行路難 三首 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

 この詩は李白が杜甫に悩みを打ち分けるという観点でみると味わい深い。

 杜甫は、洛陽にいて同族、血縁、貴族公子などとの付き合いに辟易していた。李白との出会いで、その風采が超絶しており、天才的な詩に対し一挙にカルチャーショックを受けてしまった。李白が東に旅すると聞いたが、叔母の葬儀があるので、一緒に旅立てない。後を追って往くことにした。叔母の葬儀を終えて、この「謫仙人」李白を求めて東方の梁宋(河南開封、商邱地方)に遊ぼうとしたのである。
天宝3載744年杜甫33歳 李白44歳であった。


 その後の二人は、詩の交換を通じて情をうまく表現した傑作をのこす。先ず、杜甫が先輩の李白に贈った詩に
贈李白」がある。
秋來相顧尚瓢蓮、未就丹砂愧葛洪。
痛飲狂歌空度日、飛楊跋扈為誰雄。

(秋になり顔を見合わせると瓢か蓬のように頼りない、いまだ丹砂にも辿りつけず葛洪に合わせる顔がない。飲み明かし 歌い狂って 空しく日を送り、飛び跳ねて暴れているが 誰のためにやっているのだ。)
 杜甫は李白と遊んでいる嬉しい様を、歌に託して李白に贈っている。実際には詩のやり取りをしているのだろうが李白の方はあまり残っていない。

 杜甫と李白は一層、仲睦まじくなり、その年の秋には梁宋に出掛けている。杜甫「書懐」、李白「秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓」参照
ここには岑参(しんじん)、高適(こうせき)の詩人たちもいたので、共に酒を飲み、詩を賦して意気投合し愉快な日々をおくった。城中の酒楼や吹台に上って眺望を恣にして、古を懐かしんでいる。

  その翌年、天宝4載745年杜甫34歳は、李白が魯郡の任城に家を持ったので、ここに杜甫を迎えて、さらに、互いに親交を深めている。この頃が二人とも詩情が溢れ、詩作が最も盛んな時期である。

 李白は杜甫の詩才を讃え、杜甫は李白を慕い賞賛の辞句を数多く入れて詩を作っている。このように二人が極めて親しく交わり、詩を贈答しあったことは歴史の偶然だったのか、必然なのか、とはいえ、漢詩文学にとっては画期的なことと特筆されている。

 李白も、現実の社会では障害や自分の奔放さの性格から苦難を免れないと悟っていたので、初めて出会い親しくなった杜甫に打ち明けたのだ。

 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠うものだ。李白は、食事も咽喉を通らず茫然として八方ふさがりであった。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたいと杜甫に訴えた。朝廷を放免されたことは李白にとって、死ぬほどのショックなことだったのだ。でも李白はプラス思考の詩人だ。明るい。



其一
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
行路難,行路難,多岐路,今安在。
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。

偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。



其一
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
行路難,行路難,多岐路,今安在。
長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。

金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞(ちんしゅう) 直(あたい) 萬錢(ばんぜん)

杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然(ぼうぜん)

黄河を渡らんと欲すれば冰は川を塞ぐ,太行に登らんと將れば雪は山に滿。

閑來(かんらい) 釣を垂る 碧溪(へきけい)の上,忽ち復 舟に乘じて日邊を夢む。

行路 難! 行路 難! 岐路 多し 今 安くにか在る。

長風 浪を破る 會ず時 有り,直ちに雲帆(うんぱん)を挂()けて 滄海(そうかい)に濟(わた)



金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。





行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。李白は三首つくった。


(其の一)
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。

金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
斗十干 一斗一万銭。高い上等の酒。曹植の詩「美酒斗十干」にもとづく。
[李白「將進酒」
陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
(陳王の曹植は平楽観で宴を開いたとき。 陳王・曹植は斗酒を大金で手に入れ、よろこびたわむれることをほしいままにした。)
・陳王 三国時代魏の曹植のこと。 ・昔時 むかし。 ・平樂 平楽観。『名都篇』で詠う宮殿の名で、後漢の明帝の造営になる。(当時の)首都・洛陽にあった遊戯場。或いは、長安の未央宮にあった。○斗酒十千 斗酒で一万銭。曹植楽府詩、「一斗一万銭」。 ○斗酒 両義あり。わずかな酒。また、多くの酒。 ○斗 ます。少しばかりの量。少量の酒。多くの酒。 ○十千 一万。 ・恣 ほしいままにする。わがまま。勝手きままにふるまう。 ・歡謔 かんぎゃく よろこびたわむれる。]○珍羞 めずらしいごちそう。○直 値と同じ。



停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
停杯 気持ちがのらない度いつの間にか酒を辞めている状態。○拔劒四顧 剣を抜いて四方の霊に問いただしてみる。



欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
太行 山の名。太行山脈(たいこうさんみゃく)は中国北部にある山地。山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。



閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
日辺 太陽の側と、天子の側という意味と、ここでは兼ねている。



行路難,行路難,多岐路,今安在
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
多岐路 わかれみちが多いために逃げた羊を追うことができず、とうとう羊を亡ってしまった。ヘボ学者はそれと同様、多すぎる資料をもてあまして決断に迷い、いたずらに年をとってしまう、という故事がある。「列子」にみえる。ここは岐路から岐路へ、岐路が多い迷路のようだということ。
今安在 迷路のどこにいるのか。



長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。
偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。
滄海 東方の仙界、蓬莱・方丈・瀛州に向かい海。あおうなばら。



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