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さらば長安よ「東武吟」 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白180

人からの讒言がなくても、こうした朝廷の中には、李白の安住の地は見いだせない。ついに李白は辞意を洩らすことになった。

李陽次『草堂集』序によると、
天子は「留む可からざるを知り、乃ち金を賜いて之を帰す」とある。
花伝正の「新墓碑」は、やや詳しく、玄宗が、その才能を情しんだが、「或いは酔いに乗じて省中に出入し、温室(殿)の樹を言わざる能わざるを慮り、後息を擦るを恐れ、惜しんで之を遂す」といって、酔って殿中に自由に出入するから、秘密が洩れはしないかと心配したという。やはり酔態は、当時としては、よほど人の耳目を集めていたらしい。

『本事詩』は、「廊臍の器に非ず、優詔して之姦め遣む」とあり、宰相の器たる政治家でないと判断したという。要するに玄宗としては、詩人としての才能は惜しんだが、しかし李白の心をもはや留めるべくもなかった。

李白は好きにつけ悪しきにつけ、思い出多い長安を去ることになる。思えは742年天宝元年秋に入京し、744年天宝三年春三月、去ることになった。足かけ三年間の短い長安生活であった。去るに当たって、翰林院で職を同じくした仲間たちに一篇の詩を残している。

「東武の吟」がそれである。


東武吟  一出東門后書懷留別翰林諸公―

好古笑流俗。素聞賢達風。
方希佐明主。長揖辭成功。
白日在高天。回光燭微躬。

恭承鳳凰詔。欻起云蘿中。
清切紫霄迥。優游丹禁通。
君王賜顏色。聲價凌煙虹。
乘輿擁翠蓋。扈從金城東。
寶馬麗絕景。錦衣入新丰。

倚岩望松雪。對酒鳴絲桐。
因學揚子云。獻賦甘泉宮。
天書美片善。清芬播無窮。
歸來入咸陽。談笑皆王公。

一朝去金馬。飄落成飛蓬。
賓客日疏散。玉樽亦已空。
才力猶可倚。不慚世上雄。
閑作東武吟。曲盡情未終。
書此謝知己。扁舟尋釣翁 。



李白の友人の任華は、このときの李白の姿を「李白に寄す」の中に次のごとく歌っている。


寄李白  任華 
権臣炉盛名
葦犬多吠撃
有数放君
却蹄隠冷感
高歌大笑出関去


権臣は盛名を歩み
群犬は貯ゆる声多し
勅 有りて君を放ち
却って隠輪の処に帰せしめ
高歌大笑して関より出でて去る



任華が見た李白の「高歌大笑」は果たして何を意味するか。李白の心境は複雑なものがあったにちがいない。




東武吟 一出東門后書懷留別翰林諸公―

歌は辞任の寂しさと宮中出仕のころの回想から始まる。
「自分は、何のしごともできず辞任することは、残念ではある。思えば、三年前に天子から目をかけられて翰林院に召されることになった。それは光栄なことであった。また、天子の行幸にもいつも随行する。鷹山で作った駅はいささかおはめにあずかり、その評判は広く伝わった。都に帰ると、人々から尊敬され、話し相手は王公貴族はかりである。そのときはじつに愉快の極みであった」と、長安時代の生活の楽しさを思い出している。


「東武吟」―還山留別金門知己-
好古笑流俗。素聞賢達風。
方希佐明主。長揖辭成功。
白日在高天。回光燭微躬。
古(いにしえ)を好(この)んで  流俗(りゅうぞく)を笑い、素(もと)  賢達(けんたつ)の風(ふう)を聞く
方(まさ)に希(こいねが)う 明主(めいしゅ)を佐(たす)け、長揖(ちょうゆう)して成功を辞(じ)せんことを
白日(はくじつ)  青天に在り、廻光(かいこう)  微躬(びきゅ)を燭(てら)す



恭承鳳凰詔。欻起云蘿中。
清切紫霄迥。優游丹禁通。
君王賜顏色。聲價凌煙虹。
乘輿擁翠蓋。扈從金城東。
寶馬麗絕景。錦衣入新丰。
恭(うやうや)しく鳳凰(ほうおう)の詔を承(う)け、歘(たちま)ち雲蘿(うんら)の中(うち)より起(た)つ
澄みわたる雲居(くもい)のかなた、宮中に出入りして悠然と歩く
天子は  謁見を賜わり、名声は  虹をも凌ぐほどである
天子の輦(くるま)が  翠羽の蓋(かさ)を差し上げて、長安の東の離宮に行幸(みゆき)する
名馬絶景のような駿馬を馳(はし)らせ、錦の衣(ころも)を着て新豊にはいる



依岩望松雪。對酒鳴絲桐。
因學揚子云。獻賦甘泉宮。
天書美片善。清芬播無窮。
歸來入咸陽。談笑皆王公。
巌にもたれて松の雪を眺め、酒を酌みながら琴を奏でる
漢の揚雄が賦を献じた故事にならい、離宮に扈従(こじゅう)して詩を奉ると
勅書をもって お褒めの言葉をいただき限りない栄誉に浴する
長安に帰ってくれば交際するのは  もっぱら王公貴族のみ



ここで歌は一転して追放後のことになる。

一朝去金馬。飄落成飛蓬。
賓客日疏散。玉樽亦已空。
才力猶可倚。不慚世上雄。
閑作東武吟。曲盡情未終。
書此謝知己。扁舟尋釣翁 。
だが  ひとたび翰林院を去り、転落して  飛蓬の身となれば
よい客人は日に日に疎遠となり、酒樽もからになる
だが 
私の才能は衰えておらず、世の豪雄にひけは取らない、
暇にまかせて東武吟を口にすれば、曲が終わっても感興はつきない
そこでこの詩を書いて知己に贈り、小舟に乗って  釣りする翁を尋ねるとしよう



「さて、一朝にして翰林院を去ると零落して飛蓬のように、あてどなくさまよう身となってしまった」。「飛蓬」は風が吹くと根もとが切れて舞い上がる植物で、曹植が転々として国換えになる身をしばしは喩えたことばである。
また、「賓客もまばらになって、酒樽ももう空になってしまった」。「玉樽は己に空し」とは、李白らしい表現である。「しかし、まだ頼むべき才力はあり、評判をとった名に噺ずかしくない力は持っている」。まだまだ活躍はできると自信のほどを示している。しかし、内心は寂しくてやり切れなかったであろう。
長安を去って寂しい気持ちにはなるが、まだ「頼むむべき才力はある」といって、勇気を奮い起こし、自信をとり戻して長安をあとにするが、まずは「この詩を作って隠棲を願いつつ友人たちに別れを告げて去って行こう」といって歌い終わる。


李白は、長安に住むこと足かけ三年、時に四十四歳、以後、再び長安には姿を現わさなかった。