ⅰ李白詩1741 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

李白  送外甥鄭灌從軍,三首之一

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。
(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

743年(66

送外甥鄭灌從軍,三首之一

385

743年天寶二年43歳 94-66

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

李太白集
卷十六18-1

Index-23-2

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-66

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

京兆地域図002 

『送外甥鄭灌從軍,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之一

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

(下し文)

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之一(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

大明宮の圖003
(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

 

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

 

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(65) Ⅰ李白詩1740 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7240

李白  送張遙之壽陽幕府 #2

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。張子勇且英,少輕衛霍孱。

投軀紫髯將,千里望風顏。勗爾效才略,功成衣錦還。

麾下の戦士は、その勇悍なること、熊の如く、虎の如く、見事に敵を破り、しかも余裕綽々として居た。ここに、張遥は、勇鋭英俊であり、年少にして漢の武帝時代の衛青、霍去病の如き古しえの将軍をさえ、孱弱な者として之を軽んずる位であるという。かくて、今回、「碧眼紫髯」という孫権に比すべき名将の幕下に身を投じ、千里の遠きを馳せて、態態これに逢いに行くというので、汝に勧めるは他にいないというものである。一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-65) Ⅰ李白詩1740 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7240

 

 

 
  2016年1月26日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(65) Ⅰ李白詩1740 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7240  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩 #6(19~22) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-16 #5杜甫 《19-19 又上後園山腳》#5 杜甫詩index-15-1119 <1569> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7242   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八43 楊柳枝四首其三 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》396巻八44 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7244  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

年:743年天寶二年43歳 94-65

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送張遙之壽陽幕府

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              壽州 (淮南道 壽州 壽州) 別名:壽陽             

八公山 (淮南道 壽州 八公山)           

交遊人物/地點:張遙          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

送張遙之壽陽幕府

(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

壽陽信天險,天險橫荊關。

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。

苻堅百萬眾,遙阻八公山。

むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。

不假築長城,大賢在其間。

その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。

#2

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。

麾下の戦士は、その勇悍なること、熊の如く、虎の如く、見事に敵を破り、しかも余裕綽々として居た。

張子勇且英,少輕衛霍孱。

ここに、張遥は、勇鋭英俊であり、年少にして漢の武帝時代の衛青、霍去病の如き古しえの将軍をさえ、孱弱な者として之を軽んずる位であるという。

投軀紫髯將,千里望風顏。

かくて、今回、「碧眼紫髯」という孫権に比すべき名将の幕下に身を投じ、千里の遠きを馳せて、態態これに逢いに行くというので、汝に勧めるは他にいないというものである。

勗爾效才略,功成衣錦還。

一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

 

(張遙の壽陽幕府に之くを送る)

壽陽は信に天險たり,天險 荊關に橫たう。

苻堅 百萬の,遙に 八公の山を阻【へだ】。つ

長城を築く假らず,大賢 其の間に在り。

#2

戰夫 熊虎の若く,敵を破って餘閒有り。

張子 勇にして且つ英,少にして 輕んず衛霍の孱なるを。

軀を投ず 紫髯の將,千里 風顏を望む。

爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。

 

『送張遙之壽陽幕府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。

張子勇且英,少輕衛霍孱。

投軀紫髯將,千里望風顏。

勗爾效才略,功成衣錦還。

(下し文)
#2

戰夫 熊虎の若く,敵を破って餘閒有り。

張子 勇にして且つ英,少にして 輕んず衛霍の孱なるを。

軀を投ず 紫髯の將,千里 風顏を望む。

爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。

(現代語訳)
#2

麾下の戦士は、その勇悍なること、熊の如く、虎の如く、見事に敵を破り、しかも余裕綽々として居た。

ここに、張遥は、勇鋭英俊であり、年少にして漢の武帝時代の衛青、霍去病の如き古しえの将軍をさえ、孱弱な者として之を軽んずる位であるという。

かくて、今回、「碧眼紫髯」という孫権に比すべき名将の幕下に身を投じ、千里の遠きを馳せて、態態これに逢いに行くというので、汝に勧めるは他にいないというものである。

一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。


(訳注) #2

送張遙之壽陽幕府

(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

《新唐書·卷三十一·地理五》:「壽州壽春郡,中都督府。本淮南郡,天寶元年更名。」「淮南道に壽州あり、壽春羣・蓋寿都中都督府、本と淮南部、天寶元年、名を更む」とある。王琦の説に「按するに、壽春の名は、本と戦国よりす。史記楚世家、考烈王、都を壽春に徙す。正義に日く、壽春は南壽州縣に在りと。是れなり。壽陽の名は、東晉より起る。通典、東晋、鄭皇后の諱を以て、壽春を改めて壽陽といひ、宜春を宜陽といひ、富春を富陽といひ、凡そ春と名がつくるものは、悉く之を改む。唐時、壽春と名づけ、太白壽陽を用ふるは、蓋し旧名を襲用するのみ」といった。それから、幕府は、史記索隠に「凡そ将軍、これを幕府と謂うは、蓋し兵門合わせて帷帳を施す、故に幕府と称す。崔浩日く、古しへ出征して将帥たり、軍、還れば罷む、理、常處なし、幕奕を以て府署となす、故に幕府といふ」とある。すると、この詩は、張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作ったのである。

前八句は壽春が故事、後六句は迭別の正意で、両者の関係は、自然緊密である。

壽陽幕府 

壽陽、現在の寿県のこと。安徽省淮南市に位置する県である。安徽省の中央部、淮河の南岸に位置しており、国家歴史文化名城に指定される古い街である。旧称は郢(えい、Yǐng)、寿春(じゅしゅん、Shòu Chūn)といい、南北交通の要衝であり、古くから兵家必争の地であった。楚の首都であり淝水の戦いの古戦場ともなっている。楚は秦の圧力に対抗するため、春申君の提言で寿春へ遷都し、寿春を「郢」と改める。楚の都城の遺跡は現在の寿県県城内にある。楚の滅亡後、秦代には寿春に改名され、三十六郡のひとつ九江郡の治所となった。漢の初期のころは外姓王の英布が淮南王に封じられその王都となっている。淮南王であった劉安はこの地で『淮南子』を著した。後漢末期、袁術は寿春を都に皇帝を称した。三国時代の魏の後期には相次いで大きな兵変が発生した。

東晋の時代、華北を制した前秦が南征を行い、寿春の八公山に至り淝水で東晋軍と激突した。これが淝水の戦いであり、前秦軍が総崩れになり壊走した。「投鞭断流」、「風声鶴唳」、「草木皆兵」などの故事成語はこの戦いが起源である。

隋および唐は寿春を寿州と改名した。当時、この地で興った「壽州窯」は古代中国の著名な陶器の生産地で、その産品は南北の風格を兼ね備え、朝野に広く受け容れられた。

 

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。

麾下の戦士は、その勇悍なること、熊の如く、虎の如く、見事に敵を破り、しかも余裕綽々として居た。

熊虎 戦う姿が熊虎の様で、軀命を惜しまずというもの。

 

張子勇且英,少輕衛霍孱。

ここに、張遥は、勇鋭英俊であり、年少にして漢の武帝時代の衛青、霍去病の如き古しへの将軍をさえ、孱弱な者として之を軽んずる位であるという。

張子 張遥のこと。

衛霍孱 衛青、霍去病のこと。孱は、孱弱ということ。弱々しいこと。かよわいこと。また、そのさま。

去病 紀元前140 - 紀元前117年、Huò Qù-bìng)は、前漢の武帝時代の武将である。 父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。

衛青は幼少時の苦労から、将軍になっても威張るようなことはなく、兵卒にも気軽に接していた。また、自殺に追い込んでしまった李広に負い目を感じてか、李広の息子の李敢に切りつけられても黙っていた(しかし霍去病はこれを聞きつけ怒り、李敢を殺害した)。

 

投軀紫髯將,千里望風顏。

かくて、今回、「碧眼紫髯」という孫権に比すべき名将の幕下に身を投じ、千里の遠きを馳せて、態態これに逢いに行くというので、汝に勧めるは他にいないというものである。

紫髯將 現在では孫権のことを「碧眼紫髯」と形容しているが、紫髯將というのがただしい。「献帝春秋」で張遼が孫権を「紫髯将軍」と述べている。

張遼 《献帝春秋》「張遼問降人、向有紫髯将軍、長上短下、便馬善射、是誰。降人答曰、是孫会稽。

 

勗爾效才略,功成衣錦還。

一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(65) Ⅰ李白詩1739 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7235

李白  送張遙之壽陽幕府

壽陽信天險,天險橫荊關。

苻堅百萬,遙阻八公山。

不假築長城,大賢在其間。
(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。

743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-65) Ⅰ李白詩1739 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7235

 

 
  2016年1月25日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(65) Ⅰ李白詩1739 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7235  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩 #5(15~18) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-16 #4杜甫 《19-18 又上後園山腳》#4 杜甫詩index-15 1118 <1568> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7237   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八43 楊柳枝四首其二 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》395巻八43 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7239  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-65

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送張遙之壽陽幕府

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              壽州 (淮南道 壽州 壽州) 別名:壽陽             

八公山 (淮南道 壽州 八公山)           

交遊人物/地點:張遙          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

送張遙之壽陽幕府

(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

壽陽信天險,天險橫荊關。

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。

苻堅百萬眾,遙阻八公山。

むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。

不假築長城,大賢在其間。

その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。

#2

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。

張子勇且英,少輕衛霍孱。

投軀紫髯將,千里望風顏。

勗爾效才略,功成衣錦還。

 

(張遙の壽陽幕府に之くを送る)

壽陽は信に天險たり,天險 荊關に橫たう。

苻堅 百萬の,遙に 八公の山を阻【へだ】。つ

長城を築く假らず,大賢 其の間に在り。

#2

戰夫 熊虎の若く,敵を破って餘閒有り。

張子 勇にして且つ英,少にして 輕んず衛霍の孱なるを。

軀を投ず 紫髯の將,千里 風顏を望む。

爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。

 

『送張遙之壽陽幕府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送張遙之壽陽幕府

壽陽信天險,天險橫荊關。

苻堅百萬,遙阻八公山。

不假築長城,大賢在其間。

(下し文)

(張遙の壽陽幕府に之くを送る)

壽陽は信に天險たり,天險 荊關に橫たう。

苻堅 百萬の,遙に 八公の山を阻【へだ】。つ

長城を築く假らず,大賢 其の間に在り。

(現代語訳)
送張遙之壽陽幕府(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。

むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。

その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。


(訳注)

送張遙之壽陽幕府

(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

前八句は壽春が故事、後六句は迭別の正意で、両者の関係は、自然緊密である。

壽陽幕府 

壽陽、現在の寿県のこと。安徽省淮南市に位置する県である。安徽省の中央部、淮河の南岸に位置しており、国家歴史文化名城に指定される古い街である。旧称は郢(えい、Yǐng)、寿春(じゅしゅん、Shòu Chūn)といい、南北交通の要衝であり、古くから兵家必争の地であった。楚の首都であり淝水の戦いの古戦場ともなっている。楚は秦の圧力に対抗するため、春申君の提言で寿春へ遷都し、寿春を「郢」と改める。楚の都城の遺跡は現在の寿県県城内にある。楚の滅亡後、秦代には寿春に改名され、三十六郡のひとつ九江郡の治所となった。漢の初期のころは外姓王の英布が淮南王に封じられその王都となっている。淮南王であった劉安はこの地で『淮南子』を著した。後漢末期、袁術は寿春を都に皇帝を称した。三国時代の魏の後期には相次いで大きな兵変が発生した。

東晋の時代、華北を制した前秦が南征を行い、寿春の八公山に至り淝水で東晋軍と激突した。これが淝水の戦いであり、前秦軍が総崩れになり壊走した。「投鞭断流」、「風声鶴唳」、「草木皆兵」などの故事成語はこの戦いが起源である。

隋および唐は寿春を寿州と改名した。当時、この地で興った「壽州窯」は古代中国の著名な陶器の生産地で、その産品は南北の風格を兼ね備え、朝野に広く受け容れられた。

 

壽陽信天險,天險橫荊關。

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。

壽陽 陽城。太平寰宇記「陽城臨淝水、北有八/公山、山北即淮水、自東晉至今、常為 要害之地。」陽城は淝水に臨み、北に八公山り、山北 即ち淮水 東晉より今に至るまで 常に要害の地為り。)とある。

信天險 まことに天に何もなく広がる青空の中でただ一つ鋭くたっている姿を言う。

天險橫荊關 その天険の地は、南方の楚地、荊門から続く天然の要害の地によって、まもられている。

 

苻堅百萬眾,遙阻八公山。

むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。

苻堅百萬眾 淝水の戦いをいう。3838月、苻堅は南北統一を目指して群臣の反対を押し切り、総勢100万と号する東晋討伐の軍を起こした。前秦軍は苻融の軍が寿春を落とすなど優勢だったが、漢族将軍でかつての東晋の梁州刺史朱序が「堅、敗れたり!」と叫んで苻堅を裏切り、さらに東晋軍の謝玄・謝石らに動揺した隙を突かれて大敗した。苻堅は流れ矢に当たって負傷しながらも弟の苻融と共に鮮卑族の慕容垂の軍勢によって守られて敗走したが、苻融は戦死した。《十六國春秋》 秦遣兵分道、寇晉  八月,以苻融為前鋒都督,指揮慕容垂等步騎二十五萬先行,苻堅隨後繼發,戎卒六十餘萬,騎二十七萬,旗鼓相望,前後千里。晉以以謝石為前線大都督,謝玄為先鋒,並謝琰、桓伊等人,領八萬兵馬,分三路迎擊前秦軍。」

八公山 《江南通志》「八公山,在壽陽城北五里、在淝北淮南,亦名北山。峽石山西北夾淮為險,在西岸為峽石,在東岸為壽陽山。」(八公山は,壽陽城北五里に在り,淝北淮南に在り,亦たの名を北山という。峽石山の西北は夾淮 險を為し,西岸は峽石を為す在り,東岸は壽陽山を為す在る。)

 

不假築長城,大賢在其間。

その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。

大賢在其間 淝水の戦いにおける謝玄・謝石のことをいう。

743年(64)李太白集卷十六10-《送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》(安西幕府多材雄,) 383Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(64) Ⅰ李白詩1738 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7230

李白  送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。

743年(64)李太白集卷十六10-《送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》(安西幕府多材雄,) 383Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-64) Ⅰ李白詩1738 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7230

 

 

 
  2016年1月24日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(64)李太白集卷十六10-《送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》(安西幕府多材雄,) 383Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(64) Ⅰ李白詩1738 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7230  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩 #4(11~14) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-16 #3杜甫 《19-18 又上後園山腳》#3 杜甫詩index-15-1117 <1567> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7232   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八42 楊柳枝四首其一 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》394巻八42 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7234  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

年:743年天寶二年43歳 94-64

卷別:    卷一七六              文體:    七言古詩

詩題:    送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              安西都護府 (隴右道西部 無第二級行政層級 安西都護府) 別名:安西、安西幕府交遊人物/地點:程侍郎           當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

劉眺         當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

獨孤峻     當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。

繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。

今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。

天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。

(程・劉二侍郎の獨孤判官と安西幕府に赴くを送る)

安西の幕府 材雄多し,喧喧 惟だ道う 三數公。

繡衣 貂裘 積雪よりも明かに,書を飛ばし 檄を走らすこと 飄風の如し。

朝 明主を辭して 紫宮を出で,銀鞍 別を送って 金城空し。

天外の飛霜 蔥海に下り,火旗雲馬 光彩を生ず。

胡塞 塵を清めて 幾日か歸る,漢家 草綠にして遙に相い待つ。

 

大明宮の圖003 

『送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。

繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。

天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

(下し文)
(程・劉二侍郎の獨孤判官と安西幕府に赴くを送る)

安西の幕府 材雄多し,喧喧 惟だ道う 三數公。

繡衣 貂裘 積雪よりも明かに,書を飛ばし 檄を走らすこと 飄風の如し。

朝 明主を辭して 紫宮を出で,銀鞍 別を送って 金城空し。

天外の飛霜 蔥海に下り,火旗雲馬 光彩を生ず。

胡塞 塵を清めて 幾日か歸る,漢家 草綠にして遙に相い待つ。

(現代語訳)
送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。

三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。

今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。

これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。

かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。

安史の乱期 勢力図 002
(訳注)

送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

舊唐書封常清傳に「開元の末、安西四鎭節度使夫蒙靈詧判官に劉眺・獨孤峻あり」と見えて居るから、劉侍御、獨孤判官は大方その人であらう。但し、程は何人だか、わからない。

通鑑唐紀に「安西節度は、西域を撫寧し、龜玆、焉耆、于、疎勒の四鎭を統べ、龜玆城に治す、兵二万四千」とある。

この詩は、侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するを送って作ったのである。

起首四句は、三人の人物を写し、朝辭の二句は、送別の有様、天外の二句は、途中の光景を想像し、胡塞の二句は、その帰京の早からむことを嘱望したのである。

 

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。

安西幕府 安西都護府の地方、安西は新疆省庫車、唐代におかれた六都護府の一つ。辺境警備・周辺諸民族統治などのために置かれた軍事機関。都護府の長官は都護と呼ばれていた。

三數公 侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻。

 

繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。

繍衣 漢書に「侍御史に繍衣直指あり」と記し、顔師古の註に「衣するに繍を以てするは、これを尊重するなり」とある。

飛書走檄 西京雜記に「枚皐文章敏疾」とあり、揚子法言に「軍族の際、戎鳥の間、飛書馳檄には枚皐を用ふ」とある。

 

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。

今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。

紫薇 紫微垣、即ち紫微宮、天子の居るところ。古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。「紫禁城」の「紫」もこれに基づく。

金城 長安城、。

 

天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。

葱海 諷典に「安西郡、西、凍勒乳讐軍に至る三千里、葱洩忘去る七百里」とあり、涼州異物志に「葱譲の水、東西lこ分流し、西に大海に入り、束は河浦となるJとある。

火旗 旗の赤くして火に似たるわいふ。 

雲馬 馬の多くして雷に似たるむいふ。

 

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。
8世紀唐と周辺国00 

743年(63)李太白集卷十六08-《送竇司馬貶宜春》(天馬白銀鞍,) 382Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(63) Ⅰ李白詩1737 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7225

李白  送竇司馬貶宜春

天馬白銀鞍,親承明主歡。鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。

堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。何言謫南國,拂劍坐長歎。

趙璧為誰點,隋珠枉被彈。聖朝多雨露,莫厭此行難。

(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)

今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。

743年(63)李太白集卷十六08-《送竇司馬貶宜春》(天馬白銀鞍,) 382Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-63) Ⅰ李白詩1737 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7225

 

 
  2016年1月23日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(63)李太白集卷十六08-《送竇司馬貶宜春》(天馬白銀鞍,) 382Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(63) Ⅰ李白詩1737 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7225  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩  #3(7~10) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7226  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-16 #2杜甫 《19-18 又上後園山腳》#2 杜甫詩index-15-1116 <1566> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7227  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八41 思越人二首 其二 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》393巻八41 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7229  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-63

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送竇司馬貶宜春

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春         

交遊人物/地點:竇司馬      當地交遊 (京畿道 京兆府 長安)

 

 

送竇司馬貶宜春

(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)

天馬白銀鞍,親承明主歡。

今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。

鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。

そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。

堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。

それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。

何言謫南國,拂劍坐長歎。

しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。

趙璧為誰點,隋珠枉被彈。

君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。

聖朝多雨露,莫厭此行難。

しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。

(竇司馬の宜春に貶せらるるを送る)

