黄鶴樓送孟浩然之廣陵 李白15 

安陸・南陽・嚢陽 李白00

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。

わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。


魏太尉承班二首


『黄鶴樓送孟浩然之廣陵』 現代語訳と訳註
(本文)
黄鶴樓送孟浩然之廣陵
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。


(下し文)
(黄鶴樓にて孟浩然が廣陵に之くを送る)
故人 西のかた黄鶴楼を辞し、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆 遠く影し 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

(現代語訳)

(黄鶴楼で、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。

(訳注)

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
(黄鶴楼で、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。

黄鶴伝説 『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
孟浩然 盛唐の詩人。689-740。李白より11歳ほど年長の友人。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。王維・韋応物・柳宗元と並んで、唐代の代表的な自然詩人とされる。
広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。この詩は、李白二十八歳の作とする。通説であるが、異説もある。


故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
故人 以前からの、親しい友人。
辞 別れをつげる。辞去する。
烟花三月 烟は煙。春かすみにつつまれ燃えるような牡丹の花々の咲き誇る三月。
揚州 大運河が長江と交わる交通の要所。唐代では江南随一の繁華をきわめたところ。

孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。
弧帆 一つだけの帆影。
○碧空-碧玉のように青い空。
天際 天空の果て。

○韻字  楼・州・流

宮島(3)

黄鶴伝説
『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。


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