孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<8> 述祖徳詩 二首(2)其一 詩集 365
(謝霊運 祖の徳を述べる詩 二首 其の一 の1回目)

(2)述祖徳詩 二首 其一 


述祖徳詩 二首 其一#1
達人貴自我、高情蜀天雲。
物の道理に通じている人は物を軽んじ自分を大切にし、その高い心持は天空の雲に届き所属しているのだ。
兼抱済物性、而不纓垢氛。
それにあわせて万物を救済する心がありながら、世俗のけがれた空気にまとわれることがない。
段生藩魏國、展季救魯人。
段干木は魏の国を守る大垣根の役となり、柳下恵は魯の人々を救った。
弦高犒晋師、仲連却秦軍。
弦高は晉国へ行くと称する秦の軍に出会い、牛12頭差出し、慰労するといってこれを留めて、泰の来襲を鄭に知らせた。秦が趙を囲んだ時に、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いたが、魯仲連は責めてその使いを帰らせ、これを聞いた秦の車を十五里も退かせた。
臨組乍不緤、對珪寧肯分。

彼は印綬の組み紐の飾りを目の前に示された時でも、その官職か受けて、それで身をつながれて自由を失うようなことはなく、封爵の沙汰があり、そのしるしの珪角のある玉に面と向かいあっても、領地を分け与えられることをどうして承諾することがあったろうか。
#2
恵物辭所賞、勵志故絶人。
苕苕歴千載、遙遙播清塵。
清塵竟誰嗣、明哲垂經綸。
委講輟道論、改服康世屯。
屯難既云康、尊主隆斯民。

#1
達人は自我を貴【たっと】び、高情【こうじょう】天雲に屬す。
兼ねて物を救うの性を抱き、而かも垢氛【こうふん】に纓【かか】らず。
段生【だんせい】は魏國に蕃【まがき】となり、展季【てんき】は魯人を救へり。
弦高【げんこう】は晉の師を犒【ねぎら】ひ、仲連【ちゅうれん】は秦の軍を却【しりぞ】く。
組に臨んで乍【たちま】ち緤【つな】がれず、珪【けい】に對して寧【なん】そ肯【あえ】て分【わか】たれん。

#2
物を恵【めぐ】んで賞する所を辭し、志【こころざし】を勵【つと】めて故【ことさら】に人に絶つ。
苕苕【ちょうちょう】として千載を歴【へ】、遙遙【ようよう】として清塵【せいじん】を播【し】く。
清塵【せいじん】竟に誰か嗣【つ】がん、明哲【めいてつ】経綸【けいりん】を垂【た】る。
講を委【い】して道論【どうろん】を輟【や】め、服を改めて世屯【せいちゅん】を康【やす】んず。
屯難【ちゅんなん】既に云【こと】に康【やす】し。主を尊【たっと】んで斯の民を隆【さかん】にす。



現代語訳と訳註
(本文) 述祖徳詩 二首 其一
#1
達人貴自我、高情蜀天雲。
兼抱済物性、而不纓垢氛。
段生藩魏國、展季救魯人。
弦高犒晉師、仲連却秦軍。
臨組乍不緤、對珪寧肯分。

(下し文) #1
達人は自我を貴【たっと】び、高情【こうじょう】天雲に屬す。
兼ねて物を救うの性を抱き、而かも垢氛【こうふん】に纓【かか】らず。
段生【だんせい】は魏國に蕃【まがき】となり、展季【てんき】は魯人を救へり。
弦高【げんこう】は晉の師を犒【ねぎら】ひ、仲連【ちゅうれん】は秦の軍を却【しりぞ】く。
組に臨んで乍【たちま】ち緤【つな】がれず、珪【けい】に對して寧【なん】そ肯【あえ】て分【わか】たれん。


