宮中行樂詞八首其六 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147


宮中行樂詞八首 其六
今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。

北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。


今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。



宮中行楽詞 共の六
今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。
春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。
艷舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。
更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って藏鉤するを。



今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
明光 漢代の宮殿の名。「三輔黄図」という宮苑のことを書いた本に「武帝、仙を求め、明光宮を起し、燕趙の美女二千人を発して之に充たす」とある。



春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
紫殿 唐の大明宮にもある。「三輔黄図」にはまた「漢の武帝、紫殿を起す」とある。漢の武帝が神仙の道を信じ、道士たちにすすめられて、大規模な建造物をたくさん建てたことは、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)にくわしい。玄宗も同じように道教のために寄進している。



艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。



更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。
憐花 北斉の後主高給が寵愛した馮淑妃の名。燐は同音の蓮とも書かれる。もとは穆皇后の侍女であったが、聡明で琵琶、歌舞に巧みなのが気に入られて穆皇后への寵愛がおとろえ、後宮に入った。○蔵鉤 遊戯の一種。魏の邯鄲淳の「芸経」によると、じいさん、ばあさん、こどもたちがこの遊戯をしていたという三組にわかれ、一つの鈎を手の中ににぎってかくしているのを、他の組のものが当て、たがいに当てあって勝敗をきそう。漢の武帝の鈎弋夫人は、幼少のころ、手をにぎったまま開かなかった。武帝がその拳にさわると、ふしぎと閲いたが、手の中に玉の釣をにぎっていた。蔵鈎の遊戯は鈎弋夫人の話から起ったといわれている。
これをもとに宮妓たちの間では送鉤という遊びをしていた。二組の遊びで、艶めかしい遊びに変化したようだ。