天馬 白銀の鞍,親ら明主の歡を承く。

鬥雞 金宮の裡,雁を射る 碧雲の端。

堂上には 中貴を羅ね,歌鍾 清夜闌【たけなわ】なり。

何ぞ言わん 南國に謫せられ,劍を拂いて坐して長歎す。

趙璧 誰が為に點ずる,隋珠 枉げて彈せらる。

聖朝 雨露多し,此の行 難きを厭う莫れ。
韓愈の地図01

 

『送竇司馬貶宜春』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送竇司馬貶宜春

天馬白銀鞍,親承明主歡。

鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。

堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。

何言謫南國,拂劍坐長歎。

趙璧為誰點,隋珠枉被彈。

聖朝多雨露,莫厭此行難。

(下し文)

(竇司馬の宜春に貶せらるるを送る)

天馬 白銀の鞍,親ら明主の歡を承く。

鬥雞 金宮の裡,雁を射る 碧雲の端。

堂上には 中貴を羅ね,歌鍾 清夜闌【たけなわ】なり。

何ぞ言わん 南國に謫せられ,劍を拂いて坐して長歎す。

趙璧 誰が為に點ずる,隋珠 枉げて彈せらる。

聖朝 雨露多し,此の行 難きを厭う莫れ。

(現代語訳)
(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)

今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。

そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。

それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。

しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。

君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。

しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。

李白の足跡0000
(訳注)

送竇司馬貶宜春

(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)

1 宜春 唐時の宜春郡は、即ち袁州で、江南西道に隷して、上州であった。袁州は中国にかつて存在した州。現在の江西省宜春市。前201年、漢朝により設置された宜春県である。前129年に宜春侯国とされたが、前112年に廃止となり宜春県が再び設置された。591年(開皇11年)、袁州を設置し、宜陽県(526年に宜春県と改称)に州治を置く。607年(大業3年)、袁州を宜春郡と改称した。

2 司馬 上州には、潮史長史の下に司馬一人あって、従五品である。春秋時代までは軍事の最高指揮官で,漢代には中央政府の最高官の一つとして大司馬が置かれたことがある。別に軍の最高指揮官が将軍になると,将軍や都督の属官としての司馬が生まれた。魏晋南北朝時代には公府や軍府の幕僚で長史に次ぐ位として司馬があった。隋,唐には州にも置かれ,宋以後にはなくなったが,後世に中央政府では兵部尚書を,地方官では府同治のことを司馬と雅称することがあった。

3【解説】この詩は、竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送ったのである。

前半六句は往日の豪貴、後年六句は今日の貶謫で、結句二句は慰藉の意を寓して居る。

 

天馬白銀鞍,親承明主歡。

今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。

4 白銀鞍 優れた良い馬に着ける馬具を言う。陳の後主の樂府に「蹀躞紫騮馬,照耀白銀鞍。」(蹀躞す紫騮の馬,照耀す白銀の鞍。)とある。陳叔寶(553604),字元秀,南朝陳最後一位皇帝。公元582年—589年在位。

《樂府詩集》二十四。《詩紀》九十八。

嫖姚紫塞歸,蹀躞紅塵飛。玉珂鳴廣路,金絡耀晨輝。

蓋轉時移影,香動屢驚衣。禁門猶未閉,連騎恣相追。

蹀躞紫騮馬,照耀白銀鞍。直去黃龍外,斜趨玄菟端。

垂鞬還細柳,揚塵歸上蘭。

大明宮の圖003 

鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。

そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。

5 鬥雞 《『荘子』達成篇 十九》紀省子爲王養闘鶏。十日而問、鷄已乎。曰、未也。方虚驕而恃氣。十日又問。曰、未也。猶應響景。十日又問。曰、未也。猶疾視而盛氣。十日又問。曰、幾矣。鷄雖有鳴者、已無変矣。望之似木鷄矣。其徳全矣。異鷄無敢應者、反走矣。(紀渻子、王の為に闘鶏を養ふ。 十日にして問ふ、 鶏は已にするや、と。 曰く、未だなり、方に虚憍にして気を恃む、と。 十日にして又た問ふ、曰く、 未だなり、猶ほ嚮景に応ず、と。十日にして又た問ふ、曰く、未だなり、猶ほ疾視して気を盛んにす、と。十日にして又た問ふ、曰く、 幾し。 鶏に鳴く者有りと雖も、已に変ずる無し。 之に望むに木鶏に似たり。

其の徳は全し。 異鶏に敢へて応ずる者無く、反りて走る、と)

二羽のニワトリを左右につがえて蹴り合わせる鶏合わせ=闘鶏は、もともとその勝敗により神意を判定する神占であった。中国古代の黄帝時代に、蒼頡(そうけつ)が鳥の足跡を見て漢字を作ったという故事を踏まえて詠まれたとされている。

 

堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。

それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。

6 中貴 宮中において幅をきかしていた宦官。李白《古風五十九首之二十四》「中貴多黃金,連雲開甲宅。」(中貴は 黄金多く、雲に連なって 甲宅を開く。)これは宮中の宦官が君寵を得て、さも得意げに振る舞って、いばっているやからが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。

24 《古風五十九首之二十四》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <24> Ⅰ李白詩1181 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4453

7 歌鍾 歌声に合わせて鐘を敲いて躍る。後宮の宴で妓優が演じる芸。

 

何言謫南國,拂劍坐長歎。

しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。

 

趙璧為誰點,隋珠枉被彈。

君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。

8 趙璧 春秋時代の楚()の人。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

9 為誰點 白璧に青がとまってよごしたこと。卑劣な讒言をするもののことを言う。陳子昂 《宴胡楚真禁所》詩:青蠅一相點, 白璧遂成冤。”青蠅玷白璧, 讒人陷害忠良

10 隋珠 「隋珠を以て雀を弾(う)つ」 得るところが少なくて、失うところが多いことの例え。《莊子讓王》「今且有人於此, 以隨侯之珠, 彈千仞之雀, 世必笑之。 是何也?則其所用者重, 而所要者輕也。」(今且つ此於に人有り,隨侯の珠を以て,千仞の雀を彈ぜば, 世必ず之を笑わん。 是れ何ぞや?則ち其の用うる所の者重くして,要する所の者輕ければ也。)《捜神記》 隋侯珠:隋県(湖北省)を流れる溠水のほとりに、断蛇邱という丘がある。昔、隋侯がこのあたりまで出かけて来たときに、大蛇が傷を負って、胴体のなかほどから断ち切られているのを見かけ、霊ある蛇ではないかと思ったので、家来に命じて薬を塗り包帯をしてやった。すると、蛇はやっと動けるようになったのであった。そこでこの場所を断蛇邱と呼ぶようになったのである。

それから一年あまりたって、蛇が明るく光る珠をお礼のしるしにくわえて来た。珠は直径一寸、純白で、夜になると光を放つ。それは月の光のように明るくて、部屋を照らすことができた。だからこの珠は、隋侯珠・霊蛇珠、あるいは明月珠と呼ばれる。その丘の南には隋の大夫、李良の池がある。

 

聖朝多雨露,莫厭此行難。

しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。

11 聖朝 当代の朝廷や天子を敬っていう語。

12 多雨露 雨露をしのぐということが多いということもあるが、天子に慶弔もあり、恩赦、特赦ということが必ずあるということを言う。

743年(62)李太白集巻十四34-《贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 381-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(62) Ⅰ李白詩1736 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7220

李白  贈別王山人歸布山#2

我心亦懷歸,屢夢松上月。傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

林壑久已蕪,石道生薔薇。願言弄笙鶴,晚來相依
われも、客土に飄零すること既に久しく、って、歸るを懐うて、夢に故山の松に懸れる月の景色見るほどである。君は、傲然 一人行きて長嘯し、旧居の巌扉を開いて、その中に住まわれるであろう。しかし、久しい間、誰も居なかったところであるから、林壑も荒れはてているだろうし、石のかどが出た細い道に、野ばらが生い茂っていて、往来するにも難しい状態であろう。だから、君はここに在って、笙の笛を吹いて白鶴を伴って、心長閑に浮世の事を忘れて居れば善いのではないか、われも、晩年に成ったらば、世事を謝して、そこへいって、君と一所に住むことにいたそうと思っているところなのである。

743年(62)李太白集巻十四34-贈別王山人歸布山(王子析道論,) 381-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-62) Ⅰ李白詩1736 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7220

 

 
  2016年1月22日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(62)李太白集巻十四34-《贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 381-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(62) Ⅰ李白詩1736 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7220  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩  #2(4~6) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7221  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-16 #1杜甫 《19-18 又上後園山腳》#1 杜甫詩index-15-1115 <1565> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7222   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 李太白集  331《太白巻二25 上雲樂》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7228 (01/22)  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八40 思越人二首 其一 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》392巻八40 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7224  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-62

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    贈別王山人歸布山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              桂平 (嶺南道東部 潯州 桂平) 別名:布山      

交遊人物/地點:王山人      當地交遊

 

 

贈別王山人歸布山 #1

(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

王子析道論,微言破秋毫。

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。

還歸布山隱,興入天雲高。

君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。

汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。

#2

我心亦懷歸,屢夢松上月。

われも、客土に飄零すること既に久しく、って、歸るを懐うて、夢に故山の松に懸れる月の景色見るほどである。

傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

君は、傲然 一人行きて長嘯し、旧居の巌扉を開いて、その中に住まわれるであろう。

林壑久已蕪,石道生薔薇。

しかし、久しい間、誰も居なかったところであるから、林壑も荒れはてているだろうし、石のかどが出た細い道に、野ばらが生い茂っていて、往来するにも難しい状態であろう。

願言弄笙鶴,晚來相依。

だから、君はここに在って、笙の笛を吹いて白鶴を伴って、心長閑に浮世の事を忘れて居れば善いのではないか、われも、晩年に成ったらば、世事を謝して、そこへいって、君と一所に住むことにいたそうと思っているところなのである。

(王山人の布山に歸るに贈別す) #1

王子 道論を析し,微言 秋毫を破る。

還た歸って 布山に隱れ,興は天雲に入って高し。

爾 去る 安んぞ遲かる可けんや,瑤草 衰歇を恐る。

#2

我が心 亦た歸るを懷い,屢ば松上の月を夢む。

傲然として遂に獨往,長嘯して 開巖扉をく。

林壑 久しく已に蕪し,石道 薔薇を生ず。

願わくば言【ここ】に笙鶴を弄せよ,晚 來って相い依らん。

 

西嶽華山00 

『贈別王山人歸布山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

我心亦懷歸,屢夢松上月。

傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

林壑久已蕪,石道生薔薇。

願言弄笙鶴,晚來相依

(下し文)
#2

我が心 亦た歸るを懷い,屢ば松上の月を夢む。

傲然として遂に獨往,長嘯して 開巖扉をく。

林壑 久しく已に蕪し,石道 薔薇を生ず。

願わくば言【ここ】に笙鶴を弄せよ,晚 來って相い依らん

(現代語訳)
#2

われも、客土に飄零すること既に久しく、って、歸るを懐うて、夢に故山の松に懸れる月の景色見るほどである。

君は、傲然 一人行きて長嘯し、旧居の巌扉を開いて、その中に住まわれるであろう。

しかし、久しい間、誰も居なかったところであるから、林壑も荒れはてているだろうし、石のかどが出た細い道に、野ばらが生い茂っていて、往来するにも難しい状態であろう。

だから、君はここに在って、笙の笛を吹いて白鶴を伴って、心長閑に浮世の事を忘れて居れば善いのではないか、われも、晩年に成ったらば、世事を謝して、そこへいって、君と一所に住むことにいたそうと思っているところなのである。


(訳注) #2

贈別王山人歸布山 #2

(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

この詩は、王山人が奥山に帰る時、別に際して贈ったのである。しかし、気配を消す道士であるため王山人の閲歴等はわからない。

 

我心亦懷歸,屢夢松上月。

われも、客土に飄零すること既に久しく、って、歸るを懐うて、夢に故山の松に懸れる月の景色見るほどである。

6 松上月 岩場に生える松の上にかかる月。心静かな夜の表現。

 

傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

君は、傲然 一人行きて長嘯し、旧居の巌扉を開いて、その中に住まわれるであろう。

7 傲然 おごり高ぶって尊大に振る舞うさま。

 

林壑久已蕪,石道生薔薇。

しかし、久しい間、誰も居なかったところであるから、林壑も荒れはてているだろうし、石のかどが出た細い道に、野ばらが生い茂っていて、往来するにも難しい状態であろう。

8 林壑 山林幽深の地方。

文選.謝靈運《石壁精舍還湖中作詩》(石壁精舎より湖中に還りて作る)

昏旦變氣候。山水含清暉。清暉能人。遊子憺忘歸。

出谷日尚早。入舟陽已微。林壑斂暝色。雲霞收夕霏。

昏旦【こんたん】に気候【きこう】変じ、山水 清暉【せいき】を。清暉 能く人を娯【たのし】ませ、游子【ゆうし】憺【やす】みて帰るを忘れる。

谷を出でて日尚はやく、舟に入りて陽已に微なり。林壑【りんがく】瞑色【めいしょく】を斂【おさ】め、雲霞 夕霏【せきひ】を収む。」

南の山の石壁精舍から北山の住まいへ帰る巫湖の中に船から見ての作詩。

午前中とくらべ夕がたになると気候が変わりってきた、(わたしの勉学修行に満足感があり)山も水も清々しい光を含んでいるようだ。

その清らかな光彩は人をこころから楽しませることができ、旅ゆく人の心を和ませてたのしむため帰ることをわすれるのである。

石壁精舎のある谷を出るときは日はまだ高かったが、船に乗るころには太陽はもう暗く微かになっていた。

林や谷、山影に夕暮れの色が深くこめてきている、空は雲や夕霞に夕映えがはえていて、やまかげには夕靄がすっかり治まってしまっている。

石壁精舎還湖中作 謝霊運(康楽) 詩<42#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

 

願言弄笙鶴,晚來相依。

だから、君はここに在って、笙の笛を吹いて白鶴を伴って、心長閑に浮世の事を忘れて居れば善いのではないか、われも、晩年に成ったらば、世事を謝して、そこへいって、君と一所に住むことにいたそうと思っているところなのである。

9 笙鶴 白鶴に乗って昇天した王子喬のことをいう。王山人を王子喬に比している。漢劉向《列仙傳》載「周靈王太子晉( 王子喬),好吹笙,作鳳鳴,游伊洛間,道士浮丘公接上嵩山, 三十餘年後乘白鶴駐緱氏山頂,舉手謝時人仙去。後以“笙鶴”指仙人乘騎之仙鶴。」(周靈王の太子晉を 王子喬という, 好く笙を吹き,鳳鳴を作す,伊洛の間に游び, 道士 浮丘公 接して嵩山に上る, 三十餘年後 白鶴に乘って緱氏山【こうしざん】頂に駐る,手を舉げて謝し時に人 仙去す。 後 以て“笙鶴”は仙人 乘騎の仙鶴を指す。)

鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙の笛を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水と洛水あたり(河南省洛陽南部)を巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山【こうしざん】の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。
華山蓮花峰00 

743年(62)李太白集巻十四34-《贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 381Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(62) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

李白  贈別王山人歸布山 #1

王子析道論,微言破秋毫。還歸布山隱,興入天雲高。

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。
(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。

743年(62)李太白集巻十四34-贈別王山人歸布山(王子析道論,) 381Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-62) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

 

 
  2016年1月21日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(62)李太白集巻十四34-《贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 381Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(62) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩  #1(1~3) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ7216  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-15 #3杜甫 《18-69 晚登瀼上堂》#3 杜甫詩index-15-1114 <1564> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7217   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八39 謁金門一首 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》391巻八39 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7219  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-62

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    贈別王山人歸布山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              桂平 (嶺南道東部 潯州 桂平) 別名:布山      

交遊人物/地點:王山人      當地交遊

 

 

贈別王山人歸布山 #1

(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

王子析道論,微言破秋毫。

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。

還歸布山隱,興入天雲高。

君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。

汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。

 

我心亦懷歸,屢夢松上月。

傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

林壑久已蕪,石道生薔薇。

願言弄笙鶴,晚來相依。

 

 

(王山人の布山に歸るに贈別す) #1

王子 道論を析し,微言 秋毫を破る。

還た歸って 布山に隱れ,興は天雲に入って高し。

爾 去る 安んぞ遲かる可けんや,瑤草 衰歇を恐る。

#2

我が心 亦た歸るを懷い,屢ば松上の月を夢む。

傲然として遂に獨往,長嘯して 開巖扉をく。

林壑 久しく已に蕪し,石道 薔薇を生ず。

願わくば言【ここ】に笙鶴を弄せよ,晚 來って相い依らん。

 

京兆地域図002洛陽 函谷関 嵩山005 

『贈別王山人歸布山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈別王山人歸布山 #1

王子析道論,微言破秋毫。

還歸布山隱,興入天雲高。

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。

(下し文)
(王山人の山に布し歸るに贈別す) #1

王子 道論を析し,微言 秋毫を破る。

還た歸って 布山に隱れ,興は天雲に入って高し。

爾 去る 安んぞ遲かる可けんや,瑤草 衰歇を恐る。


(現代語訳)
贈別王山人歸布山 #1(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。

君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。

汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。


(訳注)

贈別王山人歸布山 #1

(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

この詩は、王山人が奥山に帰る時、別に際して贈ったのである。しかし、気配を消す道士であるため王山人の閲歴等はわからない。

1 布山 山奥に隠遁する。布はゆきわたることをいう。《漢書地理志下》「鬱林郡、縣十二、布山。」廣西省布山縣。というのがあるが、嵩山、王屋山をめぐる隠遁する山奥の場所と考えることが良いであろう。

 

王子析道論,微言破秋毫。

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。

2 析:析,分也,解也。,即ち道家の經論を解析する。

3 微言(1) 凝縮された言葉,深い意味を込めた短い言葉.(2) 内緒話,はっきり口にせぬ言葉.精妙の。劉歆《移太常博士》夫子没而微言」(夫子没して微言。)

4 秋毫 :精微の理を謂う。微妙な言辞がきわめてこまかいところまでいきわたることをいう。《三国志·魏·管輅》裴松注:“《》曰:何尚書神明精微,言皆巧妙,巧妙之至,殆破秋毫。”(何尚書、神明精微,言皆巧妙,巧妙の至,殆んど秋毫を破る。)とあり、孫綽の太尉庚亮碑「微言散秋毫玄風暢徳音」(微言、秋毫に散じ、玄風、徳音に暢ぶ)

 

還歸布山隱,興入天雲高。

君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。

 

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。

汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。

5 瑤草 :伝説中の仙草,靈芝等のこと。能く百病を治し或いは生をする食にする。漢東方朔《与友人書》:“相期拾瑶草,吞日月之光,共輕耳。”亦泛指珍之草。(相期には瑶草を拾い,日月の光華を,共に輕く擧ぐるのみ”亦異の泛指

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》 380-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(61) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

李白  夕霽杜陵登樓寄韋繇#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。徒然迫晚暮,未果諧心胸。

結桂空佇立,折麻恨莫從。思君達永夜,長樂聞疏鐘。

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》 380-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-61) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

 

 

 
  2016年1月20日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》 380-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(61) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1647> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7211  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-15 #2杜甫 《18-69 晚登瀼上堂》#2 杜甫詩index-15-1113 <1563> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7212   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八38 上行盃二首 其二 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》390巻八38 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7214  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    夕霽杜陵登樓寄韋繇

作地點:              萬年(京畿道 / 京兆府 / 萬年)

及地點:              杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

交遊人物/地點:韋繇          書信往來

 

 

夕霽杜陵登樓寄韋繇 #1

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

原野曠超緬,關河紛雜重。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

清暉映竹日,翠色明雲松。
竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。
#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。

結桂空佇立,折麻恨莫從。

桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

#2

海を蹈んで遐想を寄せ,山に還らんとして舊蹤に迷う。

徒然として晚暮に迫る,未だ心胸に諧【かな】うを果さず。

桂を結び 空しく佇立し,麻を折り 恨むらくは 從う莫し。

君を思うて 永夜に達し,長樂に 疏鐘を聞く。

漢長安城 00 

『夕霽杜陵登樓寄韋繇』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

結桂空佇立,折麻恨莫從。

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

(下し文)
#2

海を蹈んで遐想を寄せ,山に還らんとして舊蹤に迷う。

徒然として晚暮に迫る,未だ心胸に諧【かな】うを果さず。

桂を結び 空しく佇立し,麻を折り 恨むらくは 從う莫し。

君を思うて 永夜に達し,長樂に 疏鐘を聞く。

(現代語訳)
#2

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。

おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。

桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。

このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

京兆地域図002
(訳注) #2

夕霽杜陵登樓寄韋繇

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

1 杜陵 元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。

この詩は、夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せたものである。

【解説】前八句は、登楼見るところの景色、後の八句は、自己の感慨より相思に及んだので、情景相配して、まことに一段の妙を覚える。

 

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。

5 蹈 踏む。

6 遐想 (はるか遠く先まで)思いをはせる,心をはせる.

