李白 贈薛校書
我有吳趨曲、無人知此音。 姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。
未夸觀濤作、空郁釣鰲心。 舉手謝東海、虛行歸故林。
(薛校書郎に贈る)
われの歌う曲の中でいいと思うものの中に呉趨曲があるが、朝廷のなかでその音を知って居る人は無い。むかし、呉王夫差が栄華を誇った姑蘇台も、その國亡びし後は、唯だ草が繁って居るばかりで、そこへ遊びにくる糜鹿は、悲しげな聲を出して啼いて居るので、徒に庭に蔓草を生ずだけで、懐古の想を起さしめる。枚乗が《七發》で詠った廣陵の怒涛の潮は、天下の壮観であると聞いて居るが、まだ之を観ていない故、誇るに足るべき觀濤の作ができていないし、見ていないうちに六鰲を釣り上げようというような、壯心を言っても空しいだけである。そこで、手を拳げ、あの東海に挨拶し、虚空を歩みして、これから、しばらく故山へ歸ろうと思うので、暇乞の代りに、この詩を君に呈するのである。
李太白集 卷八19 | 贈 薛 校 書 | 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585 | |
Index-24 744年天寶三年44歳 56首-(19) | 433 <1000> | ||
744年天寶三年44歳-19【56首】
-381-305巻八19 贈薛校書 (我有吳越曲,)
作時年: | 744年 | 天寶三年 | 44歲 | |
全唐詩卷別: | 卷一六八15 | 文體: | 五言古詩 | |
李太白集 | 巻八19 | 《李白集校注》 瞿蛻園 | 卷九19 | |
詩題: | 贈薛校書 (我有吳越曲,) | |||
序文 | ||||
作地點: | 未詳 | |||
及地點: | 姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺 | |||
| ||||
交遊人物: | 薛校書 書信往來 | |||
| | |||
卷168_15 《贈薛校書》李白 |
我有吳趨(越)曲,無人知此音。 |
姑蘇成蔓草,麋鹿空悲吟。 |
未誇觀濤作,空鬱釣鼇心。 |
舉手謝東海,虛行歸故林。 |
贈薛校書(卷九19(一)六一九) |
我有吳趨(越)曲,無人知此音。 |
姑蘇成蔓草,糜鹿空悲吟。 |
未誇觀濤作,空鬱釣鼇心。 |
舉手謝東海,虛行歸故林。 |
305卷八-19 贈薛校書 (中)40 |
我有呉趨曲、無人知此音。 |
姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。 |
未夸觀濤作、空郁釣鰲心。 |
舉手謝東海、虛行歸故林。 |
贈薛校書
我有吳趨曲、無人知此音。
姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。
未夸觀濤作、空郁釣鰲心。
舉手謝東海、虛行歸故林。
(薛校書郎に贈る)
われの歌う曲の中でいいと思うものの中に呉趨曲があるが、朝廷のなかでその音を知って居る人は無い。
むかし、呉王夫差が栄華を誇った姑蘇台も、その國亡びし後は、唯だ草が繁って居るばかりで、そこへ遊びにくる糜鹿は、悲しげな聲を出して啼いて居るので、徒に庭に蔓草を生ずだけで、懐古の想を起さしめる。
枚乗が《七發》で詠った廣陵の怒涛の潮は、天下の壮観であると聞いて居るが、まだ之を観ていない故、誇るに足るべき觀濤の作ができていないし、見ていないうちに六鰲を釣り上げようというような、壯心を言っても空しいだけである。
そこで、手を拳げ、あの東海に挨拶し、虚空を歩みして、これから、しばらく故山へ歸ろうと思うので、暇乞の代りに、この詩を君に呈するのである。
(薛校書に贈る)
我に呉趨の曲あり、人の此音を知るなし。
姑蘇は蔓草となり、糜鹿空しく悲吟す。
未だ觀濤の作に誇らす、空しく釣鼇の心を鬱す。
手を擧げて東海に謝し、虚行、故林に歸る。
続きを読む