漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2016年11月

744年-015-#1卷165_34-#1 少年行(卷六(一)四五八)(李白全集校注彙釋集評(二)九四八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7739

少年行(卷六(一)四五八)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161130

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-015-#1卷165_34-#1 少年行(卷六(一)四五八)(李白全集校注彙釋集評(二)九四八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7739

 

 

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孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-28巻一16-#6 送文暢師北遊Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7740

 

 

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806年-31 巻二 16-#9送文暢師北遊  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7758

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-29 喜觀即到復題短篇二首其二 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六一八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7735

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻一23 (30)回目温庭筠 《酒泉子四首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7742 (11/30)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

花間集 訳注解説 巻一23 (30)回目温庭筠 《酒泉子四首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7742 (11/30)

 

 

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●薛濤の全詩

●花間集(1

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●魚玄機全詩

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744-015-#1165_34-#1 少年行(卷六(一)四五八)(李白全集校注彙釋集評(二)九四八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7739

(貴族の子弟、少年の遊侠を詠う。)1

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

 

744-015-#1

少年行(卷六(一)四五八)

(李白全集校注彙釋集評(二)九四八)

全唐詩卷165_34-#1

李白集校注巻 06-011-#1

李太白集 巻05-011-#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7739

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

 06-011-#1

165_34-#1

05-011-#1

詩題

少年行(卷六(一)四五八)(李白全集校注彙釋集評(二)九四八)

文體

樂府

 

詩序

0

 

 初句

君不見,淮南少

作地點

揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海

 

0

 

 

 

開元二十七年73939の作

交遊人物

 

交遊地點

0

 

 


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744年-014-#3卷161_5-#3【字解集】 古風五十九首之五(卷二(一)一○二) 「太白何蒼蒼」詩 紀頌之7733

744-014-#3161_5-#3【字解集】 古風五十九首之五(卷二(一)一○二) 「太白何蒼蒼」詩 紀頌之7733

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-014-#3卷161_5-#3【字解集】 古風五十九首之五(卷二(一)一○二) 「太白何蒼蒼」詩 紀頌之7733

 

 

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806年-27巻一16-#5 送文暢師北遊Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7734

 

 

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806年-31 巻二 16-#9送文暢師北遊  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7758

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-027 喜觀即到復題短篇二首其一 杜詩詳注卷一八(四)頁一六一七 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7657

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻一22 (29)回目温庭筠 《歸國遙二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7736 (11/29)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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玉-010-#1 古樂府詩六首其一 -#1日出二東南隅行〈無名〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7737

 

 

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古風五十九首之五(卷二(一)一○二)「太白何蒼蒼」詩【字解集】

 


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744年-014-#2卷161_5-#2 「太白何蒼蒼」詩(古風五十九首之五)(卷二(一)一○二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7727

古風五十九首之五

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161128

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

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806年-31 巻二 16-#9送文暢師北遊  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7758

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

 

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孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ⅲ 杜詩

詳注

【字解集】寄從孫崇簡・江雨有懷鄭典設・熟食日示宗文宗武・又示兩兒・情見乎詞

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻一21 (28)回目温庭筠 《歸國遙二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7730 (11/28)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

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玉集-01 古詩八首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7731

 

 

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744-014-#2161_5-#2 「太白何蒼蒼」詩(古風五十九首之五)(卷二(一)一○二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7727

もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

 

744-014-#1

「太白何蒼蒼」詩(古風五十九首之五)(卷二(一)一二)

全唐詩卷161_5-#2

李白集校注巻 02-005-#2

李太白集 巻01-005-#2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7721

 

 

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744年-014-#1卷161_5-#1 「太白何蒼蒼」詩(古風五十九首之五)(卷二(一)一○二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7721

巻一5 古風,五十九首之五

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-014-#1卷161_5-#1 「太白何蒼蒼」詩(古風五十九首之五)(卷二(一)一○二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7721

 

 

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806年-31 巻二 16-#9送文暢師北遊  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7758

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-026 情見乎詞(得舍弟觀書自中都已達江陵) 杜詩詳注 卷一八(四)一六一六 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7652

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-022 古詩八首其八 無名氏  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7725

 

 

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玉集-01 古詩八首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7731

 

 

●薛濤の全詩

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744-014-#1161_5-#1 「太白何蒼蒼」詩(古風五十九首之五)(卷二(一)一○二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7721

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。その高さについて、下からの高さは「不知其高何」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。

744-014-#1

「太白何蒼蒼」詩(古風五十九首之五)(卷二(一)一二)

全唐詩卷161_5-#1

李白集校注巻 02-005-#1

李太白集 巻01-005-#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7721

 

 


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744年-013-#6卷162_11 天馬歌 【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7715

744-013-#6162_11 天馬歌 【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7715

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161126

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-013-#6卷162_11 天馬歌 【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7715

 

 

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孟浩然

李白詩

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

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兩都賦序・西都賦・東都賦

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-24巻一16-#2 送文暢師北遊Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7716

 

 

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 巻一 15-#6 醉贈張祕書 【字解集】 7693

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

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index-5 806年39歳(2)25

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index-9[815年~816年 49歳57

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

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757年-025 又示兩兒 杜詩詳注 卷一八(四)一六一五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7647

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

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杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

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Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻一20 (26)回目温庭筠 《更漏子六首其六》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7718 (11/26)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

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玉-021 古詩八首其七 無名氏  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7719

 

 

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玉集-01 古詩八首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7731

 

 

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天馬歌【字解集】
 

(大宛国の汗血馬を祖として中国の良い馬は天馬としたが、この馬に託して、自己の不遇を詠嘆したものである。)

1).【題義】 漢の天馬の二歌にならって翰林院を去って以降につくったもの。《漢書武帝紀》 「元鼎四年秋、馬生渥洼水中、作天馬之歌。太初四年春、貳師將軍廣利斬大宛王首、獲汗血馬來、作西極天馬之歌。」(元鼎四年の秋、馬 渥洼の水中に生ぜしにより、天馬の歌を/作る。太初四年の春、貳師將軍廣利は、大宛王の首を斬り、汗血の馬を獲て來りしにより、西極天馬の歌を作った。) 紀元前112年(元鼎四年)の秋、

胡震亨曰「漢郊祀天馬二歌、皆以歌瑞應、太白所擬、則以馬之老而見棄自、況思蒙收贖似去翰林後所作。」(漢の郊祀天馬二歌あり、皆 以て歌 瑞應し、太白 擬する所は、則ち以て馬之老て見て自ら棄つ、況んや思蒙 收め贖うて似て翰林を去て後 所作す。)

渥洼 1.水名。在今甘粛省安西境,傳説産 2.指代神。即渥洼。 樊增祥《<溪草堂詞選>自序》:“此五君者,譬渥漥美駟, 野明学一日不湮,斯人亦一日不没

2). 天馬 2) 史記「天子、得烏孫馬好、名曰天馬。及得大宛汗血馬、益壯。更名烏孫馬曰西極、名大宛馬曰、天馬云。」(天子、烏孫の馬を得て好し、名づけて天馬と曰う。大宛の汗血馬を得るに及びて、益す壯。更めて烏孫の馬を名づけて西極と曰い、大宛の馬を名づけて曰うは、天馬と云う。)

烏孫は、紀元前161年から5世紀にかけて、イシク湖周辺(現在のキルギス)に存在した遊牧国家である。

〈武帝と汗血馬〉

前漢時代、中国北方に覇を唱える遊牧国家の匈奴に悩まされていた武帝は、前代までの屈辱的和平関係を脱し、武力による討伐へと策を転じた。武帝は衛青や霍去病らの将軍によって匈奴を進撃するとともに、西方から匈奴を挟撃する計画のもと、張騫を西方の月氏に派遣した。張騫は途中、匈奴に十年以上も抑留されるなどの辛苦を経ながらも西域諸国を行き巡り、その結果、西方の多くの情報を漢にもたらし、漢の西域経営の端緒を開いた。世に言う「張騫の鑿空」である。

衛青や霍去病らの活躍により、漢は次第に匈奴を駆逐し、西域を支配下に置いていった。その過程で張騫が武帝に進言した情報の一つが、フェルガナ地方の大宛国で産するという、血の汗を流し、祖先は天馬の子とされる名馬「汗血馬」であった(『漢書』西域伝(12))。この名馬を欲した武帝は、使者に「千金及び金馬」を持たせて大宛に遣わしたが、馬を惜しんだ大宛王は、漢は遠国ゆえ攻めてくることもあるまいと見くびり、使者を殺害して財物を奪い取ってしまった。そこで武帝は、弐師将軍李広利に兵十余万人を率いて大宛を討たせ、ついに汗血馬を得た。この喜びを歌ったのが、冒頭の「西極天馬之歌」である。それ以前、「天馬」の名は、先に烏孫より贈られていた良馬に対して与えられていたが、いま更に優れた大宛馬を手に入れたことで、烏孫馬は「西極」と名を改められ、「天馬」の称は大宛馬に与えられることになった(『史記』大宛列伝)。

武帝による積極的な外征は、西域諸国に漢の威を示すこととなり、以後、楼蘭にはじまり安息、康居などの西域諸国が陸続と漢に入貢するにいたった。また武帝は、西域のみならず南方や東方にも遠征の手を伸ばし、その結果、西域の様々な物資が、南方の奇貨などとともに、大量に漢にもたらされるようになった。その様子を『漢書』西域伝「天馬・葡萄を聞き、則ち大宛・安息に通ず。是より後、明珠・文甲・通犀・翠羽の珍は、後宮に盈ち、蒲梢・竜文・魚目・汗血の馬は、黄門に充ち、鋸象・師子・猛犬・大雀の群は、外囿に食われ、殊方の異物、四面より至りぬ。」

3). 月支 月氏。紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。大月氏時代は東西交易で栄えた。郭璞の山海經の註に「月支國多好馬」(月支國に、好馬多し) 史記正義に萬震の南州志をひいて云う「大月支、在天竺北、可七千里。地髙燥、而國中騎乗常/數十萬匹。城郭殿與大秦國同。人民赤白色、便習弓馬。土地所出、及竒偉珍物、被服鮮好、天竺不及也。外國稱、天下有三衆、中國為人衆、大秦為寳衆、月支為馬衆。」(「大月支は、天竺の北に在り、七千里可り。地 髙燥にして、而し。國中騎乗 常に/數十萬匹、城郭殿、與大秦國と同じ。人民赤白色、便ち弓馬を習う。土地出す所、及び竒偉珍物、被服鮮好、天竺も及ばざるなり。外國 稱す、天下に三衆有り、中國を人衆と為し、大秦を為寳衆とし、月支を馬衆と為す。」)

4). 背爲虎文 4) 漢の天馬歌に、「虎脊兩化若鬼。」(脊の兩は鬼の若く化す。)とあって 應劭の註に「馬毛色如虎脊者有/兩也。」(馬の毛色 虎脊の如き者は兩に有るなり。)  顔延年赭 「白馬賦垂稍植髪。」(白馬の賦は稍に垂して髪を植う。) 李善註「髪額上毛也。」(髪は額上の毛なり。)

5). 龍翼骨  肋骨が龍の骨のように森張していること。

6). 蘭筋 目の上の窪みのところから一条の筋が走り出しているので、その一筋の堅いものは、すなわち千里の俊足であるということ。 陳琳が為曹洪のために魏文帝に与えたる書に整蘭筋とある。李善の註に「相馬經云一/筋從𤣥中出謂之蘭筋𤣥中者目上如井字蘭筋堅者千里。」向の註に「蘭筋馬筋節堅者千里足也。」(相馬經に云う、一筋 從𤣥中より出づ、之れを蘭筋と謂う。𤣥中とは目の上って井の字の如し。蘭筋堅き者は千里、と。向の註に 蘭筋とは馬筋節の堅き、千里足るなり。)

7). 權奇走 竒は善行の貌、即ち、蘭筋がはっきりと通っていること。(俊敏に走り抜けて、目にも止まらないことを言う。)

漢の天馬歌に志俶 儻精權竒赭。 白馬賦 精權竒兮 張銑註權竒善行

8). 騰 上がる。

9). 崑崙 崑崙とは、中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。

10) 歷西極 ユウーラシア大陸の西の果て、西極、天馬歌、漢の天馬歌、「天馬徠、從西極、涉流沙、九夷服。」(天馬徠、西極より、流沙涉り、九夷に服す。)とあり、説文に蹶僵なり。


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744年-013-#5卷162_11-#5 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7709


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

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744年-013-#6卷162_11 天馬歌 【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7715

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-23巻一16-#1 送文暢師北遊Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7710

 

 

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 巻一 15-#6 醉贈張祕書 【字解集】 7693

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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757年-25 熟食日示宗文宗武 杜詩詳注(卷一八(四)一六一五)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7711

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

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杜甫詩(7)759年秦州詩 66

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻一19 (25)回目温庭筠 《更漏子六首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7712 (11/25)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

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玉-020-#2 古詩八首其六 無名氏  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7713

 

 

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玉集-01 古詩八首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7731

 

 

●薛濤の全詩

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744
-013-#5162_11-#5 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7709

願うことは、ここで、戦国時代の老馬を仁義に基づいて買い取った田子方に出会えたなら、惻然として、不遇のわが身に情を寄せてくれるに違いないから、それと同じ人物は必ずいるはずで是非にも会いたいと思っている。今や、天馬は、疲弊しきっておるところで、たとえ、崑崙山の大木禾があるといわれてもとても、それでは、その苦しみを梳くことはできない。今の世は、物事に間違っていて、五月という真夏に、ひどい霜が降って、珪化の枝をしぼませるのと同じことであり、この時にあたっては、天馬も今更仕方なく、厩の飼葉おけに首を突っ込んでわが身の不幸を嘆息して、兩の眉を砕かんばかりにしていることであろう。たとえそうであっても、天馬の本質が変わってしまうことはなく、田子方のごとく、金を出して、贖いもどしてくれ、塩運びの苦痛を脱せしめ、やがてこれを周の穆天子にでも献じたならば、最高にほめたたえられ、あっぱれ八駿の一として、その才の美を発揮し、自由自在に天下を駆け巡り、そうして、西王母のいる瑤池に行き着き、影を弄して舞踊ることが出来であろう。

 

744-013-#5

天馬歌(卷三(一)二三四)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7709

全唐詩卷162_11-#5

李白集校注巻 03-012

李太白集 巻12-006 -#5

 

 

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744年-013-#4卷162_11-#4 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7697

 天馬歌(卷三(一)二三四)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161124

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744-013-#4162_11-#4 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7697

 

 

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744年-013-#6卷162_11 天馬歌 【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7715

 

 

孟浩然

李白詩

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

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楚辞・九歌》東君

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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806-22 巻一 15-#6 醉贈張祕書 【字解集】 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7693

 

 

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 巻一 15-#6 醉贈張祕書 【字解集】 7693

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

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index-5 806年39歳(2)25

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757-24 江雨有懷鄭典設 杜詩詳注(卷一八(四)一六一四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7705

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ⅳブログ詩集

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 花間集 訳注解説 巻一18 (24)回目温庭筠 《更漏子六首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7706 (11/24)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

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-020-#1 古詩八首其六 無名氏  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7707

 

 

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玉集-01 古詩八首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7731

 

 

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744-013-#4162_11-#4 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7697

まったくもって、寒風子のように、よく馬を相する人でなければ、だれか逸景の子孫ともいうべきこの名馬を見分けることが出来ようか。仙郷がはるか遠き所にあることは、白雲の青天のなかにあるがごときであるし、これを隔てている丘陵は遠きはるか先まで連なって、険しくそびえたっている。あの天馬も今、塩を運搬する馬となって、重い車を引かされ、峻坂を上ってゆき、無理なことを無理矢理させられて、日の暮れるのを恐れ、朝が来るのを恐れているのである。思い起こせは、伯楽は初めにこの馬を見つけ出し、せっかく、鬣や前髪を切りそろえ、塵や垢を洗い流したり、毛づくろいをして心が通じ合うほど世話をしていたのに、どうして中道にしてこれをやめ、これを捨ててしまったのであろうか、若い時その材力を尽くしてずいぶん働き、役だったのに、老いて後には誰も構ってくれないというのだろうか

 

744-013-#3

天馬歌(卷三(一)二三四)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7691

全唐詩卷162_11-#3

李白集校注巻 03-012

李太白集 巻12-006 -#3

 

 

卷別

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全唐詩

李太白集

天馬歌(卷三(一)二三四)

162_11 《天馬歌》

卷二_12 《天馬歌》

詩題

天馬歌

文體

樂府

詩序

 

 

 

作地點

 

 

及地點

 

 

交遊人物

交遊地點

 


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744年-013-#3卷162_11-#3 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7691

天馬歌(卷三(一)二三四)

 

 

 

20161123

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Ⅰ李白詩(李白詩校注)

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744年-013-#6卷162_11 天馬歌 【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7715

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-22 巻一 15-#5 醉贈張祕書Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7692

 

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 巻一 15-#6 醉贈張祕書 【字解集】 7693

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

Ⅲ 杜詩詳注

757年-23 寄從孫崇簡 杜詩詳注(卷一八(四)一六一三)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7699

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

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花間集 訳注解説 巻一17 (23)回目温庭筠 《更漏子六首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7700 (11/23)

 

 

 

 

 

 

 

 

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玉-019 古詩八首其五 (古詩十九首之第十八首) 無名氏  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7701

 

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744
-013-#3162_11-#3 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7691

したがって、馬は、逸氣稜稜として、九千里、世界を藐視していたほどであるが、この時こそ、天馬として知られていたからこそ、価値のある白玉を山のように積み上げても到底、売ってもらえるようなものではないのである。どう頭をめぐらしてみても、漢の文帝の良馬九匹、其の一の紫燕騮などというものであってもまるで眼中になく、一笑にふされ、すべて愚かなものとして斥けられるのを覚えるのが関の山であるくらいである。しかし、天馬は、やがて、天子に捨てられ、眷顧を得られなくなって、所構わず惑い走り、天子の御車を引きたいと思いつづけていても、持っている能力は変わることがなくても、ひとたび鞭を打たれて走らされても、こどくになってしまった馬は浮雲の飜るようなものである。天子の御車を引きたいと思いつづけていても、天馬の万里をかける能力の足も、寵愛を失えば、足踏みをして行き悩むだけであり、はるか先の九重の天門、閶闔門を見つめるだけなのである。

 

744-013-#3

天馬歌(卷三(一)二三四)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7691

全唐詩卷162_11-#3

李白集校注巻 03-012

李太白集 巻12-006 -#3

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

天馬歌(卷三(一)二三四)

162_11 《天馬歌》

卷二_12 《天馬歌》

詩題

天馬歌

文體

樂府

詩序

 

 

 

作地點

 

 

及地點

 

 

