漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

2016年05月

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

744年年44歳-19李太白集305巻八19 贈薛校書  433 Index-24 Ⅲ-3Ⅰ李白詩1809 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

李白  贈薛校書

我有趨曲、無人知此音。 姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。 舉手謝東海、虛行歸故林。
(薛校書郎に贈る)

われの歌う曲の中でいいと思うものの中に呉趨曲があるが、朝廷のなかでその音を知って居る人は無い。むかし、呉王夫差が栄華を誇った姑蘇台も、その國亡びし後は、唯だ草が繁って居るばかりで、そこへ遊びにくる糜鹿は、悲しげな聲を出して啼いて居るので、徒に庭に蔓草を生ずだけで、懐古の想を起さしめる。枚乗が《七發》で詠った廣陵の怒涛の潮は、天下の壮観であると聞いて居るが、まだ之を観ていない故、誇るに足るべき觀濤の作ができていないし、見ていないうちに六鰲を釣り上げようというような、心を言っても空しいだけである。そこで、手を拳げ、あの東海に挨拶し、虚空を歩みして、これから、しばらく故山へ歸ろうと思うので、暇乞の代りに、この詩を君に呈するのである。

李太白集 卷八19

贈 薛 校 書

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

        
 2016年11月1日の紀頌之5つの校注Blog 
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 744年天寶三年44-1956首】

-381-305巻八19 贈薛校書  (我有越曲,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八15 

文體:

五言古詩

李太白集 

19

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九19

詩題:

贈薛校書  (我有越曲,) 

序文

作地點:

未詳

及地點:

姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺

 

交遊人物:

薛校書    書信往來

 

 

 

 

  卷168_15 《贈薛校書》李白 

我有吳趨越)曲,無人知此音。

姑蘇成蔓草,麋鹿空悲吟。 

未誇觀濤作,空鬱釣鼇心。

舉手謝東海,虛行歸故林。 

 

贈薛校書(卷九19(一)六一九)

我有吳趨越)曲,無人知此音。

姑蘇成蔓草,糜鹿空悲吟。

未誇觀濤作,空鬱釣鼇心。

舉手謝東海,虛行歸故林。

 

305卷八-19 贈薛校書  (中)40

我有呉曲、無人知此音。

姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。

舉手謝東海、虛行歸故林。

 

贈薛校書

我有趨曲、無人知此音。

姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。

舉手謝東海、虛行歸故林。

(薛校書郎に贈る)

われの歌う曲の中でいいと思うものの中に呉趨曲があるが、朝廷のなかでその音を知って居る人は無い。

むかし、呉王夫差が栄華を誇った姑蘇台も、その國亡びし後は、唯だ草が繁って居るばかりで、そこへ遊びにくる糜鹿は、悲しげな聲を出して啼いて居るので、徒に庭に蔓草を生ずだけで、懐古の想を起さしめる。

枚乗が《七發》で詠った廣陵の怒涛の潮は、天下の壮観であると聞いて居るが、まだ之を観ていない故、誇るに足るべき觀濤の作ができていないし、見ていないうちに六鰲を釣り上げようというような、心を言っても空しいだけである。

そこで、手を拳げ、あの東海に挨拶し、虚空を歩みして、これから、しばらく故山へ歸ろうと思うので、暇乞の代りに、この詩を君に呈するのである。

(薛校書に贈る)

我に呉趨の曲あり、人の此音を知るなし。

姑蘇は蔓草となり、糜鹿空しく悲吟す。

未だ觀濤の作に誇らす、空しく釣鼇の心を鬱す。

手を擧げて東海に謝し、虚行、故林に歸る。

 

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743年年43歳 94李太白集315巻八29贈參寥子  434-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(78) Ⅰ李白詩1811 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7595

李白 贈參寥子   #2

毫墨時洒落、探玄有奇作。著論窮天人、千春秘麟閣。長揖不受官、拂衣歸林巒。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。相思在何處、桂樹青云端。

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

李太白集 卷八29

贈 參 寥 子  #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

 

 744年天寶三年44-2056首】-382-315巻八29 贈參寥子  (白鶴飛天書,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八25 

文體:

五言古詩

李太白集 

29

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九29

詩題:

贈參寥子

序文

作地點:

(山南東道 襄州 襄陽)

及地點:

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山

麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣

交遊人物:

參寥子    當地交遊(山南東道 襄州 峴山)

 

 

 

贈參寥子   #1

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴飛天書、南荊訪高士。

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五云在峴山、果得參寥子。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

