盛唐詩 春暁 孟浩然29 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -336



孟浩然『春暁』 と王維『田園楽』

729年王維30歳、孟浩然40歳。二人は世俗から離れた田園、澗林にいる。
春の眠りを詩に詠う。



孟浩然は、字も浩然ともいい、襄州襄陽(湖北省)の人。
その世系や事蹟には不明な点が多い。

没年は740年開元二十八年、通説では卒年を五十二歳とし、溯って生年を則天朝の689年永昌元年とする。
<しかし山本巌は、卒年を五十歳とし、生年を則天朝の天授二年(六九一)とする説を唱えている。>
若い頃、地元の鹿門山に隠棲し、白雲道士のものとで修学したらしい。『田園作』など、隠棲生活を記している。
のちに洛陽に出て士人と交わり、


727年、開元十五年38歳、には長安に赴いて科挙の試験を受けたが落第。失意の彼は故郷に帰るが、40歳までは受験したのか、長安と襄陽を往来しているようだ。

731年、同十九年41歳に越の地を遊覧する。天台山を訪れたのはこの折であったと思われる。道教、天台山に関する詩を多く残している。
そののち故郷に戻ったが、

737年同二十五年(48歳)には、丞相であった張九齢の従事となっている。
740年同二十八年(52歳)に、王昌齢に看取られて没している。



 その境遇は李白に類似している。交友関係は李白と酷似し、ほとんどが道教に関連した者たちと思われ、それも多くの詩人たちが受け入れる、司馬承禎とそのの系統のものであった。司馬承禎(643年~735年)は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれている。李白は孟浩然の影響をかなり受けているのも、道教とその境遇に起因しているものと思われるのである。王維との交流の内密度の濃かった期間は、727年~730年かけてと思われる。

「旧唐書」巻一九○下、「新唐書」巻二○三本伝。「唐才子伝」巻二。「孟浩然集」は諸本あるが、四部叢刊初輯所収は四巻本。和刻本に「孟浩然詩集」(不分巻、元文四年刊「和刻本漢詩集成唐詩第一」)、同「孟浩然詩集(襄陽集)」巻中(北村可昌点、元禄三年刊「和刻本漢詩集成唐詩第一」)がある。


 孟浩然は若いころ、磊落な生活をしていて、30代後半まで、基本的に襄陽鹿門山で隠棲し、各有名寺観を旅した。そして、727~732年頃(この時も定住ではない)唐の都、長安に上京。この時期に張九齢、諸光義、崔顥、李邕、賀知章、李白、王昌齢、王維、岑参、崔敏童、賈至、高適、裴迪と長安にはいたのである。孟浩然は道教の影響を強く受けている詩人との付き合いが多かったようで王維、李白、岑参、詩人仲間はすぐに打ち解けた。でもその中で孟浩然は王維と詩に対して、山水、自然に関して底辺にあるものに好感を持てた。この時朝廷で、一方では、「一芸に秀でたもの」を李園に集め、六朝から続く雅な艶歌を好み、他方では、文人を忌み嫌い狡猾な宰相李林甫が台頭し、文人の登用、重用の排除し頽廃が蔓延して行っていた。
 士官を目指す詩人たちもこの李林甫により夢を壊されていく。

当時朝廷の出勤は夜明けで、鶏人が夜明けを告げるころは朝廷に出勤した。春は合格発表がある時で、孟浩然は落第をしたので、及第の象徴、牡丹が咲き乱れるこの季節は街を歩くのも嫌なのである。万物が芽吹く希望の春ではない孟浩然の「春」を詠うのが春暁である。王維の『田園楽』と比較してみると面白い。

春曉   孟浩然

春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。


春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。


春曉
春眠 曉を覺えず,處處 啼鳥を聞く。
夜來 風雨の聲, 落つること 知りぬ多少ぞ。


現代語訳と訳註
(本文)
春曉
春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。

(下し文) 春曉
春眠 曉を覺えず,處處 啼鳥を聞く。
夜來 風雨の聲, 落つること 知りぬ多少ぞ。

(現代語訳)
春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。


(訳注)春曉
春の夜明け。詩人は床からは出ない。春の朝に目覚めていても、時間経過順に、淡々と詠われている。


春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる
(この春はむかつくので、昨日の夜しこたま酒を飲んだため、早く起きることはしない。布団の中に何時までもいつづけていても小鳥の声が聞えてくる。)
春眠 春の季節の睡眠。 ○不覺曉 日の出の時を覚えていない。寝坊をすること。○ …を覚えている。知っている。気づく。「覺」には、「覚醒」の意がある。○ あかつき。あけぼの。夜明け。○處處 ところどころ。ほうぼう。いたるところ。○ きこえる。聞こえてくる。品からすると「きく」の場合は、「聽」が良いのだが。○啼鳥 鳴く鳥。さえずる鳥。

