漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2016年02月

743年(90)李太白集930巻二十四41長門怨二首 其一  409Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(90) Ⅰ李白詩1774 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7410

李白  長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

李太白集  巻二十四41

長門怨二首 其一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7410

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-(90)

409 <1000

 

 

 
  2016年2月29日 の紀頌之5つのBlog  
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年:743年天寶二年43歳 94-90

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    長門怨,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

長門怨,二首之一 
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

長門怨,二首の一
天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。 
月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。

 

 

『長門怨,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

(下し文)
(長門怨,二首の一)

天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。

月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。
(現代語訳)
長門怨,二首之一 (秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

漢長安城 00
(訳注)

長門怨
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

1 長門怨 《樂府古題要解》「長門怨、為漢武帝陳皇后作也。後長公主嫖女字阿嬌。及衛子夫得幸、後退居長門宮、愁悶悲思、聞司馬相如工文章、奉黃金百斤令為解愁之詞。相如作長門賦。帝見而傷之複得親幸者數年。後人因其賦為長門怨焉。」(長門怨は、漢の武帝の陳皇后の為に作る也。後は長公主嫖の女、字は阿嬌。衛子夫幸を得るに及び、後、退いて長門宮に居り、愁悶悲思し、司馬相如の文章に工なるを聞き、黃金百斤を奉じて、解愁の詞を為らしむ。相如長門賦を作る。帝見て、之を傷み複た親幸を得るもの數年。後人、其の賦に因って長門怨を為る。

古くからある歌謡の題。漢の武帝の陳皇后のために作られたものである。陳皇后は、幼い頃は阿嬌とよばれ、いとこに当る武帝のお気にいりであったが、帝の寵愛が衛子夫(のちに皇后)に移ると、ひどいヤキモチをやいたので、ついに長門宮に幽閉された。長門宮は、長安の東南の郊外にある離宮である。悶悶と苦しんだ彼女は、当時の文豪、司馬相如にたのみ、黄金百斤を与えて、帝の気持をこちらへ向けなおすような長い韻文を作ってもらった。これが「長門の賦」である。後世の人は、その話にもとづき「長門怨」という歌をつくった。

《三輔黄圖、巻三、甘泉宮》「長門宮,離宮,在長安城。孝武陳皇后得幸,頗妬,居長門宮。」

長安志、巻四「長門宮武帝陳皇后退居長門宮沅按宮在長安故城之東


天囘北斗挂西樓。 金屋無人螢火流。
天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
2 北斗 北斗七屋。

3 西楼 長安の宮中の西楼。長門宮が長安東に上林苑の中に離宮としてあるので、天子のいる宮殿は西にある。
4
 金屋 金づくりの家。武帝は少年の日、いとこの阿嬌が気に入って言った。「もし阿嬌をお嫁さんにもらえたら、黄金づくりの家(金屋)に入れてあげるといい、建設された宮殿。

124巻三35妾薄命

「漢帝寵阿嬌。 貯之黃金屋。」

147巻四22宮中行樂詞八首 其一

「小小生金屋。 盈盈在紫微。 」

931巻二十四42長門怨二首 其二

「天回北斗挂西樓、金屋無人螢火流。」

939巻二十四50怨情

「請看陳后黃金屋。 寂寂珠帘生網絲。」

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

5 螢火流 句の上にある“金屋”が“北斗”と関連して金星が流れるということで、春夏と過ぎ秋になることを言う。「火」とか「大火」と呼ばれる。陰暦七月末から西に流れる。李白《黄葛篇》「蒼梧大火落、暑服莫輕擲。 
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。

黄葛篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -237

 

月光欲到長門殿。 別作深宮一段愁。
やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

長門殿にはやきもちの憂いが漂っている、後宮において皇帝の寵愛を受けている時分、悶々とした怨が最高潮に達する。

 

長門怨,二首の一
天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。 
月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。

長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

6 【阿嬌/陳皇后】

6 【阿嬌/陳皇后】

108巻三19白頭吟

「此時阿嬌正嬌妒、獨坐長門愁日暮。」

108巻三19白頭吟

「聞道阿嬌失恩寵、千金買賦要君王。」

124巻三35妾薄命

「漢帝寵阿嬌。 貯之黃金屋。」

939巻二十四50怨情

「請看陳后黃金屋。 寂寂珠帘生網絲。」

 

李白《妾薄命》

漢帝寵阿嬌,貯之黃金屋。咳唾落九天,隨風生珠玉。

寵極愛還歇,妒深情卻疏。長門一步地,不肯暫迴車。

雨落不上天,水覆難再收。君情與妾意,各自東西流。

昔日芙蓉花,今成斷根草。以色事他人,能得幾時好。

漢帝 阿嬌 寵【いつく】 しむ、之を黃金の屋に貯【おさ】む。 
咳唾【がいだ】 九天に落つ、風隨う 珠玉 生ず。 
寵極 愛 還た歇【つきる】、妒み深く 情 卻く疏【うと】んず。 
長門 一たび 地を步む、肯って 暫く 回車されず。
雨落 天に上らず、水覆 再び收り難し。 
君情 與 妾意、各々自ら 東西に流る。 
昔日  芙蓉の花,今 成る  斷根の草。
色を以て  他人に事【つか】へ,能【よ】く  幾時【いくとき】の 好【よろし】きを  得たりや。

(漢武帝最初の皇后、幼い時から絶頂期の皇后の時を経て、長門宮に幽閉、何時とはわからず寂しく死んでいった、産んだ子が皇帝にならなければ、皇后でさえもその運命はわからない、寵愛という不確かなものにすがって生きることを詠っている)

漢の武帝は幼少のときともに遊んだ阿嬌を見初め、いつくしんだ、そして、「好!若得阿嬌作婦,當作金屋貯之也。」といい、皇太子妃となって黄金の御殿に迎えて、ついに皇后となされた。
そこで阿嬌は、君寵をえて、その権力と勢力の盛んなことは、九天の上で吐く唾が風に乗って人に落ちると、それがやがて珠玉に化するという有様であった。
子の寵愛、貴盛が極限まで行ったが、ひとたびその寵愛を失うと実にあさましいものである、もともと、我儘で、嫉妬深い気性は、その情が密で、深いことが度が過ぎて仇になり、嫉妬心が陰謀策力に変わり、深く人の心も疎んじていった。
誰も振り返らず、司馬相如の賦を買い、一時は寵愛が戻るも、ついに、長門宮に幽閉され、一切の接触をたたれ、君の御所とはわずかに一歩を隔てるも、その後、君の輦車を回して立ち寄られることはなくなった。

雨は落ちてくるものであり、天にむかって上がることはい、こぼされた水は再び元の碗に収まることはないのだ。天子の愛情と后妃の思いとが合致していたけれど、ちょうど流れる水が、それぞれ自然に西と東に別れて流れさったようなものだ。昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。子孫繁栄のため、色香だけを求められ、それをもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間を得ることができるというのだろうか。(皇位継承のめどが立てば、後は気ままに寵愛を行うのは習わしであるから、すぐに捨てられるのである。)

743年(25)李白344 巻三35-《妾薄命》(漢帝寵阿嬌,)#1 344Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-25) <李白344> Ⅰ李白詩1678 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6938

李白  《巻三19白頭吟》

「此時阿嬌正嬌妒,獨坐長門愁日暮。」(此の時 阿嬌 正に嬌妒,獨り長門に坐して 日暮を愁う。)

「聞道阿嬌失恩寵,千金買賦要君王。相如不憶貧賤日,位高金多聘私室。茂陵姝子皆見求,文君歡愛從此畢。」(聞くならく 阿嬌 恩寵を失い,千金 賦を買うて 君王を要す と。相如 貧賤日を憶わず,位 高く 金 多くして 私室を聘す。茂陵の姝子 皆 求めらる,文君の歡愛 此に從って畢る。)

743年(22)李白341 巻三19-《白頭吟》(錦水東北流,) 341Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-22) <李白341> Ⅰ李白詩1664 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6868

743年(27)李白341-#6 巻三19-《白頭吟》 341-#6Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-27)Ⅰ李白詩1672 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6908

 

 長門怨二首
天迴北斗挂西樓金屋無人螢火流月光欲到長門殿作深一段愁

士贇曰詩箋云螢火家無人則然令/人感思室中無人故有此物是
足畏乃可/以為憂
  其二
桂殿長愁不記春黄金四屋起秋塵夜懸明鏡青天上獨照長門裏人

士贇曰此詩皆櫽括漢武陳皇后事/以比元宗皇后其意而婉矣事
前巻/

 

7 司馬相如《長門賦

なぜでしょう、一人の美人がさまよい歩いて物憂げにしています。魂は消え失せて元に返らぬように見え、肉体は枯れ果てた様子で一人ぽつねんと立っています。(かつて皇帝陛下は)「朕は朝に出座して暮には帰るだろう」と言ったのに、今は(新しい女と)飲食の楽しみを共にされ、私のことをお忘れになりました。御心は移り変わり、昔なじみ(の私)を省みず、気に入りの人と交わって親しくされています。(嫉妬深い)私の心の愚かさよ、私はまじめな素直さを胸に抱いていますのに。ただ御下問を賜って参上し、陛下のお言葉をいただきたいとのみ願っています。

陛下の虚しいお言葉をいただいて、まことのことかと待ち望み、城の南の離宮に(陛下を)お待ちしました。粗末な料理をつくろって用意していましたのに、陛下は一向におでまし下さろうとなさいません。むなしく一人隠れて心を鎮めておりますと、天にはひゅうひゅうと疾風が吹いています。蘭台に登ってはるかに見渡せば、心はうつろになって外界に脱け出ます。浮雲は重なりながら辺りに塞がり、天は深々として昼もなお暗く、雷は殷々と響き渡って、その音は陛下の車の響きに似ています。飄風は吹きめぐって部屋に舞い立ち、カーテンをひらひらと吹き上げます。桂の樹は枝茂く重なり合って、ぷんぷんと香りを漂わせます。孔雀たちは集まって(私を)憐れんでくれて、猿たちは鳴いて声長く歌います。翡翠(かわせみ)は翼を収めて集まって来て、鸞鳥と鳳凰は北に南に飛び交います。

心は結ぼれて晴れません。不満な気持ちが沸いて来て胸の内を責めつけます。蘭台より下りて辺りを見渡し、奥御殿へと静かに歩みます。正殿は高々と天まで届き、大きな柱が並び建てられて、彎形の御殿となっています。しばらく東の渡殿をさまよっていますと、こまごまと美しく限りなく続く建物が見えます。

 

夫何一佳人兮,步逍遙以自虞。魂逾佚而不反兮,形枯槁而獨居。言我朝往而暮來兮,飲食樂而忘人。心慊移而不省故兮,交得意而相親。 

伊予志之慢愚兮,怀貞愨之歡心。愿賜問而自進兮,得尚君之玉音。奉虛言而望誠兮,期城南之离宮。修薄具而自設兮,君曾不肯乎幸臨。廓獨潛而專精兮,天漂漂而疾風。登蘭台而遙望兮,神(心兄心兄,音晃)而外淫。浮云郁而四塞兮,天窈窈而晝陰。雷殷殷而響起兮,聲象君之車音。飄風回而起閨兮,舉帷幄之(示詹示詹,音摻)。桂樹交而相紛兮,芳酷烈之(門加言,重疊,音吟)。孔雀集而相存兮,玄猿嘯而長吟。翡翠協翼而來萃兮,鸞鳳翔而北南。 

心憑噫而不舒兮,邪气壯而攻中。下蘭台而周覽兮,步從容于深宮。正殿塊以造天兮,郁并起而穹崇。間徙倚于東廂兮,觀夫靡靡而無窮。擠玉以撼金舖兮,聲噌(口+宏去□,音宏)而似鐘音。 

刻木蘭以為榱兮,飾文杏以為梁。羅丰茸之游樹兮,离樓梧而相撐。施瑰木之(木薄,音博)櫨兮,委參差以(木康,音康)梁。時仿佛以物類兮,象積石之將將。五色炫以相曜兮,爛耀耀而成光。致錯石之瓴甓兮,象玳瑁之文章。張羅綺之幔帷兮,垂楚組之連綱。 

撫柱楣以從容兮,覽曲台之央央。白鶴嗷以哀號兮,孤雌(足寺)于枯腸。日黃昏而望兮,悵獨托于空堂。懸明月以自照兮,徂清夜于洞房。援雅琴以變調兮,奏愁思之不可長。案流徵以卻轉兮,聲幼眇而复揚。貫歷覽其中操兮,意慷慨而自(昂去日,音昂)。左右悲而垂淚兮,涕流离而從橫。舒息悒而增欷兮,(足徙,音徙)履起而彷徨。揄長袂以自翳兮,數昔日之(侃下加言,音謙)殃。無面目之可顯兮,遂思而就床。摶芬若以為枕兮,席荃蘭而(艸+臣,音chai3)香。 

忽寢寐而夢想兮,魄若君之在旁。惕寤覺而無見兮,魂(□+王,重疊,音狂)若有亡。眾雞鳴而愁予兮,起視月之精光。觀眾星之行列兮,畢昴出于東方。望中庭之藹藹兮,若季秋之降霜。夜曼曼其若兮,怀郁郁其不可再更。澹偃蹇而待曙兮,荒亭亭而复明。妾人竊自悲兮,究年而不敢忘。 

 注:《長門賦序》云,“孝武皇帝陳皇后時得幸,頗。別在長門宮,愁悶悲思。聞蜀郡成都司馬相如天下工為文,奉金百斤為相如、文君取酒,因于解悲愁之辭。而相如為文以悟上,陳皇后得親幸。”

