杜甫 2 遊龍門奉先寺
736年25歳 杜甫が竜門の奉先寺に遊んで、そこに宿したことをのべた詩である。
五言律詩(開元24年) もっとも初期の作品とされる
 

遊龍門奉先寺
己従招提遊、更宿招提境。
いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
陰壑生虚籟、月林散清影。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
欲覚間島鐘、令人畿深省。

あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。

龍門の奉先寺に遊ぶ

いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。


遊龍門奉先寺
竜門 地名、伊闕ともいう。河南省洛陽の西南三十支部里(十七キロ)にあり、伊水によって断たれた峡谷。○奉先寺 竜門の北岸にあって、南に香山寺と対する。今も遺址が存する。

己従招提遊、更宿招提境。
いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
招提 寺院をいう。梵語の拓鬭提奢を略して拓提といい、拓の字を更に写し訛って、招となったものという。○境:境域の内をいう。

陰壑生虚籟、月林散清影。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
陰壑 北向きの日をうけない谷のこと。○虚籟 すがたが見えずしてきこえるひびき。草木などの風にふれている月林月光をうけたはやし。○清影 きよいかげ。○天闕 天の門。断峡のそびえているのをたとえていう。

天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
象緯 象はすがた、緯は機のよこいと。天において二十八の経(たていと)とし、五星を緯(よこいと)とする。象緯とは星象の経緯の義であるが、ここでは単に星辰のことに用いている。此の句は又「天闕は象緯に逼せまる」と解す。○雲臥 作者が臥すのであり、雲とは高処なのでかくいう。雲に臥するとは悟りの心を連想する。

欲覚間島鐘、令人畿深省。
あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。
 めざめる。 ○晨鐘 あさのかねの音。 〇 聞く人一般を言って、自己は其の中に含める。 ○ おこすことをいう。 ○深省 省は大悟することをいう。

竜門の奉先寺に遊ぶ 
己に招技の遊びに従い 更に招技の境に宿す
陰峯に虚鞄生じ 月林清影を散ず
天閲に象緯逼(せま)る 雲に臥すれば衣裳冷やかなり
覚めんと欲して農鐘を聞く 人をして深省を発せしむ



 はじめの二句で寺を散策し泊まったことを述べている。中四句は僧坊にいて室外の風の音に耳を澄まし、樹林が月の光を反射して輝くのを見ている。そしてさらに龍門のふしぎな夜の様子に思いをめぐらし、最後の二句は、翌朝、目覚めたときを想像して結びとするもので、朝に聞く鐘の音は朝の目覚めと悟りの目覚めを掛けている。杜甫にとって、この場所は印象的だったのだ。「深省を発せしめん」とそれは聞くすべての者に、深い悟りの念を起こさせずにおかないと厳かな気持ちを詠っている。

已従 招提遊、更宿 招提境。
陰壑 生虚籟、月林 散清影。
天闕 象緯逼、雲臥 衣裳冷。
欲覚 聞晨鐘、令人 発深省。

詩の特徴 
 杜甫のもっとも得意とするのは五言、七言の古詩である。通常、律詩は、八句のうち前半四句を叙景もしくは叙事にあて、後半四句を感懐にあてる形式とるものなのだが、杜甫ははじめの二句を導入部、中四句を事柄の描写、最後の二句を結びの感懐に充てる形式をとることが多い。「龍門の奉先寺に遊ぶ」もそのようになっている。
 杜甫の特徴は題材の大きさにあり、場面の移り代わりが心の中に及んでいくことの見事さにある。