744-006182_22.1-#1 月下獨酌四首其一(卷二三(二)頁一三三一)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之

 

月下獨酌四首其一(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

 

744-006

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7619

全唐詩巻182_-22.-1

李白集校注巻 23-006

767年大暦256  (11)

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷二三(二)頁一三三一

  卷182_22  1

巻二二-6 

詩題

月下獨酌四首 其一

文體

五言古詩

 

 

詩序

 

 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點

0

0

交遊人物

 

交遊地點

 

 

 

744-006

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

(月下獨酌 四首 其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其一

花間一壺酒,獨酌無相親。

舉杯邀明月,對影成三人。

月既不解飲,影徒隨我身。

 

暫伴月將影,行樂須及春。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

醒時同交歡,醉後各分散。

永結無情遊,相期邈雲漢。

 

月下獨酌四首其二

天若不愛酒,酒星不在天。

地若不愛酒,地應無酒泉。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。

 

 

月下獨酌四首其三

三月咸陽城,千花晝如錦。

〈上二句一作「好鳥吟清風,落花散如錦」;一作「園鳥語成歌,庭花笑如錦」〉

誰能春獨愁,對此徑須飲。

窮通與修短,造化夙所稟。

一樽齊死生,萬事固難審。

醉後失天地,兀然就孤枕。

不知有吾身,此樂最爲甚。

 

月下獨酌四首其四

窮愁千萬端,美酒三百杯。

愁多酒雖少,酒傾愁不來。

所以知酒聖,酒酣心自開。

辭粟臥首陽,屢空飢顏回。

當代不樂飲,虛名安用哉。

蟹螯即金液,糟丘是蓬萊。

且須飲美酒,乘月醉高臺。

 

李太白集校注(王琦)

  月下獨酌四首

花間一作下文/苑作前一壺酒、獨酌無相親。舉杯邀明月、對影成三人。

月既不解飲、影徒随我身。暫伴月将影、行樂須及春。

我歌月徘徊、我舞影零亂。醒時同交歡、醉後各分

永結無情遊、相期邈雲漢。文苑作/碧巖畔

  其二

天若不愛酒酒星不在天地若不愛酒地應無酒文苑/作醴

泉天地既愛酒愛酒不媿天巳聞清比聖復道濁如賢

賢聖既已飲何必求神仙三杯通大道一斗合自然但

得酒繆本/作醉中趣勿為醒者傳孔融與曹操論酒禁書天/垂酒星之耀地列酒泉之

郡晋書軒轅右角南三星曰酒旗酒官之旗也主宴享/酒食漢書酒泉郡武帝太初元年開應劭註其水若酒

故曰酒泉也顔師古註相傳俗云城下有金泉泉味如/酒藝文類聚魏畧曰太祖禁酒而人竊飲之故難言酒

以濁酒為賢人清酒為聖人晋書孟嘉好酣飲愈多不/亂桓温問嘉酒有何好而卿嗜之嘉曰公未得酒中趣

耳跡胡震亨曰此首乃馬子才詩也胡元瑞云近舉李/墨 為證詩可偽筆不可偽耶琦按馬子才乃宋元祐

中人而文苑英華已載/太白此詩胡説恐誤

  其三

三月咸陽城一作/千花晝如錦一作好鳥吟清風落花/如錦一作園鳥語

歌庭花/笑如錦誰能春獨愁對此徑須飲窮通與修短造化夙

所禀一樽齊死生萬事固難審醉後失天地兀然就孤

枕不知有吾身此樂最為甚梁元帝詩黄龍戍北花如/錦洛陽伽藍記春風扇

花樹如錦淮南子輕天下/細萬物齊死生同變化

  其四

窮愁千萬一作/有千端美酒三百一作/惟数杯愁多酒雖少酒傾

愁不來所以知酒聖一作/聖賢酒酣心自開辭粟卧首陽/

餓伯/屢空飢一作/顔回當代不樂飲虚名安用哉蟹螯

即金液糟丘是蓬萊且須飲美酒乘月醉髙臺晋書畢/卓嘗謂

人曰得酒滿数百斛船四時甘味置兩頭右手持酒杯註/左手持蟹螯拍浮酒船中便足了一生矣金液見五巻

糟丘見/七巻註

 

