梁甫吟 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -295


梁甫吟
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。
韓愈の地図00
 

現代語訳と訳註
(本文)
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。


(下し文) 梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。


(現代語訳)
梁甫山
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。


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(訳注)
○梁甫吟
 楽府の古い題の一つ。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。


長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
(長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。)
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
長哺 長く、すみきった声を出して詩歌を吟じる。○陽春 陽気のみちみちた春。春という季節は、万物をはぐくみ育てる、それにも似た君主の慈愛恩恵を、暗に意味する。「楚辞」の「九弁」に、「恐らくは慈死して陽春を見るを碍ざらん」(恐らくは忽ち死んで春を見られねであろう)という句が、君主から放逐されて絶望の意中を述べたところに見える。

君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
(君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。)
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
朝歌屠叟 朝歌は地名。大むかし、殷の時代のみやこ、河南省にあった。屠叟は、屠牛(牛殺し)のじいさん。朝歌の牛殺しのじじいとは、周の太公望、呂尚のことである。伝説によると、かれはかつて朝歌において牛殺しをしていたことがあり、棘津(河南省延津県)においては行商人をしていたし、橎渓(いまの駅西省宝鶏県の東南にあり、源は南山から出、北に流れて渭水に入る)では魚を釣っていた。八十歳のときに、はじめて周の文王に出遇った。文王は立ちどころにその人物を見抜き、この人こそ自分の父の大公が、かねがね望んでいた軍師である、だから太公望と呼ぶといって連れて帰り、非常に重くかれを用いた。かれは、文王の子の武王をたすけて駿を討ち、天下を定め、斉の国の始祖となった。○渭浜渭水のほとり。


寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
(寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。)
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
壮気 意気さかんに。○経論 天下をおさめ人民をすくう方策。


廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
(広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。)

十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
三千六百鉤 鉤はつりばり。一年は三百六十日、十年で三千六百日っ毎日表を垂れると、十年で三千六百鈎となる。太公望は八十歳のときから洞水のほとりで釣りをし、九十歳のときに文王に遇った、その間の十年間(一説では、七十から八十までの間)釣りをしていたことをさす。また、清の沈徳潜の説では、三千六百鈎は、天下をことごとく釣ることで、文王を釣り出したという意味に解する。○風期風塵、または、風采に同じ。人品。びとがら。○ しらぬうちに。しらず、しらず。○文王 文王(未詳- 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる。)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。


大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。
(大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。)
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。
虎変 「易経」に「大人虎変」とあるのに基づく。虎の毛皮のもようの鮮やかなように、非凡な大人物は、あざやかに変化する。「君子豹変」も出典は同じく、現在使われるような惑い意味ではなく、本来は、君子が過を改めて善にうつることの際立って著しいことを意味する。「大人」というのは「君子」よりも、一枚上の人物。○当年 当時。○頗似 いささか似ている。頻はいささか。(顔は少であり甚ではない。)○尋常 ふつう。なみ。

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