李白 東武吟 #4
一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 才力猶可倚,不慚世上雄。
閑作東武吟,曲盡情未終。 書此謝知己,吾尋黃綺翁。
しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。
李太白集巻四36-#4 |
東 武 吟 |
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Index-24 744年天寶三年44歳 56首-(14)-#4 |
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公
〕 (好古笑流俗,)
Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-15【56首】
作時年: |
744年 |
天寶三年 |
44歲 |
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全唐詩卷別: |
卷164_39 |
文體: |
樂府 |
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李太白集 |
巻四36 -#4 |
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詩題: |
東武吟 |
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序文 |
出東門后書懷留別翰林諸公 |
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作地點: |
長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城 |
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及地點: |
新豐 |
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甘泉宮 |
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咸陽 |
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交遊人物: |
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卷164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1
東武吟
(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)
好古笑流俗,素聞賢達風。
わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。
方希佐明主,長揖辭成功。
自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。
白日在高天,回光燭微躬。
天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。
恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。
かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。
#2
清切紫霄迥,優遊丹禁通。
清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。
君王賜顏色,聲價淩煙虹。
君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。
乘輿擁翠蓋,扈從金城東。
やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。
寶馬麗絕景,錦衣入新豐。
その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。
#3
依岩望松雪,對酒鳴絲桐。
やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。
因學揚子雲,獻賦甘泉宮。
やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。
天書美片善,清芬播無窮。
その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。
歸來入咸陽,談笑皆王公。
それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。
#4
一朝去金馬,飄落成飛蓬。
賓客日疏散,玉樽亦已空。
才力猶可倚,不慚世上雄。
閑作東武吟,曲盡情未終。
書此謝知己,吾尋黃綺翁。
しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。
賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。
そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。
だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。
今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。
(東武吟)
古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。
白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。
#2
清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。
輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 絕景麗かに,錦衣新豐に入る。
#3
岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。
天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。
#4
一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。
才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。
此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。
『東武吟』現代語訳と訳註解説
(本文)
#4
一朝去金馬,飄落成飛蓬。
賓客日疏散,玉樽亦已空。
才力猶可倚,不慚世上雄。
閑作東武吟,曲盡情未終。
書此謝知己,吾尋黃綺翁。
(下し文)
#4
一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。
才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。
此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。
(現代語訳)
#4
しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。
賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。
そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。
だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。
今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。
東武吟
(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)
1 詩題 「出金門後、書懐、留别翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。
一朝去金馬,飄落成飛蓬。
しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。
賓客日疏散,玉樽亦已空。
賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。
才力猶可倚,不慚世上雄。
そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。
閑作東武吟,曲盡情未終。
だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。
書此謝知己,吾尋黃綺翁。
今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。
21 黃綺翁 夏黃公、綺里季のことで、商山の四皓の二人を言う。東園公・綺里季・夏黄公・甪里【ろくり】先生の四人の隠士。みな鬚眉【しゅび】が皓白の老人であったのでいう。
東武吟 |
一作出金門後書懐留别翰林諸公東樂/府詩集古今樂録曰王僧䖍技録有 武吟行今不歌樂府觧題曰鮑照云主人且勿諠沈/約云天徳深且廣傷時移事異榮華徂謝也 |
左思齊都賦註云東武太山皆齊之土風絃歌謳吟之/曲名也通典曰漢有東武郡今高宻諸城縣是也 |
元和郡縣志宻州諸城縣即漢東武縣也属琅邪/郡樂府章所謂東武吟者也海録碎事東武吟樂府詩人有少壮從征伐年老被棄/逰於東武者不敢論功但戀君耳 |
好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 |
白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 |
#2 |
清切紫霄迥,優游丹禁通。君王賜顔色、聲價凌烟虹。 |
乗輿擁翠盖、扈從金城東。寳馬麗絕景、錦衣入新豐。 |
#3 |
依繆本/作倚巖望松雪、對酒鳴絲桐。因學揚子雲、獻賦甘泉宫。 |
天書美片善、清芬播無窮。歸來入咸陽、談笑皆王公。許本誤失/去此二句 |
#4 |
一朝去金馬、飄落成飛蓬。賔客繆本/作友日疎散、玉樽亦已。 |
才力猶可倚、一作/恃不慙世上雄。閒作東武吟、曲盡情未終。 |
書此謝知已、吾尋黄綺翁。一作扁舟尋釣翁達劉/峻廣絶交論斯賢 之 |
素交沈約詩便欲息微躬漢書恭承嘉惠兮顔師古註/恭敬也. 十六國春秋石虎在臺上有詔書以五色紙著 |
鳯凰 口中鳯既銜詔侍 人放數百丈緋䋲轆轤迴轉状/若飛翔飛下端門鳯以木作之五色文身脚皆用金 |
《宋書》殷淳居黄門為清切魏書對九重之清切望八襲之/峥嶸。 梁簡文帝圍城賦升紫霄之丹地排玉殿之金扉 |
《隋書》分司丹禁侍衛左右上官儀詩清切丹禁。 静顔之/推詩楚王賜顔色出入章華裏鮑照詩輝石亂烟虹賈 |
誼新書 天子車曰乗輿 《淮南子》建翠盖髙誘註 翠盖以/翠鳥羽飾葢也。 上林賦扈從横行出乎四校之中 晉灼註扈大也。 |
封氏聞見記 百官從駕謂之扈從葢臣下侍/從至尊各供所職猶僕御扈養以從上故謂之扈從耳 |
《上林賦》云扈從横行 顔監釋云謂扈從縱恣而行也。 據/顔此觧乃讀從為放縱不取行從之義所未詳也石林 |
燕語從駕謂之扈從始 司馬相如《上林賦》晉灼以扈為/大張揖謂跋扈縱横不安鹵簿 故顔師古因之亦以為 |
跋扈恣縱而行果爾從葢作去聲侍天子而言跋扈可/乎唐封演以為扈從以從猶之僕御此或近之 |
張協詩 朱軒耀金城 劉良註金城長安城也。 史記 中廐之寳馬/臣得賜之 水經註 魏武與張繡戰於宛馬名絶景為流矢所中 |
舊唐書 京兆府、有昭應縣、本隋之新豐縣治古/新豐城北、天寳三載、分新豐萬年置㑹昌縣七載省新豐縣改㑹昌為昭應治 |
温泉宫之西北琦按自乗輿擁/翠葢而下 是指其侍從温泉宮而言宫在新豐縣之驪山下正直 |
唐京師之東太白入朝、在天寳二三載、是時/新豐尚未省也。顔延年詩 倚巖聴緒風、又曰庭昏見野隂山明望松雪 |
漢書 揚雄待、詔承明之庭正月、從上甘泉、還奏甘泉賦、以風桓譚新論、揚子雲從成帝祠甘泉 |
詔雄作 賦思精苦困倦小卧夢五臟出外以手收而納/之及覺病喘悸少氣王筠詩自知心所 愛獻賦甘泉宫 |
鮑照詩 片善辭革萊 漢書 公孫𢎞拜為博士待詔金馬/門 曹植詩 玉樽盈桂酒夏黄公綺里季事見 四巻註 歘音旭又音忽 |