交遊人物

交遊地點

 

 

天馬歌 #1

(大宛国の汗血馬を祖として中国の良い馬は天馬としたが、この馬に託して、自己の不遇を詠嘆したものである。)

天馬來出月支窟,背爲虎文龍翼骨。

天馬は、もともと中国に産出したものではなく、遠き月支國の石屈に生まれ、はるばる東に来たのである。その形を見ると、背の毛並は虎の斑のようで肋骨は龍のようである。

嘶青雲,振綠髮,蘭筋權奇走滅沒。

天上の青雲を望んではいななき、緑髪の毿毿たる鬣を打ち振り、目の上のくぼみからは、一条の筋がはっきりととおっていて、あっぱれ名馬の顔相であるばかりか、走らせば、滅するがごとく、歿するがごとく、人の目にはとても止まるものではない。

騰崑崙,歷西極,四足無一蹶。

月支の故国より出でて、崑崙の山に飛び上がり、西極を経て、やがて中国に入ってきたのである。長く険しい道を通ってくる間、四足は一度も躓いたことはなかった。

#2

雞鳴刷燕晡秣越,神行電邁躡慌惚。

こで、雞鳴の時に北方の燕の國において巣作りをして雛を養っていたかとおもうと、日暮れには、南方である越の地方で秣かうという、一日のうちに、中国の北の端から南の果てまでも、駆け通すというので、その走る姿は、神霊が飛行したり、電光がひらめいたりするようで、足が地につくかつかぬほどで、「慌惚を躡む」というほどである。

天馬呼,飛龍趨,目明長庚臆雙鳧。

この天馬が声を上げて一度嘶けば、たちまちのうちに飛竜厩の駿馬たちも一斉に走り出し、目はキラキラと輝き、まるでそれは宵の明星がと見まごうばかりで、兩の胸は高く膨れ上がって二羽のカモを並べたようである。

尾如流星首渴烏,口噴紅光汗溝朱。

尻尾はふさふさとして、流星の光芒のようであり、首は水をくみ上げる渴烏と同じような形をしているし、口中は、真っ赤に輝き、汗の流れるところは溝を為して、血の色に潤っていて、まさに「汗血馬」という所以そのものである。

曾陪時龍躡天衢,羈金絡月照皇都。

この天馬はかつて、天子のお供をして、都大路を練っていったことがあって、首や頬を絡める小金の綱は、月といわれる馬の頬に輝けば、その月が皇都を照らし輝いている。

#3

逸氣稜稜淩九區,白璧如山誰敢沽。

回頭笑紫燕,但覺爾輩愚。

天馬奔,戀君軒,〈音竦〉躍驚矯浮雲飜。

萬里足躑躅,遙瞻閶闔門。

したがって、馬は、逸氣稜稜として、九千里、世界を藐視していたほどであるが、この時こそ、天馬として知られていたからこそ、価値のある白玉を山のように積み上げても到底、売ってもらえるようなものではないのである。

どう頭をめぐらしてみても、漢の文帝の良馬九匹、其の一の紫燕騮などというものであってもまるで眼中になく、一笑にふされ、すべて愚かなものとして斥けられるのを覚えるのが関の山であるくらいである。

しかし、天馬は、やがて、天子に捨てられ、眷顧を得られなくなって、所構わず惑い走り、天子の御車を引きたいと思いつづけていても、持っている能力は変わることがなくても、ひとたび鞭を打たれて走らされても、こどくになってしまった馬は浮雲の飜るようなものである。

天子の御車を引きたいと思いつづけていても、天馬の万里をかける能力の足も、寵愛を失えば、足踏みをして行き悩むだけであり、はるか先の九重の天門、閶闔門を見つめるだけなのである。

#4

不逢寒風子,誰採逸景孫。

白雲在青天〈一本無青字〉,丘陵遠崔嵬。

鹽車上峻坂,倒行逆施畏日晚。

伯樂翦拂中道遺,少盡其力老棄之。

#5

願逢田子方,惻然爲我悲。

雖有玉山禾,不能療苦飢。

嚴霜五月凋桂枝,伏櫪銜冤摧兩眉。

請君贖獻穆天子,猶堪弄影舞瑤池。

(天馬歌)#1

天馬來たって月支の窟より出づ,背は虎文を爲し 翼骨を龍にす。

青雲に嘶き,綠髮を振い,蘭筋 權奇 走って滅沒す。

崑崙に騰り,西極を歷たり,四足 一蹶無し。

#2

雞鳴には燕に刷【つくろ】い晡【ひぐれ】には越に秣【まぐさか】う,神行電邁 躡んで慌惚。

天馬呼び,飛龍趨り,目は長庚よりも明かに 臆は雙鳧【そうふ】。

尾は流星の如く首は渴烏,口は紅光を噴いて汗溝は朱なり。

曾て時龍に陪して天衢を躡み,羈金 絡月 皇都を照らす。

#3

逸氣 稜稜として九區を淩ぎ,白璧 山の如く 誰か敢て沽わん。

頭を回らして 紫燕を笑い,但だ覺ゆ 爾 輩の愚なるを。

天馬奔り,君が軒を戀う,躍【しょうやく】驚矯 浮雲飜える。

萬里 足 躑躅,遙に瞻る 閶闔の門。

#4

寒風子に逢わず,誰か採らん 逸景の孫。

白雲 青天に在り,丘陵 遠く崔嵬。

鹽車 峻坂に上り,倒行 逆施 日の晚るるを畏る。

伯樂 翦拂 中道に遺し,少にして其の力を盡し 老いて之を棄つ。

#5

願わくば田子方に逢うて,惻然として我が爲に悲しまん。

玉山も禾有りと雖も,飢に苦しむを療する能わず。

嚴霜 五月 桂枝を凋み,伏櫪 冤を銜んで兩眉を摧く。

請う君 贖【あがな】うて穆天子に獻ぜよ,猶お影を弄して瑤池に舞うに堪えたり。

 

 

《天馬歌》 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

逸氣稜稜淩九區,白璧如山誰敢沽。

回頭笑紫燕,但覺爾輩愚。

天馬奔,戀君軒,〈音竦〉躍驚矯浮雲飜。

萬里足躑躅,遙瞻閶闔門。

 

(下し文)

#3

逸氣 稜稜として九區を淩ぎ,白璧 山の如く 誰か敢て沽わん。

頭を回らして 紫燕を笑い,但だ覺ゆ 爾 輩の愚なるを。

天馬奔り,君が軒を戀う,躍【しょうやく】驚矯 浮雲飜える。

萬里 足 躑躅,遙に瞻る 閶闔の門。

 

(現代語訳)

(大宛国の汗血馬を祖として中国の良い馬は天馬としたが、この馬に託して、自己の不遇を詠嘆したものである。)

したがって、馬は、逸氣稜稜として、九千里、世界を藐視していたほどであるが、この時こそ、天馬として知られていたからこそ、価値のある白玉を山のように積み上げても到底、売ってもらえるようなものではないのである。

どう頭をめぐらしてみても、漢の文帝の良馬九匹、其の一の紫燕騮などというものであってもまるで眼中になく、一笑にふされ、すべて愚かなものとして斥けられるのを覚えるのが関の山であるくらいである。

しかし、天馬は、やがて、天子に捨てられ、眷顧を得られなくなって、所構わず惑い走り、天子の御車を引きたいと思いつづけていても、持っている能力は変わることがなくても、ひとたび鞭を打たれて走らされても、こどくになってしまった馬は浮雲の飜るようなものである。

天子の御車を引きたいと思いつづけていても、天馬の万里をかける能力の足も、寵愛を失えば、足踏みをして行き悩むだけであり、はるか先の九重の天門、閶闔門を見つめるだけなのである。

 

 

(訳注)
#3

(大宛国の汗血馬を祖として中国の良い馬は天馬としたが、この馬に託して、自己の不遇を詠嘆したものである。)

 

逸氣稜稜淩九區,白璧如山誰敢沽。

したがって、馬は、逸氣稜稜として、九千里、世界を藐視していたほどであるが、この時こそ、天馬として知られていたからこそ、価値のある白玉を山のように積み上げても到底、売ってもらえるようなものではないのである。

25. 逸気【いっき】 1 他よりも優れた気質。2 気持ちが高ぶること。

26. 稜稜 ① 角立つさま。気質などの鋭くきびしいさま。   寒気のすさまじいさま。

27. 九區 《赭白馬賦》「罄九區而率順」 李善の註に「九區九服也。」とあり、王畿千里を中心に、その外、千里ごとに境界とするこれを服という。そして、いちいち、名をつけて、九千里に及ぶという、したがってこれを世界という義で使われている。

28. 沽 あたい,あらい,うる, 意味 商品と代金を交換する。値をつけて売買する。川名。山東省東部にある。昔の姑水コスイ。 酒をうることを職業としている人。 大まかであらい。粗悪である。

 

回頭笑紫燕,但覺爾輩愚。

どう頭をめぐらしてみても、漢の文帝の良馬九匹、其の一の紫燕騮などというものであってもまるで眼中になく、一笑にふされ、すべて愚かなものとして斥けられるのを覚えるのが関の山であるくらいである。

29. 紫燕 良馬の名。漢の文帝の良馬九匹、其の一つを紫燕騮という、許生の詩能を比較する。九逸《西京雜記》:漢文帝自代還,有良馬九匹,皆天下駿足也。名曰浮雲、赤電、群、逸群、紫燕騮、祿螭驄、龍子、嶙駒、塵,號九逸。有來宣能禦。古時良馬之一。南朝梁.簡文帝《九日侍皇太子樂遊宴》「紫燕躍武,赤兔越空。」李白《鄴中王大勸入高鳳石門山幽居》「紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。」(紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。)わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

267-#3 《卷八34鄴中贈王大-#3Ⅰ李白詩1537 紀頌之の漢詩ブログ6233

南朝梁.沈約〈三月三日率爾成章〉詩:「綠幘文照耀,紫燕光陸離。」 李善の註に「尸子曰我得民而治、則馬有紫燕蘭池。」と。そのことを延濟の註に「紫燕良馬也。」とある。

 

天馬奔,戀君軒,躍驚矯浮雲飜。

しかし、天馬は、やがて、天子に捨てられ、眷顧を得られなくなって、所構わず惑い走り、天子の御車を引きたいと思いつづけていても、持っている能力は変わることがなくても、ひとたび鞭を打たれて走らされても、こどくになってしまった馬は浮雲の飜るようなものである。

30. 君軒 天子の御車。

31.  馬の轡を引いて走らせること。鞭を打たれて走らされるような意。

32. 浮雲 1 空に浮かんでいる雲。うきぐも。2 定まらないこと、また、はかなく頼りないことのたとえ。

 

萬里足躑躅,遙瞻閶闔門。

天子の御車を引きたいと思いつづけていても、天馬の万里をかける能力の足も、寵愛を失えば、足踏みをして行き悩むだけであり、はるか先の九重の天門、閶闔門を見つめるだけなのである。

33. 躑躅 足踏みすること。ためらうこと。たたずむ、行きなやむ、あしぶみする、「躅(ちょく)」も、あしずりする、あがくといった意味で、「躑躅(てきちょく)」とは、歩行の進まない状態、あしぶみを意味をいう。

34. 閶闔門 九重の天門。宮殿の正門。晋の金陵の南面に四門あり、最西を西掖門、正中を大司馬門、次の東側を南掖門、次を東掖門と称した。宋の時代に、南掖門を閶闔門と改めた。

張衡《西京賦》「閶闔之,別風嶕嶢。」(閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり)漢の宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

張平子(張衡)《西京賦》(23)(建章宮〔一〕)102 文選 紀頌之の漢詩ブログ3848

 

744年-013-#2卷162_11-#2 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7685

天馬歌

 

 

 

20161122

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

Ⅰ李白詩(李白詩校注)

744年-013-#2卷162_11-#2 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7685

 

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744年-013-#6卷162_11 天馬歌 【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7715

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-21 巻一 15-#4 醉贈張祕書Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7686

 

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 巻一 15-#6 醉贈張祕書 【字解集】 7693

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

Ⅲ 杜詩詳注

まとめ22 暮春題瀼溪新賃草屋五首と住まいと夔州での農業 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7693

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog

花間集 訳注解説 巻一16 (22)回目温庭筠 《更漏子六首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7694 (11/22)

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

.唐五代詞詩・玉臺新詠・女性 LiveDoorBlog

玉-018-#2 古詩八首其四 (古詩十九首之第十七首) 無名氏  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7695

 

●薛濤の全詩

●花間集(1

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●花間集(5

 

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 

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744-013-#2162_11-#2 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7685

(大宛国の汗血馬を祖として中国の良い馬は天馬としたが、この馬に託して、自己の不遇を詠嘆したものである。)#2

こで、雞鳴の時に北方の燕の國において巣作りをして雛を養っていたかとおもうと、日暮れには、南方である越の地方で秣かうという、一日のうちに、中国の北の端から南の果てまでも、駆け通すというので、その走る姿は、神霊が飛行したり、電光がひらめいたりするようで、足が地につくかつかぬほどで、「慌惚を躡む」というほどである。この天馬が声を上げて一度嘶けば、たちまちのうちに飛竜厩の駿馬たちも一斉に走り出し、目はキラキラと輝き、まるでそれは宵の明星がと見まごうばかりで、兩の胸は高く膨れ上がって二羽のカモを並べたようである。尻尾はふさふさとして、流星の光芒のようであり、首は水をくみ上げる渴烏と同じような形をしているし、口中は、真っ赤に輝き、汗の流れるところは溝を為して、血の色に潤っていて、まさに「汗血馬」という所以そのものである。この天馬はかつて、天子のお供をして、都大路を練っていったことがあって、首や頬を絡める小金の綱は、月といわれる馬の頬に輝けば、その月が皇都を照らし輝いている。

 

 

744-013-#1

天馬歌(卷三(一)二三四)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7679

全唐詩卷162_11-#1

李白集校注巻 03-012

李太白集 巻12-006

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

天馬歌(卷三(一)二三四)

162_11 《天馬歌》

卷二_12 《天馬歌》

詩題

天馬歌

文體

樂府

詩序

 

 

 

作地點

 

 

及地點

 

 

交遊人物

交遊地點

 

 

天馬歌 #1

(大宛国の汗血馬を祖として中国の良い馬は天馬としたが、この馬に託して、自己の不遇を詠嘆したものである。)

天馬來出月支窟,背爲虎文龍翼骨。

天馬は、もともと中国に産出したものではなく、遠き月支國の石屈に生まれ、はるばる東に来たのである。その形を見ると、背の毛並は虎の斑のようで肋骨は龍のようである。

嘶青雲,振綠髮,蘭筋權奇走滅沒。

天上の青雲を望んではいななき、緑髪の毿毿たる鬣を打ち振り、目の上のくぼみからは、一条の筋がはっきりととおっていて、あっぱれ名馬の顔相であるばかりか、走らせば、滅するがごとく、歿するがごとく、人の目にはとても止まるものではない。

騰崑崙,歷西極,四足無一蹶。

月支の故国より出でて、崑崙の山に飛び上がり、西極を経て、やがて中国に入ってきたのである。長く険しい道を通ってくる間、四足は一度も躓いたことはなかった。

#2

雞鳴刷燕晡秣越,神行電邁躡慌惚。

こで、雞鳴の時に北方の燕の國において巣作りをして雛を養っていたかとおもうと、日暮れには、南方である越の地方で秣かうという、一日のうちに、中国の北の端から南の果てまでも、駆け通すというので、その走る姿は、神霊が飛行したり、電光がひらめいたりするようで、足が地につくかつかぬほどで、「慌惚を躡む」というほどである。

天馬呼,飛龍趨,目明長庚臆雙鳧。

この天馬が声を上げて一度嘶けば、たちまちのうちに飛竜厩の駿馬たちも一斉に走り出し、目はキラキラと輝き、まるでそれは宵の明星がと見まごうばかりで、兩の胸は高く膨れ上がって二羽のカモを並べたようである。

尾如流星首渴烏,口噴紅光汗溝朱。

尻尾はふさふさとして、流星の光芒のようであり、首は水をくみ上げる渴烏と同じような形をしているし、口中は、真っ赤に輝き、汗の流れるところは溝を為して、血の色に潤っていて、まさに「汗血馬」という所以そのものである。

曾陪時龍躡天衢,羈金絡月照皇都。

この天馬はかつて、天子のお供をして、都大路を練っていったことがあって、首や頬を絡める小金の綱は、月といわれる馬の頬に輝けば、その月が皇都を照らし輝いている。

#3

逸氣稜稜淩九區,白璧如山誰敢沽。

回頭笑紫燕,但覺爾輩愚。

天馬奔,戀君軒,〈音竦〉躍驚矯浮雲飜。

萬里足躑躅,遙瞻閶闔門。

#4

不逢寒風子,誰採逸景孫。

白雲在青天〈一本無青字〉,丘陵遠崔嵬。

鹽車上峻坂,倒行逆施畏日晚。

伯樂翦拂中道遺,少盡其力老棄之。

#5

願逢田子方,惻然爲我悲。

雖有玉山禾,不能療苦飢。

嚴霜五月凋桂枝,伏櫪銜冤摧兩眉。

請君贖獻穆天子,猶堪弄影舞瑤池。

(天馬歌)#1

天馬來たって月支の窟より出づ,背は虎文を爲し 翼骨を龍にす。

青雲に嘶き,綠髮を振い,蘭筋 權奇 走って滅沒す。

崑崙に騰り,西極を歷たり,四足 一蹶無し。

#2

雞鳴には燕に刷【つくろ】い晡【ひぐれ】には越に秣【まぐさか】う,神行電邁 躡んで慌惚。

天馬呼び,飛龍趨り,目は長庚よりも明かに 臆は雙鳧【そうふ】。

尾は流星の如く首は渴烏,口は紅光を噴いて汗溝は朱なり。

曾て時龍に陪して天衢を躡み,羈金 絡月 皇都を照らす。

#3

逸氣 稜稜として九區を淩ぎ,白璧 山の如く 誰か敢て沽わん。

頭を回らして 紫燕を笑い,但だ覺ゆ 爾 輩の愚なるを。

天馬奔り,君が軒を戀う,躍【しょうやく】驚矯 浮雲飜える。

萬里 足 躑躅,遙に瞻る 閶闔の門。

#4

寒風子に逢わず,誰か採らん 逸景の孫。

白雲 青天に在り,丘陵 遠く崔嵬。

鹽車 峻坂に上り,倒行 逆施 日の晚るるを畏る。

伯樂 翦拂 中道に遺し,少にして其の力を盡し 老いて之を棄つ。

#5

願わくば田子方に逢うて,惻然として我が爲に悲しまん。

玉山も禾有りと雖も,飢に苦しむを療する能わず。

嚴霜 五月 桂枝を凋み,伏櫪 冤を銜んで兩眉を摧く。

請う君 贖【あがな】うて穆天子に獻ぜよ,猶お影を弄して瑤池に舞うに堪えたり。

 