骯臟辭故園、昂藏入君門。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

天子分玉帛、百官接話言。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。

#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

著論窮天人、千春秘麟閣。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

長揖不受官、拂衣歸林巒。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

相思在何處、桂樹青云端。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

#2

毫墨 時に洒落、玄を探って奇作有り。

著論 天人を窮め、千春 麟閣に秘す。

長揖して 官を受けず、衣を拂って 林巒に歸える。

余 亦た金馬を去り、藤蘿 歡づる所を同じうする。

相思 何れの處に在からん、桂樹 青云の端にある。

大明宮の圖003 

『贈參寥子』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。

著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

(下し文)
#2

毫墨 時に洒落、玄を探って奇作有り。

著論 天人を窮め、千春 麟閣に秘す。

長揖して 官を受けず、衣を拂って 林巒に歸える。

余 亦た金馬を去り、藤蘿 歡づる所を同じうする。

相思 何れの處に在からん、桂樹 青云の端にある。

(現代語訳)
#2

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。


(訳注)  #2

贈參寥子

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

1 參寥子 王琦の解に、「當時の逸士、其の姓名考える無し。蓋し、莊子のって、以て號と為せるなる。莊子に:𤣥冥、之を參寥に聞く、參寥、之を疑始に聞くとあり。崔云う:皆、古人の姓名、或は之を寓するのみ、其の人無し、と。 李云う、參、高なり、高邈 寥 曠 名づく可からざるなり。」とある。隱逸した高士であるが、名前も、生まれもわからず、しかし、存在感を消しているのに、あえば尊敬できる人物であったということであろう。

 

毫墨時洒落、探玄有奇作。

それから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

10 毫墨 筆を揮えば、字体灑落でというほどの意。

11 時洒落 ① 生意気なさま。しゃらくさいさま。② さっぱりしているさま。しゃれているさま。

12 探玄 道教の玄理を探求する。

 

著論窮天人、千春秘麟閣。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

13 著論窮天人 道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めると、道家に対する最大の惨事というものであろう。

千春 千回春を迎えること、とこしえにつづくことを言う。

麟閣 麒麟閣の略。別に畫麟閣.雲嫖姚というもとは漢の高祖の時、蒲何が建てて、図書を蔵していたが、のち漢の宜帝は功臣を紀念して表彰するため、霍光等十一人の像を閣上に画かした。宣帝は戎狄が定まって皆、賓服 し、股肱の臣の美を思い、功臣を人に図画させて麒麟閣に絵諸させた。 麒麟閣は未央宮にある。麒麟閣には十一臣が描かれた。 容貌に官爵、姓名を記した。麒麟閣十一臣は以下の通り。・大司馬大将軍博陸侯 姓霍氏、・衛将軍富平侯 張安世、・車騎将軍龍額侯 韓増、・後将軍営平侯 趙充国、・丞相高平侯 魏相、・丞相博陽侯 邴吉、・御史大夫建平侯 杜延年、・ 宗正陽城侯 劉徳、・少府 梁邱賀、・太子太傅 蕭望之、・典属国 蘇武

李白 《塞下曲,六首之三》「駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。」

唐の玄宗皇帝の故事に由来する。 玄宗皇帝は音楽や舞踏の愛好家で、自ら舞楽を教えていた。 その場所に梨が多く植えられていたことから、音楽や舞踏を学ぶ者を「梨園の弟子」といい、転じて、その世界をさすようになった。

 

長揖不受官、拂衣歸林巒。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

 

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

14 金馬 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

金馬・金馬門・銀台()

30巻一古風五十九首其三十

但識金馬門、誰知蓬萊山。

161巻四36東武吟 ( 一作出東門后書懷留別翰林諸公 )

 談笑皆王公、一朝去金馬。

315巻八29贈參寥子

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

373卷十贈從弟南平太守之遙二首 其一

承恩初入銀台門、著書獨在金鑾殿。

644巻十九18朝下過盧郎中敘舊游

君登金華省、我入銀台門。

743年(74)李太白集605巻十八12金門答蘇秀才  393-#3 Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-74-#3 Ⅰ李白詩1752 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7300

卷六05 -《玉壺吟》「世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。」(世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。 いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。

○東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。

○大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可し」とあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。

743年(55)李太白集卷六05 -《玉壺吟》#2 374Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-55#2 Ⅰ李白詩1722 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7153

