komichi03 

李白は一定の学問を終えると、山を降りて地元の知識人や道士と交わり、蜀地を遊歴して見聞を広める。
 721年 李白が二十歳になったとき、礼部尚書(正三品)をしていた蘇頲(そてい)が左遷され、成都にあった益州大都督府の長史(次官)になって綿州のあたりを通りかかる。李白は自作の詩を蘇頲に披露して文才を認めてもらおうと試みますが、蘇頲は李白の才能を認めた。
 723年 二十三歳のころには、広漢(四川省梓橦県)の太守(刺史)が李白を貢挙の有道科に推薦しようとしましたが、李白は断っています。李白には貢挙を受けられない事情があった。したがって詩文の才能で官に就くことを目指していた。
 724年 開元十二年秋、二十四歳の李白が蜀を離れて江南に向かったのも、官途につく早道と考えたものである。


 成都の壁下を錦江が流れ、錦江が成都の西を流れる岷江(みんこう)に合流してすぐ、清渓(地名)という渡津(としん)がある。詩はその渡し場を船出した時の作品で、峨眉山(がびさん)に半月がかかっているのを見ながら、故郷との別れの感慨を詠うものだ。
 「三峡」は有名な長江の大三峡ではなく、嘉州(四川省楽山市)にあった小三峡のようだ。「平羌江」と岷江の一部で別の川ではない。最後の句の「君」については、恋人と、月とに掛けている。
 なお、船出の地ははっきりしていない。成都の錦江にある渡津だ。船出してすこし落ち着いたころ清渓を通過し、詩を作る。船出して最初の旅の目的地は、渝州(重慶市)だ。

李白 2
  
峨眉山月歌         

峨眉山月半輪秋、影入平羌江水流。
峨眉山にかかる秋の半輪の月、  月のひかりは平羌江に映ってきらきらと流れゆく
夜発清渓向三峡、思君不見下渝州。
 

夜中に清渓を船出して三峡にむかう
この美しい月をもっと見続けていたいと思うが(船が下ると山の端に隠れ)船は渝州にくだる


峨眉山にかかる秋の半輪の月
  月のひかりは平羌江に映ってきらきらと流れゆく
夜中に清渓を船出して三峡にむかう
この美しい月をもっと見続けていたいと思うが(船が下ると山の端に隠れ)船は渝州にくだる


韻は、秋、流、州。

峨眉山月半輪秋、影入平羌江水流。
夜発清渓向三峡、思君不見下渝州。 

峨眉山月の歌
峨眉 山月  半輪(はんりん)の秋
影は平羌(へいきょう)の江水(こうすい)に入って流る
夜  清渓(せいけい)を発して三峡に向かう
君を思えども見えず  渝州(ゆしゅう)に下る