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五言排律
玄宗(7)
742年、玉真公主、賀知章、呉筠らは詩人の李白を都に呼び寄せた。事前に賀知章が公主道観で面接し、蜀道難、烏夜亭、烏棲曲などすぐれた作品にたいし最大の評価をした。賀知章はそのまま玄宗に報告した。さっそく、玄宗は、彭勃と謝阿蛮を迎えに出し宮中に招き入れる。
李林甫と皇太子の李亨との権力闘争は尖鋭化してくる。この争いに巻き込まれたくない安禄山は都に身を潜め、玄宗と直接会う自らの目的のためにため策を練る。安禄山は、狡猾に玄宗皇帝に取り入る。
玄宗は、太真法師とした楊玉環を、正式に皇妃として迎える事を一気に進める。安禄山は科挙に対する不正を玄宗に告発する。事の真偽を確かめるため自ら試験官となり、不正を確かめた。玄宗の知らないところで科挙試験はゆがめられていたのだ。
玄宗は、楊玉環に貴妃の地位を与え「楊貴妃」と名乗らせ、正式に皇妃として迎え入れた。さらに玄宗は、楊貴妃の親族を高い地位につけていく。
楊貴妃の父・楊玄儌は、娘が皇妃に迎えられた事で重用される楊家の行く末を心配していたが、逝去する。
その父の訃報が楊貴妃に伝えられた。
太子派の皇甫維明が西北警備で目覚しい武功を上げ、朝廷内の反対勢力を駆逐してきた宰相・李林甫を公に弾劾(だんがい)する。それを知った李林甫は、太子派の制圧を決める。
玄宗皇帝の元に、皇太子派の皇甫惟明将軍が吐藩の洪斉城を攻落したとの報告が入る。これで王忠嗣将軍が吐藩の石堡城を奪還すれば国境線がつながり西北は安泰となる。
この功績により、皇太子側の両将軍に軍事費の3分の2以上が与えられる事を警戒する李林甫は策略をめぐらす。
送儲邕之武昌
黄鶴西樓月、長江萬里情。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
春風三十度、空憶武昌城。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
送爾難為別、銜杯惜未傾。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
湖連張欒地、山逐汎舟行。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。
諾謂楚人重、詩傳謝朓清。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
滄浪吾有曲、寄入悼歌聾。
仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。
儲邕の武昌に之くを送る
黄鶴 西楼の月、長江 万里の情。
春風 三十度、空しく憶う 武昌城。
爾を送ってほ 別れを為し難く、杯を銜んでは 惜しみて未だ傾けず
湖は楽を張るの地に連なり、山は舟を汎ぶるの行を逐う。
諾には楚人の重きを謂い、詩には謝朓の清きを伝う。
滄浪 吾に曲有り、寄せて悼歌の声に入れん。
迭儲邕之武昌
儲邕が武昌に旅立つのを送る。
○儲邕 李白の友人。伝記不詳。○武昌-現在の湖北省武漢市武昌地区。李白の時代の「武昌」は、正確には現在の都城市(武漢の東約六〇キロ)であり、「現在の武昌」は「江夏」と呼ばれていた。しかし、西晋・六朝期には「江夏」(「夏日」とも)がより広い「武昌郡」に属していたために、李白は「江夏」を「武昌」とも呼んでいる。ここは、その例に当たる。
黄鶴西樓月、長江萬里情。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
○黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。
黄鶴伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
○「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」
黄鶴楼送孟浩然之広陵 李白15 |
春風三十度、空憶武昌城。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
○三十度 十五回、二十回を超えたら三十という詩人感覚。
送爾難為別、銜杯惜未傾。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
○爾 「汝」の類語。二人称代名詞。○衝杯 杯を口にあてる。
湖連張欒地、山逐汎舟行。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。
○張楽地 洞庭湖一帯をさす。『荘子』(天運篇)に、「帝張咸池楽洞庭野」(黄帝、咸池の楽[黄帝の作った天上の音楽]を洞庭の野に張る)とある。咸池 音楽の名前。 咸は「みな」、池は「施す」を意味し、この音楽は黄帝の徳が備わっていたことを明らかにするもの。○汎舟行 船を汎べてゆく行。
諾謂楚人重、詩傳謝朓清。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
○諾謂楚人重 楚の国の出身者である季布は、任侠の徒として信義を重んじ、いちど承諾したことは必ず実行した。「黄金百斤を得るよりも、季布の一諾を得るほうがよい」という諺が生まれるほどだった。『史記』巻百「季布」列伝にもとづく。○詩伝謝朓清 六朝斉代の詩人謝朓は、その詩風がとくに清麗・清発であったことで名高い。
滄浪吾有曲、寄入悼歌聾。
仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。
○滄浪 水の青さ・清らかさを李白は滄海をイメ―ジして使う。「古風」其十二では、滄波。○悼歌 カイをこぐ時の歌。舟うた。李白「越女詞」其三
○韻 倍、城、傾、行、清、声。
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