夜來風雨聲,花落知多少。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。
(遅くまで酒を飲んだので、春の嵐雨の音がしていたの知っているし、花が吹き飛ばされて落ちているだろうと思っているがそれを見たいとは思はない。)
夜來 昨夜。夜間。また、昨夜来の意。その場合、「-來」は「~から」の意。○風雨聲 雨風の音。酒を飲んだこと。○花落 花が散る。○知 わかる。この語で、作者の推量を表している。○多少 どれほど、どれくらい。多い。少ない。

この詩は単に春の眠りの心地よさを詠っているのではないところにこの詩の良さがある。試験に落第していること、早起きをして朝廷勤めをしている者を見ることが嫌であること、少し暖かくなって、布団の中ので居心地が良いこと、雨が降り続くのかと思っていたらきっと晴れたのだろうということ、後悔卑屈を全く感じさせないところ、等々、この詩を興味あるものにしている。落第してこんな詩が書けるのも孟浩然くらいではなかろうか。もう一人、李白もそうである。襄陽、峴山、鹿門山、天台山、道教、謝霊運、、、孟浩然と李白に共通点は多い。このブログで李白特集に孟浩然を取り上げているのはその意味を示すことにある。
この詩、春暁、山水田園詩については王維との調和感もある。


この詩で寝坊して、寝床の中から、昨夜の雨風の様子から始まり春たけなわの咲き誇る庭の花の状況の移り変わりをよく表していて、布団の中で、世俗のことなんか気にするより、昨夜の風雨で散った花弁も庭中に散らばって、それが美しいような情景を彷彿させるのである。
 最後の句には小僧さん早く起きてせっかく美しい庭をきれいにするなよという意味を込めている。

五言絶句 ○韻 暁、鳥、少 




 この詩を読んだ王維は早起きして掃除をしては興が覚めると詩を作っている。


田園楽 王維
珍しい六言の絶句
歌うのに心地良いように、二言の語で啖呵を切るようにつくっている。


桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。 
 


桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。


は紅にして、復【ま】た宿雨【しゅくう】を含み、柳は緑にして、更に春煙【しゅんえん】を帯ぶ。
花落ちて 家僮 未【いま】だ掃【は】らわず、鶯啼いて 山客 猶【な】お 眠る。


 この詩の作者王維は高級官僚であったが、孟浩然のように自然の中での暮らしを愛していた。宮使いの合間に都の郊外にある山荘、輞川荘で悠々自適の生活を楽しんでいた。
 こうした生き方を「半官半隠」といい、この生活は詩人の憧れで古くから多くの詩人が詠っている。王維の詩も孟浩然の詩もテーマは同じでも品格にはずいぶんの差がある。王維はその情景を静かに語りかけている。裏も表もなく。

 同じように花が咲き、風雨があり、鶯が鳴き、庭に散った花が誰も踏みつけていないきれいな模様となっていて、だけど布団の中で眺めている。そして、あたりは他の煩わしいことは何にもない。すべての事象が、山水画のように静けさの世界を作り出している。

 二人の詩の違いは少しずつ感じるものではあるが、人をとっても穏やかにしてくれくる詩であることは間違いない。


現代語訳と訳註
(本文)
田園楽
桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。


(下し文)
桃は紅にして、復【ま】た宿雨【しゅくう】を含み、柳は緑にして、更に春煙【しゅんえん】を帯ぶ。
花落ちて 家僮 未【いま】だ掃【は】らわず、鶯啼いて 山客 猶【な】お 眠る。


(現代語訳)

(訳注) 田園楽 
春のぼんやりした、けだるい情景の中で。
王維は高級官僚であったが、孟浩然のように自然の中での暮らしを愛していた。妻との早い死別がそれを強めた。宮使いの合間に、都の郊外にある山荘で悠々自適の生活を楽しんだ。
こうした『半官半隠』が、王維の地位や名誉は必ずしも心を満たすものではなく、次第に朝廷での務め、短料としての意欲は失っていくのである。熱心な仏教徒であった母の影響であるのかもしれない。しかし、詩の持っている品格は王維独特のものである。


桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  

桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
宿雨 前日から降り続いている雨。○春煙 雨靄。


花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。  
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。
家僮 召使。○山客 山荘の主。王維のこと。

雨と靄、遠くの景色は春煙で水墨画の様なモノトーンの世界、その中に桃の紅と柳の緑が色あざやかに詠い込まれる。

 雨に濡れた庭の土はもっとも黒い。その上に散り敷かれた花、花びらも美しいのだろう。急いで召使に履かせたりはしない。自然のまま、自然の風情が一番きれいだ。鶯が鳴く中、朝寝坊をする
休みはたっぷり取って山荘でのんびり田園生活する。

桃紅+復含+宿雨、柳緑+更帯+春煙。  
花落+家童+未掃、鶯啼+山客+猶眠。
句、句。がそれぞれ対になる:対句。句、+句。を聯。聯の最後の語が韻です。絶句は対句にこだわらないものであるがこの詩は対と韻は欠かせない。
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