江夏別宋之悌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 201


江夏別宋之悌

江夏で宋之悌に別れる。
楚水清若空、遙將碧海通。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
人分千里外、興在一盃中。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。
平生不下涙、於此泣無窮。

日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。

江夏にて宋之悌に別る

楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。

人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。

谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。

平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし



江夏別宋之悌 現代語訳と訳註 解説
(本文)
楚水清若空、遙將碧海通。
人分千里外、興在一盃中。
谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
平生不下涙、於此泣無窮。

(下し文)
楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。
人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。
谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。
平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし。

(現代語訳)
江夏で宋之悌に別れる。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。
日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。


(訳註)
江夏別宋之悌
江夏で宋之悌に別れる。
江夏-現在の湖北省武漢市武昌。d-5
rihakustep足跡

 

○宋之悌-初唐の詩人宋之問の末弟。

楚水清若空、遙將碧海通。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
楚水 楚(湖南・湖北)の地方を流れる長江。


人分千里外、興在一盃中。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
興 詩についての興趣、心情。

谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。

平生不下涙、於此泣無窮。
日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。


○韻字 空、通、中、風、窮。


735年、開元二十三年の作と考証されているが、詩の雰囲気がその頃のものと違うと思うので、外していた。何となく、朝廷を追われて以降、第二次放浪記の雰囲気の詩のように感じるのだ。