 


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743年(89)李太白集929巻二十四41長信宮  408Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(89) Ⅰ李白詩1773 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7405

李白  長信宮【長信怨】

月皎昭陽殿,霜清長信宮。天行乘玉輦,飛燕與君同。

別有歡處,承恩樂未窮。誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。
(この詩は、後宮において、一時華麗繁栄であっても、黃帝の崩御、政争、讒言、寵愛を失うことによって寂しく余生を暮らすことになる。また、直臣を遠ざけ、佞臣を近づけるは、古今の通患であり、寄託自然でふかいというものである。)

昭陽殿角、月は皎皎として照り渡り、長信宮の邊り、霜気は清く涼しく、且つ、寒く感じる頃となる。天子の行幸に際しては、玉輦に乗ぜられ、そして、趙飛燕は、班とは違い、君と輦を同じうして、禮制にそむいた、まことに僭越極まることである。下臣たるもの、同輦を辞するということをわきまえることである、それが歓娯のところであったとしても、恩を承くること、未だ十分ならず、決して、楽を窮めないものである。かくて、この身は、秋の扇と棄てられたとしてだれが憐れんでくれるというのか、濁坐して、静心なき西風の凄涼たるを怨む外はないのである。

李太白集  巻二十四41

朝下過盧郎中敘舊游

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Index-23

743年天寶二年43歳 

94-89

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年:743年天寶二年43歳 94-89

卷別:    卷一八四              文體:    五言律詩

詩題:    長信宮【長信怨】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長信宮 (京畿道 京兆府 長安)           

昭陽殿 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物/地點:  

詩文:

 

長信宮【長信怨】

(この詩は、後宮において、一時華麗繁栄であっても、黃帝の崩御、政争、讒言、寵愛を失うことによって寂しく余生を暮らすことになる。また、直臣を遠ざけ、佞臣を近づけるは、古今の通患であり、寄託自然でふかいというものである。)

月皎昭陽殿,霜清長信宮。

昭陽殿角、月は皎皎として照り渡り、長信宮の邊り、霜気は清く涼しく、且つ、寒く感じる頃となる。

天行乘玉輦,飛燕與君同。

天子の行幸に際しては、玉輦に乗ぜられ、そして、趙飛燕は、班とは違い、君と輦を同じうして、禮制にそむいた、まことに僭越極まることである。

別有歡處,承恩樂未窮。

下臣たるもの、同輦を辞するということをわきまえることである、それが歓娯のところであったとしても、恩を承くること、未だ十分ならず、決して、楽を窮めないものである。

誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。

かくて、この身は、秋の扇と棄てられたとしてだれが憐れんでくれるというのか、濁坐して、静心なき西風の凄涼たるを怨む外はないのである。

(長信宮)【長信怨】

月は皎たり 昭陽殿,霜は清たり 長信宮。

天行 玉輦に乘ずるは,飛燕 君と同じゅうするを。

別に歡處に有るも,恩を承けて 樂しみ 未だ窮まらず。

誰か憐まん 團扇の妾,獨坐して 秋風を怨むなり。
漢長安城 00 

長安城図 作図00 

『長信宮【長信怨】』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

長信宮【長信怨】

月皎昭陽殿,霜清長信宮。

天行乘玉輦,飛燕與君同。

別有歡處,承恩樂未窮。

誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。
詩文(含異文)

月皎昭陽殿,霜清長信宮。天行乘玉輦,飛燕與君同。別有歡處【更有留情處】,承恩樂未窮。誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。


(下し文)
(長信宮)【長信怨】

月は皎たり 昭陽殿,霜は清たり 長信宮。

天行 玉輦に乘ずるは,飛燕 君と同じゅうするを。

別に歡處に有るも,恩を承けて 樂しみ 未だ窮まらず。

誰か憐まん 團扇の妾,獨坐して 秋風を怨むなり。

(現代語訳)
長信宮【長信怨】(この詩は、後宮において、一時華麗繁栄であっても、黃帝の崩御、政争、讒言、寵愛を失うことによって寂しく余生を暮らすことになる。また、直臣を遠ざけ、佞臣を近づけるは、古今の通患であり、寄託自然でふかいというものである。)

昭陽殿角、月は皎皎として照り渡り、長信宮の邊り、霜気は清く涼しく、且つ、寒く感じる頃となる。

天子の行幸に際しては、玉輦に乗ぜられ、そして、趙飛燕は、班とは違い、君と輦を同じうして、禮制にそむいた、まことに僭越極まることである。

下臣たるもの、同輦を辞するということをわきまえることである、それが歓娯のところであったとしても、恩を承くること、未だ十分ならず、決して、楽を窮めないものである。

かくて、この身は、秋の扇と棄てられたとしてだれが憐れんでくれるというのか、濁坐して、静心なき西風の凄涼たるを怨む外はないのである。

大明宮の圖003
(訳注)

長信宮【長信怨】

(この詩は、後宮において、一時華麗繁栄であっても、黃帝の崩御、政争、讒言、寵愛を失うことによって寂しく余生を暮らすことになる。また、直臣を遠ざけ、佞臣を近づけるは、古今の通患であり、寄託自然でふかいというものである。)

1 長信宮 紀元前7年、成帝が急死し、元帝が愛妾・傅氏に産ませた、劉康(定陶恭王)の子・劉欣(哀帝)が即位すると、哀帝の外戚の傅氏(祖母の実家)と、丁氏(母の実家)が政治に関与するようになり、王氏一族は権力を削られ、太皇太后(孝元太皇太后)となった王政君もその影響力を弱めることとなる。“長信には、漢の太后(成帝母、王政君)が常時之に居る。”となったということで、この詩に取り上げたものである。

この皇太后を趙飛燕の姉妹が供養するということで長信宮と結びつくのである。このことは、《漢書•外戚傳》にみえる「其後,趙飛燕姊弟亦從自微賤興,逾越禮制,浸盛於前。班婕妤及許皇后皆失寵,稀復進見。趙氏姊弟驕妒,婕妤恐久見危,求供養太后長信宮,帝許焉。」とある。また、長信宮について、《三輔黄圖巻之三、長樂宮》に「長信漢太后常居之。按《通靈記》大后、成帝母也。后在西、秋之象也。秋主信、故殿皆以長信、長秋爲名。又永壽、永寧殿、皆后所處也。、成帝母王太/后居長信右長樂。」とあり、漢の数々の宮殿、後宮のことは、班孟堅(班固)《西都賦》に詳細に描かれている。

班孟堅(班固) 《西都賦》(18)#7(宮室の美)-1 文選 賦<112―18>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩972 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3408

班孟堅(班固) 《西都賦》(19)#7-2 文選 賦<112―19>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩973 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3413

班孟堅(班固) 《西都賦》(20)#8(數々の宮殿)-1 文選 賦<112―20>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩974 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3418

班孟堅(班固) 《西都賦》(21)#8(數々の宮殿)-2 文選 賦<112―21>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩975 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3423

2 班媫妤 成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。長信宮に世を避けた班捷伃(倢伃)は、悲しんで「怨歌行」を作る。その詩は『文選』『玉台新詠』『楽府詩集』『古詩源』などに載せられる。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。晋の陸機や唐の王維、王昌齢「西宮春怨・長信秋詞」などがそれである[1]。『漢書』外戚伝・顔師古注に、彼女の伝がある。

 

月皎昭陽殿,霜清長信宮。

昭陽殿角、月は皎皎として照り渡り、長信宮の邊り、霜気は清く涼しく、且つ、寒く感じる頃となる。

3 昭陽殿 西京雜記 「趙飛燕姉弟、昭陽殿に居る。」とあり、班固《西都賦》には後宮の中での昭陽殿の様子を次のように述べている。

(22)#9(後宮の華麗)―1

後宮則有掖庭椒房,后妃之室。合歡增城,安處常寧。

茞若椒風,披香發越。蘭林蕙草,鴛鸞飛翔之列。

(23)#9―2

昭陽特盛,隆乎孝成。屋不呈材,牆不露形。

裛以藻繡,絡以綸連。隨侯明月。錯落其間。

金釭銜璧,是為列錢。

(24)#9―3

翡翠火齊,流耀含英。懸黎垂棘,夜光在焉。

於是玄墀釦砌,玉階彤庭。

礝磩綵緻,琳蒞青熒。珊瑚碧樹,周阿而生。

(25)#9―4

紅羅颯纚,綺組繽紛。精曜華燭,俯仰如神。

後宮之號,十有四位。窈窕繁華,更盛迭貴。

處乎斯列者,蓋以百數。

後宮には則ち掖庭【えきてい】椒房【しょうぼう】が有り,后妃の室なり。

合歡【ごうかん】增城【ぞうじょう】,安處【あんしょ】常寧【じょうねい】あり。

茞若【しじゃく】椒風【しょうふう】,披香【ひこう】發越【はつえつ】と。

蘭林【らんりん】蕙草【けいそう】,鴛鸞【えんおう】飛翔【ひしょう】と之れ列らる。昭陽 特に盛んにして,孝成に隆にす。

屋は材を呈【あらわ】にせず,牆【かきね】は形を露【あらわ】さず。

裛【つつ】むに藻繡【そうしゅう】以ってし,絡【まと】うに綸連【りんれん】を以ってす。

隨侯の明月あり。其の間に錯落す。

金釭璧【たま】を銜み,是れ列錢【れっせん】と為す。翡翠【ひすい】の火齊【かせい】,耀【かがやき】を流し英【ひかり】を含む。

懸黎【けんれい】垂棘【すいきょく】,夜光在り。

是に於いて玄墀【げんち】釦砌【こうぜい】,玉階彤庭【とうてい】あり。

礝磩【ぜんせき】は綵緻【さいち】にして,琳蒞【りんぴん】は青熒【せいけい】なり。

珊瑚【さんご】碧樹【へきじゅ】,阿を周りて生ず。紅羅 颯纚として,綺組 繽紛たり。

精曜 華燭,俯仰すること神の如し。

後宮の號,十有四位あり。

窈窕 繁華,更に盛んい迭【たが】いに貴し。

斯の列に處【お】る者,蓋し百を以て數う。

班孟堅(班固)《西都賦》(22)#9(後宮の華麗)―1 文選 賦<112―22>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩976 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3428

班孟堅(班固) 《西都賦》(23)#9―2 文選 賦<112―23>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩977 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3433

班孟堅(班固)《西都賦》(24)#9―3 文選 賦<112―24>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩978 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3438

班孟堅(班固) 《西都賦》(25)#9―4 文選 賦<112―25>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩979 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3443

また、李白も《宮中行樂詞,八首之二》で次のように述べている。

柳色黃金嫩,梨花白雪香。玉樓巢翡翠,金殿鎖鴛鴦。

選妓隨雕輦,徵歌出洞房。宮中誰第一,飛燕在昭陽。

柳色黄金にして嫩【やわら】か、梨花白雪にして香し。

玉楼には翡翠巣くい、珠殿には鴛鴦を鎖す。

妓を選んで雕輦に随わしめ、歌を徴して洞房を出でしむ。

宮中 誰か第一なる、飛燕  昭陽に在り。

(君主が言葉を発して、行楽について述べたもの)

柳が嫩い芽をふき出したばかり、柳の色は、黄金のようにかがやき、(しかも見るからにやわらかく玄宗皇帝のようである。)梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっていて(楊太真)、春の盛りで、行楽にはこの上もない季節となる。
絶色の妓優は翡翠や鴛鴦の文彩あるものたちが、玉楼に、それから、珠殿に、居となして、妃嬪となって居並ぶ。
そこで、天子はすぐれた妓優の者をえらばれ、行楽に出遊の際、雕輦のあとについて歩くよう命じられ、また、酒宴に歌手をよびよせて、歌わせるため、洞房にいたものに出て来るよう命じられ、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演する。

しかし、宮中において寵幸第一をほこるものは、昭陽殿にいる趙飛燕こそは、色藝雙絶のお方であり、宮中は、はなやぎ、盛んである。

743年(37)李白355 巻四23-《宮中行樂詞,八首之二》(柳色黃金嫩,) 355Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-37) <李白355> Ⅰ李白詩1695 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7023

 

天行乘玉輦,飛燕與君同。

天子の行幸に際しては、玉輦に乗ぜられ、そして、趙飛燕は、班とは違い、君と輦を同じうして、禮制にそむいた、まことに僭越極まることである。

4 天行乘玉輦 天子の御幸、宮中の御殿への往来に使われる、漢では、閣道、唐では夾城という天子専用道路が設けられていたことをいう。

李白の詩には以下のように使っている。

209卷六4侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌

仗出金宮隨日轉、天回玉輦繞花行。

271巻七上皇西巡南京歌十首 其九

萬國煙花隨玉輦、西來添作錦江春。

816巻二十二37秋夜獨坐懷故山

出陪玉輦行、夸胡新賦作。

929巻二十四40長信宮

天行乘玉輦、飛燕與君同。

 

別有歡處,承恩樂未窮。

下臣たるもの、同輦を辞するということをわきまえることである、それが歓娯のところであったとしても、恩を承くること、未だ十分ならず、決して、楽を窮めないものである。

 

誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。

かくて、この身は、秋の扇と棄てられたとしてだれが憐れんでくれるというのか、濁坐して、静心なき西風の凄涼たるを怨む外はないのである。

誰憐團扇妾 秋になって団扇が棄てられるように、用無しになることを班妤は怨歌行》に詠っている。  

怨歌行
新裂齊紈素,皎潔如霜雪。 裁爲合歡扇,團團似明月。
出入君懷袖,動搖微風發。常恐秋節至,涼風奪炎熱。
棄捐篋笥中,恩情中道絶。
(怨歌行)
新たに齊の紈素を裂けば,皎潔にして霜雪の如し。 裁ちて合歡の扇と爲せば,團團として明月に 似たり。
君が懷袖に出入し,動搖すれば微風發す。常に恐らくは秋節の至りて,涼風炎熱を奪ひ。
篋笥の中に棄捐せられ,恩情中道に絶えんことを。

新たらしい斉の国産の白練り絹を裂いている、それは純白、潔白で穢れない清い白さは、霜や雪のようだ。裁断して、両面から張り合わせの扇を作っている。丸くしてまるで満月のようです。
この扇はわが君の胸ふところや袖に出たり入ったりして、搖動かすたびに、そよ風を起していくでしょう。でもいつもこころに恐れていることがあるのは秋の季節が来ることなのです。秋の清々しい風は、わが君の情熱を奪って涼しくしてしまうのです。そうすると、屑籠の中に投げ捨てられてしまうことになります。わが君、帝王の寵愛が途中で絶えてしまうことになるのです。

怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

同様の趣に
謝玄暉 (謝朓) 『玉階怨』  「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」(夕殿 珠簾を下し,流螢 飛び 復(また) (とま)る。長夜 羅衣を 縫ひ,君を思うこと 此に なんぞ 極(きわ)まらん。)
『金谷聚』 「渠碗送佳人,玉杯邀上客。車馬一東西,別後思今夕。」(渠碗(きょわん) 佳人を 送り,玉杯 上客を 邀(むか)ふ。車馬 一(ひとたび) 東西にせられ,別後 今夕を 思はん。)
李白   『怨情』    「美人捲珠簾,深坐嚬蛾眉。但見涙痕濕,不知心恨誰。」美人 珠簾(しゅれん)を捲き、深く坐して蛾眉を顰(ひそ)む。但(ただ)見る 涙痕の湿(うるおえる)を、知らず 心に誰をか恨む。  
班婕妤 王維
怪來妝閣閉,朝下不相迎。總向春園裏,花間笑語聲。怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。

李白  紫藤樹
紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。
密葉隠歌島、香風留美人。
李白  客中行 
蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

とある。
漢長安城 00 

743年(88)李太白集903巻二十四14懼讒  407Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(88) Ⅰ李白詩1772 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7400

李白  懼讒

二桃殺三士,詎假劍如霜。眾女妒蛾眉,雙花競春芳。

魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。一惑巧言子,朱顏成死傷。

行將泣團扇,戚戚愁人腸。

(出る杭は打たれる、両雄並び立たず、など朝廷において、不穏な空気を察知して、作ったもの)

むかし、齊の晏平仲は、計を廻らし、二つの桃の実を以て、三士を殺し、必ずしも、明晃晃として霜に似たる剣を假るにも及ばなかった。屈原は離騒を作り、多くの女どもは、予が蛾眉を妬むといったが、二つの花が春に乗じて、芽を競うときは、ともに両立せず、その間に讒言が行われるのは、必然的の事である。現に、魏國から来た美人は、鄭袖の言を信じ袂を掩うて懐王に対して居たところが、鄭袖は、これを懐王に讒言し、王の臭を聞くを悪むからだといったのである。楚の懐王は、一たび、その巧言に惑わされために、紅顔美しき魏の美人は死傷の憂き目に遇った。こんな話はまだまだあって、君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いので、これを聞く人をして、戚然腸を断たしめる。

李太白集巻二十四14

懼  讒

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Index-23-2

743年天寶二年43歳 

94-88

407 <1000

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-88

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    懼讒

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

懼讒

(出る杭は打たれる、両雄並び立たず、など朝廷において、不穏な空気を察知して、作ったもの)

二桃殺三士,詎假劍如霜。

むかし、齊の晏平仲は、計を廻らし、二つの桃の実を以て、三士を殺し、必ずしも、明晃晃として霜に似たる剣を假るにも及ばなかった。

眾女妒蛾眉,雙花競春芳。

屈原は離騒を作り、多くの女どもは、予が蛾眉を妬むといったが、二つの花が春に乗じて、芽を競うときは、ともに両立せず、その間に讒言が行われるのは、必然的の事である。

魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。

現に、魏國から来た美人は、鄭袖の言を信じ袂を掩うて懐王に対して居たところが、鄭袖は、これを懐王に讒言し、王の臭を聞くを悪むからだといったのである。

一惑巧言子,朱顏成死傷。

楚の懐王は、一たび、その巧言に惑わされために、紅顔美しき魏の美人は死傷の憂き目に遇った。

行將泣團扇,戚戚愁人腸。

こんな話はまだまだあって、君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いので、これを聞く人をして、戚然腸を断たしめる。

 

(讒を懼る)

二桃、三士を殺す、詎ぞ、剣、霜の如きを假らむや。

衆女、蛾眉を妬み、隻花、春芳を競ふ。

魏妹、鄭褒を信じ、袂を掩うて懐王に対す。

一び巧言の子に惑わされ,朱顏 死傷を成す。

行くゆく將に團扇泣かんとす,戚戚として人の腸を愁えしむ。

大明宮の圖003 

 

『懼讒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

懼讒

二桃殺三士,詎假劍如霜。

女妒蛾眉,雙花競春芳。

魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。

一惑巧言子,朱顏成死傷。

行將泣團扇,戚戚愁人腸。
詩文(含異文)

二桃殺三士,詎假劍如霜。眾女妒蛾眉,雙花競春芳。魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。一惑巧言子,朱顏成死傷【朱顏成損傷】。行將泣團扇,戚戚愁人腸。


(下し文)
(讒を懼る)

二桃、三士を殺す、詎ぞ、剣、霜の如きを假らむや。

衆女、蛾眉を妬み、隻花、春芳を競ふ。

魏妹、鄭褒を信じ、袂を掩うて懐王に対す。

一び巧言の子に惑わされ,朱顏 死傷を成す。

行くゆく將に團扇泣かんとす,戚戚として人の腸を愁えしむ。

(現代語訳)
懼讒(出る杭は打たれる、両雄並び立たず、など朝廷において、不穏な空気を察知して、作ったもの)

むかし、齊の晏平仲は、計を廻らし、二つの桃の実を以て、三士を殺し、必ずしも、明晃晃として霜に似たる剣を假るにも及ばなかった。

屈原は離騒を作り、多くの女どもは、予が蛾眉を妬むといったが、二つの花が春に乗じて、芽を競うときは、ともに両立せず、その間に讒言が行われるのは、必然的の事である。

現に、魏國から来た美人は、鄭袖の言を信じ袂を掩うて懐王に対して居たところが、鄭袖は、これを懐王に讒言し、王の臭を聞くを悪むからだといったのである。

楚の懐王は、一たび、その巧言に惑わされために、紅顔美しき魏の美人は死傷の憂き目に遇った。

こんな話はまだまだあって、君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いので、これを聞く人をして、戚然腸を断たしめる。


(訳注)

懼讒

(出る杭は打たれる、両雄並び立たず、など朝廷において、不穏な空気を察知して、作ったもの)

1 懼讒 この詩は、二三の故事を運用し、しかも、融合して、詞意明白なるところが面白い。但し、 極めて簡短で、決して、十分その才思を抒べたものではない。朝廷において李林甫の権勢が増している時期、高力氏の宦官勢力と鍔迫り合いをする中で、李白は苦しい立場にあった。

 

二桃殺三士,詎假劍如霜。

むかし、齊の晏平仲は、計を廻らし、二つの桃の実を以て、三士を殺し、必ずしも、明晃晃として霜に似たる剣を假るにも及ばなかった。

2 二桃殺三士 「二桃もて三士を殺す」「妟子春秋」に見える故事。諸葛亮《梁甫吟》「一朝被讒言、二桃殺三士 それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

李白《梁甫吟》「世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。齊相殺之費二桃。楚弄兵無劇孟。」(世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。)

・二桃殺三士 春秋時代の斉の景公の部下に、公孫接・田開疆・古冶子という三人の勇士がいた。力が非常に強く、虎をなぐり殺した。ある日、斉の国の大臣である量子(曇嬰)が彼らの前を通りすぎたが、三人は起ち上ろうともしない。妟子は景公にお目通りして言った。「かれらは勇気とカの持主ですが、礼節を知りません。君臣上下の分別がありません。これを放っておくと危険ですから、殺してしまうべきです。」国王は同意したが、三人の勇士を刺殺することのできる者はいない。妟子は一計を案じた。かれは国王の名によって、二つの桃を三人に送りとどけ、各自の能力をくらべあって、能力の大きい者が桃を食わないかと言った。まず公孫接が言うには「按は、第一にいのししを打ち殺し、第二に虎の子をも打ち殺した。この接の能力などは、十分に桃を食うねうちがある。人と同じには見てもろうまい。」桃をつかんで起ち上った。次に田閉彊が言った。「わたしは、武器をとって敵の大軍をしりぞけること二度。この開彊の能力などは、十分に桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。」やはり、桃をつかんで起ち上った。さいごに古冶子が言った。「わたしは、かつて主君に従って黄河をわたったとき、大きなスッポンが三頭立の馬車の左の副馬にくらいつき、黄河の中流に柱のように突立っている砥柱山の流れに引きずりこんだ。この冶は、流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、大スッポンをつかまえて殺し、左手で副馬の尾をあやつり、右手にスッポンの頭をひっさげ、おどりあがって岸に出た。人びとがみな、河伯(黄河の神様)だと言うので、この冶がよく見ると、それは大スッポンの首だった。この冶の能力などは、やはり桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。お二方、どうして桃をかさえないのか。」公孫接と田開彊が言った。「われわれの勇はあなたに及ばない。能力もあなたに及ばない。桃を取ってゆずらないのは欲が深い。そして又、死なないのは勇気がない。」二人とも、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。古冶子は言った。「二人が死んだのに、冶がひとり生きているのは不仁である。人に恥をかかせながら、自分だけが誇っているのは、不義である。そうした自分の行為を遺憾に思いながら死なないのは勇気がない。」これまた、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。景公は、三人を鄭重に葬った。

155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

3 劍如霜 魏文帝《歌辭》「歐氏寶劍、何為低昂。白如積雪、利若秋霜。」(歐氏寶劍、何ぞ低昂を為さん。白きこと積雪の如く、利たること秋霜の若くなり。)とある

 

眾女妒蛾眉,雙花競春芳。

屈原は離騒を作り、多くの女どもは、予が蛾眉を妬むといったが、二つの花が春に乗じて、芽を競うときは、ともに両立せず、その間に讒言が行われるのは、必然的の事である。

4 眾女妒蛾眉 屈原《離騒》《衆女嫉余之蛾眉兮、謡諑謂余以善淫。」(衆女余の蛾眉を嫉みて、謡諑して余を謂うに善く淫するを以てす。)“衆女は私の美貌を妬んで、私を淫らな者と言いふらした。” に基づく。

 

魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。

現に、魏國から来た美人は、鄭袖の言を信じ袂を掩うて懐王に対して居たところが、鄭袖は、これを懐王に讒言し、王の臭を聞くを悪むからだといったのである。

5 魏姝信鄭袖 戦国策にみえる魏王が楚王に美人を送り、楚王はこれを喜んで、寵愛したが、妻の鄭袖は嫉妬して讒言した古辞。

《戰國策: 楚策: 楚四: 魏王遺楚王美人》

魏王遺楚王美人、楚王説之。 夫人鄭袖知王之説新人也、甚愛新人。 衣服玩好、擇其所喜而為之、宮室臥具、擇其所善而為之。 愛之甚於王。 王曰、婦人所以事夫者、色也、而妒者、其情也。 今鄭袖知寡人之説新人也、其愛之甚於寡人、此孝子之所㠯事親、忠臣之所㠯事君也。 鄭袖知王㠯己為不妒也、因謂新人曰、王愛子美矣。 雖然、惡子之鼻。 子為見王、則必揜子鼻。 新人見王、因揜其鼻。 王謂鄭袖曰、夫新人見寡人、則揜其鼻、何也。鄭袖曰、妾知也。 王曰、雖惡必言之。 鄭袖曰、其似惡聞君王之臭也。王曰、悍哉。 令劓之、無使逆命。」(魏王 楚王に美人を遺る。 楚王 之を説ぶ。夫人鄭袖 王の新人を説ぶを知るや、甚だ新人を愛す。 衣服玩好、其の喜ぶ所を擇びて之を為り、宮室臥具、其の善しとする所を擇びて之を為る。 之を愛すること王より甚だし。 曰く、「婦人の夫に事うる所以の者は、色なり、而して妒む者は、其の情なり。 鄭袖は寡人の新人を説ぶを知るや、其の之を愛すること寡人より甚し、此れ孝子の親に事うる所㠯(=以)、忠臣の君に事うる所㠯なり」と。  鄭袖 王の己を㠯て妒まずと為すを知るや、因りて新人に謂いて曰く、「王 子の美を愛す。 然りと雖も、子の鼻を惡む。 王に見ゆるを為さば、則ち必ず子の鼻を揜(=掩)え。」と。 新人 王に見え、因りて其の鼻を揜う。王 鄭袖に謂いて曰く、「夫の新人 寡人を見れば、則ち其の鼻を揜う、何ぞや。」と。鄭袖 曰く、「妾 知れり。」と。王 曰く、「惡と雖も、必ず之を言え。」と。 鄭袖 曰く、「其れ君 王の臭を聞くを惡むに似たり。」と。王 曰く、「悍なる哉。 之を劓(はなき)らしめん、命に逆わ使むる無かれ。」と。

