江上吟  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -288



江上吟
長江の船の上での歌。 
木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。

風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
             

江上吟
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。

55moon


江上吟 現代語訳と訳註
(本文)

木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。


(下し文)
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。

(現代語訳)
長江の船の上での歌。              
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。

風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
宮島(1)

(訳注)
江上吟

長江の船の上での歌。
○漢水が長江に流入する武漢地域での作であるが、李白の「金陵の江上にて蓬池隠者に遇う」と内容的に同じ時期とした。


木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
木蘭〔もくらん〕モクレン。アララギ。香木の舟。蘭は美称で、実際に木蘭(モクレン)でできた舟とは限らない。舟を表す一種の詞語。 中国の民間伝説の女主人公。老病の父に代わり男装して出征。十数年の奮戦の後,恩賞を得て女性の姿に戻って帰郷する。北中国の民間歌謡が伝承され,釈智匠の《古今楽録》に収める《木蘭詩(辞)》がある。○ …の。節奏のために使う。・ 〔えい〕舟のかい(櫂)のこと。「鼓」はここでは揺らすこと。かいを漕いで、舟を出した。屈原の漁父の辞に「漁父、莞爾として笑み、枻を鼓して去る」とある。 泛泛 ( はんはん ). ゆらゆらと浮かんでいる様子。○沙棠 〔さとう〕棠(やまなし)に似た木。こりんご。果樹の一種。材は、舟を造るのに用いる。 ○玉簫 立派なしょうのふえ。立派な管楽器。 ○金管 立派な管楽器。 ○ すわる。 ○兩頭 前後の舳先(へさき)。
 
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
美酒 うまい酒。贅沢な酒。王維の王維 少年行「新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。」や、王翰の『涼州詞』その一首に「葡萄美酒夜光杯,欲飮琵琶馬上催。醉臥沙場君莫笑,古來征戰幾人回。」や。李白の李白56客中行 李白57夜下征虜亭 李白58春怨 李白59陌上贈美人に「蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」 とある。 ○尊中 酒器の中に。=樽中。 ○千斛 極めて多量を謂う。 ○ 〔こく〕桝(ます)。口が小さく底が広く四角になった升。容量の単位。一斛=一石(こく)=十斗=59.44リットル(唐代)。○載妓 妓女を(舟に)乗せる。 ○隨波 波のままに。流れのままに。 ○去留 去ると留まると。自然のなりゆき。


仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
仙人 不老不死の術を得た人。人界を離れて山中に住み、変幻自在の術を得た人。 ○有待 …を待っていて。は風流を興じる気持ちがあるということ。 ○黄鶴 仙人の乗る黄色い仙鶴。なお、黄鶴樓は湖北省武昌(現・武漢)の西南の蛇山北黄鵠(長江右岸)ににある楼の名。老人が酒代の代わりに店の壁に黄鶴を描き、やがてその黄鶴にまたがって白雲に乗って去っていった伝説上の仙人を指す。李白の黄鶴について次のような詩がある。
黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15
蜀道難 李白
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秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350海客 海辺の人。『列子』で謂う海上之人。「海辺の人で、カモメがすきな者がいて、毎朝海辺へ行って、カモメと遊んでいた。集まってくるカモメの数は百に止まらなかった。そこで、その者の父親が、『わたしは、カモメがお前に付き随って遊んでいるという噂を聞いているが、お前、そのカモメを取ってこい。わたしがあそんでやろう』と言った。そこで、息子は翌朝海辺へ行って(言われたとおりに捕まえようとしたが)カモメは降りては来なかった。」『列子・黄帝篇』「海上之人有好鴎鳥者,毎旦之海上,從鴎鳥游。鴎鳥之至者,百住而不止。其父曰:『吾聞鴎鳥皆從汝游,汝取來,吾玩之。』明日之海上,鴎鳥舞而不下也。」とある。 ○無心 心中に何もとらわれた心がないこと。ここでは、漁師の人がカモメを捕まえる気がないときは、カモメと戯れられたことを指す。次の句の屈原の話し相手が漁師である。この句が次の句を呼び込んでいくものである。○ したがう。○白鴎 白いカモメ。前出『列子・黄帝篇』に出てくる人の心を読むカモメ。


屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
屈平 楚・屈原のこと。『楚辭』『漁父の辞』の一部の作者。楚の国を憂いて汨羅に身を投じた王族の政治家。詩人。 ○詞賦 屈原の『楚辭』を指す。屈原の強烈な愛国の情から選出したのが『楚辞』で、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された。
なお、『漁父辞』の冒頭「屈原 既に放たれて」から洟垂れ小僧のことを屈原ということがあったようである。 ・懸 つりさげる。かかげる。かける。 ・日月 太陽と月。○楚王 春秋戦国時代の楚の王。古代の南部中国の帝王。靈王、襄王、懷王、莊王などか。

李白8  蘇台覧古
李白9  越中覧古
 ○臺榭 うてな。高台の上の御殿。楼閣。 ○山丘 山と丘。物の多いさま。墳墓。重いことの形容。


興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。
 風流にたのしいこと。悦ぶこと。心に趣(おもむ)きを感じる。おもしろみ。興味。興趣。 ・ 物事の真っ盛り。酒宴のさなか。たけなわ。○落筆 筆をおろす。書き始める。 ○五嶽 五つの霊山。
•東岳泰山(山東省泰安市泰山区)標高1,545m。
•南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)標高1,298m。
•中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)標高1,440m。
•西岳華山(陝西省渭南市華陰市)標高2,160m。
•北岳恒山(山西省大同市渾源県)標高2,016,m。 
詩成 詩ができあがる。詩(が)なる。 ○笑傲 〔しょうごう〕あざわらっていばる。○滄洲 仙人の住むところ。滄浪洲。


功名富貴若長在,漢水亦應西北流。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。
風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
功名 てがら。手柄を立て名をあげること。 ○富貴 金持ちで身分が高い。 ○長在 いつまでもある。永遠に存在する。李白の古風五十九首 其十一 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140に「黄河走東溟,白日落西海。逝川與流光,飄忽不相待。春容捨我去,秋髮已衰改。人生非寒松,年貌豈長在。吾當乘雲,吸景駐光彩。」とある。 ○漢水 梁州(現・陝西省)の方から東南方向に向かって流れ、襄陽(現・湖北省)を経て、漢陽で長江に注ぎ込む大河。 ○ …もまた。 ・ きっと…だろう。 ○西北流 漢水が逆流するということ。漢水は、東南方向に向かって流れている。

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