聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 209


聽胡人吹笛 ( 觀一作)

胡人吹玉笛。 一半是秦聲。
胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
十月吳山曉。 梅花落敬亭。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
卻望長安道。 空懷戀主情。

やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。


(下し文)

胡人(こじん)  玉笛(ぎょくてき)を吹く、一半は是()れ秦声(しんせい)

十月 呉山(ござん)の暁(あかつき)、梅花  敬亭(けいてい)に落つ。

愁えて出塞(しゅっさい)の曲を聞けば、涙は逐臣(ちくしん)の纓(えい)に満つ。

(かえ)って長安の道を望み、空しく主(しゅ)を恋うるの情を懐(いだ)く。



miyajima 709330


聽胡人吹笛 李白 現代語訳と訳註 解説・参考

(本文)
胡人吹玉笛。 一半是秦聲。
十月吳山曉。 梅花落敬亭。
愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
卻望長安道。 空懷戀主情。

(下し文)
胡人(こじん)  玉笛(ぎょくてき)を吹く、一半は是(こ)れ秦声(しんせい)。
十月  呉山(ござん)の暁(あかつき)、梅花  敬亭(けいてい)に落つ。
愁えて出塞(しゅっさい)の曲を聞けば、涙は逐臣(ちくしん)の纓(えい)に満つ。
却(かえ)って長安の道を望み、空しく主(しゅ)を恋うるの情を懐(いだ)く。


(現代語訳)
胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。


(訳註)
胡人吹玉笛。 一半是秦聲。

胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
玉笛 きれいに輝いている笛。漢の王朝で作曲された宮廷音楽という意味。○秦聲 漢の曲を奏でていることを示す。胡人は笛の名手が多く、笛を吹くといえば胡人と思われていたのでこの表現をしている。


十月吳山曉。 梅花落敬亭。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
十月吳山曉 この句は下句の梅花落と関連する。梅花落というのは、「霜中能作花。露中能作實。」(霜中に能く花を作し、露中に能く実を作す)梅花は霜の中で花を咲かせ、霜の中で実を結んでいる。初冬10月は初霜、呉山の暁に木々の葉に霜の花が咲き、きれいということを示している。李白の詩は、この奥深さ、味わいの深さが楽しい。○梅花落 笛の曲に「梅花落」というものがある。この詩は、その曲を頭において作詩している。鮑照の詩(解説・参考1と2)


愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
出塞曲 漢代の宮中音楽「楽府」、李延年等は『出塞』『入塞』の曲を作っている。この曲をもとに王昌齢、王之渙、高適など、笛曲、梅花落、出塞と結びつく。李白26 塞下曲六首参考 ○逐纓臣 一度天子に仕えたが都を追われた朝臣。纓は天子から賜れた冠の紐。 


卻望長安道。 空懷戀主情。
やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。



(解説・参考)
○ 詩型 五言古詩
○ 押韻 聲。亭。/纓。情。



 李白は自分の詩の編纂を若き詩人魏万(のち顥と改名)に頼んでいる。この詩はそのことをうかがわせる詩である。
 854年天宝十三年、広陵(揚州)に姿を現わす。広陵では彼を最も崇拝し、兄弟のごとき交わりを結んだ魏万と出会った。魏万は、李白の名を慕って、山東・開封地方を訪ね、ついで南下して、江蘇・浙江省に至って、広陵ではじめて会った。山西にある王屋山に隠遁して王屋山人と号した。李白五十四歳のときである。魏万は、このときのことを『李翰林集』序で、(白を訪れんとして、天台に遊び、広陵に還り、之を見る。眸子烔然けり。哆ること餞えたる虎の如く、或いは是れ束帯し、風流にして醞籍やかなり。)
といっている。“詩を詠う時、ひとみが輝いて、飢えた虎のように素晴らしい句が次々に吐き出されてくる。その詩は、風流であり、卓越した雰囲気をかもしだしている。”と魏万は李白に心酔しているのである。


 李白の方は、「送王屋山人魏萬還王屋 并序」(王屋山人魏万の王屋に還るを送る)で、(身には日本の裳を著て、昂蔵りて風塵より出ず)といって、世俗を超越した態度をとって、隠遁している王屋山に還ってゆく姿を歌っている。この「日本裳」が、阿倍仲麻呂から贈られた日本の布で作ったものであること、その自注に明らかであり(「哭晁卿衡 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白163参照)。互いに肝胆相照らして、以後、諸所を歴遊し、共に金陵に至って別れる。この遍歴は李白にとって久しぶりの楽しいものであった。

 二人の友情の厚かったことは、詩の贈答はむろんのこと、このとき、李白は、その詩文をことごとく出して、魏万に文集を編纂させたことである。自分の詩文集を編纂させることは、自己の情報がすべてわかるわけで、場合によっては首が飛ぶことになるかもしれない。全くの心を許した仲でなければできないことである。この詩文集は、861年上元末、李白生前中にできたが、現存しない。ただ、魏万(顥)の序文が残り、いきさつが分かるのである。

 金陵に至っては一つのエピソードが『旧唐書』 に載せられている。長安を追放されてから、(乃ち江湖を浪跡い、終日沈いに飲む。時に侍御史の崔宗之、金陵に謫官され、白と詩酒もて唱和す。嘗て月夜舟に乗って采石(南京と当塗の中間にある采石磯) より金陵に達る。白は官錦袍を舟中に衣、顧り瞻みて笑倣いし、傍らに人無きが若し。)とある。久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。あるときには、月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。長安時代の李白に返り、かつての李白の面目が再びよみがえってきたようである



参考1
杜甫は「春日李白を憶う」の中で、李白の詩の俊逸さを (鮑照の詩のようだ)と例えている。
「清新庾開府、俊逸鮑参軍。」(清新 庾開府(ゆかいふ)、俊逸 鮑参軍(ほうさんぐん)。)
清新なる君の詩風は、北周の庚信のようであり、それと俊逸な詩風は宋の飽照のようである。

春日憶李白 杜甫25


参考2
「梅花落」 鮑照
中庭雜樹多、偏為梅咨嗟。
問君何獨然、念其霜中能作花。
露中能作實、搖蕩春風媚春日。
念爾零落逐寒風、徒有霜華無霜質。
 
中庭に雜樹多きも、偏えに梅の為に咨嗟す。
君に問う 何ぞ独り然るや、
「念え 其霜中に能く花を作し、
露中に能く実を作すを。
春風に搖蕩し 春日に媚ぶるも、
念え 爾らは零落して寒風を逐い、
徒らに霜華有って霜質無きを。」


鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。



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