漢詩李白 215 扶風豪士歌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 215


安史の乱と李白(2)Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214


李白は、安禄山の反乱の起こった報を、宣城で聞いた。かつて宮中で会っている男であり、ふつうの人と容貌もちがうし、数か国語もしゃべり、玄宗にとり入り、能弁の男という印象がある。李白のような倣岸不遜の者から見れば、当時の高力士と同じく俗物に見えた。腰が低く権力者にとり入る性格の持ち主であって、李白とはまったく性格が合わない。むろん親しくつきあったわけではないであろう。しかし、その男が謀反を起こし、しかも東都洛陽を占領したと聞けば、李白の任侠心が許さない。

憤慨の心を抱きつつ、李白は、一生住んでもよいと思った宣城をあとにして、また流浪の旅に出る。行く先は旧遊の地、刻中(浙江省煉県)である。江南で最も山水美に富む所で、近くは刻漢の名勝地があり、かつて李白は、長安に入る前に滞在して、その山水美を楽しんだ所である。
おそらく旧遊の山水美を思い出して、煩憂の思いを消そうとしたのかもしれない。ただ、李白のこの旅を、難を避けるためとする説もあるが、必ずしもそれだけとは考えられない。やはり剣中の山水美にひかれることが多かったであろう。途中、太湖近くの漢陽(江蘇省)を通ってゆく。

この県の役人をしている宋捗に、今の気持ちを訴えて、自分は経世済民の策を実現したいと思いながら、天子の側近となったが、姦邪の臣のために重言をこうむり、天子とは疎遠の間柄になったが、しかし自分は、「何れの日か中原を清らかにして、天歩を廓げんことを相い期す」といっている。中原の乱れを救って、天子が安らかに巡幸されるようにと考えているという。この喪乱に対して、天下を安泰にしようとした決意を示したものである。この李白の決意にかかわらず、洛陽陥落の悲報はもたらされて、「扶風の豪士の歌」に李白は胸を痛めるようすがみえる。

扶風豪士歌

洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
我亦東奔向吳國。 浮云四塞道路賒。』
 
東方日出啼早鴉。 城門人開掃落花。
梧桐楊柳拂金井。 來醉扶風豪士家。
扶風豪士天下奇。 意氣相傾山可移。
作人不倚將軍勢。 飲酒豈顧尚書期。』

雕盤綺食會眾客。 吳歌趙舞香風吹。
原嘗春陵六國時。 開心寫意君所知。
堂中各有三千士。 明日報恩知是誰。』
 
撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』


扶風 豪士の歌
洛陽 三月に胡沙飛び、洛陽城中 人は怨み嗟く
天津の流水は波も赤血なり、白骨相い培(つちかえ)えて乱るる麻の如し
我も亦た東に奔り呉国に向かわんとす、浮雲は四もに塞がり道路は除かなり』
東方 日出で早に鴉啼く。 城門 人 開たて落花 掃く。
梧桐(こどう)楊柳(ようりゅう)金井(きんせい)拂う。醉うて來る扶風豪士の家。
扶風 豪士 天下の奇。 意氣 相傾けて山移すべし。
人を作す 將軍の勢に倚らず。 飲酒して豈 尚書の期を顧る。』

雕盤 綺食 眾客に會う。 吳歌 趙舞 香風 吹く。
原(もともと)嘗(かつて)春陵 六國の時。心開きて意を寫し君の知る所。
堂中 各々三千士 有り。 明日 恩に報いること是誰ぞ知る。』
 
長劍を撫るい。一(ひとたび)眉を揚る。 清水白石 何ぞ離れ離れになるぞ。
吾が帽を脱ぎて君に向かって笑い。君の酒を飲み君が為に吟ず。
張良は末だ赤松を逐いて去らず、橋辺の黄石のみ我が心を知る。』




扶風豪士歌
扶風の豪士の歌

洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
洛陽の三月といえば牡丹梨花の咲き誇る嬉しい時節、ところがどうだ、異民族交じりの軍隊が砂塵を建てているではないか。洛陽城の街中のすべての人は怨み嗟くのである。
 
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
叛乱の勢いはここ天津の方まで広がって河江の流水、波までも赤血色に染まっている、戦いの後には白骨が積み重ねられていて粗雑な麻布のようにひどい状況なのだ。


我亦東奔向吳國。 浮云四塞道路賒。』
町中東に逃げているわたしも同じように東に向かって走り、呉の国あたにまで行こうとしている、叛乱軍は四方八方に配置されており道路には検問所のようになっている。

