南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -317
南山は陶淵明が廬山をいい、李白、杜甫は終南山をいう。襄陽の南に祖先から受け継いだ荘園で隠遁生活をしたいという。士官を目指して、長安に書生をすること、諸国を旅する事をしていると先祖から受け継ぐ荘園において隠遁することが大切なのか。
卷160_88 「南山下與老圃期種瓜」孟浩然
南山下與老圃期種瓜
樵牧南山近,林閭北郭賒。
木こりと牛馬をかっている人たちが鹿門山の南の山近くにいる。邑に入り口には木々が門のように林立し、北に遠くはるかに襄陽城が見える。
先人留素業,老圃作鄰家。
先祖からの荘園をうけついでいて、老練な隣人が農園を経営している。
不種千株橘,惟資五色瓜。
千株の橘柑を植えてはいないが、ただ、五色の瓜をはよくできる。
邵平能就我,開徑剪蓬麻。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬して旅をしたりや単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。
南の山の下で老圃に瓜を種える期。
樵牧南山に近く、林閭北郭に賒(とお)し。
先人富農を留め、老圃鄰家と作(な)る。
千株の橘を種えず、惟だ五色の瓜を資(と)る。
邵平能く我に就きて、径を開き蓬麻を剪るか。
現代語訳と訳註
(本文) 南山下與老圃期種瓜
樵牧南山近,林閭北郭賒。
先人留素業,老圃作鄰家。
不種千株橘,惟資五色瓜。
邵平能就我,開徑剪蓬麻。
(下し文) 南の山の下で老圃に瓜を種える期。
樵牧 南山に近く、林閭 北郭に賒(とお)し。
先人 富農を留め、老圃 鄰家と作(な)る。
千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資(と)る。
邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。
(現代語訳)
木こりと牛馬をかっている人たちが鹿門山の南の山近くにいる。邑に入り口には木々が門のように林立し、北に遠くはるかに襄陽城が見える。
先祖からの荘園をうけついでいて、老練な隣人が農園を経営している。
千株の橘柑を植えてはいないが、ただ、五色の瓜をはよくできる。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬して旅をしたりや単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。
(訳注)
樵牧南山近,林閭北郭賒。
樵牧南山に近く、林閭北郭に賒(とお)し。
木こりと牛馬をかっている人たちが鹿門山の南の山近くにいる。邑に入り口には木々が門のように林立し、北に遠くはるかに襄陽城が見えるい。
○樵牧 木こりと牛馬を飼う人。○ 閭 1 村里の入り口にある門。また、門。 2 《中国、周代の制度で、25戸を1区として閭と称したところから》村。また、都市で、町の一区画。○北郭 北にある城郭。
先人留素業,老圃作鄰家。
先人素業を留め、老圃鄰家と作(な)る。
先祖からの荘園をうけついでいて、老練な隣人が農園を経営している。
不種千株橘,惟資五色瓜。
千株の橘を種えず、惟だ五色の瓜を資(と)る。
千株の橘柑を植えてはいないが、ただ、五色の瓜をはよくできる。
○不種千株橘 『田園作』「卜鄰近三徑,植果盈千樹。」(鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
)果物の木がいっぱいうえられているとしている。ここでは、受験のため長安にいっていたり、廬山、江南、湘南を旅をしたため、果物の木の植え替えができなかったことをいうのである。
○五色瓜 青門の瓜売りは五色の瓜を杜陵につくっていたこと、官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
卲平 東陵の瓜は五色であったことは次に示す。
「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)
邵平能就我,開徑剪蓬麻。
邵平能く我に就きて、径を開き蓬麻を剪るか。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬の旅をしたり、単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。
解説
まず「南山」については、ほとんどの注釈が襄陽の峴山であるとされるが、他の詩などから鹿門山であることがわかる。「澗南園即時貽皎上人」、「田園作」「題張野入園直」を見ると、峴山を題した詩の内容と、鹿門山、南山、田園と詠う場合とが違っている。
南山、鹿門山の場合労働者、農作物について述べるものが多い。峴山と詠う場合は送別に関したものがおおいのだ。孟浩然は別れ、景色を詠う場合が峴山で、隠遁生活、農事のことの場合、「田家、田園作、澗南園」を詩にとる場合.「林間」郊外の林野の住まい、ここでは孟浩然の荘園を指すものが多い。南山を鹿門山の南とするならば、かなりの詩の位置が特定される。孟浩然は自然の描写、心の描写が動的にとらえられるため、同じの中に2~3か所の場所が存在する場合がある。孟浩然の詩の理解のためには動的な描写を意識して捉えていかないと孟浩然の理解はできない。
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