田園作 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315
 
卷159_46 「田園作」孟浩然
718年開元六年三十歳の時の襄陽における作品

田園作

弊廬隔塵喧,惟先養恬素。
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
卜鄰近三徑,植果盈千樹。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
粵余任推遷,三十猶未遇。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
書劍時將晚,丘園日已暮。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。
沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
望斷金馬門,勞歌采樵路。
金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
鄉曲無知己,朝端乏親故。
かの鄉曲で隠遁した老子のように知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。


田園の作
弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素を尚べばなり
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
沖天する鴻鵠を羨み,爭食する雞鶩を羞じる。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。



現代語訳と訳註
(本文)

弊廬隔塵喧,惟先養恬素。卜鄰近三徑,植果盈千樹。
粵余任推遷,三十猶未遇。書劍時將晚,丘園日已暮。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
望斷金馬門,勞歌采樵路。鄉曲無知己,朝端乏親故。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。


(下し文)
弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素を尚べばなり
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
沖天する鴻鵠(こうこく)を羨み,爭食する雞鶩(けいぼく)を羞じる。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。


(現代語訳)
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。
三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。
大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
かといって、鄉曲で隠遁した老子のようには知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。



(訳注)
弊廬隔塵喧,惟先養恬素。

弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素(てんそ)を尚(とうと)べばなり。
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
弊廬 わたしが棲んでいる屋根を蘆で拭いている家のかまど。かまどは家を指す。○塵喧 襄陽城の街中の塵や喧騒。○恬素 物欲のないあっさりとしているさま。よけいなことを考えず素直な性格、質素にする。先祖からうけついだもの。土地をいう。○產 生産する。作物を作る。生産して経営する。○田園 前の「産」と園で従僕がいて小作させていたことがわかる。しかし、大規模なものではない。孟浩然『澗南園即時貽皎上人』ではこの聯と同じ意味を「弊廬在郭外,素產惟田園。」とする。


卜鄰近三徑,植果盈千樹。
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
卜鄰 近くには数軒の家は建っている。接近して立っているのではないが遠くではない様子をいう。○三徑 三本の小道。○植果 果樹の木


粵余任推遷,三十猶未遇。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
 ここに、<ああ>嘆息の語。○推遷 推し進め、移り変わる。時の流れのままに押し流される。○三十 論語「三十而立」に対して孟浩然自身の生活態度をいうのである。これにより、科挙の試験を意識したのである。


書劍時將晚,丘園日已暮。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
書劍 書と剣は当時の文人の必要アイテムで官僚の意味。科挙試験へのチャレンジは、通常十代の後半から、長安に上京して始める。ここと先頭の二句が絡んでくる。つまり、物欲、名誉欲、権威に対する欲が全くなかったことから、作詩が好きで、詩経、古文を暗誦することをしてこなかったのではなかろうか。

晨興自多懷,晝坐常寡悟。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。


沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
沖天する鴻鵠を羨み,爭食する雞鶩を羞じる。

大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
沖天 大空の真ん中。朝廷。鴻鵠 (1)鴻(おおとり)や鵠(くぐい)など、大きな鳥。 (2)大人物。英雄。
屈原『卜居』「寧與黃鵠比翼乎、將與雞鶩爭食乎」   (寧ろ黃鵠と翼を比(なら)べんか、將雞鶩(けいぼく)と食を爭はんか)に基づいている。


望斷金馬門,勞歌采樵路。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。

金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
○金馬門 中国、漢代の未央宮 (びおうきゅう) の門の一。側臣が出仕して下問を待つ所。金馬。金門。


鄉曲無知己,朝端乏親故。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
かの鄉曲で隠遁した老子のようには知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
鄉曲 老子のことを指す。『史記』「.老子者,楚苦縣厲鄉曲仁里人也,姓李氏,名耳,字耼,周守藏室之史也」とみえる。○朝端 朝廷へ推薦してくれる端っこの方にでも引っ掛かりがあるかどうか。○親故 親族、知人。


誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。
○揚雄 楊雄とも書く。(前53-後18) 中国、前漢の文人・学者。字(あざな)は子雲。宮廷詩人として作った「甘泉賦」「羽猟(うりよう)賦」「長楊賦」などの美文が有名。



解説
冒頭四句について、「弊廬」は、襄陽の澗南の居を指している。ここでは、襄陽城から漢水を挟んで距離を匿いたところに田園を営み、都市の俗塵・喧噪から隔絶して生活している。先祖が静かで質素な生活を尊んだことを継承するものだと述べている。作品では人生の区切りの歳である三十にして、有力なつてもなく、いまだ仕官の途が見いだせない焦燥か歌われる。先祖の処世を継承し、都市という世俗、換言すれば利益重視の人間関係の世界に関わってこなかったことのように書き、一方では、勉強不足であると述べている。利益ついきゅう、処世術をしなかったからという言い訳の部分だけではない。中國の人は日本人型の潔い反省はしない。
安徽の勉強が苦手であった孟浩然は独自の山水田園の世界感を作っていくことになるのである。古今東西、詩人は精神的に追い詰められたり、貧乏でなければ創造性豊かな「いい詩」は書けないのである。
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