古風五十九首 其三 李白 106


  これまで約二十首連続で、酒に関する詩を取り上げてきた。それらの詩により、李白の考え方は次のようにまとめられる。
李白は、神仙となって長命を得ることは道を得る機会が増えることであり、奨励されると考えており、真理としての宇宙観には多様性があるとするのが道教の思想であると考えていた。食生活においてはとりわけ、酒飲むことを基本とし、この相乗効果として、さまざまな食物を得ることで均衡が取れ、長生きすると考えていた。


次に李白に人生の集大成とも思われる「古風」五十九首のうちで道教に関するものと思われるものを見ていこう。この詩は、神仙思想というものから見れば、始皇帝の行った数々のことはおろかなことである、神仙を愚弄したものであり、結果は、「金棺の寒灰を葬る。」と。


古風五十九首 其三
秦皇掃六合、虎視何雄哉。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
揮劍決浮云、諸侯盡西來。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
明斷自天啟、大略駕群才。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(使いこなしていない)
收兵鑄金人、函谷正東開。
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。
銘功會稽嶺、騁望琅琊台。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
刑徒七十萬、起土驪山隈。』
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
尚采不死藥、茫然使心哀。
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
連弩射海魚、長鯨正崔嵬。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
額鼻象五嶽、揚波噴云雷。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
鬈鬣蔽青天、何由睹蓬萊。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
徐市載秦女、樓船幾時回。
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
但見三泉下、金棺葬寒灰。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(使いこなしていない)
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。


(下し文)古風 其三
秦皇 六合を掃いて、虎視 何ぞ 雄なる哉。
劍を揮って 浮云を決れば、諸侯 盡く西に來る。
明斷 天より啟き、大略 群才を駕す。
兵を收めて 金人を鑄、函谷 正に東に開く。
功を銘す 會稽の嶺、望を騁ず 琅琊の台。
刑徒 七十萬、土を起す 驪山の隈。』

尚 不死の藥を采り、茫然として 心哀しましむ。
連弩 海魚を射、長鯨 正に崔嵬。
額鼻は五岳に象かたどり、波を揚げて云雷を噴はく。
鬈鬣きりょう 青天を蔽おおう、何に由りてか 蓬萊を睹みん。
徐市じょふつ 秦女を載す、樓船 幾時か回える。
但見る三泉の下、金棺 寒灰を葬ほうむるを。



古風五十九首 其三

秦皇掃六合、虎視何雄哉。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
秦皇 秦の始皇帝。〇六合 天地と四方と。すなわち、宇宙。世界。天下国家。○虎視 猛虎がニラミをきかすこと。勢意の盛んで強いことのたとえ。

 
揮劍決浮云、諸侯盡西來。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
揮劍決浮雲 「荘子」に「天子の剣は、上は浮雲を決り、下は地紀(大地の根本)を断つ。」とあるのにもとづくもの。○諸侯尽西来 戦国時代の諸侯、すなわち斉・楚・燕・韓・魏・趙の六国の王たちは皆降伏して当時は一番西に位置したので(西のかた)秦に来た。中国初めての統一国家とされているが、実質的には隋王朝の国の体をなした国家、すなわち、律令国家体制こそが初めての統一国家といえるもののではなかろうか。

明斷自天啟、大略駕群才。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(人材をうまく使いこなしているわけではない)
明断 英明な決断力。○大略 大計画。


收兵鑄金人、函谷正東開。
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。 
収兵鋳金人 「史記」の始皇本紀の二十六年の条に「天下の兵(武器)を収めて咸陽に集め、これをとかして鐘鐻(しょうきょ:鐘や鼓をかける台)と金人(銅製の大人形)十二をつくり、重さはそれぞれ千石(一石は普通人がかつげる重さ)で、宮廷に置いた」とある。○函谷 秦の東境にある関所の名。いまの河南省の西端。秦は自然の要塞でもあるここを厳重守っていたが、六国を滅ぼして天下を統一したので「東に開」いたわけである。


銘功會稽嶺、騁望琅琊台。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
銘功会稽嶺 「史記」の始皇本紀、三十七年に「会稽山(浙江省紹興)に登って大禹(夏の商王)を祭り、南海を望んで石を立て、文字を刻んで秦の徳をたたえた」とある。杭州が中国南部統治の要衝地であった。その象徴ともいえる山が会稽山である。地図上での南は海南方面であるが李白の時代唐時は交通手段が川・運河であったためこの地を南としていた。○騁望琅琊台 琅邪は琅琊とも、また琅邪とも書く。同じく始皇本紀、二十八年「南のかた琅邪山(山東省諸城県東南)に登って大いに楽しみ、滞留三か月、平民三万戸を琅邪山のふもとに移し、十二年間免税することにし、琅邪台を作って石を立て、秦の徳をたたえた」。この地が最東の要衝地であった。

