同王昌齡送族弟襄歸桂陽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白179


 漢の成帝の寵した飛燕皇后のことは、事実はともかくとして、この頃の人士には、記述については非常に簡単ではあったが正史である『漢書』に、優れた容姿を表現する記述がある。
その出生は卑賤であり、幼少時に長安にたどり着き、号を飛燕とし歌舞の研鑽を積み、その美貌が成帝の目にとまり後宮に迎えられた。後宮では成帝の寵愛を受け、更に妹の趙合徳を昭儀として入宮されることも実現している。成帝は趙飛燕を皇后とすることを計画する。太后の強い反対を受けるが前18年12月に許皇后を廃立し、前16年に遂に立皇后が実現した。前7年、成帝が崩御すると事態が一変する。成帝が急死したことよりその死因に疑問の声が上がり、妹の趙合徳が自殺に追い込まれている。こうした危機を迎えた趙飛燕であるが、自ら子がなかったため哀帝の即位を支持、これにより哀帝が即位すると皇太后としての地位が与えられた。しかし前1年に哀帝が崩御し平帝が即位すると支持基盤を失った

王莽により宗室を乱したと断罪され皇太后から孝成皇后へ降格が行われ、更に庶人に落とされ間もなく自殺した。

六朝時代の作なる小説「飛燕外伝」を通じてよく知られていたのである。この「飛燕外伝」に見える飛燕皇后は、宮中に入る前にすでに鳥を射る者と通じ、立后後も多くの者と姦通している。唐時代に、朝廷内のものがこの小説を知らぬはずはない。李白が朝廷に上がった段階では、楊貴妃ではなく女道士としての太真としていた。玄宗の息子の寿王の王妃であったものを奪い取ったものであることも周知のことであった。朝廷内における地位としては確立していない段階ではあったが、趙飛燕は痩身体型、楊太真は細身、グラマラスな体系であった。
これを以て貴妃に比したのは、李白にとって慎重を欠いたというだけなのか、どんな意図があったのか。

李白の詩の特徴の一は、巧みに故事をとらえて、現在の事柄と連関させる方法である。そのため現実は浪曼化され、美化される。抽象化、誇張ということもありうる。

当然、写実から遠ざかることもある。詩とは、本来そうしたものである。

歌が善く、舞を善くし、君王の寵愛はくらべるものもなく、肌膚こまやかに、姿態楚々たる美人ということを詠いあげ、曖昧模糊に表現することで、美を表出したのである。傾国などの表現とはまったくちがったものであった。

しかし、李白は早い時期に云っておくべきこと、すなわち正論があった。それは、玄宗にこんな女、それ以上のめり込むべきでない趙飛燕の末期におけるものは悲劇そのものである。それを教訓として一線を画して対処されるべきといいたかったのだ。それを聞き入れられたとしたら、朝廷は安禄山の乱を生むことはなかったし、李白ももっと生かされたであろう。楊貴妃に問題があることは誰もが分かっていたが、問題点を指摘するものより、それを自己のためにうまく利用できるかということしかなかったのである。
その正論は、「浮云蔽紫闥。 白日難回光。」(古風三十七)朝廷内、内も外も上も下も、暗雲が垂れ込め」発言する場発揮することはなかった。
榮華東流水。 萬事皆波瀾。
白日掩徂輝。 浮云無定端。
梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。 (古風三十九)
また、梧桐にしか止まらない猜疑心の塊のような小人、枳殻ととげばかりでもって邪魔をする者たちばかりであった。詩を完全に評価、詩人として評価してくれた賀知章は李白が入朝して間もなく引退して鏡湖周辺をご褒美に賜り故郷に帰っていった。李白の飛び出た杭にいち早く気が付き老い先短い命を故郷で過ごしたいと思うのは当然のことだったのだ。

 かくて李林甫の率いる官僚と高力氏の率いる宦官の巣窟の宮廷との双方から攻撃を受けた詩人は、長安を去るよりほかなかった。

 

同王昌齡送族弟襄歸桂陽  

秦地見碧草、楚謠對清樽。 
唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。
把酒爾何思、鷓鴣啼南園。
清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。
予欲羅浮隱、猶懷明主恩。
自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。
躊躇紫宮戀、孤負滄洲言。
 
いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。


 

唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。

清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。

自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。

いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

 

 

 


王昌齢と同じく族弟襄が桂陽に帰るを送る
秦地 碧草を見、楚謡 清樽に対す。 
酒を把(と)ってなんぢ何をか思ふ、鷓鴣(シャコ)  南園に啼く。 
予は羅浮に隠れんと欲すれども、なほ明主の恩を懐(おも)ふ。
紫宮の恋に躊躇し、ひとり滄洲の言に負く
 

 

 

 

 

秦地見碧草、楚謠對清樽。 

唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。

碧草 李白は碧という語をよく使う。ここでは若草のこれから伸びようとするものへの表現である。○ 襄の赴く桂陽(湖南省)は昔の楚の地。

 


把酒爾何思、鷓鴣啼南園。

清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。

鷓鴣(シャコ)南方に多い鳥。 なくから生け捕られ、食用にされる。○ 清と濁とある。濁り酒は賢人、すなわち酒を飲みながら政治批判をすることをいうが、ここでは、ことさら清といっている。自分が政治的批判をして懲りたことを顕わしている

 


予欲羅浮隱、猶懷明主恩。

自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。

○羅浮 蓬莱山中の一峰。

 


躊躇紫宮戀、孤負滄洲言。
 

いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

紫宮 紫微に同じく天子の宮。○滄洲 神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

 

 

玄宗の恩を思い、宮廷を恋しくは思いながらも、彼は帝に暇を乞うた。

 玄宗はさすがにその才を惜んで慰撫した。しかし、辞意の決意の堅さを知り、金を賜って許した。君臣の間柄に他の不純なもののまじらなかったことが、李白にとってせめてもの慰めであった。