 

 

《月下獨酌四首 其一》現代語訳と訳註解説
(
本文)

月下獨酌四首 其一#2

暫伴月將影,行樂須及春。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

醒時同交歡,醉後各分散。

永結無情遊,相期邈雲漢。


(下し文)
(月下獨酌 四首 其の一)#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。


(現代語訳)
(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 


(訳注と解説) 

月下獨酌四首 其一

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

1.【題義】 この詩は、ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。

 

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

2.無相親 この場において伴侶となるべき人がいないことを言う。

 

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

3. 明月 旧暦八月十五日の月を明月という。曇りなく澄みわたった満月。また、名月。《季 秋》「―や無筆なれども酒は呑む/漱石」明月地に堕ちず白日度を失わず天体の運行は不変の法則によって営まれる。天運にさからうことはできないことをいう。

4. 三人 自分がいて、そこに月が出てくる、月を擬人化して二人目とし、やがて、月がのぼり、自分の影が人の形を成してきて三人目。

 

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

 

 

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

5. 行樂 山野などに行って遊び楽しむこと。遊山(ゆさん)。寒食、清明節の時期に行う。

李白に《宮中行樂詞八首》がある。○宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。

 玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。

宮中行樂詞八首其一  李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白142

 

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

6. 零亂 乱れ動く。

 

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

7. 交歡・分散 酔いがさめると互いに喜びあい、酔いが回ると、それぞれが分散して取り留めなくなる。

 

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

8. 無情遊 ここにある「無情」は精神や感情などの心の働きのないことという悪い意味ではなく、俗世界とは無縁、世俗の情思にとらわれることのないことを言う。

9. 雲漢 天の川と仙界。河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

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99 月下獨酌四首 其二

月下獨酌四首其二
天若不愛酒、酒星不在天。
天がもし酒を愛さないなら、「酒星」が天空にあるわけがない。
地若不愛酒、地應無酒泉。
地がもし酒を愛さないなら、地上に「酒泉」があるはずがない。
天地既愛酒、愛酒不愧天。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

已聞清比聖、復道濁如賢。

酒の清らかさは聖なるものと言われ、また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。

賢聖既已飲、何必求神仙。

賢人と仙人、濁り酒と清酒、 すでに私はそれを飲んでいる、どうしても神仙の教えをもとめよう酒を飲むために。

三杯通大道、一斗合自然。

三盃飲めば天師道の正しい道に入り、一斗飲めば神仙の自然に溶け込む。

但得酒中趣、勿為醒者傳。

ただ酒を飲むことはこれだけの趣がある、 もちろん酔わないで醒めた人に教えてやる必要などはない。
 
其の二

天がもし酒を愛さないなら、「酒星」が天空にあるわけがない。
地がもし酒を愛さないなら、地上に「酒泉」があるはずがない。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

酒の清らかさは聖なるものと言われ、また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。

賢人と仙人、濁り酒と清酒、 すでに私はそれを飲んでいる、どうしても神仙の教えをもとめよう酒を飲むために。

三盃飲めば天師道の正しい道に入り、一斗飲めば神仙の自然に溶け込む。

ただ酒を飲むことはこれだけの趣がある、 もちろん酔わないで醒めた人に教えてやる必要などはない。



其の二
天 若し酒を愛さざれば、酒星しゅせい 天に在らず
地 若し酒を愛さざれば、地 応まさに酒泉しゅせん無かるべし
天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧はじず。
已に聞く清は聖に比すと、 復た道いふ濁は賢の如しと。
賢聖 既すでに已すでに飲む、何ぞ必ず神仙を求めん
三杯 大道たいどうに通じ、 一斗 自然に合す。
但ただ酔中すいちゅうの趣を得んのみ、醒者せいしゃの為に伝ふること勿なかれ
 