魏王が楚王に美人を遺(おく)った。楚王はこれを説(よろこ)んだ。夫人の鄭袖(ていしゅう)は王が新人の美人を説ぶことを知ると、その新人の美人をたいそう可愛がり、衣服や愛玩の品も、美人の喜ぶものを選んで作ってやり、宮室の寝具も彼女の善しとするものを選んで作った。彼女を可愛がることは王以上であった。王は言った、「婦人が夫に事(つか)える手段は容姿である、とすれば、妒(ねた)むのは常情である。 今、鄭袖は私が新人の美人を説んでいることを知ると、これを可愛がることわたし以上である。 これは孝子が親に事える手段であり、忠臣が君主に事える方法なのだ。」と。鄭袖は、王が己(おのれ=鄭袖)が嫉妬していないと思っている、ということを知ると、さっそく新人の美人に言った、「王はそなたの美貌を愛しているが、そなたの鼻を嫌っている。 そなたがこれから王に会う時は必ず鼻を隠しなさい」と。そこで新人の美人が王に会うとその鼻を隠した。王は鄭袖に言った、「あの新人美人はわたしに会うと鼻を隠すが、なぜであろうか」。鄭袖は言った、「私は知っております」。王は、「都合が悪いことでも必ず言え」と。鄭袖は、「王様の臭いを嗅ぐのを嫌っているようでございます」と言った。王は言った「強情な女だ、鼻切の刑にしてやろう。 命令に逆らわせては(有無を言わせては)いけないぞ」と。

 

一惑巧言子,朱顏成死傷。

楚の懐王は、一たび、その巧言に惑わされために、紅顔美しき魏の美人は死傷の憂き目に遇った。

 

行將泣團扇,戚戚愁人腸。

こんな話はまだまだあって、君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いので、これを聞く人をして、戚然腸を断たしめる。

6 行將泣團扇 君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いということ。

妤《怨歌行  

新裂齊紈素,皎潔如霜雪。

裁爲合歡扇,團團似明月。

出入君懷袖,動搖微風發。

常恐秋節至,涼風奪炎熱。

棄捐篋笥中,恩情中道絶。

新たに 齊の 紈素を 裂けば,皎潔にして  霜雪の 如し。

裁ちて 合歡の扇と 爲せば,團團として  明月に 似たり。

君が懷袖に  出入し,動搖すれば  微風 發す。

常に恐らくは  秋節の至りて,涼風  炎熱を 奪ひ。

篋笥の中に  棄捐せられ,恩情  中道に 絶えんことを。

新たらしい斉の国産の白練り絹を裂いている、それは純白、潔白で穢れない清い白さは、霜や雪のようだ。

裁断して、両面から張り合わせの扇を作っている。丸くしてまるで満月のようです。

この扇はわが君の胸ふところや袖に出たり入ったりして、搖動かすたびに、そよ風を起していくでしょう。

でもいつもこころに恐れていることがあるのは秋の季節が来ることなのです。秋の清々しい風は、わが君の情熱を奪って涼しくしてしまうのです。

そうすると、屑籠の中に投げ捨てられてしまうことになります。わが君、帝王の寵愛が途中で絶えてしまうことになるのです。

怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

 

 

 


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李白  詠桂(詠槿二首之一)

世人種桃李,皆在金張門。攀折爭捷徑,及此春風暄。

一朝天霜下,榮耀難久存。安知南山桂,綠葉垂芳根。

清陰亦可託,何惜樹君園。

(「桜梅桃李」というように、桃李だけが出世となるものではない、終南山の桂の花も緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い、このような人物に身を託したいものである。)

世人は桃李を愛好し、多くは、漢の金氏と張氏をならって、之を門に種えて、近のヨスガとするものである。その上、これを攀折せんがために、手っ取り早い方法、近みちを争い、春風の暖かなるころには、その伝手を頼り、その宴に赴き、ときに手もみして笑いどよめくのである。桃李は、かくの如く、世に持て囃されるが、実は小人仕進の道具に使われているので、一朝にして、天から霜が下れば、さしもの栄耀栄華も、久しく存することはできない。これに反して、南山の桂花は、緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い。この桂花の清陰にして、やはり、こうしたものに身を託してゆくべきで、決して、君の園に種うることを惜まない。つまり、託すべきは、何も桃李に限ったわけではなく、唯だその託し方が異なって居るのである。

李太白集 巻二三61

詠  桂(詠槿二首之二)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7395

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-87

406 <1000

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-86) 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    詠槿(詠槿二首之一)

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

詠槿(詠槿二首之一)

(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

園花笑芳年,池草豔春色。

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。

猶不如槿花,嬋娟玉階側。

各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。

芬榮何夭促,零落在瞬息。

しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。

豈若瓊樹枝,終長翕赩。

玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。

 

(詠槿(詠槿二首之一))

園花 芳年に笑い,池草は春色を豔にす。

猶お槿花の如くなく,玉階の側に嬋娟たり。

芬榮 何ぞ夭促す,零落 瞬息に在り。

豈に若かんや 瓊樹の枝,終 長えに 翕赩たるに

 

年:743年天寶二年43歳 94-87

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    詠桂(詠槿二首之二)

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

詠桂(詠槿二首之二)

(「桜梅桃李」というように、桃李だけが出世となるものではない、終南山の桂の花も緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い、このような人物に身を託したいものである。)

世人種桃李,皆在金張門。

世人は桃李を愛好し、多くは、漢の金氏と張氏をならって、之を門に種えて、近のヨスガとするものである。

攀折爭捷徑,及此春風暄。

その上、これを攀折せんがために、手っ取り早い方法、近みちを争い、春風の暖かなるころには、その伝手を頼り、その宴に赴き、ときに手もみして笑いどよめくのである。

一朝天霜下,榮耀難久存。

桃李は、かくの如く、世に持て囃されるが、実は小人仕進の道具に使われているので、一朝にして、天から霜が下れば、さしもの栄耀栄華も、久しく存することはできない。

安知南山桂,綠葉垂芳根。

これに反して、南山の桂花は、緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い。

清陰亦可託,何惜樹君園。

この桂花の清陰にして、やはり、こうしたものに身を託してゆくべきで、決して、君の園に種うることを惜まない。つまり、託すべきは、何も桃李に限ったわけではなく、唯だその託し方が異なって居るのである。

詠桂(詠槿二首の二)

世人、桃李を種う、皆金張の門に在り。

攀折して捷径を爭ひ、この春風の喧なるに及ぶ。

一朝、天霜下れば、榮耀久しく存し難し。

安んぞ知らむ、南山の桂、綠葉、芳根を垂るるを。

清陰、亦た託すべし、何ぞ君の園に樹うるを惜まむや。

 

漢文委員会紀頌之タイトル 

『詠桂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠桂(詠槿二首之二)

世人種桃李,皆在金張門。

攀折爭捷徑,及此春風暄。

一朝天霜下,榮耀難久存。

安知南山桂,綠葉垂芳根。

清陰亦可託,何惜樹君園。

(下し文)
詠桂(詠槿二首の二)

世人、桃李を種う、皆金張の門に在り。

攀折して捷径を爭ひ、この春風の喧なるに及ぶ。

一朝、天霜下れば、榮耀久しく存し難し。

安んぞ知らむ、南山の桂、綠葉、芳根を垂るるを。

清陰、亦た託すべし、何ぞ君の園に樹うるを惜まむや。


(現代語訳)
詠桂(詠槿二首之二)(「桜梅桃李」というように、桃李だけが出世となるものではない、終南山の桂の花も緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い、このような人物に身を託したいものである。)

世人は桃李を愛好し、多くは、漢の金氏と張氏をならって、之を門に種えて、近のヨスガとするものである。

その上、これを攀折せんがために、手っ取り早い方法、近みちを争い、春風の暖かなるころには、その伝手を頼り、その宴に赴き、ときに手もみして笑いどよめくのである。

桃李は、かくの如く、世に持て囃されるが、実は小人仕進の道具に使われているので、一朝にして、天から霜が下れば、さしもの栄耀栄華も、久しく存することはできない。

これに反して、南山の桂花は、緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い。

この桂花の清陰にして、やはり、こうしたものに身を託してゆくべきで、決して、君の園に種うることを惜まない。つまり、託すべきは、何も桃李に限ったわけではなく、唯だその託し方が異なって居るのである。


(訳注)

詠桂(詠槿二首之二)

(「桜梅桃李」というように、桃李だけが出世となるものではない、終南山の桂の花も緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い、このような人物に身を託したいものである。)

9 【解説】前六句に於て、桃李を一邊に排除し、後四句に於で、桂花を掲出したので、乾隆御批に「喩に託し、以て情を達す雖も、亦た私を植うるものをして、通身汗下らしむ、世道に関すること浅からず。」とある。

 

世人種桃李,皆在金張門。

世人は桃李を愛好し、多くは、漢の金氏と張氏をならって、之を門に種えて、近のヨスガとするものである。

10 桃李 司馬遷の『史記』に書かれた言葉「桃李不言下自成蹊」(桃や李は物を言わないが、その下にはおのずと小道が出来る。)及び、中国の故事「桜梅桃李」(桜は桜の、梅は梅の、桃は桃の、李は李の特徴を改めることなく、生かしていく。)とある。

11 金張門 後漢書蓋寛 「上無許史之属下 無金張之託職」とあり、顔師古の註に「許氏と史氏は外属の恩あり、金氏と張氏は自ら託して近狎にあるなり」とみえる。朝廷内に派閥、門閥を作り、出世の道を模索すること。

 

攀折爭捷徑,及此春風暄。

その上、これを攀折せんがために、手っ取り早い方法、近みちを争い、春風の暖かなるころには、その伝手を頼り、その宴に赴き、ときに手もみして笑いどよめくのである。

12 捷徑 ① 近道。早道。 「林中の-」 手っ取り早い方法。便宜的な方法。

 

一朝天霜下,榮耀難久存。

桃李は、かくの如く、世に持て囃されるが、実は小人仕進の道具に使われているので、一朝にして、天から霜が下れば、さしもの栄耀栄華も、久しく存することはできない。

13 榮耀 榮耀栄華。1 大いに栄えて、はぶりのよいこと。えよう。「栄耀におごる」「栄耀を図る」2 ぜいたくをすること。えよう。「栄耀の限りを尽くす」

14 難久存 いつまでも権勢は続くものではない。門下に入って、出世を託した、上司が、政的に貶められることで、一蓮托生とされる。

 

安知南山桂,綠葉垂芳根。

これに反して、南山の桂花は、緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い。

15 南山桂 終南山の桂。

 

清陰亦可託,何惜樹君園。

この桂花の清陰にして、やはり、こうしたものに身を託してゆくべきで、決して、君の園に種うることを惜まない。つまり、託すべきは、何も桃李に限ったわけではなく、唯だその託し方が異なって居るのである。

 

 

 

 

詠槿(詠槿二首之一)

 

1 【解説】 前半は、槿花の婿娼たるを写し、後半は、その夭促を傷んだので、多少の諷意あるらしく見える。

2 槿 アオイ科の落葉低木。高さ約3メートル。葉はほぼ卵形で、縁に粗いぎざぎざがある。夏から秋にかけて、紅紫色の5弁花が朝開き、夕方にしぼみ、次々と咲き続ける。中国・インドの原産。庭木などにし、花が白色や八重咲きなどの品種もある。《詩經鄭風有女同車》「有女同車,顏如舜華,將將翔;佩玉瓊琚,彼美孟姜,洵美且都。 有女同行,顏如舜英,將將翔;佩玉將將,彼美孟姜,德音不忘。」 【詩義】. 鄭莊公葬其母武姜之祭悼詩。 【注釋】. 有:盛也,多也。 女:陪葬的俑人。 車:指墳墓。 舜:木槿。

3 笑 咲く。

4 池草豔春色 翰林院から直接は見えないが、大明宮には、神仙三山を泛べる大掖池がありその池の堤を言う。興慶宮には龍池があり、ほとりに、沈香亭、曲江には大池があった。謝靈運「初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。」(初景【はつはる】は緒風を革【あらた】め、新陽は故き蔭【ふゆ】を改む。池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。)初春の景色は去年の秋冬の名残の風を改めている、新しい日の光が照り、去年の冬の名残りの陰気はすっかり改まっている。池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

 

5 嬋娟 後宮に侍る妃嬪の美好の貌。《巻二10-飛龍引,二首之一》「古人傳道留其間,後宮嬋娟多花顏。」そして、また、古来伝うるところでは、どこかに行ったのではなく其処にとどまっていたのであり、だから、黃帝の後宮に居た嬋娟たる美人は、鸞に乗り、煙を飛ばし、やはり黃帝に従って上天し、これも二度とは還らないのである。

6 夭促yāo cù),1.夭折短命。夭折,短命。草木茂盛美:夭夭(a.茂盛而美,如“桃之夭夭”;b色和悦的子,如“夭夭如也”;c.灾)。 未成年的人死去:夭折。)

7 瓊樹枝 玉のようにきれいな樹木。仙境の樹木。王宮の宮殿の樹木。李白《江西送友人之羅浮》「如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。」それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。

8 翕赩 充分に茂鬱せる樣子。《文選.嵇康.琴賦》:「珍怪琅玕,瑤瑾翕赩。」

 

 長安付近図00

 


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李白  詠槿(詠槿二首之一)

園花笑芳年,池草豔春色。猶不如槿花,嬋娟玉階側。

芬榮何夭促,零落在瞬息。豈若瓊樹枝,終長翕
(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。

李太白集 巻二三61

詠  槿(詠槿二首之一)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7390

Index-23

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94-86

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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-86) 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    詠槿(詠槿二首之一)