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744年-013卷162_11 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7625

天馬歌 

  

 

 

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揚雄 《甘泉賦》

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-5 806年39歳(2)25

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index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

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杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

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●魚玄機全詩

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744-013162_11 天馬歌(卷三(一)二三四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7625

(大宛国の汗血馬を祖として中国の良い馬は天馬としたが、この馬に託して、自己の不遇を詠嘆したものである。)

天馬は、もともと中国に産出したものではなく、遠き月支國の石屈に生まれ、はるばる東に来たのである。その形を見ると、背の毛並は虎の斑のようで肋骨は龍のようである。

天上の青雲を望んではいななき、緑髪の毿毿たる鬣を打ち振り、目の上のくぼみからは、一条の筋がはっきりととおっていて、あっぱれ名馬の顔相であるばかりか、走らせば、滅するがごとく、歿するがごとく、人の目にはとても止まるものではない。

月支の故国より出でて、崑崙の山に飛び上がり、西極を経て、やがて中国に入ってきたのである。長く険しい道を通ってくる間、四足は一度も躓いたことはなかった。

 

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李太白集

天馬歌(卷三(一)二三四)

162_11 《天馬歌》

卷二_12 《天馬歌》

詩題

天馬歌

文體

樂府

詩序

 

 

 

作地點

 

 

及地點

 

 

交遊人物

交遊地點

 

 

天馬歌 #1

(大宛国の汗血馬を祖として中国の良い馬は天馬としたが、この馬に託して、自己の不遇を詠嘆したものである。)

天馬來出月支窟,背爲虎文龍翼骨。

天馬は、もともと中国に産出したものではなく、遠き月支國の石屈に生まれ、はるばる東に来たのである。その形を見ると、背の毛並は虎の斑のようで肋骨は龍のようである。

嘶青雲,振綠髮,蘭筋權奇走滅沒。

天上の青雲を望んではいななき、緑髪の毿毿たる鬣を打ち振り、目の上のくぼみからは、一条の筋がはっきりととおっていて、あっぱれ名馬の顔相であるばかりか、走らせば、滅するがごとく、歿するがごとく、人の目にはとても止まるものではない。

騰崑崙,歷西極,四足無一蹶。

月支の故国より出でて、崑崙の山に飛び上がり、西極を経て、やがて中国に入ってきたのである。長く険しい道を通ってくる間、四足は一度も躓いたことはなかった。

#2

雞鳴刷燕晡秣越,神行電邁躡慌惚。

天馬呼,飛龍趨,目明長庚臆雙鳧。

尾如流星首渴烏,口噴紅光汗溝朱。

曾陪時龍躡天衢,羈金絡月照皇都。

#3

逸氣稜稜淩九區,白璧如山誰敢沽。

回頭笑紫燕,但覺爾輩愚。

天馬奔,戀君軒,〈音竦〉躍驚矯浮雲飜。

萬里足躑躅,遙瞻閶闔門。

#4

不逢寒風子,誰採逸景孫。

白雲在青天〈一本無青字〉,丘陵遠崔嵬。

鹽車上峻坂,倒行逆施畏日晚。

伯樂翦拂中道遺,少盡其力老棄之。

#5

願逢田子方,惻然爲我悲。

雖有玉山禾,不能療苦飢。

嚴霜五月凋桂枝,伏櫪銜冤摧兩眉。

請君贖獻穆天子,猶堪弄影舞瑤池。

(天馬歌)#1

天馬來たって月支の窟より出づ,背は虎文を爲し 翼骨を龍にす。

青雲に嘶き,綠髮を振い,蘭筋 權奇 走って滅沒す。

崑崙に騰り,西極を歷たり,四足 一蹶無し。

#2

雞鳴には燕に刷【つくろ】い晡【ひぐれ】には越に秣【まぐさか】う,神行電邁 躡んで慌惚。

天馬呼び,飛龍趨り,目は長庚よりも明かに 臆は雙鳧【そうふ】。

尾は流星の如く首は渴烏,口は紅光を噴いて汗溝は朱なり。

曾て時龍に陪して天衢を躡み,羈金 絡月 皇都を照らす。

#3

逸氣 稜稜として九區を淩ぎ,白璧 山の如く 誰か敢て沽わん。

頭を回らして 紫燕を笑い,但だ覺ゆ 爾 輩の愚なるを。

天馬奔り,君が軒を戀う,躍【しょうやく】驚矯 浮雲飜える。

萬里 足 躑躅,遙に瞻る 閶闔の門。

#4

寒風子に逢わず,誰か採らん 逸景の孫。

白雲 青天に在り,丘陵 遠く崔嵬。

鹽車 峻坂に上り,倒行 逆施 日の晚るるを畏る。

伯樂 翦拂 中道に遺し,少にして其の力を盡し 老いて之を棄つ。

#5

願わくば田子方に逢うて,惻然として我が爲に悲しまん。

玉山も禾有りと雖も,飢に苦しむを療する能わず。

嚴霜 五月 桂枝を凋み,伏櫪 冤を銜んで兩眉を摧く。

請う君 贖【あがな】うて穆天子に獻ぜよ,猶お影を弄して瑤池に舞うに堪えたり。

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李白《月下獨酌四首》【字解集】

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

Ⅰ李白詩(李白詩校注)

李白《月下獨酌四首》【字解集】

 

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

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楚辞・九歌》東君

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

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杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

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 李白《月下獨酌四首》【字解集】

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1.【題義】 この詩は、ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。

2.無相親 この場において伴侶となるべき人がいないことを言う。

3. 明月 旧暦八月十五日の月を明月という。曇りなく澄みわたった満月。また、名月。《季 秋》「―や無筆なれども酒は呑む/漱石」明月地に堕ちず白日度を失わず天体の運行は不変の法則によって営まれる。天運にさからうことはできないことをいう。

4. 三人 自分がいて、そこに月が出てくる、月を擬人化して二人目とし、やがて、月がのぼり、自分の影が人の形を成してきて三人目。

5. 行樂 山野などに行って遊び楽しむこと。遊山(ゆさん)。寒食、清明節の時期に行う。

李白に《宮中行樂詞八首》がある。○宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。

 玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。

宮中行樂詞八首其一  李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白142

6. 零亂 乱れ動く。

7. 交歡・分散 酔いがさめると互いに喜びあい、酔いが回ると、それぞれが分散して取り留めなくなる。

8. 無情遊 ここにある「無情」は精神や感情などの心の働きのないことという悪い意味ではなく、俗世界とは無縁、世俗の情思にとらわれることのないことを言う。

9. 雲漢 天の川と仙界。河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 - 413

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李白317-#2 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白317-#2> Ⅰ李白詩1629 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6693

10. 酒星 酒が醗酵するのは壽星にある。天が酒を造ったという考え。

孔融と曹操 酒禁書に論じ、「天垂、酒星之耀地列酒泉之郡。」(天垂、酒星の耀、酒泉之郡に地列す。) 

・晋書に「軒轅右角南三星曰酒旗、酒官之旗也。主宴享酒食。五星、守酒旗。」(軒轅の右角の南の三星は酒旗と曰う、酒官の旗なり。宴享酒食を主り、五星、酒旗を守る。)とある。

11. 酒泉 酒にはいい湧き出る泉の水がないといけない。

・漢書 「酒泉郡、武帝太初元年開。」(酒泉郡、武帝の太初元年に開く。) 

・應劭 註「其水若酒故曰酒泉也。」(其の水 酒の若し、故に酒泉と曰うなり。)

・顔師古 註 相傳俗云城下有金泉泉味如酒。」(相い傳う、俗に云う、城下に金泉有り、泉の味 酒の如し。)

12. 天地 万物を作りたもうた神仙。

13. 愛酒 酒を愛することであるが、現実界の悦楽を得ることを含む。道教の教え。

14. 清、聖:濁、賢 竹林の七賢は濁り酒を飲んで清談をした、聖は清酒、仙人は清酒を飲んだ。・清比聖 藝文類聚、魏畧曰、「太祖、禁酒、而人竊飲之、故難言酒、以濁酒為賢人、清酒為聖人。」(太祖、酒を禁ず、而して人は竊かに之を飲む、故に酒と言い難たく、以て濁酒を賢人と為し、清酒を聖人と為す。)とある。

15. 賢聖 濁り酒と清酒 賢人と仙人 

16. 神仙 道教の教え

17. 大道 道教の教え天師道。 

18. 自然 道教の神仙説。神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合する。

19.  酒を飲むにはこれだけの趣がある。 

20. 醒者 儒教者のことを指す。

道教は老荘思想に天師道、神仙説の融合したものであること、多くの要素から成立しているのであるから、その影響の仕方も様々であって、ある場合には老荘の説に基く純思想とする場合と、天師道の儀式のようなある意味愚民のたぶらかしとなる場合もある。
李白の場合にはこれらすべてが、彼の詩と生活とに根強い影響を与えているのである。この詩の中に道教を否定する、あるいは愚弄するかのような部分は儒教的な見方からのもので、李白は道教を否定はしていない。
李白は、詞と、酒と、自然が彼の生活の中で一体化しているのである。


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744年-012-#2卷172_6-#2 夕霽杜陵登樓寄韋繇(卷十三(一)八三一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7673

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

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 744-012-#2172_6-#2 夕霽杜陵登樓寄韋繇(卷十三(一)八三一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7673

 かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

 

744-012-#2

夕霽杜陵登樓寄韋繇

(卷十三(一)八三一)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7673

全唐詩卷172_6-#21

李白集校注巻 13-006-#2

李太白集 巻12-006-#2

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

(卷十三(一)八三一)

  卷172 _6

卷十二_6 夕 P382

詩題

夕霽杜陵登樓寄韋繇

文體

五言古詩

詩序

 

 

 

寫作地點

萬年(京畿道 / 京兆府 / 萬年)

 

寫及地點

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵

0

交遊人物

韋繇

交遊地點

書信往來

 

夕霽杜陵登樓寄韋繇(卷十三(一)八三一)

夕霽杜陵登樓寄韋繇 #1

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明瑩徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

原野曠超緬,關河紛雜重。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

清暉映竹日,翠色明雲松。
竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。
#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。

結桂空佇立,折麻恨莫從。

桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

#2

海を蹈んで遐想を寄せ,山に還らんとして舊蹤に迷う。

徒然として晚暮に迫る,未だ心胸に諧【かな】うを果さず。

桂を結び 空しく佇立し,麻を折り 恨むらくは 從う莫し。
君を思うて 永夜に達し,長樂に 疏鐘を聞く。

漢長安城 00

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744年-012-#1卷172_6-#1 夕霽杜陵登樓寄韋繇(卷十三(一)八三一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7667

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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744年-011卷168_37 口號贈楊徵君(卷九(一)六五九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7615

 

 

 

 

 

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

757年-17 暮春題瀼溪新賃草屋五首其一 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六一○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7663

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

 

 

 

 

 

 

 

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花間集 訳注解説 巻一12 (17)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其十二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7664 (11/17)

 

 

 

 

 

 

 

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玉臺新詠序の字解集

玉-016-#1 古詩八首其二 (古詩十九首之第十六首) 無名氏  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7665

 

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744
-011168_37 口號贈楊徵君(卷九(一)六五九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7615

(楊某が召されて上京するに就けて、口占して贈ったもの)

六朝期の陶淵明は、五斗米のために、腰を屈することを潔とせず、彭澤の令を辞して、田園に帰り、後漢の梁鴻は、富貴功名を欲することはなく、会稽山の山水のきわめて麗しいところに隠遁していた。我は、高士傳を尋ねにつけて、終生その志を高尚にしたのは、この二人にとどめを刺すように思っていたのであるが、今君のような人がいるという事は陶淵明や梁鴻という人物と比較して引けを取るものではない。はこれまで、西山に隠れ、白雲に臥し、丹壑に留まるという考えであったけれど、しばしばおもむろに紫泥で封じられた勅書を下され、しきりに召され出されたので、もはや断りきれないことになり、山を下られることとなったのである。楊震は、「関西の孔子」と称されていたが、君がひとたび、長安に入ったならば、その声価はこれに引けを取るものではない、だから、いつ君は出発されるのであろうか、なるべく早く発程されたほうがよいであろう。

 

744-011

口號贈楊徵君(卷九(一)六五九)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7661

全唐詩卷168_37

李白集校注巻 09-041

李太白集 巻08-041

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

(卷九(一)六五九)

  卷168_37

  卷八_41

詩題

口號贈楊徵君

文體

五言律詩

詩序

原註 此公時被徵帝 

 

 

 

 

 

 

 

 

寫作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

寫及地點

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰

0

 

0

 

 

 

0

 

 

交遊人物

徵君鴻  (廬鴻)

交遊地點

書信往來

 

 

 

口號贈楊徵君(卷九(一)六五九)

(楊某が召されて上京するに就けて、口占して贈ったもの)

陶令辭彭澤,梁鴻入會稽。

六朝期の陶淵明は、五斗米のために、腰を屈することを潔とせず、彭澤の令を辞して、田園に帰り、後漢の梁鴻は、富貴功名を欲することはなく、会稽山の山水のきわめて麗しいところに隠遁していた。

我尋高士傳,君與古人齊。

我は、高士傳を尋ねにつけて、終生その志を高尚にしたのは、この二人にとどめを刺すように思っていたのであるが、今君のような人がいるという事は陶淵明や梁鴻という人物と比較して引けを取るものではない。

雲臥留丹壑,天書降紫泥。

はこれまで、西山に隠れ、白雲に臥し、丹壑に留まるという考えであったけれど、しばしばおもむろに紫泥で封じられた勅書を下され、しきりに召され出されたので、もはや断りきれないことになり、山を下られることとなったのである。

不知楊伯起,早晚向關西。

楊震は、「関西の孔子」と称されていたが、君がひとたび、長安に入ったならば、その声価はこれに引けを取るものではない、だから、いつ君は出発されるのであろうか、なるべく早く発程されたほうがよいであろう。

 

(口號 楊徵君に贈る)

(原註には「此れ公、時に帝に徵さるる」とある)

陶令 彭澤を辭し,梁鴻 會稽に入る。

我は 高士傳を尋ぬ,君は 古人と齊し。

雲臥 丹壑に留み,天書 紫泥を降す。

知らず 楊伯の起,早晚 關西に向う。


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744年-010卷163_8 于闐採花(卷四(一)二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7655

于闐採花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161116

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩(李白詩校注)

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孟浩然

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

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諸葛亮 出師表

 

 

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兩都賦序・西都賦・東都賦

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《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-16 巻一 14-10-#2 秋懷詩,十一首之十Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7656

 

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韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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757年-16 卜居 杜詩詳注(卷一八(四)一六○九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7657

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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花間集 訳注解説 巻一11 (16)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其十一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7658 (11/16)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

 

 

●魚玄機全詩

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744-010163_8 于闐採花(卷四(一)二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7655

 

(西域異民族の于闐国の花を摘む女ということで、王昭君の事を詠じたもの)

西域異民族の于闐国の花を摘む女は、自分の顔色も、その花に似ていると思っているものである。

それは彼女たちが中国の花、美女を知らないからで、王昭君がある朝、匈奴に嫁して匈奴に入ったときに、胡中の美女たちはその美しさに多くのものが、羞死したという。

このことで中国には名姝がとても多くいるということが認知され、胡中の花では比べるものがなかったというのである。

王昭君がなぜ匈奴に入ったのかというと、後宮絵師の毛延寿に賄賂を渡さなかったために選定画を見にくく書かれたことで、不美人を選定し、胡地に送ったのであった。是と反対に、無鹽のごとき醜いものであっても多分な賄賂を贈っていれば、選定画を絶世の美女に書き上げ後宮の妃賓の列に加わり、君側に侍することになるのである。

古より言われていることわざ通り、蛾眉は後宮に入れば、妬まれるものであり、それも胡地に送られることを言うのであり、その絶世の美女は胡地の砂漠に明眸皓歯をうずめて、ついに帰らぬ人となった。人生には、凡そ、このような実に慨嘆に堪えぬこともあるのである。

 

 

 

744-010

于闐採花(卷四(一)二九三)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7655

全唐詩卷163_8

李白集校注巻 04-008

李太白集 巻22-0010

 

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

于闐採花(卷四(一)二九三)

163_8 《於闐采花》 

于闐採花(卷三-8) P349 

詩題

于闐採花

文體

樂府

詩序

 

 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點

0

0

交遊人物

 

交遊地點

 

 

 

于闐採花

(西域異民族の于闐国の花を摘む女ということで、王昭君の事を詠じたもの)

于闐採花人,自言花相似。

西域異民族の于闐国の花を摘む女は、自分の顔色も、その花に似ていると思っているものである。

明妃一朝西入胡,胡中美女多羞死。

それは彼女たちが中国の花、美女を知らないからで、王昭君がある朝、匈奴に嫁して匈奴に入ったときに、胡中の美女たちはその美しさに多くのものが、羞死したという。

乃知漢地多名姝,胡中無花可方比。

このことで中国には名姝がとても多くいるということが認知され、胡中の花では比べるものがなかったというのである。

丹青能令醜者妍,無鹽翻在深宮裡。

王昭君がなぜ匈奴に入ったのかというと、後宮絵師の毛延寿に賄賂を渡さなかったために選定画を見にくく書かれたことで、不美人を選定し、胡地に送ったのであった。是と反対に、無鹽のごとき醜いものであっても多分な賄賂を贈っていれば、選定画を絶世の美女に書き上げ後宮の妃賓の列に加わり、君側に侍することになるのである。

自古妒蛾眉,胡沙埋皓齒。

古より言われていることわざ通り、蛾眉は後宮に入れば、妬まれるものであり、それも胡地に送られることを言うのであり、その絶世の美女は胡地の砂漠に明眸皓歯をうずめて、ついに帰らぬ人となった。人生には、凡そ、このような実に慨嘆に堪えぬこともあるのである。

 

(于闐【うてん】 花を採る)

于闐 花を採る人,自ら言う 花 相い似たり と。

明妃 一朝 西に 胡に入る,胡中の美女 多く羞死す。

乃ち知る 漢地に名姝多く,胡中 花の方比す可き無きを。

丹青 能く醜者をして妍なら令む,無鹽 翻って 深宮の裡に在り。

古より 蛾眉を妒み,胡沙 皓齒を埋む。

 

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744年-009-#2卷182_22.4 月下獨酌四首 其四 -#2(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7649

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ⅰ李白詩(李白詩校注)

744年-009-#2卷182_22.4 月下獨酌四首 其四 -#2(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7649

 

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index-3 805年陽山から江陵36

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index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