金門 漢代の未央宮にあった門で、金門・金閨門の名であり、文学の士(学問をもって天子に仕える人)がここから出仕した。本来この門は、「魯般門」という名であるが、門の外に銅製の馬があることからこうよばれた。揚雄 解嘲 「與羣賢同行,歷金門,上玉堂」(羣賢と同行し,金門を歷,玉堂に上る)とある。唐における金門は、右銀臺門をいい、宣政殿の北には紫宸門があり、その内側には紫宸殿がある。紫宸殿の南にある紫寢門の左側には崇明門があり、右側には光順門がある。紫宸殿の東の方角には左銀台門があり、西の方角には右銀台門がある。この門の北沿いに九仙門がある。唐時代では、右銀台門より学士がことから金馬門といい、翰林學士院に出仕するものの代名詞とされた。銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。唐.李肇の《翰林志》:「今在右銀臺門之北,第一門向牓曰翰林之門,其制高大重複,號為胡門,入門直西為學士院,即開元十六年所置也。」(今右銀臺門の北にり,第一門牓に向う翰林の門を曰う,其れ高大重複を制し,胡門を為すを號し,門に入り直西は學士院を為し,即ち開元十六年(728)に所置されるなり。)唐.李白.相逢行:「朝騎五花馬,謁帝出銀臺。」(朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。)朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

 

相思在何處、桂樹青云端。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

15 桂樹 《山中雜詩三首》 山際見來煙,竹中窺落日。鳥向簷上飛,雲從窗裏出。 綠竹可充食,女蘿可代裙。山中自有宅,桂樹籠青雲。

桂樹

 

117巻三28古朗月行

仙人垂兩足、桂樹何團團。

216卷六11白毫子歌

八公攜手五云去、 空余桂樹愁殺人。

315巻八29贈參寥子

相思在何處、桂樹青云端。

419巻十二09寄淮南友人

復作淮南客、因逢桂樹留。

42112-11聞丹丘子于城北營石門・・・

方從桂樹隱、不羨桃花源。

435巻十二25禪房懷友人岑倫

歸來儻有問、桂樹山之幽。

16 青云端 高い志であるが、此処では仙郷の意。
 
 

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744年年44歳-20-#1 李太白集315巻八29贈參寥子  434Index-24Ⅲ-3Ⅰ李白詩1810 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7590

李白 贈參寥子   #1

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

李太白集 卷八29

贈 參 寥 子 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

 

 744年天寶三年44-2056首】-382-315巻八29 贈參寥子  (白鶴飛天書,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八25 

文體:

五言古詩

李太白集 

29

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九29

詩題:

贈參寥子

序文

作地點:

(山南東道 襄州 襄陽)

及地點:

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山

麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣

交遊人物:

參寥子    當地交遊(山南東道 襄州 峴山)

 

 

 

 

  卷168_25 《贈參寥子》李白 

白鶴飛天書,南荊訪高士。五雲在峴山,果得參寥子。 

骯髒辭故園,昂藏入君門。天子分玉帛,百官接話言。 

毫墨時灑落,探玄有奇作。著論窮天人,千春秘麟閣。 

長揖不受官,拂衣歸林巒。余亦去金馬,藤蘿同所歡。 

相思在何處,桂樹青雲端。 

 

 

  贈參寥子(卷九29(一)六三九)

白鶴飛天書,南荊訪高士。五雲在峴山,果得參寥子。

骯髒辭故國,昂藏入君門。天子分玉帛,百官接話言。

毫墨時灑落,探玄有奇作。著論窮天人,千春祕麟閣。

長揖不受官,拂衣歸林巒。余亦去金馬,藤蘿同所攀。

相思在何處?桂樹青雲端。

 

 

315巻八29贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

毫墨時洒落、探玄有奇作。 著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。 余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

 

 

315巻八29贈參寥子   #1

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。
#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。 著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。 余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

 

『贈參寥子』現代語訳と訳註解説
(
本文)
           #1
贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(下し文)

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。

(現代語訳)
贈參寥子  #1(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。


(訳注)   #1

贈參寥子

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

1 參寥子 王琦の解に、「當時の逸士、其の姓名考える無し。蓋し、莊子のって、以て號と為せるなる。莊子に:𤣥冥、之を參寥に聞く、參寥、之を疑始に聞くとあり。崔云う:皆、古人の姓名、或は之を寓するのみ、其の人無し、と。 李云う、參、高なり、高邈 寥 曠 名づく可からざるなり。」とある。隱逸した高士であるが、名前も、生まれもわからず、しかし、存在感を消しているのに、あえば尊敬できる人物であったということであろう。

