秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集249/350



秋浦歌十七首其五
秋浦多白猿、超騰若飛雪。
牽引條上兒、飲弄水中月。


      

秋浦の歌 十七首 其の五
秋浦  白猿(はくえん)多く、超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。
条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいんし)し、飲みて弄(もてあそ)ぶ  水中(すいちゅう)の月。


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現代語訳と訳註
(本文) 其五

秋浦多白猿、超騰若飛雪。
牽引條上兒、飲弄水中月。


(下し文) 秋浦歌十七首 其五      

秋浦の歌 十七首 其の五
秋浦  白猿(はくえん)多く、超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。
条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいんし)し、飲みて弄(もてあそ)ぶ  水中(すいちゅう)の月。


(現代語訳)
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。


(訳注)
秋浦多白猿、超騰若飛雪。
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。
白猿 白猿伝説。六朝の梁の時代のこと。平南将軍の藺欽(りんきん)が南方遠征に派遣された時に、別将の欧陽紇(おうようこつ)も同様に南方の長楽の地を占領し、異民族の居住地を次々に平定していった。ところで彼には美人の妻がおり、白猿神のさらわれたことに関する故事、伝説にもとづくもので、安禄山に参画した盗賊に近い者たちという意味であろう。○超騰 とびはねる。突然大暴れをして略奪していく。


牽引條上兒、飲弄水中月。
木の枝の上から子猿を引っぱるように、女こともを連れ去っていく、持って行ったさけを喰らって、月影に美女相手にしてじゃれついている。なんて秋になったのだ。
牽引 引っぱる。○水中月 水に映るの月影。月は女性、水に映すほどの美人の女性。



(この詩の理解のために。)
通常の訳はつぎのとおり、
いま、秋浦には白い猿がたくさんいる。とんだりはねたりしている様子は、飛ぶ雪のようにみえる。
木の枝の上から子猿を引っぱってきて、谷川で水を飲みながら、水中の月影にじゃれている。

であるが、これではなぜ、白猿についてみれば意味不明になる。安禄山の兵士は、黄色隊、白隊、茶隊、帽子や、お面をつけていたという記述は多く残されている。  

杜甫「悲陳陶 杜甫 700- 152


また、白猿について、参考として読んでみると、李白のこの詩はこの伝説に基づいているのである。
六朝時代からある怪奇伝説「白猿伝説」六朝の梁の時代のこと。平南将軍の藺欽(りんきん)や別将の欧陽紇は南方の長楽の地を占領し、異民族の居住地を次々に平定していった。そのとき美人の妻を遠征に帯同していた。ある明け方に一陣の怪風が吹いたかと思うと、その時には妻は既にさらわれていた。

欧陽紇は血眼になって方々へ妻を捜し回り、数ヶ月後に岩窟の入り口が見つかった。その岩窟の門の前で、女たちが歌い合ったり笑い合ったりしていた。この岩窟は白猿神の住処であり、女たちはみな彼にさらわれて来たのだ。欧陽紇の妻もやはり同じように白猿神にさらわれたのであった。彼は岩窟に忍び込んで妻との再会を果たした。白猿神は不思議な力を持っていて、正面から戦いを挑めば百人がかりでも倒せない。


白い衣をまとい、美しいあごひげを伸ばした男が、杖をついて女たち従えながらやって来た。これこそが白猿神の変化した姿である。彼は犬が走り回っているのを見つけると、立所に捕まえてその肉を引き裂き、ムシャムシャと食べ始めた。満腹になると今度は女たちに酒を勧められる。数斗飲んだ所でふらふらになると、やはり女たちが介添えをして岩窟へと去って行った。そこで彼は部下と共に武器を手にとって入ってみると、正体を現した。

白猿神
が寝台に手足を縛られ、ジタバタともがいていた。欧陽紇と部下がその体を剣で斬りつけても、鉄か岩を打っているように傷ひとつ付かない。しかしヘソの下を刺すと、血が一気に吹き出てきた。白猿神は、「わしはお前にではなく、天に殺されたのだ。それにお前の妻はわしの子を身籠もっておる。だがその子を殺すでないぞ。偉大な君主に出会って一族を繁栄させるであろうからな!」と捨てぜりふを残して絶命した。

欧陽紇は白猿神の宝物を積み込み、女たちを引き連れて帰って行った。そして女たちをそれぞれ里に帰してやった。一年後に彼の妻は男の子を出産したが、その容貌はかの白猿神にそっくりであった。これが欧陽詢(おうようじゅん)である。その後欧陽紇は陳の武帝(陳覇先)に誅殺された。欧陽詢は父の友人・江総に匿われて難を逃れた。彼は成人してから書道家・学者として有名となり、隋に仕えた。また友人の李淵が唐王朝を立てると今度は唐に降り、高祖・太宗の二代に仕えた。