 

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。

7 徒然 1 することがなくて退屈なこと。また、そのさま。手持ちぶさた。「読書をして病床の―をまぎらわす」2 つくづくと物思いにふけること。3 しんみりとして寂しいこと。また、そのさま。

8 晚暮 晚景。晚霞。晚会。晚。晚年。晚期。晚。晚婚

 

結桂空佇立,折麻恨莫從。

桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。

9 結桂 桂の枝を結ぶ。 “結同心”と同様に、愛情のしるしを佩につくる。屈原《楚辭·九歌·大司命》「結桂枝兮延佇, 羌愈思兮愁人。」(桂枝を結んで延佇すれど, 羌あ 愈よ思いて 人をして愁えしむ。)

10 佇立 たたずむこと。しばらくの間立ちどまること。

11 折麻 屈原《楚辭·九歌·大司命》「折疏麻兮瑶華,将以兮離居。(疏麻の瑶華を折り,将に以て離れ居るものに遺らんとす。)

 

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

12 長樂 長楽宮は、古代中国の前漢の都である長安にあった宮殿である。 『三輔黄図』によると元は秦の興楽宮だったものを流用したもので、漢の高祖5年後9月に高祖劉邦は少府陽城延の指揮のもと長楽宮を造営させ、同7年に完成した。

《三輔黃圖》“長楽宮 本秦之興樂宮也。高皇帝始居櫟陽,七年長樂宮成,徙居長安城。《三輔舊事》、《宮殿疏》皆曰:「興樂宮,秦始皇造,漢修飾之,周迴二十里」。 前殿東西四十九丈七尺,兩序中三十五丈,深十二丈。”(長楽宮 本と秦の興樂宮なり。高皇帝 始め櫟陽に居る,七年 長樂宮成り,徙って長安城に居る。《三輔舊事》、《宮殿疏》皆曰う:「興樂宮,秦の始皇が造る,漢 之を修飾す,周迴二十里」。 前殿 東西四十九丈七尺,兩序中三十五丈,深十二丈。)とある。

 

夕霽杜陵登樓寄韋繇

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

1 杜陵 元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。

この詩は、夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せたものである。

2 浮陽 1 太陽; 日光 the sun 2 山の南面、水の北面をいう。

3 伏檻 欄干に倚る。

4 關河 杜陵から見渡す河川、関中の河川。長安原に有る八川,涇水、渭水、灞水、滻水、澧水、滈水、潦水、潏すいをいうなり。

 

屈原《楚辭·九歌·大司命》

廣開兮天門,紛吾乘兮玄雲。

令飄風兮先驅,使涷雨兮灑塵。

君迴翔兮以下,踰空桑兮從女。

紛總總兮九州,何壽夭兮在予!

高飛兮安翔,乘清氣兮御陰陽。

吾與君兮齋速,導帝之兮九坑。

靈衣兮被被,玉佩兮陸離。

壹陰兮壹陽,衆莫知兮余所為。

折疏麻兮瑤華,將以遺兮離居。

老冉冉兮既極,不寖近兮愈疏。

乘龍兮轔轔,高駝兮沖天。

結桂枝兮延竚,羌愈思兮愁人。

愁人兮柰何,願若今兮無虧。

固人命兮有當,孰離合兮可為?

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》(浮陽滅霽景,) 380Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(61) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195

李白  夕霽杜陵登樓寄韋繇

浮陽滅霽景,萬物生秋容。登樓送遠目,伏檻觀群峰。

原野曠超緬,關河紛雜重。清暉映竹日,翠色明雲松。
(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》(浮陽滅霽景,) 380Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-61) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195

 

 
  2016年1月19日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》(浮陽滅霽景,) 380Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(61) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1646> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7206  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-15 #1杜甫 《18-69 晚登瀼上堂》#1 杜甫詩index-15-1112 <1562> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7207 杜甫詩1500-1112-1562/2500  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八37 上行盃二首 其 孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 『花間集』389 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7209  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-61

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    夕霽杜陵登樓寄韋繇

作地點:              萬年(京畿道 / 京兆府 / 萬年)

及地點:              杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

交遊人物/地點:韋繇          書信往來

 

 

夕霽杜陵登樓寄韋繇 #1

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

原野曠超緬,關河紛雜重。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

清暉映竹日,翠色明雲松。
竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。
#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

結桂空佇立,折麻恨莫從。

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

 

京兆地域図002 

『夕霽杜陵登樓寄韋繇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夕霽杜陵登樓寄韋繇

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

原野曠超緬,關河紛雜重。

清暉映竹日,翠色明雲松。

(下し文)
(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。

(現代語訳)
夕霽杜陵登樓寄韋繇#1(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

長安城図 作図00
(訳注)

夕霽杜陵登樓寄韋繇

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

1 杜陵 元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。

この詩は、夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せたものである。

 

 

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

2 浮陽 1 太陽; 日光 the sun 2 山の南面、水の北面をいう。

 

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

3 伏檻 欄干に倚る。

 

原野曠超緬,關河紛雜重。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

4 關河 杜陵から見渡す河川、関中の河川。長安原に有る八川,涇水、渭水、灞水、滻水、澧水、滈水、潦水、潏すいをいうなり。

 

清暉映竹日,翠色明雲松。

竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

743年(60)李太白集巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山,) 379Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(60) Ⅰ李白詩1732 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7200

李白  望終南山寄紫閣隱者

出門見南山,引領意無限。秀色難為名,蒼翠日在眼。

有時白雲起,天際自舒卷。心中與之然,託興每不淺。

何當造幽人,滅跡棲
(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)

門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、

無限の思いに沈むのである。終南山辺りの蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色。わが心も、物に執着しないことは、丁度、その雲の如くである處から、毎毎興を託することが深い。あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。
743年(60)李太白集巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山,) 379Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-60) Ⅰ李白詩1732 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7200

 

 

 
  2016年1月18日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(60)李太白集巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山,) 379Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(60) Ⅰ李白詩1732 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7200  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1645> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7201  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-14-#4杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14-#4 <1111> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7202  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八36思帝鄉一首》『花間集』388全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7204  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-60

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    望終南山寄紫閣隱者

作地點:              目前尚無資料

及地點:終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)     

交遊人物/地點:  

 

 

望終南山寄紫閣隱者

(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)

出門見南山,引領意無限。

門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、

無限の思いに沈むのである。

秀色難為名,蒼翠日在眼。

終南山辺りの蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。

有時白雲起,天際自舒卷。

そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色。

心中與之然,託興每不淺。

わが心も、物に執着しないことは、丁度、その雲の如くである處から、毎毎興を託することが深い。

何當造幽人,滅跡棲巘。

あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。

(終南山を望み 紫閣隱者に寄す)

門を出でて 南山を見,領を引いて 意 限り無し。

秀色 名を為し難し,蒼翠 日に眼に在り。

時 有って白雲起り,天際 自ら舒卷す。

心中 之れと然り,興を託する每に淺からず。

何ぞ當に幽人に造【いた】り,跡を滅して 巘に棲む。
京兆地域図002

『望終南山寄紫閣隱者』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

望終南山寄紫閣隱者

出門見南山,引領意無限。

秀色難為名,蒼翠日在眼。

有時白雲起,天際自舒卷。

心中與之然,託興每不淺。

何當造幽人,滅跡棲

(下し文)

(終南山を望み 紫閣隱者に寄す)

門を出でて 南山を見,領を引いて 意 限り無し。

秀色 名を為し難し,蒼翠 日に眼に在り。

時 有って白雲起り,天際 自ら舒卷す。

心中 之れと然り,興を託する每に淺からず。

何ぞ當に幽人に造【いた】り,跡を滅して 巘に棲む。

(現代語訳)
望終南山寄紫閣隱者(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)

門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、

無限の思いに沈むのである。

終南山辺りの蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。

そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色。

わが心も、物に執着しないことは、丁度、その雲の如くである處から、毎毎興を託することが深い。

あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。
終南山06

(訳注)

望終南山寄紫閣隱者

(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)

1 終南山 史記正義に「括地志に云ふ、終南山、一名中南山、一名太乙山、一名南山、一名橘山、一名楚山、一名秦山、一名周南山、一名地肺山、雍州萬年縣南五十里に在り」とあり、圖書編に「終南は乃ち関中の南山、西は隴鳳より起り、東は商洛をこえ、綿亙千里有除、その南北、亦た然り、地に随って名を異にす、総じて、之を言へば南山といふのみ」とある。それから西安志に「紫閣峰は、すなわち終南山の一峰なり」とあって、その詩は、前に見えて居る。この詩は山色を望み・山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せたのである。

終南 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

2 紫閣 紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

李白  《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

743年(25)李白345-#1 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#1Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-25)Ⅰ李白詩1680 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6948

nat0022

出門見南山,引領意無限。

門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、

無限の思いに沈むのである。

3 出門 高適《田家春望》(田園の家、春の眺め。)「出門何所見、春色滿平蕪。可歎無知己、高陽一酒徒。」(門を出でて何の見る所ぞ、春色、平蕪に 滿つ。歎ず 可し、知己 無きを、高陽の一酒徒。)城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない、春の気配が、草原一面に満ちているだけである。嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。高陽の一酒徒となって悶々としている。

高適の詩は、春のけだるさを田園の景色に見るものがないということで強調します。春の気配が草原一面にあるが、理解してくれるものは誰もいない。賢人の集まりで酒を飲み交わすことにしよう。古来、権力者に対する、賢人は、酒を酌み交わして、談義した。

4 引領 首を伸ばして眺めること、強調表現。

 

秀色難為名,蒼翠日在眼。

終南山辺りの蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。

 

有時白雲起,天際自舒卷。

そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色。

5 有時白雲起,天際自舒卷 この二句は道教隠遁者の道と一体となる修行をして仙人となる神髄をいうもの。

6 舒卷 ① のばし広げることとまき固めること。転じて,時勢に応じて身を処すこと。 書物を開くこと。

 

心中與之然,託興每不淺。

わが心も、物に執着しないことは、丁度、その雲の如くである處から、毎毎興を託することが深い。

 

何當造幽人,滅跡棲巘。

あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。

7 滅跡 消滅蹤跡。文選·李陵·《答蘇武書》「滅跡掃塵,斬其梟帥。」(跡を滅して塵を掃き,其れを斬り梟帥す。)

8 棲 絶壁の上の山頂。世俗を断ち切った山の頂に隠棲すること。

743年(59)李太白集卷八36-《贈盧徵君昆弟》#2 378-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(59) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195

李白  贈盧徵君昆弟 #2

滄州即此地,觀化遊無窮。水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

徵君は、その山をもって滄州と見做し、静かに宇宙の物化をみて、こころを無窮の大道に遊ばしめるのである。かくて、晩秋のころ、気の葉が落ち尽くし、鼇背にある蓬萊島が目の当たりに見える時分に、わたしも徵君を訪ねた。徵君兄弟とともに、日映中に浮べる倒影を弄し、手を携えて、天空を飛行し、あの星虹を凌いで瑤闕に朝したいと思っているのである。

743年(59)李太白集卷八36-《贈盧徵君昆弟》#2 378-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-59) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195

 

 

 
 2016年1月17日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
743年(59)李太白集卷八36-《贈盧徵君昆弟》#2 378-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(59) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1644> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7196 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog767年-14-#3杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14-#3 <1110> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7197 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog12孫光憲《巻八35竹枝二首其二》『花間集』387全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7199 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-59

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈盧徵君昆弟

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              

交遊人物/地點:盧徵君昆弟             書信往來

 

 

贈盧徵君昆弟

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

明主訪賢逸,雲泉今已空。

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。

二盧竟不起,萬乘高其風。

しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。

河上喜相得,壺中趣每同。

盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

#2

滄州即此地,觀化遊無窮。

徵君は、その山をもって滄州と見做し、静かに宇宙の物化をみて、こころを無窮の大道に遊ばしめるのである。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

かくて、晩秋のころ、気の葉が落ち尽くし、鼇背にある蓬萊島が目の当たりに見える時分に、わたしも徵君を訪ねた。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

徵君兄弟とともに、日映中に浮べる倒影を弄し、手を携えて、天空を飛行し、あの星虹を凌いで瑤闕に朝したいと思っているのである。

 

(盧徵君の昆弟に贈る)

明主 賢逸を訪い,雲泉 今 已に空し。

二盧 竟に起たず,萬乘 其の風を高し。

河上 相い得るを喜び,壺中 趣 每に同じゅうす。

#2

滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。

水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。

君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。

 

『贈盧徵君昆弟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

滄州即此地,觀化遊無窮。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

(下し文)
#2

滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。

水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。

君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。

(現代語訳)
#2

徵君は、その山をもって滄州と見做し、静かに宇宙の物化をみて、こころを無窮の大道に遊ばしめるのである。

かくて、晩秋のころ、気の葉が落ち尽くし、鼇背にある蓬萊島が目の当たりに見える時分に、わたしも徵君を訪ねた。

徵君兄弟とともに、日映中に浮べる倒影を弄し、手を携えて、天空を飛行し、あの星虹を凌いで瑤闕に朝したいと思っているのである。

大明宮の圖003
(訳注)

贈盧徵君昆弟

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

1    盧徵君 盧鴻を征士の尊稱、徵君と号されたのと同じような人物として盧徵君兄弟をいう。

 

滄州即此地,觀化遊無窮。

徵君は、その山をもって滄州と見做し、静かに宇宙の物化をみて、こころを無窮の大道に遊ばしめるのである。

8 滄州 実際の地名というよりは、水辺の土地をいい、隠者の住むところを象徴する。東方の海上にあると信じられた仙人の島。謝眺『之宣城、出新林浦、向版橋』『文選』巻二七に「既懽懐禄情、復協滄州趣」(禄を得たいという心情にもかない、また隠遁したいという心にもかなうのだ)とある。《巻八15玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》「功成拂衣去,搖曳滄洲傍。」(功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。」『春日獨酌 二首 其二』「我有紫霞想、緬懷滄洲間。」

 

水落海上清,鼇背睹方蓬。

かくて、晩秋のころ、気の葉が落ち尽くし、鼇背にある蓬萊島が目の当たりに見える時分に、わたしも徵君を訪ねた。

9. 鼇背 おおうみがめの背。想像上の動物の名。海中に住み、背に蓬莱山などの仙山を背負っているという。おおうみがめが背にのせているという、海中の仙山の峰。②翰林院のこと。

10 方蓬 東海の蓬莱山。神仙三山、蓬莱、瀛州、方丈をいう。

 

與君弄倒景,攜手凌星虹。

徵君兄弟とともに、日映中に浮べる倒影を弄し、手を携えて、天空を飛行し、あの星虹を凌いで瑤闕に朝したいと思っているのである。

11 倒景 大陽が沈んだあと、日の光が西から照り返すこと。夕日。 2.水面に逆さまに写った景色。逆さに映った影。倒影(とうえい)

12 星虹 星の虹の架け橋。《巻06-08 元丹丘歌》「躡星虹,身騎飛龍耳生風。」

 

京兆地域図002洛陽 函谷関 嵩山005 

 

 

 

贈盧徵君昆弟  【字解】

 

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

1 盧徵君 盧鴻を征士の尊稱、徵君と号されたのと同じような人物として盧徵君兄弟をいう。《新唐書》卷一百九十六〈隱逸列傳盧鴻〉“盧鴻字顥然,其先幽州范陽人,徙洛陽。博學,善書籀。廬嵩山。玄宗開元初,備禮徵再,不至。五年,詔曰:「鴻有泰一之道,中庸之德,鉤深詣微,確乎自高。詔書屢下,每輒辭託,使朕虛心引領,于今數年。雖得素履幽人之介,而失考父滋恭之誼,豈朝廷之故與生殊趣邪?將縱欲山林,往而不能反乎?禮有大倫,君臣之義不可廢也。今城闕密邇,不足為勞,有司其齎束帛之具,重宣茲旨,想有以翻然易節,副朕意焉。」鴻至東都,謁見不拜,宰相遣通事舍人問狀,答曰:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝召升殿,置酒。拜諫議大夫,固辭。復下制,許還山,給米百斛、絹五十,府縣為致其家,朝廷得失,其以狀聞。將行,賜隱居服,官營草堂,恩禮殊渥。鴻到山中,廣學廬,聚徒至五百人。及卒,帝賜萬錢。鴻所居室,自號寧極云。(盧鴻は字を顥然,其の先は幽州范陽の人,洛陽に徙【うつ】る。博學,善く籀を書す。嵩山に廬す。玄宗開元の初,禮を備えて徵すこと再,至らず。五年,詔して曰く:「鴻 泰一の道有り,中庸の德,詣微を鉤深し,確乎自ら高す。詔書屢ば下し,每に輒ち託を辭し,朕 虛をして心 領を引き,今に于て數年。素履 幽人の介を得ると雖も,而て父滋恭の誼を失考し,豈に朝廷に之き故に與生殊趣邪?將に山林に縱欲し,往き能反せずや?禮 大倫に有り,君臣の義 廢す可からざるなり。今 城闕密邇し,勞を為すに足らず,司有り其の齎 帛の具を束し,重ねて茲の旨を宣し,想う有り 以て翻然易節 朕の意を,副えんや。」鴻 東都に至り,謁見して拜せず,宰相 遣通事舍人問狀,答えて曰く:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝 召して殿に升り,置酒す。諫議大夫に拜せらる,固辭す。復た制を下し,山に還えるを許し,米百斛、絹五十を給し,縣に府し 其の家に致るを為し,朝廷得失し,其れ以て狀聞す。將て行き,隱居の服を賜い,草堂を官營す,禮に恩渥をし殊にす。鴻 山中にり,廣く廬に學び,聚徒至五百人に。卒するに及び,帝 萬錢を賜う。鴻 居る所の室,自ら寧極と號すと云う。)

2 徵君征君  征士の尊稱。 《後漢書黃憲傳》「友人勸其仕, 憲亦不拒之, 暫到京師而還, 竟無所就。 年四十八終, 天下號曰徵君。」(友人 其の仕を勸む, 憲 亦た之を拒まず, 暫く京師に到りて還る, 竟に就く所無く。 年四十八にして終る, 天下に號して徵君と曰う。)