 

白鶴飛天書、南荊訪高士。

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

2 南荊 楚血をいう。陸機 《演連珠》「南有寡和之歌。」(寡和の歌有り。)李善註に南とは楚を謂うなり。

 

五云在峴山、果得參寥子。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

3 五云 五色の雲。參某は隠遁者、仙人であるから常侍白雲が随行する。五雲は彩雲であり、朝日に光ることを言う。

4 峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。《无和郡縣志》「峴山在襄州襄陽縣東南九里、東/臨漢、水古今大路。」(峴山は襄州襄陽縣の東南九里に在り、東に漢水を/臨み、古今の大路なり。)とあり、 《水經》の註に「峴山羊祜之鎮襄陽也、與鄒潤甫嘗登之。及祜薨後、後人立碑於故處、望/者悲感、杜元凱謂之墮淚碑。」(峴山羊祜の鎮は襄陽なり、與鄒潤甫は嘗て之に登る。祜に及び薨の後、後の人は故の處に碑立した、望む者は悲感し、杜元凱は之を墮淚碑と謂う。)とある。

《卷9-03憶襄陽舊遊贈馬少府巨》

憶襄陽舊遊贈馬少府巨#1

昔為大堤客,曾上山公樓。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

此地別夫子,今來思舊遊。

(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

#2

朱顏君未老,白髮我先秋。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

 

朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

285-#2 《卷9-03憶襄陽舊遊贈馬少府巨》#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <285-#2> Ⅰ李白詩1570 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6398

143巻四18襄陽曲四首其二

山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。

144巻四19襄陽曲四首其三

峴山臨漢江。 水綠沙如雪。上有墮淚碑。 苔久磨滅。

145巻四20襄陽曲四首其四

且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

206卷六01襄陽歌

落日欲沒峴山西。 倒著接籬花下迷。襄陽小兒齊拍手。

315巻八29卷八贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

754巻二一32 峴山懷古

訪古登峴首、憑高眺襄中。天清遠峰出、水落寒沙空。

峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。

「峴山の詩」孟浩然 与諸子登峴山 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -305

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306

峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307

還至端駅前与高六別処 張説 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -308

輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309

峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 350 -310

過故人莊 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -311

 

骯臟辭故園、昂藏入君門。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

5 骯臟 高亢律直の貌。

6 辭故園 それまで勤めてきた翰林院を辞したこと。

7 昂藏 意気昂然の貌。

 

天子分玉帛、百官接話言。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

8 玉帛 神前にささげる供物。幣物、賜り物 贈もの 貰い物 到来物。

9 話言 才知に優れ、徳のあるものが聖天子のもとに百官、臣下は談話を交え、頻りに優遇するということ。《詩經、大雅、抑》「其維哲人、告之話言、順德之行。」(其れ維れ哲人は、之に話言を告ぐれば、德に順いて之れ行う。)に基づく。

744年年44歳-18李太白集291巻八05贈任城盧主簿  432Index-24Ⅲ-3 Ⅰ李白詩1808 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7580

李白  贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。 臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)  《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

李太白集 卷八05

贈任城盧主簿

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7580

Index-24  744年天寶三年44歳 56-18

432 <1000

 

 

744年天寶三年44-1856首】

-380-291巻八05 贈任城盧主簿  (海鳥知天風,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八              05 

文體:

五言古詩

李太白集 

05

 

 

詩題:

贈任城盧主簿 (贈任城盧主簿潛)

序文

作地點:

河南道、州、任城縣、魯門東

及地點:

任城 (河南道 兗州 任城) 別名:濟寧

 

交遊人物:

盧主簿    當地交遊(河南道 兗州 任城)

交遊人物:

 

 

 

 

李太白集291巻八05贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

 

李太白集補注  贈任城盧主簿潛(卷九(一)六○○)

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思淩空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同?