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

詠槿(詠槿二首之一)

(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

園花笑芳年,池草豔春色。

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。

猶不如槿花,嬋娟玉階側。

各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。

芬榮何夭促,零落在瞬息。

しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。

豈若瓊樹枝,終長翕赩。

玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。

 

(詠槿(詠槿二首之一))

園花 芳年に笑い,池草は春色を豔にす。

猶お槿花の如くなく,玉階の側に嬋娟たり。

芬榮 何ぞ夭促す,零落 瞬息に在り。

豈に若かんや 瓊樹の枝,終 長えに 翕赩たるに

 

『詠槿』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠槿(詠槿二首之一)

園花笑芳年,池草豔春色。

猶不如槿花,嬋娟玉階側。

芬榮何夭促,零落在瞬息。

豈若瓊樹枝,終長翕

(下し文)
(詠槿(詠槿二首之一))

園花 芳年に笑い,池草は春色を豔にす。

猶お槿花の如くなく,玉階の側に嬋娟たり。

芬榮 何ぞ夭促す,零落 瞬息に在り。

豈に若かんや 瓊樹の枝,終 長えに 翕赩たるに

(現代語訳)
詠槿(詠槿二首之一)(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。

各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。

しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。

玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。


(訳注)

詠槿(詠槿二首之一)

(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

1 【解説】 前半は、槿花の婿娼たるを写し、後半は、その夭促を傷んだので、多少の諷意あるらしく見える。

2 槿 アオイ科の落葉低木。高さ約3メートル。葉はほぼ卵形で、縁に粗いぎざぎざがある。夏から秋にかけて、紅紫色の5弁花が朝開き、夕方にしぼみ、次々と咲き続ける。中国・インドの原産。庭木などにし、花が白色や八重咲きなどの品種もある。《詩經鄭風有女同車》「有女同車,顏如舜華,將將翔;佩玉瓊琚,彼美孟姜,洵美且都。 有女同行,顏如舜英,將將翔;佩玉將將,彼美孟姜,德音不忘。」 【詩義】. 鄭莊公葬其母武姜之祭悼詩。 【注釋】. 有:盛也,多也。 女:陪葬的俑人。 車:指墳墓。 舜:木槿。

 

園花笑芳年,池草豔春色。

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。

3 笑 咲く。

4 池草豔春色 翰林院から直接は見えないが、大明宮には、神仙三山を泛べる大掖池がありその池の堤を言う。興慶宮には龍池があり、ほとりに、沈香亭、曲江には大池があった。謝靈運「初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。」(初景【はつはる】は緒風を革【あらた】め、新陽は故き蔭【ふゆ】を改む。池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。)初春の景色は去年の秋冬の名残の風を改めている、新しい日の光が照り、去年の冬の名残りの陰気はすっかり改まっている。池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

 

猶不如槿花,嬋娟玉階側。

各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。

5 嬋娟 後宮に侍る妃嬪の美好の貌。《巻二10-飛龍引,二首之一》「古人傳道留其間,後宮嬋娟多花顏。」そして、また、古来伝うるところでは、どこかに行ったのではなく其処にとどまっていたのであり、だから、黃帝の後宮に居た嬋娟たる美人は、鸞に乗り、煙を飛ばし、やはり黃帝に従って上天し、これも二度とは還らないのである。

 

芬榮何夭促,零落在瞬息。

しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。

6 夭促yāo cù),1.夭折短命。夭折,短命。草木茂盛美:夭夭(a.茂盛而美,如“桃之夭夭”;b色和悦的子,如“夭夭如也”;c.灾)。 未成年的人死去:夭折。)

 

豈若瓊樹枝,終長翕赩。

玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。

7 瓊樹枝 玉のようにきれいな樹木。仙境の樹木。王宮の宮殿の樹木。李白《江西送友人之羅浮》「如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。」それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。

8 翕赩 充分に茂鬱せる樣子。《文選.嵇康.琴賦》:「珍怪琅玕,瑤瑾翕赩。」

 

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士【字解】  

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士 

晨趨紫禁中,夕待金門詔。觀書散遺帙,探古窮至妙。

片言苟會心,掩卷忽而笑。青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

功成謝人間,從此一投釣。

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

1【解説】 起首六句は、翰林に於て書を読みしこと、「青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。」四句は、兎角に小人から譏られること、「雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。」の四句は、秋時の光景、「嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間,從此一投釣。」の四句は、功成りし後、この世を辞したいという希望を述べたのである。蕭士贇は「これ太白心を寫すの作、これを観れば、前の效古の二首は概ね見るべし」とある。

翰林讀書言懷呈集賢諸學士(1)2 翰林/集賢/學士 唐書百官志開元十三年改麗正修書院為集賢殿書院五品以上為學士六品以下為直學士宰相一人為學士知院事常侍一人為副知院事又置判院一人押院中使一人𤣥宗常選耆儒、日一人侍讀、以質史籍疑義。至是、置集賢院侍讀學士、侍講直學士、其後、又增置修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官。

文學直之員、又云學士之職、本以文學言語被顧問、出入侍從、因得參謀議、納諫諍、其禮、尤寵、而、翰林院者待詔之所也。唐制、乗輿所在、必有文詞經學之士、下、至卜醫伎術之流、皆直於院、以備宴見、而、文書詔令則中書舍人掌之。自太宗時、名儒學士、時時召以草制。然、猶未有名號、乾封以後、始號北門學士。

𤣥宗初置翰林待詔以張陸堅張九齡等為之掌四方表疏批答應和文章。既而、又以中書務劇、文書多壅滯、乃選文學之士、號翰林供奉、與集賢院學士分掌制詔書勅。

開元二十六年、又改翰林供奉為學士、置學士院、專掌内命。凢拜免將相、號令征伐、皆用白麻。其後、選用益重而禮遇益親、至號為内相。又以為天子私人、凡充其職者、無定員、自諸曹尚書、下、至校書郎、皆得預選。

(「開元十三年、麗正修書院を改めて集賢殿書院と為し、五品以上を學と為し、士六品以下を直學士と為し、宰相一人を、學士知院事と為し、常侍一人を副知院事と為し、又 判院一人、押院中使一人を置く。𤣥宗 常に耆儒を選び、日に一人侍讀とし、以て史籍の疑義を質す。是に至りて、集賢院侍讀學士、侍講直學士を置き、其の後、又 修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官を增置す。

文學直の員、又 學士の職と云う、本と文學言語を以て顧問せらる、出入侍從、因って謀議に參し、諫諍を納るるを得、其ぼ禮、尤も寵、而して、翰林院は待詔の所なり。唐制、乗輿在るところ、必ず文詞經學の士有り、下、卜醫伎術の流に至って、皆 院にし、以て宴見に備う、而して、文書詔令は則ち中書舍人之を掌る。太宗の時より、名儒學士、時時召して以て制を草す。然れども、猶お未だ名號有らず、乾封以後、始めて北門學士と號す。

𤣥宗の初め、翰林待詔を置き、張、陸堅、張九齡等をて之を為し、四方の表疏批答應和の文章を掌る。既にして、又 中書務劇にして、文書壅滯多きを以て、乃ち文學の士を選び、翰林供奉と號し、與集賢院學士と制詔書勅とを分ち掌る。

開元二十六年、又 翰林供奉を改めて學士と為し、學士院を置く、專ら内命を掌る。凢そ將相を拜免する、征伐を號令す、皆白麻を用う。其の後、選用益ます重くして禮遇益ます親み、號して内相と為すに至る。又 以て天子の私人と為し、凡そ其の職を充る者は、定員無く、諸曹尚書より、下、校書郎に至るまで、皆 選に預るを得たり。」
3 翰林 宮廷学芸機関で、「ふで(翰)のはやし(林)の官庁」の意。唐の玄宗の開元年間(713741)に宮中に創置され、文人を出仕させたのに始まる。玄宗は文学,経学,書画,医薬などの専門家を宮中に出仕せしめてこれを待詔といい,その館を翰林院と称した。安史の乱後、天子の詔勅の執筆に携わったところから政治的発言権が強まり、長官の学士承旨は内相とよばれ、中・晩唐にかけて権力の一中心となり、李肇の『翰林志』以下の記録もつくられた。また院には書、画、音楽から囲碁などに及ぶ諸芸に秀でた人材を抱える伎術院を付設し、ここは宮廷文化センターの観を呈した。

4 集賢 唐代の官署。中書省に属し、典籍の編集・発行、散逸した図書の探索などを任務とした。

5 學士  中国で,翰林院の官。主に詔書の起草に当たった。唐・宋代には,ここから宰相となる者も多かった。翰林博士。翰林。 文章博士(もんじようはかせ)の唐名。翰林主人。翰林。

翰林讀書言懷呈集賢諸學士(2)6 紫禁 謝荘の宋孝武宣貴妃の註に收華紫宮とあって、李善の註に「王者の宮、以て紫微に象る、故に宮中をいうて紫禁と爲す」とあり、李延濟の註に「紫禁は即ち紫宮、天子の居るところなり」とある。

7 金門 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

8 散遺帙 遺れる帙を解いて、書冊を取り出すこと。書帙をうち開くこと。また讀書することをさす。 (ちつ)とは、和本を包んで保存する装具の一種。

謝靈運《酬従弟謝惠連 五首その(2)》「淩澗尋我室,散帙問所知。」(澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんちつ】知れる所を問える。) そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。

9 窮至妙 至妙の玄理を研究する。

10 青蠅 くそばえ、あおばえ。白い布を汚し黑にし、黒い布を白にする。以て讒言人に比す。《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序に「《青蠅》,大夫刺幽王也。」(青蠅は大夫 幽王を刺るなり。)「 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。 營營青蠅,止于棘。讒人罔極,交亂四國。 營營青蠅,止于榛。讒人罔極,構我二人。」(營營たる青蠅は,樊に止る。豈弟の君子,讒言を信ずること無れ。營營たる青蠅は,棘に止る。讒人は罔極,交ごも四國を亂る。營營たる青蠅は,榛に止る。讒人は罔極,我が二人を構う。

10 白雪 琵琶の名曲『陽春白雪』は十大古代名曲の一つとされ、琵琶大曲の代表作であり,其の特長は是れの綜合文化曲であり、武術曲の表現手法とが調和される演奏風格をもっているものである。十大古代名曲を列挙すると《高山流水》、《廣陵散》、《平沙落雁》、《梅花三弄》、《十面埋伏》、《夕陽簫鼓》、《漁樵問答》、《胡笳十八拍》、《漢宮秋月》和《陽春白雪》となるが、《陽春白雪》のように、他の楽器、歌と合奏されるものは少ない。

宋玉《對楚王問》「客有歌於郢中者、其為『陽春 白雪』是其曲彌高,其和彌寡。(客に郢中に歌う者有り、其れ『陽春白雪』を為す、是れ其の曲 彌よ高ければ,其の和 彌よ寡し。)とあるに基づく。

11 李白は求めがあれば詩を献ずると同時に、普段は翰林院に出仕して古い書類を調べ、政事妙理を学び、すこしでも心にかなうことがあれば、快心の笑みをもらす。勅命があれば出師表や外交文書の草案を起草し、国政の一部に参画した。しかし、夏が過ぎるころになると、次第に同僚との折り合いが悪くなってきた。

 李白は役所では新参者で、役所の仕来たりや狎れ合いの部分に通じていない。

 加えて李白は、そうした人間関係の細かい部分に気配りをするような性格の持ち主ではない。翰林院で小役人的仕事をする気はなかったのである。

 矜持、自信からくる傲慢不遜な態度も目立ち、秋口には李白の耳にも自分に対する悪口が聞こえ、いやになってくる様子がこの詩からも読み取れます。謝靈運の詩を、それも、謝靈運が官を辞して、国許に歸、前後の詩を引用しているからである。

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李白  翰林讀書言懷呈集賢諸學士 #2

本是疏散人,屢貽褊促誚。雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

功成謝人間,從此一投釣。

われは、固より疏散の人であるにも拘わらず、君の眷顧を得たるに因って、偏屈な急性な厄介の人物だといふ譏を度度受けた。今しも、秋に入り、大空は晴れ渡ってのどかなものであり、南、終南山、林壑は、遠眺するに宜しくのぞむのである。あるいは、清風の吹ききたるとき、ひとり欄下に倚って嘯くと、心は物外に馳せて、この世の苦艱をも忘れる位である。後漢の、巌光は桐盧渓に隠れ釣り三昧であったし、謝靈運は臨海の山頂に登って眺望を恣にしたというので、その逸輿、憶うべしである。われも亦た功成りし後は、人間の事を辞し、これより去って、専心に釣を投じ、全く此世の事を忘れたいと思っているのである。

李太白集 巻二三18

翰林讀書言懷呈集賢諸學士

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Index-23

743年天寶二年43歳 

94-85

404#2 <1000

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-85

卷別:  卷一八三         文體:        五言古詩

李太白集:巻二三18  

寫懐篇:寫とは、文字の通り、胸中の感懐を写し出したのである。

詩題:  翰林讀書言懷呈集賢諸學士【翰林讀書言懷呈集賢諸學士】

作地點:        目前尚無資料

及地點:        翰林院 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翰林   

桐廬江 (江南東道 睦州 桐廬) 別名:桐廬溪         

交遊人物/地點:

 