刑徒七十萬、起土驪山隈。』
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
刑徒七十万 同じく始皇本紀、三十五年「始皇は阿房宮を作った。東西五百歩つまり3,000尺・南北五十丈つまり500尺という。なお、メートル法に換算すると、乗数に諸説があるため東西600-800m・南北113-150mなどの幅がある。ウィキペディア中国語版では、693mと116.5mと記述されている。 二階建で上は万人を坐らすことができ、下は五丈の旗を建てることができた。殿外には柵木を立て、廊下を作り、これを周馳せしめ、南山にいたることができ、複道を作って阿房から渭水を渡り咸陽の宮殿に連結した。これは、天極星中の閣道なる星が天漢、すなわち天の川を渡って、営室星にいたるのにかたどったものである。その建築に任じた刑徒の数は70余万に昇った。なおも諸宮を造り、関中に300、関外に400余、咸陽付近100里内に建てた宮殿は270に達した。このために民家3万戸を驪邑に、5万戸を雲陽にそれぞれ移住せしめた。」。○驪山 いまの陝西省臨潼県の東南、つまり咸陽の東の郊外にある山。 

尚采不死藥、茫然使心哀。
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
○尚採不死薬 「史記」始皇本紀三十二年「韓終・侯公・石生に仙人の不死の薬を求めさせた」。

連弩射海魚、長鯨正崔嵬。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
連弩 数本ないし数十本の矢を連続して発射できるような仕掛の石弓。○海魚 大鮫。○連弩射海魚 始皇本紀、二十八年「斉の人、徐市らが上書して「海中に三つの神山があり、蓬莱・方丈・瀛洲と申して、仙人が住んでおります。斎戒して童男童女を連れ、仙人を探したいと思います」と言った。そこで徐市を派遣し、董男童女数千人を出して海上に仙人を求めさせた」。三十七年「方士の徐市らは、海上に神薬を求めて、数年になるが得られず、費用が多いだけだったので、罰せられることを恐れ、いつわって、「蓬莱では神薬を得られるのですが、いつも大鮫に苦しめられて、島に行くことができないのです。上手な射手を附けていただけば、現われたら連弩で射るのですが」と言った。……そこで海上に行く者に大魚を捕える道具を持たせ、大魚が出たら、始皇みずから連弩で射ようと、琅邪から労山・成山(いずれも山東省)まで行ったが、ついに現われなかった。之罘に行くと大魚が出たので、一魚を射殺した」。 〇崔嵬 高くて急な、石山の形容。

額鼻象五嶽、揚波噴云雷。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
五嶽 中国の五つの名山。東嶽(泰山・山東省)南嶽(衡山・湖南省)西嶽(華山・陝西省)北嶽(恒山・山西省)中嶽(嵩山・河南省)

鬈鬣蔽青天、何由睹蓬萊。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
鬈鬣 ひれとひげ。○蓬莱 海上にあるといわれる仙人の島。

徐市載秦女、樓船幾時回。
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
徐市 じょふく(一+巾)秦の始皇帝をだましたイカサマ師。徐福ともいう。日本に来て住んだという。紀州にその墓がある。○楼船 二階づくりの屋形船。

但見三泉下、金棺葬寒灰。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。
三泉 始皇本紀に「始皇を驪山に葬る。始皇帝が初めて帝位に即いた時、驪山のふもとに陵をつくるため穴を掘り、天下をあわせたのちは、天下の徒刑の罪人七十余万人をつかって三泉の下まで掘り、銅を以て下をふさぎ、外棺を入れた。塚の中に宮殿や百官の席をつくり、珍奇な器物をいっぱい入れた」とある。三泉とは、地下水の層を三つ掘りぬいた深い地底。○寒灰 つめたい灰。死骸は火葬しないが、次第に風化して灰になることをいう。


 この詩も、神仙を願うことに反対しているのではない。また始皇帝をひきあいにだして、玄宗を諷刺したというものでもなく、ただ神仙の道を求める資格が、なかったことをいっているのである。晩年の豪奢と強権、宦官に任せた始皇帝には、不老長寿を求める資格はない、たとえ徐市(徐福)に始皇帝を欺く意志があったとしてもである。


 ○韻 哉、來、才、開、台、隈、哀、嵬、雷、萊、回、灰。

 
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