「扶風」郡はのち鳳翔郡と改める。長安の西に当たる。ここ出身の「豪士」とは、だれであるか分からない。李白が乱を避けて東呉に来ているとき、彼も難を避けて来ていて、意気投合した仲というのが、王玲の説である。
冒頭いきなり、洛陽が賊の手に落ち、戦乱のために血が流れ、死者の白骨が横たわることを歌う。李白の胸の痛みをまず歌ったわけで、「三月」とは天宝十五年へ童ハ)の三月であろう。「賊軍の兵馬の砂塵が洛陽春三月に舞い上がる」。常ならば花の咲く好時節であるべきなのに。「人々は怨嗟の声をあげる。あの天津橋の下を流れる洛水の水は、死傷者の血で赤くなっている。戦死着の白骨は、乱麻のように重なりあっている。自分は東のかた呉国(長江下流一帯)に行こうと思っているが、浮雲にさえぎられて道路もはるかに感ぜられる」。「浮雲」はよく邪悪の者の比喩と使われるが、ここも旅するに困難な事態でもあったのであろうか。


東方日出啼早鴉。 城門人開掃落花。
東方の國に来れば来て観て夜明けの早起きの鶏のように、がやがや騒いでいる、城門には人が多く集まって早くから開かれているようだ春の花々はみなたたきおとさててしまっている。
 
梧桐楊柳拂金井。 來醉扶風豪士家。
鳳凰が棲む青桐の葉っぱ、女たちの土手の楊、湖水の柳、金を拂えば町にいられる。よってふらふら歩いていると長安の西の扶風地方出身の豪士の家にきている。

扶風豪士天下奇。 意氣相傾山可移。
扶風地方出身の豪士というのは天下の中でも気骨もので通っている。その気性というのは互いに酒を酌み交わし気心が知れたら山をも動かすほどなのだ。


作人不倚將軍勢。 飲酒豈顧尚書期。』
普通の人たちで成り立ち立派な対象に統率された軍隊ではないのだ。まあひとまず酒を飲んでしばらくしたら、郭子儀尚書が約束を果たしてくれるはずである。』


雕盤綺食會眾客。 吳歌趙舞香風吹。
大皿に盛られた御馳走を集まった客人たちはきれいに食べたようだ。呉の歌がうたわれ、趙の国の舞が踊られ香わしい風が吹きわたっている。


原嘗春陵六國時。 開心寫意君所知。
もともとかっては穏やかな丘陵地帯で、斉・楚・燕・韓・魏・趙のじだいがあったのだ。心を開いて意気を確かめ合っていれば天子の知るところである。


六国(りっこく)とは、戦国時代、秦以外の六つの大国、斉・楚・燕・韓・魏・趙をいう
。秦が西周の故地に入って周の文化をある程度受け継いだのに対して六国では独自の文化が花開いた。文字も周秦の籀文と違い、各国で独特の文字が使われた。


堂中各有三千士。 明日報恩知是誰。』
朝廷の宮殿にはそれぞれ三千の兵士がいる。さあ、明日こそ天子の御恩に報いようではないか、これは誰が知るというのか。


撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
長剣をもってなぎ払い、まなじりをあげて怒りを示そう。「清水白石」という澄み切った水の中の白石のように、清く正しい考えというもの、理解してくれる人だけ理解してくれればいいのだ。


脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
私は帽子を脱いでしまい、きみにむかってほほえむ。
君の差し出す酒を飲み、君のために吟じよう。


張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』
張良ほどの人間はまだ赤松を置いたままでは去りはしないものだ。わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。


詩は続いて、豪士の家を訪ねて酒を飲み、意気投合する。そして、豪士の才能を称え、肝胆相照らす仲となっている。そして終わりに、

君と飲んでいると、君の豪士たる所以が分かり、「君に尊敬の念を抱きつつ御馳走になって君のために歌をうたうわけである。


自分はまだ志を得ない漢の張良のようなもの、仙人の赤松の跡を逐って上昇するほど、脱俗的の気分にはなっていない」。張良は下郡の杷橋のもとで黄石公から兵法を授けられ、その後、漢の高祖に仕えて出世して留侯にまでなった。「その黄石公に比すべき人のみ、わが気持ちが分かってくれるものだ」と歌う。最後の句は、李白の希望を述べ、わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。前途に対しての希望はまだまだ消えてはいない。賊軍の侵入の悲惨を歌いながら、それに刺激されて任侠心が勃然とよみがえってきたのであろうか。


参考
張 良
(ちょう りょう、? - 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。


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