天若不愛酒、酒星不在天
天がもし酒を愛さないなら、「酒星」が天空にあるわけがない。
酒星 酒が醗酵するのは壽星にある。天が酒を造ったという考え。


地若不愛酒、地應無酒泉。
地がもし酒を愛さないなら、地上に「酒泉」があるはずがない。
酒泉 酒にはいい湧き出る泉の水がないといけない。


天地既愛酒、愛酒不愧天。
天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。
天地 万物を作りたもうた神仙。○愛酒 酒を愛することであるが、現実界の悦楽を得ることを含む。道教の教え。


已聞清比聖、復道濁如賢。
酒の清らかさは聖なるものと言われ、また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。
○清、聖:濁、賢 竹林の七賢は濁り酒を飲んで清談をした、聖は清酒、仙人は清酒を飲んだ。


賢聖既已飲、何必求神仙。
賢人と仙人、濁り酒と清酒、 すでに私はそれを飲んでいる、どうしても神仙の教えをもとめよう酒を飲むために。
賢聖 濁り酒と清酒 賢人と仙人 ○神仙 道教の教え

三杯通大道、一斗合自然。
三盃飲めば天師道の正しい道に入り、一斗飲めば神仙の自然に溶け込む。
大道 道教の教え天師道 ○自然 道教の神仙説


但得酒中趣、勿為醒者傳。
ただ酒を飲むことはこれだけの趣がある、 もちろん酔わないで醒めた人に教えてやる必要などはない。
 酒を飲むにはこれだけの趣がある。 ○醒者 儒教者のことを指す。



道教は老荘思想に天師道、神仙説の融合したものであること、多くの要素から成立しているのであるから、その影響の仕方も様々であって、ある場合には老荘の説に基く純思想とする場合と、天師道の儀式のようなある意味愚民のたぶらかしとなる場合もある。
李白の場合にはこれらすべてが、彼の詩と生活とに根強い影響を与えているのである。この詩の中に道教を否定する、あるいは愚弄するかのような部分は儒教的な見方からのもので、李白は道教を否定はしていない。
李白は、詞と、酒と、自然が彼の生活の中で一体化しているのである。




 

月下獨酌四首其二

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2

天若不愛酒,酒星不在天。

天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
地若不愛酒,地應無酒泉。

地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

#2

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。

酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 
だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 

(月下獨酌 四首其の二) 

天 若し酒を愛せざれば、酒星 天に在らず。

地 若し酒を愛せざれば、地 応に酒泉 無かるべし

天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧じず。

 

すでに聞く 清の聖に比し、 復た道ふ 濁は賢の如しと。

賢聖 既に すでに飲む、何ぞ必ずしも 神仙を求めん。

三杯 大道に通じ、 一斗 自然に合す。

但だ 酔中の趣を得たり、醒者の為に伝ふること勿れ。

月下獨酌四首其三

三月咸陽城,千花晝如錦。

〈上二句一作「好鳥吟清風,落花散如錦」;一作「園鳥語成歌,庭花笑如錦」〉

誰能春獨愁,對此徑須飲。

窮通與修短,造化夙所稟。

一樽齊死生,萬事固難審。

醉後失天地,兀然就孤枕。

不知有吾身,此樂最爲甚。

 

月下獨酌四首其四

窮愁千萬端,美酒三百杯。

愁多酒雖少,酒傾愁不來。

所以知酒聖,酒酣心自開。

#2

辭粟臥首陽,屢空飢顏回。

當代不樂飲,虛名安用哉。

蟹螯即金液,糟丘是蓬萊。

且須飲美酒,乘月醉高臺。

 

 

《月下獨酌四首 其二》現代語訳と訳註解説
(
本文)

月下獨酌四首其二

天若不愛酒,酒星不在天。

地若不愛酒,地應無酒泉。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。


(下し文)
(月下獨酌 四首其の二) 

天 若し酒を愛せざれば、酒星 天に在らず。

地 若し酒を愛せざれば、地 応に酒泉 無かるべし

天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧じず。

 

すでに聞く 清の聖に比し、 復た道ふ 濁は賢の如しと。

賢聖 既に すでに飲む、何ぞ必ずしも 神仙を求めん。

三杯 大道に通じ、 一斗 自然に合す。

但だ 酔中の趣を得たり、醒者の為に伝ふること勿れ。

(現代語訳)
(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2

天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 
だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 