3 雲泉 雲が生じるのは、巌洞の泉湧くところであるということ。

4 二盧 征士である盧徵君兄弟のこと。

5 萬乘 万乗の天子。

6 河上 河上公。河上公とは如何なる人物であるのか。河上公注『老子』につけられた、葛玄の序という文章によると、河上公は姓名未詳。前漢の文帝の時に黄河の岸辺に隠居して、『老子』を読み解いていた。文帝は、河上公が『老子』に通じていると聞いて召し寄せようとしたが、「そんなことでは道や徳は教えられない」と河上公が上京を拒むので、しかたなく文帝みずからが出向いてその非礼を責めたところ、河上公は手を打ってふわりと虚空に浮かび上がり、自分は帝王の指図を受けぬと宣言する。そこで文帝は河上公が神人であると悟り、礼を尽くして教えを乞うたところ、河上公は『老子道徳経章句』二巻を文帝に授け、「これをよく研究すれば、『老子』は分かるだろう。余がこの経に注をつけて以来、千七百年になるが、伝授したのは、あなたを含めて四人だけだ。人には見せるな」と言った。伝授を終えると、河上公はどこかに消えた、と。葛玄の序はそのように説く。河上公もまた、謎に満ちた人物である。

神仙傳「河上公者,莫知其姓名也。漢孝文帝時,結草為庵於河之濱,常讀老子道德經。時文帝好老子之道,詔命諸王公大臣州牧在朝卿士,皆令誦之,不通老子經者,不得陛朝。帝於經中有疑義,人莫能通,侍郎裴楷奏雲:陜州河上有人誦老子。即遣詔使所疑義問之,公曰:「道尊德貴,非可遙問也。」帝即嘉幸詣之,公在庵中不出,帝使人謂之曰:「溥天之下,莫非王土,率土之濱,莫非王民,域中四大,而王居其一,子雖有道,猶朕民也,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」須臾,公即拊掌坐躍,冉冉在空虛之中,去地百余尺,而止於虛空,良久,俛而答曰:「余上不至天,中不累人,下不居地,何民之有焉?君宜能令余富貴貧賤乎?」帝大驚,悟知是神人,方下輦稽首禮謝曰:「朕以不能,忝承先業,才小任大,憂於不堪,而誌奉道德,直以暗昧,多所不了,惟願道君垂湣,有以教之。」河上公即授素書老子道德章句二卷,謂帝曰:「熟研究之,所疑自解。余著此經以來,千七百余年,凡傳三人,連子四矣,勿視非人!」帝即拜跪受經,言畢,失公所在。遂於西山築臺望之,不復見矣。論者以為文帝雖耽尚大道,而心未純信,故示神變以悟帝,意欲成其道,時人因號河上公。」

神仙傳「河上公は,其の姓名を知る莫し也。漢の孝文帝の時,草を結び庵を河の濱を為る,常に老子は道德經を讀む。時に文帝 老子の道を好み,詔命して諸王公大臣州牧 朝卿士在り,皆 之を誦ぜ令む,老子經を通ぜざる者,陛朝を得ず。帝 經中に疑義有り,人は能く通ずること莫れ,侍郎裴楷 奏して雲う:陜州河上 人有り 老子を誦す。即ち遣詔使 疑義を所し 之を問う,公曰く:「道は尊く德は貴し,遙に問う可きに非ざる也。」と。帝 即ち嘉び幸にして之を詣し,公 庵中に在りて出でず,帝 人を使し 之を謂うて曰く:「溥天の下,王土非ざるは莫く,率土の濱,王民非ざるは莫し,域中四大,而して王居其一は,子 道有りと雖も,猶お朕の民なり,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」と。須臾して,公 即ち掌を拊して坐躍すれば,冉冉として空虛の中に在り,地を去ること百余尺,而して虛空に止み,良久,俛して答えて曰く:「余 上 天に至らず,中 人に累せず,下 地に居らず,何の民か之れ有らんと?君 宜く能く余 富貴貧賤か?」と。帝 大いに驚き,是れ神人を悟知し,方に輦を下りて稽首し禮謝して曰く:「朕 以て能わず,忝承して先業し,才は小 任は大,憂 堪えず,而して誌は道德を奉り,直ちに以て暗昧し,多所 了らず,惟だ願うは道君垂湣,有 以て之を教う。」河上公 即ち素書、老子道德章句二卷を授け,帝に謂うて曰く:「熟して之を研究し,所疑 自ら解す。余 此經を著して以來,千七百余年,凡そ三人に傳え,子を連ねて四と,視る勿れ人に非らず!」帝 即ち拜跪して經を受け,言畢って,公在る所を失う。遂に 西山 臺を築き 之を望み,復た見るなし。論者 以て文帝を為し 耽すと雖も 尚お大道,而して心 未だ純信せず,故に神變を示し以て帝を悟り,意 其の道を成さんと欲し,時に人に因り河上公と號す。」と。

7 壺中趣  壺中有天。 現実の世俗的生活の中に自らが創っている別天地。自分だけの時間と世界をもてる幸せを大切にしたいもの。後漢書に「費長房が役所の二階から何気なく町中の老商人を眺めていた。仕事を終えた老商人があたりを見回し、ポンと壺に入り込んでしまった。不思議に思った彼が翌日、老商人を問い詰めた。『見られたか。じゃ仕方がない。ついておいで』と大きな壷の中に誘った。壷の中は彼が見たこともない別天地だった。」という故事による。老商人の壺中有天は、彼の現実の生活、その人生の中に開けている楽しみであって、費長房のものでないということに留意すべきであると。

《後漢書》卷八十二下《方術傳·費長房傳》“費長房者,汝南人也。曾為市掾。市中有老翁賣藥,懸一壺於肆頭,及市罷,輒跳入壺中。……翁知長房之意其神也,……長房遂欲求道,而顧家人為憂。翁乃斷一青竹,度與長房身齊,使懸之舍後。家人見之,即長房形也,以為縊死,大小驚號,遂殯葬之。……長房辭歸,翁與一竹杖,曰:「騎此任所之,則自至矣。既至,可以杖投葛陂中也。」又為作一符,曰:「以此主地上鬼神。」長房乘杖,須臾來歸,自謂去家適經旬日,而已十餘年矣。……遂能醫療疾,鞭笞百鬼,及驅使社公。……後東海君來見葛陂君,因淫其夫人,於是長房劾繫之三年,而東海大旱。長房至海上,見其人請雨,乃謂之曰:「東海君有罪,吾前繫於葛陂,今方出之使作雨也。」於是雨立注。長房曾與人共行,見一書生黃巾被裘,無鞍騎馬,下而叩頭。長房曰:「還它馬,赦汝死罪。」人問其故,長房曰:「此狸也,盜社公馬耳。」又嘗坐客,而使至宛市鮓,須臾還,乃飯。或一日之閒,人見其在千里之外者數處焉。後失其符,為眾鬼所殺。”

(費長房は,汝南の人也。曾て市掾を為す。市中に老翁賣藥する有り,肆頭に一壺に懸り,市罷に及び,輒ち跳んで壺中に入る。……翁 長房の意、其の神を知る也,……長房 遂に道を求めんと欲す,而して家人をて憂を為す。翁 乃ち一び青竹を斷じ,度と長房とに身を齊し,之を懸け舍後とせん。家人 之を見,即ち長房の形なり,以て縊死と為す,大小 驚いて號し,遂に殯して之を葬す。……長房 辭して歸り,翁と一に竹杖す,曰く:「騎して此の任所に之く,則ちら自る至矣。既ち至って,以て葛陂の中に杖を投じすべしなり。」又 一符を作る為し,曰く:「以て此の主地は鬼神に上る。」長房 杖に乘り,須臾して來り歸えり,自謂う家を去って經旬に適く日,而して已に十餘年。……遂に能く醫療疾し,百鬼に鞭笞し,驅して社公に及ぶ。……後に東海君來り葛陂君を見る,因に其の夫人を淫し,是に於いて長房は劾繫すること之れ三年,而して東海大いに旱す。長房海上に至り,其人が雨を請うを見て,乃ち之を謂うて曰く:「東海君罪有り,吾 葛陂に前繫す,今 方に之に出づれば雨を作さしむるなり。」是に於て雨注き立つ。長房 曾て人に與え共に行き,一書を見て黃巾の被裘を生ず,騎馬するに鞍無く,下りて頭を叩く。長房曰く:「它馬還り,汝死罪を赦さる。」人問うて其れ故に,長房曰く:「此れ狸なり,社公の馬耳を盜む。」又嘗坐客し,而して宛市の鮓に至らしむ,須臾して還り,乃ち飯。或いは一日之を閒く,人は其れを見て 千里の外に在る者は數處なり。後に其の符を失い,眾鬼 殺す所と為す。)

に基づく。

743年(59)李太白集卷八36-#1《贈盧徵君昆弟》(明主訪賢逸,) 378Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(59) Ⅰ李白詩1729 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7185

李白  《贈盧徵君昆弟》 明主訪賢逸,雲泉今已空。

二盧竟不起,萬乘高其風。 河上喜相得,壺中趣每同。

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

743年(59)李太白集卷八36-#1《贈盧徵君昆弟》(明主訪賢逸,) 378Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-59) Ⅰ李白詩1729 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7185

 

 
  2016年1月16日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(59)李太白集卷八36-#1《贈盧徵君昆弟》(明主訪賢逸,) 378Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(59) Ⅰ李白詩1729 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7185  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1643> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7191  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-14-#2杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14-#2 <1109> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7192  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八34竹枝二首其一》『花間集』386全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7194  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-59

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈盧徵君昆弟

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:盧徵君昆弟             書信往來

 

 

贈盧徵君昆弟 #1

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)
明主訪賢逸,雲泉今已空。

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。

二盧竟不起,萬乘高其風。

しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。

河上喜相得,壺中趣每同。

盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

 

滄州即此地,觀化遊無窮。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

 

(盧徵君の昆弟に贈る)

明主 賢逸を訪い,雲泉 今 已に空し。

二盧 竟に起たず,萬乘 其の風を高し。

河上 相い得るを喜び,壺中 趣 每に同じゅうす。

#2

滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。

水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。

君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。

大明宮の圖003 

『贈盧徵君昆弟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈盧徵君昆弟

明主訪賢逸,雲泉今已空。

二盧竟不起,萬乘高其風。

河上喜相得,壺中趣每同。

滄州即此地,觀化遊無窮。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

(下し文)
(盧徵君の昆弟に贈る)

明主 賢逸を訪い,雲泉 今 已に空し。

二盧 竟に起たず,萬乘 其の風を高し。

河上 相い得るを喜び,壺中 趣 每に同じゅうす。

滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。

水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。

君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。

(現代語訳)
贈盧徵君昆弟#1(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。

しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。

盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

滄州即此地,觀化遊無窮。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。
汜水関などの地図
(訳注)

贈盧徵君昆弟

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

1 盧徵君 盧鴻を征士の尊稱、徵君と号されたのと同じような人物として盧徵君兄弟をいう。《新唐書》卷一百九十六〈隱逸列傳盧鴻〉“盧鴻字顥然,其先幽州范陽人,徙洛陽。博學,善書籀。廬嵩山。玄宗開元初,備禮徵再,不至。五年,詔曰:「鴻有泰一之道,中庸之德,鉤深詣微,確乎自高。詔書屢下,每輒辭託,使朕虛心引領,于今數年。雖得素履幽人之介,而失考父滋恭之誼,豈朝廷之故與生殊趣邪?將縱欲山林,往而不能反乎?禮有大倫,君臣之義不可廢也。今城闕密邇,不足為勞,有司其齎束帛之具,重宣茲旨,想有以翻然易節,副朕意焉。」鴻至東都,謁見不拜,宰相遣通事舍人問狀,答曰:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝召升殿,置酒。拜諫議大夫,固辭。復下制,許還山,給米百斛、絹五十,府縣為致其家,朝廷得失,其以狀聞。將行,賜隱居服,官營草堂,恩禮殊渥。鴻到山中,廣學廬,聚徒至五百人。及卒,帝賜萬錢。鴻所居室,自號寧極云。(盧鴻は字を顥然,其の先は幽州范陽の人,洛陽に徙【うつ】る。博學,善く籀を書す。嵩山に廬す。玄宗開元の初,禮を備えて徵すこと再,至らず。五年,詔して曰く:「鴻 泰一の道有り,中庸の德,詣微を鉤深し,確乎自ら高す。詔書屢ば下し,每に輒ち託を辭し,朕 虛をして心 領を引き,今に于て數年。素履 幽人の介を得ると雖も,而て父滋恭の誼を失考し,豈に朝廷に之き故に與生殊趣邪?將に山林に縱欲し,往き能反せずや?禮 大倫に有り,君臣の義 廢す可からざるなり。今 城闕密邇し,勞を為すに足らず,司有り其の齎 帛の具を束し,重ねて茲の旨を宣し,想う有り 以て翻然易節 朕の意を,副えんや。」鴻 東都に至り,謁見して拜せず,宰相 遣通事舍人問狀,答えて曰く:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝 召して殿に升り,置酒す。諫議大夫に拜せらる,固辭す。復た制を下し,山に還えるを許し,米百斛、絹五十を給し,縣に府し 其の家に致るを為し,朝廷得失し,其れ以て狀聞す。將て行き,隱居の服を賜い,草堂を官營す,禮に恩渥をし殊にす。鴻 山中にり,廣く廬に學び,聚徒至五百人に。卒するに及び,帝 萬錢を賜う。鴻 居る所の室,自ら寧極と號すと云う。)

2 徵君, 征君  征士の尊稱。 《後漢書黃憲傳》「友人勸其仕, 憲亦不拒之, 暫到京師而還, 竟無所就。 年四十八終, 天下號曰徵君。」(友人 其の仕を勸む, 憲 亦た之を拒まず, 暫く京師に到りて還る, 竟に就く所無く。 年四十八にして終る, 天下に號して徵君と曰う。)

 

明主訪賢逸,雲泉今已空。

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。

3 雲泉 雲が生じるのは、巌洞の泉湧くところであるということ。

 

二盧竟不起,萬乘高其風。

しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。

4 二盧 征士である盧徵君兄弟のこと。

5 萬乘 万乗の天子。

 

河上喜相得,壺中趣每同。

盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

6 河上 河上公。河上公とは如何なる人物であるのか。河上公注『老子』につけられた、葛玄の序という文章によると、河上公は姓名未詳。前漢の文帝の時に黄河の岸辺に隠居して、『老子』を読み解いていた。文帝は、河上公が『老子』に通じていると聞いて召し寄せようとしたが、「そんなことでは道や徳は教えられない」と河上公が上京を拒むので、しかたなく文帝みずからが出向いてその非礼を責めたところ、河上公は手を打ってふわりと虚空に浮かび上がり、自分は帝王の指図を受けぬと宣言する。そこで文帝は河上公が神人であると悟り、礼を尽くして教えを乞うたところ、河上公は『老子道徳経章句』二巻を文帝に授け、「これをよく研究すれば、『老子』は分かるだろう。余がこの経に注をつけて以来、千七百年になるが、伝授したのは、あなたを含めて四人だけだ。人には見せるな」と言った。伝授を終えると、河上公はどこかに消えた、と。葛玄の序はそのように説く。河上公もまた、謎に満ちた人物である。

神仙傳「河上公者,莫知其姓名也。漢孝文帝時,結草為庵於河之濱,常讀老子道德經。時文帝好老子之道,詔命諸王公大臣州牧在朝卿士,皆令誦之,不通老子經者,不得陛朝。帝於經中有疑義,人莫能通,侍郎裴楷奏雲:陜州河上有人誦老子。即遣詔使所疑義問之,公曰:「道尊德貴,非可遙問也。」帝即嘉幸詣之,公在庵中不出,帝使人謂之曰:「溥天之下,莫非王土,率土之濱,莫非王民,域中四大,而王居其一,子雖有道,猶朕民也,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」須臾,公即拊掌坐躍,冉冉在空虛之中,去地百余尺,而止於虛空,良久,俛而答曰:「余上不至天,中不累人,下不居地,何民之有焉?君宜能令余富貴貧賤乎?」帝大驚,悟知是神人,方下輦稽首禮謝曰:「朕以不能,忝承先業,才小任大,憂於不堪,而誌奉道德,直以暗昧,多所不了,惟願道君垂湣,有以教之。」河上公即授素書老子道德章句二卷,謂帝曰:「熟研究之,所疑自解。余著此經以來,千七百余年,凡傳三人,連子四矣,勿視非人!」帝即拜跪受經,言畢,失公所在。遂於西山築臺望之,不復見矣。論者以為文帝雖耽尚大道,而心未純信,故示神變以悟帝,意欲成其道,時人因號河上公。」

神仙傳「河上公は,其の姓名を知る莫し也。漢の孝文帝の時,草を結び庵を河の濱を為る,常に老子は道德經を讀む。時に文帝 老子の道を好み,詔命して諸王公大臣州牧 朝卿士在り,皆 之を誦ぜ令む,老子經を通ぜざる者,陛朝を得ず。帝 經中に疑義有り,人は能く通ずること莫れ,侍郎裴楷 奏して雲う:陜州河上 人有り 老子を誦す。即ち遣詔使 疑義を所し 之を問う,公曰く:「道は尊く德は貴し,遙に問う可きに非ざる也。」と。帝 即ち嘉び幸にして之を詣し,公 庵中に在りて出でず,帝 人を使し 之を謂うて曰く:「溥天の下,王土非ざるは莫く,率土の濱,王民非ざるは莫し,域中四大,而して王居其一は,子 道有りと雖も,猶お朕の民なり,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」と。須臾して,公 即ち掌を拊して坐躍すれば,冉冉として空虛の中に在り,地を去ること百余尺,而して虛空に止み,良久,俛して答えて曰く:「余 上 天に至らず,中 人に累せず,下 地に居らず,何の民か之れ有らんと?君 宜く能く余 富貴貧賤か?」と。帝 大いに驚き,是れ神人を悟知し,方に輦を下りて稽首し禮謝して曰く:「朕 以て能わず,忝承して先業し,才は小 任は大,憂 堪えず,而して誌は道德を奉り,直ちに以て暗昧し,多所 了らず,惟だ願うは道君垂湣,有 以て之を教う。」河上公 即ち素書、老子道德章句二卷を授け,帝に謂うて曰く:「熟して之を研究し,所疑 自ら解す。余 此經を著して以來,千七百余年,凡そ三人に傳え,子を連ねて四と,視る勿れ人に非らず!」帝 即ち拜跪して經を受け,言畢って,公在る所を失う。遂に 西山 臺を築き 之を望み,復た見るなし。論者 以て文帝を為し 耽すと雖も 尚お大道,而して心 未だ純信せず,故に神變を示し以て帝を悟り,意 其の道を成さんと欲し,時に人に因り河上公と號す。」と。

7 壺中趣  壺中有天。 現実の世俗的生活の中に自らが創っている別天地。自分だけの時間と世界をもてる幸せを大切にしたいもの。後漢書に「費長房が役所の二階から何気なく町中の老商人を眺めていた。仕事を終えた老商人があたりを見回し、ポンと壺に入り込んでしまった。不思議に思った彼が翌日、老商人を問い詰めた。『見られたか。じゃ仕方がない。ついておいで』と大きな壷の中に誘った。壷の中は彼が見たこともない別天地だった。」という故事による。老商人の壺中有天は、彼の現実の生活、その人生の中に開けている楽しみであって、費長房のものでないということに留意すべきであると。
京兆地域図002洛陽 函谷関 嵩山005

