盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334


全唐詩巻 孟浩然集巻卷160_22 「寄天臺道士」

寄天臺道士
海上求仙客,三山望幾時。
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
焚香宿華頂,裛露采靈芝。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
倘因松子去,長與世人辭。

もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。


天臺の道士に寄せる
海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。
香を焚きて華頂に宿し、露に裛【うるお】いて靈芝を采る。
屢しば躡【ふ】む莓苔【ばいたい】の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。
儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。

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現代語訳と訳註
(本文)
寄天臺道士
海上求仙客,三山望幾時。
焚香宿華頂,裛露采靈芝。
屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
倘因松子去,長與世人辭。


(下し文) 天臺の道士に寄せる
海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。
香を焚きて華頂に宿し、露に裛ひて靈芝を采る。
屢しば踐む莓苔の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。
儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。


(現代語訳)
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。


(訳注)
海上求仙客,三山望幾時。
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙、神薬を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
海上求僊客 「史記」秦始皇本紀などでいう、徐福らに海上の三神山を求めさせた話を踏まえるならば、孟浩然の時代から九百年以上前のこととなる。司馬遷の『史記』秦始皇本紀の二十八年(前二十九)の条によれば、徐福らは始皇帝に、海上に三神山〔蓬莱・方丈・瀛洲)があり、仙人が住んでいるので、童男童女を供に、不老不死の妙薬を求めに行きたいと上書した。始皇帝は二十年(前221年)に中国を統一し、あらゆる願望を満たしており、最後の望みは、自分を不老不死の身にすることだけであつた。そこで、徐福を遣わし、童男童女数千人をつけ、巨額の背高川をかけた。ところが九年後、徐福は薬を得ずに戻ってきた。そして、薬は見つけたが、大きな鮫に邪魔されてたどりつくことができない、と偽りの報告をしたという。


焚香宿華頂,裛露采靈芝。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
裛露 陶淵明『飲酒二十首』から其七「秋菊有佳色、裛露掇其英。」(秋菊 佳色あり、露を裛みて其の英を掇り)秋の菊がきれいに色づいているので、露にぬれながら花びらをつみとる。


屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
 踏む。踏みつける。 履く。はきものを履く。 追う。あとをつける。従う。○莓苔 苔が群生しているさま。 ○汗漫 広大無辺で計り知れないこと。水面などが広々としてはてしないこと。また、そのさま。『淮南子』≪‧道應訓≫「吾與汗漫期於九垓之外。」とあり、淮南子に見える天界遊行・古代の宇宙観をいう。廬敖という存在が、遠遊して世界を経巡ったと誇ったところ、ある存在がそれをまだまだ小さいことだとして高誘注で「吾与汗漫、期于九垓之上。吾不可以久(私は汗漫と九天の上で逢う約束をしている。お前の相手をしている暇はない)」として雲の彼方へ消えていった、という説話を載せる。


倘因松子去,長與世人辭。
もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。
倘(儻)  もしも,仮に 倘有困难 なにか困難があれば。○赤松子 黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。 



解説
五言律詩。
韻字  時・芝・期・辞。


始皇帝の神三山探訪説話や「淮南子」に見られる神仙説などをちりばめ、天台山の神仙的雰囲気を描いているが、孟浩然は、司馬承禎の影響を強く受け、「道禅合一」を特徴としたものを受け入れている。この詩は、呉筠に受け継がれた道教の寺観を尋ねてのものである。その後、呉筠は李白の朝廷へ招かれるのに尽力している。孟浩然と李白の人生観の共通性を感じる詩である。


司馬承禎(しば・しょうてい、643年 - 735年)は、唐の玄宗の時の著名な道士。茅山派・第12代宗師。

字を子微といい、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。

陳子昂・李白・孟浩然・宋之問・王維・賀知章などと交遊があり、『坐忘論』・『天隠子』・『服気精義論』・『道体論』などを著した。彼の学識は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれた。
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