孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<5> 廬陵王墓下作 #3 詩集 361

 貴族文化とも称される南朝文化は、老荘思想が哲学的に特化した玄学と、華美な修辞と対句を特徴とする四六駢儷体をその代表的なものとし、陶淵明・謝霊運らの中国を代表する文化人を輩出した。『文心雕竜』『詩品』『文選』などの評論書も編集され、韻律や修辞の追究は、後代に律詩や絶句の近体詩を成立させた。 又た南北朝ともに仏教が隆盛し、北魏では太武帝の廃仏はあったものの曇曜の再興運動や雲崗・竜門石窟の開削、曇鸞の浄土教創始などがあり、南朝でも格義仏教の盛行や梁武帝の信仰などが知られるが、北朝に於いては護国宗教、南朝に於いてもその哲学性やサンスクリット語の発音・建築様式などの異国情緒が喜ばれた側面が強い。

廬陵王墓下作
曉月發雲陽,落日次朱方。含悽泛廣川,灑淚眺連崗。
眷言懷君子,沈痛結中腸。道消結憤懣,運開申悲涼。
#2
神期恆若在,德音初不忘。徂謝易永久,松柏森已行。
延州協心許,楚老惜蘭芳。解劍竟何及,撫墳徒自傷。
#3
平生疑若人,通蔽互相妨。
かつては季札や楚老の剣を捧げたり墓を撫でたりするような行いというものは、何で賢い人がこんなに感情に突き動かされるのかがわからない。
理感深情慟,定非識所將。
理に通じているからこそ、理を感じ、理不尽なことに情は深く痛む。それは知識の支配するところのものではない。(理と識とは違う。)
脆促良可哀,夭枉特兼常。
生きる肉体のもろさは本当に悲しいものである、まして無実の罪で若くして殺されたというのであれば尋常の二倍の悲しみとなる。
一隨往化滅,安用空名揚?
ひとたび死んで、この世を去ってしまえば、何に生まれ変わろうともう戻ってこないことには変わりない。名前だけが残っても帰ってくるわけではない。
舉聲泣已灑,長歎不成章。

声を上げて、涙は既にとめどなく流れ落ち、あとは長くため息をつくばかりで、この詩も一章として完結することはない。(最初の船に乗って御陵を眺めて涙を流すことにもどるので章が終わらないというのである。)

(廬陵王の墓下の作)
暁月【ぎょうげつ】に雲陽【うんよう】を發【た】ち、 落日【らくじつ】に朱方【しゅほう】に次【やど】る。
悽【いたみ】を含んで廣川【こうせん】に泛【うか】び、涙を灑【そそ】ぎて連岡【れんこう】を眺【み】る
眷【かえり】みて言【ここ】に君子を懷い、沈痛は中腸【ちゅうちょう】を切【き】る。
道消【みちき】えて慣懣【ふんまん】を結び、運開いて悲涼【ひりょう】を申【の】ぶ。
#2
神期【しんき】は恆【つね】に在るが若【ごと】く、徳音【とくいん】は初【はじめ】より忘れられず。
徂謝【そしゃ】して永久なり易く、松柏【しょうはく】は森【しん】として已【もっ】て行【つら】なる。
延州【えんしゅう】は心許【しんきょ】に協【かな】い、楚老【そろう】は蘭芳【らんぽう】を惜しむ。
劒を解くも竟【つい】に何ぞ及ばん、墳【つか】を撫【ぶ】して徒【いたず】らに自ら傷む。
#3
平生疑う若【かくのごと】き人を疑えり、通【つう】蔽【へい】互に相 妨【さまた】ぐることを。
理もて感ずるは深く情は慟【いた】む、識【しき】の將【おこ】なう所に非ずと定めぬ。
脆促【ぜいそく】は良【まこと】に哀【かな】しむ可し、 夭枉【ようおう】は特に常を兼ぬ。
一【ひと】たび往化【おうか】に随って滅ぶ、安んぞ用いん空名【くうめい】の揚【あが】るを。
声を挙げて泣【なみだ】已【すで】に灑ぎ【そそ】、長歎【ちょうたん】して章を成さず。


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現代語訳と訳註
(本文)