(現代語訳)
物の道理に通じている人は物を軽んじ自分を大切にし、その高い心持は天空の雲に届き所属しているのだ。
それにあわせて万物を救済する心がありながら、世俗のけがれた空気にまとわれることがない。
段干木は魏の国を守る大垣根の役となり、柳下恵は魯の人々を救った。
弦高は晉国へ行くと称する秦の軍に出会い、牛12頭差出し、慰労するといってこれを留めて、泰の来襲を鄭に知らせた。秦が趙を囲んだ時に、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いたが、魯仲連は責めてその使いを帰らせ、これを聞いた秦の車を十五里も退かせた。
彼は印綬の組み紐の飾りを目の前に示された時でも、その官職か受けて、それで身をつながれて自由を失うようなことはなく、封爵の沙汰があり、そのしるしの珪角のある玉に面と向かいあっても、領地を分け与えられることをどうして承諾することがあったろうか。


(訳注)
達人貴自我、高情屬天雲。

物の道理に通じている人は物を軽んじ自分を大切にし、その高い心持は天空の雲に届き所属しているのだ。


兼抱済物性、而不纓垢氛。
それにあわせて万物を救済する心がありながら、世俗のけがれた空気にまとわれることがない。
垢氛【こうふん】 俗の汚れた空気、俗気。 


段生蕃魏國、展季救魯人。
段干木は魏の国を守る大垣根の役となり、柳下恵は魯の人々を救った。
段生 段干木。戦国魏の賢者。生没年不明。段干は魏の地名で,それを姓とした。田子方,呉起らとともに,孔門十哲の一人子夏に師事したが,同門の諸士と異なり仕官を好まず,仕官を勧めに訪れた魏の文侯(在位,前445‐前396)を避けて牆(かきね)を乗り越えて逃れたという逸話がある。文侯は終始その賢者なる徳をたたえ,彼の住む村の門前を通り過ぎる際には必ず車上に身を伏せて敬意を表したという。一説に,彼は仲買を生業としていた,ともある。○ まがき。藩に同じ。魏国を守る大垣根。・展季 柳下恵。柳下恵の用語解説 - 中国、周代の魯(ろ)の賢者。本名、展禽。字(あざな)は季。柳下に住み、恵と諡(おくりな)されたことによる名。魯の大夫・裁判官となり、直道を守って君に仕えたことで知られる。生没年未詳。


弦高犒晋師、仲連却秦軍。
弦高は晉国へ行くと称する秦の軍に出会い、牛12頭差出し、慰労するといってこれを留めて、泰の来襲を鄭に知らせた。秦が趙を囲んだ時に、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いたが、魯仲連は責めてその使いを帰らせ、これを聞いた秦の車を十五里も退かせた。
弦高 春秋の鄭の商人。道で来襲する秦兵に遭遇、詐りねぎらって、急を鄭に知らせて備えさせた(左伝逍公三十三年)。 春秋鄭國商人弦高。 秦師將侵鄭, 適高入周經商, 遇秦師於滑。 高以牛十二, 謂奉鄭君之命犒師。 秦師以為鄭國有備, 滅滑而還。 事見《左傳‧僖公三十三年。○仲連 魯仲連。戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。秦が趙を囲んだ時、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いた。仲連時に趙にいて、使いを責めて帰し、秦軍をして恐れて十五里退かせた。田単が斉の王に申し上げて爵を賜わろうとしたが、仲連は海辺の地に逃がれた。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。李白『古風五十九首 其十』


臨組乍不緤、對珪寧肯分。
彼は印綬の組み紐の飾りを目の前に示された時でも、その官職か受けて、それで身をつながれて自由を失うようなことはなく、封爵の沙汰があり、そのしるしの珪角のある玉に面と向かいあっても、領地を分け与えられることをどうして承諾することがあったろうか。
臨組 官職の印綬のくみひもを目前に見る。○乍不練 そんな時でもその組紐につながれない。官職に束縛されない。○対珪 珪(角ある玉)印に面しても。珪は爵封の印章。○寧肯分 どうして封土を分ち賜うのを受けようか。


hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/



唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02