七里瀬 #2 謝霊運<16> 377


 この桐廬の付近の厳陵山の西には有名なる七里瀬の険があった。ここは両巌が約七里(中国里)にわたって、高い山がそびえ、その間に激洸が岩をtむという。日本でいえば天竜峡のそれである。上下する船にとっては非常に危険な場所であって、船をあやつる船頭も、乗客も、すこしも気の安まらざるものがあった。それだけに、景色も美しく、印象に強い場所でもあった。特に、生まれてはじめてここを通過した霊運にとっては、いかばかりであったろうか。心に重い憂いをいだきながらも、その美にいたく心を打たれたらしく、ここで「七里瀬」と題する詩を残しており、『文選』の巻二十六の「行旅」に引用されている。

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七里瀨 #1
羈心積秋晨,晨積展遊眺。
孤客傷逝湍,徒旅苦奔峭。
石淺水潺湲,日落山照曜。
荒林紛沃若,哀禽相叫嘯。
#2
遭物悼遷斥,存期得要妙。
この時節の風物に遭って、官を左遷され、しりぞけられている身を傷ましくおもっている、だからかねての望みの隠棲の心を大事に持ち続け、道理の大切な不可思議な働きを会得するのである。
既秉上皇心,豈屑末代誚。
既に上古の三皇五帝の素朴純粋な精神をしっかりと持っているのだから、どうして末の代の人々のそしりなどを顧みることがあろうか。
目睹嚴子瀨,想屬任公釣。
私は目のあたり後漢の厳光が隠棲して釣を垂れた厳陵瀬の上流であるこの早瀬を見ている、昔、任公子が東海の大魚か釣ってこの浙江以東、蒼梧以北の地の人々がその魚肉に飽いたと荘子にあるが、その大道を以て民を養ったことを喩えた釣の話に想いをかけて慕うのである。
誰謂古今殊,異代可同調。

誰が古と今とは違うというのか。時代がちがっても隠棲して道を求める清潔の士とみさおを同じくすることはできるものである。
#1
羈心【きしん】は秋晨【しゅうしん】に積り、晨に積りて遊眺【ゆうちょう】を展ばさんとす。
孤客は逝湍【せいたん】を傷み、徒旅は奔峭【ほんしょう】に苦しむ。
石浅くして水は潺湲【せんたん】たり、日落ちて山は照曜【しょうよう】す。
荒林【こうりん】紛として沃若【ようじゃく】たり、哀禽【あいきん】相い 叫嘯【きょうしょう】す。
#2
物に遭いて遷斥を悼【いた】み、期を存し要妙【ようにょう】を得たり。
既に上皇の心を秉【と】り、豈 末代の誚【そし】りを屑【いさぎよし】とせんや。
目のあたり厳子が瀬【らい】を睹【み】て、想いは任公の釣に属【ぞく】す。
誰か謂う古今【きんこ】殊【こと】なると、異代【いだい】も調べを同じくす可し。

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現代語訳と訳註
(本文)
#2
遭物悼遷斥,存期得要妙。
既秉上皇心,豈屑末代誚。
目睹嚴子瀨,想屬任公釣。
誰謂古今殊,異代可同調。

(下し文)#2
物に遭いて遷斥を悼【いた】み、期を存し要妙【ようにょう】を得たり。
既に上皇の心を秉【と】り、豈 末代の誚【そし】りを屑【いさぎよし】とせんや。
目のあたり厳子が瀬【らい】を睹【み】て、想いは任公の釣に属【ぞく】す。
誰か謂う古今【きんこ】殊【こと】なると、異代【いだい】も調べを同じくす可し。


(現代語訳)
この時節の風物に遭って、官を左遷され、しりぞけられている身を傷ましくおもっている、だからかねての望みの隠棲の心を大事に持ち続け、道理の大切な不可思議な働きを会得するのである。
既に上古の三皇五帝の素朴純粋な精神をしっかりと持っているのだから、どうして末の代の人々のそしりなどを顧みることがあろうか。
私は目のあたり後漢の厳光が隠棲して釣を垂れた厳陵瀬の上流であるこの早瀬を見ている、昔、任公子が東海の大魚か釣ってこの浙江以東、蒼梧以北の地の人々がその魚肉に飽いたと荘子にあるが、その大道を以て民を養ったことを喩えた釣の話に想いをかけて慕うのである。
誰が古と今とは違うというのか。時代がちがっても隠棲して道を求める清潔の士とみさおを同じくすることはできるものである。


(訳注)
遭物悼遷斥,存期得要妙。

この時節の風物に遭って、官を左遷され、しりぞけられている身を傷ましくおもっている、だからかねての望みの隠棲の心を大事に持ち続け、道理の大切な不可思議な働きを会得するのである。
遭物 時節の風物に遭って。 ○悼遷斥 官を遷し退けられたことを傷み悲しむ。○存期 かねての期望を忘れずに。隠退の望みを保つ。○得要妙 道の緊要玄妙な処を会得する。道理の大切な不可思議な働きを会得する。


既秉上皇心,豈屑末代誚。
既に上上古の三皇五帝の素朴純粋な精神をしっかりと持っているのだから、どうして末の代の人々のそしりなどを顧みることがあろうか。
上皇心 上古の三皇五帝の素朴な心。詩譜序の疏に「上皇とは伏羲を謂ふ。三皇の般も先なる者」とある。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされた皇帝をいう。○ 顧る。


目睹嚴子瀨,想屬任公釣。
私は目のあたり後漢の厳光が隠棲して釣を垂れた厳陵瀬の上流であるこの早瀬を見ている、昔、任公子が東海の大魚か釣ってこの浙江以東、蒼梧以北の地の人々がその魚肉に飽いたと荘子にあるが、その大道を以て民を養ったことを喩えた釣の話に想いをかけて慕うのである。
嚴子瀨 後漢書に「厳光、字は子陵、木姓は荘、明帝の降を避けて、姓を政と改む。光武(帝)諌大夫に拝せんと欲するも受けず。乃ち富春山に耕釣せり」と。富春山を厳陵山といい、七里瀬を厳子瀬というのはこれによる。○任公釣 『荘子』任公子「愿隨任公子。欲釣吞舟魚。」任公子の故事。子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。浙江以東、蒼梧以北の民はこの魚に飽いたという。大道を以て衆を救う比喩。


誰謂古今殊,異代可同調。
誰が古と今とは違うというのか。時代がちがっても隠棲して道を求める清潔の士とみさおを同じくすることはできるものである。
同調 みさおを同じくする。調とは、生きかた。


a謝霊運永嘉ルート02

 謝霊運はかくて桐江をさかのぼり、蘭江に入り、蘭鈴を経て、その支流の娶江に入り、金華に至りて下船。それから陸路を駕で山越えして麗水に至り、ここから再び船にて甌江を下り、永嘉に至った。
(謝霊運のルートを現在の地名で示す)
杭州→蕭山→富陽桐盧→建徳→壽昌→蘭渓金華→永康→(ここまで銭塘江、支流の婺江【ぶこう】を登ってきた。<分水嶺>ここから甌江【おうこう】になる)→石柱→縉雲→麗水→青田→永嘉(温州)都建康を出発して1か月かけて永嘉に到着する。