歸來未忍去,流淚謝鴛鴻。

 

全唐詩 卷168_5 《贈任城盧主簿》李白 

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思淩空。 

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。 

 

李太白集注巻九     錢塘 王𤦺 撰

  贈任城盧主簿潛

  蕭本少潛字《唐書地理志》河南道州有任城縣」 唐官制縣令之佐有主簿其位在丞之下尉之上京縣二人從八品畿縣上縣者正九品中縣下縣者從八品各一人

海鳥知天風,竄身魯門東。臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

莊子 昔者海鳥止於魯郊魯侯御而觴之於廟

詳見 《大鵬賦註揚雄解嘲矯翼厲翮 

李周翰註矯舉也南齊書孝感烟霜

 

 

李太白集分類補註巻九  宋 楊齊賢 集註   元 蕭士贇 補註

   贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

齊賢曰魯語海鳥曰爰居止于魯東門展禽曰今海有災乎夫廣川鳥獸常知避其災也

海多大風 莊子 云昔者海

鳥止於魯郊魯侯御、而觴之于廟奏九韶以為樂具太/牢以為膳鳥乃眩視憂悲不敢食一臠不敢飲一杯

 

 

 

贈任城盧主簿

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

海鳥知天風,竄身魯門東。

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『贈任城盧主簿』現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

(下し文)
(任城の盧潜主簿に贈る)

海鳥は天風を知り,身を魯門の東に竄す。

觴に臨んで 飲む能わず,翼を矯げて 空を凌がんとを思う。

鐘鼓 樂しみと為さず,煙霜 誰かと同じからん。

歸り飛んで 未だ去るに忍びず,淚を流して 鴛鴻に謝す。

(現代語訳)
贈任城盧主簿 (任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

李白図102
(訳注) 

贈任城盧主簿

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

1 この詩は、李白が任城に往った時、その縣令から、物質的には随分好過されたのであるが、その人が除りわけの分かった人物でもなかったらしく、そこで不満で堪まらず、やがて辭して去ろうとするとき、この詩を作って、主簿の盧潜といふものに贈ったのである。

この詩は、全篇が比喩であって、海鳥を以て自ら此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相憐むの意に本づいて、惜別に及んだのである。

河南道、州、任城縣、魯門東 

2 兗州 兗州は山東省西南部の魯西南平原に位置する。東には曲阜の孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西には梁山県の水滸伝ゆかりの沼沢地(梁山泊)があり、北には泰山がそびえ、南には微山湖を望むため、「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれる。また、「杜甫」ゆかりの地である少陵台もある。いま、全市の総面積は651平方キロメートルで農地面積は60万畝ほど。泗河が南西から北東に流れ、その西北岸に兗州の中心市街地がある。昔の県城内には府河という小さな川が流れ、九仙橋や中御橋などが架かる。

3 任城 唐時代、兗州に属した、今の山東省済寧州治。秦に対する合従連衡を説いた蘇秦が〈亢父(こうほ)の険〉と呼び,斉国防御の要地としたのもこの地である。漢代には任城県が置かれ,後漢には任城国となり,以後州郡の中心となった。《唐書地理志に「河南道州有任城縣」(河南道、州に任城縣が有ると記してある。 

杜甫《巻一07與任城許圭簿遊南池》

224_17 《與任城許主簿游南池(池在濟寧州境)》杜甫 

秋水通溝洫,城隅進小船。晚涼看洗馬,森木亂鳴蟬。 

菱熟經時雨,蒲荒八月天。晨朝降白露,遙憶舊青氈。 

(任城の許主簿と南池に遊ぶ)

秋水溝洫に通ず、城隅より小船を進む。晩涼に洗馬を看る、森木に鳴蝉乱る。

菱は熟す時を経たるの雨、蒲は荒る八月の天。晨朝白露降らん、遙に憶う舊青氈。

176_3 《魯郡東石門送杜二甫》李白 

酔別復幾日、登臨徧池臺。何言石門路、重有金樽開。

秋波落泗水、海色明徂徠。飛蓬各自遠、且尽林中盃。

 (魯郡の東 石門にて杜二甫を送る)

酔別(すいべつ)()た幾日(いくにち)ぞ、登臨(とうりん)池台(ちだい)に徧(あまね)し。

何ぞ言わん石門(せきもん)の路(みち)、重ねて金樽(きんそん)の開く有らんと。

秋波(しゅうは)泗水(しすい)に落ち、海色(かいしょく) 徂徠(そらい)に明かなり。

飛蓬(ひほう)各自(かくじ)遠し、且(しばら)く林中(りんちゅう)の盃(はい)を尽くさん。

・魯郡 いまの山東省兗州市。・石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。

4 主簿 主簿は記録を掌る官。また、唐の官制として、縣令の佐に主簿が有って其の位は丞の下、尉の上に在り、京縣には二人、從八品、畿縣上縣には正九品、中縣下縣には從八品おのおの一人ということ。

 

