李白  沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る) 髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。

李太白集 巻五17

沐 浴 子

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Index-24  744年天寶三年44歳 56-15

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Index-24-3 744年天寶三年44-1756首】

作時年:

744年天寶三年

天寶三年

44

全唐詩卷別:

165_16

文體:

樂府

李太白集 

巻五17

 

 

詩題:

沐浴子

 士贇曰樂府遺聲遊俠二十一曲有沐浴子

作地點:

及地點:

 

  

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

-377-184巻五17 沐浴子  (沐芳莫彈冠,) 

165_16 《沐浴子》李白 

沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

處世忌太潔,至人貴藏暉。 

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。 

 

沐浴子

芳に沐するも 冠を彈ずる莫れ,蘭に浴するも衣を振う莫れ。

世に處するには 太潔を忌み,至人は 暉を藏するを貴ぶ。

滄浪に釣叟有り,吾と爾とは 歸を同じゅうせん。

『沐浴子』現代語訳と訳註解説
(
本文)

沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

處世忌太潔,至人貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

(下し文)
沐浴子

芳に沐するも 冠を彈ずる莫れ,蘭に浴するも衣を振う莫れ。

世に處するには 太潔を忌み,至人は 暉を藏するを貴ぶ。

滄浪に釣叟有り,吾と爾とは 歸を同じゅうせん。

(現代語訳)
沐浴子屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る

髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。

すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。

つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。


(訳注) 

沐浴子

屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る

1 沐浴子は、楽府の古題、樂府遺聲、遊俠二十一曲に沐浴子が有るのであるが、李白は、沐浴といふところから、屈原の漁父篇を翻案して、此の詩を作ったのである。漁父の篇には、「新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。」(新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。)の数句がある。然るに、漁父は、これを聞いて一笑し、「浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。」(浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。)と歌って立ち去ったというので、これ等をことごとく篇中に取り込んで居る。

 

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。

2 沐 髪を洗う。

 

處世忌太潔,至人貴藏暉。 

すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。

3 太潔 非常に潔白なること。

4 至人 道の極みに達した人。

5 暉 光彩を放つこと。

 

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。 

つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。

6 滄浪 仙界へ続く海原。滄浪とは長江の支流漢水のことであり、楚を流れる川である。

7 釣叟 屈原の楚辞《漁父》篇に見える隠遁者。同じような内容の詩が、孟子のなかにも童謡として出てくる。あるいは楚国の民謡であったのかもしれない。『孟子・離婁上』に出ており、それについて孔子と問答をしている。『孟子』の内容は次の通り:「孟子曰:…有孺子歌曰:『滄浪之水淸兮,可以濯我纓。滄浪之水濁兮,可以濯我足。』孔子曰:『小子聽之。淸斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』…。」このことからも分かるとおり、漁父の「滄浪之水淸兮…」の部分は『孟子』成立時には既に歌われていたことが分かる。この『楚辭』・漁父の辞賦は古歌に基づいて編輯されているのだろう。

漁父

屈原既放、游於江潭、行吟沢畔。顔色憔悴、形容枯槁。

漁父見而問之曰 「子非三閭大夫与。何故至於斯。」

屈原曰 「挙世皆濁、我独清。衆人皆酔、我独醒。是以見放。」

漁父曰 「聖人不三凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」

屈原曰 「吾聞之、『新沐者必弾冠、新浴者必振衣。』安能以身之察察、受物之汶汶者乎。寧赴湘流、葬於江魚之腹中、安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎。」

漁父莞爾而笑、鼓枻而去。乃歌曰、

滄浪之水清兮 、可以吾纓。

滄浪之水濁兮 、可以濯吾足。

遂去、不復与言。

屈原既に放たれて、江潭に游び、行ゆく沢畔に吟ず。顔色憔悴し、形容枯槁せり。

漁父見て之に問うて曰はく、 「子は三閭大夫に非ずや。何の故に斯こに至れる」と。

屈原曰はく、 「世を挙げて皆濁れるに、我独り清めり。衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たれたり」と。

漁父曰はく、 「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。世人皆濁らば、何ぞ其の泥を淈して、其の波を揚げざる。衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を餔ひて、其の釃を歠らざる。何の故に深く思ひ高く挙がりて、自ら放たしむるを為すや」と。

屈原曰はく、「吾之を聞けり。『新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るふ』と。安くんぞ能く身の察察たるを以つて、物の汶汶たる者を受けんや。寧ろ湘流に赴きて江魚の腹中に葬らるとも、安くんぞ能く晧晧の白きを以つてして、世俗の塵埃を蒙らんや」と。

漁父莞爾として笑ひ、枻を鼓して去る。乃ち歌つて曰はく、

滄浪の水清まば、以つて吾が纓(えい)を濯ふべし。

滄浪の水濁らば、以つて吾が足を濯ふべしと。

 

 

 

   沐浴子

士贇曰樂府遺聲遊俠/二十一曲有沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人貴藏暉。/

曰屈原曰、新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。 

 五臣曰察察潔白也汶音問垢

/滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

士贇曰滄浪釣叟即屈原/詞所謂漁父者此詩全櫽括漁父詞之意前詩含光混世貴無名何用孤/髙比雲月亦此意也其太白涉難後之辭乎

 

 

  沐浴子

  胡震亨曰沐浴子梁陳間曲也古辭澡身/經蘭氾濯髮傃芳洲太白擬作專用楚詞漁父/

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人一作/貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

楚詞漁父篇屈原既放遊/於江潭行吟澤畔顔色憔悴形容枯槁漁父見而問之曰子非三閭大夫歟何故/至於斯屈原曰舉世皆濁而我獨清衆人皆醉而我獨

醒是以見放漁父曰夫聖人者不凝滯於物而能與世/推移舉世皆濁何不淈其泥而揚其波衆人皆醉何不

餔其糟而歠其醨何故懐瑾握瑜而自令見放為屈原/曰吾聞之新沐者必彈冠新浴者必振衣安能以身之

察察受物之汶汶者乎赴湘流𦵏於江魚之腹中又/安能以皎皎之白而世俗之塵埃乎漁父莞爾而

鼓枻而去歌曰、滄浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。遂去不復與言、又雲中君篇浴蘭湯兮沐/