平生疑若人,通蔽互相妨。
理感深情慟,定非識所將。
脆促良可哀,夭枉特兼常。
一隨往化滅,安用空名揚?
舉聲泣已灑,長歎不成章。

(下し文) #3
平生疑う若【かくのごと】き人を疑えり、通【つう】蔽【へい】互に相 妨【さまた】ぐることを。
理もて感ずるは深く情は慟【いた】む、識【しき】の將【おこ】なう所に非ずと定めぬ。
脆促【ぜいそく】は良【まこと】に哀【かな】しむ可し、 夭枉【ようおう】は特に常を兼ぬ。
一【ひと】たび往化【おうか】に随って滅ぶ、安んぞ用いん空名【くうめい】の揚【あが】るを。
声を挙げて泣【なみだ】已【すで】に灑ぎ【そそ】、長歎【ちょうたん】して章を成さず。


(現代語訳)
かつては季札や楚老の剣を捧げたり墓を撫でたりするような行いというものは、何で賢い人がこんなに感情に突き動かされるのかがわからない。
理に通じているからこそ、理を感じ、理不尽なことに情は深く痛む。それは知識の支配するところのものではない。(理と識とは違う。)
生きる肉体のもろさは本当に悲しいものである、まして無実の罪で若くして殺されたというのであれば尋常の二倍の悲しみとなる。
ひとたび死んで、この世を去ってしまえば、何に生まれ変わろうともう戻ってこないことには変わりない。名前だけが残っても帰ってくるわけではない。
声を上げて、涙は既にとめどなく流れ落ち、あとは長くため息をつくばかりで、この詩も一章として完結することはない。(最初の船に乗って御陵を眺めて涙を流すことにもどるので章が終わらないというのである。)


(訳注)
平生疑若人,通蔽互相妨。

かつては季札や楚老の剣を捧げたり墓を撫でたりするような行いというものは、何で賢い人がこんなに感情に突き動かされるのかがわからない。
平生 日ごろ、かつては。○通蔽 理に通じているということ。蔽は理が通じていないこと。○互相妨 理性と感情が互いに反することで、何で賢い人がこんなに感情に突き動かされるのかがわからなかったという意味。


理感深情慟,定非識所將。
理に通じているからこそ、理を感じ、理不尽なことに情は深く痛む。それは知識の支配するところのものではない。(理と識とは違う。)
 筋道、条理。○ 痛と同じで、心を上下に突き抜けるほど激しく動かされること。○ 知識、認識。


脆促良可哀,夭枉特兼常。
生きる肉体のもろさは本当に悲しいものである、まして無実の罪で若くして殺されたというのであれば尋常の二倍の悲しみとなる。
○脆 もろい、こわれやすい。盧陵王のことを指す。○ 足を縮めることから、短くする、せかす、うながすとなる。「脆促【ぜいそく】」は生きる肉体の脆さをさらに促すこと。○夭枉 夭折とおなじ。若くして死ぬこと。天命を全うしないでころされること。『後漢書、蔡邕傳』「夭夭是加。」〔注〕〔上の夭はまさに天に作るにあたり、下の夭は殺す也。〕枉は曲げるという所から、道理をゆがめた、罪を押し付けられた無実の死を表す。○兼常 通常の二倍ということ。
 

一隨往化滅,安用空名揚?
ひとたび死んで、この世を去ってしまえば、何に生まれ変わろうともう戻ってこないことには変わりない。名前だけが残っても帰ってくるわけではない。
往化 往はまた、行く、逝くという意味で、死を表し、仏教では、往生するという。化は『荘子』「已化而生、又化而死。(すでに化して生まれ、また化して死す。)」とあるように、死んで転生することをいう。その転生が滅することとなる。


舉聲泣已灑,長歎不成章。
声を上げて、涙は既にとめどなく流れ落ち、あとは長くため息をつくばかりで、この詩も一章として完結することはない。(最初の船に乗って御陵を眺めて涙を流すことにもどるので章が終わらないというのである。)