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index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

 

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杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

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●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

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●花間集(5

 

 

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

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744
-009-#2182_22.4 月下獨酌四首 其四 -#2卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7649

 

月下獨酌四首 其四 -#2(酒さえ傾ければ、愁いはやって来ないというのに、伯夷・叔斉、顔回などは立派な人ではあるが、愁いの淵から脱却できたわけでなく、飢餓で死んでしまっては、何の役に立とうか。)月下に獨酌する四首の其の四
五帝の昔、節義に殉じた伯夷・叔斉は、〝周の粟を辞退して″首陽山に隠棲したし、学問に励んだ顔回は、箪飃「屡空」した貧困のなかで到底飢えを免れることはなかった。これらの事例は、崇高な目標が、餓死によって思いは達成できなかったということで、誠に気の毒な話である。自分が生きていることを自覚する今の時にあたって、飲酒を楽しまず、伯夷・叔斉、顔回の生き方を真似、虚勢を張った所で、何の役に立たないのである。酒の肴であるカニのハサミの肉は、この上ないものであり、不老不死の金液に比すべきものであるし、酒を醸造した後の酒糟で作った丘こそは、この世に存在する蓬莱山というべきものである。そういうことであるから、心行くまで存分に美酒を飲み、美しい月の光に乗じて、立派な高臺の上で酔うことにするのが一番である。

 

744-009-#2

月下獨酌四首其四 -#2            (卷二三(二)一三三三)

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全唐詩卷182_22.4-#2

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卷別

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全唐詩

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詩題

月下獨酌四首    其三(卷二三(二)一三三三)

文體

古今體詩・閒適

 

詩序

0

 

 

 

 

作地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州

及地點

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸

 

0

 

 

 

 

交遊人物

 

交遊地點

0

 

 

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

#2

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

(月下獨酌 四首 其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其二

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2

天若不愛酒,酒星不在天。

天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
地若不愛酒,地應無酒泉。

地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

#2

已聞清比聖,復道濁如賢。

酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
賢聖既已飲,何必求神仙。

それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
三杯通大道,一斗合自然。

そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 

但得酒中趣,勿為醒者傳。

だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 
月下獨酌 四首其の二) #1
天 若し酒を愛せざれば、酒星 天に在らず。
地 若し酒を愛せざれば、地 応に酒泉 無かるべし
天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧じず。
#2

すでに聞く 清の聖に比し、 復た道ふ 濁は賢の如しと。
賢聖 既に すでに飲む、何ぞ必ずしも 神仙を求めん。
三杯 大道に通じ、 一斗 自然に合す。
但だ 酔中の趣を得たり、醒者の為に伝ふること勿れ。

 

月下獨酌四首其三 
(咸陽城中の三月のころ、様々の花が咲き乱れて、さながら錦のようである。陶潜「飲酒二十首」を意識して春の飲酒を述べたものである。)

三月咸陽城、千花晝如錦。

咸陽城中の弥生三月は、様々な花が咲き乱れ、紅緑紫黄色、それぞれが華やかに映じて、 長安の城下の昼は千の花がまるであざやかな錦を織りなす。
誰能春獨愁、對此徑須飲。 
この春の長閑な気配のなかで、愁いに暮れるのは愚の骨頂で、誰れがこのすばらしい春にそんな気持ちになろうか、花咲匂うこの景色に対しては、すぐに杯をとって酒を飲むしかないではないか。

窮通與修短、造化夙所稟。

人の世の窮通と修短、貧窮と栄達、人の寿命の長短はあたえられたものであり、万物創造の神から与えられたところの宿命であって、嘆いたり悔んだりしても仕方がない。
一樽齊死生、萬事固難審。 
そこで、一樽の酒に対して、死ぬことも生きることも同じように見ることが良いことで、世のすべて事柄は、もとより、その真相がわかったものではないということである。
醉後失天地。兀然就孤枕。

酔ってしまった後は、天地、この世界の存在をも全く忘れてしまい、ごろりとひとり枕について、快げに眠ってしまう。
不知有吾身。此樂最為甚。

酔ってしまうとわが身の存在も忘れてしま、この行楽の喜びこそが、この上もないことなのである。 

月下獨酌四首其の三) 
三月 咸陽城、千花 昼 錦の如し。
誰か能よく 春 独り愁ふる、此に対して徑【ただち】に須【すべか】らく飲むべし。
窮通と修短と、造化の夙【つと】に稟【う】くる所。
一樽 死生を斉しく、万事 固より審【つまびらか】にし難し。
酔ひし後 天地を失い、兀然として孤り枕に就く。
吾が身の有るを知らず、此の楽しみ 最も甚しと為す。

 

月下獨酌四首其四 #1

(酒さえ傾ければ、愁いはやって来ないというのに、伯夷・叔斉、顔回などは立派な人ではあるが、愁いの淵から脱却できたわけでなく、飢餓で死んでしまっては、何の役に立とうか。)月下に獨酌する四首の其の四
窮愁千萬端,美酒三百杯。

この世においては、窮愁というもの、毎日の事、様々に入り乱れて思うにまかせぬものであり、心が休まるものではないのであるから、そのために、美酒、三百杯を尽くすのである。
愁多酒雖少,酒傾愁不來。

一年のこと、毎日愁いは多く、これに対して、酒は少ないけれど、酒さえ傾けてさえいれば、さしもの愁いは、おしよせて来はしない。

所以知酒聖,酒酣心自開。

だからこそ、清酒を「聖」といったのもよく理解できることであり、酒を傾けて、これが酣になると、愁いの心、結ばれていた心も、豁然として自然に開かれ、愁いは消えてゆくのである。

#2

辭粟臥首陽,屢空飢顏回。

當代不樂飲,虛名安用哉。

蟹螯即金液,糟丘是蓬萊。

且須飲美酒,乘月醉高臺。

(酒さえ傾ければ、愁いはやって来ないというのに、伯夷・叔斉、顔回などは立派な人ではあるが、愁いの淵から脱却できたわけでなく、飢餓で死んでしまっては、何の役に立とうか。)月下に獨酌する四首の其の四
五帝の昔、節義に殉じた伯夷・叔斉は、〝周の粟を辞退して″首陽山に隠棲したし、学問に励んだ顔回は、箪飃「屡空」した貧困のなかで到底飢えを免れることはなかった。これらの事例は、崇高な目標が、餓死によって思いは達成できなかったということで、誠に気の毒な話である。

自分が生きていることを自覚する今の時にあたって、飲酒を楽しまず、伯夷・叔斉、顔回の生き方を真似、虚勢を張った所で、何の役に立たないのである。

酒の肴であるカニのハサミの肉は、この上ないものであり、不老不死の金液に比すべきものであるし、酒を醸造した後の酒糟で作った丘こそは、この世に存在する蓬莱山というべきものである。
そういうことであるから、心行くまで存分に美酒を飲み、美しい月の光に乗じて、立派な高臺の上で酔うことにするのが一番である。月下獨酌四首其の四 
窮愁 千萬端、美酒 三百杯。
愁い多くして酒少なしと雖いえども、酒 傾くれば愁ひは来たらず。
所以に酒の聖たるを知り、酒 酣にして 心自ら開く。

#2
粟【ぞく】を辞して 首陽に臥し、屡しば 空しくて 顔回を飢えしむ。
当代 飲を楽しまず、虚名 安くんぞ用あらんや。
蟹螯【かいごう】は即ち金液、糟丘は是れ蓬莱。
且つ須らく美酒を飲み、月に乗じて高台に酔ふべし。

 


 

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744年-009卷182_22.4  月下獨酌四首其四(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7643

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161114

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩(李白詩校注)

744年-009卷182_22.4  月下獨酌四首其四(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7643

 

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孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

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兩都賦序・西都賦・東都賦

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楚辞・九歌》東君

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-14 巻一 14-9-#2 秋懷詩,十一首之九 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7644

 

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韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

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757年-14 入宅三首其三 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7645

暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

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花間集 訳注解説 巻一09 (14)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其九》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7646 (11/14)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

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玉-014 玉臺新詠集序⒁§4-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7647

 

 

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744
-009182_22.4 月下獨酌四首其四(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7643

月下獨酌四首其四 #1 (酒さえ傾ければ、愁いはやって来ないというのに、伯夷・叔斉、顔回などは立派な人ではあるが、愁いの淵から脱却できたわけでなく、飢餓で死んでしまっては、何の役に立とうか。)月下に獨酌する四首の其の四
この世においては、窮愁というもの、毎日の事、様々に入り乱れて思うにまかせぬものであり、心が休まるものではないのであるから、そのために、美酒、三百杯を尽くすのである。一年のこと、毎日愁いは多く、これに対して、酒は少ないけれど、酒さえ傾けてさえいれば、さしもの愁いは、おしよせて来はしない。だからこそ、清酒を「聖」といったのもよく理解できることであり、酒を傾けて、これが酣になると、愁いの心、結ばれていた心も、豁然として自然に開かれ、愁いは消えてゆくのである。

 

 

 

744-009-#1

月下獨酌四首其四(卷二三(二)一三三三)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7637

全唐詩卷182_22.4-#1

李白集校注巻 23-009

李太白集 巻22-009

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

-23-008

182_22.3

-22-008

詩題

月下獨酌四首    其三(卷二三(二)一三三三)

文體

古今體詩・閒適

 

詩序

0

 

 

 

 

作地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州

及地點

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸

 

0

 

 

 

 

交遊人物

 

交遊地點

0

 

 

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

#2

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

(月下獨酌 四首 其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其二

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2

天若不愛酒,酒星不在天。

天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
地若不愛酒,地應無酒泉。

地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

#2

已聞清比聖,復道濁如賢。

酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
賢聖既已飲,何必求神仙。

それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
三杯通大道,一斗合自然。

そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 

但得酒中趣,勿為醒者傳。

だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 
月下獨酌 四首其の二) #1
天 若し酒を愛せざれば、酒星 天に在らず。
地 若し酒を愛せざれば、地 応に酒泉 無かるべし
天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧じず。
#2

すでに聞く 清の聖に比し、 復た道ふ 濁は賢の如しと。
賢聖 既に すでに飲む、何ぞ必ずしも 神仙を求めん。
三杯 大道に通じ、 一斗 自然に合す。
但だ 酔中の趣を得たり、醒者の為に伝ふること勿れ。

 


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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

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漁父辞(屈原

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韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

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index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

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-008182_22.3 月下獨酌四首    其三(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7637

 

月下獨酌四首其三(咸陽城中の三月のころ、様々の花が咲き乱れて、さながら錦のようである。陶潜「飲酒二十首」を意識して春の飲酒を述べたものである。)

咸陽城中の弥生三月は、様々な花が咲き乱れ、紅緑紫黄色、それぞれが華やかに映じて、 長安の城下の昼は千の花がまるであざやかな錦を織りなす。この春の長閑な気配のなかで、愁いに暮れるのは愚の骨頂で、誰れがこのすばらしい春にそんな気持ちになろうか、花咲匂うこの景色に対しては、すぐに杯をとって酒を飲むしかないではないか。人の世の窮通と修短、貧窮と栄達、人の寿命の長短はあたえられたものであり、万物創造の神から与えられたところの宿命であって、嘆いたり悔んだりしても仕方がない。そこで、一樽の酒に対して、死ぬことも生きることも同じように見ることが良いことで、世のすべて事柄は、もとより、その真相がわかったものではないということである。酔ってしまった後は、天地、この世界の存在をも全く忘れてしまい、ごろりとひとり枕について、快げに眠ってしまう。酔ってしまうとわが身の存在も忘れてしま、この行楽の喜びこそが、この上もないことなのである。 

 

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月下獨酌四首

其三(卷二三(二)一三三三)

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李白集校注

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李太白集

-23-008

182_22.3

-22-008

詩題

月下獨酌四首    其三(頁一三三三)

文體

古今體詩・閒適

 

詩序

0

 

 

 

 

作地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州

及地點

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸

 

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月下獨酌四首其三 
(咸陽城中の三月のころ、様々の花が咲き乱れて、さながら錦のようである。陶潜「飲酒二十首」を意識して春の飲酒を述べたものである。)

三月咸陽城、千花晝如錦。

咸陽城中の弥生三月は、様々な花が咲き乱れ、紅緑紫黄色、それぞれが華やかに映じて、 長安の城下の昼は千の花がまるであざやかな錦を織りなす。
誰能春獨愁、對此徑須飲。 
この春の長閑な気配のなかで、愁いに暮れるのは愚の骨頂で、誰れがこのすばらしい春にそんな気持ちになろうか、花咲匂うこの景色に対しては、すぐに杯をとって酒を飲むしかないではないか。

窮通與修短、造化夙所稟。

人の世の窮通と修短、貧窮と栄達、人の寿命の長短はあたえられたものであり、万物創造の神から与えられたところの宿命であって、嘆いたり悔んだりしても仕方がない。
一樽齊死生、萬事固難審。 
そこで、一樽の酒に対して、死ぬことも生きることも同じように見ることが良いことで、世のすべて事柄は、もとより、その真相がわかったものではないということである。
醉後失天地。兀然就孤枕。

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月下獨酌四首其の三) 
三月 咸陽城、千花 昼 錦の如し。
誰か能よく 春 独り愁ふる、此に対して徑【ただち】に須【すべか】らく飲むべし。
窮通と修短と、造化の夙【つと】に稟【う】くる所。
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744年-007-#2 卷182_22.2 月下獨酌四首 其二-#2 (卷二三(二)一三三二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7631

        
 2016年11月12日の紀頌之5つの校注Blog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 
 Ⅰ李白詩(李白詩校注)744年-007-#2 卷182_22.2 月下獨酌四首 其二-#2 (卷二三(二)一三三二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7631 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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 index-5 806年39歳(2)25首index-6 807~809年 20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳57首index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(7)759年秦州詩 66首杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36首杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45首杜甫詩(10)761年、50歳 成都82首杜甫詩(11)762年蜀中転々43首杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49首 
        
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 
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744年-007-#2 182_22.2 月下獨酌四首    其二-#2 卷二三(二)一三三二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7631

酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 

744-007-#2

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三二)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7631

全唐詩巻182_-22.-2-#2

李白集校注巻 23-007

767年大暦256  (12)

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷二三(二)頁一三三二

  卷182_22  2

巻二二-6 

詩題

月下獨酌四首 其一

文體

五言古詩

 

 

詩序

 

 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點

0

0

交遊人物

 

交遊地點

 

 

 

744-006

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

#2

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

(月下獨酌 四首 其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其二

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2

天若不愛酒,酒星不在天。

天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
地若不愛酒,地應無酒泉。

地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

#2

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。

酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 
だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 
月下獨酌 四首其の二) #1
天 若し酒を愛せざれば、酒星 天に在らず。
地 若し酒を愛せざれば、地 応に酒泉 無かるべし
天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧じず。
#2

すでに聞く 清の聖に比し、 復た道ふ 濁は賢の如しと。
賢聖 既に すでに飲む、何ぞ必ずしも 神仙を求めん。
三杯 大道に通じ、 一斗 自然に合す。
但だ 酔中の趣を得たり、醒者の為に伝ふること勿れ。

月下獨酌四首其三

三月咸陽城,千花晝如錦。

〈上二句一作「好鳥吟清風,落花散如錦」;一作「園鳥語成歌,庭花笑如錦」〉

誰能春獨愁,對此徑須飲。

窮通與修短,造化夙所稟。

一樽齊死生,萬事固難審。

醉後失天地,兀然就孤枕。

不知有吾身,此樂最爲甚。

 

月下獨酌四首其四

窮愁千萬端,美酒三百杯。

愁多酒雖少,酒傾愁不來。

所以知酒聖,酒酣心自開。

#2

辭粟臥首陽,屢空飢顏回。

當代不樂飲,虛名安用哉。

蟹螯即金液,糟丘是蓬萊。

且須飲美酒,乘月醉高臺。

 

李太白集校注(王琦)

  月下獨酌四首

花間一作下文/苑作前一壺酒、獨酌無相親。舉杯邀明月、對影成三人。

月既不解飲、影徒随我身。暫伴月将影、行樂須及春。

我歌月徘徊、我舞影零亂。醒時同交歡、醉後各分

永結無情遊、相期邈雲漢。文苑作/碧巖畔

  其二

天若不愛酒酒星不在天地若不愛酒地應無酒文苑/作醴

泉天地既愛酒愛酒不媿天巳聞清比聖復道濁如賢

賢聖既已飲何必求神仙三杯通大道一斗合自然但

得酒繆本/作醉中趣勿為醒者傳孔融與曹操論酒禁書天/垂酒星之耀地列酒泉之

郡晋書軒轅右角南三星曰酒旗酒官之旗也主宴享/酒食漢書酒泉郡武帝太初元年開應劭註其水若酒

故曰酒泉也顔師古註相傳俗云城下有金泉泉味如/酒藝文類聚魏畧曰太祖禁酒而人竊飲之故難言酒

以濁酒為賢人清酒為聖人晋書孟嘉好酣飲愈多不/亂桓温問嘉酒有何好而卿嗜之嘉曰公未得酒中趣

耳跡胡震亨曰此首乃馬子才詩也胡元瑞云近舉李/墨 為證詩可偽筆不可偽耶琦按馬子才乃宋元祐

中人而文苑英華已載/太白此詩胡説恐誤

  其三

三月咸陽城一作/千花晝如錦一作好鳥吟清風落花/如錦一作園鳥語

歌庭花/笑如錦誰能春獨愁對此徑須飲窮通與修短造化夙

所禀一樽齊死生萬事固難審醉後失天地兀然就孤

枕不知有吾身此樂最為甚梁元帝詩黄龍戍北花如/錦洛陽伽藍記春風扇

花樹如錦淮南子輕天下/細萬物齊死生同變化

  其四

窮愁千萬一作/有千端美酒三百一作/惟数杯愁多酒雖少酒傾

愁不來所以知酒聖一作/聖賢酒酣心自開辭粟卧首陽/

餓伯/屢空飢一作/顔回當代不樂飲虚名安用哉蟹螯

即金液糟丘是蓬萊且須飲美酒乘月醉髙臺晋書畢/卓嘗謂

人曰得酒滿数百斛船四時甘味置兩頭右手持酒杯註/左手持蟹螯拍浮酒船中便足了一生矣金液見五巻

糟丘見/七巻註

 

 

 

《月下獨酌四首 其二》現代語訳と訳註解説
(
本文)

月下獨酌四首 其二#2

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。

(下し文)
月下獨酌 四首其の二) #2

すでに聞く 清の聖に比し、 復た道ふ 濁は賢の如しと。
賢聖 既に すでに飲む、何ぞ必ずしも 神仙を求めん。
三杯 大道に通じ、 一斗 自然に合す。
但だ 酔中の趣を得たり、醒者の為に伝ふること勿れ。

