田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316
卷160_104 「田家元日」孟浩然
田家元日
昨夜鬥回北,今朝歲起東。
昨夜、北の星が北に回ってきて、そうしてこの朝、新しい年が生まれ起きてくる。
我年已強仕,無祿尚憂農。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。わたしも年を重ね元気ではたらける、俸禄はないことは農作物の出来いかんが憂いの種なのだ。
桑野就耕父,荷鋤隨牧童。
桑畑や田野でおやじさんと一緒に野良仕事をし、鋤を担いで牧童のあとをついて行く。
田家占氣候,共說此年豐。
こうした、農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うのだ。
昨夜 斗北に回り、今朝 歳 東に起つ。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。
桑野 父 耕に就き、鋤を荷いて牧童に隨う。
田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。
現代語訳と訳註
(本文)
昨夜鬥回北,今朝歲起東。
我年已強仕,無祿尚憂農。
桑野就耕父,荷鋤隨牧童。
田家占氣候,共說此年豐。
(下し文)
昨夜 斗北に回り、今朝 歳 東に起つ。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。
桑野 父 耕に就き、鋤を荷いて牧童に隨う。
田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。
(現代語訳)
昨夜、北の星が北に回ってきて、そうしてこの朝、新しい年が生まれ起きてくる。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。
わたしも年を重ね元気ではたらける、俸禄はないことは農作物の出来いかんが憂いの種なのだ。
桑畑や田野でおやじさんと一緒に野良仕事をし、鋤を担いで牧童のあとをついて行く。
こうした、農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うのだ。
(訳注)
昨夜鬥回北,今朝歲起東。
昨夜 斗北に回り、今朝 歳 東に起つ。
昨夜、北の星が北に回ってきて、そうしてこの朝、新しい年が生まれ起きてくる。
○斗 中國における六つ星により形成される星座。天廟を指す。玄武の蛇身。北極星を含む星座。太陽は西側の天涯に落ち、地の底を抜けて、東から生まれるというのが天体感であり、それを象徴する北の星をいう。悪気を消すことを意味する。斗(牛宿 女宿 虚宿 危宿 室宿 壁宿)
我年已強仕,無祿尚憂農。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。
わたしも年を重ね元気ではたらける、俸禄はないことは農作物の出来いかんが憂いの種なのだ。
○強仕 強く元気のいいさま。働き盛り。○無祿 士官していないので俸禄がないこと。○憂農 今後の農作物の出来について心配をすること。
桑野就耕父,荷鋤隨牧童。
桑野 父 耕に就き、鋤を荷いて牧童に隨う。
桑畑や田野でおやじさんと一緒に野良仕事をし、鋤を担いで牧童のあとをついて行く。
○桑野 桑畑や田野畑。○耕父 おやじさんと一緒に野良仕事をすること。
田家占氣候,共說此年豐。
田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。
こうした、農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うのだ。
305 孟浩然 与諸子登峴山 ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309 〃 輿黄侍御北津泛舟②
310 〃 峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)③
311 〃 過故人莊 ④
312 〃 峴山送蕭員外之荊州 ⑤
313 〃 登峴山亭寄晉陵張少府 ⑥
314 〃 澗南園即時貽皎上人 ⑦
315 〃 田園作 ⑧
316 〃 田園作元旦⑨
317 〃 南山下與老圃期種瓜⑩
318 〃 夏日南亭懷辛大⑪
319 〃 登鹿門山懐古 ⑫
320 〃 宿建徳江 ⑬
321 〃 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 ⑭
322 〃 秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323 〃 歳暮帰南山 ⑯
324 〃 登安陽城樓 ⑰
325 〃 與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326 〃 下層石 ⑲
327 〃 ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)
306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古
308 張 説 還至端駅前与高六別処
328 李 白 襄陽曲四首 其一
329 〃 襄陽曲四首 其二
330 〃 襄陽曲四首 其三
331 〃 襄陽曲四首 其四
332 〃 襄陽歌
333 〃 峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)
詩人名 | 生年 - 歿年 | 概 要 |
陳子昴 (ちんすこう) | 661年 - 702年 | 六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。 |
張九齢 (ちょうきゅうれい) | 678年 - 740年 | 陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。 |
孟浩然 (もうこうねん) | 689年 - 740年 | 盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。 |
李 白 (りはく) | 701年 - 762年 | 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。 |

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