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

晨趨紫禁中,夕待金門詔。

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。

觀書散遺帙,探古窮至妙。

翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。

片言苟會心,掩卷忽而笑。

その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。

青蠅易相點,白雪難同調。

おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

#2

本是疏散人,屢貽褊促誚。

われは、固より疏散の人であるにも拘わらず、君の眷顧を得たるに因って、偏屈な急性な厄介の人物だといふ譏を度度受けた。

雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

今しも、秋に入り、大空は晴れ渡ってのどかなものであり、南、終南山、林壑は、遠眺するに宜しくのぞむのである。

或時清風來,閒倚欄下嘯。

あるいは、清風の吹ききたるとき、ひとり欄下に倚って嘯くと、心は物外に馳せて、この世の苦艱をも忘れる位である。

嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

後漢の、巌光は桐盧渓に隠れ釣り三昧であったし、謝靈運は臨海の山頂に登って眺望を恣にしたというので、その逸輿、憶うべしである。

功成謝人間,從此一投釣。

われも亦た功成りし後は、人間の事を辞し、これより去って、専心に釣を投じ、全く此世の事を忘れたいと思っているのである。

 

(翰林にて書を読みで懐を言い、集賢諸學士に呈す)

(翰林にて書を読みで懐を言ひ、集賢諸學士に呈す)#1

晨に紫禁の中を趨り,夕に金門の詔を待つ。

書を觀て遺帙を散じ,古を探って至妙を窮む。

片言 苟くも心に會すれば,卷を掩うて忽として笑う。

青蠅 相い點じ易く,白雪 同調し難し。

#2

本と是れ 疏散の人,屢ば 褊促の誚【そしり】を貽【のこ】す。

雲天 清朗に屬し,林壑 遊眺を憶う。

或時は 清風來り,閒には 欄下に倚りて嘯く。

嚴光は桐廬の溪に,謝客は臨海の嶠に。

功成りて 人間を謝し,此れ從り 一つに釣を投ぜん。

李白の足跡0000 

 

『翰林讀書言懷呈集賢諸學士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

本是疏散人,屢貽褊促誚。

雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。

嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

功成謝人間,從此一投釣。
詩文(含異文)

本是疏散人,屢貽褊促誚。雲天屬清朗,林壑憶遊眺。或時清風來,閒倚欄下嘯【閒倚簷下嘯】。嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間【功成謝人君】,從此一投釣
(下し文)
#2

本と是れ 疏散の人,屢ば 褊促の誚【そしり】を貽【のこ】す。

雲天 清朗に屬し,林壑 遊眺を憶う。

或時は 清風來り,閒には 欄下に倚りて嘯く。

嚴光は桐廬の溪に,謝客は臨海の嶠に。

功成りて 人間を謝し,此れ從り 一つに釣を投ぜん。

(現代語訳)
#2

われは、固より疏散の人であるにも拘わらず、君の眷顧を得たるに因って、偏屈な急性な厄介の人物だといふ譏を度度受けた。

今しも、秋に入り、大空は晴れ渡ってのどかなものであり、南、終南山、林壑は、遠眺するに宜しくのぞむのである。

あるいは、清風の吹ききたるとき、ひとり欄下に倚って嘯くと、心は物外に馳せて、この世の苦艱をも忘れる位である。

後漢の、巌光は桐盧渓に隠れ釣り三昧であったし、謝靈運は臨海の山頂に登って眺望を恣にしたというので、その逸輿、憶うべしである。

われも亦た功成りし後は、人間の事を辞し、これより去って、専心に釣を投じ、全く此世の事を忘れたいと思っているのである。


(訳注) #2

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #2

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

1【解説】 起首六句は、翰林に於て書を読みしこと、「青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。」四句は、兎角に小人から譏られること、「雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。」の四句は、秋時の光景、「嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間,從此一投釣。」の四句は、功成りし後、この世を辞したいという希望を述べたのである。蕭士贇は「これ太白心を寫すの作、これを観れば、前の效古の二首は概ね見るべし」とある。

 

李白は求めがあれば詩を献ずると同時に、普段は翰林院に出仕して古い書類を調べ、政事妙理を学び、すこしでも心にかなうことがあれば、快心の笑みをもらす。勅命があれば出師表や外交文書の草案を起草し、国政の一部に参画した。しかし、夏が過ぎるころになると、次第に同僚との折り合いが悪くなってきた。

 李白は役所では新参者で、役所の仕来たりや狎れ合いの部分に通じていない。

 加えて李白は、そうした人間関係の細かい部分に気配りをするような性格の持ち主ではない。翰林院で小役人的仕事をする気はなかったのである。

 矜持、自信からくる傲慢不遜な態度も目立ち、秋口には李白の耳にも自分に対する悪口が聞こえ、いやになってくる様子がこの詩からも読み取れます。謝靈運の詩を、それも、謝靈運が官を辞して、国許に歸、前後の詩を引用しているからである。。

 

本是疏散人,屢貽褊促誚。

われは、固より疏散の人であるにも拘わらず、君の眷顧を得たるに因って、偏屈な急性な厄介の人物だといふ譏を度度受けた。

疏散 (集中している人・物資を)幾つかに分ける,分散させる,疎開させる.放縦である,だらしがない.挙止が放縦である.(文章が)型にとらわれない.

褊促誚 偏屈な急性な厄介の人物というそしり。《莊子齊物論》:大知閑閑, 小知閒閒” 成玄英疏:閒閒, 分別也……小知狹劣之人, 性靈褊促, 有取有捨, 故閒隔而分別。”

 

雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

今しも、秋に入り、大空は晴れ渡ってのどかなものであり、南、終南山、林壑は、遠眺するに宜しくのぞむのである。

晴朗 空が晴れ渡ってのどかなさま。

遊眺 謝靈運が思ったように、遠い故郷をおもって、ぼんやりとながめるということ。

謝靈運. 《七里瀬》「羈心積秋晨,晨積展遊眺。 孤客傷逝湍,徒旅苦奔峭」(羈心【きしん】は秋晨【しゅうしん】に積り、晨に積りて遊眺【ゆうちょう】を展ばさんとす。孤客は逝湍【せいたん】を傷み、徒旅は奔峭【ほんしょう】に苦しむ。)旅情は秋の朝目覚めると心に積もるものであり、朝に愁いが積もっているとそぞろに眺めを遠く故郷にはせる。

孤独な旅人の私は、論語の于罕篇に見える「逝く川の早瀬の過ぎて返らぬ」のを見てすぎゆく時を悲しみ、旅人達は峭しい路に苦しむのであった。

七里瀬 #1 謝霊運<16> 詩集 376

 

或時清風來,閒倚欄下嘯。

あるいは、清風の吹ききたるとき、ひとり欄下に倚って嘯くと、心は物外に馳せて、この世の苦艱をも忘れる位である。

清風來 清風の吹ききたるとき。陰湿な、朝廷内の人間関係に対して嫌気をなしていることで、その対語としての意味を持つ。

 

嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

後漢の、巌光は桐盧渓に隠れ釣り三昧であったし、謝靈運は臨海の山頂に登って眺望を恣にしたというので、その逸輿、憶うべしである。

嚴光 嚴光は字を子陵といい,別名を遵という。会稽郡餘姚県(浙江省余姚市)の出身。若くして才名あり、のちの光武帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、長安に召し出された。宮中の作法に詳しい司徒の侯覇が厳光と親しかったが、厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけだった。それどころか自ら宿舎に足を運んで道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がその不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫議大夫に挙げられたがこれを断って富春山(浙江省富陽県)で農耕をして暮らし、その地で没する。光武帝はその死を悲しみ、厳光が亡くなった郡県に詔して銭百万と穀千斛を賜った。

厳光が釣りをしていた場所(桐盧県の南、富春江の湖畔)は「厳陵瀬」と名づけられた。釣臺は東西に一つずつあり、高さはそれぞれ数丈、その下には羊裘軒・客星館・招隠堂があった。北宋の政治家・范仲淹は厳光の祠堂を修復し、「厳先生祠堂記」を撰写しその中で「雲山蒼蒼、江水泱泱。先生之風、山高水長」と厳光の高尚な気風を賞賛した。

會稽餘姚人也。《後漢書》卷八十三〈逸民列傳·嚴光〉 嚴光字子陵,一名遵,會稽餘姚人也。少有高名,與光武同遊學。及光武即位,乃變名姓,隱身不見。帝思其賢,乃令以物色訪之。後齊國上言:「有一男子,披羊裘釣澤中。」帝疑其光,乃備安車玄纁,遣使聘之。

章懐太子 後漢書註 「嚴陵瀨相接有嚴山桐廬縣南有 嚴子陵漁釣處今山邊有石上平可坐十人臨水名/為嚴陵釣壇也」

桐廬溪 浙江省桐廬県の川で釣りをして過ごしたということ。謝靈運の《初往新安桐盧口》

初往新安桐盧口

絺綌雖凄其、授衣尚未至。感節自己深、懐古亦云思。

不有千里棹、孰申百代意。遠協尚子心、遙得許生計。

既及冷風善、又即秋水駛。江山共開曠、雲日相照媚。

景夕羣物清、封玩咸可憙。

(初めて新安の桐盧口に往く)

絺綌【ちげき】は凄其【せいき】と雄ども、衣を授けしに尚お未だ至らず。

節に感じて自から己に探し、古えを懐い 亦た思いを云う。

千里の棹 有らずんば、孰【たれ】か百代の意を申べん。

遠く尚子の心に協【かな】い、遙かに許生の計を得たり。

既に冷風の善なるに及び、又た秋水の駛するに即す。

江山 共に曠を開き、雲日は相い照らして媚ぶ。

景夕 群物 清し、玩に対し咸【み】な憙ぶ可し。

(初めて新安の桐盧口に往く。)

少し寒くなってきて、出発したときの服装が薄い葛の服であったので少し気になる。といっても冬用の着物にするというほどにはまだなっていない。

季節の変わりにはいろんなことが浮かんでくる。行く秋を思うことは昔の人が詩に歌っているし、自分も同じように思うことなのだ。

一気に千里進んでくれる舟棹などありはしないし、(この景色をみると)百の世代に受け継がれていく心を語ることもできはしない。

遠い昔の後漢の隠者、向長のことは私の助けになることだし、許詢のように隠遁してはかりごとをして過ごすということもあるかもしれない。

もうすっかり風が冷たくなってきて心地いいものだ。また同じように水の流れも秋を感じさせるものとなっている。

銭塘江の山々は色づき始めて広がってきている。雲や太陽の輝きはこれらのことに同調している。

夕方の景色はモノトーンになって万物を清らかなものにしてゆく、この自然の事象にもてあそばれることは誰も皆よろこぶべきことなのだ。

初往新安桐盧口 謝霊運<15>  詩集 378

 

謝客 南朝宋の山水詩人謝霊運

臨海嶠 臨海の高く鋭い山・嶠 高く鋭い山。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。

杪秋臨遠山,山遠行不近。

與子別山阿,含酸赴脩畛。

中流袂就判,欲去情不忍。

顧望脰未悁,汀曲舟已隱。

(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)

杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。

子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。

中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。

顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。

臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。

晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない

君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。

そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。

ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>1242

 

 

功成謝人間,從此一投釣。

われも亦た功成りし後は、人間の事を辞し、これより去って、専心に釣を投じ、全く此世の事を忘れたいと思っているのである。

 

長安付近図00 

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士【字解】  

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

1【解説】 起首六句は、翰林に於て書を読みしこと、「青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。」四句は、兎角に小人から譏られること、「雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。」の四句は、秋時の光景、「嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間,從此一投釣。」の四句は、功成りし後、この世を辞したいという希望を述べたのである。蕭士贇は「これ太白心を寫すの作、これを観れば、前の效古の二首は概ね見るべし」とある。

2 翰林/集賢/學士 唐書百官志開元十三年改麗正修書院為集賢殿書院五品以上為學士六品以下為直學士宰相一人為學士知院事常侍一人為副知院事又置判院一人押院中使一人𤣥宗常選耆儒、日一人侍讀、以質史籍疑義。至是、置集賢院侍讀學士、侍講直學士、其後、又增置修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官。

文學直之員、又云學士之職、本以文學言語被顧問、出入侍從、因得參謀議、納諫諍、其禮、尤寵、而、翰林院者待詔之所也。唐制、乗輿所在、必有文詞經學之士、下、至卜醫伎術之流、皆直於院、以備宴見、而、文書詔令則中書舍人掌之。自太宗時、名儒學士、時時召以草制。然、猶未有名號、乾封以後、始號北門學士。

𤣥宗初置翰林待詔以張陸堅張九齡等為之掌四方表疏批答應和文章。既而、又以中書務劇、文書多壅滯、乃選文學之士、號翰林供奉、與集賢院學士分掌制詔書勅。

開元二十六年、又改翰林供奉為學士、置學士院、專掌内命。凢拜免將相、號令征伐、皆用白麻。其後、選用益重而禮遇益親、至號為内相。又以為天子私人、凡充其職者、無定員、自諸曹尚書、下、至校書郎、皆得預選。

(「開元十三年、麗正修書院を改めて集賢殿書院と為し、五品以上を學と為し、士六品以下を直學士と為し、宰相一人を、學士知院事と為し、常侍一人を副知院事と為し、又 判院一人、押院中使一人を置く。𤣥宗 常に耆儒を選び、日に一人侍讀とし、以て史籍の疑義を質す。是に至りて、集賢院侍讀學士、侍講直學士を置き、其の後、又 修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官を增置す。