海鳥知天風,竄身魯門東。

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

5 海鳥 海鳥は、海洋に生息する鳥の総称。 沿岸部に棲息する鳥は水鳥に含める。 大洋を飛び回るアホウドリ、カツオドリ、ネッタイチョウなどが代表。 繁殖時には陸に巣を作る。いくつかの種は、孤島で集団繁殖をする。ここでは、集団から脱逃したものをいう。

竄身 竄:1 もぐる。逃げ隠れる。「竄入」2 遠隔地へ追放する。「流竄 (りゅうざん・るざん) 3 文章を書き改める。「改竄」。

魯門東 魯の東の城門。魯は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称としても用いられる。 王朝としての魯は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公の爵位は侯爵であり、姓は姫である。首府は曲阜。 周公旦の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。

特に、初句4句は《莊子、外篇、至樂)「昔者海鳥止於魯郊,魯侯御而觴之於廟,奏九韶以為樂,具太牢以為膳。鳥乃眩視憂悲。不敢食一臠,不敢飲一杯,三日而死。此以己養養鳥也,非以鳥養養烏也。」(昔者、海鳥 魯の郊に止まる,魯侯 御【むか】えて 之を廟に觴し,九韶を奏して以て樂と為し,太牢を具えて 以て膳と為す。鳥 乃ち眩視憂悲す。敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず,三日にして死す。此れ己れが養を以て鳥を養うなり,鳥の養を以て烏を養うに非ざるなり。)に基づく。

 

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

臨觴不能飲 海鳥に対する接し方ではないため、盃に臨みのむことしない、「眩視憂悲。不敢食一臠,不敢飲一杯。」相手のことを無視し、自分の思いで歓待した。鳥の養い方でなく、人間の歓待方法でもてなしたこと。

 

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

煙霜誰與同 同じく《莊子、外篇、至樂》「夫以鳥養養鳥者、宜栖之深林、遊之壇陸、浮之江湖、食之 隨行列而止、委蛇而處。」(夫れ鳥を養う以て鳥を養う者は、宜しく之を深林に栖せ、之を壇陸に遊せ、之を江湖に浮せ、之に 食わせ、行列に隨いて止まり、委蛇して處しむべし)と、のんびりとしたそれぞれにあった、環境の中に住まわせてやることが養うことである。

 

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

744年年44歳-17李太白集277巻七45懷仙歌  431Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-17【56首】Ⅰ李白詩1807 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7575

(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。
(仙人を懐って作った歌である)  

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

李太白集 卷七45

懷 仙 歌

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7575

Index-24  744年天寶三年44歳 56-17

431 <1000

 

 

 

-379-277巻七44 懷仙歌  (一鶴東飛過滄海,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

167_09

文體:

歌吟(樂府)

李太白集 

45

 

 

詩題:

懷仙歌

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 秦山

及地點:

楚山

湘水 

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

全唐詩 卷167_9 《懷仙歌》李白 

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在。

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。 

巨鼇莫戴三山去,我欲蓬萊頂上行

 

 

李太白集 277巻七45《懷仙歌》

一鶴東飛過滄海、放心散漫知何在。

仙人浩歌望我來、應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚、自余囂囂直可輕。 

巨鰲莫戴三山去、我欲蓬萊頂上行。

 

 

李白集 懷仙歌(卷八(一)五七六)

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

 

李白集 懷仙歌(卷八(一)五七六)

   懷仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

士贇曰 山海經「崑崙之墟北有珠樹及玉樹玕琪樹。」

此詩 「太白、睠顧宗國、繫心君王、冀復進用之作也。」

「一鶴 自、比仙人君、玉樹比爵位。時、肅宗、即位于靈武、明皇就遜位、時物議有非之者。太白豪俠曠達之士、亦曰 法堯禪舜自古有之何足驚怪彼為是囂囂者不知古今直可輕也。

末句、其拳拳安史之滅宗社之安、或者、用我乎。身、在江海、心、存魏闕。白有之矣。

李太白集注巻八       錢塘 王𤦺 撰

 

李太白集註 277巻七45《懷仙歌》

  懷胡本/作憶仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚、自餘囂囂直繆本/作嚚嚚/可輕。

巨鼇莫載許本/作戴三山去、我一作/欲蓬萊頂上行。

《十洲記》「滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里、海四面、繞島、各廣五千里、水皆蒼色、仙人、謂之滄海也。

《楚辭》「望美人兮、未來臨風/怳兮浩歌、巨鼇事見四巻註

李太白集分類補註巻八    宋 楊齊賢 集註   元 蕭士贇 補註

 

懷仙歌

(仙人を懐って作った歌である)

