登永嘉緑嶂山詩 #2 謝霊運 <20> 詩集 387
(永嘉の緑嶂山に登る)


 謝霊運の山水文学は、永嘉に郡守をしていた時代と、会稽に帰隠していたわずかのあいだに、ほとんどのものが作られている。それは、両地とも山水の美に恵まれていたこと、時間がゆったりしていたからである。左遷中というのは半隠であり、会稽では隠遁中であって、自然美に打たれて歌となったものであろう。謝霊運は、技巧をこらす詩人で、おそらく何度も読み返し、修正して作詩したものと思われるからである。
 やがて、秋も過ぎて、冬のころであろうか、永嘉の北にそびえる緑嶂山に登ったとき、「永嘉の緑嶂山に登る」の作がある。


登永嘉緑嶂山詩 #1
裏糧杖軽策、懐遲上幽室。
行源逕轉遠、距陸情未畢。
澹瀲結寒姿、団欒潤霜質。
澗委水屡迷、林迥巌愈密。
眷西謂初月、顧東疑落日。』
#2
踐夕奄昏曙、蔽翳皆周悉。
夕暮れの道を歩いているのにたちまち夜明けのようであり、山が深くてすべてが完仝に被い隠されがげになっていた。
蠱上貴不事、履二美貞吉。
易の蠱【こ】の卦【か】の上九(陽)の爻【こう】には、「王侯に事へず、その事を高尚にす」と、君に仕えないのを貴しとし、履の卦の九二の爻の辞には「履む道坦坦(平らか)たり、幽人(隠者)「貞なれば吉」と、心が正しく堅くて吉であることをりっぱであるとしている。
幽人常坦歩、高尚邈難匹。
世を避けて隠康する人は常に平坦な道を歩むものであり、その気高い行動は、はるかに遠くて比べることは難しい。
頥阿竟何端、寂寂寄抱一。
頥と阿との返事のわずかな違いが結局何のはじめとしてあらわしているのであろうか。とはいっても煩雑な詮索はやめて、私はただ静かにして声もなく、老子のただ一つの真埋を抱き守る身をしばしばこの世に寄せるだけなのである。
恬如既已交、繕性自此出。』

私はもはや荘于のいう平然自得の心と、他方人の生まれ持った物事を知り覚る働きとが、互いに養い育て合えるようである。人間の本原の性を治め正すこともここから出てくると荘子は教えているのである。


(永嘉の緑嶂山に登る)

糧【かて】の裏【つつ】んで軽き策を杖として、遅きを懐うて幽室に上る。
源に行かんとし、逕【みち】は転【うた】た遠く、陸に距【いた】りて情 いまだ畢わらず。
澹瀲【たんれん】寒姿を結び、団欒は霜質より潤い。
澗の委【まがり】は水 屡しば迷い、林迥【はる】かにして、巌 愈【いよ】いよ密なり。
西を眷【かえり】みて初月と謂い、東を顧みて落日かと疑えり。
践夕 昏曙を奄【とど】む、蔽われたる翳【かげ】は皆な周悉【しゅうしつ】。
蠱上【こじょう】の事とせざるを貴しとし、履二に貞吉を美とす。
幽人は常に坦歩し、高尚なるは邈【ばく】として 匹【たぐい】し難し。
頥【い】阿【あ】 竟に何の端、寂寂【せきせき】として抱一を寄さん。
恬【てん】として既に已に交わるが如し、性を繕【おさ】めて此より出ず。

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現代語訳と訳註
(本文)
登永嘉緑嶂山詩 #2
踐夕奄昏曙、蔽翳皆周悉。
蠱上貴不事、履二美貞吉。
幽人常坦歩、高尚邈難匹。
頥阿竟何端、寂寂寄抱一。
恬如既已交、繕性自此出。』

(下し文)#2
践夕 昏曙を奄【とど】む、蔽われたる翳【かげ】は皆な周悉【しゅうしつ】。
蠱上【こじょう】の事とせざるを貴しとし、履二に貞吉を美とす。
幽人は常に坦歩し、高尚なるは邈【ばく】として 匹【たぐい】し難し。
頥【い】阿【あ】 竟に何の端、寂寂【せきせき】として抱一を寄さん。
恬【てん】として既に已に交わるが如し、性を繕【おさ】めて此より出ず。

