登金陵鳳凰臺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 210

                 
久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。金陵における李白の作は多数に上るが、有名な「金陵の鳳風台に登る」である。


登金陵鳳凰臺
鳳凰臺上鳳凰遊,鳳去臺空江自流。
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
呉宮花草埋幽徑,晉代衣冠成古丘。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
三山半落靑天外,二水中分白鷺洲。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
總爲浮雲能蔽日,長安不見使人愁。

唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。
 
金陵の鳳凰臺に 登る
鳳凰臺(ほうおうだい)上  鳳凰 遊び,鳳 去り 臺 空(むな)しくして  江(こう) 自(おのづか)ら流る。
呉宮(ごきゅう)の花草(かそう)は  幽徑(ゆうけい)に 埋(うず)もれ,晉代(しんだい)の衣冠(いかん)は  古丘(こきゅう)と成る。
三山 半(なか)ば落つ  靑天の外(ほか),二水 中分す  白鷺洲(はくろしゅう)。
總(す)べて 浮雲  能(よ)く日を 蔽(おお)うが 為に,長安 見えず  人をして 愁(うれ)いしむ。

李白の足跡300

登金陵鳳凰臺 現代語訳と訳註 解説

(本文)
鳳凰臺上鳳凰遊,鳳去臺空江自流。
呉宮花草埋幽徑,晉代衣冠成古丘。
三山半落靑天外,二水中分白鷺洲。
總爲浮雲能蔽日,長安不見使人愁。

(下し文)
鳳凰臺(ほうおうだい)上  鳳凰 遊び,鳳 去り  臺 空(むな)しくして  江(こう) 自(おのづか)ら流る。
呉宮(ごきゅう)の花草(かそう)は  幽徑(ゆうけい)に 埋(うず)もれ,晉代(しんだい)の衣冠(いかん)は  古丘(こきゅう)と 成る。
三山 半(なか)ば 落つ  靑天の外(ほか),二水 中分す  白鷺洲(はくろしゅう)。
總(す)べて 浮雲  能(よ)く 日を 蔽(おお)うが 為に,長安 見えず  人をして 愁(うれ)いしむ。


(現代語訳)
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。


(訳注)

登金陵鳳凰臺
金陵の鳳凰台に登る。 
金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。戦国時代の楚の威王が金を埋めて王気を鎮めたことによる。○鳳凰臺 南京城の南西にある台。南朝・宋の元嘉十四年(437年)に、孔雀のようで五色の模様のある美しい鳴き声の鳥が集まったことに因って、築いた台とされるが実際に築かれたものか不明。。現・南京市の鳳凰山上とされる。


鳳凰臺上鳳凰遊、鳳去臺空江自流。
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
鳳去 鳳凰は飛び去った。○臺空 鳳凰台は、なにもなくなった。 ○江自流 長江は人の世の思惑や栄枯盛衰とは関わることなく、いつも変わることなく流れている。


呉宮花草埋幽徑、晉代衣冠成古丘。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
呉宮 三国の呉の孫権が建業(金陵、南京)に都を置いたことによる。 
花草 花と草。宮女と宦官のこと。 ○幽徑 奥深い小道。人気のない静かな小道。
晉代衣冠 東晋もここに都を置いた、その時の権門。東晋の貴族。 
衣冠 貴顕。権門富貴。貴族。 
 ~となる。~と変わった。
古丘 古い墳墓。

三山半落靑天外、二水中分白鷺洲。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
三山 金陵の南西にある山で南北に三つの峰が並んでいるとされる。清涼山、獅子山等。李白流の表現でポコポコと山が見えるというこの句全体、遠近法、立体感を出す表現になっている。 
半落 青空の向こうへ半ば落ちている。
靑天外 青空のむこうがわ。
二水 長江の二筋の川。 
中分 川の流れは、中州で分流する。
白鷺洲 はくろしゅう、長江へ注入する秦淮河の合流点付近の中州の名。

總爲浮雲能蔽日、長安不見使人愁。
唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。 
總爲 すべて~のために。結局~のために。
浮雲 天子に讒言し、事実を隠し、自己の利益にのみで動く。宦官の高力士、宰相李林甫、のち宰相楊国忠、節度使安禄山、等を指す。 
蔽日 天子の明徳を覆い遮る。 
天子。ここでは、玄宗のことになる。 
長安 天子のいる首都長安。現・西安。 
使人愁 人を悲しくさせる。「人」は、ここでは作者のことになる。

rihakustep足跡

(解説)

この詩は、崔顥の「黄鶴楼」に触発されて作ったものといわれている。「鳳凰台」 の遺跡は今の南京城内にあるが、六朝、宋の元嘉年間に、瑞鳥の鳳風が城内の山にとまったのを記念して、台を建てたという。むろん李白のころは、その台がまだあった。「昔、この台に鳳凰が遊んだというが、今はその鳥も来ず、台だけがむなしく残り、近くを流れる江はそれなりに流れている。その昔の呉の宮殿に咲いた花草は奥深い小路を埋めている。ここは三国時代に呉の孫権が都して宮殿を建てた所である。また、東晋時代も都した所でもある。その時代の衣冠をつけた役人たちも、今は死んでしまい、古い墓が残されているだけである」。

長安を追放されて、五、六年たつが、なお玄宗のことを心配している詩になる。そうなると李白の感慨はさらに一転することになる。
金陵付近の風景、長江を上下するときの風物は、李白の追放の悲しみと旅愁を慰め、しばし自然の美しさにすべてを忘れることもあった。金陵をさかのぼって、白壁山を過ぎ、安微の銅陵県の東南にある天門山に到達した。

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