一鶴東飛過滄海、放心散漫知何在。

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

仙人浩歌望我來、應攀玉樹長相待。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

堯舜之事不足驚、自余囂囂直可輕。 

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

巨鰲莫戴三山去、我欲蓬萊頂上行。

聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

 

(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。

 

『懷仙歌』現代語訳と訳註解説
(
本文)

懷仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

(下し文)
(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。

(現代語訳)
懷仙歌(仙人を懐って作った歌である)

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

秦嶺山脈終南山
(訳注) 

懷仙歌

(仙人を懐って作った歌である)

1 歌 古題ではなく、新しい題で、詩の雰囲気は樂府に近いもの、いわば準樂府というべきものを李太白集“巻六、巻七”に集められた詩のカテゴリー『歌吟』とされたものを言う。語調になんとなく「旅情」をかんじさせるものはこの範疇に入っているようだ。

 

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

2 一鶴東飛 一鶴は自分のたとえである。長安追放で李白は東に向かったのである。蕭士贇は此の詩の解説をつぎのようにのべている。「太白、睠顧宗國、繫心君王、冀復進用之作也。」(太白、宗國を睠顧し、心は君王に繫け、復た進用されんことを冀【こいねが】うの作なり。)と。続いて、「一鶴 自、比仙人君、玉樹比爵位。時、肅宗、即位于靈武、明皇就遜位、時物議有非之者。太白豪俠曠達之士、亦曰 法堯禪舜自古有之、何足驚怪彼為是囂囂者不知古今直可輕也。」(一鶴は自ら、仙人は君に比し、玉樹は爵位に比す。時に、肅宗、靈武において即位し、明皇就いて位を遜り、時に物議 之を非とする者有り。太白は、豪俠 曠達の士なり、亦た曰く 堯の舜に禪るに法り、古えより之れ有り、何ぞ驚怪するに足らんや 彼 是れの為に囂囂たる者、古今を知らず、直ちに輕んず可きなり。

3 滄海 《十洲記》「滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里、海四面、繞島、各廣五千里、水皆蒼色、仙人、謂之滄海也。」(滄海島は、北海中に在り、地方三千里、岸を去ること二十一萬里、海四面、島を繞る、各おの廣さ五千里、水 皆 蒼色なり、仙人、之を滄海と謂うなり。

 

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

4 浩歌 声高らかに歌うこと。《楚辭、九歌第二 (六)少司命》「望美人兮未來臨風怳兮浩歌。」(美人を望めどもいまだ来らず、風に臨んで怳として浩歌す。)唐杜甫《玉》「来藉草坐,浩歌泪盈把。」(憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ。) 玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206

5 玉樹 《山海經》「崑崙之墟北有珠樹及玉樹玕琪樹。」(崑崙の墟は北に珠樹、及び玉樹、玕琪樹が有る。)王嘉《拾遺記》「崑崙山第六層有五色玉樹,蔭霸五百里。」(崑崙山、第六層、五色の玉樹り有,蔭霸 五百里なり。

 

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

6 堯舜之事 『史記』に「孝子の名が高かった舜を民間から取り立て、やがて帝位を禅譲した。舜は禹以下の臣をよく用いて天下を治め、特に治水などの功績のすぐれた禹に、やはり帝位を禅譲した。」ことをいう。

7 囂囂 多くの人が口やかましく騒ぐさま。また、やかましく騒ぎ立てて収拾がつかないさま。「喧喧」「囂囂」はともに、やかましいさま。騒がしいさま。

 

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。
聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

8 巨鰲 巨鰲はうみがめ。杜甫「兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。」(兵気 飛鳥を回えす、威声 巨鰲を没せしむ。)安禄山が200㎏とも250㎏といわれおなかが床に付きそうなくらいに肥満であったという。それ以来、叛乱軍の魁(かしら)をたとえていう。巨鰲はよい喩えには使われない。

9 三山・蓬萊 古代において,海上にあると信じられた伝説上の3つの山。『史記』封禅書などによれば,蓬莱 (蓬莱山 ) ,方丈,瀛州 (えいしゅう) の三山をさし,山東省東北沿岸から渤海にかけて浮ぶ島と伝えられていたが,前2世紀頃になると,南に下って,現在の黄海の中にも想定されていたらしい。
大明宮の圖003 

744年年44歳-15李太白集230卷六25白云歌送劉十六歸山  430Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-15【56首】Ⅰ李白詩1806 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7570

李白  白雲歌,送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。
(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)   君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