(現代語訳)
(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2#2

酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 
だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 

(訳注と解説) 

月下獨酌四首 其二

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その二

 

已聞清比聖、復道濁如賢。 
酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
14. 清、聖:濁、賢 竹林の七賢は濁り酒を飲んで清談をした、聖は清酒、仙人は清酒を飲んだ。・清比聖 藝文類聚、魏畧曰、「太祖、禁酒、而人竊飲之、故難言酒、以濁酒為賢人、清酒為聖人。」(太祖、酒を禁ず、而して人は竊かに之を飲む、故に酒と言い難たく、以て濁酒を賢人と為し、清酒を聖人と為す。)とある。


賢聖既已飲、何必求神仙。 
それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
15. 賢聖 濁り酒と清酒 賢人と仙人 

16. 神仙 道教の教え

 

三杯通大道、一斗合自然。 
そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 
17. 大道 道教の教え天師道。 

18. 自然 道教の神仙説。神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合する。


但得酒中趣、勿為醒者傳。 
だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 
19.  酒を飲むにはこれだけの趣がある。 

20. 醒者 儒教者のことを指す。



道教は老荘思想に天師道、神仙説の融合したものであること、多くの要素から成立しているのであるから、その影響の仕方も様々であって、ある場合には老荘の説に基く純思想とする場合と、天師道の儀式のようなある意味愚民のたぶらかしとなる場合もある。
李白の場合にはこれらすべてが、彼の詩と生活とに根強い影響を与えているのである。この詩の中に道教を否定する、あるいは愚弄するかのような部分は儒教的な見方からのもので、李白は道教を否定はしていない。
李白は、詞と、酒と、自然が彼の生活の中で一体化しているのである。

744年-007-#1 卷182_22.2 月下獨酌四首 其二-#1卷二三(二)頁一三三二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7625

744-007-#1 182_22.2 月下獨酌四首    其二-#1 (頁一三三二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7625

 

月下獨酌四首    其二-#1 (ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2

天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

        
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744-007-#1

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三二)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7625

全唐詩巻182_-22.-2-#1

李白集校注巻 23-007

767年大暦256  (11)

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷二三(二)頁一三三二

  卷182_22  2

巻二二-6 

詩題

月下獨酌四首 其一

文體

五言古詩

 

 

詩序

 

 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點

0

0

交遊人物

 

交遊地點

 

 

 

744-006

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

#2

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

(月下獨酌 四首 其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其二

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2

天若不愛酒,酒星不在天。

天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
地若不愛酒,地應無酒泉。

地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

#2

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。

月下獨酌 四首其の二) #1
天 若し酒を愛せざれば、酒星 天に在らず。
地 若し酒を愛せざれば、地 応に酒泉 無かるべし
天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧じず。
#2

すでに聞く 清の聖に比し、 復た道ふ 濁は賢の如しと。
賢聖 既に すでに飲む、何ぞ必ずしも 神仙を求めん。
三杯 大道に通じ、 一斗 自然に合す。
但だ 酔中の趣を得たり、醒者の為に伝ふること勿れ。

月下獨酌四首其三

三月咸陽城,千花晝如錦。

〈上二句一作「好鳥吟清風,落花散如錦」;一作「園鳥語成歌,庭花笑如錦」〉

誰能春獨愁,對此徑須飲。

窮通與修短,造化夙所稟。

一樽齊死生,萬事固難審。

醉後失天地,兀然就孤枕。

不知有吾身,此樂最爲甚。

 

月下獨酌四首其四

窮愁千萬端,美酒三百杯。

愁多酒雖少,酒傾愁不來。

所以知酒聖,酒酣心自開。

#2

辭粟臥首陽,屢空飢顏回。

當代不樂飲,虛名安用哉。

蟹螯即金液,糟丘是蓬萊。

且須飲美酒,乘月醉高臺。

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744年-006-#2卷182_22.1 月下獨酌四首 其一 (卷二三(二)頁一三三一)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7619

744-006-#2182_22.1 月下獨酌四首  其一 (卷二三(二)頁一三三一)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7619

 

 

月下獨酌四首其一#2(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

 

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

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月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

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767年大暦256  (11)

 

        
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卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷二三(二)頁一三三一

  卷182_22  1

巻二二-6 

詩題

月下獨酌四首 其一

文體

五言古詩

 

 

詩序

 

 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點

0

0

交遊人物

 

交遊地點

 

 

 

744-006

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

#2

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

(月下獨酌 四首 其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其一

花間一壺酒,獨酌無相親。

舉杯邀明月,對影成三人。

月既不解飲,影徒隨我身。

 

暫伴月將影,行樂須及春。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

醒時同交歡,醉後各分散。

永結無情遊,相期邈雲漢。

 

月下獨酌四首其二

天若不愛酒,酒星不在天。

地若不愛酒,地應無酒泉。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。

 

 

月下獨酌四首其三

三月咸陽城,千花晝如錦。

〈上二句一作「好鳥吟清風,落花散如錦」;一作「園鳥語成歌,庭花笑如錦」〉

誰能春獨愁,對此徑須飲。

窮通與修短,造化夙所稟。

一樽齊死生,萬事固難審。

醉後失天地,兀然就孤枕。

不知有吾身,此樂最爲甚。

 

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744-006182_22.1-#1月下獨酌四首其一(卷二三(二)頁一三三一)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7590

 

月下獨酌四首其一(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

 

744-006-#1

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

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 杜甫詩(7)759年秦州詩 66首杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36首杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45首杜甫詩(10)761年、50歳 成都82首杜甫詩(11)762年蜀中転々43首杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49首 
        
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全唐詩

李太白集

卷二三(二)頁一三三一

  卷182_22  1

巻二二-6 

詩題

月下獨酌四首 其一

文體

五言古詩

 

 

詩序

 

 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點

0

0

交遊人物

 

交遊地點

 

 

 

744-006

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

#2

暫伴月將影,行樂須及春。我歌月徘徊,我舞影零亂。

醒時同交歡,醉後各分散。永結無情遊,相期邈雲漢。

 

(月下獨酌 四首其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其一

花間一壺酒,獨酌無相親。

舉杯邀明月,對影成三人。

月既不解飲,影徒隨我身。

 

暫伴月將影,行樂須及春。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

醒時同交歡,醉後各分散。

永結無情遊,相期邈雲漢。

 

月下獨酌四首其二

天若不愛酒,酒星不在天。

地若不愛酒,地應無酒泉。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。

 

 

月下獨酌四首其三

三月咸陽城,千花晝如錦。

〈上二句一作「好鳥吟清風,落花散如錦」;一作「園鳥語成歌,庭花笑如錦」〉

誰能春獨愁,對此徑須飲。

窮通與修短,造化夙所稟。

一樽齊死生,萬事固難審。

醉後失天地,兀然就孤枕。

不知有吾身,此樂最爲甚。

 

 

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744年-005-#2卷179_5 秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)ⅠⅠ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7607

744-005-#2179_5 秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》)ⅠⅠ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7607

 

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓#2 その狐兔を迎え、さえぎって、一隊の人々とあい

待ち受け、囲い込んで追い立ていく、城の東の狩り場に出る四方に広がった野原の獲物を一掃し、取りつくしてしまい、それから、喧呼して、鞍馬の前に集まり、馬を降りて収獲の歓声を挙げるのである。ほどなく單父城の東樓にもどって、おのおのの獲物を献上するのである、これを丸焼や串焼して喰らい、霜ふる空の寒さをも忘れて五体も、たちまちのうちに温かくなった。そこに、二人の美人芸妓がでて舞いはじめたその姿は、飄々として雲上の仙女のようにしなやかなさまは、一層興を深めた。ここにとどまり、疲れを忘れて一晩飲み明かして、歓楽しつづける、やがてすがすがしい明け方になって初めて各々その家に帰ったので誠に近来まれに見るところの快遊であったのである。


        
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 Ⅰ李白詩(李白詩校注)744年-005-#2卷179_5 秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)ⅠⅠ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7607 
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 孟浩然李白詩謝霊運司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》揚雄 《甘泉賦》 諸葛亮 出師表 
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 Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注806年-008 巻一 14-6 秋懷詩,十一首之六Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7608 
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 杜甫詩(1)736~751年  53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)757年、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53首杜甫詩(6)759年 三吏三別 44首 
 杜甫詩(7)759年秦州詩 66首杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36首杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45首杜甫詩(10)761年、50歳 成都82首杜甫詩(11)762年蜀中転々43首杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49首 
        
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 
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744-005-#2

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷十六(二)九九三)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7607

全唐詩 巻一七九

李白集校注巻 16-020

767年大暦256  (9)

 

 

 

作者: 李白 

皇帝紀年: 天寶三年  744  44 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

 16-020

一七九

15-020

詩題

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷十六(二)九九三)

文體

五言古詩

 

詩序

 

 

  

 

 

 

 

作地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州

及地點

孟諸澤 (河南道 宋州 虞城) 別名:孟諸     

 

單父 (河南道 宋州 單父)     

 

 

 

 

交遊人物

 

交遊地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州

 

 

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓

(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)

傾暉速短炬,走海無停川。 

傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
冀餐圓丘草,欲以還年。 

人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
此事不可得,微生若浮煙。 

こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。 

そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。 

その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。

邀遮相馳逐,遂出城東田。 

一掃四野空,喧呼鞍馬前。 

歸來獻所獲,炮炙宜霜天。 

出舞兩美人,飄颻若雲仙。 

留歡不知疲,清曉方來旋。   

その狐兔を迎え、さえぎって、一隊の人々とあい待ち受け、囲い込んで追い立ていく、城の東の狩り場に出る

四方に広がった野原の獲物を一掃し、取りつくしてしまい、それから、喧呼して、鞍馬の前に集まり、馬を降りて収獲の歓声を挙げるのである。

ほどなく單父城の東樓にもどって、おのおのの獲物を献上するのである、これを丸焼や串焼して喰らい、霜ふる空の寒さをも忘れて五体も、たちまちのうちに温かくなった。
そこに、二人の美人芸妓がでて舞いはじめたその姿は、飄々として雲上の仙女のようにしなやかなさまは、一層興を深めた。

ここにとどまり、疲れを忘れて一晩飲み明かして、歓楽しつづける、やがてすがすがしい明け方になって初めて各々その家に帰ったので誠に近来まれに見るところの快遊であったのである。

 

(秋、孟諸に猟し、夜帰りて単父の東楼に置酒して妓を観る)

傾暉は短炬よりも速かに、走海に 停川無し。

冀【こいねが】わくは 圓丘の草を餐し、以て頽年を還さんと欲す。

此の事  得可からず、微生 浮烟の若し。

駿発 名駒に跨り、雕弓 鳴弦を控う。

鷹 豪にして魯草白く、狐兎 肥鮮多し。

#2

邀遮【ようしゃ】して相い馳逐し、遂に城東の田に出づ。

一掃して四野空しく、喧呼す 鞍馬の前。

帰来 獲る所を献じ、炮炙  霜天に宜し。

出でて舞う 両美人、飄颻として雲仙の若し。

留歓 疲るるを知らず、清暁 方に来り旋る。

 

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷十六(二)九九三)

【孟諸】 杜預 春秋經傳集解 孟諸 宋大藪也。在梁國睢陽縣東北。

 元和郡縣志、孟諸澤在宋州虞城縣西北十里、周迴五十里、俗號盟諸澤。善單父音 甫

傾暉速短炬,走海無停川。  冀餐圓丘草,欲以還年。 

此事不可得,微生若浮煙。  駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。 

鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。  邀遮相馳逐,遂出城東田。 

一掃四野空,喧呼鞍馬前。  歸來獻所獲,炮炙宜霜天。 

出舞兩美人,飄颻若雲仙。  留歡不知疲,清曉方來旋。 

【圓丘】 鮑照詩 傾暉忽西下。郭璞詩 「圓丘有竒草。」李善註「外國圖曰、圓丘有不/死樹、食之乃壽。

向註、「圓丘、山名。竒草芝草也。」

年】 陸機 愍思賦樂来日、之有繼傷頽年。

【駿發】 之莫纂詩 周頌 駿發。爾私 鄭箋 云駿疾也。

【雕弓】 東京賦雕弓斯彀薛綜註、雕弓謂有刻畫也。

【炮炙】 漢書 逢蒙列眥羿氏控。絃顔師古註、控引也。羽獵賦 「滛滛與與前後要遮説文炰毛炙肉也。」

:錢氏曰「凡肉置火中曰炮、近火曰炙。應瑒詩「公子敬愛客樂飲不知疲」

 

 

《秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓》現代語訳と訳註解説
(本文)
邀遮相馳逐,遂出城東田。 

一掃四野空,喧呼鞍馬前。 

歸來獻所獲,炮炙宜霜天。 

出舞兩美人,飄颻若雲仙。 

留歡不知疲,清曉方來旋。   


(下し文)
#2

邀遮【ようしゃ】して相い馳逐し、遂に城東の田に出づ。

一掃して四野空しく、喧呼す 鞍馬の前。

帰来 獲る所を献じ、炮炙  霜天に宜し。

出でて舞う 両美人、飄颻として雲仙の若し。

留歓 疲るるを知らず、清暁 方に来り旋る。


(現代語訳)
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)#2

その狐兔を迎え、さえぎって、一隊の人々とあい待ち受け、囲い込んで追い立ていく、城の東の狩り場に出る

四方に広がった野原の獲物を一掃し、取りつくしてしまい、それから、喧呼して、鞍馬の前に集まり、馬を降りて収獲の歓声を挙げるのである。

ほどなく單父城の東樓にもどって、おのおのの獲物を献上するのである、これを丸焼や串焼して喰らい、霜ふる空の寒さをも忘れて五体も、たちまちのうちに温かくなった。
そこに、二人の美人芸妓がでて舞いはじめたその姿は、飄々として雲上の仙女のようにしなやかなさまは、一層興を深めた。

ここにとどまり、疲れを忘れて一晩飲み明かして、歓楽しつづける、やがてすがすがしい明け方になって初めて各々その家に帰ったので誠に近来まれに見るところの快遊であったのである。


(訳注)
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓

(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)

 

邀遮相馳逐。 遂出城東田。
その狐兔を迎え、さえぎって、一隊の人々とあい待ち受け、囲い込んで追い立ていく、城の東の狩り場に出る

17. 邀遮 迎えうつ、さえぎる。

18. 馳逐 ①馬に乗ってはやい速度で追いかける。 ②競馬。

19. 東田 東の狩り場 謝朓の「遊東田」に基づいている。單父城の東側の郊外の田畑、原野を示すものであるが、謝朓の「遊東田」に基づいてつくられている。

 

一掃四野空。 喧呼鞍馬前。
四方に広がった野原の獲物を一掃し、取りつくしてしまい、それから、喧呼して、鞍馬の前に集まり、馬を降りて収獲の歓声を挙げるのである。
20. 四野 

 

歸來獻所獲。 炮炙宜霜天。
ほどなく單父城の東樓にもどって、おのおのの獲物を献上するのである、これを丸焼や串焼して喰らい、霜ふる空の寒さをも忘れて五体も、たちまちのうちに温かくなった。
21. 炮炙 

 

出舞兩美人。 飄搖若云仙。
そこに、二人の美人芸妓がでて舞いはじめたその姿は、飄々として雲上の仙女のようにしなやかなさまは、一層興を深めた。

 

留歡不知疲。 清曉方來旋。
ここにとどまり、疲れを忘れて一晩飲み明かして、歓楽しつづける、やがてすがすがしい明け方になって初めて各々その家に帰ったので誠に近来まれに見るところの快遊であったのである。

22. 不知疲 ここにとどまり、疲れを忘れて一晩飲み明かして、歓楽しつづける。

23. 清曉 すがすがしい明け方。きれいな空気の明け方。

 

 

 

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓 【字解】

 

1. 孟諸 孟諸澤のこと。

 杜預は、春秋經傳集解に 「孟諸は、宋の大藪なり。梁國 睢陽縣の東北に在り。」といっていて、元和郡縣志に、「孟諸澤は、宋州 虞城縣の西北十里に在り、周迴 五十里、、俗に盟諸澤と號す。」とある。

2. 置酒 酒宴を開くこと。さかもり。置酒高会:。盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。▽「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。

3. 單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。

李太白集巻十八04早秋單父南樓酬竇公衡

4. 東樓 この場所は、李白の《李太白集巻十五20單父東樓秋夜送族弟沈之秦》詩の二首にうたわれる。

これらのことが、杜甫の、《遣懐》では、「昔我遊宋中、惟梁孝王都。」といい、《昔遊》では「昔者与高李、晩登単父台。寒蕪際碣石、万里風雲来。桑柘葉如雨、飛藿共徘徊。」とこの時のことを回想している。

5. 傾暉 午後の西に傾く夕日をいう。南朝宋鮑照《秋夜》詩「傾暉忽西下,迴景思華幕。」

6. 短炬 炬火(たいまつ)が燃え尽きて行って、炎の長さが短くなっていることを言う。

7. 走海無停川 河の水が海に走っていく、川の水はどどまっている流れなどないのである。 

李白《巻三19-白頭吟》「東流不作西歸水,落花辭條羞故林。」それに、東に向って流れる水は、決して、再び西へは帰らず、一朝落花となって枝を辭したものは、再びもとの林に返ることを羞とすると同じく、一旦訣絶した上は、再びもとへは返らぬということはわかっていることである。

この《巻三19-白頭吟》の二句は、《孟子告子篇》告子曰、「性猶湍水也。決諸東方、則東流、決諸西方、則西流。人性之無分於善不善也、猶 水之無分於東西也。」孟子曰、「水信無分於東西、無分於上下乎。人性之善也、猶水之就下也。」によるものである。

李白341-#8 巻三19-《白頭吟》 341-#8Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-29) <李白341-#8> Ⅰ李白詩1674 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6918

8. 冀餐圓丘草 芝のような草ばかりの小山に生えている薬草を言う。その薬草を束れば、不老長寿を得ることができる。

【圓丘】 郭璞の詩に「圓丘有竒草。」とあり、李善の註に「外國圖に曰く、圓丘に不死の樹有り、之を食えば乃ち長壽がえられるものである」。

向に註に、「圓丘、山名。竒草芝草也。」(圓丘は、山の名、竒草は芝草なり。」とある。

9.  老年,暮年。衰老の年齢。 晉陸機《愍思賦》:“樂來日之有繼,傷頽年之莫纂。”