《後漢書》卷八十二下《方術傳·費長房傳》“費長房者,汝南人也。曾為市掾。市中有老翁賣藥,懸一壺於肆頭,及市罷,輒跳入壺中。……翁知長房之意其神也,……長房遂欲求道,而顧家人為憂。翁乃斷一青竹,度與長房身齊,使懸之舍後。家人見之,即長房形也,以為縊死,大小驚號,遂殯葬之。……長房辭歸,翁與一竹杖,曰:「騎此任所之,則自至矣。既至,可以杖投葛陂中也。」又為作一符,曰:「以此主地上鬼神。」長房乘杖,須臾來歸,自謂去家適經旬日,而已十餘年矣。……遂能醫療疾,鞭笞百鬼,及驅使社公。……後東海君來見葛陂君,因淫其夫人,於是長房劾繫之三年,而東海大旱。長房至海上,見其人請雨,乃謂之曰:「東海君有罪,吾前繫於葛陂,今方出之使作雨也。」於是雨立注。長房曾與人共行,見一書生黃巾被裘,無鞍騎馬,下而叩頭。長房曰:「還它馬,赦汝死罪。」人問其故,長房曰:「此狸也,盜社公馬耳。」又嘗坐客,而使至宛市鮓,須臾還,乃飯。或一日之閒,人見其在千里之外者數處焉。後失其符,為眾鬼所殺。”

(費長房は,汝南の人也。曾て市掾を為す。市中に老翁賣藥する有り,肆頭に一壺に懸り,市罷に及び,輒ち跳んで壺中に入る。……翁 長房の意、其の神を知る也,……長房 遂に道を求めんと欲す,而して家人をて憂を為す。翁 乃ち一び青竹を斷じ,度と長房とに身を齊し,之を懸け舍後とせん。家人 之を見,即ち長房の形なり,以て縊死と為す,大小 驚いて號し,遂に殯して之を葬す。……長房 辭して歸り,翁と一に竹杖す,曰く:「騎して此の任所に之く,則ちら自る至矣。既ち至って,以て葛陂の中に杖を投じすべしなり。」又 一符を作る為し,曰く:「以て此の主地は鬼神に上る。」長房 杖に乘り,須臾して來り歸えり,自謂う家を去って經旬に適く日,而して已に十餘年。……遂に能く醫療疾し,百鬼に鞭笞し,驅して社公に及ぶ。……後に東海君來り葛陂君を見る,因に其の夫人を淫し,是に於いて長房は劾繫すること之れ三年,而して東海大いに旱す。長房海上に至り,其人が雨を請うを見て,乃ち之を謂うて曰く:「東海君罪有り,吾 葛陂に前繫す,今 方に之に出づれば雨を作さしむるなり。」是に於て雨注き立つ。長房 曾て人に與え共に行き,一書を見て黃巾の被裘を生ず,騎馬するに鞍無く,下りて頭を叩く。長房曰く:「它馬還り,汝死罪を赦さる。」人問うて其れ故に,長房曰く:「此れ狸なり,社公の馬耳を盜む。」又嘗坐客し,而して宛市の鮓に至らしむ,須臾して還り,乃ち飯。或いは一日之を閒く,人は其れを見て 千里の外に在る者は數處なり。後に其の符を失い,眾鬼 殺す所と為す。)

に基づく。


743年(58)李太白集巻八22-《贈郭將軍》(將軍少年出武威,) 377Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(58) Ⅰ李白詩1729 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7185

李白  贈郭將軍

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。

(郭子儀将軍に贈る詩)

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

743年(58)李太白集巻八22-《贈郭將軍》(將軍少年出武威,) 377Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-58) Ⅰ李白詩1729 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7185

 

 
  2016年1月15日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(58)李太白集巻八22-《贈郭將軍》(將軍少年出武威,) 377Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(58) Ⅰ李白詩1729 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7185  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1642> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7186  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-14-#1杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14-#1 <1108> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7187  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八33八拍蠻一首》『花間集』385全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7189  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-58

卷別:    卷一六八              文體:    七言律詩

詩題:    贈郭將軍

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              涼州 (隴右道東部 涼州 涼州) 別名:武威、武威郡      

銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:郭將軍      書信往來

 

 

贈郭將軍

(郭子儀将軍に贈る詩)

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

(郭將軍に贈る)

將軍 少年に武威に出で,銀臺に入り掌て紫微を護す。

平明 劍を拂って天に朝して去り,薄暮 鞭を垂れて 酒に醉うて歸る。

愛子 風に臨んで玉笛を吹き,美人 月に向って羅衣を舞わしむ。

疇昔 雄豪 夢裡の如し,相逢う 且つ春暉に醉んと欲す。

大明宮の圖003 

 

『贈郭將軍』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈郭將軍

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。
詩文(含異文)     將軍少年出武威【將軍豪蕩有英威】,入掌銀臺護紫微【昔掌銀臺護紫微】。平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉【今日相逢俱失路,何年灞上弄春暉】。


(下し文)
(郭將軍に贈る)

將軍 少年に武威に出で,銀臺に入り掌て紫微を護す。

平明 劍を拂って天に朝して去り,薄暮 鞭を垂れて 酒に醉うて歸る。

愛子 風に臨んで玉笛を吹き,美人 月に向って羅衣を舞わしむ。

疇昔 雄豪 夢裡の如し,相逢う 且つ春暉に醉んと欲す。

(現代語訳)
(郭子儀将軍に贈る詩)

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

長安城図 作図00
(訳注)

贈郭將軍

(郭子儀将軍に贈る詩)

郭子儀(かく しぎ、697 - 781年)は、中国、唐朝に仕えた軍人・政治家。玄宗、粛宗、代宗、徳宗の4代に仕えた。客家人[要出典]。安史の乱で大功を立て、以後よく異民族の侵入を防いだ。盛唐〜中唐期を代表する名将。憲宗(在位805 - 820年)の皇后郭氏は子儀の孫である。郭子儀 史書をひともいても、出生はもちろん幼少年期から青壮年期に至るまで、その来歴はほとんど記録に残されていない。地方長官の子息であったが、早くに父を喪ったのか、「蔭官」(父祖の功によって官職に就くこと)によって政界入りを果たした形跡はなく、武挙(官僚を選ぶ科挙と同じく武官を選ぶ試験)において優秀と認められて仕官を果たすが(新書・本伝「武挙の異等なるを以て左衛長史に補さる」および徐松 /孟二冬 補正『登科記考補正』巻27)、その後、単于副都護、振遠軍使に累進していったのは、おそらく中年期以降のことであろうと推測されるだけである。

唐代のみならず中国史上の大人物であり、後世画題として珍重されるほど有名人となるが、このように典型的な晩成型の人物であった。史書によると、玄宗の天宝8年(749年)に木剌山に横塞軍と安北都護府を設置した際、横塞軍使に命じられているのが、年号の確認できる最も早い時期の経歴であり、ときに既に53歳であった。李吉甫撰『元和郡県図志』巻4・天徳軍の条によると、「天宝八年、張斉丘 又た西可敦城に横塞軍を置き、又た中受降城より横塞軍を移して理む」と見え、呉廷燮撰『唐方鎮年表』(以下「年表」という)巻1によると、翌天宝9年まで節度使であった張斉丘(あるいは「張斉邱」とも)の配下にあったようである。

李白は安史の乱では粛宗の弟の永王李璘に従ったが、永王が叛いたためにその臣下であった李白もまた囚われの身となり、罪に服すこととなったが、郭子儀は李白の無罪を説いて李白の助命を請うた。そのため、死罪から流罪に軽減された。郭子儀は若年のころに、李白に命を救われたことがあったという。

 

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

銀臺 銀臺門, 宮門名。 唐の時、翰林院、學士院は銀台門の附近に在る,後因銀台門を以て代て翰林院を指す。 李白 《贈從弟南平太守之遙》詩之一:承恩初入 銀臺門 著書獨在金鑾殿。(恩を承()けて初めて 入る銀台門、書を著してひとり金鑾殿にあり。天子に翰林の役を仰せつかって初めて銀台門を通過でき翰林院に入れる。書をしたためるとそれを天子のいる金鑾殿に一人で持参できるのだ。

紫微 紫微垣(しびえん)のことで、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣をいう。天の北極を中心とした広い天区、あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。

星官としての紫微垣は、天における中央の宮殿を囲う藩垣(城壁)の形に象っており、その中枢には天の北極が位置する。

 

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

 

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

舞羅衣 霓裳羽衣の曲 唐の玄宗が楊玉環のために作ったとされる曲。霓裳羽衣の曲は玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲と言われる。玄宗は愛妾である楊玉環のお披露目の際、この曲を群臣に披露し、群臣に楊玉環が特別な存在であると意識させた。

『霓裳羽衣舞』は唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。

楽史「楊太真外伝」によると、玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説と、玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説双方が記されている。楊貴妃もこれに合わせて、舞うのを得意としたという。しかし、玄宗期に起こった安史の乱以降、この曲は国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸してしまった。 白居易の「長恨歌」にも曲名が登場する。「漁陽鼙鼓動地來、驚破霓裳羽衣曲。」(漁陽の鼙鼓【へいこ】 地を動【どよ】もして来たり、驚破す 霓裳羽衣の曲。)

 

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

疇昔 過去のある日。昔。また,昨日。《文選.左思.詠史詩八首之一》:「雖非甲冑士,疇昔覽穰苴。」(甲冑の士に非ずと雖も,疇昔には穰苴を覽たり。)我は甲冑をつける武人ではないが、かねて穰苴の兵法書を読み心得ている。

雄豪 雄々しく強いこと。また、その人や、そのさま。

夢裡 夢の中。夢中。

春暉 春の太陽の光。
安史の乱期 勢力図 002 

743年(58)李太白集卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) 376-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(58) Ⅰ李白詩1728 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7180

李白  同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌#2

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。
めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。

743年(58)李太白集卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) 376-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-58) Ⅰ李白詩1728 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7180

 

 
  2016年1月14日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(56)李太白集卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) 376-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(58) Ⅰ李白詩1728 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7180  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1641> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7181  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-13-#5杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#5 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-13-#5 <1107> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7182  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八32玉蝴蝶春欲盡,》『花間集』384全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7184  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-56

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌

作地點:              目前尚無資料

及地點:              金城 (京畿道 京兆府 金城) 別名:興平         

赤城山 (江南東道 台州 台州)           

山陰 (江南東道 越州 山陰)              

交遊人物/地點:李叔卿      當地交遊

 

 

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。

#2

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。

めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。

了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。

今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。

卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。

ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。

 

(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1

高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。

洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。

光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。

#2 

迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。

了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。

君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。

卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。

 

長安城図 作図00 

『同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。

了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。

卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。

(下し文)
#2 

迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。

了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。

君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。

卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。

(現代語訳)
#2

めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。

しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。

今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。

ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。

大明宮の圖003
(訳注) #2

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬-茂陵の間にある〕。

 

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。

めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。

13 秦人月下窺花源 陶淵明の《桃花源詩》「瀛氏亂天紀、賢者避其世。」(瀛氏  天紀を 亂し,賢者  其の世を 避く。)秦の皇帝瀛氏は暴政を行い、世界の秩序をみだしたので、賢者たちは世をのがれて隠遁した。とあるに基づく。

14 花源 桃花源:陶淵明が「桃花源の詩」とその序でえがいた理想郷
《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#1709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529

《桃源行》 王維  <#1715 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2559

桃源圖 韓愈(韓退之) <145>Ⅱ中唐詩719 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2579

 

了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。

15 疊嶂 山峰;嶂:直立像屏障的山;層、迭:重複,一層加上一層。形容山峰起伏,連綿重迭。

 

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。

今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。

16 明發 早朝、夜が明けて光が発する時。 

 

卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。

ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。

17 溟渤 北溟渤海を合称す。 

 

 

 

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 【字解】

 

1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬-茂陵の間にある〕。

2 城尉叔卿 李季卿《三墳記》「先侍郎之子叔卿、字萬天骨琅琅,德(闕一字)文蔚。識度標邁,弱冠以明(闕一字)觀國,蒞鹿邑虞二尉。巍守崔公沔洎相國晉公(闕二字)甲科第之進等舉之,・・・轉金城尉,曹無受謝,吏不敢(闕四字)卷行於世。」(先侍郎の子叔卿という、字は萬。天骨 琅琅,德光 文蔚。識度 標邁,弱冠にして明を以って國を觀て,鹿邑 虞二尉を蒞けらる。巍守 崔公沔は洎相國晉公 甲科 之を第せしめ 進等 之を舉げ,・・・金城の尉に轉ず,曹謝を受ける無し,吏 敢えて世に卷行せず。)とあって、李白の族弟だけに、一廉の人物であったと見える。

3この詩は、族弟金城の尉李叔卿を訪い、花、燭を秉って、一所に其家の山水の壁画を見たるに因って、この詩を作ったという意。この頃は、宮殿や寺観ばかりでなく、すこし大きな家では名手に壁画を作らせたものと見える。

4 粉壁 漆喰の白壁。

5 蓬瀛 蓬莱と瀛洲、方丈、東海中の神仙三山島。

6 滄州 1 青々とした水に囲まれた州浜。人里を離れた水辺。2 仙人や隠者の住んでいる所。隠者の棲む場所。東海の神仙三山の海、滄海が臨めるあたり。 

7 洪波 大きな波。おおなみ。洪濤(こうとう)。

8 崢嶸 ① 山が高く険しい・こと(さま)。  人生の苦難に満ちている・こと(さま)。

9 丹丘 昼夜常に明るいところを言う。《楚辞、遠遊》に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、(羽人に丹丘に仍【したが】い、不死の旧郷に留る)孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」(羽人に丹丘に仍【したが】い、尋ねば福庭に死なず)とある。

10 赤城 赤城は孫綽賦にある、天台山を代表する赤城山。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣である。

天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。

盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350 -337 

盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338

11 嵐氣 嵐は山気。

12 山陰 春秋時代の越(えつ)の都で、秦(しん)代に山陰県が置かれ、唐代になって会稽(かいけい)、山陰の2県が設けられた。《唐地理志》「在山陰縣、会稽山在北」

743年(56)李白 卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(56) <李白> Ⅰ李白詩1715 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7123

李白詩  同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。

743年(56)李白 卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-56) <李白> Ⅰ李白詩1715 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7123

 

 

 
  2016年1月13日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(56)李白 卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(56) <李白> Ⅰ李白詩1715 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7123  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1640> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7176  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-13-#4杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-13-#4 <1106> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7177  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八31河滿子冠劍不隨》『花間集』383全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7179  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-56

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌

作地點:              目前尚無資料

及地點:              金城 (京畿道 京兆府 金城) 別名:興平         

赤城山 (江南東道 台州 台州)           

山陰 (江南東道 越州 山陰)              

交遊人物/地點:李叔卿      當地交遊

 

 

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。

#2

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。

了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。

卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。

 

(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1

高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。

洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。

光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。

 

#2 

迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。

了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。

君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。

卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。

 

京兆地域図002 

 

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌』 現代語訳と訳註解説

(本文)
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

(下し文)
(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1

高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。

洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。

光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。

(現代語訳)
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。


(訳注)

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬-茂陵の間にある〕。

2 城尉叔卿 李季卿《三墳記》「先侍郎之子叔卿、字萬天骨琅琅,德(闕一字)文蔚。識度標邁,弱冠以明(闕一字)觀國,蒞鹿邑虞二尉。巍守崔公沔洎相國晉公(闕二字)甲科第之進等舉之,・・・轉金城尉,曹無受謝,吏不敢(闕四字)卷行於世。」(先侍郎の子叔卿という、字は萬。天骨 琅琅,德光 文蔚。識度 標邁,弱冠にして明を以って國を觀て,鹿邑 虞二尉を蒞けらる。巍守 崔公沔は洎相國晉公 甲科 之を第せしめ 進等 之を舉げ,・・・金城の尉に轉ず,曹謝を受ける無し,吏 敢えて世に卷行せず。)とあって、李白の族弟だけに、一廉の人物であったと見える。

3この詩は、族弟金城の尉李叔卿を訪い、花、燭を秉って、一所に其家の山水の壁画を見たるに因って、この詩を作ったという意。この頃は、宮殿や寺観ばかりでなく、すこし大きな家では名手に壁画を作らせたものと見える。

 

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

4 粉壁 漆喰の白壁。

5 蓬瀛 蓬莱と瀛洲、方丈、東海中の神仙三山島。

6 滄州 1 青々とした水に囲まれた州浜。人里を離れた水辺。2 仙人や隠者の住んでいる所。隠者の棲む場所。東海の神仙三山の海、滄海が臨めるあたり。 

 

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

7 洪波 大きな波。おおなみ。洪濤(こうとう)。

8 崢嶸 ① 山が高く険しい・こと(さま)。  人生の苦難に満ちている・こと(さま)。

9 丹丘 昼夜常に明るいところを言う。《楚辞、遠遊》に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、(羽人に丹丘に仍【したが】い、不死の旧郷に留る)孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」(羽人に丹丘に仍【したが】い、尋ねば福庭に死なず)とある。

10 赤城 赤城は孫綽賦にある、天台山を代表する赤城山。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣である。

天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。

盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350 -337 

盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 白特集350 -338

 

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。

11 嵐氣 嵐は山気。

12 山陰 春秋時代の越(えつ)の都で、秦(しん)代に山陰県が置かれ、唐代になって会稽(かいけい)、山陰の2県が設けられた。《唐地理志》「在山陰縣、会稽山在北」

大明宮の圖003 

743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#4Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(56) Ⅰ李白詩1726 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7170

李白  西嶽雲臺歌送丹丘子 #4

我皇手把天地丹丘談天與天語。九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

今、天子は、四海に君臨して、天地の戸を手に握って居られるが、そこへ、丹邱先生が伺候して、天を談じ、至尊の前に於で道を講じられ、天子の前にその思想を語られるべきお方であるのである。

もとより、何等の官位も無い一道士ではあるが、道徳堅固なばかりに、天子は非常に之を尊敬し、九重に出入するのを許されたので、この上もないこうえいなことであるとしている。そして、丹邱先生の蹤跡は、凡人の企てが及ぶことができないもので、朝には、東の方、遠く蓬莱島へ行ったかと思えば、夕には、西の方、華山にかえるというように、天地の間を自由自在に翺翔して居る。この丹邱先生が、今度、いよいよ長安を辞して、雲臺峰の道観にかえられるというので、この詩を作って、送別の意を表した次第である。

かねがね願っているのは、神仙の道にあるがゆえに、せめて先生が平生服用されている、玉漿の仙液を少しでも善いから、われに恵んで飲ましては下さるまいか。そうすると、われは、直に二茅龍に乗じて、天に登って昇仙することが出来るであろう。どうかこの詩を作ってさし上げた我が好意に免じて、如上の希望を叶へて戴きたいものである。
743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#4Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-56) Ⅰ李白詩1726 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7170

 

 
  2016年1月12日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#4Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(56) Ⅰ李白詩1726 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7170  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1639> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7171  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-13-#3杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-13-#3 <1105> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7172  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八30定西番二首 其二》『花間集』382全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7174  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-55

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    西嶽雲臺歌送丹丘子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              雲臺峰 (京畿道 華州 華山)              

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

仙人掌 (京畿道 華州 華山)              

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)              

交遊人物/地點:元丹丘      當地交遊(京畿道 華州 華山)

 

 

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

#2

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。

#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

白帝の金精 元氣を運【めぐ】らし,石は蓮花を作し 雲は臺を作す。

雲臺の閣道 窈冥に連り,中に不死の丹丘生有り。

明星玉女 灑掃に備わり,“麻姑搔背” 指爪輕し。

#4

我皇手把天地丹丘談天與天語。

今、天子は、四海に君臨して、天地の戸を手に握って居られるが、そこへ、丹邱先生が伺候して、天を談じ、至尊の前に於で道を講じられ、天子の前にその思想を語られるべきお方であるのである。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

