盛唐詩 夜歸鹿門山歌 孟浩然<41> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -348


孟浩然は、襄陽城の東南漢水を渡ってひと山越えたあたり、鹿門山の麓に隠遁している。体があまり丈夫でなく気ままな生活をしていたようだ。
鹿門山の明け方を詠い、真昼、真夏、を詠う。そして、この詩で夜を詠う。
曉朝『登鹿門山懐古』
真昼『澗南園即時貽皎上人』『輿黄侍御北津泛舟』
真夏『仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊』
元旦『田家元旦』

卷159_62 「夜歸鹿門山歌」孟浩然

夜歸鹿門山歌

山寺鐘鳴晝已昏,漁梁渡頭爭渡喧。
山に鐘の音が響き、昼の日差しは既に傾き黄昏れている。漁梁洲の渡し場は舟に乗ろうとする人か押しかけてにぎやかになってくる。
人隨沙路向江村,余亦乘舟歸鹿門。
人々は岸辺に沿って川べりの村に向かい、私もまた舟を漕いで鹿門山の我が家へ帰る。
鹿門月照開煙樹,忽到龐公棲隱處。
鹿門山の月が行く手を照らして、夕もやに包まれていた木々は姿を現し、忽ちのうちに、古の龐徳公が隠れ住んだ地に到着した。
巌扉松徑長寂寥,惟有幽人夜來去。

我が家の岩の門も松の小道もとこしえに静寂であり、ただ、世捨て人が心の赴くままに、夜、出入りするだけである。

(夜、鹿門山に帰る歌)
山寺 鐘鳴りて 昼已に昏く、漁梁の渡頭 渡を争いて喧し。
人は沙路に随いて 江村に向かう、余も 亦 舟に乘りて 鹿門に帰る。
鹿門 月照りて 煙樹開き、忽ち到る 龐公 棲隠の処。
巌扉 松径 長えに寂寥、唯だ 幽人の夜来去する有るのみ。


現代語訳と訳註
(本文)

山寺鐘鳴晝已昏,漁梁渡頭爭渡喧。
人隨沙路向江村,余亦乘舟歸鹿門。
鹿門月照開煙樹,忽到龐公棲隱處。
岩扉松徑長寂寥,惟有幽人夜來去。

(下し文) (夜、鹿門山に帰る歌)
山寺 鐘鳴りて 昼已に昏く、漁梁の渡頭 渡を争いて喧し。
人は沙路に随いて 江村に向かう、余も 亦 舟に乘りて 鹿門に帰る。
鹿門 月照りて 煙樹開き、忽ち到る 龐公 棲隠の処。
巌扉 松径 長えに寂寥、唯だ 幽人の夜来去する有るのみ。


(現代語訳)
山に鐘の音が響き、昼の日差しは既に傾き黄昏れている。漁梁洲の渡し場は舟に乗ろうとする人か押しかけてにぎやかになってくる。
人々は岸辺に沿って川べりの村に向かい、私もまた舟を漕いで鹿門山の我が家へ帰る。
鹿門山の月が行く手を照らして、夕もやに包まれていた木々は姿を現し、忽ちのうちに、古の龐徳公が隠れ住んだ地に到着した。
我が家の岩の門も松の小道もとこしえに静寂であり、ただ、世捨て人が心の赴くままに、夜、出入りするだけである。

嚢陽一帯00

(訳注)
山寺鐘鳴晝已昏,漁梁渡頭爭渡喧。
 【首聯】
山に鐘の音が響き、昼の日差しは既に傾き黄昏れている。漁梁洲の渡し場は舟に乗ろうとする人か押しかけてにぎやかになってくる
○山寺 鹿門寺。○鐘鳴 夕暮れ4時ごろ鐘を鳴らす。○漁梁 地図に見える通り大きな中州である。
孟浩然『峴山送張去非遊巴東』
峴山南郭外,送別每登臨。
沙岸江村近,松門山寺深。
一言予有贈,三峽爾將尋。
祖席宜城酒,征途雲夢林。
蹉跎遊子意,眷戀故人心。
去矣勿淹滯,巴東猿夜吟。


人隨沙路向江村,余亦乘舟歸鹿門。 【頷聯】
人々は岸辺に沿って川べりの村に向かい、私もまた舟を漕いで鹿門の我が家へ帰る。
江村 孟浩然の郷里襄陽における住まいである。それは襄州襄陽県の県城の東南方、峴山を漢水を挟んで鹿門山が位置し、漢水、鹿門山の南までを江村としている。澗南園 漢水の南。谷川の傍に畑を持っていた。
峴山送張去非遊巴東
峴山南郭外,送別每登臨。
沙岸江村近,松門山寺深。
一言予有贈,三峽爾將尋。
祖席宜城酒,征途雲夢林。
蹉跎遊子意,眷戀故人心。
去矣勿淹滯,巴東猿夜吟。
鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(25~56年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。ここの「鹿門」は江村の対語であるので鹿門の隠棲している家を指す。


鹿門月照開煙樹,忽到龐公棲隱處。 【頸聯】
鹿門山の月が行く手を照らして、夕もやに包まれていた木々は姿を現し、忽ちのうちに、古の龐徳公が隠れ住んだ地に到着した。
龐公 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。龐德公の隠棲という雰囲気を残した丹桂遺跡が近くにある。


岩扉松徑長寂寥,惟有幽人夜來去。 【尾聯】
我が家の岩の門も松の小道もとこしえに静寂であり、ただ、世捨て人が心の赴くままに、夜、出入りするだけである。


 鹿門山は孟浩然の隠棲していた山で、孟浩然の故郷、襄陽の郊外にある。孟浩然は科挙に合格できず、官吏として仕えた経歴かない。官を得るために様々な人と交遊を結び推挙を求めたか、その甲斐なく人生の大半を隠棲と遊歴に費やした。そのために孟浩然の事跡には不明な点が多く、生没年はもちろん科挙受験の年にも異説がある。
 孟浩然は晩年、張九齢の従事として開元】。五年暮れから翌年春まで職に就いたことがある。