秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350

李白の詩の中でまともに解釈されていない詩のひとつである。さらっと読んで行ってもすぐ解釈できるが、何か引っかかる詩なのである。裏の裏の意味があるのか、暗号なのか、不思議な詩なのである。



其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。


愁えて秋浦の客と作()り、強()いて秋浦の花を看()る。

山川(さんせん)は  (せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は 長沙(ちょうさ)に似るに。




秋浦歌十七首 其六 現代語訳と訳註
(本文) 其六

愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。


(下し文)
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。


(現代語訳)
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。



(訳注)
愁作秋浦客。 強看秋浦花。

国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
 初句はじめに使うことは珍しい。安史の乱はすべての人にとっての愁いである。秋浦を上句と下句に使って強調している。○秋浦花 強いてみる花とは、李白にとって、美人である。あるいは女よりもっといいこと。

  愁 作 秋浦 客 = 愁秋浦・・・・作秋浦・・・・秋浦客
  強 看 秋浦 花。= 強秋浦・・・・看秋浦・・・・秋浦花


秋浦について:
① 安徽省貴地県。唐代には池州と呼ばれた。銭塘江の最上流にある。しかし長江にもすぐいける。
② 長沙と剡渓の中間に位置する。
③ 隠遁という意味でなく敵から逃避し、隠れたのではないかと思うところ。
④ 安禄山の叛乱を示唆する語。(秋:秋、浦:謀叛)



山川如剡縣。 風日似長沙。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。
剡縣 浙江省剡県。町の南に剡渓があり、両岸の景色がうつくしく、六朝時代にはことに人びとに愛貸された。謝霊運、王羲之に李白自身を映したのであろう。
長沙 唐時代の長沙郡をさす。帯湘、洞庭などの名勝がすべて郡内にある。同時に長沙は、屈原を連想させる。



1 秋浦歌十七首 其六 について

 李白は自分の書いた詩を違った形で詠いあげるということが多い。その視点からこの詩を見ると、この詩に近いイメージの詩は、「贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊」ということになる。この形をとることによって、詩に味わい深さを増すのである。

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229


贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。
俱飄零落葉、各散洞庭流。』
中年不相見、蹭蹬游吳越。
何處我思君、天台綠蘿月。』
會稽風月好、卻繞剡溪回。
云山海上出、人物鏡中來。
一度浙江北、十年醉楚台。
荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
むかし黄鶴楼に別れ、蹉跎(さた)たり 淮海(わいかい)の 秋。
ともに零落の葉を飄(ひ るがへ)し、おのおの洞庭の流に散ず。』
中年あい見(まみ)えず、蹭蹬(そうとう) 呉越に遊ぶ。
何の処かわれ君を思う、天台 緑蘿(りょくら)の月。』
会稽 風月好し、かえって剡溪(えんけい)を繞(めぐ)って廻(かへ)る。
雲山 海上に出で、人物 鏡中に来る。
ひとたび 浙江を度(わたり)て 北し、十年 楚台に酔う。
荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。』

昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。


2.秋浦歌十七首 其六 について 

 一般的な解釈は次のとおりである。
 この詩には「秋浦」が二回も出てきて、しかも対句になっている。転結句は複雑な感情を五言絶句という短い詩形に押し込めているので、すこし分かりにくい。

秋浦の山川風日が剡県や長沙のように美しく似ているのに、それを愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べている。なぜなら、それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでないと言っていると解するべきである。


 このうえのような解釈では、①なぜ愁いなのか、何に対して愁いなのか。②なぜ強いるのか、なぜ強いたのか。③秋浦の花とはなんなのか。
「愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べている。なぜなら、それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでない」
初めの2句の説明、解釈にはなっていない。

結論をいうと
① 愁いは国へのの愁いということである。李白は長安での宮廷内のみならずかなり知れ渡った「謫仙人」であった。だから、叛乱軍に掴まると危ない。国のために何かおこしたいが何もできない。それを「憂い」ているのだ。
② 強いたのは、尋ね人があったのだ。李白はもう第一線には立てないと自覚していた。情報を伝えに来て、花は咲かせないかもしれないが「看る」ことはできるかもしれない。
③ 秋浦の客は李白自身と来客であった。
その話し合いの中でで生まれた共通の決意。それが「花」なのだ。

 転結の句は李白の大好きな剡渓の景色、と同時に謝霊運、王之義は、隠遁していても、国の存亡の時その地から立ち上がった。長沙地方の風光明美と同時に、愁いをもって汨羅に身を投げた屈原の行動。秋浦の花は剡渓から立ち上がることを示すのである。



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