古風五十九首 其二十三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白167



長安において、必ずしも愉快な生活ではなかった李白を慰めるものは、自然の風物と酒である。自然を歌い、酒を歌うことで、美しい白鳳を眺め、それを詩に歌うことに喜びを感じ、酒を飲み、それを詩に歌うことに人生の生きがいを求めた。

李白は、心に苦悩を覚えれば覚えるほど、自然に、酒にひたりこむ。道教の友、道士たちと酒を酌み交わす際は特別なものであった。道教における自然、方向性は一緒だが少し違った自然の中に酒の中に人生の生きがいを求めた。そして、その境地を詩歌することを自分の生きる運命と思っていた。自然への目を覆い、酒に対する口を封じれば、それはそれで李白の人生は全く違ったものであったろう。明朗な性格は李白の人生観でもある。

長安においても、しばしば自然の風物を尋ねる。

「終南山を下り、斜斯山人に過りて宿る。置酒す」詩

李白 88 下終南山過斛斯山人宿置酒
「二人ともに楽しく語りあい、ゆったりとした。かくては美酒を飲もう。松風に吹かれて歌.続け、歌い終わってみると、天の川の星もまばらで、夜もふけた。自分も君も酔っぱらって、ゆしかった。よい気持ちで、すべてのことは忘れた境地である」。「忘機」は、世の俗事を忘れ去て淡々とすること。道家の目指す境地である。山中の自然の美しきを楽しみ、知己の山人とともに、好きな酒を飲み、「陶然として共に機を忘れ」る境地こそ、李白の望むところであった。けして、それは仙人の境地にも通ずる。それは李白の理想とするところであった。

秦嶺山脈の西端の高峰が、太白山であり、常に山頂に積雪がある。南は武功山に連なる。「蜀道難」

蜀道難 李白127
の中にも、その険峻を歌っている。頂上に道教を信奉するものが尊重する洞窟もあるし、李白の字と名を同じくする山でもある。李白はそれにひかれて、ときどき登ったものと思わしる。「太白峰に登る」詩
李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。
があるが、すでに述べた「太山に遊ぶ」
李白 112 游泰山六首
や、また「夢に天姥に遊ぶの吟、留別」
夢遊天姥吟留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166
と同じく、仙境にあこがれる気持ちを想像力をたくましくして写し出し、無限の世界を自由に飛びまわる気持ちを表わしている。これも李白の詩の大きな特色の一つであることすでに述べたーおりである。こうして、自然を楽しみ、酒を飲み、仙境を夢みていると、そのときだけ李白の心を満足さるが、一たび現実の長安の生活に帰ると、李白にとっては、何を見てもがまんのならぬことがかった。
これら李白にとって、居心地のよくない宮廷務め、その合間に、気晴らしに、たくさんの詩を書いたはずである。しかし、歴史は、支配者の歴史であるから、李白の宮廷時代のものはおおくはない。


古風五十九首 其二十三
秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
我行忽見之、寒早悲歲促。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生鳥過目、胡乃自結束。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
景公一何愚、牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
物苦不知足、得隴又望蜀。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人心若波瀾、世路有屈曲。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
三萬六千日、夜夜當秉燭。

人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。



秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。





古風 其の二十三
秋蕗は 白くして玉の如く、団団として 庭綠に下る。
我行きて忽ち之を見、寒早くして 歳の促すを悲しむ。
人生は鳥の目を過ぐるがごとし、胡ぞ乃ち自ずから結束するや
景公 ひとえに何ぞ愚かなる、牛山涙相続ぐ、
物は足るを知らざるを苦しみ、隴を得て 又た蜀を望む。
人心は 波瀾の若し、世路には 屈曲有り。
三万六千日、夜夜 当に燭を乗るべし


其二十三

秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
団団 まるいさま。露が丸い粒にかたまったさま。六朝の謝恵連の詩に「団団たり満葉の露」とある。○庭綠 庭の中の草木。


我行忽見之。 寒早悲歲促。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
歳促 歳の瀬がせまる。


人生鳥過目、胡乃自結束。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
鳥過日 張協の詩に「人生は瀛海の内、忽上して鳥の目を過ぐるが如し」とある。飛鳥が目の前をかすめて過ぎるように、人生はつかのまの時間に限られる。「光陰矢の如し」○胡乃 胡はなんぞ、乃はすなわち。○自結束 窮屈にする。しばりつける。孔子の論語為政篇にある「何為自結束」(何為れぞ自から結束する)に基づいている


景公一何愚、牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
景公一何愚。 牛山淚相續。 「列子」に見える話。景公は、春秋時代の斉の景公。牛山は、斉の国都であった今の山東省臨消県の、南にある山。むかし斉の景公は、牛山にあそび、北方に自分の国城を見おろしながら、涙をながして言った。「美しいなあ、この国土は。あおあおと草木がしげっている。それに、どうして滴がおちるよぅにこの国を去って死んでいくのだろう。もしも永久に死ということがないならば、わたしはここをはなれて何処へも行きたくないのだ。」そばにいた二人の臣、文孔と梁邸拠とが公に同情して泣いたが、ひとり、大臣の蜃子が、それを見て笑った。なぜ笑うかときかれて、量子がこたえた。「この国の代代の君主は、この国土をここまで立派にせられるのに、死ぬことなどを考える暇もなかったのです。いま、わが君が安んじて国王の位についておられるのは、代代の国王が次次と即位し、次次と世を去って、わが君に至ったからです。それなのに、ひとり涙をながして死をなげかれるのは、不仁というものでし上う。不仁の君を見、へつらいの臣を見る、これが、臣がひとりひそかに笑ったゆえんです。」景公は、はずかしく思い、杯をあげて自分を罰し、二人の臣を罰するに、それぞれ二杯の酒をのませた。


物苦不知足、得隴又望蜀。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
物苦不知足、得隴又望蜀。 「後漢書」の、光武帝が岑彭に与えた書に「人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望む」とある。隴はいまの甘粛省除酉県の地表はいまの四川省。物は人間。


人心若波瀾。 世路有屈曲。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。


三萬六千日、夜夜當秉燭。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。
三万六千 百年の日数。「抱朴子」に「百年の寿も、三万余日のみ」とある。○夜夜当秉燭 秉は、手で持つ。漢代の古詩十九首の一に「生年は百に満たず。常に千歳の警懐く。昼は短く、夜の長きを苦しむ。何ぞ燭を秉って遊ばざる」とある。李白の『春夜桃李園に宴する序』に、「浮生は夢のごとし。歓を為す幾何ぞ。古人、燭を秉りて夜遊ぶ。良に以あるなり」とある。

春夜桃李園宴序 李白116
『銭徴君少陽に贈る。』にも「燭を秉ってただすべからく飲むべし。」
贈銭徴君少陽 李白114