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劉義真 406~424
 廬陵王。武帝の次男。『宋書』では「聡明にして文義を愛すれど、軽佻にして徳なし」と評された。東晋末の劉裕の北伐後は関中鎮守に残され、翌418年には内訌と夏軍の来攻で長安を失陥した。劉裕の即位で廬陵王とされ、後に南豫州刺史に叙されたが、夙に帝位への志向が強く、篤交した謝霊運・顔延之・慧林らに即位後の顕官を保証していたことで徐羨之ら託孤六傅に忌まれ、少帝廃黜後の混乱を避けるために少帝に先立って殺された。

少帝 404?~422~424
 第二代君主。諱は義苻。武帝の長子。膂力に勝れて騎射を善くし、音律も解したという。不行跡を理由に徐羨之・檀道済ら託孤の重臣に廃弑され、常陽王と追尊された。


文帝 407~424~453
 第三代君主、太祖。諱は義隆。武帝の第3子。少帝の実弟。少帝が廃されると宜都王から迎立された。徐羨之ら託孤の宿臣を粛清する一方で王曇首・殷景仁ら文人貴族を挙用し、又た従来の経学偏重の官学制を改めて儒・玄・史・文の四学館を建てて学術を奨励し、442年には国子学を復興させた。その治世では文芸・仏教も盛んで、元嘉暦を作成した何承天の他、朝野に謝霊運・陶潜、黒衣宰相と称された僧慧琳などがあり、“元嘉の治”と称される盛世を実現した。南朝仏教は既に貴族社会との癒着が著しく、435年には僧尼の綱紀粛正が行なわれ、同時に寺院建立にも公許が必要とされた。
 当時、北魏は華北統一と柔然対策を急務とし、宋も林邑遠征など南方経略と国内安定を優先させ、河南・淮北の四鎮を争った後は大規模な会戦はなく、約20年間に淮南の開発が飛躍的に進展した。450年に北伐に失敗して“瓜歩の難”を惹起し、淮南を失っただけでなく建康の国子学が廃止されるなど国力に甚大な影響を及ぼし、文帝自身もまもなく巫蠱の露見を懼れる太子劭に殺された。



廬陵王墓下作 #1
曉月發雲陽,落日次朱方。含悽泛廣川,灑淚眺連崗。
眷言懷君子,沈痛結中腸。道消結憤懣,運開申悲涼。
#2
神期恆若在,德音初不忘。徂謝易永久,松柏森已行。
延州協心許,楚老惜蘭芳。解劍竟何及,撫墳徒自傷。
#3
平生疑若人,通蔽互相妨。理感深情慟,定非識所將。
脆促良可哀,夭枉特兼常。一隨往化滅,安用空名揚?
舉聲泣已灑,長歎不成章。


暁月【ぎょうげつ】に雲陽【うんよう】を發【た】ち、 落日【らくじつ】に朱方【しゅほう】に次【やど】る。
悽【いたみ】を含んで廣川【こうせん】に泛【うか】び、涙を灑【そそ】ぎて連岡【れんこう】を眺【み】る
眷【かえり】みて言【ここ】に君子を懷い、沈痛は中腸【ちゅうちょう】を切【き】る。
道消【みちき】えて慣懣【ふんまん】を結び、運開いて悲涼【ひりょう】を申【の】ぶ。
神期【しんき】は恆【つね】に在るが若【ごと】く、徳音【とくいん】は初【はじめ】より忘れられず。
徂謝【そしゃ】して永久なり易く、松柏【しょうはく】は森【しん】として已【もっ】て行【つら】なる。

延州【えんしゅう】は心許【しんきょ】に協【かな】い、楚老【そろう】は蘭芳【らんぽう】を惜しむ。
劒を解くも竟【つい】に何ぞ及ばん、墳【つか】を撫【ぶ】して徒【いたず】らに自ら傷む。
平生疑う若【かくのごと】き人を疑えり、通【つう】蔽【へい】互に相 妨【さまた】ぐることを。
理もて感ずるは深く情は慟【いた】む、識【しき】の將【おこ】なう所に非ずと定めぬ。
脆促【ぜいそく】は良【まこと】に哀【かな】しむ可し、 夭枉【ようおう】は特に常を兼ぬ。
一【ひと】たび往化【おうか】に随って滅ぶ、安んぞ用いん空名【くうめい】の揚【あが】るを。
声を挙げて泣【なみだ】已【すで】に灑ぎ【そそ】、長歎【ちょうたん】して章を成さず。

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