もとより、何等の官位も無い一道士ではあるが、道徳堅固なばかりに、天子は非常に之を尊敬し、九重に出入するのを許されたので、この上もないこうえいなことであるとしている。そして、丹邱先生の蹤跡は、凡人の企てが及ぶことができないもので、朝には、東の方、遠く蓬莱島へ行ったかと思えば、夕には、西の方、華山にかえるというように、天地の間を自由自在に翺翔して居る。この丹邱先生が、今度、いよいよ長安を辞して、雲臺峰の道観にかえられるというので、この詩を作って、送別の意を表した次第である。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

かねがね願っているのは、神仙の道にあるがゆえに、せめて先生が平生服用されている、玉漿の仙液を少しでも善いから、われに恵んで飲ましては下さるまいか。そうすると、われは、直に二茅龍に乗じて、天に登って昇仙することが出来るであろう。どうかこの詩を作ってさし上げた我が好意に免じて、如上の希望を叶へて戴きたいものである。

 

我が皇 手に把る天地の,丹丘 天を談じて天と語る。

九重 出入 光輝を生ず,東 蓬萊に來り 復た西に歸る。

玉漿 儻し故人に惠んで飲ましむれば,二茅の龍に騎し天に上って飛ばん。

華山001 

『西嶽雲臺歌送丹丘子』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

我皇手把天地,丹丘談天與天語。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

(下し文)
#4

我が皇 手に把る天地の,丹丘 天を談じて天と語る。

九重 出入 光輝を生ず,東 蓬萊に來り 復た西に歸る。

玉漿 儻し故人に惠んで飲ましむれば,二茅の龍に騎し天に上って飛ばん。

(現代語訳)
#4

今、天子は、四海に君臨して、天地の戸を手に握って居られるが、そこへ、丹邱先生が伺候して、天を談じ、至尊の前に於で道を講じられ、天子の前にその思想を語られるべきお方であるのである。

もとより、何等の官位も無い一道士ではあるが、道徳堅固なばかりに、天子は非常に之を尊敬し、九重に出入するのを許されたので、この上もないこうえいなことであるとしている。そして、丹邱先生の蹤跡は、凡人の企てが及ぶことができないもので、朝には、東の方、遠く蓬莱島へ行ったかと思えば、夕には、西の方、華山にかえるというように、天地の間を自由自在に翺翔して居る。この丹邱先生が、今度、いよいよ長安を辞して、雲臺峰の道観にかえられるというので、この詩を作って、送別の意を表した次第である。

かねがね願っているのは、神仙の道にあるがゆえに、せめて先生が平生服用されている、玉漿の仙液を少しでも善いから、われに恵んで飲ましては下さるまいか。そうすると、われは、直に二茅龍に乗じて、天に登って昇仙することが出来るであろう。どうかこの詩を作ってさし上げた我が好意に免じて、如上の希望を叶へて戴きたいものである。

京兆地域図002
(訳注) #4

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

 

我皇手把天地丹丘談天與天語。

今、天子は、四海に君臨して、天地の戸を手に握って居られるが、そこへ、丹邱先生が伺候して、天を談じ、至尊の前に於で道を講じられ、天子の前にその思想を語られるべきお方であるのである。

18 天地 六朝初期の霊宝派や上清派の道教と密接な関係をもちつつ形成された仙伝小説である《漢武帝内傳》「又命侍女安法嬰歌元靈之曲。其詞曰:“大象雖寥廓,我把天地。」(又侍女安法嬰じて 元靈わしむ。其ぼ詞に曰く“大象寥廓と雖も,我は天地把む。)とある。

19 談天與天語 道教の源流は、上帝そして天に対する信仰、儒家の祖先信仰、民間の巫法、墨家の上帝鬼神信仰などさまざまなものである。特に墨家が言う「鬼」とは、天と人の間にあって人間を監視し、天意(「義」‐道徳や倫理など)に背くと災いや事故を起こすと言う。人々は「義」を守る生活とともに天や鬼を祀り、罰を避けようとした。道教では天と鬼の間に人の世界があり、各階層で善行や悪行によって上り下りがあると考えられたのである。これらを踏まえ、元丹邱は天を談じ、天語得るということであるから、天子に迎えられるにふさわしい人物であるということを言うのである。

 

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

もとより、何等の官位も無い一道士ではあるが、道徳堅固なばかりに、天子は非常に之を尊敬し、九重に出入するのを許されたので、この上もないこうえいなことであるとしている。そして、丹邱先生の蹤跡は、凡人の企てが及ぶことができないもので、朝には、東の方、遠く蓬莱島へ行ったかと思えば、夕には、西の方、華山にかえるというように、天地の間を自由自在に翺翔して居る。この丹邱先生が、今度、いよいよ長安を辞して、雲臺峰の道観にかえられるというので、この詩を作って、送別の意を表した次第である。

 

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

かねがね願っているのは、神仙の道にあるがゆえに、せめて先生が平生服用されている、玉漿の仙液を少しでも善いから、われに恵んで飲ましては下さるまいか。そうすると、われは、直に二茅龍に乗じて、天に登って昇仙することが出来るであろう。どうかこの詩を作ってさし上げた我が好意に免じて、如上の希望を叶へて戴きたいものである。

20 玉漿 中国の古い天文思想により引用した言葉で、玉でもって不老長寿の水を作ったものを玉漿という、

21 二茅龍 漢劉向《列仙傳呼子先》“呼子先者, 漢中關下卜師也, 老壽百馀歲 臨去, 呼酒家老嫗曰: '急裝, 當與嫗共應中陵王。 '夜有仙人持二茅狗來至, 呼子先。子先持一與酒家嫗,得而騎之。乃龍也,上華陰山,常於山上大呼言:「子先、酒母在此耳」”(呼子先は,漢中關下の卜師なり,老壽 百馀歲なり去るに臨み,酒家の老嫗を呼んで曰く、「急裝して,當に嫗と共に中陵王に應ずべしと。夜 仙人有り 二茅狗を持して來り至り,子先を呼ぶ。子先 一を持して酒家の嫗に與え,得て之に騎す。乃ち龍まり,華陰山に上り,常に山上に於いて大呼して言う:「子先、酒母 此に在るのみ」)とある。

 

華山蓮花峰00

 

【字解】-----------------------------------

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14.江上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

9. 西嶽雲臺歌送丹丘子

743年天寶二年

18-11

8. 以詩代書答元丹丘

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首+二首である。

㈣ 崢嶸 1 山や谷のけわしさ。2 人生のけわしさ。[ト・タル][文][形動タリ]山などが、高くけわしいさま。

㈤ 盤渦轂轉 渦が盤のようにぐるぐる回って車轂の如く回転する。

6.  千年一清 晉•王嘉撰《拾遺記》「黄河千年一清,至聖之君以為大瑞。」(黄河千年に一たび清む、至聖の君、以て大瑞と爲す。)とある。

7.  巨靈 巨神、川の神、古語に昔二つの華山が一つになっていた。黄河がそのためまっすぐ流れないので、河神が手で山をおし開き、足で麓をおし分けて河水を通した。その手足の跡がのこっているという。張衡《西京賦》「漢氏初都,在渭之涘,秦里其朔,寔為咸陽。左有崤函重險、桃林之塞,綴以二華,巨靈贔屓,高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。」(漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、渭水のほとりである。それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753

【8】三峰 現在の華山は東、西、南、北、中と五峰有る。主峰は南峰“落雁”、東峰“朝陽”、西峰“蓮花” と有って,三峰が鼎峙している。“勢飛白雲外影倒黃河裡”といわれ,人々は “天外三峰”と稱している。また雲台、玉女の二峰が相輔してその側に有る。華山記に「太華山削成而四方直上至頂、列爲三峯。其西爲蓮花/峯、峯之石窳隆不一。皆如蓮葉倒垂、故名是峯曰蓮花。 其南曰落雁峯、上多松檜、故亦曰松檜峯。白帝在其/間、俯眺三秦、曠莽無際黄河如一縷、水 繚繞岳下。其東峯曰朝陽峯、峯之左脇中有一峯、狀甚秀異、如爲東峯/所抱者曰玉女峯、乃東峯之支峯也。世之談三峯者、數玉女而不數朝陽非矣。」(太華山削成し、四方直上して頂きに至り、列して三峰となる。その西を蓮花峰となす、峰の石窳隆して一ならず、皆蓮葉の倒垂するが如し、故にこの峰を名づけて蓮花という。その南を落雁峰という、上に松檜多し、故に亦た松檜峰といふ。白帝宮、その間に在り、伏して三秦を眺むれば、黄河一縷の如く、水、嶽下み繚繞す。その東峰在朝陽峰といふ、峰の左脇中に一峰あり、状甚だ秀異、東峰に抱かるるものの如し、玉女峰といふ、乃ち東峰の支峰なり。世の三峰を談するもの、玉女を数えて、朝陽を数えず、非なり。)とある。

9】 高掌開 上文の続きに「山の東北は、即ち仙人掌たり、即ちいわゆる巨霊掌なり 巌壁黒色、石膏、宝中より流れ出で、凝結して痕を成し、黄白相間はる。遠く之を望めば、その大なるもの、五岐、指の如きものも見る。好奇のもの、ついに傳えて、巨霊山を劈くの掌跡となす。『掌の長さ三十丈、五指参差、中指直に峰頂きに冠す、長さ三十丈」とある、これに就いて、王涯の大華山掌辯等あれども、あまりくどいので、省略する。

10. 白帝金精 少昊【しょうこう】は、中国古代の五帝の一人。姓は己姓。氏は金天氏(鳳鳥氏、青陽氏、窮桑氏、雲陽氏とも称される)。名は(質とも作る)。号は「皞」(「皓」・「顥」とも作る)、「朱宣」、「少昊」(少昊とは太昊の徳行を継承したことによる命名)。黄帝の子。窮桑(現在の山東省曲阜市)に生まれる。義和の国と称された東夷族の国の領主。暦を創り、官名を「玄鳥氏」、「伯趙氏」、「青鳥氏」、「丹鳥氏」等、鳥の名で呼んだことが、春秋左氏伝-昭公十七年の項に記載されている。蟜極の父。中国神話では、金字塔(ピラミッド)に埋葬されたとされている。なお、その遺構は中華人民共和国内に発見されていない。の氏族(嬴、桑、、秦、徐、黄、江、李、趙、 数百あり)の始祖。東晉葛洪《枕中書、五嶽大帝》「則以太昊氏為青帝,治岱宗山,祝融氏為赤帝,治衡霍山,金天氏為白帝,治華陰山,顓頊氏為黑帝,治太恆山,軒轅氏為黃帝,治嵩高山。」とあり、(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)とみえる。

11. 運 はこぶ。めぐる。めぐらす。もてあそぶ。めぐりあわせ、うん。

12. 石作蓮花 華山の西峰海拔2082米,又、因みに石葉が蓮の瓣の如く峰覆蓋している,故に又の名を蓮花峰という

13. 雲作臺 雲が臺をなす、道教においての仙境の台をいう。

14. 雲臺 雲臺峰 北峰のことで、海拔1614米,華山において主峰の一である,華山において北にあることで拝礼する方向にあるやまである。北峰四面は懸であり,上に景雲を冠しており,下には地脈に通じ,巍然として獨り秀である,雲臺の若く有り,此に因て又の名を雲臺峰という

15. 閣道 ①花を見るための桟道。王維《御製従蓬萊宮向興慶》「鑾輿迴出千門柳,閣道廻看上苑花。」(鑾輿 迴らし出ず千門の柳,閣道廻らし看る上苑の花)②山中のがけからがけに渡した橋。かけ橋。アーチ橋や肘木橋のような梯橋などもいう。③秦の始皇帝が渭水(いすい)の両岸に築いた長楽・咸陽両宮の間に架けられた橋は支間68,柱750本からなる木造の桁橋であり,漢代の壁画に中段を高く上げた橋の描写がある。秦・漢時代には,閣道という宮殿もあった。

16. 明星玉女 《太平廣記·卷第五十九·女仙四》「明星玉女者,居山。服玉,白日升天。山,其广数,高三仞。其有梯磴,。玉女祠前有五石臼,号曰玉女洗盆。其中水色,碧绿澄澈,雨不加溢,旱不减耗。祠内有玉石一匹焉。」(明星玉女者は,華山に居す。玉,白日升天す。山頂に石龜とし,其の広さは数畝であり,高さは三仞である。其のには梯磴有り,遠く皆見る。玉女祠の前には五石臼が有り,号して曰う玉女が頭を洗った盆である。其の中は水色,碧绿澄澈していて,雨がふっても溢れることはない,旱であっても中の水が减耗することもなく。祠内には玉石の馬が一匹有るだけである。

17. 麻姑搔背 漢の桓帝かんていのとき、蔡経さいけいという者が麻姑の長い爪を見て、あの爪で背中をかかせたら、さぞかし気持ちがよいだろうと心の中で思ったという故事「麻姑」は中国伝説上の仙女の名。鳥のような長い爪つめをもっているので、かゆいところをかくのに適しているといわれた。「掻痒」はかゆいところをかくこと。晉·葛洪《神仙傳》卷二《王遠》“麻姑手爪似鳥,經見之,心中念曰:「背大癢時,得此爪以爬背,當佳也。」遠已知經心中所言,即使人牽經鞭之,謂曰:「麻姑神人也,汝何忽謂其爪可爬背耶!」但見鞭著經背,亦莫見有人持鞭者。”(麻姑の手爪は鳥に似たり,蔡經之を見て,心中に念じて曰く:「背大に癢き時,此の爪を得て以て背を爬く,當に佳なるべきなり。」と。王遠 已に蔡經心中を言う所を知り,即ち人をして經を牽いて之を鞭たしめて,謂うて曰く:「麻姑は神人なり,汝 何ぞ忽に謂其の爪で背を爬く可し!」と。但し鞭著して蔡經の背を見れば,亦た人の鞭を持す者有る見る莫れ。)

 

華山は、秦嶺山脈の東段に属し、『水経注』には、「遠而望之若花状」、「西方為華山,少阴用事,万物生華,故曰華」という記述があるので、「華山」と呼ばれる。華山は主に南峰(落雁)、東峰(朝陽)、西峰()、中峰(玉女)、北峰(雲台)5峰からなり、その中主峰落雁、朝陽、蓮花は高く険しく、神技があるように聳え立っている。南峰は一番高い峰だけでなく、五岳の中では最高の峰です。上に登り群山を見下ろし、山々が重なり合ってそばだち、勢いがある。ここに「仰天池」と呼ばれる池があり、一年中澄みきっていて涸れない。玉女と雲台はほかの峰に比べて高くはないが、それぞれの特色がある。風光明美な華山は、中国の著名な景勝地だけではなく、道教の有名な「洞天福地」である。華山には奇妙な石がたくさんあり、岩洞が全山に分布し、《雲笈七籤》の洞天福地記によると、華山西玄洞は、三元极真洞天とも呼ばれ、十大洞天の第四洞天とされている。華山洞は、太极総仙洞天とも呼ばれ、三十六小洞天の第四洞天とされ、他に花洞、玉皇洞、太上洞、賀老洞、迎陽洞、希夷洞などがあるという。

古くから道教教徒は華山での修行に憧れていた。歴代の著名な道士、士の修行の遺跡と文物が山の至る所にあり、彼らに関する伝説と物語は、今日まで当地に伝わっている。道教が形成する前、その前身「方仙道」、「黄老道」の期に、すでにたくさんの著名な神仙家達が華山に定住して修道していたのである。とくに、唐代は国教として盛んな時期であった、唐高祖、唐太宗などが華山に登り拝礼をしているし、唐睿宗の娘金仙王女は華山で修道し、唐玄宗が王女の為に仙姑観、白雲宮を建てている。
西嶽華山00

743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#3Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(56) Ⅰ李白詩1725 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7165

李白  西嶽雲臺歌送丹丘子#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

743年(58)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#3Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-58) Ⅰ李白詩1725 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7165

 

 
  2016年1月11日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#3Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(56) Ⅰ李白詩1725 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7165  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1638> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7166  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-13-#2杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-13-#2 <1104> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7167  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 改訂 12孫光憲《巻八29定西番二首 其一》『花間集』381全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7169  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-55

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    西嶽雲臺歌送丹丘子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              雲臺峰 (京畿道 華州 華山)              

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

仙人掌 (京畿道 華州 華山)              

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)              

交遊人物/地點:元丹丘      當地交遊(京畿道 華州 華山)

 

 

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

#2

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。

#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

白帝の金精 元氣を運【めぐ】らし,石は蓮花を作し 雲は臺を作す。

雲臺の閣道 窈冥に連り,中に不死の丹丘生有り。

明星玉女 灑掃に備わり,“麻姑搔背” 指爪輕し。

#4

我皇手把天地丹丘談天與天語。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

 

西嶽華山00 

『西嶽雲臺歌送丹丘子』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

(下し文)
#3

白帝の金精 元氣を運【めぐ】らし,石は蓮花を作し 雲は臺を作す。

雲臺の閣道 窈冥に連り,中に不死の丹丘生有り。

明星玉女 灑掃に備わり,“麻姑搔背” 指爪輕し。

(現代語訳)
#3

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

汜水関などの地図
(訳注) #3

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

 

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

10. 白帝金精 少昊【しょうこう】は、中国古代の五帝の一人。姓は己姓。氏は金天氏(鳳鳥氏、青陽氏、窮桑氏、雲陽氏とも称される)。名は(質とも作る)。号は「皞」(「皓」・「顥」とも作る)、「朱宣」、「少昊」(少昊とは太昊の徳行を継承したことによる命名)。黄帝の子。窮桑(現在の山東省曲阜市)に生まれる。義和の国と称された東夷族の国の領主。暦を創り、官名を「玄鳥氏」、「伯趙氏」、「青鳥氏」、「丹鳥氏」等、鳥の名で呼んだことが、春秋左氏伝-昭公十七年の項に記載されている。蟜極の父。中国神話では、金字塔(ピラミッド)に埋葬されたとされている。なお、その遺構は中華人民共和国内に発見されていない。の氏族(嬴、桑、、秦、徐、黄、江、李、趙、 数百あり)の始祖。東晉葛洪《枕中書、五嶽大帝》「則以太昊氏為青帝,治岱宗山,祝融氏為赤帝,治衡霍山,金天氏為白帝,治華陰山,顓頊氏為黑帝,治太恆山,軒轅氏為黃帝,治嵩高山。」とあり、(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)とみえる。

11. 運 はこぶ。めぐる。めぐらす。もてあそぶ。めぐりあわせ、うん。

12. 石作蓮花 華山の西峰海拔2082米,又、因みに石葉が蓮の瓣の如く峰覆蓋している,故に又の名を蓮花峰という

13. 雲作臺 雲が臺をなす、道教においての仙境の台をいう。

 

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

14. 雲臺 雲臺峰 北峰のことで、海拔1614米,華山において主峰の一である,華山において北にあることで拝礼する方向にあるやまである。北峰四面は懸であり,上に景雲を冠しており,下には地脈に通じ,巍然として獨り秀である,雲臺の若く有り,此に因て又の名を雲臺峰という

15. 閣道 ①花を見るための桟道。王維《御製従蓬萊宮向興慶》「鑾輿迴出千門柳,閣道廻看上苑花。」(鑾輿 迴らし出ず千門の柳,閣道廻らし看る上苑の花)②山中のがけからがけに渡した橋。かけ橋。アーチ橋や肘木橋のような梯橋などもいう。③秦の始皇帝が渭水(いすい)の両岸に築いた長楽・咸陽両宮の間に架けられた橋は支間68,柱750本からなる木造の桁橋であり,漢代の壁画に中段を高く上げた橋の描写がある。秦・漢時代には,閣道という宮殿もあった。