10. 駿發 駿は疾風のように早いこと。發は早発とおなじ。

11. 雕弓 彫刻と彩りをきれいに描かれ飾っている弓。

12. 控 引く。弓を手前に引くという意。 

13. 鷹豪 寒くなればなる補と鷹は猛猛しくなる。

14. 魯草白 炉の国の草のうえに霜、雪がかかっている様を言う。

15. 狐兔 鷹に追われて野に飛び出した狐や兎。

16. 多肥鮮 冬を迎えるにしっかりと越冬のために栄養を取っていることで、このような表現をした。  

744年-005-#1卷179_5 秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)ⅠⅠ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7601

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秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)

傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。

 

744-005-#1

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷十六(二)九九三)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7607

全唐詩 巻一七九

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 Ⅰ李白詩(李白詩校注)744年-005-#1卷179_5 秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)ⅠⅠ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7601 
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李白が長安の都を去った744年天宝三年春から、安禄山の乱が勃発した755年天宝十四年に至る十年間が、李白の第二回目の遍歴時代になる。彼の44歳から55歳までの時代である。
この間の足跡は十分には分かりかねるとされながらおおむね次の通りとされる。「北のかた趨・魏・燕・晋に抵り、西のかた岐・邠州を渉り、商於を歴て、洛陽に至り、梁に游ぶこと最も久し、復た斉・魯に之き、南のかた推・泗に游び、再び呉に入り、転じて金陵に徒り、秋浦・尋陽に止まる。」(「李太白文集後序」)
その多くは梁すなわち汴州(開封)地方において費やしていることになる。

 

 天宝三年 744年、杜甫はこの年も洛陽に留まっている。そうして夏のころ、高力士らの讒言によって長安の宮廷を追放され、傷心を抱いて洛陽にやって来た李白と、はじめて会っている。
 時に李白は四十四歳、杜甫より十一歳の年長であり、すでにその文名は天下に高かった。まだ無名の存在である杜甫は、あこがれと尊敬の念をもって李白の話に耳を傾けたのである。そうして、李白の謫仙人というべき人物と新鮮な詩風に心ひかれるままにその跡を追った杜甫は、当時やはり不遇であった高適(時に四十四歳)とも出会い、三人で梁・宋(河南省の開封・商邦)の地に遊ぶ。「壮遊」と同じく晩年に襲州で作られた「遣懐」(懐いを遣る)また「昔遊」の中に、そのときの様子が次のように詠われている。

昔遊 杜甫

遣懐(昔我遊宋中) 杜甫

 

 

作者: 李白 

皇帝紀年: 天寶三年  744  44 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

 16-020

一七九

15-020

詩題

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

文體

五言古詩

 

詩序

 

 

  

 

 

 

 

作地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州

及地點

孟諸澤 (河南道 宋州 虞城) 別名:孟諸     

 

單父 (河南道 宋州 單父)     

 

 

 

 

交遊人物

 

交遊地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州

 

 

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓

(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)

傾暉速短炬,走海無停川。 

傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
冀餐圓丘草,欲以還年。 

人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
此事不可得,微生若浮煙。 

こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。 

そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。 

その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。

 

邀遮相馳逐,遂出城東田。 

一掃四野空,喧呼鞍馬前。 

歸來獻所獲,炮炙宜霜天。 

出舞兩美人,飄颻若雲仙。 

留歡不知疲,清曉方來旋。   

 

(秋、孟諸に猟し、夜帰りて単父の東楼に置酒して妓を観る)

傾暉は短炬よりも速かに、走海に 停川無し。

冀【こいねが】わくは 圓丘の草を餐し、以て頽年を還さんと欲す。

此の事  得可からず、微生 浮烟の若し。

駿発 名駒に跨り、雕弓 鳴弦を控う。

鷹 豪にして魯草白く、狐兎 肥鮮多し。

#2

邀遮【ようしゃ】して相い馳逐し、遂に城東の田に出づ。

一掃して四野空しく、喧呼す 鞍馬の前。

帰来 獲る所を献じ、炮炙  霜天に宜し。

出でて舞う 両美人、飄颻として雲仙の若し。

留歓 疲るるを知らず、清暁 方に来り旋る。

 

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷十六(二)九九三)

【孟諸】 杜預 春秋經傳集解 孟諸 宋大藪也。在梁國睢陽縣東北。

 元和郡縣志、孟諸澤在宋州虞城縣西北十里、周迴五十里、俗號盟諸澤。善單父音 甫

傾暉速短炬,走海無停川。  冀餐圓丘草,欲以還年。 

此事不可得,微生若浮煙。  駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。 

鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。  邀遮相馳逐,遂出城東田。 

一掃四野空,喧呼鞍馬前。  歸來獻所獲,炮炙宜霜天。 

出舞兩美人,飄颻若雲仙。  留歡不知疲,清曉方來旋。 

【圓丘】 鮑照詩 傾暉忽西下。郭璞詩 「圓丘有竒草。」李善註「外國圖曰、圓丘有不/死樹、食之乃壽。

向註、「圓丘、山名。竒草芝草也。」

年】 陸機 愍思賦樂来日、之有繼傷頽年。

【駿發】 之莫纂詩 周頌 駿發。爾私 鄭箋 云駿疾也。

【雕弓】 東京賦雕弓斯彀薛綜註、雕弓謂有刻畫也。

【炮炙】 漢書 逢蒙列眥羿氏控。絃顔師古註、控引也。羽獵賦 「滛滛與與前後要遮説文炰毛炙肉也。」

:錢氏曰「凡肉置火中曰炮、近火曰炙。應瑒詩「公子敬愛客樂飲不知疲」

 

 

《秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓》現代語訳と訳註解説
(本文)
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓

傾暉速短炬,走海無停川。 

冀餐圓丘草,欲以還年。 

此事不可得,微生若浮煙。 

駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。 

鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。 


(下し文)
(秋、孟諸に猟し、夜帰りて単父の東楼に置酒して妓を観る)

傾暉は短炬よりも速かに、走海に 停川無し。

冀【こいねが】わくは 圓丘の草を餐し、以て頽年を還さんと欲す。

此の事  得可からず、微生 浮烟の若し。

駿発 名駒に跨り、雕弓 鳴弦を控う。

鷹 豪にして魯草白く、狐兎 肥鮮多し。


(現代語訳)
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)

傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。

(訳注)
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓

(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)

1. 孟諸 孟諸澤のこと。

 杜預は、春秋經傳集解に 「孟諸は、宋の大藪なり。梁國 睢陽縣の東北に在り。」といっていて、元和郡縣志に、「孟諸澤は、宋州 虞城縣の西北十里に在り、周迴 五十里、、俗に盟諸澤と號す。」とある。

2. 置酒 酒宴を開くこと。さかもり。置酒高会:。盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。▽「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。

3. 單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。

李太白集巻十八04早秋單父南樓酬竇公衡

4. 東樓 この場所は、李白の《李太白集巻十五20單父東樓秋夜送族弟沈之》詩の二首にうたわれる。

これらのことが、杜甫の、《遣懐》では、「昔我遊宋中、惟梁孝王都。」といい、《昔遊》では「昔者与高李、晩登単父台。寒蕪際碣石、万里風雲来。桑柘葉如雨、飛藿共徘徊。」とこの時のことを回想している。


傾暉速短炬。 走海無停川。
傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
5. 傾暉 午後の西に傾く夕日をいう。南朝宋鮑照《秋夜》詩「傾暉忽西下,迴景思華幕。」

6. 短炬 炬火(たいまつ)が燃え尽きて行って、炎の長さが短くなっていることを言う。

7. 走海無停川 河の水が海に走っていく、川の水はどどまっている流れなどないのである。 

李白《巻三19-白頭吟》「東流不作西歸水,落花辭條羞故林。」それに、東に向って流れる水は、決して、再び西へは帰らず、一朝落花となって枝を辭したものは、再びもとの林に返ることを羞とすると同じく、一旦訣絶した上は、再びもとへは返らぬということはわかっていることである。

この《巻三19-白頭吟》の二句は、《孟子告子篇》告子曰、「性猶湍水也。決諸東方、則東流、決諸西方、則西流。人性之無分於善不善也、猶 水之無分於東西也。」孟子曰、「水信無分於東西、無分於上下乎。人性之善也、猶水之就下也。」によるものである。

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冀餐圓邱草。 欲以還年。
人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
8. 冀餐圓丘草 芝のような草ばかりの小山に生えている薬草を言う。その薬草を束れば、不老長寿を得ることができる。

【圓丘】 郭璞の詩に「圓丘有竒草。」とあり、李善の註に「外國圖に曰く、圓丘に不死の樹有り、之を食えば乃ち長壽がえられるものである」。

向に註に、「圓丘、山名。竒草芝草也。」(圓丘は、山の名、竒草は芝草なり。」とある。

9.  老年,暮年。衰老の年齢。 晉陸機《愍思賦》:“樂來日之有繼,傷頽年之莫纂。”

 

此事不可得。 微生若浮煙。
こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
 

駿發跨名駒。 雕弓控鳴弦。

そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
10. 駿發 駿は疾風のように早いこと。發は早発とおなじ。

11. 雕弓 彫刻と彩りをきれいに描かれ飾っている弓。

12. 控 引く。弓を手前に引くという意。 

 

鷹豪魯草白。 狐兔多肥鮮。
その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。

13. 鷹豪 寒くなればなる補と鷹は猛猛しくなる。

14. 魯草白 炉の国の草のうえに霜、雪がかかっている様を言う。

15. 狐兔 鷹に追われて野に飛び出した狐や兎。

16. 多肥鮮 冬を迎えるにしっかりと越冬のために栄養を取っていることで、このような表現をした。  

744年-004-#3卷179_16 春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7595

744-004-#3179_16 春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7595

 

春陪商州裴使君遊石娥溪(#3)その渓のかたわらには、春の名花おびただしく咲き満ちていて、ほどなく、日が暮れると、石上には、明月がかやき照らしている。そこで車を命じて、いよいよ帰ろうと別れを告げて、されば、青苔の上には夜露がしっとり潤っていて、まれにみるよい景色なのである。そして、尚、しばらくとどまって、夜が更けていくのを惜しみ、清猿が悲しく鳴くのを聞くのである。その清猿の悲鳴を聞くにつけ、人のはらわたを切り裂くのであり、遊子をして、故郷を思わしめるのである。いずれ、明朝、東に向かってゆくのであるが、その道すがら、今日の喜びは決してわすれないことであろう。

 

 

744-004 -#3

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7595

全唐詩卷179_16

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卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○

 卷179_16 春陪商州裴使君游石娥溪

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷一九-22

詩題

春陪商州裴使君遊石娥溪

文體

樂府

詩序

 

 

 

 

原注:時欲東遊()、遂有此贈

 

寫作地點

商州(山南東道 / 商州 / 商州

 

寫及地點

商州 (山南東道 商州 商州)     

石娥溪 (山南東道 商州 商州) 別名:仙娥溪、丹江、丹水     

 

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏     

 

西巖山 (山南東道 商州 商州) 別名:仙鵝峰     

 

交遊人物

裴使君

交遊地點

山南東道 商州 商州

 

 

744-004

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)

ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った

原注:時欲東遊()、遂有此贈

(原本の注に時に東に遊ばんと欲してとあるのを〔歸〕としていてそしてこの詩を贈る)

#1

裴公有仙標,拔俗數千丈。

裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。

澹蕩滄洲雲,飄颻紫霞想。

それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。

剖竹商洛間,政成心已閑。

かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。

蕭條出世表,冥寂閉玄關。

ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。

#2

我來屬芳節,解榻時相悅。

私がこの地に来てからは、まるで、正月、春節の時のように、榻を出してくれて歓待してくれて、互いに喜んでいるところである。

褰帷對雲峰,揚袂指松雪。

褰帳命婦がすだれを雲峰の高さまで巻き上げてくれて仰ぎ見ることができ、袂を揚げては、松上の雪を指さし、晨夕、隠棲の興をほしいままにしたのである。

暫出東城邊,遂遊西巖前。

こうして、しばらく、東城のほとりに出たが、遂に西巖の前に遊んだのである。

橫天聳翠壁,噴壑鳴紅泉。

そこは、見上げれば、翠壁は高く聳えて、天に横たわり、伏せば、きれいな水が、深壑から吹き出ているところである。

尋幽殊未歇,愛此春光發。

そこで、しきりに幽勝を尋ねて、それも全く休まずであるし、そこには春光のまさに酣であることをめでたのである。

#3

溪傍饒名花,石上有好月。

命駕歸去來,露華生翠苔。

淹留惜將晚,復聽清猿哀。

清猿斷人腸,遊子思故

明發首東路,此歡焉可忘。

その渓のかたわらには、春の名花おびただしく咲き満ちていて、ほどなく、日が暮れると、石上には、明月がかやき照らしている。

そこで車を命じて、いよいよ帰ろうと別れを告げて、されば、青苔の上には夜露がしっとり潤っていて、まれにみるよい景色なのである。

そして、尚、しばらくとどまって、夜が更けていくのを惜しみ、清猿が悲しく鳴くのを聞くのである。

その清猿の悲鳴を聞くにつけ、人のはらわたを切り裂くのであり、遊子をして、故郷を思わしめるのである。

いずれ、明朝、東に向かってゆくのであるが、その道すがら、今日の喜びは決してわすれないことであろう。

 

(春、商州の裴使君に陪して石娥溪に遊ぶ)

#1

裴公 仙標有り,俗を拔くこと 數千丈。

澹蕩たり 滄洲の雲,飄颻たり 紫霞の想。

竹を剖く 商洛の間,政成って 心 已に閑なり。

蕭條 世表を出て,冥寂 玄關を閉ず。

#2

我 來って 芳節に屬し,榻を解いて 時に相い悅ぶ。

帷を褰【かか】げて 雲峰に對し,袂を揚げて 松雪を指す。

暫く東城の邊に出で,遂に西巖の前に遊ぶ。

天に橫わって 翠壁聳え,壑を噴いて 紅泉鳴る。

幽を尋ねて 殊に未だ歇まず,此の春光の發するを愛す。

#3

溪傍 名花饒く,石上 好月有り。

駕を命じて 歸去來【かえりなんいざ】,露華 翠苔に生ず。

淹留 將に晚んとするを惜み,復た清猿の哀きを聽く。

清猿 人腸を斷ち,遊子 故思う

明發 東に首【むか】うの路,此の歡び 焉んぞ 忘る可けんや。

 

 

  春陪商州裴使君遊石娥溪原註時欲東遊遂有/此贈遊繆本作歸

  商州古商國也在晉為上洛郡在西魏為洛州在/後周為商州在唐亦謂之商州或為上洛郡。

  地有商山洛水依此立名屬關内道使君太守之稱石/娥溪當在仙娥峰下按雍勝畧商畧陜西通志仙

  娥峰在商州西十里峰之麓有西巖洞壑幽邃下/臨丹水古稱棲真之地李白嘗游此有詩曰暫出

  城東邊遂游西巖前横天聳翠壁噴壑鳴紅泉云/云是石娥溪卽仙娥峰下之溪也所謂紅泉者其

  卽丹/水歟

裴公有仙標拔俗數千丈澹蕩滄洲雲飄颻紫霞想剖

竹商洛間政成心巳閒蕭條出世表冥寂閉𤣥關我来

屬芳節解榻時相悦褰帷對雲峰揚袂指松雪暫出東

城邊遂遊西巖前横天聳翠壁噴壑鳴紅泉尋幽殊未

歇愛此春光發溪旁饒名花石上有好月命駕歸去来

露華生翠繆本/作緑苔淹留惜繆本/作昔將晚復聽清猿哀清猿

斷人腸遊子思故明發首東路此歡焉可忘世説註/向秀

傳曰秀字子期河内人少為同郡山濤所知又與譙國/嵇康東平安善並有拔俗之韻謝靈運詩剖竹守

海商洛詳見題註郭璞客傲無巖穴而冥寂無江湖而/放浪王屮

頭陀寺碑𤣥關幽鍵感而遂通張銑註𤣥

謂道之深邃也關鍵皆所以閉距於門者宋南平王鑠/詩徘徊去芳節梁元帝纂要春節曰芳節後漢書陳蕃

為樂安太守郡人周璆高潔之士前後郡守招命莫肯/至唯蕃能致焉特為置一榻去則懸之搴惟後漢賈琮

事見十四巻註顔延年詩山明望松雪謝靈運詩銅陵/映碧澗石磴瀉紅泉孔子歌巾車命駕將適唐都江淹

詩風光多樹色露華翻蕙隂蘇武詩征夫懐路遊子/戀故漢書韓信傳北首燕路顔師古曰首謂趣向也

音式究反鮑照詩首路/或參差投駕均

 

 

 

春陪商州裴使君遊石娥溪』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

溪傍饒名花,石上有好月。

命駕歸去來,露華生翠苔。

淹留惜將晚,復聽清猿哀。

清猿斷人腸,遊子思故

明發首東路,此歡焉可忘。

 

 

(下し文)

#3

溪傍 名花饒く,石上 好月有り。

駕を命じて 歸去來【かえりなんいざ】,露華 翠苔に生ず。

淹留 將に晚んとするを惜み,復た清猿の哀きを聽く。

清猿 人腸を斷ち,遊子 故を思う。

明發 東に首【むか】うの路,此の歡び 焉んぞ 忘る可けんや。

 

(現代語訳)

その渓のかたわらには、春の名花おびただしく咲き満ちていて、ほどなく、日が暮れると、石上には、明月がかやき照らしている。

そこで車を命じて、いよいよ帰ろうと別れを告げて、されば、青苔の上には夜露がしっとり潤っていて、まれにみるよい景色なのである。

そして、尚、しばらくとどまって、夜が更けていくのを惜しみ、清猿が悲しく鳴くのを聞くのである。

その清猿の悲鳴を聞くにつけ、人のはらわたを切り裂くのであり、遊子をして、故郷を思わしめるのである。

いずれ、明朝、東に向かってゆくのであるが、その道すがら、今日の喜びは決してわすれないことであろう。

 

(訳注・解説)

#3

溪傍饒名花,石上有好月。

その渓のかたわらには、春の名花おびただしく咲き満ちていて、ほどなく、日が暮れると、石上には、明月がかやき照らしている。

13. 名花 冬を経て、春に咲くあでやかなすべての花。

 

命駕歸去來,露華生翠苔。

そこで車を命じて、いよいよ帰ろうと別れを告げて、されば、青苔の上には夜露がしっとり潤っていて、まれにみるよい景色なのである。

14. 命駕 車駕を出す準備をするように命ずる。

 

淹留惜將晚,復聽清猿哀。

そして、尚、しばらくとどまって、夜が更けていくのを惜しみ、清猿が悲しく鳴くのを聞くのである。

 

