李白16 登太白峯
728年開元十六年28歳春、李白は安陸の娘と結婚した。安陸の名家で、高宗のときに宰相をしている許家の娘であった。 無名無職の詩人、李白は名家の婿として、地元の安州長史(州次官)に就職の斡旋を頼んだりしするも、うまく運ばない。
730年30歳、結婚後二年あまりで、安陸を発って長安に向かうことにする。孟浩然も長安で王維ら多くの詩人と交わっていた。李白は都に強いあこがれを持ったのだ。

これまでの李白の足跡を整理
李白の足跡300
24歳李白は美人の彼女を残し①蜀を旅立つ。山峡を下り、江陵をへて②湖南岳陽、湖北省武漢、金陵地方へ。③南京、蘇州、この間2年余り、そして結婚し、④30歳都長安に向かい矢印のちょっと上に位置している太白山に登る。以後詩で使用するあざなを太白としている。よほど、心に期すものがあったのであろう。時計回りと反対周りの旅。

 登太白峯          
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。

西方登は太白峰、
夕陽は山擧に窮めた
太白星は我に語りかけ
私のために天空の門を開いた
爽やかな風に乗り
すぐにも出たい雲のあいだを
手を挙げれば月に近づき
前にすすめば遮るものも無いかのように
ひとたび去る武功の地
いつまた帰ってこれるのか


 李白は都に出てほどなく太白山に登った。李白は字(あざな)を太白というは、この山に自分の運命を感じ、感情移入をした。夢と希望に満ち溢れた若い李白を感じる詩となっている。


太白峰に登る
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。

西のかた太白峰(たいはくほう)に上り
夕陽(せきよう)  登攀(とうはん)を窮(きわ)む
太白  我(われ)と語り
我が為に天関(てんかん)を開く
願って乗るのは泠風(れいふう)で去る
直(ただち)に浮雲(ふうん)の間を出(い)でん
手を挙(あ)げれば月に近づく可く
前に行けば山無きが若(ごと)からん
一たび武功(ぶこう)と別れて去らば
何(いずれ)の時か  復(ま)た更に還(かえ)らん

余談
ブログは縦のつながりはよくわかります。だから、ここでも李白の詩を物語風に順を追って、掲載していきます。横のつながりにつてはなかなか表現できません。歴史上のことは。確かに物語でわかるが、その背景とか、そこまでのいきさつについては場面を変えていかないといけない。
李白が長安に来たとき、王維はどこにいたのか、杜甫は、皇帝はだれで、朝廷はどういう状態であったか?同世代の詩人はどんな詩を書いていたのか? ブログでは大変な作業になる。通常はウィキペディアで調べることになるが、全体的な把握をしようと思えば、これも相当な労力がいる。それは、木がたくさん生えている森なのか、林なのか、葉っぱだけを見ているのか、自分が調べていることが、どこを示すものかわからないからです。
偏った編集に原因があるかもしれません。

 私が主催する漢文委員会は木を見て森を見、葉を見ていても森の存在が分かるように編集作成している歴史、漢詩のサイトを公開しています。
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
http://kanbuniinkai.web.fc2.com/
 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
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