 

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

16. 明星玉女 《太平廣記·卷第五十九·女仙四》「明星玉女者,居山。服玉,白日升天。山,其广数,高三仞。其有梯磴,。玉女祠前有五石臼,号曰玉女洗盆。其中水色,碧绿澄澈,雨不加溢,旱不减耗。祠内有玉石一匹焉。」(明星玉女者華山に。玉,白日升天す。山頂に石龜とし,其の広さは数畝であり,高さは三仞である。其のには梯磴有り,遠く皆見る。玉女祠の前には五石臼が有り,号して曰う玉女が頭を洗った盆である。其の中は水色,碧绿澄澈していて,雨がふっても溢れることはない,旱であっても中の水が减耗することもなく。祠内には玉石の馬が一匹有るだけである。

17. 麻姑搔背 漢の桓帝かんていのとき、蔡経さいけいという者が麻姑の長い爪を見て、あの爪で背中をかかせたら、さぞかし気持ちがよいだろうと心の中で思ったという故事「麻姑」は中国伝説上の仙女の名。鳥のような長い爪つめをもっているので、かゆいところをかくのに適しているといわれた。「掻痒」はかゆいところをかくこと。晉·葛洪《神仙傳》卷二《王遠》“麻姑手爪似鳥,經見之,心中念曰:「背大癢時,得此爪以爬背,當佳也。」遠已知經心中所言,即使人牽經鞭之,謂曰:「麻姑神人也,汝何忽謂其爪可爬背耶!」但見鞭著經背,亦莫見有人持鞭者。”(麻姑の手爪は鳥に似たり,蔡經之を見て,心中に念じて曰く:「背大に癢き時,此の爪を得て以て背を爬く,當に佳なるべきなり。」と。王遠 已に蔡經心中を言う所を知り,即ち人をして經を牽いて之を鞭たしめて,謂うて曰く:「麻姑は神人なり,汝 何ぞ忽に謂其の爪で背を爬く可し!」と。但し鞭著して蔡經の背を見れば,亦た人の鞭を持す者有る見る莫れ。)

 

 

 


続きを読む

743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(56) Ⅰ李白詩1724 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7161

李白  西嶽雲臺歌送丹丘子  -#2

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。
今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

743年(57)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-57) Ⅰ李白詩1724 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7161

 

 
  2016年1月10日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(56) Ⅰ李白詩1724 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7161  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1637> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7162  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-13-#1 <1103> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八28風流子三首其三》『花間集』380全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7164  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-55

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    西嶽雲臺歌送丹丘子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              雲臺峰 (京畿道 華州 華山)              

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

仙人掌 (京畿道 華州 華山)              

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)              

交遊人物/地點:元丹丘      當地交遊(京畿道 華州 華山)

 

 

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

#2

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。

#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

#4

我皇手把天地丹丘談天與天語。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

 

 

詩文(含異文)     西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海【洪波噴流射東海】。三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。我皇手把天地,丹丘談天與天語。九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『西嶽雲臺歌送丹丘子』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

(下し文)
#2

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。

(現代語訳)
#2

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

西嶽華山00
(訳注) #2

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

 

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

6.  千年一清 晉•王嘉撰《拾遺記》「黄河千年一清,至聖之君以為大瑞。」(黄河千年に一たび清む、至聖の君、以て大瑞と爲す。)とある。

 

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

7.】  巨靈 巨神、川の神、古語に昔二つの華山が一つになっていた。黄河がそのためまっすぐ流れないので、河神が手で山をおし開き、足で麓をおし分けて河水を通した。その手足の跡がのこっているという。張衡《西京賦》「漢氏初都,在渭之涘,秦里其朔,寔為咸陽。左有崤函重險、桃林之塞,綴以二華,巨靈贔屓,高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。」(漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、渭水のほとりである。それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753

 

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

【8】三峰 現在の華山は東、西、南、北、中と五峰有る。主峰は南峰“落雁”、東峰“朝陽”、西峰“蓮花” と有って,三峰が鼎峙している。“勢飛白雲外影倒黃河裡”といわれ,人々は “天外三峰”と稱している。また雲台、玉女の二峰が相輔してその側に有る。華山記に「太華山削成而四方直上至頂、列爲三峯。其西爲蓮花/峯、峯之石窳隆不一。皆如蓮葉倒垂、故名是峯曰蓮花。 其南曰落雁峯、上多松檜、故亦曰松檜峯。白帝在其/間、俯眺三秦、曠莽無際黄河如一縷、水 繚繞岳下。其東峯曰朝陽峯、峯之左脇中有一峯、狀甚秀異、如爲東峯/所抱者曰玉女峯、乃東峯之支峯也。世之談三峯者、數玉女而不數朝陽非矣。」(太華山削成し、四方直上して頂きに至り、列して三峰となる。その西を蓮花峰となす、峰の石窳隆して一ならず、皆蓮葉の倒垂するが如し、故にこの峰を名づけて蓮花という。その南を落雁峰という、上に松檜多し、故に亦た松檜峰といふ。白帝宮、その間に在り、伏して三秦を眺むれば、黄河一縷の如く、水、嶽下み繚繞す。その東峰在朝陽峰といふ、峰の左脇中に一峰あり、状甚だ秀異、東峰に抱かるるものの如し、玉女峰といふ、乃ち東峰の支峰なり。世の三峰を談するもの、玉女を数えて、朝陽を数えず、非なり。)とある。

9】 高掌開 上文の続きに「山の東北は、即ち仙人掌たり、即ちいわゆる巨霊掌なり 巌壁黒色、石膏、宝中より流れ出で、凝結して痕を成し、黄白相間はる。遠く之を望めば、その大なるもの、五岐、指の如きものも見る。好奇のもの、ついに傳えて、巨霊山を劈くの掌跡となす。『掌の長さ三十丈、五指参差、中指直に峰頂きに冠す、長さ三十丈」とある、これに就いて、王涯の大華山掌辯等あれども、あまりくどいので、省略する。

 

 

 

 

 

【字解】

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14.江上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

9. 西嶽雲臺歌送丹丘子

743年天寶二年

18-11

8. 以詩代書答元丹丘

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首+二首である。

㈣ 崢嶸 1 山や谷のけわしさ。2 人生のけわしさ。[ト・タル][文][形動タリ]山などが、高くけわしいさま。

㈤ 盤渦轂轉 渦が盤のようにぐるぐる回って車轂の如く回転する。

6.  千年一清 晉•王嘉撰《拾遺記》「黄河千年一清,至聖之君以為大瑞。」(黄河千年に一たび清む、至聖の君、以て大瑞と爲す。)とある。

7.  巨靈 巨神、川の神、古語に昔二つの華山が一つになっていた。黄河がそのためまっすぐ流れないので、河神が手で山をおし開き、足で麓をおし分けて河水を通した。その手足の跡がのこっているという。張衡《西京賦》「漢氏初都,在渭之涘,秦里其朔,寔為咸陽。左有崤函重險、桃林之塞,綴以二華,巨靈贔屓,高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。」(漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、渭水のほとりである。それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753

【8】三峰 現在の華山は東、西、南、北、中と五峰有る。主峰は南峰“落雁”、東峰“朝陽”、西峰“蓮花” と有って,三峰が鼎峙している。“勢飛白雲外影倒黃河裡”といわれ,人々は “天外三峰”と稱している。また雲台、玉女の二峰が相輔してその側に有る。華山記に「太華山削成而四方直上至頂、列爲三峯。其西爲蓮花/峯、峯之石窳隆不一。皆如蓮葉倒垂、故名是峯曰蓮花。 其南曰落雁峯、上多松檜、故亦曰松檜峯。白帝在其/間、俯眺三秦、曠莽無際黄河如一縷、水 繚繞岳下。其東峯曰朝陽峯、峯之左脇中有一峯、狀甚秀異、如爲東峯/所抱者曰玉女峯、乃東峯之支峯也。世之談三峯者、數玉女而不數朝陽非矣。」(太華山削成し、四方直上して頂きに至り、列して三峰となる。その西を蓮花峰となす、峰の石窳隆して一ならず、皆蓮葉の倒垂するが如し、故にこの峰を名づけて蓮花という。その南を落雁峰という、上に松檜多し、故に亦た松檜峰といふ。白帝宮、その間に在り、伏して三秦を眺むれば、黄河一縷の如く、水、嶽下み繚繞す。その東峰在朝陽峰といふ、峰の左脇中に一峰あり、状甚だ秀異、東峰に抱かるるものの如し、玉女峰といふ、乃ち東峰の支峰なり。世の三峰を談するもの、玉女を数えて、朝陽を数えず、非なり。)とある。

9】 高掌開 上文の続きに「山の東北は、即ち仙人掌たり、即ちいわゆる巨霊掌なり 巌壁黒色、石膏、宝中より流れ出で、凝結して痕を成し、黄白相間はる。遠く之を望めば、その大なるもの、五岐、指の如きものも見る。好奇のもの、ついに傳えて、巨霊山を劈くの掌跡となす。『掌の長さ三十丈、五指参差、中指直に峰頂きに冠す、長さ三十丈」とある、これに就いて、王涯の大華山掌辯等あれども、あまりくどいので、省略する。

743年(56)李白 卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》(西嶽崢嶸何壯哉,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(56) <李白> Ⅰ李白詩1714 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7118

李白  西嶽雲臺歌送丹丘子

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

743年(56)李白 卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》(西嶽崢嶸何壯哉,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-56) <李白> Ⅰ李白詩1714 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7118

 

 
  2016年1月9日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(56)李白 卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》(西嶽崢嶸何壯哉,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(56) <李白> Ⅰ李白詩1714 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7118  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1636> Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-12-#3杜甫 《19-10 上後園山腳》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-12-#3 <1102> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7159  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八27風流子三首其二》『花間集』379全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7160  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14.江上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

9. 西嶽雲臺歌送丹丘子

743年天寶二年

18-11

8. 以詩代書答元丹丘

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 

 以上の十三首+二首である。

 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-55

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    西嶽雲臺歌送丹丘子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              雲臺峰 (京畿道 華州 華山)              

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

仙人掌 (京畿道 華州 華山)              

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)              

交遊人物/地點:元丹丘      當地交遊(京畿道 華州 華山)

 

 

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

 

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

 

我皇手把天地丹丘談天與天語。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

 

 

詩文(含異文)     西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海【洪波噴流射東海】。三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。我皇手把天地,丹丘談天與天語。九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

華山道教 

 

『西嶽雲臺歌送丹丘子』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

西嶽雲臺歌送丹丘子

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

(下し文)
(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

(現代語訳)
西嶽雲臺歌送丹丘子(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。


(訳注)

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

1.  2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

2.  3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

 

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

㈣ 崢嶸 1 山や谷のけわしさ。2 人生のけわしさ。[ト・タル][文][形動タリ]山などが、高くけわしいさま。

 

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

㈤ 盤渦轂轉 渦が盤のようにぐるぐる回って車轂の如く回転する。
西嶽華山00 

743年(55)李太白集卷六05 -《玉壺吟》#2 374Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(55)#2 Ⅰ李白詩1722 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7153

李白  玉壺吟 #2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。世人不識東方朔,大隱金門是謫仙

西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。

朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。
743年(55)李太白集卷六05 -《玉壺吟》#2 374Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-55#2 Ⅰ李白詩1722 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7153

 

 
  2016年1月8日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(55)李太白集卷六05 -《玉壺吟》#2 374Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(55)#2 Ⅰ李白詩1722 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7153  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #7§4-2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1635> Ⅱ#7§4-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7154  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-12-#2杜甫 《19-10 上後園山腳》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-12-#2 <1101> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 改訂12孫光憲《巻八26風流子三首其一》『花間集』378全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7162  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-54

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

詩題:    玉壺吟

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

玉壺吟 #1

(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

烈士擊玉壺,壯心惜暮年。

我は、烈士の志をもつ者であると自任している、胸におさめた不平を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って詠い、今年の歳暮であるが、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように何か手柄を立てたいと思っており、だから次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。

かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。

鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。

紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。

九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
#2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。

朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。

いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。

絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。

また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。

(玉壺吟)

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。

三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。

鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。

揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。

天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。

世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。

西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。

君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

 

 

『玉壺吟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。

世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。

西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。

君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。


(下し文)
#2

天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。

世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。

西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。

君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

(現代語訳)
#2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。

世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。

西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。

君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。

#2

朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。

(訳注)

玉壺吟 #2
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

1. 玉壺吟  「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。

 

朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。 
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
飛龍馬 駿馬。「飛龍厩」は、玄武門外重武門の厩の名。「使(軍府)内の六厩、飛龍厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛龍厩の駿馬を貸し与えられた。(元桓「折西大夫李徳裕の《述夢》に奉和す、四十韻」の自注〔『元棍集外集』巻七、続補一〕)。「使(軍府)内の六厩、飛龍厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元桓「折西大夫李徳裕の《述夢》に奉和す、四十韻」の自注〔『元棍集外集』巻七、続補一〕)。

(飛龍使) 官名。 696通天元年在殿中省置飛龍等六 飼養皇室馬匹, 由殿中丞主管以宦官為飛龍使。殿中省の條には武后萬歳通天元年に仗内六閑(飛龍、祥麟、鳳苑、鵷鸞、吉良、六羣〉別称六厩、として創立されたとある。また別に《通典》巻二にも見える。

唐の国営の馬政は、最盛期には、 隴西、蘭州、平涼、秦州にまたがる48の監牧に70万頭の軍馬が放牧されていた。 ところが、この48の監牧の地は皆、安史の乱に乗じた 吐蕃帝国の侵攻のために全て奪われた。唐には、国営の放牧場である監牧の他に、閑厩というものもある。 仗外閑厩・仗内閑厩(仗内六閑)のうち、仗内閑厩は皇帝の使用や宮城防衛のためのもので長安周辺にあった 。そして、安史の乱以前は、働いて疲れたり怪我をした馬は、監牧の豊かな草地に放して休養させていた。 しかし安史の乱後の監牧が失われたために、軍馬の総数が激減した。禁中にあった 飛龍厩以外の五つの閑厩は、既に名目だけの存在になった。 飛龍厩は玄武門のすぐ北に位置しており、あくまで長安の三宮(皇城、大明宮、興慶宮)を守るのが主体で、正規軍の何万頭もの軍馬を充分に放牧できる空間を確保できるほどのものではないのである。この馬の不足は、唐の駅伝制の崩壊も起こすことになる。(杜甫の詩にも、多く取り上げ、その問題点を指摘している。紀頌之の杜甫のブログ房琯関連に詳しく述べている。)

大明宮 作図011大明宮 作図011


世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
 

いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。

大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可し」とあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。

謫仙 天上界から人間界に流されてきた仙人。李白、五言律詩「対酒憶賀監并序」(酒に対して賀監を憶う―参照)。



西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。 
絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
西施 - 春秋時代の越の国の美女。中国の代表的な美女、と意識されている。○醜女効之徒累身 「累」は、苦しめる、疲労させる。宋本では「集」に作るが、景宋威淳本・王本などによって改める。此の句は、上旬と合せて『荘子』(「天運」篇)の説話を踏まえる。西施が胸を病んで眉をしかめる(噺する)と、その里の醜女がそれを効ねて、胸に手をあてて眉をしかめていっそう醜くなった。李白は自分を西施にたとえ、宮中の小人たちを醜女にたとえている。ブログ西施物語、参照。(紀 頌之の漢詩ブログ)



君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。
また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。
蛾眉 蛾の眉のような、三日月なりの細く美しい眉。また、その美女。李白「怨情」。。(紀 頌之の漢詩ブログ)白居易「長恨歌」では、楊貴妃を示す比喩に使っている。ここでも楊貴妃を示す。また李白自身をかけている。○妬殺  ひどく妖妬する。「殺」は動詞を強める助字。

初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元槇「折西大夫李徳裕の〔述夢〕に奉和す、四十韻」の自注〔『元槇集外集』巻七、続補一〕)。


1.
 玉壺吟  「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。


烈士擊玉壺,壯心惜暮年。 
我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

2. 烈士擊玉壺,壯心惜暮年。  晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。

曹操《歩出夏門行 神龜雖壽》 

神龜雖壽,猶有竟時。騰蛇乘霧,終爲土灰。

老驥伏櫪,志在千里。烈士暮年,壯心不已。

盈縮之期,不但在天。養怡之福,可得永年。

幸甚至哉,歌以詠志。

(歩出夏門行  神龜 壽なりと雖も。)

神龜は壽なりと雖も,猶ほ竟をはるの時 有り。騰蛇は霧に乘ぜども,終に土灰と爲る。

老驥櫪に伏せども,志は千里に在り。烈士暮年 に,壯心已まず。

盈縮の期は,但だに天のみに 在らず。養怡の福は,永年を 得べし。

甚はだ 至れる哉,歌ひて以て 志を詠えいず。

3. 三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。「遲到是要罰酒三杯的哦.酒三杯:駆け付け三杯[カケツケサンバイ]酒宴に遅れた者に対する罰として,続けて酒を3杯飲ませること

杜甫《卷二 故武衛將軍挽詞三首其二》「 舞劍過人,鳴弓射獸能。銛鋒行怯順,猛噬失蹻騰。赤羽千夫膳,黃河十月冰。橫行沙漠外,神速至今稱。」

杜甫《卷二○99 觀公孫大娘弟子舞劍器行並序》 「昔有佳人公孫氏,一舞劍器動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。」

 

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

4. 高詠 声高に詠う。

5. 涕泗  なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。

6. 鳳凰初下紫泥詔  鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

7. 稱觴  觴(さかずき)を挙げる。

8. 御筵 皇帝の設けた宴席。

10 九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。

11. 万乗  「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。

12. 謔浪 自由自在にふざけ戯れる。

13. 赤墀 (せきち)宮殿に登る朱塗りの階段。

14 青瑣 (せいさ)宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。 



743年(54)李白 卷六05 -《玉壺吟》(烈士擊玉壺,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(54) <李白> Ⅰ李白詩1713 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7113

李白  玉壺吟 #1

烈士擊玉壺,壯心惜暮年。三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。

鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。

(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
743年(54)李白 卷六05 -《玉壺吟》(烈士擊玉壺,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-54) <李白> Ⅰ李白詩1713 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7113

 

 
  2016年1月7日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(54)李白 卷六05 -《玉壺吟》(烈士擊玉壺,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(54) <李白> Ⅰ李白詩1713 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7113  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #6§4-1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1634> Ⅱ#6§4-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7150  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-12-#1杜甫 《19-10 上後園山腳》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-12-#1 <1095> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八25女冠子二首其二》『花間集』377全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7152  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-54

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

詩題:    玉壺吟

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

玉壺吟 #1

(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

烈士擊玉壺,壯心惜暮年。

我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。

かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。

鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。

紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。

九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
#2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。

世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。

西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。

君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。

 

(玉壺吟)

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。

三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。

鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。

揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。

天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。

世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。

西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。

君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

 

 

『玉壺吟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

玉壺吟 #1

烈士擊玉壺,壯心惜暮年。

三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。

鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。

揄揚九重萬乘主,謔浪赤青瑣賢

(下し文)
(玉壺吟) #1

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。

三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。

鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。

揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤 青瑣の賢

(現代語訳)
玉壺吟 #1(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。

紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。

(訳注)

玉壺吟 #1
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

1. 玉壺吟  「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。


烈士擊玉壺,壯心惜暮年。 

我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

2. 烈士擊玉壺,壯心惜暮年。  晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。

曹操《歩出夏門行 神龜雖壽》        

神龜雖壽,猶有竟時。騰蛇乘霧,終爲土灰。

老驥伏櫪,志在千里。烈士暮年,壯心不已。

盈縮之期,不但在天。養怡之福,可得永年。

幸甚至哉,歌以詠志。

(歩出夏門行  神龜 壽なりと雖も。)