文學直の員、又 學士の職と云う、本と文學言語を以て顧問せらる、出入侍從、因って謀議に參し、諫諍を納るるを得、其ぼ禮、尤も寵、而して、翰林院は待詔の所なり。唐制、乗輿在るところ、必ず文詞經學の士有り、下、卜醫伎術の流に至って、皆 院にし、以て宴見に備う、而して、文書詔令は則ち中書舍人之を掌る。太宗の時より、名儒學士、時時召して以て制を草す。然れども、猶お未だ名號有らず、乾封以後、始めて北門學士と號す。

𤣥宗の初め、翰林待詔を置き、張、陸堅、張九齡等をて之を為し、四方の表疏批答應和の文章を掌る。既にして、又 中書務劇にして、文書壅滯多きを以て、乃ち文學の士を選び、翰林供奉と號し、與集賢院學士と制詔書勅とを分ち掌る。

開元二十六年、又 翰林供奉を改めて學士と為し、學士院を置く、專ら内命を掌る。凢そ將相を拜免する、征伐を號令す、皆白麻を用う。其の後、選用益ます重くして禮遇益ます親み、號して内相と為すに至る。又 以て天子の私人と為し、凡そ其の職を充る者は、定員無く、諸曹尚書より、下、校書郎に至るまで、皆 選に預るを得たり。」
3 翰林 宮廷学芸機関で、「ふで(翰)のはやし(林)の官庁」の意。唐の玄宗の開元年間(713741)に宮中に創置され、文人を出仕させたのに始まる。玄宗は文学,経学,書画,医薬などの専門家を宮中に出仕せしめてこれを待詔といい,その館を翰林院と称した。安史の乱後、天子の詔勅の執筆に携わったところから政治的発言権が強まり、長官の学士承旨は内相とよばれ、中・晩唐にかけて権力の一中心となり、李肇の『翰林志』以下の記録もつくられた。また院には書、画、音楽から囲碁などに及ぶ諸芸に秀でた人材を抱える伎術院を付設し、ここは宮廷文化センターの観を呈した。

4 集賢 唐代の官署。中書省に属し、典籍の編集・発行、散逸した図書の探索などを任務とした。

5 學士  中国で,翰林院の官。主に詔書の起草に当たった。唐・宋代には,ここから宰相となる者も多かった。翰林博士。翰林。 文章博士(もんじようはかせ)の唐名。翰林主人。翰林。

6 紫禁 謝荘の宋孝武宣貴妃の註に收華紫宮とあって、李善の註に「王者の宮、以て紫微に象る、故に宮中をいうて紫禁と爲す」とあり、李延濟の註に「紫禁は即ち紫宮、天子の居るところなり」とある。

7 金門 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

8 散遺帙 遺れる帙を解いて、書冊を取り出すこと。書帙をうち開くこと。また讀書することをさす。 (ちつ)とは、和本を包んで保存する装具の一種。

謝靈運《酬従弟謝惠連 五首その(2)》「淩澗尋我室,散帙問所知。」(澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんちつ】知れる所を問える。) そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。

9 窮至妙 至妙の玄理を研究する。

10 青蠅 くそばえ、あおばえ。白い布を汚し黑にし、黒い布を白にする。以て讒言人に比す。《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序に「《青蠅》,大夫刺幽王也。」(青蠅は大夫 幽王を刺るなり。)「 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。 營營青蠅,止于棘。讒人罔極,交亂四國。 營營青蠅,止于榛。讒人罔極,構我二人。」(營營たる青蠅は,樊に止る。豈弟の君子,讒言を信ずること無れ。營營たる青蠅は,棘に止る。讒人は罔極,交ごも四國を亂る。營營たる青蠅は,榛に止る。讒人は罔極,我が二人を構う。

10 白雪 琵琶の名曲『陽春白雪』は十大古代名曲の一つとされ、琵琶大曲の代表作であり,其の特長は是れの綜合文化曲であり、武術曲の表現手法とが調和される演奏風格をもっているものである。十大古代名曲を列挙すると《高山流水》、《廣陵散》、《平沙落雁》、《梅花三弄》、《十面埋伏》、《夕陽簫鼓》、《漁樵問答》、《胡笳十八拍》、《漢宮秋月》和《陽春白雪》となるが、《陽春白雪》のように、他の楽器、歌と合奏されるものは少ない。

宋玉《對楚王問》「客有歌於郢中者、其為『陽春 白雪』是其曲彌高,其和彌寡。(客に郢中に歌う者有り、其れ『陽春白雪』を為す、是れ其の曲 彌よ高ければ,其の和 彌よ寡し。)とあるに基づく。

743年(85)李太白集856卷23-32翰林讀書言懷呈集賢諸學士 ( 一本集賢后有院內二字)  404Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(85) Ⅰ李白詩1768 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7380

李白  翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

晨趨紫禁中,夕待金門詔。觀書散遺帙,探古窮至妙。

片言苟會心,掩卷忽而笑。青蠅易相點,白雪難同調。
(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

 

李太白集 巻二三18

翰林讀書言懷呈集賢諸學士

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7380

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-85

404 <1000

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-85

卷別:  卷一八三         文體:        五言古詩

李太白集:巻二三18  

寫懐篇:寫とは、文字の通り、胸中の感懐を写し出したのである。

詩題:  翰林讀書言懷呈集賢諸學士【翰林讀書言懷呈集賢諸學士】

作地點:        目前尚無資料

及地點:        翰林院 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翰林   

桐廬江 (江南東道 睦州 桐廬) 別名:桐廬溪         

交遊人物/地點:

 

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

晨趨紫禁中,夕待金門詔。

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。

觀書散遺帙,探古窮至妙。

翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。

片言苟會心,掩卷忽而笑。

その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。

青蠅易相點,白雪難同調。

おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

#2

本是疏散人,屢貽褊促誚。

雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。

嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

功成謝人間,從此一投釣。

 

(翰林にて書を読みで懐を言い、集賢諸學士に呈す)

(翰林にて書を読みで懐を言ひ、集賢諸學士に呈す)#1

晨に紫禁の中を趨り,夕に金門の詔を待つ。

書を觀て遺帙を散じ,古を探って至妙を窮む。

片言 苟くも心に會すれば,卷を掩うて忽として笑う。

青蠅 相い點じ易く,白雪 同調し難し。

#2

本と是れ 疏散の人,屢ば 褊促の誚【そしり】を貽【のこ】す。

雲天 清朗に屬し,林壑 遊眺を憶う。

或時は 清風來り,閒には 欄下に倚りて嘯く。

嚴光は桐廬の溪に,謝客は臨海の嶠に。

功成りて 人間を謝し,此れ從り 一つに釣を投ぜん。

 

大明宮の圖003 

『翰林讀書言懷呈集賢諸學士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

晨趨紫禁中,夕待金門詔。

觀書散遺帙,探古窮至妙。

片言苟會心,掩卷忽而笑。

青蠅易相點,白雪難同調。

(下し文)
(翰林にて書を読みで懐を言ひ、集賢諸學士に呈す)#1

晨に紫禁の中を趨り,夕に金門の詔を待つ。

書を觀て遺帙を散じ,古を探って至妙を窮む。

片言 苟くも心に會すれば,卷を掩うて忽として笑う。

青蠅 相い點じ易く,白雪 同調し難し。

(現代語訳)
翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。

翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。

その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。

おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

長安城図 作図00
(訳注)

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

1【解説】 起首六句は、翰林に於て書を読みしこと、「青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。」四句は、兎角に小人から譏られること、「雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。」の四句は、秋時の光景、「嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間,從此一投釣。」の四句は、功成りし後、この世を辞したいという希望を述べたのである。蕭士贇は「これ太白心を寫すの作、これを観れば、前の效古の二首は概ね見るべし」とある。

2 翰林/集賢/學士 唐書百官志開元十三年改麗正修書院為集賢殿書院五品以上為學士六品以下為直學士宰相一人為學士知院事常侍一人為副知院事又置判院一人押院中使一人𤣥宗常選耆儒、日一人侍讀、以質史籍疑義。至是、置集賢院侍讀學士、侍講直學士、其後、又增置修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官。

文學直之員、又云學士之職、本以文學言語被顧問、出入侍從、因得參謀議、納諫諍、其禮、尤寵、而、翰林院者待詔之所也。唐制、乗輿所在、必有文詞經學之士、下、至卜醫伎術之流、皆直於院、以備宴見、而、文書詔令則中書舍人掌之。自太宗時、名儒學士、時時召以草制。然、猶未有名號、乾封以後、始號北門學士。

𤣥宗初置翰林待詔以張陸堅張九齡等為之掌四方表疏批答應和文章。既而、又以中書務劇、文書多壅滯、乃選文學之士、號翰林供奉、與集賢院學士分掌制詔書勅。

開元二十六年、又改翰林供奉為學士、置學士院、專掌内命。凢拜免將相、號令征伐、皆用白麻。其後、選用益重而禮遇益親、至號為内相。又以為天子私人、凡充其職者、無定員、自諸曹尚書、下、至校書郎、皆得預選。

(「開元十三年、麗正修書院を改めて集賢殿書院と為し、五品以上を學と為し、士六品以下を直學士と為し、宰相一人を、學士知院事と為し、常侍一人を副知院事と為し、又 判院一人、押院中使一人を置く。𤣥宗 常に耆儒を選び、日に一人侍讀とし、以て史籍の疑義を質す。是に至りて、集賢院侍讀學士、侍講直學士を置き、其の後、又 修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官を增置す。

文學直の員、又 學士の職と云う、本と文學言語を以て顧問せらる、出入侍從、因って謀議に參し、諫諍を納るるを得、其ぼ禮、尤も寵、而して、翰林院は待詔の所なり。唐制、乗輿在るところ、必ず文詞經學の士有り、下、卜醫伎術の流に至って、皆 院にし、以て宴見に備う、而して、文書詔令は則ち中書舍人之を掌る。太宗の時より、名儒學士、時時召して以て制を草す。然れども、猶お未だ名號有らず、乾封以後、始めて北門學士と號す。

𤣥宗の初め、翰林待詔を置き、張、陸堅、張九齡等をて之を為し、四方の表疏批答應和の文章を掌る。既にして、又 中書務劇にして、文書壅滯多きを以て、乃ち文學の士を選び、翰林供奉と號し、與集賢院學士と制詔書勅とを分ち掌る。

開元二十六年、又 翰林供奉を改めて學士と為し、學士院を置く、專ら内命を掌る。凢そ將相を拜免する、征伐を號令す、皆白麻を用う。其の後、選用益ます重くして禮遇益ます親み、號して内相と為すに至る。又 以て天子の私人と為し、凡そ其の職を充る者は、定員無く、諸曹尚書より、下、校書郎に至るまで、皆 選に預るを得たり。」
3 翰林 宮廷学芸機関で、「ふで(翰)のはやし(林)の官庁」の意。唐の玄宗の開元年間(713741)に宮中に創置され、文人を出仕させたのに始まる。玄宗は文学,経学,書画,医薬などの専門家を宮中に出仕せしめてこれを待詔といい,その館を翰林院と称した。安史の乱後、天子の詔勅の執筆に携わったところから政治的発言権が強まり、長官の学士承旨は内相とよばれ、中・晩唐にかけて権力の一中心となり、李肇の『翰林志』以下の記録もつくられた。また院には書、画、音楽から囲碁などに及ぶ諸芸に秀でた人材を抱える伎術院を付設し、ここは宮廷文化センターの観を呈した。

4 集賢 唐代の官署。中書省に属し、典籍の編集・発行、散逸した図書の探索などを任務とした。

5 學士  中国で,翰林院の官。主に詔書の起草に当たった。唐・宋代には,ここから宰相となる者も多かった。翰林博士。翰林。 文章博士(もんじようはかせ)の唐名。翰林主人。翰林。

 

晨趨紫禁中,夕待金門詔。

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。

6 紫禁 謝荘の宋孝武宣貴妃の註に收華紫宮とあって、李善の註に「王者の宮、以て紫微に象る、故に宮中をいうて紫禁と爲す」とあり、李延濟の註に「紫禁は即ち紫宮、天子の居るところなり」とある。

7 金門 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

 

觀書散遺帙,探古窮至妙。

翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。

8 散遺帙 遺れる帙を解いて、書冊を取り出すこと。書帙をうち開くこと。また讀書することをさす。 (ちつ)とは、和本を包んで保存する装具の一種。

謝靈運《酬従弟謝惠連 五首その(2)》「淩澗尋我室,散帙問所知。」(澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんちつ】知れる所を問える。) そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。

9 窮至妙 至妙の玄理を研究する。

 

片言苟會心,掩卷忽而笑。

その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。

 

青蠅易相點,白雪難同調。

おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

10 青蠅 くそばえ、あおばえ。白い布を汚し黑にし、黒い布を白にする。以て讒言人に比す。《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序に「《青蠅》,大夫刺幽王也。」(青蠅は大夫 幽王を刺るなり。)「 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。 營營青蠅,止于棘。讒人罔極,交亂四國。 營營青蠅,止于榛。讒人罔極,構我二人。」(營營たる青蠅は,樊に止る。豈弟の君子,讒言を信ずること無れ。營營たる青蠅は,棘に止る。讒人は罔極,交ごも四國を亂る。營營たる青蠅は,榛に止る。讒人は罔極,我が二人を構う。

10 白雪 琵琶の名曲『陽春白雪』は十大古代名曲の一つとされ、琵琶大曲の代表作であり,其の特長は是れの綜合文化曲であり、武術曲の表現手法とが調和される演奏風格をもっているものである。十大古代名曲を列挙すると《高山流水》、《廣陵散》、《平沙落雁》、《梅花三弄》、《十面埋伏》、《夕陽簫鼓》、《漁樵問答》、《胡笳十八拍》、《漢宮秋月》和《陽春白雪》となるが、《陽春白雪》のように、他の楽器、歌と合奏されるものは少ない。