清猿斷人腸,遊子思故

その清猿の悲鳴を聞くにつけ、人のはらわたを切り裂くのであり、遊子をして、故郷を思わしめるのである。

15. 清猿 サル。もの悲しげな鳴き声を出す猿。後世、中唐・劉禹錫の『竹枝詞』に「巫峽蒼蒼煙雨時,淸猿啼在最高枝。箇裏愁人腸自斷,由來不是此聲悲。」とある。

王昌齡《送別魏三》

醉別江樓橘柚香,江風引雨入船涼。

憶君遙在湘山月,愁聽清猿夢裏長。

(魏三に送別す)

醉ひて江樓に別るれば 橘柚香しく,江風 雨を引きて  船に入りて涼し。

憶ふ  君が 遙かに 湘山の月に在りて,愁へ聽かん 清猿の 夢裏に長きを。

 

明發首東路,此歡焉可忘。

いずれ、明朝、東に向かってゆくのであるが、その道すがら、今日の喜びは決してわすれないことであろう。

16. 明發 明朝。

17. 首東路 東に向かってゆく。

 

 

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春陪商州裴使君遊石娥溪 #2 私がこの地に来てからは、まるで、正月、春節の時のように、榻を出してくれて歓待してくれて、互いに喜んでいるところである。褰帳命婦がすだれを雲峰の高さまで巻き上げてくれて仰ぎ見ることができ、袂を揚げては、松上の雪を指さし、晨夕、隠棲の興をほしいままにしたのである。こうして、しばらく、東城のほとりに出たが、遂に西巖の前に遊んだのである。そこは、見上げれば、翠壁は高く聳えて、天に横たわり、伏せば、きれいな水が、深壑から吹き出ているところである。そこで、しきりに幽勝を尋ねて、それも全く休まずであるし、そこには春光のまさに酣であることをめでたのである。

 

 

744-004 -#2

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七

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卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○

 卷179_16 春陪商州裴使君游石娥溪

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷一九-22

詩題

春陪商州裴使君遊石娥溪

文體

樂府

詩序

 

 

 

 

原注:時欲東遊()、遂有此贈

 

寫作地點

商州(山南東道 / 商州 / 商州

 

寫及地點

商州 (山南東道 商州 商州)     

石娥溪 (山南東道 商州 商州) 別名:仙娥溪、丹江、丹水     

 

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏     

 

西巖山 (山南東道 商州 商州) 別名:仙鵝峰     

 

交遊人物

裴使君

交遊地點

山南東道 商州 商州

 

 

744-004

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)

ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った

原注:時欲東遊()、遂有此贈

(原本の注に時に東に遊ばんと欲してとあるのを〔歸〕としていてそしてこの詩を贈る)

#1

裴公有仙標,拔俗數千丈。

裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。

澹蕩滄洲雲,飄颻紫霞想。

それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。

剖竹商洛間,政成心已閑。

かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。

蕭條出世表,冥寂閉玄關。

ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。

#2

我來屬芳節,解榻時相悅。

私がこの地に来てからは、まるで、正月、春節の時のように、榻を出してくれて歓待してくれて、互いに喜んでいるところである。

褰帷對雲峰,揚袂指松雪。

褰帳命婦がすだれを雲峰の高さまで巻き上げてくれて仰ぎ見ることができ、袂を揚げては、松上の雪を指さし、晨夕、隠棲の興をほしいままにしたのである。

暫出東城邊,遂遊西巖前。

こうして、しばらく、東城のほとりに出たが、遂に西巖の前に遊んだのである。

橫天聳翠壁,噴壑鳴紅泉。

そこは、見上げれば、翠壁は高く聳えて、天に横たわり、伏せば、きれいな水が、深壑から吹き出ているところである。

尋幽殊未歇,愛此春光發。

そこで、しきりに幽勝を尋ねて、それも全く休まずであるし、そこには春光のまさに酣であることをめでたのである。#3

溪傍饒名花,石上有好月。命駕歸去來,露華生翠苔。

淹留惜將晚,復聽清猿哀。清猿斷人腸,遊子思故

明發首東路,此歡焉可忘。

 

(春、商州の裴使君に陪して石娥溪に遊ぶ)

#1

裴公 仙標有り,俗を拔くこと 數千丈。

澹蕩たり 滄洲の雲,飄颻たり 紫霞の想。

竹を剖く 商洛の間,政成って 心 已に閑なり。

蕭條 世表を出て,冥寂 玄關を閉ず。

#2

我 來って 芳節に屬し,榻を解いて 時に相い悅ぶ。

帷を褰【かか】げて 雲峰に對し,袂を揚げて 松雪を指す。

暫く東城の邊に出で,遂に西巖の前に遊ぶ。

天に橫わって 翠壁聳え,壑を噴いて 紅泉鳴る。

幽を尋ねて 殊に未だ歇まず,此の春光の發するを愛す。

#3

溪傍 名花饒く,石上 好月有り。

駕を命じて 歸去來【かえりなんいざ】,露華 翠苔に生ず。

淹留 將に晚んとするを惜み,復た清猿の哀きを聽く。

清猿 人腸を斷ち,遊子 故思う

明發 東に首【むか】うの路,此の歡び 焉んぞ 忘る可けんや。

 

 

  春陪商州裴使君遊石娥溪原註時欲東遊遂有/此贈遊繆本作歸

  商州古商國也在晉為上洛郡在西魏為洛州在/後周為商州在唐亦謂之商州或為上洛郡。

  地有商山洛水依此立名屬關内道使君太守之稱石/娥溪當在仙娥峰下按雍勝畧商畧陜西通志仙

  娥峰在商州西十里峰之麓有西巖洞壑幽邃下/臨丹水古稱棲真之地李白嘗游此有詩曰暫出

  城東邊遂游西巖前横天聳翠壁噴壑鳴紅泉云/云是石娥溪卽仙娥峰下之溪也所謂紅泉者其

  卽丹/水歟

裴公有仙標拔俗數千丈澹蕩滄洲雲飄颻紫霞想剖

竹商洛間政成心巳閒蕭條出世表冥寂閉𤣥關我来

屬芳節解榻時相悦褰帷對雲峰揚袂指松雪暫出東

城邊遂遊西巖前横天聳翠壁噴壑鳴紅泉尋幽殊未

歇愛此春光發溪旁饒名花石上有好月命駕歸去来

露華生翠繆本/作緑苔淹留惜繆本/作昔將晚復聽清猿哀清猿

斷人腸遊子思故明發首東路此歡焉可忘世説註/向秀

傳曰秀字子期河内人少為同郡山濤所知又與譙國/嵇康東平安善並有拔俗之韻謝靈運詩剖竹守

海商洛詳見題註郭璞客傲無巖穴而冥寂無江湖而/放浪王屮

頭陀寺碑𤣥關幽鍵感而遂通張銑註𤣥

謂道之深邃也關鍵皆所以閉距於門者宋南平王鑠/詩徘徊去芳節梁元帝纂要春節曰芳節後漢書陳蕃

為樂安太守郡人周璆高潔之士前後郡守招命莫肯/至唯蕃能致焉特為置一榻去則懸之搴惟後漢賈琮

事見十四巻註顔延年詩山明望松雪謝靈運詩銅陵/映碧澗石磴瀉紅泉孔子歌巾車命駕將適唐都江淹

詩風光多樹色露華翻蕙隂蘇武詩征夫懐路遊子/戀故漢書韓信傳北首燕路顔師古曰首謂趣向也

音式究反鮑照詩首路/或參差投駕均

 

 

 

春陪商州裴使君遊石娥溪』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

我來屬芳節,解榻時相悅。

褰帷對雲峰,揚袂指松雪。

暫出東城邊,遂遊西巖前。

橫天聳翠壁,噴壑鳴紅泉。

尋幽殊未歇,愛此春光發。

 

(下し文)

#2

我 來って 芳節に屬し,榻を解いて 時に相い悅ぶ。

帷を褰【かか】げて 雲峰に對し,袂を揚げて 松雪を指す。

暫く東城の邊に出で,遂に西巖の前に遊ぶ。

天に橫わって 翠壁聳え,壑を噴いて 紅泉鳴る。

幽を尋ねて 殊に未だ歇まず,此の春光の發するを愛す。

 

(現代語訳)

私がこの地に来てからは、まるで、正月、春節の時のように、榻を出してくれて歓待してくれて、互いに喜んでいるところである。

褰帳命婦がすだれを雲峰の高さまで巻き上げてくれて仰ぎ見ることができ、袂を揚げては、松上の雪を指さし、晨夕、隠棲の興をほしいままにしたのである。

こうして、しばらく、東城のほとりに出たが、遂に西巖の前に遊んだのである。

そこは、見上げれば、翠壁は高く聳えて、天に横たわり、伏せば、きれいな水が、深壑から吹き出ているところである。

そこで、しきりに幽勝を尋ねて、それも全く休まずであるし、そこには春光のまさに酣であることをめでたのである。

 

(訳注・解説)

#2

我來屬芳節,解榻時相悅。

私がこの地に来てからは、まるで、正月、春節の時のように、榻を出してくれて歓待してくれて、互いに喜んでいるところである。

10. 芳節 春節《初學記》卷三引南朝梁元帝《纂要》「春曰青陽,亦曰發生、芳春、青春、陽春……節曰華節、芳節、良節、嘉節、韶節、淑節。」とある。

11. 解榻 歓待してくれることを言う。榻はこしかけ,しじ, 意味 その上にからだをのせる長いすや、寝台。 かけ布。きめの荒い厚手の布。しじ(シヂ)。牛車から牛を放したときに、ながえのくびきをささえたり、また、乗り降りの際の踏み台とするもの。

《後漢書》卷六十六〈陳王列傳·陳蕃〉「再遷為樂安太守。時李膺為青州刺史,名有威政,屬城聞風,皆自引去,蕃獨以清績留。郡人周璆,高絜之士。前後郡守招命莫肯至,唯蕃能致焉。字而不名,特為置一榻,去則縣之。」とあり、周璆のような高絜の士むかえれば、そのために榻を出して歓待し、帰ればこれをかたずける。

 

褰帷對雲峰,揚袂指松雪。

褰帳命婦がすだれを雲峰の高さまで巻き上げてくれて仰ぎ見ることができ、袂を揚げては、松上の雪を指さし、晨夕、隠棲の興をほしいままにしたのである。

12. 褰帷 褰帳は、即位、朝賀など大礼の時に高御座の御帳を褰げ開くこと、またはその役の女官のことで褰帳命婦の略である。帳上げ(とばりあげ)ともいう。「内裏式」には、「褰帳命婦二人、内親王以下三位已上為之、若無者王氏四位五位亦得」とある。のち神祇伯の王氏の女性に定まり、褰帳の女王といった。当日、諸員着席ののち、褰帳1人ずつ左右に分かれ、北面東西の戸からはいって着座、天皇の高御座着座ののち、執翳女嬬が左右おのおの9人が御前に進んで翳を奉じると、褰帳命婦が東西の階を昇り、高御座の帳を褰げる。その褰げ方は高御座の南方の一間のみを褰げ、女官が内から助けて針で端を留め、八の字形に開いた。式の終った時もまた執翳女嬬が翳を奉じたのち、進んで帳を垂れ、そののち、天皇は後房に帰りはいった。

 

暫出東城邊,遂遊西巖前。

こうして、しばらく、東城のほとりに出たが、遂に西巖の前に遊んだのである。

 

橫天聳翠壁,噴壑鳴紅泉。

そこは、見上げれば、翠壁は高く聳えて、天に横たわり、伏せば、きれいな水が、深壑から吹き出ているところである。

13. 紅泉 丹沙の中から、水が流れ出るので、色は紅。隠棲地のきれいな泉。謝霊雲《入華子崗是麻源第三穀五言》

南州實炎德,桂樹淩寒山。銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。

既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。險徑無測度,天路非術阡。

遂登羣峯首,邈若升雲煙。羽人髣髴,丹丘徒空筌。

圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?莫辯百世後,安知千載前。

且申獨往意,乘月弄潺湲。恒充俄頃用,豈為古今然!

(華子崗に入る、是れ麻源の第三谷なり)

南州は実に炎徳【えんとく】あり、桂樹【けいじゅ】は寒山を凌ぐ。

銅陵【どうりょう】は碧潤【へきかん】に映じ、石磴【せきとう】は紅泉【こうせん】を瀉【そそ】ぐ。

既に隱淪【いんりん】の客を枉【ま】げ、亦た肥遯【ひとん】の賢を棲【す】ましむ。

險徑【けんけい】は測度【そくたく】する無く、天路【てんろ】術阡【じゅつせん】に非ず。

遂に群峰【ぐんほう】の首【いただき】に登れば、邈【ばく】として雲煙【うんえん】に升【のぼ】るが若し。

羽人【うじん】髣髴【ほうふつ】をち,丹丘【たんきゅう】は徒【いたずら】に空筌【くうぜん】となる。

圖牒【とちょう】複た摩滅【まめつ】し,碑版【ひはん】誰か聞き傳えんや?

百世【ひゃくせい】の後を辯ずる莫し,安んぞ千載【せんさい】の前を知らん。

且つ獨往【どくおう】の意を申【の】べ,月に乘じて潺湲【せんかん】を弄【ろう】す。

恒【たうね】に俄頃【がけい】の用に充【あ】つ,豈に古今の然るを為さんや!

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩487 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1278

 

尋幽殊未歇,愛此春光發。

そこで、しきりに幽勝を尋ねて、それも全く休まずであるし、そこには春光のまさに酣であることをめでたのである。

 

 

 

【字解】春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)

ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った

   ------------------------------------------------------------

1. 商州 隋朝が成立すると商州は下部に5郡を管轄した。605年(大業元年)に上州上津県が移管されている。607年(大業3年)、郡制施行に伴い商州は上洛郡と改称され下部に5県を管轄した。

王琦の解に次のように言う。

  商州古商國也在晉為上洛郡在西魏為洛州在/後周為商州在唐亦謂之商州或為上洛郡地有

  商山洛水依此立名屬關内道使君太守之稱石/娥溪當在仙娥峰下按雍勝畧商畧陜西通志仙

  娥峰在商州西十里峰之麓有西巖洞壑幽邃下/臨丹水古稱棲真之地李白嘗游此有詩曰暫出

  城東邊遂游西巖前横天聳翠壁噴壑鳴紅泉云/云是石娥溪卽仙娥峰下之溪也所謂紅泉者其

  卽丹/水歟

  商州は古えの商國也。晉に在っては、上洛郡為り、西魏にっ在ては洛州為り、後周に在/っては商州為り、唐に在ては亦た 之を商州と謂い或いは上洛郡と為す。地に商山洛水有り、此に依って名を立つ。關内道に屬す。使君は太守之稱。石/娥溪は、當に仙娥峰下に在るべし。雍勝畧、商畧、陜西通志を按ずるに、仙娥峰は、商州の西十里に在り、峰之麓に西巖有り、洞壑幽邃、下、丹水に/臨み、古、棲真の地と稱す。李白、嘗って此に游び、有詩あり曰く、「暫出城東邊、遂游西巖前、横天聳翠壁、噴壑鳴紅泉、云云 と。是、石娥溪、卽ち仙娥峰下の溪也。所謂、紅泉なる者は其れ卽ち丹水か。」

この詩は、ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作ったものである

2. 石娥溪 石/娥溪は、商州は地形の仙娥峰の下に在る渓谷であり、ここに船で入ってゆきあそんだもの。陜西通志に、仙娥峰は、商州の西十里に在り、峰之麓に西巖有り、洞壑幽邃、下、丹水に/臨み、古、棲真の地と稱す。

3. 拔俗 操守廉正,超越世俗な人を形容するもの。南朝·宋·劉義慶《世新語·德行》劉孝標注引謝承《後漢書》:「徐稚,字儒子,豫章南昌人,清妙高跱,超世俗。」

4. 澹蕩 ゆったりしてのどかな・こと(さま)。謂使人和暢。多形容春天的景物。

5. 滄洲雲 神仙三山に続く滄海を面前にするあたりの穏やかな雲。

6. 剖竹 高位に住ぜられること。符を割く。

7. 商洛 陝西省の東南部に位置し、渭南市、西安市、安康市、河南省、湖北省に接する。  市名は区内に位置する商山、洛水による。

8. 冥寂 静寂なさま。《文選·郭璞<游仙詩>之三》「緑蘿結高林,蒙蘢蓋一山。中有冥寂士,靜嘯撫清絃。」李善注:“冥,玄默也。

9. 玄關 中国の道教(煉丹術の内丹の法では体内にある気を巡らすための最初に気を通す場所のことである)、禅(達磨による禅の伝来の際、達磨の指示でディヤーナを玄(後に禪(禅)と訳す)と訳したともされる)などの用語で「玄関」とは「玄妙の道に入る關門」(「玄牝の関」)ことである。關は關鍵をいい、門を閉鎖することを示す。ここでは、トラブルの訴えなどなく、訴える役所の門に鍵をかけたままという意味になる。

744年-004卷179_16 春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7580

 744-004179_16  春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7580

 

春陪商州裴使君遊石娥溪 ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った

裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。

 

 

744-004 -#1

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7583

全唐詩卷179_16

李白集校注巻 20-017

767年大暦256  (4)

 

        
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卷別

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全唐詩

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春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○

 卷179_16 春陪商州裴使君游石娥溪

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷一九-22

詩題

春陪商州裴使君遊石娥溪

文體

樂府

詩序

 

 

 

 

原注:時欲東遊()、遂有此贈

 

 

 

 

 

寫作地點

商州(山南東道 / 商州 / 商州) 

 

寫及地點

商州 (山南東道 商州 商州)     

石娥溪 (山南東道 商州 商州) 別名:仙娥溪、丹江、丹水     

 

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏     

 

西巖山 (山南東道 商州 商州) 別名:仙鵝峰     

 

交遊人物

裴使君

交遊地點

山南東道 商州 商州

 

 

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)

                                          原注:時欲東遊()、遂有此贈

179_16 《春陪商州裴使君游石娥溪(時欲東歸遂有此贈)》

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷一九-22

 

 

744-004

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)

ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った

原注:時欲東遊()、遂有此贈

(原本の注に時に東に遊ばんと欲してとあるのを〔歸〕としていてそしてこの詩を贈る)

#1

裴公有仙標,拔俗數千丈。

裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。

澹蕩滄洲雲,飄颻紫霞想。

それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。

剖竹商洛間,政成心已閑。

かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。

蕭條出世表,冥寂閉玄關。

ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。#2

我來屬芳節,解榻時相悅。褰帷對雲峰,揚袂指松雪。

暫出東城邊,遂遊西巖前。橫天聳翠壁,噴壑鳴紅泉。

尋幽殊未歇,愛此春光發。

#3

溪傍饒名花,石上有好月。命駕歸去來,露華生翠苔。

淹留惜將晚,復聽清猿哀。清猿斷人腸,遊子思故

明發首東路,此歡焉可忘。

 

(春、商州の裴使君に陪して石娥溪に遊ぶ)