神龜は壽なりと雖も,猶ほ竟をはるの時 有り。騰蛇は霧に乘ぜども,終に土灰と爲る。

老驥櫪に伏せども,志は千里に在り。烈士暮年 ねんに,壯心已やまず。

盈縮の期は,但だに天のみに 在らず。養怡の福は,永年を 得べし。

甚はだ 至れる哉,歌ひて以て 志を詠えいず。


三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。

3. 三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。「遲到是要罰酒三杯的哦.酒三杯:駆け付け三杯[カケツケサンバイ]酒宴に遅れた者に対する罰として,続けて酒を3杯飲ませること

杜甫《卷二 故武衛將軍挽詞三首其二》「 舞劍過人,鳴弓射獸能。銛鋒行怯順,猛噬失蹻騰。赤羽千夫膳,黃河十月冰。橫行沙漠外,神速至今稱。」

杜甫《卷二○99 觀公孫大娘弟子舞劍器行並序》 「昔有佳人公孫氏,一舞劍器動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。」

 

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

4. 高詠 声高に詠う。

5. 涕泗  なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。

 

鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。 
紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
6.
 鳳凰初下紫泥詔  鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

7. 稱觴  觴(さかずき)を挙げる。

8. 御筵 皇帝の設けた宴席。

 

揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。 
九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
9. 揄揚  ほめたたえる。

10 九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。

11. 万乗  「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。

12. 謔浪 自由自在にふざけ戯れる。

13. 赤墀 (せきち)宮殿に登る朱塗りの階段。

14 青瑣 (せいさ)宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。 
大明宮 作図011 

743年(54)李太白集卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 373-#3Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(54) Ⅰ李白詩1720 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7148

李白  侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌 #3

仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。

(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。はじめ蓬萊殿に向っていく、謝阿蛮や、張雲容が率いる舞姫たちを看() た、また茝若(シジャク)殿を過ぎたら、楊貴妃の作曲した新しい「涼州」を歌う紅桃という歌手の歌を聴いた。新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。

743年(54)李太白集卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 373-#3Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-54) Ⅰ李白詩1720 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7148

 

 
  2016年1月6日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(54)李太白集卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 373-#3Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(54) Ⅰ李白詩1720 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7148  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #5§3  韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1633> Ⅱ#5§3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7149  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-11-#4杜甫 《19-05 園官送菜》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-11-#4 <1094> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7150  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 改訂 12孫光憲《巻八24女冠子二首其一》『花間集』376全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7152  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-53

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭            

龍池 (京畿道 京兆府 長安)              

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

交遊人物/地點:  

 

 

侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌 #1

(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)

東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。

東方の仙人の島の瀛洲と見紛う宜春苑には春を呼ぶ風、東風が緩やかに吹き渡って、満地の草々、木々を緑にし、すでに大明宮の紫宸殿、紫蘭殿の紫の宮殿、金鑾殿、綾綺殿の紅の楼閣、すべてに 春の景色がひろがっていて、興慶宮の龍池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた。

縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。

暖かき虹の春霞はただよいはじめしなやかに長安城、宮城の壁を覆い払っている。龍池のしだれ柳はその枝を百尺ものながさで枝垂れて、彫刻で飾った楼の柱にかかっている。

#2

上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。

柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。 

春風卷入碧雲去,千門萬皆春聲。

春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。
是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。

この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。
#3

仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。

(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。

始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。

はじめ蓬萊殿に向っていく、謝阿蛮や、張雲容が率いる舞姫たちを看() た、また茝若(シジャク)殿を過ぎたら、楊貴妃の作曲した新しい「涼州」を歌う紅桃という歌手の歌を聴いた。

新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。

新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。

(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)

東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。

池南の柳色なかば青青、烟を縈【めぐ】らせ裊娜【ジョウダ】として綺城を払ふ。

垂糸百尺雕楹【チョウエイ】に挂(かか)り。

上に好鳥のあい和して鳴くあり、間関はやく春風の情を得たり。

春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。

この時 君王 鎬京【コウケイ】に在まし、五雲 暉【ひかり】を垂れて紫清に耀く。

仗【ジョウ】は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦を回【めぐら】して花を繞って行く。

はじめ蓬萊に向って舞鶴を看【み】、また茝石を過ぎて新鴬を聴く。

 新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶【ショウショウ】 に入って鳳笙に雑【まじは】らんと願ふ。

漢長安城 00 

 

 

侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。

始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。

新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。

(下し文)
#3

仗【ジョウ】は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦を回【めぐら】して花を繞って行く。

はじめ蓬萊に向って舞鶴を看【み】、また茝石を過ぎて新鴬を聴く。

 新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶【ショウショウ】 に入って鳳笙に雑【まじは】らんと願ふ。

(現代語訳)
#3

(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。

はじめ蓬萊殿に向っていく、謝阿蛮や、張雲容が率いる舞姫たちを看() た、また茝若(シジャク)殿を過ぎたら、楊貴妃の作曲した新しい「涼州」を歌う紅桃という歌手の歌を聴いた。

新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。

大明宮-座標02
(訳注) #3

侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌

(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)

1  李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。

 

仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。

21.  杖の先に剣がついている宮廷の警護専門の武器。

22. 金宮 金鑾殿のこと、この宮殿に、禁軍が控える社殿と直結している。 

23.  天回玉輦 天回は天子の専用道路である夾城をさし、誰にも分らず大明宮と興慶宮、曲江離宮、芙蓉園を移動できたことを言い、金銀宝飾で飾った皇帝の御車に乗って移動した。。

 

始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく、謝阿蛮や、張雲容が率いる舞姫たちを看() た、また茝若(シジャク)殿を過ぎたら、楊貴妃の作曲した新しい「涼州」を歌う紅桃という歌手の歌を聴いた。

24. 蓬萊 宮廷にも大液池という大きな池がありその中島を蓬莱山している。ここでは、道教に言う東方に浮かぶ仙人の山である。大明宮丹鳳門、含元殿、紫宸殿、蓬萊殿、太掖池のなかの蓬莱山と南北直線状に並んで配置されていた。また、大明宮は唐初期の半ばころ、蓬莱宮に変更されたこともある。(大明宮圖参照)

25.  芷若 官の後宮未央宮の妃嬪の御殿の一つである。三輔黄圖にあるが、班固《西都賦》で〔(22)#9(後宮の華麗)―1〕について“「後宮則有掖庭椒房,后妃之室。合歡增城,安處常寧。茞若椒風,披香發越。蘭林蕙草,鴛鸞飛翔之列。」(後宮には則ち掖庭【えきてい】椒房【しょうぼう】が有り,后妃の室なり。合歡【ごうかん】增城【ぞうじょう】,安處【あんしょ】常寧【じょうねい】あり。茞若【しじゃく】椒風【しょうふう】,披香【ひこう】發越【はつえつ】と。蘭林【らんりん】蕙草【けいそう】,鴛鸞【えんおう】飛翔【ひしょう】と之れ列らる。)≪後宮の華麗≫ 後宮には、掖庭宮、椒房殿があり、ともに后妃のすまいである。それには、合歓殿・増城殿・安処殿・常寧殿があり、茞若殿・椒風殿・披香殿・発越殿とつづき、蘭林殿・蕙草殿・鴛鸞殿・飛翔殿の御殿がおしならぶのである。”とのべている。

班孟堅(班固)《西都賦》(22)#9(後宮の華麗)―1 文選 賦<112―22>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩976 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3428

此処では、漢の妃賓の御殿を述べることで、寵愛を受けてはいるが、まだ、妃嬪のうちで権力基盤の出来上がっていなかった楊貴妃を挿しているのである。

26.  舞鶴・新鶯 そうするとこの時の歌声は、紅桃“『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。楊貴妃の侍女。楊貴妃に命じられて、紅粟玉の腕輪を謝阿蛮に渡した。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、楊貴妃の侍女の一人として会合する。そこで、楊貴妃の作曲した「涼州」を歌い、ともに涙にくれたが、玄宗によって、「涼州」は広められた。 であり、舞は、謝阿蛮“『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。新豊出身の妓女。「凌波曲」という舞を得意としていた。その舞踊の技術により、玄宗と楊貴妃から目をかけられ、腕輪を与えられた。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、舞踊を披露した後で、その腕輪を玄宗に見せたため、玄宗は涙を落としたと伝えられる。”張雲容“全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。”ということであろう。いずれも、楊貴妃付きの宮女、である。


新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。

27. 上林苑 漢の武帝が秦の庭園を発展拡充して作ったもの。ここでは、大明宮庭園をいい、其処から夾城を挟んで北側に広がる禁苑を言う。上林苑(じょうりんえん)とは、古代中国の秦、前漢の皇帝のための大庭園である。咸陽、長安の南方に広がっていた。

『三輔黄図』によると元は秦の庭園であり、漢の武帝の建元3年(紀元前138年)、遊猟を好む武帝がしばしば上林苑の敷地内を越えて民の土地に足を踏み入れるようになって民を苦しめていたため、武帝が吾丘寿王に命じて費用を計算させて拡大し、周囲300里の広大な庭園となった。上林苑の中には70箇所もの離宮があり、それはどれも馬車一千台、騎一万を収容できるほどの大きさだった。また多種多様な獣が飼われ、皇帝が秋、冬に猟を行ってその獣を取った。また武帝が上林苑を拡大した際に、群臣に命じて各地の珍しい植物や果樹を献上させ、それらを栽培した。また茂陵の富民袁広漢は珍しい動物や植物を集め、砂浜や激流を人工的に作り、建物を全て廊下で繋いであるという豪壮な庭園を造っていたが、後に罪があって誅殺されるとこれも官有の庭園とされ、動植物は上林苑に移された。上林苑には上林令、上林尉などの役人が置かれ、飼っている動物の種類や数を管理し、記録していた。また上林苑内には6つの池や10以上の宮殿などがあった。武帝の元鼎2年(紀元前115年)に水衡都尉の官が置かれ、上林苑を管轄することとなった。上林令、上林尉も水衡都尉の属官となっている。また武帝が民間で五銖銭を鋳造することを禁止すると、銭の鋳造は水衡都尉の属官である均輸、鍾官、弁銅の三官が独占して行うこととされた。これは上林三官と呼ばれた。

28.  真面目である。誠実である。 

29. 簫韶 舜の楽 簫韶とは、虞舜の時の樂章である。九章で成りたつ。《尚書·益稷》「簫韶九成,鳳凰來儀。」とある。

30.  雜 まじること。

31. 鳳笙 鳳凰の飾りのある笛。

 長安皇城宮城00

 

 

 

 

李白  

侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌

【字解】

 

東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。春風卷入碧雲去,千門萬皆春聲。是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。

 

1.    李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。

2.    宜春苑 《雍録》「天寶中,即東宮置宜春北苑。按既日北苑,當在宜春宮之北。」(天寶中,即ち東宮に宜春北苑を置かる。按既に北苑と日う,當に宜春宮の北に在る。)とみえる。

3.    龍池 唐詩《紀事》云:「龍池,興慶宮也,明皇潛龍之地。」(龍池は興慶宮なり,明皇潛龍の地なり。)《會要》云:「開元元年,出祭龍池樂章。十六年,築壇於興慶宮,以仲春月祭之。」(開元元年,出祭龍池樂章。十六年,興慶宮に築壇さるる,以て仲春月之を祭る。)《長安誌》「龍池,在南南薰殿北、躍龍門南,本是平地,垂拱後因雨水流潦成小池,後又引龍首支渠分之,日以滋廣,彌亙數頃深至數丈,常有雲氣,或見黃龍出其中,謂之龍池。」(龍池は,南に在り南薰殿を北にす、躍龍門の南,本是れ平地なり,垂拱の後 雨水流潦し小池を成す因り,後又た龍首支渠を引き分けて之をす,日に以て滋廣す,彌亙數頃 深さ數丈に至る,常に雲氣有り,或は 黃龍 其の中に出ずるを見る,之う龍池と謂う。)とみえる。

4.    東風 春風。

5.    瀛洲 東方海上にある仙人の住む山、蓬莱山、方丈山、瀛州山。

6.    紫殿 大明宮の中には紫宸殿、紫蘭殿など翰林院からすべて東側にあるもの。

7.    半青春 萌木色。黄緑。

8.    縈煙 春霞。

9.    裊娜 しなやかな様。

10.  綺城 美しい長安城、宮城の壁。

11.  垂糸 しだれ柳の枝。

12.  雕楹【チョウエイ】 楼閣の彫刻で飾った柱。

13. 興慶宮圖 
興慶宮002 

14 間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の宮女たちの声を示す。 

15 春風情 春風に誘われる春の長閑な情。春風によって万物が成長する春の景色。

16. 碧雲 暗い雲。冬の雲。天子の蓬莱宮の御座所近くまで届けてくれる雲というほどの意味。

17. 鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称、詩的表現。西周 (→周 ) 時代の都の名。現在の陝西省西安市の西と考えられる。西周の始王である武王は,殷を討ったあと,父文王の営んだ豊京より移ってここを都とし,これが西周の東遷まで続いた。宮殿の跡そのものは漢の武帝の時代に土木工事のために破壊されたらしい。 

18. 五云 仙界の五色のうつくしい雲。 

19. 垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。 

20. 耀紫清 大空のまんなか。

743年(54)李太白集卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌》 373-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(54) Ⅰ李白詩1719 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7143

李白  侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌#2

上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。春風卷入碧雲去,千門萬皆春聲。是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。

柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。 春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。
743年(54)李太白集卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌》 373-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-54) Ⅰ李白詩1719 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7143

 

 
  2016年1月5日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(54)李太白集卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌》 373-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(54) Ⅰ李白詩1719 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7143  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #4§2-3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1632> Ⅱ#4§2-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7144  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-11-#3杜甫 《19-05 園官送菜》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-11-#3 <1093> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7145  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八23更漏子二首其二》『花間集』375全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7147  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-53

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭            

龍池 (京畿道 京兆府 長安)              

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

交遊人物/地點:  

 

 

侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌 #1

(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)

東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。

東方の仙人の島の瀛洲と見紛う宜春苑には春を呼ぶ風、東風が緩やかに吹き渡って、満地の草々、木々を緑にし、すでに大明宮の紫宸殿、紫蘭殿の紫の宮殿、金鑾殿、綾綺殿の紅の楼閣、すべてに 春の景色がひろがっていて、興慶宮の龍池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた。

縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。

暖かき虹の春霞はただよいはじめしなやかに長安城、宮城の壁を覆い払っている。龍池のしだれ柳はその枝を百尺ものながさで枝垂れて、彫刻で飾った楼の柱にかかっている。

#2

上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。

柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。 

春風卷入碧雲去,千門萬皆春聲。

春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。
是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。

この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。
#3

仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。

始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。

新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。

(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)

東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。

池南の柳色なかば青青、烟を縈【めぐ】らせ裊娜【ジョウダ】として綺城を払ふ。

垂糸百尺雕楹【チョウエイ】に挂(かか)り。

上に好鳥のあい和して鳴くあり、間関はやく春風の情を得たり。

春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。

この時 君王 鎬京【コウケイ】に在まし、五雲 暉【ひかり】を垂れて紫清に耀く。

仗【ジョウ】は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦を回【めぐら】して花を繞って行く。

はじめ蓬萊に向って舞鶴を看【み】、また茝石を過ぎて新鴬を聴く。

 新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶【ショウショウ】 に入って鳳笙に雑【まじは】らんと願ふ。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

 

侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。

春風卷入碧雲去,千門萬皆春聲。

是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。

(下し文)
#2

上に好鳥のあい和して鳴くあり、間関はやく春風の情を得たり。

春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。

この時 君王 鎬京【コウケイ】に在まし、五雲 暉【ひかり】を垂れて紫清に耀く。

(現代語訳)
#2

柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。 

春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。
この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。

(訳注) #2

侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌

(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)

1  李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。

 

上有好鳥相和鳴、間關早得春風情。

柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。 

14.間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の宮女たちの声を示す。 

15.春風情 春風に誘われる春の長閑な情。春風によって万物が成長する春の景色。


春風卷入碧云去。千門萬皆春聲。
春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。
16. 碧雲 暗い雲。冬の雲。天子の蓬莱宮の御座所近くまで届けてくれる雲というほどの意味。


是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。
17. 鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称、詩的表現。西周 (→周 ) 時代の都の名。現在の陝西省西安市の西と考えられる。西周の始王である武王は,殷を討ったあと,父文王の営んだ豊京より移ってここを都とし,これが西周の東遷まで続いた。宮殿の跡そのものは漢の武帝の時代に土木工事のために破壊されたらしい。 

18. 五云 仙界の五色のうつくしい雲。 

19. 垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。 

20. 耀紫清 大空のまんなか。

 

 

 

李白  

侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌

【字解】

 

東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。春風卷入碧雲去,千門萬皆春聲。是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。

 

1.    李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。

2.    宜春苑 《雍録》「天寶中,即東宮置宜春北苑。按既日北苑,當在宜春宮之北。」(天寶中,即ち東宮に宜春北苑を置かる。按既に北苑と日う,當に宜春宮の北に在る。)とみえる。

3.    龍池 唐詩《紀事》云:「龍池,興慶宮也,明皇潛龍之地。」(龍池は興慶宮なり,明皇潛龍の地なり。)《會要》云:「開元元年,出祭龍池樂章。十六年,築壇於興慶宮,以仲春月祭之。」(開元元年,出祭龍池樂章。十六年,興慶宮に築壇さるる,以て仲春月之を祭る。)《長安誌》「龍池,在南南薰殿北、躍龍門南,本是平地,垂拱後因雨水流潦成小池,後又引龍首支渠分之,日以滋廣,彌亙數頃深至數丈,常有雲氣,或見黃龍出其中,謂之龍池。」(龍池は,南に在り南薰殿を北にす、躍龍門の南,本是れ平地なり,垂拱の後 雨水流潦し小池を成す因り,後又た龍首支渠を引き分けて之をす,日に以て滋廣す,彌亙數頃 深さ數丈に至る,常に雲氣有り,或は 黃龍 其の中に出ずるを見る,之う龍池と謂う。)とみえる。

4.    東風 春風。

5.    瀛洲 東方海上にある仙人の住む山、蓬莱山、方丈山、瀛州山。

6.    紫殿 大明宮の中には紫宸殿、紫蘭殿など翰林院からすべて東側にあるもの。

7.    半青春 萌木色。黄緑。

8.    縈煙 春霞。

9.    裊娜 しなやかな様。

10.  綺城 美しい長安城、宮城の壁。

11.  垂糸 しだれ柳の枝。

12.  雕楹【チョウエイ】 楼閣の彫刻で飾った柱。

13. 興慶宮圖 

興慶宮002

14 間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の宮女たちの声を示す。 

15 春風情 春風に誘われる春の長閑な情。春風によって万物が成長する春の景色。

16. 碧雲 暗い雲。冬の雲。天子の蓬莱宮の御座所近くまで届けてくれる雲というほどの意味。

17. 鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称、詩的表現。西周 (→周 ) 時代の都の名。現在の陝西省西安市の西と考えられる。西周の始王である武王は,殷を討ったあと,父文王の営んだ豊京より移ってここを都とし,これが西周の東遷まで続いた。宮殿の跡そのものは漢の武帝の時代に土木工事のために破壊されたらしい。 

18. 五云 仙界の五色のうつくしい雲。 

19. 垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。 

20. 耀紫清 大空のまんなか。

 

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
最新記事(画像付)
メッセージ

名前
メール
本文
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
最新記事(画像付)
記事検索
  • ライブドアブログ