淮陰書懷寄王宗成 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-199

李白詩350 350首を1日1首

沙墩至梁苑。 二十五長亭。
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
云天掃空碧。 川岳涵余清。
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』

そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える
眷言王喬舄。 婉孌故人情。
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
復此親懿會。 而增交道榮。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです

斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
有德必報之。 千金恥為輕。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』

このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。



沙墩至梁苑。 二十五長亭。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
云天掃空碧。 川岳涵余清。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』

眷言王喬舄。 婉孌故人情。
復此親懿會。 而增交道榮。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』

斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
有德必報之。 千金恥為輕。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』


沙墩(さとん)より梁苑(りょうえん)に至る、二十五の長亭(ちょうてい)
大舶(たいはく)  双櫓(そうろ)を夾(さしはさ)み、中流に鵝鸛(がかん)鳴く
雲天(うんてん)  掃いて空碧(くうへき)、川岳(せんがく)  涵(ひた)して余清(よせい)
飛鳧(ひふ)  西より来たり、適(たまた)ま佳興(かきょう)と并(あわ)す

眷(かえりみ)て言う 王喬(おうきょう)の舃(せき)なりと、婉孌(えんれん)たり 故人(こじん)の情
此の親懿(しんい)の会を復(ふたた)びし、而(しこう)して交道(こうどう)の栄(えい)を増す
沿洄(えんかい)  且(か)つ定まらず、飄忽(ひょうこつ)として阻征(そせい)を悵(いた)む
暝(くれ)に淮陰(わいいん)に投じて宿(やど)る、欣(よろこ)び得たり  漂母(ひょうぼ)の迎え

斗酒(としゅ) 黄鶏(こうけい)を烹(に)、一餐(いっさん)  素誠(そせい)を感ず
予(よ)は楚(そ)の壮士(そうし)たり、是(こ)れ魯(ろ)の諸生(しょせい)ならず
徳有れば必ず之(これ)に報(むく)い、千金も恥じて軽(かる)しと為(な)す
緬書(めんしょ)す  羇孤(きこ)の意(い)、遠寄(えんき)す   棹歌(とうか)の声


山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える

振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです


充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。




(本文)
沙墩至梁苑。 二十五長亭。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
云天掃空碧。 川岳涵余清。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』


(下し文)
沙墩(さとん)より梁苑(りょうえん)に至る、二十五の長亭(ちょうてい)
大舶(たいはく)  双櫓(そうろ)を夾(さしはさ)み、中流に鵝鸛(がかん)鳴く
雲天(うんてん)  掃いて空碧(くうへき)、川岳(せんがく)  涵(ひた)して余清(よせい)
飛鳧(ひふ)  西より来たり、適(たまた)ま佳興(かきょう)と并(あわ)す


(現代語訳)
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える



(訳と注)
沙墩至梁苑。 二十五長亭。
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
沙墩 山東省臨沂市に位置する県。沭河(じゅつが)が北から南へ流れている。○「梁園」は、梁苑・菟(兎)園ともいう。前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省商丘市東南5kmに在った。駅は宿場である。t30kmごとにあり、亭は凡そ5kmごとにおかれて、茶屋というもので、建物は四阿、あずまやである。



大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
雙櫓 櫓を2本並べている。○鵝鸛 鵝鳥や鸛(こうのとり)



云天掃空碧。 川岳涵余清。
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
空碧 李白はこの碧をよく使う。この碧の空が東海の仙界に連なっているということを含んでいる。 



飛鳧從西來。 適與佳興并。』
そのとき鴨が、秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添えている
 鴨。○西 五行思想で、秋を示す。色は霜、白。ちなみに東は春風。綠、青。




(本文)
眷言王喬舄。 婉孌故人情。
復此親懿會。 而增交道榮。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』

(下し文)
眷(かえりみ)て言う 王喬(おうきょう)の舃(せき)なりと、婉孌(えんれん)たり 故人(こじん)の情
此の親懿(しんい)の会を復(ふたた)びし、而(しこう)して交道(こうどう)の栄(えい)を増す
沿洄(えんかい)  且(か)つ定まらず、飄忽(ひょうこつ)として阻征(そせい)を悵(いた)む
暝(くれ)に淮陰(わいいん)に投じて宿(やど)る、欣(よろこ)び得たり  漂母(ひょうぼ)の迎え


(現代語訳)
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです


眷言王喬舄。 婉孌故人情。
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
眷言 ふりかえって云う。○王喬舄 底を二重にした冠位の履。王喬は所管の役人だったころ、九族の集う時節ということで王家に集まったが、その時期にはずれ、禁令にも違反しているとして、上奏され、不遇であった。いとこの王基は毋丘倹を平定したあと、安楽郷侯の爵位を賜り、王喬の教育してくれた。この王基の徳にむくいたいと精進した。のち、王喬は関内侯の爵位を賜った。 王喬のいとこ王基に教育され、その上で冠位の靴を貰ったことに由来する。○婉孌 えんれん 年若く美しい。したう、 すなお、 みめよい。○故人情 友情。



復此親懿會。 而增交道榮。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
懿親 親しい親戚。うるわしい、ふかい。○交道 交際していく上での筋道。李白「古風五十九首」其五十九



沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
○飄 飄蓬。○徂征 行ったり戻ったり。



暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです
漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。李白「宿五松山下荀媼家」、





(本文)
斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
有德必報之。 千金恥為輕。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』


(下し文)
斗酒(としゅ)    黄鶏(こうけい)を烹(に)、一餐(いっさん)  素誠(そせい)を感ず
予(よ)は楚(そ)の壮士(そうし)たり、是(こ)れ魯(ろ)の諸生(しょせい)ならず
徳有れば必ず之(これ)に報(むく)い、千金も恥じて軽(かる)しと為(な)す
緬書(めんしょ)す  羇孤(きこ)の意(い)、遠寄(えんき)す   棹歌(とうか)の声


(現代語訳)
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。



斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。



予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
○楚壯士 楚の国は勇壮な武士をたくさん出している。○魯諸生 山東省魯の孔子の里。李白は儒教を評価していない



有德必報之。 千金恥為輕。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。



緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。

(解説)

詩題から、李白は宋城から淮陰(江蘇省淮陰県)に行って、そこから王県令にお礼の詩を送ったものだ。このことから、李白は運河を利用して江南に向かったとわかる。
 長安を去ったあと宋州で遊び、東魯、幽州に行ったかと思うと今度は江南へ下ろうとする、そうした自分の行動を「飄忽」(軽くあわただしい)と言って反省しているようだ。そして淮陰の韓信の故事「漂母」を持ち出して、地元の人々から斗酒と黄鶏の煮物で歓待を受けた。
 都で天子のもとに仕えた人物、地方の人々からすると雲の上のことなのである。