宋玉《對楚王問》「客有歌於郢中者、其為『陽春 白雪』是其曲彌高,其和彌寡。(客に郢中に歌う者有り、其れ『陽春白雪』を為す、是れ其の曲 彌よ高ければ,其の和 彌よ寡し。)とあるに基づく。
楊貴妃清華池002 

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李白  感遇,四首之四

宋玉事楚王,立身本高潔。巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

舉國莫能和,巴人皆卷舌。一感登徒言,恩情遂中

その時に感じ、思ったこと、その四(宋玉と楚王の問答、高唐賦、や登徒子好色賦などを例にとり、朝廷、後宮に讒言により天子の寵愛を断たれて浮ばれないものが多くいることを述べる。)

宋玉は、楚王に仕え、その身を立つること、極めて高潔にして、醜行などは、少しもなかった。ある時、王に従って、高唐に遊び、巫山神女の事に感じて、「朝雲暮雨」を言う高唐賦をつくり、又、都、郢中に於て白雪を歌ったが、曲いよいよ高ければ、これを解するものなく、楚國をあげて、これに和することができず、賤しい曲のみを唱へて居た巴人は、これがために、舌をまいたというのである。しかも、楚王は、一つに登徒子の言に惑はされ、宋玉を以て色を好むものとなし、さしもの寵遇も、俄に中絶して仕舞ったのは、まことに気の毒千萬な事である。

李太白集巻二三31

感遇,四首之四

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7375

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-84

403 <1000

 

 
  2016年2月22日 の紀頌之5つのBlog  
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年:*750年天寶九年50

卷別:  卷一八三        文體:  五言古詩

詩題:  感遇,四首之一

作地點:        目前尚無資料

及地點:       

交遊人物/地點:

詩文:

 

感遇,四首之一

吾愛王子晉,得道伊洛濱。金骨既不毀,玉顏長自春。

可憐浮丘公,猗靡與情親。舉首白日間,分明謝時人。

二仙去已遠,夢想空殷勤。

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之二

作地點:              目前尚無資料

寫及地點:無

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

 

(感遇,四首の二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。

 

年:743年天寶二年43

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之三

(後宮において、少しの老化が寵愛を失うこととなるため、必死で若さを保つ努力を行う、姮娥伝説を題材にして妃賓の心持を詠ったものである。)

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。

聞けば、むかし、姮娥という女があって、不死の仙薬を竊んで、いつまでも雲なす髪を駐めんとしたのである。

不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

そして、自ら玉顔を嬌なりとせず、骨を錬って、不老不死の金丹を作ることをこいねがったのである。

飛去身莫返,含笑坐明月。

かつて、ひとたび、この塵界を飛び去った後は、決して歸ることなく、笑を含んで明月の中に坐し、即ち月精と成って仕舞った。

紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

美美しき宮闕に妃嬪宮女どもは、蛾眉の艶を誇るも、やがて老死を免れず、手に随って凋歇するばかりで、まことに傷むべきことである。

(感遇,四首の三)

昔 余 聞く 姮娥,竊藥をんで 雲髮を駐む。

自ら玉顏を嬌なりとせず,方に金骨を鍊らんことを希【こいねが】う。

飛び去って 身 返る莫く,笑を含んで明月に坐す。

紫宮 蛾眉に誇り,手に隨って會【たまた】ま凋歇す。

 

年:743年天寶二年43

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之四

その時に感じ、思ったこと、その四(宋玉と楚王の問答、高唐賦、や登徒子好色賦などを例にとり、朝廷、後宮に讒言により天子の寵愛を断たれて浮ばれないものが多くいることを述べる。)

宋玉事楚王,立身本高潔。

宋玉は、楚王に仕え、その身を立つること、極めて高潔にして、醜行などは、少しもなかった。

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

ある時、王に従って、高唐に遊び、巫山神女の事に感じて、「朝雲暮雨」を言う高唐賦をつくり、又、都、郢中に於て白雪を歌ったが、

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

曲いよいよ高ければ、これを解するものなく、楚國をあげて、これに和することができず、賤しい曲のみを唱へて居た巴人は、これがために、舌をまいたというのである。

一感登徒言,恩情遂中

しかも、楚王は、一つに登徒子の言に惑はされ、宋玉を以て色を好むものとなし、さしもの寵遇も、俄に中絶して仕舞ったのは、まことに気の毒千萬な事である。

 

(感遇,四首の四)

宋玉 楚王に事【つか】え,身を立つるは、本と 高潔なり。

巫山 綵雲を賦し,郢路 白雪を歌う。

國を舉ぐるは 能く和すること莫く,巴人 皆 舌を卷く。

一に登徒の言を感ずれば,恩情 遂に 中す。

 

 

『感遇,四首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

感遇,四首之四

宋玉事楚王,立身本高潔。

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

一感登徒言,恩情遂中

(下し文)
(感遇,四首の四)

宋玉 楚王に事【つか】え,身を立つるは、本と 高潔なり。

巫山 綵雲を賦し,郢路 白雪を歌う。

國を舉ぐるは 能く和すること莫く,巴人 皆 舌を卷く。

一に登徒の言を感ずれば,恩情 遂に 中

(現代語訳)
感遇,四首之四 その時に感じ、思ったこと、その四(宋玉と楚王の問答、高唐賦、や登徒子好色賦などを例にとり、朝廷、後宮に讒言により天子の寵愛を断たれて浮ばれないものが多くいることを述べる。)

宋玉は、楚王に仕え、その身を立つること、極めて高潔にして、醜行などは、少しもなかった。

ある時、王に従って、高唐に遊び、巫山神女の事に感じて、「朝雲暮雨」を言う高唐賦をつくり、又、都、郢中に於て白雪を歌ったが、

曲いよいよ高ければ、これを解するものなく、楚國をあげて、これに和することができず、賤しい曲のみを唱へて居た巴人は、これがために、舌をまいたというのである。

しかも、楚王は、一つに登徒子の言に惑はされ、宋玉を以て色を好むものとなし、さしもの寵遇も、俄に中絶して仕舞ったのは、まことに気の毒千萬な事である。


(訳注)

感遇,四首之四

その時に感じ、思ったこと、その四(宋玉と楚王の問答、高唐賦、や登徒子好色賦などを例にとり、朝廷、後宮に讒言により天子の寵愛を断たれて浮ばれないものが多くいることを述べる。)

9 解説 蕭士贇は「太白の此篇、宋玉の事を借り、以て己の意を申ぶるなり」といい、即ち宋玉を以て自ら此し、楚王を以て玄宗に擬し、登徒を以て高力士一輩の徒にあてたのである。但し、郢中に白雪を歌ったのは、封楚王問に客とあって、宋玉自身ではなく、又楚王は登徒の言を聞いても、宋玉に対する恩情が全然中絶したわけでもない。これ等は事実に合はぬ嫌があるが、両者ともに寓言であるから、さばかり厳重に批判するにも及ばないと思われる。

 

宋玉事楚王,立身本高潔。

宋玉は、楚王に仕え、その身を立つること、極めて高潔にして、醜行などは、少しもなかった。

10 宋玉・・・・本高潔 戦国時代末期の文学者。屈原の弟子とされる。屈原にならって主として辞賦作品を作ったが,その批判精神は受け継げず,主君の好悪のままに作品を作る宮廷作家の最も早い例ともされる。宋玉の作品として,《文選》には〈風の賦〉〈高唐の賦〉〈神女の賦〉〈登徒子好色の賦〉など,《楚辞章句》には〈九弁〉〈招魂〉などが収められるほか,《古文苑》にも幾編かの宋玉作と称する作品が収められている。しかし彼の伝記に確実なよりどころのないこととあわせて,それぞれの作品の来歴にも多くの問題のあることが指摘されている。

 

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

ある時、王に従って、高唐に遊び、巫山神女の事に感じて、「朝雲暮雨」を言う高唐賦をつくり、又、都、郢中に於て白雪を歌ったが、

11 巫山賦綵雲 楚の嚢王が詩人の宋玉をつれて、雲夢の丘に遊び、高唐という物見台から景色を眺めた。すると、その上に雲気が立ちこめ、高くまっすぐ上ったかと思うと、たちまち形をかえた。しばらくの間に、千変万化する。襄王がたずねた、「これは何か」。宋玉がこたえた、「いわゆる朝雲です」。「朝雲とは何か」。宋玉が説明した。

「昔先代の王さまがやはりこの高唐に遊びにきて、昼寝をされた。夢の中に一人の女が現われて言った。『わたしは巫山の女です。高唐へ遊びにきましたが、殿様もまた高唐に遊びに来られたことを聞きました。どうか、おそばに侍らせて下さいませ。』 王はお可愛がりになった。去るとき女が言った。「わたしは巫山の南の高い山の峰に住んでいますが、朝には雲となり、碁には雨となり、毎朝毎晩、南の丘の下へ行きます」。翌朝、行ってみると、果して女の言うとおりだったので、そこに社を建てて朝雲と呼んだ。興味をおぼえた嚢王は、朝雲についてその様子をききただす。宋玉は委細をつくして朝雲暮雨を歌いあげる。その話は、宋玉の「高唐の賦」にくわしい。ただし、ふつうの伝説では、夢のなかで巫山の女神と交わったのは、嚢王その人となっている。 

12 郢路歌白雪 陽春白雪』の曲は高尚な歌である。巫山の巴人、楚の人は、高尚な歌の意味を解すものが少なく、下世話、卑猥なものを多く歌い、理解しなかったことを言う。白雪:琵琶の名曲『陽春白雪』は十大古代名曲の一つとされ、琵琶大曲の代表作であり,其の特長は是れの綜合文化曲であり、武術曲の表現手法とが調和される演奏風格をもっているものである。十大古代名曲を列挙すると《高山流水》、《廣陵散》、《平沙落雁》、《梅花三弄》、《十面埋伏》、《夕陽簫鼓》、《漁樵問答》、《胡笳十八拍》、《漢宮秋月》和《陽春白雪》となるが、《陽春白雪》のように、他の楽器、歌と合奏されるものは少ない。

宋玉《對楚王問》「客有歌於郢中者、其為『陽春 白雪』是其曲彌高,其和彌寡。(客に郢中に歌う者有り、其れ『陽春白雪』を為す、是れ其の曲 彌よ高ければ,其の和 彌よ寡し。)とあるに基づく。

 

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

曲いよいよ高ければ、これを解するものなく、楚國をあげて、これに和することができず、賤しい曲のみを唱へて居た巴人は、これがために、舌をまいたというのである。

舉國莫能和 歌の内容と演奏がむつかしい曲、即ち、高尚な曲であれば、楚の國中探してもこれに唱和し、演奏するものが少ないという意。

 

一感登徒言,恩情遂中

しかも、楚王は、一つに登徒子の言に惑はされ、宋玉を以て色を好むものとなし、さしもの寵遇も、俄に中絶して仕舞ったのは、まことに気の毒千萬な事である。

13 登徒言 『文選』巻19に載る「登徒子好色賦」に記されているよく知られた逸話で、美男として有名な中国の文人・宋玉が「自分は決して好色ではない、隣に住んでいた国一番の美女が牆(かき)からその姿を見せ、3年間のぞき込まれ誘惑され続けたが心を動かした事は一度も無かった、私のことを好色と称する登徒子(とうとし)こそ好色である」と王の前で反論した故事(宋玉東牆)をいう。

李白 302 《卷23-43詠鄰女東窗海石榴》

魯女東窗下,海榴世所稀。珊瑚映綠水,未足比光輝。

清香隨風發,落日好鳥歸。願為東南枝,低舉拂羅衣。

無由共攀折,引領望金扉。

(鄰女東窗の海石榴を詠ず)

魯女 東窗の下,海榴 世の稀なる所。珊瑚 綠水に映じ,未だ光輝を比する足らず。

清香 風に隨って發し,落日 好鳥歸る。願わくば 東南の枝と為り,低く舉って 羅衣を拂わん。

共に攀折する由無く,領を引いて 金扉を望む。

(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。

サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。

そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。

我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。

何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。

302 《卷23-43詠鄰女東窗海石榴》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <302> Ⅰ李白詩1590 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6498

14 恩情遂中 恩情中道恩情 中道に絶えんことを帝王の寵愛が途中で絶えてしまう


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743年(83)李太白集854卷23-30 《感遇四首其三》  402Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(83) Ⅰ李白詩1766 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7370

李白  感遇,四首之三

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

飛去身莫返,含笑坐明月。紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

(後宮において、少しの老化が寵愛を失うこととなるため、必死で若さを保つ努力を行う、姮娥伝説を題材にして妃賓の心持を詠ったものである。)

聞けば、むかし、姮娥という女があって、不死の仙薬を竊んで、いつまでも雲なす髪を駐めんとしたのである。そして、自ら玉顔を嬌なりとせず、骨を錬って、不老不死の金丹を作ることをこいねがったのである。かつて、ひとたび、この塵界を飛び去った後は、決して歸ることなく、笑を含んで明月の中に坐し、即ち月精と成って仕舞った。美美しき宮闕に妃嬪宮女どもは、蛾眉の艶を誇るも、やがて老死を免れず、手に随って凋歇するばかりで、まことに傷むべきことである。

李太白集巻二三30

感遇,四首之三

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Index-23

743年天寶二年43歳 

94-83

402 <1000

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(83)李太白集854卷23-30 《感遇四首其三》  402Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(83) Ⅰ李白詩1766 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7370  
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