(訳注と解説) 

月下獨酌四首 其二

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その二

 

 

天若不愛酒、酒星不在天 
天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
10. 酒星 酒が醗酵するのは壽星にある。天が酒を造ったという考え。

孔融と曹操 酒禁書に論じ、「天垂、酒星之耀地列酒泉之郡。」(天垂、酒星の耀、酒泉之郡に地列す。) 

・晋書に「軒轅右角南三星曰酒旗、酒官之旗也。主宴享酒食。五星、守酒旗。」(軒轅の右角の南の三星は酒旗と曰う、酒官の旗なり。宴享酒食を主り、五星、酒旗を守る。)とある。


地若不愛酒、地應無酒泉。 
地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。
11. 酒泉 酒にはいい湧き出る泉の水がないといけない。

・漢書 「酒泉郡、武帝太初元年開。」(酒泉郡、武帝の太初元年に開く。) 

・應劭 註「其水若酒故曰酒泉也。」(其の水 酒の若し、故に酒泉と曰うなり。)

・顔師古 註 相傳俗云城下有金泉泉味如酒。」(相い傳う、俗に云う、城下に金泉有り、泉の味 酒の如し。)


天地既愛酒、愛酒不愧天。 
天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。
12. 天地 万物を作りたもうた神仙。

13. 愛酒 酒を愛することであるが、現実界の悦楽を得ることを含む。道教の教え。

 

 

已聞清比聖、復道濁如賢。 
酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
14. 清、聖:濁、賢 竹林の七賢は濁り酒を飲んで清談をした、聖は清酒、仙人は清酒を飲んだ。・清比聖 藝文類聚、魏畧曰、「太祖、禁酒、而人竊飲之、故難言酒、以濁酒為賢人、清酒為聖人。」(太祖、酒を禁ず、而して人は竊かに之を飲む、故に酒と言い難たく、以て濁酒を賢人と為し、清酒を聖人と為す。)とある。


賢聖既已飲、何必求神仙。 
それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
15. 賢聖 濁り酒と清酒 賢人と仙人 

16. 神仙 道教の教え

 

三杯通大道、一斗合自然。 
そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 
17. 大道 道教の教え天師道。 

18. 自然 道教の神仙説。神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合する。


但得酒中趣、勿為醒者傳。 
だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 
19.  酒を飲むにはこれだけの趣がある。 

20. 醒者 儒教者のことを指す。



道教は老荘思想に天師道、神仙説の融合したものであること、多くの要素から成立しているのであるから、その影響の仕方も様々であって、ある場合には老荘の説に基く純思想とする場合と、天師道の儀式のようなある意味愚民のたぶらかしとなる場合もある。
李白の場合にはこれらすべてが、彼の詩と生活とに根強い影響を与えているのである。この詩の中に道教を否定する、あるいは愚弄するかのような部分は儒教的な見方からのもので、李白は道教を否定はしていない。
李白は、詞と、酒と、自然が彼の生活の中で一体化しているのである。

 

 

得酒繆本/作醉中趣勿為醒者傳

孔融與曹操 論酒禁書「天垂、酒星之耀地列酒泉之郡。」

晋書 「軒轅右角南三星曰酒旗、酒官之旗也。主宴享酒食。五星、守酒旗。」

漢書 「酒泉郡、武帝太初元年開。應劭 註「其水若酒故曰酒泉也。

顔師古註「相傳、俗云、城下有金泉泉味如酒。」

藝文類聚、魏畧曰、「太祖禁酒而人竊飲之故難言酒以濁酒為賢人清酒為聖人

晋書 孟嘉好酣飲愈多不亂。桓温問嘉酒有何好而卿嗜之嘉曰公未得酒中趣耳。

跡胡震亨 曰 「此首乃馬子才詩也。胡元瑞云「近舉李墨 為證詩可偽筆

不可偽耶琦按馬子才乃宋元祐中人而文苑英華已載太白 此詩胡説恐誤