李白 86 太原早秋

五言律詩 
 太原早秋
歲落眾芳歇、時當大火流。
霜威出塞早、云色渡河秋。
夢繞邊城月、心飛故國樓。
思歸若汾水、無日不悠悠。

この年の盛りも過ぎて多くの花が散り去った、時はまさに火星が西に流れる秋だ。城壁の外では霜が猛威を振るい、雲の色が黄河に反映するさまは秋の気配を感じさせる
我が夢はこの辺地の城を巡っている月のようにさまよい、心は故郷の高殿のほうへと飛んでいく。、帰ろうと思えばその思いは汾水の流れのように、一日としてはるかな憂いにとらわれぬ日はない


歲落眾芳歇、時當大火流。
年の盛りも過ぎてたくさんの花が散り去った、時はまさに火星が西に流れていく秋がきた。
眾芳 眾は衆。たくさんの花。○大火 火星。さそり座の首星アンタレスの中国名。真夏の星の代名詞。


霜威出塞早、云色渡河秋。
城壁の外では霜が猛威を振るい、雲の色も黄河の秋が反映している。
出塞 異民族から守る塞を示すが、ここでは太原のまちの城壁を示す。南から来た李白にとって、北の果ての街の早霜に驚いたのだろう。○云色 雲の色 ○河秋 秋模様の黄河。このあたりの黄河は文字通り、黄色に濁った大河であり、秋の枯葉の黄色とあわせたもので河まで秋になった。


夢繞邊城月、心飛故國樓。

我が夢はこの辺地の城を巡っている月のようにさまよい、心は故郷の高殿のほうへと飛んでいく。
故國樓 故国とあるが故郷とする。故郷の高殿。この時、李白は故郷とはどこか、どこの高殿を指すのか。生活様式の違いに驚いたのだろう。蜀と江南の違いとは全く違ったものだったのだろう。


思歸若汾水、無日不悠悠。
帰ろうと思えばその思いは汾水の流れのように、一日としてはるかな憂いにとらわれぬ日はない
汾水 汾水は黄河から太原に別れた支流であり、見るものすべて故郷につながったのか。


李白 太原の早秋
歳落ちて衆芳歇(や)み、時は大火の流るるに當る
霜威塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり
夢は繞る邊城の月、心は飛ぶ故國の樓
歸らんと思へば汾水の若く、日として悠悠たらざるは無し
 

735年李白は35歳のとき、安陸を離れて洛陽に旅し、続けて太原を訪れた。洛陽で知り合った帰省する元演に誘われて太原までの長途の旅をしたのだ。この詩はその太源に滞在中かかれた詩で、唯一残っているものである。




李白 87 遊南陽清泠泉
五言古詩 

遊南陽清泠泉
惜彼落日暮、愛此寒泉清。    
西耀逐流水、蕩漾遊子情。
空歌望雲月、曲尽長松声。



儒教的現代訳
故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でている。
西の空だけが耀いており、水流れをおいかけて輝かせる、定まらない気持ちというのは、旅人の心というもの。
空しく歌い雲間の月を眺めている、曲が終われば、高い松を抜ける風の音がするばかりだ。


本来の意味
夕暮れになると無性に心が切ない。この寒泉の清々しさを愛している。
旅に出て、浮気心は旅人の心情、月を抱くように女性を抱いた。その行為が終わったら後に残るのは、貞操感である。

南陽 河南省南陽市  ○ 地中から湧き出る水。源。女性をあらわす。
○蕩漾 とうよう ・蕩 ふわふわと揺れる。水が流れる。心惑わす。・漾 水が漂う。水が揺れる。性行為を連想させる。 ○遊子 よその国にいる旅人。○長松 高くそびえる松。
雲間の月は男女の営みをあらわし、長松は、厳然とした貞操を示す。


李白が、行楽地に来て、夕日を見て、故郷が寂しくつきをみあげてそっと涙する・・・・・、ということがあるわけはない。遊びに来ているのだから、酒も女も・・・・・、というのが当然のこと。
 これが李白の芸術性である。見たもの感じたものをストレートに表現しない、しかし、詠み人を右から左まで想像力たくましく誘ってくれる。人間のあり方を自然に考えている。

 礼節に飽き飽きした当時の様子を代表しているのではないだろうか。道教が、政治的な癒着から広がったのは否定できないが、儒教に飽き飽きした庶民から多くの支持が出たのも理解できる。

南陽の清泠泉に遊ぶ
彼(か)の落日、暮れたるを惜しむ、 此の寒泉(かんせん)の清けさを愛す
西耀(せいよう)は流水を逐(お)い、蕩漾(とうよう)は  遊子(ゆうし)の情。
空しく歌って雲月(うんげつ)の望、曲尽きて長松(ちょうしょう)の声