李白33 王昭君を詠う 三首  五言絶句 王昭君
   34              雑言古詩 王昭君

 35             雑言古詩 于闐採花

             関連  王昭君ものがたり
                  王昭君 二首 白楽天

 李白の詩の中で、王昭君を題材にしたものが多く、直接これを題材にした作品も三首ある。「王昭君」といふのが二首と「于闐(ウテン)花を採る」の詩がそれである。これらの詩が出来た背景に当時の対外関係があげられる。周辺各国境付近で局地戦を常に行っている。一方、和平策も行っている。それは、最も普通なのは古来より行われた騎馬民族に対し豊かな産物や文化財を与へて懐柔するやり方と、婚姻という形をとった。この李白の時代まで、二千年近くも続いていたことであり、その中で、もっとも興味を持たれるのは、王昭君であった。


日本の遣唐使派遺などは大唐の文化に垂涎して行はれたのであるが、北西の勇敢な騎馬民族にはこれだけでは駄目だと、皇帝のむすめ、即ち公主またはこれに准ずるものをその酋長に賜はり、これによって懐柔するといふ漢代以来のやり方が行はれた。玄宗は即位の後、たびたびこれを行っている。懐柔策を周辺国全部とするわけにはいかないので、その時の情勢に応じて政治的に方法は違った。国民からすれば、周辺国の中では和平策を進めてほしくない国もあり、局地戦以上にはならない程度の戦いを選ぶことを好んだ。



李白がこの史実と現実からこれらの詩を作った。盛唐期、特に国政隆起時期、邊塞曲、塞下曲、楽府により、戦争は鼓舞された。李白は、王昭君を題材にした。

当時、唐人の間ではこの懐柔政策を屈辱として大なる反対があったことは李白に邊塞詩、塞下詩を作らせる後押しとなったのだろう。李白は腰抜けの公主たちを隣れんでこれらの詩を作ったのかもしれない。

しかし私はこれらの詩は詩人として世に出る、世に受け入れられやすい内容のものであった。必ずしも政治的な意味で見いるわけでなく、象徴的な存在「王昭君」、悲愁の塞北の地の物語を題材にしたもので受け入れられたことは間違いない。(李白代表作「古風五十九首」にも戦争鼓舞の詩がある)


五言絶句33
王昭君  李白
昭君払玉鞍、上馬啼紅頬。
今日漢宮人、明朝胡地妾。


王昭君は白玉の鞍を軽く手で払い、
馬に乗ってその紅い頬に涙で濡らす。
今日までは漢の王宮の人なのに、
明日の朝には匈奴の妾そばめとなってしまうのだ。

 実際には王昭君は王妃として迎えられています。李白は漢の後宮にいたあこがれの存在であったものが、胡の妾になるという悲劇性を強調され、韻に用いたものである。
 絶世の美女でありながら宮廷画工の毛延寿に贈賄しなかった事で醜女に描かれ、そのため匈奴に送られ、長城を越えるところで嘆き死んだとされる王昭君の悲劇譚は、華北を支配した異民族に圧迫された六朝時代に成立したものと考えられる。王昭君伝説は以後も脚色を重ねて戯曲『漢宮秋』となり、傑作として欧米にも紹介された。六朝の詩歌を完成させた李白の有名な詩である。

韻 頬、妾

昭君払玉鞍、上馬啼紅頬。
今日漢宮人、明朝胡地妾。

王昭君
昭君、玉鞍を払い、
馬に上って紅頬に泣く。
今日漢宮の人、
明朝胡地の妾。







雑言古詩34
王昭君  李白
漢家秦地月、流影照明妃。
一上玉関道、天涯去不帰。
漢月還従東海出、明妃西嫁無来日。
燕支長寒雪作花、娥眉憔悴没胡沙。
生乏黄金枉図画、死留青塚使人嗟。