(現代語訳)
夕暮れの道を歩いているのにたちまち夜明けのようであり、山が深くてすべてが完仝に被い隠されがげになっていた。
易の蠱【こ】の卦【か】の上九(陽)の爻【こう】には、「王侯に事へず、その事を高尚にす」と、君に仕えないのを貴しとし、履の卦の九二の爻の辞には「履む道坦坦(平らか)たり、幽人(隠者)「貞なれば吉」と、心が正しく堅くて吉であることをりっぱであるとしている。
世を避けて隠康する人は常に平坦な道を歩むものであり、その気高い行動は、はるかに遠くて比べることは難しい。
頥と阿との返事のわずかな違いが結局何のはじめとしてあらわしているのであろうか。とはいっても煩雑な詮索はやめて、私はただ静かにして声もなく、老子のただ一つの真埋を抱き守る身をしばしばこの世に寄せるだけなのである。
私はもはや荘于のいう平然自得の心と、他方人の生まれ持った物事を知り覚る働きとが、互いに養い育て合えるようである。人間の本原の性を治め正すこともここから出てくると荘子は教えているのである。


(訳注)
踐夕奄昏曙、蔽翳皆周悉。
夕暮れの道を歩いているのにたちまち夜明けのようであり、山が深くてすべてが完仝に被い隠されがげになっていた。
踐夕夕暮れの道を歩いている。○昏曙 夜明けのような薄暗さ。○蔽翳 山が深く被われている。○周悉 完全である。


蠱上貴不事、履二美貞吉。
易の蠱【こ】の卦【か】の上九(陽)の爻【こう】には、「王侯に事へず、その事を高尚にす」と、君に仕えないのを貴しとし、履の卦の九二の爻の辞には「履む道坦坦(平らか)たり、幽人(隠者)「貞なれば吉」と、心が正しく堅くて吉であることをりっぱであるとしている。
蠱上 易の蠱【こ】の卦【か】の上九(陽)の爻【こう】の辞。○貴不事 君に仕えないのを貴しとする。○履二 易の履の卦の九二の爻【こう】の辞。○ りっぱである。○貞吉 貞であれば吉である。


幽人常坦歩、高尚邈難匹。
世を避けて隠康する人は常に平坦な道を歩むものであり、その気高い行動は、はるかに遠くて比べることは難しい。
幽人 世を避けて隠康する人。○常坦歩 常に平坦な道を歩むもの。○高尚 気高い行動。○ はるかに遠く。○難匹 比べることは難しい。


頥阿竟何端、寂寂寄抱一。
頥と阿との返事のわずかな違いが結局何のはじめとしてあらわしているのであろうか。とはいっても煩雑な詮索はやめて、私はただ静かにして声もなく、老子のただ一つの真埋を抱き守る身をしばしばこの世に寄せるだけなのである。
頥阿 「唯阿」に同じ。老子第二十章に「唯と阿と相去ること幾何ぞ」と。唯阿は返答の声。○抱一 老子のいう唯一の道(真理)を抱ぎ守る。老子第十章に「営魄を載せて一を抱き、能く離るる無からんか」と。


恬如既已交、繕性自此出。』
私はもはや荘于のいう平然自得の心と、他方人の生まれ持った物事を知り覚る働きとが、互いに養い育て合えるようである。人間の本原の性を治め正すこともここから出てくると荘子は教えているのである。
恬如 しずか。心が落ち着いてあっさりしている。『荘子、繕性』「以恬養知。」(恬を以て知を養う ○繕性 人の生まれ持った本原の性を治め正すこと。荘子繕性篇に「知と恬と交々相養ひて、和理其の性より出づ。夫れ徳は和なり。道は理なり」と。知覚と自然の平心とが相互に働いて、人間の本性が出る。○自此出 ここより出てくる。