李太白集 卷六25

白雲歌,送劉十六歸山

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7570

Index-24  744年天寶三年44歳 56-15

430 <1000

 

 

 

-378-230卷六25 云歌送劉十六歸山  (楚山秦山皆白雲,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

歌吟(樂府)

李太白集 

25

 

 

詩題:

白云歌,送劉十六歸山

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 秦山

及地點:

楚山

湘水 

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

全唐詩

166_41 《白雲歌,送劉十六歸山》李白 

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。 

 

李太白集:230卷六25白云歌送劉十六歸山

  白雲歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲、白雲處處長隨君。

長隨君、君入楚山裏。雲亦隨君渡湘水。

齊賢曰 湘水出唐桂州興安縣海陽山西至于全州又北至于洞庭

湘水上女蘿衣白雲堪卧君早歸

士斌曰意劉十六楚/人而遊於秦送其歸山者歸/楚山也

 

李白詩校注:白雲歌送劉十六歸山(卷七(一)五二六)

  白雲歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

《通鑑地理通釋》湘水出全州淸湘縣陽朔山東入洞庭北至衡州衡陽縣入江楚辭被薜荔兮帶女蘿

𢎞靜曰 「太白、賦新鶯百囀、與白雲歌、無咏物句。自是、天仙語。他人稍有擬象、 即屬凡辭。

 

 

 

白雲歌,送劉十六歸山

(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。 

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

(白雲の歌,劉十六の山に歸るを送る。)

楚山 秦山 皆 白雲,白雲 處處 長く君に隨う。

長く君に隨って,君は楚山の裏に入り,雲 亦た 君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上り,女蘿の衣,白雲 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

 

李白の足跡0000 

『白雲歌,送劉十六歸山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

白雲歌,送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

(下し文)
(白雲の歌,劉十六の山に歸るを送る。)

楚山 秦山 皆 白雲,白雲 處處 長く君に隨う。

長く君に隨って,君は楚山の裏に入り,雲 亦た 君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上り,女蘿の衣,白雲 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

(現代語訳)
白雲歌,送劉十六歸山(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。


(訳注) 

白雲歌,送劉十六歸山

(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

1 劉十六 この劉十六といふ人は、名字ともに分らぬ。しかし、李白がわざわざ、この詩を作って其旅の餞別したのを見れば、湘水、衡山に住む山水に高臥をたのしむ隠者であろうことがわかる。気配を消すほどに、高士であるから例によって人物はわからない。十六は排行で、先祖を祀るときの席の順番であったもので、唐では一族の権威的な意味でよく使われた。

2 評価 方𢎞靜曰「太白、賦新鶯百囀、與白雲歌、無咏物句。自是、天仙語。他人稍有擬象、 即屬凡辭。」(太白、新鶯百囀を賦する、白雲歌と、咏物の句無し。、天仙なり他人が稍やもして擬象有らば、即ち凡辭に屬す。𢎞靜:方弘静朝代:明. 人物簡介. 中國歷代人名大辭典. 【生卒】:1516—1611 【介紹】: 明徽州府歙縣人,字定之,號采山。嘉靖二十九年進士。授東平知州,遷南京部郎中,出為四川僉事,累官南京部侍郎

 

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

3 楚山 この場合、洞庭湖の付近、瀟湘八景をめぐって、衡山、桃源にかけて何処も隠遁の場所である。

4 秦山 凡そ、終南山を言うのであろう。

5 白雲 しばしば仙郷のイメージとしてつかい、隠者の散居の象徴とされる。『荘子』. 天地篇に「千歳,世を厭ひて去り,仙に上る」彼の白雲に乗じて帝郷(天帝の郷)に至る」と. ある。《莊子、外篇,天地篇》「千歳厭世,去而上倦,乗彼白雲,至於帝榔」(千歳,世を厭えば,去りて上倦し,彼の白雲乗じて,帝榔に至る。)とあるに基づいる。

 

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

6 湘水 《通鑑地理通釋》「湘水、出全州淸湘縣陽朔山、東入洞庭、北至衡州衡陽縣入江。」(湘水は、全州淸湘縣 陽朔山に出でて、東して洞庭に入る、北して衡州衡陽縣に至りて江に入る。

 

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

7 女蘿 方𢎞靜の註によると、《楚辭補註、卷二 九歌山鬼》「若有人兮山之阿,被薜荔兮帶女羅。」(若に人有り山の阿【くま】に,薜荔【へいれい】を被て女羅を帶びとす。)に基づくとある。

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