漢の世に、長安の夜空に上った月、
流れるような月影はあの明妃を照らした。
ひとたび玉門関の旅路についた、
天涯帰ってはこない。
漢の月はまた同じように東海からのぼる、
明妃は西に嫁いだきり戻ってくることはない。
燕支の山はいつも寒く、雪が花のように降り、
美しい眉の佳人は憔悴し胡の砂漠の地で没した。
生きていた時は賄賂を贈らなかったので醜く描かれ、
死んで留めているのは青塚であり、人々を嗟かせている。

青塚は王昭君の墓。詳細は
王昭君ものがたり


漢家秦地月、流影照明妃。
一上玉関道、天涯去不帰。
漢月還従東海出、明妃西嫁無来日。
燕支長寒雪作花、娥眉憔悴没胡沙。
生乏黄金枉図画、死留青塚使人嗟。

漢家 秦地の月
流影 明妃を照らす
一たび玉関の道に上り
天涯 去って帰らず
漢月は還た 東海より出づるも
明妃は西に嫁して 来る日無し
燕支 長えに寒くして 雪は花と作り
娥眉 憔悴して 胡沙に没す
生きては黄金に乏しく 枉げて図画せられ
死しては青塚を留めて 人をして嗟かしむ


 この二首の中、前の方の絶句は李白の最傑作の一である。また古来多くの王昭君を詠じた詩の中で最上のものとされている。周知の如く、王昭君の悲劇は詠史の好題目となり、中国のみでなく、我国でも漢詩を作る者の必ず詠ずるところで、「和漢朗詠集」にも王昭君の條がわざわざ設けてある。それら多くの詩の中、この五絶ほど、昭君の憐れな身の上と心境とを詠じ出したものはない。李白の天才ぶりの測り知られなさを世に示した。

次に掲げる「于闐花を採る」も、作品としては秀作である


 

 

 

 

 



 この二首の中、前の方の絶句は李白の最傑作の一である。また古来多くの王昭君を詠じた詩の中で最上のものとされている。周知の如く、王昭君の悲劇は詠史の好題目となり、中国のみでなく、我国でも漢詩を作る者の必ず詠ずるところで、「和漢朗詠集」にも王昭君の條がわざわざ設けてある。それら多くの詩の中、この五絶ほど、昭君の憐れな身の上と心境とを詠じ出したものはない。李白の天才ぶりの測り知られなさを世に示した。

次に掲げる「于闐花を採る」も、作品としては秀作である。

 

 

35 于闐採花  

 

于闐採花人 自言花相似 

明妃一朝西入胡 胡中美女多羞死 

乃知漢地多名姝 胡中無花可方比 

丹青能令醜者妍 無鹽翻在深宮裡 

自古妒蛾眉 胡沙埋皓齒 

 

 

 

于闐で花をつむ人は

自分で花そっくりの美人だといっている。

王昭君がある日 西のかた勾奴に嫁いると

勾奴の美人たちは恥じて死んでしまった。

そこでわかったことだが中国には美人が多く

勾奴の花の美人などくらべものにならないと。

絵の具が醜いものを美しくして

無塩などという醜女が宮中にいるのだ。

むかしから美人はねたまれ

沙漠にその身を埋めるのだ。



 

 于闐 花を採る

于闐(ウテン) 花を採るの人

自らいふ花とあひ似たりと。

明妃一たび西のかた胡に入れば

胡中の美女 多く羞ぢて死す。

すなはち知る漢地の名姝(メイシュ※1) 多く

胡中に花の方比(たぐ) ふべきなきを。

丹青※2よく醜者をして妍(かほよ)からしめ 

無塩(ブエン※3) のかへって深宮の裡(うち)にあるを。

古より蛾眉を妬(ねた)

胡沙 皓歯を埋む。

 ※1美人。※2 赤と青の絵の具。※3齋の宣王の妃で、有名な不美人。

 

 

 于闐は今の新疆省のコータンにあった国名であるが、李白はこれらの地名を当たり障りのない地方名に変えて歌っている。

王昭君の行った匈奴とはちがふ方面である。いずれにしても塞下詩、関山月、王昭君、古風の内容の作品は、無冠、無名の李白が世に知られていくきっかけになった詩と考える。