#1

裴公 仙標有り,俗を拔くこと 數千丈。

澹蕩たり 滄洲の雲,飄颻たり 紫霞の想。

竹を剖く 商洛の間,政成って 心 已に閑なり。

蕭條 世表を出て,冥寂 玄關を閉ず。

#2

我 來って 芳節に屬し,榻を解いて 時に相い悅ぶ。

帷を褰【かか】げて 雲峰に對し,袂を揚げて 松雪を指す。

暫く東城の邊に出で,遂に西巖の前に遊ぶ。

天に橫わって 翠壁聳え,壑を噴いて 紅泉鳴る。

幽を尋ねて 殊に未だ歇まず,此の春光の發するを愛す。

#3

溪傍 名花饒く,石上 好月有り。

駕を命じて 歸去來【かえりなんいざ】,露華 翠苔に生ず。

淹留 將に晚んとするを惜み,復た清猿の哀きを聽く。

清猿 人腸を斷ち,遊子 故思う

明發 東に首【むか】うの路,此の歡び 焉んぞ 忘る可けんや。

 


 

春陪商州裴使君遊石娥溪』現代語訳と訳註解説
(
本文)

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(19-22

#1

裴公有仙標,拔俗數千丈。

澹蕩滄洲雲,飄颻紫霞想。

剖竹商洛間,政成心已閑。

蕭條出世表,冥寂閉玄關。

 

(下し文)

(春、商州の裴使君に陪して石娥溪に遊ぶ)

#1

裴公 仙標有り,俗を拔くこと 數千丈。

澹蕩たり 滄洲の雲,飄颻たり 紫霞の想。

竹を剖く 商洛の間,政成って 心 已に閑なり。

蕭條 世表を出て,冥寂 玄關を閉ず。

 

(現代語訳)

ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った

(原本の注に時に東に遊ばんと欲してとあるのを〔歸〕としていてそしてこの詩を贈る)

裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。

それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。

かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。

ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。

 

(訳注・解説)

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)#1

ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った

原注:時欲東遊()、遂有此贈(原本の注に時に東に遊ばんと欲してとあるのを〔歸〕としていてそしてこの詩を贈る)

1. 商州 隋朝が成立すると商州は下部に5郡を管轄した。605年(大業元年)に上州上津県が移管されている。607年(大業3年)、郡制施行に伴い商州は上洛郡と改称され下部に5県を管轄した。隋朝の行政区分に関しては下図を参照。

王琦の解に次のように言う。

  商州古商國也在晉為上洛郡在西魏為洛州在/後周為商州在唐亦謂之商州或為上洛郡地有

  商山洛水依此立名屬關内道使君太守之稱石/娥溪當在仙娥峰下按雍勝畧商畧陜西通志仙

  娥峰在商州西十里峰之麓有西巖洞壑幽邃下/臨丹水古稱棲真之地李白嘗游此有詩曰暫出

  城東邊遂游西巖前横天聳翠壁噴壑鳴紅泉云/云是石娥溪卽仙娥峰下之溪也所謂紅泉者其

  卽丹/水歟

  商州は古えの商國也。晉に在っては、上洛郡為り、西魏にっ在ては洛州為り、後周に在/っては商州為り、唐に在ては亦た 之を商州と謂い或いは上洛郡と為す。地に商山洛水有り、此に依って名を立つ。關内道に屬す。使君は太守之稱。石/娥溪は、當に仙娥峰下に在るべし。雍勝畧、商畧、陜西通志を按ずるに、仙娥峰は、商州の西十里に在り、峰之麓に西巖有り、洞壑幽邃、下、丹水に/臨み、古、棲真の地と稱す。李白、嘗って此に游び、有詩あり曰く、「暫出城東邊、遂游西巖前、横天聳翠壁、噴壑鳴紅泉、云云 と。是、石娥溪、卽ち仙娥峰下の溪也。所謂、紅泉なる者は其れ卽ち丹水か。」

この詩は、ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作ったものである

2. 石娥溪 石/娥溪は、商州は地形の仙娥峰の下に在る渓谷であり、ここに船で入ってゆきあそんだもの。陜西通志に、仙娥峰は、商州の西十里に在り、峰之麓に西巖有り、洞壑幽邃、下、丹水に/臨み、古、棲真の地と稱す。

 

裴公有仙標,拔俗數千丈。

裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。

3. 拔俗 操守廉正,超越世俗な人を形容するもの。南朝·宋·劉義慶《世新語·德行》劉孝標注引謝承《後漢書》:「徐稚,字儒子,豫章南昌人,清妙高跱,超世俗。」

 

澹蕩滄洲雲,飄颻紫霞想。

それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。

4. 澹蕩 ゆったりしてのどかな・こと(さま)。謂使人和暢。多形容春天的景物。

5. 滄洲雲 神仙三山に続く滄海を面前にするあたりの穏やかな雲。

 

剖竹商洛間,政成心已閑。

かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。

6. 剖竹 高位に住ぜられること。符を割く。

7. 商洛 陝西省の東南部に位置し、渭南市、西安市、安康市、河南省、湖北省に接する。  市名は区内に位置する商山、洛水による。

 

蕭條出世表,冥寂閉玄關。

ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。

8. 冥寂 静寂なさま。《文選·郭璞<游仙詩>之三》「緑蘿結高林,蒙蘢蓋一山。中有冥寂士,靜嘯撫清絃。」李善注:“冥,玄默也。

9. 玄關 中国の道教(煉丹術の内丹の法では体内にある気を巡らすための最初に気を通す場所のことである)、禅(達磨による禅の伝来の際、達磨の指示でディヤーナを玄(後に禪(禅)と訳す)と訳したともされる)などの用語で「玄関」とは「玄妙の道に入る關門」(「玄牝の関」)ことである。關は關鍵をいい、門を閉鎖することを示す。ここでは、トラブルの訴えなどなく、訴える役所の門に鍵をかけたままという意味になる。

744年-003卷164_39 還山留別金門知己(卷十五(一)九一○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7575

744-003164_39   還山留別金門知己(卷十五(一)九一○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7575

 

還山留別金門知己(李白が山に還り、後に翰林院の知己を思い浮かべ、その時の思いを、述べたものである。)

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。君王には、拝謁を賜わることができるようになり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。の賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。あれほど、皇帝も自分のところへ訪ねてくれていたのに、日日に疎くなって散じつくし、酌み交わした酒樽は、空に成ったままになっていった。そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。だから、平常心を保つことに気を付けながら、齊の國の民謡である東武吟を歌って、わが腹のうちを歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。今この詩を書して、知己に挨拶をおくろうとおもっているが、吾は、木の葉船に身を任せて、太公望のように釣り糸を垂らして、よい君主が迎えに来るのを待とうと思っておる。

 

744-003

還山留別金門知己(卷十五(一)九一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7577

李白詩詳注巻15-08

全唐詩卷164_39(東武吟)

767年大暦256  (1)

 

               
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皇帝紀年: 天寶三年 

寫作時間: 744 

寫作年紀: 44 

卷別: 卷一六四 文體: 五言古詩 

詩題: 東武吟【出東門後書懷,留別翰林諸公】【還山留別金門知己】 

詩序: 

寫作地點: 目前尚無資料 

寫及地點: 新豐 (京畿道 京兆府 新豐)     

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

交遊人物/地點: 

--------------------------------------------------------------------------------

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩

164_39(東武吟)

文體:

五言古詩

李白詩詳注

15-08

李太白集 巻14-08

詩題:

還山留別金門知己(卷十五(一)九一○)

 

出東門後書懷,留別翰林諸公

作地點:

目前尚無資料 

 

及地點:

新豐 (京畿道 京兆府 新豐)    

 

 

 

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸       

 

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

744年 天寶三年44

 

744-001

送賀監歸四明應制(卷十七(二)一○○四)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

久辭榮祿遂初衣

744-002

送賀賓客歸越(卷十七(二)一○一○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

鏡湖流水漾清波

744-003

還山留別金門知己(卷十五(一)九一○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

好古笑流俗

744-004

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

裴公有仙標

744-005

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪

傾暉速短炬

744-006

月下獨酌四首    其一(卷二三(二)頁一三三一)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

花間一壺酒

744-007

月下獨酌四首    其二(卷二三(二)頁一三三二)

天若不愛酒

744-008

月下獨酌四首    其三(卷二三(二)頁一三三三)

三月咸陽城

744-009

月下獨酌四首    其四(卷二三(二)頁一三三三)

窮愁千萬端

744-010

于闐採花(卷四(一)二九三)

于闐採花人

 

 

 

  還山留別金門知己

(李白が山に還り、後に翰林院の知己を思い浮かべ、その時の思いを、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在青天,迴光矚微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

清切紫霄迥,優游丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。

君王には、拝謁を賜わることができるようになり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

方學揚子雲,獻賦甘泉宮。

そこで、まさにやがて、自分は、古しえの揚子雲にならって、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで賦を献じたのである。

天書美片善,清芳播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

歸來入咸陽,談笑皆王公。

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

賓友日疏散,玉樽亦已空。

あれほど、皇帝も自分のところへ訪ねてくれていたのに、日日に疎くなって散じつくし、酌み交わした酒樽は、空に成ったままになっていった。

長才猶可倚,不慚世上雄。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

閑來東武吟,曲盡情未終。

だから、平常心を保つことに気を付けながら、齊の國の民謡である東武吟を歌って、わが腹のうちを歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

書此謝知己,扁舟尋釣翁。

今この詩を書して、知己に挨拶をおくろうとおもっているが、吾は、木の葉船に身を任せて、太公望のように釣り糸を垂らして、よい君主が迎えに来るのを待とうと思っておる。

 

 

 

 

  還山留別金門知己(卷十五(一)九一○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。

白日在青天,迴光矚微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。

清切紫霄迥,優游丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。

方學揚子雲,獻賦甘泉宮。天書美片善,清芳播無窮。

歸來入咸陽,談笑皆王公。一朝去金馬,飄落成飛蓬。

賓友日疏散,玉樽亦已空。長才猶可倚,不慚世上雄。

閑來東武吟,曲盡情未終。書此謝知己,扁舟尋釣翁。

 

164_39 《東武吟》李白 (巻五(一)三九八)

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

清切紫霄迥,優遊丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

  乘輿擁翠蓋,扈從金城東。寶馬麗景,錦衣入新豐。 

  依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

  天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

  一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

  才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

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744年-002卷176_12 送賀賓客歸越(卷十七(二)一○一○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7570

744-002176_12    送賀賓客歸越(卷十七(二)一○一○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7570

送賀賓客歸越(太子から賓客という扱いを受けておられた賀老が郷里の越に換えられるのを送る。)天子から賜った静かな鏡湖の水は、澄みきって、清波を漾わせている。今、君はその地に帰休されるというので、船に乗って、湖水を渡ってゆかれるのであり、そこは逸興定めて多きことであろう。かくて、いよいよ浙江の四明に帰着されたのちに、王羲之のような山陰道士に遭われたならば、美しい草書を書かれる賀老としては、いにしえの王逸少を学び、黃庭の一經を写して、道士の白鵞鳥に換えることでありましょう。

 

 

744-002

送賀賓客歸越(卷十七(二)一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7571

李白詩詳注巻18-41

全唐詩卷176_12

767年大暦256  (2)

 

 

               
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Index-23

Ⅱ― 19-744年 天寶三年44

 

744-001

送賀監歸四明應制(卷十七(二)一○○四)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

久辭榮祿遂初衣

744-002

送賀賓客歸越(卷十七(二)一○一○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

鏡湖流水漾清波

744-003

還山留別金門知己(卷十五(一)九一○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

好古笑流俗,素

744-004

春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

裴公有仙標,拔

744-005

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪

傾暉速短炬,走

744-006

月下獨酌四首    其一(卷二三(二)頁一三三一)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

花間一壺酒,獨

744-007

月下獨酌四首    其二(卷二三(二)頁一三三二)

天若不愛酒,酒

744-008

月下獨酌四首    其三(卷二三(二)頁一三三三)

三月咸陽城,千

744-009

月下獨酌四首    其四(卷二三(二)頁一三三三)

窮愁千萬端,美

744-010

于闐採花(卷四(一)二九三)

于闐採花人,自

 

 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩

176_12

文體:

七言

李白詩詳注

17-12

李太白集 巻16-12

詩題:

送賀賓客歸越(卷十七(二)一○一○)

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 

及地點:

鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡

 

山陰 (江南東道 越州 山陰)     

 

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

賀知章

當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

 

送賀賓客歸越

(太子から賓客という扱いを受けておられた賀老が郷里の越に換えられるのを送る。)

鏡湖流水漾清波,狂客歸舟逸興多。

天子から賜った静かな鏡湖の水は、澄みきって、清波を漾わせている。今、君はその地に帰休されるというので、船に乗って、湖水を渡ってゆかれるのであり、そこは逸興定めて多きことであろう。

山陰道士如相見,應寫黃庭換白鵝。

かくて、いよいよ浙江の四明に帰着されたのちに、王羲之のような山陰道士に遭われたならば、美しい草書を書かれる賀老としては、いにしえの王逸少を学び、黃庭の一經を写して、道士の白鵞鳥に換えることでありましょう。

 

(賀賓客の越に帰るを送る)
鏡湖の流水、清波を漾【ただよ】わし 、狂客の帰舟、逸興多し 。
山陰の道士 もし相(あい)見なば 、応に黄庭を写して白鵝【はくが】に換うべし。

 

 

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744年-001卷176_7 送賀監歸四明應制(卷十七(二)一○○四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7565

744-001176_7 送賀監歸四明應制(卷十七(二)一○○四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7565

 

767-001

送賀監歸四明應制(卷十七(二)一○○四)

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李白詩詳注

18-41

全唐詩卷176_7

767年大暦256  (1)

 

 

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都において賀知章・崔宗之らといっしょに飲みまわり、当時の人々は彼らを酒中の八仙と称した。その酔態ぶりは杜甫の「飲中八仙歌」に詳しい。

 賀知章は、当時、太子賓客であり、玄宗に目をかけられていたが、この賀知章の紹介で、李白は翰林供奉となった。賀知章と李白との出遇いを『本事詩』「高逸」には次のごとく伝えている。

  李太白初め蜀より京師に至り、逆旅に舎る。賀監知章、其の名を聞きて、はじめて之を訪ぬ。  既に其の姿を奇とし、復た為る所の文を請う。「蜀道難」を出だして以って之に示す。読んで未だ竟わらざるに、称歎すること数回、号して謫仙と為す。金亀(印)を解きて酒に換う。与に傾けて酔いを尽くし、日を間かざるを期す。是より称誉は光り赫く。

 これを見ると「蜀道難」は都に入る以前にできていたのである。また、李白の姿の寄なることは人を驚かせ、またその詩才といい、「謫仙」といわれるにふさわしかった。このことは、『紺貳』も賀知章のことばとして、「公は人世の人に非ず、是れ太白星の精ならざる可けんや」といっている。『本事詩』は、続いて「烏棲曲」(「鳥夜啼」のこと)を見て、嘆賞苦吟して、「此の詩は鬼神を泣かしむ可し」といったことを載せている。

 賀知章を称嘆させた「蜀道難」の作られた年代については、黄錫珪は、開元二十三年〈七亘〉(李白三十五歳)安陸の白兆山桃花巌に読書しているときの作とし、放謨は、天宝二年〈七璧〉(李白四十三歳)長安で酒を飲んで遊びまわっているときの作とする。賀知章が見て称嘆した話を考えると、長安においてか、それ以前のものであるが、長安の都に入ると、蜀に行く道に通ずるから、あるいは都に入って放郷の蜀のことを思いつつ作ったかもしれぬ。

 なお、この詩には寓意があるとして、『新唐書』「厳武伝」には、厳武を嘲ったものとして引かれているし、宋本の題下には「章仇・兼瓊を属す」とあって、蜀の剣富節度使たる彼らを属したとある。これらについて諸説があるが、いずれにせよ、蜀道の険阻と壮観のみを歌ったものとしてみることもできよう。この作は李白の傑作中の第一に推すことができる長篇詩であって、筆の運びは雄健奔放である。ただここでは、長篇のため割愛しておこう。

 賀知章は、天宝三年〈七四四〉に老齢のため秘書監の官をやめて、故郷の四明山に帰って道士となるが、時に八十六歳の高齢である。李白より四十四歳も年長であるが、李白を認めてくれた恩人であり、李白と酒中のハ仙といわれた飲み友達でもある。賀知章の帰山に当たって、玄宗も左右相とともに、長楽波まで見送って送別の詩を作り、李白も「応制」の詩を作り、また「賀賓客の越に帰るを送る」詩を作って名残りを惜しんでいる。

 賀知章は、四明山に帰り、まもなく亡くなるが、李白は、この人の知週を得たことは、終生忘れることがなかった。父以上の年齢の差を持つ賀知章は、李白の才能を認める唯一の人であったかもしれない。また、長安において必ずしも愉快でない生活を慰めてくれる人、また李白にとって相談相手になってくれる人でもあった。もちろん二人は無類の酒好きである。酒を飲みつつ、賀知章は年若い李白を慰めていたことであろう。とにかく、賀知章に対して李白は、亡くなってからも思い出が尽きなかった。李白は長安を出て、揚子江の下流を放浪中、しぱしば賀知章を思い出している。そのころ、天宝六年〈七四七〉のころの作に、「酒に対して賀監を憶う」二首や、「重ねて憶う」がある。前者には「序」があり、「太子賓客賀公、長安の紫徴宮において、一たび余を見て、余を呼んで滴仙人と為す。因って金亀を解きて泗に換えて楽しみを為す。没後酒に対し、悵然として懐うこと有りて、是の詩を作る」という。

 

李白《對酒憶賀監二首并序》

太子賓客賀公,於長安紫極宮一見余,呼余為謫仙人,因解金龜換酒為樂,歿後對酒,悵然有懷,而作是詩。

其一

四明有狂客,風流賀季真。長安一相見,呼我謫仙人。

昔好杯中物,翻為松下塵。金龜換酒處,卻憶淚沾巾。

其二

狂客歸四明,山陰道士迎。敕賜鏡湖水,為君臺沼榮。

人亡餘故宅,空有荷花生。念此杳如夢,淒然傷我情。

 

四明に狂客有り、風流なり賀季真

長安に一たび相い見え、我を滴仙人と呼ぶ

並は盃中の物を好み、翻って松下の塵と為る

金亀を酒に換えし処、斌って胆えば涙は巾を沾おす

 

酒に対して賀監を憶う 其の二

狂客 四明に帰れば、山陰の遺士迎う

勅 して賜う 鏡湖の水、君が為に 台沼栄ゆ

人亡びて 故宅を余し、空しく荷花の生ずる有り

此を念えば 香として夢の如く、凄然として我が情を傷ましむ

 

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