宮中行樂詞八首其七 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白148

高貴な階級ほどエロティックな詩を喜んだ。「玉台新詠集」などその典型で、詠み人は皇帝、その親族、、高級官僚である。ここでいう行楽とは、冬は奥座敷の閨の牀で行った性交を屋外でするという意味を含んでいる。それを前提におかないと宮中行楽詞は意味不明の句が出てくる。この詩の舞台には儒教的生活は存在しないのである。




宮中行樂詞八首 其七
寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
晚來移綵仗、行樂泥光輝。

日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている



つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。


宮中行楽詞 其の七
寒雪 梅中に尽き、春風 柳上に帰る。
宮鶯 嬌として酔わんと欲し、簷檐燕 語って還た飛ぶ。
遅日 歌席明らかに、新花 舞衣 艶なり。
晩来 綵仗を移し、行楽 光輝に泥かし。



寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。

宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
簷燕 のきばのつばめ。

遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
遲日 日が長くなる春。なかなか日が暮れない。「詩経」の豳風(ひんふう)に「七月ふみづき」
七月流火  九月授衣  春日載陽  有鳴倉庚  
女執深筐  遵彼微行  爰求柔桑  春日遅遅
采蘩祁祁  女心傷悲  殆及公子同歸
一緒になりたい待っている女心を詠っている。
歌席 音楽の演奏会。

晚來移綵仗、行樂泥光輝。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。
晩来 夕方。○綵仗 唐の制度では、宮殿の下の衛兵を仗という。綵は、着飾ってはなやかなという形容、飾り物が華麗である場合に使用する。別のテキストでは彩としている。この場合は色のあでやかさの場合が多い。○行楽泥光輝 野外において性的行為をする光景を詠っている。光と影が交錯していること。景色を泥はやわらかくする。