駕去温泉宮後贈楊山人 :李白129

当時の李白の得意さを知る詩がある。それは、玄宗のお供をして鷹山の温泉官に行き、天子のみ車が帰ってから、楊山人に贈った詩「駕温泉官を去りし後、楊山人に贈る」である。楊山人の名は分からない。「山人」というところから、官に仕えず隠れて住んでいた人で驪山の付近に住んでいた在野の詩人だろう。



駕去温泉宮後贈楊山人  
 
少年落托楚漢間、風塵蕭瑟多苦顔。
青年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
自言介蠆竟誰許、長吁莫錯還閉関。』  
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
一朝君王垂払拭、剖心輸丹雪胸臆。  
一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる
忽蒙白日廻景光、直上青雲生羽翼。』  
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。
幸陪鸞輦出鴻都、身騎飛龍天馬駒。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
王公大人借顔色、金章紫綬来相趨。』
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
当時結交何紛紛、片言道合唯有君。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。
待吾尽節報明主、然後相攜臥白雲。』

私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか。


青年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、
赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。
私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか。


駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る
少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間(かん)
風塵  蕭瑟(しょうしつ)として苦顔(くがん)多し
自ら言う  介蠆(かいまん)竟(つい)に誰か許さんと
長吁(ちょうく) 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず』
一朝  君王  払拭(ふっしょく)を垂(た)れ
心を剖(さ)き丹を輸(いた)して  胸臆を雪(すす)ぐ
忽ち白日の景光(けいこう)を廻らすを蒙(こうむ)り
直(ただ)ちに青雲に上って羽翼(うよく)を生ず』
幸に鸞輦(らんれん)に陪(ばい)して鴻都(こうと)を出で
身は騎(の)る 飛龍(ひりゅう)天馬(てんま)の駒(く)
王公大人(たいじん) 顔色(がんしょく)を借(しゃく)し
金章(きんしょう)紫綬(しじゅ) 来りて相趨(はし)る』
当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛(ふんぷん)
片言(へんげん) 道(みち)合するは唯だ君有り
吾が節を尽くして明主(めいしゅ)に報ずるを待って
然(しか)る後 相攜(たずさ)えて白雲に臥(が)せん』


 

少年落托楚漢間、風塵蕭瑟多苦顔。
生年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
落托 他人に頼って生活する。年を取ってからなら、落ちぶれたということになる。この場合、少年の時から、いわば初めからであるから落ちぶれたのではない。 ○楚漢 楚は襄陽、安陸地方であるが実際は長江の下流域「呉・越」にも滞在している。漢は洛陽長安をいうが大まかに黄河下流「魯・斉」を含めている。


自言介蠆竟誰許、長吁莫錯還閉関。
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
介蠆 やご。成長しないままの状態。○還閉関 たびたびあちこちの道観にはいって隠遁していることを指している。朝廷に召されたのも道教のつながりである。最初の四句は、道教の修行をしていることを示したものである。


一朝君王垂払拭、剖心輸丹雪胸臆。

一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる


忽蒙白日廻景光、直上青雲生羽翼。
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。


幸陪鸞輦出鴻都、身騎飛龍天馬駒。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
鸞輦 鸞の模様で飾られた天子の輦。 ○出鴻都 後漢の霊帝時代、儒学者たちの集まりを鴻都門学派といった。この学派が皇帝により庇護されていたものが、批判を受けた。儒教の考えから出でている自分を天子がお認めになっている。


王公大人借顔色、金章紫綬来相趨。
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
 
当時結交何紛紛、片言道合唯有君。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。


待吾尽節報明主、然後相攜臥白雲。
私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか
 
         
自分は少年のころ湖北・湖南辺りをぶらついていたが、世間における暮らしは狐独の貧乏暮らし。また、自分の倣慢をだれも許してくれぬと思って、嘆きつつ家に帰って閉じこもったきりであった。ところが、この失意の状態が、突然解消された。たちまち天子がわが才能を認めてくれることになり、赤心を開いて申し上げることになった。天子の光に照らされて、青空にかけ上って仕えることになった。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

これはおそらく李白がはじめて出仕したときのことであろう。おそらく事実に近いであろう。天子も優遇してくれたことは事実であろう。ただ、玄宗は李白の何を認めて優遇してくれたのか。大官たちは李白の何を認めて交わってくれたのか。その点、李白の考えるところとはかなりの食い違うものがあったにちがいない。

それは、この詩の尾聯にも予測したような隠遁のことがでており、出仕した当初から李白も感ずるものがあったのではなかろうか。

玄宗は、必ずしも国政に李白を参与させるという意図を最初からもっていたのではない。李林甫と宦官に実務をほとんどゆだねていた時期であり、李白の優れた詩才、文人としての才能を重要視したが、あくまで華やかな宮廷生活に興趣を添える人として李白を迎えたのである。この狂いが李白をさらに意固地にさせ、理解者を急速に減少させた。