沙邱城下寄杜甫  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190


沙邱城下寄杜甫  李白

「さて、お互いに飛蓬のごとくあてどなく遠く去ってゆく身である。まずは十分飲もうではないか」。
再び遇えることもない将来を予想したような詩であるが、事実、二人は再び遇うことはなかった。
李白と杜甫と直接交わって遊んだのは、一年ほどの短期間で、東魯・梁園あたりを遊び歩いていた。
心を許した杜甫に対する惜別の情を表わしている。
彼らは別れて以後、お互いを思う友情はいつまでも続いて、杜甫はその後長安にあって、しばしば李白を憶う詩を作っている。李白がのち夜郎に流されたとき、杜甫は秦州(天水)におり、「李白を夢む」二首を作っている。
一方、李白のほうも杜甫のことを思い、沙邱で、「沙郎城下にて、杜甫に寄す」がある。


沙邱城下寄杜甫

我来竟何事、高臥沙邱城。
わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
城邊有古樹、日夕連秋聾。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
魯酒不可醉、齊歌空復情。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ。
思君若汶水、浩蕩寄南征。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。


我来たる竟に何事ぞ、沙郎城に高臥す。

城辺に古樹有り、日夕 秋声を連なる。

魯酒は酔う可からず、斉歌は空しく復た情あり。

君を思うことの若く、浩蕩として南征に寄す。



沙邱城下寄杜甫 訳註と解説


(本文)
我来竟何事、高臥沙邱城。
城邊有古樹、日夕連秋聾。
魯酒不可醉、齊歌空復情。
思君若汶水、浩蕩寄南征。

(下し文) 
我来たる竟に何事ぞ、沙郎城に高臥す。
城辺に古樹有り、日夕 秋声を連なる。
魯酒は酔う可からず、斉歌は空しく復た情あり。
君を思うこと汶水の若く、浩蕩として南征に寄す。
 
(現代語訳)

わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。


 
(解説)

○詩型 五言律詩
○押韻 城、聲、情、征。

沙邱城 山東省の西端に近い臨清県のとり西にあったという。○杜甫 (712-770年)李白と並び称せられる大詩人。李白より11歳年少。
 

我来竟何事、高臥沙邱城。
わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
○高臥 世俗を低くみて高枕すること。

城邊有古樹、日夕連秋聾。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
城邊 街の真ん中にある場合もあるが、その場合は旅人を中心とした旅籠、城邊にあるのは芸妓を基本として舞、,踊り、歌のできるものの歓楽地であった。



魯酒不可醉、齊歌空復情。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ
魯酒 魯酒薄くして郡部囲まるという語あり(「荘子」・脾俵篇)。うすい酒を意味している。ここは李白は論じ合って酒を飲み酔うことを言うので杜甫のいないことの雰囲気をあらわしている。次の句の斉歌も杜甫のいないということを考え合わせるとよくわかる。○斉歌 春秋時代の魯の国と斉の国とは、今の山東省にあった。



思君若汶水、浩蕩寄南征。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。
汶水 山東省、泰山の南の辺を流れている川。地図に示すように泗水は泰山の南を西に流れ、南流して大運河に合流するが、汶水は西流していて南流はしていない。大運河で南に行くことになる。○浩蕩 水がひろびろとただようようすをいう。○南征 南の方にゆく。



(解説)

○詩型 五言律詩
○押韻 城、聾、情、征。


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「沙邱城」は、今のどの辺かまだ判明していない。詩中、汶水が出てくるから、その近くであろう。ただ、山東の掖県に沙邱城があったといわれる。また、泗水は南流して大運河に流入するが、汶水は清流して黄河に流入する。もっとも、その後、だいうんがにはいれば、「南征」できるが、杜甫はこの時洛陽から長安に登っている。少し杜甫を見下していたのかもしれない。

「自分がこの山東の地に来たのは、何のためか。毎日、沙邱城の地で何もせずに暮らしているばかりである」。君と別れてからは、何もすることもなく寂しいという。
「城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。」。君がおれば、ここで飲んでたのしむことができるだろうが、今は君がいないから一人で飲んでもつまらない。「この地方の魯の酒を飲んでも酔えない」。魯の酒は薄いといわれているが、とくにそのことを意識しているわけではなく、地酒ということであろう。「この地方の斉の歌も聞いても、ただむなしく情がかき立てられるばかりである」。酒を飲んでも、歌を聞いても、君がおらないとつまらない。
「近くを流れる汶水の流れのごとく、いつまでも君のことが思われる。はるかかなたに流れゆく汶水の流れに託して、わが思いを君に寄せたい」。杜甫を思う友情を現わす詩であって、寂しく一人酒を飲んでいる李白の姿が想像される。

李白の仙道を求め、自由を愛し、何ものにも拘束されない豪放の性格は、価値観の違いを大いに感じたものであった。

李白は、すべての事物が詩の材料である。杜甫について残された詩が少ないということは、杜甫のまじめな正義感の強い人間に対してどこまで魅力的に感じられたかというと、疑問は残る。

互いに、その詩に影響されることは全くないのである。
杜甫も李白の性格に影響されることなく、その性格のままに、自分の考える詩の道を歩き、李白のような奔放な詩は作らなかった。
お互いの個性を認めて、高く評価して称賛するにとどまるのである。

杜甫は李白の詩をきわめて高く評価して称賛している。『春日憶李白』「白の詩はかなうものが無い」とか、李白の詩の作り方は『不見』「すばやくて千首の詩ができる」とか、『寄李十二白二十韻』「筆を下ろせば風雨を驚かすほど、詩ができると鬼神を泣かせるほど」といっているほどである。